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国務大臣(
橋本龍太郎君) これは、本来ですと私がお答えをすべきではない分野まで御質問の中に入っているのかなと思いますけれ
ども、お許しをいただいて私見としての立場も加えさせていただいて答弁をさせていただきたいと存じます。
もともとこの預託というものを前提にしておりました郵貯あるいは年金資金の運用につきまして、私は一つの疑問を持っておりました。というのは、それだけの巨額な資金というものが市場と離れた場所で市場原理とかかわりなく運用されることの可否という点であります。
同時に、例えば金融機関にさまざまな問題が生じておりますときに、どうしても国という信用を裏打ちにして郵貯に資金がシフトする傾向というものも従来から一つの問題として提起をされておりました。
そうして、そういう中で、果たしてこのままの
状況を続ける方がよいのかといえば、恐らく私は市場原理の中で市中においてこれらの資金を運用されることがむしろ金融の中でも大切なことではないだろうか、同時に、集めた人々が自分の責任を持って運用することによってその資金管理に対する責任というものもより明確になるのではないだろうか、そんな思いも持っておりました。
それだけに、今回の財投融資制度の改革というものが、全額預託制を廃止する、そして市中から本当に特殊法人等必要な金額というものは調達する、これは根本的な改革のいわば基盤をなすものと考えております。それだけに、財投改革後の特殊法人などの資金調達、まずその資金を財投機関債の発行によって自己調達するための努力、
検討をするという方向を出しました。
それだけに、実は当初、私は非常にこれは心配しておりました。というのは、市中でその機関債が受け入れられる、そのためには特殊法人自身の経理内容その他、いわばそれを購入してくださる方々の判断材料になるものが正確に市中に公表されなければなりません。しかし、必ずしも従来の特殊法人の会計というものが、そうした意味では市中の要望を満たすものになっていたかどうかといえば、多少の疑問なしとしないわけであります。
それだけに、その市場の評価を受けることを通じて特殊法人などの
運営効率化へのインセンティブが高まると思いながらも、どこまで出てくるかということについては大変不安を持っておりました。
そして、この金額あるいは機関数にはいろいろなお考えがあろうかと思いますけれ
ども、私個人の感じから申しますなら、よく二十機関まで金額的には少ないものでありましても機関債を発行しようというところまで腰を定めてこれに取り組んでくれている、率直にそういう印象は持っております。
同時に、一兆円の大台を超えるかどうか、当初八千億も危ないんじゃないかなんて言われた時期がありまして、その意味では大変懸念をしておりました。最終的に
関係者の御努力のおかげで一兆一千五十八億円の機関債の発行を予定するところまでまいりました。これがいわば第一歩でありまして、私はむしろこうした努力が財投機関として今日まで存在してまいりました特殊法人というもの、あるいは特殊法人等と言いかえても結構です、の足場を、だんだん減少していくふうに
委員は言われましたけれ
ども、私はそうではないと思います。彼らが国民に受け入れられない、必要とされない事業をしておりましたならそのとおりでありましょう。しかし、少なくとも特定の政策
目的を持ち、今日まで努力を続けてきた、私はそれぞれの機関にはそれだけの自信は、自負はお持ちだと思います。
そうしますと、これから先、財投機関債による資金調達で資金を満たすことが困難だという特殊法人は現にあるわけですけれ
ども、それは政策コスト分析などの適切な活用を図っていきながら、民業補完という本来の趣旨を徹底しながら、同時に償還確実性を精査する、こうした見直しを行った上で国の信用で発行される財投債によって調達されました資金を貸し付けるわけでありまして、ここでも実は
業務の内容というものにはさまざまな角度からメスが入ります。
私は、その意味では機関債の発行によって財投機関が縮小していくということであるならば、彼らの仕事は本来無用だったことをしていたということになるのかもしれないと思います。同時に、そうではないという自負心を
関係者はお持ちでありましょう。その場合には、でき得る限り財投機関債を発行でき得るだけの体制をおつくりをいただくとともに、採算性ということだけを考えた場合には必ずしもメリットにつながらないかもしれないが、国としてやはり必要だと認定する事業というものは、より厳格なチェックを受けるという前提の
もとに、国の信用で発行される財投債によって調達された資金、この貸し付けを受けることによって事業を遂行していってもらうということになるであろう、それは必ずしも縮小というものを前提にするものではない、私はそう考えております。