○簗瀬進君 民主党・新緑風会の簗瀬進でございます。
警察法の
改正についての
質疑が行われておるところでありますが、私は、昨年の十二月二日に須藤
正和さんという方が殺害をされました。そして、その
正和さんの殺害に至る過程においての栃木県における石橋
警察署の対応に大変な問題があったと。マスコミもこれについて大変大きく取り上げたわけであります。
須藤さんの生まれたうちは、栃木県の北東、茨城県との県境に近い方でございまして、黒羽の須佐木というところでございました。石橋というのはそこから車で一時間半ぐらいかかるところであります。
なぜ石橋
警察署にこの
正和さんの捜索願を出したのかということでございますが、それは、たまたま
正和さんが勤務をしていた日産の工場が石橋署の所管であったということで石橋署になったわけでございますけれ
ども、先日私、この亡くなられた
正和さんの御両親にいろいろとお話を聞かせていただきました。三時間にわたりいろいろなお話を聞きましたけれ
ども、県北のひなびた黒羽の須佐木から息子を助けたい一心で遠い石橋署に日参をしていたという両親の心情を思いやると、本当に胸に迫るものがございました。
きょうは
警察法の
改正ということでございますが、この
改正によって
正和さんを救うことができたのかと、そういうケーススタディーの大変つらい例示にさせていただきたいと、このように思っております。
〔資料配付〕
今、皆様のお手元に資料一から三までの、調査要請書、それからそれに対する県警本部長名の回答書、栃木県
公安委員会名の回答というものが出されております。非常に一つ一つの大変問題をはらんだケースでございますので、本当は相当時間をとって、
警察の対応のどこがどう問題であったのか、そして、それに対してその後のチェックがしっかりとなぜなされなかったのかということについての一つ一つの検証を実はしていきたいところでありますけれ
ども、時間がございませんので、この調査要請書、これは亡くなられた
正和さんの父親の須藤光男さんの名前で、須藤光男さんが要請人として三人の弁護士さんによって県警本部、そして同じものが
公安委員会あてにも出ています。その調査要請書の中身を見ていただければ、
事案の細かいところの一端がわかっていただけるのではないのかなと思います。
この資料の三、県警本部長名の回答書の三ページ目に簡単な
事案の経過ということで
警察側が端的にまとめた
事案の内容、経過がありますので、まずそれをごらんになっていただければと思うんです。
昨年の九月前後から
正和さんは会社を欠勤するようになりまして、十月になってから欠勤を続けるようになりました。ふだんは大変しっかりとした生活感覚を持っている
正和さんが友達からお金を借りるようになる。それから、会社には、坊主頭でまゆ毛をそり落とす、そういう
状況で出てくると。こういうふうな異変がもう既に起こっていたわけであります。完全に欠勤を開始するようになったのが十月十二日からでございまして、その直後に同僚から百万円の借金をしていたというふうな話も両親の方に伝わってまいりました。なぜ息子がそんな借金をするのかということについては両親も全く理解ができないということで非常に不安を覚えまして、石橋署にお母さんが出かけていったというのが十月の十八日でございました。
そこからこの問題が始まっていくわけでありますが、石橋署に行きますと、母親の方、あるいは両親の方としては、犯罪に巻き込まれたのではないのかという心配を訴える。ところが、それに対して
警察の方では、例えば、金を借りているのはあんたのせがれで、ほかの仲間に金をやって一緒に遊んでいるんだろうというふうなことを言ったり、また、その他いろいろな言葉が
警察の方からございました。その
具体的な、要請人、すなわち
正和さんの父親の側から見た
観点ではありますけれ
ども、その要請書の中に手際よく整理をされております。
背景
事情から、特に、この資料一の要請書の三ページ目になりますけれ
ども、四番に、要請人の
正和の所在確認行動ということで、一生懸命お父さんが自分の息子を捜して
警察にも行った、そのときの
警察の対応が非常にそっけなかった、そして
警察は事件にならないと動かないんだということを再三言われるわけでございます。
そして、
正和さんの父親の側からいえば、決定的なことが起こったのは十一月三十日でございました。
友人として電話に出ていただきたい、たまたま
警察に、石橋署に行っていたときに息子の
正和さんから携帯に電話が入った、それを何とか自分の息子が大変異常な
状況にあるということを
警察官にわかっていただきたくて
警察に電話を渡した。ところが、その
警察の担当者が何と言ったかというと、「須藤か、今どこにいるんだ。早く帰って来いよ。」と言った後で、「石橋だ。石橋の
警察だ。」というふうに言ったそうであります。
携帯電話は、後ろで聞いていれば伝わってくる音声はすぐ聞き取れますから、その「石橋だ。石橋の
警察だ。」と言った瞬間にぷつっと携帯電話が切られて、そしてそれが先ほどのお話のとおり十一月三十日でございましたから、その翌々日の十二月二日に殺害をされるということで、
正和さんの両親から見れば、この「石橋だ。石橋の
警察だ。」という一言が非常に
正和さんを生命の危機に一足飛びに追いやった、その心ない一言によって
正和さんは殺害をされたんだ、こういうふうに思うのもこれは当然だと思います。
また、もう一つ、
正和さんが連れられていた車の手配がもうちょっと早く、しかもきっちりとなされていれば
正和さんは救われたのではないのかなと思うことがございました。
それは、殺害をされる一日前に
正和さんが連れられていた車が宇都宮市内でオートバイと接触事故を起こしまして、そこで
