○
市村参考人 我が国の
基本法でございます
憲法をめぐる諸問題について
発言する機会を与えられましたことを、心から御礼申し上げます。
私は、
昭和二十年におきましてはちょうど二十でございまして、
昭和二十一年に
京都大学へ入学いたしまして、一年生のときに
佐々木惣一先生の
憲法の
講義を聞いた者でございます。自来、
憲法の問題は
念頭を離れたことはございませんが、私の
専門は
経済学でございまして、
アジアの
経済の
発展に過去約三十年の学者としての後半生を当ててきた者でございます。
二十一
世紀の
日本のあるべき姿について、またそれと
憲法問題との
関係について本日は
発言をするわけでございますけれども、その前に
二つのことを
発言することをお許しいただきたいと思います。
一つは、
昭和二十一年から二十二年にかけましての
佐々木惣一先生の
憲法の
講義は、ちょうど現在の
憲法が制定せられる渦中でございまして、その都度生々しい、東京での、旧
明治憲法の
改正、
現行憲法に至ります
過程のお話をされながら
講義をされたことを想起するのであります。
多くの
佐々木先生の
書物も拝読いたしましたが、本日
一言だけ申し述べたいのは、その御
講義の最中に一度
先生が、いよいよ
現行憲法が制定せられるという直前の段階で、
近衛公の
憲法改正草案を急がねばならぬということで、
大学卒業以来初めて徹夜をしたという話をされましたことと、そしてある日、東京大学の
宮沢俊義教授を厳しく批判せられまして、
宮沢俊義のごときに
憲法の何がわかっておるかということを言われたことであります。当時、聞いておりました者は五百名になんなんといたしておりましたから、私のこの記憶を裏づけてくださる方は何人もいらっしゃると思うのであります。
もう
一つ申し上げたいと思いますことは、私は、
昭和二十五年にいわゆる
ガリオア資金を得まして
アメリカへ留学いたしました。そして、三年間留学して帰ったのでありますけれども、最初の一年を
コロンビア大学で、後の二年をマサチューセッツ工科大学で
博士課程を終えたのでありますけれども、その二十五年、
コロンビア大学におりましたときに、ある
学生食堂で一人の人物と出会いました。彼の名は
マクネリーというのであります。
マクネリーという人は、
コロンビア大学の
博士論文において
日本憲法改正のプロセスを書きまして、それで
博士号を得た人なんです。
この前に
憲法調査会というのがございまして、「
日本国憲法制定の由来」という
書物が出ておりますが、
マクネリー論文というのが下敷きになっているのであります。不思議なことに、この中に、
マクネリーによればという引用はたくさん書かれておりますけれども、その
マクネリー論文がどういう形で出版されておるかということはこの
書物のどこにも書いていないのでありますが、たまたま
マクネリー氏にそのとき会いました
関係で、それが
コロンビア大学に提出せられた
博士論文であるということを承知している者であります。このことはぜひ本日記録にとどめておいていただきまして、
コロンビア大学の
博士論文、
マクネリー氏の
論文を、私は持っておりますが、
調査会におかれましても取り寄せられまして、御
参考にしていただきたいと思うのであります。
なお、ついでに申しますと、この中で引用せられておりますウォードという人の業績も、この
書物の中には引用されておりません。これはどこにあるのか私は承知しておりませんので、御
調査いただきたいと思います。
以上、追加でございますが、本日の
発言に移らせていただきます。
憲法問題を考えます際に、二十一
世紀の
世界と
日本というものの姿をほぼ想定していろいろなことを考えようという当
調査会の御見識には、心から敬意を表したいと思います。
二十一
世紀が今からどういうふうに変わるかということを見定めるためには
幾つかのことに
注意をいたさねばならないと思いますが、その中でも、私の考えで一番重要だと思われます
幾つかの点について、私の勉強いたしておりますことを申し上げます。
第一、
世界の地政学的な
