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2001-03-07 第151回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十三年三月七日(水曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員異動  三月五日     辞任         補欠選任         藤井 俊男君     本田 良一君     ─────────────   出席者は左のとおり。     会 長         関谷 勝嗣君     理 事                 佐々木知子君                 山本 一太君                 今井  澄君                 高野 博師君                 井上 美代君     委 員                 亀井 郁夫君                 田中 直紀君                 畑   恵君                 山内 俊夫君                 山下 善彦君                 佐藤 雄平君                 広中和歌子君                 本田 良一君                 沢 たまき君                 緒方 靖夫君                 高橋 令則君                 島袋 宗康君    事務局側        第一特別調査室        長        鴫谷  潤君    参考人        株式会社大和総        研顧問        住友商事株式会        社顧問        元駐ロシア大使  枝村 純郎君        慶應義塾大学法        学部教授     添谷 芳秀君        株式会社三井物        産戦略研究所所        長        寺島 実郎君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (「二十一世紀における世界日本」のうち、  我が国外交の在り方について)     ─────────────
  2. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  去る五日、藤井俊男君が委員を辞任され、その補欠として本田良一君が選任されました。     ─────────────
  3. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) 国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、本調査会調査テーマである「二十一世紀における世界日本」のうち、我が国外交あり方について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。  本日は、株式会社大和総研顧問住友商事株式会社顧問、元駐ロシア大使枝村純郎参考人慶應義塾大学法学部教授添谷芳秀参考人及び株式会社三井物産戦略研究所所長寺島実郎参考人に御出席をいただいております。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  本日は忌憚のない御意見を承りまして、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いを申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず、枝村参考人添谷参考人寺島参考人の順でお一人三十分以内で御意見をお述べいただいた後、午後四時三十分ごろまでを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。  なお、意見質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、早速枝村参考人から御意見をお述べいただきます。枝村参考人、お願いします。
  4. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 関谷会長、本日はどうもありがとうございます。  私に与えられましたテーマは、日本外交あり方という大変大きな課題でございますけれども、私は専ら国際的な発言力、今日的な言葉で申しますとソフトパワー重要性ということに焦点を当ててお話を申し上げたいと思うのでございます。  時間の制約もございますので、駆け足ではしょって申し上げることにならざるを得ませんので、それで通常でありますればレジュメをお配りするところでございますが、かわりまして、私の取り上げるテーマに関連して私が興味を引いたり感銘を受けた著作の中からさわりの部分を抜粋したものをお手元に席上配付資料としてお配りしてございますので、これによって私の言い足りないところを補足していただいたり、あるいはお考えを深めていただければ幸いでございます。  そこで、まず第一点の国際情勢を見る視点いかんということでございますが、国際関係を論ずるに当たりましては一国の国力でありますとか軍事力、資源、工業力など、ハードの面をまず見るわけでございまして、あるいはその国の政治指導者の発表する政策を分析するという、そういうものをよりどころにしてその国のあり方、将来というようなものを予測するわけでございます。ところが、私も実際に外交の実務に当たって現場におりますと、実際に見ておりますと、そういういわばハード重視といいますか、そういうアプローチが必ずしも十分でない、何か飽き足らないものを感じ出したわけでございます。外交というのもしょせん人間を相手にすることでございますので、もうちょっと人間くさいやり方というものがあるんじゃなかろうかというようなことを、私、外務省に奉職しておよそ二十年ぐらいたって感じ出したのでございます。  そこで私は、価値観という切り口価値観というのは、結局、ある人あるいはある国民が何をたっとしとし何を卑しとするかということでございますが、そういう切り口から国際関係を見てみるとどうなるかななんてことを考え出したのでございます。  国際社会というものを、価値観の異なる国民、国家の共存する集合体である、そういうふうにとらえます。そうしますと、例えばえひめ丸の最近大変不幸な事件でございますけれども、あれに関連しても、皆様御承知のとおり、謝罪がどうであるとか、あるいは遺体の収容についてのやはり日米それぞれの価値観というものの違いというものがあらわになってくるわけでございます。  外交の役割というのは、まさにそういう違う価値観の間の調整をし、あるいは橋渡しをするというようなことじゃなかろうかということを考え出して、それを私の外交を進めます場合の一つの基準として、あるいはそういう観点から整理をしてきたわけでございます。政治にしても何にしても、一つの理念、一つの確信というものを持ってそれから整理しますと、いろいろ物事というのはよく見えることがあるわけでございますが、私はそういうことで仕事をしてまいりました。  一昨年の秋でございます。たまたま日本経済新聞を読んでおりましたら、著名な経済学者でございますピーター・ドラッカーインタビュー記事が目についたのでございます。ここに引用してございますけれども、日本経済新聞の記者が、あなたはエコノミストとしてこのことについてどう思いますかということを聞いたのでございます。それに対してドラッカーの答えが意外でございまして、私はエコノミストではない、私はオブザーバー、観察者にすぎないんだと。エコノミストというのは数字を見る、私は人を見る、人と社会、その価値観の動きを観察する、こういうことを言っておるのでございます。  ドラッカーが別の機会に申しておりますように、政治であれ経済であれ国際情勢であれ、予測というものはしばしば現在の趨勢というものをそのまま延長するということに陥りがちでございますが、ドラッカーの代表的な著作の表題が「断絶の時代」という、ディスコンティニュイティーの時代ということを言っておりますのが非常に象徴的でございました。  社会事象の変化というものはしばしば非連続的なのでございます。これはあたかも火山の噴火に例えればおわかりいただけるかと思うのでありますけれども、火山の噴火は我々にとっては突然に起こる現象でございます。しかし、火山の方からすれば当然起こるべくして起こったのでありまして、その間にマグマのエネルギーが蓄積されてきているわけでございます。それがある限界に達すると噴火という現象になって我々の目にとまる。ですから、ドラッカーの言いますのも、まさにそういう噴火ということにとらわれるよりもマグマの動きというものを見るべきだ、こういうことだろうと思うのでございます。  さて、近年の国際情勢について予測の当否が言われまして、改めて問われましたのは、ソ連がああいう形で崩壊して冷戦が終結したということについての予測がどうであったかということでございます。それは一九九一年の、今からもう十年ほど前になるわけでありますけれども、十二月に発生したわけでございます。私は当時大使としてモスクワに在勤しておりましたので、大変切実な思いがあるわけでございますが、多くの国際政治の分析に携わった人々があのような形で突然の冷戦の終結が起こるだろうということは予測しなかったということは現在ではほとんど定説になっておるわけでございます。  しかし、そういう変化を的確に予測した人は何人かいたのであります。一々申しませんが、その中で代表的で恐らく歴史に名の残る人はジョージケナンであろうと思います。この人は一九四七年の七月号フォーリン・アフェアーズという、もちろん御存じの有名な国際関係に関するアメリカの雑誌でございますけれども、それに「ソヴィエトの行動の源泉」という論文を発表したのでございます。当時、彼は国務省の政策企画委員長であったものでございますから、自分の実名を出しませんで、Xという匿名を使いました。それでX論文ということで大変有名になったのがこれでございます。  このX論文の主題というのは何かと申しますと、ソ連の力というものは非常に強いように今見えるけれども、内部に崩壊の萌芽を宿しているということでございました。その体制の矛盾のゆえにやがて共産主義政権はみずから壊れるだろう、自壊するだろう、そうだとすれば何も力をもってソ連を壊しに行く必要はない。相手がもし侵略に出てくるようなことがあれば、これは断固として抑える、コンテインする。しかし、そうしながらやがては壊れるものであるので、いわば封じ込めて相手の自壊するのを待てばいい。これが有名なコンテインメントポリシー、封じ込め政策理論的根拠になったジョージケナン考え方でございます。歴史はこのジョージケナンの予言の正しかったことを証明したと思うのでございます。  おこがましいことを申すようでございますけれども、私自身もかなり早い段階からソ連の体制の行き詰まりということは感じておりました。外交文書にも私の報告は残っていると思うのでありますけれども、それはジョージケナンの影響もございますけれども、一つにはスペイン哲学者でございますオルテガ・イ・ガセットという人のおかげでございます。オルテガ・イ・ガセットは、「無脊椎のスペイン」というエッセーを書いております。背骨がないスペイン、これはこの主題は何かと申しますと、歴史上帝国がどうして形成されどうして崩壊するのかということを分析した論文でございます。  ローマ帝国は、単に力による征服によって形成されたのではない。精神的な吸引力スペイン語で申しますとスゼスチオンモラルと言うのでございますけれども、それが大きな役割を果たしている。つまり、ローマ軍団によって征服された周辺の諸民族がローマ政治とか文化、行政、そういったものにあこがれ、引きつけられて、自分もローマにはやられたけれどもあんなにすばらしい帝国であればその形成の事業に自分たちも参加したい、こういうふうに積極的に参加するようになるわけでございまして、そういう過程を通じてローマ帝国は大をなしたわけでございます。  逆に、その解体というものは中央権力が堕落し、魅力を失ったそのときに解体の過程が始まる、これがオルテガ・イ・ガセットの論ずるところでございます。この彼の言うところは一九八〇年代におけるソ連の状況にぴったり当てはまるわけでございまして、ゴルバチョフがペレストロイカの名のもとに改革を進めざるを得なかったということは、つまり従来の社会主義体制というものが成り立たないということをみずから認めたということにほかならないわけでございます。もはや、みずから立ち行かないと認めているシステムに諸国家、諸民族が魅力を感ずるはずがないわけでございまして、これによりましてソビエトの中央権力というものが急速に求心力を失うのでありまして、それがソ連の解体につながるわけでございます。  こういう歴史の教訓が教えるものは何か。それは、国際関係においては単なる軍事力でありますとか経済力でありますとかそういう物理的な力のみでなく精神的な吸引力、文化的な魅力というものが極めて重要な要素であるということでございます。これは、今日ソフトパワーということで改めて注目をされているということでございます。  そこで、日本の精神的な吸引力、文化的な発信力いかんということでございますが、率直に申し上げて極めて貧弱であり国際的にも評判が悪いのはまことに残念と言わざるを得ない。  私は、一九八〇年ごろまだインドネシアで大使をしておりましたが、当時、やはりフォーリン・アフェアーズという雑誌を読んでおりまして、サミュエルハンティントン論文を読んだのでございますけれども、このハンティントンは御承知のとおり後に文明の衝突論を唱えて大変な物議を醸す人でございますが、その彼の、私の八八年に読みました論文は、アメリカ衰退か再生か、アメリカが衰えるかそれとも生き返るかという表題でございまして、それを読んだのでございます。  というのは、一九八〇年代当時は、今から思うとうそのようでありますけれども、アメリカはだめになるという、いわゆるディクライニストセオリーというものが盛んだったんですね。それに対してサミュエルハンティントンは反論を試みたのがこの論文でございます。  そのディクライニストセオリーによりますと、東西対立、二極対立という時代が終わった後は何が来るか、それは多極化時代だということがそのころ盛んに言われていたんですね。日本でもそういうふうに、日本もそのうち極の一つになるということで論じられたこともあったわけでありますけれども、その候補は日本であり中国でありインドであり、そういう国が新しい極となって多極化時代ができるということが言われていたわけでございます。  サミュエルハンティントンのこの論文アメリカ衰退か再生かというものの主題というのは、アメリカは大丈夫だというんですね。どうして大丈夫かといえば、アメリカほど多元的な力を持った国はないということなんです。政治外交、軍事、経済、文化、資源、あらゆる面をとらえてもこれほどマルチディメンジョナルな力を持っている国はない。そういう観点から見ますと、中国もだめ、インドもだめと切り捨てていって、実は日本も切り捨てられてしまう。日本もだめだと。  日本はどうしてだめかといいますと、それはここに、お手元の資料三ページの7というところに書いてございますように、「日本は、領土、天然資源軍事力外交上の味方のいずれも持たないだけでなく、さらにもっとも重要なことは、二十世紀の超大国たるに相応しい思想的アッピールを持ち合わせていないのである。」と、これが日本の最大の欠点。つまり、人を引きつける力がない。ソフトパワーがない。これが日本が極になれない最大の原因であるということをうたっておるのでございます。  若干私の主題から外れて申しわけないんでありますけれども、この三ページの一番下の四行ほどはちょっとごらんおきいただければいいと思うんですけれども、今日の日本の停滞、閉塞感、そういったものを八〇年代の中ごろに見る人は見ていたということがわかるのであります。  それは、やはり日本のそういった当時の成功した社会的なシステムというものが豊かな経済と必ずしも整合しないということを言っているのでありまして、これは若干余談でございますけれども、そういう予言が当たったということはまことに残念なことでありますので、少しここに書かせていただきました。  しかし私は、当時読みましたサミュエルハンティントン日本はだめだ、ソフトパワーがないということを言う議論に対して非常に反発を感じました。それは、そんなことをわずか二百年の歴史しか持たない国の人間に言われるということは甚だ心外だ、日本の二千年の歴史の中には大変すぐれた伝統、思想、英知というものがあるわけでございます。しかし問題は、司馬遼太郎先生が何かの機会に言っておりますとおり、思想のない人間なんというのはない、思想のない国なんというのはないのでありまして、ただそれが西欧的に体系づけられていないだけである、こういうことでございます。  実はこの理論化体系化ということが大問題でありまして、それがないといかに豊かなもの、すぐれたものであっても、これは力とならないのであります。人に訴えて人を動かすことにならないのであります。日本外交が力を持つためにも、単に日本考え方あり方歴史、そういったものを説明するのでは足りないのでありまして、理念として、思想として世界に訴える。冒頭から申し上げておりますような世界における価値観の変化、そういった流れ、世界情勢を動かしているマグマを変えていく、それぐらいの意気込みというものがなければこれは発信力とはならないというのが私の感ずるところでございます。  それではまず、現在の世界価値観という観点から眺め直してみますとどうなるかということでございますが、ソ連の崩壊で冷戦が終わりましたときに人々は本当にほっとしたのであります。フランシス・フクヤマが歴史の終えんというような本を書いておりますように、これからは退屈なほど平和な時代が来るんじゃないかということを人は感じたわけでございますが、この期待といいますか希望はたちまち裏切られたわけでございまして、しきりにごたごたが起こる、各地でしきりに地域紛争が起こったのでございます。  この現象をサミュエルハンティントンは文明の衝突ということで説明しようとしたのでありますけれども、しかし私、今起こっていることは何かということを考えますと、どうもサミュエルハンティントンの言っていることには腑に落ちないところがございます。  文明というものもしょせん価値観一つの体系、複雑系であるといたしますと、その今起こっていることはむしろ世界的規模における文明の統一であり、むしろ価値観の収れんじゃないかというふうに思うわけでございまして、それがいわゆるグローバリゼーションでございます。世界じゅう押しなべて民主主義ほどすぐれた政治体制はない、自由な市場経済ほど効率的な経済システムはないということでございます。  しかし、今日望ましいとされ普遍的価値として世界的規模で受け入れられているグローバリゼーションのこういう輝かしい光の裏には大きな影があるのでありまして、それはその後のとうとうたる国際統合の流れに取り残される人々の問題でございます。この発展途上国の中でも後発、後進発展途上国の問題でございます。  日本は、この影の部分に焦点を当ててこの深刻な問題の解決に指針となるような開発理論というものを考える、そして日本の最も顕著な国際貢献の手段である経済協力ODA、それをそういう日本独自の開発理論によって進めていく、そういうことによって大きな外交上の力を得るんじゃないかと思うのであります。  折からアメリカではブッシュ政権が誕生いたしました。私は、市場経済万能考え方というものはブッシュ政権になってますます強くなるんじゃないかと思います。例えて申しますと、オニール財務長官が先月シチリアのパレルモのG7の会議に参ります前にこういうことを言っているんですね。市場の失敗、資本主義の失敗というものはない、あるものは市場の欠如だけだと。つまり、マーケットメカニズム市場経済というものがうまく回っていればすべてうまくいくという確固たる信念でございます。  我々大変切実な思いをいたしました一九九七年のアジア経済危機についても、そういう市場経済資本主義というものは悪くないんだという立場に立ちますと悪いのは専らアジア諸国であったということになり、アジア諸国経済自体の構造上の問題の方に責めが回るわけでございますが、しかし考えてみますと、タイのバーツ危機なんというものも実は投機的な短期資本の急激な流出ということから始まったわけでありまして、こういう民間短期資本の国際的な移動の不安定性というような現在の国際金融システムの持ちます、それに内在する問題、そういったものに十分な光を当てなくていいのかという問題があると思います。もしこういう市場万能主義に立ってアジア危機というものを見ますと、東アジアを主として協力の対象としてきた日本ODA成果自体の評価にもかかわってくるわけでございます。  私としては、非常に今切実に考えておりますことの一つは、日本としてこのアジア危機というものについて十分な分析をし、それは単に民間の学者さんたちがなさるというだけじゃなくて、政府としてアジア危機の原因はこうであったという公式的な見解を確立しておくこと、このことは大変大切なことだと思っております。  幸い日本政府は、近年技術協力でかなり画期的な飛躍をしております。それは従来の技術協力開発援助のレベルを超えまして、発展途上国に対する政策支援というものに乗り出したのでございまして、発展途上国経済政策策定の中枢に乗り込んでいって、産業開発でありますとか輸出促進でありますとか、それを支えるマクロ経済枠組みいかんというようなことを調査し、分析し、その過程において相手国の政府の経済政策担当者とひざを交えて議論をしながらその政策をまとめ上げていくというようなことをやっております。これは当然期間も長うございまして、およそ大体三年間でございます。  こういうことは最も高度な技術援助の形態でございます。最初の対象となりましたのはベトナムでございます。その後モンゴル、それから南米のパラグアイを取り上げまして、現在はチリを相手にやっております。しかし、このような技術援助発展途上国の今後の政策がどうあるべきかということの回答を出すということは、このグローバリゼーションという時代を背景にいたしますと大変難しいのでございます。後発でありますればありまするほど、発展途上国が国内の要請である長期開発というものと対外公約である自由、開放という現在のとうとうたる流れ、そういうものとどう折り合いをつけるかということは大変難しいわけでございます。  例えて申しますと、今の多くの後発発展途上国というのは、とうとうたるグローバリゼーションの流れの中にあっておぼれかかっている、それでどうやってこれを乗り切っていいかわからない、そういう状況にあると思うのであります。もし先進国の中でこれに対して後発国の立場に多少とも理解を持ちながら回答を出せるとすれば、それは日本ではないかと思うのでございます。  これは、一つには明治維新以来の後発国としての日本工業化の努力、産業化の努力、先進国に追いつけ追い越せというその努力、それが一つであります。第二には、戦後の荒廃からの復興の経験もございます。それから第三には、今日の東アジアに見られる相互依存に基づいて奇跡とさえ言われた繁栄と成長の経済圏をつくり上げたこの実績がございます。そういうことを踏まえて、日本としての開発理論というものをつくり上げることが実は私は日本発信力を増す上で大変重要なことだと思うのでございます。  先生方御承知のとおり、日本ODAにも理念はございます。政策的枠組みとしては、一九九二年にODA大綱の原則というものがうたわれております。第一には環境と開発を両立させる、第二には軍事的関連及び国際紛争助長というようなことへの使用ということは絶対に避けないといけない、第三には被援助国が軍事支出などをどういうふうに使っているか、これは中国との関係でもしきりに言われていることでございますけれども、そういう動向に十分な注意を払う、第四には民主化の促進、基本的な人権に考慮を払う、そういうことでございます。これは大変結構なことでございますけれども、あえて言えば、いささか優等生の答案という嫌いがなくもないのであります。  理念というものはより積極的、能動的であり、場合によれば戦闘的でなきゃならぬと私は思うのであります。現在、ODA世界で支配的な考え方は一九九六年、OECDのもとの皆さん御存じの開発援助委員会、DACで採択されました。日本ももちろん積極的に参加したわけでありますけれども、新開発戦略というものでございまして、これは貧困の撲滅というものを第一義にいたしております。それから、クリーンな政府など、そういう発展途上国の構造の問題の改善ということに焦点を当て、教育、福祉など人的な側面を重視しております。これはいずれも大切なことであり、もちろん異議はないのでありますけれども、これはひょっとすると、貧富の格差が絶望的なほど大きく、それによる社会的緊張というものが著しいアフリカとか中南米により適した開発理念かもしれないのであります。  これに対して私どもは何をやってきたか。東アジアでは、円借によってインフラの整備をして環境を整える。それによって国内からの投資活動を盛んにする。つまり、まずパイを大きくするということが私どもの援助の大きな方向性でございました。そういうアプローチは必ずしも否定されていないんです。世銀自身が一九九三年に出した報告書にも、東アジアの奇跡のエッセンスは公平を伴う急速な成長であったということを認めている。それは、ある程度の政府の介入、マーケットフレンドリーという市場に理解のある形であれば政府の介入もいいんだと、こういうことでございます。  私は、お手元の資料にもちょっと書いておきましたけれども、JICAの前の総裁であった藤田公郎さんがあるところにちょっと書いておられることを非常に興味を持ったのでありますけれども、日本独自の開発理論というものが必要だということを非常にうたっておられるんですね。これは一九九七年にそういうことを言っておられる。一九九六年に日本も参加して世界共通の理念として新開発戦略というものがうたわれていながら、その明くる年に日本のJICAの責任者が日本独自の理論が必要だと言っている。このことは非常に意味深長なことのように思われるわけでございます。  以上、ODAという日本外交上の大きな道具でございますものを例にとって、日本が当面発信力を高めるとすればどの分野でやるべきかということについての私の所見を申し上げたのでございます。  ところで、より長期的な視点に立ち、より高いところから二十一世紀というものを展望いたしますと、このグローバリゼーションの行き先というものは大変戦慄すべきものかもしれないのでございます。  お手元の資料の六ページにございますレスター・ブラウンという、ワールドウオッチ研究所の所長でございます。飢餓の世紀、食糧不足と人口爆発、これは専ら食糧の問題を論じております。それから、次のメドーズ夫妻。ドネラさんは先日訃報を新聞で見ました。五十九歳で残念なことでございます。それとランダースさん、これは一九六〇年代の終わりに非常に話題になりました「成長の限界」というローマ・クラブの作業に参加した方々でございます。この方の「限界を超えて」というのは、要するに食糧、人口にせよ環境の悪化にせよ幾何級数的に悪くなっていく、つまり三%の人口成長というものは百年たつと十九倍の人口をもたらすということなんですね。そういうことについての議論をしております。私は、そういう食糧の問題、いろいろあると思いますけれども、一番怖いと思いますのは石油の問題でございます。  石油については、もちろんいろいろな代替エネルギーというのは出てくると思います。太陽光であれ風力であれ、何でも結構です。しかし、私が怖いのは、兵器体系を動かすものとして一番効率的な燃料は何かといえば、石油系の、炭化水素系の燃料なのであります。今のところそれにかわるより有効な燃料というのはないんです。アルコールでロケットは飛ばせません。それで、しかも今それにかわるものを求める研究調査というようなものも行われていないんです。  ということを考えますと、幾らロケットがあっても、戦車があっても、潜水艦があっても、石油資源というものが枯渇すれば役に立たなくなる。そうだとすると、やがてこれは、有限な資源である石油というものが枯渇する見通しが出た途端に私は大変な資源争奪戦争というものが起こる可能性があると思います。私は二十一世紀における最大の問題はそれだと思うんですね。既に、大変神経質に見ますと、それに向かって大国というものはそれなりの手を打っているような気もいたします。これがマグマでございまして、世界情勢マグマの中で一番怖い。それが爆発したときが一番怖い。  そうだとすれば、我々として、とてもそういう資源争奪戦争に参加する、あるいはその準備にかかる、そういう力のない、そういうまた気持ちもない、そういう精神的構造でもない日本というものが何を考えないといけないかということになれば、まさにそういった精神構造自体を変える、価値観自体を変えるということに旗を振り出さないといけないんじゃないか。それは、いたずらに物質的な豊かさを求める近代化あるいはそれを加速しているグローバリゼーションというようなものに対して別の価値観、別の価値体系を持つ、それによって今とうとうと破滅に向かっているマグマを拡散させる、そういうことが必要じゃないかということでございます。まさにそれこそ二千年の長い歴史を持ちます日本のような国の責務であるとすら思うのでございます。  大変、結論は青臭い書生論のようなことで恐縮でございます。日本外交あり方ということであえて申し上げれば、そんなことを申し上げたいと思って参ったわけでございます。  どうもありがとうございました。
  5. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、添谷参考人から御意見をお述べいただきます。添谷参考人、お願いします。
  6. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) ありがとうございます。  本日はこの場にお招きいただきましてありがとうございました。  この一連の調査会の活動の中の最後ということでお伺いしておりますが、私自身が最近非常にあちこちで不評を買いながら論じている視点がございまして、これは途中でひそかに忍ばせておいたので、また後で言及させていただきたいと思うんですが、日本をミドルパワーとして定義をしてみるとどのように日本外交の見え方が変わってくるであろうかという、そういうやや論争性を持つ議論をさせていただいております。  ただ、そのことの私なりの真意は、日本がどうだということを議論したいのではなくて、そのように見ることの意味、あるいはそのように見ることによって日本に関する問題がどのように浮かび上がってくるのかということをぜひ議論してみたいというように思っております。本日の全体の報告もそのような問題意識に支えられているということを最初に申し上げさせていただいて、簡単な意見の陳述をさせていただければと思います。  私、たまたま先週、ハワイのCINCPACのブレア最高司令官のお招きのプログラムに参加をする機会がございまして、それでグリーンビルと同型の潜水艦なども見せていただくことができました。そのほか海兵隊の本部、それから海軍、空軍それぞれの本部へ行ってブリーフィングを受けてまいったんですが、三日間のプログラムではございましたけれども、その一連の経験から改めて感じたことは、アメリカがいかに日米安保を大事にしているか、安全保障のパートナーとしての日本を、いかに丁重にと言うと語弊がございますが、センシティブに扱っているのかということであります。これは数年前の沖縄での不幸な少女暴行事件に端を発する日米の間の関係の展開、そこからも全く同じようなことが見てとれたわけです。  そういった現場を見ながら、しかも今回の不幸なえひめ丸の事件などを考えながら、やはり基本的な重要なポイントとして、今申し上げたアメリカにとっての日本重要性ということを据えてみたいというように改めて感じました。  これはどういうことかと申しますれば、日本側の外交の基盤が日米安保だということはよく言われるわけですが、なぜそうなのか、どのようにそうなのかということに関しては、我々は必ずしも明確に認識をしないままに、あるいは国内的なコンセンサスを得ないままに、お題目のようにスローガンとしてそのポイントがひとり歩きをしているという現状があろうかと思います。  それがゆえに、結果としていろいろな問題が起きたときに、最終的には日米関係は一定のところに落ちつきどころを見つけるわけですけれども、同じことが何度も何度も繰り返され、問題が起きるたびに、日米安保はこれでかなりダメージを受けるという議論がなされると。しかし、何年かたって振り返ってみれば何事もなかったかのような、重要であるというところに我々の関係の現実は戻ってきているという、そういう展開が頻繁に繰り返されてきたわけです。  これには当然理由があるんだろうと思います。その点から話を申し上げさせていただいたのは、私は、戦後日本外交の根底、基盤に日米安保があったということは、やはり日本が抱えている問題の大きさをむしろ示しているんだろうなというような気がするんです。  その点から、お手元に配らせていただきましたレジュメに沿って話を展開させていただきたいというように思うんですが、その全体的な背景として、ここに申し上げました「外交をめぐる国論の分裂」という問題があろうかと思います。これは先生方に改めて申し上げるまでもなく、日々お感じのことなんだろうと思いますので、ごく簡単に、しかも日本ではもう十分に議論の尽くされているポイントでございますので、簡単に済まさせていただきます。  戦後の日本外交論争、特に安全保障問題を中心とした国内論争の基本的な軸として、戦争の記憶の問題があるということは申し上げるまでもないと思います。それを戦後の我々がどのように宿命として背負っていくのかということに関して、そのとらえ方に大きな溝があった、その直接の影響を受けたのが我が国の安全保障政策であったというように申し上げてよろしいかと思います。そこに国内政治論争の分裂の軸があった。それがあったにもかかわらず、戦後、日本外交が一定の形を保ち、なお大枠としては成功であったというように申し上げられるその重要な理由が、左右に分裂をしていた対立軸の中でいわば中庸的な選択として存在をしていた日米安保にあったというように私は考えております。  別の言い方をさせていただけますれば、分裂した国論のいずれの主張をもってしても日本国際社会につなぎとめておく主要な軸にはなり得なかった。そのような状況の中で、日米安保が数少ない、日本政治安全保障の分野で国際社会につなぎとめておく機能を果たしていたということなんだろうというように理解をしております。  その結果、どのような現象が戦後日本に起きていたかと申しますと、構造的に日米安保を放せないという図式の中に我々がいたとすれば、日米安保の選択というものは必ずしも主体的な選択として認識をされていたわけではなかった。したがって、右と左というもう既に古い言葉をあえて使わせていただけますれば、右側から見ても日米安保には不満が残り、左側から見ても不満が残る。ただ、その不満の背景、理由というものは決定的に違っていたわけです。したがって、それぞれの立場から日米安保が日本の主体性を損なうという議論を展開した際に、その主体性を叫べば叫ぶほど結果として自分の首を絞めていた。その構造の中で、自分たち立場をむしろ主体性を損なう方向に無意識にせよ操作していたのではないかというような気がしてしまうわけです。  そのような戦後日本外交をめぐる国内政治環境があったとすれば、今日においてその戦後体制というものはやはり終えんをしたというように申し上げてよろしいと思います。もちろん惰性は残っております。それから、さまざまな残滓は残っております。しかしながら、構造としての戦後体制というものはやはり冷戦が終わったころを前後して明快に崩壊をしたのであろうというように考えております。  その崩壊のサインといいますか、現象が幾つかポイントとして指摘をすることができると思います。それが、ここに書かせていただきました三つのポイントです。  一つは、私のように大学におりまして日々若い人と、こちらが毎年確実に一つずつ年をとっても、入ってくる学生はいつも同じ年で、それが私の若さの秘訣なんだろうというように思っておりますが、そういう若い人たちと毎年接していて非常に痛切に感じますのは、いわゆる戦後体制と呼ばれる日本体制に対する自然なフラストレーション、自然な自発的なフラストレーションというものがあるんだなということです。  これを自然と申し上げますのは、戦後体制はさまざまな意味でやはりゆがんでいたと申し上げられると思います。安全保障でいえば、憲法の存在、日米安保の存在、自衛隊の存在、それから日本政治的な主張の分布、すべてやはり重要なゆがみを持っていたと思います。しかし、戦後世代はそのゆがみを、いわばよき戦争の敗者として甘受する準備があったんだろうと思うんですね。そのことの意味はやはりそれなりにわかっていた。  しかしながら、今の若い人はそれはわからないわけです。わからないけれども、戦後体制の中で日々問題意識を持って生きているわけですから、そのゆがみの犠牲者に当然さまざまな局面でなるわけです。そうしますと、理由はわからないけれども物事が気に食わない、中国外交が気に食わない、アメリカへの依存が気に食わない、それから国内的な憲法をめぐる日本の論争というものもどこかおかしいという、そういった意識を自然に持っているのが今の若い世代なんだろうというように思っております。そこにはかなり重要なフラストレーションがやはり総体としてあるんだろうというように思います。  その状況をますます複雑にしておりますのが、最近、日本外交の国際環境を一段と厳しくしております戦争の歴史の問題であります。この非常に皮肉的、恐らく戦後の今日における最大の逆説と申し上げてよろしいかと思うんですが、戦争から時代が遠のけば遠のくほど、戦争観をめぐるイデオロギー対立というものが日本と諸外国の間に深まっているという現象があるわけです。まさにその若い人たちのフラストレーションも、そういった逆説の中でさらにねじられているというような気がしております。  この話をまた申し上げると終わりのない話でございますが、例えば中国の対日外交などを見ても、中国歴史問題の扱い方というのは昔の方がはるかにうまかったわけです。毛沢東、周恩来が健在の時期には、まさに戦略的にこの歴史問題を中国日本に対して使っていた。それは一定の成果を上げていたというように申し上げられると思います。そういう意味では、今日の中国政府歴史問題の使い方は完全に後退をしているわけです。ただ、これを我々が攻撃をしてみても、これは恐らくここで申し上げたような一種のイデオロギーにもう既になっている。それを政府レベルだけではなくて一般の中国の人民、それから、市民社会中国にあるかということは議論の分かれるところではございますが、一般社会における人々の間にまでもうイデオロギーとして根づいてしまっている。諸官庁がハッカーの対象になるということの背景、そこに書き込まれるメッセージは必ず歴史に対するイデオロギーが表明をされているということは、そのことの最近の端的なあらわれであろうというように思うわけです。  そのことを日本の国内のシステムの中で考えてみますと、やはり戦後の日本の平和主義というものは実質的に機能を終えたんだろうというように思います。一部の先生方には大変失礼な申し上げ方かもしれませんが、全体として整理をすればやはりそういうことは観察として申し上げざるを得ないというように思います。したがいまして、そのときに、若い人たちの間にあるフラストレーションが漠としたナショナリズムにとらえられ始めているということが、そのセットの現象として申し上げられるように思います。  これは、別の言い方をすれば、平和主義が崩壊をし、その結果、日本における一定の国内的ムードというものが高まって、それをナショナリズムというように極めて一般的な言い方で申し上げていいのかもしれませんが、中身はやはりかなり伝統的なナショナリズムとは違うというようには思いますけれども、あえて言葉、簡潔性という意味からそのように申し上げさせていただければ、そのようなムードがじわりじわりと広がりつつある中で、戦後日本の平和主義が果たしていた対抗軸としての役割が終わってしまった。そうしますと、これはやはり戦後日本の論争の軸、それから価値観をめぐる対立の軸が大きく変わったということでもあるんだろうと思います。  私の個人的な関心からいえば、日本においては新たなリベラルな政治軸というものを健全に育成していく必要性がますます高まっている。それを育成することによって、日本社会、多元的な民主社会としての一定の秩序というものを取り戻すということが、現在極めて焦眉の課題になっているというように私は考えております。  ここで申し上げます憲法の問題も、私は基本的にそのような認識からとらえておりまして、そういう図式で見ますと、改憲か護憲かという論争のパターンは、やはりもはや論理的な必要性を失いつつあるというように申し上げざるを得ないんだろうというように思うわけです。  あえて単純化をさせていただけますれば、憲法をめぐる議論というものは、私はもう既に改憲のさまざまな代替案をめぐる論争に段階は進まなければいけないというように個人的には思っております。最も保守的なといいますか、改憲、この場合の保守というのは九条を前提、九条を変えるという図式の中での保守的立場ですが、その場合でいえば、恐らく現在の自衛隊の存在であるとかPKOへの参加の問題であるとか、もう日本が現実の問題としてやっていることを憲法上疑念を起こさないような文面での改憲というのが恐らく最も保守的な改憲の中身になるんだろう。恐らく、最もラジカルな改憲は日本が何でもできるという改憲になるわけですが、恐らくその二つの理念系の間に幾つかの種類があり得るんだろうというように思っておりまして、そのような段階に日本の九条改正の論議というものが進んで初めて日本は戦後の対立軸からの自縛的状況歴史とすることができるのではないかというように考えております。  ちょっと言葉がいろんな意味で足らずに、結論的なことだけを今申し上げておりますので、いろいろとまた御批判、御疑問もあろうかと思いますが、その点はまた質疑のところで御意見をちょうだいできれば幸いでございます。  ただ、そのようなことを日本が始めた場合に、やはり決定的に重要なのがその背後にある、つまりどのような改憲の道を日本が進むにせよ、その背後にある日本の自画像、つまり日本が、我々が自分たちの国、それから外交アクターとしての自分たちの姿をどのようにイメージしているのかということが極めて重要になるんだろうというように思うわけです。  それがないままに改憲論だけが日本で起きているという事態は、諸外国から見ると非常に気味の悪い現象として映っているわけです。ここでのステレオタイプは申し上げるまでもなく、特にアジア諸国から見ますと、改憲論をやっている日本は再び伝統的な大国主義に回帰しようとしている日本というように見られているわけです。この図式はもう驚くほど定着をしております。しかし、我々日本にいれば、必ずしもそのような動機で我々が憲法の問題を取り上げているのではないということは我々はよくわかっているわけです。そのような諸外国の一定のステレオタイプが根強い限りにおいては、我々の憲法改正の論議というものがストレートにその真意というものが外に伝わらないという現実がございます。  これは、私がミドルパワーということを国のサイズであるとか日本の規模の問題としてではなくて、どちらかといえば外交論争のための質的議論として提示をさせていただきたいと思っていることにその点が深く関係してまいります。つまり、あえて言えば、憲法を改正した日本というものはミドルパワーなんだということであります。この場合のミドルパワーというものは、私がイメージしているミドルパワー、わかりやすい例えでいえば、日米安保を手放せない日本というものはやはり伝統的な意味での大国ではないんだろうということであります。  ここで中国の例を出すと非常にわかりやすいんだろうと思うんですが、中国はその独特の歴史、それから思想、イデオロギー等、やはり単独の国際政治におけるアクターとしての強烈な自意識というものを持っているわけです。これはもう国としてしみついたものであって、中国の国力であるとか経済力中国を大国とはしていないということとはまた次元の違う話なわけです。最後の手段として軍事力の行使を手放さないというようなものも、本質的にはやはり大国としての国のあり方考え方というものと深くつながっているんだろうというように思います。  翻って日本のことを考えてみますれば、我々は戦後はそのような道というものは既に放棄をしたわけです。戦前はまさにそういった大国外交を縦横無尽にやったということだろうと思います。中国があれほど軍事的には毛嫌いするアメリカのプレゼンスというものに正面から反対を唱えて、独自路線を行くという道を徹底させていることの本質的な意味というものはそこにあるんだろうというように思います。この傾向は恐らく当面変わらない。  しかし、繰り返しでございますけれども、日本は、戦後はそのような選択というものはもう放棄したわけです。そのことに関して、私は日本に国論の統一はあると思います。したがって、日米安保を手放せない日本というものは、中国、それから復活してくればロシアもそうだろうと思いますが、そのようないわゆる伝統的な大国としての振る舞い、それから一国主義的な軍事的手段を含めたオプションというものは基本的には放棄をしたという、そのような特徴が私の申し上げるミドルパワーとしての日本というものの特徴です。  そうしますと、そこから具体的な議論に話が展開をするわけでございますけれども、日米安保を手放せない日本というものの自画像が、いわゆる中国に代表される、アメリカももちろん申し上げるまでもなくそのような意味での大国でございますけれども、そういった国としての成り立ちを日本がみずから放棄をしたという点、これがやはり日米安保をめぐる戦略論の立脚点にならざるを得ないんだろうというように思います。  別の言い方をすれば、日米安保に対して私たちが批判をする際に、その批判が今申し上げたような戦略的な立脚点をみずから否定するような政治的な意味合いを持ってしまうということが、日本にとって自分自分を縛るという行為にほかならないということでもあります。  そのように考えますと、ここから先は完全に概念的な議論になってしまうんですが、やはりいざというときにアメリカを中心とした秩序の維持、特にアジア太平洋における安全保障、秩序の維持という機能がある。これはやはり、どう日本が転んでも否定はできない、また否定すべきことではないだろうというように思います。  ただ、これは先ほど申し上げたように、いざというときの話でありまして、そういった安全保障の状況というのは、いざというときというのはそうめったに起きないわけですね。したがって、めったに起きないことに備えるというのは、実は政策論としては非常に難しい問題をたくさん抱えているわけではありますけれども、そこにおけるコンセンサスが日本に存在をすれば、私はむしろ逆に、日本の自主性、主体性というものは高まるんだろうというように思っているわけです。  つまり、日本の主体性の主張がいざというときに不可欠なアメリカの存在に対する否定の論理を含んでいる限りにおいて、主体性というものは不当に軽く扱われる。それから、アメリカからすれば、我々の正当な要求ですらその頭を押さえつけられるということにもなる。しかし、いざというときの信頼性があれば、逆に日本が主体的にできる余地というものはふえるということなんだろうというように思っているわけです。  これは例えとして、必ずしも日本にとってふさわしい例えではございませんが、よくフランスの例などを、私はその点を主張するときに学生などに話します。つまり、湾岸戦争の前にフランスは、武力行使に至る前の段階での独自外交を展開したことでよく知られております。我が国でも、フランスの例に倣って、日本軍事力行使支援一辺倒ではなくて独自の外交をせよという世論が盛り上がったわけです。  ただ、フランスと日本が決定的に違っておりますのは、実際に戦争が起きたときにはフランスは空軍を派遣して戦っているわけです。つまり、アメリカから見れば、フランスがいかに勝手なことを途中でやってアメリカに気に食わないことをいろんなところで言ったりやったりしていても、安全保障の根幹的なところになれば、そこにおける大西洋間の一定の信頼関係というものは本質的なレベルではある。それがあることがわかっており、なおかつ具体的に確認をされるということによって、フランスの独自性というものは、これはアメリカとの関係における図式でだけ見た議論ですけれども、高まっているんだろうというように思うわけです。  ただ、フランスもかつての大国でありましたので、そのような影響を受けつつそういう振る舞いをしているという側面が、もちろんフランスだけを見ればあるわけでございますが、あえて乱暴に概念的な図式化だけをさせていただければ、そういった指摘の仕方もできるのかなというように思うわけです。  これをもって日本がそこで多国籍軍の軍事行動に参加をしろということを申し上げているのではもちろん決してございませんで、日本には日本の事情がございますので、具体的な政策論はまた別次元の問題ではありますけれども、基本的な考え方として、そのような軸足の定まった対米意識、それから対米政策、戦略ですね、これはもう完全に戦略的なポイントだろうと思いますが、そういったものが一定のコンセンサスとして我々の間に存在をすると私は日本外交というものは俄然やりやすくなるんだろうというように思っている次第です。  具体的な問題としては、集団的自衛権の問題をどうするのかというような問題が当面これから重要になってくるんだろうと思うんですが、以上申し上げたような立論から私なりの私見を申し上げさせていただければ、これはやはり認めて、認めた上でどのように使うのかというところに我々の政策論のポイントを持っていかなければならない。使わないというオプションも、これは政策的判断として当然ながらあるわけです。そういった議論をすることによって初めて日米安保をめぐる戦略論との整合性というものがとれるようになるんだろうというように思います。  ただ、そのような議論をいたしますと、我々は往々にして、いや日本というものはそんな安全保障に偏ったことばかり考えていないでもっと多国的な外交をせよという批判が、これも定番のように出てくるわけでありますが、それがまさに次に申し上げたいことであります。  そのようにして安全保障の軸足をごく根源的なところで定めることができれば、その分私は安全保障領域の日本の主体性も高まるとは思いますが、もっと大枠で重要なのは、安全保障の領域とは関係のない領域における日本の主体性というものも同時に高まるということになるんだろうと思うんです。  数年前に、日本がいわゆる樋口レポートと呼ばれるレポートを出すときに、多国間安保を日米安保よりも先に置いたことによってアメリカが過敏に反応をして、最終的にはその順番を逆にさせられてしまったというような経験がございましたけれども、これなどは私が途中で申し上げた不当なプレッシャーなんだろうと思います。  ただ、そこでアメリカが本質的に心配をしたのは、日本が多国間外交議論をすると日米安保が損なわれるのではないかということであったわけです。その多国間外交を展開するときに、日米安保の本質論において日本の信頼というものが存在をするということが、ですからますます重要になるわけです。アジアにおける多国間外交は、これも非常に乱暴な概念的な整理をさせていただければ、ここで申し上げたようなミドルパワー外交、あるいはミドルパワー・パートナーシップの形成ということにその主要テーマがなるんだろうというように思っております。  ここで具体的にイメージしておりますのはオーストラリア、ASEAN、韓国ですね。アジア太平洋地域においてはその三つの国、それと日本、これがミドルパワー・パートナーシップの対象でございます。これも非常に乱暴な議論ではございますが、例えば今申し上げた三つの国ないしアクターは、それぞれ国の事情によって違った理由づけではありますけれども、引き続きアメリカとの安全保障関係の重要性を中心に据えているわけです。  例えばオーストラリアが持っているANZUS条約というものは、これは太平洋地域におけるアメリカそれからオーストラリアの部隊であるとか船舶というものが攻撃を受けたときには共同対処のための相談をすることになっております。これは共同対処を義務づけてはいないんですが、オーストラリアとアメリカはコンサルトすることになっております。ただ、コンサルトした結果オーストラリアが共同アクションをとるということはいわば常識となっておりまして、オーストラリアの人たち議論をすると、大体アメリカに関してはいざというときに一緒に行動するということは、ほとんどこれは超党派のコンセンサスがあるわけです。  しかしながら、オーストラリア外交が非常に興味深いのは、その結果、アジア太平洋における多国間外交というものの足場も強めているということです。APECの成立過程におけるオーストラリアの中心的な役割というものはそのことを端的に示した例だろうと思います。あのときオーストラリアはアメリカを最初排除して考えていたわけです。アメリカが一緒に入ることによる問題点というものはよくわかっていて、それなりにその問題点を是正する地域主義というものを推進しようとしたというのがオーストラリアのAPECのそもそもの動機であったわけです。  しかしながら、それは決して最終的にアメリカを排除した地域秩序を目指していたのかといえば、そうではない。アメリカ重要性というものはよくわかっているわけですね。よくわかった上でのいわば戦略論としてのアメリカの必要性を踏まえた戦術的な対応であったというように申し上げてよろしいかと思います。そのように見ると、日本も実は安全保障の図式の中ではオーストラリアと非常に似たような立場にあるわけです。  お隣の韓国も、環境は全く違いますけれども、アメリカとの防衛関係が韓国にとって不可欠だということはこれまた否定する人はいないわけでありまして、その結果、これは金大中大統領が最近の北との和解を前後して意図的に強調しているポイントでございますが、アメリカ軍事的プレゼンスの重要性というものは常に確認をしながら北との融和政策というものを可能な限り進めようとしているという、そういう一種の安保の領域での足場の確認とそれ以外の領域での独自の外交というもののバランスがそこには一つ明確なプロトタイプとして存在をしているかと思います。  翻って、結論的に申し上げさせていただければ、戦後日本に決定的に欠けていたのはそのような全体的なバランスであったのかなというように思うわけです。安保の問題と安保以外の領域の問題というものが理論的に整理をされないままにお互いがお互いを侵食している。その結果、両方の領域においても日本は多大なフラストレーションを常に感じてきていた。それが、最初にちょっと申し上げました自分自分の足を縛ってきたということの大きな構図なのかなというようにも思えるわけです。  まさにそのような図式を展開させるという契機がこの冷戦の終えんには潜んでいるわけでございまして、その作業というものは、やはり国内的な我々の従来の外交・安全保障をとらえる政治的な構図の転換というところから進めなければならないだろうというように思っている次第でございます。  以上で意見陳述を終わらせていただきます。
  7. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、寺島参考人から御意見をお述べいただきます。寺島さん、よろしくお願いします。
  8. 寺島実郎

