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2000-09-28 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    国会召集日平成十二年九月二十一日)(木曜日)(午前零時現在)における本委員は、次のとおりである。    会長 中山 太郎君    幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 枝野 幸男君 幹事 鹿野 道彦君    幹事 仙谷 由人君 幹事 赤松 正雄君    幹事 塩田  晋君       太田 誠一君    奥野 誠亮君       久間 章生君    新藤 義孝君       杉浦 正健君    田中眞紀子君       中曽根康弘君    中山 正暉君       額賀福志郎君    根本  匠君       鳩山 邦夫君    平沢 勝栄君       保利 耕輔君    三塚  博君       水野 賢一君    宮下 創平君       森山 眞弓君    柳澤 伯夫君       山崎  拓君    五十嵐文彦君       石毛えい子君    大出  彰君       島   聡君    中野 寛成君       藤村  修君    細野 豪志君       前原 誠司君    牧野 聖修君       山花 郁夫君    横路 孝弘君       太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君       武山百合子君    藤島 正之君       春名 直章君    山口 富男君       辻元 清美君    土井たか子君       近藤 基彦君    野田  毅君 平成十二年九月二十八日(木曜日)     午前九時一分開議  出席委員    会長 中山 太郎君    幹事 石川 要三君 幹事 高市 早苗君    幹事 中川 昭一君 幹事 葉梨 信行君    幹事 枝野 幸男君 幹事 鹿野 道彦君    幹事 島   聡君 幹事 仙谷 由人君    幹事 赤松 正雄君 幹事 塩田  晋君       太田 誠一君    奥野 誠亮君       久間 章生君    新藤 義孝君       杉浦 正健君    田中眞紀子君       中曽根康弘君    中山 正暉君       根本  匠君    鳩山 邦夫君       平沢 勝栄君    保利 耕輔君       三塚  博君    水野 賢一君       宮下 創平君    森山 眞弓君       柳澤 伯夫君    山崎  拓君       五十嵐文彦君    石毛えい子君       大出  彰君    中野 寛成君       藤村  修君    細野 豪志君       牧野 聖修君    山花 郁夫君       横路 孝弘君    太田 昭宏君       斉藤 鉄夫君    武山百合子君       藤島 正之君    春名 直章君       山口 富男君    阿部 知子君       辻元 清美君    土井たか子君       保坂 展人君    近藤 基彦君       松浪健四郎君     …………………………………    参考人    (東京大学大学院情報学環    教授)          田中 明彦君    参考人    (作家)         小田  実君    衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君     ————————————— 委員の異動 九月二十八日  辞任         補欠選任   辻元 清美君     保坂 展人君   土井たか子君     阿部 知子君   野田  毅君     松浪健四郎君 同日  辞任         補欠選任   阿部 知子君     土井たか子君   保坂 展人君     辻元 清美君   松浪健四郎君     野田  毅君 同日  幹事枝野幸男君同日幹事辞任につき、その補欠として島聡君が幹事に当選した。     ————————————— 本日の会議に付した案件  幹事辞任及び補欠選任  参考人出頭要求に関する件  日本国憲法に関する件(二十一世紀日本のあるべき姿)     午前九時一分開議      ————◇—————
  2. 中山太郎

    中山会長 これより会議を開きます。  まず、幹事辞任についてお諮りいたします。  幹事枝野幸男君から、幹事辞任の申し出があります。これを許可するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 中山太郎

    中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  次に、幹事補欠選任についてお諮りいたします。  ただいまの幹事辞任に伴う補欠選任につきましては、会長において指名することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 中山太郎

    中山会長 御異議なしと認めます。  それでは、幹事島聡君を指名いたします。      ————◇—————
  5. 中山太郎

    中山会長 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を進めます。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本件調査のため、参考人出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 中山太郎

    中山会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————
  7. 中山太郎

    中山会長 本日、午前の参考人として東京大学大学院情報学環教授田中明彦君に御出席をいただいております。  この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、我々の調査参考にさせていただきたいと存じております。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっておりますので、御了承願いたいと思います。また、参考人委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、田中参考人、お願いいたします。
  8. 田中明彦

    田中参考人 東京大学田中でございます。  それでは、着席してお話をさせていただきます。  本日は、大変重要な憲法調査会の御審議にお招きいただきまして、まことにありがとうございます。大変光栄に存じております。私は、国際政治を研究している者であります。ですから、本日は、その観点から、そしてまた日本人の一人として、日本のあるべき姿について私見を申し述べさせていただくことを大変光栄に存じております。  ただし、国際政治の研究をしている者でございますので、国内制度などの具体的なあり方については専門でもありませんし、また、特に定見があるというわけでもございませんので、本日申し上げますことは、あくまでも世界との関係で見た二十一世紀日本あり方ということで御理解いただければありがたいというふうに思います。  先生方の前に一枚、「二十一世紀日本のあるべき姿」という概略を書いたものがあると思いますけれども、これに従いまして私の意見を申し述べさせていただきたいというふうに思います。  まず、二十一世紀日本ということを考える一つ前提といたしまして、それでは、二十一世紀世界といったものはどのようにとらえたらいいかというところから私の意見を述べさせていただきたいと思います。この二十一世紀世界をとらえるときに幾つ特徴があろうかと思いますけれども、ここではとりあえず五つの点について述べさせていただきたいと思います。  まず第一は、冷戦終結ということでございます。  これはもう、大まかに言えば十年前の出来事ですから、古い話だといえば古い話になるわけですけれども、やはり重要だろうと思うのです。つまり、米ソ対決というものが終結したことの意味をどういうふうに考えるかということであります。  私は、その影響は多々あると思いますけれども、一つ重要なことは、世界的規模での壊滅的戦争可能性が遠のいたという、全体としてみれば大変望ましい出来事の結果、幾つか不確定なところが生まれてきた。  その一つは、世界的課題優先順位が余り明確でなくなった。冷戦の最中は、何としてでも人類の滅亡を防ぐということ、あるいは、西側陣営に属する日本としてみれば、東側からの戦争を防ぐ、そういう非常に重要な課題があったわけですけれども、これがなくなった結果、それでは今世界にとって何が重要なのかということについてかつてほど明確な優先順位はなくなっている。  それとともに、冷戦が終わったことによって、ソ連がなくなったわけで、その結果、アメリカ優越という事態が起こっているわけであります。これは冷戦時代の二極構造の二から一を引いて、二引く一が一になったという意味もございますけれども、九〇年代のアメリカ経済動きを見ていれば、アメリカそれ自体の優越ということも見てとれるわけであります。  ただ、そのアメリカ自身冷戦のときはソ連と対決するという課題が非常に明確でありましたけれども、現在、この優越した地位を使ってどうするのかということになると、実はそれほどはっきりしているわけではありません。現在のアメリカ大統領選挙を見ていても、ブッシュ候補ゴア候補もともにいろいろ立派なことをおっしゃっているわけですけれども、おおむね国内政策が中心であって、世界を一体どういうふうにするのかということになりますと、こう言うとやや失礼な言い方になるかもしれませんけれども、常識的な範囲で物事を語っているということになろうと思います。ですから、アメリカ自身世界的課題についてやや不明確になりつつある。  そうなりますとどういうことかというと、日本のようなアメリカ同盟国にとりましても、世界的な課題について、単にアメリカに、追随するというと言葉は悪いですが、アメリカの考えていることに合わせるというだけでは世界動きの中でうまくいかないという状況が生まれてきているというふうに思います。場合によっては、日本や他の同盟国、あるいはそれ以外の国がアメリカに対して、こうしたらいい、ああしたらいいということを言わなければいけない状況が生まれてくると思います。  第二の点は、グローバリゼーションであります。  このグローバリゼーションについて特に細かく申し述べる必要は今や全くないというふうに思いますけれども、やはり情報通信技術、交通その他の発達によって、世界的影響伝播の速度は著しく増大しているということは確認しておく必要があろうかと思います。そして、このグローバリゼーション経済だけの現象ではなくて、それが社会的、政治的影響も非常にあるということは、一九九七年以来のアジア金融危機通貨危機が例えばインドネシアという国にもたらした状況を思い起こせば、それだけで十分理解できるというふうに思います。  つまり、このグローバリゼーションは、世界じゅうの各国の繁栄基礎であるということとともに、政治経済不安の急速な伝播をもたらす可能性も持っている、そういう両様の側面があるということであります。  第三の現在の世界における特徴というのは、私は、民主化ということだろうと思います。  つまり、普遍的な価値として、個人尊厳基礎を置く自由主義的な民主制というものが、統治形態として見ると、世界じゅうに適用されるべきであるという考え方は非常に強くなっているというふうに思うわけであります。  具体的な形態として見ますと、世界じゅうの自由主義的な民主制をとる国の数は一九七〇年ぐらいから徐々にふえ始めまして、一九八〇年代にはアジアでもフィリピンや韓国や台湾、それから一九九〇年代に入ってもタイ、それからグローバリゼーションの結果崩壊したスハルト体制の後を継いだインドネシアも、その統治形態の形として見ると、自由主義的な民主制という形に進むという動きがございます。  ですから、世界的な統治考え方、理念、理想ということにおいて、民主化ということはやはり注目しておかなければいけないと思います。  ただし、この普遍的な価値についての現在の世界状況というのは、どちらかといいますと総論賛成各論反対という面もございます。つまり、民主主義はよろしい、人権も尊重しなければいけない。その場合に、それでは、だれがその民主主義を実現し、だれがその人権を擁護するのかといったときに、これは世界じゅう関心事であるから、国内の内政であっても周りの国がかなり注文をつけていいのだという見方もありますし、世界かなりの国の中には、普遍的な価値の問題であっても、これはやはりそれぞれの国々が個々に実現すべきものであるから、周辺諸国が隣の国に対して、おまえのところの民主化はおくれているから進めろというようなことを言う、あるいは進まないのであれば、進むようにかなり強圧的といいましょうか、押しつけをするというようなことはだめだ、そういう反対意見もあります。ですから、まだまだ論争はある。  ただ、その前提として見て、普遍的な価値そのものについて、個人尊厳を認めなくてよろしいとか、政治的な制度として見れば独裁が一番いいのだ、そういう国は今や余りないわけであります。もちろん、例外は幾つかございます。  現在の世界を見る第四の特徴として私が考えているのは、四番目に書きましたが、「主体多様化主体間の関係複雑化」ということであります。  世界というのは複雑な場所でありますから、かつてであっても、世界に登場する主体というのはいろいろ複雑なものがあります。ただ、非常に単純化して言いますと、やはり十九世紀から二十世紀前半にかけての世界というのは、国家が決定的なアクターであるという形の世界だったと思います。  ただ、これが、グローバリゼーションの進展、あるいは民主化もそうなんですけれども、国内民主化が進みますと、中で自由に活動を行う国家が対外的にも自由に活動を行うというようなことが起こる。そういうことで、国家と並んでさまざまなアクターが登場してくるわけであります。  国家の上には、国家国家が共同してつくり上げた国際組織というものが出てくる。国際連合もそうですし、WTOもそうですし、国際通貨基金もそうですし、世界銀行もそうであります。このような国際組織が、それなりに組織として世界影響を与えるということがあります。  それから、グローバリゼーションを推し進めている力の大きなところは、やはり何といっても民間の力でございまして、これは世界全体の市場を相手に競争する企業であります。この企業の中には、今や規模の点でいって、百八十以上ある国家国民総生産よりもはるかに大きな規模世界的な大企業というものが登場してきているわけであります。  さらに、企業と並んで、営利というわけでもないわけですが、いわゆるNGO、非国家組織と言われるものの活躍というものも出てくる。  さらに言うと、また場合によっては、もちろん企業経営者でありますけれども、例えばビルゲイツさんとかあるいはジョージソロスさんとかという個人、その個人影響力というものも国家というものを超えた力を持ち始めている。例えば、ビルゲイツジョージソロスはそれではアメリカかというと、必ずしもアメリカというわけではないわけですね。個々人としての影響力も出てくる。  そして、さまざまな主体世界に登場している中で、この主体の間の関係というのは大変複雑になってきているというふうに思います。つまり、出自アメリカである企業が必ずアメリカ政府を支持するということ、出自フランスであるフランス企業は必ずフランスを支持する、あるいはフランスNGOは必ずフランス政府を支持するというようにはいかないわけですね。この国家国際組織企業NGO個人の間で今行われていることは、大変複雑な、永田町言葉で言えば合従連衡が繰り広げられている。  例えば、昨年の暮れにシアトルでWTO会議がございました。このときは、会議場の中に政府代表団が多々いらっしゃいましたけれども、その外側に非常に多くのNGOの方々が御参集になって、中にはやや暴力的なことをするというようなこともある。  今世界の中で、ある種の世界方向へ導くというのは何で決まるかというと、もちろんアメリカ合衆国政府がこう言ったということは大事でありますけれども、そのアメリカ合衆国政府にどのNGOがどういう形で影響力をかけるか、企業がどういう献金をするか、それから、ある種非常に有力なオピニオンメーカーといいましょうか、世界オピニオンメーカーが何を言うかというような、そういう複雑な物の絡まり合いの中で将来の世界制度というものが決まる、そういう傾向がますます強くなっているというふうに思います。  以上、一、二、三、四で申し述べましたことは、世界全体として大体こういう方向に向かっているんじゃないかという方向性を示したわけですが、最後に申し述べたいことは、やや奇妙な言葉をここに書きましたけれども、「三つ圏域」というふうに書きました。つまり、三つのある種の世界の中の部分ということなんですが、全体として、冷戦終結影響グローバリゼーション民主化主体多様化というのは進んでいるんですけれども、だからといって、世界は単一、一色の均質な世界に今なっているわけではないということであります。  まず、一方の極には、今申し上げましたグローバリゼーションとか民主化とか主体多様化というものが、市場経済民主主義の成熟のもとで非常に進んでいる部分があります。ここは、基本的には戦争なぞということは余り考えにくい。お互いすべて民主主義国家でありますし、市場システムもまたほとんど同じであります。もちろん個別にいろいろ違うことはありますけれども、グローバリゼーション影響を受けている、インターネットの加入率も大変高いところです。つまり、具体的な地名でいえば、西ヨーロッパの多くの国あるいは北米、日本も多分この中に入るわけですね。  ただ、こういう地域だけが世界にあるわけではない。こういう国々あるいは地域と並んで、世界の中には、いまだにといいましょうか、現在懸命になって近代化を進めている、十九世紀、二十世紀に例えば西ヨーロッパアメリカがなし遂げたような国家建設中の部分もあります。そこでは、依然として、近代国家をつくるということから、やはり領土は大変大切である、それから国としてのまとまりを保つために愛国心を強めなければいけない、場合によってはみずからの利益のために武力を使わなければいけないというふうに真剣に考えている国々というものがあります。  具体的な名前を挙げれば、東アジアかなりの国は依然としてこういう近代化途上といいましょうか近代国家建設中の国家であります。例えば中国を見れば、中国における国民統合といいましょうか国家統合というものは非常に重要な課題であって、そのためには武力行使をすることもためらわないということを指導者みずからおっしゃるわけであります。  これに加えて、もう一つ世界にはやや異なったところがあって、それはどういうところかといいますと、近代化近代国家形成を目指したわけですけれども、どうも現在のところこれがうまくいかない、近代化近代国家形成のために合意ができないし、その社会的基盤ができない。そこで、内戦が発生し、あるいは飢餓が発生し、そもそも国家というような形自身が崩壊しつつある、社会秩序の根底が崩れつつあるというような部分世界の中には存在するわけであります。サブサハラかなりの国、ルワンダ、シエラレオネ、その他中央アジアの一部の国々、そういうところにこういうような状況が起こっていると思います。  つまり、全体として見ると、世界グローバリゼーション民主化冷戦終結するということ、それから主体多様化してさまざまなアクターが登場するという方向に向かっていますけれども、その中で、世界の中には幾つかの異なるタイプの、私の言葉で言うと圏域ですね。地域といいますと、何か隣り合ってみんなくっついているのが地域というイメージがあるのであれなんですが、この圏域は必ずしもまとまって存在しているわけではないのですね。つまり、ここで申し上げました第一の市場経済民主主義が成熟した国があるそのすぐ隣に、社会秩序が全く崩壊しているような国が発生するということがあり得る。そういう意味で、地域というのではなくて、ある種性質の違う状況世界に生まれているということを指摘したいと思うのです。  そこで、私は、このようなものがもし二十一世紀世界特徴だというふうに考えるとすると、この中で果たして国家というのはどんな役割を持っているのかということについて少し考えを述べさせていただきたいというふうに思います。二のところであります。やや抽象的な議論で恐縮でありますけれども、三番目に日本のあるべき姿ということを考える前提として、少し抽象的なことを申し上げさせていただきたいと思います。  ここで私が国家と申し上げているのは、英語で言えばステートという言葉の訳語としての国家ということで言っているわけですけれども、私の理解では、大まかに国家というのは何かと言えば、これは一定領域、つまり領土に多かれ少なかれ定住する人々国民の安全を確保し、国民利益を集約し、そしてその維持増進に努める組織だというふうに考えております。国民利益というのは、最低限の利益としての安全ということがあるわけですし、それに加えて繁栄、それから望ましい価値というものを達成する、そういう仕組み、これが国家である。  かなり重要なところは、一定領域ということだろうと思います。世界には、組織として見れば領域前提としない組織というのは幾らもあるわけですね。例えば会社というようなものは、もちろん会社の登録している住所はありますけれども、ソニーとかホンダとか松下にとりまして、どこかの土地というのはそれほど本質的な要素ではありません。つまり、株主の利益、そして社員利益というものを増進するために利益をどんどん上げていくということができれば会社は存続していくわけです。  それから、NGOというようなものもありますけれども、このNGOも、もちろんある種の領域を代表するNGOというものもありますけれども、基本的にはある種の志を代表する人たちのグループであります。  それに比べますと、国家というのは、昔の国家、遊牧諸民族の国家ということになりますと必ずしも領域前提としない国家もあります。ですが、近代国家というのは、基本的には定住している人たち利益を増進するための仕組みであるというふうに考えればよろしいかと思います。  この国家は、近代において非常に重要な役割を果たしてきたわけですけれども、現在の二十一世紀世界においてどういうふうになるかというと、先ほど申し述べましたように、主体多様化ということがありますから、相対的に言うと影響力は低下する傾向があるわけです。つまり、定住する人々であっても、その人々の暮らし、それからその人たちの生き方に影響を与える存在として見ると、今や国家だけでない、さまざまな違う代替物ができている。  人によっては、NGO活動を一生懸命やれば、もちろん日本に税金を払っているにしても、自分生きがいというのは、パキスタンで病気を治すということのために全力を尽くすのが自分生きがいだ、そういう人たちも出てくるわけですし、それから、自分生活にしても、例えばトヨタ社員であれば、もちろん日本経済全体の影響によって自分生活水準関係しますけれども、やはりトヨタの業績が世界でいいかどうかということの方が重要かもしれないわけですね。  そういうことからすると、国家の相対的な影響力はかつてと比べて低下するという傾向があるわけです。そうすると、そうやって相対的に影響力の低下した国家国民にとってはどういうものになるかというと、時々見受けられる意見で、だから国家関係ないのだという意見を、極論ですけれども、そういう形で問題を提示なさる方がいらっしゃいますけれども、私はそうではないというふうに思うのです。  つまり、私の意見では、かえって国家意味というのは個々人にとって重要になっている。とりわけ数多くの定住している国民にとって、国家がどれだけのことをしてくれるかということはますます重要になってくる。つまり、世界的なグローバリゼーションが進んで、世界的な物事のループが進む中で、人々生活や暮らし向きへの影響というのは世界から直接受けるわけです。  そのときに、もちろん非常に卓越した個人ビルゲイツさんとかジョージソロスさんとかという人でしたら、多分国家なんかなくても、いざとなったら自分の自家用飛行機でどこかへ行っちゃうということができるかもしれませんけれども、ほとんどの定住している国民にとってみると、世界的なグローバリゼーションの波の中で自分利益を守ってくれるある種の仕組みは何かというふうに考えていくと、もちろんNGOもありますし、自分が勤めている企業もありますけれども、やはり定住している人たち利益を守る仕組みとしての国家というものの意味は非常に重要になってきていると思います。逆に言いますと、自分の属している国家が無能でありますと、自分が有能でない、あるいは優良企業に勤めていない、あるいは有力NGO関係していない人は全く世界の荒波の中で無抵抗になるわけですね。  ですから、そういうことから考えると、個々人、私どもにとってみると、自分たちの属している国家がどれだけ効率的、効果的に私どもの利益を守ってくれるかというのは非常に重要になってくると思います。  これは、私あるところで申し上げたんですけれども、やや極端な例えでかなり違うものですけれども、今の国家というのは、ある程度は小選挙区制のもとでの代議士の方に似ているという面はあると思うんですね。つまり、選挙区の利益というのはだれが守るかというと、その選挙区の住民にとってみると、自分のところの先生が守ってくれなければ困るわけですね。もちろん、その選挙区から出ている人は日本の代議士ですから、日本のことを考えなければいけませんけれども、やはり定住している人の利益を代弁するということでいうと、小選挙区制のもとでの代議士の方と現在の世界における国家というのはかなり相似するところがあります。  ただ、国家の中の代議士の場合は、最終的に国会というのがありますから、日本国家の意思というのは国会の多数決によって決まるということで、なかなか難しいポリティックス、政治ではありますけれども、ルールにのっとって、その中である種のことをやればうまくいくという面があります。  ところが、世界の中で行われる政治というのには、国会はないんですね。ですから、単純に多数決というわけではない。世界の中で日本というものを代表して活動する国家というのは、非常に複雑なポリティックスの中で日本人たち利益を増進するということをやらなければいけないということで、今後の日本国家というのは大変な能力が必要だというふうに私は思っています。  ここで、ちょっと一言、国家と並んで、民族としての日本ということについて少しコメントをさせていただきたいと思います。  近代国家というのは、おおむね、英語で言いますとネーションステートというふうに言われます。ネーションとステートを一つにくっつけた単語でありますけれども、ネーションとステートというのは、言葉の成り立ちからいいますと、かなり違ったものを指すわけです。  ステートというのは、先ほど申し上げましたように、ある程度機能的に、こういうことをするための組織、仕組みであるという形になりますけれども、ネーションというのは、通常日本では国民と訳されたり民族と訳されたりしますけれども、これは非常に単純化すれば、一体感を持つ人々の集団のことなんです。ステートだけでいいますと、その定義からすると、ステートのメンバーとなる人々は必ずしも一体感を持っていなくたっていいんです。自分利益のためにこのグループという国家をつくるということであってもよろしいわけであります。ただ、ネーションということになりますと、これは自分たちの歴史や言語や文化というものをもとにして、一体である、そういうグループ。  近代における国家の歴史というのは、ステートとネーションというものを一致させると非常に競争力が高くなる、そういう認識のもとに発達してきた歴史だと思います。十九世紀以来、国家はあっても一体感のない国民だけから成っていると、戦争で負けちゃうんですね。これはナポレオン戦争以後のことですけれども、基本的に言いますと、一体感のある国民の場合は、いわゆる徴兵制というものを導入することが可能になる、あるいは、ネーションステートであるということによって、徴兵によって国家を強くするということがあったと思うのです。  日本近代は、世界的に見ると、このネーションステートのつくり上げ方において見ると非常に容易だった国の部類に属すると思います。地理的な事情その他で、日本人は日本人だという意識を持つことができやすい形になっています。世界じゅうでは、ネーションステートをつくることのできなかった国というのはいっぱいあるわけです。今でも内戦をやっているというところがあります。  今後、二十一世紀日本ということを考えるときに、ネーションステートのネーションの部分をどういうふうに考えるかというところは一つ大きな問題で、私としても余り確たる解答はないのですが、ぜひ御議論いただきたいと思います。  原則的に言いますと、国家のメンバーに何らの一体感もないというのは、理論上はそういうことで国家をつくることはできますけれども、やはりそれは弱い組織です。メンバーが単に自分の短期的な利益だけで結びついている組織というのは、余り強い組織とは言えない。やはり、ある種の一体感を持っている、私と隣の人は同じ運命を持っている人間同士だというふうに思うのはいいと思うのですね。ですから、その面でいうと、今後の日本の中でこのネーションとしての一体感が全く不必要だというのは言い過ぎだろうと思います。  ただ、他方、今後の日本、今申し上げました世界動きの中での日本の動向を考えると、ネーションあるいは民族としての一体感を強調する余り、余りに過去の日本人の伝統のみを強調するということになりますと、今後つくっていく国家あるいは今後維持増進させていく国家の効果的、効率的な運営を阻害することがあり得るということは、私は申し上げておきたいと思います。これは、後でもう少し述べることがあるかもしれません。  そこで、以上のようなことを前提としまして、三番目に、日本のあるべき姿ということについて申し述べてみたいと思います。  まず第一に、日本の現在の姿、つまり、あるべき姿の前に現在の姿を確認しておきたいと思うのです。これは、やや教科書的になって甚だ恐縮でありますけれども、世界の中で日本というのはどういう国か、あるいはどういう存在かということであります。  私は、端的に言いますと、世界の中で日本はどういう国かといえば、大規模国家だと思います。非常にさまざまな側面において、日本規模の大きい国家であります。国民総生産は、言うまでもなく世界の第二位、世界全体の一四%であります。人口も、我々はよく、隣に中国がありますから、日本はそんなに人口が多くないというふうに思いますけれども、世界で九番目です。世界全体の二%、フランスの倍、ドイツの一・五倍あります。ですから、人口で見ても、日本規模の相当大きな国であります。  それから、領土といいましょうか、先ほどは領域と言いましたけれども、領土でいうと、日本は小さい国だというふうに観念されることがあると思いますけれども、実はそんなに小さい国じゃありません。世界には日本よりはるかに小さい国はいっぱいあります。さらに言いますと、排他的経済水域、二百海里を入れまして、日本人が日本人の考えで活動できる範囲ということを考えますと、世界地図の中に排他的水域をかいていただきますと、日本はとても大きな領域を管理している国だということがおわかりになると思います。  その他、貿易でいいますと、世界の輸出の七・七%、八%くらいです。自動車は、世界全体の二〇%をつくっています。それから、日本人の食品で非常に重要なのは大豆だと私は思いますけれども、日本世界第一の大豆輸入国です。世界貿易の一五%を日本が輸入しております。牛肉は日本にとってどのくらい大事か知りませんけれども、日本世界第一の牛肉輸入国であります。世界貿易で一三%を日本は牛肉を輸入しております。  国連の分担金も二〇%を払っている。日本人の活動世界的に広がっているわけですね。在留邦人は約八十万人世界に住んでいますし、毎年旅行する人たちは、ここのところちょっと減っていますけれども、一千五百万人の日本人が毎年海外に出ているわけであります。  つまり、日本かなり規模の大きな国、世界の中でいうと相当規模の大きな国であるという自己認識を持つ必要があると思います。  この大規模であるということはどういうことを意味するかというと、一つは、影響力が強くなり得る基盤であるということです。規模が大きいわけですから、日本人の望むことが、世界の中である程度意見を聞いてもらえる一つの基盤であろうと思います。  ただ、この影響力を持つということと同時に、日本規模の大きさのかなり特徴から、日本が脆弱じゃなくなるということはあり得ないと思うんです。つまり、規模が大きくて影響力があるんだから周りの国のことはみんな無視していても日本だけで生きていけるよ、そういう形にはなり得ないわけであります。ですから、世界情勢、世界の状態への依存の度合いというのはかなり高い国だというふうに依然として思わなければいけないわけであります。  そういう前提でのもとで、それでは二十一世紀日本のあるべき姿ということで、まず日本国民にとって日本はどういう存在にならなければいけないのかということだろうと思うんです。  まず第一に、先ほど申し上げましたように、国家役割というのは、一定領域に定住する人々の安全を確保して、その利益を集約、維持増進させるということでありますから、最低限日本国民の安全を守れないというような存在だったらほとんど意味がないわけであります。  その安全の確保ということの現代における非常に重要な要素は、やはり外交努力であろうと私は思います。国際経済的な運営ということを通じてさまざまな国際経済の運営をよくすること、あるいは外交的活動を通じて友好国をふやすというようなこと、そういうことによって安全を確保するというのが非常に重要だと思います。  ただ、外交努力だけをやっていればいいというわけでもなくて、先ほど申し述べましたように、世界の中には完全に平和であるという地域だけではない。特に東アジア地域ということを考えますと、将来まだまだ不安定性が残るという状況の中でいえば、みずからの防衛力の整備ということも必要でしょうし、とりわけアメリカという同盟国との関係を大事にしていくということが私は決定的だと思うんです。  ただ、その中で、私、早急に解決すべき問題として見ると、この憲法調査会で御議論の憲法、それから憲法によってみずからを守るための仕組みをどういうふうに考えるかということははっきりさせる必要があろうと思います。  それからもう一つ、法律面でいって、緊急事態というのはそうそう起こるものではございません。ですけれども、起こったときに法律的な体制というものがしっかりしていないということは、緊急事態において個々の国民人権を制限するときに、かえって不必要な恣意性が生ずるということもございますので、やはり私は有事法制というようなものはできるだけ早急に成立させるべきであろうと思っております。  それから第二に、日本人にとっての日本ということでいいますと、やはり繁栄の維持継続ということが重要だろうと思うんです。この点については、経済制度等の改革というのは非常に重要でありますけれども、これは私の専門でもございませんので、余りここでは申し述べません。  一つだけ、考えておかなければいけないことは少子高齢化の問題であります。  国家を構成するメンバーが減少する状況日本は今直面しているというふうに思います。人口の統計で見ると、ゼロ歳から四歳の人の人口というのは五百九十七万人でありますが、これは私どもの世代であります四十五歳から四十九歳と比べますと、半分とはいきませんけれども、半分近くになっているわけです。四十五から四十九が一千十八万人で、ゼロから四歳が六百万人いないということであります。そうしますと、何が起こるかというと、このゼロから四歳の人たちが二十ぐらいになる、あるいは二十代になるといったときに、その状況というのはどういうふうに考えたらいいかということです。もちろん、年齢が高いと活力がなくなるということは必ずしも言えませんけれども、やはり国全体として活力あふれる国家という形を維持していくにはどうしたらいいかという問題があります。  例えば、日本の工業力や技術力の基盤は、相当優秀なエンジニアの存在を抜きにしては私は考えられないと思うんです。ところが、もし大学に入る人間の数が余り変わらないということになりますと、人口が十分の六になって、大学に入る人が十分の六になって、その十分の六しか例えば工学部に行かないということになったときに、果たして日本のエンジニアの水準を維持できるか。社会には、工学部に行く人以外の人材というのも非常に多くいるわけですね。そうすると、そうやって十分の六に低下してしまう中で、今の活力をどうやって維持するかという大きな問題が出てくる。  その中で、果たして、日本国というもののメンバーを出生において日本人だけというふうに考えていくのがいいかという問題が深刻な問題として出てくるというふうに思います。やや極端なことを言いますと、またこれも国内的なアナロジーですから不正確なところがありますけれども、下手をすると日本は過疎地のような状況に直面する。活力ある国家として、人材をどうするかということが出てくる。私は、ある種新日本人というようなものの必要性が、能力のある人材を世界から集めるということが、今後の二十一世紀日本のあるべき姿を考えるときに重要な課題一つになろうかと思います。  さらに、もう一つ国家として重要なことは、やはり価値観の維持というようなことだろうと思います。世界の中で日本人が敬意を集め、尊敬を集めるという存在であり続けるためには、日本国家日本を代表する国家がそれなりの価値観を体現しているという形になっていかなければいけないというふうに思います。  ただ、そこで日本らしさとか日本人の尊厳といったときに、先ほどのネーションの問題と関係するわけですけれども、もちろん過去の伝統、文化ということを抜きにして現在の日本はあり得ないわけですから、そういう前提を十分踏まえた上で申し上げますと、余りにもネーションとして過去のみを重視しますと、先ほど申し上げました新日本人、世界じゅうから日本に人材が集まってほしいといったときに、その人たちとのアイデンティティーをどういうふうにするかという問題が出てくる。  私は、どちらかといいますと、ある程度ネーションとしての日本人のまとまりということから考えますと、そのネーションというのは、かなり包容力、世界の人に開かれた、ああ私も日本人になりたいというふうに思わせるような価値観という形になっていかなければいけない。つまり、ネーションとして形成されるべき日本人というのは、過去への志向というよりは未来への志向、新しい日本をつくっていこう、そういうタイプのネーションであろうというふうに思います。  そこで、このようなことができたとしても、日本人にとっての日本ということの直面する課題は大変厳しい。というのは、現在の世界は、先ほど申し上げましたように、国家だけでなくて、国家NGOや大企業世界じゅうのメディアや何やらの合従連衡の中で繰り広げられるところで行われている世界ですね。そこに登場する日本を代表する国家、あるいは国家を代表して活躍する役人の方、それよりも多分政治家、この方々がどれだけ効果的に世界政治に働きかけができるかということが今後の日本課題として非常に重要になってくると思います。  軍事力や経済力というのは十九世紀から二十世紀にかけて大変重要なパワーでありましたけれども、私は、軍事力でもって何とかという時代はやや、特に日本のような国家の場合はなかなか難しい。それから、経済力というだけでも、世界を動かすのは今の複雑な時代ではなかなか難しい。  そうなると、日本を代表する政治指導者世界政治の中でどれだけ説得力、表現力を持って日本の国益を代弁してくれるかということが非常に重要になる。つまり、二十一世紀日本にとっては、非常に有能な政治指導者をつくり上げるシステム、そういうものができなければ、人口が減っていく、世界から人材を集めなければいけないというこの国を導いていくことは難しいと思います。  最後に、大規模国家、大規模な国である日本というのは、日本人だけに責任があるわけではないと私は思います。やはり世界に対して責任があるというふうに思います。つまり、世界政治をリードしていくということは、GNPで一五%以上の国家世界じゅうに毎年千五百万人の人を旅行者として出している国家として、そういう責任を負担しなければいけない。つまり、世界経済の成長をどうやって確保していくかということは、日本にとって単に自分だけの利益ということではない面もある。それから、世界平和の維持ということも日本にとっての非常に重要な課題であろうと思います。  さらに、地球環境の保全といったことも日本世界に果たさなければいけない役割だと思います。確かに、日本の出している二酸化炭素の排出量は世界の約五%でありますから、GNPと比べればかなり少ないわけですけれども、それでも世界の第四位であります。人口比率でいえばかなり多い。そういうことで、日本の地球環境保全への役割も大きい。  さらに、世界全体の中で内戦や飢餓に苦しむ人々がいるときに、みずからの国だけが安全であればいいという形ということでは世界に対する責任を果たすということにならないというふうに思います。  ただ、今、世界にとっての日本の責任と私は申し上げましたけれども、これはもちろん世界全体、人類共同体の一員としての日本人の責任、日本の責任ということもありますけれども、一番最初に現在の日本の姿を振り返って申し上げましたところで言いましたけれども、これは日本人にとっての日本にとっても重要なことだと思うんです。決して、世界のために日本が責任を果たすことが単なる利他主義とか慈善とかというのではない、そういう面があると思います。  日本繁栄や平和を維持するために一番効果的なのは、日本周辺の地域繁栄し、平和であるということであります。そして、日本の周辺地域が平和で繁栄であるということのために一番望ましいのは、世界が平和で繁栄であるということだろうと思います。ですから、世界をよくすることが日本をよくすること、そのために日本あるいはさらに日本人ができるだけの貢献をするというのは、必ずしも慈善事業でも利他主義でもない、自分たち自身の利益につながるということだろうと思います。  以上、甚だ不十分で漏れの多い議論ではありますけれども、一番最初に申し上げましたように、世界の中から見た日本という観点で私の考えを申し述べさせていただきました。  どうもありがとうございました。(拍手)
  9. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  10. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。久間章生君。
  11. 久間章生

