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2000-12-21 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年十二月二十一日(木曜日)     午前九時一分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 鹿野 道彦君 幹事 島   聡君    幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君    幹事 塩田  晋君       奥野 誠亮君    小泉 龍司君       佐田玄一郎君    杉浦 正健君       田中眞紀子君    中曽根康弘君       根本  匠君    鳩山 邦夫君       平沢 勝栄君    保利 耕輔君       三塚  博君    水野 賢一君       宮下 創平君    茂木 敏充君       森山 眞弓君    山崎  拓君       五十嵐文彦君    石毛えい子君       枝野 幸男君    大出  彰君       樽床 伸二君    中野 寛成君       藤村  修君    細野 豪志君       牧野 聖修君    山花 郁夫君       斉藤 鉄夫君    東  順治君       武山百合子君    赤嶺 政賢君       春名 直章君    辻元 清美君       保坂 展人君    近藤 基彦君       小池百合子君     …………………………………    参考人    (国際基督教大学教養学部    教授)          村上陽一郎君    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ————————————— 委員の異動 十二月二十一日  辞任         補欠選任   新藤 義孝君     小泉 龍司君   前原 誠司君     樽床 伸二君   太田 昭宏君     東  順治君   山口 富男君     赤嶺 政賢君   土井たか子君     保坂 展人君   野田  毅君     小池百合子君 同日  辞任         補欠選任   小泉 龍司君     新藤 義孝君   樽床 伸二君     前原 誠司君   東  順治君     太田 昭宏君   赤嶺 政賢君     山口 富男君   保坂 展人君     土井たか子君   小池百合子君     野田  毅君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国憲法に関する件(二十一世紀日本のあるべき姿)     午前九時一分開議      ————◇—————
  2. 中山太郎

    中山会長 これより会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を行います。  本日、参考人として国際基督教大学教養学部教授村上陽一郎君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査参考にいたしたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初参考人の方から御意見を五十分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと思います。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっておりますので、さよう御了承願います。また、参考人委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、村上参考人、お願いいたします。
  3. 村上陽一郎