構造であります。
世界の中での
日本というものを見ます場合の最も基本的な観点は、
世界各国の地政学的な
構造であります。ゲオポリティクスの
構造であります。そこで特に重要なのは、
国家の中には、
大陸国家と
海洋国家という
区別があるということと、
中核国家と
周辺国家という
区別があるということであります。
大陸国家の特徴は、国土の
大半が
大陸の内部に位置し、
人口の
大半が
内陸部に居住し、
海洋に開かれたる良好な
港湾が少ないということであります。
世界の中でこのような
大陸国家は、
ロシア、
中国、
インド、
米国の
四つしか存在しません。最も典型的な
大陸国家は
ロシアであります。次いで
インド、
中国であり、
アメリカは、
大陸国家であると同時に、両
大洋に開かれた
港湾を持っておりますので、
海洋国家でもあると言えなくもありません。
この四大
大陸国家が、同時に
人口大国であり、領土の大きな
大国であるという事実に注目する必要があります。すなわち、
世界の
政治的動向は、この
四つの
大国がどのような
動きをするかということに大いに左右せられるのでありまして、そのような実情は、私の提出いたしました本日の資料の二ページ及び三ページに掲げてございますところの
地図と、その
人口を比例的に
地図の上に落としましたときの図、第二図によって明らかであります。
ところで、
日本は
ユーラシア大陸の東端にあり、
東亜の一角にある
海洋国家であります。それは、あたかも
英国が
ユーラシア大陸の西端にある
海洋国家であるのと似ております。しかしながら、
英国は
欧州大陸と単独で対峙しているのと異なりまして、
日本は南方に
台湾及び
ASEAN諸国とつながって、さらにそのかなたに
大洋州の二国を臨んでおるのでありまして、著しくその
地政学的構造が違うのであります。
したがって、
日本は古来、
朝鮮半島とつながりつつ
大陸との
関係を持ち、同時に、
海洋によって
東南アジア諸国とつながる、そういう
構造になっておるということを忘れてはならない。これはいわば
日本の
地政学的基本構造であり、
宿命であると言わなければならないのであります。
二十一
世紀には、今の
東アジアの低
開発国である
国々もやがて
発展して
中進国となるに相違ありません。それらの国を束ね、
大陸国家シナ及び
ロシアと対峙し、そして海のかなたの
大陸国家、同時に
海洋国家である
米国とどのように結ぶかというのが
日本の
国家戦略の
宿命的課題であります。
その次に、
中核国家と
周辺国家の差でありますが、
アメリカ大陸において、
アメリカ合衆国は他の
諸国との
関係で見て
中核国家と
周辺国家の
関係にあります。歴史的に、
シナを
支配した
歴代王朝が
周辺諸国を
東夷西戎南蛮北狄と称しましたのは、自己を
中核国家、周りを
周辺国家と考えていたからであります。
中核国家たる条件は、
軍事力、
経済力、
政治体制、
政治思想、
文化学術、
国家の
国際的信望等の
総合的国力において、
周辺国家より数等すぐれているということであります。
我が国は、この
意味において
中核国家となろうと努力したこともございますけれども、極めてなりにくい
地政学的地位にあるということでございます。
二十一
世紀の
世界において、
アメリカ合衆国は疑いもなく最も有力な
中核国家であります。しかし、その
影響圏が太平洋、大西洋のかなたのどこにまで及ぶかは、その
総合的国力が国際的にどう評価されるかにかかっているのでありまして、今を
パクス・アメリカーナと申しますけれども、全
世界を左右できるほどの力はないと判断すべきであります。
ハンチントン教授が「文明の
衝突」という
書物の中で、
シナと
回教圏諸国との連盟が成立して、それと
アメリカが対決するという心配をしておるということは、このような憂いが
アメリカ人の
念頭を去らないことを証明しております。
二十一
世紀の
アジアに
中核国家は出現するでありましょうか。
中国がそうなるだろうという
意見を述べる方はいろいろとございます。最も代表的なものは、ジョン・
