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2000-12-07 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年十二月七日(木曜日)     午前九時一分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 鹿野 道彦君 幹事 島   聡君    幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君    幹事 塩田  晋君       岩崎 忠夫君    奥野 誠亮君       佐田玄一郎君    新藤 義孝君       杉浦 正健君    砂田 圭佑君       田中眞紀子君    中曽根康弘君       中山 正暉君    根本  匠君       鳩山 邦夫君    平沢 勝栄君       保利 耕輔君    三塚  博君       水野 賢一君    茂木 敏充君       山崎  拓君    五十嵐文彦君       石毛えい子君    枝野 幸男君       大出  彰君    中野 寛成君       藤村  修君    細野 豪志君       前原 誠司君    牧野 聖修君       山花 郁夫君    横路 孝弘君       太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君       武山百合子君    達増 拓也君       春名 直章君    山口 富男君       辻元 清美君    土井たか子君       日森 文尋君    宇田川芳雄君       小池百合子君     …………………………………    参考人    (評論家)    (麗澤大学教授)     松本 健一君    参考人    (上智大学教授)     渡部 昇一君    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ————————————— 委員の異動 十二月五日  辞任         補欠選任   額賀福志郎君     茂木 敏充君   柳澤 伯夫君     大島 理森君 同月六日  辞任         補欠選任   村井  仁君     佐田玄一郎君 同月七日  辞任         補欠選任   宮下 創平君     岩崎 忠夫君   森山 眞弓君     砂田 圭佑君   武山百合子君     達増 拓也君   土井たか子君     日森 文尋君   近藤 基彦君     宇田川芳雄君   野田  毅君     小池百合子君 同日  辞任         補欠選任   岩崎 忠夫君     宮下 創平君   砂田 圭佑君     森山 眞弓君   達増 拓也君     武山百合子君   日森 文尋君     土井たか子君   宇田川芳雄君     近藤 基彦君   小池百合子君     野田  毅君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国憲法に関する件(二十一世紀日本のあるべき姿)     午前九時一分開議      ————◇—————
  2. 中山太郎

    中山会長 これより会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を行います。  本日、午前の参考人として評論家麗澤大学教授松本健一君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をちょうだいし、調査参考にさせていただきたいと思います。  なお、参考人の御発言の場合は会長の許可を得ることになっております。また、参考人から委員に対する質疑は行えないことになっておりますので、さよう御理解を願いたいと思います。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、松本参考人、お願いいたします。
  3. 松本健一

    松本参考人 松本健一でございます。  きょうは、国民憲法と第三の開国というふうなテーマでお話をさせていただきたいと思っております。  私が国民憲法というふうに言う場合の基本的な概念というかコンセプトは、国民を守るための憲法国民自身がつくるという非常に簡単なことであります。こういう国民憲法が、現在の第三の開国時代に必要であるというふうに基本的に考えております。  第三の開国ということについては、幕末維新の第一の開国、第二次大戦後の第二の開国、そして冷戦構造解体後の、一九八九年以後始まっている世界史の新たなるステージというもの。これを考えますと、日本の三つの開国、今回が三番目でありますけれども、その三番目の開国ということは、日本人は内に閉じこもって平和に豊かに安定した社会をつくるのがうまい、巧みな民族でありますけれども、世界史ドラスチックに大きく変化をしたときに、それに合わせて自分の国の内部を変えていくというふうな技術も持っている民族だというふうに思っております。  第一の開国時代には、一八六八年に明治維新が行われましたけれども、その三十年近く前に、アヘン戦争が一八四〇年から四二年まで行われまして、東アジアはヨーロッパの植民地争奪戦の場になったというふうに考えております。これから始まって、日本明治維新、そして第一の開国を告げるところの憲法大日本帝国憲法がつくられたわけでありますけれども、これはまさにテリトリーゲーム時代憲法であったというふうに私は解釈しております。  第一の開国のときにはテリトリーゲーム、戦後の第二の開国のときにはウエルスゲーム、そして第三の開国の現在はアイデンティティーゲームというふうな形で世界史が大きくドラスチックに変化をし、それに応じて、日本もまた新たなる憲法あるいは国の姿というものをつくっていかなければならないというふうに考えております。  テリトリーゲームというのは、近代の民族国家ネーションステートというものが、大きな領土を持ってたくさんの資源を手に入れればその国は発展できるという戦略であります。つまり、明治大日本帝国憲法が制定されたときの世界史ゲームというものは、まさにその大きな領土を持ってたくさんの資源を手に入れればその国は発展できるという戦略を持っていたわけであります。  これは軍事力を主体として展開される。大きな領土とたくさんの資源を手に入れるということでありますから、軍事力を主体に形成される時代でありました。そういう時代には、天皇を中心とした欽定憲法国民欽定憲法を下げ渡すという形でネーションステート憲法がつくられるというふうな形をとったと思います。  戦後の第二の開国時代ウエルスゲームというのは富のゲームということでありますけれども、これはまさしく、戦後日本が五十年間、戦争に負けたことによって、軍事力を表面的には持たないかのような、そういう国の体制としてあり、その上で世界史の中で生き残っていく方法を見出さなければならなかったというふうに考えております。  ウエルスゲームというのは、しっかりとした産業を持って貿易を盛んにすればその国は発展できる、そういう戦略であります。これは戦後、日本が始めた戦略でありまして、結果とすればそれをアジアの四つの竜が追いかけ、現在ではASEANまで追いかけているというふうな、しっかりとした産業を持って貿易を盛んにすれば、どんなに資源が少なくとも、国が小さくともその国は発展できるという形で、戦後五十年間、世界史が展開してきたというふうに考えております。  そして現在、冷戦構造が終わった後は、これは今までの軍事力経済力の二つの開国と違って、文化を主体としたアイデンティティーゲームですね。  今、冷戦構造が終わった時点世界史に起こっていることは何かというと、まさに米ソのどちらかに所属をして、そしてイデオロギー対立を踏まえてパワーゲームを展開するというふうな時代が終わってみると、世界史に起こっているのは、表面的には、自分の国は自分で守るという、百年近く前のナショナリズム時代にさかのぼったかのような歴史の回帰現象があらわれているというふうに考えます。  しかし、自分の国は自分で守るといっても、これはナショナリズムに立脚したような考え方でありますけれども、百年近く前、第一次世界大戦のころの、ネーションステートが自国の権利、権益というものを、角突き合わせて、言ってみればテリトリーゲームを展開しているような、そういう時代とは全く違っております。これは、自分の国というふうに言った場合のその自分の国が、軍事力経済力ではなくて、より文化的なもの、あるいはその国だけがつくってきた歴史、あるいはその国の持っている形、文化というもの、それが明らかにされねばならないような、そういう新しい歴史のステージだというふうに思っております。  つまり、自分の国とは何かということ、あるいは我々の民族はどのように生きていくのかということが世界史の全体で問い直されている。冷戦構造が終わった後は、世界が、超大国というものがなくなって、大きな国と非常に小さな国とたくさん入り乱れておりますけれども、とにかく自分の国は自分で守るというふうな新しいステージが始まってしまったわけであります。  そういう時代には、まさに、経済の発展もありますけれども、あるいは安全保障が非常に複合的になってきているということもありますけれども、一種のグローバリズム時代が展開しております。人や物や金や情報が縦横無尽に行き交う時代、これがグローバリズムの非常に普遍的な定義となりましょうけれども、そういうグローバリズム時代であるからこそ、自分の国とは何なのか、自分の民族はどのようにして生きていこうとするのかというナショナルアイデンティティーを再構築しなければ、その国は世界史の中で埋没する。非常に豊かな国、豊かな地方というふうに言われていても、それは一種の巨大なショッピングモールにしかすぎない、あるいはマーケットにしかすぎないという形で世界史の中に埋没していかざるを得ないというふうに考えております。  テリトリーゲーム時代においてはどういう憲法がつくられていくかといいますと、憲法の名前は大日本帝国憲法でありますけれども、その時々に、必ず国民がうれしくなるような、あるいはそういう憲法を持っていることを誇りに思うような名前が必然的につけられるわけであります。  明治大日本帝国憲法の場合には、欽定憲法世界にただ一つしかない天皇制という、これは幕末の国体論がつくったカテゴリーであります。国体論なんというのは古代からあると考えるのは大間違いでありまして、幕末の吉田松陰がほぼ一人でつくり上げたカテゴリーでありますけれども、そういう天皇制から国民がいただいた、世界にただ一つしかない天皇からもらった憲法という形、そしてそれに国民の権利が書かれているというふうな形、そして義務も書かれているという、そういう欽定憲法という名前がつきました。  今日では、天皇からもらった憲法というとマイナスイメージが非常に強くなってくるわけでありますけれども、その当時は、世界に一つしかない天皇制、そしてそれがつくった憲法から我々が守られるというふうな考え方をとっておりましたので、欽定憲法というのは、非常に喜ばしい、そういう名前でありました。  第二次世界大戦後のウエルスゲーム時代につくられている憲法は、これは押しつけ憲法あるいは占領憲法というふうな名づけ方をする人もおりますけれども、国民の中に根づいた名前とすると平和憲法というふうな形になります。平和憲法だけれども、結局は、第九条を中心として、外国からあるいはGHQから押しつけられた、そういう憲法だというふうな規定をする人もいますけれども、私は必ずしも押しつけられた憲法だというふうには考えておりません。  それは、憲法第九条というのは、湾岸戦争のころには、世界で最も誇らしい、最先端の輝かしい条項を持った、世界史にこれから広げていかなければならないような憲法なんだ、それを日本人がつくったんだというふうに褒めている人がいましたけれども、あの憲法第九条が外国から押しつけられたということは明らかなのであります。  一九二八年、昭和三年のパリ不戦条約日本もあるいはアメリカも加わってでありますけれども、それに、国際紛争解決のための手段としての戦争はこれを放棄するという文言が明瞭に刻まれております。日本もそれを締結している一カ国なわけでありますけれども、その三年後には満州事変を起こして、そして日支事変が始まってくるころまでには、満州事変侵略戦争であるという国際法的な解釈が一般的になっておりました。  昭和三年の時点で、国際紛争解決の手段としての戦争はこれを放棄するというふうな条約、パリ不戦条約を締結しながら、三年後には国際紛争解決のための手段としての満州事変を起こしてしまったわけでありますから、これが結果とすれば、そういう戦争放棄の条項、武力不保持の条項を持った憲法第九条を日本人が懲罰的に与えられるということは、世界史的に見て仕方のないことであります。  ですから、結果とすれば押しつけ憲法かもしれませんけれども、そのことによってむしろ戦前の日本憲法よりもこちらの平和憲法の方が国民に受け入れられるという形で、戦後五十数年間、日本国憲法国民は受け入れてきたのだろうというふうに思います。  しかし、翻ってみると、憲法というのは、一八九〇年、明治の二十三年に施行されてから五十数年でその命脈を終えておりますし、戦後つくられた日本国憲法も、今やちょっと制度疲労を起こしている、現状に合わない、新しい歴史の、世界史ステージに合わない、そういうふうなことが指摘できると思います。戦前の欽定憲法も戦後の日本国憲法平和憲法も、両方とも一種の不磨の大典の状態に近くなってきております。  明治憲法は不磨の大典だというふうにみんな考えていたというのはおかしいのでありまして、明治憲法が制定されてから三十年後ぐらいには、既にその大きな欠陥というか問題点があらわれ始めてきております。  これは、我が議会史上の中でも、粛軍演説、あるいは日支事変に対して、聖戦の美名で行っている侵略戦争であるというふうな定義をしました斎藤隆夫議員が、大正四年の時点で、明治憲法はどういう欠陥を持っているか、どういう要素を持っているか、どういう特徴を持っているかといいますと、これは天皇大権というものがあるんだと。このことを否定しておりません。天皇大権というものがあって、これを悪用すれば、例えば内閣の組織も、国務大臣の任命も、あるいは議会解散権も、それから議会で決めた法律の不裁可権も、予算を国会が決めてもその不裁可権も、すべて天皇が持っていて、この天皇の大権を使えばどういうことだってできるんだと。大正四年です。その時点でそういうことを言っています。  我が憲法上、天皇の大権の前には議会の存在なく、国民の生命、自由、財産の保障もない、憲法の明文を遵奉して極端なる君主政治を実現することを得るは我が憲法の特色である、天皇大権を使えば極端なる君主独裁政治を実現することもできるということを言っているわけです。  この時点では、まだ統帥権の問題はほとんどあらわれておりません。明治の元勲であった山縣有朋という人が生きておりましたから、軍隊というものは政治家の下に、シビリアンコントロールとは言いませんけれども、要するに、それを政治の方が左右していく、コントロールしていくということがまだ行われていた時代であります。昭和五年のロンドン海軍条約のときに統帥権干犯というふうなことが言われますけれども、大正四年の時点では、まだ統帥権への干犯という言葉は使われておりません。  しかし、そういうものをも含めて、天皇大権というものを使ったら、これは極端なる君主政治だってできるのだという形で問題を提起していたわけです。ですから、この問題を重視し、憲法の欠陥というものを明瞭に見るならば、既に大正の半ばとか終わりの時点、昭和の始まる時点においては、憲法改正ということをも考えざるを得なかった、考えてしかるべきだったというふうな形であります。  ところが、結果とすれば、そういう憲法改正というものはだれも言い出さないで、斎藤隆夫さんの思想の中にあったというふうな形でありまして、実際にはむしろ、斎藤隆夫さんは、聖戦の美名に隠れて侵略戦争を行っているというふうなことを言ったために、議会を除名されてしまう。皇軍を批判した、天皇に対して不敬であるというふうな形で、彼は議会を除名されてしまうわけであります。  いずれにしましても、不磨の大典というふうに考えていると、国民の生命、自由、財産の保障もないというふうに言っておりますけれども、明治憲法のときでもそう、あるいは現在の平和憲法の場合にもそういう懸念がないとは言えない。不磨の大典にしてしまうと、そのことによって、国民を守るということができない。  かつては、冷戦構造がしっかりとしている時代においては、国民の自由とか生命とか財産を守るのは、ある程度アメリカにおんぶしていればいいというふうな側面がありました。しかし、冷戦構造が解体してからの、例えば、自分の国を守るためにパキスタンとインドが核実験競争を始めるとか、あるいは某国からテポドンが飛んでくるとかというふうなことは、冷戦構造がしっかりとしているときにはあり得ませんでした。それは、超大国の米ソの意向抜き世界秩序を一つの国が動かすような行動というものは明確に規制されてしまったからであります。  今日に必要とされている国民憲法というのは、その冷戦構造が解体してから、見事に、果たして憲法国民を守れているのだろうかというふうな疑問を起こさせる、例えば湾岸戦争のときの人質の問題とか、あるいはペルー大使館での人質監禁事件とか、あるいは阪神大震災のとき国民を守るというふうな形で内閣がすぐに動けなかったこととか、あるいは、不審船日本の領海に出入りしても、それを退ける論理というものがない。現在では、「なつかぜ」でしたか、そういう新たなる高速船が配置をされましたけれども、高速船を配置するという思想それ自体が、やはり現在の憲法には欠けている。現在の憲法の第九条を見る限りにおいては、どうしても自衛隊は違憲というふうに判断せざるを得ないというのが私の判断であります。  こういうまやかし、あるいはごまかしを、国の基本的な形を決める憲法がしてはいけない、国家がしてはいけない。ごまかしまやかしというものを国家がすると、てっぺんが、中央が、あるいは基本がそういうことをしているのだから我々だってしていいというふうな、国民のモラルの退廃を生むというふうに考えております。  これは、例えば、戦後長い間、日本戦争放棄して武力不保持であるという憲法を持っていたために、戦車とかあるいは戦艦という名称を軍備に使いませんでした。我々は、軍事力それ自体を持っていないというふうな、一種の平和国家という国体論の中に閉じこもっている、そういう精神的鎖国の状態に入っていたということが言えるのではないかと思います。  戦後長い間、それでは戦車は何と呼んでいたのか、タンクは何と呼んでいたのかというと、自衛隊ではこれを特殊車両特別車両、略して特車というふうに呼んでいました。我が国には戦車というものはないんだ、平和国家の中にいるんだから、戦車なんて、戦う車なんというのは持っていないんだ、そういう自己錯覚自己神話化国民全体が陥っていた。外国に持っていけば、どう考えてもあれは戦車であるということがわかるわけであります。陸上自衛隊というふうに言っても、外国に行けばアーミーと訳されますし、海上自衛隊と言えばネービーと訳される。航空自衛隊は、エアフォースと訳される。訳されても、これが世界的な常識であるというふうに考える常識が、日本人の中から欠けていたというふうに考えざるを得ないわけであります。  そういうまやかし国家がしてはいけないということを考えますから、私は、戦後の平和憲法の第九条の条項というものは、その理想主義というか、我々が国際法を破って侵略戦争をやったのであるから、これはパリ不戦条約の条項を押しつけられても仕方がない。そういう好戦国に対しては、昭和十六年、一九四一年にチャーチルとルーズベルトが大西洋上大西洋宣言を発して、好戦国に対しては武装解除をするというふうな取り決めをしておりますけれども、そのように武装解除をされていっても、そして、国際紛争を解決する手段としての戦争はこれを放棄する、国権の発動としての戦争はこれを放棄するというふうな条項を押しつけられても、これは日本ルール破りをした結果だというふうに考えて、甘受せざるを得なかったと思うわけであります。  ですから、戦争はもう嫌だ、平和を希求したいという国民のエートス、心性というものが憲法第九条にはよくあらわれている、戦後の日本国民の感情がよくあらわれているということが言えると思いますけれども、しかし、それではどこにも、自分の国を守る、国民を守る軍隊があるということは、憲法を見ている限りでは絶対わかりません。  そうしたら、やはり自分の国を守り、そしてまた国民を守ってくれる憲法だということを明確にする、そういう組織がある、そういう軍隊があるということをも明確にするために、自衛のために自衛軍をつくる、自衛軍を持つというふうな第三項をつけ加えれば、私は一向に平和憲法理念自体を壊したことにはならない。  自分の国を守らない国というのは、これは世界史の上では、冷戦構造がしっかりとしているときには目立ちません。超大国のアメリカ軍事に翼賛をしていればいい、その後ろで日本の旗を振っていればいいというだけのことであります。  しかし、湾岸戦争のときでも、クウェートがイラクによって侵略をされましたけれども、あのときでも世界的な、こういう言葉を使っていいかどうかわかりませんけれども、物笑いというよりも、冷笑を受けたのは、クウェートという国、自分の国を守ろうとして戦った人が一人もいないじゃないか。一人もいなくはないと思いますけれども、しかし有産階級の人々はほとんどエジプトに逃れてしまう。国民の財産、国家財産の九五%を持っているブルジョア階級の人々は、ほとんどがエジプト経由イギリスに逃亡してしまった。ほとんどオイルダラーですから、それを持った人々。そして、それが投資しているのはどこかというと、イギリスの市場、シティーでありますから、ほとんど全員が逃れてしまったというふうな形で、あのときにクウェートは、多国籍軍に対してたくさんの軍事資金を供給しましたけれども、ほとんど国際的には冷笑をされた。自分の国を守ろうという気概がないのかというふうなことでありました。  今、私、ちょっと気概という言葉を使ってしまいましたけれども、人間の行動を決定する非常に大きな要素に三つあるというふうに言われております。  最初にこれをプラトンが「国家論」で言ったわけでありますけれども、まず、欲望。単純に言えば、水が飲みたいと思ったら飲む、それが欲しいと思ったら手に入れようとするというのが欲望であります。これは非常にわかりやすい。  しかし、水が飲みたいと思っても、その水に毒が入っている、有毒物質が入っているだろうという理性が働いた場合には、これを飲まない。これが理性の行動であります。第二番目であります。  しかし、毒が入っているとわかっても、これを気概によって飲むことがある。その気概を持つということが、例えば戦争を起こすなんというような場合にはやはり必要になってくるわけであります。  しかし、気概を持っているだけで戦争を起こすと、これは大体間違うわけでありまして、あの大東亜戦争というのも、山本五十六さんという人は気概を持っておりましたけれども、今考えると、理性の行動というふうには考えられない。  テリトリーゲーム時代は、軍事を主体としてその戦略が形成されるというふうに言いました。軍事というのは、クラウゼビッツが言うように政治の延長でありますけれども、その政治というものは理性によって動かなければならない、理性によって判断をしなければならないというふうに考えております。その理性が働かなくなったのが、統帥権干犯とかいうふうに言われて始めてきた、日本侵略戦争を起こすような歴史だろうと思います。軍事力を行使する場合には、まず気概ではなくて、それは理性、政治を行う場合には理性であるというふうに考えます。  ウエルスゲーム時代においては、これは経済ですから、国民の欲望というもの、あれが欲しい、こういうものをもっと欲しい、日本国民はもっと豊かな生活をしたいというふうに思って、軍事力主体ではなく、しっかりとした産業を持って貿易を盛んにするという戦略をつくっていったわけでありますから、これは人間の、日本人の欲望というものに立脚した戦略でありました。  今日、日本は豊かな国になっておりますけれども、そういうふうな豊かな国になってきた場合に、その戦略を追いかけてアジアの国々はみんな、百年前では、いや、五十年前では考えられなかったぐらいな豊かな状態に入り始めているわけであります。そのことによって政治的な発言力も増して、一九九〇年代の末ごろには、アジアの世紀とかアジアの時代、アジアの奇跡というふうなことが言われてくるような時代になってきました。  しかし、そこでマネーゲームを仕掛けられた結果としては、アジアの国々はほとんど経済不安に陥り、通貨危機に陥った。そのときに、軍事力主体ではなく、自分の国の通貨は自分で守ろうというふうな考え方、つまり、自分の国を自分で守ろうという場合には、軍事力だけではなくて、経済そしてまた産業、通貨、国民の人権、環境というものはまず自分の国で守るという気概を明確にしなければならないという形ですね。  つまり、文化を主体として、自分の国はどういう国であるか、自分の民族はどのようにして生きていこうかというのは、これは形には余りあらわれないけれども、最後のところでその国が、その民族が世界史の中で生き残っていく、そういう気概であろうというふうに考えております。  冷戦構造が解体した以後、そういう、自分の国とは何か、自分国民はどのように生きていくのかというナショナルアイデンティティーの再構築というものがすべての国で問われている。これは国の成り立ち方によって、あるいは置かれている歴史状況によって、あるいは民族の構成によってさまざま違います。ある国は国の名前も変える。ソビエト連邦がロシア共和国に変わったということはその一つの代表でありました。イデオロギーの時代が終わってみると、新しい時代に、新しい世界史時代にソビエト連邦という名前ではいかぬということですね。  そういう形で、名前も変わっていきますし、そしてまた国によっては国境線をかきかえていくというふうな動きも出てきます。悪くすると、それは湾岸戦争のような形も出てくるでしょう。しかし、チェコスロバキアという一つの国が、実際にはナショナルアイデンティティーを異にする、言葉を異にしたり文化を異にしたりすることによって、チェコとスロバキアという二つの国に分かれていくという国境線の引きかえも行われてくるというふうなことになりますし、東ティモールのように、インドネシアに所属していた東ティモールが独立していく。中では、経済を媒介にして、石油の利権を媒介にして、アチェが独立運動を起こさんとするというふうな形での国境線の引き方も変えている。  国旗も、かまとハンマーをうたい込んでいたような国旗も、社会主義ではなくなっていくと同時に変えられていくということですね。  そういうふうな形で、非常に大きくナショナルアイデンティティーの再構築ということがその国々によって行われ始めている。  ニュージーランドなどは現在でもゴッド・セーブ・ザ・クイーンという国歌を歌っておりますけれども、オーストラリアは十数年前に、アドバンス・オーストラリア・フェアという国民愛唱歌を国歌に変えていくというふうな形をとりました。  オーストラリアの元首は、人気投票をしますと、もうオーストラリアは共和国であるというふうな人々が九割で、一割の人がイギリス女王を元首とする立憲君主国であるというふうなことを頑迷に守っておりますけれども、九対一ぐらいの割合になってしまっております。しかし、現在でも、イギリス女王から首相を任命してもらうという立憲君主制のままでいいかというふうな国民投票をした場合には、五四%ぐらいの割合で、保守的な形で、まだイギリスの女王を元首とするというふうなナショナルアイデンティティーのつくり方でいいんだ、そういう判断を生んでおります。  これは、後に国民投票の問題と絡めてもう一度お話ししますけれども、台湾という国においては、そういうナショナルアイデンティティーの、国名を変えるわけではないけれども、今まで国民党は、中国三千年の歴史で台湾の青年たちに歴史を教えていたわけでありますけれども、数年前からは、台湾の歴史というものを五、六百年前から教えるという形で、はっきりと台湾人のアイデンティティーということを強調するようになっております。  この台湾のアイデンティティーということを考える場合には、台湾人ということももちろんでありますけれども、それと同時に、我々は中国の一国ではないということを言うために、ナショナルアイデンティティーは、我が国はいかなる国かといったら、民主国である。総統選も直接選挙で民主的にやる、これが、現在の中国と我々が全く違うところである、ナショナルアイデンティティーが全く違うところであるというふうなことを強調する。そのように、歴史の書きかえというもの、そしてナショナルアイデンティティーの再構築が台湾でも起こっているわけですね。  中国の方は、この間までは、中国三千年、四千年の歴史という古さを誇る、そのことによって、中華帝国的な、あるいは中華思想的な動きが非常に強くなっていたわけでありますけれども、ことしからは、中国は新しい歴史教科書をつくりかえるような試みを始めました。一部の地域では、中国の歴史を三千年前、四千年前から語らなくなってきた。どこから始めるかというと、十五、六世紀のところから始めるのですね。明朝がつぶれ始める、そして清朝という、満州民族の異民族によって支配される、そういうふうな歴史から始める。  つまり、我々はずっと中華帝国であるというふうな形でのアイデンティティーの持ち方をしない。むしろ、国が弱ければ辱められる、そういう歴史が、明朝が崩壊したころから、清朝が興り、異民族支配が始まって、その後、欧米列強のパワーズの力の支配によって国を分断されて、そしてその後では日本テリトリーゲームの場所にもなってくるというふうな歴史を考えるならば、今まで中国は、そういうことは一言も言ったことはない。国辱められるというふうな状態ではなかったということを言っておりましたけれども、世界史の新たなる段階に入ってくると、我が中国というものはいかなる国か、民主国ということはまだ言えませんから、たとえ香港を吸収しようとも、合併しようとも、民主党もちゃんと自分の国の中にはいるんだというふうなことを言っておりますけれども、しかし、共産党の一党独裁が続いているというのが建前であります。  いずれにしても、その四、五百年の歴史の中では、国弱ければ辱められる、そういうコンセプトで新しい歴史教科書を書いて、そして一部の、広東地方ではそれを配付する。これがうまくいけば、全国にそれを広める。これは、恥ずかしくない、弱くない国をつくっているのは共産党の権力の結果であるというふうなことにもつながっていくわけでありましょうけれども、そういう中華三千年、四千年というふうな形ではないナショナルアイデンティティーの再構築というものが行われている状況になってきているわけであります。  さてそこで、日本も、そういう意味では、非常に大きなナショナルアイデンティティーの再構築というものが要請されているわけであります。その中で、結果とすれば、昨年の国旗・国歌法案も、国旗を持たないような国は世界史の中でないし、現状ではないし、そしてまたそれを持っていない船は不審船と見られる、あるいはゲリラと見られるというふうなことが国際常識、国際法上の常識でありますから、そういう国旗を持ったり国歌を持ったりするのは当然であります。ですから、それもナショナルアイデンティティーの再構築であろうというふうに私は考えております。  しかし、あの過程の中では、私が国旗・国歌法案にどちらかというと反対の意見を述べたのは、なぜ日の丸が国旗になるのか。国民の投票をすれば、結果とすればそれでいいということが明らかになります。大体国民の八、九割は日の丸でいいというふうに考えているわけでありますから。しかし、なぜ日の丸になったのかというふうに例えば今の小学校の二年生に問われたときに、ほとんどの人がそれを答えられない。戦後生まれの私たちでさえもそういうことは教えられたことがないわけでありますから。  それは、ずっと使っていた。戦争中もそうかもしれないけれども、明治国家のときにも使っていた。しかし、よくよく調べていくと幕末のときにもう既に使っていた。徳川幕府の高田屋嘉兵衛のロシア貿易をするときにも日の丸は使っていた。木曽義仲も日の丸の扇を持っていた。  平家と源氏が戦う源平の戦いのときには、那須与一が平家の扇子を撃ち落としますけれども、しかしあのときに、平家の旗というのは、そして扇子というのは、日の丸は日の丸なのでありますけれども、白地に赤ではないのですね。白地に赤は木曽義仲が持っていたりする旗であったりあるいは扇子であったりする。あるいはまた源義経が持っている扇子、京の五条の橋の上で弁慶と戦いますけれども、あのときに持っているのは白地に赤の日の丸の扇子なわけであります。源氏が持っているのはそうなのです。ところが、平家が持っているのは赤地に白なんですね。平家は赤旗ですから。そういうふうな形で、平家の赤地に白の、あるいは赤地に金の、絵びょうぶにはかいたりしますから、その扇子を撃ち落として、結局平家の負けという過程が出てくるわけであります。  とにかく日本という国を象徴する、天下というものを象徴するものとしては、その辺からもう、日の丸が国民的なアイデンティティーの対象になっているというふうなことが我々の中で説明できない。日本国民の、初めて日の丸を見る子にそれが説明できるかといったら、ほとんど説明できない。戦後生まれでさえも、というよりも戦後生まれであるから余計に説明できない。戦前の歴史あるいは源平の戦いなんというのは浪曲とか講談なんかでもやらなくなっていますから、わからなくなってきてしまっているというふうな形であります。  ですから、そういう意味では、あのときに国家の指導者という人々はそれを明確に、なぜ日の丸になっているのか、あるいは君が代というのは六割くらいしか国民の賛成者がありませんでしたけれども、それでもなぜ君が代なのかということをはっきりと明確に表示して、言明して、過去にはいろいろな汚点があるかもしれないけれども、しかし、それ以外にシンボルとしては、国の印としては、国の歌としてはあり得ないんだというふうな形で、国民にその信を問う、これでいいかどうかということが必要だったのではないか。そのためには、私は、国民投票ということを考えてもよかったのではないか。  もちろん、現憲法においては国民投票制という条項はありません。ただ、憲法改正のときに、議員の三分の二、そしてまた国民投票にかけて半数以上というふうな形で、憲法改正を行う条項の中に国民投票というものがあっただけであります。  私の考えでは、これからは、国民ナショナルアイデンティティーの根幹にかかわる問題は国民に直接問うて、そして国民がたとえ五一%で君が代を認めたのでも、当面はこれでやっていこうというふうに考える。憲法でさえも五十数年ぐらいしか命脈がないというふうに考えれば、そういうふうなことで国民投票で変えたものは、また時代が新しくなってくれば国民投票、国民の信を問う、そういうシステムが必要になってくるだろう。  日本国民は、現在、政治に対して非常なる無関心、どっちが政権を握っても、どの政党が政権を握ってもそんなに変わらないんじゃないかとか、どの首相がなってもそんなに日本は変わらないんじゃないかというふうなアパシーが蔓延している。実際に十数%の支持率の内閣でもそれが維持できるということであるならば、余計国民のアパシーというもの、政治に対する無関心、これは内閣に対する無関心というよりも政治に対するアパシー、無関心というふうに考えた方がいいと思いますし、それは大変危機的な状況であります。  国家がどういう形をとるのか、国民がどういうふうな方向に進むべきなのか、そういうナショナルデザインを首相なりあるいは国家指導者なりが出して、そしてその結果として、これは国民に信を問うた方がいい、この方向で我々はやるつもりだけれどもどうだろうというふうな場合には国民投票制が行われるんだという制度的な保障があれば、国民政治に対する関心というものが非常に増してくるだろうと思っております。  もちろん、国民投票制というのは、現在のアメリカ大統領選挙が、五一%と四九%で大統領が決まる、もしかしたら得票率と選挙人のあれは逆転しているような、そういう混乱状況さえ出てくるかもしれない。しかし、そういう混乱状況さえ経る、あるいはまた衆愚政治に陥るような、人気投票に陥るような可能性もないとは限らない、危険性がないとは限らない。しかし、そういう危険性をも考えて国民はその五一%という結果に責任を持っていかなければならない。あるいは、四九・九%ぐらいのところでもしかしたら決まるかもしれない。君が代だって四九%になっちゃうかもしれない。  しかし、そういうふうな国民一人一人の考え方を問う国民投票制というものを導入していく。そういう大事な問題に関しては国民一人一人が問われるんだ、一年半後の衆議院選挙とか参議院選挙とかそういうもので問うのではなくて、この問題に関して、大変な進み方の問題の選択なんだから、我々はこういう方針をとるけれどもそれでいいかどうかというふうなことを問う場合には、国民投票制というものをやはり入れていく。これが、要するに国民を守るための新しい国民憲法国民自身がつくるというコンセプトの非常に大きな柱になってくるのではないかというふうに考えております。  それは国民投票というふうな言葉を使わなくてもいいわけですけれども、国民主権という柱を明確にした憲法、それがこれからの時代においては必要ではないかというふうに考えております。  私は、基本的には首相公選制ということをも視野に入れておりますし、首相公選制ということが言われれば、最後のところでは、国民が、自分たちが選んだ指導者である、だからそこでは若干間違いがあるかもしれないし、軽率なことがあるかもしれないけれども、そのリスクをも考えて、その判断に対して国民が責任を持っていく。国民政治的な無関心、アパシーがふえるということは、国民政治に対して責任を持たないという結果を生むだろうと考えておりますので、国民投票制、もしくは、国民投票が行われなければ首相公選は結果としては行われませんから、首相公選ということも考えに入れていくべきだろうというふうに考えております。  首相公選制を行えば、これは日本においては天皇制と非常に大きな——そこに行く前に、国民投票制の問題で、国民政治に対する関心が非常に高まるというところでちょっとつけ加えておきますと、台湾の民主選挙、総統の直接選挙では、投票率が八三・五%に達する。要するに、自分たちが政治を決められる。これから四年間あるいはまた二十一世紀に変わる歴史の中の新しい段階の国の形、そしてそれを担う国民の進み方、それを指導する指導者の顔、それを決めていくということに関しては、それだけの高い関心が寄せられるということであります。  オーストラリアで行われた国民投票、イギリス女王がまだオーストラリアの元首でいいのかどうかということを問う国民投票の投票率は九九%というものでありまして、しかもそれは人気投票、国民調査、世論調査とは別の結果が出てくる。それは、国民がまだ今の段階ではイギリス女王を元首とする状態でいいということの方に責任を持つという結果だろうと思っております。  そこで、先ほどの話に戻りますと、首相公選制を行うと日本天皇制というものと抵触するのではないか、これは小沢一郎さんなんかが一番懸念をしていることでありますけれども、私は、そんなことはないだろうというふうに考えております。  日本天皇の国、天皇国家天皇国民というふうに言っていたのは戦前の国体論でありまして、戦後は、その国体という言葉とか天皇という名前を公に出したりしないというふうな風潮がずっと続いてきましたけれども、天皇制日本の国の中の形というものは、これははっきりと国民が認識しておかなければならないものだと思っております。  戦前は、天皇がつくった国家天皇が生んだ国民、そして天皇がつくった憲法というふうな形でありました。戦後は、これはどちらかというと国民天皇、私が長いこと専攻しておりました北一輝という二・二六事件の指導者は、戦前の国体イデオロギーに対抗して国民天皇ということを言っておりましたけれども、今日我々は、天皇制というものは一つの文化である、日本人がつくった文化であるというふうに考えております。私の考えではそうなっております。  ですから、日本とはいかなる国であるかといったときに、天皇制の問題を加味するとするならば、天皇制という文化さえつくった国民である、これが日本人であるというふうな形で天皇制の問題を解決していかなければならないだろうというふうに思っております。  天皇制統帥権も含めて天皇大権を持っていたのはわずか五十数年であった。歴史の千年、二千年をさかのぼれば、日本天皇制というのは、軍事権とか、兵馬の大権ともいいます、統帥権ともいいますけれども、そういう軍事権とか政治の権利とか財政権とかというものをほとんど持たない無権力の文化の守り手、日本の文化というものはあそこに行けば永続性を持って保たれているということで国民に安心感を与えるということ。  天皇制というものは、そういう意味では、日本国民を見守っている神主の役割なんだ、皇帝とかそういうものではないんだ、権力の持ち主ではないんだというふうな形で、象徴天皇制というのは戦後の天皇制の基本的な定義になりますけれども、実は象徴天皇制というのは、日本の歴史がつくってきた長い伝統のあるものである、一種の文化であるというふうに考えていくならば、この文化というものと、日本国家の元首、政治権力を持ち、外交、あるいは軍事の支配をする三軍の長であるという側面も持つかもしれないし、三権の長であるという側面も持つかもしれない、そういうふうな非常に指導力の大きい内閣総理大臣が国民投票制によって生まれていっても、それは天皇制と抵触するものにもならない。  少なくともそのような形で、我々は天皇制をこれからもつくり続けていく、天皇制という文化さえつくった日本国民というふうな形をとっていくべきだろうというふうに思います。  これから、自分の国は自分で守るという一つの気概を持って新しい国民憲法というものをつくっていかなければ、自分の国だけで守れる状態の安全保障とかあるいは通貨とか人権とか、そういう問題ではなくなってきておりますけれども、しかし、そのような最低限の気概を持たなければ、インターナショナルということは国家国家の間につくられる関係でありますから、世界の中で信頼される国になっていかないだろうというふうに思います。  そういう意味では、世界史の中で自分の国はいかなる国であるか、国民主権ということを明確にし、そしてこういう小さな島国で、何とか平和で豊かで安定した社会をつくり上げることがうまかった、そういう日本人の生き方というものを自分たちで自信を持つ。自信を持つけれども、しかし、それと同時に、世界の一国として世界の応分の負担を果たしていく、責任を果たしていく、こういうふうなことが必要である。グローバリズムの中のナショナルアイデンティティーの再構築という文脈の中で国民憲法をつくっていくということが今日我々に求められている、そして衆議院議員の人々にも求められている、そういう責務だろうというふうに考えておるわけであります。  以上で私の基本的な考え方を述べさせていただきました。ありがとうございました。(拍手)
  4. 中山太郎