    村上参考人 こういう機会に科学技術のことに関してお話をさせていただくチャンスを与えられたことを、調査会としての御見識に私は感謝の言葉最初に申し上げたいと思います。  会長中山先生からは、二十一世紀のあるべき姿についての展望を述べてほしいという御依頼でございました。おわかりいただいているかどうかわかりませんが、私自身は、どちらかといえば過去の歴史を勉強してきた者でございますので、果たしてどこまで将来の展望が申し上げられるかわかりませんが、しかし、将来というのは必ず過去からつながっているものでございますので、その意味では、半ば以上過去のことを申し上げることになると思いますけれども、それを御参考になさっていただければと思います。  多少簡単なレジュメを用意いたしましたので、大体それに沿ってお話をさせていただきます。  私は、科学技術を比較的明確に分ける立場におります。後に申し上げますように、現在の科学の一部は非常に技術に近づいておりまして、技術区別のつかない場面、あるいは工学区別のつかない場面も多々ございますけれども、それでも歴史的伝統の中では科学技術は明確に区別をしておくべきだという立場に立っております。その点で、とりあえず区別を前提にした上でのお話になります。  科学というのがヨーロッパをいわば故郷にしていることは御案内のとおりでございますけれども、非常に長い学問歴史の中で、今私たち科学と呼んでいるような知的な営みヨーロッパ、まあアメリカはその少し後と言ってもいいと思いますが、ヨーロッパに誕生したのはそれほど古い話ではないというのが私の基本的な認識です。  例えば、簡単なことですけれども、科学者という言葉に相当するヨーロッパ語はすべて十九世紀に初めて生まれておりまして、それ以前には科学者に相当する言葉はありませんでした。したがって、科学者という名前で呼ばれるような社会的存在存在しなかったということになります。つまり、科学者がいなかったということであります。  一言だけ余計なことをつけ加えますが、今私たち科学者ではないかと思っているような例えばニュートンのような人たちは、哲学者と呼ばれておりまして、科学者とは決して呼ばれませんでした。つまりそのことは、十九世紀ヨーロッパでも、現在私たちが考えているような意味での科学が本格的に姿をあらわしたということの間接的な証拠とも言えると思います。  そこにも書きましたけれども、大学の中に理学部に相当する学部が生まれ始めるのも十九世紀もむしろ半ば過ぎのことでありまして、大学というのはそもそも十二世紀末にヨーロッパに誕生しますが、それ以降、理学部に相当する学部を持った大学は十九世紀まで存在しておりません。学部としては、これも御承知のとおり、哲学部があって、あと神学校医学校法律学校があるというのが大学の基本的な構造でございました。十九世紀になってかなりたってから、それだけでは足りないというので、理学部が少しずつつくられていく。  ちなみに申し上げますが、工学部は決して大学の中には十九世紀中は存在しませんでした。工学ないし技術というのは学問、つまり大学で行うような学問として認められたことは少なくても十九世紀にはなかったわけです。例外日本であります。  その例外でございますけれども、一八七七年、御承知のとおり、日本最初近代的な大学として東京大学が発足いたします。明治十年のことでございますが、そのときは学部としては、そこに書きました法学部医学部、文学部理学部の四学部でございましたので、この時期、一八七七年という時期に、欧米大学理学部を備えていた大学が極めて数少ないという事実から判断いたしますと、これは先進国で行われている最も先進的な部分を比較的問題なく取り込むという後進国の特権と言われることかもしれませんけれども、とにかく、時間的には理学部を取り込んだのはむしろ早いと申し上げていいと思います。  もう一つ東京大学の特徴は、当時存在していた欧米大学と呼ばれるところでは決定的に常に必要であった神学校ないしは神学部を持たなかったということでございまして、これは、そこにありますように、欠格条件ではなかったかと思います。それだけの大胆なことを日本明治政府はやったということになります。  ちなみに、工学系でございますけれども、これも御承知だと思いますけれども、明治政府初期に、ヨーロッパの十八世紀の終わりから十九世紀にかけて生まれ始めた技術学校をまねた工部大学校という東京大学とは別の組織を、同じように東京大学が生まれた明治十年、一八七七年につくります。  なぜヨーロッパアメリカでこの時期に技術学校が生まれたかということもお話ししなければならないかもしれませんけれども、要するに、大学ではない全く別の組織として、ヨーロッパないしアメリカに、それまで職人のギルドと親方徒弟制度の中に閉じ込められていた技術というものが社会的に開放されていくことによって、どうしても学校の中で学びたい人たちにその技術を伝播する制度が必要になってきたという認識のもとにつくられていくのが十九世紀欧米技術学校でございますが、それをまねた工部大学校というものが同じ年に設立されます。  ところが、いろいろ事情はあったのでしょうけれども、約十年たった明治十九年、一八八六年にこの工部大学校は、当時工部省という省がございましてその工部省管轄でございましたけれども、工部省の廃止に伴う措置でもあったと思いますが、いずれにしても、文部省管轄東京大学、十九年には帝国大学令というのが出て実は東京大学帝国大学になりますが、その年に工部大学校は東京帝国大学に併設される学部一つとなります。この時期に、全世界を見渡して、ユニバーシティー、総合大学と名乗っているところで、工学部を持った大学としては恐らく世界最初であると申し上げてよろしいかと思います。  それから約十年、東京大学ができてちょうど二十年ですが、一八九七年にできた京都帝国大学では、最初から工学部を持つことになります。しかも、そのときの総学生数に対する工学部比率は四〇%という比率で、非常に大きな学部として発足しております。  しかも、その工部大学校や初期帝国大学工学部に、当時、最初はまだ工学部という名前ではございませんでしたけれども、とにかく工学部に進学していく学生たちの多くが知的なエリートないしはエリート養成集団であったということも注目に値いたします。  もちろん、明治政府で最もつらい思いをしたのは幕府関係下級士族であったと思われますし、そういう人たち子弟がこぞって工部大学校ないしは工学部へ進学していくというのは、恐らく彼らの働き場所国家を建設していくための働き場所として、例えば電信、それから鉄道、あるいは当時の造家、現在の建築ないし都市計画土木工事、それから鉱山といったようなところに進んでいくことによって、国家に対して寄与ができるというふうに考えた人たちが非常に多かったということを意味しているように思います。  つまり、十九世紀の終わりには、日本社会、産官学いずれを取り上げてみましても、大学工学部での学士様たちがその社会的な機能をきちんと果たすということが起こってきたわけで、現在でも欧米大学の中に、特に例えばイギリスなんかの伝統的な古いオックスブリッジのカレッジの中には工学部を持たないところもたくさんございますし、そういう点では、知的エリート工学系に進むということの少ないことをむしろ嘆いている現状の欧米の姿からすれば、これは極めて異質な文化的背景であったように思われます。  現在でも、大学における理学系工学系学生数を比較してみますと大体一対八くらいになるというこの数字理学系が一で工学系が八というような数字は、これもまた極めて異例の数字でございます。  要するに、極めて簡潔に言ってしまえば、近代日本社会は、工学というものに対して欧米社会が持っていたような偏見はほとんど全く持たないばかりか、むしろそのことによって、いわば国家建設の重要な柱とするというふうに考えてきたことは、一貫してこの百年間ないしは百五十年間の日本の姿勢であったように思います。それは戦後においても変わらなかったというふうに考えることができます。そのことは、特に戦後社会の中での日本産業の発展や経済的な繁栄の背景であったということは、きちんと評価しておいていいことではないかというふうに思います。  ただ、これも誤解のないように一言つけ加えさせていただきますが、近代産業が出発したのは言うまでもなく欧米でございますけれども、産業技術が、十九世紀になって次第にきちんとした形で社会の中で認められていったこうした科学営みとはほとんど無縁のところで誕生し、展開していったということもぜひおわかりになっておいていただきたいポイントの一つでございます。  現在でこそ、さまざまな企業は、片仮名語になって申しわけございませんが、いわゆるインハウスラボ企業内研究所というのを持っておりまして、そこに多くの理学博士などを雇って研究を行わせ、そしてその研究成果をそのままみずからの製品やノウハウに転化していくということをやっておりますけれども、十九世紀の後半、産業革命が進展する中で近代基幹産業というのが生まれてまいります。  精密機械、あるいは自動車、鉄鋼、化学、あるいは電気電力電信その他が十九世紀の後半から二十世紀の初頭にかけて次々に基幹産業としての企業形態を整えてまいります。USスチールだとか、フォードだとか、GEだとか、シーメンスだとかいったような会社が生まれてくるわけでありますけれども、そういう基幹産業を立ち上げた、これも片仮名語でしか普通申しませんが、いわゆるアントルプルヌールと呼ばれる人たち、どういうわけか英語圏でもこのフランス語が使われますけれども、このアントルプルヌールと呼ばれる人たちは、エジソンにしても、カーネギーにしても、フォードにしても、シーメンス兄弟にしても、ダイムラーにしても、だれ一人として大学出はおりません。自然科学研究成果などに触れた人も一人もおりません。  要するに、そういう人たちは、文字どおり自分の才覚と努力と、有名なエジソン言葉がございますけれども、一%の才能と九九%の汗を流すこと、パースピレーションという有名な言葉がございますけれども、しかも運に恵まれてのし上がっていった人たちであります。  当時、例えば電信とか電気電力という産業が立ち上がってまいりますけれども、例えばマクスウェルの電磁方程式が十九世紀の後半に発見されますけれども、電磁方程式という科学成果がそういう技術開発に何らかの影響を与えたという証拠は全くございません。  したがって、この当時は、科学科学大学の中で、私たちは時々それを好奇心駆動型というような言葉で呼びますけれども、英語のキュリオシティードリブンという言葉を翻訳したものでございますが、それぞれの科学者たちが、同じ好奇心を共有する人たちが集まっていわば一つ共同体をつくりますと、その共同体の内部で知識が生産され、蓄積され、流通し、そして評価されていく、そういう一つ組織をつくりまして、極端な言い方、少し卑俗な言い方をしますと、自分たちでおもしろがっている。  そういうふうにして、普通の人はそんなことに余り関心もおもしろがりもしないけれども、しかし、ある人たちはある問題についてどうしてもわかりたいと思い、わかったことを喜び、そしてその喜びを、いわば同じ喜びを共有できる仲間たちと共有する。そういう内向き営みとして自然科学というものが基本的には存在していたということを、私はプロトタイプ科学と呼んでおりますが、そういう科学の原型として存在していた。したがって、そこで行われているさまざまな知的活動成果としての新しい知識は決して外に漏れ出ることがない、つまり自分たち仲間だけ。  これも、評価で、最近あちこちで使われる言葉ですけれども、ピアレビューという英語がございます。ピアというのは、本来はイギリス世襲貴族の長男が上院のメンバーシップに入るときのことを言うんだそうでございますが、それから派生して仲間という意味だそうでございます。このピアレビュー、つまり仲間によって評価される、仲間評価してくれればうれしいという、それだけの営みとして自然科学は十九世紀組織化されていく、そういう状況があったわけでありまして、そこで得られた知識を何らかの形で社会的な効用に転化するということはほとんどまだ考えられたことがなかったわけであります。  ただ、レジュメの5になりますけれども、欧米でもそういう科学の姿に非常に大きな変化が起こったのが、大まかに言いまして、第二次世界大戦の最中からその直後にかけてだったというふうに考えられます。  その最も典型的なものは、御承知のとおり、アメリカ政府核兵器開発計画、つまりマンハッタン計画でございますけれども、マンハッタン計画はその中では一部でございまして、多くの軍事的目的のためにアメリカ政府は、科学者科学者共同体専門家の集まりの中だけに閉じ込められていた知識をいわば国家的な軍事目標のために利用し活用するという一つ社会的な制度をつくり上げていった。それが第二次世界大戦の最中でありました。  このキーパーソンは、よく言われますけれども、バネバーブッシュという人物です。今のブッシュさんやそのお父さんのブッシュさんとはまるで関係ありませんが、MIT初代工学部長を務めた男であります。  たしか一九三七年ぐらい、私は三六年生まれですから、ちょうど今から六十三、四年前ですが、その三六、七年にMIT大学に昇格します。あれは今でもマサチューセッツ・インスティテュート・オブ・テクノロジーといいまして、ユニバーシティーと名乗っておりません。もちろん今はアメリカでも十指に入る大学ですけれども、その出自、出発点は一八六二年ぐらいにアメリカのマサチューセッツ州に生まれた工学校であります。工員さんの子弟たち教育するための夜間学校でありました。完全ないわば技術学校であって、大学ではなかったわけですね。  それがちょうど今から六十数年前に大学としての体裁を整え始めまして、そして初代工学部長になったのがそのバネバーブッシュという人ですが、そのブッシュが、当時、ローズベルト大統領の任命によってアメリカ国防総省の中の研究開発部局局長という地位に取り立てられまして、アポイントされまして、そして、そこで始めた仕事がまさしく、先ほどから申し上げているような、内向きであった科学成果国家が、特に軍事が、ここで、非常に国際的にきつい言葉を使う習慣がございますので、お耳ざわりだったらお許しをいただきたいんですが、搾取をする。英語ではエクスプロイテーションという言葉を使いますけれども、国家軍事研究者の中での研究成果をエクスプロイトする、搾取をするというような言い方をいたしますが、そういう一つ社会的なチャンネルができ上がっていく。  これをつくり上げた最も典型的なのはアメリカ政府だった。もちろん、多かれ少なかれ、日本でも戦時中に総動員体制がありましたし、例えば理工系学生優遇措置あるいは予算面での優遇措置というのもございましたけれども、最も社会制度的に入念なやり方でその制度を立ち上げたのはアメリカ政府だったと思います。  御存じの、アメリカ中央政府、フェデラルガバメントの現在では重要な部局一つであるNSF、ナショナル・サイエンス・ファウンデーションというのがございますが、このNSFもこのときのバネバーブッシュ努力によって最終的に日の目を見たものでございます。制定の年代は少しおくれまして一九五〇年、ちょうど今から五十年前だったと思いますけれども、そのときに、いわば戦時中のローズベルトブッシュ体制によって生まれた最終的な結果の一つNSFの設立ということにもなりました。  こうした段階で、科学というのは新しい形、性格を持ったと私は思っています。  現在では、先ほどから申し上げてきたような、ある意味内向き自分たちだけが真理を探求している、その楽しさを共有している、そういう営みとしての科学と、それから、いわば社会国家使命を達成するために協力するという形で行われる科学、これはほとんど技術に近いものであります。私は、前の方の科学タイプのことを先ほど好奇心駆動型という言葉で呼びましたが、それに対応させて言えば、後から出てきたような科学タイプ使命達成型とでも呼ぶべきものであります。これもミッションオリエンテッドという英語の翻訳になっておりますけれども、使命達成型。  そして、別の言い方をすれば、前の方の科学は、外部にクライアントつまり発注主がいない。ところが、後の方の科学は、科学者の外に発注主クライアント存在する。そのクライアントは、多くの場合、国家であったり、国家の中のいろいろなセクターであったり、場合によってはそれは企業でもあります。産業でもあります。そういうタイプ科学が誕生してきたのがここ五十年ほどのことであると思います。  それに伴って、言うまでもないことですけれども、社会仕組みも変わってまいります。例えば、先ほども申しましたように、科学研究成果評価は、古いタイプ科学ですと、いわば仲間評価ピアレビューで済んでしまいます。しかし、使命達成型の新しい科学研究ですと、この場合は、その評価は決して仲間内だけでは済みませんで、もともとその使命を発注した発注主評価も入りますし、その他もろもろの評価が外から入ってくることになります。  そういうわけで、さまざまな研究仕組みや、研究評価する仕組みや、研究に対してお金を投下する支援の仕組みも変わってまいります。  それこそが、現代日本でも一九九五年に科学技術基本法が制定され、それに基づいて基本計画が、第一次がちょうど済みかけているところは御案内のとおりでございますし、新しい五カ年の基本計画が今まさに成立しようとしておりますけれども、そういうふうに、外交や産業育成やその他医療や教育やといったようなことと並んで、科学技術国家政策一つとしての重要な柱になってきた理由でもございます。  ここまでが過去の分析でございまして、そこから将来の日本社会がどうあるべきかということに私なりの多少の見解を述べさせていただくことになるわけですけれども、まず一つの問題は、現代教育の中でいわば文系理系という二つの非常に明確な分離が高校のレベルから既に起こっていることに対して、私はやはりこれを将来は改めなければならないのではないかというふうに考えている次第です。  なぜそうなのか。二つ理由があります。  一つは、文系という考え方理系という考え方の中には、特に、またこれは一九九一年のいわゆる大学教養課程大綱化と呼ばれている現象とも絡みますけれども、大学においても自然科学工学について全く目を開かれることもなく、知識を提供されることもなく、高校から大学を卒業して社会に巣立っていくことができるような文系というチャンネルができてしまっております。  一方、理系人たちは、やはり高校から大学を通じて、人間がどういう存在であるか、社会はどういう仕組みになっているか、社会において人間が生きるということはどういうことなのか、死ぬということはどういうことなのかというようなことについて目を開かれることもなく、場合によっては、差しさわりがあったらごめんなさいですが、医学部へ行く学生たちでも全くそういうことに目を開かれることなく、ひたすら数学や物理学の点数が常に高いという、いわゆる偏差値によって輪切りにされていて、その高い偏差値を持った生徒たち大学医学部へ送り込まれてくるというわけです。  しかし、既に申し上げたことの中でおわかりのように、理学系工学系学問というものが、かつてのように自分たちの、工学系内向きではありませんでしたけれども、少なくとも理学系に関して言えば、理学系という学問内向きであった時代は、いわば社会は、あたかもオペラや芝居やバレエをやっている人たちを、あそこにはそれを自分たちでおもしろがっている人たちがいる、しかしそれも人間活動一つであり、人間活動の幅を広げ、深さを増していくための活動一つだ、では社会はそれをそれなりに支援してあげようではないかという態度で支援をしていたのと、あるいは支援をしているのとほとんど同じ姿勢で科学研究に対して支援をしていれば、それである意味では済んでいたわけですね。  ところが、現代社会はもはや、先ほどから申し上げているように、国家ないしは社会のさまざまな使命にこたえる形で科学研究組織化されている部分も非常に多くなっているという現状の中では、理工系学生といえども、自分たち研究の内容が社会に対してどういうふうに影響を与え、人間の生きること、死ぬことの中にどんなふうに自分たち研究成果が影響を与えるかということについてもきちんとした把握ができるだけの基礎的な見識を持っていなければならない。  一方、人文系の、非理工系と言われる形で社会存在している人たちも、自分たちの生きていること、そして社会活動をしていくこと、そして場合によっては死ぬこと、その一つ一つの側面に科学技術研究成果がそのままあらわれてきていて、自分たちがまさに例えば子供を授かったというときに、この子供をどういうふうに産むかというようなことについても、現在では御承知のとおり出生前診断とか、あるいは場合によってはもっと前に、授かる前に既に、IVF、体外受精によって得られた場合には着床前診断までできるという可能性が生まれてまいります。そうすると、生まれることから始まって、臓器移植なら臓器移植で死ぬ後まで、自分の生きていくということがそのまま現在のさまざまな研究成果によって左右され、あるいはみずから自分がそれに向かって判断しなければならないということもしばしば起こってくる。  そういう中で、理学系についての大まかな把握のできるような基礎的な力というものをどうしても非理工系のキャリアを歩む人たちにも持ってもらわなければならない。そうでないとこれからの社会に生きていくことができないという状況がまさしく生まれているということを、ぜひ、これからの教育改革などの場面でも実現していくために私たち努力をしなければならないのではないかということを、ポイントとしては申し上げたいと思います。  それから、もう一つは、そういう科学技術成果が、御承知のとおり、情報社会というものを現代社会の中につくり出しておりますけれども、その情報社会ということについても時々誤解があるように思います。情報社会における情報技術社会化というのは何のためかということをぜひお考えいただきたいというのが、私の将来の社会に対する念願の一つでございます。それは、社会の構成員のメンバーの一人一人がみずからの意思と判断によって行動することができる、そして、そのみずからの意思と判断に基づいて行動することが社会をつくり上げていくことにそのまま参画できるような、そういう社会を私は将来の社会として描きたいというふうに、これは個人的な思いでございますが持っております。  そして、そこで情報が大事なのは、そういうことを目指す個人にとって、みずからの意思と判断をつくり上げるために必要な情報をいつでもどこでも手に入れることのできるような状況を社会がきちんと、もちろん自分たちでもつくり上げるわけですが、用意されている、あるいはそういう用意に対して周到であるような社会、それが本当の意味での情報社会だというふうに考えます。  その点で、私たちにはまださまざまな障害が残っております。これもいろいろな場面で、法律的な場面も含めまして、現在いろいろ御検討中と承ってはおりますし、緩和の方向で施策が進められているとこれは確かに聞いておりますけれども、例えば医療機関の内部の情報、例えばそのメンバーの治療実績だとかさまざまなことに関しては、現在では広告規制や医師会の自主規制などによってなかなかそれが実現しない。  しかし、医療消費者の立場からすれば、そういった情報に関して、きちんと情報技術を駆使すれば常に手に入るというような状況。あるいは、例えば、安全を目指してさまざまな研究活動が行われていますが、交通事故に関する細かい情報というのは、警察がプライバシーをポイントにしてなかなか公開されないという状況。こうした状況に関しては、少しずつ開いていくことが必要であるように思います。そして、それこそが、私たちが現在の科学技術成果として享受している情報技術社会の中での役割を果たすために、それが活用できるという状況ではないかということが一つ申し上げておきたいポイントです。  それから、もう一つのポイントとしては、現在のライフサイエンスの進展ということに伴って起こっておりますことが、これも未来の日本社会をつくり上げていくために非常に重要なことではないかというふうに思います。  そこに、最も生命の問題について厳しいと言われている現在のドイツの基本法を引いておきましたけれども、人間の尊厳というのは手を触れることができないものであるという文言の重さというのが、現在のドイツ社会にとってある意味では非常に難しい問題をいろいろと提起していることは、これも御案内のとおりでございます。しかし、こうした人間の尊厳というものの持つ意味合いをいわば一つ国家の理念として掲げるということは、私は、何らかの形で、これは基本的人権よりも前にあってしかるべきものではなかろうかというふうに考えております。  実は、レジュメに戻りますけれども、最後にもう一言だけ申し上げておきたいことがございます。  それは、既に申し上げましたとおり、現在の科学研究というのが二通りのタイプが混在しております。一つは、先ほどから申し上げておりますような意味で古いタイプの、十九世紀ヨーロッパ科学が誕生したとき以来の、あるいはそのプレヒストリー、前史としてのヨーロッパの伝統の中に培われてきた知に対する喜びというもの、これを中心に置いた科学研究の姿と、それからもう一つは、先ほど申し上げましたバネバーブッシュ以来の、つまり今世紀後半の五十年に非常に顕著に見られるような、社会国家使命をいわば科学研究に請け負わせるというようなタイプ研究。これはやはり二つきちんと区別すべきではなかろうかというのが、私の最後に申し上げたいポイントです。  これからの二十一世紀日本の中で、そこをきちんと区別して、しかも両方に対して十分な配慮をするということを我々は目指していかなければならないのではないか。最初に申し上げましたような日本近代の伝統の中で、工学ないし技術に対する配慮というのは極めて厚かったし、その点では、欧米先進国と言われている諸国もまた、むしろ日本をうらやんでいる状況でございます。  しかし一方で、第一のタイプ科学に対して、しかも、現在では科学技術基本法に始まり、国家使命を負託して研究者が請け負っていくというタイプ研究については大変にぎわっておりまして、これはこれでまことに結構なことであります。それは、国家としての存亡をかけて、国際競争的な場面の中で国家を繁栄に導くための一つの施策として、それはそれなりにもちろん必要なことでありまして、私はそれを非難するつもりは全くありません。むしろ、それに賛同し、その状況を好ましいものと考えている人間であります。  しかし、そのことに紛れて、いわば第一のタイプ研究がさらに日本ではどちらかといえば陰になっていく。なかなかひなたには出られない。  私が親しくしていただいております、現在滋賀県立大学の学長をしていらっしゃいます日高敏隆さんという方がいらっしゃいます。日高さんがいつもおっしゃることは、自分は若いころに、チョウチョウはどういうふうに飛ぶのかという研究をしていた。あるときそのことを話したらば、聴衆の中からある方が立って、たしか日高さんはそのころ農工大に勤めておられたと思いますが、あなたは国立大学の先生でしょう、国立大学の先生がチョウチョウが飛ぶなんていう愚にもつかないことをやっていてよく恥ずかしくないですねと言われたとおっしゃいます。その風土ですね。  日高さんのそのお話には、実は後半がございまして、最近になっていろいろな地方自治体が、自分たちの町はチョウチョウの飛ぶ町であるというようなことを惹句にして人々を引きつけようとする。そうすると、都市設計者は町の真ん中に十二カ月花を絶やさないような花壇をつくって、さあこれでチョウチョウが飛んできますよとおっしゃる。だけれども、かつて三十年前の私の研究、日高さんの研究ですが、私の研究によれば、それだけではチョウチョウは飛んできませんよと。幼虫の育つ里山からちゃんとグリーンベルトを花壇まで引っ張って、日高さんの研究によると、百メートルのオープンスペースを飛び越すことが通常のチョウチョウはできないんだそうですね。ですから、そのために、チョウチョウが生まれた里山から花壇まで飛んでくることができるような道をちゃんと何本か用意してあげないとだめなんですよ。ほら、やっぱり役に立つこともあるでしょう。こうおっしゃるわけです。  役に立つことがあったことは、これは皮肉ではなくて、本当におめでたいことだと思いますけれども、それが三十年後であろうが百年後であろうが、あるいはもしかして社会的にそういう意味では直接的な役に立たなかったとしても、なお私たちには、知る喜びというものが実は人間には備わっているんだということをどこかで基本的にしっかりと認めておくこと。  最後に、ゲーテの言葉を引かせていただきますが、ゲーテにこういう言葉がございます。考えようとする人間にとっての至福の喜び、最高の喜びは、理解できるものを理解できたときの喜びであり、かつ、どうしても理解できないものの前にこうべを垂れて静かにひざまずくことの喜びであるという有名なゲーテの言葉があります。  私たちは、科学研究というものは二通りあるということをぜひ理解し、そしてその両方、もう一方がいかに直接的には社会の役に立たないように見えても、人間が知ろうとする喜び、知ろうとすること、自然の前に神秘の扉を敬けんに開いていくときの喜びというものをたっとびたい。そういう社会、そのこと自体を極めて大事な価値として大切にしていく社会をぜひ二十一世紀につくり上げていきたい。そのことは決して科学技術基本法の理念にもとることではないと確信しております。  ちょうど五十分になりましたので、私の話を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  4. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  5. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  まず、調査会を代表いたしまして会長から総括的な質疑を行い、その後、委員からの質疑を行います。  それでは、ただいまからお伺いをさせていただきたいと思います。  本日、参考人には、科学史を通じて科学の二面性というものをお話しいただいたと思います。  大変有意義なお話でしたが、きょうは今世紀最後の憲法調査会でございまして、私ども、直接国民の生活に影響を与える政治をやっている者としては、国会としてやはりこの二十世紀というものがどんな世紀であったかということを回顧してみる必要があろうかと思います。  二十世紀を回顧すると、私ども人類は、日露戦争、第一次、第二次世界大戦やベトナム戦争、そして国連の創設、米ソの冷戦、湾岸戦争を体験し、多くの植民地が独立した国家となった世紀であったと思います。  一方、二十世紀から二十一世紀に向かってこの百年間、燃料の面では、石炭から重油に転換をした時代であった。そして、一九〇三年にはライト兄弟が初めて飛行機で人類が空を飛ぶということをつくり上げた。やがて液体燃料のロケットが開発されて、大陸間弾道弾を生み、人工衛星をつくり出し、そして人間を月に着陸させて無事に地球に戻してくるといった科学技術の総合力を発揮した。そして、現在、宇宙基地が国際協力で建設されております。  また一方、医学の世界では、一九二八年にペニシリンが発見されて以来、各種の抗生物質が生産されて、人間の平均余命が延び、さらにDNAの組みかえに成功しております。  また、一九〇四年、真空管が発明され、ラジオが生産され、一九五八年に第二世代のコンピューターが生産されて、情報通信が発達してきたわけであります。  一九三八年、ウランの核分裂が発見され、一九四五年に原子爆弾が登場し、以来、原子力発電が実用化をされてまいりました。  また、一九三〇年代から、合成化学の発達で、高分子、石油化学の時代が到来し、新素材が続々と誕生してまいりました。  情報通信の発達は、地球のあらゆる地域に情報を提供し、そして情報通信と物流の革命的変化は、消費者と生産者を結びつける社会システムを実現させてまいりました。それは、サービス業の発展と国民のライフスタイルにこたえる感性消費に対応する物材加工の上に、人間の創造力を価値として評価する知的財産によってGNPが拡大する産業社会への変貌を促してまいりました。  同時に、金融、情報、通信、物流の革命は、経済活動を国境を越えた全地球的なものとし、国家の意思を乗り越えて、国民の生活と活動がそのまま経済活動の結果となる大変な社会変革と相なってまいりました。いわゆるグローバリゼーションの社会の実現となりました。  情報の自由化は、独裁政治を不可能とさせるようになった一方、経済の相互依存性を促進させるインセンティブともなりつつあります。  一方、一九七〇年代のアメリカの金融革命によるコンピューター技術と製品の向上が米ソ間の技術格差を拡大させ、その軍事技術への転用は、ミサイルの命中精度の向上に決定的な寄与をすることに相なりました。  民生技術は、国民経済の発展と関連して進歩しております。ソ連は、西側諸国との交流によって明らかになった圧倒的な格差を持つ国民生活が原因となって、国家体制が崩壊をしました。  このように、新しい科学技術が引き金となって、全世界を巻き込んだ人間社会革命を現在起こしつつあります。  一方、先端技術は、分子生物学を媒介として生物学と分子レベルで接近して、細胞融合から人間を初め全生物の遺伝子が解明され、クローン技術が生まれ、人間の価値観や倫理観に大きな変化を現在起こしつつあります。  膨大な数の人工衛星の飛行と宇宙ステーションの建設への国際協力や核融合計算の国際協力が進む中で、発展途上国、特にアフリカ、南西アジアの地域における爆発的な人口増加の中で、先進工業国に見られる少子高齢化の現象、また土壌、大気、水質等の地球環境の汚染、現在、人類社会は、科学技術の発展とその裏面にある一つの大きなマイナス面を共有している時代を迎えております。  参考人自然科学技術史を研究され、また哲学的な思考でこの科学技術史を見てこられたお立場で、二十一世紀の人類社会はどのような変化が予測されるか。私は、このような点についてきょうは参考人からまず御意見をちょうだいいたしたいと考えております。  そこで、科学技術の進歩が過去から現在までに与えた影響及び未来に与える影響について、人類が受けた恩恵と問題点、未来に与える影響、こういった問題を中心に、情報技術の発展が社会の意思決定や合意形成に与える影響及び科学技術の進歩による環境破壊の負の側面とそれへの対応について、まずお伺いをさせていただきたいと思います。
  6. 村上陽一郎