ネズビッツという人が書きました「
メガトレンド・
アジア」という
書物であります。この人はジャーナリストでございますけれども、
中国本土の
経済力プラス三千万になんなんとする
在外華僑華人の
経済力を総和して、二十一
世紀は
華人の
世紀であると結論しているのであります。
しかしながら、私がその書評で批判をいたしましたように、彼の見解は
東アジアにおける他の諸
民族、諸
国家の反
華人感情とその
経済力を軽視し過ぎているという
意味において、これを支持しがたいというふうに私は考える次第であります。二十一
世紀の
アジアにおいて
華人の
経済力は次第に伸長するでありましょうけれども、決して
支配的とはならず、またその結束が、もとの
中国と結んで保たれるとは思えないのであります。
その第一の
理由は、
東アジアの諸
民族国家の
状況が、
ハンチントン教授や
ネズビッツの
書物が論じているほど簡単に
華人の
支配になるとは思えないからであります。私の要約の五ページの上の表二をごらんいただきますと、
アジアにおける
華人以外の諸
国家及び諸
民族の宗教と
民族と言語がどのような姿になっておるかということがわかるのでございまして、そこには書いておりませんが、その諸
民族、諸
国家の
人口を考えていただきましただけでも膨大な数でございまして、しかもそれは決して
親中国ではないという
意味におきましては、私は、
華人が
アジアを
支配できるというような
状況にはないというふうに思うのであります。
第二の
理由は、
中国と
米国が対決する
可能性があるということであります。
ハンチントンもこの点に言及いたしておりますが、この点を一番詳しく論じましたのはブレジンスキーの「
世界はこう動く」、原題は「ザ・グランド・チェスボード」というのですが、その
ユーラシア大陸での
地政学的戦略を論じました
書物の中で、引用しておりますその下の第三図がそれを示します。
中国が
拡張政策をとりました場合、
中国が
支配したいと思うであろう
地域を点線で描いておりまして、それに対して現在の
日米同盟が一応
境界線と考えておる線を黒い線で書いておりまして、そのあたりが両
勢力圏の対決する
境界線であるということでございます。舞台は
朝鮮半島と
台湾海峡と
東南アジアにあることはこれで明らかであります。
第三の
理由は、二十一
世紀の間には中
華人民共和国の
国家体制が変容すると予想されることであります。現
政権の一
党独裁体制は、恐らくあと一世代もつことはないでありましょう。かつ、一
たん多党の併存が部分的にもあるいは
地域的にも認められるや否や、
民主的政治の
意思決定過程が
シナの各地に浸透し、やがて
少数民族、各
地域の
自治拡大の要求が強まるに相違ありません。これは、
東アジア諸国の戦後の
政治経済を眺めてきた私といたしましては、極めて自然なように思われるのであります。かつて、
朝鮮半島におきましても、また
東南アジアにおきましても独裁的な
政権は数多くございましたが、いずれにいたしましても、
反対党が出現いたしますと、どうしても
民主政治の
方向へと行かざるを得なかったということを証明しているように思うのであります。
このような情勢を考えますと、
日本が地政学的に考えて選択できる道は、
東亜の
海洋国家群を束ねて、
アメリカ合衆国と同盟しつつ、
大陸国家である
シナ及び
ロシアと友好的に対峙しながら、
海洋国家諸国の
経済、
社会、
文化の
発展を図るというのが
日本のとるべき大きな
国家的戦略であると言わなければならないし、そのことは二十一
世紀においても変わることはないと思うのであります。
その次に、
世界の
三極構造のことを申し上げたいと思います。
世界全体の現在の
趨勢として重要なのは、
先進諸国には
地域統合の
趨勢があり、低
開発国には逆に
国家分裂の傾向が見られることであります。
北米三国に
NAFTAが形成され、ヨーロッパにEUが形成されました。そして、それにあわせて
東アジアにも
ASEANプラス3、すなわち