    久間委員 日ごろから先生のお考えを雑誌等では読むことがございましたけれども、こうしてじかにお聞きすることができまして、大変ありがたく思っております。  先生が今おっしゃられました内容等は、私どもが日ごろ考えていることとおおむね一致することでございまして、二十一世紀日本のあるべき姿を考えながら、こういう憲法調査会等でこれから先、国の仕組みを、また方向をどう示せばいいかという、我々にとっても大変よかったと思っております。  そこで、先生の個人的なお考えを聞くことになりますけれども、実は、私どもが憲法の問題を議論いたしますときに避けて通れないのが九条の問題でございます。国際紛争を解決する手段としての武力を行使しないということを決めたわけでございますが、先ほども先生おっしゃられましたように、そうは言いながらも、日本が攻撃をされて国家がなくなってしまった場合には、これはもう憲法以前の、憲法があっても国家がないということになったら大変なことでございますから、そういう自衛権まで放棄したものではないということで自衛隊を持って、その整備を図ってきた。国民の大多数の人たちもそれについては、それは当然のことだということで、いろいろと議論はありましたけれども、今ではそれは自明の理として通っておるわけでございます。  そこで、自衛権というのはもちろんあるということは、現在の憲法でもみんなが認めておるわけでございます。ただ、国際紛争を解決する手段として武力を行使しないという文言からして、先ほど先生がおっしゃられましたけれども、これから先日本は、国内の問題だけではなくて、国際的ないろいろな組織体としても頑張っていかなければならない、各国の期待にもこたえていかなければならないというときに、国連がある一定の決定をする、あるいは国連でなくても国際社会がある一定方向を共同してとろうというときにどこまでのことができるか、そのためには現在の憲法でいいのかどうかということを真剣になって考える時期に来ているのだろうと思うのです。  そうしましたときに、平和維持軍等を派遣する場合に、日本はお金は出すけれどもマンパワーは出せないんだというようなことになったらなかなか、これまた許されないといいますか、国際的には認められないのじゃないかというような気がいたしますので、それもできるだけのことはしようという雰囲気にほとんどの国民がなってきていると思います。  そういう点で私は考えますけれども、お金と違ってマンパワーも出すけれども、それは日本国家の意思として活動するのではなくて、国際社会のもとで活動するというときに、現在の憲法でそれができるのかどうか。一部の人にはできるとおっしゃる方もいらっしゃいますし、現在のような文言ではできないのじゃないかという、そういう議論がどちらかというと大半を占めているような気がいたします。  先生自身は、これは国際関係論であって、こういう国内の法律問題については別だと冒頭におっしゃられましたけれども、できますれば、そういうような国際関係を見ておられる先生から見て、現在の憲法の規定はやはり不十分なんだ、あるいはまた、もっとそういうところは明確にして、国際組織の一員としての日本のあるべき姿をもっと明確に打ち出した方がいいんだというようなお考えかどうか、その辺についてもいろいろと幅広く御意見を賜れば幸いだと思っております。
  12. 田中明彦

    田中参考人 それでは、今の問題について私見を申し述べさせていただきたいと思います。  まず、私は、憲法第九条の問題が非常に大きな問題になっているということは当然のことながら認識しておりますし、これが日本世界、国際社会とのかかわりを考えるときに非常に重要な問題を提起しているということは間違いないことだというふうに思っております。  私の私見で、まず、日本国憲法九条と国際社会の利益のための行動との関係をどういうふうに考えるかという点で意見を申し上げますと、現在の日本国憲法そのままであっても、国際連合活動あるいは国際社会の共同の利益というような、ある種の国際社会の公共性を反映するような活動に関して特に制約があるというふうに考える必要はないのではないかと私は思っております。ですが、この点につきましては、日本国内の御議論は、そうではないという御議論が多いということは十分認識しております。  ただ、憲法の前文とか、それから憲法の第九条第一項、第二項すべて読んでも、そこから直ちに、国際連合活動あるいは国際社会の共通の目的、日本国家個別の国際紛争を解決するための行動でないものがそこで禁止されているというふうに読む必要はないというふうに私は思っておりますし、世界的に見て、日本についてある種の不信があるという面からすれば、日本が何をすることに対しても不信を持つという面はありますけれども、この憲法の条文だけからして国際連合や国際社会の共通利益のための行動が制限されているというふうに思う必要はないと私は思っております。  ただ、そう申し上げましても、今までの日本国内の議論というものがございまして、特に問題となり得るのは憲法第九条第二項の問題であろうかと私は思います。この第二項に書かれていることをどう解釈するか、あるいは第二項をどういうふうにみなすかによって、さまざまなことが制限され得るという考え方が演繹されているんだというふうに私は思っております。  日本の自衛隊についても、私は、今の憲法に違反しているものではないというふうに思っておりますし、それから、先ほど申し上げましたように、国際社会の共通の利益のために活動するのは今の憲法と背馳するものでもないと思っておりますから、その意味でいえば、もし私と同じようなお考えを多くの方がお持ちいただけるということであれば、もちろん憲法九条に関して特に改正する必要はないという結論になろうかと思います。  ただ、客観的に見て、憲法九条第二項というのは、さまざまな議論を巻き起こしているように、やはり相当あいまいな文章である。これは憲法制定のときの方々のウイズダムといいましょうか知恵をないがしろにするという意味ではないわけですけれども、現在の国際社会の現実からすると、憲法第九条第一項は私は大変すばらしい条文だと思いますけれども、第二項というのはやはりよく言ってあいまい、悪く言うと国際社会の現実を無視した条項であって、できれば変えた方が望ましいというふうに私は思っております。
  13. 久間章生

    久間委員 変えた方が望ましいというと、先生としてはどういう方向に変えた方が望ましいのか。というのは、国際組織のもとで活動することについてはもっとはっきりとできると書くべきだというふうなお考えなのか、それとも第二項そのもののあいまいさを明確にして、自国の自衛権を含めてもっと明確にすべきだということなのか、その辺についてもうちょっと突っ込んでお聞かせ願いたいと思うんです。  といいますのは、今の自衛隊が海外に行っていろいろな活動をするときに、国連の平和維持活動というものも、ある一定の指揮下に入りますけれども、そこではやはり日本国家の意思として、最終的には日本の自衛隊としてPKO部隊として行動をする、そういう仕組みになっていますから、どうしてもそこでいろいろと国内的に議論が分かれるわけであります。  今、PKO法を改正すべきであるといういろいろな意見の中で、例えば、一緒におる部隊がそこで攻撃をされた場合は自衛として守るべきは当然であるという、そこまではみんな意見が一致するわけですけれども、その部隊がちょっと離れているところで攻撃を受けているときにそれに出かけていって守っているのはどうなのか、あるいは、その部隊が逃げ込んできたときにそれをカバーしてやるのはどうなのか、そういう個々の問題について議論をされますと今の憲法九条に非常にひっかかってくるわけです。  私たちも、先生と同じようにここまではやれるはずだ、やれるはずだという議論をしながらも、大変苦しい立場にあるわけです。やはり先生の言われるように、一項も含めてきちっと改正した方がいいかなという気持ちを持ちながら、今の憲法ではできるのかできないのか、できないのじゃないかなという議論の方がどうも内閣法制局を初めとして強いものですから、そこのところが非常に苦しい、そういう状況に実はあるわけなんです。  そういう意味で、二項についてもっと明確にするというときに、どういう形で明確にした方がいいというか、具体的な内容でももしお持ちでありましたら、大変参考になると思うわけです。
  14. 田中明彦

    田中参考人 私の意見を端的に申し述べますと、これは憲法調査会の御議論でどういう憲法の改正をお考えになるかのある種のフィロソフィーの問題になりますのであれですが、私は、最小限度の改正というものである程度物事がうまくいくのであれば、最小限度の改正というのが憲法のような根本法規については望ましいと思っているものであります。  今申し上げましたように、世界がこれだけ激動している中で、国家根本法規を大幅に変えるというようなことでいろいろ縛るというのは、私は余り望ましくないと思っているのです。できれば、さまざまなものは柔軟にフレキシブルに動けるような形で、法律でいろいろなものが動くという形が望ましいと思っています。その面でいいますと、憲法第九条に関する私の立場は、最小限度、第二項を削除するという、これだけであります。  つまり、第二項があるためにさまざまな理論構築がなされている面があると思うのです。これは今までの国際貢献の舞台でも出てくるわけですけれども、国連への活動でも、何をやってはいけないといったときに出てくる議論の一つの柱は集団的自衛権の行使の問題なんですね。国際社会を代表して行動する活動と集団的自衛権の行使は余り関係ないというふうに私は思っておるのですが、今までの日本国内での議論というのは、国際社会の活動として行うものであっても、日本は集団的自衛権の行使はできないのであるから、かくかくしかじかのためによその部隊が攻撃されているときに日本がそれを助けに行くなどということはできないのだという形でその問題が提出されると思うわけです。  ただ、なぜ集団的自衛権の行使ができないのかというその根本に立ち返って言うと、これは私の勝手な解釈でありまして、内閣法制局の方が今後の議論でそうではないのだという形で解明していただければ大変ありがたいわけですけれども、そもそも内閣法制局の解釈で日本国憲法で集団的自衛権の行使ができないのだというふうになるに至ったその理由は、私は、やはり憲法第九条第二項があるからそういうふうになっているのだと思うのです。第一項だけから集団的自衛権の行使ができないのであるという理論を打ち立てるのは、私はとても難しいというふうに思います。  ですから、その面でいって、このことが第二項削除によって明確化されれば、国際社会への貢献ということは、日本国憲法によって、日本は国際条約を履行しなければいけないという条項があるわけですから、国際連合活動に積極的に協力するのは当然のことになろうと思います。  ただ、これも国会その他での御議論ですけれども、さらによりクラリファイした方がいい、明確化した方がいいということであれば、憲法九条第二項削除の上、そこに日本が自衛権を持つということと、国際社会のために可能な限りの協力をするというような御趣旨の文言を書き入れるということは当然あり得ると思います。
  15. 久間章生

    久間委員 集団的自衛権の問題につきましては、自衛権である以上は、私は、個別であろうと集団であろうと、自衛権と言えるものは当然国家のためにあるわけですから、それはあるし、行使もできると思うのです。  ただ、アメリカ日本が日米安保条約を結んでいるからといって、アメリカがアフリカで戦っているときに、それに行って応援するのが集団的自衛権かというと、それは自衛権でも何でもないわけですから、そこのところを一般に非常に誤解されているのではないかと思うのです。  ただ例えば、日本アメリカと安保条約を結んでいますけれども、もし韓国と結んでいて、韓国が上からずっと攻められてきて、韓国がやられて、次は日本だというときに、韓国がやられかかったのを日本が出かけていく、これはある意味では自衛権の発動になる場合があるわけですから、そういうような概念をきちっとしていけば、現在の一項でも十分対応できると思うのです。だから、そういう意味では、先生のお考えと私たちも余り変わらないのかなとは思うわけですけれども、やはりこの際、二十一世紀になったら、ちゃんと明確にしておいた方がいいのではないかと思っておったわけでございます。  それから、先生が先ほど有事法制についても明確におっしゃっていただいたので、私もなるほどと自信を得たわけでございますけれども、有事法制なんというのは、当然すべきことをしていなかった、法律が整備されていないことがむしろおかしいのだというふうに思っておりましたので、その点については大変意を強くいたしました。  最後に、直接憲法とは関係ないのかもしれませんが、先生先ほど三つ圏域といいますか、そういうことをおっしゃられましたけれども、国家のこれから先のあり方として、どういう方向に向かっていくのかなということを考えている中で、大きな面積を持つ国家というのは、大体連邦制をしいているか、アメリカだって、合衆国といいますから、要するに、ステーツの集まりという形をとっているわけです。  ただ、違うのは中国なんですね。中国だけがあれだけの広大な面積を中央できちっと統括している。こういうのは世界国家組織の中でも非常に珍しいあり方だと思うものですから、これがこのまま将来的にもいくのかどうか。そういうことを考えながら、これから先、隣国でもありますだけに、どういう方向に向かうのか、香港みたいな体制があちらこちらにできていって、あるいは上海とか各地区である程度の自治権みたいな形になっていった、そういう中での一つ国家組織になるのか。連邦国家とは言わないにしても、自治共和国みたいなのが集まるような形になっていくのか。その辺が私たちも非常に興味ある国として眺めているのですけれども、先生はどういうふうにこの辺をお考えになっておるのか、お聞きしたいと思います。
  16. 田中明彦

    田中参考人 東アジア情勢にとって、中国の今後の動向というのは決定的とも言い得るような重要性を持っているというふうに私は思っております。  ただもちろん、中国が今後どういうふうになっていくかということは、第一義的に言えば、これは中国国民が決定することでありますから、それについて日本人が、あなたのところはこうやった方がいい、ああやった方がいいと余り押しつけがましく言うのはいかがなものかという感じがいたします。  ただ、そういうふうに申し述べた上で、現在の世界情勢の趨勢の中で、中国が安定的に現在の経済成長を続けて、それから中国国民生活水準向上ということを考えるとすれば、余りに中央集権的な制度、あるいは余りに指令的な制度は余り望ましくないということは、私は客観的な観察として申し上げられるのではないかというふうに思います。  そして、中国自身の経済成長、人民の生活向上のために世界全体との活動を深めなければいけないということを考えますと、中国国内において、国民利益中国全体としてどうやって反映させるかという大きな問題に直面せざるを得ない。そういう国民利益をどうやって反映させるかということは、やはりこれからの中国指導者の英知にかかっているわけでありますけれども、その過程で、今久間先生おっしゃいましたようなある種の分権的な方向という形は、現在の世界全体の趨勢から見ると、そちらの方向に大変かなっているわけですね。  これは、ヨーロッパが統合していくという方向が注目されますし、それからアメリカ合衆国という巨大国家があるということも、大規模化がいいというような印象を与える面もありますけれども、先生御指摘のように、やはりヨーロッパ統合のヨーロッパというのも、相当程度いろいろな権限は地方におろしたヨーロッパ統合でありますし、アメリカにおいても、連邦政府の権限というのは日々地方政府あるいは国民からのチャレンジを受けているということであります。  ですから、中国が今後安定的な形で経済成長を遂げるということであれば、やはり中国国民の皆様方が真剣に考えた上で、ある種の分権的な形の国家形態ということを模索していただかざるを得ないというふうには思います。
  17. 久間章生

    久間委員 ちょっと時間がありますので、まだもう一つお聞きしたいと思います。  先ほど先生はネーションという言葉をおっしゃられましたけれども、私たちがこれから先少子化が進んでいったときに、かなりのマンパワーを外国から入れざるを得ないという、入れるという表現が適切かどうかわかりませんけれども、外国から入ってくる可能性があるわけでございますが、そういうときに、現在帰化については、昔と比べますとかなり緩やかになってきておるわけです。しかし、これから先帰化については、もっともっと緩くする必要も一方ではあるのではないかと私は思っているわけです。  その中で、ちょっと具体的な話になりますけれども、日本人がいろいろな刑罰を犯したときにはそのまま国内におれるわけですけれども、帰化しようとする人がちょっとでも刑罰に触れるようなことになると、帰化が非常に難しいということがあるのですね。  今、外国人の参政権の問題点等がある中で、強制的に連れてこられて昔から日本国内でほとんど同じような生活をしておって、帰化もしたいと思っているけれども、刑罰に触れた人はだめだということになる。ところが、ではその人たちが昔の本国に帰れるかというと帰れない。こういう人については、従来から日本におる人と同じような形で帰化をさせたらいいではないかという気持ちが私にはあるのですけれども、それは刑罰法規に触れたからということで帰化をさせないというような制度をとっているときに、参政権も与えられないということになると、そこはどうなのかということで非常に今日的な問題になっているわけです。  こういう帰化のあり方について、先生自身は、もう少し緩やかな方向に持っていって、少し民族の多様化も図っていくようなことになってもやむを得ない、それが世界の流れであるというふうにお考えなのかどうか、この辺についても教えていただければありがたいと思います。
  18. 田中明彦

    田中参考人 私は、帰化の問題の法的な詳細については十分研究したことはございませんので、ここでどの条文をどういうふうにしたらいいかというようなことは申し上げられないわけですけれども、原則的に言いますと、先ほど申し上げたような事情からすれば、やはり日本は、日本の今後の活力ということから考えれば、有能な人にはぜひぜひ日本人になってほしいという形の制度を整える必要があろうと思います。  ですから、そのためには、帰化の仕組みが余りに煩雑、あるいはそれを阻止するような形に傾いているとすれば、私は、かなり緩やかにしていく必要があろうかと思います。そしてまた、特別な問題として、現に日本に定住していて、そして帰化の意思もあるというような方々については、これはかなり特段の配慮をする必要があろうかと思います。現に定住している方々の能力を日本のためにぜひぜひ生かしていただきたいということが、私は、二十一世紀日本の出発点の一つになり得ると思っております。
  19. 久間章生

    久間委員 いろいろと失礼なことを申し上げたかもしれませんけれども、以上で私の発言を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  20. 中山太郎

  21. 五十嵐文彦

    ○五十嵐委員 民主党の五十嵐文彦でございます。  本日は、貴重な御意見をありがとうございます。私も大体において先生の御意見に賛成の部分が多いということをまず申し上げておきたいと思います。  特に大事なことは、日本政治日本国家価値観の追求というものをもっと大事にしなければいけないということだろうと思います。  政治的なリーダーは、私は、本来、自分がどこに価値を置くのかということを国民に示し説得をするというのが一番重要な役割だと思いますし、憲法というのは、ひっきょう、根源的、集約的な価値国民がどこに求めるかというものを表現したものが憲法だというふうに考えるべきだと思うのですが、私たちの国は、例えばこの憲法九条論議にしましても、国際貢献をするのに邪魔だから、障害があるからということ、その手段から来ていて、どうも価値の追求という本質的な概念から離れて論議をしてきた感があるのではないかということを、私も含めて反省をしているところであります。  新しい価値観を創造していく、また追求していくということが大切だろうと私は思っておりまして、例えば環境権だとか国民の知る権利だとか、あるいは個人のプライバシーを保護するといった観点からの憲法の見直しというものは当然行われなければいけないし、状況の変化、先生がいろいろ御説明された変化に応じた、例えば平和主義といった概念も、非核三原則は今政府の政策としてとっているわけですけれども、なぜこれが憲法に取り込まれないのか。私は、非核三原則のうち実は二原則でいいと思っているのですが、非核二原則は憲法に取り込んで、日本の平和主義の理念をはっきり示すべきだという考え方を持っておりまして、こうした憲法と価値の追求という観点について、もう少し先生から御説明をいただきたいというふうに思います。
  22. 田中明彦

    田中参考人 憲法と価値の追求ということでありますけれども、私、先ほど御報告のところで申し述べたことでありますけれども、国の役割の重要なことは、国民利益を集約してそれを維持増進するというふうに申し上げたわけですが、この集約するというところが非常に重要だろうと思うのです。  つまり、現代の世界において、グローバリゼーションが進む、さまざまな意見世界じゅうさまざまなところで提出されるという中では、ある種のリーダーシップなしには利益というものは個々に限りなく細分化する可能性があるわけです。多くの個々人は自分利益ということなわけですし、それからある種の集団は自分たちの利益だけ、あるいはこの問題だけに関心があるという人たち利益というものが数限りなく出てくる。そのときに、そのさまざまな利益をより高次の価値観から集約して、全体としての優先順位はこちらであるということを指し示すということが、私は国の役割の非常に重要なところだと思うのです。ですから、その面で、政治がそのような利益集約の方向を指し示すことは重要であって、そこにある種の価値というものを前提にしないやり方というのはうまくいかない。  恐らく、冷戦時代というような世界的な対決図式のはっきりしている時代においては、みずからの持つ価値ということを十分に明確化するということをしなくても、大まかに、まあこれが一番大事なんだから、ここのところを防ぐためにはある種のことはやってはいけないとかやったらいいということとか、割と容易に合意に到達できたかもしれませんけれども、現在のように世界的な優先順位がはっきりしないときに、それでは日本日本人にとってどういうものが大事かということになりますと、政治家初め、あるいは政治指導者、世論すべてが、では我々の持っている価値はどういうことなのかということを積極的に議論していくことなしに利益の集約というのはなかなか難しいというふうに思います。  ですから、平和主義、環境、それからプライバシー、個人尊厳、そういうことは基本的に重要なことだろうと思います。  ただ、これはやや個人的な感想で、先ほどの御質問とも関係するのですけれども、憲法あるいは日本の国のあり方と憲法典、文字として書かれた憲法典というものを全部同じにしなければいけないということではないと私は思っております。ですから、日本国民が大事だと思っていることはすべて文章にして書いておかなければいけないということでは必ずしもないと思っております。  この点をなぜ申し上げますかというと、安全保障等に関することにつきましては、憲法典に余り細かいことを書くというのは、私は、世界の情勢の大きな変化ということからすると、かえって効果的、効率的な政策追求をしにくくするのではないかというふうに思う面があります。
  23. 五十嵐文彦