    参考人(寺島実郎君) 寺島でございます。  私は、一九八七年から九七年まで十年間アメリカの東海岸で仕事をして帰りまして、前半の四年間がニューヨーク、後半の六年がワシントンという、そういう経験を踏んできております。  きょうは、「二十一世紀における世界日本」という枠の中から、我が国外交あり方について、私の立場はビジネスの現場に軸足を置いているということと、それから一つ海外から日本を見る機会が多いという、そういう視点で発言をさせていただいているというふうに思っております。  まず第一点目として、ブッシュ新政権と東アジア外交、その中での対日外交の性格ということについての私の考え方を申し上げさせていただきます。  クリントンの東アジア外交との対比において説明するのが一番説明しやすいかなと思いますので申し上げますと、クリントン政権八年間の東アジア外交というのは、一言で言うとあいまい外交という言葉がよく言われますけれども、あいまい外交と言っている意味は、日本も大事だけれども中国も大事、中国も大事だけれども台湾も大事という、要するにあいまいにしておくことによって外交政策を展開すると。  一昨年になりますけれども、御承知のように、クリントンは、もともと登場してきたときにはお父さんのブッシュの方の中国政策を非常に強く批判して、中国に対して甘いという立場で批判的に登場してきたわけですけれども、みずからはやめるときには最も中国と理解を深めた大統領として去っていったといいますか、九日間北京を訪問しました。それで、戦略的パートナーシップという言葉を中国に対して使い始めた。日本は同盟国、中国は戦略的パートナーという考え方ですね。東アジア外交の展開をそういう展開をしてきた。  対日政策について言えば、その特色というのは、僕はクリントンの第一期と第二期で非常に大きく変化したと思います。  クリントン政権の第一期のときは、御記憶のとおり、対日外交の主役というのはミッキー・カンターというUSTRの代表が非常に目立っていました。通商摩擦、つまりUSTRが日本を個別の通商問題でぎしぎし追い詰める。それから、財務省が円高圧力ということで、ちょうど九一年、九二年、九三年ごろの状況を思い出していただいたらわかりますけれども、ホワイトハウスは真ん中に立って、右にUSTR、左に財務省という形のバランスで対日外交を組み立てていた。当時、私がちょうどワシントンにいた時期です。  後半、九六年以降の第二期に入りまして、アメリカの対日外交の主役は財務省に軸足が移ったという印象を強くしております。それは、例えばルービンだとかサマーズが日本経済政策についていろいろな要求なり発言をしてくるというタイプの対日外交になってきた。その背景には、いろいろな説明が成り立ちますけれども、一言で言うと、アメリカの産業構造の九〇年代における大きな変化が背景になっていると我々は思います。といいますのは、ルービンもサマーズもウォールストリートの出身の人です。つまり、産業の軸足が金融、ウォールストリートへウォールストリートへと変化し始めた。  八〇年代までは、御承知のように、アメリカの産業の軸足は、よく産軍複合体という言葉が使われましたけれども、軍事企業がきら星のごとく、冷戦の時代アメリカという国は累積で二百兆ドルの軍事予算を積み上げています。そのすそ野に巨大な軍事産業をつくってきた。それがアメリカの産業の中で最も活性化した宇宙航空産業を中心にした部分だと言われていました。ところが、九〇年代に入って、クリントンの八年間でアメリカは防衛予算を三分の一カットしました。財政が黒字化している大きな要素は、やはり冷戦の終えんというものを前提にした軍事予算の削減というのが一番大きな影響を与えています。  そういう中で、軍事分野に注入されていた資源が、要するにアメリカの産業の活性化のてこになったというのはIT革命だと言われていますけれども、インターネットというのも一九六四年にペンタゴンのARPAが開発に着手した技術です。つまり高等研究開発院ですね。それが九〇年代に入って、民生用に開放されて商業ネットワークとリンクする形になった。ARPAネットが商業ネットワークとリンクしたのは九三年です。したがいまして、わずか七、八年の間に世界の情報技術革命の基盤インフラになっているインターネットというものの存在自体がアメリカの九〇年代の産業の変化を象徴しているわけですけれども、やがてIT革命が歴史で総括される時代が来たら、私は、IT革命というのは冷戦が終わってアメリカが主導した軍事技術のパラダイム転換だったんだということにみんなが気づく時代が来ると思っております。  そういうことで、それまで資源が軍事分野に注入されていたものが民生用に展開していく流れの中で、例えばITに明るい理工科系の卒業生、工学部、理学部、物理、数学なんかを専攻した学生の八割が八〇年代までは軍事産業に雇用吸収されていたと言われています、アメリカでは。九〇年代に入って、それらの人たちが軍事産業のリストラ、合従連衡の中で職業のチャンスを軍事産業に見つけられなくなった。そういう人たちが注入されていったのが金融です。しかも直接金融です。  そういう金融というセクターの肥大化を背景にして、もうこれは余り詳しく説明する気持ちもありませんけれども、十年前はアメリカ経済はどうなっているんだといったら鉱工業生産とか設備投資とかをみんな議論していたんですけれども、昨今、御承知のように、アメリカ経済はどうなっているんだといったら全員が株価の話をしているといいますか、要するに、ウォールストリートはどうなっているんだ、ダウはどうなっているんだ、ナスダックはどうなっているんだということだけが気になるような産業国家になってきちゃったといいますか、その余波をまともに受けているのが日本だということは私が言うまでもないわけです。  ルービン、サマーズなんかが主役だった前政権に対して、今回、先ほど名前が出ていましたけれども、ブッシュ政権一つの特色ですけれども、ウォールストリートの関係者の人たちが政権の中枢にいないというのが特色なんですね。例えばオニール財務長官はアルコアといういわゆる非鉄金属の物づくりの会社の出身です。それから、首席補佐官のカードさんはGMの副社長だった人です。そういうことで、前政権が、これは余談みたいなものですけれども、ウォールストリートとかサンフランシスコ郊外のいわゆるシリコンバレーに軸足を置いた人たちが多かったのに対して、際立った特色がその部分にあると思います。したがって、これが対日政策にどういうふうにあらわれてくるのかなということは非常に興味深く我々は見ております。  いずれにしましても、今の話を整理しますと、クリントンの東アジア外交、対日外交とどういう変化が見えてくるだろうかということなんですけれども、まず、ブッシュの中国外交というのはやはり非常に大きなポイントになってくると思います。  御承知のようにブッシュは、例えばブッシュ自身も中国は戦略的パートナーではなくて競争相手だということをあえて発言したりしております。パウエルも、アメリカにとってのいわゆる国際関係を四つのカテゴリーに分類していまして、一つは同盟国、一つは戦略的パートナー、一つは潜在的敵国、一つは敵国と。このカテゴリーの中で、クリントン政権は少なくとも中国については戦略的パートナーという言葉を使っていたんですけれども、あえて戦略的パートナーではないというような発言をしてトーンを落としています。私は、よく米国と中国の関係はブッシュ政権の中で悪くなるんじゃないかということを言う人がいますけれども、現実的に政権につきますと中国の存在感というものをやっぱり認知していかなければいけないということになりますので、クリントン自身が大きく変化したように、ブッシュ外交だからといって対中国外交が物すごく緊張するというような考え方はとるべきじゃないだろうと思います。  ただ、同盟重視という基軸について、とかく日本外交問題についてコメントしている人は、選挙戦のさなかから、ゴアの対日政策よりもブッシュの対日政策の方が同盟重視だから日本にとってはいいというニュアンスのコメントをしていた人が多いわけですけれども、私はそうは思いません。つまり、同盟重視ということは同盟のコスト負担重視でもあるわけですね。日本が果たしていく役割について、大変踏み込んだ役割期待というものをしてくる可能性が大いにあると思います。  そういう中で注意しておかなきゃいけないのは、今度の政権の中に非常に日本通、日本について大変詳しい人たちが中軸のところに配置されています。私自身も大変親しくさせていただいているんですけれども、例えば日本でもなかなか名前の通っているアーミテージさんが国務省のナンバーツーで入っています。アーミテージさんの右腕だと言われたトーケル・パターソンが、これはホワイトハウスのナショナル・セキュリティー・カウンシルのアジア外交のシニアの、いわゆる最高責任者のポジションでパターソンが入っています。それから、ジム・ケリーといいまして、これもまたアーミテージさんの左腕で、ハワイにあったCSIS、戦略研究所のパシフィック・フォーラムの二人がキーパーソンだったんですね、パターソンとケリーが。この人がペンタゴンに入っています。  したがいまして、例えばの例なんですけれども、これらの人たちは日本のことについて非常に詳しく知っています。トーケル・パターソンに至っては、中央公論の論文日本語で読めるぐらいの日本語力を持っている、筑波大学に留学していた経験のある人です。これは、ホワイトハウスのNSCのアジア担当の、これだけ日本語がわかる人が配置されていた記憶がないです。そういう人が配置されているということは、日本にとってプラスの部分と、マイナスと言うと大げさですけれども、日本のことをよく知っているがゆえに厳しいところに球を投げ込んでくる可能性が大いにあると思います。  そこで私が申し上げておきたいのは、日本の主体性、先ほど主体性という言葉も出ておりましたけれども、アメリカの対日外交はどうなるんだろうかということだけに日本人はよく関心を向けがちなんですけれども、最も大事なのは、日本は日米関係をどうしたいのかというところに話は返ってくるんだということだけまず申し上げて、私の考え方を進めていきたいわけです。つまり、挙証責任といいますか、語り始めるべきは日本であって、日本は対米外交をどうしたいのかがより重要なんだということを申し上げたいわけです。  その前に、前提として認識を踏み固めていきたい話にどんどん入っていきますけれども、二十一世紀日本を取り巻く外交の環境について、今度はマクロ的な視点にちょっと戻しまして話を触れておきたいわけですけれども、日本の二十世紀というのは一体国際関係においてどういう姿を持っているんだろうかということについてざっくりと総括しておきたいと思います。  私は、日本の二十世紀というのは二つのモデルを基軸にして成り立ってきたというふうに考えております。一つはアングロサクソン同盟、一つは通商国家モデルという二つのモデルで我々は生き延びてきた。アングロサクソン同盟というのはどういう意味かというと、日本の二十世紀百年間のうち七十五年間がアングロサクソンの国との二国間同盟で生き延びたアジアの国という性格を持っています。  前半の二十年は言うまでもなく日英同盟です。一九〇二年から一九二一年のワシントン会議で日英同盟を解消するまでで二十年間ですね。日本は、ユーラシア外交の成功体験という言い方をする人もいますけれども、日露戦争から第一次世界大戦まで、一応ユーラシア外交の勝ち組としてプレーできた。それがアングロサクソンの中の英国という、いわゆる主役との同盟関係によって支えられたということは間違いないわけです。  それから二十五年間のダッチロールに入ります。いわゆる一九二一年のワシントン会議前後、その前のベルサイユ講和会議あたりからそうなんですけれども、多国間外交の夢を見て、当時はやった言葉で言うと一等国、日本も一等国の一翼を占めるようになったということで五大国主義なんというものが出てきて、御承知の五対三対一・七五なんという大国間のいわゆる海軍軍縮条約のもみ合いの中に突っ込んでいって、日本も欧米列強模倣路線の中を走って満州国の夢などを追っかけているうちにダッチロールして国際連盟よさらばと、それから真珠湾へという流れの中に入っていった二十五年という戦争を挟んだ不幸なときに入ります。  それから敗れて一九四五年から五十五年間、この国はアメリカとの二国間同盟で国際社会の中を生き延びてきた。したがって、前半の二十年と後半の五十五年、合わせて七十五年間、アングロサクソンとの二国間同盟で生き延びたアジアの国というのは、アジアにそんな例はありません。極めて特色立った性格を持っている。  それから、通商国家モデルというのは、これは多く語る必要もありませんけれども、要するに資源、天然資源のない極東の島国を、百年間の間に人口四千万の国を一億二千万の国に、産業化とか近代化という枠組みの中でしてくるためには、この通商国家モデルを走ったわけですね。海外から技術を入れ資源を効率的に注入し、新しいビジネスモデルをつくって売れ筋の商品にして国際社会に売り出していって外貨を稼ぐというパターンで今日に至ったと。我々は、このアングロサクソン同盟と通商国家モデルを成功体験だと思っているんですね。それは、いい意味でも悪い意味でも成功体験だと思い込んでいるわけです。  ところが、二十一世紀日本が、じゃ同じくアングロサクソン同盟と通商国家モデルだけで生きていけるだろうかというのが根本的な問いかけです。私は、必ずしもその延長線の中に生きていけないからこそこの国は大変になっているんだというふうに認識しております。  まず第一に、二十一世紀日本に横たわる与件ということで、アングロサクソン同盟。  僕は、安保マフィアという一部の人たち、日米安保さえ抱きかかえていけばこの国は安定するということを議論している人たちに対して常に言うんですけれども、それがもし許されるならこの国にとってそれはそれなりに幸せかもしれないけれども、例えばアメリカから見たアジアの図式が変わってきていると。アメリカの百年間の東アジア外交のバイオリズムというのを見ていたら非常によくわかりますけれども、国務省の中で絶えず繰り返されている議論が、中国を基軸ととるか日本を基軸ととるかという、バイオリズムのような議論が繰り返されてきています。そういう中で、今我々は、好むと好まざるとにかかわらず、中国の歴史的台頭というエネルギーの中にこれから入っていかなきゃいけないということだけは僕は間違いないだろうと思います。  それはどういう意味かというと、中国が統一国家としての体制を保ち得るかどうかというような別の意味での中国論というのは当然あるわけですけれども、例えばこの間も北京に行っていろんな人と議論して感じましたけれども、九七年に香港を取り返し、九九年末にマカオを取り返して、中国は、アヘン戦争から百六十年かかりましたけれども、中国における西洋の植民地というものを一掃しました。強勢外交という言葉を使いますけれども、日本は弱勢外交ですなと言ってにやっと笑われてしまいます。  何も外交だけじゃなくて、経済のメガトレンドを見ていますと、世銀だとかIMFが、二〇二〇年に中国のGDPが日本どころかアメリカの方も追い抜くというような予測を出してきているというようなこともありますけれども、何も中国の経済力の高まりということだけじゃなくて、我々にとってやはり中国の台頭というのが大きなエネルギーを発散してきているということは意識せざるを得ません。  一番、一言だけ触れておきたいメルクマールは、人口です。  日本が、先ほども申し上げたように過去百年間で四千万の人口を一億二千万にしてきた。これから日本は、御承知のように、二〇〇七年と厚生省は言っていますけれども、最近の予測では二〇〇五年にピークアウトします。二〇五〇年という年にこの国の人口は一億人を割ると言われています。二一〇〇年には六千七百万人に収れんするというのが厚生省の中位予測ですけれども、最近のあれでは五千万台に入ってくるだろうと言われています。したがいまして、我々はこの国が百年前四千万だった、ピークに今立っているんですね。これからつるべ落としのように人口は落ちていきます。  それで、日本が一億人を割るだろうと言われている二〇五〇年、この年に中国の人口はどうなっているかというと、今、日本に対して中国は十二億七千万だと言われています。約一対十です。これがこれから五十年たったときに、我々の子供たちの世代は一対二十の中国といいますか、中国の人口は二十億になるだろうというふうに予測されています、人口抑制政策が相当成功したとしてもですね。したがって、我々がイメージの中に据えておかなきゃいけないのは、あらゆる意味で中国という国が民族的高揚期に入ってきているエネルギーを受けとめながら外交というものを考えていかなきゃいけない。  そういったときに、アメリカもそれを見ているわけです。アメリカのアジア外交の軸は、何も日本をバイパスして中国との同盟なんというそんな安っぽい話じゃなくて、日本も中国も大事という相対的なゲームになりつつあることだけは間違いないと。そういう中で、対米関係だけを唯一の基軸として、戦後の日本外交というのはアメリカとつき合うことをもって外交と言いかえているような部分があって、これから本当の意味での、本来外交というのは多元的なもののはずなんですけれども、外交軸の多元化、多角化というのは必然的な流れとして我々の前に横たわっているというふうに言わざるを得ないと私は思っています。  本質的な課題としての対米関係の再設計ということなんですけれども、私はユーラシア外交が大事だということで、これから中国とどうつき合うかとか、あるいはプーチン以降のロシアとどうつき合うかというテーマをまじめに議論するにしても、その前提として米国との関係をどう再設計するのかということがユーラシア外交を議論する上での前提として大変重要な部分だと思います。  先ほど申し上げた点であるわけですけれども、戦後、日本アメリカとの外交を基軸としてこの国を形成してきた。サンフランシスコ講和条約からちょうどことしが五十年目です。終戦からわずか六年で日本国際社会に復帰できた。イラクが湾岸戦争でもう十年以上たっているのに、国際社会に復帰するというのがいかに難しいかということを考えるとすぐわかることなんですけれども、なぜそんな早いタイミングで日本国際社会に復帰できたかというと、言うまでもないことですけれども、一九四九年、共産中国の成立。  蒋介石が台湾に追い詰められて、それまでワシントンで戦前から戦中、戦後にかけて新中国、反日でアメリカの世論を引っ張っていった例えばヘンリー・ルースに代表されるようないわゆるチャイナ・ロビーの一群の人たちが、自分が支援した蒋介石が台湾に追い込まれたことに衝撃を受けて、日本を反共のとりでとして復興させなきゃいけないという方向へ、ばんとバイメタルがひっくり返るみたいにくらがえしたといいますか、ダレスに対して圧力をかけて対日講和を急げと、日米安保条約を急げという側に回ったことが、つまり中国が二つに割れたということが戦後の日本の復興、高度成長にとって僥幸にも近い風だったと。  そういうことを考えてみると、サンフランシスコ講和条約からちょうど五十年なわけですけれども、そろそろ冷戦の時代日本の安定というものを守ってくれた日米安保というスキームを日本側が主体的に見直すべきタイミングに来ているのではないかというのが、私がここのポイントで申し上げたい最大のポイントです。  軍事関係におけるけじめと間合いという表現をとっていますけれども、その際、私が言いたいことは多々あるんですけれども、問題意識として中核に据えていることだけ申し上げますと、二つの常識ということについて静かに立ち返らなきゃいけないということを申し上げたいんです。二つの常識というのは、グローバルコモンセンスのことです、勝手な思い込みじゃなくて。  まず第一の常識は、独立国に外国の軍隊が長期に駐留していることは不自然なことだという常識です。そんなことはないよ、ドイツにだってアメリカの軍隊は駐留しているし世界じゅうにアメリカの軍事基地はあるよということを言う方がいるかと思いますが、私の言いたいポイントは、ドイツは例えば九三年に地位協定の改定というのをやって、ドイツに駐在している米国の軍隊というものをどうやって相対化するかという努力の蓄積の中で今日に至っています。占領軍の基地のステータスのまま今日現在も米国の在日米軍というものを受け入れている国は世界に例がありません。そういう意味で、独立国に外国の軍隊が長期に駐留していることは不自然なんだという常識に、変なナショナリズムで言っているんじゃないんです、当たり前の話をしているんです。  二つ目のポイント。米国はみずからの世界戦略と国民の世論の支持の枠内でしか日本を守らないという常識です。どういう意味かというと、そんなことないよと言う人がいるかもしれませんけれども、日米安保というものに過剰期待してはいけないということが言いたいわけです。  アジアの情勢はもっと複雑です。例えば、一番私の申し上げたい問題意識を一言だけで言うと、尖閣列島の問題を考えていただいたらわかります。尖閣列島についてアメリカは、正式な談話ではありませんけれども、日中間の領土問題には巻き込まれたくないというスタンスを国務省なんかは示しています。しかし、本当はそんな話は日本にとってこそとんでもないという話なんです。というのは、沖縄が返ってくる瞬間まで尖閣はアメリカが施政権を持っていた地域なんだから、その問題には介入したくないよというスタンスは許されないはずなんです。しかしながら、私がここで申し上げたいのは、アメリカはどんなときでも、仮に中国が尖閣列島に武力を行使して占拠したとして、その瞬間に日米安保が発動されて尖閣を日本のために守ってくれるともし考えている人がいたら、それは相当にずれていると。  要するに、私が申し上げたいのは、みずからの世界戦略上それが大事だと判断したときには行動を起こすでしょうけれども、そのときのアメリカの政権の世界戦略観と、それから国民世論の支持の枠組みの中でしか行動しないと言っている意味は、いつでも日本のために自分の国の若者の血を流して守ってくれる善意のあしながおじさんじゃないということです。  したがって、この二つの常識というものに返ったときに、これから今まで戦後五十年、日米安保というものが我々の繁栄とか安定とかというものを守る基軸であったということを高く評価する立場、それから今後も日本アメリカの軍事協力関係が大事だということを冷静に認識する立場の人間こそ、逆にアメリカとの軍事協力関係というものを再設計していかなきゃいけない。  それは、具体的には何かというと、僕はやはり基地の段階的縮小であり、これはもうアメリカ側が新しい政権のアジェンダの中でそういう言葉を使い始めています、我々が言い出すべきだったのに。アメリカの方が、例えば昨年秋のアーミテージ・レポートなんかにも基地の縮小なんという表現が向こう側から出てくるような局面になっています。  それからもう一つ、先ほど言いかけた地位協定の見直しです。やはりドイツが九三年に実現したように、日本におけるアメリカ軍の基地を基地ごとに全部見直して、その利用目的を見直して、日本としての主体性を持って位置づけを再確認し直す作業をすべきだと私は思います。  それから同時に、東アジアの安定というのが一番大事なわけですから、東アジアの安定のために日米がどういう軍事協力の仕組みを持っていた方がいいのか。このことについて一言申し上げておくと、アメリカの方がはるかにやわらかいシミュレーションをしているということです。私はいろんな立場の人と議論してみて驚かされますけれども、極端に言うと、例えばハワイ、グアムの線まですべての東アジアにおける前方展開兵力を引き揚げたとして、もし朝鮮半島に事が起こったときにアメリカがどう対応するかということまで含めたシミュレーションをやわらかくやっているのがアメリカのやっぱりすごみです。日本こそ日米同盟が基軸という金縛り現象みたいな中におりますので、そういう事態にやわらかく対応していけるようなシナリオというのはほとんど持っていない。  そういう面で、私が言いたいのは、東アジアの安定に向けて日米がどういう分野でどういう協力関係に、つまり新しい安保の仕組みというものを構想するかということが非常に重要な局面に入ってきていると思います。  特に、視点として申し上げたいのは、IT革命が戦争というものを大きく変えています。要するに、前方展開兵力が東アジアに十万人必要だというふうに考えているまじめな軍事専門家はアメリカには一人もいません。本音の部分では前方展開兵力は極小化していけると。なぜならば、IT革命の中で衛星でモニターして、ピンポイントにトマホークを撃ち込んでいくような戦いに、サイバー戦争というようなステージにどんどん戦争の性格が変わってきているわけで、前方展開兵力の持つ意味が変わってきています。  それから、東アジアの新情勢というもう一つのファクターがあります。そういう中で、例えば南北朝鮮会談なんかに象徴されるような東アジアの新情勢、そういうものに対してやわらかく日米の軍事協力関係の仕組みを再構築していくべき局面に今僕は入ってきていると思います。  その中で、同時に多国間の安定確保の仕組みというのも大事なわけです。先ほどくしくも添谷先生が話しておられましたけれども、アジアにおける多国間のやはり協力のスキームといいますか、軍事の分野における協力のスキームというのも大変重要なシナリオになってくると思います。  これは、フォーラムみたいなものからNATOのようなものを極端にすぐに構想できるような地域でないということはもう間違いないわけですけれども、フォーラムのようなものから段階的に多国間の安全保障についての意見交換、情報交換をするようなものを積み上げていくような流れをつくっていくということが大事だろうと僕は思っています。  次に、経済関係なんですけれども、「他方、経済関係における日米協力の深化」とここに書いてございます。これは時間の関係で一言だけで申し上げますと、私は軍事におけるけじめと経済における踏み込みといいますか日米協力を深める構想とが同時並行しなきゃいけないというふうに思っています。という意味は、これは日米関係、長くつき合っているわけですけれども、包括的な経済協定はありません。例えば日米自由貿易協定みたいなものが議論されてはいますが、一つも包括的な経済協定というものを持っていない。これはやはり投資、貿易を含む日米間をより親密なものにしていくような構想というのが必要だと。  だから、私の今言っていることを集約すると、経済関係においてはより密度を深くして、軍事の関係においては筋道を通していかなきゃいけないときに来ているんじゃないかということです。  それから四番目、最後のポイントですけれども、「求められる理念と構想力」と、こう書いてございますけれども、最近非常にねじれた反米ナショナリズムみたいなものが高まってきているということを実感します。どういう意味かというと、ここへ来てマネー敗戦的な、金融敗北的な雰囲気の漂う中でアメリカの陰謀論だとかアメリカに対する嫌米感、反米感が隠さないような本がいろいろ出ております。  そういう中で懸念されるのは、米国に対してけじめをつけていこうといういわゆる自尊自立の方向へそれが行けばいいんですけれども、ねじれた自尊心といいますか、それが反転して、先ほども添谷先生が話題にしておられましたけれども、例えば教科書問題なんかに象徴されるような、アジアに向けての閉ざされたナショナリズムといいますか、私が言いたい意味は、過去の歴史に自尊心を持つということはどんな民族にとっても大事なことなんですけれども、ねじれた自尊心といいますか、おれたちだけが悪かったんじゃないというような、要するに新種の閉ざされたナショナリズムのようなものがここへ来て非常に台頭してきている感じがします。  そういう中で、少なくとも近隣の諸国から理解されるナショナリズムでなきゃいけないというか、これが閉ざされたと開かれたとの違いだと思うんです。どんな国にだってナショナリズムはあっていい。だけれども、どこまで理解のすそ野を広げられるかということが大事なポイントだろうと僕は思います。そういう中で、多国間の外交に嫌でもシフトしていかなきゃいけない時代こそ理念性が問われるということを最後に僕は申し上げておきたいんです。  これは私の国際的な体験をベースにして申し上げているんですけれども、この国は七十五年、さっき申し上げたように二国間外交で生きてきたんですね。二国間外交というのは、我々の世界でいうと労働組合と会社の交渉みたいなもので、何百回も同じ顔を見ていたら落としどころが見えてくるという、殺気立っているように見えて落としどころが見えてくるというのが二極間のゲームです。ところが、多国間のゲームはまさにこういう雰囲気で丸テーブルを囲んでいます。したがって、筋道の通った主張をしなかったならば、例えばインド人、例えばユダヤ人のような人たちが座っていて、日本の言っているのももっともだなというシナリオがなければとても多国間の外交の中を生きていけるものじゃない。したがって、多国間外交こそ理念性が問われるということを申し上げたいわけです。  その理念性というときに、私はこの国の戦後というのは必ずしも自虐的に振り返るべきポイントばかりじゃなくて、例えば非核平和主義ということをとっても、これこそ武力をもって紛争の解決の手段としないという思想、基軸が国際社会にとってアピールこそすれ後退する必要はない最も重要な理念性の高い部分で、これから多国間外交を展開する上で大変大きな意味を持ってくるだろうと私は思います。  そういう意味で、日本理念性というものを踏み固めるというのが大事だということを申し上げて、もう一つは繰り返しになりますけれどもアジア連携の重要性、特にITにおけるアジアとの連携の必要性、なぜならばITの分野におけるアメリカのひとり勝ち的な状況というのが非常に際立っているわけで、そういう中で、例えば今シンガポールとの自由貿易協定みたいな話が進んでおりますけれども、これは大変重要と。なぜならば、何も関税引き下げる自由貿易協定という意味で必要なんじゃなくて、IT、特に電子の分野でのアジア連携というのがこれから大変意味を持ってくると。  それから最後に、後でもし御質問でもあれば申し上げたいと思っていたのが、この種の外交を展開するためには外交インフラが要ると。外交インフラというのは、要するに情報力の基盤という意味です。それは、例えばシンクタンクであり、例えば外交問題を議論するアカデミズムであり、要するに、外交のインフラが非常に乏しいために、一言だけ例を申し上げますと、例えば、先ほどフランスがアメリカに対し非常にしたたかな外交を展開しているという例が出ましたけれども、私がよくパリに行って必ず立ち寄るんですが、アラブ世界研究所というのをフランスは、一九七三年に石油危機が起こってその翌年、その構想を発表して二十年かけてつくりました。フランスが六割お金を出して四割アラブ二十二カ国に金を出させて、今日、中東とかアラブとかそれから石油だとか、そういうことについて情報を集めている人は必ず情報の磁場が形成されているこのアラブ世界研究所を訪ねざるを得ないというようなものを瞬く間に構築していっています。  日本は、対米外交が大事だと言ってみても、アメリカ研究所一つあるわけでもなく、いわゆる東アジアの情勢さえアメリカから情報をもらっているような状況下ですね。率直に言って、外交インフラの充実なくして外交戦略なしということだけ最後に一言申し上げて私の話を終えたいと思います。  どうもありがとうございました。
  9. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  これより質疑を行います。  本日も、各委員から自由に質疑を行っていただきます。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  10. 山本一太