マハティール首相が主唱いたしましたEAECの別形態の会合が重ねられておりますし、
日本の
イニシアチブによりまして、
日本と
韓国及びシンガポールとの間に
部分的自由貿易協定の話し合いが進み始めております。
また、大蔵省の榊原氏が、時期尚早ではありましたが、提唱いたしまして
アメリカの猛
反対を受けました
アジア通貨基金の構想も、その後、
宮澤イニシアチブあるいはチェンマイ・
イニシアチブという形で
東アジア諸国間の
通貨危機対策の
協力が進められております。そしてそれに対しては、
米国や
中国も露骨な
反対はしなくなってきております。これは、
東亜における
一つの
地域統合への
動きが一歩か二歩始まったことを証明していると思うのであります。
アメリカにおきましても、幾人かの識者は既にそういったトライパータイトワールド、
三極構造の
世界の
方向に
世界が向かっているということをむしろ積極的に支持する
議論が多くなりつつありまして、二十一
世紀は確実にそうした
三極の
地域統合体が相互に
協力する形を模索するという
方向に進むものと思うのであります。
そこで、そのような
東亜における
経済統合に決定的に重要なのは、
日本の
役割であります。
東アジアにおいて
日本の果たす
役割がいかに重大かということは、最近起こりました
金融危機の救済において、
東アジアが必要とする
資金の実に三分の二を提供したのは
日本でありまして、IMFは若干の、あるいは誤った知恵を出しましたけれども提供した
資金は極めて少なく、かつ
米国政府におきましてはびた一銭も
アジアには援助していないのであります。
この
三極構造の
世界の
一極を占める
東亜地域は、
北米と西欧とは異なって、簡単に
地域統合が進む
状況にはありません。なぜならば、
中国と
極東ロシアという存在があるからであります。基本的にこの
二つの
大陸国家と他の
海洋国家の
国益は一致せず、
経済的に競合する面が多いからであります。
しかし、この点についてさらに詳しく見ますと、第一節に言いましたような、地政学的な視点から
東亜海洋国家群と
シナ、
ロシアとの対峙を指摘したのでありますけれども、この
三極における
東亜ということを考えますと、我々は
中国経済とも密接な
関係を持ちつつ
経済的に
協力し合っていかなければならないという
関係にあります。したがって、
日中関係はある種の友好と対決という、絶えず矛盾した
関係にあるわけでありまして、
我が国といたしましては、このような
力関係、すなわち
大陸諸国との
力関係と
海洋国家群との
力関係をバランスよく保たなければならないという
配慮をしなければならないのであります。
一九九〇年代の初めごろに、
日本の
中国投資が怒濤のごとく激増したときに、私は、
東南アジアの
諸国を回りましたとき、どうか
ASEANを忘れないでくださいという悲鳴にも似た声を
東南アジア諸国の
経済界から聞いたことがあります。その
東南アジアの
経済界の中には
華人経済人も含んでおりました。
そこで、帰国後いろいろ調べましたところ、
我が国の
対外投資は、
中国への怒濤のごとき
投資増が起こりましたのは九〇年代の初めに限られておりまして、それ以後は急速にそれは鎮静化し、
ASEANへの
投資が拡大いたしておりまして、そこに掲げました七ページの表が示しますように、むしろ
ASEAN諸国への
投資の方が若干多いというのが現状であります。そして、それは現在に至っても変わっておりません。決して
中国一辺倒には動いていないということが判明しておるのであります。これは、
我が国の
経済界の方々がこのような
配慮をして意図的にやっておられるとは思いませんけれども、しかし、各社の大きな
配慮というものがそういった
方向を生み出しているのではないかと思うのでありまして、それは
日本の
国益に一致していると考えるのであります。
そのような
緊張関係をはらみつつ、
海洋国家群のリーダーとしての
日本、そして
大陸国家とが対峙するというのが二十一
世紀の
三極構造の
東亜の姿であるというふうに考える次第であります。
