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参考人(
諸井虔君)
太平洋セメントの
諸井でございます。
私は、どうも学生のころから
法律が大変苦手でございまして、また
地方分権委員会でも
憲法との絡みについては今までほとんど
議論をしたことがございませんでしたので、きょうはどういう
お話をしたらいいかちょっとちゅうちょをしておったんでございますが、
事務局の方から、とにかく個人的な見解でいいから率直に述べてみろというふうな
お話をいただきましたものですから、恐る恐る参上した次第でございます。
国民主権ということでございますが、今の
日本の
憲法は確かに非常に高らかに
国民主権をうたっておりまして、さらにその
国民の
代表たる
国会というものを国の
最高の
機関として位置づけて、そしてその
国会が
総理大臣を選び、
総理が閣僚を選んでそれで
内閣ができる、
内閣が
連帯して
国会に対して
行政の
責任を負っているという、そういう形をとっているわけでありますから、形の上ではまさに
国民主権ということなんであろうかと思います。
それから、私は
分権の方をやっておりますので、
地方自治の方の問題でございますけれども、これは九十二条から九十五条にかけて
地方公共団体の問題について
規定をしておりまして、それで
地方公共団体の組織の問題とか
運営の問題については、これはその
法律で
地方自治の本則にのっとって
決めていかなくちゃいかぬ。要するに、勝手に各省が命令を出したりして
決めるというようなことではいかぬというふうに
規定をしておるわけであります。また、
地方の
公共団体には
議会を置いて、その
議員は
住民の
選挙で選ぶと、首長も
住民の
選挙で選ぶという形をとっておりまして、いわゆる
住民自治という形になっておるわけであります。それから、この財産の
処理とか
行政の問題について、この
地方公共団体の機能ができる形になっておりまして、
法律の範囲であればみずから
条例をつくってやっていいということになっているわけであります。
そういう面を見ますと、
国民主権と同時に
地方自治というものを明確に考えている。
明治憲法には
地方自治に関する、あるいは
地方公共団体に関する記述はないわけでありますから、そういうものを志向したものであるということは、これは非常にはっきりしていると思います。
しかし、現実の今までの
日本の国の
運営はどうであったかという点を考えてみますと、これは私は
行革の
関係とか、あるいは
地方分権の
関係とかずっとやってまいりまして非常に痛感をしてきたことでありますけれども、実質的にはやはり
行政が主導しておる。そして、各
中央の
省庁が
分担管理をして、そしてまた
省庁にまたがる問題については
省庁間調整を行って、
省庁間調整で
結論が出れば
政策なり
方針が決まっていくというような形で
運営されてきたということはどうも否めないのではないかという
感じがするわけでございます。
それで、
一体、
憲法ではっきり
国民主権をうたい、
国会が
国民の
代表として
最高の地位を与えられているにもかかわらず、どうしてこういうことになっているのかなというので疑問に思ったわけでございますけれども、結局、
内閣が
連帯をして
国会に対して
行政の
責任を負うと。
連帯をしておるということは、
閣議が常に
全員一致でなきゃならないと。もし
閣議が
全員一致でないと、これは
連帯していないということになって、結局
総理大臣の
責任問題になってくる、政局問題になってくるというふうなことが言われて、それで結局は各
省庁間の
調整ができていない問題、どこかの
役所が
反対をしている問題というものがあれば、それは
閣議において担当の
大臣が賛成できない、
反対をするということになる。そうすると、
内閣の
一致の原則が崩れてしまうというような形で
次官会議にかからないものは
閣議にかけないと、
省庁間調整が終わらぬものは
次官会議にかけないという形で実質的に運用をされてまいりましたから、結果としては
行政主導の形、
分担管理、
省庁間調整の形で国が
運営されてきたというふうに思うわけであります。
我々も
地方分権なんかやってまいりまして、あるいは
行革会議等いろいろやってまいりまして、物を動かしていく、あるいは
法律を変えていくというときに、やはり担当する、
関係する
省庁というものの
合意をきちんと得ていかないと実質的に事が運んでいかない。また、
省庁の
合意を得るということはそう簡単なことではなくて、各
省庁、やはりそれぞれ
自分の
権限とかあるいは
自分の
分担管理している
部分についての
政策の
考え方というものについては、はっきりした
