運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

2000-10-26 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年十月二十六日(木曜日)     午後三時二十分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君    幹事 葉梨 信行君 幹事 鹿野 道彦君    幹事 島   聡君 幹事 仙谷 由人君    幹事 赤松 正雄君 幹事 塩田  晋君       奥野 誠亮君    新藤 義孝君       杉浦 正健君    田中眞紀子君       中曽根康弘君    中山 正暉君       根本  匠君    鳩山 邦夫君       平沢 勝栄君    保利 耕輔君       三塚  博君    水野 賢一君       宮下 創平君    森山 眞弓君       柳澤 伯夫君    山崎  拓君       山本 明彦君    五十嵐文彦君       石毛えい子君    大出  彰君       中野 寛成君    中村 哲治君       藤村  修君    細野 豪志君       牧野 聖修君    山花 郁夫君       横路 孝弘君    太田 昭宏君       武山百合子君    藤島 正之君       赤嶺 政賢君    山口 富男君       植田 至紀君    辻元 清美君       近藤 基彦君    松浪健四郎君     …………………………………    参考人    (財団法人国際東アジア研    究センター所長)     市村 真一君    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ————————————— 委員の異動 十月二十六日  辞任         補欠選任   杉浦 正健君     山本 明彦君   枝野 幸男君     中村 哲治君   春名 直章君     赤嶺 政賢君   土井たか子君     植田 至紀君   野田  毅君     松浪健四郎君 同日  辞任         補欠選任   山本 明彦君     杉浦 正健君   中村 哲治君     枝野 幸男君   赤嶺 政賢君     春名 直章君   植田 至紀君     土井たか子君   松浪健四郎君     野田  毅君     ————————————— 本日の会議に付した案件  日本国憲法に関する件(二十一世紀日本のあるべき姿)     午後三時二十分開議      ————◇—————
  2. 中山太郎

    中山会長 これより会議を開きます。  日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を進めます。  本日、参考人として財団法人国際東アジア研究センター所長市村真一君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、大変御多忙の中、この会議がおくれましたけれども、ひとつ御了承いただきまして、貴重な御意見をお述べいただきたいと存じております。  なお、参考人の御発言の際は会長の許可を得て御発言をいただくことになっておりますので、さよう御了承を願いたいと思います。なお、参考人から委員に対しては質疑ができないことになっておりますので、どうぞその点もお含みを願いたいと思います。  それでは、市村参考人、お願いいたします。
  3. 市村真一