    ○山本一太君 自由民主党の山本一太です。  まず、枝村参考人に一問だけ御質問をしたいんですけれども、私も昨年、一年弱外務政務次官をやらせていただきまして、いろんなマルチとかバイの外交の場面に出くわしたんですが、参考人おっしゃったように、やっぱり日本ソフトパワー発信力の弱さというものを実感いたしました。改めて、日本という国は思想とか理念を発信する力が非常に弱いと思います。  それで、さっき参考人は、日本の新しい思想の発信の例としてODAを挙げられたんですけれども、ODA理念というのは、さっきお話があったように、九二年のODA大綱というのがありまして、これに基づいて日本ODA政策というのを展開してきたんですが、このODA大綱は非常に優等生的な話だというお話があって、もっともっと能動的で積極的で、ある意味理念というのは攻撃的でなければいけないというお話がありました。  実は、この国際問題調査会の中でODA基本法試案というのが初めてできまして、実はそれをもとに私の私案をつくったところが間違って新聞に取り上げられて大変な大目玉を食ったことがあるんですけれども、そのODA試案の中で、アメリカのグレン修正条項じゃないんですが、非核については、核実験をやったら直ちに経済協力をとめるみたいな条項を入れたんですけれども、さっきおっしゃった、より攻撃的で能動的な、すなわちメッセージの発信の仕方、ODAについて言うとそれはどういうことなのかということを簡潔で結構ですから伺えればと思います。  それから、添谷先生にお聞きしたいんですけれども、ミドルパワーであるという現実とか事実とみずからをミドルパワーと言うプレゼンテーションで内外に発信をするというのは違うことだと思うんですが、みずからミドルパワーだということを言い、ミドルパワーだということを示すことによるメリットというものはどういうものなのかということを簡単で結構ですから教えていただきたいと思うんです。  私、国連にいましてつくづく思ったことは、イメージは自己実現するということで、私が国連機関に勤め始めたときにガリ事務総長というのが出てきまして、国連のシステムからいうと事務総長に大した力はないはずなのに、ガリが力があるというこのイメージ自体がまさにガリ事務総長の存在感を高めることに寄与したんですね。だから、日本がみずからミドルパワーだということによる私はデメリットもあると思うんですが、そこを先生がどうお考えになっているかということをお聞きしたいと思います。  それから、寺島参考人にお聞きしたいんですが、私も、おっしゃったように日本の二十一世紀外交というのは多極的な、多元化の外交に進んでいかなきゃいけない、必ずしも日米安保を主軸とした外交だけには頼れないと思っているんですが、しかし今、日本という国のチャームがどんどん国際社会の中で落ちている。七〇年代、八〇年代は物すごくチャーミングな国で、それこそタイムが日本特集をするぐらいな、ある意味では自然なソフトパワーみたいなものがあったのが、経済もそうですし、国としての存在感というものがこれからどんどんなくなっていってしまうと。こういうチャーミングでない日本になっていく中で、日米安保といいますか日米を主軸とした外交から多元化の外交に切り込んでいくための戦略というものは例えばどういうふうにしたらいいのか。  例えば、直接外交政治家として携わっていく上でやっぱりその国がチャーミングでなければなかなか相手を引きつけることはできないし、新しいイニシアチブを打ち出しにくいと思うんですが、こういう日本が凋落していくシナリオ、これは政治で食いとめなきゃいけませんけれども、この中でこの日米安保を飛び越えて多元化外交を実施していく、実践していくための戦略みたいなものがあれば一言お聞きしたいと思います。  以上、簡潔で結構ですから、それぞれ一問ずつお答えいただければと思います。
  11. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 大変いいポイントを御指摘いただいたと思うのでございますけれども、山本委員のおっしゃいましたように、まさに日本の非核政策ということからすれば、核実験に対して非常に厳しい態度をとる、これはあり得ることだと思うんです。  しかし、私はむしろそういうものは政治力でもって、あるいは理念の力でもって克服していくべき問題であって、ODAというようなものを余りそこに絡ませていくということはどうだろうかと。それがまさに一九九二年のODA大綱というものがべからず集になっていて優等生的過ぎる、しかもそれがややもすると政治の面における日本外交の自由を縛るというようなことになりかねない。一度こういう政策を出しますと、それに対していつ解除するのか、インドとかとの関係でも大変それは私、問題になっていると思います。ですから、援助の世界における理念というものは、どちらかといえばやはりODAなりの論理で、私はその範囲で組み立てていくのが正しいんじゃないかと思います。  したがいまして、より能動的な援助理念というのは何かといえば、私としては、今のグローバリゼーションという名のもとにおいて市場万能主義、そういうことで何でも開放がいいんだ、自由がいいんだという、そういう大きな流れの中でおぼれかかっている後発国開発途上国の中でも特におくれている国々、そういう国々としても発展をし、みずからの産業を守り育てていく、それに対して彼らの立場に立ったその開発理論というものを日本はつくってやるべきじゃないか、そういう気がいたします。  ですから、お答えとしては、ODA理念については、余り政治を加えるということには私は賛成でないということでございまして、むしろODAそのものの世界の中でより後発国立場に立った、日本の経験を生かした理念開発理論というものを打ち立てるべきじゃないか、そういうことでございます。  ありがとうございました。
  12. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) ありがとうございます。  ミドルパワーという言葉を全体の報告の中でちょっとひそかに忍ばせたつもりではあったんですが、やはり非常に刺激的な言い方でございますので、御質問をちょうだいしてお答えをする義務が私にもちろんあろうかと思います。  私の発想の中でこういった言い方をやや確信犯的にさせていただいている本質的な問題意識は、大国イメージからくるデメリットの方にむしろ向いております。  例えば、湾岸戦争のときもそうでしたけれども、石油に依存をする大国日本が何もしないのはけしからぬ。日本に対する役割の期待というものは必然的に大きかったわけでございますが、その結果何が起きたかといえば、実質的な貢献ができないということの見返りに多大な資金貢献を、いわばむしり取られたという実態があったわけです。そのことに対する日本国内のフラストレーションというものは決して少なくなかっただろうと思います。  それからもう一つの例を申し上げさせていただければ、国連における常任理事国を目指す政策におきましても、これもプレゼンテーションの仕方の問題だろうと思いますが、特にアジアにおける一般的なイメージは、国連の常任理事国を目指す日本アメリカ中国と肩を並べたがっているというように、ほぼ本能的に認識をされているわけです。  しかし、実態を見ると、日本が常任理事国に入ったとしても、恐らくフランスやイギリスほどの役割は果たせないのではないかと。財政的な役割はもちろん大きいわけですが、実質的な政治や安全保障上の役割ということに限って申し上げれば、恐らくフランスやイギリスの役割を果たせれば日本にとっては万々歳ということなんだろうと思います。  その辺のイメージが必ずしも明確に諸外国には伝わっていない。それどころか、恐らく国内におけるコンセンサスもない。それを邪魔をしている大きな要因が、漠とした大国意識あるいは大国だからということでおだてられ、結果的に期待に沿えずに国民が不満を募らせるような対応しかできないという、そういうパターンが私は戦後日本、余りにも多過ぎたのではないかというように思っているわけです。  一たびミドルパワーという観点から日本をとらえ直してみれば、なぜアメリカが本質的に必要なのか。それから、戦後日本外交の実態というものは極めて国際協調主義的でありましたし、地域、国際社会に私は建設的な貢献をたくさんしてきたと思います。その実態が必ずしもそのとおりに受けとめられていない。むしろミドルパワー的な貢献であったものが大国のレンズで見られることによって、ない腹を探られたり、ない意図を探られて、そこに余分な外交エネルギーを使うという場面が私は余りにも繰り返され過ぎたのではないかというように思うわけです。そのように考えてみたときに、きょう問題提起をさせていただいたような国内的な諸問題に私の発想は向いていったわけです。  そのように日本を一たんミドルパワー的視点からとらえ直してみると、かなりの程度、戦後日本外交の実態の説明としては的を射ている方がむしろ多いだろう、そこからスタートすることによって外交体制を立て直すということを始めたらどうだろうかという、そういう問題提起でございます。そうすると、結果論として私は日本外交役割それから国際社会における日本のイメージというものはむしろ増大するだろうというように思っております。  そこでの最大の難問は、我々の自意識に落ちつきます。私は著名なアメリカ学者から、このミドルパワー論を議論したときに、その言葉は日本人を怒らせるからだめだ、おまえの言っていることはよくわかるけれども、怒らせたらもうそこから先に議論は通じないということを実は言われたことがあるんですが、そのことの意味は私、日々ひしひしと感じておりますけれども、少なくとも議論の趣旨だけはおわかりいただきたいという気持ちでやや確信犯的にもうしばらく頑張って使ってみようかなと思っている次第でございます。
  13. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) 御質問の中に、なぜ日本がチャーミングでないかというポイントがあったと思うんですけれども、私は、日本がチャーミングでない理由というのは一体何なんだということを突き詰めていったら、例えば技術もある、人材もある、資金も海外に対して一兆ドルの貸し方になっているような国が、国としての総合設計力に欠けているからいわゆる国際社会におけるくっきりとしたイメージを持ち得ていないんだろうと思いますけれども、それもさらに突き詰めていくと、国際社会の中でビジネスでいろんな交渉をして実感することですけれども、日本は本人は大人だと思い込んでいる子供みたいな部分を引きずっているわけです。  それはなぜかというと、対米過剰依存と言いかえてもいいんですけれども、世界日本を見ている目線は米国周辺国です。これはブレジンスキーが最近の本でさえプロテクトレート、保護領という言葉を日本に対して使っているようですが、日本人からすれば甚だ自尊心を傷つけられますけれども、国際社会日本を見ている目線というのは自虐的でも何でもなく実態的にそういうイメージがあります。  なぜか。それはこの国が外向きには軽武装経済国家として生きているというけれども、現実には日米安保で守られて、例えば中国とかロシアから見たならば、日本の自衛力プラス米国の軍事力ということで考えたら、十分にその存在感が軍事大国としての存在感を放っているというふうに彼らはとらえます。  そういう中で、九条問題にしても、解釈改憲でアメリカの都合によって次第次第にその基本的な憲法の性格というものを変えてきたということは間違いないわけで、私、中央教育審議会の委員もやらせていただいているんですけれども、議論を突き詰めていけば、やはり子供たち、若い人たちに対してこの国は巨大なごまかしがあります。そのごまかしを言いくるめてきてつじつまの合わなくなっている部分があります。それに対して、アイデンティティーが崩壊しているからチャーミングでなくなってきているわけで、自分を自己革新できる理念の、先ほどから議論しているような基盤というものをしっかり踏み固めたならば、それぞれの要素において技術も人材も資金もある国です。その設計力において、僕はアメリカに対する、要するに対米過剰依存の構造だけでこの国の設計図を描くべきだとは思いません。  先ほど申し上げたかったポイントは、何も米国との関係を緊張感を持てと言っているのじゃなくて、今後も日米関係を基軸にしていく、ただし絶妙のシナリオが要ると。右手で経済関係において日本アメリカとの関係をより踏み込んだ関係にしていくための新しいスキームを構想していく、左手で防衛関係においてはより主体性と自立心を持って見直していく。  私はあえて最後に一言付言させていただくと、これは現代における条約改正だと思っています。我々の先輩たちは、小村寿太郎や陸奥宗光を持ち出すまでもなく、本能的に国家一つの独立国として認められる基本条件みたいなものを、国際政治学の大学院に行った人でも何でもない人が本能的に気がついていたんです、関税自主権にしても治外法権にしても。  今我々が直面している防衛の現実というのは、先ほど申し上げた二つの常識ということを申し上げたいんですけれども、これは現代における条約改正なんだということを政治のセクターにかかわっておられる方たちがある程度の度合いにおいて共有しなければいけない問題意識だろうと私は思っています。
  14. 今井澄

