○
松井参考人 名古屋大学の
松井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
国際社会における
日本の
あり方、特に
PKO、PKFを
中心とした
国際協力の
あり方というテーマをいただきました。ただ、私、専攻は
国際法でございまして、
日本の
外交政策について専門的な
研究をしているわけではございません。そういうわけですので、特に
国連憲章なり
国際法の
一般的な枠組みの中での
PKOの位置づけ、そしてそれとの
日本のかかわり、その
あたりに絞って話をさせていただきたいというふうに思っております。
レジュメを差し上げておりますが、実はこの
レジュメをつくりました後で、
事務局がつくられたこの「
国連平和維持活動について」という
資料をいただきました。これを見ますと、かなりのことが説明してございます。どうも私の話すことが余りないのではないかという気がしてきたわけでありますが、時間も限られておりますので、特に事実
関係等についてこの
資料に説明されていることはそちらに譲るということで、
レジュメでいえば後半の
部分を
中心に
お話をさせていただきたいと思います。
この
資料にも、
平和維持活動の
定義が
最初のところに載っておりますが、もう読み上げることはいたしませんけれども、この
定義は、きょうの
お話で申し上げます第一
世代の
PKO、大体
冷戦期に始まって、
冷戦終結まで、もちろん現在でもその形のものは行われておりますが、
冷戦期に典型的であった
平和維持活動、これに関する
定義がこの
資料に載っております。後で、第二
世代で大きく変わるわけですが、その
お話は後ほどいたします。
なぜ、こういう
平和維持活動が誕生するに至ったかということでありますが、
レジュメで
項目だけ書きましたように、
国連では、
集団安全保障という
システムで平和を
維持しようという
制度をつくったわけであります。これは、
国際連盟のときに初めて、それ以前の
勢力均衡とか
同盟政策に基づく
平和維持のやり方が挫折した。これを受けてつくられた
制度でありまして、
加盟国は
武力に訴えないことを約束する、そして、その約束を破って
武力に訴えた国については、
加盟国が
協力をしてこれに対処するという
制度であります。
この点で、
国連憲章は
連盟規約から格段に強化をされまして、
安保理事会が平和への脅威とか平和の破壊を集権的に
認定する。そして、それに対して
強制措置の
発動を決定できるという
システムを採用いたしました。しかも、
強制措置の
内容についても、
連盟期には
経済制裁が
中心でしたが、
国連憲章の場合は、
制度としては軍事的な
強制措置もできるということは
御存じのとおりであります。
ところが、この
国連の
集団安全保障、非常に強力になったわけですが、それが同時に弱点になったということも御承知のとおりでありまして、
安保理事会に集権化されているということは、
拒否権の結果、
安保理事会が動かなければ
集団安全保障が適用できないということになります。したがって、
冷戦期にこの
集団安全保障の
強制措置が適用されたのは、
朝鮮戦争を数えるかどうかについては
議論がありますが、それを別にすれば、わずか二件しかなかったということも
御存じかと思います。
平和維持活動というのは、こういう
状況に対処するために、いわば苦肉の策として登場したものでありまして、二重の
意味で
冷戦の
産物であると言うことができる。
一つは、
拒否権のために、
安保理事会による
侵略者の
認定とか
強制措置の
発動ができませんので、したがって
侵略者の
認定は行わない。まず、とにかく何とか
停戦を実現いたしまして、これを
維持することによって
平和的解決のきっかけをつくろうという
考え方、
政策が選択されたわけであります。
それからもう
一つは、
冷戦期には、
地域的な
紛争に
米ソなど両陣営の
大国が
介入する、そうすると、
地域的な
紛争が世界化するという危険がございました。したがって、あらかじめ
国連がそこに
介入することによって、
米ソなどの
介入の口実をなくすという、当時の
