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参考人(
戸塚悦朗君)
憲法調査会という重要な
場所にお招きいただきましたことを大変光栄に存じます。
私は、長年
弁護士をしておりまして、その間、
国際NGOの
代表としても
国連の
会議に参加するなど、実務的な
立場から
人権問題に接してまいりました。今、大学におりまして
研究教育に従事しておりますが、そこでも実務的な
立場からの
教育を行っております。
今日の主題につきましては、大変興味深いお話だったものですから、論文を書くことにいたしまして、ただ時間的に間に合いませんで、原稿の段階で、しかも校正のしていないものを提出させていただきましたけれども、詳しくはそちらをごらんいただければと思います。
最初に
レジュメの方からまいりますが、
人権は元々
国内的にしか
保障されなかったが、最近は国際的に
保障されるようになってきたという
理解が一般的であるように思われるわけであります。
弁護士時代の私も直観的にそのように考えておったわけであります。しかし、
歴史的に
人権保障の経過を注意深く振り返ってみますと、今申し上げた
理解は不十分であって、かえってその逆が真実ではないかというふうに思うようになりました。
日本に関して言いますと、まず国際的に
人権が
保障され、それを受ける形で
国内的に
人権保障がされるようになったというのが正しいのではないでしょうか。ですから、実際は国際的に
保障された
人権が
国内化してきたというふうに見るべきではないかと思います。
具体的な
歴史的事実を若干申し上げますと、いわゆる
フランス人権宣言というものがございますが、これは実は
人権ではなくて、
男性の
権利の
宣言にすぎないというふうに思われます。
人権宣言という翻訳は美しい誤解あるいは誤訳ではないかというふうに思います。また、
アメリカ合衆国憲法、これは一七八七年のものですが、は
先住民、
黒人奴隷をその主体に含めておりませんでした。また、それが
保障した
人権は、実は
白人男性の
権利であったにすぎないことが指摘されております。
大日本帝国憲法、これは一八八九年でございますが、が
保障したのは臣民の
権利でありまして、
人権ではなかったわけであります。
一九一九年、
パリ平和会議が採択しました
国際連盟規約、これは
ベルサイユ条約の第一編でありますが、にも
人権という
文字はございません。そのときに作られました
国際労働機関、
ILO憲章、これは
ベルサイユ条約の十三編でありますが、にも
人権という
文字はなかったのであります。
基本的人権が
世界的な
規模で
法的文書により約束されるようになったのは、
連合国による
国際連合憲章が採択された一九四五年六月二十六日でありまして、ちょうど今から五十七年前の今月のことであります。
米、英、中首脳が署名して発表しました
ポツダム宣言がございますが、これは
国際連合憲章が定めた
基本的人権の
保障を
日本に要求したのであります。
日本政府はこれを
無条件で受諾しましたが、これが
日本が
人権の
保障を法的に約束した
最初のことだったのではないかと思われます。
日本政府はこれを
無条件で受諾したのでありまして、
ポツダム宣言受諾による
基本的人権保障の責務は現在も
日本が継続的に負う
国際的法的義務であります。
日本国憲法の制定による
基本的人権の
保障は、この
国際義務の
履行であるというふうに
理解できるわけであります。
国連加盟によりまして、
日本は
国連憲章の
履行を約束いたしました。先ほど
横田参考人から御説明がありましたとおり、これにより
日本は
憲章が国際的に
保障した
基本的人権を
日本として
保障することを約束したのであります。さきに述べました
ポツダム宣言受諾に重ねて、更に
基本的人権の
保障を約束したことを
意味するのであります。
こうして見てまいりますと、
国内的に
保障された
人権が
国際化したのではなくて、国際的に
保障された
人権が
国内化されたと
理解すべきであることがお分かりいただけると思います。
日本は、国際的に
保障された
基本的人権を
憲法と
国内法を通じて実効的に実現する国際的な
法的義務を負っていることに思いをいたさなければならないと思います。その
意味は、
憲法を改正するといいましても、このように
日本を拘束する
国際法上の枠組みの範囲内で行うべきものであるということであります。
したがって、今私
たちが
議論すべきなのは、国際的に
保障されている
人権をどのように
国内化しなければならないのか、またどのようにしたら実効的に
国内化することができるのかという
課題ではないかと思います。このような
観点から
憲法の
実施状況を見てまいりますと、以下述べますように、この
課題に十分こたえていないと言わざるを得ないのであります。
次に、
人権の
国内化について申し上げます。
基本的人権を
国内化するための
原則を、
憲法九十八条二項は、「
日本国が締結した
条約及び確立された
