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斎藤参考人 近藤さんが八五年にダルクをつくったというのかしら、何と言うのでしょうか、どうなるかと思って見ていましたけれども、その二年前まで、私は、松沢病院というところにいて、その前は久里浜病院という国の療養所、官のところにいたんですね。そこでアルコール
依存を見ていて、ドラッグの問題が十分に対応できないということで、私が
東京都に籍がえをしたのは、
一つは、松沢病院の広大な敷地の中に、国はちょっと難しいということで、
東京都の
薬物依存施設をつくるという夢を抱いていたわけですが、結局、そう簡単なものではないということがわかって、これはだめだということでゲリラに転じたんですね。
そのころ、私たちは近ちゃんと呼んでいますが、彼は、ダルクがないからマックというアルコールの施設の中で
活動していた。それで、
精神科医の多くは、この問題に関心を持ちません。私は、松沢病院で、
近藤さんから回されてくるシンナー
少年たちを、アルコール病棟なんですが、何とかそちらの方に入所させるというようなことをやっていたんですが、限界があって、余り彼の期待には沿えなかったというのが今でも残念です。
私は、だんだん、その問題から、
もともとの、ドラッグに走ってしまうような子供が出てくる基盤、つまり
家族の方に問題を移していって、今は、児童虐待とか、児童虐待と密接した
関係にあるドメスティック・バイオレンスの問題に取り組むようになってきたという経緯があります。
私が医者としてここに呼ばれているゆえんというものを少し考慮して、
薬物依存一般の話をちょっとしないとまずいのかなと思います。
薬物というのは、いわゆる私たちが考える
薬物に限りませんで、
薬物乱用ないし
依存と言うときには、
精神活性物質は何でもいいわけですね。トルエンもそうだし、マニキュアの液でもいいし、ガスライターのボンベでもいいし、何でもいいんですが、そういったようなものを
乱用していくときに、あらゆるアディクション、こういうのを嗜癖といいますが、アディクションというのは
薬物依存を含めていろいろな嗜癖がある。
最初の
人間の嗜癖は指しゃぶりですよ。なくて七癖じゃないが、
人間、いろいろな生活行動というのを親から教えられて、そのパターンの中で一生を送るわけですから、その中に、時々、親からの分離その他でもって、非常なクライシス、危機の時期というのがあります。思春期というのは
一つのクライシスで、これは私は第三誕生と呼んでいるんです。第一の誕生が出産であるとすれば、第二は、母のひざからおりる時期、例えば三歳がそうでしょう。これはクライシスです。そのころ、二歳から四歳の間、母親の子供に対する虐待が急激にふえます。それから次は、家という、これは人工的な子宮ですが、ここからの出産、つまり家離れ、子別れの問題があります。この時期もクライシスで、ここでいろいろな問題が起こる中の
一つが
薬物乱用です。
薬物乱用の対策を考えるときに、ドラッグがいけないんだと敵視して、そこから問題を始めるというのは、私は余り得策ではないと思う。
家族の様態その他がどういうように反映して——日本では、例えば日本のコカインの
依存者を見れば、アメリカの数十万人なんかに比べて、ずっと少ないですよ。ほとんどゼロと言ってもいいぐらい。では、日本にはいわゆるアディクション問題はないのかといったら、大いにあります。どういう形でか。それは引きこもりです。ドラッグという問題に余り縛られると、ドラッグ対策が見えなくなる。
日本は、上海を舞台にしたアヘン戦争によって開国して、今の日本政府になったんです。アヘン使用の禁止は幕末のころからやかましく言われていて、明治三年の太政官布告、阿片禁止令に至ります。ごくごく早いときにつくられていて、これと並ぶ布告というと、例えば明治五年の学制頒布、
学校の確立、公
教育の確立などになります。日本はアヘン問題というものを非常に重視して、それの上陸をどうやって阻止するかということを中心にしてつくられた国で、だから、そのことについては非常に過敏ですが、過敏の余り、海外からの上陸を阻止すればそれで済むと思ってきた嫌いがある。しかし、シンナーを考えてください。シンナーは石油製品です。工業製品をどうやって海際で阻止できるか。
だから、これは
麻薬というものを、
麻薬というのは法律用語です。医学用語ではない。一種の有害物質を