    中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  5. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。平沢勝栄君。
  6. 平沢勝栄

    ○平沢委員 自由民主党の平沢勝栄でございます。  松本参考人には、大変に示唆に富む貴重な御意見をお聞かせいただきまして、心からお礼を申し上げたいと思います。  今、憲法の問題についていろいろ御意見を聞かせていただいたんですけれども、言うまでもなく、かつては、憲法の問題について言及する、ましてや憲法改正に言及するということは大変な政治問題でございましたけれども、今この憲法調査会でこうした議論が行われていることは、まさに隔世の感があるな、やっと日本も当たり前の国になってきたなという感じがするわけでございます。  そこで、お聞きしたいんですけれども、参考人は、今第三の開国期だということで、自分の国は自分で守る、そういう国民的な意思に立った国民憲法をつくるべきだ、こういう御意見だろうと思います。そして、憲法については、これは時代とともに変わる、時代精神の産物である、そして憲法というのはローカルなものであってその国特有なものである、こういうお考えをいろいろとお書きになっておられるわけでございます。したがって、開国というのは、日本世界に向かってみずからを開くだけじゃなくて、国際社会のルールに対応して自分の国の中を改革していく、これが開国という意味だ、こういうことでお述べになり、かつ、いろいろとお書きになっておられるわけでございまして、私も全くそのとおりだろうと思います。  一方で、日本というのは、こうした考え方に対して大変な反対といいますか抵抗する力というのもあるわけでございまして、例えば大手新聞の社説なんかを読んでみますと、日本独特の価値観を反映した憲法をつくれ、こういうのは復古主義的な発想だ、狭隘な排外主義だ、こういうような反対もあるわけでございまして、こういう反対論がなぜ起こってくるかということを考えますと、根本的に見ますと、やはり国家についてどう考えるか、こういうことに突き当たるのじゃないかなということで考えるわけでございます。  きのう、ある政治学者に聞きましたら、日本政治学では、戦後、国家論というのがほとんど取り扱われてこなかった。要するに、国家というのは悪である、戦前のトラウマから抜け切れないというか、敗戦のショックから抜け切れないというか、そういう中で国家というものをなかなか取り扱おうとしてこなかった。  そういう逃げてきたその後遺症を今なお今日まで引きずってきたんじゃないかなということで考えているわけでございまして、例えばことしの一月二十一日の読売新聞にアンケート調査がありまして、国籍についてどう考えるかというアンケート調査ですけれども、二十歳前後の方に聞きますと、四〇%が他国の国籍でも構わない、女性だけだと五一%の方が他国の国籍でも構わない、こういう状況にあるわけでございます。  この国家論というのが、今のように、地球市民といいますかボーダーレスといいますか、そういう何となく耳ざわりのいいような言葉が行き渡っている中で、参考人がいろいろと言われましたナショナルアイデンティティーというのは、結局イデオロギーとしてのナショナリズムじゃなくて、あくまでもパトリオティズムといいますか、祖国愛、郷土愛という意味だろうと思いますけれども、こういうものを培っていくのは、こういう国籍、国家に対する考え方が非常に希薄な中で大変だなと思いますけれども、この点について参考人の御意見をお聞かせいただければと思います。
  7. 松本健一

    松本参考人 国家というものが、戦前においてああいう誤った戦争を行ったために、非常にダメージを受けているということはおっしゃるとおりであろうと思います。日本のような国にいたくないというふうな感情が起こってくるのは、戦後の一つの風潮でありまして、日本はだめな国だというふうな形でとらえられているために、国籍というものも他国の国籍でも構わないんだというふうなことを言われると思いますけれども、他国の国籍を取った場合には、極端に言うと、例えば徴兵権があったりする国が物すごく多いわけでありますから、それに出ていかなければ懲役になるとかあるいは義務的な労働を背負わされるとか、そういうふうな問題を我々は考えていないわけですね。日本の中ではそういう経験がありませんから、他国の国籍でもいいというふうに考え始めていると思います。  しかし、ナショナリティー、パスポートにも書かれていますけれども、国籍と訳されていますけれども、ナショナリティーを持たない人間は、世界の中に行ったら信用されないということですね。先ほどの話の中で、例えば、交戦状態のところで自分の国の旗を掲げない人がいたら、それはゲリラとみなして、両側から撃たれても仕方がないんだ、他国の領域に入ってきたときに国旗を掲げていなければ、不審船とみなされて、いざとなったら撃沈されても仕方がないんだというふうな経験が我々の戦後の歴史の中にありませんでしたから、そういう意味では、ナショナリティーなんてなくたっていいんじゃないかというふうな考え方が非常に強まってきたと思います。  しかし、これだけ人や物や金や情報が入り乱れて、どこの国でも住もうと思ったら住めるかのような幻想があるようなグローバリズム時代になりますと、そうすると、何者でもない人間が来た、どういう文化も持っていない、身元のはっきりしない人間が来た、ナショナリティーのわからない人間が来たということになりますと、世界のほとんどの常識は、自分たちはみんなこういうナショナリティーで生きている、こういう国籍で、ナショナリティーというのは国民性とも訳しますけれども、こういう国民性で、こういう国民文化の上に、こういう国語を使って生きているという国でありますから、自分たちの文化自分たちの国語も、自分たちのナショナリティーも尊重してくれないやつが来た、怪しいやつだ、そういう見方が非常に強くなってくるのがグローバリズム時代の持っている特徴であろうと思います。  そういうふうな時代でありますから、ナショナルアイデンティティーの再構築というものが、我が国の文化、我が国の形、我が国の国民の生き方とはどういうものなのかということを問い直すというふうなことを私が先ほど言いましたけれども、そんなことは簡単だという国もあるんですね。  それは、代表的な意見がアメリカのハンチントンの「文明の衝突」に書かれております。ナショナルアイデンティティーの再構築なんというのは簡単だ。結論が、敵をつくればいいんだというんですね。自分民族の外に、自分の国の外に敵国をつくって、やつが敵だというふうに言えばいいんだ、そうすると自分たちの国民の内部は一遍にまとまる。ナショナルアイデンティティー、我が国はいかなる国か、我々はリベラルな民主主義の国であって、人権を守る国である。ところが、リベラルな民主主義とか人権というのは形に見えないものでありますから、あいつが敵だ、形に見える敵を指定することによって国民が一遍にまとまる。  そのために、ハンチントンの「文明の衝突」は、リベラルな民主主義のアメリカ、そしてそれをつくり上げてきた近代アメリカ、ヨーロッパ文明に敵対するものとして、イスラム文明を挙げるわけですね。これはアメリカという国の特殊性というよりも病理に近いんです。  どういうことかといいますと、戦前においては、日本はファシズム、自分たちは民主国というふうな形で敵を設定する。戦後の冷戦構造の中では、悪の帝国であるところのソ連を敵とする。そしてベトナム戦争のころは、その悪の帝国のかいらいである、自由を抑圧する国である、共産主義化するベトナムであるというふうな形で、ベトナムをやっつけようとした。しかし、ベトナムもああいう形で撤退をするということになると、その後、敵がなかなか見出しにくい。  あの負けたと思っていた国の日本が、実はジャパン・アズ・ナンバーワンというふうに言われるような時代になってくる。そうすると、仮想敵国は日本であるという形で、一時期は、日本製品が入ってくる、例えば東芝のラジオとか、そういうものをハンマーで打ち壊すとか、要するに、そういう日本の製品がアメリカの労働者の職を奪っているというふうな形で仮想敵国を日本にしました。  しかし、自分の国の経済を立て直すためにも日本の力が必要であるというふうに一九八〇年代に考え、そしてまた、日本に製品を買ってもらう、内需拡大をしてもらおう、もっと規制緩和をしてもらおうというふうな要求の出せる国というふうに考えてみたら、これは、日本ほど好都合な国は戦後の中ではなかったわけでありますから、そこではもはや仮想敵国ではないんじゃないかというふうに考えると、そういう民主化とか自由主義化とかあるいは自由市場とかいうふうな価値観においては日本はかなり共通するものを持っている。全く持っていないのが、イラクが湾岸戦争を始めたことでもわかるように、イスラム教国であるという敵の設定の仕方をしているわけですね。  これは、多民族国家、特に自分の国の外からたくさんの民族が移民してきた国の中では、ナショナリティーというものは内的につくり出せない。アメリカ文化というものは余りないんですね。アメリカ文化の実態を調べてみると、それはある部分ではイタリア文化だったりポーランド文化だったり、日系人のところに行くとほとんど日本文化を守っている。そういうさまざまな文化を持っている世界各国からの人々をまとめ上げるためには、架空のナショナルアイデンティティーとしての理念を打ち出す、と同時に敵を設定する。これは多民族国家一種の病理ですね。  シンガポールも、小なりといえども三百万人の国でありますけれども、あそこも多民族国家であります。中華系、インド系、マレー系、ジャワ系というふうな形であります。そして、なおかつシンガポール語というのはない。  そうすると、シンガポール人というものをつくろうというふうに言ってきたシンガポールでは、ナショナルアイデンティティーがほとんど失われている状態になっております。経済では世界トップの国になっておりますけれども、アイデンティティークライシスを一番懸念しているのがシンガポールのリー・クアンユー上級相でありまして、その結果として、数年前には、金をもうけているだけではだめだ、エージアンバリューという固有の文化、固有の価値観があるんだというふうなことを主張せざるを得なかった。
  8. 中山太郎

    中山会長 参考人の方に申し上げます。  質疑時間が各党限られておりますので、ひとつ御答弁は簡潔にお願いします。
  9. 松本健一

    松本参考人 はい、わかりました。
  10. 平沢勝栄

    ○平沢委員 大変ありがとうございました。  聞きたいことがいっぱいありますので、できるだけ簡潔にお願いしたいと思うのです。  一つ、私がきょうの松本参考人で大変興味を持ったのは、評論家ということで、必ずしも憲法学者ではないのですね。日本憲法がいろいろな形で今日まで、平和憲法を守れ守れという、それで、平和憲法を輸出すれば世界がすぐ平和になるような非常に誤った形でずっと来ている。私も大学のときに憲法を学びました。そうすると、それは憲法の解釈なんです。そして、憲法学者が憲法について発言権を独占的に持っているというような形でずっと今日まで来てしまった、長い間。それが私は、憲法が今日までこのような形で来てしまった誤りの一つの大きな原因じゃないかな。  むしろ、憲法というのは、参考人も書いておられますけれども、国家の基本的な原理の体系化といいますか、国家のグランドデザインだ。そうだとすれば、日本歴史とか伝統とか文化、こういったものをトータルで考えて憲法というものを見直していかなければならない。あるいは、学問でいえば、哲学だ、それから社会学だ、政治学だ、経済学、文学、あるいは歴史学、あらゆる学問を結集して憲法というものを考えていく必要があると思うのです。それを憲法学者にほぼ独占的に長い間ゆだねてきた、そこに大きな間違いがあったんじゃないかなという気がしますけれども、これについてはいかがですか。
  11. 松本健一

    松本参考人 おっしゃるとおりで、憲法というものは、時代時代によってつくりかえられていくものでありまして、しかも、その国の文化とか歴史とか、そういうものを踏まえた形でない限り、砂漠に突然リンゴの木を植えようとしても根づかないのと同じようなことでありまして、その国のナショナリティーに合った、そしてその時代に合った憲法でないと、国民の中に受け入れられないし、国民が守っていく、そして国民を守るということもできないだろうというふうに考えております。  要するに、これは憲法学者に任せておく問題ではなくて、例えば歴史学者も必要である。どのように時代変化しているのか、社会が変化しているのか、国際関係論の人も必要であるというふうな形で、国民的な議論を踏まえた上でないと、憲法というものを、そしてこれからの日本人はどういうふうな進み方をしていったらいいのかというふうなことを憲法学者だけに任せていけるなんということは全然考えておりませんので、御質問の趣旨については非常によくわかります。
  12. 平沢勝栄

    ○平沢委員 次に、天皇制についてお聞きしたいと思うのですけれども、参考人は、天皇制日本のみに固有のローカルな文化ということを言っておられまして、私も全くそのとおりだろうと思います。しかし、天皇制は民主主義とは相反するということも言っておられるわけで、これは一種のダブルスタンダードだろうと思いますけれども、こういうダブルスタンダードを前提としながら、日本民族の生き方としてどうやって成り立たせていくかということがこれから大事になっていくわけでございます。  そういう中で、参考人は、象徴天皇制というのは権力から超然とした形であらなければならない、政治、外交、軍事、財政、一切の権力から切れたところに存在するのが象徴天皇制のあり方であるということを言っておられると理解しております。おっしゃることはそのとおりなんですけれども、現実に、例えばロイヤル外交を一つとっても、外国を訪問されるということは、当然のことながらその国の政治、時の権力に何らかの形でロイヤル外交が利用される可能性があるわけで、全く離れたところで象徴天皇制というのは存在し得るものかどうか、これについてはいかがでしょうか。
  13. 松本健一

    松本参考人 天皇制が、世界の中では非常にローカルな文化であるということの認識については私が言ったとおりでありますけれども、その中で、例えばロイヤル外交というふうなものが行われると、ある意味では日本国家の外交とそごを来す場合がある。外交というものは言ってみれば国際的な権力闘争でありますから、できるだけ天皇はその場に入っていくということは基本的にしない方がいい、ロイヤル外交もしないほうがいい。  極端に言えば、天皇制というものは、江戸城という要塞の中に住むのではなくて、乗り越えようと思ったらだれでも乗り越えられるような、あそこには権力も金もないんだ、しかし日本文化だけがあるんだというふうな京都の御所にお戻りになる形の方が、はるかに権力から切れるという構造になっていくんだろうというふうにさえ私は考えているわけであります。象徴天皇制といっても、これは実際の運用の問題になってくるだろうとは思いますけれども、理念とすれば、基本的には京都にお戻りになるような形がいいのではないかとさえ考えております。
  14. 平沢勝栄

    ○平沢委員 ちょっと今のところをもう一回敷衍させていただきたいんですけれども、参考人は、天皇陛下は無私無為であられるのが一番望ましい、これは昭和天皇のことをお考えになっておられるんだろうと思うんですけれども。対しまして、今上陛下がいろいろと御発言もされ、ロイヤル外交も頻繁にされ、外出も頻繁にされる、天皇制のあり方としてはいかがかというような疑問をたしか呈しておられたというふうに考えております。  確かに、昭和天皇のあり方と今上陛下のあり方というのは随分違います。私もかつて皇宮警察にいたことがありまして、昭和天皇アメリカ御訪問、今上陛下のアメリカ御訪問にお供させていただきましたし、そばにずっとお仕えしていまして、昭和天皇は御自分のお考えは一切お述べになられなかった。対しまして、今上陛下は、例えば警察の警備につきましても、できるだけ国民との壁をつくりたくない、できるだけ警備は薄くしてほしいと。また、今の皇太子殿下も浩宮殿下のときに、ヨーロッパからお帰りになられたときに、日本の皇室の警備のあり方はおかしい、イギリスの警察の警備のやり方をまねるべきだということを御帰国後発言されまして、これは当時マスコミでも大きく取り上げられたことがあるわけです。  昭和天皇のあり方と今の平成天皇のあり方、大きな違いがあると思うのですけれども、一言で言うと、ヨーロッパ型の王室を目指すか、それとはまた別な形を目指すかということにつながってくるだろうと思うのです。ヨーロッパ型の王室もいろいろな発言をされ、例えばイギリスの王室もいろいろな御発言をされ、そしてスキャンダルにもまみれながら、王室としてはずっと存続し続け、かつ国民の皆さん方の崇敬の念もそれでも結構高いものがあるわけでございますけれども、参考人はどちらのあり方が望ましいとお考えになられるか、それをちょっとお聞きいたします。
  15. 松本健一

    松本参考人 現在の今上天皇の場合には、やはり非常に政治的な、私はこう思うとかいうふうに言われるわけでありますけれども、私がこう思うというのは戦後民主主義教育の中では理念とされてきたわけでありますけれども、そういう私でない存在が日本の中におられるということが、日本人天皇に対する、あるいは天皇制に対する一つの信頼感だろうというふうに思っております。あの人だけは私のことだけを考えているんじゃないということがあると思います。  いずれにしましても、昭和天皇の場合には、戦前の失敗、つまり政治に口を出すということの失敗を経験してからは、戦後になってからは政治的な発言というものをほとんど全くしないようになった。それは、政治的な発言をすれば利用する人が出てくるし、あるいは外交に利用する人が出てくるというふうなことの結末を見た上で自分で考え出した、そういう象徴天皇制の形であったろうと思うんですね。  たとえ民主主義を私は守ると言っても、それ自体がやはり政治的な発言になってきますから、日本の民主主義の最後のところは天皇が握っているのだ、だったら、この間の戦争に対しても天皇は責任を持って謝罪をしてくれ、国会議員なんかが何回言ったってだめだ、国会が言ったってだめだ、日本政治の権力の中心は、あるいは最後のところは天皇が握っているんだというふうに世界的な誤解を受けるだろうというふうに考えておりますので、それはたとえ民主主義についてであっても発言を控えるべきであろうと考えております。
  16. 平沢勝栄

    ○平沢委員 それから次に、先ほど国民投票といいますか、首相公選制について言及されましたので、ちょっとお聞かせいただきたいんですけれども、首相公選制は、長年にわたって主張しておられる中曽根元総理もおられますけれども、この首相公選制についてはもちろんメリットとデメリットも言われているわけでございます。メリットはさておきまして、デメリットとして、今度のアメリカのフロリダの例もありますように、非能率というか、コストの問題も言われておりますし、同時に、先ほど参考人がお触れになられました人気投票といいますか、ポピュリズムといいますか、衆愚政治といいますか、そういったものに陥る危険性なきにしもあらず。これは、参考人は、国民自分で選択したわけだから、いわば一言で言えば自己責任、こういうことになっていくんだろうと思いますけれども。  そこで、首相公選制というのは、これから国民が、要するに政治意識が熟していくかどうかというのが一つの大きなポイントになると思うんですけれども、参考人が首相公選制と言われているときには、これは今の議院内閣制を維持したままの首相公選制なのか、今の議院内閣制をやめて強力な大統領制にした形の首相公選制を考えておられるのか、その辺についてちょっとお聞かせいただけますか。
  17. 松本健一

    松本参考人 基本的には、今の議院内閣制を維持した形の首相公選制で私は構わないと思っております。
  18. 平沢勝栄

    ○平沢委員 今の議院内閣制を維持したままの首相公選制であったとした場合、首都移転ともちょっと絡むんですけれども、先ほど皇居は京都に移された方がいいという御意見がございましたけれども、東京に置いたままでの首相公選制というのはやはりそごが生じるということになるんでしょうか。それとも、首相公選制で選ばれた首相が同じ権力の中心、皇室と同じところにあるということ自体が象徴天皇制と矛盾する、こういうお考えでございましょうか。
  19. 松本健一

    松本参考人 特別に矛盾するとは思いませんけれども、江戸城自体一つの要塞としてできているところでありますから、暫定的に徳川幕府が復活しないようにという形で江戸を押さえる、そしてそこで権力を振るうというのが明治天皇制のシステムでありましたから、そういうところに位置づけるということは余りよくないというふうに考えておりますので、首相公選制が遂行されて皇居にいてはいけないというふうには私は考えませんけれども、本来的に言うと、京都にお帰りになった方が日本文化の永続性を保つためにも非常にいいことではないかというふうに思っております。
  20. 平沢勝栄

    ○平沢委員 次に、外国人参政権の問題についてちょっとお聞かせいただきたいんですけれども、これは倫選特で質疑が行われまして、大体その意見が集約されてきました。  外国人参政権というのは、地方に永住する外国人に地方参政権だけを与えよう、こういうことで今議論が進んでいるわけですけれども、それはおかしいじゃないか、地方の参政権も国政と密接に結びついている、国益あるいは安全保障等にも密接に結びついている。ガイドラインという法律もありましたし、あるいは神戸とか高知がアメリカの船舶に非核証明書を自治体で出せと言ってみたり、あるいは基地の移転のときに、例えば普天間の場合には、海洋水面の埋め立ての許可は県知事の権限である。そういう安全保障にも地方自治体は関係している。にもかかわらず外国人に地方参政権を付与するのは、単なる道路、ごみ、下水道だけを扱うわけじゃないからおかしいじゃないか、それについてどう思うかという議論に今なりつつあるわけでございます。  そういう中で、この前の倫選特もずっと聞いていましたら、国益の衝突というのはあり得ない、あるいはそういうことは考えたくもない、こういう議論が推進派といいますか賛成派方から出ていたわけでございます。それから、国益が衝突することを考えるということは外国人を敵視することにつながる、だからおかしいんじゃないか。要するに、国益は衝突しないんだ、そういう社会をつくっていかなきゃならないんだという、希望というか願望が先にある議論なんですけれども、そういう議論もありました。  そして、もう一つありましたのは、同僚議員からなんですけれども、要するに、地域で仲よくしていくことが国益の衝突を防ぐことにつながっていくのじゃないか、だから、むしろ率先して参政権を与えて、地域で仲よくしていくべきじゃないかと。この辺の議論は、なぜ地域で仲よくしていけば国と国の衝突が防げるのか、私にはさっぱりわからないのですけれども、こういったいろいろな議論が出てきたわけでございますけれども、こういったことについて、参考人はどういうふうにお考えになられますでしょうか。
  21. 松本健一

    松本参考人 外国人が参政権を持っても国益の衝突は起こらないというのは、これは願望でありまして、その地域で外国人と仲よくしていくというふうに言えば国の関係も最終的には仲よくなっていくのだというふうなことは、これは日本の中に閉じこもっている場合にだけ言えることであって、やはり世界の現状を見てみると、そういうものではないというふうに考えます。  つまり、アイデンティティーというものも、地域のアイデンティティーと、それから国家のアイデンティティー、あるいはナショナリティーというもの、それは別の形で、人間においては幾つものアイデンティティーがあり得るわけでありますけれども、そこで一番強いアイデンティティーになっているのが、近代の世界史の中においては、現在は近代が終わりつつある時代でありますけれども、それでもなおかつ国のアイデンティティー、ナショナルアイデンティティーというものが重要になってくるというふうに考えております。  地方参政権の問題も、最終的には、そこに住んでいる人々日本はいい国だというふうに思う、そういう国に住み続けたいという意思のもとにいる人々が国籍をなかなか持てない。在日朝鮮人の三世の方でも、日本に対して違和感はほとんど持っていない、日本文化に対しても違和感を持っていない、むしろ日本の方が好きだというふうなことは、先ほどのシンガポールの若者たちでも一〇%、生まれ変わったら日本人になりたいというふうに言っているぐらいでありますから、反日教育されたシンガポールでさえそうなわけですから、そういう人々日本に来て国籍さえ持ちたいと言った場合に、それを取りやすくすることがまず前提だろうというふうに考えております。それをしないで、地方参政権をすぐに認めるというふうな形では、順逆が逆になるだろうというふうに考えています。
  22. 平沢勝栄

    ○平沢委員 もう時間が来ましたので、最後に一つだけ聞かせていただきたいのです。  教育の問題でございますけれども、参考人は、戦後の教育は、古来の文化、あれを古臭いもの、封建的なものとして全部捨て去った、そして、戦後の教育は私中心でずっと教えられてきた、戦前の教育が滅私奉公に走ったその反動として個人の価値を絶対視した教育が行われてきて、それがいろいろな問題を生じてきている、国を今後どうするかとか、これからどういう方向に日本を持っていくか、あるいは民族がどのように歴史をつくってきたか、こういった教育が全く行われていないというような問題点を指摘されているわけでございまして、これは全くそのとおりだろうと思います。今教育基本法の改正ということが云々されていまして、憲法と同じころできた教育基本法の改正について、最後に参考人の御意見をお聞かせいただきます。
  23. 松本健一

    松本参考人 戦後の教育基本法というのは、まず原則として、私のために生きろ、私の価値を大事にせよというふうに教えてきて、私の価値を追求し、私を大事にすれば、そのまま一遍に世界の市民になれる、世界の平和に貢献できる、世界の人類の目的に合うんだというふうな形をとってまいりました。しかし、それではやはり最近の青年たちの生きがいというものはなかなか自分で見出せていけない。  私のために生きる、だから私がしたいことは、爆弾投げても、人を殺してもいいじゃないか、なぜ人を殺して悪いのか、私の権利ではないのかというふうなことは、これは、最近の若者が言い始めていることでありますけれども、戦後教育の、私のために生きる、私の価値を大事にせよということの問題がマイナスに出てきている状況だろうと思うのです。  世界の平和とか人類の目的というのは、これは非常に抽象的なものでありまして、日本という足場、それは日本だけではなくて、最近のシドニー・オリンピックで活躍した女子選手なんかの発言を聞いていますと、この前のオリンピックまでは、私のために楽しくこのオリンピックに参加したという考え方が多かったわけですけれども、そうではなくて、私のために走りましたけれども、それを応援してくれる会社の人や近所の人や、あるいは社会の人々日本の応援者の人々が私の背中を押してくれたというふうな形で、私と世界の間に媒体が必要であるというふうな認識が非常にあらわれてきているのも最近の若者の特徴だろうと思うのですね。  ですから、そういうふうな社会あるいは会社、近所の人々国家というものはどのようにできているのか、どのように形づくられてきた歴史を持っているのかということをやはり示してあげないと、それは若者たちに対する年をとった者の責務を果たさないことになるだろうというふうに考えております。
  24. 平沢勝栄

    ○平沢委員 時間が来たので終わります。ありがとうございました。
  25. 中山太郎

    中山会長 中野寛成君。
  26. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 民主党の中野寛成でございます。きょうは松本さん、どうもありがとうございました。  私は、憲法を論ずるときに、ややもすると、伝統を大事にしよう、またはアイデンティティーを狭い意味に使う人たちの中からは、百十年前といいましょうか、いわゆる帝国憲法に戻すべきだとも受け取れるような発言をされる方もいますし、それから、それに相対峙する形で、五十年あるいは五十五年前の終戦直後の憲法観、場合によっては少々自虐的になる場合もありましょうが、日本の軍国主義なりそういうものに対する反省の中で生まれた憲法観、これが何か現在でも相対立しているような気がするのですね。  私は、これからの日本憲法を考えるときに、百年前の憲法に戻すわけでもなければ五十年前の憲法解釈に戻すものでもなくて、日本の今日までのそのような紆余曲折を経た歴史を踏まえながら、歴史の延長線上に未来がある、そのことをしっかりと踏まえながら、憲法というのはこれからの国民生活を左右するわけですから、未来に向かっていかに日本の国の仕組みと憲法をつくっていくか、あるべきかということを考えたいなと思うわけであります。  そこで、これから、すなわち二十一世紀日本日本を取り巻く環境を考えるときに、グローバル化の進展、先ほどお話がありましたように、間違いなく進んでいく。しかし、そのグローバル化にも光と影がある。確かにグローバル化が進んで繁栄と発展を享受することになるでしょうが、一方、マイナス効果として、紛争や兵器の拡散、テロ、犯罪、人口移動から経済格差、難民と、いろいろな問題も想起されるわけです。これらを解決するための言うならばグローバルガバナンスというものも一方で必要ですし、そしてまた、主権国家の国益をいかに守るかということも考えなきゃいけない。それが必ずしも一致するとは限らない。こういう現象面をどう解決していくかという手段はやはり憲法が持っておかなければ、規定しておかなければいけないことなんだろうというふうに思うわけです。  これは現象面から見た憲法観ですが、もう一つ、その背景となる思想もいろいろ相克が始まってくると思うんです。  例えばEUのように、国際協調主義に基づいた新しい社会、超国家的な社会というものがもう既に生まれています。そういう多国間協調とか協力が発展する一方で、EUで例えれば、それではその構成員たるフランスのアイデンティティー、イギリスのアイデンティティーはどうするという国家主義、これは全体主義としての意味での国家主義ではなくて、もっと普遍的な意味での国家主義ですが、その国家主義的な傾向というものとがぶつかり合うといいますか、交錯するといいますか、そういう時代に入ってきているんだろう。  これは決してヨーロッパの現象という話じゃなくて、日本も間違いなくそういう社会の中でこれから日本の運命が決められていく、また切り開いていかなければいけないんだろう。そうすると、それに対応する憲法観もなければならぬと思うんです。  そういう意味で、国際協調主義と国家主義がぶつかり合うような時代を迎えて、憲法はどうあるべきかというふうに考えますときに、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  27. 松本健一