    村上参考人 言うまでもなく、二十一世紀の人類社会にとって特に大きな問題の一つが環境問題であることは、もう皆様方御承知のとおりでございます。そして、多くの場合に、環境問題の少なくとも一部が科学技術の進展に伴って起こってきた負の側面であるというふうに考えられていることもまた御承知のとおりでありますし、今会長の御指摘になったとおりでもあります。  ただ、私自身は基本的に、この二十一世紀の人類社会を負の側面としてとらえたときの環境問題というのは、科学技術の自身の手で解決できる問題と、それからやはり私たち自身のいわば文化の変化、もちろんその中には科学技術が含まれているわけですが、文化の変化との兼ね合いの中で初めて達成できるものと考えておりまして、第一の面を軽んじることもいわば足りないことでありますし、第二の面だけを強調することも恐らく足りないだろうと思っております。その意味では、少なくとも環境問題に対して、新しい科学の誕生ということも同時に私は予感しております。  例えば、これもアメリカの話になりますけれども、最近、レギュラトリーサイエンス、規制科学日本語では訳されるようですが、まだ正式な訳語はできていないようでございますけれども、レギュラトリーサイエンスという新しいサイエンスが起こりかけております。これは、言ってみれば、自然科学ないしは工学的な知見と社会科学や人文学の知見とをいわば総合した形で、私たちの未来の、最も端的に言えば、例えば、私たちは、社会として持続可能な発展を遂げるためにどのくらい規制値が必要なのかというような、規制値をいろいろな側面から、しかし同時に科学的にそれを定めて、目標として社会が動いていこうというような科学が生まれております。  こういう科学の誕生も含めまして、私たちは、科学技術によって解決できる部分というのを十分に、これは国家間の国際協調と国内の科学技術の進展の両方にわたってこの努力を重ねていくということが必要だと思います。  と同時に、第二の側面、つまり我々の今の文明的なやり方に対して、環境問題が明らかに非常に大きな壁として立ちはだかっている。我々は、その壁を否定的にマイナスの面としてだけとらえるのではなくて、我々に与えられた一つの重要な課題としてそれをむしろ積極的にとらえるということを、我々の新しい二十一世紀を築いていくための礎としてそれをとらえていくということをぜひ考えたいというふうに思っております。
  7. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  次いで、科学技術国家の関係についてお尋ねをしたいと思います。  先ほどドイツの基本法の問題にお触れになりましたが、スイスの基本法では、生命倫理に関する条項を憲法に規定しております。体外受精の問題も含めて、いろいろな問題が憲法上規制されている。新しい憲法であります。  そこで、科学技術の発展とともに、人類の安全というものについてどう考えるか。また、人間及び生命の尊厳と学問の自由の関係をどのように規制すべきか。それから、生命科学の進展に伴う社会の倫理観の変化を国家としてどこまでが規制できるか、こういう問題があろうかと思います。  第二の問題点として、科学技術の規制または促進に具体的な施策はどのようなことがあるだろうか。また、国際社会における科学技術先進国としての日本の責任とはどんなものだろうかということについて、御意見を承りたいと思います。
  8. 村上陽一郎

    村上参考人 特に第一の問題は、大変厳しく、また難しい問題で、私自身も答えあぐねます。  国家と法律ないしは基本法あるいは憲法との関係、あるいは国民とそういう基本法律との間の関係も、国々によって違いますし、社会によっても文化によっても違います。一律に、普遍的にこうであるべきだということがあるとは思えません。  私は、先ほども私の参考意見の陳述の場面で申し上げましたとおり、国家人間の尊厳ないし生命の尊厳というものをどこかでうたうということは必要なことではないかと考えております。ただ、そのことと研究の自由、先ほどもおっしゃいましたが、そういうことに対して、どこまでそれが抵触するかということに関しては、十分慎重な配慮が必要だと思います。  ただ、現在の研究者たちは、核兵器の場合も含めまして、さまざまな経験を学んでおります。そして、私がそれを代表するわけにはまいりませんが、少なくとも私の感覚では、おもしろければ何をやってもいいという研究の自由があるというふうには考えていないだろうということを、これはむしろ希望的ですけれども、考えております。  したがいまして、多くの場合に、専門家同士の間のガイドラインによるのか、あるいは法律によるのか、あるいはそれを最も国家の基本たる憲法ないしは基本法によるのか、そのより方は別といたしまして、何らかの形で研究に対して社会の側から倫理的な規制があり得るということに関しては、全くその可能性を否定する研究者現代社会には存在しないと考えております。  それから、後の問題、国際社会の中で日本はどういう役割を果たすべきかということに関しては、私は、先ほど申し上げましたとおり、やはり第一のタイプ科学研究に対してもそれなりに国際貢献ができるような、ノーベル賞をとるかとらないかということは全く別問題でありますが、そういう方向に向かって国家が手を加えること。  ただし、もう一言あえて申し上げれば、日本社会というのは非常にパターナリズムの強い社会でございますので、そのパターナリスティックな態度ではなくて、できる限り研究者の自主的なやり方に任せられるような形でそれをやっていただければというふうに考えております。
  9. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  最後に、科学技術と国民の関係についてお尋ねしたいと思いますが、科学技術に対する理解と関心を深めるための日本の新しい教育制度というものはいかにあるべきかということについて、御意見をちょうだいしたいと思います。
  10. 村上陽一郎

    村上参考人 これも意見陳述の場面で多少触れたことでございますが、初等中等教育から理科教育というものを少し変える必要があるのではないかと考えております。  現在の理科教育は、現代の最先端の理論をいかにして薄めていわば若年層に伝えていくかという枠組みで考えられております。それは、もちろん最先端の理論ないしは成果を継承していくために決定的に必要なことでございますが、しかし、すべての人間がそこへ行くわけではないという点から考えますと、私は、先ほど申し上げましたように、自然科学教育というものもすべての生徒や学生たちに必要である。しかし、その内容は必ずしもこれまでのような内容とは違った形であり得る。  それから、もう一つあえてつけ加えさせていただきますと、理工系学生諸君あるいは特に医学系などの学生諸君に対しても、やはり人間社会に対するしっかりした理解を持つような教育をする。  その二つ教育の新しい側面というものを実現することによって、私は、国民の科学技術に対する理解というものも深めていけるのではないかと考えております。  以上です。
  11. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  以上をもちまして私の質疑は終わります。  次に、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。水野賢一君。
  12. 水野賢一

    ○水野委員 自由民主党の水野賢一でございます。  きょうは、村上先生には貴重な御意見を、特に科学技術の観点から二十一世紀日本のあるべき姿について御所見をお述べいただいたことに、まず感謝を申し上げたいと思います。  さて、日本において科学技術を推進していくための政府の組織といたしましては、科学技術庁というものがあったわけでございます。今度、中央省庁の再編ということで、時あたかも来年の一月六日から文部省と統合されるわけですけれども、ちょうどそういう時節柄でもございますので、まず先生の方から、従来の科学技術庁のあり方について、この点は評価するとか、もしくはこういう点が足りなかったとか、その点について先生の御所見、あわせて、中央省庁を再編するに当たって、こうあるべきだとか、いろいろ期待する点とか注文をつけたい点とかがあれば、御所見をお伺いしたいと思います。
  13. 村上陽一郎

    村上参考人 これも大変難しい御質問でございます。というのは、私自身、今、多少科学技術庁にも関係しておりまして、いわば内輪の人間でございますので、いささか鈍りますけれども、御承知のとおり、科学技術庁は、出発当時はいわば各省庁間の調整機関でございました。  しかし、これもまた今さら私が申し上げるまでもなく、原子力、宇宙開発、そして海洋開発の三つの柱を中心とした、いわばその政策課題を実現していくための省庁として今日までやってまいりましたし、それから、そういう中での国際的な科学技術政策に関しても、あるいは、直接的には科学技術庁所管ではございませんでしたけれども、科学技術会議の裏方としての仕事もやってきたわけですね。それは私は、これまでの日本科学技術政策を実現していくという側面で少なからぬ働きを、機能を果たしてきたという点を、ぜひここでは一言評価として述べさせていただきたいと思います。  今後、文部科学省になった上でどういうことがあり得るかということでございますけれども、これも御承知のとおり、総合科学技術会議の発足とともに、いわば日本科学技術政策の最も最終的な責任は、総合科学技術会議という新しい組織が担うことになります。そして、これは首相の単なる諮問機関ではなくて、いわば政策立案も可能なような、言ってみれば一つのエージェントとしての重要な機能を果たすことになるだろうと期待しております。その意味では、ある意味科学技術庁の持ってきた役割の一部は少しずらされた形で存在するようになるという認識を持っております。  その中で、これは御質問をそらすようで申しわけございませんけれども、ぜひ総合科学技術会議が、そういう意味日本科学技術ないしは学術全体に対してしっかりした政策立案を、文字どおりリーダーシップをとっていただくこと。  同時に、これまでいろいろと政府との間の関係ということで、ある歴史がございましたけれども、研究者の代表としての日本学術会議というもののパートナーシップ、これも期待したいと思いますし、学術会議の中での研究者の自主的な動きというものが、ぜひもっと積極的に、日本社会をつくり上げていく、科学技術政策をつくり上げていくために貢献できるような形に、学者の方も考えていかなければならないと考えております。
  14. 水野賢一

    ○水野委員 科学と一口で言いましても、いろいろな分野があるわけでございまして、例えば原子力、これは核融合を含めての原子力ということもあれば、宇宙開発とかライフサイエンスとか海洋開発とか、いろいろあると思うわけです。科学技術庁の歴史などを見ても、最初はどちらかというと原子力開発に対してプライオリティーが高かったし、だんだんその範囲というものも広がっていった、そういう経緯があるかと思うわけですが、二十一世紀においては、こういう多種多様な科学の分野の中でどういう分野が特に注目されるか。これはすべて重要なんでしょうけれども、強いて言えば、どういう分野により脚光が当たっていくのか。もしくは、政府としてもどういう分野により重点的に予算配分をするとか、目を配っていくということが必要なのか。参考人の御意見をお聞かせいただければと思います。
  15. 村上陽一郎

    村上参考人 先ほどから申し上げてまいりました、国家がミッション、使命を設定するという場合、今おっしゃってくださいましたようなそのプライオリティーをどこに設けるかということに関しては、各国が随分いろいろと、私もOECDの科学技術政策委員会に四年ほど出ておりましたけれども、そこで論じられるいろいろな議論、積み重ねられる議論も、どこにプライオリティーを置いていけば将来に対して国家が妥当であろうかということについては、さまざまな議論が行われておりました。  新しい分野に対して、例えばことしのクリントン大統領の年頭教書では、御存じのとおり、ナノテクノロジーに一つの重要なプライオリティーを与えるということが明言されておりました。例えば、今まで余り日の当たらなかったあるいはこつこつと積み重ねてきたところに、ある日、これからは国家はここで勝負をするんだというような形の日が当たるということもございます。そのナノテクノロジーというのは日本のこれから始まる次の五年の基本計画でも重要視されているようでございます。  ただし、率直に申し上げて、日本のプライオリティーセッティングは、しばしば、やはりまだアメリカの後を追いかけるというか、アメリカがやっているから日本もやらなきゃいけない。それはそのとおりなんです。国際競争力の中では、それはやらなきゃいけないことなんです。ですから、それは全面的に否定はしませんけれども、やはり独自の分野に関して日本がリーダーシップをとって、こういう分野をこれから国際社会の中でも国内でもやっていこうと考えているよというメッセージないしは政策というものが、先ほども申し上げた総合科学技術会議の中で定まってくることを期待しております。  私自身は、自分で始めたような仕事ですので、あえて口幅ったいことになりますけれども、例えば安全をめぐる新しい学問的な体系化というようなことは二十一世紀にとってかなり大事なことではないかと思いますし、世界でリーダーシップがとれるんじゃないかと思っておりますが、これは私の極めて個人的な見解でございます。  それから、時間をとって申しわけないのですが、もう一言だけ申し上げますと、日が当たるところに日が当たるのは当然でございます。しかし、日が当たらなくなってしまったところに、では日を当てないでいいかということもぜひお考えいただきたいことでございます。  例えば、私自身は原子力の積極的な推進を強力に支援する人間ではございませんけれども、議員のおっしゃいました原子力に関して、今、日は当たりません。これは率直に申し上げて、学問的にも社会認識からも日が当たりません。しかし、これから日本政府が原子力から撤退するという政策を仮にとったとしても、少なくともあと半世紀、どうしてもここでのすぐれた専門家が要りますし、それを養成しなければなりませんし、その人たちがきちんと働いていくだけの社会的な余裕が必要です。私は、それは強く申し上げたいことです。  つまり、撤退するにしても、それなりに手厚い施策を講じておかなければならない分野というのはたくさんございます。その点はぜひ認識していただきたいと思います。
  16. 水野賢一

    ○水野委員 先生のおっしゃられた科学史の流れにおいても、科学者個人の好奇心がばねになって進められてきた科学から、使命達成型という新しいタイプ科学が生まれてきたというお話がございましたけれども、今の先生のお話もそれに関連すると思うのです。  使命達成型ということでいうならば、ここはちょっと私見ですけれども、地球環境を救うための科学の発展ということ、むしろ、そういうことを使命とするような科学をより研究していく必要性が二十一世紀にはあるのじゃないかなと思うわけです。これはもちろん、地球環境を救うといっても、先生も先ほどおっしゃられましたけれども、科学の力でできることとできないことがあると思います。  私などは非常に素人的に考えると、例えばオゾン層が破壊されていっても、何か科学でオゾンみたいなものをつくって成層圏の方に持っていけないのかとか、CO2によって温暖化といっても、CO2を減らすようなことが何かできないのかとか、そこは非常に素人だから素人考えをするわけなんですけれども、例えば地球環境に関して、先生の見るところ、科学で今後できることというのは、具体的に何かあれば御教示いただければと思います。
  17. 村上陽一郎

