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横路委員 やはりそれはそうじゃないんですね。つまり、話をしてきて、
歯舞、
色丹については
返還の
条件の話をしようというわけでしょう。それから、
国後、
択捉については
帰属の問題を話をしようというわけでしょう。四島を
一つに
議論するのではなくてそこを分けようというのは、ある
意味では一歩
前進でもあるんですよ、それは。
例えば、
ビザなし
交流が始まって、私も、
択捉も
国後も
色丹も行ってきました。
向こうからも人が来る。行って必ず話が出るのは何かというと、
日本に返った場合、我々はどうなるんだという質問なんですよ。
色丹なんかは
世論調査をやると八割ぐらいが
返還賛成ですからね。今はどうなっているかわかりませんけれども、前はそうだったんですよ。そうすると、必ず、どうなるんだと。土地や住宅はどうなるんですか、学校の教育のときに
ロシア語は使えるんですか、そういったいろいろな問題が必ず出てくるわけですね。
私は、そういう
やりとりを聞きながら、
領土返還というのは、やはりいろいろな
段階を踏まなきゃだめだなと。
段階というのは、例えば、
日本の
主権だということが決まっても、すぐ
施政権も含めて全部やるということは、いきなりはやはり無理だ。そうすると、
日本の
領土だけれども、
向こうの
施政権も認めて、その中である程度何か
準備をずっと進めていくというようなことも
考えていかなきゃいけないな、そのためには、
共同で
活動する分野というのをできるだけ広げていった方がいい。
さらに、四島全体、あるいは
ロシアの、
サハリンを含めた
極東地域の了解をしてもらえるためには、やはり
北海道とか
日本との
相互関係、そういう非常に強い
関係がなければ
自分たちの
地域の
発展もないというような、経済を含めた
関係をやはり強化していかなきゃいけないなということは、
ロシアに行って
向こうの人と話をすればだれもが感ずることなんですね。
向こうもそれを非常に強く要望していた。
ですから、私は当時、
外務省にもただ単に
主権を返せだけじゃなくて、
住民から言われたときには、個人の
立場だと言って、こういうことを言っていました。大体、この島は
日本の
人々が住んでいるときにソ連が不当、不法に入ってきて、住んでいる人に対して、国籍を
ロシアにするか、嫌なら出ていけといってみんな追い出されたんだ、だから、お墓だってみんなここにあるじゃないですか、
墓参に我々来ていますよと。そんなことを私
たちは
皆さんにはしたくない、だから、それは
十分日本政府も
考えますよということを、そういうことを言われる
住民の
皆さんには話をしてきたんですね。
そして、実際問題、これは
返還して
日本の
主権になった、
ロシアの人とも一緒に住むんだということになりますと、本当にいろいろな問題が起きてきます。整理しなきゃいけない問題も山ほどあります。私はそのとき、
外務省には少しそういう
準備もした方がいいですよということを申し上げたことがありますが、
準備されているかどうかわかりません。だから、
考えてみると、この
領土問題というのはいろいろなことを
考えなきゃいけない。その
考える範囲というのは相当たくさんあるんですね、幅が広いんですね。したがって、今言った
主権と
施政権の問題、それから
共同活動をどう広げていくかというような問題というのは、
外務省もお
考えになったと私は思うんですよ。
先日、
朝日新聞に、一九九七年の「
領土問題解決の今後のオプション」という
選択肢三つの
記事が出ていました。あれは、あったというふうにお認めになることはなかなか難しいのかもしれませんけれども、ただ、あれを読んでみて、やはり私が今言ったような共通の
問題意識に立って、そして具体的にどうしていくのかということを
考えた
選択肢なんだというように思いますよ。どれがいいとは言いませんけれども、やはりいろいろと
皆さんで
考えてこられた。そういう
積み重ねの上に今日来て、そして
二島については
返還の
条件、
二島については
帰属問題と来たのを、三月に何か
白紙に戻してしまったのかどうしたのか、あれはなかったことにするというようなことをいきなりやられるわけですから、私は、一体どうなっているのかと。
鈴木宗男代議士絡みのことは、もうそれはそれでちゃんと今、これから司法が整理するわけですから整理して、しかし、この
北方領土返還運動の方は、やはりしっかりした土台で
積み重ねてきたものは生かして、その上に立って
交渉というものはしていかなきゃいけないというように思います。
幾つか
お尋ねしましたけれども、お答えください。