    松本参考人 EUのお話が出ましたけれども、EUが一種の超国家的な社会をつくっている、そしてその中においては、近代のネーションステートの塀というか境界がだんだん低くなってきている。極端に言うと、EUの中ではもう通貨統合がなされ始めていますし、そしてまた将来的に言うと、EUの中ではパスポートが要らなくなってくるかもしれない。そういうふうなグローバリズム時代が一番最初にEUの中で訪れ始めているわけです。  そういうときに、例えばスペインという国はどうなっちゃうんでしょうか、フィンランドという国はどうなっちゃうんでしょうか、フランスはどうなっちゃうんでしょうかというふうな質問をしてくるヨーロッパ人のジャーナリストが私のところへ随分訪ねてくるんですね。松本さんはナショナルアイデンティティーということを考えているわけだけれども、EUの中にいる我々はどうしたらいいんだろう、スペインという国はなくなるんじゃないかというふうに考えている。  近代の中でつくられた、三、四百年の中で、国によっては百年ぐらいにつくられた、そのネーションステートという枠は、やはり低くなっていくだろうというふうに思います。そうすると、そこで、自分たちはいかなる国か、EUの中に埋没しちゃうとEU人になっちゃって、それ以前のアイデンティティーというものはなくなるのか、我々は何人であるとか、どういう文化を持っているというアイデンティティーはなくなっちゃうんだろうかというふうに質問をしてきました。  この問題が一番深刻に起こっているのがベルギーなんですね。ベルギーは、EUに入っちゃうと、ベルギーという国語があるわけではない、半分はオランダ語圏、半分はフランス語圏です。ですから、一種ナショナルアイデンティティーがまた裂き状態になって、文化とすればフランスとくっつく、文化とすればオランダとくっつくというふうな形で、ベルギーという国自体が解体してしまう可能性はあるということですね。  それはベルギーの深刻な問題でありますけれども、逆に言うと、スペインなんかは、バスクとかカタロニアとかバレンシアとかというのは、これは極端に言うと、千年前から独自の文化を持っている、あるいは独自な宗教さえ持っている。そういうふうな国では、そこを媒介にして、自分たちのスペインという国はひょっとしたら百年後にはなくなるかもしれない、しかし、バスクというものは、千年栄えてきてなくなっていない国は、つまり中世以来のナチオみたいなものはなくならないだろう、それがEUの中で独自の力と輝きを発していくということになったらナショナルアイデンティティーはもう一度再構築できるではないか、そこのところで考え直してみたらどうかというふうなことを言いました。  ちょっと話がずれるかもしれませんけれども、例えば英語が国際共通語になってくる、これはまさにグローバリズムですね。批評によれば、英語帝国主義という言い方をする人もいますけれども。そうすると、これからはみんなが英語をしゃべるような国際社会が生まれてくる。そうした場合に、我々イギリス人は何者でもなくなっちゃうのだろうかというふうなことを考えていった場合に、イギリス国家の権益を守ろうとしても、これは要するに英語の権益と似てきますから、そのために、ブリティッシュカウンシルなんかでは、我々英国人はこれからはウェールズ語とかそれからスコットランドのゲール語、そこにもう一度アイデンティティーをとらえ返していくような方法が必要なのではないかというふうなことさえ言っておるわけです。  そうすると、そういう意味では、国家主義が交錯するというのではなくて、むしろ郷土愛的なものですね。近代の中では国家の中に統合されていったけれども、しかし、統合されていく前のものはほとんど残っているというふうなところで、郷土愛を持って、パトリオティズム、これは英語で、訳せば愛国心になっちゃいますけれども、正確に言うと、郷土を愛する心というふうな形で世界史は新たなるステージに入っていくのではないか。  日本という国は、そういう意味では、幸いなことにまた裂き状態にならないような可能性がありますけれども、しかし、そこでもやはり、日本文化とは何なのか、あるいは日本歴史はどのようにつくられてきたのかということを再認識していかなければ、これは世界史の中に埋没するというのが私の考え方であります。
  28. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 そこで、アイデンティティーという言葉、ある意味では大変あいまいですよね。どうそれをまとめていったらいいのか。  例えば、先生は麗澤大学の教授をしておられますけれども、麗澤大学をおつくりになったモラロジー研究所の皆さんは、私もおつき合いが深いですが、モラロジー研究所で、日本国家伝統といえば天皇家のことを指しますね。そして精神伝統、モラロジーとしての精神伝統というふうにいうと、それをおつくりになられた廣池家のことを指すと言っていいのでしょう。そういう目に見える形のものもありますね。  それから、例えば、自由、平等、博愛とか、先ほど台湾のケースを出されたときに、一つのアイデンティティーの言葉として民主主義があるというお話がありました。この前李登輝さんに会いましたら、李登輝さんは、台湾の新しいアイデンティティーをおれは今つくっているんだというお話で、そのメーンは自由だとおっしゃった。なぜかといえば、国民党は中国共産党と争い、自由を求めて北京を離れて台湾に来た、台湾の人たちもまた自由を求めている、共通のアイデンティティーは自由だとおっしゃった。そういう言葉の上でのアイデンティティーというのもあると思うのです。  例えば、終戦直後、京都大学でしたか、田辺元博士は、日本のこれからの政治的目標といいますか概念としては、ブルジョア的自由と社会主義的平等とを両立させなければいけない、その相矛盾する政治的概念を結びつける概念が友愛だとおっしゃった。そこから友愛運動が始まり、鳩山家の友愛につながっていくのかもしれませんが、その前に、大正元年に日本で初めて労働組合ができたときの名前、その労働組合の名前は友愛会といったのですね。  同じ言葉でも、使う人によってはちょっと意味合いが違ったりいたします。日本の新しいアイデンティティー、新しいと言ってはおかしいかもしれませんが、歴史も踏まえてのアイデンティティーというのは、果たしてまとめた形で表現できるかどうかわかりませんが、もしできるとすれば、先生はどういうイメージをお持ちなのでしょうか。
  29. 松本健一

    松本参考人 ナショナルアイデンティティーというもの、つまり、それは最終的にどこに帰属するか、私は何者であるかといった場合に、いろいろな答え方があると思うのですね。  今のように、例えば精神伝統に一つのアイデンティティーを持っている、つまり、私はそこに所属をする、ある人は宗教的に法華経に所属をする、キリスト教に所属をする、私はそれであるというふうに言う人も出てくるでしょう。  戦前においては、もう完璧に一元した天皇国家に所属しているという形でやってきたわけでありますけれども、実はそういう国家というものの枠で考えるようなアイデンティティーというのはこれからも非常に強固でありますけれども、しかし、これから世界史を生きていく我々にとっては、アイデンティティーは幾つか持っているという形がやはり必要になってくるだろうというふうに考えておるわけであります。  それは、これからの考え方というのは、日本人であっても、ある部分ではアジア人であるとか地球人であるというふうな考え方も出てくるだろうと思いますけれども、そのアイデンティティーの問い方の問題がこれからまさに世界史に出てくるのだ。そして、ナショナルアイデンティティーの再構築といった場合に、それが、では自分の国の宗教と私の宗教が違っている場合にはどうなるのだというふうな形の問題が出てくるわけですね。  今までは、国家枠の中に、どこの国に所属するかということが大きい問題だったわけです。その国家というものの所属も、実は、インドという国はインド国民のものであるというのが、インド国民会議派が支配しているというか指導している時代の物の考え方でありますけれども、現在ではインド人民党が第一党になっています。インド人民党の考え方というのは、インドはヒンズー教徒の国であるという、そういう大きなテーマを出してきているわけですね。だから、イスラム教徒とは対立する、パキスタンとはもっと対立するという形での問題が出てきている。  つまり、ナショナルアイデンティティーの追求というのは、その意味では、世界史的なある衝突のようなものを生み出す可能性も出てくると思いますけれども、しかし、それがまさに、二十世紀を終えて二十一世紀に入ったこれから五十年間ぐらいの歴史の流れになっていくだろうというふうに思います。  その時代憲法、要するに不磨大典をつくる必要はないと思うのです。これからの世界史はどうなっていくのか。そこでの大きな問題は、ナショナルアイデンティティーの問題がまだ非常に強烈で、その問題がまた他国とある部分では国家主義的に対立する、ある部分ではまた裂き状態になるかもしれないというふうな状態で、我が国としては、こういう形で国民の人権にしても、環境にしても、産業にしても守っていくのだということをとりあえず考えていかなければならない。そういうのが、要するに国民憲法ということのコンセプトだろうというふうに思っております。
  30. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 最後に、首相公選制を御主張でございますし、その方では中曽根先生が有名ですが、首相公選制になったときを前提にして考えますときに、大体公選で選ばれた人たちというのは、世界的には大統領と呼ばれるケースが多いと思うのですね。そして、国会で議院内閣制のもとに指名された人を首相、または国務総理、または総理大臣。この大統領制と首相制度、そして天皇制がある中で、元首というのは果たしてどこに存在することになるのか。大統領と首相の違いをどういうふうにお考えなのか。  私は、ある意味ではここに権威と権力の違いがあるかなと思っているのです。天皇には、伝統的なものも含めて権威が存在する。権威ある者から表彰状でもいただくと大変ありがたいのですね。しかし、権力者からもらっても、これは何か動機不純なものがないかと勘ぐってしまうのですね。というのは、権力というのは国民から与えられた力が権力だろう、こう思うのですが、しかし、この権威と権力、案外これは両立というか、別に存在してもいいものなのかな、権威の象徴がある意味では日本の場合天皇であり、権力が行政であったり立法であったりということなのかな、こういうふうに思うのですが、この区分けをどうお考えでしょうか。
  31. 松本健一

    松本参考人 おっしゃるとおりに、天皇はむしろ権威的な存在で、無権力である。首相公選制によって選ばれた首相というのは、これはやはり権力的な存在になるだろうというふうに思います。よその国と日本が若干違いますのは、日本は基本的にそういうダブルスタンダードをとってきたのですね。  徳川時代も、絶大な権力を徳川家は持っておりましたけれども、しかし、それでは問題が済まなくなってくる時点というものが出てくると、国内が内戦になりそうなそういう対立が出てくると、それはむしろ無権力の天皇が裁く。全く権力のない人が裁くのであるから、これは無私また無為で裁いたというふうな形になってくるだろうと思いますので、まさに、そういう意味でいうと、権威と権力がダブルスタンダードであるような国づくりをしてきた。そういう国であるから、国民投票によって、首相公選制によって首相が選ばれようとも、それが一種大統領的な役割を果たそうとも、そんなに違和感がないのではないかというふうに思います。
  32. 中野寛成

    ○中野(寛)委員 ありがとうございました。
  33. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 赤松君。
  34. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。  松本参考人におかれましては、きょうは本当に貴重な御意見をありがとうございました。幾つかお尋ねをさせていただきたいと思います。  自分の国は自分で守る、憲法に関して言えば、自分の国の憲法自分たちでつくる、こういうふうなことだと思います。私も、日本憲法を改めて自分たちでいわば選び直すというか、選び直した結果、多くのものが今の憲法の中から再び選ばれるということがあってもいいかなというふうにも思うんですけれども、そういうふうな観点からきょうのお話を聞かせていただいたときに、今の憲法制度疲労を起こして世界史ステージに合わなくなってきている、こういうふうなお話が先ほどございました。  そういう流れの中で幾つかのテーマを取り上げられたんですが、とりわけ、今の中野委員からの御質問もありましたが、首相公選制ということを一つ際立ってお聞きしたわけです。一方で、先ほどの自由民主党の委員の質問に対して、議院内閣制ということと別にセットでも構わないというか、大統領制というものをイメージしているわけではないという意味のことをおっしゃったように思うんです。  ここでまず冒頭にお聞きしたいのは、改めて、この憲法をめぐって、日本における制度疲労というふうに松本参考人は思われる、世界史ステージに合わない、具体的にどのあたりを考えておられるのか、その辺からお聞きいたしたいと思います。
  35. 松本健一

    松本参考人 現在の憲法世界史ステージに合わないというのは、憲法が、今平和憲法でありますけれども、あれは一種の一国平和主義的な側面が非常に強い。日本国民にとってはそれは喜ばしいことかもしれないけれども、それでは、安全保障を共同でつくっていこうという考え方がなされているような歴史ステージ、グローバル化の中では、共同にその地域の人民を守るというふうな形で、集団安全保障あるいは集団的な自衛権が必要なのではないかというふうに問い直されているときに、集団的自衛権の問題を言う場合に、自衛権を自分たちが持っていることを明確にしていない、そういう憲法では、どのように考えても集団的な自衛権というものは築き上げられないだろう。あるいは、集団的な安全保障というものは築かれないだろう。  自分たちが共同でグローバルな、あるいは二国間以上の、そういう安全保障とか集団的自衛権を導き出そうとする場合に、自分の国さえ守れない、そういう規定さえない憲法を持っているのでは対応できない、世界史ステージに出ていけないということだろうというふうに考えております。その問題を一つお答えしたいと思います。
  36. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 今いわゆる憲法九条をめぐる問題についてのお話があったんですが、では、その問題に関して引き続きお伺いいたしたいのですけれども、自分の国は自分で守る、これは今の日本憲法では、憲法というか日本の実態は、自分の国は自分とお友達とで守る、表現が際立って具体的な言い方ですが、同盟国と守る。私は、必ずしも今の日本状態自分で守っていないというふうには思っておりません。日本の領海、領空、領土というもの、領域を日本自衛隊がきちっと守るという部分では、自分たちで守っている。ただし、やりと盾という、やりの部分はアメリカに任せている、そういう側面があると思うのですね。  問題は、かつての日本が、私流に言うと、友達の国も自分で守る、よその人の国も私たちが守る、ここのところがいけなかったというか、先ほど来松本参考人がいろいろおっしゃっていただいているのですけれども、そういうところに多くの問題があり、かつ今の、戦後日本の流れの中で多くの日本人日本の国のありようという部分で懸念を持つところ、つまり、他人の国も、よその国も、お友達の国も自分たちで守る。これはさっき参考人がおっしゃった集団的自衛権の行使ということをどうとらえるかということになってくるのだろうと思うのです。  私は、現状で、集団的自衛権の行使というものについてはやはり憲法に改めて規定する必要があるだろうというふうな位置づけをとって、その上において、集団的自衛権の行使を今の日本が認めることについては現時点では非常に否定的なのです。同時に、国連軍だとかあるいは国連軍に近い形としての多国籍軍というもの、いわゆる集団的安全保障というものに対して日本がかかわることについては憲法にもう少しはっきり明確に書くべきであって、それに日本が参加することは大いにいい、そういうふうなスタンスを持っているのですけれども、もう一遍その辺についてさらにお聞かせ願いたいと思います。
  37. 松本健一

    松本参考人 自分の国は自分で守るというのは、冒頭の方に言いましたけれども、一種歴史回帰現象に近いのだと。第一次世界大戦のときには、自分の国は自分で守るというふうな結果としてナショナリズム競争、国と国との国益の対立激化、衝突が起こって、第一次世界大戦が起こった。その結果とすれば余りに惨禍がひどかったので、第一次世界大戦当時の自分の国は自分で守るというテーマはそのまま持ち続けながらも、それを超える形での国際連盟とかあるいはまた不戦条約とか、これは実定法ですね、国際条約を結ぶとか、あるいはまたさまざまなインターナショナルオーガナイゼーションあるいはインターナショナルローというものがどんどん築き上げられることになったということだと思うのです。  しかし、その結果のいろいろなものが、国際条約とか国際機関がつくられましたけれども、これは日本が後から加わったことであって、日本主体的に加わったというのとはちょっと違うし、そしてまた、アジアの国々はほとんどそういう経験、知恵というものを第二次世界大戦後になるまで持たなかったということがあると思うので、これからの世界史を組み合わせる場合に、表面的には歴史回帰現象自分の国は自分で守るというふうな形をとりますけれども、その上に立って、自分たちの地域、あるいは地域圏という言葉がありますけれども、それの安全保障をどのようなインターナショナルなオーガナイゼーションとして考えていくのか、システムとして考えていくのかということが問われることだろうというふうに思っております。  ただ、自分たちの国を守るだけではなくて他国も守るという形で日本が盟主となるというふうなことが戦争の失敗でありましたから、そういう意味では、第二次世界大戦に至る、日本の大東亜戦争に至る失敗というものを歴史的に解明して、再検討をして、そこで何が日本が犯した間違いなのかということを考えることが、集団的自衛権、これからの安全保障を考える意味でも非常に大きな問題だろうというふうに考えております。
  38. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 九条の問題はそれぐらいにいたしまして、先ほども申し上げましたが、制度疲労とおっしゃる場合に、先ほどのお話を聞いておりますと、日本国民における現状の政治に対する政治不信が強いということで、首相公選制を持ってくるとそのあたりが解消されるのではないかというお話に聞こえたのですが、大変失礼な言い方ですが、少し楽観的に過ぎないのかな。そういう形だけに集約させていくというよりも、もっと、この点もこの点もこの点も具体的に制度疲労が来ているよというふうな形で挙げていただくことはできないでしょうか。
  39. 松本健一

    松本参考人 首相公選のことだけを言われましたけれども、私は、首相公選制というのは一種国民投票であるので、国民投票ということを憲法の中にちゃんと条文化していくということですね。それによって国民のアパシーというものは解決していけるし、結果とすれば、国民日本政治に責任を持っていく、そういう責任感が生まれてくるのだというふうに述べましたけれども、そういう意味では国民投票の問題として一つ考えていっていいのではないかというふうに思います。  個々の制度疲労の問題に関して見ますと、現在では、要するに国民が国のことを信頼していないにもかかわらず、国に依頼する依存度が大きいということですね。極端に言うと、自分たちで責任を持って解決できる問題も解決していかないというふうな、例えばバスストップが自分たちのところになくて、過去において決められたものでも、これは自分たちで決めていけばいいわけですから、その責任をとっていけばいいわけですから、そういうふうな問題も全部出てきているだろうというふうに考えております。
  40. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 参考人にお伺いしたいのですが、今の日本は、戦後の五十数年の流れの中で、先ほどもお話が出ておりましたけれども、いわゆる郷土を愛する、国を愛する、そういう愛国心というものが、戦前の誤った行き方、愛国心イコール国家主義あるいは超国家主義という格好で、その流れを踏まえて、愛国心を強調するということについて非常に抵抗を感じる向きが多くて、逆に、国を忘れた格好で、理念的な部分でむしろ世界に目を向けるという格好があって、その辺、今の時点で、逆に愛国心というものを喚起する動きが幾つかさまざまな形で見られる。  私は、明確に愛国心というものをしっかり踏まえた上で、同時に、これからのグローバリゼーションという流れの中で、愛球心というか、地球を愛するというか、愛地心というか、そういうことがより一層求められてこないといけない。これは、歴史は回帰するというか、前に戻る形で、戦前的な愛国心になってはいけないという意味で、両方をしっかりと踏まえていかなければいけない、そんなふうに思います。  その点について、愛国心と、それから地球的レベルで、それこそ国境を越えた形で、他国の人権をもどう守っていくかというふうなことについてどう考えられるかというのが一点。  それからもう一つは、松本参考人の御持論であられる三つの開国という考え方テリトリーゲームウエルスゲームそしてアイデンティティーゲームということは、至って日本的なるとらえ方ではないのか。もちろん、先ほど来、アジアにおいて、ヨーロッパにおいて、今アイデンティティーゲームというものに入ってきているというお話はわかるのですけれども、そのようにきれいにきちっと分かれるものなのかな。やはりテリトリークライシスがテリトリーゲームの前にはあり、ウエルスクライシスがあり、そしてアイデンティティークライシスというものがあるのでしょうけれども、その辺は至ってごちゃまぜになっているというのが世界史の現状ではないのかな、少しきれいに分け過ぎておられるのではないかという印象を持つのですが、その二つについて。
  41. 松本健一

    松本参考人 戦前においては愛国心ということが非常に強調されて、戦後はほとんど国を愛するということが無視されるというふうな形になってきました。これを、愛国心を取り戻そうというふうに言っても、私はやはりだめだと思うのですね。国を愛すると言っても、国の具体的な顔かたちというのはなかなか見えませんから。  ですから、そこの意味では、日本の風土はこんなに美しいのだ、あなた方が住んでいる場所は、このように人々がつくってきて、このように美しくしているのだとか、あるいはまた、日本歴史の中ではこういう人物が出てきたのだ、これは愛すべき人物ではないか、あるいは尊敬すべき人物ではないかということを、地理とか歴史によってそういう風土とか人物とかを教えるという形をとる方がいいだろうと思っています。  そういう意味で言うと、時代を率いていくような、ある関心を国民みんなに抱かせるような、そういう人物像というものが、歴史の中からくみ出せる、あるいはそういう土地が地理の中からとり出せるというふうなことが必要だろうと思います。  その結果として、こういう人が好きだな、こういう日本人が好きだな、あるいはこういう土地が好きだな、こういう風景が好きだなというふうに思える人は、外国に行っても、なるほど、こういうものも好きだな、あるいはこういう人物もいたのかというふうにいって、その行った土地も愛せるということなのですね。自分の土地を愛せない、自分のパトリというもの、郷土を愛せない人は、世界のどこに行っても、そういうパトリを愛すことにならないというふうに私は考えているわけであります。  二番目の、三つの開国をきれいに分け過ぎているのではないかと言われましたけれども、もちろんそれは一つの定式化でありまして、例えば、ヨーロッパ近代といっても、実は近代のヨーロッパの国々はさまざまあるじゃないか、さまざまな産業もあるし、さまざまな文化もあったじゃないかというふうに言いますけれども、そういうふうな中心的なヨーロッパ文明の型をつくったのは北フランスとイギリスであります。そして、その国のようにやれば発展できるのだなと思うことが、ヨーロッパ全体を例えば覇権主義に導いたり、あるいはヨーロッパからアジアに進出するという世界史ゲームを導き出したわけであります。  戦後五十年間というものは、日本のモデルが、あのようにやれば豊かになれるのかと思ったために、アジアの国々がそれを次々に模倣してきたわけでありますから、そういう意味では、日本がこれからナショナルアイデンティティーの再構築を果たして、そういう人間を輩出し、そしてまたそういう文化を輩出する、そういう土地の美しさを持っている国となっていこうとするんだということになると、新しい歴史ステージも、そういう日本モデルというか、それがリードしていくだろうというふうな形で私は考えているわけであります。
  42. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 ありがとうございました。
  43. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 武山君。
  44. 武山百合子

    ○武山委員 自由党の武山百合子でございます。松本先生、きょうはお忙しい中ありがとうございます。  単刀直入に早速質問させていただきたいと思います。  先週の参考人で東京都の石原知事が見えまして、憲法ができた当時の歴史をもう一度正確に認識し直してみると、日本人の自主性が反映されていないマッカーサー憲法だった、そして、国会では、改正よりも否定して廃棄し、新たな憲法をつくるべきではないかというお話をされました。  先生はこのたび、憲法改正という前提でお話をされたと思いますけれども、新たな憲法、それから憲法改正という意味で、将来、日本にとってどちらがいいかというお話を聞かせていただきたいと思います。
  45. 松本健一

    松本参考人 石原さんの言うように、あの憲法はマッカーサー憲法である、押しつけ憲法である、だから、今これからは自分たちの憲法を制定していかなければならないというのは、かなり後ろ向きな発想ではないかというふうに考えます。  私が言うように、現在は第三の開国という新しい歴史ステージ世界史ステージで、日本はその中で生き残っていけるかというふうな時代国民憲法をつくっていくというのは、これは別に後ろ向きではなくて、新しい世界史あるいはその中における日本の生き残り方というものを考えることなんだというふうに私は考えておりますので、憲法改正というふうに言っても、後ろ向きにやるのではない。  しかも、マッカーサー憲法というのは、マッカーサーが一方的に押しつけたという形ではなくて、パリ不戦条約、そして満州事変日支事変、大東亜戦争という形でたくさんの過ちを犯してきたということを考えて、そこで、戦争放棄とか武力保持という世界史の中であらわれてきた理念みたいなものを受け入れる、そしてそれを積極的に遂行する。戦後五十年間、日本戦争をやらないできたわけですから、平和憲法を守るということの理念を守るだけではなくて、それを実践してきたというふうに思いますので、過去の、マッカーサー憲法だからという形ではなくて、日本をできるだけ平和に守ってきた、一国の中で安定した豊かな社会をつくり上げるのに役に立った憲法であるというふうに思います。  しかし、それも現状で、制度疲労を起こしている、役に立たなくなってきているような歴史の新しいステージというものを見きわめて、だからこういうふうに憲法を変えていくべきであると言って、国民の目を開いていく、国民とともにそれをつくっていくというふうな形をとっていくのが私の憲法改正という趣旨であります。
  46. 武山百合子

    ○武山委員 前向きなお考え、ありがとうございます。  それでは、前向きな憲法改正に入っていく前には、過去を、やはりもう一度歴史の事実を認識しなければいけないんじゃないかと思います。私は戦後生まれですけれども、近代史は教育の中でやっていないわけですけれども、過去の日本歴史認識、事実の認識というものは、教育の中でも、国民の中でも、また世界にも、一度きちっと表明というか清算というか区切りをつけないといけないと思いますけれども、その辺についてはどうお考えになりますか。
  47. 松本健一

    松本参考人 それはおっしゃるとおりで、この間の戦争はたくさんの失敗を犯しております。その失敗を自分たちが認識して、だから戦後はこういうふうに自分たちの過ちを改めようとしてきたんだということは、失敗するようなそういうダメージを受けたままでいるわけではなくて、むしろ、失敗を改めたということにおいて、日本国民気概を持てる、誇りを持てるということになってくるんだろうと思います。  戦前日本歴史は、日本だけが軍国主義で超国家主義だったというふうに、そしてまた、テリトリーゲームをやっていて、人の国の領土を奪っていくというふうなことだったわけじゃなくて、西洋全体が、西洋中心ナショナリズム中心の史観というものがそのようなテリトリーゲームを生んできたわけで、日本は後からそれを追っかけてきた。  外交というのは国際的な権力闘争であるというふうな形で、真珠湾攻撃が行われたのも、実は、周到に仕組んだルーズベルトのいろいろな策略があったということは、それは歴史的な事実でありますけれども、その策略に乗って誤った選択をしたということにおいては、これは日本の方に過ちがあるわけでありますから、そういう過ちを改めるということにおいて、やはりちゃんとした歴史を教えていく必要があるだろう。  悪い歴史だったから見ない方がいいというのが戦後五十年間の歴史でありました。むしろ、そういう考え方ではなくて、どこで間違ったのか、どういうふうな欠陥憲法は持っていたのか、教育勅語は持っていたのかという反省を踏まえた上で新しい憲法をつくるということ、そしてまた教育基本法をつくり直すという形が必要なのではないかと思っているわけです。  歴史の真実を見直すということは、そういうことだろうと思っております。
  48. 武山百合子

    ○武山委員 それでは、憲法改正について伺いたいと思います。  まず、国会の各議院の総議員の三分の二の賛成ということですけれども、先生はこれで改正ができると思いますか。
  49. 松本健一

    松本参考人 これは基本的に、前向きの形でこれから日本をどうつくっていくのか、それを国民自身がつくる、つまり議員の皆さん方がその国民の意思を代表してつくるということは、三分の二を集めるというのはなかなか難しい事実があります。しかし、それは明治憲法自体が議員の三分の二という数を決めて、それを踏襲したわけでありますけれども、三分の二ということは、過去に戻る、押しつけ憲法を排除するという形ではなくて、これからの日本人を守るために必要なんだというふうに考えると、今の若い人は大体八割から九割憲法改正は必要である、国民全体を見ても六割から七割憲法改正が必要であるということを考えておりますので、議員の皆様方が三分の二をとるということは、国民の代表でありますから、必ずしも絶対不可能なんということはないと思います。全員一致にする必要はありませんけれども、そういうことの方がむしろなかなか不可能性のことでありまして、国民がどういうふうに生き抜いていくのかということを議員の人々が考えてくれれば、私は、三分の二をとることは可能であると思います。  特に、現状においてどういうところが必要なんであるから、全面的に我々は新しい憲法をつくるというよりも、ここのところは制度疲労を完璧に起こしている、これでは世界史の中に生き残っていけないというところだけを議員の方々で三分の二を賛成していただければ、一向にそれは難しいことではないというふうに考えております。
  50. 武山百合子

    ○武山委員 私は自由党を代表して質問をしておりますけれども、自由党は、きのう、おととい、憲法試案ということで出たんですけれども、この憲法改正には過半数をとればいいんじゃないか、その考え方にはどんなお考えを持っていらっしゃいますでしょうか。
  51. 松本健一

    松本参考人 過半数をとればいいという形で、原則的にはそちらの方がはるかに変えやすい。ドイツでも三十七回も憲法を変えたりしているわけです。日本の場合には三分の二ということがあるので、そしてその上でまた国民投票にかけなければならないということがあって、議員の中の三分の二というのはなかなか難しいからそれを半数にする、二分の一以上にするというのは、確かに憲法が変えやすくなってくるだろうと思います。  けれども、こういう第三の開国日本の自己変革ということにおいては、制度自体を変える、システム自体を変える、三分の二を二分の一にするという形で強引にやるよりも、三分の二は通せるんじゃないかというふうに思っている国民が多いわけですから、それを国会の中でやれば、国会議員が新しい国民憲法をつくることが、自分たちで力を出したという形で——第三の開国はいつ成るのかというふうに最近質問されることが多いですね、私はこの十年間ぐらいそれを言っておるものですから。それは、まさに国民を守る憲法国民自身がつくることができたときには第三の開国は成ったというふうに思いますので、その第三の開国を、議員の三分の二の人々がなし遂げる、そういう気概を持ってぜひともやっていただきたいというふうに思っております。
  52. 武山百合子

    ○武山委員 ありがとうございます。  先生は、この「憲法改正」の中で、第三の開国のときは官僚主導体制の解体が必須だというお話をされているわけですけれども、私もそのとおりだと思います。官僚主導体制を解体するので今いろいろな意味で日夜奮闘しておるわけですけれども、まず青写真としまして、どのような手順でこの官僚主導体制を解体したらいいとお思いになりますか。
  53. 松本健一

    松本参考人 本来的に言うと、第一の開国のときには、武士独裁の時代の弊害というものを武士自身が悟って、幕藩体制というもの、武士という制度自体をなくしていったわけですね。内部から改革するのが一番いい。軍人独裁、軍部独裁の時代には、軍人自身がこれはまずいのではないかというふうに考え始めている人もおりました。そしてまた、国会議員の中でもそれを考えている人がおりました。しかし、自己改革できなかったために、結局外の力によって軍部解体というものがなされていったわけです。ですから、本来的に言うと、官僚主導体制も官僚自身が改革をしていかなければならないというふうに基本的には考えます。  官僚自身が、自分たちの権益を握ったり、地位を保全したり、あるいは給与を持ち続けたり、ほとんど首切られないでやるという状況を自分たちで改革できるかといったら、これはある意味では、行政改革によって、例えば今度、来年の初めから省庁が少なくなりますけれども、二五%国家公務員を削減するというふうに言っておりますけれども、これは要するに、おまえたち官僚自身で、二五%どこが減らせるか自分たちで考え出しなさいというふうにげたを預けてしまって、官僚体制の中にいる人々はどこがむだであるか、どこが仕事をしていないかということは非常によく知っているんですね。だから、本当はそこから官僚自身に改革させる非常にいい機会だろうというふうに思います。  それと同時に、官僚制度というのは、国家がある限りというか、王朝があってもそうですけれども、なくならないものであります。そういうふうに考えますと、国家指導者が日本のグランドデザイン、青写真というものを出して、こういう国をつくるためにはどういうふうな方向性から入っていったらいいのか、どこの法律からいじっていったらいいのか、それを官僚はみんな知っているから考えてくれというふうに、首相の主導体制をつくっていくということですね。そのためにも首相公選制というのは非常に有効ではないかと考えております。
  54. 武山百合子

    ○武山委員 それでは、最後になりますけれども、大変話が飛んでしまいますけれども、日本世界の中で戦後どのような貢献をしてきたかといいますと、やはり経済的な、お金で貢献してきた部分が多かったわけです。それは国民の税金で賄ってきたわけですけれども、これからの二十一世紀は、日本世界でどのような役割を果たしたらいいとお考えでしょうか。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  55. 松本健一

    松本参考人 経済的貢献が戦後の大勢であった、これに対して当然言われるのは、例えば人的貢献が必要であるというのが湾岸戦争のとき既に言われ始めていました。日本人は血も汗も流さないじゃないかというふうなことが言われてきました。  実際に自分たちが自衛権を持って、そして海外へ、湾岸戦争のときにも、私はあれは海外派兵だったというふうに思っております。海外派兵をする場合には国連決議にのっとっているということがこれからの国際上の一つのルールのつくり方であろうと思いますから、そういう意味で、海外派兵の場合には、自衛軍を派遣する場合には、国連決議あるいは国連の指示に従うというふうなことを憲法もしくは自衛隊法に刻んでいくということが必要だろうと思います。  それと同時に、日本という国が戦後やったウエルスゲームでも、あるいはその前の江戸時代にやった文明のつくり方も、非常に有効性を持っている。ただ単に大量消費をするだけではなくて、非常に循環社会をつくっていく。江戸時代は、封建体制であって、真っ暗で、身分差別があってひどい時代だったんだ、だから常に百姓一揆が起こっていたんだというふうなことを戦後の教育ではほとんど教えられてきたわけでありますけれども、今日、歴史の見直しが行われてみると、江戸時代というものは、非常によく整った、日本の国内に二百七十ぐらいの独立国家があったわけでありますけれども、それぞれに政治をやり、経済をやり、あるいは産業育成をやり、学校をそれぞれつくる、そして民衆を教育するというふうな形で、日本は非常に平和で安全で豊かな社会がつくられていたという認識が高まりつつあります。歴史認識が改まりつつあります。  江戸時代は、極端に言えば、刀も持たないで人間が江戸から長崎まで旅行をすることができる。振り分け荷物二つだけで、片方にはお弁当、片方には下着だけを入れて、どこに行っても、東京で出してもらった為替を大阪に出せば、例えば百両という金が出てくる。そして、人間が歩いていくことによって、東海道五十三次といいますけれども、あれは大体十三日から十五日で歩ける、それだけの旅のインフラというものができていた。  物品を配達して、全国から大阪に持っていって、そこで株相場が立ったというふうなことを見ても、経済的にも文化的にも、あるいは教育的にも、教育の程度も実際に九十数パーセントが文字を一応読める、平仮名が読めるというふうな状態でありました。教育水準も非常に高いわけでありまして、こんな国は世界に二つとない国でありました。国の中に百万人以上の人口を江戸と大阪と京都で持っている。一つの国に二つも百万人以上の人口を持っている国は世界にありませんでした。イギリスではロンドンだけですし、フランスではパリだけであります。そういうふうな江戸時代の見直し方も出てくる。  つまり、日本人日本歴史の中でつくった民族の生き方、つまり文化ですね、歴史の中でつくった民族文化というもの、これを再認識すると、近代の西洋がつくった文明理念をある意味では超えるような、そういうモデルもそして理念も築き出せるのではないかというふうに考えております。
  56. 中山太郎

