○
紺谷公述人 島田先生のお話にも大変示唆を受けましたし、特に
金子先生のお話は、骨太の中長期的な方向を示していただけたという
意味で多くの点で賛同いたしますけれども、あえて違う部分について聞いていただきたいと思うわけでございます。
まず、なぜこのように債務が
累積してしまったのかということなんですけれども、それはやはり景気対策が適宜適切に出てこなかった、ツーリトル・ツーレートだったということがあると思うのですね。くしゃみ三回ルル三錠というコマーシャルがありますけれども、くしゃみ三回ルル一錠であった。早目のパブロンという風邪薬のコマーシャルもありますけれども、遅目のパブロンであった。でも、ようやっと薬をもらって何とか熱が下がってきたかなと思うと、もういいじゃないかといって薬を取り上げてしまう。薬が効いて熱が下がっているにもかかわらず、途中で取り上げられてしまうものですから、またすぐぶり返す。ぶり返すたびにまた重くなって、またツーリトル・ツーレート、そういうことを繰り返してきたがゆえにこれだけの債務
残高ということになったのではないかと思うのですね。
そこで、今回の不況の特殊性ということをぜひ思い出していただきたいと思うのです。
金子先生とは別な観点から
議論の整理をさせていただきたいと思うのですけれども、例えば、危機と平時の区別がついていなかったのではないかというふうに思うわけです。
恐慌の懸念さえあるような、財閥系の大銀行あるいはかつての国策銀行が破綻するようなとてつもない
状況だったわけです。
日本発の恐慌かということまで言われるような
事態であったわけです。一刻も早く手を打たねばならないというにもかかわらず、平時の不況の
議論と同じような
議論を重ねてきた、そのために適切な対策が打てなかった、おくれてしまったという問題は大きかったのではないかなと思うわけです。
経済というのは、綿のボールに例えればわかりやすいと思うのです。綿のボールの一、二%が最初水につかっているという
状態をお考えください。だけれども、どんどん毛細管現象で水を吸ってきてしまうのですね。
あるシンポジウムで有名なエコノミストの方と
議論をしたことがあるのですけれども、三年ほど前のことでございます、この方がこうおっしゃったのです。恐慌だ、恐慌だと大騒ぎしてはいけない、恐慌というのは少なくともGDPが二、三割おっこちるような
事態であって、たかが一%、二%のマイナスで大騒ぎしてはならないとおっしゃったのですね。
日本は豊かですから、
全国民が一律に一、二%
所得が落ちるということであれば十分に耐えられると思います。ですけれども、そうじゃないのですね。失業して
所得を失った方、倒産して
資産がなくなった方、それどころか借金だけ残ったという方もいた上で、一方で大もうけしちゃっている人がいるわけです。そういう方たちをひっくるめて平均でマイナス一%、二%である。
ですから、先ほど申し上げたように、綿のボールのごくごく下の方の一、二%が水につかっている
状態。平気じゃないか、綿のボールは浮かんでいるじゃないか、一体何人海外旅行に行っているんだといううちに、どんどん毛細管現象で綿のボールは水を吸ってしまって、二、三割水を吸ったところで慌てて引き上げようとしても、もう水の重みで引き上げられないのです。
先ほどお話がありましたけれども、大恐慌から救われたというのは、常に戦争の軍需景気によってでございます。ですから、戦争を起こしていいというのなら二、三割おっこちるところまでほっておくということもあろうかと思うのですけれども、そうじゃないのじゃないかなと思うのですね。
九八年秋にありました
アメリカのLTCMの破綻の事件を思い出していただきたいと思うのです。それまで
アメリカは
日本に、大銀行といえどもつぶせ、護送船団の資本注入はやめろとおっしゃってきたわけです。そうであるにもかかわらず、銀行でもない、預金者もいなければ中小
企業の借り手もいない、たかが投機集団であるヘッジファンドを護送船団の資本注入で救ったのです。LTCMの危機はヘッジファンドの危機、ヘッジファンドの危機は銀行の危機を内在していたわけですね。ですから最初のアリの一穴をがしっととめたということでありまして、ここから学ぶべきことは、危機においては何でもあり、危機においては危機脱出が最優先ということではないかと思うのですね。
ですけれども、
日本では危機感の薄い