幾つか決めてどうやって侵入を防ぐかというような発想は、先ほど
近藤さんも言っていらっしゃったが、おかしい。無理です。幻想です。日本だけ特殊だという
考え方の誤りがいろいろ指摘されていますが、そのうちの
一つです。
常用障害がなぜ思春期に起こるかについて今ちょっと言ったわけですが、思春期に起こる常用障害というのは、思春期心性の
一つの表現にすぎない。では、思春期心性というのは何かといったら、それは、親に対する
依存とか親を理想化していくという
考え方が
自分の中で弱くなってきて、そこから離れよう、そして、そういうのを自我理想といいますが、新しい自我理想をつくっていこうという、モデルを求める時期です。
このモデルは、幸いにそういうような人に出会う場合もあるし、時には、もっとネガティブなものにいくこともある。かつての連合赤軍の問題とか、極左の集団がたくさんいたころは、若者たちはそういうものに引かれていった。最終的には、高校にまで闘争が及んだということがあります。ドラッグの問題も、これと同質のものだとお考えになっていいんじゃないかと思う。
だから、
青少年におけるドラッグ問題の
特徴を言うと、まず、安い、入手しやすいということがある、たばこも含めて。それから、集団で
乱用されやすいというのは、
少年たちの感じる孤独ということを考えれば、友を求めるということからすれば当たり前です。それから、流行的で一時的なもので、その
対象が時々移り変わります。それは、入手しやすさが変わるからです。それから、ほかの逸脱行動、例えば性問題を含めたいわゆる
非行ですが、時には触法行動などと関連することが多い。最初はそうなんですけれども、それが進むと、逃避的になって、孤立して、引きこもりの方向に行く。
それから、
依存と急性中毒は区分けして考えてください。吸ったためにぼうっとしたり、時には呼吸麻痺で死んだりするのは急性中毒です。こういう事故が大人の場合よりはずっと多い。
器質的な損傷、例えばシンナー
少年の場合の歯の欠損ですとか、時には造血
機能を侵して再生不良性貧血みたいな致命的な病気になりやすい。シンナーというのは
もともと油を溶かすものですから、神経組織というのはほとんど脂肪分ですので、脳神経系に対する影響は非常に強いですね。お金が高い、例えばコカインみたいなものの方がかえってそういう意味では安全と言ってもいいぐらいです。
それから、子供の場合は、多剤
乱用が多い、大人のようにこれ一本ということがなくて手に入るものは何でも手を出す、こういうような
特徴がある。
それから、広がりですけれども、
青少年白書なんかで出ているものを見ますと、
皆さん、この問題の手がかりとしてそういうものを見るわけですが、そうすると、取り締まり件数が出ている。これは、奇妙なことに、毎年大体同じでして、例えばシンナーだと一万五千から二万、
覚せい剤ですとその十分の一ぐらい、千五百から二千、これが毎年載せられている。あれは
一体何か。我々からすると、ほとんど意味がない。
実際には何が行われているかというと、例えば、顧客がついた携帯電話一台が百万円以上、時には数百万で取引されているという事実がある。この携帯電話を買う人も売る人も外国人です。こういうことを言うといわゆるゼノフォビアみたいに思われても困るんですが、しかし、実際はそうなんです。その人たちが携帯電話を持つことによって、顧客からの電話が入ってくるから、日本語さえできれば、どこどこの路上ですれ違いざまに現金と薬とを交換するというようなことは可能です。
実際に、クラブと言われるようなところでヒップホップとかレゲエを大音響でかけてやるダンスパーティーなんかには、アシッド、LSDです。それから、エクスタシー、これは
覚せい剤の誘導体ですが、非常に性的興奮を高めるということになっています。それから、マリファナ。こういうのがパックになって一万円程度で売られているという事実がある。
しかし、これを取り締まり
対象にしようとしても、しょせん無理じゃないか。取り締まらないよりも取り締まった方がいいと思いますが、しかし、それでもってそちらの方に対策を強化しても、それは若者文化の一部を破壊させるにすぎない。これらの子供たちをみんな、一過性にマリファナを吸う人たちをすべて、
薬物乱用者として医療の
対象にしたり犯罪の
対象にしたりする、これは余り適切とは私には思えない。放置すればいいと言っているわけじゃありません。要するに、この者たちに注目しつつ、