次に、軍事問題でございます。軍事問題は私の
専門ではございませんが、どうしてもこの問題は避けて通れないと思いますので、若干の
意見を申し上げます。
二十一
世紀中に大きな
軍事的衝突が起こる
可能性はほとんどないと思います。なぜならば、
アメリカの
一極支配を覆すような
大国になる国はありそうもないからであります。すなわち、二十一
世紀は
パクス・アメリカーナの
世界であり、
アメリカは新しいローマ帝国になるでありましょう。
米国ないし他の
軍事大国にいたしましても、
核戦争の危険を冒してまで追求しなければならないほどの
国益はないと思われます。
しかしながら、二十一
世紀の
世界において、唯一深刻な
利害対立が起こり得るものは
石油であります。
エネルギー資源であります。このような
アメリカの、例えば
NAFTAを結成いたしました動機でありますとか、あるいは
中近東の
湾岸戦争を起こしました
状況でありますとか、昨今の
アメリカの
動きで、
中近東、アラブへの介入でありますとかを見ますと、それにはやはり深刻な
石油問題が
関係していることは明らかであります。
それに対して、他の
大国、例えば
中国とか
ロシアが本当に真剣にチャレンジするかといえば、恐らくそうはならない。なぜならば、
中国は今や
石油輸入国であり、
採掘権を握っておりますメジャーとの
協力を重視しなければならないからであります。
ただ、この点で
注意をすべきは、二十一
世紀の後半になると
エネルギーをめぐる事情が激変する
可能性があります。
石油資源はなくならないまでも、
代替エネルギーを求めなければならない度合いはもっと大きくなるかもしれませんし、ひょっとすると
核融合の
技術が実用可能になるかもしれません。
そうした
資源状況、あるいは新
技術の
開発をめぐる
状況がどのようになるかによって、
世界の
政治と
経済に深刻な
影響を及ぼす
可能性があります。
我が国はこの点を冷静に分析し、絶えず
注意を払っていかなければならないと思うのであります。
我が国にとって、食糧問題も深刻でございますけれども、これは主として備蓄で対処できるのでありますが、
エネルギーはそうはいかないのでありまして、
エネルギー問題はより深刻であるというふうに考える次第であります。
そこで、
アメリカが
核戦争の脅威を回避するために推進しつつある
核拡散防止協定がもっともっと強く推進せられることが極めて望ましいわけでありますけれども、
アメリカみずからはこれを批准しておりませんし、
核保有国が核軍縮から
核廃止への道を着実に進んでいってくれるということが重要でありまして、これに対する
我が国の深刻な
国家戦略が求められておるというふうに思う次第であります。この点につきましては、恐らく私よりもより適切な
議論をできる方がいらっしゃると思います。
第四番目に、二十一
世紀の
世界で、
人口について申し上げなければなりません。
二十一
世紀の
世界では、
人口について奇妙な
現象が進行しております。それは、
世界の
先進国の諸
民族には
人口減少が起こり、低
開発国で
人口爆発が起こっているということであります。国内における
少数民族を除きますと、
ロシア人、
ドイツ人、
フランス人、
アメリカの
白人人口、
日本人の
人口は、既に減少し始めているか、あるいは近い将来に減少することが確実であります。しかし、主として
シナ、
インド、
回教圏、アフリカ、中南米では激増いたしております。そして、そのような
人口爆発国では多くの
飢餓者が出ているという
状況であります。このような
人口動態は極めて深刻でありまして、このような
人口動態の将来というものを正しく見通し、それに対してどのように対処するのかということが二十一
世紀の重大な
幾つかの問題の
一つであることは疑いありません。
次の十ページのところに、国連の
人口部が作成いたしました
人口ピラミッドの図を掲げました。左側の
三つは、一九九九年の
先進国と
中進国それから
極貧国の
人口ピラミッドの姿であり、右側の
三つは、二〇五〇年の予測された
人口ピラミッドの姿であります。
