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佐藤(謙)
委員 農業には、
開発から身を守る仕組みというのが、今いろいろと
社会的にあるんですが、どうも
漁業と森林・林業は、まさに
開発にさらされてしまう。だからこそ、今、森は海の恋人、川はその仲人と言われた、気仙沼の畠山さんが始めたああした運動が全国的に展開をされる。
そして、私も、
水俣に行ったときに、
水俣病で本当に人生を棒に振ってしまった、結婚もできずに、家族にも死なれ、たった一人で、今、小学生を相手に一生懸命
水俣病のことを話をし、そして毎朝シラスの漁に出ている女性の方にお目にかかった。本当に、苦しみや怨念を超えて、仏様のようなすばらしい顔をされておられたんですが、その彼女も一言、不知火を昔のようなすばらしい海に戻したい、そのために、
佐藤さん、一緒に山を大切にしましょう、山から始めたい、山にある、森林にあるフルボ酸鉄というものが結局植物
プランクトンを育て、そして食物連鎖ですばらしい豊穣の海をつくっていくんだ、そうした
お話を聞けば聞くほど、今我々がどういう仕組みをつくっていくかというのは非常に大事なときなんだろうと思うんです。
私は、
一つ、化学物質の問題で、いろいろと
法律をつくってきたりしましたけれ
ども、その中で、ある市民運動の方がこういうことを言われたときに頭を殴られたような思いをしたんです。それは魚とPCBの問題で、我々人間はダイオキシンの九割が口から入る、そのうちの七割が日本の場合は魚からと言われて、魚の、食の安全性というのは非常に大切だということを我々は肝に銘じたわけです。魚の
汚染というとすぐ、
佐藤さん、あなたは、我々人間が食べて、そして体にどういう不都合があるか、健康を害するかということばかりを
考える、それは本当の意味では人間中心主義だ、魚が侵されている、そういう現実に目を当てなければ、この問題は
解決しないんだよと。魚に蓄積された化学物質を人間がどれだけとるかではなくて、魚がどれだけ蓄積してしまっているかというところから視点を当てなければいけないと。
まさに、この
水産基本法の一連の議論でどうもかみ合わないその議論の根本は、人間中心主義かあるいは生物多様性を柱とした生態系中心主義かの、そのミスマッチがそのままあらわれてきたような気がしてならないんです。保全は一切自然に手をつけない、そういう誤解からスタートする。調和というのはいい状態にするんだということで、調和の方がはるかに重い大きな概念だと言われてしまうと、そこで話はストップしてしまう。
あくまでも、水産というのはやはり人間が主語、我々の
事業が主語なんです。そうじゃなくて、我々も自然の中で生かされているという、
先ほど、謙虚な気持ちを
大臣は持っておられるわけですから、そうした
大臣の謙虚な気持ちをそのまま
法律や日本の
社会の仕組みに、今の
大臣だったらそれができる立場におありなんですから、やっていただきたいと思うんです。
例えば、栽培養殖
漁業の危機が言われています。一九九六年に、
熊本県の天草でアコヤガイの被害が起きました。そうした被害を中心に、今養殖
漁業の危機が言われています。ホル
マリン漬けのトラフグですとかあるいはヒラメ、今、そうしたものが給餌養殖としてどんどん広がりを見せているわけですけれ
ども、そうした安易な化学物質を使う
漁業というものを、とる
漁業からつくり育てる
漁業という名のもとに野放しにしてしまって、都市生活者がそのままわかったと言ってくれる時代が来るのかというと、私は来ないというふうに
考えています。
そこで、この養殖
漁業については、一九九九年、おととし、持続的養殖生産確保法というのができたわけですけれ
ども、この持続的養殖生産確保法、この目的を見て僕は唖然としたんです。実は、私、このとき
農水委員会に所属していなかったので。この目的の中で、「特定の養殖水産動植物の伝染性疾病のまん延の防止のための措置を講ずることにより、持続的な養殖生産の確保を図り、もって養殖業の発展と水産物の供給の安定に資することを目的とする。」つまり、
事業者、供給者からの視点だけででき上がっている
法律。
これは、この
法律の性格上やむを得ないかもしれないわけですけれ
ども、
消費者の食の安全、さらには化学物質に対して、
水産業という
一つの業の中でどういうふうにこれから扱っていくのかということは、私は、非常に大きな
テーマなんだろう、それこそが、人間中心主義なのか、生物多様性を柱にした生態系中心主義なのかを大きく左右する、まさに岐路に立っているときだろうと思います。
こうした問題についてどういうふうにお
考えでしょうか。