    中山会長 重ねて参考人に申し上げます。質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたします。
  57. 武山百合子

    ○武山委員 時間になりました。どうもありがとうございます。
  58. 中山太郎

    中山会長 山口富男君。
  59. 山口富男

    ○山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。  きょうは、松本参考人国民憲法と第三の開国ということでお話しいただいたのですけれども、まず、私、参考人のおっしゃる第三の開国という問題とグローバリゼーションにかかわる問題をお尋ねしたいと思うのです。  それで、今の国際社会のもとでは、参考人がおっしゃったように、人、物、金、こういうものが国境を越えて広がる国際化を示す、これはもう避けられないことだと思うのです。現実に今、世界政治の中で問題になっておりますのは、グローバル化という名前のもとで多国籍企業ですとか国際的な金融投機の動きが非常に大きくなっておりまして、それに対して各国が、ヘッジファンドなどの投機活動を規制することですとか、それから各国の経済主権の尊重や確立の問題、それから平等、公平を基礎とする民主的な経済秩序をつくろうじゃないか、こういう動きが強まっているというところに今のグローバリゼーションをめぐる一つの特徴があると思うのですね。  ことしの四月に、世界の百三十三カ国の発展途上国が参加しておりますグループ77という集まりがありますけれども、ここが初の首脳会談を開きまして、いわゆる先進国首脳会談に対比して南サミットというふうに呼ばれました。  この四月に発表された南サミットの宣言を読みますと、その中では、公平さと平等性に基づいた国際経済関係を確立すること、それから各国の国内及び各国間にある貧者と富者の間で増大する不均衡を逆転させる新しい人間的な世界秩序が必要だ、このことを国際社会に要請するということを宣言しております。  そこで、松本参考人にお尋ねいたしますが、今私が述べましたような世界の動き、各国の人々権利を守って、貧困や飢餓を軽減して、国民経済をも破壊するような金融投機を規制していく問題ですとか、地球環境についても共同で対処しようという動きがあるわけですけれども、こういうものを第三の開国という歴史認識のもとではどのように位置づけられていらっしゃるのか、この点をまずお尋ねしたいと思います。
  60. 松本健一

    松本参考人 グローバリズム時代、特にIT革命などというふうな現象が起こってきますと、そこでは、国家間の貧富の差あるいは国内の貧富の差あるいは貧困というものが非常に重大な問題になってくるというふうな形であります。これは、おっしゃるとおりでありまして、現在のIT革命によって盛んになる、そしてまたますます豊かになるというふうに言われているのは、インターネットを持っている、あるいはまたそういうIT革命に主導的に加わっていける先進国、あるいはまたそれを追いかけてある部分ではヨーロッパを抜き始めているアジアの国々、特に東南アジアの国々だろうと思います。そうすると、そのほかの国々は、むしろそういう世界的な繁栄とかそういうものから追い落とされるというふうな状況が出てくるだろうと思うのです。  これは、私は、先ほどの話の続きで言いますけれども、近代というものがここまで押し詰まってくると、そういう自由化とか民主化だけで、自由と民主というのが大体近代の一つの理念になってくると思いますけれども、それを推し進めるのがネーションステートだと思いますけれども、それを超えた新しい文明の理念というものが生み出されなければならないのではないか。そういう知恵を実は日本とかアジアの国々は持っているのではないか。  ヨーロッパ近代の理念が民主ということに一つ集約できるとするならば、アジアや日本が持っていた文明的な理念、社会的な、そこの中で培われていた理念というのは、共生というふうな形で言われるものがあったのではないか。そういうことを発掘しながら、そしてまた、それはアジアの国々でどういう偏差があるのか、違いがあるのかということも含めながら共通性を見出していくことによって、ヨーロッパ近代によって侵略されたアジアが復興をして、そして今繁栄を迎えようとしている、その根底には実は、アジア社会が、日本が持っていた共生というふうな理念があるのではないか。勝ったらひとり勝ちというのではなくて、一つの地域、それがもっと大きくなっていくと世界全体の人々が共生していけるような、そういう文明理念というものを考えることが必要になってくるのではないかというふうに思っております。
  61. 山口富男

    ○山口(富)委員 今、松本参考人から、新しい文明の理念を生み出す知恵が必要だというお話がありました。  私は、今のグローバリゼーションをめぐって各国で起こっている動きを見ますと、これは憲法とのかかわりでいいますと、ちょっと憲法の前文を読み上げさせていただきますが、例えば憲法が「全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」こう述べたり、また「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」こういう憲法の精神を裏打ちするもののように思うのです。  きょう、お話の中で、経済や技術、情報を初めとして、グローバル化が非常に広く起こっているというお話がありましたけれども、私は、そういう事柄に注目するのは当然のことだと思うのです。同時に、こうした動向を見て、憲法松本参考人のおっしゃる新しい歴史ステージに合わない、このようにみなすということは、やはり私はできないと思うのです。それは、今新しい文明の理念を生み出す知恵が必要だというお話がありましたけれども、やはり憲法で、今私読み上げましたけれども、そういう中にも二十一世紀に生きる理念があるというふうに考えるからなんです。  例えば、憲法の平和主義との関係でいいますと、今このアジアでは、朝鮮半島でも、緊張緩和と和解、統一問題の自主的解決ということで南北首脳が合意いたしました。それから、九〇年代の後半になってから、東南アジア非核地帯化条約、こういうものが調印発効されて、改めてアジアでは対話と、問題が起きた場合に平和的な解決を徹底して重視してこれに当たる、そういう動きがはっきりあらわれているところに注目する必要があると思うのですね。  ですから、二十一世紀というのは、参考人のお言葉をかりれば、軍事力によるテリトリーゲーム時代ではなくて、やはり道理に立った外交、平和的な話し合いが世界を動かしていく力になっていく、そういう時代だと思うのです。そういう認識を持つだけに、憲法九条の改悪や再検討でなくて、やはり平和外交の強化と九条の値打ちが生きる、そういう仕事を大いにやりたいと思うのです。  その点で、参考人がおっしゃいました、九条の三項に自衛軍を持つことをつけ加えよう、これは平和憲法の理念を崩したことにならない、こういうお話がありましたけれども、私は、残念ながら、平和憲法の理念を正面から崩してしまうことになると思うのです。  確かに、おっしゃるように、今憲法違反の自衛隊の存在という問題があって、これを松本参考人まやかしというお言葉を使われましたけれども、そのまやかしをどうやって解決するかというのは二十一世紀の大きな憲法上の課題だと思うのですね。私は、この点では、憲法の平和主義の完全実施の方向で自衛隊問題の段階的な解決を図るという立場をとっております。  さて、参考人のお話の中で、国民主権の明確化という問題が提起されました。それで、この問題、参考人もしばしば国民主権が憲法の一番の土台だということを強調されましたけれども、日本社会と政治の現状の中で、松本参考人国民主権に反するどのような現状があるとお考えなのか。きょうのお話では、政治に対するアパシーが蔓延しているというふうに危惧を表明されましたけれども、そういうことを表明される、なぜそういうことが生まれてしまっているのか。このあたりについて、参考人の御見解をお聞かせ願いたいと思います。
  62. 松本健一

    松本参考人 国民主権を明確にするという方向性で、しかし、ではなぜアパシーが生まれてきてしまっているのかという問題になりますけれども、これは、昨今、吉野川の河口堰の問題でも、それからまた巻原発の問題でも住民投票が行われました。これは、政治的には全く意味も持たないことでありましたけれども、国民の世論を聞くということ、あるいは、国民が何を考えて、何を望んでいるかということを政治に生かしていくようなシステムになっていないということですね。ただ単に人気投票的な形で行われて、やはりみんな嫌らしいよというふうに言っている。しかし、それでも政治を具体的に若干でも変える、公共事業をぶち込めばいいというふうな形にならなくなってきたということは、やはり一つの大きな転換だろうと思います。  そういう意味では、国民全体の中に国民投票制というものを位置づける、国民主権を国民投票制ということで具体化をしてみるということがやはり必要ではないかというふうに思っております。  その前の話で、自衛権の問題で、自分の国を守れない国はほかの国なんかも守れない、あるいはほかの産業なんかも守れないというふうに私は思っております。  対話と平和的解決というふうな形で行われている北朝鮮と韓国の間の国境線も真っすぐに引かれているんですね。あれは西洋がつくった国際法的な国境感覚ですね。国境に対する定義づけというものはほとんど真っすぐでありまして、アジアではそういう国境線が引かれているところは東ティモールと西ティモールの間、パプアニューギニアのところ、それから北朝鮮と韓国の間だけなんですね。  ヨーロッパ、アフリカで、特にアメリカなんかは、カナダとアメリカが真っすぐな国境線で区切られていますけれども、ああいうふうにここからここまでは全部我々の国、そこの先はおまえの国というふうな国境の分け方というものは近代国際法によって築き出されたわけですけれども、それは逆に言うとおかしいところがあるんじゃないの、ずっと千年も二千年も前からいて交流をしている人々の間に一本線を引いてやっていること自体が、人間の生き方の問題、これからの文明のあり方の問題としてはおかしいんじゃないかというふうな広い考え方をしていかなければならない。
  63. 山口富男

    ○山口(富)委員 人為的な国境線というのはやはり国づくりの点で大きな問題になりますし、私たちの憲法が定めているのは、各国の人々との連帯、共同、こういうものに信頼して国の平和と安全も確保していこうじゃないかという非常に積極的な平和主義の立場だと思うんです。  それで、話を戻しまして、住民投票の話も出ましたけれども、日本の場合は、国政の問題への国民の皆さんの判断や意思表示というのは当然土台に据えられるべきことだと思うんです。それが十分うまくいっていないというのは、憲法の規定が不明確というよりも、やはり国民主権の原則に反する政治や行政が横行しているところに問題があると思いまして、その点では、そういう現状を明確化すること、改革することが必要だというふうに私は考えるんです。  さて、最後に、これはもう時間がないので、本当は松本参考人にお話をお聞きしたかったんですけれども、二番目で時間をとられまして、私の意見を申し述べて終わるようにいたしますが、二十一世紀ナショナルアイデンティティーの問題なんですね。これは、平和の問題でも、国民主権の問題それから基本的人権の問題でも、やはり今の憲法の掲げる規定と方向、これが二十一世紀につながる確かなナショナルアイデンティティーだと思うんです。私は、この点では、私なりの言葉で言えば、憲法を暮らしと政治に生かそう、これが二十一世紀の私たちのアイデンティティーになるんじゃないかと思うんです。  もちろん、憲法というものは時代歴史の発展の中でいろいろ姿を変え、発展すると思います。天皇制の問題でも、実際問題、主権在民の原則と矛盾するわけですから、これは国民の総意に基づいて大きな視野で見るとやがて解決されていくだろう、そういう展望も持っていることを申し上げて、全く申しわけございません、時間になっておりますので、私の質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  64. 中山太郎

  65. 日森文尋

    日森委員 先生お疲れのところ申しわけございません。社民党の日森文尋と申します。  最初に、今山口委員からもお話が出ましたけれども、ナショナルアイデンティティーの問題についてお聞きをしたいと思うんです。  確かに、その国の文化、それを大切にしていくということは恐らく二十一世紀でも重要な課題になっているんだと思うんです。先生もそういうふうにおっしゃいました。しかし同時に、先生が強調されたように、歴史を正しく把握をするという立場も当然重要なことであって、先生もそうおっしゃっておられました。  そこで、ナショナルアイデンティティー、いわば一定の統一性をつくっていこうというときに、教育の問題が大変重要な問題になっていまして、そういう意味では大変今危険な兆候が私自身はある、これは先生と御意見一緒になるかどうかわかりませんが。教科書も大分変えられていて、我々からいうと歴史が改ざんされようとしているとまで言って過言ではないような教科書がつくられて、これがもしかすると検定を合格するかもしれないというような話になっているのですね。  簡単に触れますけれども、歴史を学ぶというのは過去の事実を知ることだと考えている人が恐らく多いだろう、しかし必ずしもそうではない、歴史を学ぶのは、過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことなのであるというような定義がございまして、そういうことで歴史を学んでいくと、民族によって、時代によって考え方や感じ方がそれぞれ全く異なっているので、これが事実だということを簡単に言えないようになっていくんだ、そこが歴史のおもしろさなのでしっかり勉強しようということを前提にして、例えば近現代史でいえば日韓併合問題とか太平洋戦争、これを肯定していくという話につながっていくわけなんです。  こういう教育がいわばずっと小中学生中心に行われてくると、先生おっしゃったのは、歴史の回帰ではないんだ、新しい形のナショナルアイデンティティーをつくっていくんだということなんですが、実際には、まさに歴史回帰そのもののアイデンティティー形成の何か力になってしまうんじゃないか、そんな気がしてならないのです。  そういう意味で、先生のおっしゃることと意味が同じかどうかわかりませんが、こんなことも含めて、感想と御意見あったらお聞きしたいと思うのです。
  66. 松本健一

    松本参考人 まさに感想という形になってしまうわけでありますけれども、新しい歴史教科書をつくる会が発足する場合の最初の八人のときにも、私は入ってくれというふうに言われました。私はそれを断ったんですね。ナショナルアイデンティティーにかかわる問題を歴史教科書で教えるということ自身が、ちょっと私は違和感がある。  新しい物語、つまり過去の事実を教えるということではなくて、歴史というものは、これからの時代に生きていく民族がどういう物語が必要か、どういう民族の物語が必要かというふうなことで必ず書きかえられていくんですね。同じ事実を使いながら書きかえられていくということだというふうに思っているので、それは自分で新しい歴史の物語を書いていきたいと思っているし、そのような機運の一端とすれば、新しい歴史教科書をつくる会を私は否定しませんというふうに言ったのです。  だから、そういう形での新しい歴史観を出してくる人もいるでしょう、新しい歴史教科書をつくる会のような人々も。しかし一方では、網野善彦さんの「「日本」とは何か」という本が非常に大きく若者たちに読まれている。それは、新しい歴史教科書をつくる会の本を超えているぐらいの量になっているわけですね。これは要するに、日本というこの国名の一貫性があるのかとか、いつごろから日本という国名が始まっているのか、もしかしたら八月十五日の時点で変えることもできたんだというふうなことで、ナショナルアイデンティティーに揺さぶりをかけております。  こういうふうな動きというもの自体は、私は非常におもしろいことだろうと思うし、それは、そういう突き動かし方を含めた形で国民がそれぞれ歴史を考え直す、そして書ける人は書いていく、私は書いていこうと思いますし、そういうものが力を得ていくというふうなことで自分の方向性を出していきたいと思っております。  まさに感想で終わります。
  67. 日森文尋

    日森委員 ちょっと関連してです。  そういうことなんですが、しかし、先生は先ほど、かつての侵略戦争という言葉をたしかお使いになって、満州事変までだと思いますが、その反省に立ってといいますか、つまり日本国憲法平和憲法を享受した、押しつけであったとしてもそれを受けざるを得ない反省の気持ちがあって平和憲法を受け入れたというお話だったと思うのです。  私もまさにそういう意味もあると思うのですが、先ほど山口さんもおっしゃったのですが、平和憲法、まさに平和主義というのがその根幹をなしている憲法であって、これは先ほど先生のお話だと、一国平和主義だけれども日本国民にとっては確かによかった面があった、ちょっと言葉は正確じゃありませんが、そういう意味のことをおっしゃいました。まさにそのとおりだと思うのです。富国強兵でやってきた昭和十年代、敗戦まで、強兵はできたけれども富国の方はちっともできなくて、むしろ戦後、富国の方を努力してきた。それは、まさに平和主義を理念にした憲法があったからという側面は当然否めないと思うんです。  そういう意味では、日本国民の中に定着している平和主義、そのことを精神的なアイデンティティーとしてきちんと確立をしていくことが、むしろ二十一世紀に大変重要じゃないか、私はこんなふうに思っているんですけれども、これも感想、御意見で結構なんですが、お聞かせいただきたいと思います。
  68. 松本健一

    松本参考人 日本国民の中に定着している平和主義というふうにおっしゃいましたけれども、私は、日本国民の中にある平和概念というか平和のとらえ方というのは、若干日本的過ぎるのではないか。つまり、豊臣秀吉の刀狩り以来、刀がなくなったら平和であるという考え方なんですね。これは言ってみれば、日本人の平和観というのは、やつは敵だ、敵を殺せ、敵がいなくなれば平和になるというふうな考え方に立つか、あるいは、もう私たちは敵ではありませんよといって武装解除をして、全部武器を手放してしまったらもう平和なんだ、あとは何にもやらなくても世界平和に貢献しているんだというのは、一種日本人の固定観念であろうと思います。  西洋的な平和の概念というものは、やつは敵だ、だから警戒しつつ手を握れ、手を握ったところに平和が訪れるという考え方ですね。これがやはり現実的な世界の中での平和であって、それはいつ壊れるかもわからないけれども、常に平和というものを建築し続ける、あるいは保持するための努力をするというふうなことが必要になってくるわけですけれども、日本国民の中には、日本は表面的には武器もないですよ、刀狩りと同じでなくなっていますよ、もうアメリカの敵でもなくなりましたよ、だから平和ですよというふうに言っている、そういう平和主義ではないかというふうな気がします。そこのところはやはり改めていく必要があるのではないかというふうに思っております。
  69. 日森文尋

    日森委員 まさに先生のおっしゃるような側面が特に若い人たちの中にはあるかもしれませんけれども、しかし、この国の憲法をしっかり守ろう、守ってきた、そういう部分にとっては、そうではなくて、むしろこの平和主義をもっと積極的に世界に広げていくことが大事なんで、ただ武器を捨ててバンザイしたから平和だというふうに決して思っていないんだというふうに私は思っています。  ちょっと時間がありませんので、最後の質問になってしまうと思いますが、第九条の問題なんです。  自分の国は自分で守る、不審船もある、テポドンが飛んでくるかもしれないというお話もされました。そういう中で、第九条、自衛隊をちゃんと自衛軍として明確にしようというお話があったんですが、それから集団的自衛権の行使ということについてもお触れになりました。  しかし、一つは、軍隊では守れない課題がたくさんある。例えば環境問題、それから食料品の安全問題とか抗生物質の問題とかいろいろな問題があると思うんですが、そういう問題については、この国の科学技術あるいは経済力をしっかりさせて、この国の国民をそういう脅威から守るというふうにしていくことは当然だと思うんです。  先生はその辺にはお触れにならないで、軍事力だけの問題をお触れになったんですが、しかし、実際に言うと、この国で自衛軍として明確化したり、あるいは集団的自衛権の行使を明確化していく、あるいはアメリカとは手を切って、国連安保理の決議があれば単独でも何か軍事行動ができるようにしていくということになると、結局、そのことはアジアにとって物すごい不信感、脅威を与えるという結果になって、実はこの国の国益を守ることにはならないんじゃないか、むしろ逆の効果になるんじゃないか、そんな気がするんですよ。  その意味では、経済的な側面あるいは貿易、いろいろ経済交流するわけですけれども、アジアから孤立することが本当にこの国の国民を守ることになるのかというふうに考えると、今そういう判断をすべきではないというふうに私は思うんですが、もう一度先生の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  70. 松本健一

    松本参考人 今、日本はアジアのためになっていないというふうなことをおっしゃいました。軍隊で守れないようなそういうさまざまな問題が起こり始めている、通貨にしても、環境にしても、人権にしても、そういうものがあるというふうに言いましたけれども、一九九七年の香港返還に引き続いたアジアの経済危機、通貨危機のときには、日本だけがアジアの経済を、通貨を守ってくれるようにしてくれたというふうなことを実際に言っております。  それにもかかわらず、アジアの例えば環境問題は、世界全体の環境問題を考えることも必要でありますけれども、特に、隣り合って同じ海、同じ空気、環境を使っているアジアの国々自身でアジアの環境を守る、そういうシステムはまだまだ考えられていない。  共通の問題があるんだ、それは、例えば森林火災が起きて、それがアジアの国々の問題になっているんだというふうなことも解決するようなシステム、それからそういうふうな機関というものはない。それをつくっていくということがまさに言われているわけで、自分の国を自分で守るというのはただ単に軍隊のことだけではないんだというふうなことを言いましたけれども、それがまさに自分の国を守りつつアジアの領域で我々ができること。  西洋はそれなりに西洋自体ではやってきたところがあります。アジアはまさに、一九九七年からというよりも、二十一世紀に初めて世界史の舞台に登場しているわけでありまして、そこのところで一緒に物を考えていく、そういうふうなシステムをつくっていく、それがやはり必要なことだろうというふうに私も思っています。
  71. 日森文尋

    日森委員 私もそう思いますね。  それで、例えば、同じような戦災というか大変な打撃を受けたドイツでは、今EUですが、ヨーロッパを通して世界にしっかり結びついていこうという戦略みたいなものがはっきりしているし、我が国は、同じような状況から出発したけれども、残念ながら、太平洋の向こうに目が向いていて、アジアを通してしっかり世界と結びついていこうという、先生の言葉からいうと気概が非常に弱いんじゃないかという気がしているんです。気概がないから、例えば北東アジアの安全をどう担保していくか、そのために朝鮮半島の緊張緩和の問題についてもどうイニシアチブを発揮するか、そういう力が非常に弱くて、先生に失礼になるかもしれませんが、ともかく憲法改定、軍事力をきちんと持たなきゃいけないということが先行しているという感じがしてならないんです。  時間がないんですが、もう一言だけ、感想があったらお聞かせいただきたいと思います。
  72. 松本健一

    松本参考人 基本は国家デザインを明確につくること。そのことによって、違う国家デザインを持っている国々との間にネットワークをつくれるような、そして共通に問題を考えられるようなシステムを、西洋がやったように考え出していくということが、アジアネットワークあるいはアジア的な視野で物を考えるということがこれからまさに必要になってくるだろうというふうに思っております。
  73. 日森文尋

    日森委員 ありがとうございました。
  74. 中山太郎

  75. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 21世紀クラブの宇田川芳雄でございます。  松本先生には、早朝から大変お疲れだと思いますが、二、三質問をさせていただきますので、よろしくお願いを申し上げたいと思います。  時間が限られておりますので、私は、首相公選制の問題と、それから国民投票制の問題、二点について御意見をお聞きしたいと思うんです。  個人的に、私は首相公選論者でございます。しかし、首相公選ということになりますと、制度上の問題、取り扱いの問題、いろいろな問題が出てくることはよくわかるわけでして、まず最初に、松本先生が学者という立場で首相公選制のプラスとマイナス面、どんな点があるか、ひとつお聞かせいただきたいと思います。
  76. 松本健一

    松本参考人 首相公選制のプラス面は、国民の意思を直接政治に反映することができるシステムだと思っております。マイナス面は、そこでは衆愚政治、人気投票に陥りやすい。そして、その過程の問題で、例えば現在のアメリカの大統領選のような混乱が起きてくるというふうなことがありますけれども、しかし、そのマイナスの問題というのはすべて民主主義制度のコストだというふうに私は考えております。
  77. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 私は、個人的なことを申し上げて恐縮ですが、長いこと東京都議会議員を務めておりまして、地方議会の中で仕事をしてきたんです。私の在任中には、都知事は美濃部都知事、そして鈴木都知事、青島都知事、そして今の石原都知事、こうなってきたわけなんですが、それぞれに知事というのは御自身のカラーを打ち出しまして、当然ですけれども、御自身の政策というものを都民に訴えてくるわけなんですね。そういったことを私どもは、場合によっては対決することもあるし、場合によっては協力して推進するという立場にあるわけですけれども、そういう仕事をしてきた中で、自治体の長というのはすごい権限を持っているなということを実感として味わってきたわけです。  とりわけ今印象に残っておりますのは、青島さんが知事に当選してきました。青島さんは、政策はともかくとして私は公約を守るんだと言って、鈴木知事が七、八年かけて、えらい財政を投下して、やがてあと十カ月後には開幕をしようとしていた世界都市博覧会を中止するということを冒頭打ち出してきたわけです。私ども、この世界都市博覧会を長いこと、自分の身を削るようにしてつくり上げてきたイベントですから、これを中止するなんというのはとんでもないことだということで猛反発をいたしまして、議会としては、本会議で九〇%の議員の賛成でこれを推進するという決議をしたにもかかわらず、その半月後には中止を決定したわけでありまして、これはまさに大統領の力だなということを痛感させられたわけなんです。  この大きな力を持っている自治体と国の政府の行政と比べた場合、今地方分権であるとかあるいは地方自治だとか言われておりますけれども、こういう権限上の問題からいったら、都道府県あるいは区市町村長の行政の長としての力は内閣総理大臣よりも強いんじゃないか。もちろん、行政上の中で、国の中央集権の権力の中で地方自治体は動いているんですから、それだけの権限は持てませんけれども、しかし、地域だけの、エリアだけの権限から考えると地方行政の長の方がすごい権力がある。国の方にこれを振り返って考えてみた場合、内閣総理大臣にそれだけの権限を持たせてみたらどうなんだろうか、そういうことを私は前から考えていたわけなんです。  そういう点から考えて、私は、この首相公選というものはぜひ新しい憲法の中では推進していきたい、そう考えているんですが、先生の個人的なお考えとしてはいかがでございましょうか。
  78. 松本健一

    松本参考人 私もほとんど同じ形で考えております。そういう時代になってくるんではないかというふうにも思います。ですから、違和感というものは、今のお考えの中では私は感じられませんでした。
  79. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 ありがとうございます。  問題は、その場合の議員、いわゆる議会との関係ですが、アメリカの大統領はああいう形で議員は入れないで大統領権限というものを出していますが、しかし、大統領を選ぶ過程の中では、民主党と共和党という二大政党のバックの中で、まあ今もめていますけれども、選ばれてくる。したがって、政治的な形の中では民主党と共和党のそれぞれの、与野党の綱引きの中で行政が行われる、こういうことになるわけです。  先ほどお話があった、議員を入れる、いわゆる議院内閣制というものをとったらいいんじゃないかという先生のお話もさっきお聞きしたんですけれども、議院内閣制をとった場合の首相の権限というものは、今のアメリカの二大政党の中で選び出された大統領とはやはり違った意味で制約が出てくるんじゃないかという心配があるんですが、その点はいかがでしょうか。
  80. 松本健一

    松本参考人 恐らくそれは制約が出てくるだろうと思いますけれども、議院内閣制度の上に立った首相の場合にも、これからは、外交とか軍事とか教育とか、そういうものは地方自治体には基本的に権限がないと言ったらおかしいんですけれども、携わらない、むしろ国がそれに携わるというふうな形での分け方がはっきりしてくるだろうという気がしております。それを考えれば、そんなに難しいことではないんじゃないかというふうに思います。
  81. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 ずばり先生のお考えをお聞きしたいんですが、議院内閣制にした場合、内閣組織は、総理大臣以外はすべて議員にした方がいいか、それとも、現状の制度では半数以上は議員にするということが決められているわけですけれども、その程度に議員の内閣への権限を持たせて、あとは総理大臣が指名する民間人で総理の考えを出していく、こういうことがあると思うんですが、その比率、どういうふうにお考えでしょうか。
  82. 松本健一

    松本参考人 比率ということになると私も余りよくわかりませんけれども、しかし、内閣の人選というもの、組織というものを首相がイニシアチブを握って、民間人を多用したりすることは一向に構わないだろうというふうに思っています。それは首相権限でやって構わない。特に、日本の人材というものは、隠れていますけれども、かなりいますので、政治が得意でなくとも、文化の領域に得意な人が政治の中での文化行政に携わっていくというふうなことも考えていったらいいと思いますし、それは、首相の権限が強化されるという形で、より固有性を持った内閣というものがそのたびごとにできるだろうというふうに思っております。
  83. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 国民投票制についてお聞きしたいと思うんですけれども、憲法を制定するときは当然国民投票が義務づけられているわけですけれども、私は、国民投票とは裏腹に、議会制民主主義というものを考えないわけにはいかないわけです。地方では住民投票なんかが大変強く叫ばれていまして、一般住民側からは住民投票制を制度化しろという要望も随分出てきているわけなんですけれども、この国民投票制というものが制度化した場合、基本的な議会制民主主義が何か形としてなくなってしまうんじゃないかという感じがするわけです。  今、憲法を新しく変えようということで協議しているときに現行憲法の話を持ち出すのもおかしいんですが、現行憲法の前文の一番最初に主権在民、そして議会制民主主義というものをぱんと打ち出しているわけですね。これから日本憲法日本の国の法律は決まるんだよということを書いてあるわけですから、こういう形の中で考えた場合に、この国民投票制というもの、制ということで法律の中に制度化するのはいかがなものだろうかという疑問があるわけですが、この点については、先生のお考えはいかがでございましょうか。
  84. 松本健一

    松本参考人 ナショナルアイデンティティーの再構築の根幹にかかわるものは、要するに、議会制民主主義の中では、例えばこれは私たちはこう思うけれども、しかし、国民にも自覚と責任を持ってもらうために、国民投票にかけておいた方がいいというふうな問題については国民の方に問題を投げ返すということがこれから必要になってくるだろうし、それをやったからといって、議会制民主主義が崩壊するとかあるいは意味が低下するということにはならないだろうというふうには考えております。
  85. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 そういうことなんですけれども、折に触れて、ある一つの問題について、そういう点を協議して、制度という形でなく、そういう事業を実施するということでしたら私はうなずけるんですけれども、憲法の中に国民投票制というものをはっきりと打ち出しまして、こういったもので国民の意思を聞くんですよ、こういう問題はこうするんですよということになると、議会制民主主義と同時に、衆議院を解散したり参議院の選挙をやったりということで国民の意思を集約することと何か重複してくる、私はそういう感じもするわけですね。  ですから、そこら辺が、これは考え方、言い方があるんでしょうけれども、制度として出すのはいかがなものだろうかなという感じを、くどいようですが持っているわけなんですが、いかがでしょうか。
  86. 松本健一

    松本参考人 憲法の中に、あるいは何かの形で国民投票制を行うんだということを明確に言っておかないと、これは、例えば一国の首相が、この問題に関して急に国民の信を問うてみたいからというので国民投票をすることはできない。では、突然に議会を全部解散して私の意見を聞いてくれというふうに言っても、なかなかその問題だけでは投票が行われない。地域の権力闘争とか政党間の争いとかという問題で考えられちゃうことが多いわけで、この問題に限って国民に問い返すんだ、はね返すんだ、そこで考えを聞いて、自覚を得て、責任感を持ってもらいたいというふうなことをするのには、やはり国民投票制を何らかの形でうたい込んでおくということが必要なのではないかというふうに思っております。
  87. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 ありがとうございました。以上で終わります。
  88. 中山太郎

  89. 小池百合子

    ○小池委員 小池でございます。  本日は、長い時間御協力いただきまして、まことにありがとうございます。また、示唆に富んだ御意見、本当にありがたく感じているところでございます。  本日、幾つかの点についてお話がございました。まず、アイデンティティーという言葉についてもお伺いをしたいと思います。  この言葉は、先生の御著書の中でも常に片仮名で表現もされております。それから、このアイデンティティーという言葉、あいまいという表現が先ほどどなたかの委員からもございましたけれども、要は、どうも日本語の概念にばちっと決まる言葉がないんじゃないか。  それに類するものとして、最近よく使われておりますアカウンタビリティーとか、それから時折違って使われるパフォーマンスなんという言葉もあるわけでございますが、この辺のところはちょっと外来的な認識、タームであるというふうに感じるわけでございます。かといって、日本語にそういった概念が全くないのかといったらそれは違う。  ということで、アイデンティティーという言葉の方から入っていくわけでございますけれども、この正しいというか正確というか、最もその本質的な意味をあらわすにはどのようにして表現なさるのがいいとお考えになるのか、まずお伺いしたいと存じます。
  90. 松本健一