その
二つを見ていただくと明らかなように、
先進国におきましては
人口の
老齢化はますます進んでいきますが、と同時に、現在の
中進国、例えば
韓国とか
台湾とかフィリピンとかそういうところの
人口ピラミッドも、一九九九年の
先進国のような形になっていって、やはり
老齢化が進み始めておるということがわかります。驚くべきことは、先ほど
人口が爆発していると申しましたような一番貧しい
国々においても、若いところの
人口の
ふえ方が減りまして、
人口の
老齢化が進むということであります。
すなわち、
少子化と
人口の
老齢化というのは
世界じゅうを通じての
現象でございまして、このような
少子老齢化の
現象に
日本の
社会が
世界で一番早く直面しておるわけでございますので、もしこの克服に
日本人が見本を示しますならば、
世界の人々は
日本にいろいろ教えを請うことになるだろうと思うのであります。
ところで、この
少子化の
現象と同時に進行いたしておりますことは、
我が国の国民の
道徳力の衰えであります。青少年犯罪の増大その他、もう言うまでもないことであります。
日本の場合、既に
我が国の
人口問題審議会が提言いたしておることでございますけれども、結婚した夫婦が持っております平均の子供数は二・二人でございまして、決して不健全ではありません。問題は、結婚しない男女がふえていることであります。しかも、
調査によりますと、大多数の未婚者も結婚したいと思っているのであります。このことは、現在の
日本の
社会が、若い男女の結婚、男女交際、出生、育児の問題を正しく処理していないということを示すのでありまして、このようなコミュニティー、共同
社会の問題というものの欠陥が
我が国に露呈していると言わなければならないわけであります。
そこで、
少子化問題の対策をどうするのかということでございます。十一ページでございますけれども、そのかぎは、そこにいろいろ書いておりますが、若干飛ばします。要するに、家庭とコミュニティーという
二つの人々の集いを、もっと温かな、もっとお互いが啓発し合える、助け合えるような、そういう
社会に育成するということでございまして、このような対策がもっともっと真剣に講じられなければならない。そして、子供を産み、子供を育て、健全なる家庭を育てていくという両親を持つような家庭がもっと
社会的に福祉を受けることができるような、そういう
社会制度というものをつくり上げなければならないということであります。
ちょっと一例を申し上げますと、児童手当、一人目の子供の手当はサラリーマンはもらえますけれども、二人目からはもらえない、三人目からももらえない、そういう現行制度はまことにおかしな制度であります。例えばそういう制度を改めていくということが重要であります。このような現在の制度の改革あるいはそれに伴うところの家庭環境の悪化というふうなものが実に多くの道徳的問題を起こしていることは、私の指摘するまでもないわけであります。
この
意味において、二十一
世紀において主要
先進国が競い合っておりますものは、
経済競争だけではなくて、それは教育競争であり、
技術競争であり、文明競争であり、道徳競争であると言わなければなりません。
我が国は、少なくとも、これらの
経済競争以外の競争においても他の
先進諸国に劣らないように、そういう努力を重ねるべきだというふうに思います。
二十一
世紀で
世界の畏敬を受ける国はどこか。それは、国民道徳が一番高い国であると思います。そのような
日本にしたいものであります。
その
意味において、
我が国が急がなければならないのは教育改革であります。教育改革といいましても、小学校、中学校の改革から着手するという通常の文部省のやり方ではなくて、一番大事なのは上から改革するということでございまして、大学院の改革、研究所の改革、そういうところから始めて下へ行くというのが正しい改革の方法だと思います。そしてそれには、教育
基本法の
改正が不可避であるというふうに考えております。詳しいことはまた次の機会にいたします。
さて、二十一
世紀の
