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古賀(一)
委員 本当に時間は短いものでありまして、あっという間に過ぎますが、この後、
阿久津委員からも
質疑時間の一部をとって
質問してもらいますので、下手をすると
最後になるかもしれませんが。
もう一点私が非常に重要だと思うのは、今は縦の話をしましたけれども、横ですね。つまり、今回は
住宅局所管法として出たんですね。せんだっては
都市・
地域整備局の
所管法で
都市再生法が出たのです。かなりダイナミックといいますか抜本的な
都市計画、
更地にしてもう一回考えようというようなダイナミックなものもあったのですが、私は、ああいった発想というものがやはりここでも使えるのじゃないか、むしろ、
都市政策と
住宅政策というのは
マンション建てかえで融合すべきじゃないかという気が大変するんですね。ところが、今までの
説明あるいは
審議を聞いていましても、
そこら辺がまだ定かじゃない。
そこで、あえて私なりの
思いを述べさせていただきたいのです。
私、せんだって
久しぶりに
渋谷から先、東名に続く三軒茶屋、あそこの
高速道路を何日か通りました。
久しぶりに通るとわかるものでありまして、何と、
首都高速の横に連なるこの
町並み、六階
建てがあり三階
建てがあり十階
建てがあり、もう
首都高にこんなに迫っている。よくこの
委員会でも言いますけれども、私もしょっちゅう
中国へ行くのですが、上海の
高速道路を通ると、
向こうに五十階
建てがある、四十階
建てがある、
ビルが林立している。
高速道路の百
メーター、二百
メーター向こうは、もう本当に堂々たる
都市に変容している。
ところが、
日本はほんの五年前、十年前までは大した国だと威張っておったのですけれども、十年前は
日本にはるかに及ばないと思っておった
中国の人も、今、恐らくあの
渋谷かいわいを通れば、
東京はこれで大丈夫なのか、アジア第一の
都市だったんだろうかと思うんですね。
それはしようがなかったと私は思うんです。戦後、
都市計画も不十分であり金もない、そういう中に、
農耕民族に発した
日本民族が町をつくってきたわけですから。でも、これからは、あの
町並みが
あと三十年、四十年、あんなでこぼこの、小さい
ビルが連担して
首都高速の横に張りついているという
都市が世界的に見てどんなものであろうかと、私は大変心配するわけですね。
そうなりますと、まさにその
町並みを変えていく、一回全部クリアランスして、ここを
更地にするぞという
法制はとり得ないものですから、結局、この
マンション建てかえというのを機に、これが本当に立派な、
ビルじゃなくて、
マンションじゃなくて、街区にここが変容してくると、おお、あそこにあんないいものができて、こんな
優遇制度、こんな
政策システムが組み込まれて、いいものならばうちもということで、そういう形で、
東京のそういう
仮住まいの
思想でつくってきた
町並みを、今後五十年、場合によっては百年かかるかもしれないけれども、変えていくしかないと私は思うんですね。
そういう面で、今回多くのいろいろな
手だてを講じられたことは高く評価しますけれども、この
マンションの
建てかえというものが、町の再
形成、本格的な
まちづくりに占める地位というかシェアから見て、これでは不十分じゃないかと私は
思います。
したがって、私が申し上げたいのは、まず
都市再生法でやりましたね、いわゆる
容積率の問題。こういうものも
一つの仕掛けとして
マンション建てかえの強烈なインセンティブとして使い、そこに、この前も
都市再生のときに言いましたけれども、この
容積率の
追加分を利用して、
高齢化社会に
対応した、例えば
コミュニティーホールをつくりなさいと。それは
国土交通省が推奨すればいいんですよ。そこに税制も組み込める。いろいろな
手だてがあるわけですから。融資もある。そして、そういうものをやったときに初めて、いわゆる
マンション管理組合も、そこにいる
おじいちゃん、お
ばあちゃんも、よし、それなら
ば建てかえに賛成していいじゃないかという
一つの、国民の初めての、
仮住まいではない本格的な
住まい方の
日本の
価値観、あるいは
都市づくりのそういう
価値観というものが生まれると私は思うんですね。
だから私は、そういう面で、端的に言いますと、例えば
容積率の緩和、今言いましたような高
規格介護、
福祉型の
住宅をこれによってつくり上げていく。それに、例えば
老朽マンション建てかえ
誘導型総合設計制度というものを
東京都は考えてあるそうですけれども、こういったいろいろな
仕組みをぶっ込んで、いい
建物、いい街区、そして行く行くは、いい
都市というものに再生していってほしいと思うのです。
そういう面で、この
法律はまだ
住宅政策にとどまっている。それではいかにも惜しいし、それは
あと五十年後に、五十年後は今より
日本はもっと大変になっていますよ。あのときに何で百万戸、今はそんなにありませんけれども、二十万戸も三十万戸も年々かえていった、あのときに何で
東京をいい町にしなかったんだ、あのときもまた
仮住まいの
思想で
マンションを
建てかえたのかと言われるのじゃないかと私は思うので、
そこら辺の
総合政策へ向けて、徹底した、
都市局、
住宅局、もちろん
法務省、それから私がかつて担当しておりました例えば
緑化もそうですよ、
屋上緑化だってそうなんでして、これはもう徹底して
屋上緑化というものをここに組み込む、そういう戦略をこの
マンション建てかえにぶっ込むべきだと私は
思いますが、
大臣の強烈なイニシアチブでこれはハッパをかけていただきたい。強く期待もしますし、
大臣の
そこら辺につきましての決意をお聞かせいただきたいと
思います。