    村上参考人 地球環境問題が二十一世紀の最大の問題の一つであるというのは、中山会長もおっしゃいましたし、それに対する私のお答えでもそうでございましたし、今水野議員がおっしゃってくださいましたこともまさにそのとおりだと思います。そして、しかも、市場メカニズムに任せておいているだけでは、市場メカニズムというのはちょっと抽象的な言い方ですけれども、必ずしもそこが重点的に日が当たる場所であるかどうかということに関しても多少危惧のあるところでございまして、国家がリーダーシップをとってそういうところに資源の配分を行い、人材の育成やその他をするということは極めて大事なことだと思います。  その中で、果たして科学でどこまでやれるか。おっしゃるとおり、現実に私たちが突き当たっている問題というのは、自然科学で解決ができるというふうにすぐに言えないような問題ばかりでございます。ただ、わかっていただきたいことは、私たちはまだ地球環境についての科学的な分析さえ十分にはできていないという事実でございます。  つまり、それは学者たちも怠けていたと言われればそうかもしれませんけれども、地球の中でのさまざまな生態系とか、それから物質系の動き方だとか、それからどこへどういうふうに海洋がどういう働きをしていて、CO2や酸素に関してどんなふうな形で働いているのかということが、ようやく最近になってさまざまなことが少しずつ、これこそ科学の地道な研究の中でわかってきたことでございますので、少なくともまず対策を立てるための基礎的な知見をできるだけたくさん準備するということも、また現在の我々にとって必要なことである。  しかも、すぐに例えばオゾン層を回復することができるところへつながるかと言われれば、そうした技術的応用にまですぐにはつながらないとしても、やはり基礎研究というものがどうしても必要だということも、これもまだ足りていないところがたくさんあるということも、ぜひ御理解をいただきたい。迂遠なようでもそこから出発せざるを得ないというのが、私たちが今置かれている状況である。  もちろん、ここ二十年の間に随分事態は変わりました。そのことは、そういう研究をやっていらっしゃる方にかわって申し上げたいと思いますが、それでもまだこれからやるべきことはたくさんあると思います。
  18. 水野賢一

    ○水野委員 ありがとうございます。  この場は憲法調査会でありますので、憲法に絡めても少しお伺いをしたいと思うわけですけれども、現行憲法も制定されてから五十年以上を経たという中で、二十一世紀科学技術を発展させるため、もしくは必要な規制をしていくために、現行の憲法、もしくは法律でも結構ですけれども、科学技術基本法などの現行の法体系の中で、ここは改めていく必要があるんじゃないかとか、この部分は時代にそぐわなくなってきたんじゃないかとか、そういう部分について、御意見があれば教えていただければと思います。
  19. 村上陽一郎

    村上参考人 きょうは私は、自分ではなるべく今水野議員が御質問になったポイントには口を慎もうと思って出てまいりました。ただ、御質問でございますので申し上げますけれども、大したことは申し上げられません。  最大のポイントは、例えば、先ほど申し上げましたように、人間の尊厳とか生命の尊厳というようなものをどういうふうな形でうたうかというところで、やはり私は、社会的合意の中で、そういう文言が少なくとも国の基本の中に入っていることが、これは基本的人権というのは立派な概念ではございますが、それではなぜ基本的人権が必要なのかというところがむしろ理念としては必要なのではなかろうかというポイントは申し上げたつもりでございました。  それから、関係法規その他で問題はないのかとおっしゃれば、問題は、ある意味では山ほどございます。その問題の一つ一つについて、今まさに、行政改革も含めまして、少しずつ私たちも解決の道を探っていますし、政治家、行政に属する方々もそのことを真剣に考えてくださっていますから、その意味では、やはり私たちは少しずつ変えていかなければならないところはある。  例えばの話、今度の科学技術基本計画の中でもちらっと述べられていたと思いますけれども、現在の研究予算が単年度方式で動いているということに対して、それを何とか救済する方法を考えようではないかということも提案の中の一つに入っておりました。例えばそういうことを一つ一つ挙げていきますと、それは数々あると思いますが、そのことと、それから研究者が自主的に判断して自主的に自分たちのやり方を規制していくというやり方との兼ね合いの中で、ぜひ法律的な対応もしていただきたいというふうに考えております。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  20. 水野賢一

    ○水野委員 次にお伺いしたいのは、科学技術と規制の関係についてですけれども、これは例えば、今国会でもクローン規制法案などが成立いたしましたけれども、科学の発展というものが一方で人類に対して多大な貢献をしてくれる反面、これはもちろん負の側面、マイナスの側面というものもあるわけでございますが、そういう部分において、規制と科学の関係について先生のお考えをもう少し詳しく教えていただけたらと思うわけです。
  21. 村上陽一郎

    村上参考人 質問は許されていないとおっしゃいましたが、規制と何との関係とおっしゃったのか、ちょっと聞き取れなかったので、申しわけございません。
  22. 水野賢一

    ○水野委員 規制と科学技術との関係というか、むしろどういう形の規制は必要だというようなことについて、先生の御所見をお願いいたします。
  23. 村上陽一郎

    村上参考人 これも既に申し上げたことの中にも多少触れておりますけれども、例えば組みかえDNAの技術が誕生いたしました一九七三年ぐらいには、御承知だと思いますが、アメリカのアシロマというところで、これは最終的には九五年に開かれた会議になりましたけれども、研究者たち自分たちで集まって、もし自分たち研究をこのまま何も規制を加えずにやっていったらとんでもないことが起こるかもしれないというふうに考えて、自分たちの手で、このラインに沿って我々は研究をやっていこう、ここから外れたことはしないようにしようということを申し合わせまして、それが御承知のとおり組みかえDNAについての各国でつくられたガイドラインという形をとりました。  今おっしゃったクローンの場合は、まさに日本ではガイドラインではなくて法律になりました。アメリカでも、法律にするかしないか、随分組みかえDNAのガイドラインについても議論がございました。そして、最終的にはガイドラインでとどめようということになりました。  ガイドラインでとどめるのか法律的な規制にするのかということに関しては、もちろん問題の内容によっても左右されますし、それから社会的な関心によっても左右されますし、社会的な批判がどこまで及ぶかというその範囲にも左右されますので、これも一概には論じられません。  しかし、まず一つは、先ほどから繰り返しておりますけれども、同じことを言っているような気がいたしますが、研究者の自主的な判断というものがどこまで有効であるかということから出発して、そしてそれで足りない部分をどこまで法規制で補うかという考え方で私は現在の状況というものを取り扱っていくべきだというふうに考えております。
  24. 水野賢一

    ○水野委員 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  25. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 島君。
  26. 島聡

    ○島委員 民主党の島聡でございます。本日は本当に有意義なお話をありがとうございました。  ニュートンが科学者と呼ばれなかったというような話を聞いたときに、私は、学生時代にデカルトという人の「方法序説」の本を読んだときに、これは哲学者だろうと思って読んだら、随分自然科学のことが書いてあったので驚いたことがあったことを思い出しておりました。  きょうは、先生の御著作を私なりにいろいろ読んでまいりましたものですから、それと、この憲法調査会において私自身考えていることを先生に御質問をさせていただきたいと思っております。  まず、環境権ということについて御質問したいと思っています。  今憲法を考える際に、新しい人権ということで環境権というものが必要でないかという話が幾つか提案されております。私も必要だと思っています。  例えば、私、埼玉県の所沢市の産廃施設、産廃銀座と呼ばれるところに見に行ったことがありました。そこはくぬぎ山というところなんですが、ダイオキシンが高いせいだと私は思いますが、新生児死亡率が一千人当たり平均〇・六五なのに、そこだけ二・九九になるというようなことが報じられております。  今の憲法では、環境権というものはきちんと規定されていません。第十三条に「すべて国民は、個人として尊重され」とか、二十五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」という言葉がありますが、いわゆる私の言う環境権というのは、人間を含むすべての生命がよい環境を保持しなければならないというようなことだというふうに思っております。ただ、この概念は、今私も考察の最中でありまして、きちんと自分なりに定義されているものではありません。先生が今、環境というものに対して、マイナスの面としてとらえるのではなく、礎として考えていくんだということは、今この憲法に環境権をという考え方と非常に私は一致している方向性だと思っております。  先生にお尋ねしたいわけでありますが、いわゆる先生の御著作の中に、新しい文明が闘うべき相手は、自然ではなくて、自然プラス人為であるという言葉がありました。要するに、これから環境を考える場合に、今の環境というのは、あくまで自然を守るというだけではなくて、自然プラス人為をどのように共存していくかということだと思っておりますので、先生のそのお考えについてもう少し詳しくお尋ねしたいのと同時に、私が今考えております環境権というものに対して先生のお考えがありましたら、お答えをいただきたいと思います。
  27. 村上陽一郎

    村上参考人 引用してくださいましたが、私は、環境問題と呼ばれているものは、決して自然環境問題ではなく、人間問題だと思っております。  したがって、これは私の言葉ではございませんが、かつて東京大学の学長をやっておられました吉川弘之さんがこういう言葉をお使いになりました。現代の邪悪なるものは、実は人工物であるということをおっしゃったことがありますけれども、私も基本的には賛成であります。もちろん、私たちは自然の災害を全面的に克服したわけではありません。地震だとか、ことしだって随分さまざまな自然災害に悩んでいらっしゃる方々が今でもたくさんおられます。そういう方々をもちろん無視するわけではありませんけれども、しかし、我々が立ち向かわなければならない危険というのは決して自然災害だけではなくなってしまった。つまり、自分たちの生活そのものがある意味では我々自身の未来の危険をもつくり出しているという状況に立ち至っているわけですね。このことは極めて大事な認識だと実は私は思っております。  先ほど口幅ったい言い方ながら安全学などということを提唱しようと思ったのも、まさにそこに、これからは単に自然災害だけを目的にした安全というのではなくて、人間の生活そのものを土台にした安全というものを目指さなければならないということを考えたからであります。その意味で、環境権というのも、法律的に見れば、これも世界各国でさまざまな形で議論をされておりますけれども、一つの可能性として成り立つと思っております。  特に、日本でも、例えば動物にかわって訴訟を起こすというようなケースが出ておりますし、かつてアメリカでも、一本の切られる木を弁護士が代弁して訴訟を起こして、果たして一本の木に訴訟権があるかどうかということがまじめに法律で議論されたことがあります。多数意見は、ないということでしたけれども、一部少数意見には、あるだろうと。  私は、必ずしもすべての自然を自然のままに残さなければならないと考えている人間では実はございません。しかし、そういう意味で、最終的には、私たち自身の生活も含めた、より安全な将来への、未来の私たちのまだ見ない子供たちへの責任としてそういうふうな配慮をしていくこと、それをどんなふうに法律的に定立できるのかというのは、私は残念ながら法律家ではございませんのでここできちんと申し上げることができませんけれども、アイデアというか、理念としては必要な理念だと考えております。
  28. 島聡

    ○島委員 今おっしゃった、まだアメリカでも少数意見というものではありますけれども、その少数意見の中に未来の多数意見があるかもしれませんので、私どもは立法者でございますので、十分今後注目し、努力していきたいと思っております。  次に、先ほど会長も触れられましたスイス憲法というのがあります。これは百十九条に、人間の領域における生殖医学及び遺伝子技術という章があります。その百十九条以下何条かあるんですけれども、人間はこれを生殖医学及び遺伝子技術の乱用から保護するというのがその条文なんです。  先生の、これもある新聞に書かれた、「産業利用本格化の時代」というのがあります。先ほども言われましたクリントン大統領のいわゆるヒトゲノム解読計画、ナノテクノロジーを含めての中で考えておることなんですけれども、生殖医学及び遺伝子技術をどんどんやっていった場合に、乱用というのはどんなことが考えられるのかということをお尋ねしたいと思います。  あるいは、今、乱用という言葉日本国憲法には十二条にしかありません。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」というのが憲法の精神であります。  これは今後も維持されるものだと私は思いますが、例えばクリントン大統領が、二十世紀物理学の時代で、二十一世紀はライフサイエンスの時代だと言った。生殖医学及び遺伝子技術をどんどんやっていくと、これが本当に、スイス憲法では乱用から保護するという言葉があるわけでありますが、乱用という可能性はやはりあるんだろう。それをどのように気をつけていかなければいけないのか、それについてお尋ねしたいと思います。
  29. 村上陽一郎

    村上参考人 私がドイツの基本法を引いて、人間の尊厳ということがどこかでうたわれなければならないのではないかというふうに申し上げた理由も、今先生のおっしゃったことと絡んでおります。それで、ただ、乱用という言葉がどういうことを意味するのだろうかという点では、これはやはり人によって随分変わってくるだろうと思います。  ごく単純な例を申し上げれば、御承知だと思いますけれども、ドリーというクローン羊ができたときに、アメリカのある夫婦が産婦人科のお医者さんのところへ電話をかけてきて、私たち夫婦があの技術を使って子供を持てるようになるにはあとどのくらい待てばいいんですかという質問だったそうであります。その夫婦というのは実は女性の夫婦でございました。  つまり、今アメリカの州によっては、女性同士が夫婦であるということを法律的にも認められるところがございますけれども、そういう人たち自分たち二人の間に自分たちの子供を持ちたいという願い、これはいかにも我々、今の常識からすれば非常に突拍子もない話に聞こえます。ですが、クローンの技術が、不妊に悩み、特に男性の側に問題があるときに、そういう不妊に悩むカップルにとって、例えば他人の精子を使うということをやはりどうしても自分たちでは認めたくないというときに必要な技術としては、恐らくクローンというのがあるだろうと思うのですね。妻の卵と夫の体細胞とを使って、今すぐにできるとはとても思えませんけれども、そういう可能性が開かれているわけですね。そういうときに、私たちはそれを乱用と呼ぶのだろうか。  実際、ついこの間までは日本産科婦人科学会で、例えば妻以外の卵を使う人工授精はガイドラインによって規制していたわけですね。しかし、今度の厚生審議会での最終的な答申の結果ではそれも認めることになりました。果たしてそれがいいかどうかということは議論があります。非常に強く反対をなさる宗教団体もございますし、私のところへも随分いろいろ意見を言ってきてくださる方もございます、クローンも含めてです。  しかし、お名前は申し上げませんけれども、卵の問題で日本産科婦人科学会を除名になったお医者様の御意見というのはどういうことかというと、今目の前にこうしてほしいという患者さんないしはクライアントがいる、そして自分にはそれを達成する技術がある、そのときに我々はその患者さんの要求にこたえるのが義務であり責任だろうというふうにおっしゃって、あえて除名も辞さない形でああいう行為をなさったのだと聞いております。  そのときに、私たちはどういう立場で、それでもだめだと言えるのかということをやはり非常に真剣に考えなきゃいけないわけですね。たまたま、あの例は今度の厚生省の厚生審議会の結果では多分許されることになるだろうと思うのですね。しかし、なお反対している人もいる。  そうすると、そういう技術を乱用するというときに、乱用というのがどこからを乱用といいどこからは正用であるのかということについて、やはりこれはかなり当事者によって変わってこざるを得ない。そこを、常識的にここまではとにかく一応私たち社会の合意としましょうよという合意線をどこに引くということに関して、私たちはさまざまな賢い方法をつくり出して、何とか国民の中に余りに大きな不満や不信が生じないような形で決めていかざるを得ないのじゃないか。そのことを決めるために、恐らく最終的に理念として人間の尊厳、生命の尊厳というものをどこかでうたっておきたいというのが私の考え方です。
  30. 島聡