事務総長の
ハマーショルドさんの
言葉によりますと
防止外交。
防止外交という
言葉は今ではもっと広い
意味に使われておりますが、当時はそういう
意味で使われた。この
防止外交としての
側面がございました。したがって、
憲章規定はございませんし、
特定の理論とか教義が
背景にあるわけでもない。いわば、現実の
必要性から生み出された
経験上の
産物だったと言うことができます。
そこで、
平和維持活動、
PKOの
憲章上の
根拠でありますが、これについても、さまざまな
議論が
事務局の
資料の二ページ
あたりに紹介されております。そこにもありますように、最も典型的な
議論としては、これも
ハマーショルドさんが言い出しました六章半という説がありました。
憲章第六章の
平和的解決の
規定と第七章の
強制措置の中間にあるから六章半だというわけでありますが、これはもちろん例えでありまして、具体的な
憲章規定がないということがむしろここに表現されているというふうに言えます。
そういうわけで、発足の当時は、実は、ソ連とかフランスとか、これは
憲章に違反するのではないかという
意見がかなり根強くございました。その結果、
平和維持活動に関する
分担金が払われないというふうな
事態が起きまして、これをどう考えるかということが、国際司法裁判所の
意見が求められました。
六二年に、
国際連合のある種の経費という題の
勧告的意見が出されておりますが、ここでは、
平和維持活動というのは、
国連憲章の
平和維持という全体的な目的の
範囲内にあるということ、それから、
関係当事国の
同意を得た
活動であるので
強制措置ではないということ、それから、これは特に
UNEFと
ONUC、これから
平和維持活動は
略語で言わせていただきますが、この
略語の
正式名称もすべてこの
事務局の
資料に載っておりますので、御参照いただきたいと思います。この
ONUC、
UNEFという
活動、いずれも
関係決議が反対なしに採択された、このようなことを
根拠にいたしまして、この
二つの
平和維持活動について、これは
憲章に適合するものだという推定を下しているわけであります。
その後、
平和維持活動が繰り返される中で、次に申し上げるような
幾つかの
原則が出てまいりますが、この
原則に従っている限りにおいては
憲章に適合するという判断が
加盟国の
一般的なものになりました。現在では、
平和維持活動それ
自体が
憲章違反だという声は、
加盟国にも、学者の間にも一切ございません。
そこで、どのような
原則か。これも、
憲章規定はもちろんないわけでありますし、
特定の
総会や
安保理事会の
決議があって
原則を明記しているというわけでもない、
国連の慣行の中から
発展してきたものであります。したがって、論者によっていろいろの
整理の仕方の違いがございまして、
レジュメに書いております
整理は、これは
京都大学の
名誉教授の
香西茂先生の
整理に沿ったものでございます。
この
整理によりますと、大きく分けて、非
強制、
中立性、そして
国際性、この三つの
原則があるということで、非
強制の
原則の中には、
同意原則、それから
武器の
使用の制限。これは
自己防衛の場合に限る、
セルフディフェンスという
言葉で、
一般に
自衛と訳されておりますが、国の
自衛権とはかなり文脈を異にいたしますので、私は、
自己防衛とでもちょっと
区別をして訳した方がいいのではないかと思っておりますが、その
自己防衛と、
任務の遂行が
武力で妨げられた場合に限るということで、みずから
武器の
使用のイニシアチブをとってはいけないということになっております。それから、
受け入れ国の
内政に干渉してはいけない。
それから、
中立性の
原則としては、
部隊派遣国から
利害関係国や
大国は
原則として除く、もちろん例外はございますが、そういう
考え方が第一
世代の
PKOではとられてまいりました。それから、
紛争当事者に対する
中立ということはもちろんであります。
そして第三に、
国際性の
原則としては、
国連による
指揮統括、それから、
部隊派遣国はできるだけ地理的に公平に配分をするということ、それから、費用は
