○瀬古
委員 その紛争処理の
機関が、本当にきちっと正しい判定ができるかどうかという問題が実はあるわけですね。それのもとにするのは、例えば
事故現場の科学的なデータだとか分析だとか、こういうものが必要なんですね。ところが、今はそういう分析はほとんど警察任せという形になっています。
事故もたくさん起きるものですから、警察は、例えばひき逃げ捜査とか、こういうのは犯人を特定する場合には科学的な手法も随分駆使されているのです。ところが、実際の
交通事故の現場といいますと、これはとても非科学的で、大変問題があるというふうに指摘をされているわけです。
例えば、被疑者の供述調書を見ますと、A地点で
相手を発見し、B地点でブレーキをかけ、C地点で衝突した、こういう
内容が十センチ刻みで記録されている。これを見ても、こんなデータで、大体瞬間的に起きる事態をこういう
言葉で再現できるのかという問題があるわけですね。こういう点でも、
事故の調書を見ましても、大変非科学的で、ある
意味ではおざなりになっているという
状況がございます。
それと同時に、大半の
事故というのは、ある
意味では、人証といいまして、大体、それこそ供述調書のひな形に合わせて調書類というのはつくられておりますから、そういう
意味では、現場での
事故車の写真までが張っていないようなそういう調書もたくさんございます。そういう点で言えば、もっと科学的な調査によって、そして
被害者にも納得できる、こういう基本が私はまず大事だと思うのです。
そういう
意味では、残念ながら、私が先ほど言いましたように、審査
機関が実質的な審査を行い得るかどうかというのは、どれだけ科学的なきちんとしたデータを確保できるかということが決定的だと思うのです。その点では、私は調停
機関も若干問題があるとは思っていますが、しかし、もとになるそういうデータが本当に不十分なままでは、調査
機関も警察のはっきりしないような調書をそのままうのみにするという形になりますので、この点でも、科学的な調査のあり方というのを、この際、
自賠責の事業としてきちんと位置づけなければならないのではないか。
それが、大体、責任
割合が何割だ、何割だと、何か損保会社が言ったままを、それについて反論が十分できない、反論しようと思ったら大変な事態だ。こういう点では、
被害者の方々が苦労しないでいいような、きちっとした分析をする
機関、そういうものが必要ではないかというように思うのですけれども、その点いかがでしょうか。