国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と定めております。この
解釈には、学説、判例上さしたる争いはございません。
国際人権法などの
国際法は
原則として
国内的な効力を持ち、
国内裁判所はこれを直接適用すべきである、これは法律より優位でありまして、
国際法に違反する法律は無効であると。
国際法は
憲法より優位かどうかについては争いがございますが、この問題には触れません。この
憲法の
規定には問題がなく、改正する必要は全くないと考えます。
また、
国際人権法の諸
規定は非常に豊富でありまして、先ほど
横田参考人から御説明のありましたとおり、
憲法の
基本的人権保障の諸
規定と相まって
人権を
保障するために十分なものでありまして、
憲法の
人権規定も改正する必要はないと考えます。
問題は、九十八条二項の
原則がこれまで実効的に実施されてこなかったところにあると考えます。その実例でありますが、まず司法府による
条約違反について申し上げたいと思います。
最高裁の消極姿勢と
条約違反が批判されております。最近、下級審裁判所が
自由権規約を直接適用しまして
被害者を救済する判決を出し始めました。しかし、上告審で最高裁判所がこのような下級審の判断を支持していないのであります。
大阪
弁護士会はこれを批判しまして、二〇〇一年八月、次のとおりの
会長文書を
国連人権高等弁務官に提出して最高裁判所を批判しております。
一九九七年の指紋押捺
事件最高裁判決で見られた
自由権規約を正面から検討、判断しないという最高裁の態度は、二〇〇〇年に下された徳島刑務所接見妨害
事件においても繰り返された。同
事件では、
自由権規約違反を認定した原審高松高裁及び第一審徳島地裁の各判決を覆すに当たり、何らの具体的理由を示すことなく、
自由権規約違反は存しない旨、わずかワンセンテンスの結論を示しただけであったと。
これは
自由権規約二条の違反でございます。同条三項の(b)は、救済措置を求める者の
権利が権限ある司法上の
機関によって決定されることを確保すること及び司法上の救済措置の可能性を発展させることと
規定しております。
日本はこの
条約を批准してこのことを国際的に約束したのでありまして、これは
日本が国際的に
履行しなければならない
法的義務となっております。
ところが、最高裁は、司法的な救済措置を求める者の
権利について必要な司法的救済を与える決定をしていないのであります。大阪
弁護士会の批判は正当であると考えます。
その次に、行
政府による
条約違反について申し上げます。
国際人権法遵守に関して、
日本の行
政府の消極性は国際
機関からも批判され続けております。その一部は
横田参考人が申し上げたとおりでありますが、
国際人権規約
委員会その他の
条約上の
機関が勧告しておりますが、その勧告は論文に譲りますけれども、
人権条約違反に関する個別問題点が多岐にわたるわけであります。これらにつきましては、多くの
NGOの
日本政府に対する批判的見解もあり、次第に知られてきているように思われますので、個々の論点には触れません。
失礼ながら、立法府による
条約違反について申し上げたいと思います。
立法府による作為、不作為の
人権条約違反もございます。私が
人権NGO代表として知り得た事例について、実務的
観点から幾つかの事例を指摘したいと思います。
第一に、民事訴訟法改正による
自由権規約二条違反問題があります。平成八年、九六年、法百九号、民事訴訟法改正によりまして、旧民事訴訟法三百九十四条にあった、又は判決に影響を及ぼすこと明らかなる法令の違背あるときが削除されまして、新民事訴訟法三百十二条の「上告の理由」は、その一項で、「
憲法の
解釈の誤りがあること」と「その他の
憲法の違反があること」のみを上告理由に限定しました。そのため、
国際人権自由権規約など
国際法違反を理由とする場合は、従前は法令違背に含まれるとされて最高裁に上告ができたにもかかわらず、法改正後は上告できなくなったわけであります。
先ほど申し上げたとおり、
自由権規約二条三項(b)は、司法上の救済措置の可能性を発展させることを締約国の義務としております。
自由権規約違反があった場合の上告の機会を従前より広げる方向で法改正をしなければならなかったにもかかわらず、逆にその上告を制限し、司法救済の可能性を発展させる道を閉ざしてしまいました。これは同二条違反と言わざるを得ないのであります。
次に、
日本軍性
奴隷問題に関する立法不作為の問題があります。
国連とILOの報告書は、重ねて
条約など
国際法違反を指摘し、
日本軍性
奴隷被害者個人への
国家補償などの義務を
履行するよう勧告しております。控訴審で覆されたのでありますが、山口地裁下関支部関釜裁判判決は、韓国の
被害者に関して、国
会議員が
国家補償立法義務を負うことを認め、合理的期間内の立法不作為を違法としたことを忘れてはならないのであります。
法案の準備に時間は掛かりましたが、野党三党の参議院議員による議員立法統一法案、戦時性的強制