国連が負担する、そういう
原則がございます。
この中でも、特に重要な、いろいろな
性格の
原則がございまして、実際に
活動を進める上でそういう
原則に従う方が便宜であるというふうな
原則もございますが、いわば
国連憲章と
国際法の
基本原則からくる最も重要な
原則が
同意原則でございます。
つまり、
国連憲章上、国は
主権を持っている、
主権平等であるということになっておりまして、
平和維持活動は
強制措置ではありませんので、
主権を持った国の
同意なしには当該の
地域に
国連軍を派遣することはできない。つまり、
同意原則というのは
国際法と
国連憲章の
基本原則からくるものだということは、当時の
ハマーショルド事務総長の
発言からも出てくるわけであります。
したがいまして、
同意が撤回されれば、途中でも
撤退しなければならないということになっておりまして、これは、有名な事件がありまして、
UNEFが派遣された際に、
エジプトと
国連の間で
信義則の覚書という
文書が交わされておりまして、
国連軍の駐留に関して、
エジプトが
主権を行使する際には、これを誠実に行うということが約束されております。誠実に行うというのは、不一致がある場合にはお互いに調整をしようということであって、
エジプトが
主権を行使するのを否定したわけではありません。そこで、結局、一九六七年に、
アラブ連合の要求に従って
UNEFは
撤退せざるを得なくなる。この直後に
中東戦争が始まるわけですから、もっと頑張っておれば
戦争の勃発を防げたのではないかという
批判が強かったわけですが、政治的には確かにそうであっても、法的には
撤退せざるを得なかったというのが実際のところであります。
さて、それでは、こういう第一
世代の
PKOをどういうふうに評価できるかということで、
レジュメの二ページ目の一番上に簡単に書きましたが、これはそもそも
集団安全保障とは全く
考え方が違う。つまり、
集団安全保障の場合は、
白黒をはっきりさせまして、白を擁護するために黒をやっつけるというわけでありますが、
PKOでは
白黒をはっきりさせません。したがって、
集団安全保障にかわるものではないわけでありますし、それから、
平和維持活動、
PKO自体が
紛争の
平和的解決の
活動をやるわけでもありません。これは別の
制度、例えば、
事務総長の
特別代表でありますとか
安保理事会なり
総会なり、あるいはそういった
国連機関が主催した
国際会議等で、別の形で行われます。
平和維持活動の
任務は、
停戦の
監視でありますとか、
緩衝地帯の
保護とか、
部隊撤退の確保といった、極めて限られたものであります。しかし、この限定的な
範囲内では、比較的よく
役割を果たしたというふうに評価されておりまして、ここにも書きましたように、
ノーベル平和賞を受けております。
ただ、
内戦に関与した場合には、第一
世代といいますか、この時代の
平和維持活動でも
失敗した例がございまして、例えば
コンゴ国連活動、
ONUCでありますが、これは、
内戦に巻き込まれて、一方の
当事者を支持したという
批判をかなり強く受けております。それから、
キプロス国連平和維持活動、これは、六四年に始まって現在まで続いておりますが、一応、
トルコ系と
ギリシャ系の住民の衝突を防いでいるという
意味では
役割を果たしているんですけれども、その
内部的対立自体は一向に解決されないで、毎年
延長決議をやっているというふうな
事態があります。
さて、これが
冷戦期の
平和維持活動の
特徴でありますが、これが
冷戦後、第二
世代の
PKOと現在呼ばれているものが登場するわけでありまして、それはどういう
背景のもとに出てきて、どういう問題を持っているかということを次に見てみたいと思います。
背景としては、何よりも、
冷戦終結後に
地域紛争が非常に多数発生するようになりました。しかも、その多くは、
国家間紛争ではなくて、ここで
ブラヒミ報告の
言葉を引用しておきましたが、イントラステートで
トランスナショナルな
紛争である、
国内紛争ではあるけれども国境を越えた
影響力を持っているんだ、こういう
