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西山登紀子君
迎賓館というのは国民公園には建てられない建物であるということですよね。
つまり、この案件というのは
平成六年十月二十五日の
閣議了解に基づいて提出されているんですけれども、今明らかになりましたように、そもそも国民公園には建ててはいけない建物を建てましょうということを決めたのがこの
閣議了解でございますから、この
閣議了解自体がそもそも誤り、間違いでございます。
皆さんもうよく御存じだと
思いますが、私、きょう、パネルをつくってまいりました。(図表掲示)
これは案外知られていないんです、どこに建つのかということがですね。これ全体が
京都御苑でございます。
京都御所はここの
部分、紫宸殿の
部分だけですが、ここに大宮御所といって、これは今でも使われております。皇室の皆さんやダイアナ妃もここでお泊まりになった。仙洞御所というのがありまして、
大臣にも見ていただきましょう、小堀遠州作の名庭がございます。全体が大きな国民公園。これは皆さん二十四時間フリーパスでございます。自由に往来ができますし、散策もできますし、自然の宝庫、豊かなところでございます。建つのはここですね。これだけ大きなスペースをとります。これが
京都迎賓館というもので、ここに梨木神社があって、染井の水というのがあって、有名な名水がございます。こういうものでございます。
ですから、ここはそもそも建築基準法上も都市計画法上も
迎賓館のような建物は建てられない
地域でございます。ことしの一月までそういう状態がずっと続いておりました。
そもそも建てられないところに建てましょうという、こういう
閣議了解を九四年の十月二十五日にやった。このことがまさに、この
国有財産法が懸念をしておりました行政裁量による勝手な変更そのものではないかと思うわけですね。ですから、その後七年間、このしてはならない間違った
政府決定の執行が、それぞれの各省を通じてとにかくやるんだということで強行されてきたために、それぞれのところであつれきと矛盾が起こってまいりました。その奇々怪々な問題点、取り上げてまいりたいと
思います。
なぜこの
閣議了解がそもそも行われたのでしょうか。これは当時のエコノミスト、九四年一月十一日に載っておりますけれども、これはだれの発案によるかということなんですが、亡くなられた元
京都商工
会議所会頭の塚本幸一さん、関西
経済連合会副会長を務めていらっしゃいましたけれども、平安建都一二〇〇年記念協会副会長を務めていらっしゃったわけでございます。つまり、その象徴として
京都に
和風迎賓館を
建設しましょうという提案をしているわけでございます。
目的はこういうふうに書いています。「
伝統の技術にツヤを出しながら新産業を創造させるためのハードに取り組んでいます。」、「目玉事業として計画しているのは
和風迎賓館です。」。いろいろ書いてありまして、「現実は簡単ではありません。数年前から必死になって運動してきましたが、今のところ、国家
予算に六千万円の調査費がついているだけです。
政府に陳情しても正式な担当官庁をつけてくれず、暫定的に総理府預かりとなっています。
政府の言い分は、
京都だけを特別扱いにできないというものです。私たちとしては黙っておれません。」。ということでいろいろ運動をやられます。
そして、アエラにそのころのことが書かれておりますが、いろいろ運動をやってきた結果、自民党さんに陳情いたしまして、「九一年秋、自民党内に金丸信副総理(当時)を会長とする「
和風迎賓館建設促進
議員連盟」(
議員百二十余人)が結成され、金丸氏の一声で
迎賓館調査費がつき、走り出した。」と。当時の大蔵省の役人は、閑古鳥が鳴いている赤坂
迎賓館があるのにということなんですが、金丸軍団に押し切られたというふうな記事も載っているわけでございます。
こういうふうな
状況のように、今回の
京都御苑に
迎賓館を建てようという要求は、そもそも国の方から出た要求ではございません。そういう経過がございます。
時間がございませんので先に移りますけれども、こういう背景の
もとに、やってはならない
閣議了解が行われ、執行が行われていくわけですけれども、この第一の問題というのは、
京都御苑の非常に開放的な国民公園の機能を廃止するという重大な問題ではないかと
思います。
よく例に出されるんですが、国民公園の
一つとして皇居外苑の武道館、科学技術館とよく比較されるわけですが、北の丸の武道館は都市
施設として公共の福祉に供しているということで、財産の変更を伴う
国会決議もしていませんね。どうですか。