議論がずっと行われてきて、公共事業と減税とどっちがきくかよく考えようとおっしゃっていたわけです。恐慌の懸念がある時点でさえそういう
議論をなさっていたわけです。ちょっとでもきくと思ったら、どちらもおやりください、さっさとおやりくださいというような
事態であったと思うのですけれども、なかなかそれができなかった。
もう
一つ、景気に関しては、変動と水準の見誤りということがあろうと思いますね。
日本の
経済は、確かに
世界でトップクラスに豊かになっております。水準は高いです。では、ある程度水準が高くなったらもう景気対策は要らないのか、
日本よりも豊かである
アメリカは景気対策はやらないのか、そんなことはないわけでございます。変動と水準というのは違うのですね。
変動が問題といいますのは、やはり人間というのは過去が持続するということで行動をとっているわけです。必ずしもバブルに踊ったわけではなくても、これだけ売れるかなという見通しで人を雇ったり工場を建てたりしているわけでございます。そういうことが崩れてくるということなのですね。もう豊かだから景気対策は要らないというのでしたならば、一体いつから景気対策は要らなくなったのでしょうか。今よりもっと貧しかった江戸時代には、
人々は不幸せだったのでしょうか。そうじゃないのです。各時代時代でそれぞれの幸不幸というのがあるわけですね。
ですから、どんなに
経済水準が高くなっても、変動で傷を受ける
人々がいる以上は、それに対する対策は必要である、無用な傷はできるだけ避けるべきであるというふうに思うのですね。豊かさというのは一体何でしょうか。他を顧みるゆとりがあるということではないでしょうか。恒産恒心という古い言葉がございますけれども。
この間、電気をとめられてろうそくで勉強していた中学生が焼死してしまいましたね。老夫婦が餓死なさいましたね。豊かと言われる
日本で、そういうことが起きているわけです。海外旅行に何人とおっしゃいますけれども、
日本は水準は高いですから、たとえ恐慌になったって海外旅行に行く方たちはおいでだと思うわけですね。そういう御
議論の混乱というのがあったのではないのかなと思うのですね。
百数十兆円の景気対策をやったにもかかわらず景気はよくならないじゃないか、だから
構造改革が必要なんだよという御
議論が
一般的でございますけれども、私は、今言ったような理由から、そうは思わないのです。
構造改革が必要ないと言う気は全くございません。
改革は必要なのですね。
改革は無用だというような方は多分ただ一人もおいでじゃないと思うのです。ただ、どんな
改革をやるのか、いつやるのかということに関して
意見が分かれているだけかなというふうに思うのですね。病人にジョギングやダイエットはさせられないのです。体質が弱いから病気になったということはあったといたしましても、まず健康を回復してから体質を鍛えるということだろうと思うのですね。
構造改革というのは、中長期的に
経済変動の波を上にシフトさせてくれるということはあり得ると思いますけれども、不況のどん底から
経済を好況に連れていってくれるという力には到底なり得ないということでございます。その辺の誤解をぜひ解いていただければなと思うわけです。
ですから、いろいろな問題がありますけれども、当然のことながら、
日本経済というのは戦後五十有余年を経て大きく変わっているわけです。あらゆる
状況の変化はシステムの変革を要請するというところがございます。ですから、
改革が必要ということは論をまたないのですけれども、
改革するとしたらまず何をやるべきかといいましたらば、これまでの
仕組みのどこが
現状に合わないのかというその分析から入るべきじゃないでしょうか。今まで
日本の強みとしてきたものは一体どこだったのか、それを残しながらもっと強くなる方法というのを吟味すべきではないでしょうか。
アメリカでああだから、イギリスでサッチャーさんがしたから、そういう安易なことで
日本のこれまでの
仕組みを壊すようなことをやってしまっていいのだろうかというふうに思うわけです。
グローバルスタンダードというようなことがよく言われましたけれども、国際化というのは平準化ではないのではないかと思うのですね。国際化即平準化というような
議論もあるんですけれども、だれもかものっぺらぼうに同じになってしまったらば、国際化、グローバライズの
意味というのはなくなってしまうと思うんですよ。
日本は異質であるというような
言い方がよくされますけれども、
日本が異質であるというのは、ある