紛争であります。
ことしの一月十五日現在で実施されている
PKOは十五件ございます。このうち、五件は九〇年代以前から継続しているものでありますが、十件が新しく始まったものであります。この十件のうちで、
国家間紛争にかかわって派遣されたものは二件だけでありまして、八件は
国内紛争にかかわって派遣されている。
ただし、注意しておかなければならないのは、
国内紛争といいましても、少なくともその遠因には外部の国の
介入がある。例えば、
冷戦期における
米ソ両
大国の
介入の後遺症が残っておるとか、
冷戦後におきましては、近隣の諸国とか
地域大国の
介入がある、そのようなケースが少なくありませんので、この点には留意しておく必要があるかと思います。
このようにして、
地域紛争が多発いたしまして、
平和維持活動派遣の
必要性が増大するわけでありますが、それと同時に、
冷戦終結後は
安保理事会が比較的円滑に
活動するようになった。
常任理事国の一致が得られやすくなって、
PKO派遣についてコンセンサスが得られやすくなったということも、もちろん
PKO活発化の
背景としてございます。
ところで、
地域紛争というのは
幾つかの
特徴を持っておりまして、
レジュメでは
国家構造崩壊型の
紛争というふうに書いたわけでありますが、つまり、伝統的な
内戦ならば、
中央政府があって、これに取ってかわろうとする
反乱側があって、これが対立しているという構図でありますが、そういう簡単な
内戦ではないというのが大
部分であります。
中央政府や
行政機構、
司法機構などが崩壊してしまいまして、多数の
当事者が入り乱れて争うというふうな
状況が多くの場合生じております。
もちろん、こういう
状況では
平和的解決自体が大変困難になりますし、それに伴って、しばしば重大な
人権侵害、
ルワンダ等では
ジェノサイドに至るような
人権侵害が行われる。それから、
難民や
国内避難民が大量に発生いたしまして人道的な
危機が出現するというふうなことで、こういった難しい問題に
平和維持活動が対処しなければならないようになったということであります。
そこで、この
特徴でありますが、
レジュメでは量的な
拡大と質的な
拡大という二点を挙げておきました。
量的な
拡大、
一つは件数の増大であります。一九八〇年代までに開始された
活動は十八件ございますが、九〇年代以降に始まった
活動は三十八件を数えております。それから、
一つ当たりの
活動の規模も
拡大しておりまして、第一
世代の場合、
ONUCのように二万ほど行った場合もありますが、大体は数百単位でありましたが、第二
世代だと、UNTACで二万弱、それから
国連保護軍、ユーゴに送られたUNPROFORでは五万近い
要員を送っているわけであります。
それから、
質的拡大ということでは、
一般に、多機能型(マルチファンクショナル)とか多分野型(マルチディシプリナリー)というふうな形容がされておりまして、伝統的な
停戦合意の
監視とか軍隊の
撤退の
監視に加えて、
動員解除や
武装解除、それによって放棄された
武器を回収するとか、旧
戦闘員を
市民社会に再統合するとか、
地雷除去、
難民や
避難民の帰還の促進、
人道援助の供与、警察の訓練や
人権尊重の検証、それからさまざまな
国内制度上の
改革の支援というふうな、非常に広範な
役割を担うようになる、それに伴って
文民要員の
必要性が大きく増大しているということが
特徴であります。
それでは、第二
世代のこの
平和維持活動が
一体うまくいっているのかどうかというと、これはどうも
功罪相半ばするようでありまして、さまざまな
問題点が提起されております。
一つは、もう時間がございませんので、具体的な中身には触れませんで、
項目だけを申し上げますが、
平和維持活動と
強制措置が必ずしも十分に
区別されなくなった。従来は全く違うものだと考えられていたのが
区別されなくなりまして、同時に
二つの
活動が同じ
地域で行われたり、まず
強制措置が行われて
平和維持活動がこれに取ってかわったり、あるいは
平和維持活動、
PKO自体が
一定の