    ○五十嵐委員 ありがとうございます。  今まで、実は日本にも目標とか価値らしきものがあったわけです。例えば西側陣営の一員としての役割を果たす、あるいは経済大国としての役割を果たすということがあったわけですが、これが、先生おっしゃるとおり大分状況が変わってきた。  と同時に、今までのあり方は受け身だったわけですね。自然に与えられた価値観であり、いわばリクエストに応じてのオファーにすぎないのであって、これはやはり新たな考え方を持つべきだろうと私は思っております。  自衛権に関しましても、私は、普遍的な自衛権というものをやはり考えなければならない時期に来ていると思う。私は、国連常備軍の創設を目標にすべきだ、国連改革をした上ででありますけれども、そうした目標を国が掲げ、また持つべきだと思っているわけで、自衛であれば何でもいいという話にはならないだろうと思います。  究極の自衛というのは、実は相手国の三倍の戦力を身につけることが究極の自衛であります。これでは幾らお金があっても足りないし、不可能な話になってまいりますから、先生おっしゃるとおり、外交による力、政治による力によって、総合的な力で国を自衛していくという考え方を持たなければならないし、そうした考え方を、私は実はもっとはっきりとしなければいけない。  先生は必ずしも全部文章にする必要はないとおっしゃいましたけれども、ある程度こうしたことについては書き込むべきだと私は思っているわけであります。  日本の今までの方針なりなんなりが受け身であって、決して能動的、創造的ではなかったということを申し上げたいわけですけれども、また、それと同時に、どうも外交と内政がばらばらであって、例えば、中国に対して日本は公害防止技術などを出しております。  日本はかつて公害に苦しみましたから、大変な技術を持っております。これは外に出してはいるんですけれども、日本国内で、では根本的に世界の地球環境に迷惑をかけないようなそうした政策を体系的にとってきたかというと、全然そうではないわけですね。世界のごみ焼却場の七割が日本に集中しているというようなことをしてきているわけでありまして、外交と内政とで統一的な理念がない。ということは、すなわち日本政治そのものにそうした統一的な考え方価値観というものが貫かれていない。  それは、役人任せであった、官僚任せであった。外務官僚は外務官僚として大変優秀であるけれども、専門的なことしかやってこなかった。それから、国内と各縦割り省庁は、その持ち場持ち場の役割だけに集中してきた結果がこうなっているという関係を見るわけでして、先生は御専門は国際政治でありますけれども、こういう内政と外交との関係について、お話をいただきたいと思います。
  24. 田中明彦

    田中参考人 先ほども申し上げましたように、現在の世界における影響力というものは、必ずしも軍事力とか経済力だけではないわけです。軍事力や経済力のような生の実力というものを、それだけを頼りに活動するというのは、かえって反発を呼ぶという側面すらあるわけです。  現在の外交というのは、相手の国だけがある、その二国間外交で相手と交渉すればいいというだけではなくて、その二国間外交をやっているときだって、周りにNGOがあって、企業があって、いろいろなメディアがあって、さまざまな活動、報道をされる中で外交を行うということでありますから、その中である種の説得力を獲得するというのはなかなか容易なことではなくて、多くの場合は、その説得力の一つの基盤は内政なんですね。ですから、先生おっしゃったように、国内の政策と対外的な活動の整合性といったものが十分とれていない状況において、交渉なり対外的表明を行うということは、なかなか効果がないというふうに思います。  ですから、その面でいって、国会での御審議等内政、もちろん、国会の最重要な課題国民課題にこたえることですから内政なわけですけれども、その内政を実行する上においても、対外的な活動との連関ということを御考慮いただいて御議論いただくということが非常に重要だろうと思います。  それから、前におっしゃられました日本の目標、理念というものをどうやって掲げるかということでありますけれども、もちろん、その一つ考え方は、日本国民全員の一致した意見ということで憲法典に文章として掲げるということも重要で、そういうことが可能であればそれも私は重要だと思います。  ただ、私は、現在の民主主義のもとでの活力ある国内政治世界影響を与えるという観点からいうと、余り憲法典に文章化するということよりも、私は、どちらかといえば、日本の各有力政党が、それぞれが、自分たちの政党が政権をとったら日本をこういう理念にのっとって世界に対して働きかけるのだ、そういうマニフェストをはっきりさせていただくということの方が重要だと思うんです。  ですから、憲法典に何でもかんでも書き込まなければいけないということでやっていった結果が最大公約数的なものになるということよりは、憲法典には根本的なことだけ書いておいて、具体的な理念、現実的な政策ということは各政党のマニフェストという形で明確に世界じゅうに明示し、政権をとったときにこれを実現するということが、私は、民主主義政治世界に対して発言力を持つ一つの大きな道ではないかというふうに思います。
  25. 五十嵐文彦

    ○五十嵐委員 ありがとうございます。心してまいりたいと思います。  一つ気になることがありまして、先生は日米同盟の強化の必要性を強調しておられるんですが、私どもも、日米同盟は大事だ、非常に基軸的な関係だと思っておりますけれども、今までの余りにも対米迎合的な従属的な姿勢が、むしろ北朝鮮が、日本は相手にしなくていいんだ、米国と話をつければ後からどうせついてくるんだからというようなことで、日朝の政治対話に逆にマイナスになるというようなこともあると思います。言うべきことをきちんと言える関係を結んでいかないと、日米同盟基軸ということをただ口にするだけでは、アメリカからの信頼も実は得られないんではないかと思うんですが、その点について。
  26. 田中明彦

    田中参考人 日米安全保障条約を基盤とする日米同盟関係の重要性については、私、ここで詳細に申し述べることはいたしませんけれども、先ほど申し上げましたとおり、冷戦後の時代において、ますます日本自身、日本人自身が安全保障問題について真剣に考える必要性は増しているというふうに思います。  そこで、私の私見では、日本アメリカとの間に安全保障をめぐる利益において重大な対立というのはほとんどないというふうに思っております。ですから、その面でいって、日米同盟の強化ということを私は常々申し上げているわけであります。  ただ、そのことと、いわゆる追随というふうに思われる現象とはやはり区別されなければいけないというふうに思います。なぜ日米同盟を強化しなければいけないかといえば、それは、日本自身の安全保障環境の評価、日本自身の手段と目標との関連において、日米同盟を強化するのが日本にとって最も効率的であり効果的であるということから日米同盟強化につながる、そういう論理であって、最初から日米同盟が大事だから日米同盟は強化であるというような循環論法をするというのでは望ましくないというふうに思います。  また、そこまで言った上でやや問題提起的に申し上げれば、対米追随は望ましくないというのを外務官僚の方だけにおっしゃってもしようがないというふうに私は思います。結局のところ、外務官僚の方が、あるいは外交官の方がアメリカに対して何を言うか言わないかは、それは日本国民の意思の問題なわけでありまして、その面でいって、国会での議論がどういうふうになるかということが非常に重要なことだと思います。  その点で、アメリカを批判するというのは十分あり得ると思いますけれども、ただ、その批判が、単にアメリカがいつも押しつけがましく言ってくるから不愉快だというような批判、その不愉快なことに対しては少しはノーと言った方がいいんじゃないかというような形で反論をしても、これは国際的に言って全く通用力はないわけであります。ですから、この点で非常に大事なことは、私はやはり、日米の議員の皆様方の交流といいましょうか、積極的な対話の場です。  これは、ややアメリカ国民には私の申し上げることは失礼かもしれませんけれども、客観的に言うと、アメリカの議員の先生方は余り対外問題について関心がないんですね。議員の方の半分以上はパスポートを持っていないことを自慢にしているというふうにすら言われることです。ただ、その中で、もし、日本が日米同盟についてそれなりに見識を持ったことを言いたい、あるいは我々の立場をはっきりさせておきたいということであれば、ぜひアメリカの議員の方々と日本の議員の方々とで胸襟を開いた率直な話し合いを進めていただくということが非常に重要になってくるのではないかと思います。
  27. 五十嵐文彦

    ○五十嵐委員 ありがとうございました。
  28. 中山太郎

    中山会長 以上で質疑持ち時間が終了しました。  次に、斉藤鉄夫君。
  29. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。  田中先生、きょうは大変貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。  まず最初に、二つ質問させていただきたいと思います。  今、二十世紀と二十一世紀のちょうど境目でございます。この二十世紀、先ほど先生御説明のあったいろいろな世界の潮流の中で日本は努力をして、一応その三つ圏域の中の、市場経済民主主義が成熟し基本的に平和で安定した圏域、この中に日本はいるんではないかという状況にまでなりました。そういう中での日本国憲法が果たしてきた役割をどのようにお考えになっているのかということが一つと、また、これから、先ほどの三つの潮流はいよいよ大きな流れとなっていくかと思いますが、その中で日本が尊敬される国家として生き抜いていくために憲法はどういう役割をしなくてはならないか、まずこの二つをお伺いしたいと思います。
  30. 田中明彦

    田中参考人 日本国憲法が果たしてきた役割ということを全面的に述べるほど、私、見識が備わっているかどうかわかりませんけれども、今の日本国憲法は、やはり第二次世界大戦に至る日本の行動への日本国民の深刻な反省に基づいて、かつてのような侵略行為は日本はしないのであるということを世界に示すという形で非常に重要な役割を担ってきたと思います。これは、憲法制定時においても、日本が独立する一つ前提として日本国憲法ができたという経緯があるのは、恐らく以前のこの憲法調査会の御議論の中にもそういうことはあったかと思いますけれども、それ以後も、民主主義国家としての日本ということをシンボライズするという意味での憲法があったということはあろうかというふうに思います。ですから、その意味でいって、日本の現在の世界における地位を築くために大きな役割を果たしてきた憲法ではあろうというふうに私は思っております。  今後の世界の中で日本がどういうふうに生きていくかということにおいて、新しい憲法を考える、あるいは今の憲法を今後どういうふうにするかということを考えるということは何を意味するかというと、私は、やはりこれは日本人のこの国のあり方についての決意を世界に表明する一つの重要な面だというふうに思っております。  ですから、その意味で、この調査会において、先ほどから議論になっております日本人の価値観というものを根本において指し示すような形の憲法ができ上がる、あるいはそこに改良していく、あるいは今の憲法典をそのままでよいのであれば、そこにある種の価値観をもう一回つけ加えるようなことをやっていくのが望ましいというふうに思います。
  31. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 ある意味で我々が目指す価値観ということについてですが、先生はネーションステーツの言葉を引かれながら国家と民族についてお述べになられたわけですが、もう一つ非常に重要な要素として文化というものがあると思います。国家と民族の関係、民族と文化、文化と国家、その文化という要素を取り入れて我々が目指すべき価値というものを議論しなくてはならないと思うのですけれども、国家、民族に加えて文化という視点を入れて、何か御意見をお聞かせ願えますでしょうか。
  32. 田中明彦

    田中参考人 文化につきまして、私は、お答えするのが果たして適当かどうか、ややためらいがあります。  本日申し上げたことのかなりは、二十一世紀日本国家あり方をある種機能的に、何をなし遂げるべきかという観点から申し述べたわけで、国家を支える文化ということになりますと、一言で、この言葉日本の文化をあらわすという言い方はなかなか難しいというふうに思います。  価値といった場合に、普遍的な価値として世界の多くの人々に受け入れられるようになってきた価値、基本的人権の尊重ということ、個人尊厳個人の自由、統治形態としての民主的なあり方というようなことはかなり明確に定義できますが、文化ということになりますと、これをどのように定義するかということになりますと、なかなか難しいというのが私の率直な感想であります。  恐らく日本国民の多くにとってみると、日本が今まで、日本人が長い歴史の中ではぐくんできた文化の中には、世界じゅうのさまざまなものを積極的に取り入れるというような形、そして取り入れたものを今までの日本の伝統に合わせて改良していくというような形のあり方というのが日本人の特徴一つだという見方はあろうかと思いますけれども、それではこれを何と言ったらいいのかということになりますと、私は率直なところ、余りはっきり申し述べることはできない。寛容というふうに言えばいいのかもしれませんけれども、寛容という言葉だけで果たしてあらわせるかどうか。  その面でいうと、文化というのは個々人にとって非常に重要であるし、民族あるいは人々にとっても重要であるがゆえに、先ほど私が申し述べた面でいうと、憲法典というような文章にするのが果たして望ましいのかということがあるのではないかというふうに思います。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  33. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。  ちょっと視点を変えまして、国家個人という観点で御質問させていただきたいんです。  先生の著書を読ませていただきますと、新しい中世という言葉が出てまいります。私の乏しい理解力から読むと、中世は国家というものの概念なり影響力が非常に小さかった、現在も国家というものの影響力は低下してきている、そういう類似から新しい中世という言葉をお使いになっているというふうに理解したんです。しかし、私がイメージしているヨーロッパ中世は、非常な閉塞感の中で、民衆が虐げられて、真っ暗な空の下で生きてきたというイメージがございます。ところが、現在は、ある意味民主主義が進んで、かなり明るい空のもとでみんなが言いたいことを言って生きている、閉塞感はないと思うわけで、その辺で根本的に違うと思うわけですが、その点についてお聞かせ願えますでしょうか。
  34. 田中明彦

    田中参考人 新しい中世という言葉は、私がある種自分の研究上の都合でつくり出した概念でありますので、それを御言及いただきまして、どうもありがとうございました。  ここで新しい中世と私が申し上げましたアナロジーは、基本的には、きょう申し上げました、主体が多種多様に存在し、その間で複雑な関係が行われる、そういう面がかつての中世の世界のある部分に似ているということをアナロジーとして申し上げているわけでありまして、今の新しい中世がかつての中世と全く同じであるなどというふうに申し上げているわけではないということをまず御理解いただきたいと思います。  確かに、中世という言葉にはかなり暗い否定的な意味が込められることが多うございまして、その意味でいいますと、御指摘のとおり、何か新しい中世というとこれからどんどん暗くなってきて閉塞的になるみたいな印象をお持ちになる方も多かろうと思いますけれども、これは私もそれほど詳しくはありませんけれども、最近の歴史学の動向からいいますと、余りに暗いイメージという中世はどちらかというと近代になってつくり上げられたイメージでありまして、かなり実証的な研究をすると、かつての中世ヨーロッパはそれほど閉塞的であったというわけでもないという見方もございます。それから、最近の日本の歴史学でも、日本の中世はかなりの程度活力あふれる世界で、そこで単一の主体でない、さまざまなグループなり個人なりがいろいろな活動をやっていたというイメージもでき上がりつつあるというふうに思います。  ですから、これはここでの御議論の本旨とはそれほど一致しないかもしれませんけれども、新しい中世と言ったときに、そういう閉塞的な部分だけでないイメージもあるということを御理解いただければというふうに思います。
  35. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 残り時間がちょっとですので、端的に、個人国家の問題について。  これは憲法と直接関係ないかもしれませんが、これからの教育をどうするかという議論が今行われているわけですが、例えば教育基本法の中に個人はある、それから普遍的人類はある、しかし国家がない、こういう議論もございます。そういう意味で、個人国家、それから教育、憲法、非常に漠然とした質問ですが、最後にお聞かせをいただければと思います。
  36. 田中明彦

    田中参考人 私、その教育基本法の改正の御議論については、これもまた詳細に存じ上げているわけではございませんので具体的に申し上げることはできませんけれども、国家についての認識を個人が保持するというのは、これは重要なことであろうと思います。先ほど申し上げましたように、今のこの激動する世界の中で、個人にとってみると、国家が相当一生懸命頑張ってくれないと自分利益を守ることすらできない、そういうことからすれば、そういうものが国家であるという認識を深めるということは重要であると思います。そのための国家として、国家の一成員として何をすべきかということも重要な認識であろうかと思います。  ただ、これは先ほど申し上げましたところとちょっと関係するのですが、その国家というのは、ある種の機能的な、国民のためにいろいろ尽くす国家というイメージを離れて、先ほど申し上げました、何かネーション、民族の一体性のための議論を強調する方向にのみ議論が進みますと、これは世界の中における国家役割についてやや一面的な理解を生む可能性があるというふうに私は思います。
  37. 斉藤鉄夫

    斉藤(鉄)委員 ありがとうございました。
  38. 鹿野道彦

    鹿野会長代理 次は、武山君。
  39. 武山百合子

    ○武山委員 自由党の武山百合子でございます。  本日は、田中さん、二十一世紀日本のあるべき姿というお話、どうもありがとうございました。  まず、私は、自由党を代表しておりますので、自由党としましては、現在ある日本国憲法を改正するという立場でございます。そして、一つ一つ議論して積み重ねていくことも大事でございますけれども、世界の憲法と比べますと本当に日本は改正されていないわけですね。ですから、むしろ二十一世紀を担う新しい憲法をつくるという基本的立場を持っております。  そして、憲法の中のお話が中心であるのですけれども、先生のきょうの二十一世紀日本のあるべき姿というお話を聞いておりまして、まず、先ほど日本のあるべき姿の中で日本人らしさというお話をされましたけれども、私の自由党としましては、国家目標といたしまして、まず日本の長い歴史と伝統を踏まえて、日本人の心と誇りを大切にする、自由で創造性あふれる、国民各自が生き生きと幸せな生活を送れる自立国家日本をつくるというのが党の国家目標であるわけです。それと、先生の日本人らしさと国家目標、個人的なお考えで結構ですので、お聞かせ願えればと思います。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  40. 田中明彦

    田中参考人 国家目標は、私、きょう申し述べたことが相当程度日本国家目標だと思っております。つまり、安全の確保、繁栄の継続、それから、日本人の多くが共有する価値観を維持し促進するということであろうと思っております。  そこでまた、先ほどの私の私見との関係もありますけれども、それから先ほどの御議論でもありました文化との関係もございますけれども、憲法典にすべてを書き込まなければいけないというのは、私はそれが一番望ましいことであるとは思っておりません。どちらかといいますと、憲法典は国家国民との間の契約文書でありますから、そこでは、おおむね国民の間で合意されるようなことについて記述するのはいいと思いますけれども、それ以外は、どちらかというと、権利義務関係をはっきりさせる、それから、国際社会の中で何をするというようなことを明示するのが望ましいと思っております。  日本人らしさとか日本人の尊厳というようなことを言ったときに、私の個人的な、一番の日本人らしさというのはどういうことかというと、先ほども申し述べましたけれども、いいものであれば世界じゅうから何でも取り入れて、積極的にこれを変えて自分のものにしていく、これが一番の日本人らしさだというふうに思っておりまして、日本人の長い歴史を考えたときに、日本の成長を支えてきた特徴がどういうところにあるかというのを、もし私なりの個人的な狭い範囲で言えば、そういうところが一番重要だろうと思うのです。  ですから、日本の伝統といったら、私は、ややこれは伝統のように見えないかもしれませんけれども、いいものが世界じゅうにあったら何でも取り入れる気風、これが日本人の伝統じゃないかと思っております。
  41. 武山百合子

    ○武山委員 ありがとうございます。  それでは、先ほど世界にとっての日本というお話を伺ったのですけれども、大規模国家としての責任ということで、世界政治のリードをする責任を、世界にとって日本役割を果たすべきだと言っておりましたけれども、この中で、有能な政治指導者をどう育てるかということがお話にありましたけれども、もう少し突っ込んで、ではどう育てたらよろしいでしょうか。
  42. 田中明彦

    田中参考人 私は、これは基本的には国民の責任だと思います。有能な指導者を選挙で選べばいいわけで、ですから、そういうところにまず帰着すると思います。  ただ、有能な指導者がなぜ必要かということについてもう少し敷衍させていただきますと、現在の外交というのは、外務省、外務大臣だけがやっているのが対外政策ではありません。世界的なさまざまな問題については、外務大臣が出ていく会合もありますけれども、通産大臣が出ていく会合もありますし、大蔵大臣が出ていく会合もありますし、現在そうだと思いますけれども、各省大臣すべて国際関係を担っているというふうに言っていいと思います。そして、各省大臣すべてが国際関係を担っていて、会合の数は日々ふえるばかりであります。そうなりますと、現在でいえば次官の方々も出る会合がふえております。  今度、行政改革で、副大臣制その他導入されるということになりますと、基本的には、今の国際的な会議外交の場で活躍するのは国会議員の先生方だということになるわけです。大臣になり副大臣になり政務官になる方々の数、全員で何人になるのか、私つまびらかにしませんけれども、この方々全員が外交官であるということだと思います。  そして、もう一つ申し上げますと、現在の会議外交において、もちろん官僚同士の積み上げ型の外交というのも残ります。ただ、これが、いつもそうですけれども、積み上げ型の外交で行うよりも世界の速度というのは非常に速くなっておりますから、積み上げる前に指導者同士が会って大体方向性を決めるという形がこれからどんどんふえると思います。  そうなりますと、その会議外交に出ていっていただく方々が、場合によると即断即決でさまざまな決断をしていただかなければいけないということになりますと、これは、有能な指導者を選ぶという国民の責任といいましょうか、国民がみずからのことを考えれば、国会議員の皆さんを選ぶときに、この人たち日本を代表する外交官として十分活躍してくれる人であるなということで選ぶというふうにならなければ、有能な政治指導者を育てるということにはならないというふうに思います。
  43. 武山百合子

    ○武山委員 ありがとうございました。  それでは、もう少し突っ込んで、先ほど、世界経済の成長では、日本だけの成長ではだめだというお話をされました。それでは、日本世界経済成長の中でどのような役割を果たしていったらよろしいでしょうか、もう少し突っ込んでお聞かせ願いたいと思います。
  44. 田中明彦

    田中参考人 世界経済の成長について日本の果たす役割は、大まかに言えば二通りあると思います。  一つは、これだけ大きな経済でありますから、日本自身が成長しないということ自体が世界経済の成長を阻害するわけです。東アジアの各国にとって日本というのは大事な輸出市場でありますから、日本の景気が沈滞しているということ自体、周りの国の繁栄に大きな影響を与えるということです。  それから、もう一つ経済成長との関連でいいますと、やはり戦後の日本経済成長を可能にする技術革新を世界の中で次から次へと生み出してきた国だと思います。ということになりますと、今後の世界経済の成長ということで、日本の有能な科学者、エンジニア、企業が次から次へと新たに技術革新を遂げるということが世界経済の成長に貢献すると思います。  そして、もう一つ世界経済の成長にとって大事なことは、環境保護は十分留意しつつも、できるだけサービス、物資の流れが自由に行われるということが大事なわけであります。その点でいって、日本のような基本的に世界の自由貿易に依存している国家が自由貿易体制の促進に否定的な動きをとるというのは、日本の大きな国益に反しているし、世界経済の成長にも阻害要因になると思います。
  45. 武山百合子

    ○武山委員 ありがとうございました。  繁栄の継続という形で、先ほど、経済システムの改革、少子高齢化対策とお話しされたわけですけれども、その中の一つとしまして、能力のある人々世界から集める、新日本人ということですけれども、まさにアメリカなんかこの結集した国なわけですけれども、そのためにはいろいろなシステムの改革をしないといけないと思うんですね。  しかし、その前に意識を変えていかないと、国民としての意識、政治としての意識、経済のシステムの担っている構造的な意識、こういうものの改革なんですけれども、この改革が、もちろん始まっていますけれども、遅々と進まない部分があります。これは何が原因だと思いますか。
  46. 田中明彦

    田中参考人 おっしゃるように、意識改革が大事なわけであります。  これがなかなか進まないというのは、理解することはそれほど難しくないと思います。つまり、日本のようなかなり規模国家で、それまでの制度が決まっていますと、なかなか変えられない、そういうことだろうと思うんですね。  ですから、その面でいうと、これはそういうような今までの制度をつくってきたものを変えようというわけですから、やはり一番重要になるのは政治的なリーダーシップということだろうと思います。政治のリーダーシップがなくて大きな制度を変えようというのは、そもそも民主主義国家においてはあり得ないことではないかというふうに思います。
  47. 武山百合子

    ○武山委員 それではもう一つ、先ほどのお話の中で、日本の周辺が平和で安全であることが日本繁栄にもちろんつながることだというお話ですけれども、まさにそのとおりだと思います。それでは、日本の周辺が平和で安全であるために、外交を通して、また貿易を通して、そしていろいろな面で東アジアの問題が出てくるわけですけれども、どのように日本が周辺の平和と安全を守るために努力すべきか、その辺をもう少し突っ込んで詳しくお話をお聞きしたいと思います。
  48. 田中明彦

    田中参考人 地域を平和で安定させるというようなことは、これさえやればすべてうまくいくというような万能薬はないわけです。さまざまな活動を組み合わせて平和と安定のために努力するということ以外にはあり得ないと思います。  私は、そのさまざまな活動を組み立てるまず一番大きな前提は、日本アメリカとの安全保障体制が確固としていて、この日米の間が相互対立とか相互不信によって揺らぐことはないという前提一つ生まれるということが、その地域の安定の一番下支えになると思っています。  その上で、日米の同盟体制を安定化させ、強化させた上で日本が行うべきことは、地域国家の韓国との関係をより強化する、それから、特に中国との関係を重視するということです。中国の中には、日米同盟強化というとやや不信感を持たれる向きもありますけれども、これは決して中国に対して不利益になることではないという形で中国との友好を促進することが重要だと思います。そういう前提のもとで、朝鮮半島情勢の安定化のためには、日本側の安全保障面、人道面の要求を配慮した上で、北朝鮮との関係も安定し、国交正常化の方向に導いていくということが必要だと思います。  この面でいって、東アジアにおける日本外交について重要なのは、かなり合理的なさめた判断を多くの国民なり政治指導者の方はお持ちになっていただくことが必要だと思います。中国との関係や北朝鮮との関係その他についても、感情的にいって、非常に不満を持ったり、いろいろフラストレーションがたまるということもありますけれども、全体的な構図ということでいえば、日米同盟を強化した上で日中関係を安定的かつ友好的なものにしていくということが重要なのであって、決定的とも言えないような問題において関係を悪化させるということは余り望ましいことではない、そういうことだけ申し上げておきます。
  49. 武山百合子

    ○武山委員 どうもありがとうございました。
  50. 中山太郎

    中山会長 以上をもって武山百合子君の質問を終わります。  次に、春名直章君。
  51. 春名直章

    春名委員 日本共産党の春名直章です。きょうは先生、貴重なお話をありがとうございました。  先ほどのやりとりの中で、憲法九条の規定、特に二項は少しあいまいなところがあるということをおっしゃったのですけれども、私は、最初にちょっと言っておきますけれども、大変中身は鮮明だと思っておりまして、二十世紀戦争の違法化の流れを、特に一項で国権の発動たる戦争武力による威嚇、武力の行使、これを放棄するというところを明確にするとともに、それだけではなくて、陸海空軍その他の戦力を保持しないというところまで、恒久平和主義といいますか、ここをやはり徹底しているという中身だと思うのです。憲法原則の中でも、私は、最も大事な内容を持っているものだと思っております。ですから、私は、二十一世紀日本の進むべき方向という点では、この九条が指し示している方向こそが進むべき方向ではないかなというふうに考えるものです。  この立場を私自身持っているということを前提にして、少しお聞きしたいことがございます。  直接的には最初の話では触れられなかったのですが、南北朝鮮の首脳会談についてなんですけれども、朝鮮半島の南北分断以来五十五年を経て、初めて首脳会談が実現をいたしました。朝鮮半島の問題の平和的な解決だけではなくて、我が国を含めた東アジアの平和と安全にとって大変大きな意義を持つものではなかったかなと思っています。先生はこの首脳会談の持つ意義をどのようにお受けとめになっておられるのか、聞かせていただけたらと思います。
  52. 田中明彦

    田中参考人 南北首脳会談の意義ですけれども、私は、これは大変画期的な出来事だというふうに思っております。そして、この南北首脳会談で指し示した方向が促進し、とりわけ金大中韓国大統領のお考えの方向に物事が動くということになりますと、事態が望ましい方向に進展していく。そういう方向に進展していくとすれば、ここに戦後初めて、朝鮮半島において北の政治体制と南の政治体制がそれなりに安定的に共存していく可能性が生まれたのだということになろうかと思います。ですから、そのような方向に事態が進展していく可能性を生み出したという意味で、これは大変画期的なことだと思います。  ただ、問題は、国際情勢というのは決まり切ったことが確定的に起こるということはないわけでありまして、望ましい、画期的な出来事であっても、その後事態が急変する、あるいは思ったとおりにいかないという可能性も否定できないわけであります。とりわけ北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の中における改革、それからその改革と政治体制の関係というものが今後どうなるかということに関しましては、まだまだ不確定なことが多かろうというふうに私は思っております。
  53. 春名直章