    ○今井澄君 今井でございます。  きょうはまた非常にユニークな御意見をお聞かせいただきましてありがとうございました。前回のことは言う必要は、言ってもしようがないと思うんですけれども、前回はどちらかというとちょっと均一だったので、きょうは大変勉強になりました。  それで、三人の参考人にそれぞれお尋ねをしたいんですが、枝村参考人、あらかじめ配られました「冷戦後の世界とこころの外交」というのを読ませていただいて、大変おもしろいなというふうに思いました。  やはり外交というのは、長い間のそれぞれ情勢の変化していく中での国と国とのおつき合いですし、国民同士のおつき合いということが背景にあるわけですから、非常に異なった価値観の間の橋渡しという意味、きょうもお話しいただきましたが、まことにそのとおりで、とかく技術論上、法律論あるいは軍事パワー論、そういうものではなく、ソフトパワー重要性ということ、大変感銘深く伺いました。  ところで、ODAを通じてのそういうソフトパワーの発揮についてはお伺いしたわけですが、きょうも幾つか議論になりました日米関係、特に日米安保条約の問題とか、それからやはり我々にとって外交一つの大きな問題になるのは東アジアにおける安全保障の問題ということが出てくる。どうしても大きな問題になるだろうと思うんです。  特に、先ほどから話になっているアーミテージ・レポートの中でも、例えば安保条約の再強化といいますか、その中での集団的自衛権の問題も、日本政策転換すべきであるというふうな形でかなり安保条約の強化を軸としてアメリカ日本を取り込んでくるというか、私も、先ほど寺島参考人の言われたように、アメリカの傘のもとで問題が大分生じてきていると思うんですけれども、そういう方向に行こうとしているようなことに関して、どういうふうに日米安保条約の問題、あるいは東アジアにおける、むしろ私などは集団的安全保障に向けて取り組む、脱日米安保という方向で行くべきなんではないかと思っているんですが、その辺についてどうお考えかということをお聞きします。  それから、添谷参考人にお聞きしたいんですが、ミドルパワーというのを私も十分、事前に配られた朝日の「論壇」とか、その他「オーストラリアに学ぶこと」もあったんですが、これはちょっと読み切れなくて、新聞記事などで読みまして、その中に出ているのはどちらかというと軍事力を背景にした高度な戦略ゲームを繰り広げてきたような国々とは違った形でというふうにとったものですから、むしろミドルパワーというのをソフトパワーとダブらせる形で私はちょっと理解をしたんですね。  ところが、きょうお話を伺ってみますと、むしろ日米安保条約を軸とする日米軍事同盟の強化というふうな色彩のニュアンスの濃いようなお話を伺ったような気がするんです。その中で、この四番の具体的展開の中の(2)の集団的自衛権の問題というのが出ているんですが、これについては先ほどちょっとお話を伺えなかったような気がするんですが、今このことをめぐる議論の中で、私は民主党ですけれども、民主党の中でもいろいろ鳩山代表などの議論があって、私はそこにちょっと誤解があると思うんです。  例えばPKOとかPKFを含めて、そういうものでの国際貢献という問題と、二国間軍事同盟を強化する中での集団的自衛権というのは全く質の違うものであって、二国間軍事同盟における集団的自衛権というのは、明らかに仮想敵なり潜在的敵国なりあるいは、はっきりは言わないけれども明示的な敵国を前提としたものが二国間軍事同盟であって、そこでの集団的自衛権という問題になってくるだろうと思うんです。だから、そこのところはどういうふうなことをおっしゃろうと思ったのか。  私は、むしろ二国間軍事同盟の時代から今は地域的な集団安全保障の時代に来ていると。そこのところに力を注いでいかなければならないし、そこでこそ理念というか、先ほども指摘されたそういうことが大事だと思っているんですけれども、どうもちょっと私が最初に予習したイメージとちょっと違って受け取ったものですから、受け取り方がまずかったのか、それともどういうことをおっしゃりたいのかということをお聞きしたいと思います。  それから、寺島参考人からは、大変理念性、特に多国間外交における理念性ということで、理念性の高さということを伺って、その中身も伺いまして大変感銘を受けたわけですが、特に、そこで最後に言われた外交インフラですけれども、情報力の基盤ということですが、一つは先ほどのフランスの例、そして日本にはアメリカ研究所一つないというお話があったんですが、そういうところにおける研究と人材と人的ネットワークの問題が一つあるだろうと思うんですが、日本は官僚主導社会と言われていて、明治以来、優秀な官僚を育てて官僚の皆さんにお任せをするという形で政治が大分サボってきた嫌いがあると思うんです。外交なんかを見ても、それが典型のような気がします。  ただ、外交関係というのは、情勢が変化する中でも、何十年という細かいいろいろな話し合いや取り決めやそういうことの蓄積が必要なんだろうと思うので、余り今のような政治主導というか、政治家主導で、政治家がいいかげんなことをぽんぽん言うようでは外交というのはなかなか成り立たないのかなという気も一面ではするわけなんです。ですから、外交には外交のプロ、官僚の果たす役割というのは、例えば産業政策とか何かとは違ってあるのかなという気が一つはするんですが、それにしても、日本政治というのはちょっと外交に関して音痴過ぎるというふうなことがあるように思うんです。  たまたま森総理がこの前サハラ以南のアフリカに行かれた。これは一体どなたの提案なのか、まさか森さん自身のあれにしてはでき過ぎているなと思ったんですが、私はやっぱりあれは、結果的に言えば、日本政治主導の外交がああいう形で行われるとすれば、これは非常にすばらしいことだと思うんですけれども。  その辺で、先ほどODAの問題や強力な長期的な理念も持った開発援助一つソフトパワーとするというふうなことも必要だと思うんですが、その辺での政治役割とプロの外交官の役割との関係、その中での先ほどの外交インフラの強化ということで、その辺何か御示唆いただけることがあればお願いをしたいと思います。  以上です。
  15. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 日本、特に東アジアにおける安全保障という問題でございますけれども、これについて私は至ってどちらかというと常識的なことを考えております。  つまり、日米安保条約という、当面は日米安保条約の有効性、これを確実に増していくことが必要だと思います。それはむしろ現在は逆風が吹いていると思うんです。つまり、先ほど寺島参考人からも御指摘がございましたように、果たして現在極東で有事の事態が起こった場合に、アメリカが本当に自国民の血を流すだろうかということなんです。  これは私の申し上げた価値観変化ということから見ましても、最近のアメリカの戦争のやり方というのは、要するに航空戦力は使うけれども地上戦力というのはほとんど使わないですね。つまり、自国民を犠牲にしない戦略というものができてきている。そういうときに、果たして日本の安全保障というものを自国民の血を流してまでやってくれるかという、その点が非常に大きな実は疑問になってきている。  だとすれば、それをどうやって確保していくのか。これは、やはり日米安保条約の実効性を保つために日本がどこまで貢献をするかと。まさにそういう観点からの最近のいろいろ日米間の協議というようなことも行われ、一定の成果を上げているわけでございまして、当面は私はそのことが一番大切だと思います。  次は、やはり私は、東アジアにおける安全保障にとって問題なのは中国動きだと思います。  中国は大変今は経済成長も順調に進めているようではありますけれども、しかし、やはりああいう政治体制のままに経済成長を続けていくということは、恐らくどこかでそのひずみが問題になってくる。それから、先ほど申し上げましたような資源の問題がございます。これは、やはり中国のいろいろな出方を見ており、あるいは軍備の整備の方向、言うなればマグマ動きというものを見ておりますと、将来的にはかなり一つのシナリオとして、もちろんいろんなシナリオがあるわけでありますけれども、一番危険なシナリオというものは頭に置いておく必要があると思うんです。  それまでのつなぎは何かといえば、おっしゃいましたように、どちらかといえば意思疎通を十分に図っていく。幸い、今ASEANフォーラムというような形で中国も参加する場がございますので、その中でできるだけの意思疎通を図って、いわばこれは私はしょせんは時間稼ぎにすぎないと思いますけれども、中国動きを十分にウオッチしながら、それとの間にできるだけ問題を起こさないようにしながら、しかしひょっとしたらというシナリオには十分備えておくということが必要かと思っております。
  16. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) お答えいたします。  御質問に対して私なりの整理の仕方は、とりあえず当面の問題とそれから先の問題があるということでございます。つまり、ミドルパワー論ということを国内的なコンテクストで主張するときには当面の問題を意識しております。  これは何度か申し上げたかと思いますが、例えば御質問のあった集団的自衛権の問題で申し上げますと、私は、先ほどの寺島参考人の言葉を拝借すれば、集団的自衛権を国が持つ、それを行使するというのはいわばグローバルなコモンセンスなんだろうというように思います。国連において認められている正当な主権国家としての権利というものは粛々と行使できるというのが、国のあり方としてあるいは安全保障政策としていわば常識的姿だろうというように思っております。  したがって、それを使うということ自体は、戦後の日本の論争軸からいえば我々の特殊な意味合いがあったわけですが、私の議論はその論争の軸を超えなければならないということでございまして、それをいわば自然な権利として受けとめられるようなむしろ土台づくり、それを当面の問題として日米安保の枠で行うべきだろうというそういう議論でございます。  したがいまして、日米軍事同盟強化論、現在日本が立っている立場から相対的に見れば強化ということになりますけれども、私の問題意識はやや次元の違うところにございまして、そのようなことが粛々とできて初めて先の議論が意味を持つというそういう私なりの問題の整理です。  例えば、寺島参考人の非常に興味深いお話を伺って、今の整理の仕方で私なりに反論をさせていただけば、かなりこれは先の問題なんだろうなというように思うわけです。  例えば、外国軍の駐留の問題でドイツの例が出ましたけれども、御承知のようにドイツは既に一九五〇年代に憲法の改正をしておりまして、それでNATOにおける多国的な軍事活動にもそれなりに参加をするという段階を踏んできているわけです。日本の態勢というものは、まだドイツがこれまで行ってきた体制整備に着手すらしていないということなんだろうと思います。それをしろというのが日米同盟強化論に聞こえた私の発言内容であったというように御理解いただければ幸いでございます。  先の議論といたしましては、例えばミドルパワー的なものをソフトパワーのイメージで、日本国際社会において軍事力に頼らない、これは戦後の日本の国是と申し上げてもよろしいかと思いますので、その国是を大事にした新たな外交的アイデンティティーの確立ということを先の問題として目指すべきであるということは、私も全く同感でございます。  したがって、当面の問題として、アメリカとの安全保障関係を整備することということと、日本外交の核心的な価値観であるとか、目標として非軍事的なところで外交アイデンティティーを確立するというのは、私のミドルパワー論の中では決して相対立する矛盾することではなくて、むしろ長いタイムスパンの中でセットの問題として認識しております。
  17. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) 外交インフラに関連して、シンクタンクについてまず一言発言しておきたいんですけれども、アメリカには、御承知のように、私自身もお世話になったブルッキングス研究所を初めとする公共政策のシンクタンクが非常に多様な形で存在しています。それぞれ性格、個性のあるシンクタンクが多様に存在しているということは、あの国の外交における議論を非常に重層的なものにしています。  対照的に、例えば日本が、先ほども話題に出た中東でああいう湾岸戦争が起こったと。この国での議論のスタートのポイントが物すごく低くなっちゃうんですね。結局、米国が要求しているんだから百三十億ドル、子供の議論じゃないんだから出さざるを得ないんだよという議論か、片っ方、理由はよくわからないけれども、だめなものはだめと言い続けるか、二つに一つ議論の中で走り回る。  日本において、日本アメリカの中東政策歴史的な経緯、どこに違いがあるのかとか、例えばアメリカが中東で持っている権益だとか、あるいは日本が中東と展開してきたアメリカとの違い、例えばただの一度も軍事力を行使したこともないとか武器輸出をしたことがないとか、いろんな部分においてアメリカと違うポイントを持っています。そういうものを体系的に整理して、この国にどういう政策オプションがあるんだろうかということを準備して、そういう事態が起こったときに議論のレベルを高くしていくためにも、その種のシンクタンク的な装備というものが大変重要になってくると私は思っています。  そういう中で、例えば日本には、外務省の国際問題研究所といういわゆる国のシンクタンクだとか、通産省傘下、これはジェトロに吸収されてしまったんですけれども、アジ研というアジア経済研究所ですか、そういうたぐいのもの、あるいはエネルギー経済研究所もかつての通産省、今の経済産業省の傘下ということでですね、いわゆる国の情報を補完する、官僚機構を補完する形でのシンクタンクはあります。だけれども、本当の意味での多様なシンクタンクといいますか、民のところの力を結集したような、特定の企業の冠がついたようなシンクタンクじゃなくて、多様なサポートを得たシンクタンクというものをきちっと育てていないということだけは、この国の外交における議論のレベルを非常に低くしているという意味で、問題として今後考えていかなけりゃいけない大変大きなテーマだろうと思っています。  それから、人材に関連してなんですけれども、私は、やはり今、先ほども話題に出ていたように、アメリカのルールなり基準なりシステムなりを世界化していくという一種のグローバリゼーションという潮流の中で、デファクト化といって、デファクトスタンダードをつくっていく潮流というのはあるわけですけれども、そういうものに対して専門的にきちっと議論するためには、物すごいハイレベルの専門性を持った人を交渉の舞台に立たせないととても無理です。例えば、WTOでもあるいはBISでも、相当にその分野に知的にも情報面でも武装した人間が交渉に当たらないと相手にされないというぐらいの世界ですね。ただボードの中に座ってはいるけれども発言も影響力も持ち得ないというような国。そうなったときに、例えばWTOとか一連の国際機関に、さっき山本さん御自身の御体験も言っておられたけれども、要するにそういう出向体験だとかそういうところで実際に舞台に立つ人間をやっぱり一つシステムとして育てていく必要がある。  昨今、大蔵省、今の財務省ですけれども、BISなんかの交渉に大学の先生なんかを招き込んで交渉に当たったり、通産省、つまり経済産業省も、WTOにアメリカで弁護士資格を取ってきたり会計士の資格を取ったような人を一本釣りして交渉の舞台なりなんなりに注入していくなんというような流れが出ていますから、全く何もしていないなんというふうには思いませんけれども、要するに、人材を広く設計して、民なんかでアメリカの大学及びアメリカのいわゆるMBAであれ弁護士資格だというようなロースクールだというようなところで育てている人たちも相当層が厚くなってきています。そういう人たちをうまく活用して、プロの外交官とリンクさせながら国際交渉なり国際機関なりの場に出していかないとまずいなと思うのがもう一つのポイントです。  それからもう一つは、いろいろな審議会とか参加していて、専門性の高い人は多様にあるのに、先ほども申し上げた点なんですけれども、総合戦略に欠けるというのがやっぱりこの国の最大の欠陥で、企業においても、僕も戦略研究所なんという名前をつけた機関を引っ張っていますけれども、要するに企画というところで、総合企画をするというのはもうみんなの悩みですけれども、縦の分断された官僚機構の中で総合的な戦略を企画するのがいかに難しいかというのはもう皆さん御承知のとおりなんです。  演繹帰納型の発想しか育てていない社会科学を勉強した人たちだけかき集めても、戦略なんというものは出てこないんですね、実は。これは戦略というのは仮説法ですから、仮説法には途方もないひらめきが要ります。ひらめきというのはやはり修羅場に立ったりあるいはディベートに闘ったりするような緊迫感の中からスパークするものであって、その演繹帰納型の社会科学を勉強した人に幾ら叱咤激励しても戦略なんというのは出てくるもんじゃありません。  だから、そうなってくると、やはり我々はよく考えなきゃいけないですね、本当の意味でこの国の総合戦略というものをどういう人たちによって設計していったらいいのか。そのあたりが多分外交の問題についても、外務省で総合政策課、政策局みたいなものをつくれば、じゃ総合外交戦略が出てくるかというと、とんでもないということはもう既に実証されているというふうに僕は思います。
  18. 高野博師