強制権限を付与されるというふうな例が多く見られるようになりました。
これとも関連いたしますが、第二に
同意原則が緩んできております。
幾つかの
平和維持活動は必ずしも全
当事者の
同意を得られないままに送られるというふうなことがございまして、後ほどまた
内容に触れますが、前
事務総長の
ブトロス・
ガリさんの「平和への
課題」という
文書では、
平和維持活動の説明をいたしまして、これまではすべての
関係当事者の
同意を得て、ヒザートゥという
言葉を使いまして、これまではということは、これからは
同意を得ないこともあるよということをにおわせていたわけであります。
それで、そのように、場合によっては
強制権限まで付与されるということでありますので、
部隊構成も変わってまいりました。従来のように
中小国、
中立的な国の
部隊だけでは不足して、むしろ
大国中心に変わってきております。当然のことながら、
任務が広範になると
内政問題へのかかわりが強化されてくる、場合によっては
内政干渉のおそれがあるというふうな
事態も生じます。それから、
中立原則が
危機に瀕することが少なくありません。
停戦合意を一方の
当事者が破るとか、それから
ルワンダの場合のように、
ジェノサイドのような重大な
人権侵害が行われるというところで
中立原則を
維持しようとすると、これは
国際社会の重大な
批判にさらされるわけであります。
そこで現在、そういう
経験を踏まえて、これからの
活動をどうするかという
議論が行われるようになっておりまして、
失敗例、
成功例は後で必要がありましたら、時間がありましたら補足をするといたしまして、
レジュメの三ページの三のところに移らせていただきます。
事務総長ブトロス・
ガリさんの「平和への
課題」、ここに書きましたように九二年に出されておりますが、これは、むしろ
冷戦後の新しい
状況を目の当たりにして、これから
国連がこれにどういうふうに関与していくかということを、いわば将来の
課題として検討するという
側面が多うございました。
一定の
経験を踏まえて、若干の
軌道修正をした
サプリメントが九五年に出ておりますが、この
文書はそういう
性格のものであります。これに対して、今回の
ブラヒミ報告というのは、むしろ十年間の
経験を踏まえて、その
失敗の例に学びながら将来のことを考えようという、いわば「平和への
課題」が理念的であったのに比べて、かなり
経験的な
性格を持っている、このように位置づけられるかと思います。
「平和への
課題」の方でありますが、これは
冷戦後のかなり高揚した雰囲気を反映いたしまして、
国連の非常に積極的な
役割を強調したものであります。
予防外交と
平和形成(ピースメーキング)は、大体、
紛争の
平和的解決といいますかそういったことを
中心にする概念でありますが、それから
平和維持(ピースキーピング)、
紛争後の
平和構築(
ピースビルディング)、この三者を
一体として把握するという
立場に立つ。そして、
軍事力を積極的に使っていこうということで、例えば四十三条の
国連軍提供のための
特別協定の交渉を始めようじゃないかということを提唱するとか、
一定の
強制権限を持った
平和強制部隊を考えようというふうなことを提唱したわけであります。
ところが、この
ブトロス・
ガリさんの
報告にはやはりさまざまな形で問題が提起されまして、特に
総会などは
軍事力を重視し過ぎているということで、もっと平和の
維持と経済的、
社会的発展あるいは
人権と
民主主義の擁護というふうなものを総体的につかまえなければいけないという主張が出てまいりまして、その結果、「
発展への
課題」という別個の
報告が出されたりしております。
それから、九五年の
サプリメントでは、数年間の
経験を踏まえまして
一定の
軌道修正をしております。例えば、
平和維持活動の
基本原則、
当事者の
同意とか
公平性とか
自己防衛の場合を除いては
武力を使ってはいけないとか、そういう
原則をやはりきっちり
維持しなければいけないんだ、
成功例と
失敗例を見ていると、
成功例ではこういう
原則が
維持されているし、
失敗例では