    市村参考人 我が国基本法でございます憲法をめぐる諸問題について発言する機会を与えられましたことを、心から御礼申し上げます。  私は、昭和二十年におきましてはちょうど二十でございまして、昭和二十一年に京都大学へ入学いたしまして、一年生のときに佐々木惣一先生憲法講義を聞いた者でございます。自来、憲法の問題は念頭を離れたことはございませんが、私の専門経済学でございまして、アジア経済発展に過去約三十年の学者としての後半生を当ててきた者でございます。  二十一世紀日本のあるべき姿について、またそれと憲法問題との関係について本日は発言をするわけでございますけれども、その前に二つのことを発言することをお許しいただきたいと思います。  一つは、昭和二十一年から二十二年にかけましての佐々木惣一先生憲法講義は、ちょうど現在の憲法が制定せられる渦中でございまして、その都度生々しい、東京での、旧明治憲法改正現行憲法に至ります過程のお話をされながら講義をされたことを想起するのであります。  多くの佐々木先生書物も拝読いたしましたが、本日一言だけ申し述べたいのは、その御講義の最中に一度先生が、いよいよ現行憲法が制定せられるという直前の段階で、近衛公憲法改正草案を急がねばならぬということで、大学卒業以来初めて徹夜をしたという話をされましたことと、そしてある日、東京大学の宮沢俊義教授を厳しく批判せられまして、宮沢俊義のごときに憲法の何がわかっておるかということを言われたことであります。当時、聞いておりました者は五百名になんなんといたしておりましたから、私のこの記憶を裏づけてくださる方は何人もいらっしゃると思うのであります。  もう一つ申し上げたいと思いますことは、私は、昭和二十五年にいわゆるガリオア資金を得ましてアメリカへ留学いたしました。そして、三年間留学して帰ったのでありますけれども、最初の一年をコロンビア大学で、後の二年をマサチューセッツ工科大学で博士課程を終えたのでありますけれども、その二十五年、コロンビア大学におりましたときに、ある学生食堂で一人の人物と出会いました。彼の名はマクネリーというのであります。マクネリーという人は、コロンビア大学博士論文において日本憲法改正のプロセスを書きまして、それで博士号を得た人なんです。  この前に憲法調査会というのがございまして、「日本国憲法制定の由来」という書物が出ておりますが、マクネリー論文というのが下敷きになっているのであります。不思議なことに、この中に、マクネリーによればという引用はたくさん書かれておりますけれども、そのマクネリー論文がどういう形で出版されておるかということはこの書物のどこにも書いていないのでありますが、たまたまマクネリー氏にそのとき会いました関係で、それがコロンビア大学に提出せられた博士論文であるということを承知している者であります。このことはぜひ本日記録にとどめておいていただきまして、コロンビア大学博士論文マクネリー氏の論文を、私は持っておりますが、調査会におかれましても取り寄せられまして、御参考にしていただきたいと思うのであります。  なお、ついでに申しますと、この中で引用せられておりますウォードという人の業績も、この書物の中には引用されておりません。これはどこにあるのか私は承知しておりませんので、御調査いただきたいと思います。  以上、追加でございますが、本日の発言に移らせていただきます。  憲法問題を考えます際に、二十一世紀世界日本というものの姿をほぼ想定していろいろなことを考えようという当調査会の御見識には、心から敬意を表したいと思います。  二十一世紀が今からどういうふうに変わるかということを見定めるためには幾つかのことに注意をいたさねばならないと思いますが、その中でも、私の考えで一番重要だと思われます幾つかの点について、私の勉強いたしておりますことを申し上げます。  第一、世界の地政学的な構造であります。  世界の中での日本というものを見ます場合の最も基本的な観点は、世界各国の地政学的な構造であります。ゲオポリティクスの構造であります。そこで特に重要なのは、国家の中には、大陸国家海洋国家という区別があるということと、中核国家周辺国家という区別があるということであります。  大陸国家の特徴は、国土の大半大陸の内部に位置し、人口大半内陸部に居住し、海洋に開かれたる良好な港湾が少ないということであります。世界の中でこのような大陸国家は、ロシア中国インド米国四つしか存在しません。最も典型的な大陸国家ロシアであります。次いでインド中国であり、アメリカは、大陸国家であると同時に、両大洋に開かれた港湾を持っておりますので、海洋国家でもあると言えなくもありません。  この四大大陸国家が、同時に人口大国であり、領土の大きな大国であるという事実に注目する必要があります。すなわち、世界政治的動向は、この四つ大国がどのような動きをするかということに大いに左右せられるのでありまして、そのような実情は、私の提出いたしました本日の資料の二ページ及び三ページに掲げてございますところの地図と、その人口を比例的に地図の上に落としましたときの図、第二図によって明らかであります。  ところで、日本ユーラシア大陸の東端にあり、東亜の一角にある海洋国家であります。それは、あたかも英国ユーラシア大陸の西端にある海洋国家であるのと似ております。しかしながら、英国欧州大陸と単独で対峙しているのと異なりまして、日本は南方に台湾及びASEAN諸国とつながって、さらにそのかなたに大洋州の二国を臨んでおるのでありまして、著しくその地政学的構造が違うのであります。  したがって、日本は古来、朝鮮半島とつながりつつ大陸との関係を持ち、同時に、海洋によって東南アジア諸国とつながる、そういう構造になっておるということを忘れてはならない。これはいわば日本地政学的基本構造であり、宿命であると言わなければならないのであります。  二十一世紀には、今の東アジアの低開発国である国々もやがて発展して中進国となるに相違ありません。それらの国を束ね、大陸国家シナ及びロシアと対峙し、そして海のかなたの大陸国家、同時に海洋国家である米国とどのように結ぶかというのが日本国家戦略宿命的課題であります。  その次に、中核国家周辺国家の差でありますが、アメリカ大陸において、アメリカ合衆国は他の諸国との関係で見て中核国家周辺国家関係にあります。歴史的に、シナ支配した歴代王朝周辺諸国東夷西戎南蛮北狄と称しましたのは、自己を中核国家、周りを周辺国家と考えていたからであります。中核国家たる条件は、軍事力経済力政治体制政治思想文化学術国家国際的信望等総合的国力において、周辺国家より数等すぐれているということであります。我が国は、この意味において中核国家となろうと努力したこともございますけれども、極めてなりにくい地政学的地位にあるということでございます。  二十一世紀世界において、アメリカ合衆国は疑いもなく最も有力な中核国家であります。しかし、その影響圏が太平洋、大西洋のかなたのどこにまで及ぶかは、その総合的国力が国際的にどう評価されるかにかかっているのでありまして、今をパクス・アメリカーナと申しますけれども、全世界を左右できるほどの力はないと判断すべきであります。ハンチントン教授が「文明の衝突」という書物の中で、シナ回教圏諸国との連盟が成立して、それとアメリカが対決するという心配をしておるということは、このような憂いがアメリカ人念頭を去らないことを証明しております。  二十一世紀アジア中核国家は出現するでありましょうか。中国がそうなるだろうという意見を述べる方はいろいろとございます。最も代表的なものは、ジョン・ネズビッツという人が書きました「メガトレンドアジア」という書物であります。この人はジャーナリストでございますけれども、中国本土経済力プラス三千万になんなんとする在外華僑華人経済力を総和して、二十一世紀華人世紀であると結論しているのであります。  しかしながら、私がその書評で批判をいたしましたように、彼の見解は東アジアにおける他の諸民族、諸国家の反華人感情とその経済力を軽視し過ぎているという意味において、これを支持しがたいというふうに私は考える次第であります。二十一世紀アジアにおいて華人経済力は次第に伸長するでありましょうけれども、決して支配的とはならず、またその結束が、もとの中国と結んで保たれるとは思えないのであります。  その第一の理由は、東アジアの諸民族国家状況が、ハンチントン教授ネズビッツ書物が論じているほど簡単に華人支配になるとは思えないからであります。私の要約の五ページの上の表二をごらんいただきますと、アジアにおける華人以外の諸国家及び諸民族の宗教と民族と言語がどのような姿になっておるかということがわかるのでございまして、そこには書いておりませんが、その諸民族、諸国家人口を考えていただきましただけでも膨大な数でございまして、しかもそれは決して親中国ではないという意味におきましては、私は、華人アジア支配できるというような状況にはないというふうに思うのであります。  第二の理由は、中国米国が対決する可能性があるということであります。ハンチントンもこの点に言及いたしておりますが、この点を一番詳しく論じましたのはブレジンスキーの「世界はこう動く」、原題は「ザ・グランド・チェスボード」というのですが、そのユーラシア大陸での地政学的戦略を論じました書物の中で、引用しておりますその下の第三図がそれを示します。中国拡張政策をとりました場合、中国支配したいと思うであろう地域を点線で描いておりまして、それに対して現在の日米同盟が一応境界線と考えておる線を黒い線で書いておりまして、そのあたりが両勢力圏の対決する境界線であるということでございます。舞台は朝鮮半島台湾海峡東南アジアにあることはこれで明らかであります。  第三の理由は、二十一世紀の間には中華人民共和国の国家体制が変容すると予想されることであります。現政権の一党独裁体制は、恐らくあと一世代もつことはないでありましょう。かつ、一たん多党の併存が部分的にもあるいは地域的にも認められるや否や、民主的政治意思決定過程シナの各地に浸透し、やがて少数民族、各地域自治拡大の要求が強まるに相違ありません。これは、東アジア諸国の戦後の政治経済を眺めてきた私といたしましては、極めて自然なように思われるのであります。かつて、朝鮮半島におきましても、また東南アジアにおきましても独裁的な政権は数多くございましたが、いずれにいたしましても、反対党が出現いたしますと、どうしても民主政治方向へと行かざるを得なかったということを証明しているように思うのであります。  このような情勢を考えますと、日本が地政学的に考えて選択できる道は、東亜海洋国家群を束ねて、アメリカ合衆国と同盟しつつ、大陸国家であるシナ及びロシアと友好的に対峙しながら、海洋国家諸国経済社会文化発展を図るというのが日本のとるべき大きな国家的戦略であると言わなければならないし、そのことは二十一世紀においても変わることはないと思うのであります。  その次に、世界三極構造のことを申し上げたいと思います。  世界全体の現在の趨勢として重要なのは、先進諸国には地域統合趨勢があり、低開発国には逆に国家分裂の傾向が見られることであります。北米三国にNAFTAが形成され、ヨーロッパにEUが形成されました。そして、それにあわせて東アジアにもASEANプラス3、すなわちマハティール首相が主唱いたしましたEAECの別形態の会合が重ねられておりますし、日本イニシアチブによりまして、日本韓国及びシンガポールとの間に部分的自由貿易協定の話し合いが進み始めております。  また、大蔵省の榊原氏が、時期尚早ではありましたが、提唱いたしましてアメリカの猛反対を受けましたアジア通貨基金の構想も、その後、宮澤イニシアチブあるいはチェンマイ・イニシアチブという形で東アジア諸国間の通貨危機対策協力が進められております。そしてそれに対しては、米国中国も露骨な反対はしなくなってきております。これは、東亜における一つ地域統合への動きが一歩か二歩始まったことを証明していると思うのであります。  アメリカにおきましても、幾人かの識者は既にそういったトライパータイトワールド、三極構造世界方向世界が向かっているということをむしろ積極的に支持する議論が多くなりつつありまして、二十一世紀は確実にそうした三極地域統合体が相互に協力する形を模索するという方向に進むものと思うのであります。  そこで、そのような東亜における経済統合に決定的に重要なのは、日本役割であります。東アジアにおいて日本の果たす役割がいかに重大かということは、最近起こりました金融危機の救済において、東アジアが必要とする資金の実に三分の二を提供したのは日本でありまして、IMFは若干の、あるいは誤った知恵を出しましたけれども提供した資金は極めて少なく、かつ米国政府におきましてはびた一銭もアジアには援助していないのであります。  この三極構造世界一極を占める東亜地域は、北米と西欧とは異なって、簡単に地域統合が進む状況にはありません。なぜならば、中国極東ロシアという存在があるからであります。基本的にこの二つ大陸国家と他の海洋国家国益は一致せず、経済的に競合する面が多いからであります。  しかし、この点についてさらに詳しく見ますと、第一節に言いましたような、地政学的な視点から東亜海洋国家群シナロシアとの対峙を指摘したのでありますけれども、この三極における東亜ということを考えますと、我々は中国経済とも密接な関係を持ちつつ経済的に協力し合っていかなければならないという関係にあります。したがって、日中関係はある種の友好と対決という、絶えず矛盾した関係にあるわけでありまして、我が国といたしましては、このような力関係、すなわち大陸諸国との力関係海洋国家群との力関係をバランスよく保たなければならないという配慮をしなければならないのであります。  一九九〇年代の初めごろに、日本中国投資が怒濤のごとく激増したときに、私は、東南アジア諸国を回りましたとき、どうかASEANを忘れないでくださいという悲鳴にも似た声を東南アジア諸国経済界から聞いたことがあります。その東南アジア経済界の中には華人経済人も含んでおりました。  そこで、帰国後いろいろ調べましたところ、我が国対外投資は、中国への怒濤のごとき投資増が起こりましたのは九〇年代の初めに限られておりまして、それ以後は急速にそれは鎮静化し、ASEANへの投資が拡大いたしておりまして、そこに掲げました七ページの表が示しますように、むしろASEAN諸国への投資の方が若干多いというのが現状であります。そして、それは現在に至っても変わっておりません。決して中国一辺倒には動いていないということが判明しておるのであります。これは、我が国経済界の方々がこのような配慮をして意図的にやっておられるとは思いませんけれども、しかし、各社の大きな配慮というものがそういった方向を生み出しているのではないかと思うのでありまして、それは日本国益に一致していると考えるのであります。  そのような緊張関係をはらみつつ、海洋国家群のリーダーとしての日本、そして大陸国家とが対峙するというのが二十一世紀三極構造東亜の姿であるというふうに考える次第であります。  次に、軍事問題でございます。軍事問題は私の専門ではございませんが、どうしてもこの問題は避けて通れないと思いますので、若干の意見を申し上げます。  二十一世紀中に大きな軍事的衝突が起こる可能性はほとんどないと思います。なぜならば、アメリカ一極支配を覆すような大国になる国はありそうもないからであります。すなわち、二十一世紀パクス・アメリカーナ世界であり、アメリカは新しいローマ帝国になるでありましょう。米国ないし他の軍事大国にいたしましても、核戦争の危険を冒してまで追求しなければならないほどの国益はないと思われます。  しかしながら、二十一世紀世界において、唯一深刻な利害対立が起こり得るものは石油であります。エネルギー資源であります。このようなアメリカの、例えばNAFTAを結成いたしました動機でありますとか、あるいは中近東湾岸戦争を起こしました状況でありますとか、昨今のアメリカ動きで、中近東、アラブへの介入でありますとかを見ますと、それにはやはり深刻な石油問題が関係していることは明らかであります。  それに対して、他の大国、例えば中国とかロシアが本当に真剣にチャレンジするかといえば、恐らくそうはならない。なぜならば、中国は今や石油輸入国であり、採掘権を握っておりますメジャーとの協力を重視しなければならないからであります。  ただ、この点で注意をすべきは、二十一世紀の後半になるとエネルギーをめぐる事情が激変する可能性があります。石油資源はなくならないまでも、代替エネルギーを求めなければならない度合いはもっと大きくなるかもしれませんし、ひょっとすると核融合技術が実用可能になるかもしれません。  そうした資源状況、あるいは新技術開発をめぐる状況がどのようになるかによって、世界政治経済に深刻な影響を及ぼす可能性があります。我が国はこの点を冷静に分析し、絶えず注意を払っていかなければならないと思うのであります。我が国にとって、食糧問題も深刻でございますけれども、これは主として備蓄で対処できるのでありますが、エネルギーはそうはいかないのでありまして、エネルギー問題はより深刻であるというふうに考える次第であります。  そこで、アメリカ核戦争の脅威を回避するために推進しつつある核拡散防止協定がもっともっと強く推進せられることが極めて望ましいわけでありますけれども、アメリカみずからはこれを批准しておりませんし、核保有国が核軍縮から核廃止への道を着実に進んでいってくれるということが重要でありまして、これに対する我が国の深刻な国家戦略が求められておるというふうに思う次第であります。この点につきましては、恐らく私よりもより適切な議論をできる方がいらっしゃると思います。  第四番目に、二十一世紀世界で、人口について申し上げなければなりません。  二十一世紀世界では、人口について奇妙な現象が進行しております。それは、世界先進国の諸民族には人口減少が起こり、低開発国人口爆発が起こっているということであります。国内における少数民族を除きますと、ロシア人ドイツ人フランス人アメリカ白人人口日本人人口は、既に減少し始めているか、あるいは近い将来に減少することが確実であります。しかし、主としてシナインド回教圏、アフリカ、中南米では激増いたしております。そして、そのような人口爆発国では多くの飢餓者が出ているという状況であります。このような人口動態は極めて深刻でありまして、このような人口動態の将来というものを正しく見通し、それに対してどのように対処するのかということが二十一世紀の重大な幾つかの問題の一つであることは疑いありません。  次の十ページのところに、国連の人口部が作成いたしました人口ピラミッドの図を掲げました。左側の三つは、一九九九年の先進国中進国それから極貧国人口ピラミッドの姿であり、右側の三つは、二〇五〇年の予測された人口ピラミッドの姿であります。  その二つを見ていただくと明らかなように、先進国におきましては人口老齢化はますます進んでいきますが、と同時に、現在の中進国、例えば韓国とか台湾とかフィリピンとかそういうところの人口ピラミッドも、一九九九年の先進国のような形になっていって、やはり老齢化が進み始めておるということがわかります。驚くべきことは、先ほど人口が爆発していると申しましたような一番貧しい国々においても、若いところの人口ふえ方が減りまして、人口老齢化が進むということであります。  すなわち、少子化人口老齢化というのは世界じゅうを通じての現象でございまして、このような少子老齢化現象日本社会世界で一番早く直面しておるわけでございますので、もしこの克服に日本人が見本を示しますならば、世界の人々は日本にいろいろ教えを請うことになるだろうと思うのであります。  ところで、この少子化現象と同時に進行いたしておりますことは、我が国の国民の道徳力の衰えであります。青少年犯罪の増大その他、もう言うまでもないことであります。日本の場合、既に我が国人口問題審議会が提言いたしておることでございますけれども、結婚した夫婦が持っております平均の子供数は二・二人でございまして、決して不健全ではありません。問題は、結婚しない男女がふえていることであります。しかも、調査によりますと、大多数の未婚者も結婚したいと思っているのであります。このことは、現在の日本社会が、若い男女の結婚、男女交際、出生、育児の問題を正しく処理していないということを示すのでありまして、このようなコミュニティー、共同社会の問題というものの欠陥が我が国に露呈していると言わなければならないわけであります。  そこで、少子化問題の対策をどうするのかということでございます。十一ページでございますけれども、そのかぎは、そこにいろいろ書いておりますが、若干飛ばします。要するに、家庭とコミュニティーという二つの人々の集いを、もっと温かな、もっとお互いが啓発し合える、助け合えるような、そういう社会に育成するということでございまして、このような対策がもっともっと真剣に講じられなければならない。そして、子供を産み、子供を育て、健全なる家庭を育てていくという両親を持つような家庭がもっと社会的に福祉を受けることができるような、そういう社会制度というものをつくり上げなければならないということであります。  ちょっと一例を申し上げますと、児童手当、一人目の子供の手当はサラリーマンはもらえますけれども、二人目からはもらえない、三人目からももらえない、そういう現行制度はまことにおかしな制度であります。例えばそういう制度を改めていくということが重要であります。このような現在の制度の改革あるいはそれに伴うところの家庭環境の悪化というふうなものが実に多くの道徳的問題を起こしていることは、私の指摘するまでもないわけであります。  この意味において、二十一世紀において主要先進国が競い合っておりますものは、経済競争だけではなくて、それは教育競争であり、技術競争であり、文明競争であり、道徳競争であると言わなければなりません。我が国は、少なくとも、これらの経済競争以外の競争においても他の先進諸国に劣らないように、そういう努力を重ねるべきだというふうに思います。  二十一世紀世界の畏敬を受ける国はどこか。それは、国民道徳が一番高い国であると思います。そのような日本にしたいものであります。  その意味において、我が国が急がなければならないのは教育改革であります。教育改革といいましても、小学校、中学校の改革から着手するという通常の文部省のやり方ではなくて、一番大事なのは上から改革するということでございまして、大学院の改革、研究所の改革、そういうところから始めて下へ行くというのが正しい改革の方法だと思います。そしてそれには、教育基本法改正が不可避であるというふうに考えております。詳しいことはまた次の機会にいたします。  さて、二十一世紀世界を考えます場合に、既に申し上げましたように、非常に大きな問題は、アメリカ中国の動向であります。アメリカ世界全体にとって、中国アジアにとって極めて重要であります。  ところで、アメリカは、現在のごとき繁栄と権威を維持し続けることができるかということでありますが、必ずしもそんなに楽観はできないと私は思うのであります。  アメリカは、日本と同様に、家庭の崩壊あるいは家族道徳の崩壊、社会秩序の崩壊というものが極めて深刻であり、人々の物的利欲の肥大と伝統的宗教心の喪失というものは、アメリカにおいては日本以上に深刻なように思うのであります。アメリカの監獄に収容せられている人の数は二百数十万人、国民の一%であります。このような国は恐らく世界先進国の中にはない。このような欠陥がどのような形で二十一世紀の後半ぐらいに露呈し始めるかということは私にはわかりませんが、それがそのまま平和と繁栄を持続できるとは到底考えることはできません。そのように思う社会学者、政治学者は多いのであります。  少なくとも我々は、自国の悩みの克服に努力しつつ、そういったアメリカ社会の変化というものにも気を配っている必要があるように思うのであります。  そして、もし世界の警察官としての米国のおもしというものが軽くなりますと、各地の地域紛争が抑制できなくなる。その結果、世界地域紛争の混乱に陥るということは、どうも避けられないような気がするのであります。バルカン半島の情勢、中近東の情勢などはこれを証明していると思います。  そのような状況のもとで、日本が準備を急がねばなりませんのは、国連の安保理事会入りであります。そして、国連の安全保障理事会に入るというのでありますならば、現在の日本国憲法は、自国の安全保障を他国の信頼、救援に信倚しつつ、しかも、自分は逆に諸外国の安全のための義務を果たさないという国際的不信義を含んでおります。このゆえに、現行憲法改正されなければならないということは自明であると私には思われます。そうでなくては、日本国は国連での責任を果たし得ず、また、国民の国家的責任への自覚とそれへの貢献の義務を覚せいせしめることはできないと思われます。そのような義務感あるいは責務感というものが高まりますならば、少子化の傾向も道徳心の退廃もやはり軽減されていくであろうというふうに思います。  次に、中国でありますけれども、中国の現在の経済は、極めて順調に七%くらいの成長を当分は持続できると考えます。しかしながら、内情を詳しく見ますと、銀行や国営企業や政府財政の不良債権は膨大でありまして、一たび現在の高成長がとんざいたしますならば矛盾が一挙に噴出することは、日本の場合と同様であろうと思われます。  そのような中国経済の内情につきましては、アジア経済研究所の渡邊真理子さんという方が最近書かれました「中国の不良債権問題」という極めてすぐれた研究がございまして、私はこの書物に主として依拠するのでありますけれども、そのような矛盾を解決するためには、どうしても現行の政治体制、独裁政権の腐敗というふうなものを克服しなければならないわけであります。それは決して容易なこととは思われません。  恐らくは、以下、私の想定でありますけれども、江沢民政権が交代した後、十年を出ずして共産党の一党独裁体制は終わり、反対政党の出現を見るのではないかと予想するのであります。前に申したとおりであります。  その理由は、東アジア各国の例を眺めてまいりまして、一党独裁がずっと続いていくということはほとんどないのでありまして、中国と北朝鮮のみにそれが続いておりまして、そのような状況が変化をする兆しというものはもう近い将来であるというふうに考える次第であります。  経済は、WTOに加盟しまして以後、着々と自由化、市場経済化が進みますから、それはやがて物の考え方を自由化し、社会の仕組みの変革を要求し始めるに相違ありません。場合によっては、中国はソ連邦のように分裂していくことも、二十一世紀前半ですら起こるかもしれないというふうに私は考えております。中国のみならず、朝鮮半島台湾インドネシア等に大変大きな政治的変動が起こる可能性があるというふうに思っております。  日本は、その間に処して、アジアの平和と発展を維持し、助成していくというような国家にならなければならないと思います。それは、現在のように、経済的支援をし、金融面で助けるというだけでは足らなくなるかもしれません。  二十一世紀世界日本国憲法との関係を考える場合には、以上のような状況を前提にいたしますと、米国の力と信望が今のように圧倒的なものとして持続するという大前提は、やはり非常に楽観的な前提であるということではないかと思うのであります。次第に日本は応分の貢献を期待されてくるでありましょうし、それは、経済的な面だけではなく、民間や行政の専門家派遣、科学技術・学術面への協力、さらには国際政治、軍事面にまで及ぶものと予想いたします。もし実際にアジアのどこかで軍事的衝突が勃発しますならば、日本への要請はにわかに大きくなるに相違ありません。  我が国としては、二十一世紀に起こるどのような事態にも対応できるように、自国の政治経済社会の体制を改革、整備していかなければならないと思うのでありまして、それにとって不可欠の問題は、憲法改正であるというふうに思います。  その次に、これが最後ですが、二十一世紀先進諸国において一番大事なのは、先ほど申しました道徳競争に打ちかつということであります。このために不可欠なものは、日本人が誇りと自信を取り戻すということであります。その日本人の誇りと自信を持って世界に物心両面において貢献するというふうになりますならば、日本人は実に偉大な力を発揮するに相違ありません。日本国の憲法は、そのような国家国民にふさわしい基本法でなければならない。そして、世界にどのような事態が生起しても対処できるような国家であり国民でなくてはならない。そのようなことを可能ならしめるような憲法でなくては日本国の憲法とは言えないと思うのであります。  そのためには、日本の歴史と伝統にふさわしい国家の基本構造が明示されなければなりません。国家は、今生きている日本人のみによって構成されているのではなく、建国以来の祖先も日本国の構成員であります。一言にして言えば、日本世界にまたとない君主制の国家であり、見事な王朝文化を中心に、東洋と西洋の文明の融和に成功しつつある国家であり国民であります。そのような国は世界の中にほかには存在いたしません。ハンチントン教授でさえ、世界の七大文明の中の一つ日本文明というものを数えたのであります。  その文明ということの根幹は宗教であります。日本人のごとく、伝統的な神道と仏教とその他の宗教もあわせ併存せしめながら国家を形成し、発展してきた国は世界の中には日本のみでありまして、このような国家の存在というものは実に貴重であり、日本人がそれを誇りにしてよいゆえんだと思うのであります。この点を我が国憲法は明確に承認し、これを誇りとできるような憲法でなくてはならないというふうに私は確信いたします。  そして、日本人は将来ますますこのような文明に磨きをかけ発展させていく、そしてそれによって世界に多少なりとも貢献するということが日本人の誇りであり生きがいとなるべきものであります。そのような子孫を包含して国家は永遠の命を保持し続けるのであります。そのようなことに貢献するのが日本人の道徳の根幹であり、道徳競争に勝ち抜くための日本人の基本的心構えでなくてはならない。日本憲法は、それにふさわしいような政治制度を整備すべきものと思うのであります。  そして、このような基本を明らかにした上で、世界三極が並び進み相互依存が強まる二十一世紀において、国際的責任を果たし名誉ある地位を占めるような意思を明示していることが望ましい。我が国憲法はそのようなものでなければならないと思っておる次第であります。  以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)
  4. 中山太郎