意味では思い上がりでございます。各国それぞれに異質だからです。
経済だって政治だって人間が動かしていく以上、歴史や文化や風土や国民性を離れてはあり得ないのですね。そうであるにもかかわらず、
アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードとして、従来の
日本の強みを壊すような
改革というのは考え直すべきではないでしょうか。
繰り返しますが、
改革が必要ないと申し上げているわけではないのです。どんな
改革をいつやればいいのかということを十分吟味してからおやりいただきたいというふうに思うんですね。
例えば、株式持ち合いというのはけしからぬということになっておりますけれども、株式持ち合いは
日本固有の困ったやり方だというような御
議論もあるわけでございますが、株式持ち合いなんてどこの国の
企業だってやっていることです。ルノーとボルボが資本提携なんていう新聞記事が躍ったこともありますけれども、資本提携というのは株式持ち合いなんですね。業務提携とか営業のネットを共有するとか、いろいろな提携が
企業同士であり得るわけですけれども、その場合に、いいとこ取りだけされないように、資本で担保して相手の
企業に発言権を持ってお互いにやっていくということは、どこの国の
企業も行っている普通の
企業戦略でございます。もちろん、
日本は株式持ち合い比率がほかの国より多いということはありますが、それは、持ち株会社を認められてこなかったんですから、お互いに
企業同士が株を持ち合うという方法しかとり得なかったということです。
株式持ち合いがMアンドAを行わせなくて、そのためにだめな
経営者が温存されて、だから
日本の
経営は強くなれない、
企業は強くなれないというふうに言われるわけでありますけれども、三越の岡田さんの事件を思い出していただきたい。岡田さんが三越の
経営を危うくしたら、三井グループの総帥が役員会に乗り込んできて首を切った、突然のことなので、なぜだと岡田さんが叫んだという有名な事件がありますけれども、むしろ株式持ち合いの中で、
企業グループの中で、系列取引の中で
経営者の首のすげかえということを
日本はやってきたわけです。
資本主義
社会におきまして、会社
経営というのがいいかげんだったら
経済がもたないんですね。どんな国でも必要とする機能は何らかの形で持っているはずであると思うわけです。それは何も
アメリカやイギリスと同じ形でなくてもよろしい。MアンドAを通して株式を買い占める、テークオーバービッドというような形でやらないというだけのことでございます。
今回もダイエーの中内さんがおやめになりましたけれども、これまでずっと
日本は不況のたびに多くの
企業で
経営者の首のすげかえということが行われてきたわけです。
経済社会が必要とする機能は何らかの形でどこの
経済社会も持っているはずでありまして、機能があるかどうかということを論じればいいにもかかわらず、形が同じであるかどうかということを
議論してはいないでしょうか。
銀行をつぶせという御
意見も多々出てきたんですけれども、銀行なんていうのは絶対つぶしてはならないと私は思うんですね。
経営責任があるというんだったら
経営者だけおやめいただけばよろしい。銀行をつぶすと、預金者を守るために余分な公的資金が必要になる、何の罪とがもない中小
企業が困るというような
事態があるわけでございます。
経営責任の追及と銀行をつぶすということは区別して論じていただきたいなと思うんですね。
時価会計ということもありますけれども、時価会計、時価会計と、あたかもどこかに時価というデータがあるかのような御
議論をなさっているんですけれども、時々刻々変わる
市場価格が時価というふうにどうして言えるのでしょうか。例えば金融商品の時価会計におきましても、為替に関しては期末の一カ月間の
平均値を用いる、株式に関しては期末の最終日の終わり値を時価とする。そういう時価会計というのが、どれほど
企業の
経営にプラスになるのか、投資家にとってプラスになるのか。
今、時価会計、減損会計のおかげでやたらめったら株の売りというのが出てきているわけですね。
赤字決算を避けようということのためにそういう問題が起きているわけでございます。
企業の実態を知らせるということであったらば欄外注記でも何でもいいにもかかわらず、損失として計上せよ、だけれども税金をまけてやるかどうかはこれから考えるというようなことであっては、
