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中山(正)
委員 御配慮いただきまして感謝をいたします。自由
民主党の
中山正暉でございます。
私は、三十二年間この
国会に籍を置かせていただいておりますが、直接こうして
国会の議場、
委員会の場で
憲法の問題を語れるようになったということに大変
時代の推移を感じますし、
世界の平和に貢献をする
機会をどんなふうに
国会がつくるかというためには、有
意義な
時代が来たと思っております。
ただ、むなしいのは、五年間
論議をしても、
改正案はつくらないということになっている。私は若いときから
改憲論者でございまして、何としても
日本独自の
憲法というものをつくらなければいけない。
特に私は、これからの
国際社会を見ますと、アジアが一番危険な問題を含んでいると思います。朝鮮半島問題。百八十九カ国と
日本は国交がございます。百八十五カ国が国連に加盟しておりますが、それ以上に国交を結んでいる
国家があるわけでございます。ただ一つ、朝鮮
民主主義人民共和国とは
関係がありません。共産党さんでさえ、ラングーン事件以来縁を切っておられまして、最近、共産党さんは在日の朝鮮総連と
関係が復活したようでございますが、まだまだその
関係はそんなに深くないようでございます。
その
意味で、誤解のないようにしておかなければいけないと思いますのは、私は
アメリカが大好きでございます。
アメリカが
世界の警察的行動をとって、平和な
世界を築こうとしている行動はところどころに見えるわけでございます。しかし、なかなか計画もある
国家だということを
考えておかなければなりません。
ここに「オレンジ計画」という本がございます。これは、明治三十七年、三十八年の日露
戦争の直後に、もう
日本との
戦争計画を立てています。
昭和七年、私がちょうど生まれました年でございますが、その七年にハワイ真珠湾で
アメリカ軍が演習をしまして、在米の
日本大使館武官の山本五十六は、ハワイ真珠湾が奇襲攻撃を受けたらという訓練を武官として見ております。そのとおりにハワイ真珠湾攻撃をしているのですから、何という、私は、子供のときは、山本五十六というのは大変な神様、軍神だと思っていましたが、もうあっけにとられるばかり。
特に、ミッドウェーの海戦にも戦艦大和は
参加しておりません。二百キロメートル後ろにおりました。
世界最大のアンテナを持っていて、米連合艦隊接近中という情報をとっていながら、僚艦にそれを知らせなかった、自分の居場所がわかると。そして、四十一・四キロメートル先の敵艦に照準を合わせる
世界最大の照準器を持っておりましたが、その
大戦艦大和はついにミッドウェーの海戦に
参加せず。
山本七平という文芸評論家が「空気の研究」という本を書いておられますが、この「空気の研究」の中には、戦艦大和も空気で沈んだということを書いておられます。なぜかといえば、終戦のときに戦艦大和は残っておりました。沖縄に向けて出撃せよというのに対して、艦に乗艦していた人
たちは、護衛戦闘機もない、護衛駆逐艦もない、今出ていっても必ず沈められると言ったのに対して、海軍の上層部、及川海軍大臣は、君
たち、そんな空気じゃないよと言って、出ていって、その空気のために戦艦大和は沈んだと書いておられます。
日本は空気で動く国だと。何かいったら揺さぶって、どっち向いて走るかわからない。
その
日本。
国家というものは何かということをちょっと表示したいと思います。
Pp=(C+E+M)×(S+W)、実はこれは
国家をあらわす方程式でございます。Ppはプレシーブドパワー、Cはクリティカルマス、人口と領土。二〇八〇年には
日本の人口は六千万人になると言われております。Eはエコノミックケーパビリティー、三千七百億ドルの外貨と千三百七十七兆円の郵便貯金、銀行預金。借金は確かに六百六十六兆ありますが、まだまだ
経済力は、
世界の預貯金の六割を持っているという国です。
ところが、その次のM、ミリタリーケーパビリティー、これは御
承知のとおりでございます。
自衛隊の中でだれかが悪いことをしたら、警察が捕まえに行く、これは軍隊でないという最大の証拠だと思います。昔は、憲兵が守っていて、兵営の中には一歩たりとも入れない、軍隊は軍隊でちゃんと規律を守る。今は、
自衛官が悪いことをすると警察が捕まえていく。これだけでも、
自衛隊は軍隊ではないという最大の証拠でございます。
その次は、×(S+W)、Sはストラテジックパーパス、いわゆる
国家戦略目標ですね。戦略目標プラスW、ウィル・ツー・パース・ナショナル・ストラテジー、いわゆる
国家戦略を遂行する
意思。この括弧の中は、
日本はゼロです。幾ら掛けてもゼロです。これが
日本の現状でございます。
私は、なぜ
改正しなければならないかということだけを申し上げて、中身には触れません。中身は、これから五年の間にここの雰囲気を変えて、何とか皆さんで、本当の
平和憲法というのは、これから
アメリカと中国が対決をする真ん中に入って、その中で、我々がまあまあといって間に入る
憲法をつくらなければいけないと私は思っております。
私も実は、日中条約のときには、
国会で、外務