    ○高野博師君 最初に枝村参考人にお伺いいたします。  グローバリゼーションの行き着く先は資源争奪戦争のおそれだと、こういうことなんですが、それを避ける手段はあるのかどうか。  実は、中国の去年一年間の新華社通信が出した世界の十大ニュースというのがAP通信とほとんど同じだった。それは十年前は考えられなかった。中国もヨーロッパ型の価値観にかなり変わりつつある。ロシアも同じようなことが言えるのではないかと。しかし、このグローバリゼーションにおくれていく貧困国も相当あるわけで、そういう中で、環境の破壊なり貧困問題はより深刻になるのではないかと思うんです。  その資源の問題について言えば、石油資源もあと五十年か六十年しかもうもたないと、こういうことはかなり前から言われているわけですから。人口もあと二十五年たつと九十億ぐらいにふえていくだろうと。そうすると、食糧、資源の問題は最も人類にとって深刻な問題だと思うんですが、それが争奪戦のようになってくるとこれは大変なことになると思うんです。そこで、我々は自然エネルギー促進法という法律を早くつくろうということも言っているんです。それだけでも間に合わないだろうと、こう思うんですが、その辺どういうふうにお考えか、お尋ねをいたします。  もう一つ、全然このお話とはきょうは関係ないんですが、もし差し支えなければお答え願いたいんですが、フジモリ大統領。中南米にお詳しいと思いますので。  実は、先般、中南米のある国の企画大臣に会いまして、そのときに彼が言っていたのは、日本はフジモリを帰すべきじゃないと。なぜかというと、新しい大統領が登場して一、二年たつと必ずうまくいかなくなる、そのときにフジモリはよくやったんじゃないかという、そういう待望論なんかが出てくる、もしペルーに帰ってフジモリが刑務所に入っているときでも、あるいは何らかの形で存在そのものが政治的な不安定要因になるんではないか、しかし四、五年日本にかくまっていればそのうち忘れると、こういうことを言っていたんですが、その辺どうお考えか、お伺いします。  それから、添谷先生にお伺いしたいんですが、ミドルパワーとしての自画像ということなんですが、ミドルパワーであるかどうかは別にしまして、自画像というよりも日本はもう一回二十一世紀国家像というのをきちんとつくるべきではないのか。戦後五十五年間、五十五年前にはどういう国をつくるかという国家像が全然なかったのではないか。そういう中で、日米安保あるいは憲法九条を軸にした政治、ある意味では僕は政治の思考停止ではなかったのかと。一方では経済発展があったからよかったようなものなんですが。  そういう中で、今、政治経済社会、教育、いろんな問題が起きているんですが、これは根本的には憲法という問題に行かないのかどうか。私は、これからどういう国を目指すのか、文化立国なのか環境大国なのか人権大国なのか、そういう国家像を見据えた上で新しい憲法を考え直すべきではないか、つくるべきではないかと思っているんですが、その辺についてどうお考えか、お伺いいたします。  それから、寺島参考人には、独立国に外国の軍隊が長期に駐留していることは不自然だと、これは当然だと思うんです。それから、アメリカはみずからの世界戦略と国民世論の支持の枠内でしか日本を守らない、これも恐らくそうだろうということは我々は理解しているんですが。  しかし、それでは、尖閣諸島を現実問題として中国は武力でとっていくんじゃないかということが考えられるんですが、じゃその場合にはどうするのかと。日本は独自でそれではこれを防衛するのかどうか。地位協定あるいは日米軍事協力の見直しなり仕組みなりの中で日本軍事力というのはどうあるべきなのか、非核平和主義というこの理念を貫く中でどういうとらえ方をしたらいいのか。  もう一つ、教科書問題が今かなり話題になっていますが、これについて寺島参考人はどういうとらえ方をされているのか、簡単で結構ですのでよろしくお願いします。
  19. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 最初の高野委員の御質問でございますが、お配りいたしました資料の最後の六ページの10というところに「グロバリゼーションの行き着く先」と、まさに御指摘の「資源争奪戦争の恐れ」というところで、この二冊、二つ目のドネラ・メドーズ、デニス・メドーズ、ジョルゲン・ランダースの「限界を超えて」という本がございます。  これの中で、彼らの理論の基本になっているのは何かといいますと、要するに物事というのは幾何級数的にふえていっちゃうということですね。ですから、先ほど申し上げましたように、人口の増加がわずか三%だと思っていても、百年たてば十九倍、二十倍になると、そういう話でございます。  だから、現在の我々の世代というのは、やはりその限界の中で持続可能なシステムというものをつくらないといけない、資源の利用について。それは何が目安かといいますと、後の世代に迷惑をかけない範囲での資源の利用ということだということなのであります。  そのためのルールとしては何かということは、一つ再生可能なエネルギーについては、再生可能な資源については再生可能な範囲で消費するということ。第二点は再生不能の資源、これはまさに石油でございますけれども、これは代替資源開発される範囲でのみ消費するということ。それから、第三点として、汚染、環境に対する破壊、そういった排出量というものは環境が吸収可能な範囲で実施すると、こういうことでございます。それでなければ持続可能なシステムというものは維持できない、あるいは、後の世代に対して迷惑をかけるだけじゃなしに、ひいては人類の破滅にまで導くんじゃないか。だから、現在の幾何級数的な動き、これが私の見ますところ、近代化、さらにはグローバリゼーションによって加速されている、それをやはりとめるということが必要だと。これは理論としてはわかっているんですね。だけれども、実際に我々がそういうことをする、あるいは政府政策にそれを反映させるということが非常に難しいわけです。  そこで、日本でも文化人類学者の、ここの11に書いてございますような伊東先生だとか浜口恵俊先生だとか、私もこの中で浜口恵俊先生のあれを引きましたのは、こういう文化人類学者先生方議論の中で一番、やや体系化され理論化されていると思ったので、私自身そんなことを言うのは大変失礼でありますけれども、まだまだ少数論的な色彩がありますけれども、そういう意味でおもしろいと思ってここに御紹介したようなことでございます。  やはりそういうことを、価値観の転換といいますか、単に物質的な豊かさだけがたっといんじゃないという、それがやはり必要じゃないかと。大変私も書生論のような青臭いことで申し上げるのにちゅうちょするのではありますけれども、やはり私は、そういうことの価値の転換ということを、単に文化人類学者だけじゃなしに、先ほど来申し上げました開発経済学の先生でありますとかあるいは科学者先生方、あるいは社会心理学の先生方、インターディシプリナリーに、これは日本は余り得意でないことのまた一つでありますけれども、総合してひとつ知恵を出していただきたい。  そして、これは経済学者のマンデルも言っていることなんですけれども、日本中国やイギリスのような古い社会というのはその経験の中で自然に生じているマナーというものがある、いろんな経験の中からおのずから自然調和的なルールというものを見出すことがほかの国よりすぐれているはずだということを言っております。まさに日本のように歴史があり伝統のある国の責任の一つは、私はそういった価値観の大転換を今必要としているときに英知を出すことじゃないかと思うのであります。  次は、フジモリ前大統領のお話でございます。  私も経済協力ミッションの団長として参ったりしてじかにいろいろお話しする機会がございました。大変すぐれた政治家だと思います。そして、やはりあれだけ混乱していたペルーをあそこまで持ってこられた功績というのは、歴史が客観的に評価する時期が来れば評価されると私は思っております。  ただ、日本としてこれにどう対応するか。私は、これは専ら政治を交えずに、将来彼がどういう役割を果たすだろうかとかそういうことなしに、要するに法技術的にできることをやり、一番法律的に正しいことを彼の処遇についてやる、そのことについて一抹の疑いも入れずに自分も自信を持って対応すると、そういうことでよろしいかと思います。  そんなお答えでよろしゅうございましょうか。
  20. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) 国家像に関してでありますが、非常に大きな問題でございますので、簡潔にポイントだけでお答えさせていただきたいと思います。  私の議論は主に外交・安全保障政策分野での議論でございますけれども、それを日本国全体の将来という問題で置きかえてみると御指摘のような国家像の問題と等しい問題だろうというように思います。そのための憲法改正との関連が御質問でございましたけれども、私は、理論的にはこれは密接に関連をしているというように思っております。それだけではなくて、むしろ憲法改正の議論国家像の議論とセットで進むべきであるというように思うわけです。  一つ、外から見ていて政治の舞台での議論で正直に申し上げて多少フラストレーションを感じておりますのは、戦後体制に対する政治的なフラストレーションが、改憲論議であれ国家像の議論であれ基本的なエネルギーの源になっているように見えるという点でございます。その一定のねじれた現象からは自然なフラストレーションが起きるということは私のきょうの意見陳述の中でも申し上げさせていただいたことではございますが、それが憲法、国家像をめぐる議論の基本的なエネルギーであるという状況は必ずしも健全ではないのだろうというように思うわけです。したがって、改憲の議論は、その生い立ちに対するフラストレーションよりは、将来日本がどのような国になるべきかということとセットで基本的には議論が整理される必要があるだろうというように思っております。そのような形で国民にも問題提起というものがなされることが望ましいというように思います。  ただ、もう一つだけ申し上げさせていただければ、その場合の国家像というのは非常に難しい問題だろうというように思います。私の個人的な観察では、やはり国家が伝統的に国民に対して果たしてきた役割というものはますます縮小する傾向にあるというのが今日の世界だろうと思います。これは決して国家を無意味にするという次元の話ではないわけですが、国家役割というものは大きな流れとしてはやはり縮小されていく、それだけ特定化されてくるということでもあろうと思います。そうすると、ますます増大をしておる市民社会との整合性の問題、これは国際社会全体のこれからの展開と密接に絡んでくる問題ですので、そういう意味では極めて高度にインターナショナルなとでも申しますかグローバルな視点を加味した国家像の議論というものが、これは単なる書生論ではなくて現実の問題として私は要請は非常に高いのだろうというように考えております。
  21. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) 私の申し上げた議論を整理しながらもう一回申し上げますと、いわゆる反米、反安保、反基地というかつての三題ばなしみたいなあれがあったんですけれども、そういう枠組みではなくて、米国との関係が今後も大事だという立場からこそ安保と基地の問題をきちっと方向づけしていくべきだというスタンスから一連の発言を続けているわけです。  御質問の、尖閣にもし中国軍事力を行使したらという議論に対してなんですけれども、まず、当然のことながら、そういう事態を避けるために予防外交面であらゆる多角的な努力を進めておかなきゃいけないということはもう当然の前提で、中国に対してやっぱり筋道を通していく必要がある。そのためにも、実は中国から見た日本アメリカ周辺国にしかすぎないという構図を、先ほどの話になりますけれども、きちっと見直していく必要があると。  したがって、例えば私自身、ここから先は御賛同いただけない方も多々あるかと思いますけれども、一つアメリカサイドで議論されているシミュレーションの中を泳ぎながら感ずることがあるんですけれども、例えば基地の見直しということについて正面からきちっと提起すると。今、日本に例えばアメリカの陸軍の兵力が二千人以上いると言われています。なぜ陸軍兵力が必要なのかということについては非常に疑問があります。  これは、よく日本に対する瓶のふた論というのがあって、アジアの期待を背負って日本に軍国主義の復活を抑えるためにアメリカの陸軍の兵力が駐留しているんだという説明が米国の秘密会議等々で議論されているというようなことも伝わってきております。ところが、日本人として例えばこの種の話というのは非常に疑問を感ずるわけで、例えば三沢、横田、岩国、横須賀、佐世保というそれぞれの基地のいわゆる目的を個別に主体的に積み上げて、たとえこれから五十年かかっても日本日本における外国の軍隊の基地を具体的かつ段階的に縮小していくことを目指すんだという意思を表明していなかったからですね。  国際社会でいろいろな会議に私は参加しているから感じますけれども、さっき大人だと思っている子供という表現をしましたけれども、要するに、今まで五十年、日米安保がいかに有効に機能したということを評価するにしても、この先五十年、この国に米軍基地が今のままあっても平気だという顔で発言している人が立派な発言者として認識されるかということについて正しく考えなきゃいけないというポイントです。  そういう中で、私は、とにかくまず段階的に基地を縮小していくという努力を開始する、地位協定を見直す、日本の主体性を回復していく。そういう中で、例えば緊急派遣軍的ないわゆる極東へのアメリカの派遣勢力、例えばさっき申し上げたグアム、ハワイの線まで引き下がったときに、これはミリタリーの人と議論しているとわかりますけれども、なぜアメリカは引き下がらないかといったら、ビューロクラットです。要するに、軍隊というのは自分の勢力が縮小されていくことに対する不安感と拒絶感というのは物すごく強いです。七割の駐留経費を負担してくれるような基地というのはアメリカにとっても日本しかないわけですから、日本に配置しておくということが非常にはっきり言って便利です。  そういうときに、そのプレッシャーを解除するシナリオ、例えばハワイ、グアムまで引き下がっても、東アジアで何か緊急事態が起こったときに展開してくる米国の緊急派遣軍のコストを共通のコストとして負担する。だから、駐日米軍経費のコスト六千五百億円を逃げるためにその問題を提起しているんじゃなくて、仮に六千五百億円が継続するにしても、国内に基地があるということはまずいんだということを段階的にきちっと意思表示していくなんというシナリオも十分にあり得るオプションだと僕は思っています。  したがって、つまりやわらかく設計する。私、「柔らかい総合安全保障論の試み」という論文を書いているんですけれども、その中で、要するにエネルギー、資源の総合安全保障まで含めてまさに総合的な設計図が問われているということを強調して、僕なりの具体的な案、例えば中国に対する、対中国外交の基本原則というのはどうあるべきかとか、いろんなことを議論しておりますけれども、要するにそういう中で、ある種の固定観念にはまった日米安保は大切と言っていればこの国は安定するというトラウマみたいなものから一歩ずつ踏み込んでいくことが必要ではないかというのが私が申し上げたいボトムラインです。  それからもう一つは、教科書問題ですけれども、これは先ほど申し上げたように、ある種の嫌米感、反米感みたいなねじれたナショナリズムみたいなものが今度はアジアに向かったときに、要するに自虐史観を拒否するという問題意識につながって、東京裁判史観とか自虐史観を否定しようとする国民歴史的な考え方でもって日本歴史というものを見直そうという人たちが、一群の人たちが力を得てきているというのも一つの最近の潮流かと思いますけれども、僕自身が日本近代史の二重性ということが物すごく重要で、というのは、この国自身が植民地にされてしまうかもしれないという緊迫感の中で開国し、近代化の中に走っていった。同時に、それが力をつけてくるにつれて過信になって、親しむアジアが侵すアジアの侵アに展開していってしまった悲しみみたいなものを我々は共有しているわけですよね。  そのことに対する我々の先輩たちの苦悩みたいなものを正しく伝えないと、おれは間違っていなかったとか、おれだけが悪かったんじゃない、イギリスの方がもっとひどいことをしたぞとかというような歴史観では、さっき申し上げた開かれたナショナリズムにならないというか、やはり反省と歴史を繰り返さないという、つまり東アジアにとっての脅威にならないというところでこの国の存在感というものを固めていかないと、この先、例えば統一韓国ができて、いわゆる朝鮮半島の台頭期みたいなものにも直面していかなきゃいけないということを考えたら、僕も大学院で教えているんですけれども、若い人たちほど過去の歴史的経緯を知らないから、朝鮮半島が核武装したら日本も核武装すべきだみたいなことが白昼堂々と語られてしまうような状況にあります。だから、そういうときにやはりこの教科書問題というのは非常に大事で、やはり日本近代史の二重性を正しく正面切ってプラスの部分もマイナスの部分もしっかり認識することを率直に語り出すということをしないとまずいんじゃないかと。  そういう意味で、私はいろいろなタイプの歴史観があってはいけないとは思いません。だけれども、やはりアジアの諸国に誤解や懸念を与えるような歴史観というものを開き直って展開していくということは、自虐も拒否したいと思いますけれども、傲慢さも制御しなきゃいけないというのが私が申し上げたいポイントです。
  22. 井上美代