世界を考えます場合に、既に申し上げましたように、非常に大きな問題は、
アメリカと
中国の動向であります。
アメリカは
世界全体にとって、
中国は
アジアにとって極めて重要であります。
ところで、
アメリカは、現在のごとき繁栄と権威を維持し続けることができるかということでありますが、必ずしもそんなに楽観はできないと私は思うのであります。
アメリカは、
日本と同様に、家庭の崩壊あるいは家族道徳の崩壊、
社会秩序の崩壊というものが極めて深刻であり、人々の物的利欲の肥大と伝統的宗教心の喪失というものは、
アメリカにおいては
日本以上に深刻なように思うのであります。
アメリカの監獄に収容せられている人の数は二百数十万人、国民の一%であります。このような国は恐らく
世界の
先進国の中にはない。このような欠陥がどのような形で二十一
世紀の後半ぐらいに露呈し始めるかということは私にはわかりませんが、それがそのまま平和と繁栄を持続できるとは到底考えることはできません。そのように思う
社会学者、
政治学者は多いのであります。
少なくとも我々は、自国の悩みの克服に努力しつつ、そういった
アメリカ社会の変化というものにも気を配っている必要があるように思うのであります。
そして、もし
世界の警察官としての
米国のおもしというものが軽くなりますと、各地の
地域紛争が抑制できなくなる。その結果、
世界は
地域紛争の混乱に陥るということは、どうも避けられないような気がするのであります。バルカン半島の情勢、
中近東の情勢などはこれを証明していると思います。
そのような
状況のもとで、
日本が準備を急がねばなりませんのは、国連の安保理事会入りであります。そして、国連の安全保障理事会に入るというのでありますならば、現在の
日本国憲法は、自国の安全保障を他国の信頼、救援に信倚しつつ、しかも、自分は逆に諸外国の安全のための義務を果たさないという国際的不信義を含んでおります。このゆえに、
現行憲法は
改正されなければならないということは自明であると私には思われます。そうでなくては、
日本国は国連での責任を果たし得ず、また、国民の
国家的責任への自覚とそれへの貢献の義務を覚せいせしめることはできないと思われます。そのような義務感あるいは責務感というものが高まりますならば、
少子化の傾向も道徳心の退廃もやはり軽減されていくであろうというふうに思います。
次に、
中国でありますけれども、
中国の現在の
経済は、極めて順調に七%くらいの成長を当分は持続できると考えます。しかしながら、内情を詳しく見ますと、銀行や国営企業や政府財政の不良債権は膨大でありまして、一たび現在の高成長がとんざいたしますならば矛盾が一挙に噴出することは、
日本の場合と同様であろうと思われます。
そのような
中国経済の内情につきましては、
アジア経済研究所の渡邊真理子さんという方が最近書かれました「
中国の不良債権問題」という極めてすぐれた研究がございまして、私はこの
書物に主として依拠するのでありますけれども、そのような矛盾を解決するためには、どうしても現行の
政治体制、独裁
政権の腐敗というふうなものを克服しなければならないわけであります。それは決して容易なこととは思われません。
恐らくは、以下、私の想定でありますけれども、江沢民
政権が交代した後、十年を出ずして共産党の一
党独裁体制は終わり、
反対政党の出現を見るのではないかと予想するのであります。前に申したとおりであります。
その
理由は、
東アジア各国の例を眺めてまいりまして、一党独裁がずっと続いていくということはほとんどないのでありまして、
中国と北朝鮮のみにそれが続いておりまして、そのような
状況が変化をする兆しというものはもう近い将来であるというふうに考える次第であります。
経済は、WTOに加盟しまして以後、着々と自由化、市場
経済化が進みますから、それはやがて物の考え方を自由化し、
社会の仕組みの変革を要求し始めるに相違ありません。場合によっては、
中国はソ連邦のように分裂していくことも、二十一
世紀前半ですら起こるかもしれないというふうに私は考えております。