考え方を持っておる。あるいは先輩からずっと引き続いて持ってきている慣習なり前例なりあるいは
責任なりというものをしょっているというような形で、なかなか物を変えるということが難しいということを痛感してきたわけであります。
しかし、こういうことが実際には恐らく三十数年にわたってまかり通ってきたと思うんですが、それはそのやり方についてやはり
国民の支持があったということは言えるのではないかと思います。要するに、
日本がいわば
発展途上段階にあって、それで
先進国に追いつき追い越せということで
先進国を目指して一生懸命
経済成長を果たしておったそういう時期には、かえって
行政が
中央集権型で
省庁間調整でお互いに
責任を分担してやっていくという形が公正であり公平であり効率的であった、こういう
時代がずっと続いておったのではないかと思うんです。ですから、
国民もある程度
行政に任していけば間違いがない、いわば
行政依存のような意識になってきて、何か問題が起こると、
役所はどうしているんだというふうなことを
国民自身が言っていたわけであります。ですから、こういう形というものを
国民が容認してきた、またこういう形で
運営して
日本の国がうまく回っていって高度成長して
先進国の
水準に達したと、こういうことではないかと思うんです。
しかし、大体一九八〇年代にそういう
段階に、
先進国の
水準に追いつく、一人当たりの
国民所得が
アメリカや
ドイツを追い越すというふうな状況になってきて、しかも一方で
東西冷戦というのが大体一九九〇年前後になくなっていくわけでありますけれども、そうやって
世の中が非常に大きく変わっていく。激動の
世界になり、かつ非常にグローバルな
世界的な大
競争時代が始まってくる。
技術的にも
産業革命に匹敵するような大きな
技術革新、これは
IT革命であり、あるいは
遺伝子分析のような問題とか新しい
技術がどんどん出てくるというようなことで
大変世の中が変わってくる。
日本自体はもう
先進国の一員に入ってしまって、モデルとすべき国というものはなくなってくる。みずから、
自分が
フロントランナーでありますから
自分の道というものを
自分で考えていかなくちゃいけない、そういう
時代に入ってきたのであろうかと思うんです。
そういう
時代に入ってくると、さすがに
行政主導、
分担管理、
省庁間調整というような形で問題の
解決ができないということになってくるんだろうと思います。こういう
段階になったら、大きなお国の
方針というものは、内政であれ外交であれ、やはり
国民みずからが
決めていかなくちゃいかぬ。
国民が
決めるということは、
選挙という場を通して結局
政治が
決めていくということになっていかないといけないという、そういう
時代になってきているんだろうと思うんです。しかし、
政治の方は長い間そういう
政策の問題なんかについて、ある程度
行政任せにしてうまくいってきたわけでありますから、その
体制というものが必ずしも十分に整っていない。
それから、例えば
経済の問題について言えば、これは本来は
企業がみずからの経営について
責任を持って、みずからの道をみずから選択をして、そして
自分の
責任でチャレンジをしていく。もし失敗をすれば退場していくしか仕方がない、そういう激しい
競争の中からみずからの道を見つけていくというのが本来であろうかと思うんですけれども、これも従来はそれぞれ
分担管理する
役所の
行政指導、あるいは
業界団体と
役所とのいろんな話し合いというふうなもので大体
政策が
決められていった。ですから、
企業も
役所に何とかしてくれというふうな気持ちが抜け切れない、あるいは
業界ぐるみでどうとかしようというふうな話になってしまうということ。
それから、
地方の
公共団体についても、従来
役所が全部
決めてきたわけでありますから、その
役所の
指導に従っていくと。
役所の言いなりにしていけばいろんな問題というものは
解決をしていく。例えば
お金の問題でも、
役所の例えば
補助金をもらって
仕事をすれば、
地方の
負担分については
地方債の認可が出るし、あるいはその償還とか金利については
交付税が出るというふうな形で、
お金もついてくるということで回ってきたわけであります。
だから、そういう
時代がずっと続いていたわけでありますから、
政治にしても
企業にしても
地方公共団体にしても、いよいよこれからみずからの
責任でみずから対応しなきゃならない。あるいは
憲法の言うような
国民主権、
国会主導、
政治主導、そしてまた
地方公共団体もみずからの
責任で動いていくというような、そういう形に早く切りかえなくちゃいけないわけでありますけれども、それがなかなか切りかえられないでここ十数年たってしまってきているのではないかというふうに
感じるわけであります。