    ○島委員 ここはある意味で文科系の議論をするところですが、いろいろな法律をつくるときにも、本当に理系の発想をきちんと持たなくてはいけないことを改めて今考えながら聞いておりました。  あと五分になりましたが、今、先生が情報社会の話をされましたときに、なるほどと思いました。社会の成員がみずからの意思、判断、行動の基礎となる情報が常に十分に提供されている社会。これは、憲法の議論でいきますと知る権利ということになります。知る権利は、今日本国憲法では明文化されていません。せいぜい憲法三章の二十一条に「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」というのと、主権在民が前文にありますから、それを足すと何か知る権利があるというふうになっているという解釈もあるそうですが、明文化されていません。私は、この知る権利というのも明文化していくべきだという意見を持っています。  一九九〇年代に新しい憲法がつくられたのは六十五カ国あるのだそうですが、二十一カ国が知る権利というのを明文化しています。ただ、私自身も、情報公開といわゆる機密保護といいますか、そういうものに対する環境をどうするかということについて、随分考えているわけであります。  先生の対談を読ませていただいたら、ちょうど原子力の推進に機密の壁は不要というところで、その問題についても議論をされております。知る権利及びその機密保護というものの関係について、先生はどうお考えになるかをお尋ねしたいと思います。
  31. 村上陽一郎

    村上参考人 知る権利というのは、民主主義社会の基本的な権利だと思っております。ただし、私は、実は今から二十年前にある国際会議で袋だたきに遭ったのですが、知らない権利というのも人間に保障されていていいのではないかという提案をいたしました。あるいは知らされない権利というのもどこかで保障しておくべきではないかということを言って、そのときは民主主義の敵だというふうに非難をされました。それは、非難をする側はよくわかっていて、その論理は十分私自身も持っている論理ですけれども、その中で、やはり知らされない権利というのも一方で保障されている必要がある。したがって、知る権利を仮に憲法の中に取り込むとすれば、そこにはそういう留保がどこかにあってほしいというふうに考えております。  それから、機密保護との関係は、当然のことながらある種の状況に対しては機密が必要だということはよくわかります。国家のレベルでもそれから企業のレベルでも、いろいろなレベルでやはり守らなければならないものがあるということはわかりますし、それから例えば、今のネット社会の中でも、すべてのものがただひたすら垂れ流されているという状況の中で、ある程度の規制が必要になってきているということもわかります。それは、もちろん常識の中で妥協点を見つけていく以外にないわけですが、しかし、私はもう一つのことを指摘したいのです。  それは、できるだけ簡潔に言いますが、今のネット社会というのはまことに無秩序に見えます。そして、不必要なこともたくさんありますし、それから場合によっては、極めて悪質な中傷や、いわば誤った情報というものもたくさん載っかっているわけです。そういう中で、しかし私たちは、まさにそういう社会だからこそ自分たちで秩序をつくり上げていくのだという意識も確かにあるわけです。もちろん、社会の中にはどこかでそういう秩序に一切反抗するという因子が存在していることは明らかですから、それに対してのプロテクションはかけなければならないとしても、しかし、その規制も自分たちでつくり上げていくのだという姿勢をやはり国家としては理解しようというのが必要ではないかと思っております。
  32. 島聡

    ○島委員 ありがとうございました。
  33. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 斉藤君。
  34. 斉藤鉄夫

    ○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。  私自身、学校科学技術を学んでまいりました。科学技術史の教科書は先生の教科書を使わせていただいたことを覚えておりますし、その後もいろいろな著作を読ませていただきまして、きょうは直接お話を伺えて、大変感激をいたしております。  二、三質問させていただきますが、まず最初に、日本では、欧米に見られるような技術工学に対する偏見が存在してこなかったということでございますが、その文化的な背景は何かということが一つ。しかし、それにしては、技術者というのは社会の中で、欧米諸国に比べると優遇されていない。そうは思っていらっしゃらない方もたくさんいるかと思いますが、少なくとも技術者はそう思っているというのが日本の現実でございます。この二点について、どのようにお考えでございましょうか。
  35. 村上陽一郎

    村上参考人 ありがとうございます。  これも非常に答えにくい、私も長年考えておりまして、いまだに明確な結論が出ていないことを御指摘くださいました。  では、技術工学に対する偏見が少なかったのは文化的背景として何だろう。だれでも考えつくことは、やはり、たくみの世界というものが日本の中では社会的に極めて高い価値を与えられていた。それはかつての封建社会の中でも、順番からいうと士農工の工ですけれども、しかし、非常に重要な役割を果たすものとして社会の中で認知をされていたということ。  それから、たまたまの歴史的偶然ではございますが、十九世紀の後半に、工学というものをしっかりと根づかせるためのさまざまな、先ほども申し上げましたが、私たちの恩人だと申し上げていいと思いますが、ヘンリー・ダイアーというイギリスの、イギリスではついにこういう本格的な工学教育ができなかった、それを、日本で自由に、日本政府の後押しの中で、工学教育日本の中に根づかせようとしてくれた人たちがいた。そして、それにこたえた日本人がいたということが、しかも、非常に優秀な、例えば典型的な例を挙げれば高峰譲吉のような人ですけれども、そういう人たちがまさに日本社会をつくり上げるのに役立ったというこの実績そのもの、それが恐らくその後の展開の中では一つ役立っていた。しかし、これは文化的背景というよりは、むしろ歴史的偶然でございます。  それから、しかし、技術者は優遇されているとは考えていないではないか。おっしゃるとおりかもしれません。ただ、なお申し上げれば、技術者が社会の中で優遇はされなくても、少なくとも自分たちの場所を見出すことができる社会的環境は十分備わっていたということは指摘できるかと思います。  それから、では、技術者はどうして優遇されていないのかと言われたときに、例えば、これもまた国会なんかでも問題になっていることでございましたけれども、アメリカには、PE、プロフェッショナルエンジニアという制度がございます。御承知のとおり、PEの数も日本技術士と呼ばれる人よりは極めて多うございますし、社会的認知もそれなりにございます。日本技術士は、むしろ限られた方々にかなり高い地位を約束するというような資格に近くなっていて、最近ちょっとずつ変わってきましたけれども、どちらかといえばそういうものとして今まで機能しておりました。  社会の中で技術士がどういうふうに役割を果たしているかということが余り目に見えないように日本社会はでき上がっていて、そこがまた、この文化的伝統の中で大変おもしろいところだと思います。ある意味では、たくさんい過ぎるということもあります。そういう意味では、日本技術たちがある不満を感じておられるということは、私にもよく理解できます。
  36. 斉藤鉄夫

    ○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。  次に、先週、私ちょっと中国へ行ってきたんですが、教育部、向こうの文部省の看板に科教興国というものがございました。科学技術教育で国を興すという看板だそうです。もう外されましたが、昔は天安門に科学技術第一生産力という大きな看板も掲げられていました。つまり、科学技術を国力増強の一つの手段と考えるという考え方日本科学技術基本法も、基本的には底流にその考え方が流れていると思います。  しかし、先生ここでお述べのように、そういう考え方はここ五十年の、長い人類の歴史の中では極めて新しい潮流であるということを教えていただきました。先生のほかの著作では、先生は悲観論者であって、こういうことが長くは到底続き得ないとも書いていらっしゃいましたけれども、長い人類の歴史の中で、この五十年、新しく起こったこの科学技術が国力増進の道具であるという考え方、どのように影響があるのかについて、お考えをお聞かせ願えればと思います。
  37. 村上陽一郎

    村上参考人 やはり、人類の歴史の中では決定的な転換点だったと思います。先ほど申し上げたように、ある意味でオペラなんかと同じような営みとして生まれてきた科学社会にこれだけ役立つ、そして社会化されてしまった科学技術というものは、多分もう戻れないだろうと思います。  そして、先生が御指摘くださいました悲観論というのは、かなり長いパースペクティブで見たときの悲観論でございまして、我々は、一つの文明の中で展開していく時間というのはたかだか数百年のレベルではなかろうかと考えております。  そして、人類の歴史を見ますと、一つの文明が支配的であったとしても、その文明はやがて支配者の位置をおりて、そしてまもなく別の文明が姿をあらわしてくるということを繰り返してきたことは、これは識者のすべてが指摘するところでございますので、私たち科学技術を主体にした文明というのも、そういう長い目で見たときには永久に存続するものではないということはほとんど確実に言えるんではないかと思っております。  その理由一つは、先ほど島先生もおっしゃったことであろうかと思いますけれども、現代科学技術が支える文明の持つ資源エネルギーその他に対する非常に強い負荷というものをある程度乗り越えることが可能であったときに、私たちは恐らく新しい文明に入っていくんだろうというふうに思います。そこでは、少なくとも今のような姿ではない形の知識技術存在している。それは、我々の状況を前提にしているかもしれませんけれども、今の我々のそのままの姿ではなかろうというふうに考えております。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  38. 斉藤鉄夫

    ○斉藤(鉄)委員 長いスパンでの悲観論であるというお言葉をお聞きしてちょっと安心したんですが、その期間に我々人類は新しい知恵をつくり上げていかなきゃいけないというのを今感じました。  それでは短期的な話に入りますが、科学技術基本法でも、いわゆる科学技術日本の経済の根底にしようという考え方がございます。そうしますと、税金をつぎ込む。税金をつぎ込むからには、やはり評価ということが重要になってまいります。評価についても今後立法府の中でも考えていこうという機運がございますが、この評価についてどう考えられるか。  一つ心配は、そういう資金を投入する、そしてその成果評価するということになりますと、本当に基礎的な、今すぐには役立ちそうにない、しかし人類の知識の根底にかかわってくるような重要な研究がどうしても軽視されるのではないかという心配もございますが、この点についての先生のお考えをお伺いできればと思います。
  39. 村上陽一郎

    村上参考人 御指摘くださいまして、ありがとうございます。まさしく、そこが現在の問題でございます。  そこで、私が先ほど、私流に言わせれば第一のタイプと第二のタイプ科学研究ないしは研究開発というものをきちんと分けようではないかという提案を申し上げた理由もそこにございます。  第二のタイプ、つまり使命達成型で、使命を請け負った研究グループがその使命が達成できないという状況、あるいは、ある程度やったときにここではもう達成できる見込みがないというようなレビュー、評価が行われたら素直に撤退するというふうにして、評価というものの権威を確立していかなければならないというのは、これは税金負担者に対する義務でもあると思います。  ですから、第二のタイプ研究開発に対しては、きちんとした評価、それも先ほどから申し上げているピアレビュー、つまり仲間評価ではなくて、外部からのさまざまなファクターを考慮した上での評価というものをきちんとやっていく。それも事前評価それから中間評価、事後評価というものをきちんと積み重ねていくというやり方が恐らく必要になってくると思います。  それから、しかし、おっしゃったような危惧は私も全く同感というか、共有している人間でございまして、そういう形で評価されるものはやはり第二のタイプ研究開発であって、第一のタイプ研究開発に関しては、私は、そういうコストパフォーマンスの考え方では律し切れない世界だということをぜひ強くここでは訴えておきたいと思うんです。  したがって、第一のタイプ研究評価に関しては別の評価基準と別の評価方法が必要である。それが必ずしもいつもピアレビューでなくてもいいんですけれども、少なくとも、今申し上げたような第二のタイプに適用される評価がそのまま第一のタイプに適用されるということに対しては、私は大変大きな危惧を持っております。
  40. 斉藤鉄夫

    ○斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。終わります。
  41. 中山太郎

    中山会長 塩田晋君。
  42. 塩田晋

    ○塩田委員 自由党の塩田晋でございます。  村上参考人におかれましては、非常に貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。  先生のお話の中にありました文系理系の問題でございますが、戦時中あるいは戦前、やはり文科系が非常に優遇されたということがあると思うんです。ただ、先生も今言われましたように、明治政府は早い時期において我が国の大学工学部を設置してきた。かなり理系を重視したということのあらわれだと思うんです。  今言われましたように、マンハッタン計画にしても、アメリカの、先生の言われる使命達成型科学という面では、やはり軍事技術の開発が優先されて、そこからそういった科学重視ということ、これが国家的目標として、政策として実施されてきた、これはまた科学の進歩を非常に促進したという面があろうかと思います。  戦時中におきましても、先生ちょっと触れられましたように、戦争末期におきまして、学徒出陣、兵役の延期につきましても理科系を優遇した。また、旧制高等学校におきましても、伝統的に文科系が優先であり、また、重視、尊重されてきたわけでございますけれども、戦時中、末期になりますと、文科系をどんどん縮小して理科系を充実拡大したという経緯もあるわけでございます。  そういった観点から見ますと、我が国におきまして、一時期は別として、長い明治以来の官僚制度の中で、特に理科系と文科系が非常に区別されてきたのじゃないか。一方は事務官と言い、片方は技官と言い、まだまだ戦後におきましても事務官の方が優先し尊重される。それは、各省庁の局長なり事務次官等の人選を見ましても、圧倒的に事務官、文系が多かったということが指摘されております。  ただ、その状況が変わってきたといいますのは、やはり技術、技能が尊重されなければならない経済発展の中で、建設省におきましても、事務官と技官が交代で事務次官になるとか、あるいは事務次官が文系から出た場合は、技監というものを事務次官と対等の形で置く、こういうようなこともございましたし、科学技術庁ができ、また経済企画庁におきましても、理科系の方が経済白書を書き、本当にすばらしい業績を残されたという担当課長が二代続いて、後には事務次官になられ、あるいは工科、理科系の出身者で外務次官にもなられた方もあるわけでございます。  また、政界におきましても、今や非常に理科系の方が重宝がられ、また主要なポストについておられる。党の党首も現在おられますし、幹事長もおられるし、国対委員長もといったことで、理科系の皆さん方の活躍がすばらしいわけでございます。斉藤先生もそのお一人でございますけれども。  そういった状況を勘案しまして、先生は、この官僚制度の中における文系理系の問題について、どう評価され、また現在どう見ておられるか、今後どうなっていくとお考えか、お伺いいたします。
  43. 村上陽一郎