維持されなかったというふうなことを言っております。それから、
平和維持活動と
強制措置は全く違う技術なんだ、一本の
連続線上につながっているものではないのであって、この
区別を明確にしないと
平和維持活動は成功しないし、また
平和維持活動の
要員が危険にさらされるというふうなことも言っているわけでありまして、
一定の
軌道修正をいたしました。
さらに数年を経て、ですから十年ほどの第二
世代の
平和維持活動の
経験を踏まえて
ブラヒミ報告が二〇〇〇年に出されるわけでありまして、非常に詳細な
平和維持活動の
改革のための多様な提言を行っております。技術的な提言については、もうきょうは時間もございませんし、省略をさせていただきたいと思います。私の理解した限りでの要点を申し上げます。
なお、きょうの
資料には最後の
部分に
ブラヒミ報告の全文が収録されておりますし、勧告の
部分の翻訳は
事務局の方で翻訳されたものがついておりますので、これをごらんいただきたいと思います。
まず第一の
特徴は、やはりこれは「平和への
課題」と共通いたしますが、
予防外交と
平和形成、
平和維持、そして
紛争後の
平和構築、この三者を
一体のものとしてつかまえなければいけないということを強調しております。ただし、おのおのの
定義づけは「平和への
課題」とはちょっと異なるようでありますが。そして、この三者を合わせて
国連平和
活動、ユナイテッドネーションズ・ピース・オペレーションズという
言葉で総称するようになっております。これは、最近比較的よく使われるようになった表現でありまして、
予防外交や
平和構築についてもこの
報告では
幾つかの具体的な提言が行われております。
今も申しましたように、この
報告の
一つの核心は、
PKOを迅速かつ効果的に派遣できるように、具体的に申しますと、伝統的な第一
世代型の
PKOでは
安保理事会の決定後三十日以内に、それから多機能型の
PKOでは九十日以内に派遣するということを目的にいたしまして、
部隊派遣国と
国連の関係でありますとか、
安保理事会の
政策決定でありますとか、あるいは
国連事務局内の事務的な体制等について多数の提言を行っているということであります。
ただ、私の感想では、やはりここでもやや
軍事力を重視する傾向が見られるということは否定できないようでありまして、例えば、こういうことを言っております。
平和維持がその使命を達成するためには、
国連が過去十年間に繰り返して
経験したように、いかに多くの善意であっても、信頼するに足る
武力を投入する基本的能力に取ってかわることはできないとか、
国連は
国内紛争あるいは越境
紛争における
平和維持または
平和構築で一貫した成功をおさめようとすれば、妨害者に効果的に対処する準備がなければならないとか、そのようなことを言っておりまして、これには後に、これを実施するための
事務総長の
報告の中で若干の
批判的な
言葉が出てまいります。
事務総長はこういうふうなことを言っております。
武力行使に関するパネルの勧告は、武装した
国連平和維持活動が
関係当事者の
同意を得て派遣された場合にだけ当てはまるものである、したがって、私はパネルの
報告が
国連を
戦争遂行機関に変えたり、
平和維持活動による
武力の
使用に関する諸
原則を根本的に変えることを勧告するものとは解釈しないというふうに言っておりまして、この点ではこの
ブラヒミ報告には若干の問題が含まれているように思います。
この
ブラヒミ報告は既に実施の段階に移されておりまして、これも
内容を詳しく
お話しすることはできませんが、実施のために
事務総長が多数の
報告を出しておりますし、
総会や
安保理事会では
幾つかの
決議が採択されており、
事務局内の
改革も進められているようであります。
さて、もう時間が少なくなってまいりましたが、最後に、このような、とりわけ最近の動きに注目しながら
日本の
国際協力の
あり方について考えてみるというのがきょうの結論
部分であります。
この点で、まず
最初に確認しなければならないことというふうに書きましたが、この点で私が申し上げたいことは、
一つは、
国際協力を