    ○井上美代君 日本共産党の井上美代でございます。  参考人の三人の先生方の御報告をお聞きいたしまして、日本外交あり方の問題を改めて考えさせられております。  私は、寺島参考人にまず最初にお聞きしたいのですけれども、日本外交に関して河野外務大臣がことしの一月二十三日の内外情勢調査会で話をされております。東アジア外交を展望していくためには、自由、そして基本的人権、民主主義といった普遍的な価値あるいは市場経済という制度を共有するアメリカとの同盟関係が基軸であるということ、これは二十一世紀においても変わりはありませんと、このように述べ、そしてまた施政方針演説では、外務大臣は「日米同盟関係の強化に積極的なアメリカ新政権との間であらゆる問題について十分な政策対話を行ってまいります。」と、こういうふうに述べておられるんです。  私は、寺島参考人が中央公論の一月号で「「正義の経済学」ふたたび」というのを書いておられます。「新世紀日本再生の基軸」というふうに書いて出されております論文を読ませていただきました。その中で、「米国とを往復するジャンボジェット機の窓から北太平洋上の暗闇を見つめながら、何度となく私は「米国は正常なのか」という疑問を問い直した。」と、このように書いてあります。  その中で疑念が四つあるんですけれども、その第一の疑念に、失業率と貧困者の比率との関係というのを挙げておられて、もう一つの疑念は、巨大な経常収支赤字の累積を挙げておられます。河野外務大臣がアメリカとの同盟関係が基軸とする理由を、アメリカの自由と基本的人権、そして民主主義、これらを普遍的価値としていること、また経済市場経済という制度を共有するからと、こういうふうにおっしゃっているんですね。  それとの関係で、私は寺島参考人が実際にアメリカでこの十年ずっと仕事をされてきたということも読ませていただきましたけれども、そうした経験などから見て、河野外務大臣がおっしゃっておりますアメリカとの同盟関係が基軸ということや、それから普遍的な価値ですね。それから市場経済ということ、これらとの関連で日米関係についてさらに日本外交をどのようにしたらいいというふうに思われるのか、そこをぜひお聞きしたいと思います。  私自身は日本外交というのは、アメリカ外交偏重ではなく、アジア外交日本外交の中心に据えること、そしてアメリカに追従するのではなく自主独立の外交を貫くことが重要になっているのではないかというふうに私は強く思っております。  以上を寺島参考人にお聞きしたい。  そして、あと添谷参考人枝村参考人にお聞きしたい。  アジア諸国との外交はかつての日本の侵略戦争とそして植民地支配への反省を大前提にしなければならないというふうに考えます。今もお話がありましたように、歴史の教科書をめぐって中国だとか韓国からの強い批判が起きて外交問題にもなろうとしておりますけれども、添谷参考人は、調査室からいただきました資料の中の外交フォーラム、一九九七年臨時増刊号の中で、「「歴史問題」で中国と駆け引きを繰り広げてみても、日本に勝ち目はないし、日本外交戦略上利益はない。シンボル操作に対する日本の対応としては、侵略戦争の責任や戦争中の残虐行為に対して、歴史解釈の問題としてではなく、人道問題その他の問題として毅然とした態度で責任を果たすことが基本」と、こういうふうに述べられているわけです。  日本のアジア外交とかつての侵略戦争、そして植民地支配への反省、このことについての見解を改めてお二人の参考人にお聞きしたいと思います。  以上です。
  23. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) 建前の議論として、河野さんがおっしゃっているような民主主義市場経済というものを大事にしたという部分については、建前の議論としては私ももちろん異論はないです。ただし、そこから踏み込まなきゃいけないというのが私が申し上げたい非常に大きなポイントでして、いわゆる米国流の民主主義、米国流の市場経済というものが我々が金科玉条の基軸にしていくべきものなのかというとそれは違うというのが私の申し上げたい議論です。  米国流の民主主義ということについて、一つ僕は思い出す例があるんですけれども、マハティール首相がワシントンに乗り込んできたときに、PBECの総会で彼が講演をやって、アジアの価値ということについて話をしたことがあるんです。彼は何を言ったかというと、例えばいわゆる人権外交を大事にするアメリカ人の一人が貧しいアジアの国にやってきて、例えば十歳から十五歳ぐらいの少年たちが家族労働の一環として働かされている姿を見たら、これは人権侵害だといって学校に行かせろと言うだろうと。だけれども、貧しいアジアの国では家の仕事を手伝うということを通じて教育を受けているとも言えるんだと。したがって、そこからなんですけれども、これは笑い話としてお聞きいただきたいんですけれども、彼が、ちなみにアメリカで二十五歳過ぎてもMBAだ、PhDだという学校に通っている人たちがあふれているようだけれども、その人たちがまともな人間に育っているかと言って、満場二千人ぐらいの人の拍手を受けておりていったシーンを僕は思い出しますけれども、私は何が言いたいかというと、民主主義といっても、建前の議論はともかくとしてさまざまな内容をはらんでいるということですね。  僕は日本立場というのは、アジアが抱えている悲しみみたいなものも共有しながら、大きな流れとしてやっぱり人権だとか民主主義という流れをこの地域につくっていく力にならなきゃいけないということで、何も人権侵害しているアジアの国を守ろうとかという発想ではなくて、そういう意味で、ただし、アメリカが言っているような価値も価値観も極めて一面的な面だけが過剰に、いわゆるおせっかいな要するに理念性、つまりアメリカという国は御承知のように多民族国家ですから理念性が高くないと束ねられないんですね。だから、必ず民主主義市場主義を金科玉条の価値として人に強制したくてたまらない雰囲気の中を生きています。それに対して、その基本的に大事な部分は受容しながら、何も反発したり興奮したりするんじゃなくて、受容しながらしなやかに我々が立っているところをきちっとしていく必要があると。  例えば経済における市場主義についても、御引用いただいた私の論文で言いたかったのは、いわゆる九〇年代のアメリカの産業の状況というのは正気のさたじゃないよと。インターネットバブルに帰結したいわゆる金融肥大型のIT革命については私は非常に強い批判を持っていまして、日本がIT革命を進めるにしても、マネーゲーム国家として日本が生きていくべきなんじゃなくて、やはりこの国の健全な産業観ということからいえば、我々の先輩たちがつくってきたポイントというのは、物をつくる分野における、これは農林水産業から製造業を中核にして建設業に至るまで、我々の先輩たちの物をつくることに対する生まじめさで今日の産業国家をつくってきたわけで、いわゆる金融派生型商品なんていうものがITをてこにして物すごい勢いで肥大化してきたアメリカの九〇年代の状況というものに対してはやっぱり厳しい批評眼を持っていないと、アメリカ流のIT革命をこの国で推進していけばいいんだなんていう単純なものじゃないということをきちっと持っていなきゃいけないと。  したがって、おっしゃっているポイントはよくわかります。つまり、民主主義とか市場経済とかというものを大事にしていこうという建前の議論としては河野さんは何も間違ったことを言っておられるわけじゃない。だけれども、そこからなんです。我々が主体性を持って、その価値に対してアジアを共有しながらアメリカに対してもやっぱり語らなければならないことがあるということですね。つまり、日本立場の二重性というやつです。  これは日本が、さっき申し上げたように、七十五年間もアングロサクソン同盟で生きてきて、それを成功体験だと総括しているがためにアジアの中でも一種異様な存在になっています。そういうものに対してやっぱり二十一世紀に我々がどういう路線を選択していくのか。繰り返し申し上げますけれども、米国との関係を緊張させていけばいいなんていうことを言っているんじゃなくて、アメリカ人というのは、私も長いつき合いですけれども、自分思想、信条、理念を的確に持っている人間をこそ尊敬するといいますか、自分に無原則に追随してくる人間を尊敬するわけじゃないということを強く認識する必要があると僕は思っています。
  24. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) 歴史問題とアジア外交の点でございますが、私の拙稿に書かせていただいた以上のことは余り申し上げられませんけれども、改めてその要点を申し上げさせていただきますれば、まず幾つかの次元の整理が必要なんだろうというように思っております。  ただ、問題はそれぞれの次元がそれぞれに整合的に一つの構図に向かっていないというところに大枠としてはあるのかなというように思うわけです。例えば日本国内における戦後の歴史問題の取り扱い方、これはあえて言えば、私はそこに多元主義的な、民主主義的な一種のチェック・アンド・バランスが作用していたというように大枠としては申し上げてよろしいのではないかというように思います。したがいまして、歴史解釈の視点も多様であったということも申し上げられます。  ただ、そういった日本国内での歴史問題の取り扱い方が全体像として諸外国に理解をされているかといえば、決してそうではない。そのことがむしろ諸外国の、先ほども申し上げさせていただいたように、歴史から遠ざかれば遠ざかるほど一種のイデオロギーというものが日本においても諸外国においてもむしろ強固になってきているという展開の中で、日本国内における多元主義的な状況というものは全く歴史論争の構図の中に生きていないと。  そういう、これは私は人の力を超えた展開に既になってしまっていると思いますので、外交的にそれを解きほぐすことが可能だというようには必ずしも楽観はしておりませんけれども、そのような事態になり、結果的にいろいろな人がフラストレーションだけを募らせているという極めて不幸な状況になってしまっているというように思うわけです。  ただ、それを外交的に解きほぐす努力最大の責任をかつての加害者である日本が負うべきであるという点もまた別の重要な原点だろうと思います。そう見た場合に、日本の対応が果たして、そこまでこじれた、むしろ日本外交にとってはもう極めて本質的な、戦略的な意味合いすら持つ問題になってしまった歴史問題への対応があるかといえば残念ながらないというように申し上げざるを得ません。  それがどのような方向性での対応が可能なのかというのは、先ほど申し上げた構図自体の複雑さゆえに大問題ではあるわけですが、やはり原点は、日本が特に三〇年代以降とった行動というものはもう理屈抜きの軍事侵略であったという点で我々が揺るぎを見せないということ。それから、極めて非人道的な行為も、戦争だという大枠では必ずしもくくり切れない次元の問題として我々は認識しなければいけない。それはあくまで出発点に我々はせざるを得ないと思います。あれを侵略と呼ばなかったら国際社会から侵略戦争はなくなってしまうわけです。  そこの原点を踏み外さずに、その外延に位置する民主主義的な多様性というものをやはり我々としてはそれも訴え続けなければいけないわけですから、そこのバランスを整合的にとる対応というものが戦略的に必要な課題だろうというように私は思っておりまして、その意味では、例えば中国日本に対する現在の歴史問題の取り上げ方、これに同じ次元で我々が勝負を挑んでも勝ち目はないと思いますし、そこで勝とうとする発想自体に意味があるとも思いませんので、やはり大枠の歴史問題がいかに我々の根本的な足かせになっているかということを我々自身がもっと自覚をして、それに対する外交的戦略的対応を日本がとるべき時期はもう私はとっくに過ぎていると思いますので、これはまさにもうきょうにでも始めなければいけない課題だろうと、そういう意識を我々がまず持つということがそもそもの出発点になるだろうというように思っております。
  25. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) アジアの国に対して侵略と植民地支配の反省を大前提として外交の基軸に据えるべきじゃないかというお話でございますが、私の感覚からいたしますと、もう少し自然体でよろしいんじゃないかという気がいたします。  これは、国際政治の力学といいますか、やや感情を抜きにして分析してみますと、やはりそういう日本の侵略主義、その結果自分たちはこういう状況にあるんだということを強調しないといけない状況にある国というのがあると思います。それは、例えば私インドネシアに大使でおりましたけれども、やはり彼らにすればオランダを日本が追っ払ってそれによって自分たちが独立をしたというのでは、これはやはり立派な歴史にならないわけですね。その上で、インドネシアというあれだけの多民族国家でございますから、民族としてのアイデンティティーというものを確立することが必要なんですね。  そうしますと、単に日本とオランダの戦争の結果ということじゃなしに、むしろ自分たちも最初の日本が来たときには解放軍として歓迎したけれども、最後には日本とも抵抗したんだと、またその後にオランダとの戦争があった、こういうふうなことでございまして、そのことが例えば歴史の教科書などにもうたわれているわけでありますけれども、だんだんそういうことを例えば日本に対して言う必要がなくなってくる、それは自分の国のアイデンティティーが確立すればそういうことを言う必要がなくなってくるんですね。もはや別のところでインドネシアはインドネシアとしての国家の基本というものが育ってくる。私は、タイについても似たようなことが言えると思うんです。  そういう、だれかを敵にし、だれかを常に相手として意識させることによって自国の統治に役立てていくと、こういう力学というものも働いているのが国際政治の現実でございまして、その後、例えば韓国にしても自分の国が十分成長し日本とも拮抗するような例えば鉄鋼でありますとかそういう面での生産力を持ち、自信を持ってきた時期というときにおきましては、日本に対する問題というものもいわば超克されてくるというところがあると思います。  したがいまして、もちろん日本として反省すべき点、決して歴史について傲慢になってはいけないと思いますけれども、私はそういう国際政治における力学というものから考えますと、日本はむしろそういう国々が自分の現在のあり方について自信を持つ、そして今度はまた日本自身がまさにミネルバのフクロウはたそがれに飛ぶのでありまして、歴史の中において尊敬される国になればおのずからそういうものも超克されていくと思うんです。  したがって、私はむしろ今、余りにこの世代で歴史を書き直しておかなければ大変なことになるというふうな危機感を持つ人々に対しては同調するものではありませんけれども、またいたずらに何事の前提にも侵略の事実を持っていかないといけない、私はそんなことは感じずに、インドネシアの大使で参りましたときには、日本大使として誇りを持ってそういうものを超克して新しい関係を結びたいと思って努めてまいりました。  むしろ、私はそういう外国との関係よりも日本国民との関係を清算してもらいたいと、そういうことを言う人たちが実は昭和の初期から戦争に至るまで国内で何をしたのか、自国民を自由の抑圧をし、全体主義に導いていった非常に非合理な教育をやった、そういうことへの反省をも含めて、踏まえて自国の史観というものを考えてもらいたいと、そういうふうに思っております。
  26. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  次に、島袋宗康先生にお願いいたしますが、まだ八名の方が残っていらっしゃいますので、恐れ入りますが一問ずつにしていただかないともう六時ごろになってしまいますので、ひとつ先生方協力お願いします。  では、島袋先生どうぞ。
  27. 島袋宗康