    中山会長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  5. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  本会議関係により開会時間がおくれましたので、質疑者におかれましては、時間厳守でお願いをいたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鳩山邦夫君。
  6. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 先生のただいまのお話、大変感銘を受けましたし、事前に先生論文をいただいて読ませていただいて、本当にすべての行に線を引きたくなるような、そういうすばらしい文章でもありました。特に、十二ページから最後の十三ページにかけましては、私たちが一番考えなければならない重要なポイントが列挙されております。  昨日の党首討論、私は全部見たり聞いたりしたわけではありませんが、確かにあのような話題が今世の中で騒がれているのは事実でございますが、およそ党首討論は、国家の基本問題を議論するという趣旨で始まったものでありましょうが、余り国家の基本問題が党首討論で議論されたというような光景を見た覚えがありません。そして、昨日もまた、国家の基本問題を考えるという意味では、時の話題としては意味があっても、国家の基本問題や二十一世紀、二十二世紀のあるべき日本の姿を議論しようという意味では、全く不毛の党首討論だったと言わざるを得ない。こんなことを日本政治家たちが、しかも党首討論という形で議論している間に、この国はどんどんアイデンティティーを失っておかしくなっていく。  この国をどうしたらいいんだ。どうすれば日本という国がもっといい国になるのか、もっと国民が幸せ感を持つことができるのか。あるいはどうすれば世界から信頼をされるのか。あるいはどうすれば末永く、孫、ひ孫ではなくて、次のミレニアム、ホーキング博士は、人類は次のミレニアムを生き抜くことができないのではないかとさえ心配しておられるわけですが、どうすれば次のミレニアムを、日本あるいは人類あるいは地球の繁栄、これを導くことができるのか。  そういう議論をすべきときに、例えば昨日の党首討論だけでなくて、今回の臨時国会も、それは緊急の課題があるだろうし、補正予算もやらなければならないだろうし、医療等の問題を真剣に考える、これは大いに結構なんですが、ではテーマは何ですかと言われると、きょう可決をしましたが参議院の選挙制度の問題、あるいはあっせん利得罪の問題、これは統治の機構には関係することかもしれませんが、この国をどういう国にしたらいいのか、今大変大きなピンチに立たされているのではないかという認識の中で、国会が国の将来を憂えて議論をしているということではないと思うし、どう見てもそういう姿には映らない。それが、政治が信頼を失っていく最大の原因ではないか、私はそう思っているんです。そう思う中で先生の十二ページ、十三ページを読んでおりますと、本当に胸がすくような思いがいたします。  先生は、この論文と別の論文の中でたしか、いわゆる下部構造たる経済が上部構造たる政治あるいは文化を決定するというマルクス・レーニン主義の考え方は正しくないのではないか、今や政治主導というか、政治がよくなれば経済社会もよくなるという考えの方が正しいだろう、アジアの通貨危機もその諸国での政治の腐敗とか怠慢というものがそれを呼び寄せたのではないかと書いておられたと思います。  ということは、日本政治がもっとしっかりしなければならない。楽観的に言えば、政治がしっかりすればこの国はもっとよくなるという意味だろうと思いますが、しっかりすべき政治のポイントというのはどのようにお考えでしょうか。
  7. 市村真一

    市村参考人 この間のアジア金融危機は、すべての東アジア諸国が危機に陥ったのではありません。危機に陥らなかった国があります。それは、中国であり台湾でありシンガポールであり、そしてほとんど危機とも言えないほどであったのはマレーシアであります。これらの国は政治が非常にしっかりしていたからであります。特に、具体的には、短期金融資本の取引というものを厳しく制限しておったという事実であります。危機に陥りましたのは日本であり韓国でありタイでありインドネシアであります。これらの国に共通しておりますものは、政官財の癒着構造というものがかなりびまんしておったということであります。政治がしっかりしているということは、そういった経済的危機を克服する上でやはり重要な役割を果たし、そこがしっかりしておりませんと、一たん起こりました危機に厳しく対処することができないということであります。我が国は幸い豊かでございましたので今もう乗り切れてはおりますけれども、そういう感想を持っております。
  8. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 私は、この憲法調査会ができるに当たって、そのプロセスの中に身を置いた一人でございます。中山太郎会長から、憲法調査会あるいは憲法調査委員会というようなものをつくってみたいと思うがどうかというお話があったのはもう大分以前のことでありまして、私は当時民主党におりました。皆さんで議員連盟をつくって、とうとうこのすばらしい会が衆参両院に設置をされたわけであります。  当時、私は民主党の中にあって、中山会長に御協力させていただく、そうした政治行動は完全に白眼視されるありさま、全員からではありませんが、相当な方から白眼視されるありさまだったものが、それは時代が変わってきたのかなと思う面もあります。  その白眼視された点が、私が民主党と決別をしなければならなかった最大の理由でもあったわけですが、最近では民主党の代表が、集団的自衛権を日本は持っている、なかなかいいことを言うようになったわけでございます。弟へのラブレターだなんということを言っているようでもありますが、しかし、考えが一致するのは悪いことではない。それはさまざまな思想の方が民主党におられるとは思いますが、いろいろな政界再編が続く中で、憲法改正という点については大きな大きなチャンスがやっと現実的にめぐってきたのではないか、私はそう思うんです。  それは、ボン基本法、ドイツの憲法のようにもっと早くから、独立を回復した時点で憲法改正すべきだったとは思いますが、ここまでおくれてしまったことは、やむを得ない事情もあったかと思います。しかし、今まさにチャンスだ、そういう思いで私たちはこの憲法調査会出席をいたしております。  その中で、先生は、日本を立派な国にするためには憲法改正が必要だということをさまざまな観点で書かれております。ですが、そうであるならば、先生はタイミングとしていつごろまでにきちんと憲法改正すべきとお考えなのか。もちろん中身もありましょう。中身は、先生が書いておられますように、国際的な貢献の問題、憲法九条の問題にも当然触れて、改正をするのは一体いつごろまでにやらないと間に合わなくなるとお考えなのか、お教えください。
  9. 市村真一

    市村参考人 国内の国会議員方の賛同が得られないとできないわけでありますけれども、しばらくその点を横に置きまして、国際的な状況から申しますならば、やはり我が国が国連の常任理事国に立候補して、そしてそのことを堂々と議論するというタイミングとそれは合わせるべきものではないかというふうに思います。
  10. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 先生が先ほど講演された中で、十二ページに、「自国の安全保障を他国の保障に期待しつつ、自国は他国の救援には赴かないという根本的な国際的不信義を含んでいる。」ということ、全くそのとおりだろうと思います。  同時に、いつも話題になります憲法の前文、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」翻訳調であり、悪文でございますので、意味がはっきりいたしませんが、要するに、日本はこれからは、平和については自分では頑張らないで人様にお世話になろうというふうに読み取れるわけですが、先生のこのような御発言であれば、こういう前文は当然削除あるいは改変すべきということになるんでしょうか。
  11. 市村真一

    市村参考人 はい、もちろんそのとおりであります。  我が国の現在の憲法の一番悪いところは、個々の条文とかいうこともございますけれども、それよりももっと悪いのは前文でございまして、前文は、要するに敗戦後遺症の最も顕著にあらわれておるものでございまして、このような前文や憲法のもとでは日本人が誇りと自信を取り戻せないということが一番基本的であります。  その憲法を読むことによって日本人が誇りを感じることができるということは、やはり日本人が外国を頼りにするということだけじゃなくて、日本人世界から頼られている、世界に貢献できる、これを貢献するんだということがうたってあれば日本人は誇りを持てるというふうに思いますので、何よりも前文が間違っているというふうに思います。
  12. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 全くすばらしいお話で、私は、まず前文を全面的に書きかえるということをしなければ、新しい憲法にはなり得ない、そういうふうに考えております。  先生のお話の中で非常に注目すべきは、いわゆる道徳的な退廃ということと少子化現象が密接に絡んでいるというところでございまして、その前のページのところを少し飛ばしぎみに説明しますと先生がおっしゃったのですが、私、実はここが一番おもしろいところだと思って、何度も何度も熟読をしたわけです。  つまり、家族とかコミュニティー、共同体、これはGHQが、マッカーサーが、日本の強さはここにありと思って一番破壊したかったものでありましょう。そのマッカーサー、GHQの破壊行為が成功する、いわゆる極東軍事裁判史観が定着をするというような中でこの日本国憲法が制定されていった。  憲法は、恐ろしいことに、家族とかいうことについては何も書いていない。第二十四条は、婚姻が両性の合意だということが書いてある。一回だけ家族という言葉が出てくるのは、「離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」いわゆる徹底的な個人主義。家族というのはそれに準ずるものだというような考え方で書かれている。  憲法は、九条のこととかあるいは義務規定が少な過ぎるとか、新しい権利が書き込まれるべきではないかというようなことが一般的に言われますけれども、実は日本国憲法の最大の欠陥は、第九条以上に、二十四条的なもの、家族とかコミュニティーというものを全く認めないというところではないかというふうに言われていることは、先生も御承知だろうと思う。  そういう中で、先生は、物欲とか利己心の肥大というものが国を悪くし、そして道徳的な退廃を生み、またこれが少子化現象につながっているというお話をされておられるわけで、私は非常にここに大きな注目をいたしたわけです。  先生は、何か確認を求めるような言い方で申しわけありませんが、日本国憲法が、家族やコミュニティー、あるいは愛国心も含めて、コミュニティーの最大のものである国家というものに対する国民のあるべき姿を全く描いていないということについて、どのようにお考えでしょうか。
  13. 市村真一

    市村参考人 少子化問題との関係等に御注目をいただきましたことに感謝したいと思います。  私は、ただいま御指摘のとおりに考えておりまして、憲法二十四条は、婚姻ということに関する一つの大切な側面を申しておるだけでありまして、その他の、そこに書かれておらない側面というものも同じように大切であるということでございます。  例えば、二十四条について申しますと、「両性の合意のみに基いて成立し、」というふうにありますが、なぜ「のみに」と書いたのかということでありまして、私どもが伝統的に、婚姻をいたしますときには、本人がもちろん話し合いますが、たとえお見合い結婚でありましても、もちろん本人が了解をするわけでありますし、両親の同意あるいは友人との相談、そういうことはしておるわけであります。  それからさらに、御指摘のように、コミュニティーということも非常に大切でございまして、それがないと子育てというものはうまくできないわけであります。両親だけが子供を育てるわけではありませんので、やはりコミュニティーによって子供は育てられる。ですから、田舎の方であれば、今日でも健全な子供はたくさん育っているわけでございます。  それから、少子化との関係につきましては、例えばフランスはひところ人口が減少いたしました。そのころは、フランスの国威というものは上がっていなかったときであります。国民が全体として自信に満ちておるときというのは、やはり人口少子化というふうな方向には向かわない、減少には向かわないものであります。  ドイツ人人口が減ったということは、やはりドイツ民族の自信というものが失われたことと非常に関係しておるのでありまして、現在の我が国少子化という現象も、日本の国民の自信喪失、利己的になったということとやはり密接な関係があり、共同社会が衰微しつつあることと皆関係しているというふうに認識しております。  これは私だけの意見ではありませんで、いろいろな社会学者の意見でもあります。
  14. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 関連しまして、先生はそこで、教育競争、これが道徳競争につながる、教育改革が非常に大事だということを指摘されておられます。教育がしっかりする、教育者の力によって、家族とかコミュニティーを強く意識できる、そういう人間をつくることが大事だというふうにおっしゃっておられると私は解釈いたしております。  そうなりますと、教育基本法もまた憲法影響を強く受けて、要するに、日本は立派な国ではあったけれども、それは間違いも犯しただろうと思いますが、戦前の日本が持っていた中で、流行の部分は別にいたしましても、不易のいい部分まで取り去ろうとしたのがGHQであり、極東軍事裁判であり、この憲法ではなかったか、そう思うわけです。その憲法の強い影響を受けて、教育基本法が非常に似たような形で書かれておりまして、国を愛する心とか、あるいは家族とかコミュニティーというような部分がほとんど書かれていないわけです。家庭教育という言葉が一カ所出てきたかと思いますが、理念としては全くそういうものは出てこない。  そうしますと、教育基本法改正というのは喫緊の我々政治家の仕事であると先生はお考えでしょうか。
  15. 市村真一

    市村参考人 私の承知いたしておりますところでは、教育基本法が制定されるに当たりまして、我が国の政府、教育刷新委員会が最初につくりました原案には、我が国の伝統を尊重しというふうな言葉が入っておったと思うのでありますが、それが最後に占領軍の方で削られたというふうに承知しております。その我が国の伝統を尊重して人格の完成を目指すというふうな表現であればよろしいというふうに思うのであります。  教育というのは、一番基本的には、その民族、その国家あるいはその社会が持っておる過去の文化的遺産というものを次の世代に引き継ぐ、すなわち伝統を継承するという側面と、新しいものを創造させていくという面と両方があるわけでありますが、その伝統を継承するという教育の五〇%を占める部分をどこにも教育基本法は書いていないわけでありますから、そこを改める必要があるというふうに思います。
  16. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 先生の先ほどの御講演の中で、十三ページに、「実際にアジア軍事的衝突が勃発すれば、日本への要請はにわかに大きくなるに相違ない。」日本の国際貢献、特に東アジアに対する貢献はさまざまなものがあるでしょうが、今までのような経済協力だけというわけにはいかない、こういう意味での期待も高まるだろう。そして、ここで、二十一世紀に起こるどのような事態にも対応できるような、そういう憲法でなければいけない、私はそう読むのですね。  起こるどのような事態というのは、もちろん国内的にもありましょうし、国際的にもあるだろう。その前に軍事的衝突ということが書いてありますから、アジアにおける軍事的な紛争が起きた場合に、日本がその期待にこたえられるように行動できる、そういう憲法を持つべきだ、こういうふうに読んでよろしいでしょうか。
  17. 市村真一

    市村参考人 はい、そのとおりでございます。
  18. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 とすれば、憲法九条を具体的にはどのように変えたらいいのか、あるいは集団的自衛権については当然行使できるように明記すべきとお考えかどうか、お答えください。
  19. 市村真一

    市村参考人 憲法九条につきましては、よく言われますことは、第一項はいいのだけれども第二項がいけないのだということをおっしゃるのですが、第一項も非常におかしいと私などは考えるわけであります。  例えば、「武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」ということは、いざ日本の周辺に本当に戦争が起こりましたならばこれは守れないということは極めて明らかであります。現に、コソボ紛争のときに、国際紛争の解決に武力を行使しなかった国、そういう原則に立った国は一国たりとも存在したと私は思っておりません。  ですから、こういうのは空理空論であるというふうに私は思います。ですから、第九条は全面的に改正せられるべきだと思います。
  20. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 先生は、歴史と伝統が大事であって、日本がまたその歴史と伝統にふさわしい国家の基本構造を持つべきである、そのような憲法を持つべきだ、こうおっしゃっておられます。  全く同感ですが、問題は歴史ということなんですが、歴史教育についてはまるで内政干渉のようにごたごたいろいろなことが言われるわけでございます。また、ぺこぺこ謝罪外交などをやるものですから、日本の誇りも何も踏みにじられて、信頼をしてくれるはずのアジア諸国が、逆にこの謝罪外交を見てばかにしてくるというような側面もあるような気がするのです。  私は、地理、歴史というものは、演繹的な学問ではなくて帰納的な学問である。数学とか物理、化学のように三段論法で演繹的に議論できるものは世界共通の教科書があっていいだろう。しかし、歴史というのはその国の見方、地理もその国の見方がある。日本の地理で、世界地図では、日本はど真ん中にあります。恐らくほとんどの国が、世界地図ではその国をど真ん中に置いているでしょう。歴史もそうだと思うのですね。その民族、その国固有の見方があって当然である。ところが、例えば歴史教科書を近隣アジア諸国と共通のものをつくろうなどという信じられないほど愚かなことを言う運動もあると聞いております。  したがって、歴史というのは非常に重要であって、何も都合よくねじ曲げる必要はありませんが、日本民族の誇りと伝統に基づいた日本人固有の歴史観というのかな、私はそういうものがあっていいと思うのですが、先生、いかがでしょうか。
  21. 市村真一