    春名委員 五つの合意が結ばれましたね。南北が平和共存を図る、それから自主的な統一を進める、大国の介入にはよらないでやりたいということが文面でも明らかになっているわけです。双方が軍事挑発もしないという合意もされている。そういう点では、おっしゃったように、東アジアの平和にとって非常に大きな可能性を開いたということではないかなと私も思っています。日本は、その方向を評価しながら推進していくという役割があろうかと私は思っております。  その点で、朝鮮半島やアジアとの関係日本自身がはっきりさせておいた方がいいと思う問題は、侵略戦争への反省、植民地支配への反省という問題についてなんです。これは、アジア日本が信頼を得ていく上で避けて通れない問題だと私は思っています。先ほどの先生のお話の中にもネーションというお話がありましたけれども、それにかかわる問題だと思っています。  最近、森総理から神の国の発言が飛び出したりとか、いろいろあります。そのたびに、アジアの各国から深刻な、否定的な反応も返ってきています。アジア諸国とのそういう点での関係、どうよくしていくのかということで、今私が言ったような問題、侵略戦争への反省、植民地支配への反省という問題について、先生自身はどのように日本はあるべきか、どうお考えになっておられるか、その辺を聞かせていただけますか。
  54. 田中明彦

    田中参考人 私は、この問題は、日本国家の問題と日本人の問題と両面あると思います。  それで、日本国家という形でいえば、さまざま解釈はあって、特に周辺諸国人々からすると十分満足いただけないかもしれないけれども、第二次大戦に至る過程においての日本国家の侵略に対する反省というのは、九五年の村山総理の談話等に見られるように、かなり明確になっているというふうに私は思っております。  それから、法律的にいえば、一九五一年に署名したサンフランシスコ平和条約、これは多数国との間のものですけれども、そこのところでの合意というのは、戦争に対して日本が責任をとるということを条約でもって示したわけです。極東軍事裁判の判決を条約で受け入れて日本国の独立が達成されているわけです。  もちろん、これから北朝鮮との関係でいえば、国交正常化交渉の過程でその認識をまた示す必要が出てくると思いますけれども、ですから、そういうことは交渉の過程で、今まで政府がとってきたとほぼ同じような認識を踏襲するということで、私は、国家として見ると、それでよろしいのではないかと思います。  ただ、もちろんそこで、国家としてそういう意思を示している中で、政府のメンバーとなられた方がどういう認識を国家のメンバーとして表明するかは大変重要な問題でありまして、閣僚それから副大臣その他になられた方々の御発言というのは国家の意思であるということであることは十分御認識いただかなければいけないというふうに思います。  ただ、それと日本国民全体の問題というのはまたもう一つ別途問題がありまして、私も戦後生まれでありますし、自分で体験したことではないわけですけれども、やはり周辺諸国人々とともに過去の東アジアの歴史についてまじめに勉強していくということを、日本人一人一人が考える必要があろうと思います。  ただ、日本民主主義国でありますから、まじめに勉強するといったときに、一つの歴史観だけを皆が持たなければいけないということには当然ならないわけでありまして、その中で、日本国内で過去の歴史について論争が繰り広げられるということ自体は、それ自体日本民主主義が機能しているということでありますから大事なことで、その議論自体が周辺諸国人々に時に不快感を与えるにしても、これは御理解をいただかなければいけないことだろうと思っております。
  55. 春名直章

    春名委員 閣僚としての発言も国家の意思ということもおっしゃって、繰り返しそれが出てくる背景に、やはりその辺のあいまいさが引き続き危惧を呼んでいるということかなと私も思っているんですけれども、そこでお話も聞きました。  それから三つ目に、二十一世紀を展望したときに、二十世紀の人類史上の愚かな犯罪の一つとして記憶されるのが、やはり広島、長崎の問題だと思います。核兵器を廃絶することは絶対に避けて通ることができない二十一世紀課題だし、とりわけ、日本は唯一の被爆国ですので、その責務は大きいと思っているんです。  そこで、少しお聞きしたいんですが、核兵器廃絶を目指す国家連合として新アジェンダ連合という組織があります。そこは九八年の六月に、我々は共同して核兵器のない世界という目標を成就する決意である、核兵器後の時代への断固として迅速な準備を今始めなければならないという共同声明を発表されて、発足をしました。その年の国連総会には、核保有国は遅滞なく核兵器の廃棄交渉を誠実に追求し、締結に至らしめよ、こういう決議案を提出しました。賛成は百十四、反対十八、棄権三十八で採択をされました。  九九年の国連総会では、この連合が中心になりまして五十七カ国によって共同提案をされた決議がありますが、これは核保有国に対して迅速で全面的な核兵器の廃絶を達成するためにきっぱりとした誓約をするように求めて、これも同年の十一月の九日、賛成九十、反対十三、棄権三十七で採択をされるということになっています。  私は、こういう核兵器廃絶に向けた積極的な動き、非常に重要だと考えておりますけれども、先生は東南アジアや国際関係の専門家でありますので、こういう核兵器廃絶に向けた世界動き、今例を挙げた動きなどをどう評価されておられるのか、そのあたりをお聞かせいただけませんでしょうか。
  56. 田中明彦

    田中参考人 冷戦が終わったことの一つの大きな効果は、米ソ両超大国がみずからの核兵器削減を本当に始めたことでした。冷戦の最中の米ソは、上限は設けることがあっても、削減するということはなかなか進みませんでした。ですから、冷戦が終わったことによって核兵器の量的な削減の方向が進み始めたということは、冷戦終結一つの重要なことだと思っております。  ただ、その反面、依然として核兵器を持ちたいという国の数はそれほど大きく減っているわけではありません。その中で、核不拡散条約体制を延長し、包括的核実験禁止条約の調印を広めるという形の動きが進んでいるわけで、この動きをできるだけ進めることが、世界全体の核兵器をできるだけ減らし、究極的には廃絶するという方向への動きだろうと私は評価しておりますし、日本政府がこれに積極的な動きをするのは必要だろうと思っております。  ただ、個別の問題として、日本の安全保障ということを考えますと、日本の安全保障状況で非常に特徴的なことは、中国も核兵器を持っているし、ロシアも依然として核兵器を持っているということでありまして、これとの兼ね合いで、日本の核廃絶へ向けた動きというのをどういうふうに進めていくかというところにかなり大きな難問があろうかというふうに思います。  周辺国に核兵器が存在するというのは、もちろん、今の中国にしろロシアにしろ、それを日本に対して使おうなどという意図は恐らくないものと思います。ですが、安全保障ということから考えますと、このような大量破壊兵器の存在ということ自体非常に重視せざるを得ない。その面でいって、日本政府なり日本人の核兵器に対する対応に、ある種の見方からしてやや不十分に見えるというふうに見られるところは私はやむを得ないのかなというふうに思っております。
  57. 中山太郎

    中山会長 以上をもって春名直章君の質疑は終了いたしました。  次に、阿部知子君。
  58. 阿部知子

    阿部委員 社会民主党の阿部知子と申します。  きょうはまた長時間、田中先生には大変御苦労さまでございます。  まず冒頭に、実は私の個人的なことでございますが、子供の医者でございます。そして、この場で行われております憲法の論議が、二十一世紀日本の子供たちに伝え得るメッセージ、どんな国であったらいいか、その中で憲法の果たす役割がどんなものであるかということを、なるべく平易にわかりやすく論じていきたいなと私自身思っております。そうした観点から田中先生にまず第一点御質問をいたします。  子供たちにもわかりやすく、日本が発信すべき世界平和のメッセージとは何であるのか、お答えください。  そして、その前にまず、私ども社民党は、憲法に前文で規定されておりますところの平和的生存権、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から逃れ、平和のうちに生存する権利、この平和的生存権と、いま一つ、先ほどの共産党の方の御質問にもございましたが、我が国が唯一の被爆国として核廃絶に向けた世界への発信をしていくということを含めて、子供たちにも残す財産としたいと思っておりますが、田中先生のお考えはまずいかがでございましょうか。
  59. 田中明彦

    田中参考人 私、子供たちあるいは若い人たちに平和のメッセージを伝えるということは大事であって、教育の果たす役割は重要と思います。  ただ、そこで、私が考える平和への道というのは、先ほど申し上げたことと重複いたしますけれども、万能薬はないというふうに思います。人類の歴史の中で戦争がこれほど長く繰り返されてきているという現実を見たときに、そこに、これさえやればうまくいきますというようなメッセージは私は申し上げられません。  これはやや難しい問題になろうかと思いますけれども、例えば核廃絶というメッセージがあります。核廃絶は非常に重要なメッセージだと私は思っておりますが、核廃絶をすれば戦争はなくなるということは言えません。現象的に見れば、核兵器のなかった時代の方が戦争の数は多かったということは言えます。核兵器のなかった時代の第一次世界大戦の戦死者、戦傷者の悲惨さの度合いというのは、これもとてつもないものでありました。  ですから、核廃絶というメッセージは大事です。しかしながら、平和を達成するために、私は、日本国民、子供たち、若い人たち、それから私どものような中年、あるいはもっと年上の方、私が国際政治の勉強をしていて常々思うことは、これさえやればいいというものはないのだ、すべて、あらゆることをやらなければいけない。そして、そのあらゆることの中には、場合によると、一つの目標とはやや矛盾するかに見えることも存在するのだということだろうと思います。  つまり、戦わなければいいのだから武器さえなくせばいいという形の、これも万能薬的な発想ですけれども、そういうことのみでは解決せず、武器の存在する中で、ある程度の防衛力それから国際社会の警察力、そういうものを強めなければいけない、武力廃絶のためにある種武力に頼らざるを得ないというこの側面は、これは人間にとっての現実であって、そこのところを強調しないメッセージというのはかえって無責任になると思います。
  60. 阿部知子

    阿部委員 大体御趣旨は了解いたしました。  先ほど来の田中教授のお話の中で、日本が、一言で言えば、何でも取り入れることができる能力のある国であるということを一つ日本の骨格としたいというふうにおっしゃいましたが、私は、やはりそれ以上に、どういう向きに何を取り入れていくかということを子供たちにメッセージすべきと思っております。ただし、田中教授のおっしゃるように、すべからく物事に万能薬はございませんから、それであるからこそ政治が必要になってくると思います。  とりわけ、先ほど来田中教授の御趣旨の中にもございます東アジアの平和ということを考えました場合に、私ども社会民主党は、この間、一九九二年の南北朝鮮の非核化宣言、そして同年のモンゴルの非核化宣言にのっとりまして、今北東アジアにおける非核条約の締結に向けて党としての動きを全力でいたしております。その経過の中で、せんだっても土井党首はモンゴルを訪問してこられました。  確かに、核は必要悪であるというふうな言い方もないわけではございませんが、大きな方向性、先ほど国際社会でも核兵器の廃絶に向けた動きもある中で、特に私どもは東アジアでロシア、中国という核大国を控え、また我が日米安保同盟の相手国であるアメリカも核を持っている中で、日本主体的にどのような核の廃絶の働きかけをこの対ロシア、中国アメリカに行うかが、実は東アジア日本役割世界平和の役割の根幹と思っておりますが、その点に関しての田中教授の御意見もお聞かせください。
  61. 田中明彦

    田中参考人 東アジアにおいて核兵器の重要性が低下するというような形の政策をとっていくということは、私は非常に重要なことだと思っております。そのために日本はみずから核武装はしないという政策をとっておるわけであります。それから、南北朝鮮も、南北で合意した非核化宣言を本当に守るのであれば、南北にも核兵器がないことになります。  そうしますと、この地域で非核化の方向に向かうときの決定的なアクターはどこかということになりますと、中国、ロシア、アメリカであります。  その際、どういう方向で非核化の方向に向かっていくのが望ましいかといったときに、これは私の今までの経験ですけれども、専門家の中でこの地域の非核化地帯を構想しようといったときに、ではどの地域まで核兵器を置いてよろしいのかというようなことを議論し始めますと、直ちに核兵器保有国の中から、それはできない、それは主権の問題という議論になってしまう。  ですから、この現実から考えますと、日本としてできるだけ外交努力をして、核兵器国に対して、核を削減するなりあるいは保有について合意を求める活動を行うというのは重要ではありますけれども、私は非常に大きな限界があるということは認識せざるを得ないというふうに思っております。
  62. 阿部知子

    阿部委員 引き続いて、国連での我が国の役割について多少お伺いいたします。  国連軍への参加等々も含めて、これから日本が普通の国になるべきだという論調も一方にございますが、一方で、国連の動きの中にも、先ほど申しました我が国の平和的生存権を拡大していこう、どういうことかといいますと、国家領土の安全を軍事力によって守る安全保障体制ではないところのいわゆる予防外交とか、その他のいわゆる人間の安全保障を広げようという動きもございます。このことについて、田中教授はどのようにお考えでしょうか。
  63. 田中明彦

    田中参考人 国連の中で、予防外交、そもそも平和維持活動に至る必要のない状態をあらかじめつくろうという形でその議論が始まっているのは大変結構なことだと思っております。  ただ、さまざまある国際機関の中で、国際連合の現在の業績ということを評価してみますと、余りいい成績は上げられない。その余りいい成績を上げられないことの一つの理由は、もちろん国連加盟国の責任であります。その中のかなり部分は、安保理の常任理事国の五つの国の責任がとりわけ大きいと思います。  ただ、日本も国連の分担金二〇%払っているわけです。この日本の国連に対する対応というのは、私は甚だ不十分だろうと思っております。つまり、一方で、国連の安全保障理事会の常任理事国になる資格がある、それは二〇%も払っているのですから私は当然だと思いますけれども。他方、国際連合が行うさまざまな活動については、我が国の国内法がありますからほとんど何もできません、こういう体制を持っている日本の責任は、国連改革を進めるという面からいって甚だ問題だというふうに思っております。
  64. 阿部知子

    阿部委員 最後に一点だけ伺いますが、ただいまの趣旨に伴いまして、先ほど来の先生の第九条二項の内容の削除があった方がよいという御趣旨なのだと思いますが、先生の見解で、現行の憲法のまま国連軍への参加をするということは、逆に立法府を行政府が踏みにじることになるとお考えなのでしょうか。その一点だけお願いいたします。
  65. 田中明彦

    田中参考人 今の御見解で、私の解釈をもし立法府がおとりいただいて、その趣旨に従った立法をなさっていただければ、特に立法府を行政府がないがしろにしたということにはならないだろうと思います。つまり、立法府で、今の憲法を変えずに国連その他の参加を可能にする法律を通し、そして、これを国民が次の総選挙なりで承認し、あるいはまた、この立法によって被害をこうむった人が最高裁判所にこれは憲法違反だと訴えるということをやって、最高裁判所がこれは憲法違反でないというふうに言えば、私は全く、今言ったようなプロシージャー、そういう形で手続が進んだからといって、行政府が立法府をないがしろにしたことにはならないと思います。
  66. 阿部知子

    阿部委員 ありがとうございました。
  67. 中山太郎

    中山会長 以上で阿部知子君の質疑は終了いたしました。  近藤基彦君
  68. 近藤基彦

    近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。  田中先生には、大変長時間、ありがとうございます。そして、ほぼ私どもと考え方が一致をいたしておりますので、二、三の質問にとどめさせてもらいます。  一番最初に、先生の、冷戦終結を迎えて、現段階でアメリカ優越化が続いていると。今後の話なんですが、日本を含めて、アメリカ優越化が一極化に集中をしていくのか、それとも、イデオロギー的な対立の冷戦をまた迎えるということはないだろうと思いますが、ある意味で何かまた対立軸をつくって、東西になるのか、二極、三極化を今後していくのか、この点をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  69. 田中明彦

    田中参考人 現在の状況は、アメリカ経済的にも非常な成長を遂げておりますし、それから、軍事面でいえば、ほとんどすべて、他の国と全く比較にならないほど強力な存在であります。  ただ、そのアメリカの軍事力の特徴は、基本的には海空軍力を主体にしたものですから、かつての旧大陸における大陸国家の軍事的優越とやや様相を異にしている面があって、今のアメリカといえども、この軍事力を利用して他国を侵略するなどという傾向が生まれるというのはほとんどあり得ないことだというふうに私は思っているわけです。  つまり、今のアメリカにとっての利益というのは、一番の利益経済的な世界的な一体化によって生み出されるものですし、それから、一番アメリカが重視している地域というのは、基本的にはアメリカの友好国です。ですから、アメリカが軍事力を使う必要は全くないし、かえって逆効果ですから、アメリカが今の軍事力をある種否定的な方向で使うということはそれほど大きく考える必要はないと思うのです。  ただそこで、そうはいっても、アメリカは非常に大きな国家ですし、それなりに国内に複雑なことはありますから、周りから見ると、やや、時々アメリカは不可解なことをする国ですね。私は、アメリカという国は、長期で全体として見るとそれほどおかしなことをする国ではないと思うのです。ただ、時々ぶれることがある。  その場合、やはり非常に重要になってくるのは、日本、ヨーロッパ、アメリカの友好国がどういう立場をとるかということだと思います。アメリカに対して友好的な国こそが、アメリカの今の優越している能力を世界のために使ってもらうために積極的な発言をしていく、そういう役割と責任があろうかと思っております。  これが、その後二極化、あるいはかつての冷戦のような対立が起こるかというようなことでいいますと、私はそういうことは余りないのではないかと思いますが、そうはいっても、何事もないとかあり得ないとか、断定はできません。  一つ注意しなければいけないのは、やはり中国アメリカとの関係でありまして、中国アメリカとの関係が不信感を増大させるというような形で悪循環を繰り返すということになりますと、これは日本にとっても、それから世界にとっても大変な不幸になろうかと思います。
  70. 近藤基彦

    近藤(基)委員 今世界的にグローバリゼーションということで、どちらかというと世界が一体化をし始めている。将来的に、先進国あるいは経済大国と言われているところが中心になって、世界国家的なものが、国連の機能以上のものができないとは限らないと思っておるのです。そうでなくても、かなり国家間での役割分担が今後世界的な中で進んでいくのかなという気がしておるのです。そんな中で、アジアを含めた、日本アジアの中にあるわけですから、世界的な部分での日本役割的な部分で、どういう方向日本が進んでいくのか、あるいはいったらいいのかという先生の御意見がもしありましたら。
  71. 田中明彦

    田中参考人 私は、中期的といいましょうか、かなり長期的に見ても、世界国家というような単一な、中央集権的な統治機構が世界にできるということはないと思っております。それから、つくり方次第によっては、かえって害悪をもたらすというふうに思っておりますので、今の段階でいうと、世界的統一国家ということを想定するのは必要ないし、望ましくないと思っております。  ただ、その中で、世界的な統治、あるいは世界の中でどういう物事の決め方をしていくのかということについては、先ほど来申し上げているとおり、主要国だけでなく、NGO含め、国際機関その他さまざまなものがいろいろな合従連衡を繰り返しつつ物事を決めていくということになろうと思います。その中で日本はどういう役割を果たすか、あるいは国々の中で役割分担が生じるというのは、私はかなりの点で必然的だろうと思います。  つまり、非常に多様な主体がさまざまなことをやって、一つ世界の運営の仕組みをつくり上げていくわけですから、すべての国が全部ほかの国と同じことをやるというふうにするのは全く効率的でも効果的でもありません。役割分担は国家国家の間でもなされますし、現に援助でよく行われるようになりましたけれども、国家NGOの間の役割分担というようなことも非常に追求されなければいけないということであります。  その中で、日本がどういう部分について役割分担を担うかというようなことで言いますと、私、先ほどから国連改革のための国連平和維持活動への日本の積極的な参加ということを申し上げてきました。ですから、国連の平和維持活動等に日本が積極的に役割を果たすというのは一つの重要なテーマであります。  ただ、そうはいっても、日本国全体、それから日本人全体の役割ということから考えれば、日本日本人が果たすべき役割の圧倒的な部分は、いわゆる文民的な活動、シビリアンな活動になるというのが当然だろうと思います。  つまり、日本の場合、自衛隊全部を合わせたって二十万ちょっとしかいないわけです。もし日本が国際的な活動について自衛隊を使おうといったって、それは限度が知れているわけですし、それから平和維持活動にしても、もし費用を効果的に使うのであれば、かなりの場合は、こう言うと発展段階の差があってやや不公平な感じはしますけれども、日本の自衛隊の方に給料を払うぐらいだったら、同じ給料でその役目を果たしていただける有能な軍人の方というのはほかにも世界にいるわけです。ですから、その面でいえば、すべて日本人がやらなければいけないということではないと思うのです。その面でいって、日本人の能力を生かす面でいえば圧倒的に文民的、シビリアン的な活動が多いということだろうと思います。  ただ、そうはいった上で、先ほど来申し上げていることに戻るのですけれども、だからといって、それでは、いわゆる危ないところは私はやりませんというような形では国連改革も進まないし、日本世界に対する責任を果たしたことにもならないというふうに思います。
  72. 近藤基彦

    近藤(基)委員 余り時間がないのであれなんですが、ネーション、いわゆる民族主義的なものと、将来的に能力ある人材を世界から、エンジニアとか、そういった技術革新の面でおっしゃっておりましたけれども、労働人口が十分の六になってきた場合、こういう言い方はいいのか悪いのかわかりませんが、頭脳労働と肉体労働的な部分で、労働力が減少するということは肉体労働者も減少していくということになります。その部分で、当然外国の方の手をかりる部分が出てくるのだろうと思いますが、新日本人的な考え方の中に、その部分をどう我々はとらえていけばいいのか。そして、せっかく日本に定住をして日本のために今後やってもらう、それは能力、頭脳にかかわらずですね。そこの、どちらかというと、日本人というのは単一民族国家ですから民族主義に走りがちなんですが、先生のお考えでは、どこまでその部分を新日本人として含めてお考えになっているのか、お聞かせを願いたいのです。
  73. 田中明彦

    田中参考人 これも、断定的なお答えをするのはなかなか難しい問題であります。  ただ、私は、今後の日本の活力にとって決定的なのは、これは世界から見るとやや日本人の利己的な面が出ないわけでもないのですが、決定的な面は、各分野で能力のある人が日本にどれだけ来てくれるかということだろうと思うのです。  いわゆる単純労働というところの労働力が足りないから、ここを外国から来ていただく人で補うというのは、世界の各国の外国人労働者政策を見れば、それなりにいろいろなところで行っていますから、いろいろ工夫はできるかと思いますけれども、ただ、そちらを余り重視する必要は私は今の段階ではないと思っています。単純労働といってもこれはある種のサービスですから、その需要がふえて供給が足りなくなれば市場メカニズムでそれなりに調節するというところがあります。ただ、能力がある人に来てもらうというのは、日本の中で幾ら来てほしい来てほしいと言っても、それなりに制度を整えなければ、世界にもっと行きたいところがあるわけですから、私はどちらかというと、日本国民が考えるべきは、そちらにまず重点を置くべきだろうと思います。  ただ、そうはいっても、もちろん人口全体が減少する中で、いろいろな面で労働力の足りない面が出てくるとすれば、その点についてはやはり、それなりに各国の外国人労働者政策等を検討した上で、できるだけ合理的な形の政策をとるということにするしかないのではないかと思います。
  74. 中山太郎

    中山会長 以上で近藤基彦君の質疑は終了いたしました。  次に、松浪健四郎君。
  75. 松浪健四郎

    ○松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。  田中教授におかれましては、長時間にわたって有意義な御意見を賜っておりますことに心から御礼を申し上げたいと思います。多くの委員からいろいろな質問がございました。私が最後のバッターということで、ほとんどのことが質問されたなというような印象を受けております。  この秋の夜長を私はオリンピックで楽しませていただいておるところでございます。オリンピックは、オリンピックムーブメントとして百年前から始まった。若人の祭典であり、また平和の祭典として世界じゅうが沸き上がり、そして日本の選手の活躍を日本の皆さんも楽しみにしていらっしゃるわけです。特に今回のオリンピックでは日本の女子選手の活躍が目覚ましくて、昨年成立いたしました男女共同参画社会基本法も一つ影響を及ぼしているのか、こういう御意見を述べられる方もいらっしゃいますが、実は、私は、女子選手が活躍すればするほど心を痛めるものであります。  なぜ心を痛めるのかと申しますと、オリンピックというのは、平和運動でありながら、実はキリスト教の支配で行われている平和運動なんだ。はっきり申しますと、イスラム教の女性のほとんどが、肌をあらわにしてはいけない、裸体あるいは体の線をさらしてはならないということから、スポーツに興じることができないわけであります。したがいまして、オリンピックの女性種目というのは、世界の三分の一の女性たちが指をくわえて見ておらなければならないという状況にあります。  そして、そのことに多くの皆さん方は実は気づかれていないのです。なぜ気づかれていないのかといえば、特に私たちは、イスラム諸国のことについて余り心を配るというようなことはございませんでした。  そこで、八〇年にイランでイスラム革命がありました。そして、イラン・イラク戦争が長く続いたわけです。この戦争は大変な犠牲者を出しましたけれども、NATO軍あるいはアメリカが手を出すということはなかったわけであります。この両国は産油大国でありながら、なぜアメリカやヨーロッパは手を出さなかったのか。そして次に、申すまでもなく、イラクがクウェートを侵略するあの湾岸戦争が起こりました。アメリカを中心とする多国籍軍が出ていった。まず、この違いを、国際政治学者であられる田中教授にお尋ねしたいと思います。
  76. 田中明彦

    田中参考人 それでは、お答えさせていただきます。  まず、先生おっしゃいましたように、日本社会におけるイスラム文化に対する理解が十分でないということは、私も全く同じ考え方であります。世界においてイスラム教を信ずる人々の信仰、それから文化ということについて、日本人の多くが認識を深めなければいけないというふうに私は思います。  東アジアには余りイスラム世界影響がないというふうに考えるのも一面的過ぎまして、言うまでもなく、インドネシアというのはイスラム人口の最も多い国であります。それから、マレーシアもそうです。ですから、日本が東南アジア諸国の方々とつき合う場合でも、イスラム文化に対する理解というのは非常に重要だろうと思います。それから、それ以外の面でも、今オリンピックの例を挙げられましたけれども、私ども、気を配らなければいけない面も多々あるというふうに思っております。  それで、御指摘のイラン・イラク戦争については、ほとんどの国は、アメリカ初め国際社会は傍観していたのに対して、湾岸戦争ではいきなり関与したのは一体どういうわけかということでありますけれども、これは私の国際政治の勉強の面からいえば、理解はそれほど難しくはないわけです。  もちろん、道義的にいいますと、アメリカにしても国際社会にしても、イラン・イラク戦争の犠牲者には大して関心を持たなかったのに、イラクのクウェート侵攻に対しては突如として怒ったのはどういうことかということについて、問題があり得ることは当然だろうと思います。ただ、これもまた国際政治の現実で、国家運営の現実だろうと思いますけれども、個人として持つべき道義的な原則を全面的に適用して国家運営は恐らくできないわけですね。  特にイランとイラクの場合は、アメリカにとってみれば、イランはイラン革命の後、大使館で人質をとった国でありますし、それからイラクが特にアメリカにとって望ましい国であるというわけでもない。それから、両国ともそれなりに強国であります。そうすると、この両者の間の戦争に関与するというのは相当な決意が要るわけです。その場合に、アメリカ国民の血を流すだけのことがあるかということを考えると、当時のアメリカの政府はそういうことではないというふうに多分判断されたのだと思います。  これに対して、イラクのクウェート侵攻というものは、恐らくこれは冷戦が終わってから起きたということがかなり重要だと思うんです。イラン・イラク戦争の場合は冷戦中ですから、関与するということになりますと、ソ連との関係も考えなければいけない、そういうこともあったと思います。それに対して、湾岸戦争の場合は冷戦が終わっている。そうすると、アメリカとしてみると、イラクの行動に対して何かやったときに特にソ連が猛反発するということでもない、そういう状況のもとでの現実的な判断が一方であったと思います。  もう一つは、イラン・イラク戦争が力のそれなりに拮抗する国同士の戦争であったのに対して、イラクのクウェート侵攻というのは一方的な占領ということで、明白な国際連合憲章違反であるということを立証しやすいということがあったかと思います。ですから、そういうところが国際社会の反応の背景にあったのではないかと思います。
  77. 松浪健四郎

    ○松浪委員 それで、湾岸戦争の折には、我が国民は一滴の汗も流さず、一滴の血も流さず傍観しており、そして結局は、要請を受けて、おおむねほとんどの戦費を日本が出すという形になりました。しかしながら、悲しいかな、このことはどの国もそれほど感謝をせず、日本はお金だけで片づけた、こういう批判がございました。  しかし、我が国の憲法からするならば、結局は集団的自衛権、この問題があって、お金を出す、そしてそういう形で処理する方法しかなかった、これが結論であろうかと思いますけれども、田中教授はどのようにとらえていらっしゃいますか、お尋ねしたいと思います。
  78. 田中明彦