正和さんもいて、犯人の少年たちが
正和さんと一緒に車に乗っていた
状況で事故を起こす。物損事故ということでありまして、配備がもっと徹底した形で行われていたならば、そのときに
正和さんはいわゆる監禁状態から救うこともできたのではないのか、こういうふうなことも言われて、父親の側からいえば大変悔しい
事情の一つに私はなっているのではないのかなと思います。
そういうもろもろの問題があるわけでありますけれ
ども、その後にも、県の
公安委員会で、父親あるいは母親、両親としては、このような石橋の
警察だなどという非常に、犯罪に巻き込まれていた人間が犯人たちに取り囲まれている、犯人たちが近くにいるかもしれないというそういう
状況の中で、
警察がそれを察知しているということが直接それに伝わるような
状況が起こったらこれはどうなるかということは当然わかるはずでありまして、これは大変重要な事実であります。その重要な事実であるということを
公安委員会と県警本部にしっかりと調べていただきたいということで、先ほど資料一でお示しを申し上げましたこの四月二十七日の調査要請書を出すわけであります。
しかし、それに対して回答が第一回目に来たのが一カ月後の五月二十七日、資料二と資料三であります。
資料の二の方は一枚紙であります。このような調査要請書で、資料一にあるように相当いろんな問題点が含まれている、それを
公安委員会に対してよく調べてくれということを言って、
公安委員会から返ってきたのはこの五月二十七日のたった一枚紙の回答書であります。
県警本部はもうちょっと細かいかなといいますと、結局この
公安委員会とほとんど大差ないような三枚紙でありまして、それが資料三であります。資料三で、三ページ目は先ほど示したように
事案を
警察なりに整理したそういう整理表でありますから、実質を持っているのは一ページ半のこの文書であります。
当然これでは両親は納得がいかないということで、さらに何度も何度も調査請求をするようになる。その分量が多かったので
委員の皆様へのコピーということには至りませんでしたけれ
ども、その補足ということの回答書がこの六月三日付の回答書としてここに出ております。これは、質問に先立ちまして
警察庁長官初め皆様には見ていただきたいということでお渡しを申し上げました。
この回答書、皆様のお手元にはございませんけれ
ども、例えば、
警察は事件にならないと動かないという発言があったかどうかということについて調査要請をしているわけでありますけれ
ども、その重要な点についても非常にあいまいな回答しか寄せられておりません。
それから、先ほど申し上げた一番肝心な「石橋だ。石橋の
警察だ。」というふうに、この両親は、あるいは周りにいた人はしっかりと石橋の
警察だということを言ったその主任さん、主任Aということになっていますけれ
ども、このA主任の言葉を聞いているわけでありますけれ
ども、回答書の調査結果の方では、遠くに離れていたところから突然携帯電話を渡された、それで、前に話していたから自分が
警察官であると気づかれてしまうのでこれは断ったはずだということで、一番大切な事実については水かけ論に終わっているわけであります。水かけ論に終わっていて、じゃ、それ以上突っ込んだ調査を
公安委員会あるいは県警本部が石橋署のその主任に対して行ったかというと、それは今もってはっきりとしておりませんし、なぜそうなるかということを聞きますと、結局調査能力の限界があるとか、犯罪を捜査しているわけではないなどといったそういう言葉で、結果としてその一番肝心な事実についての回答は今もってなされていない、こういう
状況であるわけであります。
しかも、県警本部、
公安委員会に調査依頼をするときに、両親はこの四月二十七日付の調査要請書を持って栃木県の県警本部に行く。しかし、県警本部には窓口はないんです。
公安委員会はどこに行ったらいいかわからないということで、
警察の方にこの
公安委員会への調査要請書を渡す、こういう
事情になってしまう。
また、一カ月たった五月二十七日に両親のところにこの
公安委員会の回答書を持ってくるときに、回答書を持ってくるのも
警察の方であった。こういうふうな
状況でありまして、両親の側からいえば、
公安委員会が一体どういう存在なのか全く見えてこない。こういうふうな実態も私は聞かせていただきました。
ということで、長々と説明させていただきましたが、まず、事件にならないと捜査はしないよ、こういうふうに言っている、あるいは言ったか言わないかが問題になりますけれ
ども、そういう
考え方についてどういうふうにお感じになっているのか。
また、先ほど
指摘をいたしました
公安委員会あるいは県警本部の
監察をする、チェックをするといいながら、先ほど言ったように、結局のところ事実があったのかどうか。周りの人が聞いているんですよ、石橋の
警察だというふうに言った言葉を。ところが、その明瞭に周りの人間が聞いた言葉の存在自体を確認できないような、そんな調査能力だったらチェックなんかできないんじゃないのか、そういうふうに
考えざるを得ません。
でありますから、この
事案に対してまず全体のお話をさせていただきましたが、ケーススタディーの一番最初として聞かせていただきたいのは、事件にならなければ動かないよという、そういう実態があるのかどうか、石橋署でそういうことが現実に行われたのかどうか、あるいは、申し上げたような、本当に
公安委員会あるいは
警察本部の所轄署に対する調査というようなものはこの程度のものなのかということで、その辺についての御見解を
警察庁長官とそれから
国家公安委員長に聞かせていただきたいと思います。