    市村参考人 私は歴史学者ではございませんので、歴史の教科書がいかに書かれるべきかということにつきましては、もう少し私以上の適任者がいらっしゃるとは思うのですが、例の教科書問題が起こりまして、そして近隣諸国配慮して教科書を書くという表現で官房長官が表明せられまして、それ以来、我が国の教科書に近隣諸国の主張が我が国の主張であるかのごとく取り入れられたという事実がございます。その近隣諸国のいろいろの思いというものに配慮するという、言葉の表面はそれはそれで結構でございますけれども、実際に起こったことは、慰安婦問題でございますとか日本が侵略したとか、そういうことを書き込むということでございまして、これはやはり我が国としてはまことにやるべきではなかったことであるというふうに考えております。  およそ世界のどこの国の歴史教科書を見ましても、自分の国の主張というものを、自分の国の歴史のよいところを国民にしっかりと継承させるということが根本になっておりまして、行き過ぎた点の反省と過ちは繰り返さないという決意は同時に述べられてよろしいとは思いますけれども、その内容といえども、近隣諸国の主張とはおのずと異なるのが当然であるというふうに考えております。
  22. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 例えば、太平洋戦争などという言葉はだれが押しつけたかわかりませんが、正しくは大東亜戦争の結果、迷惑はかけてしまったでしょうが、近隣アジア諸国の中では、独立をかち得た国々日本に深く感謝しているというのも事実だろう。  どうも最近の政治も、他の社会のさまざまな面も、何か元気がなくて縮こまっている。聞くところによると、シナという言葉を先生は多用されておられて、私はこれは結構だと思いますが、東シナ海というのもいけないといって、東海というふうに呼び名を変えているという外務省の腰抜けぶりを示した話も聞こえてきますし、今申し上げたように、大東亜戦争と言うべきところを太平洋戦争だなどというような、そんな思想が横行しておりますので、日本人としてあるべき正しい歴史観に基づいて立派な歴史教科書がつくれるように我々も頑張っていかなくちゃならないだろう、こんなふうに思っております。  では、最後に一つだけお尋ねをいたします。  先生は、日本アジアのリーダーになれ、日本役割は大きいよということをおっしゃっておられますし、現に、先生の書かれた「二十世紀世界日本政治経済」という論文の中で、世界の中での日本役割として六つぐらい、日本アジアのペースメーカーたれとか、いろいろ書いておられるのです。アジアを束ねたらどうだという言葉も先生のお話の中にありましたし、また、東アジア経済圏というような言葉もありますが、日本が主導的にそういう堂々たる役回りを演ずることができるように憲法改正すると同時に、我々政治家はどういう心構えで臨んだらよろしいのか、御教示ください。
  23. 市村真一

    市村参考人 リーダーになるというのはなかなか難しいことで、みんながリーダーとして押し上げてくれるようになることが一番望ましいわけでございまして、自分からリーダーだと名乗ったからすぐにリーダーになれるわけではないわけでございますから、そこは謙虚に、十分慎重に政治的に外交的に進めなければならないというふうに思っておりますが、心構えとしては、日本はそういう役割を担わざるを得ないんだということで、それにふさわしいような力を、何も政治だけではなくて、あらゆる面においてみずからに実力をつけなければならないというのが私の考えでございます。  決して、他のアジア諸国に威張るとかなんとか、そういう考えではございませんので、そのあたりよろしく御了解いただきたいと思います。
  24. 鳩山邦夫

    ○鳩山(邦)委員 ありがとうございました。
  25. 中山太郎

    中山会長 次に、山花郁夫君。
  26. 山花郁夫

    ○山花委員 民主党の山花郁夫でございます。  私たち民主党は、この憲法のいろいろな条文について精査を行った上で、場合によっては、改正すべきと考えられるところがあればそれについて積極的に論じる、いわゆる論憲という立場をとっているわけであります。護憲という立場をとられている政党もございますが、決してそうではないわけでありまして、憲法調査会をつくるということについて決して白眼視するということは思っていないわけでありますが、やや私と鳩山邦夫委員との間では、国家観あるいは歴史観の違いというものがあるように感じられました。  したがいまして、市村先生の御講演あるいは御論文に対する私の意見といたしましては、やや疑問点を提起するということになるかもしれませんけれども、そういった立場から質問をさせていただきたいと思います。  本日お持ちいただきましたこの論文の十三ページのところに、「その憲法日本人が自信と誇りを持ち、そのために献身できるような国家基本法でなければならない」、こういったフレーズが出てくるわけでありますが、この点については、私ももっともであると考えます。  ところで、二十一世紀日本のあるべき姿ということを考えるに当たっては、二十世紀を、どういった世紀であったかということについての総括をしなければいけないのではないかということを感じております。  先生の御論文の中で、先ほど鳩山委員からも御紹介がありましたけれども、「二十世紀世界日本政治経済」という御論文がございますが、この中で、二十世紀の時代を象徴的にあらわす言い方として、前半は政治の時代であり、後半は経済の時代であったというふうに総括されているようであります。この御論文は、二十一世紀日本のあるべき姿という観点からの総括ではないようにもお見受けしたのでありますけれども、改めまして、二十一世紀日本のあるべき姿を論じるに当たって、二十世紀というのはどういう世紀であったのか、こういう点についての先生の御見解を御披露願えればと思います。
  27. 市村真一

    市村参考人 二十世紀という世紀日本の立場から回顧するということと、国際的な立場から回顧する、世界全体から回顧するという場合とで少し見方が違ってくると思うのです。私は、この論文で書いておりますのは、主として日本の二十世紀回顧という視点から書いております。  もう少し国際的な視野から見ますと、例えば、二つ世界大戦というのが非常に大きな二十世紀の出来事であります。これは、文芸春秋の「私たちが生きた二十世紀」という特集号、最近文庫版になりましたが、あの中で私は書きました。それは要するに、ヨーロッパがドイツ民族をヨーロッパの中にどのように位置づけるかということに失敗したということだと思うのです。ドイツ民族も失敗しましたし、周辺民族も失敗した。だから、そういうことは日本とは余り関係がありません。  それから、ロシア革命が、二十世紀を動かした非常に大きな要因でありました。しかし、なぜロシア革命が起こったか、そしてそれがどのように波及したかということに日本影響を受けましたが、ロシア革命が起こったということに関しては、日本は日露戦争に勝つことによってロマノフ王朝に打撃を与えたという意味では関係がありますが、それ以上の関係はありません。  そういった、二十世紀というものを回顧するときには、やはり世界的な視野から見るのと日本的な視野から見るのとちょっと違うと私は思っております。それで、私がこの論文で書きましたのは、主として日本の立場で見ておるというふうに御理解いただければありがたいと思います。
  28. 山花郁夫

    ○山花委員 二十世紀日本の立場であるいは世界の立場で総括したときに、よく言われるフレーズでは、戦争の世紀という言い方があるかと思います。そして、日本国憲法というものは、この戦争の世紀を体験し、もうこういうことを繰り返してはいけないという憲法制定当時の思いがあった上で、憲法の九条なりあるいは前文というものがつくられてきたのであると認識しております。この当否については、先生の御見解は先ほど承ったかと思います。  さて、その中で、この九条があることによって、戦後日本の国会の中でもさまざまな議論の積み重ねというものができてきたわけであります。例えば、文民統制を維持する、あるいは武器輸出三原則であるとかあるいは非核三原則といったような、こういった原則というものが今国の政策として確立されていると思うのでありますが、先生のこの御論文の九ページのところには、「非核三原則をすべて厳格に守るだけではなく、万一に備える選択肢を持つことを早急に検討し始めるのも二十一世紀我が国の課題であろう。」というふうに論じておられます。  私は、この非核三原則であるとか、あるいは日本が建前の上では軍隊は持たないのだという、こういった政策をとってきたことによって、二十世紀の後半に当たるかと思いますが、そうした中で、経済的な発展であるとか、あるいは日本の本土が直接的には戦争に巻き込まれなかったりであるとか、こういった非常にプラスの面も、評価できる面もあったのではないかと考えているわけでありますけれども、こういった観点から、つまり非核三原則であるとかあるいは平和主義の条項というものが戦後果たした役割についての総括もいただきたいと思います。
  29. 市村真一

    市村参考人 私の書きました論文のどこかで注目をしておりますけれども、日本だけではなくて、すべての国が第二次世界大戦の後で発展をいたしました。特にアジア発展をいたしました場合に、独立とか外国との戦争とか、そういう政治的関心事から経済中心主義に切りかわったことが発展の大きな分かれ道になっているというのは事実でございます。  それは、例えばベトナムの場合にも、ドイモイが始まって経済復興が始まる。中国の場合に、トウショウヘイの改革・開放で経済発展が始まる。そういう関係にありまして、我が国の場合でも、やはり池田内閣の所得倍増計画以後、政治中心から経済中心に移ったということが経済復興の大きな分かれ道になっている、そういうことは確かにございます。  したがって、いたずらに政治的なことに注意を向けるのではなくて、経済中心に行ったということが大きく経済復興に貢献したということは否定できない事実だと認識しております。私も経済学者でございますので、もちろんそれを高く評価するものであります。  ただ、憲法の問題とそういう国策の決定ということとは、関係ないとは言えませんけれども、もう少し憲法というのは基本的なことにこたえ得るようなものでなくてはならないというふうに考えておるわけでございます。  それから、非核三原則の問題につきましては、私が思いますのは、これは国の安全保障政策上の一つの選択をしておるわけでございまして、米国との間に関しましては、我が国は、非核三原則とはいいましても、いざというときは何どきでも米国の核を活用できるような体制のもとにあるということが非常に大きな大前提になって非核三原則が成り立っておるわけでございます。恐らく隣国から見れば、それを配慮しておるからこそ、日本という国の安全保障に対するある種の畏怖というものを持っておるんだと思うのですね。だから、非核三原則は、そういう日米同盟ということとペアで考えなくてはならないと思うのです。  したがって、日本の将来を考えました場合に、それが果たして日本国の安全保障上一番よい選択であるかどうかということを真剣に検討しなければならないというふうに考えておるわけであります。それが十三ページに書いてある私の本旨でございます。
  30. 山花郁夫

    ○山花委員 ただいまのお話を伺いまして、論文の五ページ目あたりで論じられていたことについて、少しお伺いをしたいと思います。  日米安全保障条約というものは、日本アメリカとのいわば同盟関係のような位置づけになる条約であるかと思うわけでありますが、歴史的に見れば、同盟というものがなされると反同盟というものが生まれてきたというのも否定できない事実であると思います。  そうした中で、先生の御見解によりますと、中国米国が対決する可能性があるという御指摘をされているわけでありますが、日本の安全保障という観点から見た場合、今再検討を要するというお話がございましたけれども、具体的には、日米の安全保障条約を堅持すべきであるのか、あるいは違った形での方策というものを考えるべきなのか、もし後者であるとすれば、具体的にはどのような方法があるかということについてお伺いしたいと思います。
  31. 市村真一

    市村参考人 現在のような情勢のもとにおきましては、現在のような安全保障の体制が一番望ましいというふうに考えております。
  32. 山花郁夫

    ○山花委員 現在の安全保障、もう少し広く言いますと、防衛政策の点についてお伺いをしたいと思います。  先ほども非核三原則等についても御意見をいただきましたけれども、戦後半世紀の間、日本の平和憲法のもとにおきまして、例えば個別的自衛権の行使を超えた海外における武力行使は行わない、あるいは専守防衛に徹するんだというようなことが今まで行われてきたわけでありますけれども、こういった点についても、国際貢献という観点から見直すべきだというのが先生の御意見でしょうか。
  33. 市村真一

    市村参考人 はい、そのとおりであります。
  34. 山花郁夫

    ○山花委員 そうであるとすると、もう少しその具体的な中身についてお伺いしたいと思うのですけれども、例えばいわゆるPKO活動などについても積極的に参加すべきであるとか、そういった論旨なのでありましょうか。
  35. 市村真一

    市村参考人 そのとおりであります。  ただし、現在の憲法をきちんと改めて、それは改める程度はいろいろあると思いますが、例えばPKOに参画して、行く人が国民の支持を得て、国民が喜んで自分たちを送り出してくれているという体制をつくって派遣する形にすべきものだというふうに思っております。
  36. 山花郁夫

    ○山花委員 少し違った点について質問をしたいと思います。  先ほど鳩山委員からも質問がされておりましたけれども、今後の二十一世紀日本のあり方ということで、家族であるとかあるいはコミュニティーという視点を重視すべきではないかというお話がございました。そして、現行の日本国憲法が非常に個人主義に偏っているのではないかという論旨であったかと思います。私は、個人主義というのは決して利己主義と同義ではなくて、お互いの人格というものを尊重し合う、そういう意味合いにとっているわけでありますけれども、そうであるとすると、決して二十四条なぞもそんなに否定的に見る必要はないのではないかと思うわけであります。  先生は、教育基本法改正であるとかあるいはそれに関連する憲法改正ということも言及されておりますけれども、例えば家族を大事にする、あるいはコミュニティーを大事にするということについては、私は決して否定的に考えるものではないのでありますが、具体的には憲法のどのような条項の改正が必要だと考えておられるのでしょうか。
  37. 市村真一

    市村参考人 私はそこまではわかりません。憲法の条文をそういう視点でずっと点検して検討したということはありませんので、それに的確にお答えすることはできません。お許しください。
  38. 山花郁夫

    ○山花委員 もう一つお聞きしたいことがございます。  冒頭、佐々木惣一先生憲法のお話もございました。また、本日の御講演の一番最後のあたりでありますけれども、日本世界にまたとない誇るべき君主制の国であるというお話がございました。佐々木惣一先生は比較的それに近い立場で憲法を論じておられたかと認識しておりますが、今現行の憲法の通説的な解釈としては、天皇というのはあくまでも象徴にすぎず、国政に関する権能は有しないのだ、あくまでも国事行為だけを行うというふうな解釈がされているわけでありますが、この天皇制についても何か改正が必要だというふうにお考えなのでしょうか。
  39. 市村真一

    市村参考人 どのような文章でそれを表現するかということは非常に慎重な検討が必要だというふうに思っておりますが、今の憲法のもとにおいて、私が本来の我が国の皇室のあり方及び国民との関係から考えて非常にぐあいが悪いというふうに感じますのは、例えば天皇陛下が靖国神社にお参りになれない、外国へ行かれたときには外国の閲兵はできるけれども、我が国の自衛隊は閲兵できない、そういうのは非常にぐあいが悪いというふうに思います。そういうことはきちっとして、一国の君主として、キングとして、外国のキングがやっておるのと同じことができなければうそだ。それを制約しておるものが今の憲法にあるとすれば、その部分は改められなければならないというふうに思っております。
  40. 山花郁夫

    ○山花委員 時間が参りましたので、私の意見を最後に少し言わせていただきますと、大体、私も現在の憲法では少し不都合があるという条項も存在すると認識はしているのであります。そしてまた、本日のテーマは、二十一世紀のあるべき姿というものをどう構想するかというお話を伺うわけでありますから、細かな、法律的な、どの条項がどうだということをお伺いするつもりはないのでありますけれども、先生のお話を伺っておりますと、これは憲法改正というよりも、新たな憲法の制定が必要なぐらいのお話なのかなという印象を受けました。  また、今まで議論の積み重ねられていた部分についても、やはりかなり大幅な変更が必要だというような御所見だったと思いますけれども、今まで戦後五十年間積み重ねられてきて、そしてもう既に日本文化ともなっているような部分もあるかと思うのですが、例えばこういった点については現行の憲法は評価できるという部分がございましたら、最後にお願いいたします。
  41. 市村真一