平和維持の分野に限定して狭くとらえてはならないということでありまして、繰り返して申してきましたように、平和とか経済的、社会的な
発展とか
人権と
民主主義、そういったものが不可分の相互関係にあるのだということは
国連では繰り返して確認されてまいりました。
平和維持の分野に限っても、「平和への
課題」にしても
ブラヒミ報告にしても、
予防外交から始まって
平和維持、そして
紛争後の
平和構築、これを一貫した過程として把握しなければいけないということを強調しております。
実は、これは多少余談でありますが、このような平和の分野だけではなくて、去年から大変話題になりましたテロ対策についても、昨年の十一月十二日に採択された
安保理事会決議の一三七七というものが、テロリズムと闘うためのグローバルな努力に関する宣言という宣言を採択しておりますが、この宣言の中でも、やはりテロについてはその根本原因を除去するような広範な努力が必要だということを強調しているわけでありまして、この点を確認することがまず第一の出発点になるだろうということであります。
それからもう
一つ、これは
日本の
議論でよく忘れられがちになるわけなんですが、どうも
国連というのはどこか我々とは別のところにあって、
国連はこういうふうに動く、こういうことを決めた、だからそれに対して
日本はどういう
協力をするかしないかという
議論が行われがちなのですが、
国連の
政策というのは
加盟国の意思によって決まる。
国連をつくっているのは
加盟国でありまして、意思決定過程で投票するのは、国の代表が投票するわけであります。もちろん
事務局も
影響力を持っておりますが、基本的には
国連の
政策決定は
加盟国によって行われる。したがって、
日本自身としてどのような
国際協力が必要であり、望ましいのか、そういう
国際協力像を
日本自身で自主的に構築をして、これを実現するように
国連に働きかけるという
側面、この
側面を忘れてはいけないだろうというふうに考えております。
そして、こういう
日本独自の
国際協力像を構築する際に出発点になるのは
日本国憲法だろうというふうに考えておりまして、
御存じのように、
日本国憲法は、平和主義、そして国際協調主義、それに、この点は余り注目されませんが、
主権平等ということも前文で強調されております。これはこれまでの
国連の
国際協力の理念と見事に一致するわけでありますから、こういった
立場に立って
日本独自の
国際協力像を展開すれば、これは
国際社会に非常に大きな貢献になり、かつ
影響力を発揮することができるだろうというふうに考えております。
そこで、最後に、
ブラヒミ報告に言う広い
意味での
国連平和
活動、これに
日本がどういう
協力ができるかということを、その
ブラヒミ報告の三つの柱に分けて、これは
最初にもお断りいたしましたように、私の専門をやや離れますので、全く印象でございますが、考えつく限りで挙げてみました。
まず、
予防外交と
平和形成でありますが、これは非常に広範な
協力が可能であり、かつ必要な分野であります。特に、
予防外交の重要性は近年非常に強調されるようになっておりまして、
事務総長は毎年
国連の年次
活動報告を出しておりますが、九九年の年次
活動報告では、アナン
事務総長は専らこの
予防外交を
中心に置いた
議論を展開しております。
予防外交がいかに重要かということを、ちょっとお金の話になって余り理念が高くないんですが、例を申し上げますと、
ルワンダではUNAMIRという
平和維持活動、これは
ジェノサイドの発生を防ぐことができずに、典型的な
失敗例に挙げられております。これはソマリアのちょうど悪い
経験があった直後でありますので、
加盟国が
部隊の派遣になかなか応じないというふうなことで、必要な
部隊が展開できなくて
失敗したわけですが、このUNAMIRに実際にかかった費用は四百三十七万ドルだったと言われます。
これに対して、
部隊指揮官が、
ジェノサイドを防ぐためには五千名の増員が必要だということを言ってまいりました。これは結局実現しなかったわけですが、この五千名の増員のために必要だった費用は五千万ドルと計算されております。これに対して、結局防げなかった