    松本参考人 アイデンティティーという言葉は確かにこなれの悪い言葉でありまして、戦前にも、西田幾多郎という日本哲学、東洋哲学を代表する哲学者が自己同一という言葉を使いました。これは何が何だかわからないんですね。優しく言うと、自分自分であることということを自己同一性という言葉で言いました。  私たちが考えるのには、国民的な一体感というものがどこにあるか。つまり、一体感ということでありますけれども、ナショナルアイデンティティーという言葉で言った場合には、国民的な一体感をどこに求めていくかというふうなことであります。  今日におけるそのアイデンティティーという言葉の新しさというものは、まだ使い始めのようなところがあります。しかし、デモクラシーという言葉も三十年ぐらいかかって実は民主制、民主主義という言葉に訳されていったわけで、最初は、デモクラシーというのは下克上というふうに訳したぐらいですから、それがデモクラシーの意味だというのが幕末人々の共通認識であったわけです。しかし、それを何とか日本言葉にかえていく、そして民主制というふうにしていったわけですから、この問題提起と同時に、これが今日における必要な非常に大きなテーマなんだということが認識されていくと、やはりそれの訳語というのもおのずから落ちついてくるものが出るのではないかというふうなことを考えております。
  91. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  日本語、そしてほぼ同一民族、そして島国といったようなさまざまな環境から、アイデンティティーについて問う必然性もなかったということがあろうかと思います。  私ごとでございますが、先生も大川周明についてお書きになっておられるように、私は到底及びませんが、アラブそしてイスラムに対して、これまで私なりの研究なども続けてまいった一人でございます。その中で、アラブの国連、アラブ連盟に加盟する条件といたしまして、まさにナショナルアイデンティティーを求めているわけでございます。二つの条件がございまして、一つはみずからがアラブ人であるという認識をしている人たちの集まりであって、そしてさらにはアラビア語を公用語とする、この二つがアラブ連盟に加盟する条件となっているわけで、ある意味で、このナショナルアイデンティティー、今先生にお伺いしたところの幾つかの点をカバーしているのかなというふうに思うわけでございます。  また、先ほど先生の方からお話がございました西田幾多郎哲学でございますけれども、あの李登輝さんも門下生といいますか、そういったところから、アイデンティティー、そしてナショナルアイデンティティー、これによって新台湾人というまさにナショナルアイデンティティーを構築された哲学者の一人ではないかなというふうに考えているわけでございます。  いずれにいたしましても、これまで余り考える必要もなかったこのナショナルアイデンティティーをまさにこの日本国憲法があらわすものでなければならないというふうに私は思っておりますし、また先ほども九条の件で極めて具体的なお話もございました。幾つかの点で賛同するところもございますし、またその方法論についてはこれからさまざまな意見も出てくるかと存じます。  そういった中で、先ほどもお話がございました自分の国は自分で守るという、ある意味では当然のお話であったかと思いますが、その中で、自分の国を守る気概がないという御指摘がございました。そしてまた、いろいろなアンケート、世論調査の中で、自分の国がもし攻められたらどうするか、特に若い世代の中には、そのときは逃げる、そういった答えが七割、八割を占める。これは多分、ずっと戦後そういうふうなアンケートで、若い世代といっても、その世論調査をしたときの若い世代だというふうに認識をいたしております。先生は、これはなぜこうなったというふうにお考えになりますでしょうか。
  92. 松本健一

    松本参考人 自分の国を守るという気概がなくなったということは、根本は自分の国を愛せていないという状況だと思うんですね。自分の国というのは、国家というイメージが非常に強かったものですから、国家がやった罪悪、侵略戦争をやったとかアジアを泥沼に軍靴で踏みにじったというふうな形でとらえたりすることが多かったわけでありますけれども、最後のところで、私は、国家という形でなくて、例えばドデーが「月曜物語」で言いましたけれども、学校の先生が、戦争自分は立っていく、小学校の生徒たちにお別れを言っていく、そのときに、もしかしたら私も戦争で死ぬかもしれない、そしてまたこの国は占領されるかもしれない、しかし、そのときに、私が教えた美しい言葉をあなたたちが話していってくれる限りにおいては、我が民族は必ず滅びない、私たちは滅びないというふうに言い残して戦場に去っていく先生の姿が出てきます。  そういう意味では、国語とかあるいは言葉とか、そういうものの美しさ自体が評価されていなかったりするという問題が非常に大きな問題として残っているだろうと思いますし、そういうものを築き上げてきた日本歴史というものも教えられてこなかった。歴史の中には多々の過ちもあるけれども、そのようにして今の日本の国は成り立っている、だから、その過ちは過ちのまま愛そうよというのではなくて、過ちは改める気概を持ちつつ、そして新しい国づくりをしていくんだという形でないと、やはり国は愛せないだろうというふうに思います。
  93. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  次に、きょうは首相公選制のお話が多数ございました。具体的にお伺いをしたいと思うのですが、首相公選制という形になりますと、懸念されるのがいわゆる衆愚政治ということ、ポピュリズムでございます。ある種のカタルシスの発散と申しますか、一時期の熱狂的な感情が思わぬリーダーを選ぶということは往々にしてあるわけでございます。  では、そういったところをどうやって防いでいったらいいのかということで、中曽根元総理なども長年お訴えなさっている点でございますけれども、例えば国会議員の三十名の推薦を要すというような一つの歯どめというか、その前にふるいにかけるというような考え方もあるわけでございます。この点についてどうお考えになるのか。  それから、海外に参りますと、国家元首というのは二十一発の礼砲で迎えられるわけでございますけれども、では、首相公選制で、首相公選ですから、元首はそのまま天皇、今海外では現実にそういう扱いになっているわけでございますけれども、そのあたりについて、だれが元首でだれが実際のリーダーなのか、その辺の仕分けについても伺いたい。  この二点、よろしくお願いいたします。
  94. 松本健一

    松本参考人 首相公選制が衆愚政治になるというふうなことを懸念していますけれども、最終的には国民を信じるかどうかという問題だと思います。  私は、一時的には過ちを犯すかもしれないけれども、日本国民は教育水準の高さとか物を考える力とかというのは他国民に劣っていないというふうに思いますので、そういう人々に責任感を持って自分たちの選択をしてくれというふうに言えば、必ずいい方の選択ができるのではないかというふうに思っております。ですから、国民を信じれば大丈夫なんだというふうに、まずそれが前提だと思います。  もちろんその場合でも、首相公選制に出る場合には政党の代表として出る、あるいは政党の代表を一人選ばれて、自分はそれに反対だからというふうな形は台湾の総統選でもありましたけれども、その場合には議会の議員の三十人とかという推薦人があればそれで首相公選に出られるというふうな制度的な縛りをやっていけば少しも問題ないのではないかというふうに思っています。そしてまた、そのように選ばれた首相というものは、国民投票によって選ばれてくるわけでありますから、これは一種日本国家の代表であると言って、これはまさにヘッドという扱い、元首という扱いにしてしかるべきだろうというふうに思います。それが政治的な権力を収らんするという形になると思います。  ですから、天皇が現在元首的な扱いになっておるというふうに思われるのは、要するに西洋的な政治の概念であって、我が日本民族の中においては、天皇一種文化である。非常にローカルな、日本に固有の民族文化であるというふうなことを考えれば、日本国家を代表するヘッドというふうな位置づけをしなくても一向に差し支えないんではないかというふうに思っております。
  95. 小池百合子

    ○小池委員 時間が参りましたので、これで終わります。ありがとうございました。
  96. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  松本参考人におかれましては、貴重な御意見をちょうだいし、まことにありがとうございました。調査会を代表して心からお礼を申し上げます。(拍手)  午後二時から調査会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時三十一分休憩      ————◇—————     午後二時四分開議
  97. 中山太郎

    中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を続行します。  午後の参考人として上智大学教授渡部昇一君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用の中を御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に参考人から御意見を承り、一時間以内でお述べをいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっておりますので、御了承願います。また、参考人委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと思います。  御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、渡部参考人、お願いいたします。
  98. 渡部昇一

    ○渡部参考人 ただいま御紹介にあずかりました渡部でございます。  きょうは、こういうところで意見を述べさせていただくのは、大変光栄に存じております。  まず、日本憲法に関係しまして、明治憲法を考えますと、これも言うまでもなく、有色人種では自力でつくった最初の憲法でございました。その憲法のもとで、日本は今世紀の初めに日露戦争でも勝ちました。ですから、旧憲法は、日本を急速に近代化させるのに絶大な力があったと言うべきであります。  ただ、この憲法は、日露戦争が終わった以後も決して日本を軍国主義に進めたものではありません。日露戦争以後の日本は、決して軍国主義に進まず、逆に民主主義の方に向かっていたのであります。ですから、軍縮もやりましたし、つくりかけておった戦艦を沈めたり、四個師団も省くというのも全部旧憲法のもとで着々と進んでおり、大正十四年には普通選挙法まで自然にいっておったのであります。  そして、大正の初めごろには、第三次桂内閣のごときは、実に演説だけでつぶれておるのであります。日露戦争に勝ちましたときの総理大臣ですらも、その成立の手続がまずいとなると演説会だけでつぶされるというところまで、明治憲法のもとでは言論による民主主義が進んでおったと考えるべきであります。  そして、大正十四年には普選法が通過しましたが、これはもちろん、税金を納めなくても成人男子はすべて選挙権を有するという、当時としては一番進んだ方の規定でありました。もちろん、第一次大戦後は女性にも選挙権を与える国が出ましたが、これは大体徴兵制のない国がしたことでありまして、徴兵制のある国は、男子に非常に重い徴兵の義務を負わせておったために、選挙の権利は男子だけであったとしてもやむを得ませんでした。これは、スイスを見てもわかりますように、スイスもつい十年前ぐらいまでは女子には選挙権がありませんでした、あそこは男子が徴兵制でありましたから。  ですから、日本大正末期までは、日本明治憲法のもとで着々と民主主義を進めてきたと言っても過言ではないのであります。  ところが、それがおかしくなったのはなぜかということであります。  これは、いろいろな理由があると思いますが、一つは、何といってもロシア革命の成功であります。ロマノフ王朝が別の王朝になったのならどうということもなかったのでありますが、それは暴力主義による共産主義革命でございました。しかも、当時のコミンテルンは、日本の共産党に対して、当時は非常に小さいものでありましたが、皇室の廃止を指令したということを当局はつかんだわけであります。そうしますと、危機感は非常に大きくなったわけであります。  まず、陸軍は、日露戦争以来、あの広大な満州に一個師団しか置いていませんでした。これは、まことに治安維持だけの軍隊でありました。それでも非常に治安がよくなりましたので、百万をもって数えるチャイニーズが流入したことは御存じのとおりであります。ところが、スターリンのもとで五カ年計画に次ぐ五カ年計画を立てましたソ連は、極東周辺に強大なる近代軍を集中し始めましたので、陸軍がまず第一に危機感を持ちました。  それから、共産主義は、中国の民族主義をあおり立てて、それを全部反日運動に向けてきました。これも危機感をあおった一つであります。さらに、日本の国内におきましては、皇室を廃止しようというような強大なる隣国が生じたことに対して極めて大きな危機感が生じて、右翼というものが発生いたしました。  大川周明は私の中学の先輩でありますし、北一輝はすぐ隣の県の方でございますが、右翼というのは、日本の国体、天皇というものを極めて大切に思った人たちではありましたけれども、彼らがつくりました実質上のプログラムは完全なる共産主義あるいは過激なる社会主義のものでありました。それは、大川周明のつくった綱領あるいは北一輝の一連の書いたものを見ますれば、これは左派の社会主義から共産党の間ぐらいの綱領であったことがわかります。それで、その影響を受けまして、軍部でも青年将校たちが左翼になりました。簡単に言いますと、右翼なんですけれども左翼という奇妙な状況であります。  右翼というのは、天皇ということと日本の国体ということにおいては非常に忠君愛国、民族主義的なのでありますが、彼らが掲げる政策はことごとく共産主義に近いものでありました。  簡単に言えば、天皇のもとに直接民衆を結びつける、そして華族も要らなければ地主も要らない、資本家も要らないというような主義でありますから、天皇をスターリンと置きかえれば、同じようなことを主張しておったのであります。そして、これが官僚の世界でも新官僚を生み、全体の雰囲気として左翼がかったのですね。右翼といいながら左翼がかりました。そして、テロまで頻発したわけであります。  そのようなところに、非常に不幸なことには、当時の言葉で言えば支那事変、後に日華事変、戦後は日中戦争と言っているものが始められました。始めたのは日本でないことは東京裁判でも明らかでありますが、終わらせる努力が足りなかったのは明らかに日本側の責任であります。その終わらせなかった理由は、今では大変明らかだと思うのですが、それは、戦争をしていますといかなる法律でも通るということを当時の右翼と言われる左翼の軍人、官僚たちが発見したからであります。  昭和十二年七月七日に支那事変が勃発いたしましたけれども、昭和十三年以降の国会で通りました法律を眺めてみますならば、皆、腰を抜かすほどの社会主義立法がずらずらと出てきております。例えば地代家賃統制令から始まりまして、最終的にはあらゆる物資、ほとんどすべての物資、食料まで全部配給制になりました。これが社会主義でなくて何が社会主義かということであります。  その初期の段階において、初め大陸で戦いましたときは、武器その他非常に足りなかったのでありますが、社会主義政策をとりますと、明治以来蓄積しました国民の富を非常によく搾り取れるということが発見されました。ですから、昭和十二年の段階で日本アメリカ戦争できるなんということをまともに考えた人はいなかったと思うのですが、戦争をやっているうちに、どんどん法律を変えたものですから、どんどん国力も出るような方策が浮かびまして、後になればゼロ戦数万機をつくるなんということは、昭和十二年ごろはだれも考え得なかったことであります。  そして、頭の中は社会主義になったものですから、社会主義国でも反感を持つのは、皇室に対する反感を示しておるソ連に対してだけであって、むしろ、社会主義国家になりましたヒトラーのナチス、これはナツィオナル・ゾチアリスムスでありますから国家社会主義であります。それから、ムソリーニのファシズムも、ムソリーニも極左でありまして、共産党と殴り合って結局政権をとった。要するに、左翼であります。こういう社会主義政党に親近感を持ったことが大きく心理的に働きまして、それをまたあおり立てるマスコミが非常にありまして、三国同盟という悲劇に至ったわけであります。  三国同盟は、国家主義的な、国家社会主義的な国三つの集まりで、日本は当時国家社会主義を目指しておりまして、自由主義とか自由経済というものを極めて嫌っておったことは、私が子供のころに読んだ雑誌なんかでも非常によく覚えております。もう自由というものは敵でありました。そして、三国同盟がまた戦争につながることは、これはだれも認めることであります。  ですから、まず第一の戦前の反省点は、日本はソ連の革命に引きずられたために、日本国内で右翼と称する左翼団体が生じ、これが民間及び青年将校の思想になり、それがテロを生み、そして明治憲法欠陥というか足りないところに乗じて、それまでは民主主義の歩みをやってきました明治憲法下の日本を一挙に戦争の方に持っていったということであります。  ですから、戦前の第一の反省すべきことは、日本は国体という名の社会主義に引かれ過ぎてしまった、そして、一番の貿易相手である自由主義国と手を切る方と同盟を結んでいったということにあると思うのであります。これが私が最も痛切に遺憾とするところであります。明治憲法のもとでは本当に、ソ連が成立するまでは、日本は着々と民主主義に移っていった。これが消えたことは、私は非常に残念です。  私のうちにはたまたま創刊号から「キング」がありまして、戦争中なんか余り本がないものですから繰り返し繰り返し読みましたから、大正の末期からのことは何かよく覚えておるような感じが自分ではしております。  その辺で出てくる小説、一例を挙げれば、佐々木邦の小説などというものは、上流階級のことを書いたものでもなければ特に下層階級を書いたものでもない、普通の学校の先生だとかお医者さんだとか商店とか、そういうものを書いたものですが、その雰囲気は、大体私が本当だろうと感じている当時の雰囲気でありました。それが、戦争で敗戦まで行くような悲劇の方に行ってしまった。これが第一点です。  戦後は、もちろん占領政策としましては、当時、一時モルゲンソー・プランとしてドイツになそうとしたるがごとく、日本には農業と軽工業しか許さないような政策を占領軍は持っていたようであります。  ところが、御存じのように、朝鮮戦争が始まりますと、朝鮮で戦争をする羽目になりましたアメリカ軍は一挙に反省しまして、自分たちがやっていることは、明治以後の日清、日露で日本が戦ったのと同じ形になっておる。北からの強大なる勢力が朝鮮半島におりてくれば、これは日本にいる軍隊としては黙って見ているわけにいかないということを実感したわけであります。  北朝鮮がスターリン及び毛沢東の指示を受けてだだっと入ったときに見殺しにできなかった。それで激烈な戦争が始まって、日本が昔やったのと同じことをやっているわいと反省しまして、日本に対する見方を百八十度変えて、ばたばたと平和条約まで成立させるもとになったわけであります。そして、日本に対しても重工業が許される状況になりました。  そして、重工業が許されてみますと、日本人の潜在能力というものは世界を驚かしむるに十分なものでありました。それは、明治維新後から戦争に至るまでの日本の発展が世界じゅうのあらゆる予想を裏切る速さであったことと同じことであります。ちょんまげをつけておった日本が四十年後にはナポレオンに勝ったロシアに勝つなどとはだれも思わなかった。それだけ速い変革を日本は遂げた。  戦後も、一時は全部国じゅうが焼き払われ、国外の資産はすべて失われ、国際的には犯罪国家の烙印を押された日本が、再び自由を許されて国際社会に入ることを許されるや否や、たちまちにして強大なる経済大国になったわけでございます。  そして、たび重なるオイルショックも越えました。それで、余り輸出が強いと言われましたので、自由化なんか押しつけられました。自由化を押しつけられた当時は、月の後ろに人をやるような国と自由競争をやっては勝てないんじゃないかという不安もありましたけれども、むしろ自由にさせれば日本人の能力というのは想像を絶するものがありまして、たちまち一人当たりのGNPでもアメリカを越すまでになりました。そして、気がついてみたら、先進国の代表でありましたフランス、東西ドイツ、イギリスを合わせたぐらいのGNPをこの小さな島でつくるほどになっていたわけであります。  ところが、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が瓦解した後、何か変なぐあいに日本の方がぼろぼろになって今はいるわけです。それは何がぼろぼろになったかというと、要するに金融でありました。なぜ金融がぼろぼろになったかといいますと、これは強大な官僚の保護のもとにあったからであります。  大蔵省は、日本の銀行はつぶさないと言っておりました。大蔵省の言うことを聞けばつぶさないんだと。つぶさないという発想自体が、これは社会主義の発想そのものなんですね。そうしますと、競争というものが当然ありません。ですから、東京三菱のような大企業でもおかしげな第二地銀でも同じ金利でやれとか、何かそういうことをやるわけですね。  これは、例えで言えば、教室で一番できる子も一番できない子も同じ点数をやるというのと、あのこっけいさと同じことを金融でもやったわけです。これは自由主義ではありません。完全なる共産主義です。あるいは社会主義です。これは日本人が、僕が言っているだけでなく、当時外国でも皆そういう批判があったわけです。  ところが、ソ連が崩壊した後は世界のマーケットが確実に一つになりまして、日本だけが、冷戦のときに西側についているので、目こぼしを受けるというような状況でもなくなりました。そうしますと、一挙に瓦解したという感じになりました。  これは、金融、特に金融当局が私有財産に対する尊敬心を持っておらなかったということによるものだと思うのです。それは、バブルのときに土地が高くなり、株が高くなった。これは確かにいろいろな技術的な誤りはありましたけれども、そのつぶし方が、とても今の憲法を持っているような国とも思えないほどすさまじいものでありました。  某中央銀行総裁は、土地の値段を半分にしてみせると言いました。その地価は、国有地の地価を半分にするという意味ではありませんでした。土地というのは会社か個人が持っているわけでありますから、その価値を半分にするなんということは私有財産に対する真っ正面からの攻撃であって、これが本当の自由主義国である某国であるならば、そういう中央銀行の総裁は翌日死体になって転がっていたかとも思われるのでありますが、日本は、むしろそれに喝采を送るマスコミが多かったのであります。  それから、総量規制という一銀行局の通達によって、それまでの日本の銀行の担保価値が暴落するということが起こりました。これもまたむちゃな話でございます。土地が高くなったというのは、私有財産がふえたこと。しかし、それをつぶすというのはおかしいのです。というのは、もうけ損ねた人はいても損した人はいないからであります。  これを例えばアメリカで見ますと、グリーンスパンさんが、アメリカは明らかにバブル状態にあったわけでありますが、いかにそれを長く続かせようかと努力しているように私には見えます。ところが、日本ではいきなりばさっとぶっつぶしたわけです。  ぶっつぶしたのみならず、これはある銀行の首脳から聞きましたが、そういうむちゃな、担保物件が一挙に価値を半分あるいは三分の一になるようなことをやられて、さあ大変だということで、銀行は直ちに赤字決算をしたいと思ったそうでありますが、日本の当局は赤字決算を許さないという命令を出しておったようであります。事実上は赤字にしてそこで処理しなきゃならないのに、しちゃいけないというわけでありますから、既にけがをして血を出しているのに、止血をしちゃいけないというような政策をとったわけです。  そうしますと、そのためにはどうするかといえば、手持ちの資産を売るよりしようがない。具体的には株が一番多かったようでありますが、それは高度成長時代以来ためていたものがありますから、しばらくは売り続けるわけでありますが、だから株は上がらない、しかし血はとまらない。  かくして、つい七、八年前までは、日本の銀行はフォーブスとかああいう雑誌のランキングでは一位から八位ぐらいまで占めて、九位に外国一つ入って、十位がまた日本なんというぐらい、上位はほとんど全部日本が八、九割占めておったのが、ことしになってみますと、日本で一位の東京三菱が何と四十三位まで転落しております。その間には、つぶれた銀行もいっぱいあります。  これなぞは、どう考えても自由主義経済の国ではないんですね。外国が、特にアメリカの人たちは、日本は社会主義の国だとよく二言目には言いますが、私はそのとおりであったと思います。ですから、銀行の首脳がこぼすのを直接聞いたことがあります。銀行には決算権がないんですよ、幾ら公認会計士がこれでいいと言っても、大蔵省がだめと言えばだめなんですよというようなことでありました。それだけがっちり統制して、そのかわりつぶさないと言ってきたわけですけれども、それができなくなってぼろぼろになった。  そうしますと、今世紀の、戦前の最大の反省点は、さっき申しましたように社会主義に傾いたことです。戦後の反省点は、高度成長経済は自由化に対して日本が前向きに応じて、自由化に成功した製造業を中心とした繁栄でありました。それに反しまして、金融業、あるいは、ほかの省庁もあるんですが、代表として大蔵省を挙げておきますが、これは社会主義的な発想を変えていなかった。私有財産をよきものだと思わなかった。民間に置くことを是としなかったという発想があって、その一連の規制がその後のここ十年の悲劇のもとであったと思うのであります。  そうしますと、この二つの反省、戦前の反省と戦後の反省を考えますと、日本人は、規制が少ない状況に置けば、いわゆる自由マーケットの状況に置きますれば、これは世界のどこの人も想像できないような急速なすばらしい発展が遂げ得る。それは、維新後の日本それから朝鮮戦争以後の日本ですね。ただ、社会主義的な規制が入りますと、日本はその実力を失い、国富をすっ飛ばすようなことをやる。これは、二十世紀の前半と後半に二回起こったことだと思います。  そうしますと、私は、二十一世紀に対して、この反省に基づいて日本を持っていくにはどうしたらいいかといいますと、今言った過ちに二度と入らないようにすることだろうと思うのです。それは別の言葉で言えば、マルクスのマインドコントロールから自由になることである。マルクスのマインドコントロールをすっかり取った上で、新しい法律、新しい憲法を構想していくべきだろうと思うのです。  マルクスといえば、それは詳しく言い出せばそれこそ図書館一つ分ぐらいあるでしょうが、ぎりぎり煮詰めますと、私は、マルクスのマインドコントロールは三点に絞り得ると思うのです。一つは、私有財産の廃止であります。それと関連しますが、第二は、相続権の廃止であります。第三は、生産手段、流通手段の国有化あるいは公有化であります。この三つが、十九世紀後半以降、世界のインテリの頭をとらえたマルクスの呪文であったと思うのですね。  それは昔も貧乏人はおりました。しかし、金持ちの数が物すごく少なかったわけです。例えば、マルクスがそこで本を書きましたイギリスにしましても、貴族は大体地主も兼ねるわけですが、その貴族とごく少数の大商人ぐらいで、あとは大部分が貧乏人だったわけです。だから、貧乏というのは普通の状況で、金持ちが例外ということだったのですが、産業革命が起こりますと、無数の小金持ち、大金持ちが出ました。そこで、貧乏人に、貧富の差ということが初めて強烈に感じられてきたわけです。  ですから、マルクスが書いたころは、確かに義憤を感じせしめるものがあったと思うのですね。それで、私有財産があるからよくないんだ、そんなものなくすべきである。それから、金持ちが遺産を子供に残す、こんなことがあるからいかぬのだ。それから、工場を自分でつくったり商店を自分で持ったりする、だから貧富の差が大きくなるんだ。だから生産手段、流通手段は全部国有化、公有化すべきであるというのがマルクス主義のエッセンスだと思うのです。  そして、これをロシア革命は暴力をもってなし遂げました。そして、悪いところは隠しますから伝わらなかったこともあるでしょうが、一時は成功したように思い込む人もいっぱいおりました。イギリスなんかでも相当の人が思い込んだぐらいですし、日本でもいたわけであります。しかし、それはだめだったのですね。結局だめなことを、二十世紀、七十年かけて証明してくれたわけだと思うのです。  一番証明がはっきりしましたのは、生産手段の国有化あるいは流通手段の国有化、公有化であります。これはどこでも失敗したものでありますから、この点に関しては、世界じゅうで、もう一度大企業を国有化しようという国はちょっとないんじゃないかと思います。それから、流通手段も全部国がやるなんということはほとんどないと思いますね。  国有化の大好きだったイギリスも、それはやめました。日本も、国鉄の分割・民営化で象徴されるように、国有化の反対の方に向いていることは明らかでありますから、マルクスのマインドコントロールの第三の点、すなわち、生産手段、流通手段の公有化、これについてはもう心配がなくなったと私は思います。  ところが、前の二つ、私有財産及びその相続に関しては、依然として、強烈にマルクスのマインドコントロールが働いているように思うのです。  これをやりますとどうなったかということを、社会科学というのはフラスコの中で実験するわけにいかないので、観察するより仕方がありませんけれども、観察しますと、例えば我々は、ソ連の崩壊をもって、ソ連の内容を比較的よく知るようになりました。  ソ連というのは、御存じのように、広大なる土地を持っておりまして、金の産出量は世界一、石油の産出量もアラビアに劣らず、森林資源は無限、土地資源は無限と言ってもいいぐらいのところであります。それが、七十年間、私有財産を廃止し相続を廃止してやってみたところが、すってんてんで何もなかったというのが実情であります。残ったのは、ノーメンクラツーラを中心とする強烈なる官僚組織と、あとは二流の武器でありました。あとは何にもないのですね。本当に何にもなくなりました。  芸術も何もなくなりました。いや、ボリショイバレエ団があるじゃないかなんと言う人もいますけれども、あれは共産政権のもとでできたのではなくて、王朝時代からあったものを踊らせ続けただけの話であります。エルミタージュ博物館にすばらしいものがあるといったって、そこでは共産主義時代につくられたものは何もありません。だから、芸術も何にも、全部だめ。市民というステータスさえなくなった。すってんてん。残ったのは特権的官僚制度と二流の武器だけ。これが、ソ連が我々に示してくれたことです。  それがロシア人の国民性によるものかといえば、そんなことはありません。ロシアの支配下にありました東ヨーロッパを見ますと、例えば東ドイツ。東ドイツは旧プロシアでありますから、これは近代ドイツの母体になった地域であります。ブランデンブルク地方から始まりまして、ドレスデン、ライプチヒ、ハレなど、文化都市、学問都市がいっぱいありました。  ところが、四十年間やってぶっつぶれてみますと、私もちょっとライプチヒ大学に関係があったものですぐに見に行きましたけれども、惨たんたるものですね。ベルリンの壁が落ちた当時の例えばライプチヒの町なんというのは、終戦直後でちょっと駅あたりが復興したかなというようなぐらいなんですね。  そして御存じのように、東ドイツに入ったときに、道はでこぼこですね。西ドイツではベンツだとかBMWだとかアウディだとかが走り回っているのに、向こうではトラバントという自動車だけ。しかも、これが入るにはよっぽどの強烈なるコネが党幹部となければならないとか、それでようやく手に入れて乗ると途中で火を噴くとか、そのような物すごい差があるのですね、同じドイツ国民でも。  しかも、ドイツ国民の中でも、東ドイツの方は近代ドイツの母体なんですよ。むしろ南の方がおくれておったわけですから。そこがあれだけだめになるのですね。何にも、それこそ文化のブの字もなくなります。市民の権利も皆なくなりました。  もちろん、これはアジアでも例外ではありません。毛沢東時代の中国、ポル・ポト時代のカンボジア、今のキューバ、あるいは北朝鮮を見ても、例外はありません。  私有財産をなくするということは、富全部をなくすることです。わずかに残った富を握るのは高級官僚だけです。あるいは特権官僚といいましょうか。あるいは、独裁者とその周囲の人と言ってもいいでしょう。  そして、つくれるものは二流の武器だけです。ソ連もそうでした。中国はちょっと今変わりつつある面があるのですが、北朝鮮なんかでも、テポドンだとかあるいはミサイルとか何か、そういうものは輸出までしているらしい。だけれども、その武器は、もちろん、アメリカに比べれば全部二流三流です。にもかかわらず、武器はつくれる。これは採算性無視でできますからね。あとは何もないんですね。例外がありません。  だから、私有財産を廃止するということは国民をとことん貧乏にすることであって、一つまみの独裁者とその周囲の官僚だけしかよくならないということを、二十世紀は示したと思うのです。  そうしますと、我々は、私有財産の神聖なんということは言わなくてもいいのですけれども、私有財産をもっと尊重するような考え方が重要ではなかろうか。  そして、私有財産に対する一番の脅威は、普通は泥棒と考えるのですけれども、泥棒などは大したことはありません。一番怖いのは税金であります。ですから、私有財産を考える場合は、税制をどうするかということが最終的な一番重要なことだと私は思うのです。  今、よくディレギュレーションとか規制緩和とかいろいろ言われておりますが、国家の規制で最大なるものは昔から二つしかないのです。それは徴兵と徴税なんですね。日本は、徴兵はありませんので、徴税、税金だけです。税金という国家規制に比べれば、ほかの規制などは皆つめのあかみたいなものです。  だから、この税金に対して、私有財産に罪悪感をというマルクスのマインドコントロールを全部取り払った形で取り組まなければいけないと思うのですね。それで私は、二十一世紀の明るい日本をつくるのに、極端な形でいえば税金しかないのではないかと思うのです。  例えば、どういうふうにやるかといいますと、私は相続税の全廃を唱えます。これは、そんなことというような話になるわけでありますが、御存じのように相続税は消費税の一%分ですから、全部廃止したといたしましても、国家の財政がひっくり返るとか、そんな話ではありません。ただ、個人に対する影響は絶大であります。  それで、この相続税に関連して、私は遺留分を廃止すべきであると思います。  イギリスなんかも、昔は日本と同じように長子相続制度であったのですが、やはり長子というものに特権を与えるのはおかしいというようなことで、長子相続制度はやめたのですが、遺留分なき相続税制を持っていますものですから、結局相続はできるのですね。アメリカもそのようであります。  そうしますと、私が一番関心がありますのは、源泉所得収入者である私などは本当は関係ないのですけれども、国のために言うのでありますが、一番元気づくのが日本の中小企業なのですね。  中小企業は日本産業の九八%ぐらいあるのだそうでありますが、そこで成功する人たちが、成功し始めますと、途中から余り元気がなくなるというか、迫力がなくなるのですね。なぜかというと、このまま成功していっても、おれが死んだらどうなるだろうかということになるのですね。そうすると、なまじっか仕事をするよりは、節税の方向、あるいは脱税を含めた節税の方向を考えた方がいいとか、あるいは、子供を間違って三人もつくっちゃった、これが遺留分を請求されたら後継ぎはどうなるのだろうとか、そういうような余計な心配の方が多くなっちゃって、一歩迫力がなくなるのですね。  ですから、成功した人が、成功するまでは物すごく張り切って楽しくやるのですが、成功してしばらくたつと憂うつになるわけです。これがやはり日本が何となく元気がなくなっている一つの根本理由だと思うのですね。  ところが、赤字を出している人は一向構わないわけです。死んだって税金は来ませんから。  そうすると、これはかつてサッチャーの名言として伝えられますが、サッチャーさんが首相になった前後の労働党との討論の中で言った言葉だと言われておりますが、イギリスの現在の税制は、努力し成功した人を処罰し、怠けたり失敗したりすることを奨励する税制であるというような名言を吐いて、一挙に税金を半分以下にしたということは有名でありますが、今の税制ですと、成功した人が暗い顔になっておりますし、晏如として死ねないんですね。  成功した人はそれだけのノウハウを持っているわけですから、とことん死ぬまで働きたければ働いた方がいいと思うんですね。そして、後継ぎは自分が一番会社をつぶさないだろうと信ずる人間に、それは長男でも次男でも、あるいはそうでない外部の人でも、娘婿でもだれでも構わないわけですが、その人に譲ろうと思えば全部譲れるような形、分けようと思えば分けられる、それは勝手な話ですが、というような形にすべきだろうと思います。  これは、実は相続税というものはなくても済むんだということを偶然発見したのは、今から三年前ですか四年前でしたか、スイスにカール・ヒルティという人の研究に行ったわけですが、ちょうど私が行きました州、カントンというんですね、ヴェルデンベルグ州という州でしたが、そこの州議会が相続税全廃を決議したんですね。  相続税全廃というのは当時の私の発想にありませんものでしたから、それはどういうことだと聞きましたら、そのスイス人はきょとんとしていまして、いや、親は生きている間ちゃんと働いて相応の税金を納めてきた、死んでからまたそれから取るのはおかしいじゃないかという人が議員の半分以上いたというだけなんですね。それで相続税は全廃になった。それで、その州はいいんですけれどもほかの州はどうしているかと言ったら、ほかの州も全廃している州はある、取っているのはどのくらい取っているかと言ったら、よくは知らないけれども三%になっているところはないだろう、こういうことでありました。それで、私が多少思っておりましたスイスの歴史が一挙にわかったような気がしたわけです。  スイスは御存じのように山ばかりで、これという産業はありません。湖などはありますけれども、漁業なんかできるようなのは一つもありません。今でこそ山に登りたがる人がいるものですからふもとにホテル業なんかありますが、昔は頼まれたって登る人はいませんので、登山業もありません。何が主要産業かといいますと、傭兵だったんですね。いろいろな諸侯のところに出かけたわけです。その名残が今のローマ法王庁に、ローマ法王庁の番兵がいますが、あれはスイス人だけ使っていますね。ああいうのが方々に働きに行きました。  そして、その傭兵として働いたのを仕送りするとか、あるいは戦死して口減らしになるとか、そういうのがスイスの形態で、貧乏の代名詞みたいなものだったわけでありますが、今のような形態になりましてからは、そういう貧乏国でもやはり富が蓄積するんですね。だんだん蓄積しているうちに金目のものができるようになるのですね。昔、高いものの代表といったら時計だとかオルゴールだったと思うのですが、そういうものができるようになる。それから、チューリヒなんという、人口からいえば日本の相模原市よりも小さいような町が、世界的な金融の一つ中心になるとかいうことが起こるんですね。  スイスという国は、九州よりも小さいぐらいのところで、九州のように魚がとれる海に囲まれているわけじゃありませんし、金が出るわけじゃないし、水田があるわけじゃないんですが、一人当たりのGNPは、もちろん日本以上、アメリカ以上、ドイツ以上ですね。ということは、どうもその辺に大きなものがあるんじゃないかと思います。  ですから、まず相続税全廃を目標にする。  それから、私は、所得税は上限一〇%どまりでいいと思うのです。これは、かつて私が政府税調の委員をしておりましたときに、当時の主税局長さんに、外国の学者には所得税は一〇%前後でいいはずだと言っている人もいるけれどもどうお考えかと聞きましたら、その主税局長は即座に、皆さんから取らせていただくならば一〇%は要りません、七%で結構でございますと答えました。  考えてみますと、日本の国内総生産高はざっと五百兆。一割で五十兆、七%で三十五兆。ところが、今は所得税を取っているのが二十兆切れるぐらいですね。そうしますと、七%でも全員から取れば御の字だというのはよくわかるんですね、三十五兆も取れるわけですから。大変な概算ですが。そうしますと、低所得者は免除しなければ、四%で理論上今と同じになるわけですから、免除してやれば一〇%で御の字だろうと思うのです。  そうしますと、まず世の中が明るくなるのです。今何か日本暗いと言う人がいるのですが、ちょっと暗いような感じがしないわけでもありません。二十一世紀、ぱあっと明るくなると思うのです。  というのは、数年前、ある週刊誌がお宝拝見なんというグラビアをつくりました。そのとき銀座のホステスが、何か自動車を、ちょっといい自動車だったんですね、見せびらかしました。そうしたら、御推察のとおりに、すぐ税務署が行きました。おまえ、所得申告もしないで、どこからこれを買う金を手に入れたかと。それで、ぎゅうぎゅう搾られたあげく、結局、○○さんにもらいましたと。そうすると、○○さんにすぐ税務署は行くわけですね。そうすると、○○さんはまたぎゅうぎゅう搾られまして、あなたの帳簿からはこんなのは出ないはずだ、どこかに脱税、節税をしているに違いないとこれまたぎゅうぎゅう搾られて、結局また暗くなるのですね。  別に僕は、銀座の女に自動車を買ってやることがいいか悪いかの問題ではなくて、自分の働いた金を勝手に使えないというのは一番くだらない話だと思うのです。だから、一億働く人が千万円ばんと納めれば、後は何をしようと領収書も要らない、国家の権力から自由であるというその気分、それが重要だと思うのですね。  ヨットでもそういうことがありました。名古屋の方だったと思いますが、ヨットの好きな会社の社長がいて、それがヨットをやったのですね。ところが、税務署が来まして、結局、一つの会社でやるのは認めないというような話になりまして、いわゆる普通の控除は認めないということで、日本から世界のレースにヨットが参加するのは一つになりました。これは何社か一緒に出しているからオーケー、一社で出せばだめなんですよ。いわんや、個人ではだめなんです。ところが、世界のヨットレースには、個人のスポンサーで出てくるのはごそごそいるわけです。  というようなことで、おおらかなことをやる日本人がいなくなって、皆こせこせして、国を代表して会議に行くような人でも、タクシーに乗ると領収書をとるとか、そんなような話になってしまって、小粒になっちゃうんだと思いますね。そして、そうして取った税金がどこに使われているかと言えば、使われ方の検査もできないようなところにばらまいているというようなのが納めている人の実感ではなかろうかと思います。  そして、もし今のような税制を実行したとすれば、日本に国際的な大金持ちの一族のだれか一人ぐらい、ある一族のうちの一人、この一族のうちの一人というぐあいに国籍を取らせによこすに違いない。これは国際的な人たちの何百年間確立された行動のパターンなんです。ところが、日本には今来ないのですね。世界一金融資産があるというのにそういう人が出てこない。国籍を取りたがる人はいるのでしょうけれども、それはコンテナ船に隠れて来るような人だったりして、あれなんですね。  もしも、国際的な大金持ちの一族が国籍を取る、そういう人たちが五十家族ぐらいあれば、日本に対して意地の悪い決議なんかを国際的に行おうとするときに、その人たちが、自分のおじさんとかなんとか、アメリカとかどこかにいる人に皆電話をかけたりして、日本に対してこういう不利なことが行われようとしている、何とかしてくれと言うと、一族の話ですから、ああ、そうかというわけで、今度はワシントンに電話をかける有力者が出たりして、これは日本のやわらかい意味の安全保障になると思うのです。  そして、よく言われますように、ここ数百年間、アングロ・サクソンが常に勝つ側についておった。これはいろいろな理由があると思いますけれども、一つの非常に大きな理由は、それはスペイン、ポルトガルがあれだけ海洋航海の先駆者でありながら、急速に没落したのは、スペインなんかはユダヤ人追放令をつくって皆出したんですね。追い出しちゃったんですね。そうすると、国際的な情報がどうも入らなくなった感じがしますね。  反対に、イギリスの方は、歓迎したわけじゃないけれども、入れました。そして、十九世紀の半ばには、ユダヤ人を保守党の党首にし、総理大臣にまでしたわけです。ディズレーリなんというのはデイズラエリですからね。イスラエルからの人なんという、私はユダヤ人でございますというような名前の人も、もちろん宗教だけは改宗してイングランド教会になっていましたけれども、首相にしているんですね。  そうしますと、あのイギリスが我々の血を分けたやつを首相にしているというので、世界じゅうに散らばっているユダヤ人がイギリスを母国のごとく感じてきます。そして、あらゆる情報がイギリスのために流れ、イギリスのために流されるようになる感じがあります。ですから、スエズ運河が売りに出たぞといったら、ぱあっと教えてくれるわけです。そうすると、イギリスにいるロスチャイルドさんがすぐにイギリスの首相を晩さんに呼んで、スエズ運河が売りに出るそうですよとささやくわけですね。国会は休会で、当時ですから集まるまでに何カ月もかかる。そうしたら、その場で買いましょう、金は貸してくれるか、はい、貸します。ぱっと借りてぱっと買うなんというようなことをイギリスはやったわけです。  アメリカも、ユダヤ人は決して差別されないわけではありませんけれども、迫害されたわけでもありません。そうしますと、そこに集まるのですね。国際的な情報もタレントも集まります。これがアングロ・サクソンの世界がここ数百年間常に情報的に有利なところを歩いてきた一つの大きな理由ではないかと私は思います。  日本も、そういう日本になるためには税制を変えるよりしようがないんですね。私有財産は守られるんだということを天下に明らかにするより仕方がない。来年からできるとは思いませんけれども、二〇一〇年を期して、相続税を全廃し、遺留分を廃止し、所得税は上限一〇%を目的とするなんということを政府が公言すれば、これは大変な力になると思います。  そのための憲法の条文ですけれども、憲法は専門家の方がいろいろおっしゃっていますので、私みたいな素人があれこれ言わなくてもいいと思うのですが、一つだけ言わせてもらえば、今の憲法の中にも私有財産はこれを侵してはならないという条文がありますけれども、これは侵され続けております。総量規制を初めとして、あれが私有財産を侵さない行為かといったら、これは真っ向から侵しているわけです。  それから、別に税制が憲法にありますが、税金を取ると書いてありますので、税金を取る分には合法的に侵してもいいことになります。そうすると、税金から日本人を守るためにはどうするかといった場合、やはり憲法の中に最高税率を決めておくべきだと私は思うのですね。ですから、相続税は全廃と言わないまでも上限を五%にするとか、あるいはスイス並みに二%にするとか、所得税は一〇%、一五%以下にするとか。以下にすると書いて盛り込めば、私有財産権は確実に保障され、これは二十一世紀国民の繁栄になるだろうと思うのです。  ただ、この際、一つ反論が必ず出るのは、それは金持ち優遇という反論です。  金持ち優遇の反対をやってどうなったかということはソ連以来の例で述べましたけれども、一つ私は忘れがたい言葉は、ハイエク博士の言葉で、金持ちがたくさんいる社会は貧乏人の自由の保障であると言った言葉です。金持ちがいない社会、旧ソ連、今の北朝鮮、毛沢東時代の中国、あの辺では金持ちがいない建前でありますから、職を失ったり、政府からにらまれたら、これは死ぬよりほかはありません。  しかし、アメリカでは、いざとなったら金持ちの掃除をしたって食えるわけです。皿を洗っても大学は出られるんですね。そして、大学を出れば必ず職はあるんですね。最近のアメリカが非常に貧富の差が大きくなったということを批判する声が高いのでありますが、アメリカ人は一人も移民が逃げ出しておりません、アメリカから。それは住みやすいからだと私は考えております。ベトナム戦争のころに逃げ出した黒人たちもいましたけれども、みんな帰っております。差別されたなんといっても、やはりアメリカの方が住みやすいんですね。  というようなことで、今後の憲法のためには、必ず私有財産を明文をもって税金から守るような条項を考えていただければ、二十世紀日本が犯した二回の過ちを避ける、根本的な守る城壁になり、明るい日本をつくる源になるのではないかと愚考する次第であります。  長時間、御清聴ありがとうございました。(拍手)
  99. 中山太郎