    市村参考人 第二次世界大戦以後、五十年間、我が国が平和で繁栄を持続できた、そして現行憲法というものがそれに対して大きな障害をなさなかったという見方は、我が国の戦後の発展というもののある側面を言い当てておるということは、これを率直に承認いたしますが、しかし、他面、失ったものも非常に大きいということを思います。我が国の国民の精神的誇りというものを失わしめた。敗戦後遺症というものをぬぐい去れなかった。  そして、さらに申しますと、現在の青少年の状況を見ますと、過去の五十五年間の教育は成功であったか失敗であったかということを言えと言われたら、私はむしろ失敗であったというふうに思うんですね。失敗であったにもかかわらず、なぜ日本がこれだけ繁栄し、もったのかといいますと、これは古い言葉でまことに恐縮でありますけれども、故家流風遺俗、これは孟子の中の言葉ですが、そういう表現がございます。過去のすぐれた日本の伝統と遺産というものが多くの日本人の村落とか共同体とか家族とか個人とかいう中に残っておって、それによって支えられたという部分がやはり相当大きいというふうに私は思います。年寄りだからそう思うのかもしれません。  しかし、戦後受けた教育というものが実に見事に花開いて、それによって日本世界にこれだけの立派な貢献をした、これは戦後の教育の成果である、そういうものがもしございまして、私が認識不足でありましたら、どうぞお教えください。私はそういうものを寡聞にして、全然ないとは思いませんけれども、非常に少ないというふうに感じております。
  42. 山花郁夫

    ○山花委員 ありがとうございました。
  43. 中山太郎

    中山会長 次に、赤松正雄君。
  44. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。  きょうは、市村参考人には大変に示唆に富んだお話、ありがとうございました。  私、お話を聞かせていただいて、まず最初のくだり、「世界地政学的構造」というところ、あるいはまた「世界三極構造」という周辺のところでお話を聞かせていただいたり、あるいは、既にきょうまでにいただいておりました「二十一世紀日本のあるべき姿」というこの論文を読んでおりまして、先般この憲法調査会で、中山太郎会長を団長にして、ヨーロッパに、ドイツ、スイス、イタリア、フランスの憲法調査をするために行ったときのことを思い出しました。  といいますのは、イタリアで作家の塩野七生さんと私たち団が会ったんですけれども、そのときに私が申し上げたことと、塩野さんの答えで印象的だったことと同じくだりがきょうの市村参考人のお話の中に出てきます。  それはどういうことかといいますと、ヨーロッパという地域が、二十世紀、懸命になって二度と再びああいう悲惨な戦争を起こすまいと思って努力をして、今EUを初めとするさまざまな努力をしている。そういうことが一方にある。もう一方で、日本中国韓国、いわゆる北東アジア状況を見たときに、今申し上げたヨーロッパにおける、二度と再び起こすまいというふうな、そういう情念的なものから実際のさまざまな政治経済における活動に匹敵するような動きが、遅々として起こっていないというか、ヨーロッパほどには進んでいない、そういう状況が見られる。そんなふうなことで、日本中国、あるいはまたアメリカ、そういった関係を思うときに、非常に悲観的にならざるを得ないという話を私はしたわけです。  中国をどう見るかという話をしましたときに、実は塩野さんが、表現は適切かどうかわかりませんが、私がこういうことを言うとまた物議を醸すかもしれないけれどもと言われたのが、実はここで市村参考人が何カ所かでおっしゃっています。要するに、例えば、「二十一世紀の間には、中華人民共和国の国家体制が変容すると予想される」、「今世紀の後半には今のような中華帝国の姿はなくなり、ソ連邦の分解と同様の道をたどる確率は高いと思われる。」という表現があったり、違うところではたしか、ひょっとしたら二十一世紀の前半にもというお話があったわけです。  そこで私、第一点お聞きしたいのは、塩野さんとかあるいは市村参考人だけではなくて、中国の近未来のありようというものについて、七つぐらいの、幾つかの連邦に分かれるということを言われる論者は少なくはないんですけれども、そこで私がちょっと気になるのは、じゃ、すんなりとそういうふうにいくんだろうか。そういう過程においては、いわば軍事的衝突云々じゃなくて、中国のそういう連邦への移行というふうな、参考人がおっしゃっているそういう過程の中でどういう事態が予測されるのか。もう少しその周辺の、こういうふうに思われるに至る流れを若干敷衍して述べていただければ。つまり、日本に対するマイナスの影響、そういうふうな部分についてはどういうふうに考えられるのかということについて、少しお話を聞かせていただきたい。これが最初の質問です。
  45. 市村真一

    市村参考人 それは非常に難しい御質問でございまして、想像力をたくましくしていろいろなことは言えるわけですが、限られた情報と判断をもとにして大胆に若干のことを言わせていただきますと、中国は今三つ地域民族に関して非常に無理な抑圧をやっていると思います。一つはチベットです。一つは蒙古族。それからもう一つは新疆省のウイグル族その他です。それは漢民族とは全く異質の民族でありまして、歴史も伝統ももともと違うし、そして、そこを中国が長く支配したという歴史はないわけですね。  先ほど、私がシナという言葉を使うということをどなたかおっしゃいましたが、中国という国は存在しないのですね。歴史的に見て、今の中国と言っている地域中国という名前のついた国は一つもない。ですから、歴史的にずうっと続いてきたある地理的な、あの辺の地域全体をシナ、チャイナと言わなければ歴史的には表現できない。中国の歴史といったって、どの時代を指しているか全然わからないわけですね。だから、シナという言葉はどうしても必要なんです。チャイナということなんです。  そして、中国の王朝というものが支配したときには、蒙古族の支配もあります。ですから、多民族支配ということで、漢民族一つ国家を形成しているというのが今の時代ですけれども、それは、歴史的なあるエポックと同じようなことであって、それがずっと永続するということは考えられない。これがまず一番大きな根拠です。  それから、地域差というものが非常に大きくなっておりまして、だからこそ、今、西部大開発といって中国政府は一生懸命やっているわけですが、それがうまくいくとは思いません。したがって、何らかの形で、地域別な開発政策、いわゆる地方分権的な姿というものにいかざるを得ない。これはソ連邦と一緒だというふうに思います。よほど上手な行政的な手腕のある首相が出てそれをやればうまくいくでしょうけれども、それはなかなか難しいことであって、やはりどこかに自治権を認めていく。一国二制度と言っているのが、今度は、台湾を含めて三制度になり四制度になり、こういう形にいくのではないかというふうに私は想像しております。
  46. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 非常に参考になるお話、ありがとうございました。  次に、先ほどの鳩山委員、また山花委員のお話を聞いていて私が一つ感じますことは、市村参考人のこの論文は、ある意味で非常に読みやすいというか、わかりやすい記述がなされているのですが、私の立場から若干気になりますことは、さっき山花委員に対するお答えの中で割かしそっけなくお答えになられたのですけれども、言ってみれば、私なんかが思いますのは、日本という国がアメリカとの関係をどうするかという問題がやはり非常に重要になってくる。戦後、日米関係というものを基軸にしてやってきて、そして二十一世紀もやはり、さっき参考人は、当面、現状は今のままでいいんだ、つまり日米関係というものを基軸にしていかざるを得ないということをおっしゃったのだろうと思うのです。  同時に、さっきの質問にも出ておりましたけれども、万が一への対応という言い方をなさって、恐らくこれは、日本周辺の各国の位置づけ、認識は全く私も一緒なんですが、それに対して、「非核三原則をすべて厳格に守るだけではなく、万一に備える選択肢を持つことを早急に検討し始めるのも二十一世紀我が国の課題」だ、こうおっしゃっているのですが、万が一ですから、万が九千九百九十九はそうじゃないというふうに思っておられるのでしょうから、余りここにこだわることもないのかもしれません。  私は、将来において、私なんか戦後世代一番最初の、団塊の世代ならぬ団頭の世代だと思っておるのですが、昭和二十年生まれの人間にとりますと、日米関係は今のままでずっといくべきであってはならない、どこかでやはりきちっとした形で清算しなくちゃいけない。しかし、それは、一つ間違うと、適切な言葉かどうかわかりませんが、いわば自立日本という格好で今の時点から言うと周辺諸国から危険視される、そういう側面が常につきまとう。しかし、いつまでもそれを引きずっていっていいのではない。そういういわばジレンマみたいなものが私なんかの世代にもあるわけで、しかし二十一世紀はずっとそのままであってはいけない、そんなふうに思うのです。  つまり、ここで何を私がお聞きしたいかといいますと、当調査会も五年で憲法についての一つ方向性、結論を出そうと言っています。私どもは、そこから次の五年で第一段階の結論を出したい、こう思っております。  そういうスパンでいきますと、どうしても日米関係というのは、もうちょっと先の方に行かざるを得ない関係だろうと思うのです。ここで参考人がさまざまおっしゃっているような命題についても、この短い二十一世紀の冒頭の部分ではなかなかうまくいかない。やはりもうちょっと先ということのテーマが結構多いのではないかと思うのですが、例えば日米関係ということに限って言いましたら、どういうふうにお考えでしょうか。
  47. 市村真一

    市村参考人 日米関係が現在の度合いよりももう少し変わらなければならない状況とはどういう状況かというのは、幾つか想定できるとは思います。  例えば、アメリカ核拡散防止協定をずっと長く批准しない、そして核保有国が次第に核保有量を増大していく、中国も増大する、インドも増大する、そういう事態が起こって、そして日本は今のような状態のままで常任理事国にもならない。そういうときに、日本の安全保障の選択肢は一体何だ、現在のような選択肢のままでいいのかどうかということは、やはり考えなければならないと思うのです。  ここの私の文章はかなりよく考えて注意深く書いておりまして、どんな解釈でも許せるように考えておるわけですが、いろいろな可能性を考慮して核の問題というものは考えなければならないという意味合いでございまして、ある特定のことを考えているわけではありません。これは、もしこういうことが起こればこうする、こういうことが起こればこうする、そういうことはいろいろ考えてはおりますけれども、今この場では申し上げません。
  48. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 では、最後にいたしますけれども、少子化の問題について、十二ページの上の段で、参考人は、「国民の国家的責任の自覚とそれへの貢献の義務を覚せいせしめることはできないであろう。」前段では、安保理事会入りとか、そういう日本の国連における安全保障活動等の話をされた上で、こういう国際社会における日本の「自覚が高まれば、少子化の傾向も、道徳心の退廃もなくなり始めるであろう。」こうおっしゃっているのですが、私にとっては、極めて楽観主義的な位置づけというか、お言葉のように思えてならないのですが、その辺は、そう簡単なものでしょうか。
  49. 市村真一

    市村参考人 おっしゃるように、この文章は確かにちょっと楽観的かもしれないと思います。  先ほど申し上げましたように、国民の自信というものが回復してこないときにはなかなか少子化の傾向はとまらないものでありまして、昔のフランスがそうであり、今のドイツがそうであり、ロシアがそうであります。  したがいまして、今のような日本のままでいきますと起こるであろうことは、外国人の流入がふえて、外国人と結婚する男女がふえて、そしてその人たちの家族はふえる、本来の日本人少子化傾向が持続する、そういうアメリカ型パターン、ヨーロッパ型パターンへ移行するだろうとは思うのですね。しかし、もし国民の自信が回復してくれば状況は変わるのではないかというのが、楽観的な私の意見であります。
  50. 赤松正雄

    ○赤松(正)委員 終わります。ありがとうございました。
  51. 中山太郎

    中山会長 塩田晋君。
  52. 塩田晋

    ○塩田委員 自由党の塩田晋でございます。  この憲法調査会におきましては、二十一世紀日本のあるべき姿というものをまず描いていこうということで始まったこの参考人意見聴取でございますが、本日、市村真一先生には、この問題を考えるに当たりましての非常に有益な、また示唆に富んだいいお話をいただきまして、感謝を申し上げます。やはり、日本の国のあるべき姿、これは憲法を考える際に一番大きな中心問題だと思います。  そこで市村先生は、世界の中における日本、そして、世界経済的な面を中心にして三極構造になっていくだろう、その中に東亜というものがある、あるいは東南アジアというものがある、その中のまた日本ということを考えなければいけないと、地政学的な観点からも主張されたわけでございまして、これは非常に参考にすべきお話だと承っております。  東亜海洋国家日本として、この東亜の、あるいは東南アジアも含めてですけれども、国家群を束ねて、アメリカ合衆国と同盟しつつ、大陸国家中国及びロシアと友好的に対峙しながら、海洋国家諸国経済社会文化発展を図ること、これが世界におけるあるいはアジアにおける日本の、これから我が国の姿を考え、また憲法を考える際に前提として考えていかなければならない問題を提起されたと思います。  これは、来世紀、二十一世紀、百年を見た場合に、先生のお話の中では、中国というものがかなり大きいウエートを示すだろうと書いてございます。江沢民政権が終わった後、あと二年で江沢民は終わりますから、その後十年で今の中国の共産政権の体制は崩れるだろう、そして後は、各地域に分割されるような形の経済圏ができ、あるいはいろいろな政治の体制ができる、こういうふうに見ておられると思うのでございますが、短期の見方としまして、今中国は建国をしてから五十年間ですね。大躍進とか文化大革命とかいろいろな経過を経ておりますけれども、五十年間この体制で続いておる。しかも、香港を返還させて、一国二制度とはいいながら、いっている。  こういう状況の中で、中国の力、御指摘もあるように体制はいろいろ問題があると思いますけれども、中国は特に今軍事力に力を入れている。毎年、経済成長率、国のGNPの伸び方が七%、昨年にいたしましても八・二%ですね。そういった高度の経済成長を続けている中で、なおそれを大きく倍にも上回る一五、六%の軍事費を投入し、軍事力の増強に努めておる。しかも、その質的な面におきましても、陸海空ともにかなりの増強を行っているという状況があるわけでございます。  そこで、中国について、十年で政治体制崩壊ということはちょっと早過ぎるのじゃないか。そして、逆に、軍事力は、アメリカに対抗するまでは一挙にいかないとしても、一世紀の間には相当なことになっていくのじゃなかろうか。人口も、一人っ子政策をやめれば二十億、三十億にすぐになるのだと、この間来た朱鎔基は、一人っ子政策をやめれば地球は漢民族ばかりになるのだと、冗談まじりでこういうような話をいたしました。しかも、軍事力の面では、原爆、水爆、そして今や、最終兵器だと言われておるような中性子爆弾の開発に向かって着々と進めている。国民の相当な人材をそういった面に、科学あるいは軍事に投入している、こういうふうに言われておりますが、この中国についてどのようにお考えでございますか。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  53. 市村真一

    市村参考人 中国の現在の政権のありようというものは、先ほど意見のときに申し上げましたように、一党独裁という形、共産党独裁という形は、多分、近い将来、十年とか十五年以内には終わるのではないかというふうに思っておるわけであります。  その一党支配が終わったときにどういう形になるのかということはなかなか予測しがたいところがありまして、国が分裂するという、ソ連が分裂しましたようなああいう形にまでいくのか、それとも、反対政党というものが出現して、それとの間での論争なり、あるいは地域別の分権制がもう少し徹底して行われるようになるとか、そういういろいろな形があり得ると思っておりまして、それが直ちに国内の政治的混乱までいくのかどうかということはちょっと予測できないと思っております。反対党が出現するというふうな事態が起こって、その後のいろいろな状況がわかってくれば、インドネシアの場合のようにある程度予測はできてくるのではないかというふうに思います。  そういうことがわかってくるのは、恐らく十年以内か、幾ら長くても十五年以内ぐらいには起こるだろう。私のような者でも、もうちょっと長生きすればそこまで見られるのではないかなと期待しておるところでございます。
  54. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。  中国につきましては、いろいろな見方があると思いますが、当面、今の動きとしては、本当に軍事力の増強、世界の覇権を目指してというぐらいの勢いで進めておりますことについては、我が国に一番近いところでございますから、十分に念頭に置いておかなければならない問題ではないかと思っております。  そこで、海洋国家を束ねてというか、東アジア東南アジア、そしてオーストラリアあるいはティモール、モルッカ諸島とかずっと東の方までの海洋圏、これは経済で一番関係が深いし、海で結ばれている。しかも、そのバックといいますか大枠をつくっているのが、軍事面を含めてやはりアメリカだと思います。  これは、今世紀の初めあるいは前の世紀から考えますと、ヨーロッパの英国、スペインあるいはオランダ等の帝国主義による東アジアあるいは東南アジアへの進出があって植民地化していったという中で、やはり海を連ねてのそういったつながりがあったと思います。また、イギリスは、オランダがインドネシア以東の島々を束ねていましたから、インドからマラッカ海峡を経まして中国へ、香港、上海と北上していったと思うのです。  日本が果たしている現在の状況からいいますと、アメリカの大枠の中で、やはり東南アジア東アジアに対して、海洋国家を束ねてといいますか、経済的には非常に密接な関係がある。しかも、ODAを中心にして経済的には非常に結びつきが強くなり、援助もしておる。これで東南アジア及び東アジア発展をしておるということになると思うのですけれども、ある面では、だんだんそういうことになっていくと思います。ジェームズ・ファローズという人が書いた本の中に、大東亜共栄圏のパートツーだというような見方もありますが、やはり海洋国家としてはそういう考え方でいくべきで、大陸に入ったら失敗だという考えが一つにはあると思うのです。かつての失敗もありますから、大陸に、どんどん奥地へ入ったらだめだ。  経済的にもそうじゃないかと思いますが、このたび朱鎔基首相がやってきた、あるいは中国に行きましても、口をそろえて日本経済援助、西部の大開発のプロジェクトに参加して投資をぜひともお願いしたい、こういうことですが、こういった問題についてどのようにお考えでございますか。
  55. 市村真一