    村上参考人 官僚制度の中で、これもまた差しさわりがあったら先におわびをしておきますが、法学部優先といいますか、法学部卒業の方が極めて大きなパーセンテージを占めてきたという事実は御指摘のとおりでございまして、一般的に言うと、その点が少しずつ改善と申しますか、割合が少しずつバランスが変わってきているという御指摘も全くおっしゃるとおりだと思います。  それで、私は、なぜ教育でああいう発言をしたかというと、まさしく行政を担当する方も、あるいはこうやって政治を担当してくださる方も、とにかく自然科学ないしは理工系学問について基礎的な十分な理解、これは、ある専門領域の研究の先端を理解するということでなくても構いませんけれども、しかし、大づかみに言って、常識的にしっかりとした基礎的な理解が達成されているということが今日の社会にとっては決定的に不可欠のことだと思います。そのために教育も変わらなければならないということを申し上げているのでありますから、したがいまして、行政面でも、たとえ文系、非理工系の御出身であったとしても、これからはやはりその点に関して十分な知識を持っていただきたいということが第一点。  第二点は、今度は理系の方ですけれども、理系理工系の方々のこれまでの、我々大学で教えている立場からすれば、むしろ反省しなければならないのは我々なのですが、理工系の出身の方々もまた社会仕組みだとか、先ほども申しましたけれども、その中で人間が生きているということがどういうことなのかということについて、それからさらにもっと細かく言えば、例えば行政面でも、例えばアメリカでは、そういう特殊な理工系知識を持っていながら、しかもそれが理工系研究者にはならずに行政で活躍をしたり、あるいは研究マネジャーとして活躍をしたりする、あるいはそれを訓練するための大学院レベルの学校がある。  つまり、理工系の出身者が、単に会社へ行くか研究者になるかではなくて、第三の道として、社会仕組みを動かしていくマネジャーとしての役割を果たすような、知識と経験と訓練とを持った方々がこれからの社会の中ではどうしても必要になると考えております。それは、行政マンとしても必要、つまり官僚機構の人間としても決定的に必要だと思っております。
  44. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。  かつての旧制高等学校時代は、数学のよくできる人あるいは数学の好きな人が大体理科系に喜んで行く、数学が苦手あるいは嫌いな人が文科系に行くという傾向があったわけでございます。それがずっと後々尾を引いてきておりますが、戦後の、最近におきます入試の関係では、文科系に対してもかなり数学だとか理科系のテストを課すといったところもあるわけでございまして、それは非常に結構なことだと思うのですが、先生は、文系理系を二分されるような教育は明らかに時代に合わないということをおっしゃっておられます。  そこで、テストの問題もありますけれども、理系文系を総合したような形の教育というもの、これがどのような形でできるか。例えば、戦時中でもそうですけれども、特に海軍は科学を非常に重視しまして、文系理系に関係なく教育は施した。また、海軍の体制の中におきましても、海軍技術中将といったものもできるぐらい重視をしておった。それが戦後のソニーにもなり、また各種の技術あるいは経済発展に寄与した面もあると思われます。  実際、教育をどういう形で進めていくかということにつきまして、未来学だとか何とか生活学だとかいろいろな、ちょっとわかりにくい、文科系か理科系かわからないような学部もできたりしておるようでございますけれども、先生のお考えとしては、文系理系を二分するような教育でなしに、新しい教育というのはどういうものを考えておられますか。  例えば、今防衛大学におきましても、技術を駆使しませんといけないので、理科系の教育を重視して、文系理系ともに教育の中に組み込んでやっておりますが、一般の大学で再編成をして、二分すべきじゃないというお考えであれば、具体的にどういうふうに考えておられますか。そうなると、専門的な、本当の意味の理科あるいは工学の専門分野がおろそかになるのじゃないかなという、あるいはレベルが落ちるのではないかという心配もするのですが、先生はどのようにお考えでございますか。
  45. 村上陽一郎

    村上参考人 我が田に水を引くようで大変ためらうのですけれども、私自身は、実は教養学部というところを終えました。したがって、私の学士号は教養学士という恥ずかしいものでございます。今いるところも含めまして、教職のほとんどを教養学部というところで過ごしてまいりました。  現在、教養課程ないし教養学部という、あるいは、もともとほとんどの大学が教養学部を持たなかったわけで、教養部という形で、言葉は悪いんですが、ごまかしてきたわけですけれども、教養学部という概念は、やはり大学の本質として最も中心的であるべきだというのが私の基本的な意見でございます。  おっしゃるように、専門に入るのが遅過ぎるという意見は、多くの理工系の方々から教養課程に対して浴びせられる非難であります。  私は、極めて特殊な例では、例えば今千葉大学で行われているように、物理の非常に優秀な高校生を青田刈りのような形で特別入学をさせるというような制度も含めまして、そういう特別なコースが用意されていることに反対ではございません。しかし、大衆大学としての一般の大学は、基本的に教養学部であるべきだというのが私の信念でございます。その後、大学院で専門課程を学んで決して遅いとは言えない。特に最近では年齢が、御承知のとおり実際に平均余命も非常に長くなっておりますので、その意味でも、社会的な損失でもない。  これは医学関係のことになりますけれども、御承知のとおり、最近、国立大学の一部の大学で、大阪大学医学部は前々からその制度を持っておりましたが、これはちょっと特殊な例でございまして、かなりの国立大学医学部が、医学進学課程に入学しない学生、つまり、通常の四年制の大学を卒業してきた学士入学の学生を採り始めております。  これは大変な人気なんですけれども、アメリカのメディカルスクール化だともよく言われるんですけれども、結局、医者になる人たちが、十八歳でそのまま大学の医学進学課程にほうり込まれて、その後ずっと医学の勉強だけをして医者になっていくべきなのか。それとも、四年間それなりの人間的成熟とそれなりの知識とを得た上で、そこで医学校に行きたいというみずからの使命感を持って医学部へ入ってくるということが、どちらがいいのかという選択として、後者が選ばれ始めているということを意味していると思います。  そして、これは何も医学だけではないと思います。別の言い方をすると、有力国立大学がここ十年ないし十五年かけて大学院化をしたということの背後にあるものも、学部教育は余り重要な意味を持たないよ、大学院で本当に専門家を育てるために我々は働きたいんだという自分たちの意思表示でもあるわけですね。  そうしますと、現在の大学制度というものが、文字どおり専門の研究者を育てるもの、それだけではなくなっていますが、基本的にはそういう役割で、学部というのはもう少し広く、必要なさまざまな学識と成熟とを期待するようなカリキュラム編成と、そういう配慮のなされたところであるべきだという考え方が改めて現在生き返りつつあるように私は思います。  御承知のとおり、一九九一年の文部省のいわゆる大綱化と言われている措置以来、一般教育課程ないし教養教育課程というのは、大学の自由に任されるという形で、実際にはかなり後退したわけですね。しかし、今、もう一度その再生現象が少しずつ起こりかけているのも、そういう認識が少し広がっているからだというふうに考えます。それこそが文理を超えた一つ教育の手だてだと考えております。
  46. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。終わります。
  47. 中山太郎

    中山会長 春名直章君。
  48. 春名直章

    ○春名委員 日本共産党の春名直章でございます。  きょうは、貴重なお話を本当に先生ありがとうございました。私は、科学技術の平和利用、そして憲法という角度からお話をお伺いしたいと思います。  先ほど先生のお話の中で、国家社会研究を請け負わせるプロジェクト型、そういうことが明確な変化として生まれてきたというお話がありました。その契機となったのがマンハッタン計画というお話もありました。  言うまでもなく、第二次世界大戦は多くのとうとい命を奪う未曾有の惨事でした。特に、二十世紀の犯罪として、広島、長崎の悲劇は絶対に忘れることができないものだと思います。その原爆の製造に当時の科学者が中心的にかかわってきた、あるいはかかわらされてきたということの反省から、世界で戦後、科学者社会的責任という問題が大きく問われるようになってきたと思います。  一九五五年にラッセル・アインシュタイン宣言が出されましたし、五七年には、ノーベル賞受賞の科学者を中心にしてパグウォッシュ会議組織されたとおりです。それらの中身は、科学研究技術開発は平和目的に限るべきという強い意思のあらわれだったと思うんです。  先生に改めて、根源的なことで申しわけないんですが、科学研究技術開発は平和目的に限るというこの歴史的な教訓について、先生の御見解をお伺いしておきたいと思います。
  49. 村上陽一郎

    村上参考人 現在の私たちが今先生のおっしゃったような考え方存在していることは明らかでありますし、私自身も、戦争に協力するような研究というものに対しては抵抗するという基本的な理念は自分の中に持っているつもりでございます。  これはしかし、現実の問題として考えたときに、私はここが非常に難しいところだと思うんですが、アメリカの場合の科学研究費は、先ほど申し上げましたNSF以外に、かなりの量が国防総省からおりてきている予算がございました。最近になって、冷戦構造の崩壊の後少しずつ減っておりますけれども、基本的にはそういうところもございました。例えば、MITという大学へ行きますと、市民立入禁止というようなエリアがあっちにあったりこっちにあったりするというような状況もございまして、ここは国防総省からのお金で運営されている研究であると。  ところが、現実に何が起こったかといいますと、これは場合によっては、政治家の方々から見ればけしからぬとおっしゃるかもしれませんし、事実けしからぬことでもあるのかもしれませんけれども、軍事費としておりてきた、つまり国防総省の予算としておりてきた研究費を、では一〇〇%軍事研究のためだけに使っていたのかというと、これは明らかにそうではないんですね。  これはアメリカのいいところだと思いますが、そういうことを細かに、オーディットという言葉がございまして、何と訳せばいいのかわかりませんけれども、もともとはちゃんと物を聞くということなんだと思うんですけれども、後始末を全部丹念に、資料が残っております。この研究はここから研究費をもらって行われてこういう結果が出てきたよというようなことを跡づけていく、そういうことが比較的自由にできるようになっております。  そういうのを調べていきますと、軍事費としておりてきた研究費が、実はかなりな程度、むしろ平和というか民生のために使われている、あるいは純粋研究のために使われているという実例を大分調べ上げることができたと私は思っています。  したがいまして、そこは、今おっしゃったパグウォッシュ会議だとかラッセル・アインシュタイン声明だとか、あるいはそういうことにかかわった研究者の方々の善意と倫理観というものを大切にしたいと思いますし、しかもなお、必ずしも研究者のすべてがそういう倫理観で行動しているとは限らないこの現実の状況の中で、非常に難しい問題ではありますが、軍事研究費であるというだけで全面的に非難ができるかどうかということになったときに、私たちは、過去の実績からいうと、ここに別の例もあると申し上げることも許していただきたいと思います。
  50. 春名直章

    ○春名委員 最初から民生費として使えばいいんですけれどもね。お話はわかります。  戦後の科学研究歴史ということも、かじっただけなんですけれども、例えば、日本学術会議のそれぞれの総会の声明を読ませていただいたんですけれども、戦後直後の四九年の第一回総会では、我が国科学者がとってきた態度について強く反省して、平和的復興に貢献せんということを誓うという宣言をされているとか、最近の一九八〇年の七十九回総会で科学者憲章が制定されていますけれども、自己の研究の意義と目的を自覚して世界の平和に貢献するということが高らかに採択されているとか、日本の戦後の科学研究歴史も、やはり平和利用、平和の方向でということが非常に明確になってきたという歴史だと思います。そのことをやはり二十一世紀に受け継いでいきたいというのが私たちの気持ちです。  その目で見てみますと、日本国憲法の平和原則というのは、私は、科学技術を平和目的に限るという精神をしっかり根拠づけてくれる、裏打ちしてくれる非常に重要なものではないかというふうに思うんです。  前文には、   日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 ということが掲げられています。  この憲法の平和主義が二十一世紀科学技術の方向をしっかり示しているというふうに私は認識をしているんですが、先生の御意見をお伺いしたいと思います。
  51. 村上陽一郎

    村上参考人 憲法の精神というのは、基本的にはあらゆるところにしみ通るべきものだと思いますから、少なくとも現在の憲法を私どもが持っているという事実を前提にいたしますと、おっしゃったことはまさしく、科学技術の応用に関してもその精神は当然のことながらしみ通っているはずだというふうに考えます。  問題は、例えば今おっしゃいました原子力の利用に関しても、日本科学研究者の、少なくとも原子物理学研究者ないしはその周辺の研究者たちの基本的な姿勢は、これは当然のことながら、例えば核兵器の開発には一切かかわらないという暗黙の了解を持っているわけでありまして、そのことに関しては、先ほど諸先生方から、国家研究に対する規制をすることをどう考えるかという御質問を重ねてちょうだいいたしましたけれども、例えば日本の原子力研究の中に兵器研究は入ってはならないという大原則は、ある場合には、研究者にとっては現実に規制として働いているわけです。もしも、さらなる兵器研究をしようとする人が、物理学者の中にそういうものもやりたいと思っている人がいるとすれば、その人は、日本では基本的にはできないわけです。現実にできません。これは本当にそうです。これは現実の問題としてできないんですね。ですから、どこか別の国へ行って研究活動する以外にあり得ないことになります。  そういうわけで、その意味では、例えば原子力研究に関しては、ある極めて厳密な規制が既に私たち研究者に課せられているということは申し上げておいていいと思います。
  52. 春名直章

    ○春名委員 そこで、もう一点お聞きしたいんですけれども、第二次世界大戦後もと言った方がいいかもしれませんが、どうしても日本の場合、政府による科学技術軍事化といいますか軍事目的化といいますか、それが重大な問題になってきたという歴史も一面であると思うんです。  それで、日本学術会議は、六七年の第四十九回総会で、軍事目的のための科学研究を行わない声明を採択しています。七二年には六十二回総会を開いて、科学技術平和利用の原則の堅持についての要望というのを採択されています。科学技術は平和のためにのみ役立つものである、戦争を目的とする科学研究には従わないということを表明されている。そういう立場から、原子力委員長と宇宙開発委員長を兼務する科学技術庁長官の国防会議への参加に対して懸念を表明する、こういう声明も発表されておられます。  ところが、そういう科学者の理性にもかかわらず、例えば一つの例ですけれども、一九八三年には日米武器技術供与交換公文というのが取り交わされていると思うんです。日本科学者技術者を、率直に言って軍事的な研究や開発に取り込んでいくという一方の側面もやはりあったというふうに私は思います。  こういう動きは、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにとした憲法前文をやはり軽視することになるんではないかと私は思います。  研究者の御立場ですので、政府の政策への問題ということは言いにくいことかもしれませんけれども、ただ、研究者として、こういう軍事的な開発や研究に取り込む動きについては、見解をぜひ聞いておきたいなというふうに私は思うのです。
  53. 村上陽一郎

    村上参考人 これは先生も十分御存じのことだと思いますが、先ほど申し上げたことともちょっと関連するんですが、現代技術というのは、軍事と民生とにきれいに分かれることが大変難しゅうございます。  武器の禁輸原則などで、半導体なんかがどういうふうに使われるかということで時々社会的な問題になることもございますが、例えば半導体技術一つを取り上げてみても、これは民生にも使えますし、あるいはミサイルの誘導装置にも使えるわけでございますし、バクテリアの研究がそのまま場合によっては細菌兵器の研究になることも御承知のとおりでございます。  あるいは、もっと単純に、文字どおり完璧に民生の技術として使われている、あるいは開発されたもの、例えば日本でいいますと、御承知と思いますけれども、本四架橋の橋に対して開発されたペイントがございます。あのペイントは、あれだけの船が瀬戸内海を行き来するのに、あれだけの鉄鋼の構造物がたくさんできますと、運航のためのレーダーに大変大きな問題となります。したがって、できる限りレーダーフリーな塗料を塗って何とかそこの負荷を軽減するということで開発されたものでございます。しかし、考えてみますと、そういうレーダーフリーな塗料があれば、ステルスのようないわばスパイ的な偵察機の塗料としては最も望ましいものであって、実際にこのペイントはアメリカからも引き合いがあったし、その他の国々からも随分引き合いがあったそうでございます。  そういうわけで、民生的に開発された技術というものが思わぬところで軍事的に使われるということもあり得るわけでございまして、これもまた、純粋研究をしている人たちと、それからそれを応用していく人たちとの間の関係として、かつてよりもはるかに複雑なさまざまなチャンネルができ上がっているというところに起因いたします。  したがって、研究者たちがそういうことに対して常に神経を働かせなければならないという意味で、その御意見をちょうだいさせていただきたいと思います。
  54. 春名直章

    ○春名委員 それだからこそ、やはり厳密に平和利用ということを意識することが大事かなと思いますし、その道しるべが憲法に示されている中身ではないかということを私は改めて感じたということを申し上げまして、終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  55. 中山太郎

  56. 保坂展人

    保坂委員 社会民主党の保坂展人です。きょうは村上参考人に伺います。  人間の尊厳について、ドイツの基本法で言われていることについて触れられたんですが、参考人は、戦前の社会から戦争の惨禍、そして国家の暴走という事態を踏まえて日本国憲法ができ上がり、そして、その日本国憲法が戦後の科学技術の発展やあるいは技術開発の現場にどのような役割を果たしたのかという点について、お聞きしたいと思うんです。
  57. 村上陽一郎