被害者問題解決
促進法案の参議院への提案が実現し、この通常国会で参議院内閣
委員会に継続しております。
日本軍性
奴隷問題に関し、
被害者への
国家による
個人補償を実現しようとするいかなる法案も
憲法、
条約に違反し、国会に提案することは不可能であると信じられていた時代に比較しますと、これは大きな進歩でございます。立法運動を推進してこられた多くの市民と国
会議員に深い敬意の念を表明いたします。
この法案は、サンフランシスコ
条約などの
条約にも
憲法にも違反しません。
被害者側はこぞってこの法案を歓迎しております。連立与党が賛成していないので、この法案が成立する見通しは立っておりません。立法不作為による
国際法違反は継続しているのであります。
次に、一九四九年ジュネーブ四
条約の違反、これは
処罰立法義務に違反する不作為でありますが、について申し上げます。
一九四九年ジュネーブ四
条約、一九五三年に
日本は加入しております。これら四
条約は、重大違反行為を
処罰するための立法義務を加盟国に課しております。ところが、なぜなのか、
処罰立法の義務については
日本の行
政府も立法府も学者、
弁護士会なども真剣な
議論をしてこなかったのでありまして、立法の提案さえないのであります。
この重大違反行為というのは、戦争犯罪、
人道に対する罪の典型例でありまして、時効がないことが国際
条約で確認されております。現在、国会審議中の有事立法の論議ではこの点は全く無視されており、一九四九年ジュネーブ四
条約が求める立法については何の法案も提出されていないのであります。
まず第一になされるべきことは、過去の軍事行動で
日本がどのような過ち、戦争犯罪及び
人道に対する罪を犯したのか、その真相究明に基づく反省、再発防止の措置としての立法措置が取られるべきであります。これらは、
歴史から何を学ぶかという問題であります。
そのような段階を経ていない以上、
憲法九条に触れるまでもなく、
日本の行
政府も立法府もそれ以上の有事立法を討議する資格を欠くと言わざる得ないと思います。
最後に、それでは
憲法九十八条二項の実効的な実施のための方策はあるかということに触れます。
第一に、政治的決断が必要であります。
憲法九十八条二項を実効的に実施するという政治的決断をすることが極めて重要であります。これを実効的に実施するには、
国際人権法に関する限りは
国際人権機関による
解釈を受け入れるという決断をすることが必要であります。
国際人権法違反について
国連などから指摘を受けた場合は、可及的速やかに立法措置などを取り、解決を図る必要があります。
次に、それを具体化する方法でありますが、
国際人権機関への
個人通報権を
保障する
人権条約の選択議定書を批准することができます。この問題が国会で真剣に討議され始められた当時は、アジアではこれを批准している国がございませんでした。それが、
日本政府が批准に消極的な理由の
一つとされたのであります。しかし、
日本政府が批准を怠っているうちに、フィリピン、韓国など多くのアジア諸国が次々に批准、加入してしまいまして、
日本はすっかり取り残されてしまったのであります。これが、先ほど
横田参考人が御指摘になった大きな
ギャップの原因の
一つだと思います。
第三に、司法改革がございます。現在、司法の
国際化の論議が進行中でありますが、その中で、
憲法九十八条二項の実効的な実施を検討し、消極司法の解決を図る具体的な方策を立てることができます。残念ながら、
議論はそのような方向には向かっていないのでありますが。
例えば、規約
人権自由権委員会、規約
人権社会権
委員会は裁判官などの
国際人権法を含む
人権教育を実施するように勧告しております。これらに誠実に対応しなければならないと考えます。しかし、現状は逆行しておりまして、
国際人権法を含む
国際法は、最近、司法試験科目から外されてしまいました。したがって、新たに設立されるであろう法科大学院のカリキュラムでは、
国際人権法はこれまで以上に軽視されるでありましょう。このままでは、
日本の司法は国際競争に堪えないのではないかというふうに恐れます。
次に、
国連による
人権教育の十年の努力が進んでいるのでありますが、これについて申し上げたいと思います。
これは、
国際人権法が草の根的に市民レベルに至るまで浸透するような
教育を
目的としております。
国連ウェブサイト、これは英語等の公用語で書かれておりますが、これを
日本語化するということを実現し、
日本語を母語とする人々が草の根レベルで
国連の
人権情報を容易に入手できるようにするという方策がございます。詳しくは論文の方に書いてありますので、そちらをごらんいただきたいと思います。
最後に、
国際協力は
国際法上の義務であります。
日本は
社会権規約
委員会からODAの増額勧告を受けております。このことをも想起する必要があると考えます。
時間になりましたので、この程度で質問にお答えすることにさせていただきたいと思います。
ありがとうございます。