企業は慌てざるを得ないわけです。
今日の株価下落の大部分は供給超過ということです。ミカンだってリンゴだって、味は変わらないにもかかわらず豊作の年には値が下がるということがあるわけですね。なり年ですから、いつもより味はよくなっているにもかかわらず値が下がる、供給超過でございます。そういう
状態に今株式
市場を追い込んでいる、
企業を追い込んでいるということです。今必死で
企業は何とかこの難局を乗り越えようとしているときに次から次へと矢を放つみたいな、そういう
状況の
改革論というのが多くはないでしょうか。
財政に関して申し上げますと、大蔵省は、実は昨年の十月まで、ただの一度も
累積の
財政赤字という数字を発表したことがないんです。発表してきたのは、実は債務
残高と、それから毎年毎年の歳入不足の額。対
GDP比で三%をはるかに超えた、これじゃEUにも入れないという
議論をしてきたわけですけれども、では、
日本は年々の歳入不足を小さくしてGDPの三%以下にしたらEUに入れていただけるんでしょうか。どうせ入れてもらえないんじゃないでしょうか、極東の国なんだから。そうであるにもかかわらず、そういう
議論をしてきたということです。
毎年毎年の
赤字の額と
累積債務の額だけを言って、
累積の
赤字がいかにも巨額になったかのような
議論をずっとしてきたわけですけれども、どこの
企業だって、どこの家計だって、利払いだけで
生活費に食い込む、通常の
企業の
活動ができないというような
状態になったら何をやるか、
資産の洗い直しをするわけです。だけれども、大蔵省は、ただの一度も
資産の洗い直しということさえしてこなかった。小渕政権発足直後に、どなただかわかりませんけれども、各省庁におふれを出して、各省庁取り扱いの国有
財産のうち何も国が持っていなくてもいいものを洗い出せ、リストアップせよということをおやりになったそうですけれども、まさしく政治家の皆さんからそういう指示を受けるまで大蔵省は何
一つなさってこなかったということです。本気で、
累積赤字が緊急だ、深刻だとお考えでしたらば、どうして
資産の洗い直しぐらいなさらなかったんでしょうか。
昨年の十月に初めて国のバランスシートというのが公表されましたけれども、不思議なことに、これまで発表されてきた債務
残高より
赤字の額が大きいというものまで出てきたんです。全部で三通り出ましたけれども、一番大きいものはそういう数字だったのですね。どうしてか、非常におかしな計算をしているからでございます。
例えば年金ですけれども、これから国が国民に払っていく年金は国の債務であるということにして債務を膨らませた結果そういうことになってしまったわけですけれども、国民は何も年金を受け取る一方の人ばかりじゃないんですね。掛金を払う人だっているわけです。税金だって払っていくわけです。これから国が払う年金が国の借金だとおっしゃるんだったらば、国民がこれから払っていく掛金や税金も国の
資産に計上していただきたいなと思うわけでございますけれども、どうして今まで発表してきた債務
残高よりも今回の
赤字という額は大きいのか、そういう
コメントを私は残念ながら新聞で一回も見ませんでした。
そもそも、
日本の
財政赤字と
累積債務
残高というのが仮に巨額であったとしても、不況の真っ最中に緊急緊縮財政をとったりとか
増税したりとかしなくてはいけないほどの
状態ではないというふうに私は思うんですね。そういうことをしたためにさらに債務
残高を膨らませるということになってしまったわけでございますけれども、どうしてか。
日本は、年々経常黒字を重ねていて、国全体としては黒字だからでございます。
よくマスコミの御
議論で、
日本の財政というのは
企業に例えたらばとっくに倒産していてもおかしくない
状態であるというような例を聞くんですけれども、財政は
企業に例えてはいけないんです。財政は家計に例えるべきなんです。何となれば、財政と家計というのは全体の共通のお財布の部分でしかない。
家族それぞれ、国民それぞれ別のお財布を持っていて、家全体、国全体としては黒字ということが大いにあり得るからであります。
日本の
財政赤字論というのは、同時に経常
赤字も抱えているような国の
赤字論と全く差がなかったということです。奥様のやりくり、
政府のやりくりが下手で家計費は
赤字であっても、御主人様、つまり国民ですね、働き者でせっせと稼いで、稼いだ割には使わないで、余ったお金を隣近所にたくさん貸してあげている、そういう家と