委員会では私たった一人反対いたしました。福田総理大臣に手を合わせて拝まれましたが、私は頑として、私の前には石原慎
太郎が座っておりましたが、振り向いて私に、正暉さん、今しか賛成するときないよと言いました。あの人も賛成しました。テレビを聞いたら反対したという話をしておられたが、本
会議では林大幹、浜田幸一、
中山正暉、これが、共産党から
自民党まで全部起立して賛成する中で、たった三人座っていました。参議院では、源田実と玉置和郎、この二人が
出席をして反対しました。だから、台湾の新聞にはなぜか、三勇者二賢人、二人の賢い人と三人の勇敢な男と新聞の記事に書かれたことがあります。今、二人が死んで二人がやめましたから、私たった一人しか残っていません。これが日中条約。私は、これから起こることを予測したからあのとき反対したんです。
大平
幹事長は偉かったです。私が、反対しましたので除名をしてくださいと言いに行きましたら、
中山君、お父さん死んで大変だったねと、前の日に私のおやじが死にました、あしたからまた頑張ってねとおっしゃっただけでした。
これは、実は背後は
アメリカだったんです。
アメリカという国はすごい国で、一九四九年、朝鮮動乱の一年前に、
日本の
経済力で中国を支えてソビエトと分断せよというアチソン秘密文書、トルーマン大統領の国務長官アチソンが秘密文書を出しています。その秘密文書によって
日本は、ニクソンが頭の上を越えたから、キッシンジャーが頭の上を越えたからといって中国と結ばされて、
アメリカは思うつぼ、
日本の
経済力で中国を復興したわけです。
私も、日中条約には反対しましたが、竹下総理大臣が、
中山君、ODA八千二百億で中国へ行ってくれと、わかりましたと言って行きました。楊泰芳という郵電大臣に、私は六十万回線の電話回線を郵政大臣として渡しました。天津—上海間の光ファイバー、これも渡しました。
しかし、今
アメリカが一番慌てているのは、思いもかけずソ連が七十二年で崩壊したことでございます。これが一番
アメリカの誤算。
特に、今月号の文芸春秋を見てください。文芸春秋には、おもしろいことに、「真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々」、ロバート・スティネットという方が一九九九年の暮れに
アメリカで上梓いたしまして、二〇〇〇年六月、
日本語でも訳されて文芸春秋で刊行しております。この方は戦史研究家で、BBCなんかの主要メディアの日米
戦争についてのアドバイザーでございますが、この人が、御
承知のように、ハワイ真珠湾の米国海軍のハズバンド・E・キンメル司令長官、それから陸軍の方はウォルター・ショート陸軍長官、この方々が、
戦争が済んでから十三年たって
アメリカの大統領を訴えています。情報を知っていたのに自分
たちには知らせなかった。それが今度は堂々と
アメリカの下院でこの人
たちの名誉回復がなされました。去年でございます。
これを
考えていただいても、私
どもは、
アメリカの
大戦略によって、本当は一九一〇年のハーグにおける陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約というのがあります。これは、相手の国を、沖縄の先生もいらっしゃいますが、一万八千人
アメリカ人も死んでおります。今の宝塚劇場は、アーニー・パイル劇場と私
ども学生のとき言っておりました。アーニー・パイルという有名な
記者が死んだ、それを記念して進駐軍は、今の宝塚劇場、帝国ホテルの前をアーニー・パイル劇場という名前をつけておりましたが、バックナーという司令官も
日本の狙撃兵に撃たれています。
日本人が十八万死んだ。その陸上戦闘をやって占領をしても、その国の法律を変えてはいけないというのは一九一〇年に決まっています。それを
アメリカは無視して、
日本にこの
憲法を押しつけた。
その
憲法の中で占領
政策がいまだにきいているのは、リベンジ、リフォーム、リバイバル、これが三R。
それから、五Dというのは、
武装解除、ディサーマメント、それから
軍国主義排除、ディミリタライゼーション、
環境庁は省になっても防衛庁は省にならないというのはこれです。いまだに占領
政策がきいているんですね。
それから、工業生産力の破壊、これはそうでしょう。YS11を木村先生というゼロ戦をつくった人がつくって以来、
昭和四十七年生産停止。軍艦は
日本はつくっていません、ふろおけを並べたようなタンカーだけつくっています。
それからその次は、中心勢力解体、これは、
天皇中心、神の国という、森総理大臣が神社の人
たちの前で、その人
たちに対する好意で言ったことにマスコミが襲いかかってきました。これはいまだに中心勢力排除。
それから、
民主主義化、これは、私が建設大臣のとき、吉野川で、百九十四キロを十四キロだけの徳島の住民投票で変えるわけにいかない。
日本の
憲法では、投票が許されているのは、
憲法の前文に、「
日本国民は、正当に選挙された
国会」「を通じて行動し、」と書いてあるから、これは最高裁判所の判事とそれから
憲法改正のときだけ。何がねらいかというのは、私は建設相をやめるときに、私は川と闘ってないよと。最後は、
天皇は
日本国民の象徴の総意である、総意とは何か、これを最後には投票にかけようという大きな陰謀がこの裏にはあるわけでございます。