    中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。  速記をとめてください。     〔速記中止〕
  100. 中山太郎

    中山会長 速記を起こしてください。     —————————————
  101. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田中眞紀子君。
  102. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 渡部先生、自由民主党、田中眞紀子でございます。  初めてお目にかからせていただきましたけれども、本当に温和な御尊顔とは対照的にえらくドラスチックなことをおっしゃるので、大変興味深く、また心楽しく伺わせていただきました。殊に、相続税の廃止、この世で泥棒よりも怖いのは税金だとおっしゃるところは、私どもみんなが思うところでございますし、また、相続税を廃止し、遺留分も廃止し、所得税の上限も一〇%とする、それを明文化した方がいいのではないかというような夢のある、またこれを現実にするかどうかというのは私どもの判断にもかかっておりますけれども、大変明快なお話を伺いまして、ありがとうございました。  それで、いろいろとこの先も伺いたいところではございますけれども、三十分以内で三つほど質問を用意させていただいておりますので、いろいろと御教示いただければありがたいというふうに思います。  最初の問題でございますけれども、今、連立内閣でございまして、そして行革というふうなこともあって、政と官との関係がどのようになるかということが私どもも含めて非常に世間で興味を持たれております。そして、総理大臣職というものの重さ、軽さ、そういうことについてもいろいろと世の中で言われております。そこで、私が伺いたいことは、総理大臣の職務権限ということについて伺わせていただきたく存じます。  国の基本的な方針というものは、総理みずからが哲学、ポリシーがあって、そしてみずからの発案によって方向性が示されて、閣議で検討をし、そして、もちろん国会での討論も含めてでございますけれども、具体的にこれを推進していくというのが民主主義のルールであるというふうに考えております。そして、当然その意思決定やプロセスは透明性を持ち、公正でなければならないことは言うまでもございません。  そこで、いろいろな角度から伺いたいと思いますが、大体官僚というものは、もちろん閣法をつくったりいたしますけれども、現行法の中で物事を決めようとする傾向があると思うんですけれども、国会議員というものは、民意を本当にくみ上げて、そして時代の要求に沿った社会をつくり上げていくために議員立法をするということができるわけでして、そこに私ども国会議員の存在の意義があるというふうに思います。  そして、ちょっと離れるようでございますけれども、日本憲法では罪刑法定主義をとっていまして、これは刑法の方の話になりますけれども、拡大解釈の禁止ですとか類推解釈の禁止、それから遡及効の禁止ということが基本的にうたわれております。  これらすべて申し上げたことを勘案いたしまして、過去に総理大臣の職務権限に関する刑事事件がございましたけれども、これらも振り返りながら、総理大臣の各大臣に対する指揮監督権はどのようなものであるべきか、総理大臣職の職務権限はいかにあるべきかということを、この混乱をして、しかもまた新しい時代に先駆けなければならない今の時点で、御意見をお聞かせいただければありがたいというふうに考えます。
  103. 渡部昇一

    ○渡部参考人 総理大臣の職務権限は、大臣を任命し、その大臣がまた官僚を駆使して行うということで、ある意味では間接的なものだと考えております。直接総理大臣が個々のことで責任を負うというようなことは、普通は考えられないことであると考えます。
  104. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 どのように運用をされていけば、もちろん連立でもありますし、例えば今回の内閣にいたしましても、たくさんの実力者と言われる方たちが入っておられるわけで、どなたの責任において内閣の方向性が決められ、責任がとられるかということについてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。
  105. 渡部昇一

    ○渡部参考人 日本の首相の権限は、私の理解するところ、強大なはずであります。  御存じのように、明治憲法には首相も内閣も規定されておりませんでしたので、そこをつかれまして軍部が悲劇を起こしたということがありました。それは、明治の人たちは、余り強力な内閣、首相があったら徳川幕府の再現になるんじゃないかというようなおそれがあったようでございます。  ところが、日本が強力な首相をつくらなかったものですから、そこが欠点であったとマッカーサーの方も認識したとみえまして、現憲法では首相の権限は非常に強いはずで、普通は首相が絶対やると言ったら大抵のことはできるはずですね、多数党の首相がやれば。  また、首相をやめさせるということは、普通はできないことだと思います。不信任案を出して通れば、その内閣はだめですけれども、首相はさらにそれに解散でこたえることもできますから、それはなかなか、解散を決心しない限り総理をやめさせることはできない。極めて強力なものだと思っていますので、それは総理とその周辺のいわゆる実力者と言われる人たちの個人関係であって、法的には日本の総理は極めて強いし、私が理解する限り、今度新しくできます法律においても、総理の権限はさらに強大になるものだと考えております。
  106. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 おっしゃるのは原則論としてよく理解できますけれども、現実に過去半年、一年間とか二年間かもしれませんけれども、それから今後の推移を見ますと、少子高齢化の中にはいろいろな意味があると思うんです。もちろん、労働力不足でありますとか、それから財源難の問題、それ以上に大きいのは価値観の多様化ということがあるというふうに私は思うんですが、そういう価値観が多様化している社会の中におきまして、いろいろなニーズが出てきて、何にプライオリティーを持って、優先権を持って決めていくか、政治の決断、責任というものが極めて重要な時代になるわけです。  しかも、それを長期的な、ロングスパンで決めるものは時間をかけてじっくりと考察をしながら進めればよろしいのですけれども、極めて速く、スピーディーに、間髪入れずに決断をしなければならないというときに、連立内閣であります。  しかも、今度行革があるにもかかわらず、今回のここ二、三日のこと等を見ましても、官僚が、どのようにして行革の中で埋没せず、省益を追求していくかということにきゅうきゅうとしているのが現実であるということを実際によく見てまいりましたので、そうした現実の中にありまして、どのようにして職務権限を先生がおっしゃるような形で堅持して、それを発揮できるかということにまで踏み込んでお話しいただければありがたいと思います。
  107. 渡部昇一

    ○渡部参考人 素人考えでございますが、総選挙で圧勝する首相になれば一番いいと思います。そうすると、妥協する必要が余りない。  連立内閣で小さい党がキャスチングボートを握るということは、これはヒトラーの前のフランスでも見たように、ろくでもないことになることが多いんですね。本当は、少数政党なんかみんな支持しないから少数政党なんですが、それがたまたまキャスチングボートを握る立場になったために、その少数政党の言い分が過重に反映されるということが間々あるわけです。私は、今のドイツなんかのおかしなところはそこから来ているように考えております。  ですから、何といっても本当は二大政党ががっちりできまして、そして責任を持ってある政党がやって、行き詰まったらほかのもう一つの方が一〇〇%責任を持ってやるという二大政党論が、私はやはり経験的に議会政治がうまくいった例だと思うんですね。  多数の党があって、個々の意見についていろいろと投票した方がいいじゃないかというのは、理屈の上ではよさそうですけれども、現実にはだめなことは、恐らく西洋の歴史から出てきたんだと思います。  だから、二大政党に収れんするように、むしろ、例えば議員の数も、代表みたいなので入れるのはやめて、純粋に選挙区だけで三百人ぐらいにすれば、絶対にこれは二大政党の方に収れんすると私は思います。具体的な案としては、比例代表制を全廃して、そして定員を減らすぐらいにやれば、必ず二大政党ができて、二大政党になれば、その政党が本当に行き詰まるまでは総理大臣は全責任を持って命令することができるし、それでうまくいかなかったらもう一つの党に譲るということになり得ると私は思います。
  108. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 後半の御意見は私と全く同じでございまして、心強く思いました。  そしてまた、今のことに関連いたしますけれども、現行の内閣法についてお尋ねしたいと思います。  これは、前回来られた参考人の方が、今の内閣法はGHQがつくったものである、したがって、もっと超法規的で大統領的であるべしと。例えば具体的に、私の隣にいらっしゃいます中曽根元総理が首相でいらしたときのように常にあればいいのだということをおっしゃったのでございますけれども、このことについてどうお思いになられますか。
  109. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私の仄聞するところに、理解するところによれば、新しい制度におきましては、それに近い方に移ると聞いておりますので、それは一歩前進ではないかと考えております。
  110. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ですから、かなり一歩前進ですけれども、それで時代のニーズといいますか、また繰り返しますが、連立であるということ、それもまた違った連立に組みかえられる可能性も選挙後にはいろいろと想定されるわけでございますし、世の中のスピードが速くて、しかもグローバリゼーションが進んでいて、そして少子高齢化が進んでいるという中において、決めるべきことを決めるときに、少しずつ法律をステップ・バイ・ステップでつくっていくので間に合うというふうにお考えでいらっしゃいましょうか。それとも何かほかの知恵があったら、御指導いただきたいと思います。
  111. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私は、今のところありませんので、もしそれをするためには、何といっても連立政権をつくる必要がないような選挙法をつくることだろうと思うんです。
  112. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 それでは、三つ目のお尋ねになりますけれども、先ほど意見を開陳なさいますときに、天皇制についても、日本の国体の護持の話だとか、いろいろ歴史的な経緯をお話しなさいました。  天皇制につきまして、もちろん憲法の第一章に書いてありまして、そこに書いてあるのは天皇の地位と主権在民ということでございますが、私は、個人的には我が皇室を敬愛いたしておりますし、天皇制が継続することを望む立場にいる人間でございます。でございますが、それとは別に、現実問題といたしまして、この天皇制、一章の中で、第二条と五条を読ませていただきますが、第二条では、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」第五条、「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。」というふうにあります。  現実をよく見てみなければいけないと思うのですけれども、例えば、イギリスのチャールズ皇太子は、離婚して、再婚の可能性がある。それから、つい最近の情報、メディアを見ますと、ノルウェーの皇太子殿下が子連れの再婚女性と結婚をなさるというふうに、世界の王室のありようもいろいろと変わってきています。我が皇室の場合もお世継ぎ問題というのがあるというふうに思いますけれども、そういうことも含めまして、天皇制の継続、私はぜひ継続をしてほしいということを熱望している立場でございますけれども、憲法のこれは条文だけではありませんけれども、どのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。
  113. 渡部昇一

    ○渡部参考人 天皇というのは、日本民族の記憶のたどり得る限りのときから存在していた歴史的な事実でございますので、これを存続させるということを憲法保障することは当然のことだろうと思うのです。  具体的にどういうやり方がいいかということになりますと、これはもっと専門家が御討議なさってしかるべきだと思います。
  114. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 皇室典範の中身とかそのようなことについてはいかがでございますか。
  115. 渡部昇一

    ○渡部参考人 恐らく皇室典範で今問題になりそうなのは男系の男子の方だろうと思うのですけれども、これなぞは変えても変えなくても、私は余り気にしておりません。
  116. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 ほかに二、三伺いたいことがございますし、先生のお書きになった資料はたくさん拝見してまいりましたのですけれども、私は先生の御意見が、たくさん読ませていただいたので頭に入っておりますけれども、憲法第九条について、ここはと、ポイントと思われることを最後にお話しいただけますでしょうか。
  117. 渡部昇一

    ○渡部参考人 九条は、アメリカ軍が日本を占領しているという前提のもとでつくられた条項であるということを考えますれば、結論は自然に明らかになるかと思います。
  118. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 もう少し具体的に、では九条以外にも。お書きになっているものはたくさん読んでいるのですが、もう少し具体的に、広げてお話をしていただけますでしょうか。
  119. 渡部昇一

    ○渡部参考人 アメリカ軍はいなくなったのですから、独立国家といたしましては、アメリカ軍に相当するものが軍事力として必要とされるであろう。自衛権というのは、我々が殴られたら守るというのと同じぐらい、国家としてはあるわけですから、それは自明のことでございますので、今の憲法の九条の方が、国家としてはあり得べからざる条項だったと思うのです。  だから、それはあくまでも、あのころは日本をまだ独立させるなんということはアメリカは全然考えていないころの憲法ですから、アメリカ軍が日本から去るということが近い将来にあるとはあの時点においてはマッカーサーは考えておったと思いません。ですから、軍なんか心配しない、おれがやるんだ、だから日本は保護国ですよ、こういう意味だったと思います。保護国でないなら、保護国でない国の憲法と余り違わない憲法であるべきだと思います。
  120. 田中眞紀子

    ○田中(眞)委員 わかりました。もう少しお話を伺うには時間がちょっと足りませんし、私の関係で今回スタートが何分かおくれましたことと、それから渡部先生もちょっと休憩をとられましたので、きょうは私の質問はここで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  121. 中山太郎

    中山会長 牧野聖修君。
  122. 牧野聖修

    ○牧野(聖)委員 渡部先生、きょうは、お忙しいところを私どものために貴重な御講演をいただきまして、本当にありがとうございました。  私は民主党所属の牧野聖修でございます。ただいまは、次期総理大臣の国民的な人気の一番高い田中眞紀子先生の花のある御質問でございましたが、続きましては地味な男の地味な質問になりますが、ぜひともおつき合いをいただきたい、このようにお願いを申し上げます。  私が先生の講演を初めてお聞きをさせていただきましたのは、もう二十年ぐらい前になりますが、昭和五十六年の七月でございまして、当時、前尾繁三郎先生が、比叡山の延暦寺の横にあります延暦寺会館というところで、全国から青年を四、五百人集めまして、毎年勉強会をやっておりました。私はその事務局をお手伝いさせていただいたことがありまして、そのときに先生の御講演を初めてお聞かせいただいたわけでございます。  学生時代、私たちは、どちらかというと、左翼でなければ学生でないというふうな、そういう時代を通ってきましたので、当時、世の中へ出ましてから先生の御講演を聞いたときに、ある種の衝撃を受けたのを今でも覚えております。二十年たちました今日も、今また改めて先生の御講演を聞かせていただいて、当時と同じようなインパクトを受けました。その間、先生の本も何冊か読ませていただきましたけれども、本当に大変貴重な御意見をきょうもお聞かせいただいたことを心からうれしく思っております。  質問させていただくわけでございますが、大変僣越でございますが、二、三分で私の憲法に対する基本的な考え方といいますか、スタンスといいますか、イメージを一言述べさせていただいてから質問をさせていただきたいと思っておりますが、私は、現憲法は改正すべきだ、こういうふうに考えております。  それはなぜかといいますと、当然、憲法制定の手続、そして中身、この両方が正統性を持っていて、当時も今日も、国民の大方の皆さんの納得と御理解、そして遵守するという協力をいただけるものでなければならない、こういうふうに思っているわけでございます。そういう観点からいたしますと、戦勝国が敗戦国に対して一番してはいけないことは、その国の憲法に手をつけるということだろう、私もずっとそのように理解しておりましたが、その点からも問題がありますし、また中身におきましても、当時も、また五十年たった今も、現実との乖離があるという感じがしておりますから、その辺はやはり整理をしなければいけないという気がしておりますから、当然憲法は改正すべきだ、こういうふうに思っております。  最近、よく憲法論議のときに出てまいります情報公開でありますとか、プライバシーの保護でありますとか、地方分権でありますとか、こういう新しい条項も当然加えていかなければいけない、このように考えております。環境権という議論も出てきておりますけれども、環境権ということにつきましては、私はどちらかというと、平和主義とか基本的人権の尊重とかいうふうな環境主義という立場で、憲法の条文の隅々にそういう精神が生きていくようにしなければいけないのではないかな、こういうふうに考えております。  それから、憲法論議は九条に始まり九条に終わるとよく言われておりますが、私は、戦争放棄、この理想を高く掲げた現憲法はいいと思っています。しかしながら、現実の世の中では当然、自衛に対する権利と、それを行使する、そのことだけはやはりちゃんと認めていかないと平和に対する精神が薄っぺらなものになってしまうのではないかな、こういうふうに思っていますから、その点はしっかりと加えていきたいなということを考えております。  ただ、今までの日本の平和とか繁栄とかそういうものは、どちらかというと、世界の皆さんの良心とかいうようなものに期待をして、受け身的なところでもって平和に対するいろいろなものが行われてきたという感じがしますので、これからは私たちの日本は、平和についてもあるいは繁栄についても、環境についても、そして人権問題を擁護するという立場からの民主主義のさらなる進展のためにも、どちらかというと受け身ではなくして、二十一世紀日本は積極的に高らかに世界にそういうものを普遍的に進めていくということを宣言しながら頑張っていった方がいいのではないかな、そういうことを今イメージしております。  環境につきましても、ジェームス・ラブロックが地球は生きているということを言いましてから十数年たっておりますが、そういう観点からすると重要な問題でありますから、この地球上に日本、そして日本人というものがいる限り、環境は絶対にもうこれ以上汚染させない、そういう決意をやはり世界に言うべきだと思いますし、日本という国家国民がいる限り、もう二度と戦争はさせない、しないようにしようじゃないかと。  そして、世界には、百二十四カ国の憲法に平和を志向する文言が入っておりますけれども、戦争放棄を明確に打ち出しているのは八カ国、こういうふうに伺っておりますので、アメリカを含めたすべての世界憲法戦争放棄を入れてもらうように、そういう運動を日本が先頭に立って進めていくということが必要ではないかな、こういうふうに思っています。  また、自分たちの政権を選挙を通して選ぶということができない国がこの地球上にはまだまだたくさんありますし、近隣のアジアにもそういう国がありますので、そういったところに向けて日本が率先して民主主義というものを広げていくような、そういう決意を高らかにうたってほしいと思います。  それから、きょうの新聞にも出ておりましたが、飢餓という問題は非常に大きな問題です。一日三万人の方が飢えで死んでいる、そのうち、五歳以下の子供たちが二万六千人も飢えている、毎日毎日。そういう世の中でありますから、この地球上に日本という国があって日本人がいる限り、飢えで子供たちをもう二度と死なせない、そういうふうな決意を込めて世界に協力、貢献していく国家になってほしいなというイメージを持っておりますので、その点、次元の低い話ですが、先に一言だけ述べさせていただいて、質問に入らせていただきたいと思っております。  さて、質問に入らせていただくわけでございますが、先生のお話を今お伺いさせていただいて、先生の大きな底の深い思想的なものを的確に私自身が判断することは不可能だと思いますが、過去において何冊か読ませていただいた本を今度の質問をさせていただく機会にもう一度読み返してみました。私が断言すると先生に怒られるかもしれませんが、最近の新保守主義的な流れといいますか、あるいはリバータリアニズムといいますか、そういう思想的な系譜の中に先生は立っておられるのではないかなという感じがしました。独断で、間違っていたらぜひ後で訂正をしていただきたいと思います。  今、いろいろな政治の本あるいは経済書をひもときますと、二十一世紀に向けて一つの基本的な運営の考え方が載っております。自己責任、自助努力、自由競争、効率万能主義、そんな言葉がいっぱい出ておりまして、そういうもののエネルギーによってこの閉塞された社会を打破していってまた次の世の中に持っていこう、そういうことが酌み取れるわけですが、私が先ほど先生のお話を聞いて若干感じましたことは、自己責任とか自助努力とか効率万能主義ということで世の中を進めていくのには既に限界があるのではないかなという感じがしておりまして、その考え方で世の中を進めていけばいくほど、百人のうちの一人が勝ち九十九人が負けていく、貧富の差は大きくなり殺伐とした住みにくい世の中になっていってしまうのではないかな、こういうふうに思います。  それよりも、どちらかというと、規制すべきは規制し、保護すべきは保護し、自由濶達に競争すべきは自由濶達に競争していただいて、そういうバランスのとれた安らぎがある社会の中で生まれてくるエネルギーが日本の閉塞状況から脱皮していく、そういうものにつながっていくのではないか、私はこういうふうに考えているわけでございますが、先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。長々済みません。
  123. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私はそうは思いません。  例えば、日本がITにおくれた、アメリカのパソコンとかインターネットに非常におくれたと言われて心配しました。ところが、iモードが出て、おかげで、これが大変な、また日本が復活する、元気が出るもとになったりしております。ですから、バランスよく何とかかんとかというのはいいんですけれども、耳ざわりはいいんですけれども、そうすると、みんな怠けてやらなくなるんですね。  それは、よく環境を整えてやるということは美しいことかもしれません。僕はいつでも比喩として考えるのは、ニュージーランドの鳥なんですよ。ニュージーランドはオーストラリアから分かれました。オーストラリアはアジアから分かれました。オーストラリアがアジアから分かれたときはまだ哺乳類は発生していませんので、オーストラリアには哺乳類がいなかった。それからさらに先に分かれたものですから、ニュージーランドにはいわゆる肉食動物はいないんですね。そうしますと、鳥も飛ぶのが大変なんですよ、あれは羽を動かして飛ぶんですから、羽を動かすのが面倒くさいやという鳥が出てきまして、飛ばない鳥がいっぱい出たわけです。それが永久に続けばいいんですよ。ところが、白人が犬とか猫を連れて上陸しますと、全滅するわけです。  それから、戦国時代日本世界で一番強い国の一つだったと思うのですね。だから、外国が来たときに、おまえたち、鎖国をするからもう来るなと言ったら、いや、それでも来るなんて言える国は一つもなかったわけです。ところが、徳川幕府が成立しますと、諸侯が戦争するのはよくないとしたわけです。これは非常に立派なことなんですね。戦国時代はいつ隣の国から攻められるかわからなかった。と思ったところが、幕府が成立して、徳川家だけを見ていれば、隣の藩から攻められることは全然なくなった。それが続けば永久に続くんですよ。しかし、黒船が来た途端に、そんなものは消し飛んじゃうわけです。  だから、一国平和とかなんとか言っても、どこかにそうでない国が、私は、見通し得る限りにおいて、アメリカが今の先生がおっしゃったようなことにはなりそうがない。そこで何か革新が起こりますと、日本だけでこうやっていましょうなんというのは、もう簡単にすっ飛ぶと私は思います。  かわいそうな人に目をやるのはよろしいのです。社会政策はよろしいのです。しかし、社会主義政策はだめなんですよ。失敗した人たち、今日本では生産力があり余るほどですから、その人たちが落ちこぼれても、飢えず、凍えず、雨露に当たらず、痛みに苦しむことのないような医療を受けるまでの保障は社会政策として楽々できるんですね、日本は。だから、それ以上のことは、そこで安住するならそれでいいですよ、そこまで行って立ち上がるなら立ち上がってください、それで私はいいと思います。  そうしないと、僕は、人間というものはそれほど理想的だとは考えないんです。宮尾登美子さんの小説を読みましたら、お父さんはいわゆる紹介人、江戸時代言葉で言えば女衒であったそうです。当時、最初のころは、娘を芸者とか何かで売ると、千円ぐらいもらうわけです。その売るときは、必ず親が病気になったりして困って、借金なんかしたからやるわけです。ところが、その状態が解消する、娘の方も美人であれば千円ぐらいの借金は返す。そういうことがしょっちゅう起こるんだけれども、だから帰ってきなさいよと言った親は一人もないんだそうですね。一度そういうものをもらいますと、あとはまた千円取るために別のところに行ってと、一件もない。初めは泣きの涙で恐らくやったんでしょうが、それが千円になるということがわかりますと、娘が働いて千円返しても、今度はまたもう一度千円取るように身売りさせる。例外がないというのですよ。私は、これは私の山形県の田舎を見ていましても、当てはまると思うのです。  人間というものはそう立派でないんですね。努力しなければ落ちますよというところがないと、私はだめなような気がしますね。
  124. 牧野聖修