日本は同じでございます。そうであるにもかかわらず、御主人が大病で、恐慌の懸念さえある、薬が欲しい、景気対策やってくれと言われても、何言ってんのよ、あなた、家計費が
赤字なんだから薬代なんか出ませんよ、景気対策なんかできないわみたいな、そういう
議論をしてきたということです。それはどこか間違っていたんじゃないでしょうか。
奥さんの借金は御主人から前借りしているだけです。日栄、商工ファンドから借りてきたわけではありませんから、目ん玉売れとか腎臓売れとか言われる心配も全くないのですね。御主人と奥さんの話し合いで済むことなんです。今どこにお金を使うことが
家族にとって幸せなのか、国民にとって必要なのかという御
議論をしていただけば十分だったんですね。それなのに、そういう
議論にならなかったということでございます。
政府は国民から借りているだけでございますから、返すときには国民に返すんです。家の中でお金は回っているだけなんです。ほかの
財政赤字国のように、海外から借金をして、
官民ともに海外からお金を借りていて、いつか外国に返さなくてはいけない借金に苦しんでいるという国と
日本は全く違うということなんですね。ですから、今何が必要なのかという御
議論を一生懸命おやりいただけばいいだけではないかと思うんですね。
ほかにも申し上げたいことは多々あったんですけれども、時間になってしまいましたので、申し上げたいのは、
改革は必要なんだけれども、
改革に名をかりたジャパン・バッシングはおやめくださいということです。
日本がどこがいいのか、
日本の誇りを取り戻すというんでしょうか、
高齢化で暗くなる、暗い暗いという話ばかりありますけれども、お元気な
高齢者がいるからこそ
高齢化が進むんだ、これから
高齢化、少子化で労働力不足がやってくるというんだったらば、お元気な
高齢者に働いていただけばいい。生きがいを持って働いていただけば、介護、
医療の予防措置にだってなるわけですね。
私学共済年金という年金の組合は財政優良なんですけれども、ここは定年が遅いからなんです。六十過ぎても、六十五過ぎても、場合によっては七十過ぎても、掛金を払いこそすれ年金を受け取っていないんですね。だとしたら、
日本全体もそうしたらよろしいということでございます。そういう前向きの御
議論をおやりいただきたいと思うんですね。
そんなに
日本がだめだと言うんでしたらば、どうして
日本は
世界の奇跡と言われた高度成長を達成できたのか。あるいは、
アメリカやイギリスがそんなにいいと言うんなら、
アメリカはどうして八〇年代の終わりから九〇年代の初めにかけてあんなに絶不調だったのか。イギリスはどうしてあんなに長い
経済低迷に苦しんだのかという問題があるわけでございます。たまたま今
日本が調子悪い、それも、グローバリゼーションに名をかりたジャパン・バッシングについ乗ってしまったという部分があったからではないかと思うんですね。
最後に、もう
一つだけ大急ぎで申し上げたいのは、
金子先生もおっしゃいましたけれども、公共、公というものの役割をしっかり確認していただきたいということです。
政府予算でございますから、公共とはどういうものか、国の
仕事というのはどういうものかという御
議論をしていただきたいと思うんですね。
一時期、財投
機関は
市場メカニズムの中で金利を払って財投
機関債を発行できなかったらばもうやめろというような御
議論がありましたけれども、
市場メカニズムの中で金利を払ってやっていけるような
仕事だったら、初めから民に任せたらよろしいんです。国がやらなければならない
仕事だからやるわけですね。
市場メカニズムには乗らないんだけれども、国民にとって必要な
仕事だからやるわけでございます。どこが国の
仕事であるかということをきちんとお考えいただいて、何でもかんでも
市場メカニズムにゆだねればよろしいという幼稚な
議論はいいかげんにやめていただきたいと思うんですね。
三十年前には公害の問題があったわけでございます。騰貴もパニックも
市場メカニズムの中で起きるわけでございます。
市場メカニズムに任せていては危ういからこそ
政府というものがあるわけでございますから、そういう
政府の役割ということをじっくり考えて、きちんと明確にした上での国家
予算ということであっていただきたいなというふうに思っております。
どうも失礼いたしました。(拍手)