    市村参考人 中国は、日本を自国の経済発展の中に取り込むということは、心からそう願っておると思います。しかし、それと同時に、日本投資とか経済的利権を中国の中に定置せしめることによって日本へのバーゲニングパワーを強化するというような、非常にしたたかな戦略だというふうに思っております。  一たん投資をしますと、日本は大体製造工業への投資ですから、資本の回収というのは何十年と非常に長くかかるわけですね。華僑系の資本は大体短期決戦で、数年で元を取るという投資活動をやるわけですが、日本は大型投資が多い。したがって、日本は、中国政府との投資保証に関する非常に緊密な協約を取り結んだ上で、また諸外国と共同してそういう交渉をやるということが必要で、そのためにこそWTOへの加盟ということが非常に大事になっているというふうに思います。  私は、大西部開発に大規模に参画するということは余り賛成ではありません。もっと沿岸部にしっかり投資をすべきであるというふうに思っておる一人であります。  それから、先ほど中国軍事力の増強ということをお答えできませんで申しわけありませんでしたが、現在の時点に関しましては、私もいろいろ専門家から聞いておりますところでは、そんなに中国軍事力の増強を恐れるような段階ではまだないというふうに聞いております。
  56. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。  中国については、今のところ携帯電話の普及が、日本の台数を超すぐらいになっています。それから、インターネットを通じての情報通信、これも非常な勢いで拡張して進んでいっておりますから、そのやりとりを政権がイデオロギーでもって阻止し邪魔しようとしてもできないような状況にだんだんなっていくという中で、やはりボーダーレスの情報化が中国を変えていくということは十分考えられると思います。そこで、案外短期間に体制が崩れるということも、一つの大きな要因として考えられる問題だと思います。  最後に、一言だけお伺いしたいと思います。  先ほど最初に、憲法の問題については佐々木惣一博士の講義を聞かれて、いまだにそのことが念頭にあるということを言っておられましたが、私も、昭和二十二年、二十三年と二カ年間、佐々木先生憲法講義を受けた者でございまして、本当にいまだに脳裏に残っておる憲法問題、先生から大変な御教示を得た者として本当に感謝しておるわけでございます。  最後に、日本の国の形という場合に、国体という言葉があります。佐々木先生も、国体は変更せりと。政府は、いや、国体は変更していない、政体が変わっているだけだ、権限が天皇からなくなっただけで、国体、国の姿は変わっていないんだ。こういう論争があったことは御承知であると思いますが、日本の国体、これは当時、また憲法制定のときにも議論されております。国体は、「克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ」国体の精華であるという言葉もありますが、その当時議論された中にも、天皇を中心として国土があり国民がある、これが我が国の国体だ、こういう議論も議事録を見ますと盛んに行われているわけですね。  そういった中で、現行の憲法は、第一章第一条から天皇の規定があります。いろいろな議論の中では、それをやめろと言うところもありますけれども、改正の中では天皇の章を第二章に持っていこう、こういう動きも一部あるわけです。  こういった問題について、国体ということ、世界に冠たる君主国であるということを忘れてはいかぬというお考えを言われましたが、私もそのとおりだと思いますけれども、これにつきましてお伺いいたします。
  57. 市村真一

    市村参考人 最初に、インターネット等の普及によって情報が中国へ入る結果、中国の統一ということ、あるいは、外国に対する知識が中国政治的分断、分裂というような方向を助けるだろう、これは同感であります。  北京大学で私も何度か教えましたし、私の友人はもっと長く教えましたが、その人たちの話を総合しますと、北京大学、清華大学の最も優秀な学生はほとんどインターネットに夢中になっている。彼らはそれによって世界じゅうのどの新聞の情報も自由自在に読めるのでありまして、これが中国の将来を左右しないはずはないということを信じております。  それから、我が国国家構造、国体といいますか、そういうものが、現行の憲法と旧憲法とでは変わったんだと。  これは、佐々木惣一先生は変わるとおっしゃったのですが、佐々木惣一先生書物注意深く読みますと、君主制の根幹というものは変わってはいないけれども、今の憲法のままで我が国の国民が長く統治せられると、その結果、国民の意識が変わって、そして現行の君主制というものも維持しがたくなるであろう、そういう御意見であったようでありまして、そのような結果が現在のような姿になっておるのだというふうに認識しております。  本来の君主制と、いわゆる憲法上いうところの国民主権、国民主権というのは何かということは非常にあいまいな表現でありますけれども、そういう言葉遣いというものをもう少し明確に整理いたしまして、先ほど私が申し上げましたように、外国の軍隊は閲兵しても自国の軍隊は閲兵しないというような、そういう妙な国家元首のあり方は全部正せるような文章表現に法律学者を動員して改正すべきものだというふうに私は思います。  どう考えましても、そのようないびつな君主の姿というのは日本国民の誇りとすることはできないわけでありますし、何千年続いた皇室というものをいただく日本国としては、まことに妙な現象だというふうに私は感じるわけであります。
  58. 塩田晋

    ○塩田委員 ありがとうございました。
  59. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 山口富男君。
  60. 山口富男

    ○山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。  きょうは、市村参考人から、ゲオポリティクス、地政学的な構造などから見た二十一世紀世界日本の問題について所見を述べていただきました。敗戦直後の憲法構想をめぐる歴史のエピソードも聞かせていただきまして、いろいろな問題関心を持つのですけれども、私自身は、市村参考人憲法改正が不可避であると指摘された論点やその内容、評価については、いずれも基本的な見解を大きく異にしております。  例えば、憲法はその前文で、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」このように、誇りと自覚、自信を持って目指すべき国際社会の基本方向を明らかにしていると思うんです。そして、軍事力に依存するのではなくて、平和と民主主義を求める世界諸国民の世論と運動に依拠して、それこそ明確に、主権者国民の立場で、今述べたような国際社会方向の実現を目指して行動することを宣言している、このように考えております。  ですから、私は、二十一世紀世界アジアを見たときに、このような憲法の平和原則、その精神が積極的役割を果たす条件を広げている、憲法改正ではなくて、憲法に反する現実を改めて、世界平和への能動的な働きかけをしていく、そのことが重要になると考えているんです。  以下、市村参考人にその立場から幾つかお尋ねしたいと思います。大分長い時間かかっておりますのでお疲れと思うんですが、少しお答え願いたいと思います。  まず第一は、二十一世紀を考える上で、やはりアジアの動向をきちんと踏まえることが大変大事になっているわけですね。その点で、ASEAN諸国東南アジア諸国連合諸国の動向について、二十一世紀に向けて見た場合にどういう位置づけを市村参考人は与えられているのか、お話し願いたいと思います。
  61. 市村真一

    市村参考人 済みません、最後の質問のところ、ちょっと理解できなかったんですけれども、もう一度よろしいですか。
  62. 山口富男

    ○山口(富)委員 ASEANの問題についてきょうのお話の中で幾つか言及がありましたけれども、二十一世紀を考えたときに、ASEAN諸国の今の動向についてどのようにごらんになっているか、この点をお尋ねいたします。
  63. 市村真一

    市村参考人 ASEANというのは、東南アジアに位置いたしております低開発国の、ちょっと表現は悪いんですけれども、弱者連合であるというふうに思っております。一つ一つの国をとれば貧しく弱い国々が、北の日本アメリカあるいは中国といった国々と同等の交渉力を獲得するために、彼らは一致結束したのであるというふうに理解しております。
  64. 山口富男

    ○山口(富)委員 先ほど、表現は慎重にというお話だったんですが、海洋国家のリーダーというお話が出ました。それから、これらの諸国を束ねるという表現もありました。  それで、私は弱者連合という表現には違和感を持ちますが、主権国家であるASEAN諸国が今どのような支えを持って動いているのかということをよく見ることが大事だと思うんです。例えば、これらの諸国が共通に確認しているものに、東南アジア友好協力条約というものがあります。ここでは、主権の尊重、内政不干渉、平和手段による紛争の解決、武力による威嚇、武力行使の放棄、これを原則とされているんですね。  先ほど市村参考人が、憲法九条の第一項というのは空理空論だというお話がありましたけれども、決してそんなことはなくて、今紛争について、きちんとルールを持って平和に解決していこうという方向は、アジア諸国でも力を持ってきていると思うんです。そういう意味で、憲法九条は今生きているというふうに私は見ているんです。  特に、ASEANで重要だと思いますのは、九〇年代にベトナムとラオスが加盟をして、昨年四月にカンボジアがこれに入りまして、東南アジア、約五億人人口を抱えておりますが、この地域十カ国すべてが参加する地域協力機構に発展したという点に注目すべきだと思うんです。  そして、この組織はいわゆるASEAN地域フォーラム、ARFというのをつくりまして、ここでは、七月に北朝鮮も参加いたしましたけれども、日本韓国、北朝鮮、中国、これらを含む東アジアのすべての国々がここに参加を始めている。その点で、平和と安全のための対話機構として注目すべき発展をしているところに、やはり私たちは、二十一世紀日本方向というものを考えるときに、一つの視座を置かなければならないんじゃないかというふうに考えているところなんです。  ですから、繰り返しになりますが、今のようなASEANの動向を見る上でも、日本国憲法の定める平和原則が積極的な力を持つ条件が広がっているなということを感じているわけです。  さて、二つ目に取り上げたいんですが、核兵器をめぐる問題なんですね。  それで、きょうは、事前に配られたペーパーと市村参考人幾つか外されたところがありますので、それはそういうものとして私は理解いたしますが、質疑の中で、核兵器に依存する考え方が少し出されたように感じたんです。これは、もし私の聞き違いでしたら御指摘願いたいんですが。  それで、今世界政治の流れを見ますと、やはり核兵器に依存する考え方というのは破綻してきていると思うんですね。しかも、憲法が要請する考え方というのは、ああいう大量の残虐的な兵器に依存して私たちの生活や生存を維持する、そういう考え方に立つということは憲法の要請ではないと思うんです。  それで、市村参考人は、今核兵器をめぐる問題で世界政治はどういう局面に来ているのか、どういう判断をお持ちなのか、この点を二つ目にお尋ねしたいと思うんです。
  65. 市村真一

    市村参考人 二つお答えします。  一つは、我が国憲法第九条が、国際紛争解決手段としては永久にこれを放棄するということは、本当にできるのかということを私は疑問視したんですね。アジアではそれでやれるというような意味のことをおっしゃったわけですが、例えばティモール問題をとっても、実際上、オーストラリアの武力なくしてあの問題を解決する手段はほかにあったのかということを考えてみましても、私は、戦争することがいいなどとは毛頭思っておりませんが、しかし、国際紛争解決手段としてやはり武力というものが必要な場合がある。それはバルカン半島におきましても、各地におきましても。むしろ、そうすることによってより拡大する軍事戦争というものを抑止できる、抑え込めるという側面がある。この現実をやはり無視してはならないだろうということでございます。  それから、核の現段階というのは、先ほどの私の報告の中にございますように、現段階は極めて微妙な段階であるというふうに認識しております。核兵器廃絶という方向に着実に一歩一歩進んでいくのが一番望ましいというふうに信じておりますが、しかし、そこへ行けるかどうかはまだわからない状況なんです。逆の方へ戻るかもしれない。着々と核兵器をふやしている国もあるだろうと思いますし、ひそかに蓄えている国もあると思いますので、それをどうやってモニターし、どうやってそれを本当に核兵器廃絶、それから非核、不拡散という方向に持っていけるのかという、いわばその境目のところに今はいる、そういうふうに認識しているところです。
  66. 山口富男

    ○山口(富)委員 市村参考人がおっしゃいましたように、核が存在しない、それからいろいろな紛争の解決に当たって武力が使われない、そういう方向を目指しているのが日本国憲法だと思うんです。  それで、私、今の核兵器をめぐる局面でいいますと、ことしニューヨークで開かれましたNPT再検討会議が最終文書で核廃絶への明確な約束を盛り込んだことは非常に重要だと思うんですね。ですから、今の問題として言えば、この点は市村参考人と認識は共通できると思うんですが、人類の悲願である核廃絶に向けての本格的な一歩を踏み出すかどうか、その際に、被爆国日本が、核兵器の廃絶の流れを強める上で、ASEAN諸国の場合は非核地帯の条約を結んでおりますから、そういう諸国とも手を取り合って非核の流れというものをアジア全体に広げていく、そういう努力をすべき時期に来ているということを痛感しているんです。  さて、もう一つお伺いしたいんですが、日本国憲法九条の問題で、例えばマレーシアのある新聞がこんな論評を掲げたことがあるんです。ちょっと読み上げますと、日本の平和憲法の平和主義が主張する戦争放棄、非武装、派兵をしない、他国に対して武力で威嚇をせず、紛争解決に武力を用いないという精神が、この半世紀にわたりどれほどアジア諸国の尊敬を受け、日本人の侵略戦争を引き起こしたことへの徹底的な反省の明らかな証拠として見られてきたことか。それなのに、なぜ日本は自重せず、それを一文の値打ちもないものとして捨て去ろうとするのか。こういう声が論評として上がってきているんです。  市村参考人は、憲法九条というものが日本アジア諸国の友好関係の確かなよりどころになっているという点は御確認されているのでしょうか。
  67. 市村真一

    市村参考人 私は、及ばずながら、東南アジア専門家でございまして、東南アジアの世論とか知識人の意見というのはよくよく知っております。そういう意見もありますが、そうでない意見も存在します。  したがって、日本のとっております憲法の条文あるいは諸政策に対する高い評価をする向きも確かにございますけれども、例えばカンボジアの紛争のときに、日本はPKOという形はとらなかった。それで何とかおさまりましたから結構でありますけれども、しかし、その日本のかわりにほかの国がそういう役割を演じたわけであります。  したがって、先ほど来私が申しておりますように、日本は、一方において日米同盟という軍事同盟関係があり、かつ、他の国々がある種の役割を果たしてくれておるということと組み合わさった形で、日本の独自の役割というものが果たされておるのですね。それが、二十世紀の後半にうまく機能いたしましたけれども、二十一世紀にずっと機能できるのかどうかということが今の問題だ、そういうふうに思っております。
  68. 山口富男