    ○牧野(聖)委員 自由主義の中でもやはり怠惰な人間は生まれてまいりますし、ある程度規制する社会、保護する社会の中でも、やはり努力して伸びていく人は出てきますので、私は、すべからくそのときはバランスが大切なのではないかな、こう思っておりますので、余り極端に走らない方がいいということで、ハイエクもたしかそんなことを書いておった気がしますからあえて今質問させていただいたわけです。  時間がないので、先生、一点だけお答えいただきたいんですが、既に効率万能主義でかなり日本もぎりぎりやってきているんですが、私は、東海村の臨界事故の問題も、雪印の問題も多くの食品会社の失敗の問題も、自動車会社のクレーム隠しの問題も、いろいろなところにあちらこちらありますが、最近では、特に医療ミス、医療事故が非常にふえてきているというのは、ある程度合理化とか効率をぎりぎり詰めていった結果、そろそろいろいろなところで限界を超えつつあって、ぼろぼろ崩れ始めているんではないかな、そういう感じがします。そうすると、安全とかいろいろなものを守るためのコストの方がこれからかかってくる、そんな感じもしますので、必ずしも自由万能でいっていいとは思っておりませんが、どうでしょう。
  125. 渡部昇一

    ○渡部参考人 それは、今おっしゃった例でも、隠したために損が大きくついたという教訓を得て隠さなくなるだろうと思いますので、それはそれでいいんじゃないかと思います。
  126. 牧野聖修

    ○牧野(聖)委員 じゃ、一点、時間がありませんので。  今の教育のあり方に大変な問題があろうかと思いますが、教育者の立場からどうしたらいいのかというのを一言だけお教えいただいて、質問を終わらせていただきたいと思います。
  127. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私は、義務教育のレベルにつきましては、物理的な設置基準を設けるなと言いたい。ですから、塾も学校として認めよう、今の学校も学校として認めよう、両方に行きたいやつは両方に行けとしますと、ほとんどすべての問題が解決するという実感を持っております。  というのは、大きな学校に入ってうまく適応できる人もいますし、小さなところで教えてもらえばわかるけれども、大きいところだと物わかりが悪いという子もいます。いじめられやすい子もいますし、物わかりの物すごくいい子もいますし、悪い子もいます。それを一緒にして、最大公約数的な人は大きな学校でもいいと思うんですけれども、塾でいいといったら塾でいいんですよ。  そんなことを先生方の集まりで言いましたら、もしも塾だけでも学校として認めてくれるならば、私はあしたからでも学校をやめて塾をやりたい、私が塾をやらないのは、学校に朝から子供が行っていて、それをさらに塾でやるのはちょっとかわいそうだからやらないんで、塾だけでいいんで、学校に行く時間に塾でやらせてくれるなら、私はあしたからでも学校をやめて塾をやりたいという人が何人もいるんです。  ある先生は、いや、私は、もし塾が学校と認められるならば、朝四時から始める、あるいは五時から始める塾をやりたいなんて言うんですよ。そんなことをしたら子供は四時半に起きなきゃならないじゃないですかと言ったら、いや、四時半に起きる子供に不良少年はいませんとか言って、それで朝飯までやや難しいのをみっちりやって、朝飯は一緒に天地の恵みにでも感謝してというようなことをやればそれでいいんだと。  そして、物すごく高い能力の人は高い能力をつけることができる。旧幕時代は、今の中学生、小学生上級生ぐらいで漢詩をつくれるやつはごろごろいたわけですから、そういう英才教育もできる。明治維新のころの人たちは、そんなに外国と接触しないにもかかわらず、そういう英才教育を小さいところでやっていますから、当時の明治の人たちは、今の外交官なんかより英語はできるし、漢文ができるし、大変なものなんですよ。ところが、今の秀才の基準は、入学試験というものが秀才の基準であって、図抜けた能力じゃないんですね。  だから、私は、簡単に言えば、塾も学校でいいですよ、これだけでほとんど全部の教育問題は解決すると思っています。
  128. 牧野聖修

    ○牧野(聖)委員 どうもありがとうございました。以上で終わります。
  129. 中山太郎

    中山会長 太田昭宏君。
  130. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 きょうは、お忙しいところをありがとうございます。  三点お聞きをしたいと思います。  一つは、歴史観の問題です。  先ほど先生は、極めて明確に、戦前一つの反省点として、民主主義が進んでいくという流れがあったにもかかわらず、ソ連の革命、世界的な社会主義という方向性に引きずられて、さまざまな事件が起こり、テロも生まれ、そして明治憲法の足りないところもあり、そして戦争にいった、そういう分析をされておりました。社会主義に傾いたというお話だったと思いますが、明治憲法の足りないところもありというのは、具体的には何をおっしゃっているのか、これが一つ。  統帥権というものを持った天皇は本来の天皇制ではないと考えていらっしゃるのかどうかということが一つ。例えば、天皇制という言葉は、恐らく一九三二、三年ごろのコミンテルン、ここから始まって、昔はむしろ皇統とか皇室という言葉が使われていたというふうに思いますが、その辺の、統帥権を持った天皇というものと本来の天皇制というものをどういうふうに考えていらっしゃるのかということ。  それから、どのあたりから侵略過程に入ったというふうにお考えになっているのかということ。つまり、国民意識の変化ということからいきますと、もともとこれは、明治になって、憲法自体が問題だという見方もありますし、日清、日露まではよかったのだが、しかしポーツマス条約あるいは日比谷事件等々、そこでかなり民意が変転したという分析もあるし、対華二十一カ条要求というあたりから大きく崩れたという分析もありますが、先生は昭和戦争への雪崩を打った起点というものをどういうふうに見ていらっしゃるのか。  以上三点、まず大きな一番ですが、お聞きをしたいと思います。
  131. 渡部昇一

    ○渡部参考人 まず、明治憲法の欠点と考えられるところは、最初に述べましたように、首相を置かなかったことです。憲法に首相の基盤がありませんでした。内閣明治憲法にはありません。  これは、維新の元勲たちが、徳川幕府みたいなのができるのが嫌だったということも一つあります。それから、条約改正のために急いで明治憲法をつくったわけでありますが、そのときに伊藤博文が一番参考にしたのは、ベルリン大学のフォン・グナイストの逐条講義、プロイセンの憲法でございました。プロイセンの憲法はほとんどそっくり日本のもので、だから伊藤博文が講義を受けたのはほとんど秘密文書になりまして、昭和十四年まで一切出てきませんでした。ですから、首相がなくてやるというのは、ちょっと私は欠陥だったと思います。  そのかわりに、元老会議という憲法にない制度がありまして、この元老会議が決めた人たちが首相を任命して、元老会議の意思は明治天皇の意思というようなことが何となく受け取られておりましたから、首相の地位が憲法にないにもかかわらず、日清、日露も首相の名前でやれたわけです。ところが、それがなくなりますと、憲法の基礎がないものですから、これは私は欠点だと思うのです。改正すればよかったのですけれども、昭和になると改正する動議を出すような元老はいなくなりました。これが一つです。  統帥権は、これもやはりプロシア憲法そのままです。  それで、この統帥権を入れたことに当時の人たちが一番賛成した一つの理由は、西南戦争という非常に苦労の多い戦争があったものですから、とにかく軍は天皇という名前で統べてもらわなきゃ困るなということも加わって、統帥権は認めたと思うんです。  ところが、さっき申しましたように、内閣がないものですから、必ず天皇直属になるわけです、憲法の中の規定は。そして、ロンドン会議の後で海軍の人たちがぼそぼそと、本当は内閣には口を出す権限がないんだよなどといった程度の話に、当時の野党の人たちが飛びつきまして政治問題にしたのが統帥権です。これを振り回されますと、憲法上はそうなものですから、当時の幣原さんの回顧録にもありますけれども、昭和五年のころは、統帥権を振り回されるとどうしようもなかったということがあります。  しかし、この統帥権は、骨のある元老がいれば、あるいは説明する人がいれば、陸軍をも海軍をも抑えることができたと思います。  というのは、外交権というのもちゃんと天皇に直結してあるわけです。外交の方はもちろん外務省がやっているわけですから、陸軍省だって同じだよ、形は天皇ということになっているんだけれども、内閣はないんだけれども、しかし天皇の信任を受けた大臣がやるんだよ、そんなことを言ったら、公務員だって外交官だって、全部天皇直属となってしまうじゃないかというような簡単な議論をする人がいなかったのですよ。これが、今から見て私は、歴史を裁くのは傲慢ですけれども、統帥権に対して日本に討論する学者がいなかったということが大きかったと思います。  それから第三点、日本侵略ということでありますけれども、侵略定義が問題ですね。日本を裁くための東京裁判でも日清、日露のことは問題にしていませんので、あえて彼らが裁き始めた満州国からいいますと、私はあれを侵略とは絶対認めていません。  というのは、溥儀が清朝の帝位から追われまして、北京の郊外に住んでいたわけです。ところが、革命が起こって、何度もかわるのです、政権が。そのうち、反溥儀的なやつがいて、命が危なくなったのですね。そのときに、風が吹いて、砂じんもうもう咫尺も弁じないようなときに、溥儀は、自分の家庭教師であるイギリス人サー・レジナルド・ジョンストンとともに日本の公使館に転がり込んできたのですよ。そして、自分の先祖の墓、清朝の墓が蒋介石の軍隊によって爆弾で爆破されて、骨がみんなばらばらに飛んでしまって、そこから宝物なんか盗まれた。にもかかわらず蒋介石は謝らなかった。  それで愛想を尽かして、自分は満州に戻って、満州は父祖の地ですから、清朝は満州族ですから、父祖の地に戻って満州の国を建てたいという切なる願いを持っていた。初めは日本はそれを拒否しておったのですけれども、たまたま状況が変わって、日本が担ぎ上げて彼を満州国の皇帝にしたわけです。  だから、正規の満州族の皇帝の正規の末裔が自分の郷里に帰って皇帝になりたいときに日本が助けたのですから、これは手続としては、日本国内では石原莞爾の独走だとかいって文句は言ってもいいけれども、外国から文句を言われる筋合いのものではないと思うのですね。  しかも、このときに溥儀と一緒に出てきたサー・レジナルド・ジョンストンは、その後イギリスに帰りまして、ロンドン大学の教授、東方研究所の所長になった偉い学者、当代第一の支那学者でありました。その人が「紫禁城の黄昏」という厚い本を書いたのです。彼は、溥儀と一緒に逃げた方ですから、実に詳しくその事情を知っています。その本にも書いてありますから、あれを読めば侵略などとは言えないわけですよ。そして、溥儀は本当に日本に恩を感じておりました。  ところが、東京裁判のときに、サー・レジナルド・ジョンストンという一流の学者で、溥儀を教えて溥儀が一番信頼して一緒に命からがら逃げた、そのイギリスの家庭教師が書いた本を参考文献として出したときに、拒否したのです。裁判の資料として取り上げなかったのです。取り上げれば、あの東京裁判は成り立たないからです。今はそれは明らかになっています。だから、私は、東京裁判で挙げられたような侵略性はないと考える。  しかも、何よりの証拠には、東京裁判、日本侵略性を裁くんだといって国際法に基づかずに国際軍事裁判をやった当のマッカーサーが、一九五一年にアメリカに帰りまして、アメリカの最高の軍事外交の公の場であります上院の軍事外交共同委員会で大演説をやった、その中で、はっきりこう言っているんですよ。日本が近代国家としてみずからを支える天然資源は蚕しかいなかった。要するに絹産業です。戦前、絹しかなかった。ところが、石油を初めとする近代産業に必要なもろもろの物資は東南アジアにあったんだ、それを我々は、すなわちアメリカたちは日本に売らないことを決意したのである、したがって、日本がこの前の戦争に入ったのは、セキュリティーのためであるとちゃんと言っています。私は、その原文を努力して取り寄せました。  ところが……
  132. 中山太郎

    中山会長 参考人に申し上げます。質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔に願います。
  133. 渡部昇一

    ○渡部参考人 はい、わかりました。  東京裁判を侵略裁判としようとしたマッカーサーでも、公の場所で取り消しています。だから、日本人侵略戦争なんて言う義理はありません。
  134. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 私は侵略戦争であったというふうに思っておりますが、これについては論議はいたしません。  もう一点、経済ということでの日本のアイデンティティーというものを考えますと、市場主義、市場経済ということとアメリカナイゼーションというこの二つの軸が、九〇年代、今日まで非常に接近していると思います。  私は、この市場主義改革の断行というのは非常に大事なんですが、先ほど牧野さんもおっしゃったんですが、市場主義改革の断行とともに、そこに伴う副作用的な、所得格差の拡大とか公的医療、教育の荒廃等々、そうしたものに対応する措置をとっていくということが非常に大事なのではないか。それは、いわゆる新自由主義的なものの中でのセーフティーネットを用意するというたぐいのものではなくて、仕組み自体をそういうふうに持っていくことが大事ではないかというふうに思っておりますが、この点について御意見をちょうだいしたいと思います。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  135. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私は、仕組みが社会主義的になるだろうと恐れているわけです。それをやりますと、すってんてんになります。これは歴史が証明するところですね。  そして、アメリカナイゼーション、グローバリゼーションといいますけれども、それはやはり国際化です。ペリーが来たときに、日本固有の何とかかんとかといっても始まらない面があったのと同じだと私は考えております。  それから、アメリカは優勝劣敗で残酷な社会、そんなことは絶対ありませんよ。アメリカぐらい生活しやすいところはないのです。  私の学問は、全然国とか人類の役に立たないような、元来はゲルマン比較言語学です。ところが、私の弟子なんかでもアメリカの大学に留学しますと、ちょっとでも成績がいいと、絶対人類の役にも立たないような学問の教授でも、無数の小金持ち、中金持ちから回っているグラントがありまして、すぐ出してくれるんです。だから、少しでも成績がよければ、アメリカの大学はだれでも出られるんですよ。貧富の差なんか全然問題にしていない。  だから、アメリカ人は貧富の差なんて騒ぎません。ちょっとでも勉強すれば必ず、もうグラントはうなるほどあるんです。だから、クリントン大統領だって、まあ兄弟が何人いるかわからないぐらい乱れた、貧しいうちで育ったらしいのですけれども、一流の大学を出て、オックスフォードまで留学しているわけです。自分のお金じゃないですよ。  アメリカが優勝劣敗の厳しい国であるというのはむしろ間違った考えで、アメリカほど住みやすいところはない。日本も相当住みやすいんですけれども、日本よりはるかに一般人にとっては住みやすい国であると私は考えています。
  136. 太田昭宏

    ○太田(昭)委員 ありがとうございました。
  137. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 達増君。
  138. 達増拓也

    達増委員 自由党の達増拓也と申します。  税金のあり方というのはまさに国家のあり方の本質にかかわることでありまして、そういう意味で、税金の問題を先生が取り上げられたことは、まさに日本のあるべき姿、しかもこの憲法調査会という場で、そういう広い国の形という意味でのコンスティチューションという意味で、非常に憲法的なテーマであったと思います。  我が自由党も、税金の問題が非常に大事で、単に経済政策ということを超えて、日本人の心のあり方にまでかかわる問題と考えておりまして、六月の総選挙のときにも、所得税、住民税は二分の一にすべきだという公約で戦いました。もちろん、その分思い切った行革で国と地方の歳出を一割カット、十五兆円カットすることでその財源を賄うわけでありますけれども。  どうもこの減税というのは、非常に国会議員の間では評判が悪い政策で、日曜の朝の討論番組で我が党の幹事長が減税と言うと、ほかの人たちがええっという顔をして、この財政危機のときに何が減税だという顔をされますし、新進党時代の四年前の衆院選のときにも、十八兆円の大減税という、公共事業とかそういう出す景気刺激策じゃなく、減税で景気対策をやればいいという十八兆円の大減税という公約をしたのですが、そんな公約を出す政党にはいられないということで、その十八兆円大減税という公約が理由で新進党をやめて自民党に戻っちゃった人が出るという。  事ほどさように、減税というのは国会議員の間では評判が悪い政策なんですが、他方、選挙では有権者から底がたい支持を得ておりまして、やはりこれは大事にしていかなきゃならないと思っております。  質問なのでありますけれども、今日本の財政が危機だという中で、財政再建、これはもう負担増だ、増税だ、そういう議論にいくわけでありますけれども、実は減税こそ財政再建の決め手になるのではないかなと考えているわけであります。もちろん、減税に、思い切った行革、そういうコストの削減、財政の見直しが必要なのでありますけれども。この点、国会の中ではそんなことあり得ないというような感じで、まさに少数派中の少数派意見なんですけれども、減税こそ財政再建の決め手になり得るという考えについて、いかがでしょうか。
  139. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私は今おっしゃった御意見に一〇〇%賛成であります。国会議員の中で減税に対する意見にマイナスの反応が多いということは、実に嘆かわしいことであります。  それは、例えば議会歴史を見ましても、最初にできたのはイギリスのマグナカルタだとか言われていますが、あれだって税金に反対するために議会はできたのですよ。王様は使うもの、議会は使う王様を抑えるものだったのですね。ところが、いつの間にか、行政府が議会の多数党から成ったものですから、王様と抑える人が同じになっちゃったというのが今の状況で、私は今の日本は、政治学的には三権分立と言っているかもしれませんが、実質上の二権分立になっていると思うのです。だから、減税に対して熱心じゃないというのもわかります。王様ですから、今の与党は。  ところが、減税が人気がないといって、タブーに近いにしろ、わずか数年前の憲法の問題を考えてほしい。憲法改正と言っただけでどのぐらいのひどい目に遭ったか。私の知人のある女性が、中央公論にわずかに憲法改正も考える時期が来たのじゃないかなんということを書きましたら、七、八年前の話です、新潟県に講演に行きましたら、その地元の革新系の議員たちが騒いで結局講演にならずに帰ったことがありました。わずか数年前の話ですよ。今は、この憲法調査会ができて、私みたいな者にもしゃべらせるというほどタブーは取れました。  だから減税に対しても、本当に民衆のためであるという確信で、しかも豊かな人が多いことは貧しい人の自由の保障になるという確信さえあれば、数年にしてそのタブーは取れると思うのです。  財政赤字、赤字といいますけれども、わずか十年前のアメリカの財政赤字はいかがでしたか。アメリカはつぶれると言われておったのですよ。ところが、景気さえよくなれば、レーガノミックスが働き出したら、雪のように消えたじゃないですか、あの山のような財政赤字が。そして、今一番のブッシュとゴアさんの争点は、余った黒字をどう使うのかというぜいたくな論争になっています。だから、望みなきにあらずです。
  140. 達増拓也

    達増委員 この二十世紀から二十一世紀にまさに移ろうとしているとき、二十世紀のブレジンスキー教授の言うところのグランドフェイラー、大失敗というのが、社会主義ソ連の建国であったと。そして、この二十世紀の最後の十年、日本で失われた十年と言われていますが、この九〇年代が失われた十年になっているのは、ひとえに、八〇年代にアメリカイギリスは徹底した脱社会主義を達成し、経済社会政策でも脱社会主義を達成すると同時に、国際政治の上でも冷戦の最後の、ファイナルの戦いを勝ち抜いた、そういう本当に総合的な意味で脱社会主義をかち取った、それを八〇年代にきちっとやっておかなかったことが、日本のその後の九〇年代のていたらくにつながっていると思います。  現行憲法を見ていても、非常に二十世紀的だなと思うわけです。まず、第九条、戦争の放棄、そこで言っている戦争というのは、もうこれは帝国主義戦争、列強の角逐、そういう戦争をやめましょうという話であって、今のような相互依存が深まった国際社会の中で起きる紛争をどう解決するかなんという発想は、全然ないわけであります。また、人権の部分も、産業社会を前提とした、当然社会主義的要素が多い人権の内容になっている。  したがって、二十一世紀的な憲法ということを考えると、当然そういう相互依存が深まっている今の国際社会を前提にした国際化をもっと図らねばならないし、また、産業社会から情報社会に移っているそういう中で、改めて、情報へのアクセス権とか個人情報保護権とか、そういう個人の人格、自由の根源というのを意識しながら新しい人権をつくっていかなければならないと思います。そういう社会主義ということに絡めて、二十世紀から二十一世紀への新しい憲法が求められていると思うのですけれども、この点いかがでしょうか。
  141. 渡部昇一

    ○渡部参考人 そのとおりだと思うのですね。第九条というのは、さっきも申しましたように、アメリカ軍が当時日本から撤退するなんということは予測し得る将来になかった話で、その前提のもとにつくったものであるということを考えれば、その性格はよくわかると思います。そして、その後の状況でも、一国で武装して戦争なんて考えている国は、まあ、お隣にはあるかもしれませんが、先進国ではなくなりました。日本もその先進国並みになりやすいようにすればいいと思います。
  142. 達増拓也

    達増委員 次に、二十一世紀にふさわしい憲法のあり方を考えたときに、今自由党の中で、まさにそういう新しい憲法をつくろうと議論して草案をつくっているところなのですが、やはり日本人の心のあり方、教育、文化、伝統、そういったものを憲法の中で方向性を出していかなければならないのではないかと議論しております。  もちろん、国家が個人の内心にまで立ち入ることは許されませんし、むしろそうさせないための憲法ということなのでしょうが、二十世紀という時代を通じて、それまで社会が持っていた、あるいは個人が当然に持っていた文化、伝統、心のあり方というのはかなり壊されてしまった、あるいは失われつつある。そこをむしろ、十九世紀であれば国が全然介入しなければそれでよかったものが、今、国がある程度方向性を示さないとだめなんじゃないか。  例えば、先生から事前にいただいた資料の中で、サッチャー首相のローワーミドルクラスの倫理、清潔を重んじ、勤勉を重んじる。私は、ゆうべそれを読んで感激して、夜十時過ぎだったんですが、議員宿舎の部屋の掃除を始めてしまいまして、そのくらい感動したのであります。日本にも二宮金次郎のように当然常識的にあったものだと思うんですが、変に価値中立主義が幅をきかせてといいますか、あたかもそういう特定の文化、伝統、心のあり方を国は教えない、そういうのを排除するという価値中立主義的な憲法の運用のせいで、そういったものが壊されてしまっている、あるいは少なくとも壊されそうな危機に瀕している、これは国歌は歌わない方がいいんだとか、国旗は上げない方がいいとかいうことも含めてなんですが。  したがって、二十一世紀的な憲法は、そういう教育、文化、伝統についてやはり方向性を示していくような規定を盛り込まなきゃならないんじゃないかという議論をしているんですが、この点いかがでしょうか。
  143. 渡部昇一

    ○渡部参考人 私は、普通の人間間の道徳というのは私有財産をもとにして成立したものだと考えております。ですから、例えば非常に残酷な王様とか皇帝などと言われても、殺した数は数人なんというものです。ところが、社会主義の国家になりますと、何十万の単位で殺すんですね、自分の同胞を。あるいは何百万、千万単位にすらなる。これはやはり、個人道徳というのは社会主義からは出ないんだということをはっきり認識しなければいけない。  私は、私有財産を守るような規定を憲法に盛り込んでおかなければいけないと考えるのは、個人の倫理の基本がそこにあると考えるからです。社会主義の国と個人的につき合った方はわかるように、商売ができないぐらい、商取引のモラルさえ崩れているわけです、成り立たないぐらいになっているわけです。  あと、日本の伝統につきましては、これは例えば、天皇は神道です。しかし、これは日本語ができたか、あるいは日本国ができたか、日本人の意識ができたときからあるものですから、これを憲法に入れないわけにはいかない。しかも、神道である宗教を天皇にやめなさいと言うわけにもいかない、こういうことだと思いますね。ですから、そういう場合は、私は、堂々と憲法に例外規定として、天皇家は神道を行う、それだけでいいと思うんですね。  それから、靖国神社は天皇がお参りしてもよろしい。というのは、そういうつもりで死んだ人がいますから。それから、無名戦士の墓にももちろん天皇はお参りする、靖国神社もお参りする、両方でいい。そういうふうな基本的なことがあれば、あと国旗だとか国歌だとかは、歌わせない国があるわけないんですから、国家とも言えないような国だってちゃんと国歌を歌い、国旗を掲げていますから、日本国みたいな国がそれをやらないというのがナンセンスで、それに反対している人は日本国解体を目指している人たちと私はみなします。
  144. 達増拓也

    達増委員 以上で終わります。ありがとうございました。
  145. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 春名君。
  146. 春名直章

    ○春名委員 日本共産党の春名直章です。  冒頭に、戦前、戦後の日本の反省ということをおっしゃいましたので、その点について、私は大分意見を異にしておりますので、一言申し上げておきたいと思います。  戦前の反省という点で、社会主義に傾いていったということを反省の中心だというふうにおっしゃいましたが、憲法がちゃんと述べているように、戦前の反省というのであれば、侵略戦争と専制政治への反省こそが最大の戦後の出発点だと思います。戦前の反省だと思います。その点が第一です。  もう一つは、戦後の反省ということで幾つかお話が出されて、高度経済成長のときには自由化への方向、ところが、金融システム、金融問題では社会主義的な発想、私有財産を是としないというような問題が重大な問題だった、国力を失ってきたというお話をされました。この過ちの背景に、マルクスのマインドコントロールからの脱却ということがまだできていないとおっしゃいました。  しかし、これは勝手な決めつけでして、私有財産の廃止などをマルクスは求めたことはありませんし、これ一つとっても非常におかしな話でして、マインドコントロールしようがないといいますか、そういう問題でありますので、この点でも少し意見を異にしております。最初にそのことを申し上げておきたいと思います。  そこで、憲法調査会ですので、憲法の問題に話を引き戻して、以下、幾つかの点をお尋ねしておきたいと思います。  参考人は税金の問題を詳しく論じられました。税金問題も憲法から論じることが、私はこの調査会の役割だと思います。その点で、憲法に盛られているさまざまな理念、原則、条文、これを踏まえることが税金問題を論じるやはり前提だと思うのですね。  参考人は、税金の問題を、先ほどのお話にもありましたけれども、憲法のどういう点に依拠されているのか、どのようにお考えになっているのか、この点をお聞かせいただきたいと思います。
  147. 渡部昇一

    ○渡部参考人 第一点、侵略戦争、専制政治の問題であります。  私は、日本を裁くための東京裁判も、日清、日露のあたり、あるいは昭和五、六年ですか、六、七年までは侵略戦争と認めないでいますから、我々が認めてあげる必要はありません。それは当時の先進国のほとんど全部にあった姿だったと思いますね。  それから、満州事変以後は、さっき公明党の先生の御質問にも答えましたように、それは、東京裁判の一番痛い証拠物件を却下したことによるものであり、東京裁判をやらせた当のマッカーサーがアメリカ軍事外交の最高の公の場でそれを取り消していることをもって、私は答えます。  ただ、そのときの日本の新聞は、縮刷版で見ますと、取り消した部分は報道されておりません。それが検閲で報道されなかったのか自主規制で報道、放送しなかったか知りません。私は、マッカーサーが日本侵略国だったという東京裁判の認識を公式に取り消しているということを、これからでも遅くないから、NHKか何かで放送させるべきだと考えております。  第二に、マルクスは私有財産を廃止しないと申しましたけれども、たしか共産党宣言には相続権の廃止を言っていますね。相続権の廃止ということは何かというと、相続できないものは私有財産ではないのですから、私有財産の廃止ともとれますし、あと、実際に、マルクスを担いだ、マルクス・レーニン主義と言ってもいいですが、その国では廃止していますから、私はそれは、マルクス・レーニンとレーニンまでつけるつけないは、面倒くさくない方はどうぞつけてください、マルクス・レーニン主義のマインドコントロールと言っておきます。  それから、税金の問題は憲法のいかなるところに根拠ありやということですが、私有財産はこれを侵してはならないという規定がありますが、税金の方に歯どめの条項がありませんから、税金の形では幾らでも私有財産侵略できる。ですから、その歯どめを明文化した方がよかろう、こういうことです。
  148. 春名直章

    ○春名委員 非常に乱暴な意見だなと私は思います。歴史の事実に目を背けないでいただきたいと思いますし、それから、旧ソ連の体制のことをおっしゃいますけれども、あれは、社会主義の理念を踏みにじって専制政治、覇権主義への道に進んでいったということの帰結ということになっているわけで、その点はちょっと申し上げておきます。  もとに戻しまして、憲法と税金論について考えなければいけないのは、前文で国民主権の原則、それから十三条で幸福追求権、十四条で法のもとの平等、二十五条で健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、そして二十九条の、お話が出ました財産権の不可侵という非常に大事な原則や条文が憲法上明記されている。こういう理念から、負担の公平、応能負担、それから総合累進課税、最低生活費の非課税等々の大切な原則が、国民の運動とも結んで生まれて確立をしてきたというのが税金の歴史でもあるし、憲法の要請なわけですね。  税金は各人の能力に応じて平等であるというのは十四条で示されている。最低生活費の非課税、課税最低限の設定、二十五条の要請です。こういう点をしっかり踏まえて充実させていくということが国民的に問われていることではないかと私は考えています。  二点目にお話を聞きたいのは、税の公平。  税の問題を語るときに、不公平税制の是正ということがまず重要ではないかと思います。先生も著書の中で、鉄道やホテル、スキー場、リゾート開発から球団まで経営して、大変な土地を持っているグループの各社が実は税金をほとんど納めていなかったり、そのオーナーが信じられないほど低額の納税者だったりするのは一体どういうわけかという、怒りに似た論述をこの本の中でされておりまして、こういう不公平な税制の是正という問題についてはどのような御認識をお持ちでしょうか。
  149. 渡部昇一

    ○渡部参考人 ソ連が崩壊したのは、社会主義の理念を踏みにじった、あるいは実現しなかったということでありますが、社会主義の理念を実現したように見える社会主義国は、私の知る限り世界一つもありませんので、これは認めることはできないと思うのですね。  それから、税法のことをいろいろ言われましたけれども、その税法がよくないのだと私は言っているわけです。ですから、いろいろ税制で細かいことは決めなきゃいけませんけれども、憲法では上限を決めてください、こう言っていることです。  それから次の質問の、税の公平で、大企業その他を持っている人でも余り納めていない。これは、税法が複雑怪奇で、いかなる税法をつくっても、五年になれば必ず脱税法ができるということは世界のルールなんだそうですね。だから、きっとそういう企業は、日本に限りません、必ず五年ぐらいになると税金を納めないようなシステムを考えてしまうわけです。だから、それができないようにするためには、税金なんという言葉を使わないで、年貢と言えば、余り難しいことを言わないで法律ができるように思うのです。  ですから、私は、企業でも上がりの一割というふうに決めてしまえば、今言ったように、大企業のオーナーでありながらもほとんど納めないというようなことはできない、逃れ得ないと思うのです。  それは、なぜ納めないかというと、利益をすぐ次の事業拡大に使っていますので、利益として上がってこないだけの話なんです。だから、上がりとして押さえて、そこに一割ぽんと取るというような形にすればいいと思いますが、これは憲法よりは税制の問題ですから私は立ち入りませんが、それに対する考え方がないわけではありません。  それから、税の公平というのは、個人によって税率を変えるというのは必ずしも公平ではない、人間によって率を変えるというのはよくない。率は同じで結構だと思うのですね。だから、一億稼ぐ人は一千万、五百万稼ぐ人は五十万、あるいはある程度以下の人はただ、無税、それぐらいでよろしいと私は考えている次第でございます。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  150. 春名直章

    ○春名委員 不公平な税制という問題を私、問題提起したのは、日本の今の税制度が、例えば大企業にとっては貸倒引当金がある、あるいは退職給与の引当金がある、価格変動準備金などの利益、こういうものが全部除外されて課税ベースが小さい、あるいは大金持ちの方々には利子や配当の源泉分離選択課税制度がある、配当控除がある、譲渡所得の分離課税がある等々、こういう優遇された税制度のゆえにこういう問題が起こっているわけでありまして、憲法の要請している民主的な税制度をきちっと守るということが骨抜きにされていることによってこういう問題が起こっているということを私は指摘したかったわけです。  その点で、先ほどお話の中で、個人によって税の率を変えるのはよくないというふうにおっしゃいました。参考人の著書の中の「歴史の鉄則」という本の中でも、一律一割が国民一人一人が最も平等になる、こういうふうにおっしゃっていまして、きょうの陳述ではそれを上限というふうに言い直されていらっしゃるので、どちらが本当なのかはちょっとあれなんですけれども。  ただ、一律一割ということをもし認識するとすれば、甚だしい逆進性が起こりますね。高額所得者の税負担は非常に軽くなる、低所得者にとっては重い負担になる、これは避けられないことだと思うのですね。こういう問題はどのようにお考えなんですか。
  151. 渡部昇一

    ○渡部参考人 大企業がいろいろ税制の有利なことをこうむって、中小企業が不利だということをおっしゃいます。それは税制の問題ですから、憲法の問題ではないような気はしますが、一応お答えを申し上げておきますと、私が知っている限りの中小企業者では、一番の関心事は相続税の廃止で、自分が始めた仕事をそっくりだれか有能な子供なり親類なりあるいは見込んだやつに譲りたい、これなんですよ。これさえできれば、大企業の方は、それは不当に有利なものを廃止すればいいだけの話です。中小企業の人たち、私の知っている限りはほとんど例外なくそれが一番ありがたいことなんですよ。相続税の全廃、それから遺留分の廃止、これをぜひ共産党の方にも唱えていただければ、中小企業のオーナーの支持を受けるんじゃないかなと私は思います。  それから、逆進性が大きいと言いますけれども、生活の困る方はゼロにしてもいいわけです。あとは、ある程度以上は全部一割。  というのは、衣食住というのは、衣なんか幾らあったってそんなに着れませんよ。一時間に一回着がえたって、一日二十四枚以上は着がえるわけにはいきません。住だって、ある程度以上広くなれば邪魔なだけですよ。食だって、毎日美食をすればたちまち死んでしまいますよ。だから、人間というのは、僕はそういう意味では素朴性善説で、ある程度以上になると必ず寄附することを考える。それは大蔵省が集めて配るよりもはるかに有効に使われている。  私は、アメリカを理想化するわけではありませんが、アメリカの大学を多少知っておりますので、アメリカでは少しでも勉強ができる子供なんか絶対に授業料や進学に困りませんよ。ところが、平等を建前にした国ではどうであったかを考えると、私は、それは逆だと思っています。
  152. 春名直章