中国のみならず、
朝鮮半島、
台湾、
インドネシア等に大変大きな
政治的変動が起こる
可能性があるというふうに思っております。
日本は、その間に処して、
アジアの平和と
発展を維持し、助成していくというような
国家にならなければならないと思います。それは、現在のように、
経済的支援をし、金融面で助けるというだけでは足らなくなるかもしれません。
二十一
世紀の
世界と
日本国憲法との
関係を考える場合には、以上のような
状況を前提にいたしますと、
米国の力と信望が今のように圧倒的なものとして持続するという大前提は、やはり非常に楽観的な前提であるということではないかと思うのであります。次第に
日本は応分の貢献を期待されてくるでありましょうし、それは、
経済的な面だけではなく、民間や行政の
専門家派遣、科学
技術・学術面への
協力、さらには国際
政治、軍事面にまで及ぶものと予想いたします。もし実際に
アジアのどこかで
軍事的衝突が勃発しますならば、
日本への要請はにわかに大きくなるに相違ありません。
我が国としては、二十一
世紀に起こるどのような事態にも対応できるように、自国の
政治、
経済、
社会の体制を改革、整備していかなければならないと思うのでありまして、それにとって不可欠の問題は、
憲法の
改正であるというふうに思います。
その次に、これが最後ですが、二十一
世紀の
先進諸国において一番大事なのは、先ほど申しました道徳競争に打ちかつということであります。このために不可欠なものは、
日本人が誇りと自信を取り戻すということであります。その
日本人の誇りと自信を持って
世界に物心両面において貢献するというふうになりますならば、
日本人は実に偉大な力を発揮するに相違ありません。
日本国の
憲法は、そのような
国家国民にふさわしい
基本法でなければならない。そして、
世界にどのような事態が生起しても対処できるような
国家であり国民でなくてはならない。そのようなことを可能ならしめるような
憲法でなくては
日本国の
憲法とは言えないと思うのであります。
そのためには、
日本の歴史と伝統にふさわしい
国家の基本
構造が明示されなければなりません。
国家は、今生きている
日本人のみによって構成されているのではなく、建国以来の祖先も
日本国の構成員であります。
一言にして言えば、
日本は
世界にまたとない君主制の
国家であり、見事な王朝
文化を中心に、東洋と西洋の文明の融和に成功しつつある
国家であり国民であります。そのような国は
世界の中にほかには存在いたしません。
ハンチントン教授でさえ、
世界の七大文明の中の
一つに
日本文明というものを数えたのであります。
その文明ということの根幹は宗教であります。
日本人のごとく、伝統的な神道と仏教とその他の宗教もあわせ併存せしめながら
国家を形成し、
発展してきた国は
世界の中には
日本のみでありまして、このような
国家の存在というものは実に貴重であり、
日本人がそれを誇りにしてよいゆえんだと思うのであります。この点を
我が国の
憲法は明確に承認し、これを誇りとできるような
憲法でなくてはならないというふうに私は確信いたします。
そして、
日本人は将来ますますこのような文明に磨きをかけ
発展させていく、そしてそれによって
世界に多少なりとも貢献するということが
日本人の誇りであり生きがいとなるべきものであります。そのような子孫を包含して
国家は永遠の命を保持し続けるのであります。そのようなことに貢献するのが
日本人の道徳の根幹であり、道徳競争に勝ち抜くための
日本人の基本的心構えでなくてはならない。
日本の
憲法は、それにふさわしいような
政治制度を整備すべきものと思うのであります。
そして、このような基本を明らかにした上で、
世界の
三極が並び進み相互依存が強まる二十一
世紀において、国際的責任を果たし名誉ある地位を占めるような意思を明示していることが望ましい。
我が国の
憲法はそのようなものでなければならないと思っておる次第であります。
以上で終わります。ありがとうございました。(拍手)