○赤羽
委員 公明党の赤羽一嘉でございます。
まず、本日は、四名の
参考人の皆様方におかれましては、大変御多忙の中にもかかわりませず、また早朝から足をお運びいただきまして、大変参考になる貴重な御高見を御開示いただきましたことを、まず心から感謝を申し上げる次第でございます。
きょうは、私も二十分間という限られた時間でございますので、私は、
ハートビル法の
改正について御質問させていただきたいと思います。全員の
参考人の皆様に御質問できないかと思いますので、まずその点、御容赦をいただきたいというふうに思います。
今回の
ハートビル法の
改正が数年ぶりに行われて、ある意味では、努力義務から強制義務化されるという大変大きな一歩を踏み出したなというふうに、私自身、この
法律を評価するところでございます。
実は、交通
バリアフリー法が、平成十二年ですか、成立したとき、当時私、運輸
委員会に所属をしておりまして、質問に随分立たせていただきました。
参考人のこういった質疑の場がございました。今でも非常に印象に残っているそのときの
参考人の方の御発言で、新幹線を利用するときに、あらかじめ何時に着くかということを事前に連絡しなければいけない。そして、着いたら四人とか六人の方に支えられて階段をホームに上がらなければいけない。これは、設備の問題ではなくて、人としての尊厳にかかわる問題なんだ、こう言われた
参考人の方がいらっしゃいまして、私、そのときに改めて大変感銘を受け、本当にそうだな、これは箱物行政とか、
国土交通省的な考えですと施設設備というような、それは役所の権限としてそうなんですけれども、そういっただけの話ではなくて、これは本当に、
社会のあり方というか精神性の問題というか、二十一世紀の
日本の国のあり方にかかわる大変重要な問題だという認識をその場で新たにいたしまして、それ以来、私なりに一生懸命取り組んできたところでございます。
一昨日の本
委員会でも、実はこの質問に立たせていただきまして、先日、
障害者の
方々が企画されたシンポジウムに参加させていただいて、皆さんから出た要望のうちの数点を質問させていただいたところ、扇国土交通大臣、また
住宅局長からも、本当に前向きな答弁も出たところでございまして、本当に、一歩一歩ではあるかもしれませんが、
日本の
社会がここ数年、いわゆる
バリアフリーのまちづくりを目指した
社会になっているなということを実感しながら、きょうも質問させていただくところでございます。
まず
一つは、
高橋先生の発言要旨のメモの中にございますが、「優良な
バリアフリー
対応の推進」という項目がございまして、私もこの点は大変大事なのではないかな。この
ハートビル法ができ上がって本日に至るまで、努力義務の中で、どのような形で、どれだけこの施策が進んできたか、こういった
状況の中で、
基礎的基準をクリアした
建物が七割以上ある、こういう
状況でございますが、また一方で、もうちょっとハードルが高い誘導的な
基準という観点で見ると、まだ一割にしか満たない、こういった
状況があるわけでございます。
また、
障害者の方といっても、障害のありようというのはすごく多様であって、段差があることが大変な障害になる場合もあれば、視覚障害の方にとってはその段差がないことが逆に
バリアになってしまう、こういったことで、
バリアフリーと簡単に言っても、難しさというものも感じますし、先ほど
高橋先生の御答弁でもありましたが、ホテルの部屋の中といっても、
バリアフリー化というと、非常にステレオタイプになって、いろいろな障害を持たれている方が全部そこに住まわされてしまうというようなことがどうかというような御指摘もあったところでございます。
また、車いすといっても、先日も改めて実感したわけでございますが、電動車いすの方と普通の車いすの方では、重さも違うし、幅も違うし、縦の長さも違う。これは、扇国土交通大臣も改めて自覚をしたという御発言もありましたが、そういった意味で、
バリアフリー化が進んでいることは喜ばしいことでありますけれども、ある意味では
障害者の
方々から見ると、まだまだ物足りない
部分があるというのが実感なのではないかなというふうに思うんですね。
基礎的な
基準、誘導的な
基準という
基準を決めた瞬間に、実は基礎的な
基準をクリアすれば
バリアフリー化ができると、
バリアフリー化という概念が実は非常に矮小化されてしまうのではないか。交通
バリアフリー法があって、全国各地でいろいろな駅にエレベーターがつきました。ところが、エレベーターが
一つつけば
バリアフリー化になったと、これは前進は前進であるんだけれども、本当に
障害者の方の立場から見ると使い勝手としてはどうなのかな、だけれども、統計的には
バリアフリーの中に入ってくる、こういった大変なギャップがあるのではないかなというふうに私は実感をしております。
そういった、実体験としてどうなのかということをまず
児玉参考人にお聞かせいただきまして、その後に
高橋先生に、基礎的な
基準、誘導的な
基準という
基準設定を設けることについてというか、こういったこともやむを得ないのかなと思う気持ちもありますが、先生もこの
法案自体に間接的に深く関与されてきたお立場として、この辺についての議論がどうなされたのか、御
意見をいただければと思います。