    田中参考人 湾岸戦争のときの日本の対応ということになりますと、もう十年になりますから、そろそろ歴史的研究の素材であろうかと思います。  私は、湾岸戦争が起きたときの日本国民は、感情的といいましょうか、心の中では、こういうイラクが行ったような一方的な侵攻というのはやはり許してはいけない、そういう気持ちは多くの国民が共有していたのだと思います。ただ、残念なことに、それまでの日本政治体制の中で、今までの議論その他の積み重ねの中で、多くの国民がこれはどうしたらいいのか非常に悩んで、結局、これをやれと言う人もいるし、それはだめだと言う人もいるというような形で、最終的に日本国民全体がどうも決断できなかったということだろうと思います。  私自身は、湾岸危機が起こったときに、相当な協力を国連に対してすべきであるというふうに思っておりましたし、その当時も幾つかの機会に申し述べたことはありますけれども、今から振り返って、ある種歴史研究の素材として見ますと、そのときの日本にとってみるとなかなか容易ならざる決断で、もちろん政治的リーダーシップがもうちょっとしっかりしていればよかったということは後になってみると思いますし、当時も実は私はそう思っていたわけですけれども、最終的に百三十億ドルという形になるというのは、それまでの日本政治の仕組みからすると、しようがなかったのかなという感じがします。  これを契機に国連の平和維持活動への参加の議論が深まったこと自体は、やはりこのときの経験が生きているわけで、私は、今後もさらにこの議論を深めていただきたいというふうに思う次第であります。
  79. 松浪健四郎

    ○松浪委員 とにかく、我が国がこれだけ高度経済成長を果たし得たのは、安価な原油、天然ガス等を輸入することができた、つまり、この国のエネルギー政策がうまくいった、こういうふうに私自身はとらえるものであります。  しかし、世界の流れから見まして、ダムを取り壊す、そして原子力発電をできるだけ減らしていく、となりますと、どうしても天然ガスや油に頼らなければならなくなってくる。となりますと、イスラムの諸国は連帯感の強い関係にありますから、湾岸戦争の折、百三十億ドルという大きなお金ではあったけれども、それを出したことによって日本の信頼というものをつなぎとめることができた、こう思っているわけですが、あと数十年もしないうちに中近東のこの地域のエネルギーも枯渇してしまう。となれば、カスピ海沿岸の天然ガスや油に頼らざるを得ない。  そうしますと、地理的に考えても、カスピ海沿岸の油や天然ガスを我が国に運ぼうとすれば、パキスタンとインドの関係、そしてアフガニスタンの内乱、これらを鎮静化、また平和に導くために我が国が努力をしなきゃいけない。しかも、アフガニスタンとアメリカ関係というのはうまくありません。となりますと、日米同盟を結んでいる日本として、責任上、何としてもアフガンの和平に尽くさなければ、将来の日本のエネルギー問題というのが大変心配になるわけですけれども、それらのことについて、田中教授のお考えをお尋ねしたいと思います。
  80. 田中明彦

    田中参考人 まず第一に、日本のエネルギー政策としまして、長期のエネルギー供給の安定ということは非常に重要であることは言うまでもありません。そのために、世界のエネルギー供給の源である地域の平和と安定ということが日本の長期のエネルギー政策にとって重要になるということも論理的なつながりがあるわけであります。  その点から考えますと、日本が中東世界に対して、中東和平交渉が進むようにできるだけの努力をするということも当然であります。ただ、もちろん、そこには今までの関係の薄さとかいろいろなものがありますから、限界があるということも十分認識する必要があると思います。  そして、今後のことを考えますと、今松浪先生がおっしゃったような、中央アジアからカスピ海沿岸地域の平和、安定化ということが、日本のみならず、世界にとって重要であろうかと思います。ですから、その観点からいって、今松浪先生がおっしゃったアフガニスタンの和平に対して、日本ができることがあればできるだけのことをする。それから、環境的な要因として見ると、直接油は出ませんけれども、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンというようなアフガニスタンとつながる地域の安定のために、日本としてどういうことができるかということは真剣に考えていかなければいけないことだというふうに私も思っております。
  81. 松浪健四郎

    ○松浪委員 どうもありがとうございました。
  82. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  田中参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。調査会を代表して、心から厚く御礼を申し上げます。  午後二時から調査会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後二時一分開議
  83. 中山太郎

    中山会長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、欧州各国憲法調査議員団を代表いたしまして、御報告を申し上げます。  先般、私どもは、ドイツ、フィンランド、スイス、イタリア、フランスの欧州五カ国の憲法事情について調査をいたしてまいりました。  この調査の正式な報告書は、議長に対して提出することになっておりまして、現在鋭意作成中でありますが、私ども調査議員団は本調査会のメンバーをもって構成されたものでありますので、この際、御参考までに、調査の概要につきまして、私から簡単に御報告いたします。  調査議員団は、私を団長に、会長代理の鹿野道彦君を副団長といたしまして、葉梨信行君、石川要三君、中川昭一君、仙谷由人君、赤松正雄君、春名直章君、辻元清美君の九名をもって構成されました。なお、この議員団には、事務局及び国立国会図書館職員のほか、四名の記者団が同行いたしました。  私ども一行は、去る九月十一日午前、最初の訪問地であるドイツのカールスルーエに向かい、ドイツ連邦憲法裁判所において、リンバッハ長官及びシュタイナー裁判官から、事前に送付しておいた当調査議員団の関心事項を中心に、ドイツにおける憲法裁判制度について概括的説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。  ドイツでは、戦後、基本法が四十六回改正されているわけですが、議論は、この四十六回の改正のうちの主要な改正の概要と背景のほか、政治的判断を行う憲法裁判所裁判官の中立性確保の問題、連邦軍のNATO域外への派兵の合憲性に関する判決の問題、兵役義務と良心的兵役拒否の制度の実態など、極めて多岐にわたりました。  その中でも特に印象に残ったのは、リンバッハ長官が、民主主義は多数決だけに限らない、私どもの方が立法者よりも我が国のよい将来について考えることができる場合もあると断言した点でありました。  カールスルーエからフランクフルトへの帰路には、良心的兵役拒否者が働くラーゲンの養護施設に立ち寄り、ライマー所長及び三人の青年の話を聞きました。ここでは、ドイツでは、良心的兵役拒否者が年間約四十三万人の対象者全体の三五%に上っており、さらに今後十年のうちに四〇%を超えるものと予測されていること、良心的兵役拒否者による社会福祉サービスは社会福祉の分野での貴重な労働力となっており、大きな政治課題となっていることなどの点に大変興味を引かれました。  翌十二日は、ベルリンに向かい、到着後すぐ大使公邸において、フィンランド大使館から招致した書記官より、フィンランド憲法に関する説明を聴取いたしました。フィンランドでは、今年の三月から全面改正された憲法が施行されており、その全面改正の背景と経緯について調査をいたしました。  今回の全面改正は、九〇年代に入ってから毎年のように行われてきた憲法改正を体系化するために行われたものであること、内容的には国会の権限強化と大統領権限の制限に主眼が置かれたことのほか、情報アクセス権の規定や非常事態に関する規定などについての説明も聴取いたしました。  なお、ドイツとの対比で、兵役義務とその良心的自由による兵役拒否の制度について尋ねましたところ、十八歳からの徴兵制度を設けており、良心上の理由による兵役拒否者は全体の約八%程度であるとのことでありました。  同日の午後はドイツ連邦議会を訪れ、与党SPD、社会民主党法務部会長のハルテンバッハ議員から、ドイツ基本法の改正状況及び運用実態について説明を聴取しました。  ここでも、四十六回に及ぶ基本法改正の背景と概要、連邦軍のNATO域外への派兵問題のほか、政教分離、国家の安全保障、庇護権(他国の迫害を受けて自国の管轄権内に避難してきた政治的亡命者等について、他国によるその引き渡しの請求を拒否する等その者を保護する権利)、外国人の地方参政権といった諸問題について、我が国での問題関心と対比させながら、積極的な質疑応答が行われました。  会談終了後の同日夜、直ちにスイスのベルンに向かい、翌十三日午前中は連邦議会のギジン議員ら四人の憲法改正委員委員及び事務局幹部から、また、同日午後は憲法改正草案を作成した連邦司法警察省のルチウス・マーダー憲法・行政部長から、今年一月から全面改正されたスイス憲法の特徴と概要について説明を聴取いたしました。  スイス憲法に着目したのは、一八七四年の旧憲法制定後の百四十回もの改正、平均して毎年一回以上の改正が行われてきたわけでありますが、昨年、それらを整序した全面改正が成立し、今年一月から発効しているといった事情にかんがみたものであります。  スイスでは、1直接民主制の発現形態である国民投票制度の意義と問題点や、2四十二歳まで義務づけられている国民皆兵制の運用実態のほか、3科学技術の進展の中で人間の尊厳をいかにして確保していくかといった二十一世紀的観点から、生命倫理に関する詳細な規定が設けられている点が特に議論になりました。  翌十四日は、イタリア・ローマの大使公邸において、イタリア在住の塩野七生さんから、1古代のローマ人は法をどのように考えていたか、2塩野さんは日本国憲法をどのように考えているかといった点に関するお話を聞いた後、懇談をいたしました。  塩野さんは、1神によって与えられた神聖不可侵な法律に人間を合わせるといったユダヤ法との対比において、ローマ人の法観念は、人間に法律を合わせる、いわば普通の法であったことを述べられた後、2私見として、日本国憲法については、押しつけだからとか普通の国にするためといった理由からではなく、普通の憲法にするために改正するべきだ、そのためには九十六条の厳格な改正手続を緩和するといった一点だけに絞った改正を行うのが現実的であるといった点を強調されました。  これに対し、我が議員団からは、1ローマ帝国における統治の実態や、2九十六条に絞った改正提言の是非などについて質問が相次ぎ、議論は和やかなうちにも白熱したものとなりました。  翌十五日は、イタリアの憲法裁判所及び下院憲法問題委員会を訪れました。イタリアでは、一九四八年施行の現行憲法がこれまで十回改正されております。  まず訪問した憲法裁判所では、ミラベッリ長官ほか四名の裁判官からイタリアにおける憲法裁判の制度及びその実態について説明を聴取した後、質疑応答をいたしました。ここでは、1憲法裁判所への提訴権者や違憲判断の基準、2憲法裁判所裁判官の政治的中立性の確保の問題、3祖国防衛義務に関する国民の意識などについて、予定の時間を超過して議論がなされました。  特に、祖国防衛義務に関する国民意識について、軍事的に祖国を守る義務という意識から、社会福祉サービスなど民間代替措置を認めた憲法裁判所の判決などを契機として、社会公共に対する連帯義務としてとらえられるように変化してきており、現在では、軍隊についても、平和を維持するための道具、人権を守るための道具として位置づけられるようになってきていると述べられたことなどは、注目すべき点だと感じました。  引き続いて、下院憲法問題委員会にイェルボリーノ委員長らを訪ねました。  ここでは、戦後憲法のもとでの安全保障問題のほか、イタリア憲法が保障する地方自治の制度と地方自治体に対する中央政府の監督権の制度との関係、さらにはヨーロッパ統合、特に通貨統合などに象徴される国家主権の一部委譲の問題といった個別的、専門的な質問や、現在提起されている憲法改正の動向などといったすぐれて現実政治に密着した質問が提起され、イェルボリーノ委員長から実に熱のこもった説明を受けました。  訪問最終日の十八日の月曜日には、フランス国民議会及び憲法院を訪ねました。  フランスでは、一九五八年制定の現行憲法がこれまで十三回改正されております。  まず、午前中に訪れた国民議会では、ラゼルジュ副議長、パント議員らと会談し、1二十四日に行われる最もホットな大統領任期縮減に係る憲法改正国民投票の問題その他フランスにおける憲法改正の経緯のほか、2人権宣言の母国フランスにふさわしく、人権と社会公共の義務の調和の問題、3そのような観点から憲法教育はどうあるべきかといった問題などについて議論が繰り広げられました。また、統治機構の分野でも、4国会の立法権が憲法上限定されている点や、5大統領と首相とに行政権が二元的に帰属している点、いわゆる保革共存政権などが取り上げられました。  その後、予定の時間をかなり超過しながら、引き続いて、生命倫理の問題、三十五時間労働法制の実態、少子高齢化に係る諸問題などについても、日本フランス両国の制度を比較しながら熱心な議論が行われました。  この懇談の中で特に印象に残ったのは、日本で十代の青少年の殺人事件が増加していることとの関連で、青少年教育と将来の国家像に関する質問をした際に、ラゼルジュ副議長が、若者に法律を守るように求めても、そこに明るい将来があるという保障がなければ法律を守ろうとする気にはならないだろう、私たち政治家は、法の遵守の大切さを学ばせると同時に、困難な状況にある若者たちに明るい将来を提示する、そのための社会的、経済的な政策を講ずる、そういう責務があると述べた点でありました。  同日の午後は、最後の訪問先であるフランス憲法院を訪ね、フランスにおける憲法問題の最高権威であるギュエナ総裁、ヴェイユ委員、コリアール委員と懇談をいたしました。フランス憲法院の合憲性審査が法律施行前の事前的審査に限られていることや一般国民からの提訴権がないことは、コンセイユ・デタや破棄院など他の裁判所との間で権限分配がなされていること、また、フランスの現行憲法が一七八九年人権宣言を援用していることなどは、フランスの歴史を背景にしたものであること、最近では憲法院が人権保障機能を発揮するように変貌していることなどについて説明、質疑がなされました。  以上のような極めて多忙な日程を消化し、私ども議員団は、去る九月十九日、帰国いたしました。  ごく短期間の調査でありましたし、また、各訪問国における調査事項が極めて多岐な問題に及びましたので、ここで結論めいたことを申し上げることは到底不可能なことではありますが、しかし、一言だけ所感を申し上げるとすれば、ドイツの憲法である基本法は四十六回、スイスの旧憲法は百四十回、イタリアの現行憲法は十回、フランスの現行憲法は十三回、それぞれ改正を経ており、訪問したすべての国において、憲法が不磨の大典ではなくして、現実の社会の中で生きているということ、しかも、政治の具体的な課題が、まさに憲法の条文をめぐって公明正大に議論されているということについては、立場の違いを超えて、共通の認識に達したと思います。  この調査の詳細をまとめた調査報告書は、議長に提出し次第、委員各位のお手元に配付いたす所存でございますので、本調査会の今後の議論の参考に供していただければと存じております。  最後に、今回の調査に当たり種々御協力いただきました各位に心から感謝を申し上げますとともに、充実した調査日程を消化することができましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。まことにありがとうございました。  以上、簡単ではありますが、このたびの海外調査の概要を御報告させていただきました。     —————————————
  84. 中山太郎

    中山会長 日本国憲法に関する件、特に二十一世紀日本のあるべき姿について調査を続行いたします。  午後の参考人として作家小田実君に御出席をいただいております。  この際、小田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中にもかかわらず御出席を賜り、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、参考人の方から御意見を一時間以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、発言する際はその都度会長の許可を得ることになっております。また、参考人委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  御発言は着席のままでお願いいたします。  それでは、小田参考人、お願いいたします。
  85. 小田実