ジェノサイド、その結果として
ルワンダとその周辺に
人道援助が必要になった、この額が四十五億ドルと計算されている。
ということで、いかに予防段階で手を打っておればお金の上でも安く済むのかということが、いささかちょっと程度が低い話ですが、こういう例からもわかろうかと思います。
この点では、特に早期警戒能力、情報収集能力の向上ということが強調されておりまして、これは
国連にとってはもちろん、個別国家としても言えることでありまして、この
あたりでも
日本は貢献できるところが大変大であろうというふうに思われます。
それから、言うまでもなく、
紛争の
平和的解決、このためのさまざまな仕組みをつくり上げるとか、あるいは、そういった仕組みを活用して、現実の
紛争に働きかけて平和解決の努力をする、こういった点は、例えばカンボジア和平過程などからは
日本も積極的な
役割を果たすようになっておりますが、まだまだこの点で
活動する余地は多々あるだろうというふうに考えます。もちろん、一番基本的には
紛争の根本原因の除去ということがありますが、これは、むしろ(c)の方の問題だろうかと思います。
それから、第二に
平和維持、これがここでの皆さん方の関心の
中心でもあろうかと思いますが、この
平和維持の分野においても、従来の
議論は、どうもPKFへの
協力の可否の
議論に傾き過ぎていたのではないだろうかという印象を私は持っております。
軍隊を送る以外にも、
平和維持活動、
PKOに
協力をする可能性はさまざまにあるわけでありまして、特に、先ほども申しましたように、第二
世代の
PKOについては非常に
活動の分野が広まっておりまして、
文民要員の
必要性が大きく増大しております。
ブラヒミ報告でも特に重視されているのは文民警察官でありますが、これ以外にも、選挙
監視とか
人権状況の
監視とか
地雷除去とか、さらに広い
意味では、国家機構の再建への援助等で非常に多数の
文民要員が必要となるわけでありますから、この
あたりでの
協力というのはもっともっと可能性があるのだろうというふうに考えます。
それから、お金を出すということは、先ほども次元が低い話だと申しましたが、どうも
日本では余りよくない。金よりも人を出そうという
議論になりがちでありますが、
PKOの
活動範囲がこのように広がってまいりますと、物的な資源の不足というのも大変目立つようになっておりますので、お金に限らず物資も含めて、そういう物的資源の提供も無視できない
役割を演じるだろうというふうに思っております。
ただ、この点で
一つ考えておく必要があることは、先ほども少し触れましたように、最近の
PKOは、ともすれば
PKOの諸
原則を踏み越える
状況が出てきております。これは決して望ましいことではないわけでありますから、
PKOが諸
原則を遵守して実施されるように
国連の諸機関に積極的に働きかけることが必要であります。
日本の
PKO協力法では、その
原則が遵守されることが
日本の
協力の前提とされておりますが、単に
日本の
協力の前提ではなくて、これは
PKO自体の前提として、もっと積極的な
国連への働きかけが必要なのではないか。
そして、最後に、
紛争後の
平和構築への
協力であります。これが恐らく
日本にとって最も積極的な
役割が期待できる分野だろうというふうに思っております。もう時間がなくなりましたので、具体的な
内容について
お話をすることは、もし後に御質問の中で出ましたら、現在
国連で
議論されていることを
幾つか御紹介いたしますが、今は
内容は省略せざるを得ませんけれども、この
紛争後の
平和構築、つまり、
一般的な
意味での社会的、経済的な
発展の支援、これが
日本にとって最も積極的な
協力が可能かつ必要な分野であろうというふうに考えております。
そういうわけで、やや最後がしり切れトンボになってしまいましたが、とりあえず私の御
報告は、ちょうど時間になりましたので、これで終わらせていただきます。あとは皆さん方の御質問に答えるという形で、できれば補足をさせていただきたいと思っております。どうもありがとうございました。(拍手)