○吉岡
吉典君 私はこういう問題はやっぱり率直にはっきりさせた方がいいと
思います。私、こういうことを言いますのは、私、社会労働政策
委員会にいてこの問題も取り扱ったことございますから、その時代に
考えたことも含めて申し上げますけれ
ども、やはり日本は
ILOが創設された当時から消極的だったと、
ILOに、そう思っております。
それは、
ILOが創立された当時の日本
政府のいろんな文書、僕は手に入る限りのものを読みましたけれ
ども、本音は
ILOに入りたくなかった、だけれ
ども連合国から孤立を避けるためにはやはり入らないとまずいということで入ったのが実際の経過だったと思うんです。そういう歴史的な経過がその後の
ILOに対する態度の中にいろいろな尾を引いているという感じを私は受けております。そういうことがこの
条約を遅らせた原因になっているかどうか別として、そういう感じを持ってみると、やはり遅れ過ぎだというふうに言わざるを得ないんです。
実は、私は昨年の六月五日、この
委員会でも
ILO関係の審議のときに
質問しまして、当時の
外務大臣、また当時の厚生労働省からはっきりした
答弁を得ることができませんでしたので、同じ
質問をもう一度させていただきます。
それは、一九一九年の
ILO第一回総会で採択された第一
号条約について、日本は
批准していない国ということになっているわけです。この
ILO第一
号条約が採択されるに至る過程で、日本は日本の実情に合わないということで例外規定を設け、修正案を出して、当時の第一回総会ではかなり長い時間を掛けてその日本の修正要求、例外規定を設けるということが論議され、当時既に日本は主要工業八か国の
一つになっていました。そういう国に例外認めるわけにはいかないという強い
意見もありましたが、しかしともかくその例外規定を設けて、日本に猶予期間を与えるということで日本も賛成して成立しました。
そのとき日本代表は、日本に対する規定は単に経過規定として定義されたもので、永久にかくのごとき特殊待遇を要求するものにあらずという
発言もして、その修正というのは過渡的なものだと。論議の中では、外国からは二年以内に例外規定を除いて日本も
ILO第一
号条約を実行せよというような
意見も出ております。しかし、ともかくそういう中で修正が行われて日本も賛成した。
同じ修正を求めた国でも、インドの場合は
批准しております。ところが、日本は八十何年たっても
批准しないで、もう今から
批准ということはありませんと、私は労働省から
説明を聞きました。
こういう、物すごい時間掛けて論議しています、当時の記録を読んでみると、日本の修正案が。さんざん論議させ、そして反対を何とかねじ伏せて修正させておいて、
批准もしないまま今日に至っているという、これは理由を私は聞くわけじゃありませんが、そういう状態というのはやっぱり国際
関係において私はまずいと思うんです。それはよくある当たり前なことだというお
考えなのか、それとも、そういう
状況というのはまずいことだというふうにお
考えになるか。
この前、去年の
やり取り、厚生労働省とかなり
やり取りしましたので、最初、厚生労働省にお答え願いたいと
思います。