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山本(有)
委員 まず、
あっせんという言葉を使いながら請託要件を外してしまったという
刑法の常識外のこの論理展開。さらには、
私設秘書という、論理あいまいな、
概念上幾らでもあるような、右から左まで範囲の広いものを
処罰しようとするその
考え方。そして、権限に基づく影響力の行使という、
与党案にはしっかりした
構成要件があるにかかわらず、これを外したこと。さらに、我々は契約と行政処分というように限ったところでございますが、単なる職務上の
行為と、何の
行為やらわからぬというようなあいまいさ。さらに、
わいろという、財産上の
利益よりもはるかに広い
概念を使ったこと。こういったことから、非常に後で私は歴史的に後悔するような
法案であるというように思っておるわけでございます。
憲法二十一条は、表現の自由をうたっております。この表現の自由というのは、ほかの自由権に比べてダブルスタンダード、すなわち、単なる規制ではだめ、より厳格な規制を加えなければ制限してはならない、こういうのが常識になっておるわけでございます。
なぜそういうように厳格な要件を課すのか。それは、精神的自由というのは、まさに我が国が
民主主義、すなわち自由な思想を許すがゆえに精神的自由を確保しなければならない。すなわち、なぜ思想を自由にするのか。それは、
国民が投票を自由にしなければならぬ。投票を自由にすることによって初めて
民主主義が実現するというわけでございます。すなわち、そこに我々は、投票に対して何らか影響力あるものに対しては神経質になり、そしてちゅうちょもし、逡巡もし、そして、もしやむを得ざるときには極めて厳格な要件を課して規制をする、こういうような態度が必要であるわけでございます。
我々
政治公務員というのは、必ず任期がございます。永遠に、採用されればこれで何十年もこの地位にあるということではありません。すなわち、
選挙というもので我々は選ばれるわけでございます。そのときの資料、すなわち、それは灰色であれば我々は落ちるという宿命を持っております。この宿命が原則でございます。にもかかわらず、灰色であるかどうかわからないあいまいなものを残しながら、灰色のところは
司法警察にゆだねよう、こういうことは、
民主主義の三権分立の大原則、さらに二十一条が精神的自由については極めて厳格に要請をしているという理念、そういったものからすると、非常に私は
野党案は問題が多い
法案であると
思います。
これを私は、マスコミ、すなわち特に週刊誌、週刊誌というのは、売らんかな、販売せんかな、そして印刷を安く上げるというような経済のメカニズムでできた産業の
一つでございます。この産業の
一つの週刊誌が、とにかくマスコミに有名な
政治家を披瀝して、それで週刊誌を売ろう、こういうわけでございますが、まるでその週刊誌に出た人を捕まえたらそれが
正義だと言わんばかりの
法律になっていることに、私は、情けない限りの
思いがするわけでございます。
野党の皆さんに猛省をお願い申し上げまして、私の
質問とさせていただきます。どうもありがとうございました。