    ○山口(富)委員 私は、日米同盟を軸にして海洋国家を束ねていこうという先ほどの市村参考人のお話は、やはりASEAN諸国を初めとして、アジア諸国の納得を得られる問題提起ではないと思うのです。せっかく憲法九条を高く評価する識者を私は広く知っているというお話だったので、そういうお話をもっともっと私どもに御教示願えればと思うのです。  ちょうど時間が来ましたので、最後に一言だけ意見を述べて終わりたいのですが、きょうは随分国際的信義の問題が出されました。  私は調べてみたのですが、大体、日本が国連に加盟した際に、国際社会との関係で、憲法九条を持つ国として、非軍事に徹することを国際的に表明してこの組織に加盟をしていっているのですね。例えば、五〇年代から六〇年代に活動いたしました憲法調査会がありますけれども、あの第三委員会の第二十四回会議で、日本の外務省の条約局長も務めた西村氏がこういうふうに言っております。「軍事的協力、軍事的参加を必要とするような国際連合憲章の義務は負担しないことをはつきりいたした」、こういうふうに述べています。この問題について言いますと、安保理への参加を入り口にして憲法九条を取り外していくという方向こそが根本的に国際的な信義に反するものになる、私はこういうふうに思うのです。  きょうは教育の問題等も触れられまして、私時間がありませんので述べませんが、民主党の委員からも御指摘がありましたけれども、憲法というものは、家族や教育の問題でも大変懐の深い、今の現実に対応する中身を持っているということを申し述べて、私の質問を終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  69. 鹿野道彦

    ○鹿野会長代理 植田君。
  70. 植田至紀

    植田委員 社会民主党・市民連合の植田至紀と申します。  きょうは、先生には、御多忙のところお時間をとっていただきまして、本当にありがとうございました。素朴な質問になるかと思いますけれども、先日事前にいただいております論文及びきょうの御講演の順に従いまして、順次御質問させていただきたいと思います。  まず、先生日本が選択できる道ということで、これは先生のお言葉をかりながら述べますけれども、「東亜海洋国家群を束ねて、アメリカ合衆国と同盟しつつ、大陸国家中国及びロシアと友好的に対峙しながら、海洋国家諸国経済社会文化発展を図ること」が選択できる道だとされておられるので、まずこの結論に至る根拠にかかわる部分で先生にお伺いしたいと思います。  まず、ここで先生は、地政学上重要なのは大陸国家海洋国家区別中核国家周辺国家区別というふうにされて、日本海洋大国だから、先生が言うところの中進国を束ね、中国ロシアと対峙し、米国とどう結ぶかが日本国家戦略への宿命的課題というふうにされるわけですね。要は、日本アジアにおける、先生がおっしゃるところの中核国家たらねばならぬということなんだろうと思うのですけれども、これにかかわって、一応三点ばかり私としては疑問を感じた部分があるのです。  一つは、まず、そもそも中核国家周辺国家という弁別法の妥当性が那辺にあるのかという点が一点です。  二点目は、先生中核国家の条件というものを挙げておられるけれども、例えばそこで取り上げられている政治思想であるとか文化学術というものは、優劣を決める客観的指標のないものなんですよ。そうしたものを含めて中核国家を定義するに、そもそも実証的な根拠を持たないのじゃないかというのが二点目でございます。  それともう一つ先生は、アジア中核国家が存立するかという設問を立てた上で、中国がそうなるんだという説を批判され、そしてその理由として、一つとして、アジア中国人の支配になるとは思えない、二点目として、米中が対決する可能性がある、そして三点、中華人民共和国の国家体制が変わる、一党独裁はもたないだろう、この三点をもって中国はいわゆる中核国家になることはできないという根拠にされる。そして、それを根拠として、冒頭私も先生のお言葉をおかりしました、日本の選択できる道のいわば理由づけとされているように私としては読まざるを得なかった。これはどうも、そもそも根拠として薄弱なんじゃないのかな。  もっとも、二十一世紀日本の未来構想の中で日本役割を考える場合に、そもそも中核国家なるものを設定することの妥当性自体に私は疑問を持っているわけですから、それでおしまいといえばそうなんですけれども、少なくとも日本の選択できる道を導出する直接根拠として、中国はそうではないということにすぎないわけです。しかも、その中身はそうなるんじゃないだろうかという先生なりの見通しにすぎない。そういう意味では、当たるも八卦当たらぬも八卦ではないのかな。  この三点について、非常に素朴な質問ですけれども、お答えいただければと思います。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  71. 市村真一

    市村参考人 大体ただいま御要約いただいたようなのが私の考え方でございまして、海洋国家群を束ねた形での日本中核国家あるいは中核国家に近い、そういう国家になる方向を目指すべきではないかという考え方です。  日本は、そういう中核国家たる条件を全部は満たしておりません、確かに。軍事力は一応ありますけれども、いろいろな制約がかかっておりますし、経済力はありますが、政治思想も、一応現在の政治体制政治というのはよくできておりますが、文化学術面ではまだ弱いと思います。国際的信望も、近隣諸国の信望を必ずしも十分にかち得ているとは言えません。しかし、総合的な国力において、その国家群の中では他国よりは数等すぐれておりますから、リーダー格ではないかというふうに思っているわけでございます。  中国は、そういう一つ一つの条件を吟味していただいたらわかりますように、日本よりもそういう点で、もし仮に中国を含めた形での世界というのを考えたときに、それでは中国はリーダー格かというと、まだそういう段階ではありませんね。二十一世紀の後半ぐらいになって、日本を含めていろいろな国が衰え始めましたらあるいはそうなる可能性は少しはあると思いますけれども、東南アジアの五億ぐらいの人口の中で、華人華僑というのは三千万ぐらいしかいないわけですから、私はとてもそんなに動かせるようなことにはならないというふうに考えておるものであります。
  72. 植田至紀

    植田委員 私が申し上げたかったのは、そもそも二十一世紀の未来構想、国際社会を構想するに当たって、中核、周辺国家というふうな設定の仕方そのものが妥当ではないということですので、あえてその件について論争するつもりはありませんけれども、少なくとも多文化共生の社会をつくっていく上で、こういう発想法そのものに私は疑問を感じるということでございます。  次に、先生が二十一世紀におけるいわゆる世界軍事力バランスにかかわってお話しされた部分ですけれども、これは当然、御承知のように、今核兵器の廃絶というのは世界の世論になっているわけですし、それは改めて説明を要しない。そういう意味で、核の脅威論、核の傘論というものがもはや支持を失っていることは事実なわけですね。  実際に、核拡散防止条約、NPTというのは、インド、パキスタン、イスラエル、キューバ、この四カ国を除いてすべて加盟している。そういう状況にある中で、先生は、非核三原則を厳格に守るよりも万一に備えろとおっしゃるわけですけれども、要は、これは当然ながら核武装についても検討せよということになるわけですけれども、そうなれば、そもそも日本が加盟しているところの核拡散防止条約に違反するわけです。  要するに、アジア、ひいてはアジア太平洋地域における平和秩序を構築していく、その中で日本が幾ばくかの役割を果たしていく上において、今あるNPT、核拡散防止条約を脱退して、こうした非核三原則をやや踏み外しても核武装について検討することまで踏み込むということが国際平和の貢献になるというふうにお考えなのか、お伺いしたいと思います。
  73. 市村真一

    市村参考人 九ページの三節の最後のパラグラフに私が述べておりますことは、核兵器を持つという選択肢を考えろ、そういう主張ではありません。そうではなくて、非核三原則をすべて厳格に守るだけではなく、核を持ち込ませない、そういう原則は現在でも本当に守られておるかどうかは疑問ですね。そして、アメリカの核の傘のもとにあるということは、日本は核兵器は持ってはおりませんけれども、そういう形をとっているわけです。  ですから、そういう選択肢を今やっておるわけですが、しかし、周辺諸国に核を持ちミサイルを持ちという国が出てこなければいいですけれども、もし、例えば中国がより多くそういう方向へ進むというような事態になれば、我が国はどうするのか、黙っているのか。インドやパキスタンが持っている、あるいは核保有国が少しも核軍縮の方向へ行かない、そういう場合に日本はどういう選択肢があり得るのかを早急に検討し始めてもらいたい、そういう主張です。
  74. 植田至紀

    植田委員 時間がありませんので、次に進みます。  少子化、道徳退廃と呼ばれる状況について、また先生はおっしゃっています。もちろん私自身も、少子化問題というのは二十一世紀日本の大きな課題だと思いますし、そこは一致するだろうと思うのですが、いわゆる先生のおっしゃる少子化と道徳の退廃を一挙に解消する秘策というのが、先生の言い方でいくと、家族と地域社会の価値と、物心両面における国の繁栄と文化の向上の大切さを強調した教育の推進という立て方をするのは、そもそも、まず結果として、実効ある少子化対策を推進しなければならない政府の責任を不問にするだけでなく、国民にその責任を押しつけるものではないか、そういう意味では問題の論点をずらすものではないかと私は思っているのです。  また、先生がおっしゃる少子化、道徳の退廃というこの二つの問題の解決のかぎとなる言葉として、家族、コミュニティーというものを先生は挙げておられます。これ自身は非常にきれいな言葉なのですけれども、ただ、私が非常に気がかりなのは、その重要性を論じるに当たって、先生はこういうことをおっしゃられているのです。「男女交際、結婚、出生、育児を当事者だけのことと考えて、コミュニティーの問題と考えていないことの欠陥」、これを指摘されるのですけれども、しかし、本来的には、これは非常に逆立ちした議論ではないかなと思うのです。自立した個人がそれぞれの価値観に従って生きることを保障するのが本来的なコミュニティーの役割なのではないのかなと。そういう意味では、個人の自立を妨げている状況こそ問題なのではないかというふうに私は考えます。  そういう意味で、「健全な家族関係と多様な人々が和やかに共生できる思いやりのあるコミュニティーをつくり上げることが大切」と先生は指摘されている。言葉を聞けば全くそのとおりなのですけれども、先生は、それを困難にした理由として、多年にわたる徳育の軽視、超楽観的教育論が利己心とコミュニティー軽視の風潮を生んだというふうにおっしゃるのですけれども、まずお伺いしたいのは、そうした事実が一体どこにあるのかということ。  そして、むしろ私が思いますのは、長年にわたって、憲法が保障する基本的人権の尊重、これが十分に教育で反映されてこなかったことこそ問題なのではないのか。人権であるとか多文化共生の視点というのが、多くの人々の努力にもかかわらず十分展開されてこなかったことこそ問題にすべきだろうと私は考えますが、その辺についての御見解を、時間がありませんので簡単にお伺いできればと思います。
  75. 市村真一

    市村参考人 今提起されている問題は非常に難しい問題で、ある側面を強調すると他の側面は忘れているではないか、こういう議論になりまして、なかなかきちんとした議論がしにくいのです。  私は、今小倉に住んでおりまして、北九州市で、少子化対策懇談会というので市及び市民代表と一緒になってこの問題に取り組んで一年以上たちまして、その答申の一部をここに引用しているわけですが、そのときの感想のごく一部をちょっと申し上げますと、例えば、あのような田舎でも、小学生で朝食を食べないで学校へ来るという生徒が二〇%とか二五%いるのです。というのは、お母さんが朝御飯の用意を子供にしない、お父さんもしない。それは、やはり家庭というものに非常に大きな問題があるということを示唆していますね。では、なぜそういうことが起こるのかということが非常に問題なわけです。それをやはり解明しなければいけない。  それから、例えば育ち盛りの子供のお母さんの要望というのをずっと聞きました。何十人となく聞きました。それを聞いておりますと、自分は働いておって子供の世話ができないから、子供を預かってくれるところ、小学校が終わってから五時までは学校で預かってくれるけれども、五時から六時、七時となると、もう預かってくれるところがない。すると、子供は全部家でひとりぽっちである、そういうのがだんだん不良児になるわけですが、そういう状況を何とかしてくれ、何とかしてくれというわけですね。ですから、それは一体何に問題があるのか。家庭に問題があるのか、コミュニティーに問題があるのか。やはり全部だと思うのですね。  ですから、そういう問題をどうやって救っていくのかということを、北九州市では三位一体と言っているのですが、家庭とコミュニティーと市当局がそれを何とか世話できる体制をつくらなくてはいけない、そういうことが私のここに言っていることでございます。
  76. 植田至紀

    植田委員 時間がありませんので、最後に一つだけ。  ですから、そういうお話は非常によくわかります。そういうことは具体的に政策として反映すべきだろうと思うのですけれども、そのことを根拠に教育基本法改正憲法改正というものにどうも私は直接的には結びつかないと思っています。というのは、申しわけございませんけれども、やはりきょうの先生のお話を伺っていると、先生憲法改正したいというお気持ちは伝わってきますけれども、改憲すべき根拠というものを少なくとも実証的にはお示しになられていないのではないか。  例えば、改憲の理由として、アメリカ世界の警察官としての役割が、おもしが軽くなると地域紛争が抑制されなくなるから日本は安保理に入るべきだ、そのためには改憲だとかいうふうなことになると、やはりちょっと粗雑な議論ではないかというふうに思うのです。  私自身は、少なくとも先生がおっしゃるように、現行の憲法に誇りを持って、自信を持っている人間ですけれども、先生のお話を聞く限りにおいて、常にまず国家があって、そして、人がどうも見えてこないのですね。国家が先にあり、国民が後からついてくるような基本的な考え方があるように、浅学非才ですから、私の誤解であればそれでいいのですけれども、そういう基本的な考え方そのものが、二十一世紀の未来構想にとって、必ずしももうそぐわないのではないかと私は思います。そのことについてお答えいただきまして、質問を終えさせていただきたいと思います。
  77. 市村真一

    市村参考人 安保理のメンバーになって、それは日本国として入るわけですね。そして、憲法の制約もありますから、ほかの国が果たしておるような役割日本国は果たせません、そういうことが二十一世紀の間ずっと認められ続ける状況であるとは、私は判断していません。あなたはどうも判断しておられるようでありますけれども、外国の方から、もうちょっと日本もいろいろなことをやってくれてもいいのではないかという声が出てきたときにどうなさいますか。
  78. 中山太郎

    中山会長 近藤基彦君
  79. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。市村先生には大変長時間御苦労さまでございます。もう少しでありますので、よろしくおつき合いをお願いしたいと思います。  まず初めに、地政学的に見てということで、五ページの地図でありますが、これはブレジンスキーの「世界はこう動く」の中からの地図ということでありますが、これは、現段階での大中華圏と反中国日米同盟と考えてよろしいのでしょうか。
  80. 市村真一

    市村参考人 これはブレジンスキーが、中国が膨張主義のもとで大中華圏を考えているであろう範囲をこの点線で示しておりまして、それを日米同盟としては、ここが影響圏境界線だということと、どこでかち合うかということを示した図で、現時点で中国がこの点線のところまでの拡張を本当に意図しているというふうな意味ではありません。
  81. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 そうなってくる可能性があるということなのでしょう。  日米同盟の中で、この地図でいいますと、先生が言うように、海洋諸国、島嶼半島ということになるのだろうと思いますが、いわゆる大陸国家であるシナ中国海洋諸国影響を与えようとしている部分をすべて将来的には日本が、あるいは今もトップリーダーとしてという話もありますが、中核国家として日米同盟を支えに行っていくというお話だったように思うのです。  四ページで先生が、「二十一世紀世界において、アメリカ合衆国は、疑いもなく最有力な中核国家である。」ただし、パクス・アメリカーナといっても全世界を左右できるわけではないだろうという記述と、十一ページに、「もし」ということがついていますが、「アメリカが国民道徳の回復を数世代の間になし遂げられなければ、」大恐竜も倒れるときが来るかもしれない。あるいは、十二ページに、アメリカの「力と信望が今のような圧倒的なものとして持続する保障はない。」  最初の記述の方では何となく、太平洋、大西洋のかなたのどこまで及ぶかということは、今よりもかなり影響が強くなってくるのではないかというように読み取れるのですが、それと、二十一世紀においてもしかすると倒れるかもしれないという部分で、今の先生の御見解では、今後、アメリカ合衆国影響力が今よりも二十一世紀に肥大をしていくのかどうなのか。
  82. 市村真一