一体何が彼らをそのようにさせているかについて考える
機運が欲しい。
先ほど、
家族のことをちらっと言ったのですが、結局、私たちがこの問題に対応するときの第一次介入といいますか第一段階は、
家族、つまり、どういう親の
もとにこの子が育って、今、何を求めているかということについての関心を持つことだと思う。
私はそのように考えていまして、そうすると、先ほど言ったように、左の端に引きこもり、右の端に
薬物乱用を初めとする顕在的な問題を抱えた
一つのスペクトラムが見えてくるわけです。引きこもりだって
一つのアディクションシステムです、同じことを繰り返してなかなかそこから離れられないということでは。そのいずれもが——引きこもりの
少年を連れてきなさいと親に言って、どういう役に立つか。あるいは、引きこもりなんかになると、これは逮捕の
対象者にならない。これは、要するに、親に働きかけて、悩んでいる親のケアをどうやってやるかということに尽きる。多くの場合、不在の父とか、孤独の中で母子密着を強めていく母だとか、そういうものが見えてきます。時には、これはアノミー型といいますけれども、全くばらばらになっちゃった
家族もある。そのそれぞれに対して適切な
家族介入が必要だと思う。
それから、一挙に飛びますが、医療の問題はちょっと飛ばしまして、
一つ言っておけば、この問題には医療は余り役に立たない。だから、自助
グループというのが大事になってきた。アル中の場合のAAは一九三五年に、それから、NAは一九五三年にできています。ナルコティクス・アノニマス、先ほど
近藤先生が言っていましたけれども、こういうようなものを活用するということは、
薬物依存、
乱用の問題を取り扱う人たちの常識になっています。
それから、もう
一つ指摘しておかなくちゃいけないのは、子供の
覚せい剤乱用を考える場合、これは女児が多いということです。女性の問題です。統計的にも、取り締まられた人の五〇%以上が
覚せい剤の場合は女性です。その氷山の海面下の部分にいきますと、もっと低い。十代初めですと、七〇%から八〇%が女児です。
どうしてか。男が薬に誘うからです。ですから、これは、よく言われる少女期の、ひところ援助交際なんという問題がありましたが、そういう問題とも絡むのです。この問題を単独で取り上げないで、ぜひ、いろいろな問題の中の
一つの現象とお考えいただきたい。
それから、彼らは、親からの愛着から離れることによる絶望感というとちょっと強いかもしれないが、当惑あるいは不安の中に漂うわけですから、提供されなくちゃいけないのは人でありまして、処罰ではありません。ストップと言ってみても、財団の
活動はよく存じ上げていますし、尊敬もしていますが、「ダメ。
ゼッタイ。」と言っているだけじゃだめなので、彼らにクラブで彼らが交友を求めるような魅力的な場をどうプロバイドできるかというのが我々にとっての必要なことだろうと思う。
それから、
治療についても同じことです。私たち医療がこの問題の対策に失敗したのは、
近藤さんがやっているような
活動との
連携が、私みたいに孤立した一人一人の
精神科医にしか、
自分の範囲でしかできなかったからです。ゲリラです。これじゃだめだ。
例えば司法的介入は、私は否定しません。今、回復の途上にある子供たち、かつての子供の
乱用者を見ますと、残念ですが、ほとんど、鑑別所や
少年院を経ています。そこでもって、裁判官の適切な判断によってプロベーションの期間を置いてもらう。これは、法的なプロベーションというよりも、執行猶予をつけてもらって、その間に
治療を進めてもらった子がよくなっているんです。
その間に何をしているかというと、多くは、ダルクその他。こういう
民間のささやかな
活動が生き残っているというのは世の中の人が必要としているからで、決してお国の機関じゃない。公的な機関というのは、そこで働く人のものです。決して利用者のものじゃない。そうなってしまうので、むしろ、NPOというものができてきて、本当にこれは期待できると思うのですが、これをもう少し充実して、使いやすいものにしていただいて、これを中心に問題が展開されるようになると、いわゆる
一般市民の中から大勢のこの問題に関心のある
ボランティアが育ってくるはずだと思います。そういうようなことがこれからのこの問題に対する対策になろうかと思います。
御清聴ありがとうございました。(拍手)