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佐藤道夫君 私は、
機密費の問題を取り上げようと思っておりましたけれ
ども、先ほど同僚
議員が
お尋ねしておりました森
総理の、重要な公式行事を
欠席して
すし屋に行っていたという話、これもまた重要といえば重要ですし、
機密費の問題はまた時間のあるときにたっぷりとお伺いすることにいたしまして、きょうは森
総理の
欠席問題を取り上げたいと思います。
私、先ほどの問答を聞いておりますと、
ノルウェーがそんなに騒いでいないからと、何か
大臣の
お答え、じゃ余り騒ぎなさんなというふうにも聞こえる。そんな大した問題でもないですよ、
外交上の問題にはなりませんよと、そんなことを言っているようにも聞こえるわけであります。
それから、
すし屋で何か
若手議員との話の中身がよくわかりませんということをおっしゃっていましたけれ
ども、もし重要な話でもしていたら、それはそれで仕方がない、当然なことだと、こういうふうなことをまた言おうとしておられるのかどうなのか、いずれにしろはっきりいたさない。
私、この問題はそういうことじゃなくて、政治家のモラル、政治家というよりも人間の生き方の問題、人間の常識、道徳の問題がかかわっていると思うんです。
わかりやすい例を挙げますけれ
ども、
自分の非常にお世話になった人の身内の結婚式がある、ぜひ出てくれ、わかりましたと。主賓的立場で出ることになっていたが、当日何か病気だから
欠席しますということなんで、まあ病気なら仕方がないかと、こう思っておりましたら、何と何と
すし屋に行って仲間と楽しく酒を飲んでいたと。こういうことを聞いたら、
日本人は、あいつは人間じゃない、何なんだと、こういうことを言うでしょう。大変重要な問題、人間の生き方そのものが問われている、こう言ってもいいと思うんです。
それから、会社や役所で重要な公式行事があって、彼は地位が高いので当然
出席して一言二言あいさつもする、そういう立場におったが、やっぱり病気なので行けませんということになって、まあ仕方がないかと思ったら、何と何と料理屋に行って酒を飲んでいたと。一体何なんだと、会社の仕事をどういうふうに考えているんだと、役所の重要な
公務というものをこんなにないがしろにしていいんだろうかと、もう本当に全社員から、全
公務員からひどい非難を受けることは間違いないと思うんです。
我々はこうやって公式行事、つまらなくとも一生懸命ここに集い合っていろんな話をしている。これが仕事なんだと皆そう思っているわけです。それを
すし屋に行っていると。何なんだと、みんなそう思うでしょう。あいつはもう
公務員の資格はない、だれだってそう言うと思いますよ。
ところが、何か理屈が通れば許されるというふうな、
すし屋に行って、腹が減ったから仕方がないと、そう言えばそうかなというふうな議論にもなっていくのかどうなのか。一体議論をする問題なんだろうか、こういうことが。
子供だって、学校で重要な公式行事がある、ところがその子供はちょっと
体調が悪いわといってきょうは休むわといって行かない。ところが、すぐ元気になった、ちょっと遊びに行ってくる、こう言えば、親がしかり飛ばすでしょう。みんなが学校に行ってきちっと行事に参加しているのに、病気が治ったからすぐ遊びに行く、けしからぬと。その時間ぐらいはうちできちっと勉強していなさいと、普通の親なら皆そう言います。こんなことは議論の余地がない。
ところが子供は、病気が治った以上は行ったっていいじゃないかと、今の子供はすぐそういうへ理屈を言うかもしれませんが、議論するような問題じゃないんであって、親が教えるまでもなく、みんなが学校に行っているうちは病気が治ったからといって遊びに行くことは許されませんよと言うことは、当然といえば当然なんでありまして、こういうことを議論して、へ理屈をつけて、じゃ行かなくてもいいのかと。
今の子供
たちはすぐそういうことを、悪知恵が発達していますから、今の私が言ったようなケースで、じゃおれも、病気だから行けなかったけれ
ども、治ったから遊びに行くよと。親がとめると、うるさい、つべこべ言うな、病気が治って遊びに行って何が悪いと、すぐそういうへ理屈を今の子供
たちは言うんですよ。
このことは
大臣も御存じだと思いますけれ
ども、教育者の集まりがありまして、今の子供
たちの学校教育に対する
意見も聞きましょうということになって、そこに何人か子供
たちを呼びまして
意見を聞いていたら、中の一人が人殺しはなぜいけないんですかと、こういう
質問をしたというんです。そこで、先生方あるいは教育
関係者が飛び上がって驚いて、なるほど人殺しはなぜいけないのか、そうだ、徹底して議論しようということで議論したけれ
ども、結論は出ない。
そこでまた日を改めて、全国の有識者、学者、教育者、新聞記者、そういう人
たちを集めて、なぜ人殺しがいけないのか子供
たちが真剣な疑問を提起しております、どう答えたらよろしいのか教えてくださいと。学者、先生方もいろいろ考えていろんなことを言ったけれ
ども、ずばり結論は出てこない。本当に難しい問題だということで、それはおしまいになってしまった。
これは議論する問題なんですか、こんなことは。わかり切った話なので、昔からそんなことは親に教わるまでもなく、人殺しは我々がもう身をもってわかっていることなんですよ。もう何百年も前からお互い協力し合って、助け合って生きてきている。それから、もう自然に相手の立場を考え、相手の命を尊重することは身をもってもう
自分たちがわかっていることなんです。改めて議論する問題じゃないんですよ。そんなことを議論しようという今の教育者の方がよっぽどおかしい。
私、森
総理の問題も大変これと似通っていることなんです。どうしても出なきゃいかぬような重要な
会議がある、しかし病気である、仕方がない。それならば、その期間はうちにいて静かにして
会議の終わるのを待つ。うちにいたら病気が治った、ああそれじゃ遊びに行くかと。そういう問題ではない。こんなことを議論するとか考えるとか、そういう問題でもない。政治家の基本的な問題でもあり、政治家以前の人間の問題でもあると、私はこう思うんですけれ
ども。
何か
外務大臣、大変歯切れがよろしくない。こういう大事なことは政治家のありようが問われている、いや人間の問題だということで、もう少し自民党の中で、
大臣さん
たちが集まったときに、一体どうなんだろうか、やっぱりこれは
総理大臣に反省してもらわねばいかぬ、教育上よろしくないようなことになるかもしらぬということが出てきてもいいんじゃないかという気もいたします。
日ごろ勇ましいことを言っている自民党の
若手議員たちも、こういう問題で集まって、一体何だろうかとお互い議論をして、やっぱり
総理に反省してもらいましょうと。教育上よろしくないこともあるしと、いろんなことを議論し合うということも私は大切なことだと思う。それをまた
国民は受けとめて、なるほどね、そういうことだねということで
国民も考えていく。それが本当の政治というものではないんだろうかと、こう思うんですけれ
ども、いかがでしょうか。