    市村参考人 私は、ここ十年、十五年ぐらいのところをとりますと、アメリカの力は総体的にまだ上昇していくだろうと思いますが、それから先になると、むしろ減退するのではないか、大づかみにそういうふうに展望して物を考えております。それは、ブレジンスキーあたりでも大体そういう考え方です。
  83. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 そうすると、今、日米同盟がうまくいっていますけれども、今後とも、十五年、二十年、二十一世紀の半ばぐらいまで同盟が常に維持できるのかどうなのか。あるいは、先生は、中国中核国家になり得ないだろうということでありますが、中国がそうなるであろうという意見は多いとお書きになっておりますので、そうしたら、アジアの中で島嶼半島を束ねながら、大陸国家としてのシナとの同盟の方にも目を向け、日米関係とてんびんにかけるわけではないのですが、日中同盟というような形で、三極構造の中でのアジアということでとらえていくべきではないのかなと思うのですが、それはどうでしょう。
  84. 市村真一

    市村参考人 中国経済力が非常に伸びるだろうという意見は、例えば世銀とかIMFが二十一世紀初頭の予測をした場合にそういうことをかなり強く主張したときがあるのですね。ところが、アジア危機の後、そういう見方を根本的に改めまして、そういうことはないという意見に大体そういう国際機関はなっておりますし、それからネズビッツのような意見もありますけれども、そうではないだろうという意見の方が、現時点では、むしろ政治学者の間にも経済学者の間にも有力だというふうに申し上げたいと思います。
  85. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 もう一つだけアジアのことに関して。  島嶼半島、タイ、ミャンマーぐらいからマレーシア、インドネシアという形になってくるのだろうと思いますが、その先の大陸国家であるインド先生のお話では、「東亜海洋国家群を束ねて、アメリカ合衆国と同盟しつつ、大陸国家中国及びロシアと友好的に対峙」をする、中国及びロシアとは友好的ということではありますが対峙をしながらということなんですが、中国と相対峙していくという観点において、インドもまた中国と国境を接して、相対峙をしていることもインド一つ宿命なのかなという気もするのです。日本が同じ立場のインドと共通の利益、あるいは何らかの形で海洋諸国、まあインドまでという考え方はできるのでしょうか。
  86. 市村真一

    市村参考人 インド、パキスタンのようなところを一応一括して南アジアと言うのですが、南アジア諸国日本との関係は現在までのところ極めて希薄でございまして、経済的にも貿易量は非常に小そうございます。最近、インド経済が好調になりつつありますので、状況は少し変わりつつございます。  そのインドと接近するという動きは最近ようやく強化されつつありますけれども、それと、中国日本との関係を同列に比べる段階ではまだとてもないというふうに思います。二十一世紀の中ごろぐらいになれば、あるいはインドはもう少し力を発揮してくるかもしれませんけれども、それまではやはりここで議論しておりますような形での考え方で十分ではないかなと思います。  ただ、何人かの政治学者の間には、もっと日本インドに接近した方がいいというような意見の方もいらっしゃいますので、もし機会があればそういう方の御意見もお聞きいただきたいと思います。
  87. 近藤基彦

    ○近藤(基)委員 以上で結構でございます。ありがとうございました。
  88. 中山太郎

  89. 松浪健四郎

    ○松浪委員 市村参考人におかれましては、長時間にわたりまして本当に示唆に富んだ二十一世紀日本のあるべき姿について論じていただきましたことを、心から御礼を申し上げたいと思います。  各党の委員が御質問されるわけでございますけれども、市村論文は真摯に書かれております関係で、恐らく市村参考人に対して失礼なまた僣越な質問があったかもわかりませんし、我々聞いている側からいたしましても、随分失礼な質問だなというふうな思いで聞かせていただいておったのも事実であります。  そこで私は、余り失礼な質問はしないつもりでございますけれども、まずお尋ねをしたいのは、四ページにありますけれども、「二十一世紀世界において、アメリカ合衆国は、疑いもなく最有力な中核国家である。」こういうふうに書かれております。そこで、中国とイスラム諸国の連盟との対決を心配しているというところがございますけれども、私は、中国の新疆ウイグル自治区に住む少数民族状況と、そして漢民族との対立、中国政府との対立、これらを眺めておったときに、中国はどう考えたってイスラム諸国と連帯するというようなことがないのではないのかというふうに思っておるんですが、これについて市村参考人はどのようにお考えか、お尋ねしたいと思います。
  90. 市村真一

    市村参考人 有名なサミュエル・ハンチントンというハーバード大学の教授が「文明の衝突」という書物の中でそのことの心配を指摘しておるわけでございまして、具体的には、例えば北朝鮮とか中国のミサイルがパキスタンに売られているとか、そういうことを踏まえているんだろうとは思いますが、御指摘のように、回教圏諸国中国などが同盟関係に入る、それで、それを結んでアングロ・サクソンに対抗する、そういう構図はハンチントンさんの心配し過ぎだということでは同感でございます。
  91. 松浪健四郎

    ○松浪委員 次に、五ページの表の二に、「東アジアにおける各国の宗教と民族の概要」ということで、各国の宗教、民族、言語について書かれてあるわけでございますけれども、ここでちょっと気になりますのは、韓国・北朝鮮に、キリスト教の後ろに儒教、そして台湾にも儒教、そしてベトナムにも儒教というふうに出てまいります。  儒教というのは儒学であって、孔子を祖とし、四書五経を経典とする中国古来の政治道徳のことである、このように思いますと、これは宗教ではないのではないのか。宗教というのは、神仏または超越的絶対者を信仰し、安心、幸福を得ようとすること、またそのためにする行事というふうな形で理解するならば、ここに儒教が出てくるのは不自然ではないのかというふうに私は思うわけですけれども、そのことについて参考人の感想を聞かせていただきたいと思います。
  92. 市村真一

    市村参考人 御指摘のように、ちょっとここで儒教と書いたのは適切でなくて、むしろ道教というふうに置きかえておいていただいた方がいいかもしれません。ただし、韓国の場合には、儒教のままの方がよいかもしれません。  儒教には、日本では確かに宗教とは言いがたい湯島の聖堂などもございますけれども、他国の場合には、普通、大体道教という形の宗教の形をとっております。儒教には宗教としての側面もございますけれども、確かに、御指摘のように薄うございますので、韓国・北朝鮮を除きましては、ほかは道教というふうに置いておいた方が適切かと思います。  どうも失礼いたしました。
  93. 松浪健四郎

    ○松浪委員 その下に、「大中華圏と反中国日米同盟の対決」ということで図がございます。先ほども近藤委員の方から御質問がありましたけれども、この大中華圏、ちょっとこの地図は、いわゆる中国影響圏についてなんですけれども、中途半端ではないのかというふうに私はとらえております。  なぜかと申しますと、中国は、申すまでもなく、石油の輸入国に転じておるわけでありまして、どうしても中国影響を及ぼそうとするならば、カスピ海までをも影響に入れなきゃいけない、あるいはその下のイランも影響下に入れなければ、これからの中国エネルギー資源ということについて考えたときに不自然ではないのか、私自身はそう思っておるわけであります。  したがいまして、この中国影響圏というのは、今の時代あるいは二十一世紀を透視したときに、ちょっと合わないのではないのかという印象を持っておりますけれども、参考人はどうお感じでいらっしゃいますでしょうか。
  94. 市村真一

    市村参考人 ブレジンスキーという学者は中近東の方、それから東欧の方は非常に詳しい方で、この地図以外にもいろいろな地図を書いております。ですから、ほかの部分を見ますと今おっしゃったような問題も十分議論しておりますが、これは主として東亜のところだけに関係したものとして引用したわけでございまして、ほかの今おっしゃったような議論も十分いたしておりますので、ごらんくださればありがたいと思います。
  95. 松浪健四郎

    ○松浪委員 さらにつけ加えさせていただきますと、この地域、南アジアをも含みますけれども、いわゆる古代ペルシャ文化圏なんですね。そして、今ではイスラム教のスンニー派、シーア派という形に分かれていたり、古い時代にはゾロアスター教の文化圏でもあったわけですね。ですから、ここで線を引くということはこの地域を分断するという形になりまして、私は、ブレジンスキーはどういう思いでこの中国影響圏の線を引いたのか理解に苦しむわけであります。どう考えても、この線は、南アジアの上の方になりますけれども、不自然ではないのか、こういうふうに思っておることをつけ加えさせていただきたい、こういうふうに思います。  そこで、六ページの「世界三極構造」についてお尋ねをしたいわけですけれども、経済面におきましては、「世界の指導力は北米・西欧・東亜という三極構造世界の形に向かって動き始めている」、これは理解できるわけですけれども、それでは政治的にはどうなのか、やはり三極構造なのか。私は、イスラム教国も加わって四極構造になるのではないのか、こういうふうに思っておるんですけれども、そのことについて、参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
  96. 市村真一

    市村参考人 この三極構造という中から漏れているものとしましては、今おっしゃったようなイスラム圏と、それから南アジアという地域があるわけですね。それはかなり大きくてあれなんですが、経済力が伴っておりませんので、ここでは主として経済的に世界で重きをなすような地域という意味でこの三極ということを言っておるわけでございます。先ほど申しましたように、もし将来南アジアが力をつけてまいりましたら、あるいは四極になるかもしれません、回教圏がまとまって経済発展が緒につきましたら、あるいは四極になるかも五極になるかもしれませんが、それはちょっと二十一世紀ではまだ無理じゃないかという判断でございます。
  97. 松浪健四郎

    ○松浪委員 八ページには、「二十一世紀世界において、唯一の利害対立は「石油」資源をめぐってあるが、産油地はアラブと北海と旧ソ連領内にあり、その開発権の大半アメリカのメジャーが押さえている。」  ことしのロシア経済収支は黒字に転じた、こういうふうに言われております。それは油が値上がりしたからだということは容易に理解できるわけでありますけれども、そうしますと、アラブとロシア経済的、政治的にアメリカ影響下から脱し得ないというふうに理解できるんですが、その認識でよろしいんでしょうか。
  98. 市村真一

    市村参考人 その認識でほぼ間違いないと思います。アラブは、何といいましてもメジャーの技術なしには石油は掘れないわけですから、そうだと思います。ロシアの場合は必ずしもそうではありませんけれども、しかし、石油以外の産業の発展のためにはどうしても西欧及び日本アメリカ経済力が要りますので、ロシアは独立して自分たちで独自の路線をいくというような旧路線に戻ることはできないと思っております。
  99. 松浪健四郎

    ○松浪委員 結局、我が国が、産油国ではございませんから、産油国とどのような形で仲よくしていくか、その一番の大切なことはどういうことだというふうに参考人はお考えでいらっしゃいますか。
  100. 市村真一

    市村参考人 それはやはり、アメリカと仲よくして、またアラブ諸国とも仲よくするという、従来日本がとってきた政策の路線上をいくことではないかと思っております。
  101. 松浪健四郎

    ○松浪委員 その下の方に、「二十一世紀の後半になると、エネルギーをめぐる事情は激変するかも知れない。」そして「石油資源はなくならないまでも、」こうあるわけですけれども、当面二十一世紀は、もしかしたならば石油資源を確保することができるかもしれません。としたならば、地球環境は深刻な状況になると思わざるを得ないわけです。  現在の憲法には、環境について全く触れられていないわけですけれども、制定時、今日のごとき車社会の到来あるいは電力の使用は想像できなかった、こういうふうに考えていいわけでしょうか。
  102. 市村真一

    市村参考人 おっしゃるとおりでございまして、環境問題のことは私は一切触れておりませんが、二十一世紀の非常に大きな問題の一つはやはり環境問題でありまして、それに対して憂慮すべき事柄というのは現在の時点ではほぼわかっておりますので、全地球規模の問題は、例えば環境問題とか核の問題というのはそれでありますけれども、それはあらゆる国の国益に優先されなければならないというのはそのとおりだと思っております。
  103. 松浪健四郎

    ○松浪委員 参考人は、我が国エネルギー問題について心配をされていないんですか、それとも、心配だなというふうに思われているのか、お尋ねしたいと思います。
  104. 市村真一

    市村参考人 私は、経済に関しまして我が国が最も憂うべきものの一つエネルギー問題だというふうに考えております。  したがいまして、核融合が実用化され、安全を確保して供給されるまでは、どうして日本エネルギー源を確保するかというのが安全保障のまずナンバーワンの問題だというふうに思っております。
  105. 松浪健四郎

    ○松浪委員 そこでまたブレジンスキーの図に戻るわけなんですけれども、我が国石油、天然ガスはどうしてもカスピ海沿岸から我が国に持ってこなければならないということになると私は考えているわけです。ところが、悲しいかな、この周辺には紛争があって、いまだ解決するに至っていない。  したがいまして、アメリカ資本あるいは日本資本でパイプラインをアラビア海に引いてくるのが一番安くつく、そして合理的だ、こういうふうに私は思っているわけですけれども、ここからパイプラインを引く、それは参考人は可能であるというふうに思われているのかどうか、お尋ねしたいと思います。
  106. 市村真一

    市村参考人 申しわけありませんが、余りそういう技術的なことは私は存じません。  ただ、最近、中近東だけではなくてロシアの領内でもいろいろなところに新しい油田が発見せられて、それをパイプで積み出し港まで持ってくるというプロジェクトは大々的に着手せられておりまして、それに関する報告書も幾つか出ておりますが、私は詳細に読んでおりませんので、エネルギー経済研究所の専門家にでもお聞きくださればありがたいと思います。
  107. 松浪健四郎

    ○松浪委員 私の心配しておりますのは、カスピ海の下はイランであり、アメリカとの関係がもう一つうまくいかない。  ところが、うれしいことに、調査会長の中山太郎会長日本・イラン議員連盟の会長をされて、そして間もなくイランのハタミ大統領が我が国にやってまいります。そこで、アメリカとイランとの関係がうまくいかないとしたならば、我が国アメリカのかわり、そのためにもイランとの友好関係を密にしなければならない。  同時に、そのイランの右横にありますアフガニスタン、ここのジャララバードというところにアメリカはミサイルをぶち込んだことがございます。そういう関係で、アメリカとアフガニスタンの関係もうまくいっていない。  どうしても、日米同盟を結んでいる関係で、日本がこの南アジアから中近東にかけて活躍をしなければならない使命を持っている、私はこういうふうに認識しておるわけなんですけれども、それについてはどういう御感想をお持ちか、参考人にお尋ねしたいと思います。
  108. 市村真一

    市村参考人 アメリカ中近東の産油国との友好関係につきましては、今御指摘のような親疎の度合いがいろいろありまして、我が国も、アラブ諸国との関係につきましてはやはり親疎の度合いがいろいろありまして、それはアメリカと必ずしも一致していないことは御指摘のとおりであります。  日本としましては、あらゆる国と仲よくしつつ、特に親しい国とは特別に親しくして、エネルギーの供給源を確保するという努力を継続すべきだと思います。同時に、やはり日本に近いシベリアの産油とかインドネシアのガスというものに関してもっと力を注ぐべきだと思っております。
  109. 松浪健四郎

    ○松浪委員 私自身も、二十一世紀エネルギーの問題は避けては通れない重要な問題である、こういうふうに認識するものであります。その意味におきまして、いい示唆を与えていただいたことに感謝をさせていただきたいと思います。  時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  110. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  市村参考人には、大変長時間にわたって貴重な御意見をお聞かせいただき、まことにありがとうございました。調査会を代表して、厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る十一月九日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時二十五分散会