    村上参考人 もちろん、先ほどの春名先生のお話にもありましたとおり、戦後の日本社会の中での例えば研究者の自由、実は、これはある意味で非常に悲しい統計がございまして、昭和二十七年に行った全国の理工系研究者に対するアンケートの結果でございますが、かなりの数の方々が答えてくださったアンケートです。もちろん、私が関係しているアンケートではございません、アンケートの結果だけ私は承知しているわけです。  その中で、あなたにとって最も研究の自由のあった時期はいつだと思いますかというのに、もちろん年齢もファクターの中に入りますけれども、戦後と戦時中と戦前とに分けたときに、戦時中と答えた研究者が一番多かったのであります。  これは非常に悲しいエピソードでありますが、二十七年というころは、まだ社会的に研究ということにとても手が回らない、お金も回らない、人材も回らない。その中でやりくりをしながら細々と研究をしている人たちにとっては、特に理工系研究者にとっては、先ほどの塩田先生のお話にもございましたように、戦時中は予算も潤沢に回ってまいりましたし、徴兵も免れておりましたから、研究者たちのエゴイズムからいえば、研究戦時中が一番自由に行えたというふうに言う人たちが多かったとしても、その意味では不思議ではないわけです。  しかし、少なくとも国家体制として見たときに、戦前の国体のあり方と戦後の国体のあり方とを比べたときには、明らかに、さまざまな形での自由を享受できるという点では、そういう環境を整備するということにおいては、戦後の日本の経済的繁栄も含めまして、研究者にとってはより効率がよく、かつまた歓迎すべき社会的環境を用意してくれたというふうに言うことはできると思いますが、恐らく研究者は、現場の研究者の一人一人に聞いてみれば、日本国憲法自分たち研究を支えてくれているという答えは余りしないのではないかと思います。
  58. 保坂展人

    保坂委員 村上先生が言われた研究の第二のタイプ、これからということで、大変興味深いし、私も同感なんですが、研究者としての至福のひとときを追求しようとする若い研究者が育っていかなければならないと思うのですね。  未知の分野に入っていく冒険心があったり、あるいは、失敗は恐れないという精神もまた必要でしょう。ほかの方から理解されなかったり、あるいは自分より年長の人からそういうことはやめろと言われても、あえてここに耐えて一つのことにこだわる、こういうタイプの若い研究者が出てくるだろうかということを考えるときに、まあ実際にそういう方はいらっしゃるのかもしれませんが、私が見るところは、今教育の場では、過剰な調和主義というか、人にどうやって合わせるか、あるいは目立つよりは目立たないということに、むしろ学びの場である学校の中でそういう人格が多く形成されてきて、そういう若い人たちがなかなか育ちにくいのかなという心配をしているのですが、いかがでしょうか。
  59. 村上陽一郎

    村上参考人 その点は、例えば日本研究の隆盛、あるいは、各国に比べて特に日本研究者の数が少ないというわけではございません。むしろ、その点でのリクルーティングというのは、一方では若者の理科離れ云々ということが深刻な問題であるのですけれども、全体として見たときには、依然としてまだ理工系を支えてくれる人材というのはそれなりに確保できているわけです。  しかし、その中で、今おっしゃったような、頭角をあらわし、幾ら打たれても打たれても自分独自の道を歩もうとするような、ユニークでしかも創造力のある人たちがなかなか育っていかないということに関しては、私も大学にいる人間として、まことに恥じ入るばかりです。一方、日本社会が、今調和とおっしゃったのでしたか同調とおっしゃったのでしたか、そういう人間たちによって支えられてきたという一面も全く無視するわけにはいかない。  そこで、ではどうやって、一方ではメリットと見えるところを残しつつ、しかしもう少し、おっしゃったようなユニークな人材を育てていくことができるのかといったときに、私たち教育者自身が考えなければいけないところがたくさんありますし、と同時に、社会全体のそういう培地をつくっていく努力をしていただかなければならないところもあります。しかしその中で、私は少なくとも大学にいる人間として絶望してはいません。
  60. 保坂展人

    保坂委員 安全ということが、今そしてまた次の時代の恐らく大きな課題だろうというふうに先生もおっしゃっていると思うのですが、私もそう思います。  だれのための科学なのか研究なのかというときに、交通事故の問題などを考えるのですけれども、自動車メーカー側の研究はどんどん進む、あるいは道路をつくっていく側の研究もあるだろう。だけれども、大勢の人が交通事故で亡くなっていて、この国会でも超党派で交通事故問題を考える議連をつくっているのですが、はねられたり交通事故で亡くなったり大けがをしたりする方が、私どもの中でも議員本人だったりあるいは周りの人にたくさんいるのに、なかなかそういった議論も進んでいかなければ、研究というところでももっとこれはあってほしいなと思います。  それから医療の分野でも、つい最近私は、スティーブンス・ジョンソン症候群という、これは風邪薬や頭痛薬を飲んで、十万人に数人の割合ですけれども、激しい皮膚炎を起こして、そして後遺症として失明に至ってしまう、こういう人たち、患者さん一人一人に会うと、医療関係者はみんなそのことを常識のように知っているんだけれども、自分たちは全く知らされていない。  つまり、実際に個人として追い詰められる要素が強い便利で効率的な社会、しかし、その効率の外側にはみ出しちゃったときに大変につらい、過酷なしわ寄せもあるというこの社会の中で、そういう組織されていないといいますか、しかし深刻な社会問題に取り組んでいかれるような研究体制というのを望みたいと思うんですが、お考えをお願いしたいと思います。
  61. 村上陽一郎

    村上参考人 今おっしゃった点では、私も全く異論がございません。賛成でございます。  一例を申し上げます。今、自動車会社とおっしゃいました。これは実名を出していいんでしょうか、例えばドイツでは、法律も改正されましたし、この法律の改正にはドイツの主要な自動車メーカーが実は率先して参画したんですけれども、アウトバーンで起こった自動車事故に関して、警察が縄を張っても、警察以外の事故調査委員会がそれを十分に調査して、何が起こって何が問題で死者が出たのか、車の中で死んだ人は一体何によって殺されたのかというようなことを克明に調べ上げる、そういう第三者委員会をつくって調査するということが始まっております。日本でもやはりそれが必要だと思いますし、それから、航空機事故では一応それは全世界的にそういう形になりつつあることは御承知のとおりでございます。  もう一つだけ言わせていただければ、これも法律的な問題がございますので先生方に御検討いただきたいことでございますが、アメリカが何でもいいというわけでは決してありません、随分私はアメリカに批判を持っていますけれども、しかし、アメリカ制度の中に、免責制度というのが法律的に十分に活用できるようになっております。安全に関して、医療の場面でも交通事故の場面でもそうですし、あらゆる場面でそうですけれども、刑事的な責任を免ずるかわりに、正直で間違いのない情報を提供できるというような制度、これは現在、医療機関の中でインシデントレポートというような制度が少しずつ定着しかけております。  俗な言葉を使えば、その医療機関のあらゆるところで起こった冷やり、はっと体験を必ず報告しましょう。それで、その冷やり、はっとのときに、本当に何かミスを起こしてしまっても、そのミスはとりあえず免責にして、しかし、こういうことが起こり得るんだということを十分に管理者が掌握できるような制度、こういう制度をやはりきちんとつくり上げていくべきではないかというのが、私が安全の問題にかかわり始めてからの非常に強い考えです。  そして、もう一言だけ申し上げると、今小児科のお医者さんたちの間に、ごくわずかな数ですけれども、ボランタリーに、交通事故で亡くなったりけがをしたりした方が救急に運ばれてきたときに、そのけがないしは死亡という結果が一体何によって、ダッシュボードのどこがぶつかったのか、あるいは何が飛び込んできたのかということについて、克明に自分たちの手で調べ上げようとしているグループの方がおられます。こういうグループの方々の働きというものを社会的に認めて、ぜひサポートしていただければと念じております。
  62. 保坂展人

    保坂委員 ありがとうございました。  私、交通事故の問題に取り組んだときに、それからまた医療事故でも共通点なんですが、亡くなった場合には遺族になります、そしてまた生きておられる場合には本人になりますけれども、自分の情報がちっとも出てこない。これは捜査情報である、事故の場合はそこに阻まれます。あるいは、医療事故の場合でも、本人のカルテを取り寄せるだけでも大変な費用がかかる。私は、日本国憲法が、実は、形としてはあるんだけれども、まだまだ帝国憲法時代の、お上のことに余り口出しをするなという風土が日本に根強いのかなというふうに考えています。  きょうはいろいろありがとうございました。時間なので、終わります。
  63. 中山太郎

    中山会長 近藤基彦君
  64. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤基彦と申します。先生には大変お疲れのところ御苦労さまでございますが、もう少しおつき合いをしていただきたいと思います。  先生は、一番最初に、科学制度化としては西欧からひどくおくれたわけではないと。現実に東京大学理学部という学部を持ったということでありますが、当時世界的にもまだ数年しか、ここでは一、二年程度のおくれで理学部を持ったということですが、当時理学部を持っていた、あるいは持たなければならなかった背景といいますか、どうしてそんなに早くに理学部が発足できたのか。そして、そのときに主に盛んに研究がなされた課題といいますか、今はあらゆる研究がなされていますが、できた当初というのは、ある程度絞られた形の研究がなされていたと思うのですが、その辺をおわかりの範囲で教えていただけませんでしょうか。
  65. 村上陽一郎

    村上参考人 大変おもしろい論点を出していただきました。なぜ東京大学理学部を設けたのかということに関しては、いろいろございますけれども、ある意味で大変おもしろいのです。  というのは、このときの理学部の、先生の御質問の最後のところともかかわり合いがありますが、一番重要課題というのは、例えば、一つ日本の緯度、経度をきちんと決めて世界地図の中の位置関係を正確に定めること、あるいはそこで地磁気を測定すること。つまり、今の物理学からいえば、もう物理学とは言えないような世界であります。それから、電気に関して基礎的な実験をすること、これは何か天皇の行幸を仰いで、実験室で発電の、電池の実験をやってみたなんということも設立のすぐ後で行われた。もちろん、先生方はすべてお雇い外国人であります。そういう極めて基礎的な事柄についての、ですから、まだ研究とまでとてもいきません。正直言って、研究までまいりません。  ですから、制度としてはおくれなかったと書きましたが、内容的に言えば、当然のことながら、一八七〇年代というのは、既にヨーロッパでの物理学物理学なりにそれなりの研究成果を上げていた時代でございますが、それをそっくりそのまま日本理学部研究ができたわけではございません。その点は御指摘のとおりでございまして、大事な点を指摘していただいたと思います。
  66. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 先生のお話では、理科の実験みたいな形から始まったような印象を受けるのですが、ということは、制度的には確かにおくれをとってはいなかったけれども、研究の内容的には西欧からはるかにおくれをとっていた。  そのときに、既にそういったお抱えの先生方を招いて、西欧の恐らく基礎的な科学研究をし、そしてなおかつそれを伸ばしていくというよりも、どうも日本人というのはソフトに弱くてハードに強いといいますか、物まねがすごくうまいというか、応用がきくというか、その辺からもう既にそういった形で、科学を利用して技術に結びつけていくという、科学を深く研究するというよりも、招いた科学技術に応用していくうまさというのは、そこから根づいたわけではないんだろうと思うんですが、どうも基礎研究的な部分に弱くて応用研究には強いというような言われ方を専らするんですが、現実的に今でもそういった傾向が見られるんでしょうか。
  67. 村上陽一郎

    村上参考人 やはり工学が圧倒的に理工系の中では大勢を占めているという日本の状況の中で、基礎研究に必ずしも日が当たっていないという状況は、今日でも、先ほど申し上げましたとおり、特に使命達成型研究にかかわっていない部分というのは、残念ながらそれほど活発に行われているというのでない側面を指摘せざるを得ないと思います。  ただ、先ほど言葉で誤解が生じたとすれば困るので申し上げておきますが、理学部でも工学部でも、最初に入ってきた人たちは海外からの教師に学びます。そして、ある段階で海外へ送られます。海外へ行ったときにはもう既にほぼ第一線に追いついていますので、その意味では、当時の大学に入ってきた学生たちの優秀さというのは、例えばこれは医学の分野ですけれども、北里柴三郎が、必ずしも日本医学部では最もブリリアントな学生ではなかったにもかかわらず、コッホのもとに留学して間もなく、コッホがドイツ人の学生に、論文を書きたかったら北里を見習えと言うぐらいに、見事なドイツ語で見事な研究成果を上げ始めるわけですから、そういう意味での潜在能力は非常に高かったということ。  それから、明治政府は、御承知のとおり、研究者を呼び返しまして、お雇い外国人の首を次々に切っていって、差しかえていくわけですね。その差しかえた結果として、日本研究たちまちほぼ世界の、最先端とは言わないまでも、先端の部分ぐらいまで追いつきますので、その点はなるべく誤解がないようにさせていただきたいと思います。  一方、その中では、例えば木村のZ項のように、気象学とかその他、今で言う地球科学の側面では世界的に名をはせるような成果も出ますし、それから、さっきの高峰だとか、やや工学に近い、応用に近いところでは、文字どおり世界のトップレベルの研究たちまち行われるようになります。  その点では、再び繰り返さなければなりませんが、先ほどの日高敏隆さんのお話ではありませんけれども、本当に社会的に今すぐに利用価値があるかどうかわからないところに、静かな研究を静かに、しかも、先ほど保坂先生じゃありませんけれども、頭角をあらわすような人材がきちんと育っていってほしいという念願を私が持っているということは、必ずしもそうなっていないということを意味しているんだと受け取っていただきたいと思います。
  68. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 これからは、もう数日で二十一世紀ですが、環境と教育という問題が来世紀には大変重要な課題になるんだろうと思っているんですが、先ほど、環境問題を考えるときに、プロジェクト型といいますか、使命達成型研究だけではどうしても無理があるんではないか。先ほど先生が日高先生の例を取り上げて、チョウチョウが飛ぶという部分で、お花畑だけをつくってもチョウチョウは来ない、これも一つの環境の問題だろうと思うんです。  そういった、科学というのは、ある意味では二面性があって、変な話ですけれども、どうしようもない科学研究というのはないんだろう。最終的には何かの利益になるなり、公共の福祉になるなり、いろいろな面が、先ほどのチョウチョウの飛び方もそうなんですが、出てくるのではないかと思って、特に環境の問題では、本当に、過去の歴史からも、基礎的な研究が実を結ばせなければいけない世紀に入ってくるのではないのかなと思っているのですが、そういった点では先生どうお考えでしょうか。
  69. 村上陽一郎

    村上参考人 先ほど申し上げたことを正面から受けとめていただいてありがたく思いますが、まさしく環境の問題に関しては自然研究だけではどうしても足りません。人間研究があり、社会研究があり、人工物の研究が必要です。  それと同時に、しかし、自然環境についての基礎的な知識はまだ、個別の狭い分野に関する知識はきちんと整ってきましたけれども、全体的な、私どもはそれを大域的という言葉で呼びますが、その大域的というのはもちろん宇宙にも広がる概念ですけれども、もちろん太陽エネルギーが注ぎ込んでいますから太陽も含めてですが、地球全体としての大域的な純粋な自然についての知識ということもまだ極めて足りない状況にあるということを認識していただいて、そういう研究に対しても目を開いておいていただきたいということを先ほどから申し上げているつもりなんです。  ですから、先生のお言葉で言えば、どうしようもない研究というのは恐らくないだろうと思います。
  70. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 もう一つ教育の問題ですが、先生がここに、理科系と文科系とに二分されるような教育はこれからは時代に合わなくなるのではないかとお書きになっていますが、私は全くそのとおりだと思うんです。  先生は教養学部の先生でいらっしゃいますので、当然深く大学受験に関してかかわっていらっしゃるだろうと思うんですが、今現在でも、公立の学校は別にして、私立の高校などでは、特に私の出た高校を例に挙げれば、もう二年生から既に理系文系にクラスが分かれてしまって、はっきり言えば国語とか社会とかは全く勉強しなくてもいいぞ、理系の場合は三教科だけ勉強していればいいんだ。しまいには、三年になるともっと志望大学別クラスみたいな形で行われている。これは大学の受験制度的なものが、昔は五教科きちんと試験にあったのが、理系の場合ですと三教科に絞り込まれてしまっているということで、これではなかなか理系文系とに分かれているのは時代おくれになるということの改善的なことにはならないと思うんですが、特に先生は教養学部でいらっしゃるので、その点、どうお考えなのかをお聞かせください。
  71. 村上陽一郎