    ○小田参考人 まず最初に、発言の機会を与えてくださったことを、皆さん方の努力によって実現したことを感謝します。  私は、これを引き受けた理由というのは、二十一世紀、これからの日本、我々の国はどうあるのか、どうあるべきなのかということをまず踏まえて、その上で議論をするという趣旨だったので引き受けたのです。私も、日本の市民の一人として、これからの日本は一体どうあったらいいのかということを考えている最中です。そのこともあって、これを引き受けたのです。皆さん方も考えていらっしゃるでしょう。  この間、森総理大臣も、これからの日本のあるべき姿はIT革命の日本であるというようなことをおっしゃったのですね。実は私は、一週間前までインドにいたのです。インドで、まさにインドのIT革命の本場を見て、これでは困るのじゃないかということをつくづく感じた次第です。また、その前はイランに行って、イランの憲法制定委員会の委員長格の人物です、その方にも会って、一体どうなって今のイラン憲法はできたのだという話もした次第です。それぞれの国がこれからのあるべき姿を考えている。  その前、私は、委員長が今報告がありましたようなドイツの状態を、テレビの番組の制作上出かけて、それからアメリカ合衆国にも出かけて、いろいろな国で今模索している最中なんだということをつくづく感じた次第です。  それでは、私が考えている日本のあるべき姿、そのことを述べて、皆さん方の質問を受ける形で答えたいと思います。  私が今考えていることは、これからの日本は、良心的軍事拒否国家として生きるべきである。その生きる手だてとかあるいは力を今日本は持ってきているのだ。かつては持っていなかった、残念ながら。今、持ってきたのだ。そういう時期に今来ているのだ。それから、世界の情勢もそうですね。  そういうことも考えながら、私は今の日本のあるべき姿を、根本的にはいろいろなことがあるけれども、もちろんIT革命も必要でしょう、しかし、その根本にはもっと大きな理念を持ったあるべき日本の姿を構想していく必要があるだろう。それは良心的軍事拒否国家なんだということを私はずっと考えていたんです。これは本当にそういう時期に来ているんじゃないか。こんなものはすぐできるわけがない。長期展望として、しっかりそれを把握してこれから議論していく必要があるだろう、あるいは憲法の問題も。早急に、あっちがやっているから、こっちがやっているからというような調子でやっては困る。  これはドイツの社民党、緑の党員が、有力議員が私に言っていました。コソボが始まった、そらってみんな追いかけ回った、それでこういう憂き目に遭ったんだということを、非常に痛切な後悔の形で社民党、緑の有力議員が私に述べていました。そういうこともあるので、せっかちにしないで長期展望を立てようじゃないかということなんです、私がこれを引き受けた次第は。  それでは、良心的軍事拒否国家というのは一体何だということをこれから申し上げたいのです。そうすると、今のところ、この憲法が一つのよりどころである。この私たちの持っている日本国憲法、そこの一つの原理というのは平和主義なんです。この平和主義を非常に大事にして、これを基本に考えながら世界構想を立てようじゃないか、あるいは日本の構想を立てようじゃないかというのが私の考え方です。  しかし、今までのようなやり方でなくて、狭い範囲じゃなくて、もっと大きな、世界的構想の中で日本のあるべき姿を考えながらこの憲法を考えていくという形で、我々はこれから議論をする必要があると思うんです。そうしたやり方が今まさに世界的に求められているということを、私は世界各国を歩きながら考えた次第です。そしてまた、これが今実現できるような力を我々はやっと持ち出したんだ、お互いの問題としてそれを少し考えたらどうだ、それこそ、党派の別を超えてお互いに考える必要があるだろう、それで私はこの機会を引き受けたのです。  平和主義というのは、ただ平和が好きだとか平和愛好家であるとか、あるいは日本国憲法をやみくもに守れとか、護憲、護憲と叫び回っているのではありません。もう少し根本的な原理なんです。  それは、戦争には正義がないんだ、結局のところ、正義はどこかへ崩壊してしまうんだ。戦争戦争によって解決しないんだ。戦争戦争を生み、平和を生み出さない。戦争と軍備を否定して、問題紛争の解決を、武力を用いないで非暴力の手段、方法によって行おうとする理念と、それからもう一つは、その理念の実践なんです。この理念と実践があって平和主義というのがあると思うんです。このことはなかなか実現は難しい。今でもなかなかできない。しかし、この理念と実践を念頭に置いてこれからの行動を組み立てていく、これからの日本の姿を組み立てていくことが必要ですし、今その時期に世界は来ている。それからまた、日本は力を持ってきているということなんです。  私はここでユートピアの夢を語っているつもりはないんです。あるいは宗教上の信念を述べているのでもありません。私は内村鑑三ではないんです。私は、現実の事態に即して、今まさに世界に展開されている現実の事態に即してこの主張をしています。そこを誤解しないでください。私が勝手にひとりよがりの理念を述べているのじゃなくて、私はあくまで現実の事態に即して話をしようとしています。  それはどういうことかというと、調査会の方々が行かれたように、今まさにヨーロッパにおいて良心的兵役拒否というのが、実は歴史をもって実現してきているんだ、このことに着眼したいと思うんです。良心的兵役拒否、これはまさに、今調査会の方々がドイツを中心として行かれてきて、その現実を把握されてきた。この事実が一番大事だと思うんです。  私は、そこをひっかかりにして、なぜこういうことが起こってきたのか、なぜそこから理念が生じ、実際の法制度としてなぜ活用されているのか。法制度として活用されているわけです。制度としてでき上がっているんですよ。単にひとりよがりの、だれかが夢を語っているのではなくて、既に法制度として確立されて履行されてきているんだということを皆さん方は一緒に考える必要があると思うんです。これは夢を語っているんじゃないんだ、法制度でやっているんだということなんです。このことに我々は着眼する必要がある。  一つ国家の中でやっていることを、我々は国際的に広がって考える必要があるだろうというところまで世界の事態は来ているんです。余りにも戦争を繰り返してきたとか、いろいろなことがありますから、ここで根本的に反省が今起こっている最中なんです。  このところで一つ申し上げておきたいのは、実は、西欧諸国の軍隊の考え方は古代アテナイの民主主義国から来ているわけです。  古代アテナイの民主主義国の観念というのは、市民社会というもの、ポリスというのを皆さん方は都市国家と訳されていますけれども、これは誤訳です。やはり市民国家と訳すべきだと私は思います、私は西洋古典学を専攻したんですけれども。西洋古典学を専攻した一人として言うことは、ポリスというのは、都市国家というのは単に町の構造の観念です。しかし、もっと政治形態に繰り込んでいくと、それは市民国家である。  ポリスの成因は市民国家なんです。そうすると、ポリスを成立させるためにはどうするかというと、奉仕活動をする必要があると。ギブ・アンド・テークで金もうけをしていくことはできない。我々は自分の利害を超越して一つの共同体を形成していく、それが市民社会なんです。それぞれが奉仕活動をする、サービスをする。その主眼になるのがもちろんシビルサービス、市民的奉仕活動をするんですね。政治的参加をするとか、古代アテナイはいろいろなことをやっています。  しかし、一たん事あったらどうするか。そこには、結局のところ、市民が市民を守るしかないんだ、王様の軍隊があるわけじゃないし、外国の傭兵があるんじゃない、我々自身が戦わなきゃいけないという観念が出ます。これがミリタリーサービスなんです。  ミリタリーサービスをするためには、市民がそれぞれのことをしなきゃいけないということで、このミリタリーサービスは義務であり、そしてまた権利なんですね。市民の権利なんです。そういうところで形成されてきた軍隊の観念、それが実は問題を起こしていくんです。  それは、結局のところ、猛烈な侵略戦争を敢行します。古代アテナイは猛烈な侵略戦争を敢行した。ペロポンネソスとの間に、二回ぐらい物すごい侵略戦争をやっています。だから、ギリシャの民主主義は侵略の上に成立しているというのが昔からの、古来の学者の説だし、私も同意します。そういう中で行われてきたんです。  しかし、同時にまた、市民が市民を守る観念、この観念は非常に強く西欧社会に引き継がれてきた。だから、そこでの観念というのは市民皆兵なんです。国民皆兵という言葉よりも、私は市民皆兵なんです。それは徴兵という観念じゃありません。徴兵というのは、何か懲罰の徴、あるいは、兵役という言葉は、苦役の役がついているからろくでもない。彼らの観念の中ではサービスなんですよ。軍事的奉仕活動をするものとしてあるんだ。これは市民の権利であり、義務である。それでやってきたんです。だから、結局、西欧社会の軍隊にはそれがある。  しかし、それを根本的に否定するような良心的兵役拒否の観念がなぜ出てきたか。これは大変おもしろい問題だと思います。  我々は、兵役というとすぐ天皇制の軍隊みたいになっちゃうけれども、彼らは建前としては民主主義の軍隊ですね、古代アテナイから来た。一つには、歴史的にその名前において猛烈な侵略戦争をしてきたということがあります。このことの反省が一つある。  それからもう一つは、結局のところ、戦争戦争を生み、そして正義の戦争と称しているものは、古代アテナイの例が示すように、大抵不正義の戦争、大抵インチキであったという歴史的な事実があります。これは繰り返し繰り返しやってきた。  こういうことをやめなければだめなんだという観念が第二次世界大戦後に猛烈に出てきたんです。それは第二次大戦に対する反省なんです。第二次大戦は、西欧側は正義の戦争を戦ったんだけれども、しかしそれでも反省が出てきた。ましてドイツは不正義の戦争をしました。不正義の戦争を猛烈にやったあげくに、今度は自分たちがひどい目に遭う。何のためにやってきたかわからない。そういう中で、大きな観念の改新が行われる。観念の改新が行われるのは、やはり戦争というものをやめないとだめじゃないかというのが出てくる。  そこへ、東西の対決の第一線になって、当時の西ドイツは結局のところまた軍隊をつくらされる。軍隊をつくらされたときに一番かなめになったのは、そういう戦争の繰り返しに対して拒否する自由、それを求めないとだめなんだと、良心的兵役拒否が大手を振ってそこへ登場してくるわけです。  これはおもしろいことに、東ドイツにおいても良心的兵役拒否の制度は一応あったんです。しかし、これは形骸化されたことは事実なんです。しかし、一応持っていました。そこのところを忘れてはいけない。どっちへでも、これは大変なんだということが出てくる。  やはりここで、戦争に対して根本的に違う観念に立たないといけない。古代アテナイ以来、軍隊というものが市民社会を守るためにあるんだという観念でやってきたのが、こういうことを繰り返している限り戦争が続いていくんだということが非常に痛切な形でヨーロッパに出てくる、殊にドイツにおいて出てきたという事実があります。このことは非常に大事だと思うんです。  そこへ持ってきて、もう一つ大事なファクターがあったんです。この大事なファクターは何かというと、それは、科学技術の進歩と工業生産の発展によって猛烈な武器が出てくる。その一番の象徴が核兵器です。核兵器が出てくる。核兵器以前でも、猛烈な殺し合いの中で大武器が出てくる。この武器が出てくるというのは、これは何だ。猛烈な武器で殺し合いをしている限り、正義の戦争もヘチマもなくなる。正義の戦争を振りかざしてやっているうちに猛烈な殺し合いをする。猛烈な殺し合いをすれば、一体何のために戦争をしているんだというのが第二次世界大戦で猛烈に出てきたと思うんです。これは大事なことだと思うんです。そして全体に対する反省が出てくる。  それから三つ目にあったのは、これはドイツにおいて一番激しく出てくるんですけれども、人間にとって精神の自由が一番大事だ。この精神の自由を踏みにじるような形でナチ・ドイツが成立し、全体主義が成立する。国家の観念よりも個人の精神の自由が大事なんだ、個人の自由が大事なんだ。これを踏みにじられたときに国家がむちゃくちゃする、これは一番いい例がナチ・ドイツです。  やはり精神の自由を重んじようじゃないかということで、どんな理由があろうと自分個人の精神の自由は踏みにじられることはない、それをドイツ基本法は規定しています。ドイツ基本法は非常に重要な観念として規定しています。すなわち、個人の精神の自由に反して武器を持たされることはないということもドイツ基本法は規定する。それによってドイツ基本法は成立するんですね。  それは三つあります。  繰り返して言いますと、一つは、戦争の繰り返しをもういいかげんにやめなきゃいけない。正義の戦争は大抵まやかしである。これは歴史的レッスンなんだ。だから、今までのやり方とは違うやり方でこなきゃいけない。  二番目に出てきたのは、余りにも科学技術が進歩し、それから工業生産が発展することによって、猛烈な殺し合いの道具が出てきた。戦争をする限り、正義の戦争も何もかもめちゃくちゃになるということを痛感した。  それから三つ目に出てきたのが、精神の自由が大事なんだ。個人の自由というものを重んじようじゃないか。国家の命令によって戦争に行けといっても、私は違うんだ、違う観念に立つんだということを許そうじゃないか。それこそ人間の基本であるという観念です。この観念は、ヨーロッパの昔からの自由の観念に結びついて非常に強力に出てくる。  三つの思想的風土というのが第二次世界大戦で形成されて、殊にナチ・ドイツの歴史を持つドイツにおいて猛烈に出てくる。そして、この二つがあるんですね。法制度化していく精神の動き、社会の動き一つそれが出てくる。それから、それを受け入れていく社会風土、これは猛烈に出てきているということなんです。  例えば、一例を挙げますと、私はこの間随分いろいろなドイツの議員たちと会ったけれども、何人かは良心的兵役拒否をやった人なんです。しかし、そんなことは当たり前のことで、私は良心的兵役拒否をやったというようなことは言わないです。それは当然のこととして認めているわけで、聞いてみたらおもしろかったですよ。あなたは良心的兵役拒否をやったそうだけれども、ああ、やりましたよという感じですね。それは当然のことなんです。だから、そういうことは問題にならない。問題にならないぐらい当然のこととして受け入れている。  それで、調査会の方々が福祉施設に行かれましたね。福祉施設に行かれたら、老人介護というのはまさに良心的兵役拒否者によって成立しているわけですね。そういう状態に今なっています。老人介護の問題になると、いろいろな数字があるけれども、今の全体の作業者の中の一一%から一八%ぐらいの割合が良心的兵役拒否なんです。その人たちが支えているんです。それは当然のことになっている。それを白い目で見るとか、そういうことはもうないんです。ドイツ国防省の発表よりも、私の調査したところでは、良心的兵役拒否の数はもう少し多いと思うんですけれども、この数字の多少を今論議しても仕方がない。そういうふうに今なってきている。  これは一番大事なことで、もう一遍話を戻しますと、良心的兵役拒否の中で一つの大きなかなめは何かとなると、これは銃をとらないというだけじゃないんです。良心的兵役拒否の人たちは、銃をとらないだけだったら得をしますね。つまり、兵役につかないで遊んでいればいい、自分の仕事をしていればいい、そういうことは絶対ないですよ。それはなぜかというと、良心的兵役拒否者は社会奉仕をする、市民的奉仕活動をするんです。つまり、兵役につく人たちはミリタリーサービスを社会に提供する、それに対して、良心的兵役拒否者はシビルサービスを提供するんです。つまり、非武装の、非暴力の市民的奉仕活動を社会に提供する。こういう形で良心的兵役拒否の制度が成立しているということを忘れてはいけないと思うんです。つまり、手をこまねいてただ銃をとらないだけでいるわけではないんだ。良心的兵役拒否者は必ず市民的奉仕活動をするんだ。  これは、ギリシャの古代アテナイ以来、市民社会を成立させるには奉仕活動が要るんだ。一つは市民的奉仕活動、それから軍事的な奉仕活動、この二つで古代アテナイの民主主義が成立していたんです。しかし、今の良心的兵役拒否のあり方というのは、軍事的奉仕活動を私は拒否する、そのかわり市民的奉仕活動は人以上にやるんだ、そのことによって我々は社会に貢献し、世界に貢献するんだ、その考え方が基本にあって良心的兵役拒否が成立しています。ただ銃をとらないだけではないんです。市民的奉仕活動を全面的に引き受けてやるんだ、このことは非常に大事なことだと私は思います。これによって市民社会は成立するんだ。  そこで、市民的奉仕活動をする中身は、今申し上げましたように例えば老人介護をするとか福祉のことをやっている。今、ドイツの福祉は、良心的兵役拒否者の市民的奉仕活動なしには成立し得ないというところまで来ているんです。あるいは、ほかの、例えば救急車の運転手になることもできるし、平和教育を実践している人もいるし、いろいろな形で市民的奉仕活動をします。あるいは、精神病院の看護夫になったりします。  たまたま今から十何年前に、その当時の西ドイツ政府の芸術の文化交流基金を受けて、私は一年間ドイツで暮らしたんです。そして、その後で私は、日本とドイツのいろいろな平和運動の交流も図り、それからベルリン自由大学で教えたりして、たくさんの良心的兵役拒否者と会いました。いろいろな話をします。そしてまた、ヨーロッパのつながりにおいても、別の国の、例えばイタリアの良心的兵役拒否者、そういう人たちにも会いました。そういう話を総合してやっていると、それぞれが市民的奉仕活動をするんだということが結果として出てきます。  そして、私が一つ痛感したことは、この良心的兵役拒否者は単に兵役のかわりの代替労働をしているというようなものじゃないと思うんです。彼らの意識はもうちょっと高い。  それは何かというと、兵役では世界はよくならないんだ、兵役についている限り世界は今までのとおりだ、戦争の繰り返しをやってきたんだから。もうここで我々は世界あり方を変えなければいけない、あるいは社会のあり方を変えなければいけない。その意識があるからこそ兵役拒否をするのですね。そういう意思がなければ兵役につきますよ。今のドイツは一緒になりましたけれども、前は兵役の方が短いんですよ。そういう時期でも、長いのでもいいからおれは兵役にはつかないんだと。  それは、社会をよくするんだ、兵役につかないことによって、戦争を繰り返してきた、軍備に金を使い過ぎてきた、そして、本当は福祉だとかそういうところにお金を回せばいいのに軍備に費やしてきた、こういう社会のあり方、あるいは世界あり方、そういうことをささやかながらでも自分は変えるんだという意識が、私はしゃべってみて、多かれ少なかれあったと思います。これは非常に大事だと思います。  一番痛切にそれを述べたのは、イタリアの良心的兵役拒否者がいまして、これは救急車の運転手をやったわけでございます。彼は非常に明確に述べました。要するに、今兵役についている限り、みんなが兵役についていれば世界はよくならないんだ、同じことだ。結局、戦争はずっと続いていくだろうし、軍備はこれから増強されていくだろう。おれは違うやり方をやるんだ、おれはこの世界を変えるんだ、自分はささやかながらでも変えるための努力をしているんだということを非常に明確に述べました。その明確さは私の心を打ったんですけれども、多かれ少なかれ、しゃべっているとそういうような気持ちがそこにありますね。  そこにあって、変革への志、変革にしたって何も前途に社会主義国をつくれとかそういうやり方じゃないです。戦争のない世界をつくろうじゃないか、軍備のない世界をつくろうじゃないか、軍備のないイタリアをつくろうじゃないか、そういう意欲があるんですね。これは非常に未来に向かっての明るい展望を切り開く見方だと私は考えております。今までのようなやり方で社会変革というと、すぐ何とか主義とか何とか主義とか、そういうのではなくて、全く違う形です。社会主義国はもちろん軍隊持っているんだから、違うやり方でやるんだということを考える人たちがそのまま良心的兵役拒否者の若者たちです。  私はこれに大いに学んだんです。しゃべってみて、なるほど、こういう考え方でいかなきゃいけないんだということなんですね。単に銃をとらない、銃をとらないだけじゃなくて、自分たちの手で市民的奉仕活動をする、その市民的奉仕活動こそが社会を変え、世界を変えていくんだ。それは何かというと、戦争のない、そして軍備のない、軍備に金を使わないすばらしい世界をつくろうじゃないかというのが変革なんですね。  こういう変革の気持ちというのは、気概ですね。私は、彼らとしゃべって考えたんです。その気概はどこから出てきたかというと、さっき申し上げましたように、三つの認識がある。  一つは、歴史認識です。戦争の繰り返し、戦争の繰り返し、これでは世界はよくならない、同じことだと。これは事実そうですね、歴史が示しています。  その次には、今度は世界の武器がめちゃくちゃに発達した。結局は正義の戦争も何もかもないんだ、これをやっていれば。もうおしまいなんだ、だからもうやめようじゃないかと。  それで、三つ目が出てきたのは、要するに個人の自由が大事なんだ、個人の自由を侵されてはならない。一番個人の自由を侵すときは、国防のためだとか祖国を守れとか、そういうときに一番侵しますね。そうしたら、結局のところはみんな戦争に行っちゃう。これではだめなんだ、これを確保しなきゃいけない。この三つが基本にあると思うんですね、良心的兵役拒否の。  そして、それを受ける方も、多かれ少なかれそれを感じ取る、彼らと一緒にやることによって。あるいはそれを持っている。これが一番激しいのはドイツです、申し上げましたように。私は、ドイツで一年余暮らしまして、本当にそう感じたんです。だから、そこのところは非常に大事な認識の問題としてあると思うんです。  だから、拒否することはただ銃をとらないだけのことではないんだ、もっと積極的に持っているんだということを、私たちは私たちの憲法を考えるときにももっと深く考える必要があると思うんです。この憲法はもっと積極的に持っているんだ、単に日本は銃をとらないだけじゃないんだ。これはもっと世界的な大きな意味を持っているという気がします。  実は、こういう私が申し上げた歴史認識、一つは、戦争の繰り返し、繰り返し、繰り返し、正義の戦争を振りかざしての戦争は大体まやかし。それから、戦争戦争を生み、この繰り返しはもうだめだという歴史認識。それから次に出てくるのは、こんなに武器が進歩すると、正義の戦争もヘチマもあるものかという世界認識あるいは武器認識、文明認識ですね。それから三つ目には、個人の自由が大事なんだ。これをやはり私たち日本人は戦争を通じて獲得したと思うんですよ。これは非常に大事なポイントだと思います。これが平和憲法を支えているんだ、平和憲法の底にある平和主義というのは、実はそれに基づいているんですね。  そして、それを支えている気持ち、今でも日本国、どんな人でも憲法は大事ですと言う人は非常に多いでしょう。平和は大事ですと言う人は多いですね。その気持ちというのがやはり、どこか三つの認識、ドイツほど明確に持っていないにしても、日本人は持っていると思います。持ってきたし、今でも持っているだろうと思うんです。これは非常に大事だと思います。  というのは、これは類似の体験を持っているんですよ。つまり、我々は戦争をやった。私の子供のときには、東洋平和の樹立のためやというので、中国人たちに侵略戦争を、年配の方はおわかりだと思うんだけれども、それはまやかしだったでしょう。東洋平和の樹立なのに何で戦争をするんだ、そんなばかなことがあるかというのは当然なりますね、今になってみれば。しかし、東洋平和樹立のためだと。  いつも使われるのは平和の樹立のためでしょう。それからもう一つは祖国防衛。この二つがインチキであることは、もう繰り返して繰り返して行われてきているんです。その祖国防衛の名前において、古代アテナイは猛烈な侵略をしたんです。それから、東洋平和樹立のために我々はやったんですよ。このことのまやかし、これを我々はいや応なしに知ったでしょう。  そして今度は、戦争戦争を生んでいるじゃないですか。我々は、日本軍は中国へ進出していって、やったと思ったら今度は大東亜戦争になって、今度はこてんぱんになる。我々は、まず、殺し、焼き、奪う歴史を他国、他民族に押しつけた。これは事実でしょう、いや応なしに。それで、今度は逆にひっくり返っちゃって、殺され、焼かれ、奪われる歴史を背負い込んだ。前者の歴史を象徴するのが南京虐殺なら、後者を象徴するのは広島、長崎でしょう、当然。これはめちゃくちゃなんです。めちゃくちゃなことを我々は背負わされた。それで、もうこんなことを繰り返してはだめだということをだれも感じたんじゃないですか。  私も、子供のときに、一九四五年の八月十五日でなくて八月十四日の大阪の大空襲を受けて死にかけたんですよ。何のために死んだかわからないですよ。八月十四日ですよ。二十時間前に大空襲を受けて、たくさんの人が死んだ。もうちょっと、二百メートルほど一トン爆弾が外れていたら、私はここにいないですよ。これは何のために死んだかわからない。もうこういうことの繰り返しはやめようじゃないか、この意識を持っているでしょう。ドイツ人も持っているし日本人も持っている。これは大事なんですよ。  それから、その次に、今度は科学技術の発達によって、正義の戦争もヘチマもなくなったということを一番むごい形に持ったのは日本人でしょう。広島、長崎ですもの。要するに、第二次世界大戦において、アメリカ合衆国は正義の戦争かもしれない、それを振りかざした。振りかざして最後の段階で原爆を落としたでしょう。原爆を落としたら、これは一体何のためにやったかわからないんですよ。アメリカ戦争の正義がその一瞬のうちに消えちゃった。これは一体何だと。  そのころ、負けた我々日本人は、侵略戦争をしたとかそういうことがあって何も言えない。言えないけれども、何が正義の戦争だということを我々は感じたんじゃないですか。これは一体何だと。それは、二番目の文明認識を我々は持っています。三番目も、個人の自由が弾圧されてめちゃくちゃな目に遭っている。それで軍国主義の世の中に突入していったんですよ。これも我々も痛感したし、この三つがやはり我々の根幹にはあると思うんですね。それが我々の憲法を支え、我々の憲法を支持してきたということは事実なんです。そして、大事なことは、こういう形で我々はされてきたんだということをもう一遍振り返って考える必要があると思うんです。  ただ、大事なことは、この憲法を見ますと、日本国憲法というのは大変おもしろい憲法だと思うんです。皆さん方、私のような目で一遍ごらんください。私は憲法学者じゃなくて作家なんで非常にイマジネーションの豊富過ぎる人ですけれども、そうやって見ますと、大変おもしろい憲法なんです。  というのは、気概に満ちていますよ。ないものをあるようにしようじゃないかという憲法なんです。憲法第九条が平和主義の一番具現ですね。これが私の言う平和主義を一番見事にあらわしているんですよ。つまり、戦争のない、戦争をしない、軍備を持たない国なんて大体ないよ。世界史になかったし、右向いても左向いても大体ないんじゃないですか。そういう理念を堂々と掲げて、やるんだと。ないものをあるものにしようとする気概がありますよ、この憲法は。私はすごいと思います。その気概に満ちているんです、この憲法は。ないものがわんさとある。しかし、我々はこれからつくっていくんだということが書かれていると思うんです。その気概があって我々の憲法は成立しているんです。  ほかの憲法は大体ないんです、見ていると。私は、世界各国の憲法を全部研究したわけじゃないけれども。イラン憲法に至るまで、この間イラン憲法を見てきたんだけれども、イラン憲法を見たらそれはないですよ。今まであるものを列挙して、これはすばらしい、すばらしいと言っているんですよ。一番悪い例が旧ソビエト、ソビエトの悪口を今ごろ言ってもしようがないけれども、旧ソビエトの憲法ですね。これほどひどい憲法ないよ。自分で自慢しているんですよ。これだけ達成した、これだけ達成したというふうに前文に書いてありますよ。何も達成していないですよ。みんなうそですよ。しかし、そういう憲法ばかりなんですよ、よう見たら。日本みたいに、ないものを書いてこれからやるんだという気概に満ちた憲法はこれしかない。これはすごいですよ。  例えば、憲法の有名な文句があるでしょう。憲法の前文にそれは見事に書かれているわけ。憲法というのは、前文が原理を書いてあるんですよ。原理を具体化したのが九条です。私は、原理が非常に大事だと思うんです。だから、憲法の前文は大事なんですよ。前文があって、そしてそれを具体化したのが九条であり十三条でありとなっていくんだ。それをひっくり返して本末転倒の議論を皆さんなさらないでください。すぐ何条がどうしたこうしたという話ばかりするから。原理から出発する。原理から出発して具体化したのが、九条とか十三条とかいろいろな条がありますね、そういうふうになっていくんですね。そういうふうに議論の立て方をする必要があると思うんです。  そうすると、原理からいうと、例えばこういうことを書いてあるんですよ。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」ということを書いてあるけれども、こんなに見事な世界は出てきていないよ、どこの国も。しかし、それをやろうじゃないかということを呼びかけているわけです。しかも、自分はやるんだということを言っていますよ。自分はやるんだからあなたもやれと。ここの根本は物すごいおもしろい憲法で、ほかの国にやれと号令をかけている憲法はこれしかないよ。それをみんな考えてください。  これはおもしろい憲法なんですよ。これは威張った憲法ですね。負けたものが一番威張っておるんだからすごい。「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、」というようなことを書いて、もっとほかの国のこともちゃんと考えろということをほかの国に対して文句つけているのはこの憲法だけですよ。私も一生懸命探してみたんだけれども、こんな文句つけている憲法はこれだけなんです。  これは一つ気概が残っていると思うんです。自分たちはばかなことをやったんだ。殺し、焼き、奪う歴史を敢行して、そのおかげでもって、自業自得で殺され、焼かれ、奪われるというひどい目に遭ったんだ。こういう人には見えるものがあるんだ。これは非常に大事だと思うんですよ、我々には見えるものがあるんだ。ほかの人に見えないもの、アメリカ合衆国の人間にもフランスの人間にも見えないものだ、あるいは朝鮮の人間にも見えないものだ。我々は、愚かなことをわんさとして、愚かなことを全部背負い込んだ。そして、人々を殺りくし、自分たちも殺りくされた。このことによって、この歴史を通過すれば我々見えるものがある。この見えるものは大事にしようじゃないかというのがこの憲法なんです。その気概がありますよ。  これに辛うじて似ているのが、私はドイツだと思う。ドイツで痛感したのはそれです。やはり我々には見えるものがあるんだと。この二つの国民が愚かなことをわんさとしたおかげで、また愚かなことがわんさと返ってきたおかげで、ほかの国の人間に見えないものが見える、私はこれが非常に大事だ。私の、一番日本に対してこれから評価していくのは、その見えないものが見えたんだ、だからこれをやろうじゃないかという気概がここにあると思うのです。  そして、この前文がおもしろいのは、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」と書いてあるでしょう。こんな誓う憲法もないよ。ほかの憲法は絶対そんなことを書いていない。あるものをこれからするんだ。ほかの国のやつはわからへんのだ、おれはわかるのだ、だからこれをやるんだ、あなたもしっかりせいと言っているでしょう。しっかりせいと言う前に自分がやらなきゃならぬ、そういう気概があって誓うと書いてあるんです。このことは大事だと思うのですよ。我々は、これをやっていかないと世界はおしまいになるということを言ったんですね。こんな世界の繰り返し、戦争の繰り返しをやったらあかんのやと。  それから、科学技術の進歩によって原爆ができちゃった。その被害をこうむったのはこっちじゃないですか。アメリカじゃないですよ。こっちですよ。大事ですよ、これ。これは、見えたんだ。そうしたら、それを一国の問題ではなくて、全世界の問題として考えようじゃないか。こういう精神の自由が大事なんだ。  この三つの結合したのが我々の平和主義の理念である。これをやろうじゃないかということを呼びかけているのです。どこの国も達成していない、それを書いているんです。どこの国も達成していない。それをやることによって、初めて我々は国際社会において名誉ある地位を占めて、それで、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」日本はやるから、おまえもやれと。  そういう名誉ある地位があるからこそ、どこの国も日本を攻めてこない。我々は丸腰でいくんだ。丸腰でいくから、あなたもやれ。丸腰でいくのが世界で一番正しいんだ。おれは先覚者である。先覚者として一生懸命やる、この努力を見ろ。その中で我々は生きていこうじゃないかということを堂々と宣言しているのですね。その中で我々の安全と生命をこれから保持していくのである、そういう立派な国をだれが攻めてくるんだという気概がありますね、これを見ていると。これで第九条の論理と倫理は完結しているんですよ。この平和主義の論理は完結しています。  しかし、これは一つ大事なことが欠けていた。大事なことが一つ欠けていたのは何かというと、実は、さっき申し上げましたように、良心的兵役拒否は、市民的奉仕活動をすることによって市民権を得て、法制度が確立していくのですね。あるいは法制度がこれから受け入れられていく。社会の奥深くに市民的奉仕活動をすることによって受け入れられていった。その過程を我々はなおざりにしたと思うのです。  一つは、それがなかなかできなかった、後で申し上げますけれども、できなかった。なおざりにしちゃった一つの例として言えば、例えばずるずると我々は冷戦構造の中に入ってしまった。入ってしまって軍事同盟になっていく。自分たちの理念に基づいた市民的な奉仕活動日本は十分にやっていないと思うのですよ、この平和憲法を持ちながらいまだにやっていない。  繰り返して言います。良心的兵役拒否のことを国家的な規模において実現しようとしたのです。さっき一つ言うのを忘れましたけれども、一番大事なことは、そういうさっきの三つの認識に基づいて良心的兵役拒否が成立する、あるいは受け入れられる、それと同じことを国家規模でやろうじゃないか。全世界において我々は良心的兵役拒否になる。それを国家的レベルで言い直せば、良心的軍事拒否国家になる。良心的軍事拒否国家でやっていくんだ、だから皆さん一緒にやろうじゃないかということを呼びかけているのですね。あなた方は兵役でやるかもしれぬけれども、おれは違うんだ。おれはわかったんだ、もうあのばかなやり方はやめたんだ。あなた方は兵役でやったらいいでしょう、しかし我々は違うやり方でやるんだということを高らかに宣言したのです。  しかし問題は、その宣言に中身がなかったのですね。中身がなかった理由というのはこれから後で申し上げますけれども、いまだに尾を引いています。いまだに市民的奉仕活動を十分にやっていないでしょう。もちろん市民運動もやっているとか、ベトナム反戦運動をやったとか、それは別の話なんです、私が言うのは。国家レベルにおいて、国家規模において十分にやっていない。ただ国連が決めたことにずるずるついていく、国境監視員に行くとか、そんなことじゃない。最近に至るまで、自分たちの理念に基づいて自分たちの市民的奉仕活動を展開してこなかった。  一つの例を挙げます。例えば、コソボの民族紛争を契機として、NATO、北大西洋条約軍はユーゴスラビアに対して空爆をした。この空爆はほとんど効果がなかった。私はつぶさに調べたのです。ことしの四月、五月に向こうに行って、いろいろなことをしゃべってみて、社民とか緑、そういう連中と話をして、空爆の効果は一体あったのかと言ったら、みんな疑念を表して、賛成した方、推進した方も口をもぐもぐしていまして、反対した方がえらい元気がよかった。調べてみてもそうですね。要するに、効果がなかったことを延々とやったんです。  そのとき敢然として空爆に反対したのは、NATOの一員であり、EUの一員であるギリシャです。ギリシャは敢然として反対したんです。反対の理由は非常に簡単です。つまり、バルカン半島のような民族の利害が複雑に絡み合っているところで、外国勢力による武力介入というのは全然効果がない。それは逆効果である、必ずずっと尾を引くという、ギリシャの予言どおり現に今なっています。それはだれも否定できない。ドイツの推進者もそれは認めざるを得ない。私が突っ込むともごもごして困っていましたけれども。いろいろなことを挙げたけれども、結局今でも続いているんですよ。  ユーゴスラビアが変な選挙をやって、これからどうなるかわかりませんね。だから、何が何だかわからない状態にこれから引きずり込まれていくだろう。そうすると、武力介入というのは何の効果もないんだ、余計複雑にするんだ、これはギリシャの体験なんです。ギリシャはバルカン半島で苦労してきて、自分たちもひどい目に遭っているんですね。  ちょうどそれが、去年三月に私が大阪からアテネへ着くと、それはまさに空爆の始まった日なんです。それから、連日、国を挙げて空爆反対ですよ。市民はデモ行進するやら議会は議決するやら、とにかく大騒ぎ。しかも、ギリシャというのはいろいろな意見がある国で、大体意見がまとまったことがない国なんですけれども、初めて挙国一致でまとまったのがこれだとみんな言っていましたよ。新聞も、右も左も全部まとまった。みんな反対。こんなことやったらいかぬ、何にもならぬということでやっているんです。  ちょうど去年は日本・ギリシャ修好百年ですよ。アテネへ着いて、私はそこで記念講演というのをしたんだ。そのときに、ギリシャ人たちは、何で日本は我々と一緒にやらないのか。そのとき非常に痛い発言をしましたよ。日本は平和憲法を持っているじゃないか、平和憲法を持っているんだったら、こういう武力介入に対して反対しなきゃいけないんだ。我々は平和憲法を持っていない、平和憲法を持っていないけれども、これは平和憲法なんですよ、やっていることは。彼らがやっていることは、平和主義でいけと言っているんですからね。平和憲法の理念をやれということをギリシャは盛んに言っていたわけです。  ところが、そのとき日本はどうしたか。日本は、軽率に最初に賛成と言っちゃったんだけれども、後で何か、理解するに変えましたね。日本政府は何をしたか、理解する。何にもしなかったでしょう、結局。  ギリシャはやっていたんですよ。ギリシャ人が言うのには、何で日本みたいな大国が我々みたいな小国と一緒に組まないか、大国が組んでくれれば少しはましになるかもしれない、それを猛烈に言っていましたよ。  ちょうど日本・ギリシャ修好百年じゃないか。そうしたら百年の大事業になるでしょう。何でそういう英断をしなかったか。それは、やはり国民規模国家規模において平和主義の実践がないんですよ。それぐらい市民的奉仕活動をやっていないんですよ。なぜそのときしなかったか。そんなあほな、理解するとかなんとか言わないで、やらないかぬ。あるいはまた、日米安保を強化する方向にその瞬間やっているんですからね。そういう方向でない方向に我々は向くべきだったんじゃないかと思う。  ほかの例を挙げましょうか。例えば、イスラエルとパレスチナが今暗礁に乗り上げている平和交渉をしているでしょう。あれ、どこでやっているんですか。ノルウェーです。国連じゃありません。日本はすぐ国連任せになるけれども、国連じゃない。アメリカ合衆国じゃない。ノルウェーです。我々の国でなぜやらなかったか。我々はイスラエルともパレスチナとも仲がいいじゃないですか。どうしてそれを仲介しない。そういうことが市民的奉仕活動なんですよ。  これをずっと考えていきますと幾らでも挙げられるんです。我々はこれから皆さんに討議してほしいんです。例えば難民救済に専念するとか、難民救済機を我々が買って幾らでも難民を取り入れる、あるいは対外債務に苦しんでいる第三世界の債務を帳消しにしてやるとか、いろいろなことができますよ。あるいは反核を本当に実現するとか、あるいはどこかで紛争があったら我々は必ず仲介するとか、そういう活動国家としての市民的奉仕活動ですよ。それをほとんどしていなかったと思うんです。これは私は痛恨の限りですね。やっていないからだれも認めないわけですよ。アメリカの手先だとみんな思っているのか知りませんけれども、結局動かないでしょう。  スイスをごらんなさい。スイスというのは、いろいろなインチキがあるにしても、永世中立国として来ましたね。しかし、あれはだれも国連で議決したわけじゃない。あれはまず国連に入っていないでしょう。あれは、我々は永世中立国だと言って、そういう行動をしてきたんですよ。そして、全世界があれは永世中立国だといつの間にか認めた。非常に大事だと思うんですよ。第二次大戦中にも守る、それによって利益をこうむる。連合国側もナチ・ドイツも、その仲介の役にそこにいたんです。これはいろいろな問題をはらむけれども、一つの大きな貢献もしたことは事実なんですね。スイスはそれでみずからの地位を築いていった。  日本は、戦後それをしてこなかったんです。戦後してこなかったから、結局、うやむやのうちに、あの国は一体何だろうか、ただの経済大国である、ただの金持ち国であるというふうに全世界では見ています。いまだに見ていますね。だから、そういうことに対して我々はやはり考えなきゃいけないところに来ていると思います。  一般的に、日本がどう見られているかというと、私はアメリカ合衆国の大学の先生を二年したんです。そのとき、ちょうどソマリアの紛争が起こっていた。そうしたら、ソマリアの方に武力介入しろということを書き立てる新聞がありまして、私の読んでいた地元の新聞なんだけれども、それを読むと、アメリカ合衆国はソマリアへ行け、ソマリアへ行けというようなことを言っているんですよ。  皆さん方は御存じでしょうけれども、アメリカ合衆国は、ニューヨーク・タイムズなんか反戦広告を載せるけれども、もっと載せているのは促戦広告、戦争をやれという広告をたくさん載せますよ、戦争をやれという広告なんかが出る国ですからね。  そうすると、武力介入しろ、武力介入しろということを盛んに地元の新聞は主張するわけです、有名な新聞なんだけれども。そうしたら、やることになるんですけれども、それに対して投書が出てくるんです。何で我々がそんなソマリアみたいなところへ行かないかぬか、武力介入なんかしたらいかぬ、アメリカ国民は何の関係もないと。要するに、あれはイギリスとイタリアの植民地だったんだ、イタリアとイギリスに処理させろというのが出てくるんです。そこまではいいでしょう。確かにアメリカ関係ないんだと。その次は傑作ね。お金はどうするんだ、日本に出させろと言うんですよ。日本は全く関係ないじゃないですか。  というのは、日本はそうやって見られていることは事実ですよ、何もしていないもの。これは恥ずかしいと思いますね。私は、そういうのを日本人としていつも怒っているんです。こういうやり方で日本は満足していいのか。お金だけ出せば、たたいたら出すんだというような形が市民まで浸透している。こういうやり方を変えなきゃいけないでしょう。そのためには、我々は一歩でもいいから我々の理念を持たなければいかぬ。  そうすると、平和主義の理念で何で我々はしてこなかったか。今までの、革新陣営がよく言いました非武装中立というのはだめなんですよ。非武装中立は、私は銃をとりませんというだけなんです。それだったら、良心的兵役拒否者が銃をとらないと同じでしょう。その後で、良心的兵役拒否者は市民的奉仕活動によって社会を変え、世界を変えようと言っているんですよ。やっていますね。同じことを、非武装中立ではだめだと言うのは、我々はもっと積極的な行動をそのとき提案し、してくるべきであったということを私は今痛切に感じています。  しかしまた、情状酌量しますと、日本はなかなかできなかった、これは事実なんですよ。まず第一に、日本はかつて貧しかったし、それから政治的にも力がなかった。それから、冷戦構造の中にとっぷり入っちゃった、アメリカに引きずり込まれて、全部アメリカの言いなりにならにゃならないところも出てきた。だから、なかなかそこから出られなかったということも事実なんです、情状酌量して言うと。それが今まで、今のような自分たちの行動をとらない、市民的な奉仕活動をしない、しないで便々と暮らしてきた一つの根にあると思うのです。  しかし、もう既に時代は変わったのですよ。これから二十一世紀に向かってもっと変わろうとしているでしょう。まずその力を我々は持っているでしょう。その力を発揮すべきですよ。政治的にも持っているし経済的にも持っているでしょう。でないと、ただの金持ち国だ、ふんだくれというふうになります。我々はそういうやり方を拒否する。拒否するんだったらどうしたらいいかということを考えていいときに来ているというのが私の一つの認識です。  もう一つは、冷戦構造が済んだんだから、もういいかげんにアメリカに隷属した形で対米関係の中に入るようなやり方をやめようじゃないか。例えば、日米関係の中に軍事条約が基本になっていますね、日米安全保障条約。大体軍事条約を基本にしたような二国の関係というのは必ずゆがみます。強い方が必ず勝ちます。それから占領政策の継続になります。我々はそれを持っています。  ここらで、また私の提案は、日米安全保障条約をやめて日米友好平和条約を結べ、軍事的連関はその後なんだ。まず日米友好平和条約を結んだ上で、軍事的連関が必要ならばその後のことにしようじゃないか、それぐらいの大きな決断を今こそすべきだと思うのです。アメリカの枠の中に入って延々と来たのですね。もうアメリカの枠も崩壊しているんだから、この辺で違う形のあり方を日米関係に求めるべきじゃないでしょうか。それは私のいつも考えていることなんです。私は、アメリカ側にも呼びかけて、広告も出したし、ことしの四月三十日にニューヨークでそういう演説をしたのです。反応はなかなかよかったですよ。市民のあり方として、違うやり方をしようじゃないか。  そのときに参考になるのが日中平和友好条約です。これの一番基本は、覇権を求めず求められず、それからもう一つは、紛争の解決に武力を用いない。国連憲章に規定されるものもしない。国連憲章は、御存じのように、究極のところで武力を使ってもいいと書いてあるんですからね。それもしないぐらい非常に明確に規定しています。そういうような形のものを日米関係の基本に置いて、我々の国のやり直しをする必要があると思う。それだけの力を、やろうと思ったらできる力を今日本は持っています。それをしないというのは政治家の決断の問題であるというふうに私は考えます。  だから、日ごろより我々は積極的に奉仕活動をしようじゃないか、市民的奉仕活動をしていこうじゃないか。それについて皆さんで議論をしてください、政治家が集まって議論をする、市民と一緒に議論をする。こういうことができるのじゃないか、こういうことができるのじゃないか、それを世界に提示していく。それで初めて平和主義の実績が出てくる。手をこまねいて見ているだけだったら、これは傍観主義ですよ。そうじゃないのですよ。  スイスは、さっき申し上げましたように、自分たちの努力によって永世中立国をつくったのです。ステータスをつくった。しかし、そのステータスはスイスだけに関係してくるのですよ。我々がもし良心的軍事拒否国家のステータスを確保していく努力をすれば、全世界が変わるのですよ。日本というのは大きな国でしょう。大きな国が平和の方向に向けば、それは大きな力を持ちます。それはギリシャが盛んに言ったことです。コソボの空爆のときに盛んに言っていました。なぜ日本は動かない、少しでも動いたらいいじゃないかということなのですね。  コスタリカはもちろん我々のような憲法を持っていますけれども、コスタリカは小さな国でしょう。大きな国というのは、日本なのです。我々は、自分たちは大国であることを意識する。我々は経済大国なのです。この経済大国を平和大国に変えていくのだ、平和大国に変えていく努力を今こそやるべきだと思うのです。今やらないと、もうできない。  これから一番大事な時期に二十一世紀は入っていくでしょう。我々の子孫のためにも、今決断して、そちらの方向に一歩でも近づけていくということが、非常に大事な時期に今来ているというのが私の認識なのです。これから随分いろいろな議論をなさるでしょうけれども、私の考え方をひとつ参考になさって、これを基本に置いて考えていくということが必要なのです。  私はこう思うのです。私は小説家だから比喩が非常にこっけいかもしれないけれども、おもしろいと思うけれども、私は、平和主義というのは漢方薬だと思うのです。それに対して、武力介入しろとかいうのは、見ていると劇薬ですね。劇薬は、どんとやることによって、一服飲むことによって時々は効くかもしれぬ。しかしこれは死ぬかもしれぬ。劇薬の効果は持続しないのですよ。すぐ終わってしまう。それから、ひょっとすると死にます。そういうものが劇薬なのです。武力介入はそうなのです。それでやる限り戦争は継続してろくでもない。私たちは漢方薬でいこうじゃないか。平和主義というのは漢方薬です。じんわりと効いてくる。それから世界全体を変えていく。そのことをひとつ我々は痛切に認識すべきだと思うのです。  我々は、東洋に位置していて、東洋医学の志向に、言うならば、全体の療法を変えていく、ホリスティックに変えていくということが漢方薬ですね。我々の平和主義というのは、時間はかかるかもしれないけれども、全世界を変えていくのだという意欲を持ってやる必要があると思うのです。  実は、去年この二つの事例がよく出ていたのです。一つはコソボです、空爆です。それからもう一つは、東ティモールです。コソボの場合は、そういう平和運動がなしに、平和的努力なしにぼかんとやったのです。ぼかんとやったから、劇薬が進んだ後大騒ぎになったのですね。現に紛争が続いています。またこれからどうなるかわからない。そういう状況がこれから続いていくと思うのです。これはギリシャの予言したとおりです。これは劇薬でぼかんとやったのです。  それに対して東ティモールの場合はどうか。これは非常に対照的だと思うのです。東ティモールの場合は、最初にまず劇薬的に武力衝突があった。東ティモールの解放闘争が負けてしまったのです。それからどうなるかというと、長い間かかって平和運動が展開する、国際的なつながりができる、オーストラリアを中心として、国際的連帯運動、平和的な非暴力運動、それがずっと続いていくのですね。それが効果を上げてきたからこそ、国連が国民投票に持っていったのです。もしドンパチやっていたら国民投票はしませんよ。  国民投票へ持っていったのは、平和運動がじんわりと広がって、漢方薬が広がってずっと進んでいったから、そこまでいったのですね。そして、今度は国民投票の結果を不満とした分子が武力介入してくる。それで仕方がないから武力介入したのです。しかし、同時にすぐそれは終わった、終わって今また平和運動が続いていく。平和運動が前後にあるからこそ劇薬がうまく作動したのです。  そうでなかった場合がコソボなのです。前にその平和運動がない、後ろもない。どかんとやったのです。それでいまだに続いている。このことをやはり我々は一つの大きな教訓として考えて、我々は漢方薬に徹してこれから事を処していく必要があるだろう。  現在の世界はまだ複雑だから、劇薬が必要な場合もあるかもしれない。しかし、それだけではもうだめなのだ。我々は良心的軍事拒否国家として、我々の役割としては、これからあらゆる努力を、そういう平和主義の努力、市民的奉仕活動の努力に向けていくのだ。そのことによって国際的に我々は認知され直す。ただの金持ち大国じゃないのだ、本当の平和国家である。平和大国であるということになれば、世界の中での位置も変わってくると思うんです。これから二十一世紀にかけて、我々の子供のことあるいは孫のことを考えるなら、そういうあり方の国、ただの金持ち国ではもう困るでしょう、皆さんもそう思うでしょう。違うあり方を求めていくということが一番求められているんじゃないでしょうか。  今、新しい戦争の概念が出てきているんですね。例えば人道主義的武力介入、この名前のもとにコソボは行われたんですよ、結局は、人道主義的武力介入。これが大変な禍根をはらんでいくだろうと思うんです。  人道主義的武力介入の中で一番おもしろかったのは、八月十四日にNHK衛星テレビで放映していた、戦争に正義はあるのかという、私の対話の旅なんですが、私がアメリカへ行き、ドイツへ行って、いろいろな人に会った、反対も賛成も皆会ってきた。一番武力介入をやれということを強力に主張した女性は、これは画面を見られたら大変おもしろいと思うんですけれども、今でもすぐ武力介入をやらなきゃいけない、アメリカを中心としてそういう軍隊をつくらなきゃいけないとか、ニューヨークに中心を置けとか、一番激しい意見を言う人を僕は呼んだんです。だからぜひとも会ってやろうと思って、会ったんです。私は、その意見はともかくとして、その方の肩書が大変おもしろかった。それは、人権を守るための医師の国際的集団の事務局長なんですよ。人権を守るためですよ。彼女が一番激しい意見、どんどこやれという意見なんです。  そこまで来ていると思うんですよ。人権戦争も出てくるでしょう、あるいは環境戦争も出てくるでしょう。いろいろなものが出てくると思う。いろいろな名目がこれからついて出てくる。しかし、それが、武力介入がうまくいっていない事例を我々はコソボで見ているんです。本当はうまくいっていないですよ。  では、どうするのかということになると、皆たじたじになって、大変おもしろい結果が出ていました。私は、対話をしたんです。一番有力な、女性の議員とかの中で一番やれと言った方がそれぞれ弁解じみた発言をし、それから、とにかく私は反対だという連中は非常にすっきりした意見を述べていました。私は、これは非常に示唆的だと思うんですね。武力介入はもうだめなんだということも事実上に出てきたんです。  だから、この時期が非常に大事だと思うんです。今までのように武力介入をやらなきゃいけないとかなんとかというんじゃなくて、そうでないんだ、じわじわしたやつが本当に効果が出てくる時代をみんなが認識し始めた、これが非常に大事だと思うんですよ、コソボをやってみた結果。  大変おもしろかったですよ。例えば、フィッシャーという緑の党の一番反戦運動をした人が一番強力に空爆をやれと言った人ですね、外務大臣ですね。私はこの人に残念ながら会うことはできなかったけれども、あの人は、我々は西のデモクラシーを守るためにやらなきゃいけないということを言ったんです。そうしたら、ギリシャの人たちが怒っていましたよ。私らは一体何だ、東の野蛮か、何ぬかしておるか、古代アテナイはおれのところだ、おまえらみんな我々から学んだんじゃないかと大変怒っていました。  ただ、おもしろいのは、私は、今度は社民党、緑の人たちに、それでは西のデモクラシーがおまえのところだったら、おれのところのデモクラシーはどうなるんだと。我々は東でしょう。東の国のデモクラシーはどうなるんだと言ったら、皆たじたじになって黙っちゃいました。答えられない。我々東の方は野蛮なのかということになりますね。だから、東のデモクラシーというのは、あるとすれば、それは人権を本当に守り、戦争を拒否する、そういうものとしてあるんだということを我々がこれから実際に示していく必要があると思うんですね。そういう時期に我々全体が来ているということを考えます。  このときに、私は本当に一緒に考えたいと思うんですよ、二十世紀というのは何であったか。我々日本人は割と楽観的な意見を言う人が多いんですけれども、科学技術が発達したとかなんとか、そんなことを言うんだけれども、西洋人には物すごく悲観的な人が多いですね、有名な知識人の中にも。  私もそう思いますね。結局、二十世紀ほど殺りくした時代はないんじゃないか。それから、破壊した時代、破壊は私の方がよく言うんですけれども、殺りくし破壊した時代はないんじゃないかと思うんです。二十世紀でどれだけ殺し合いをしたかというと、五千五百万人から六千五百万人というのが通説なんですね。しかし、アメリカ合衆国のカーター政権において大統領特別補佐官を務めたブレジンスキー氏、彼の「アウト・オブ・コントロール」、統御不可能という本を読みますと、彼の計算は、戦争によって殺し合ったのが大体八千七百万人だ、それから強制収容所みたいなのに入れて殺したのが八千万人だ、一億六千七百万人いる、非常に細かな数字だけれども、そういう数字を出しています。私は、もちろん数字の異同は多少あるにしても、これは全人類が考えなきゃいけない、そういうときが来ていると思うんです。もう繰り返しはやめたらどうか。  それから、もう一つ大事なことは、こういう戦争によって死んでいくのが大体民間人なんですね。民間人がめちゃくちゃ死んでいる。たしか、第一次世界大戦では五%くらいでしょう、民間人の死者が。第二次世界大戦では、一つくらい間違っているかもしれないけれども、四八%ですか、民間人の死者が。それから、朝鮮戦争で七〇か八〇くらいでしょう。ベトナム戦争で九五%ですね、民間人の死者が。それで、今度のコソボに至っては、民間人が一〇〇%でしょう。だって、NATO軍は死者ゼロだもの。死んだのは全部民間側ですね。千五百人かそれ以上と言われるユーゴスラビアの民間人ですよ。ただの人です。それがぼかっと殺された。  私は、空爆をやれと言った人たちにこの補償をどうするんだと聞いたら、そこはお茶を濁していましたけれども、これから考えますというようなことを言っていましたけれども、これは一体どうなっているんだというところに来ていると思うのです。  あのとき、ドイツ側はよく使われたと思うのですよ。武力はそもそも全部アメリカなんですね。NATO軍の武力アメリカですよ、いや応なしに。しかし、イデオロギー部門としては、ドイツが物すごく使われていますね。例えば、アメリカの週刊誌を見ますと、ニューズウイークにしてもタイムにしても、でかでかドイツを載せていましたね。イデオロギー操作だと私は思いますよ。  いろいろなインチキが今暴露されているんだけれども、こういうことをここでしゃべっても仕方がないのでやめますけれども、ただ、そういうイデオロギー操作があることは事実ですよ。そこで堂々とみんなしゃべった。ドイツ側は民主主義の神様であると。何かアメリカ民主主義はどこかインチキだとかみんな思っている。ところが、ドイツは社会保障国家であり、民主主義国家であり、緑の党もあるんだ、原発も反対だというので、これが十分に使われたというふうに私は思うのですね。  そういうのを見ていますと、例えば、こういうふうに言うのですね。さっきのフィッシャーを引き合いに出しますけれども、今まではノーモア・アウシュビッツとノーモア・ウオーで来た。アウシュビッツが来たんだ。これは非常に誇張されていることは事実ですね。もうそれは今周知の事実になっています。民族抹殺なんかそこにはなかったと言われてきているのです。それだけが誇張されているのは事実ですけれども、その種があったかもしれない。ノーモア・アウシュビッツだからノーモア・ウオーを捨てたんだというふうに彼は言ったのです。  我々日本人は、そこで発言すべきだと思うのですよ。というのは、要するにコソボをずっと拡大していくとそれはアウシュビッツになったかもしれない、それはフィッシャーの言うとおりかもしれない。しかし、ウオーを拡大していきますと、核戦争になったかもしれない。それは言えるでしょう。例えば、どこかの国が毒ガスをまき出す。そうすると、それに対抗する手段というのは核戦争しかないんだということになれば、核戦争をしますね。  そうすると、ノーモア・ウオーの先に、我々はノーモア・ヒロシマ・ナガサキというのが必要ですね。ドイツはそれを言わなかった。ドイツはヒロシマ・ナガサキは体験していない。だから、ノーモア・アウシュビッツ。ノーモア・ウオーはやめちゃった。しかし、もしここにノーモア・ヒロシマ・ナガサキというのを持ってきたらどうするか。その質問を社民党、緑にすると、彼らは大変困りましたけれどもね。答えられない。  二つあるんだ、我々は。どっちも大事なんだということを我々は考えなければいけない。それを大きく打開していくためには、どこかの国がイニシアチブをとって、そしてそういうもののない、抑圧のない、差別のない、だれもが生きていけるような社会をつくるために一歩でも進めていくということが必要じゃないでしょうか。  私がドイツで社民だとか緑に提案したのは、おまえの国はわかった、見るべきものを見た国だ。平宗盛の発言がありますね、平家物語の最後に。自害するときに、見るべきほどのことは見つという、私も好きな言葉です。我々は、見るべきほどのことは見つ、もう見たんですよ。だから、もうちょっと違うものをやろうじゃないか。ドイツも見たんですね。我々は、ドイツと一緒にやろうじゃないかという提案を社民の有力議員にしたのです。  そういう時期に我々は来ているんじゃないでしょうか。ノーモア・アウシュビッツがあるなら、我々はノーモア・ヒロシマがある。これをどうしたらいいか、それをみんなで考えようじゃないか。そのためには、我々は具体的行動を示す必要があると思うのです。ノーモア・ヒロシマを背負った国民は、日本は、少なくとも戦争のない方向日本自体を向けようじゃないかということをこれから我々の課題として、良心的軍事拒否国家を目指して我々は進んでいく。  それで、一歩一歩市民の軍縮を行っていく。我々が軍縮をしなかったら、何も意味ないですね。一歩一歩要らない軍備を減らしていく。それを回す。例えば、災害救助に対しては災害救助の我々の専門のものをつくっていくんだというふうにして自衛隊を減らしていく。  いろいろなやり方があります。私は、阪神・淡路大震災の被災者としていろいろな運動をしてきました。その中で、我々はいろいろなことを考えたのです。いろいろ考えて、違う形で我々の日本の安全をこれから確保していくんだということが必要だと思うのです。  そのときにすぐ出てくるのが、どこの国が攻めてきますかというような話にすぐなるのですね。一体どこの国が攻めてくるのですか、今。具体的に話をしたらいいと思うのですよ。調査団がドイツの良心的兵役拒否者に、おまえの国に攻めてきたらどうするんだということを質問されたかどうかは知らないのですが、新聞報道によればそう書いてあるんですね。きょとんとしていたと思うんですよ。というのは、ドイツが今軍備をやめてフランスが攻めてきますか。どこも攻めてこないでしょう。デンマークが攻めてきますか。具体的に考えましょうよ。  私たちの周りにはだれが攻めてくるんですか。東西も南北朝鮮も、これから仲よくやろうじゃないかと言っていますね。それから今度は、中国もみんな、もうそういうところはないと思うんです。我々は、国是を立てて良心的軍事拒否をやろうじゃないか、我々、良心的軍事拒否国家でいくんだ、おまえらも一緒に考えろというようなことを我々が提言して、実際具体的に実現していくということが必要だと思うんです。  スイスは、かつて名誉ある地位を持っていました、永世中立国として。同時にまた、彼らは必要だったんです、あのスイスという存在が。戦争のさなかに大変必要だった。私たちはそういう存在にこれからなっていって、世界全体を少しでも変えようじゃないかということを皆さん方と一緒に考えていただきたいと思うんです。  もう一つ、私は、議会に対する、あるいは議員に対するあり方というのを提言しようと思ったけれども、もうこれで一番大事な話は済んだのですね。それで、私は市民・議員立法という運動を展開してきたんですけれども、このこともこれからの課題として考えていただきたい。しかし、時間が来たのでこれで私の話を終わりたいと思います。(拍手)
  86. 中山太郎