    ○島袋宗康君 大変御苦労さまでございます。二院クラブ・自由連合の島袋宗康です。  一点、添谷参考人にちょっとお伺いしておきたいと思いますけれども、添谷参考人は朝日新聞の「論壇」の中でミドルパワーとしての日本ということを強調しておりますけれども、その中で日米安保を基盤とした国際政治における日本の主体性は高まると言っておりますけれども、それはどのようなお考えでありますか。また、将来の日米安保の再構築とはどのような方向性を志向すればいいのかというふうなことでお考えがあればお示しいただきたいと。    〔会長退席、理事山本一太君着席〕  それから一点、ちょっと短くやりますのでよろしくお願いします。  先ほど寺島参考人、独立国に外国の軍隊が長期的に駐留することは不自然だということをおっしゃいましたけれども、そのこととのかかわりで、私、沖縄出身でもありますので非常にこれは大きな、おっしゃるとおりだというふうに感じを持っております。  そこで、米国がみずから世界戦略と国民世論の支持の枠内でしか守れないと。これは、例えば沖縄の尖閣諸島、これは実は尖閣諸島は一部沖縄の地番が付されているわけですよ。ところが、日本に復帰することによって中国がそこに領土を、主権を主張して、まだ未解決のままにあると。それはいわゆる米軍の、当時はアメリカの射爆場として個人に賃貸料を払って使用していたわけです。ですから、当然アメリカの支配のころは日本の一部としてアメリカが認めていたから賃貸料を払ってきたんですけれども、復帰と同時にそれがなくなったという点では、どうもその辺はアメリカ軍事戦略といいますか、あるいはまた先ほど瓶のふたなんとか、いろいろありましたけれども、要するに先生がおっしゃったように、国民世論の支持がなければ守らないというふうなことからすると、どうも尖閣諸島もそういうふうなことで紛争地域に介入しないというふうなことからすると、日本は守れないんじゃないかというふうな、私も考え方、同感なんですけれども、その辺について御指摘いただきたいというふうに思います。
  28. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) これも先ほどのお答えで申し上げた当面の局面と先の問題という二つあるわけですが、私が日米安保を基盤として確立せよというのは当面の問題でございます。それをしないと先がないだろうというのがその話の前提でございまして、当面の問題として日米安保を基盤とするということは、先ほども申し上げましたけれども、一つの言い方で言えば、国連憲章上認められている機能はきちんと果たせるような日本を前提とした日米関係の構築というようなイメージになります。  それができた上での将来の再構築の問題というのが次の局面ということになるわけですが、そこにはやはり多様なシナリオがあるんだろうと思います。そのシナリオは地域情勢によって決定的に影響を受けますし、また、何度か強調されておりますように、本質的に一国主義的なアメリカがどのような政策を国内事情から打ち出してくるのかということにもかなり決定的に左右されることになると思います。  ただ、ここで一点だけ話の前提として確認をしておきたいのは、最初に私の話のオープニングのところで申し上げましたように、いろいろな事件が起きるたびにアメリカ日米安保を非常に重視しているということがよくわかるということを申し上げました。今回の潜水艦事件でもそれが如実に示されたわけです。  ただ、なぜアメリカ日米安保をあれだけ重視しているかといえば、日本を守りたいから重視しているのではなくて、アメリカのアジア戦略、それから中東を含めた戦略、それからひいて言えば世界戦略の中でアメリカ日米安保を手放せないというところが核心なんだろうと思うんですね。したがいまして、何度か出ております例えば尖閣諸島を守るかどうかという問題は、アメリカ日本を守るという名目だけでは、私も寺島参考人と同意見、つまり守らないであろうと思います。  ただ、日米安保を守るために尖閣を守るということは十分にあり得るわけでして、最近アメリカ政府が、これはアーミテージ・レポートもそうですが、尖閣は守るんだと断言しているのは日米安保を守るんだということと私は全くイコールだと思います。つまり、それだけアメリカが深い価値を見出している日米安保を日本が逆に主体的に利用しない手はないということをつくづく感じます。それを利用するというのは、アメリカを出ていけということでは必ずしもなくて、アメリカの大きな戦略体系の中で、残念ですが、日本としてはサブであるという大前提を踏まえた上での主体性の確保というのが当面の課題であろうというように思わざるを得ないわけです。  その主体性が確保されると、将来の展開としては先ほど言いましたようないろんなシナリオがございまして、その中で、例えば朝鮮半島が平和裏に統一をされれば恐らく沖縄の海兵隊というものはかなり縮小されることは間違いないというように思います。また、それも中国情勢その他によるわけですけれども、大きな流れとしてはそうなるであろうと。  そうすると、残念ながら申し上げざるを得ないのは、恐らく第七艦隊はアメリカは最後まで手放さないだろうと思うんです。これは、日本側の議論としても、アメリカの第七艦隊を引き続き維持するという展開というものは本質論としてずっと残るだろうというように私は思っております。  そのときに、例えばお隣の朝鮮半島では韓国の金大中大統領が盛んに議論しておりますが、朝鮮半島が統一しても米軍は必要だということを言っております。その最大の理由は、朝鮮半島をめぐる伝統的な大国間のライバル関係が復活をすることを防ぐんだということです。そこで、よく日中の朝鮮半島をめぐるライバル意識ということを盛んに韓国の人は韓国の常識として言うわけです。  私は、ここで、やや将来の問題として懸念をしているのは、米軍のプレゼンスが、形は重要な意味で変わったにせよ、引き続き必要だということを例えば韓国が言い日本が言うという状況の中で、その論理がすれ違っているということは、このアジアの地域秩序の観点からして私は重大な問題なんだろうというように思っているわけです。  そこで、例えば日本と韓国との間で朝鮮統一をにらんだ米軍プレゼンスに関する真剣な話し合いというのはもう既に始めていいだろうと。そのときにどのような姿でアメリカに対して日本と韓国、朝鮮統一が向かうのかというのは、まさに日米安保の再構築のかなり本質的な問題に私はなるんだろうというように思っております。  その結果として、先ほど申し上げましたような沖縄からの海兵隊の撤退、それから在日米軍の本質的な再編成というのは論理的には十分に起き得るシナリオであって、そのシナリオが起きたときに我々がいかに主体的に関与をし、我々の利益を反映した新しい再構築の状況に貢献ができるのかというのは極めて重要な将来の問題で、最悪のシナリオというものは、なすがままにアメリカ主導でその秩序がつくられてしまって、日本は依然としてサブの役割を担わされるというのは最悪のシナリオだと思います。    〔理事山本一太君退席、会長着席〕  ただ、これは何度も繰り返しですけれども、当面の問題を整理した後の先の問題としてそういう展開を考えたいと。「論壇」の議論の最後に再構築の展望が開けるということを申し上げさせていただいたのは、そのようなことを頭に置いてのことでありました。
  29. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) アメリカという国は国益概念というものを極めて明快にして外交議論を常に踏み固めています、例えば東アジアに覇権国家をつくらないとかですね。  例えば、それに対して日本というのは、この国の国益というのは一体何なんだろうかということがぼんやりしたような状態でみんなが外交議論しているような部分がある。そういう中で今問われているのはその戦略意思で、おっしゃっている尖閣についても、守るかもしれないし守らないかもしれないというのが正しいと思うんですね。それ自体、日本にとっては非常に不安をかき立てるわけですから、アメリカが無責任にならないようにエンゲージしていく。つまり、関与させていくところへやっぱり戦略意思を持って引っ張っていかなきゃいけない、日米安保というスキームがある以上はですね。  そういう中で私たちが考えておかなきゃいけないのは、受け身でお任せしていればいつでも助けに来てくれるような存在ではないということだけは確かなんです。主体的にかかわっていかなきゃいけない。状況は複雑だと。尖閣だけじゃないですね、竹島問題だってそうです。アメリカにとって同盟国の日本アメリカにとって同盟国の韓国との間の領土問題に対して、例えば仮にそれが国境紛争になったときに、米軍が日本のために自分たちの血を流して戦ってくれるなんという議論は全くナンセンスだということはもう一目瞭然なわけですけれども、状況は複雑なんですね。  複雑だということさえ考えずに、アメリカとの同盟関係にもたれかかっていればこの国の安保の議論は一安心というふうになれてしまっているところが怖いというか、要するに頭を物すごく使って、しなやかに戦略的に、米国との同盟関係を大事にしながら東アジアでとにかく紛争を起こさないように、新しい脅威に日本自身もならないようにというところで制動していかなきゃいけないわけで、このゲームはそういう強い意思を持つことだということを申し上げたいですね。
  30. 佐々木知子