    村上参考人 全くおっしゃるとおりでございまして、まさにその点を改善したいというのが私の切なる願いでございます。しかし、高校の先生方は必ず、大学入試が変わらなければ私たちは変われませんとおっしゃいます。それはそのとおりだと思います。ですから、大学にいる人間としては、大学の側が少しずつ変えていかなければならない。  おっしゃったように、理系、私大理系とか私大文系とか、私も今私大におりますけれども、私大文系というのは全く今先生のおっしゃったのと逆でありますが、というようなコースが今受験の産業の中にも、当然それは需要があるからあるわけですけれども、あるということ、あるいは日本教育制度の中にあるということが、私は恥だと考えるようになっていただきたいと思います。
  72. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 時間になりましたので、どうもありがとうございました。
  73. 中山太郎

  74. 小池百合子

    ○小池委員 小池でございます。最後の質問者でございます。よろしくお願いいたします。  本日は、科学技術歴史ということから、いろいろな点で御示唆をいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと存じます。理学部工学部そして神学部、いろいろ大学学部の置き方がその後どのように変化をもたらすかといった、これまでに私が抱いてこなかった観点からの御示唆でございました。非常に興味深く伺ったわけでございます。  これは、来年の一月六日から、決定されていることではございますが、我が国では省庁の再編が行われるわけでございます。そして、文部省と科学技術庁が一緒になって文部科学省という形になるわけでございますが、きょうお話しいただいた観点からいたしますと、この組み合わせがどのような効果をもたらしていくのか。きょうは、科学技術の面を、どのようなものが原点となっていくのかということで、キュリオシティードリブンそれからミッションドリブンというような形でも御説明がございました。  そういった観点からいたしますと、今の私の質問でございますけれども、文部、科学というこのセット、これがどういう効果を一体もたらしてくるのか、そしてまた、国民にとってそれが本当にいろいろな意味で幸せと申しましょうか、そしてまた、日本科学技術の振興というものが世界にとってプラスになるのか、この辺から御意見を伺いたいと存じます。
  75. 村上陽一郎

    村上参考人 先ほども申しましたように、科学技術庁というお役所が誕生いたしましたいきさつは、基本的には調整機関だったと考えております。したがいまして、ある意味では各省庁の間に存在している、特に科学技術に関するそれぞれが持っておられる、例えば、当時ですから、大蔵省さえと言うと失礼ですけれども、醸造研究所というのを持っておられますので、そこでも研究が行われます。  そういうふうに各省庁にばらばらに存在している研究ないしはその所管の研究開発、特に科学技術に関しての研究開発というものを横断的に眺めながら、オーバーラップ、重なっている部分はできる限りそぎ落とすとか、足りない部分、皆がこれをやっているけれどもここのところは抜けているじゃないかというようなことに関する調整とかいうようなことを本来目的としていたと私は理解しているんですね。  ただ、先ほど申しましたように、科学技術庁が自前の非常に大きなプロジェクト、国家政策として遂行するためのプロジェクトを持ち始めましたので、そこが膨大になりました。過去のいきさつの中では、例えば宇宙科学に関しては、多少科学技術庁と文部省の間にぎくしゃくもございました。宇宙開発事業団と、それから東大にあった宇宙科学研究所との間の役割分担というのも、省庁が違う場合はかなりすり合わせが行われたり、ある場合にはぎくしゃくしたりすることもございました。  そういう点からいうと、例えば宇宙に関しては一本化されるということは、今後の効率にとってはある種のメリットを持っていると思いますし、そういうことを考えていきますと、今回の行政改革による中央省庁等の改編に伴う結果としての文部科学省の誕生というのはそれなりに成果があり得ると思っております。  ただし、私が申し上げたいのは、あり得るのではなくて、あるようにするためにはどうすればいいかということを、まさしく私たちが、みんなが、研究者も、それから大学関係者も研究所にいる人間も、みんなが一緒になって考えていくことが大事なんであって、先ほどからも問題になっておりましたように、でき上がってしまったもので何とかしてくれるだろうでは絶対これはよくならないと思うんですね。  そのために、むしろ行政の方々も、ようやく最近は法案が出ますとパブリックオピニオンを求めるということが習慣化されましたので、そのパブリックオピニオンの部分をどうやってきちんと吸収していくかということについてもぜひお考えいただきたいと思っております。
  76. 小池百合子

    ○小池委員 この省庁再編は一種の枠組みでございますので、その後の魂をどのように入れていくのか、これが一番肝心なことだと私も考えております。  その行政改革の一環といたしまして、一方で国立の研究所などの位置づけも今論議が行われておるところでございまして、御承知のように独立行政法人化と、私自身はこの形は余りいいというふうには考えておらないんです。  先ほども、企業が持っている研究所、インハウスの研究所なども日本の場合特に多うございます。それは、民生としての目的を果たす、すなわち製品にするということで、極めて応用型のものが多いかと思いますが、やはり基礎をきっちりとした上で応用が生まれてくるわけでございまして、この辺は非常に悩ましいところでございますけれども、急に何か利益を生むものを求めていては基礎研究というのは多分ないがしろになるのではないかと、私も素人ながらに思うわけでございます。  そういった意味で、いわゆる基礎研究に携わっておられる現在の国立の研究所のあり方、先生の御提言をお聞かせいただければと存じます。
  77. 村上陽一郎

    村上参考人 この独立行政法人化の問題というのは大変いろいろな考慮を必要といたしまして、おっしゃったようにデメリットもたくさんございます。  一つメリットとして考えられることは、これは、国立大学も今その方向を何とかどういう形でかということを考えているわけでございますけれども、国家公務員という身分の持つ制約というのが研究開発ということに必ずしもなじまないという側面はどうしても指摘せざるを得ないわけであります。これは、何も技術移転をして、大学にあるシーズを民間にどうやって移転していくか、ベンチャーがつくれるかというような話とは、もうちょっと違ったところでも多分そうだと思います。  例えば、私がかつて自分で経験したことでございますが、企業から、企業にも基礎研究者はおられますので、その分野で最もその企業の中ですぐれた研究をやっていらっしゃる方を二年なら二年、一時期しばらくお迎えしたいというようなことが国立大学で幾らでもあるわけです。  しかし、その国立大学の、教官という言葉は私は嫌いなんですけれども、教官という立場になっていただくためにはさまざまな制約を突破しなければなりません。そして、その制約を突破することは御本人にとって極めて不利になるわけです。企業を休職にしていただいて、フリンジベネフィットも全部一時期中断させてというようなことになりますので、しかも、場合によっては給料は下がります。そういう場面で、一体どういうふうに手当てができるかというとき一番問題になります。  それから、また逆に、一時期企業に出かけていって企業の現場の状況というものを知って、また基礎研究へ戻るというようなときにもまた逆の制約がございます。  そういう身分上の制約、あるいは外国から来た人たちと協力し合うというようなときに、持っている国家公務員としての身分上の制約に関しては、一応国家公務員に準ずるということになると思いますけれども、その準ずるというところでやや緩和される。それから、予算その他に関しても、必ずしも今までどおりでなくてよいという自由度ができるという点では、私は、メリットがあると思っています。  そういうメリットを生かしつつ、おっしゃるように、なかなか、競合的な空気の中で自分で自分の始末をしなさいと言われても、基礎研究はそう簡単にできませんので、であるがゆえに、私は、きょう、最初からそのことだけを申し上げているような気がするのですけれども、基礎研究に対して、別のカテゴリーとして十分な配慮を払っていただきたいということを、国家としてやはり面倒を見なければならない、見方は、国家公務員の立場ではなくていいのじゃないか。それが私、ちょっと虫がよいかもしれませんが、申し上げたいと思います。
  78. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  それからまた、研究者世界というのは、私どもから見ましても、何か独特の世界のような気がいたします。  特に、これは日本社会により強くあるのかなと思うことなんですが、学閥であるとか派閥であるとか、それから先生を超えてはいけないとか。どうも、ノーベル賞をおとりになる方々などは、結局日本を飛び出して、そして海外で認められる。また、今回ノーベル賞を受賞なさいました白川先生も、日本の中では、これまでどれほど皆さん注目されていたのか存じませんが、ノーベル賞という世界的な権威の中から認められて、そして慌てて文化勲章が後から与えられるというような形で、象徴しているのかなというふうに思います。  これは憲法、そしていろいろな行政の仕組みを超えた科学日本的側面だというふうには考えるわけでございますけれども、そういったことを打破していくためにも、先ほどおっしゃいました国家公務員の身分であるとか、それから対外的に、二年外に行って、そしてまたサバティカルのような形で生かすとか、こういった柔軟性ということが必要になってくるかと思います。  多分、今のに御同意いただけるのではないかと思いますが、先生の御意見を改めて伺いたいと存じます。
  79. 村上陽一郎

    村上参考人 基本的には、全くおっしゃるとおりでございます。そして、そのことは、ある程度社会が少しずつ認めていただいて、少しずつ緩和する方向に動いていることは確実でございます。それは、国会の先生方の御努力にもよるということは重々承知しております。その意味で、今後ともまた御助力がいただければと思うのです。  ただ、学閥とかおっしゃいました。恐らくあるんでしょう。しかしそれも、何も待遇の改善だけではなくて、研究者たちの自己意識の中で、昔ほどではなくなっていることは確かでございますし、その方向で社会が動きつつあることに対して抵抗する人たちは、いわば死んでいきます。
  80. 小池百合子

    ○小池委員 最後に、日本語にならない英語、外国語というのは結構あるかと思います。  前に、アカウンタビリティーであるとかアイデンティティーとか、そういった言葉を取り上げさせていただいたのですが、きょうは、いろいろな科目の中で、私も留学組ではございますけれども、どうしても日本語に訳せないなと思ったのは、ポリティカルサイエンスという言葉でございます。ポリティックスとサイエンスというのは一番日本では結びつきにくいのかなと近ごろ特に思うわけでございますけれども、先生、これはどういうふうに訳したらよろしいのでございましょうか。
  81. 村上陽一郎

    村上参考人 わかりません。もちろん日本語では、御承知のとおり政治学ないしは——政治科学という言葉はございませんね、政治学と訳しているわけですけれども。より広い範囲であることは私も存じ上げておりますので、どういう訳が適当なのか、とても私では、私の想像力からは何とも申し上げられないとお答えせざるを得ません。申しわけございません。
  82. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  それでは、時間が参りましたので、今世紀最後の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  83. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  村上参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。調査会を代表して厚く御礼を申し上げます。(拍手)      ————◇—————
  84. 中山太郎

    中山会長 この際、一言ごあいさつを申し上げます。  本日をもちまして年内の憲法調査会は最後となります。そこで、本年中の調査会活動につき、改めてその経過を御報告いたしたいと存じます。  本調査会は、去る一月二十日、第百四十七回国会の召集とともに設置され、当日、第一回目として会長幹事の互選が行われました。  次いで、二月十七日に、各会派の委員六名より、憲法調査会調査を開始するに当たっての意見を聴取した後、二月二十四日から四月二十日まで五回にわたり、日本国憲法の制定経緯について十人の参考人より意見の聴取をし、質疑を行いました。その上で、五月十一日には、日本国憲法の制定経緯について、締めくくりとして、委員間の自由討議を行いました。  これらの議論を通じ、日本国憲法の制定経緯については、それぞれの立場の違いによる評価は別といたしましても、各会派とも、客観的な事実に関する共通の認識を持たれたものと存じます。  また、この間の四月二十七日には、衆参に憲法調査会が設置されてから初めて迎える憲法記念日に向けて委員各位の自由な意見の表明を聴取いたしましたし、さらに五月二十五日には、日本国憲法制定以来今日に至るまでの憲法の歩みを違憲判決を通じて検証するため、戦後の主な違憲判決について最高裁判所事務総局より説明を聴取した上で、質疑を行いました。  その後、第四十二回総選挙を挟みまして、第百四十八回特別会では、七月五日に会長幹事の互選が行われました。次いで、第百四十九回臨時会の八月三日には、総選挙後新たに委員になられた方の御意見も聴取するため、改めて、今後の憲法調査会の進め方について委員間の自由討議を行いました。当日、自由な意見の表明を行われた委員の延べ人数は二十人であります。  なお、第百五十回臨時会に入った九月二十八日からは、二十一世紀日本のあるべき姿について参考人から意見を聴取し、質疑を行ってまいりました。  二十一世紀日本のあるべき姿についての参考人意見聴取及び質疑は、九月二十八日、十月十二日、十月二十六日、十一月九日、十一月三十日、十二月七日及び本日の七回であり、お招きした参考人は十二人、また、質疑を行われた委員の延べ人数は、私も含め八十八人であります。  十二人の参考人の主な発言の論点としては、 一、二十一世紀世界の変化及びそれに応じて起こる国家の役割の変化とはどういうものか 一、世界に対して日本はどういう責務を果たさなければならないか、そのため日本人はどういうことを考え、実行しなければならないか 一、日本の政治や社会はどのように変わらなければならないか 一、今述べた諸問題に関し、憲法がどうかかわってくるのか、あるいは憲法はどうあるべきか などが挙げられますが、実に多岐にわたる論点について活発な質疑が繰り広げられました。  本日までの調査会において、発言をした委員の延べ人数は二百六十人、お招きした参考人の人数は二十二人、最高裁職員二人、調査会の総開会時間は七十五時間を超えております。  なお、九月十日から十九日までの間、衆議院から欧州各国憲法調査議員団が派遣され、ドイツ、フィンランド、スイス、イタリー、フランスの欧州各国の憲法事情について調査をしてまいりました。その調査の内容につきましては、去る九月二十八日の調査会においてその概要を御報告し、また、十一月九日の調査会で配付いたしました衆議院欧州各国憲法調査議員団報告書のとおりでありますが、本報告書は大学、マスコミその他の関係者からかなりの注目をされているところであります。  加えて、本憲法調査会では、今国会から国民各層に対する広報活動の一環として衆議院憲法調査会ニュースを発行し、ファクス、メールで現在千人を超える方にお送りするとともに、傍聴に見えた方にもお渡しするなどして、情報公開に努めておるところであります。  今後とも、憲法は国民のものであるとの認識のもと、かつ、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならぬという原則を堅持して、世界の平和を守るために国連加盟国として我が国の果たす役割、国家危機管理のあり方、情報化社会における個人のプライバシー保護の問題、生命倫理の問題、地球環境問題への対応、男女共同参画社会のあり方など山積する諸問題に二十一世紀日本がいかに対応するべきかを求めて、憲法に関する広範かつ総合的調査活動が新世紀においてもなされるべきものと信じます。  最後に、本日までの調査会において、幹事、オブザーバーの方々、そして委員各位の御指導と御協力により公平かつ円滑な運営ができましたことに厚くお礼を申し上げて、今世紀最後の調査会を閉会といたします。ありがとうございました。(拍手)  本日は、これにて散会いたします。     午後零時二十六分散会