    中山会長 ありがとうございました。  以上で参考人意見の開陳は終わりました。     —————————————
  87. 中山太郎

    中山会長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高市早苗君。
  88. 高市早苗

    高市委員 きょうは、小田先生、お出ましありがとうございました。自由民主党の高市早苗でございます。  きょうは二十一世紀日本のあるべき姿というテーマでお話を伺いまして、小田先生が考えておられるあるべき姿は、良心的軍事拒否国家という一つのキーワード、そして平和主義、これを追求する国ということだと受け取りました。そして、このお話の中で、先生のお言葉をそのままかりますと、国家規模において平和主義を実践している国家というようなことで、ドイツの例、これは良心的な兵役拒否を法制化した国として御紹介いただきましたし、それからギリシャ、これはNATOの一員でありながらコソボ空爆を拒否した国として例を挙げていただきました。  しかしながら、両国とも現在十分な兵力を持って、しっかりした防衛体制をとっている国家でもございます。日本の自衛官は、現在二十三万六千三百人でございますけれども、予備自衛官を合わせても合計約二十八万人でございます。ドイツ軍は、現在三十三万二千八百人、予備兵を合わせますと約六十八万人の兵力が万が一の場合には動ける体制になっております。ギリシャ軍が十六万五千六百七十人、予備兵が二十九万人以上おりますので、合計約四十六万人の兵力ということで、いずれも兵力数という観点で見ますと、日本以上の防衛体制を持っていると思われます。予算的にも、日本とドイツ、ほとんど変わりません。  私は、ギリシャのコソボ空爆拒否というのは、自国の主権と国民の生命をきちっと守り抜ける備えがあってこそ、堂々と国益を主張できた例だと考えます。コソボ空爆の場合、かなりインフレ率も高いところで、経済的な事情、それから難民の流入、こういったものを防ぐための一つの国益の主張であったと私は理解をしておりました。  また、ドイツについても、確かに兵役拒否の代替ボランティア制度がございますけれども、現在もなお十四万二千人が徴兵参加をされております。日本の二・五倍の稼働兵力を有事の際には持つ国でございます。  そこで、一つ確認をさせていただきたいのですけれども、これらの両国の軍備の現状を踏まえても、なおギリシャ、ドイツというのは小田先生の提唱される平和主義実践国家であると考えてよいのかどうか。つまり、ミリタリーサービスの提供としての軍備であれば平和主義に反しないというお考えなのか、それともドイツというのはまだまだなんだよな、発展途上の状態で、本来は全くのノー軍備、軍備のない状態にすべきであるとお考えなのか、この点をまずお伺いいたします。
  89. 小田実

    ○小田参考人 ドイツは発展途上ですね。つまり、平和主義の理念も非常に強い形で持たざるを得ないときに来ていると思いますね。それはヨーロッパ全体がそうですよ。良心的兵役拒否という制度をみんな法制度として認めているということは、せめぎ合いしていると思うのですよ。  私は、別の言葉でいいますと、平和主義と戦争主義というものが世界はせめぎ合いをしていると思うんです。戦争主義といっても、軍国主義の話じゃないし、侵略主義の話じゃないんですよ。私の言う戦争主義というのは、それは国連憲章が定めているように、できるだけ平和的手段でもっていろいろなことをするんだ、問題、紛争の解決をするんだ。しかし、万やむを得ざるときは戦争をするんだということが国連憲章ですね。それは戦争主義だと思います、私の言い方で言えば。平和主義は違うんだ。とことん最後までやるんだ。平和的、非暴力的手段でやるんだという二つがせめぎ合いをしていると思うんですよ。  軍国主義だとか侵略主義とか、それはもうアウト・オブ・クエスチョンですね、今の世界では。しかし、いろいろな紛争があるんだ、だから最後には武力介入は必要なんだ。いろいろなことで、避けた方がいいに決まっている、しかし、最後には、そうならざるを得ないときは使うんだという考え方、これは戦争主義ですよ。これは、必ずしも私はそれを否定しているのじゃなくて、現に存在する。多くの国がそうなんです。しかし同時に、全世界的にそれだけでやっていけない状況、つまり、良心的兵役拒否が示すように、平和主義というのが非常に強い形で持ってきた。  例えば、さっきちょっと言うのを忘れましたけれども、平和主義というのが良心的兵役拒否の理由に認められているんですよ、今は。かつては、第二次世界大戦中でもアメリカ合衆国において良心的兵役拒否の制度はもちろんあったんです。第二次世界大戦という、彼らに言わせれば正義の戦争の中で、大体六千人の人が良心的兵役拒否をしていますよ。六千人ですね。彼らは収容所にも入れられたりしていたけれども、そのときの理由というのは宗教上の理由です。クエーカーとかそういうような宗教上の理由においてのみ認められた。  ところが、今の良心的兵役拒否というのは、平和主義そのものにおいて認めているわけですね。つまり、私は、戦争をしないんだ。私の信念で、私の考え方で、戦争の繰り返しはだめなんだ。パシフィストの観念として認めているということは物すごいことだと思うんですよ。つまり、真っ向から対立しているわけですね。戦争主義に対して、とことんおれは精神の自由があってやるんだというのが、それを法制度として認めざるを得ないところに来たというふうに私は理解しています。  つまり、戦争主義と平和主義が拮抗関係に立っているんだ。それがどっちに向かって進むか、どっちに向かって日本は進ませるか。日本がその平和主義の方向に強力に進めば世界は平和主義の方向に強力に向くだろうというふうに、私はそういう期待を込めて今の話をしたのです。
  90. 高市早苗

    高市委員 今ドイツやギリシャに関して、軍備を持っている限りは発展途上の状態であると、平和主義の実践者としては不十分であるというような御見解をいただきました。  先ほどの話の中で、ちょうどこの調査会の視察の間に、自民党の議員の方から万が一の脅威にさらされたときにというような質問があって相手がきょとんとされていたというお話がありましたけれども、これは実は横に座っている中川議員でございまして、あくまでも質問のときに、現在ドイツは平和なので戦争などは考えられないけれども、万が一脅威にさらされたときに、兵役を拒否していらっしゃる代替勤務者のあなたはどう対応されるかという質問をされました。  その方のお返事というのは、戦争に行かないというお答えではなかったのですね。そういう事態になった場合に、国家が私たちを戦争に連れていくのか、あるいは私たちが戦争に行くのかという問題である。国家に連れていかれるかもしれない、自分で進んで行くのかもしれない、これはどっちかわからないということなんです。今はミリタリーボランティアとして銃を持つことは拒否したけれども、それでも、いざ国家が有事にさらされた場合はみずからの気概で国を守る。私は、この辺の精神というのはきちっと彼らの中にあるんだと、この調査会の報告書を見ながら、感じた次第でございます。  先ほどからお話を伺ってきまして、全く武力を持たない、それで全く平和であれば、非常に財政的にも、また積極的に平和をつくっていくという活動を考えましても、意義のあることだと思うんです。先ほど、一体どこから攻められるのかというお話もありましたけれども、あらゆる外交手段を尽くしたものの、不幸にして他国から武力による侵略を受けたという事態が発生した場合、どこも絶対攻めてこないとおっしゃるかもしれませんが、それなら現在の国際紛争というのは一切発生しないわけで、この立派な国をだれが攻めてくるのかというお話もございましたが、しかし、それじゃ紛争に巻き込まれた国は全く立派でない国であって攻められたのか、必ずしもそうじゃないと思います。国際社会というのは、私はネバー・セイ・ネバー、何が起きるかわからないという冷厳な事実があると思います。  不幸にして武力による侵略を受けた場合、この場合の自衛戦争というものも一〇〇%否定をされますか。
  91. 小田実