やはり、そういう目でもう一遍
憲法を考えたときに、私は今まで、さっきも
連帯して
責任を負うというところから
行政主導になってしまったと、こういう
あたりはやはりちょっと問題があるのかなと。別にその
連帯してというところが悪いというわけじゃないんですけれども、
連帯して
責任を負うということがどうして
一体、
次官会議を経ないものは
閣議にかけられないということになってしまうのかなというような
あたりはやっぱり
一つの
問題点ではないかと思います。これから先、そういう形で
行政主導でやっていける
時代というのはもう再び来ないんであろうかと思います。やはり本来の
国会主導、
政治主導で進めていかなくちゃならない
時代が来ることはもう間違いないんだろうと思います。
また、国の
意思というんでしょうか
決定というものが、例えば最近、
首相公選制のような問題が出てきておりますけれども、最終的に
国民主権ということでありますから、
国民の
世論の
決めるところで動いていかなくちゃいけないんでしょうけれども、それはでは
国会が
決めればいいんだ、
代表制で
決めていけばいいということなのか、それとも
国民が直接
選挙をやって、直接
代表、直接
民主主義というふうなことでやっていくべきなのかというところは非常に難しいところだと思いますが、私はその辺はこれから大いに
議論をしていかなくちゃならない点だと思いますが、やはりなるべく
国民の
世論に近い形で
意思決定ができるふうにしていくべきではないんだろうかというふうに思います。
もし
首相公選のような形をとった場合には、だからといって
議会をなくしてしまうわけには当然いかぬわけでありますから、また独裁のような形になってはいかぬわけでありますから、そうすると
議会と
首相の
意思が食い違ったときに
一体これをどう
解決するのか。
アメリカでもそういうような問題は、
処理の仕方はいろいろあるわけでありますけれども、やはり
解散とか不信任とか、どういう形で
一体その
処理をしていくのか、早く
結論を出すということがどうしても必要なんじゃないかという
感じがするわけです。
参議院と
衆議院の
意見が食い違った場合の
処理も、私はどうも今の
憲法の
決め方のままで果たしていいんだろうか。
衆議院に戻って三分の二とるということは実際問題としては不可能でありますから、そうするといわば
参議院の
拒否権が認められたような格好になって、両方の
意見が
一致しない間は物が決まっていかないということになるわけで、これで果たしていいんだろうかというような問題も出てくると思います。
参議院と
衆議院は
選挙のあり方とか
解散の問題なんかが違うわけでありますから、
国民の
意思を
一体どういうふうにしてなるべく迅速に反映をして
意思決定をしていくかということは、
国民主権とした場合でもやはり考え直さなくちゃいけないような面が幾つかあるんではないのかなという
感じもするわけであります。
それともう
一つ、
地方の問題なんでありますけれども、今は
国民主権で
国会が
最高の立場でありますから、
法律を
決めれば何でも
決めていけるということになるわけですね。
法律で細かいことまでどんどん
決めていけば、
地方公共団体がみずからの
意思で
決めるべき
部分というのはどんどんなくなっていってしまう。今まではそれは
行政が大体さばいてきて、
行政が
中央集権で全部やっていたという
感じになるわけですけれども、例えばこれが
政治主導、
国会主導となった場合でも
国会の
法律で
一体どこまでお
決めになるのか、お
決めになるべきなのかというようなことは
一つ問題になると思います。
といいますのは、
地方の
行政の
責任というのはこれからますます重くなってくる。今後重要視される
行政というのは、例えば保育や教育の問題であったり、あるいは介護の問題であったり、あるいは
ごみ処理の問題であったり環境の問題であったり、
自然保護の問題であったり文化の問題であったり、どんどんソフトの方向に行く。これは全国を画一的に
決めるという筋の話じゃなくて、むしろ
地域地域の
事情に即して、そして
地域地域の
住民の多数の方の
意見に対応して
処理をしていくべき。ですから、
法律で
決めるよりもむしろ
条例で
決めるに適したような
部分というものもあるんだと思うんですね。そのことと、今度は財源の配分の問題も絡んでくるわけでありまして、そういう大きな
一つの国の構えというものをこの
機会に、
憲法の
議論をしていただくときに、ぜひ二十一
世紀、先を見て考えていただきたいというふうに思うわけでございます。
与えられた時間が参りましたので、一応これで終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。