    ○春名委員 消費税が五%になって、これでも重大な逆進性という問題で大きな問題にもなっているわけですから、そのことをやはり現実に引き寄せて検討する必要があるんじゃないでしょうか。  それから、最後に一言聞いておきます。  租税国家という問題でいえば、やはりどういう徴収の仕方をするかということと同時に、どのように使うかが問題ですね。参考人も、税金の浪費についての厳しい批判を本の中で書かれています。その浪費という問題、それから、もっと大きく言えば、税金の使い方のゆがみについて、この点についてどのような御見解かということをお聞きしたいと思います。
  153. 渡部昇一

    ○渡部参考人 それは、浪費しているのは、税金で取り上げたお金が浪費されておるのです。私有財産の浪費などは知れたものであって、私有財産の浪費というのは、大体、文化になります。
  154. 春名直章

    ○春名委員 時間が来ましたので終わりますが、最後に一言だけ申し上げておきます。  九条こそ国家としてあり得べからざるものだということを先ほどお話しになったので、その点について一言申し上げますが、これは全く逆でして、戦争の違法化の歴史の先端にある憲法九条に沿って、その方向に日本という国家が進むことが、私は、やはり二十一世紀の道を日本が切り開いていくといいますか、世界から尊敬を受けることになる、完全実施に向けて努力をすることこそが大事だということを申し上げて、最後の発言にさせていただきます。  以上です。
  155. 中山太郎

    中山会長 辻元清美君。
  156. 辻元清美

    辻元委員 社会民主党、社民党の辻元清美です。  以前は、渡部参考人とテレビの番組でどなり合いの議論になったように記憶をしておりますが、きょうは、物静かに、意義のある議論を深めさせていただきたいと思っております。  さて、私は一九六〇年に生まれました。そういう意味では、冷戦の呪縛やそれからマルクスのマインドコントロールからは初めから解放されている世代と申しますか、冷戦時代は子供の時代でしたので、実感としてなかなかその辺は受けとめられない世代として質問させていただきたいと思います。  さて、そういう目から見ますと、渡部参考人のお話の中で、自由マーケット、規制が少ない状況、これが発展するんだというようにおっしゃいました。私は、自由マーケットを否定するものではありません。自由マーケットの中でどういうルールをつくっていくかということはとても大切だというふうに思っているんです。そのルールをつくる際に、私は、渡部参考人のお話を聞いていますと、非常に古典的な市場原理主義といいますか、マルクス主義のコインの裏表の市場原理主義というものがあったわけですが、その発想に基づいてお話を聞かせていただいたような感想を持ちました。  私は、二十一世紀日本のあるべき姿というのは、地球、世界のあるべき姿、このためには、経済のグローバリゼーションをどう見るかということと、経済と環境との共存をどう見るか、違う物差しで、経済の仕組みなり、経済の仕組みということは社会の仕組みになりますが、ルールを考えていかなきゃいけない時代じゃないかなと思っております。  そういう意味では、何かお話を聞きながらアダム・スミスの神の見えざる手とかいうのを思い出したりしましたけれども、このマルクスもアダム・スミスも、そういう意味でいえばその後のケインズも、乗り越える新しい経済と社会のつき合い方ということを、ビジョンを出しながら日本のあるべき姿を考えていかなきゃいけないという立場で質問をさせていただきたいと思います。  さて、そういう中で、私が今二点申し上げましたが、その一点目の経済のグローバリゼーションについて、これをどういうふうにとらえるか。これのプラスの面とマイナスの面を的確に判断しない限り、日本経済政策は立案できないと思っていますが、渡部参考人は、経済のグローバリゼーションに対してどのようなプラス面、マイナス面をお考えでしょうか。
  157. 渡部昇一

    ○渡部参考人 マインドコントロールがない時代に生まれたと思いますけれども、私はそれを信じません。先生の習った先生方、その先生方の組合その他は十分以上にマインドコントロールがかかった人たちであったはずです。  それから、自由市場経済、マルクスのコインの裏表と言いましたけれども、マルクス主義が悪だったわけですから、その表はいいものだと思っております。  それから、グローバリゼーションをどう考えるかでございますけれども、いいも悪いもなくて、抵抗できますかということなんです。黒船が来たときに、開国するかしないか。開国によって失うものはいっぱいあるわけです、武士のちょんまげも皆失ったわけですから。抵抗できたかということですね。  抵抗できませんと思いますので、抵抗できないのなら、うまくこれに取り入ってこれを利用する方に行くべきである。それで、守れるものはもちろん十分守ります。しかし、守れないものを守ろうとして規制なんかをやるのは、これは勇者に刃向かう蟷螂のおのといったようなものではないかなと思います。それは、我々は幕末で実に立派な人たちが開国反対だった時代があったことを知っておりますので、それはできませんね。  どっちがいいか悪いかじゃなくて、大阪方へつくか家康方につくか、これはどっちも言い分があったと思うんですが、大名にしては自分の家がつぶれない方につくのがいい、それだけの話であると私は思っております。
  158. 辻元清美

    辻元委員 私は、ことしの夏に、世界経済フォーラムの会議に、ダボス会議と言われる会議のジュニアの部みたいなものがあるんですが、そこに参加してきました。  そこでは、政治関係の人たちだけではなくて財界、経済界のリーダーたちも集まっていましたが、やはりこの経済のグローバリゼーションに対して、九〇年代以降、二〇〇一年に向けてずっと大きな波として押し寄せてきていることは事実なんですが、しかし、負の側面について、これにどう対抗していくかというシステムを国際的に考えていかなきゃいけない時期が来ているんじゃないかという議論がありました。それは、一つは、先ほど申し上げましたように、環境との共存の側面や途上国との格差の問題であったり、それから人間の生存という意味で健康、ケアの問題ですね、そういう点についての規制を一定かけていかざるを得ないんじゃないかという議論を、これはアメリカも含めてやっています。  そういう中で、もう少し議論を深めさせていただきたいと思うんですが、先ほどのアメリカへの認識ということなんですが、私は、アメリカが財政赤字をどのように解消していったかというプロセスに関心がありまして、幾つか勉強をしているつもりなんですけれども、その中で、例えば個人所得税は累進的だから所得より高い率で税収が伸びるという観点で、レーガン時代やそれからブッシュの時代に幾つかの税制を変えています。  例えば、レーガンのときはキャピタルゲインの課税の強化を試みてみたり、それから不況期のブッシュがしかけたのは最高税率の引き上げ、もちろん日本より最高税率は低いですよ。幾つかアメリカも、そういう意味では、今渡部参考人がおっしゃった方向とちょっと反対のような試みをしてみたり、それから医療保険の問題についてアメリカは熱心に取り組んでいます。  それはやはり、今まで来たものと違う価値を生み出す経済システムがつくれないかという試みであるように私は思っています。これはちょっと、アメリカに対する見解の違いということで、指摘にとどめさせていただきたいと思うんです。  そこで、質問なんですけれども、かつて大きな政府か小さな政府かという議論がありました。私は、これも、それこそ冷戦の呪縛に引っ張られた経済政策の議論ではないかと思っています。それは、大きな政府というのは公助と言われてきて、小さな政府というのは自助とよく言われてきたんですが、その間に最近では、先ほど渡部参考人の中にも寄附という発言がありましたが、要するに、公助で税金を全部吸い上げて、日本の場合大蔵省ですが、強い権限を持ってそこでコントロールする、もしくはすべて自己責任に任せてしまうというのではなく、共助という発想で税制であったり社会の仕組みを変えていくことができないかということは、これは日本だけではなくヨーロッパなどでも議論されていると思いますが、そういう発想についてはいかがお考えですか。
  159. 渡部昇一

    ○渡部参考人 ダボスの会議なんかでお勉強なされたことに敬意を表しますが、グローバリゼーションの負の面とおっしゃったことは、グローバリゼーションだから負なのか、グローバル化しなくたって論じなきゃならない問題だったんじゃないかと思うんですね。環境汚染が一番ひどかったところがどこであったか、胸に手を当てて考えてみれば、それは決して自由マーケットの国ではなかったですね。だから、環境とかそういうものはグローバリゼーションとは余り関係ない。  ただ、第三世界という言い方がありましたが、そういう発展途上国との差がつくということなんですが、発展途上国が追いつかなきゃこちらは足踏みしている、そんなばかなことはできるわけがありません。発展途上国が努力できるような援助はすべきでしょうけれども、今、発展途上国の代表でありますアフリカは、援助物資を皆武器にかえて殺し合いをやっております。それが発展している国の悪であるなんという発想は、とんちきですね。戦争をやめなさいよ、部族戦争でも何でもやめなさいよと言うのがまず一番じゃないかなと思うんです。そのときに、日本だって、先進国からびた一文援助をもらうどころか、差別的な関税を押しつけられながらもやったんですと、余り偉そうに言わなくてもいいんですけれども、むしろそちらの方が重要ではないかなと思います。  それから、アメリカの税制も、レーガンはもっと減らす予定でしたけれども、何しろ、税金でもうける人たちがいるんですよ。それは、レーガンのとき、まだ税制がすっきりいかないというんで怒ってやめたストックマンという人がいましたけれども、本当はあの人の共和党の本当の税制をやるべきで、あれをやっておったらもっとよかったと思うのですが、やり損なった面もあります。  しかし、アメリカの赤字が消えた最大にしてほとんど唯一の理由は好景気です。これ以外はありません。幾ら税制変更といったって、そんなものじゃないのですよ。これはもう好景気だから税収がふえただけです。  それから、共助の精神ですけれども、私は、共助の精神は個人レベルでは全然文句を言いません。ただ、社会に対する援助が、社会政策じゃなくて社会主義政策に流れることを恐れるのみです。
  160. 辻元清美

    辻元委員 私が申し上げました共助という発想は社会主義に流れるものではないということをはっきり申し上げておきたいと思います。  先ほどから私はグローバリゼーションの問題も申し上げましたが、もう一点、環境という面で、ハーグの地球温暖化防止会議でも、経済の発展性と、それから単に途上国の、部族紛争などのお話をされましたが、地球全体としての環境のキャパシティーを視野に入れてこれから経済政策を立案しなければいけないということは、日本がリーダーシップをとっていくべきであると私は考えているわけです。それはいかがですか。
  161. 渡部昇一

    ○渡部参考人 環境の保持は大変結構なことでございます。
  162. 辻元清美

    辻元委員 そうしますと、環境の保持ということを一つのきっちりとした軸として経済政策であったり社会の仕組みを考えていくというのは、これは二十一世紀日本のあるべき姿の一つの大きな柱になると思います。  さて、もう一点、最後になりますが、自由マーケットの規制ということは、どういう規制を撤廃したらいいとお考えなのでしょうか。
  163. 渡部昇一

    ○渡部参考人 何か進歩すると環境が汚れるような感じの発言にも理解できましたが、例えば進歩をとめれば環境がよくなるか、そんなことはないと思うのです。今やっている暖房設備をみんなやめて、木を切って炭でもたいたら、これは物すごい逆行ですけれども、環境も物すごく破壊されると思うのですね。だから、環境といったときに、何か進歩に対する反対というふうなニュアンスに聞き取れるようなのはちょっと考え違いで、いい環境は進歩から行くと思うのですね。かつては日本の鉄鋼業というのは世界に冠たる環境汚染みたいなことだったのですが、今は日本の鉄鋼業は一番きれいな鉄鋼業になっているようです。だから、進歩によってのみ今のものは克服できるものが多いのではないかと思います。  それから、規制緩和で具体的にどういうことを考えるかというと、ほかの規制は大したことはない、国家による最大の規制は税金であるということであります。
  164. 辻元清美

    辻元委員 あと一分ございますが、私は、市場とのつき合い方をどうしていくかというのは、もちろんこの日本のあるべき姿の議論しなければいけない大きな点だと思うのです。  その中で、これからのルールというのは、一つは情報公開、これは市場だけではなくて社会全般だと思いますが、それから機会均等、官民平等、自然との共存、地方分権の徹底、そして市民参加という観点から見ると、税のあり方そのものも、もちろんこれはきっと渡部参考人もそうおっしゃるのではないかと思いますが、地方への権限の移譲や、それからもう一つは、そういう姿を実現するためには税金を、先ほど寄附とおっしゃいましたけれども、今私は、NPOに対する税制の優遇措置について今一番大きな山場を迎えておりまして、実現に向けて非常に大きな努力をしているのですが、これは今までの日本の発想を大きく変えるものだと思います。大蔵省なりお上が吸い上げて分配するのではなく、横に流していくという発想なのですね。ですから、私は、もちろん税制を社会のあるべき姿に沿って変えていくという意見には賛成なのですが、少し渡部参考人とやり方が違うかなというように思います。  最後に一言つけ加えますが、憲法の第八十四条「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」という条項は変える必要はない、これにのっとって社会のあるべき姿に沿った税制を模索していく、そしてつくっていくということがいいと私は思っているということを最後に申し上げまして、質問を終わります。ありがとうございました。
  165. 中山太郎

  166. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 21世紀クラブの宇田川芳雄でございます。大変長時間、御苦労さまでございます。二、三御意見を伺いたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。  渡部先生のお話を伺いながら、憲法と絡んだ質問をするというのはすごく難しいなと思って、お話を伺っていたところでございますが、先生は冒頭、旧東ドイツのライプチヒでお仕事をされたというお話がございました。大変懐かしく伺っていたのですが、私も、東京都の仕事だったのですけれども、ベルリンの壁が崩壊する半月ほど前、一週間ほど、ライプチヒで市長や社会主義政党の書記長さんたちとのいろいろな話し合いがありまして、行っておったものですから、当時を思い起こしていたところでございます。  御承知のように、ソ連のゴルバチョフ大統領が社会主義国家の自由化に向けていろいろ動きをしていた。したがって、ライプチヒを訪問したときにもまさにゴルビー旋風でして、自由を非常に歓迎する国民によって、大変な雰囲気になっていました。私がライプチヒを訪問した翌日の夕方、四十万人というデモがありました。ニコライ教会その他の教会でミサを受けて、ろうそくをもらった住民たちが中央駅広場へ集まりまして、そこから波のようにゴルビー、ゴルビーという声を出しながらデモを繰り広げたわけですけれども、私どももそのデモの中へいい経験だと思って入って、経験をしてきたのですけれども、人々が自由を求めるということはこんな感動的なものなのだろうかということを初めて経験したことを今思い起こしております。  それで、翌日、先ほど申しましたように社会主義政党の書記長を初め、市の市長、幹部等との話し合いをするときに、実は私ども、何を話したらいいのだろうか、こういうときに下手なことを言ったらえらいことになるのじゃないか。日本から電話が入っていまして、もし危険性を感じたら逃げてきちゃっていいからという話さえ出ていた時代でありますから、恐る恐る会談に臨んだのですが、先方の書記長の言葉を聞いて安心しました。  私たちが今まで社会主義国家として四十年やってきたことは一体何だろうか、何もなかったじゃないか、そういうことを今我々は痛感している。その中で今何が欲しいかというと、自由が欲しいのですよ。自由だけあれば、まず我々は人間として生きていくことができる。だから、何としても自由が欲しい。その自由も、難しいものは必要ない。自由に物がしゃべれればいい。自由に物が買えればいい。そして、どこの国へも自由に旅行ができればいい。こういう自由さえあれば、我々は本当に人間としての生活が保障された、そういう気持ちになるのですという話から会談が進んでいったわけであります。  そういう彼らの話を聞きながら、日本人というのは何と恵まれた人たちなんだろう。今、憲法条項を見ましても、はっきり自由と書いてある項目だけでも、第十九条の思想及び良心の自由、二十条の信教の自由、二十一条の集会、結社あるいは言論、出版等表現の自由、二十二条の居住、移転、職業等の自由、あるいは二十三条の学問の自由等々、至れり尽くせりの自由をうたっているわけですね。これはやはり、戦争中の我々に対する統制の一つの反抗的なことでこれだけ自由が並んだと思うのです。  あの社会主義国家の人たちが望んでいた素朴な自由から見ると、本当に至れり尽くせりの自由が謳歌されているわけでありますが、先生のお考えで、日本憲法上の自由、この自由だけはやはり守り抜かなきゃいけない、あるいはもっと大きな自由が必要なんだ、そんなことをお考えになっていらっしゃるかどうか、その点の御感想をお聞かせいただきたいと思います。
  167. 渡部昇一

    ○渡部参考人 自由の価値は、本当に全く同感であります。その自由の、一番人間としての自由というのは私有財産に基づく、私はこういう考えです。だから、それを国家にみだりに侵犯させてはいけない。もちろん税金は納めなきゃならないけれども、それは憲法で明確に上限を設けて、上限以下で取るべきであるという考えでございます。  それから、言論の自由も、私は、謳歌しているように見えますけれども、そうでもございません。テレビなんかでも、私の対談は三十分番組全部没なんということも何度かあります。それから、学校では、夏休みを挟み六カ月間の授業妨害を受けたことが過去二十年間に二回あります。新聞の没数え切れず。  しかし、ほかの国なんかに比べれば格段にいいわけですし、戦争中に比べればあれですから、さらに自由の時代が来ることを望みます。その点においては全く同感でございます。
  168. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 今先生がおっしゃった財産権の問題でございますが、これも、二十九条で財産権の不可侵がうたわれているわけでありますけれども、私はやはり先生のお話と共鳴するところが非常に多いわけでございます。  憲法上、そこまで文言を並べることができるかどうかは別といたしましても、戦後農地解放が行われまして、これはやはり、地主的な政策から、農民に対して農地を解放して、農民がおおらかに生産をすることができるようにするために、私は悪い政策ではなかったと思います。  しかし、その後、農地解放によって得た農地を農民がどうやって耕して、農民がどうやって守ってきたかというと、先生のお話の問題が出てくるわけでして、せっかく農地解放で得た農地、しかも、ある程度の広い農地ならば機械化して合理化して農業作業ももっとすばらしい近代的な農作業ができるのに、農地を保有したおやじさんが死ぬと子供たちに応分に分けなきゃいかぬ。田んぼを分けて貧乏するやつをたわけ者というのだそうですが、このたわけ者制度が横行していた。こういったことで近代農業を随分阻害してきたんじゃないかと私は思います。  農業者だけではなくて、これも先生のお話の中にありましたけれども、町の中小商工業者なども、相続税を含めての承継税制で非常な苦しみを持っている。おやじが死んだために商売を継続することができなくなったという事例はたくさんあるわけであります。  したがって、これは、憲法上の問題というよりは、私はむしろ農地法であるとかあるいは民法上の修正ということになると思うのですが、日本の国がこういう形で憲法改正論議にまで進んできた現状を考えますと、今こそ先生の主張をもっと声を大にしてひとつ述べていただいて、財産の承継税制というもの、民法の改正、農地法の改正を含めましてしっかりとやってもらう必要があるんじゃないか、私もそう思っております。  先生、つけ加えていただくことがあれば、おっしゃっていただきたいと思います。
  169. 渡部昇一

    ○渡部参考人 全く同感でございます。  ただ、農業につきましては、一つの視点としまして、農地解放、小作人に土地を与えたわけですが、実際上は農業に非農家の人は参入できなかったのですね。そんな農地法があるわけです。ですから、農業に関しては、憲法の職業上の自由は、参入の自由が全然なかったということがあります。したがって、農業をやっている人の中に、オートバイのホンダや電器の松下というような人が日本の農業の改革に入れなかったということは私は遺憾に思います。だから、むしろ、小作の人に分けてよかったようですけれども、そうかなと私は思うんです。  というのは、今練馬区とかでも、私は住んでいるんですが、本当の超大金持ちは、そのときただみたいに土地をもらった人なんですね。それがみんな、小作人がもらっても、土地ですから、都市の土地としてはべらぼうに大きいわけです。だから、そこにマンションを建てれば、それこそ大企業の社長であろうが大銀行の頭取を二十年やった人の何倍もの金を持つわけです。それはいいことかというと、僕はむしろ、やはり一時のアメリカの左翼の人に引かれずに小作制度を維持して地主を置いた方が、地主の方はもっと合理的に社会の要請に使える土地のやり方をやったという考え方もあるのではないかなと考えます。  いろいろな点から考えて、基本的には農業は参入の自由がなかったということ、それから、何といってもやはり土地改正法は、あれは戦争の後だからしようがないといえばしようがないんですけれども、私有財産制度に対する大打撃であり、私有財産というものに対する確信を揺るがした害は大きかったと思います。
  170. 宇田川芳雄

    ○宇田川委員 先生おっしゃったように、私も東京・江戸川区の農家でございまして、解放して小作の方に土地を差し上げた方でございますけれども、それはそれなりに地域の開発、発展のためには、一人の地主が持っているよりは小作の皆さんが土地の発展とともに自分の土地を解放して都市化を進めていくということに役立ったということで、まあまあそれはそれでよかったんじゃないかなという感じを持っているわけですが、農村地帯においての農業というのは、やはり余り細分化したのでは農業は成り立っていかないわけで、ここで農水省の方が農業の株式会社制を今進めておりまして、株式会社にして大きな農地にして経営しよう、ただしその会社は農業従事者が半分以上入っていなければいけないという制約がありますけれども、そういう形でだんだん来ていることはよかったことじゃないかと思うんです。  しかし、反面、先ほど先生もしきりにおっしゃっていただいた中小企業問題を考えますと、私は、この承継税制というのはもう抜本的に変えてもらわなければいけない。例えば山林の場合は、親、子、孫かかって一本の木を育てるわけですから五分五乗方式というような相続税制度で恩恵を受けていますが、中小企業だって、おじいちゃんが働いたものを基礎にして、おやじさんが一生懸命それを守ってせがれに移す。まさに三代にわたって中小企業というものを守ってきた、その人たちの税金はごっそり持っていく、こういう不公平税制というものは改正しなきゃいけないので、憲法上の条項の中でどうそれをうたうかということは別としても、何らかの形でこれは改正していかなければいけないなと思っております。  きょう先生のお話を伺いながらそういう点を強く印象に残したということを申し上げて、私の質問を終わります。
  171. 中山太郎

  172. 小池百合子

    ○小池委員 保守党の小池百合子でございます。  本日、長時間おつき合いいただきまして本当にありがとうございます。私で最後でございますので、あと十五分間、最後の力を振り絞ってよろしくお願いを申し上げます。  先生の論は、もう長年のおつき合いの中からよく理解しているつもりでございます。また、本日は税金という形でお話しいただきました。まさに税は国の形そのものを数字で、料率であらわしたものだということで、私はまさに同感でございます。  きょうのお話にはなかったかと思いますが、そもそも先生は英文学の方の御専門でいらっしゃいますので、最近出ております英語の公用語化ということについてお伺いをしたいと存じます。  と申しますのも、やはり日本人のアイデンティティーといったところにもかかってくると同時に、また、憲法の前文にもございますように、国際社会において名誉ある地位を占めたいと思うなら、それを世界にアピールしなくてはならないというような両面があるからでございまして、ますますインターネットで世界が小さくなる、そしてそれの共通語が英語であるというデファクトスタンダードが今できつつあるわけでございますが、そういった意味で、英語の公用語化についても先生のお考えを伺わせていただきたいと存じます。
  173. 渡部昇一

    ○渡部参考人 公用語化という意味が、唱えている、主張している人たちに本当にわかっているのかどうか、私は疑問に思うのですね。  公用語化というのは、公文書を全部英語でも書かなきゃならないということになるのではないかと思うのですね。そんなばかなという話なんですが。そして、日本は商社を初めとして世界に類のない国際活動をやって、そして世界で一番もうける商社なんかが日本にあるわけです。ですから、実際商売をやっている人、機関はそれだけの養成あるいはそれをやっているわけで、はたが心配することはない。  ただ一つ心配なのは、公務員の語学力であると思います。特に、国家の運命を担って国際会議に行くような人たちの英語力だと思うのですね。ですから、私は、具体的な提案を大分前からやっていますのはこういうことなんです。  今は、国家公務員のI種に合格しますと、その省から世界の一流の大学、好きなところにほぼ行けるようであります。しかし、これでは遅いんですね。というのは、例えば大蔵省に入った人がハーバードに留学しますと、ハーバードの経済学の先生は、これは大蔵省のやつだと、それはお客様になりますから、しごきはしませんですよ。それで、学生たちとけんけんがくがくやることもないだろうしということなんです。  ですから、私は、国家公務員I種を受ける人の資格として、日本国が指定する、世界の余りおかしくない英語国の、ドイツ語とかフランス語も含めてもいいかもしれないけれども、百か二百校を指定して、そこに、まだ公務員試験を受ける前の、何の資格も何のタイトルもない一学生として学士あるいは修士の卒業をしておくこと、それをI種の公務員の受験資格とする。  そうしますと、学部ですと、学生同士で遊びまくったり悪いことをしまくったり、本当に会話力もできますし、討論もできますし、けんかもできるようになる場合が多いわけです。それから、先生もただの学生ですと容赦なく締め上げますから、実力はつくはずです、つきます、しかるべき大学のBAでもMAでも取れば。それから国家公務員の試験は日本語で受けて通って、それからその省からまた留学させるなりなんかして仕上げさせれば、日本国としては間に合う。  あとの人に英語を教えるなんということは、私は四十年間以上ほとんどあらゆる段階の英語の教師をしましたけれども、どのぐらい生徒というものはできないものであるか、これは教えられた方でないとわからないと思うのですよ。そんなことはできっこないですよ。何か今度は三年間に百語なんと言っていますけれども、これは普通の子供なら二週間ホームステイすれば覚える単語ですよ。そんなものなぜ三年間教室で教えなければならないか。そんなばかな話、簡単に言えばばかな話なんですよ。  だから、私は、英語はやはり知らないと困ることがありますから、アルファベットは教えなきゃならない。それから、ごくごく簡単なのは教える。あとは習おうと習うまいと勝手で、そのかわり、やりたい人はぎっしりがっしり教える。国家公務員は国家の任務を担いますから、これは必ずできる人にやってもらう。それからあと、商社とか何かは、それは必ずできるやつしか採りませんから、これは心配ない。あとは、遊びに行くとき通ずるとかなんというのは、こちらが円を持っていれば通じますから、これをイングリッシュじゃなくてエングリッシュと言うわけです。だから、そこまで国家が心配してやることはないと思っております。
  174. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  国家公務員というお話でございましたが、我々政治公務員でございまして、まさにPRに努めるのは政治家の仕事でもあろうと思います。その意味では、ちょっと嫌みに聞こえるかもしれませんけれども、政治家こそ英語を必修にしたらどうかと言ってみんなから嫌われている私でございます。  また、これだけ英語が、駅前留学もでき、そしてこれほどの英語の参考書ができ、塾ができ、英語産業はすさまじいものが日本にはあるわけでございますが、先ほどおっしゃいましたように、本当に日本人の英語力というのは何とも寂しい限りでございまして、たしか同僚でいらっしゃったと思いますが、グレゴリー・クラークさんが、どうして日本人は、例えば中学校の義務教育の三年間のあの時間がむだになった分を返せといって訴訟を起こさないんだと言って、ふんまんやる方ない表情でおっしゃっていたのを覚えております。  逆に言えば、それは、日本はある意味で大国の証明ということも言えるかと存じます。  私の知っている範囲では、例えばトルコという国は、東西の中間点にあって、また大変なアイデンティティークライシスを日本同様にいつも抱きながら、そして、ドイツ語などもそうでしょうけれども、英語も一生懸命勉強するんですけれども、これほど英語が下手な国民もいないなと、私も非常に共感をするところでございます。  ですから、英語の公用語化、先生のおっしゃる意味はまずよくわかりましたし、まず、公用語というのは、日本語が公用語であると定めたものは一切ないわけでございまして、そのあたりからも、公用語化ということは非常におもしろい観点であるとは思いますけれども、十分もっと議論を深めていかなくてはならない。  ただ、一つ言えることは、英語を知って、また使える方が世界が広がる、そしてまた、商売をする人はその方がプラスが多いという事実ではないかと思います。  そして、次にお伺いしたいのは、先ほどからもいろいろとお話があったかと思いますが、日本語という障壁で囲まれて最も国際化していないのは、はっきり言ってマスコミの世界ではないかと考えております。  きょうもマインドコントロールのお話もございましたけれども、これまで、日本という、もしくは日本語という垣根に囲まれてぬくぬくと育ってきた日本のマスコミというのは、本来伝えるべきことを伝えない、そしてまた、結果的に国民のマインドコントロールに努めてきた節があるというふうに考えているところでございます。  そういった意味で、報道の自由、当然ございますけれども、このマスコミについてのお考えを伺わせていただきたいと存じます。
  175. 渡部昇一

    ○渡部参考人 最初、トルコですけれども、トルコが下手だというのは、やはりトルコは植民地になったことがないんですね。日本も、占領されているのが今まで続いておればみんなうまくなったと思いますけれども、七年間で済みましたので下手なわけで、これは裏返しにすれば、大部分の国民外国語をしゃべれるというのは、スペイン語とイタリア語というのは、あの親近関係でない場合は、これは征服・被征服を意味する場合が多くて、僕は必ずしも国民が下手なことは恥だとは思っておらないわけであります。  ただ、会話がうまくなるということは、絶対にその場にいなきゃだめだということ、これがABCなんですよ。しゃべるのは条件反射なんですよ。条件反射というのは、条件がないところで学ぼうとしましても、教室なんかでは覚えられない。これは四十年間、あらゆる学校でいろいろな工夫をしてきた。全部失敗なのは、結局だめなんです。天才以外はだめです。  僕は、外国に行かないで会話がうまくなった人はたった一人知っていますが、松本道弘という人ですが、その人でさえも留学したらうまくなったと言っていますから、志ある子供あるいはコネがある子供は、ホームステイでもいい。それから、奥さんが自分のうちにホームステイさせている、留学したことのない方ですけれども、英文科を出て、家もちょっと余裕があったんでしょうか、常にホームステイさせているうちを知っているんですよ。そこのうちの子供は四人いるんですけれども、いずれもそう普通の勉強はできないんですけれども、会話なんかは、そう言ってはあれですけれども、私なんかよりは本物なんですね。それは、子供のときからいつもホームステイで自分のうちに置いたものですから、ジョンだとかメアリーだとか言って遊んでいたわけです。これも使える語学がうまくなる一つの方法ですし、ホームステイもいいと思います。  それから、本を読めるのは、これは文法からたたき上げなければ難しい本は読めません。手紙は絶対やらなきゃ、それは初めから変な文章を書いたら軽べつされるだけだから、書かない方がいいぐらいだと思っております。これはトルコの話です。  次に、マスコミなんですけれども、マスコミは、私なんかの立場からいうと、それも偏見かもしれませんですけれども、NHKの反日姿勢は目を覆うものがあります。それから、ある種の大新聞も反日姿勢が強いように思うんですね。最近も、NHKの職員が電話をかけている女性のスカートに手を入れたというので捕まった話がありましたが、ほかはやるんだけれどもNHKでは放送しないとか、そういうことを平気でまだやっている体質があります。  それから、日本に不利なことはうそでもばあっと出しますけれども、有利なことは放送しないという傾向があります。さっき申しました例では、マッカーサーがアメリカに帰って、アメリカの一番公の軍事外交の場である上院の委員会で、日本侵略戦争であったことを否定しているのを報道したマスコミを私は知らないんですよ。こんなあほなことがあるかと思われますね。それは、マスコミに入る人たちはマインドコントロールがとれていないというのが多いと思うんですね。  しかし、テレビが今後非常に多様になると聞いていますし、それから、活字の方はいろいろなものがありますから、新聞が偏っても、偏らない、反対の方の新聞もありますから、それはそれで双方性があって、かえっていいんじゃないかなとは思っております。  それから、これもよく言われることで、陳腐でまたかというようなことですけれども、新聞社が記者クラブを持っている。自分が直接の報道源をとるよりは官僚のマウスピースになっているというような感じがなきにしもあらずというのは、やはりおもしろくないのではないか。規制緩和なのに、そのクラブに入っていないと情報がとれないような締め出しをやっているとか、そういうのはみずから省みてほしいと思っております。
  176. 小池百合子

    ○小池委員 ありがとうございました。  最後に、ちょっとこれは参考人の方々皆さんに伺っているんですが、私は、やはり日本人というのはどうも戦略を描くのがそもそも下手なのではないかと思うわけでございます。特に国家戦略などと言うと、ミリタリー的なニュアンスがあったりして嫌われてきた。そしてまた、これまでもいろいろと国会の審議の中で、特に防衛庁など、いろいろなテーブルの上でのシミュレーションなどもやらなくてはいけないのに、それをクーデターの準備だなどというふうな形で、国会そのものがとまってしまうなどという三矢事件などもございました。  そもそも下手くそな上に、そういったことがなれていないというようなことでございますが、こういったストラテジー、戦略的思考を持つためのインフラについて、必須の要素があれば教えていただきたいと存じます。
  177. 渡部昇一

    ○渡部参考人 今の小池先生と憂いを同じくするものですけれども、それは普通の大学でもポリティコミリタリーを教えなきゃいけないと思うんですね。先進国の知識人、先進国でなくてもそうだと思いますが、リーダーというのは、軍事知識のない人などは考えられないわけです。それが日本では、戦後は、軍事を考えると即悪という刷り込みが強烈に行われたために、それをやっただけでだめだったんですね。それは三矢事件もそうでしたけれども、つい数年前まで、憲法と言っただけでそのようなことでしたけれども、今憲法はこのように論じられるようになりましたので、軍事についても、東京帝国大学に軍事学を置かないのはおかしいというような意見が小池先生あたりから出れば、大変結構だと思います。
  178. 小池百合子

    ○小池委員 時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。
  179. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  渡部参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。調査会を代表して、心からお礼を申し上げます。(拍手)  次回は、来る十二月二十一日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十一分散会