    佐々木知子君 ありがとうございます。自民党の佐々木知子です。  議事進行に貢献するために、残念ですけれども、本当に一件だけお聞きいたします。  枝村参考人なんですが、御講演の中で「日本あり方に自信を持って、それを外国に発信するということがいちばん不得手」だということを元外交官の方自身がお認めになっていて、やっぱりという感じもしたんですけれども、アジアの視点というんですか、日本の視点をもっとアピールするというかメッセージを送るということは本当に大事なことで、先生御自身も知足の思想というんですか、知をもって足りるというのをこれから大事だということもおっしゃっています。こういうようなことを含めて、日本あり方というのか、そういうのをどういうふうにしてもっとメッセージを送れるかということ、同僚議員からもちょっと何かあったようですけれども、もしそのいい案がありましたら御教示願いたいんですけれども。
  31. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 私は外交の責任だけじゃないと思うんですね。やはり基本的には日本の教育の問題があると思います、これはまた責任転嫁ではありませんけれども。  やはり、欧米の先進国では高等教育にGNPの一%以上を使っているんですね。日本は〇・四%なんです。かつまた、その年限からいっても、今の四年間の高等教育というのはこれはもう国際的に明らかに足りないんですよ。国際公務員だって必ず修士を要求します。そういうことからして、お医者さんだけはかなり長い年限、しかもインターンシップがあってさらに訓練。  それでもう一つ、私も京都大学の大学院でちょっと教えたことがありますけれども、やはり博士課程をやる人と、それから修士課程だけで終わる人、これをやはり厳格に分けて、修士課程終わる人は実学を教えるべきですね。そういうふうなことであれば、おのずから物を考える人、それからそういう教育において、やはり今の、例えば外国人の学生であれば、私も先日早稲田でインドネシアからギナンジャールという前の大臣が来てシンポジウムをやっているのを見ましたけれども、どんどん出ていくんですね。それで、インターネットを使って、プロジェクターを使って自己主張をやっていくと。  だから、何かそういう教育自体の問題、その根っこにはやはり農耕民族の伝統といいますか、言わず語らずしてお互い理解し合う、これは非常にいいことなんです。いいことなんではありますけれども、やはりそういったことがありますだけに、私は高等教育というものと、それからもう一つは語学教育は逆にうんと若いとき。これは日本語の音素、サウンドエレメンツというのは百五十から二百しかないんですね。ところが、英語というのは数千あるわけですから、英語が今や共通語になっているという現実を見ますと、これはもううんと子供のときから英語をやらないといけない。  その教育の一番上と一番下とでやはりやり直してもらわないと、国際発信力、それは結局、上の方では自分で考え、自分で青臭くてもいいから自分意見を言うというくせをつけること、下の方ではもうばかみたいに音をきちっと覚える、耳から覚えること、この二つのことが必要じゃないかと思っております。
  32. 本田良一

    本田良一君 どうも済みません。これは理事が言うことでしょうけれども、委員長に。  委員長、こういう場合、委員会というのは一般の委員で成り立っておるわけですから、理事に当てることよりも先にそれぞれの委員に当てていただいて、ずっと今までの委員会は理事から始まっていますので。  以上です。  それでは一つだけ、幾つもありましたのですけれども、寺島参考人に。  これは、アメリカ政策はクリントンもブッシュも変わりなかったわけですが、アメリカ一つの大きな基本的な自由市場経済ですね、これはそうですけれども。特に、ブッシュがちょうど大統領選挙に出馬をして間もなくアメリカ国民にメッセージを送った内容ですけれども、その中で、自由市場経済をあくまでも進めていく、その恩恵を最も受けるのはアメリカ国民であるということをはっきりと言っておりますね。そうした場合に、先ほどの中国のことですけれども、確かに人口からいろいろ分析をされて申されました。そうしたときに、確かにアメリカ中国ソ連のように崩壊して自由市場経済体制にちゃんとなるように望んでいると思いますね。  ところが一方、日本を考えてみますと、これはきのうふと思ったんですけれども、このまま中国を今の体制で置いておいた方が日本には無難じゃないかと。アメリカは自由市場経済体制中国にロシアのように崩壊をさせて望んでいると思いますが、日本にとって、本当に自由市場経済体制中国がなったとしたときに、人口も、ましてやインターネットも使いこなせる中国になっていると。そうしたときに、もう一気にアジアでは中国経済政治軍事も握ってしまう、最も困るのは日本ではないかなと、そういうことを考えておりますが、いかがでしょうか。
  33. 寺島実郎

    参考人寺島実郎君) 中国については、政治的にはいわゆる共産党一党支配というやつを続け、経済システムについては社会主義的市場経済という、明らかに語義矛盾みたいな言葉なんですけれども、社会主義的市場経済を懸命に制御しながらやっている。ただし、国境を越えてインターネット的な情報もどっと入っていますし、それが上海なんかから大きく変わってきていますけれども。  実際に、政治体制を変えないのかなとか、あるいは、いわゆる成長率格差の国内の問題だとかを懸念する人たちは、やはり一つの国にまとまっていくのは至難なんじゃないかという議論をする人もなかなかたくさん存在するのはわかっているんですけれども、この国が物すごい強烈な力をつけてくるのも今おっしゃったように日本にとっては悩み、同時に、ばらばらになって混迷を深めていくのもまた日本にとってはこれは悩みと。非常に悩ましい存在として、やはりこの二十一世紀中国との対応というものをしていかなきゃいけないと思うんですね。  我々が今中国について考えておくべきことは、やっぱりこの国を国際社会の建設的な参画者にしていくと。孤立させたり、いわゆる危険な要素を発散するような国ではない国に段階的になっていってもらうということがやはり日本にとっては一番戦略的であり、妥当性が高いですね。したがって、WTOへの加盟だとか、あるいは多国間のいろんなスキームに中国を招き入れていくということが非常に重要だと思うんですね。事実、そういう方向へ段階的に中国も僕はさま変わりしてきていると思うので、いわゆる開かれた中国ということになっていくだろうと。  そうなってくると、最近よく国際社会で言われる冗談では、共産党象徴天皇制論というのがありまして、要するに共産党一党支配という名目は残しながら、実態的には次第次第に中国流の民主化みたいなものが進んでいくような流れというものが出てくるんじゃないかということさえ言う人もいます。いずれにしましても、中国というものをやっぱり責任ある参画者にしていくのが重要だと。  ところがその一方、一言だけつけ加えさせていただくと、今国際社会最大の悩みは米国のいわゆる孤立主義といいますか、むしろ内向する米国の方が悩みだと言われてきているんですね。という意味は、自国利害中心主義といいますか、要するにCTBTの批准拒否というのを議会がやりましたね。あれは、ウッドロー・ウィルソンが国際連盟をみずから提案しながらアメリカ自身が入らなかったとき以来の出来事だという評価があるわけですけれども、いずれにしてもアメリカ自身が、WTOに対するスタンスもそうですし、非常に自国利害中心主義に走っています。そういうときに、アメリカをも国際社会の建設的な参画者としてエンゲージさせていくこと、中国じゃなくて、それが大切だというジョークが語られるぐらい、いわゆるアメリカの内向というのは悩ましい局面に僕は入っていると思います。  そういう中で、日本役割というのは、やはり中国アメリカ等をにらみながら、その両方のところに挟まれてこの国が存在感を高めていかなきゃいけないわけですから、一層のこと、両国に対する国際社会への責任ある関与というものを求めていくからには、先ほどから繰り返しているように、みずからのやはり責任なり方向感覚というのが物すごく重要になってくると、こういう認識でおります。
  34. 畑恵

    ○畑恵君 お時間も四時半に迫ろうとしている中、恐縮でございます、一点だけ枝村参考人の方にお話を伺いたいと思っております。  先般、財団法人日本外交フォーラムというところが主催しております海洋国家セミナーという勉強会の中で日本論のようなものを何人かの方々と検討させていただいたんですけれども、そうした中で一つ浮かび上がってきた日本の、枝村先生のお言葉で言えば価値観といいましょうかアイデンティティーといいましょうか、日本らしさというもので揺らぎというキーワードが慶応大学の石井威望先生の方から出されまして、私自身もこの揺らぎというのは非常に象徴的な言葉だなと。  石井威望先生は、この揺らぎを吸収してしまうシステム、修正して吸収するシステム日本が持ち合わせているのでiモードというものが日本で生まれたというようなお話をなさっていたんですけれども、私自身もこの揺らぎという話を聞いて、一番は日本の憲法を最初に思い浮かべまして、これだけ条文と現実が乖離をしているのにかくも拡大解釈をして揺らぎを吸収してしまうというのは、考えてみれば大したシステム、大した国だな、日本はという、そういう逆説的な見方もできるのではないかというような認識をその会でさせていただきました。  どうしてもこの揺らぎという面は、先進国価値観というのは西洋的な価値観でございますので、論旨を一貫させるというよりも、和をもってたっとしとなす型の揺らぎの理論というのはあたかも悪であるかのような、そういう価値形成というのがされていて、日本自身もそうやって思ってしまいがちなところがある。ですから直さなければいけないと思いがちですけれども、しょせん日本日本である以上は、これは日本人が否定してはいけないことではないか、むしろこれを一つのチャームだったり、先ほど先生がおっしゃったような後発国立場に立った開発論などに生かすべきではないかと思うんです。  そこまでは私ぐらいの頭でも何とか考えるんですけれども、じゃ具体的にどうしたらいいかということになるとなかなか案が出ませんで、もしそういう視点でお考えがありましたら教えていただけると幸いでございます。
  35. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) 大変、まさに日本の抱えている問題がそこだと思うんですね。  日本のよさというのは、まさに揺らぎというような言葉でもあらわせる言葉、感覚、あるいはさび、わび、その他いろいろあるんですね。しかし、それを人に伝えようとすると、途端に余りに脆弱なもの、余りに微妙なもので、玄妙といいますか、これは非常に伝えにくい。そうすると、どうしてもこれを力にする発信力というのは、私が先ほど申し上げたように、人を場合によれば折伏するぐらいの意気込み、力、これはまさに精神的な活力というものを持っていないとだめなんですね。ところが、日本の我々がたっとしとするものというのは、しばしば非常に玄妙といいますか脆弱である。ですから、私は、まさにこれは衆知を募って理論化体系化しないと力にならない。  そして、実はそういった、先ほど、「限界を超えて」を引用した中で申し上げましたように、明らかにそれが地球の自浄能力を超えた発展、成長というものがあるいは行われつつあるんじゃないか。限界をもう既に超えているという意味でございますから、価値観の転換を図る、そのときに何かそういう日本的なよさというものが役に立たないだろうかと。それは既に比較文明学というようなことで文化人類学の先生方はいろいろ議論もしておられますし、あるいは「開発文化」というようなことでシリーズの本が出ているように、いろんな問題を考えている人がいるんですね。  ところが、先ほどもあるいは申し上げたかと思いますけれども、日本の場合、そういうある学問の世界、その中に閉じこもらないで、いろんな領域の方々が知恵を寄せ合って、そして議論していただいて、何とか体系化に努めていただくということが私の希望でございます。  私もきちっとしたお答えはございません。
  36. 畑恵

    ○畑恵君 ありがとうございました。
  37. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  あと、亀井先生、緒方先生、広中先生、沢先生、四名の方が残っていらっしゃいますが、お三方はそれではおりるということでおりていただきまして、緒方先生だけ質問したいということでございますから、どうぞ。
  38. 緒方靖夫

    ○緒方靖夫君 三十秒で。添谷先生にお伺いいたします。  日本外交どうあるべきかという点で、外交の軸足をアジアに置くということが私は非常に大事かなと思うんです。その点で、私アジアを回ったりして、アジア的価値観ということがいろいろ言われている。これはあいまいとした概念ですけれども、同時にこれはアジアとしてのアイデンティティーということだと思うんです。その点で、日本外交の順番ということになると、アメリカ、サミット参加国、そしてアジアというのは何番目になるかよくわからないという状況がありますけれども、その点で、アジアに軸足を置いた外交という点で、先生の御提言あるいはお考えを伺いたいと思います。
  39. 添谷芳秀

    参考人添谷芳秀君) また大きなテーマで、簡潔に申し上げると恐らくまた食い足りないような答えになってしまうのかもしれないんですけれども。  私は、明治以降日本を悩ませてきた東西の二元論的な状況、これは歴史の経過とともに姿を変えているわけですけれども、本質的には日本にずっと残るんだろうと思います。アジアにおいて真っ先に西洋化、近代化をしたという国の歴史というものは、やはり本質的なインパクトを日本に与えたし、これからも与え続けるだろうというように思います。  したがって、これは理想論といいますか、かなり概念的な議論ですけれども、アジアとそれから西洋といいますか、日本外交テーマでいえば、アメリカの関係とアジアの関係をどのように両立させるのかというのは、これは二者択一の問題ではなくて、いかに整合性を持たせるのかということに最終的にはやはり行き着くんだろうというように思うわけです。そのこと自体は、議論としては簡単なんですが、実際の政策でそれを形にしていくということは、実はさまざまな世論感情、それからアジア側からの働きかけ、あるいは我々のアメリカへの感じ方等複雑に絡まっていて必ずしも整合的な政策がとれないわけですけれども、やはり発想としてはいかに整合させていくのかということがやはり基本的な発想になるだろうというように思います。  私のフレームワークで言わせていただければ、アメリカとの関係は私はごく基本的なところで揺らぎを見せないということが大事であって、それができればアジア外交の水平、地平線というものは私はかなり広がるんだろうという、そのように考えております。  したがって、従来のパターンですと、アジアにおいて日本が何か意欲を示したときにアメリカ側からぴしゃっとやられるということがあったわけです。その図式を抜け出すことは私は日本にとって極めて重要だと思います。それは決してアメリカを否定することによって成立することではなくて、むしろ、やや逆説的に聞こえるかもしれませんが、くどいようですけれども、アメリカとの安保関係の本質で揺らぎを見せないという我々側の制度整備ができて、次の問題としてアジアの我々の主体的な多角外交というものの、その可能性は格段と高まるという、そのように私自身は考えております。
  40. 枝村純郎

    参考人枝村純郎君) じゃ、お許しを得まして、私、実は日ロ関係といいますか、対ロ交渉についてお話ししたいと思いながら、時間の制約もありましてそれに触れられませんでした。  ただ、お手元に大変重要な資料をお配りしてございます。これは、一つは「日露関係に関する東京宣言」と、それから最近プーチン大統領がおいでになりましたときの「平和条約問題に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の声明」ということでございます。  現在の日ロ間の交渉で、一つ日本側の交渉態度に若干の乱れというか、よく国民に理解されない点があるとすれば、交渉の原点をどこに置くかということだと思うんです。私どもは、一九九三年に合意されました東京宣言というもの、これにいろいろ今後の四島全体についての交渉の原則、どういう基準にのっとってやるべきかということがうたってございます。これは交渉の基盤に据えるべきであるというふうに私としては感じているものでございます。  それで、その東京宣言の中で大変重要な文書に言及されておるのでありますけれども、それが「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」というもので、これは日本国とロシア連邦外務省が共同でつくった資料なのでございます。この存在はぜひ先生方の念頭に常に置いておいていただきたいと思うのでありまして、これは非常にいいことが書かれているのであります。しかも、それが日本とロシアが合意してつくったのでございます。もう深くは申し上げませんが、「序文」の中の第二パラグラフ、「序文」、それだけでもちょっとごらんいただきたいのでありますけれども、そこにはこういうふうに書いてございます。  「クリル諸島への日本人の進出が南から、ロシア人の進出が北から行われた結果、一九世紀半ばまでに択捉島とウルップ島との間に日露の国境線が形成された。一八五五年二月七日付けの日魯通好条約」、これは下田条約でございますが、「この国境線が法的に画定され、択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島は日本領、ウルップ島以北の諸島はロシア領として平和裡に確定した。」、こういうことでございます。  つまり、その東京宣言の中で、東京宣言というのはしばしば単純化されておりまして、法と正義の原則に基づいて問題を解決するということなんだというふうに新聞では簡単に言っておりますけれども、実はそれだけじゃなくて、「この問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決」、これが準則でございます。  その中の「歴史的・法的事実に立脚し、」ということからしますと、この同じ宣言の中に含まれている、言及されておりますこの共同作成資料集、これが非常な重要性を持ってくるわけです。  それで、その歴史的な事実としての共通の認識というのは、つまりこの序文にありますように、「ロシア領として平和裡に確定した。」と、この歴史的事実というものが非常な重さを持ってくるわけでございまして、そのことについて、ぜひ国政を預かられる諸先生方に十分御認識をいただきたい。  それでまた、この中には、例えば目次で六つ目になるわけでございますが、「ニコライ一世のプチャーチン提督宛訓令」というようなものがある。これは通商上の利益が大切なんだから、択捉は関心がないと、得撫からこっちをとればいいというようなことがきちっともう向こうの交渉態度として出ている。そういうのがわざわざ日ロ両国の合意した文書の中に取り入れられているということがまたこれは大変重要なことなんですね。  ですから、こういう立派なものがエリツィン時代の終わりにきちっとできているわけでございまして、そういうことをぜひ御認識いただきたい。  このことは、私、申し上げたいと思いながら申し上げる機会がなかったものでございますので、会長のお許しを得まして、大変時間をちょうだいして申しわけないのでございますけれども、ちょっと御紹介しておくわけでございます。どうも申しわけございませんでした。
  41. 関谷勝嗣

    会長関谷勝嗣君) ありがとうございました。  本日の質疑はこれで終わりたいと思います。  一言ごあいさつを申し上げます。  参考人におかれましては、長時間にわたりまして大変貴重な御意見をお述べいただき、おかげさまで大変有意義な質疑を行うことができました。  参考人のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日のお礼とさせていただきます。本当にありがとうございました。(拍手)  本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十二分散会