    ○小田参考人 私は、長期的展望でやろうじゃないかというふうに申し上げたんです。世界を変えていこうじゃないかということを言って、すぐやめちまえとか何か言っているんじゃないんです。私は、長期的展望で、二十一世紀にかかっていく日本の中で考えていく必要があるだろうということを最初に申し上げました。私は、漢方薬でいこうじゃないかとも言った。漢方薬でじわじわと世界を変えることによって日本の安全も出てくるんだということを申し上げたんです。  しかし、今動かなければそういう世界は一切来ないと思うんですよ。それは、あなたがおっしゃったような今までの繰り返しの世界にとどまるだろう。今、ちょうどいいときに来たんだ。戦争主義と平和主義のせめぎ合いも軍備を持っている国に起こっているし、軍備縮小の動きも出てきている、いろいろな動きが今あるということを申し上げた、その中での話なんです。今すぐ、例えば軍備はやめちまえとか、そういうようなばかみたいなことは私は言っていません。私は、二十一世紀の展望を考えて、この憲法を考えていこうじゃないかということを申し上げているんです。  世界は物すごく、第二次世界大戦において人権じゅうりんとかいうことをやりました、アウシュビッツが一つの例ですけれども。その結果として、国連は人権宣言というのをつくったんですよ。国連の人権宣言というのを我々は認証した、それによって初めて人権というものが大事であるということがわかったんですね。  それを基礎にして、じわじわと今動いているでしょう。そんなもの、人権宣言をつくったからすぐぱっと変わったわけじゃありません。今でもむちゃくちゃなことはたくさん起こっている。しかし、人権宣言がよりどころになって、いろいろなものが動いていくというのは事実なんですよ。時間はかかっていますよ。それと同じことを本当はやるべきだったんです。  何をやるべきだったかというと、世界平和宣言ですよ。あれほど戦争の惨禍をみんながやったんだからもう戦争はやめましょうということを、世界平和宣言の形で出すべきだったと思うのですよ。しかし、それはなかなかできなかった。それを一つの国がやった。これが私は日本国憲法だと思うのですよ。これは世界平和宣言ですよ。我々は率先してやりますと。すべては、さっき申し上げましたように、ないものをあるようにしようじゃないかと。  高市さんの意見というのは、あたかもあるものの話をしているので、ないものをあるものにしようじゃないかということがあるんだということを私は申し上げた。だから気概に満ちているんだ。それを今やろうじゃないかということを申し上げているのであって、あしたどこかから攻めてきたらどうするんだとか、その繰り返しで来た。全世界そうなんですよ。その繰り返しでやってきたから延々と続いてきたんだという反省なんです。私はもうちょっと違う次元でしゃべっていると思うのです。根本的次元の違いがあって、違う形でやろうじゃないかということを今やろうじゃないか、具体的な地盤が今あるんだということを申し上げているわけです。  あしたすぐどこかから攻めてくるからどうしようかというような話で来たんじゃない。私はここで安全保障の話はほとんどしていないでしょう。どこかの国の安全保障を何とかしようというような、私はこういうような議論じゃないと思うのですよ。二十一世紀どうするんだということで私は来たんです。安全保障の議論をするんだったら、私はこんなところに来ませんということを申し上げています。
  92. 高市早苗

    高市委員 先ほど小田先生おっしゃった憲法の前文、非常に理想的なもので、この方向で運動をしていけばということで高い評価をなさっていたと思います。  私自身は、かなり次元が違って申しわけないのですが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」この非常におめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っているものでございます。諸外国すべてが平和を愛するようになれば、それはもちろん理想的ですばらしい、そのために日本が動くべきという御主張もよくわかりますけれども、ただ、私自身は、日本がそういう努力をした上であっても、五十年後、国家としてどんな事態が、万が一のことが起きても、国の主権と国民の命を守り得る体制をきちっと持っていることは、またその体制をつくることが、政治家としての責務だと考えているものでございます。  全くこの点においては、意見といいますか、基本的なスタンスが食い違っておりますので、安全保障の話はこれぐらいにさせていただきます。  次に、これは「通販生活」という本に、二〇〇〇年秋の特大号に小田先生が「「阪神大震災」と「マス・メディア」」という論文を書いておられたのを私、拝読いたしまして、もしおいでになったら聞いてみたいなと思っていたことなんですが、その中で、当時の盧泰愚大統領の訪日に触れておられて、「彼がたずさえもって来た在日韓国人の生活に直接かかわる懸案は何ひとつ解決されてはいなかった。」という一文があったんですけれども、ここでおっしゃっている在日韓国人の生活に直接かかわる懸案というのは、具体的にはどういう問題だったんでしょうか。
  93. 小田実

    ○小田参考人 私は、ここにその問題を話に来たのと違うんです。だから、あなたの質問も、私がしゃべったことについて限定してください。「通販生活」云々は別の話。私はたくさん著書を書いています。それは私の別の講演会に来て、あなた、質問しなさい。おかしいですよ。  つまり、私は、参考人として日本のあるべき姿と憲法の関係についてしゃべってくれというので、憲法調査会でしょう、そのためにここに来たんです。延々としゃべりました。時間を費やして準備もした。それについて質問は幾らでも受けます。それ以外のことについてやるんだったら、私は無限に著書を書いていますよ。いろいろな人がいろいろなことを聞き出したら、これは、私はここへそういうものを答えに来る場所ではありません。
  94. 高市早苗

    高市委員 憲法調査会で、通常国会における議論の中で、憲法の課題として、外国人の権利とその限界という問題が挙げられましたので、参考人として来ていただいたからには、憲法にかかわる問題であったら、私はお聞きしていいと解釈をしておりますが……
  95. 小田実

    ○小田参考人 私は思いません。私は、今の私の話に対する質問として受けます。私の話の中にそれは出てきていません。それだったら、別の機会に私はしゃべりに来ます。
  96. 中山太郎

    中山会長 この際、小田参考人に申し上げます。  発言する際は、その都度会長の許可を得ることになっております。御了承をお願いいたします。
  97. 高市早苗

    高市委員 これは会長に伺います。  参考人に対しては、参考人がこの日、この場でおっしゃったことに関してのみしか質問できないんでしょうか、当調査会では。憲法にかかわることで、これまでも憲法調査会の議論の中にあったことに関して、参考人の御見識の中で思っておられることをぜひお伺いしたいと思ったんですが、それはこの会で許可はされませんでしょうか。
  98. 中山太郎

    中山会長 会長として申し上げたいことは、当調査会は、広範にしてかつ総合的に日本の憲法の調査を行うということを原則にスタートしております。  なお、今日の議題は、二十一世紀日本のあるべき姿ということについて、参考人をお招きしているという状況の中での御質疑でございますので、その点、高市議員からいろいろと御発言があろうかと思いますが、お答えになる、ならないは小田参考人の御意思に従わなければならないと思っております。
  99. 高市早苗

    高市委員 先ほど、お話の中で、阪神大震災でボランティアをされたお話が出てきましたので、それに関連してほかで書かれた論文を読んでおりましたので、その中で私はぜひ御見識を伺いたかったんですけれども、お答えいただけないようでございますので、本日の質問はこれで終了いたします。
  100. 小田実

    ○小田参考人 発言します、いいですか。
  101. 中山太郎

    中山会長 どうぞ。
  102. 小田実

    ○小田参考人 それに関連して言いますと、私は、阪神・淡路大震災の話、それから市民立法の話、そういう問題もここで論じようと思っていたんですけれども、前述の話、さっき言った日本の将来についての話に焦点を置いてそれを延々と話をしたんですね。  その後、阪神・淡路大震災関係については、しゃべろうと思ったけれども時間がないのでやめますと私は申し上げました。それだけ申し上げておきます。
  103. 中山太郎

    中山会長 それでは、会長として申し上げますが、高市委員は、質問を、小田参考人の御意思を伺えなくてやめるとおっしゃいましたが、小田参考人には、阪神大震災におけるボランティアの御経験についてお話しになる御意思はおありでしょうか。
  104. 小田実

    ○小田参考人 ありますけれども、時間をとりますね。  それはそうじゃなくて、ボランティアではありません、私が言おうとしているのは。それは高市さんが誤解なさって今言われただけの話であって、私は市民・議員立法をやってきて、その中で体験したことで、日本の議会のあり方、憲法に絡んでそのことを申し上げようと思ったんですけれども、ただ、今それをしゃべっていればまた二、三十分かかるので、それはやめるということを申し上げたのです。
  105. 中山太郎

    中山会長 わかりました。
  106. 小田実

    ○小田参考人 要するに、私は、それをしゃべろうと思ってその資料をここにあるように持ってきたんですけれども、今の質問されている方に対してだけ、部数がないので配りました。しかし、残念ながら時間がなくなってしまったので、十分に討議することができない、だからそのことについてはやめますということを申し上げたのです。
  107. 中山太郎

    中山会長 高市委員からは、小田参考人のきょう御提示になった市民・議員立法実現推進本部活動録、この資料についてお尋ねをしたいという御希望があったわけですが、時間の関係上、小田参考人は時間が足らないという御意見でございますので、その点は、時間の制約で実施できないということで判断をさせていただきたいと思います。  なお、高市委員の発言時間はあと十分間残っておりますが、もう発言されませんか。
  108. 高市早苗

    高市委員 結構でございます。
  109. 中山太郎

    中山会長 それでは、細野豪志君
  110. 細野豪志

    細野委員 民主党の細野豪志と申します。  何となく冷ややかなムードが漂っていますので、できましたら和やかにやっていきたいと思っております。よろしくお願いいたします。  私、二十九歳です。本当に平和ぼけした世代とよく言われる世代でございまして、その面からいいまして、小田さんのお話というのは、実体験に基づいて、しかも強い思いをお持ちで、その中からお話をされているのを非常によく感じることができまして、きょうはお話を聞けて本当によかったなと思っております。  基本的な考え方のスタンスといたしまして、市民的な奉仕活動をもっとやっていくべきではなかったかという御提案、また武力介入というのは必ずしも効果がないんだというお話、正義の戦争はないんじゃないかというお話、その多くは私にとっても納得のできるところではあります。  ただ、良心的兵役拒否者というのが、先ほど高市先生の方からも話がありましたとおり、兵役についている方がいる中で成り立っている制度であるというのも、これもまた事実だということをやはり感じました。  したがいまして、日本が軍事を拒否するのであれば、だれかが守ってくれるという考え方をとるのか、その辺の問題がやはり自衛権のところで出てくると思うのですね。  小田先生先ほど言われましたとおり、あくまでそれは将来への展望であるというお話はよくわかったのですけれども、実際我々は政治を目の前の課題としてとらえていかなければならない。当然自衛権の問題もあります。兵役を拒否する、日本が軍事拒否国家に立つのであれば、在日米軍をどう考えるのか。その短期的な課題について小田さんが今どのように考えられているのか、具体的にありましたらお願いしたいのです。
  111. 小田実

    ○小田参考人 まず、日米関係をきちんとすることだと思うのですよ。軍事的なものに基本を置くような日米関係をやめることです。  さっき申し上げましたように、安保条約をやめて、日米友好平和条約をまず結ぼうじゃないか。それは政治をやっている方たちが真剣に考えていただきたいと思うのです。これがある限りアメリカ世界戦略に組み込まれてしまう、いや応なしにそうですね。前よりもはるかに強化されて組み込まれていますね。これは私が説明する必要はないと思うのです。だれがどう考えても組み込まれていますね。これからやはり出なければいけないということが一つ大きな課題としてあるんじゃないでしょうか。まずそれをやり直す。  もし、例えば軍事関係が必要だと我々が考えて、我々というのは、アメリカ側も日本側も考えるにしても、一たんあれをやめて、軍事条約という、占領政策からずっと続いているものですよ。あれはそもそも東西の冷戦構造の中でつくられたものですね。冷戦構造がもうなくなった、なくなったにもかかわらず、今度はまた別の理由を掲げてやっているということ自体がもう使い物にならなくなっていると思うんですよ。  それをもう一遍やり直すということは、日米友好平和条約をまず結ぼうじゃないか、さっき原理は申し上げました。日中平和友好条約を基本にして、まず結び直そうではないか。そして、日米関係を、軍事条約を基本にするようないびつな関係からもっとちゃんとした友好平和条約を基本にしたものに変える。その上で、もし軍事的連関が必要ならば、それはこれから話し合っていこうじゃないか。まず基本から正そうじゃないかということが一つ必要だと思うんですよ。それをしないと、中国とどうするんだとか、何とかかんとか言っているよりも、一番かなえの軽重が問われているのは日米関係でしょう。日米関係が一番基本にあるんですから、その基本のものから手をつけていったらどうかというのが私の考え方です。それは政治家諸氏の努力によってできると思うんです。  私は、別にアメリカとけんかしろとは言っていません。そんなことを言っているわけではなくて、一緒にやろうじゃないか、友好平和条約を結んで、そしてお互いに協力していこうじゃないか。今までいびつな関係ですね。軍事条約の中で、できるだけその軍事条約的側面を外していったらとかいう人もいるんですね。そんなばかなことをそもそもやめたらどうか。日米友好平和条約になって、その上で結び直すなら結び直したらどうか。そうしないと、議論が紛糾すると思うんですよ。  私は、この間、かつての国務次官補であったアーミテージという人と一時間ぐらいしゃべったんですよ。テレビにはちょっとしか撮らなかったけれども、大論争をしていたんです。そのときに、結局、これから日米関係の中で、おまえは、もっとちゃんと応分の分担をしてもっとやれというようなことを言っていましたよ。私は日米友好平和条約に変えろと言ったわけ、彼はびっくり仰天して、大論争になっちゃったんですけれども。  だから、一遍基本的なところに戻す必要があるんじゃないかな。何といっても、一番問題は日米関係ですよ。そのことが、まず基本的認識のし直しが必要だと僕は思う。日米関係が基本なんですよ。しようがないですね。だから、その日米関係が、今度は軍事条約を中心にして動いていくことはやめたらどうか。  一例を挙げますと、例えば沖縄という名前を普通のアメリカ人が知っていますか。だれも知らないですよ。私は、二年間教えたり、アメリカとのつき合いが一番長いんですよ、考えてみたら、友人も一番多いですからね。そうすると、そこの中で沖縄の名前を知っているのは軍人関係だけでしょう、海兵隊で行っていたとか、そういう連中だけですよ。そういう連中が牛耳っていくということでしょう。沖縄関係というものがわっと焦点になること自体おかしいわけです。日米関係の連関の中で動いていくはずですね。それは、まず基本的な関係をしてから一つ一つ考えていく。  だから、私のあなたへの答えというのは、まず日米関係を考えようじゃないかと。日朝をどうするんだとか、日韓がどうするとか日中だとか、すぐそうなっちゃうんですけれども、それより一番大事なことは、アメリカ軍と一緒に組んでいるんでしょう。日本の中に軍がいるんですよ、アメリカ軍がいるんです。ほかから見たらどう見えるか。それは、アメリカを敵視する国から見れば、日本は敵ですよ。私は中立でと言ったってしようがないじゃないですか。私は、そのことが一番大事じゃないかと思います。まずそれから変えてください。それはあなた方政治家の責任だ、あるいはやることだ。こういう提言はしていいんでしょう。
  112. 細野豪志

    細野委員 どうしても、私自身の考えとしても、自衛権の問題というのは非常に重要だなということは思っておりまして、そこの部分で、将来的な展望と短期的に我々が何をしなければならないのかというところは、かなりきちっと考えていかなければならないというふうに思います。  自衛隊についても、具体的に、今小田さんが長期的にという話がございましたけれども、短期的にどのような方策を考えているか、災害復旧というようなお話をされておりましたので、一つそれがアイデアなのかなとは思うのですが、今の段階で具体的にお考えになっていることをもう少し詳しく教えていただけませんでしょうか。
  113. 小田実

    ○小田参考人 残念ながら時間がなくなって、さっきみずから取り下げてしまった。この新しい法案を私たちは延々とやってきたんだけれども、新しい法案の中の骨子というのは、災害救助の問題が入っているんですよ。災害救助隊というのをちゃんとつくろうじゃないかということを私は提案しています。それは、今まで自衛隊がやっていることの中の災害救助部分を切り離して、その人たちも含めて民間のものとしてつくり直す必要があるだろうということ、これを骨子にしているんですね。  こういうことがあると思うんですよ。私は、阪神・淡路大震災の被災者として給水を受けていたんですよ。給水車が来ましたよ。三重県久居市というところの、だれも知らないような小さな都会の給水車がやってきて、私はそれで露命をつないだ。一月ぐらいそれで水を飲んでいたんですけれども、そのときに自衛隊の給水車も走っていましたよ。来たことあるんですけれども、自衛隊の給水車は兵員輸送車についてくるんです。兵員輸送車に自衛隊員が乗っていて、そのための給水車だということを一遍その給水を受けたらわかりますよ。非常にタンクも小さいし、鋼鉄製のタンクですよ。兵員輸送車のための給水車ですよ。それがたまたま我々に使われているだけのことでしょう。それなら初めからちゃんとした給水車を持った方がいいだろうというのは当然出てきますね。私は非常にリアリストですから、そっちからしゃべっているんですよ。夢みたいな話をしているわけじゃない。  そうしたら、そこを切り離してちゃんとした救済体制をつくる。例えば今、FEMA、アメリカ合衆国の救済組織でよく言う危機管理庁ですね。日本では、すぐ本末転倒をとったり、枝葉末節をとっていくんですよ。ついでに言っておきますが、FEMAの最大の役割というのは被災者に対してお金を渡すことですよ、危機管理じゃないんですよ。日本では危機管理、危機管理と言ったんですけれども、一番最初の一番大事なことは、一週間以内にお金を渡しているでしょう。例えばロサンゼルスのノースリッジの地震において、最高二万二千二百ドル渡していますよ。それがFEMAの役目ですよ。みんなを安心させる、その上の話としてやっていくんですね。ところが、日本では危機管理だけ先行する。お金の話はどこか行っちゃった。私が言うと、ああ、そんなのあるんですかとみんな言うんですよ。それでは困るでしょう。  そのFEMAの一つ役割というのは、物すごく災害救助していますね。それは、不要になった陸軍の基地なんかを使ってやっているわけです。だから、私が提案していることは、例えば自衛隊のどう考えても不要なところをその災害救助の基地にして、災害救助隊をちゃんとつくれと。それで、災害救助隊を日本国家の名前において派遣するんですよ。  さっきの私の市民的奉仕活動に絡みますけれども、台湾に地震が起こったといってみんな行くでしょう。あれはみんなボランティアですよ。日本国家としてやっていない。日本国家として災害救助隊がちゃんとでき上がって、それで自衛隊のそっちの部分を全部こっちへ持ってくる。非武装にしてしまう。それで本当の災害救助に専念する。自衛隊の基地を使えばいい。そうしてつくっていく。その人たち日本国家の名前において派遣されていくということが非常に必要なんですよ。そうすると、日本はここは市民的奉仕活動しているでしょう。  ボランティアが肩がわりしているんですよ、我々が。そういうやり方をやめるということも含めて、やはり災害救助の問題から日本の国のあり方、安全保障とあなたはすぐ言うけれども、安全保障とは、自然災害に対する安全保障はしていないでしょう。自然災害に対する安全保障が必要なんですよ。外敵ばかり言わないで、内敵ですね。いつここに地震が起こるかわからない。そうしたら、それに対してどう対応するかということが十分でき上がっていない。そのことにもっと目をつけていただければ幸いです。
  114. 中山太郎

    中山会長 小田参考人に、会長として、国会法四十八条にのっとりまして、議事の進行について申し上げたいと思います。  先ほど高市早苗君からの質問に対して、きょうはその話しないという御発言がございました。そこで、高市早苗君に残りの時間十分について発言の意思があるかどうかということを確認いたしましたら、お答えがないのでもうそれはしないというお話でございましたので打ち切りになりましたが、ただいま細野君の話でこの問題について御意見が陳述されたということにつきまして、高市早苗君のこの会における発言について、発言を拒否されたといったことについて、会長として遺憾に存じておりますので、どうぞその点はひとつ原則的にお立場をお守りいただきたい、これをお願いしたいと思います。
  115. 小田実

    ○小田参考人 質問があったから答えただけですよ。まあ、いいです。
  116. 細野豪志

    細野委員 私も、余り災害の話はしないように。  私も実は、その話には持っていきませんが、阪神・淡路大震災のときに、二カ月ボランティアで現地に入ってここに携わりました。そのときも、小田さんが取り組まれていました生活再建支援法の必要性というのを非常に強く感じておりましたし、その後、生活基盤回復援護法を今やられているということもよく存じています。  人間の国というのを特に小田さんの場合は主張されているわけですけれども、例えば、憲法を見たときに、私有財産制を前提としていて、災害に対する公的支援に関しては生存権で見ていくしかないというような実情があります。私有財産制を前提としていることをもって必ずしも災害に対する公的支援の部分に対して措置ができないというふうには私は考えませんけれども、ここで一つ、例えば具体的に憲法改正というところを積極的に受け入れる余地はないのかなというのを、きょう話を伺って感じました。  といいますのは、例えばドイツの憲法を見ますと、これは最近改正されたところなんですが、庇護権につきまして、政治的に迫害されている者は庇護権を有するとはっきり書かれているのですね。まさに日本が軍事拒否国家たる、しかも奉仕活動をするんだということを国として方向性を示すのであれば、例えばこういう条文を憲法に入れていくというようなことは十分考えられると思うのです。  この辺について、特に小田さんのように市民活動をやられてきた方にとって、憲法改正というのはタブー視されてきたところではあると思うのですが、これを一歩逆から見ると、積極的に日本がそういう方向に進むのに、進むべき道の一つの選択肢ではないかというふうに私は感じているものですから、御見解を伺いたいのです。
  117. 小田実

    ○小田参考人 私は、今の憲法が完全なものとは少しも思っていないのですよ。ただ、理念として平和主義があるんだ、これを大事にしていこうじゃないかという話が私のさっきの話の骨子なんです。その具体的な実現というのが第九条であるんだと。それから、ないものをあるものにしようとする気概のようなものがあると。それは、九条だけじゃありません。さっき申し上げましたけれども、いろいろな条項に出てきます。そのことの精神がまずあって、そして我々が市民的奉仕活動をしていく中でいろいろな必要性が出てくると思うのです。そのときには我々が討議する。そのために憲法調査会があると思うのですね。私はこの存在を評価して、来たのですよ。  私の立場というのは、やみくもに護憲護憲と言っているわけではありません。私は、さっき申し上げましたが、もっと積極的に考えていこうじゃないか、その一環としてこういう活動もあるんだということが非常に大事だと思います。それがあなたに対する私の答えです。  それから、一つ大事なことは、イランの憲法制定会議会議長格の人ですね。イランというのは最高指導者というのを設けまして、これはかつての天皇みたいなものでしょうね。天皇制のもとの近代国家みたいな感じがしますけれども、ホメイニの後継者がハメネイという人ですね。その兄さんが憲法制定会議をずっと牛耳ってきた人なんですよ。たまたま私は会う機会があってしゃべっていると、彼が非常に自慢していることは、つくっては、我々は選挙ばかりしているんだと。国民投票ですね。例えば、二十一年間彼は政権を持っているのですけれども、二十三回国民投票をしてきたと。憲法をつくるとすぐ国民投票をする、そういう形式をしてきたんだということで、国民が参加しているんだということを強調しようとしていたのですね。  そうやって、我々が憲法調査会でやるいろいろな過程が、国民投票までいかないにしても、そういうものとして市民の意見というのが絶えず反応していくようなやり方というか、そういう組織をつくっていく必要があるでしょうね。それも一つ考えていただければいいと思う。     〔会長退席、鹿野会長代理着席〕
  118. 細野豪志

    細野委員 憲法改正に関して必ずしもタブーではないという発言と受け取りまして、私は、非常に前向きな考え方ですばらしいというふうに感じております。  そのほかにも、環境権に関しても、十三条の幸福追求権もしくは二十五条で担保されているということを言われているわけですけれども、実際これだけ環境が破壊された中で、やはり積極的に政府として措置をしていく必要があるのではないか。ドイツはその点に対してもさまざまな、きちっと自然的な生活基盤を保護するという条文を置いております。  ちょっと話はずれるのですが、もしお答えいただけるようであればということで結構ですので、小田さんの中で、九条以外の部分で、この部分は変える必要性があるのではないかというようなアイデアがもしございましたら、お教えいただけますでしょうか。
  119. 小田実

    ○小田参考人 今のところありません。これからの進展の中で、いろいろな討議の中で出てくると思います。  しかし、まず第一に、この憲法を実現していこうじゃないかというのが私の考え方なんです。今すぐこちょこちょといじったり、ほかの国がやっていることだなんていってすぐ変えたりするのじゃなくて、これは実現していないでしょう。健康にして何とかの生活にしても、何もやっていないですよ。判決を見ても、哀れなものですが、下っていないじゃないですか。  だから私は、この憲法に書いているものを本当に実現する努力をみんながしようじゃないかという提案なんです。その一番の具体的な例が平和主義なんですね、憲法第九条なんです。その具体的な手だてについて、私は、ここへ来てしゃべりました。だから私は、すぐこっちがあれだ、こっちがあれだ、変えようじゃないかというようなものではなくて、まず実現に努力しようじゃないかと。  つまり、私が前文を引用したことは、ないものをあるものにしようということを言っているのですね、これは。そうしたら、その努力を十分していないでしょう。その一番いい例が今の平和主義の実現ですね。やっていないのですよ。そうしたら、これは、我々はこれから本当に皆が努力しようじゃないか。政治の党派の別を超えて、あなた方は全部憲法を守ると言っているのですから。憲法を守るというのはどういうことか。それは実現に向かってみんなが努力することでしょう。ということが、私の今考えていることです。
  120. 細野豪志

    細野委員 非常に丁寧なお答えでありまして、ありがとうございました。  私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  121. 鹿野道彦

    鹿野会長代理 赤松正雄君。
  122. 赤松正雄

    赤松(正)委員 きょうは大変に示唆に富んだお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。  先ほどから話を聞いておりまして、若いときに小田実さんの「何でも見てやろう」を読んで大変に感銘を受けた人間として、その後、日本には三大青春記があると。一つは小田実の「何でも見てやろう」、もう一つは北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」、最近では石川好の「ストロベリーロード」だと私は常々思ってまいりましたけれども、その小田実さんに直接こうやってお話を聞く機会があって、なかなか感銘を受けております。  先ほど来提示されたお話は、私は、個人赤松正雄として一〇〇%感銘を受けましたし、そのとおりだろうと思います。政治家としてどうやってそのことを実現するか。さっき平宗盛の、見るべきほどのことは見つ、するべきほどのことはすつという、その後ろの部分がないという話を、現代に生きる政治家の一人として痛切に反省もしたわけでございます。  一つ二つ、御意見をさらに聞かせていただこうと思うのですが、さっきお話の中で、日本には力があるんだというふうなお話がありました。要するに、小田さんが今提起しておられる平和主義、これを世界の中で現実のものとして具現化していく力がある、こういうふうにおっしゃいました。  私は、政治的立場として、その今のお話で類似するかなと思っているのは、私たちの主張としては、日本にはソフトパワーがある、ハードパワーではなくてソフトパワーがあるんだ。それは、世界唯一の被爆国であるということ。あるいはまた、経済的にアジアの中では大変に大きな力を持っているということ。それから三つ目は、東西文化の融合する場所に位置している、そういう文化という部分でも世界に誇るべき立場を持っている。それからもう一つは、科学技術という分野で日本は大変な力を持っている。この四つをソフトパワーというふうに位置づけて、日本がもっと外交の分野で展開していかなくてはいけないということを、実は、先ほど予算委員会の場で質問に立ちましたので、そういうことを総理大臣に申し上げたわけです。  要するに、その辺の、日本の持つ力ということについて、先ほど経済ということと、もう一つ、ちょっと触れられましたので、その辺のことをもう少し敷衍して言っていただければありがたいと思うのです。
  123. 小田実

    ○小田参考人 私の考えるところでは、この二十世紀、終わりつつあって、二十一世紀になるでしょう。今、全人類が再検討のときに来ていると思うのですよ。それぞれの歴史の検討ですね。いろいろなところで行われていますね、歴史の再検討をする。アメリカでもやっているし、ヨーロッパでもやっているし、どこでもやっているのですよ。日本でもやりつつあると思うのです。そして、一体我々は何をしてきたか、将来何を残していくのかということが問われていると思うのです。  私の認識もそうです。私もこの五年ぐらい、一つは阪神・淡路大震災で死にかけたり、いろいろなことがあって考えたのです。そうすると、例えばアメリカ合衆国を見ますと、アメリカ合衆国が今一番残していくものとしてあるのは、差別に対する敏感ですね。差別を解消したと思ってないのですよ、アメリカ合衆国は。ただ、差別問題についての敏感さ、これは政治が持っていますよ。それから社会が持っています。しかし、それは正の遺産として残していくべきだと思います。それは、アメリカだけじゃなくて、全人類のためですね。我々は大いに学んだらいいと思うのですよ、アメリカの差別に対する敏感さ。  私は、ニューヨークの大学で教えていて、なるほどなと感心したことがあるのです。私の学生たちというのは千差万別ですよ。それを相手に私は教えていたのです。なるほどこういう社会をつくってきたのだということを感じました。しかし、それは負の遺産を持っているのですよ。アセットという言葉で僕は学生に教えたわけですけれども、財産ですね、負のアセットというのがまずあるのですよ。それはもちろん、奴隷を殺し、めちゃくちゃにしたでしょう。その反省のもとに、こういうことをしていたらおしまいだというのが出てきて、やっと今になって差別に対する敏感さ、これが出てきたと思うのですよ。  それから、ヨーロッパは何か。ヨーロッパは、マルクスが指摘するようなすごい搾取をして、めちゃくちゃな資本主義をつくるということをして、それに対する反省が、社会保障を中心にしたものをつくろうじゃないか、一種の社会主義ですね。そういう社会主義のようなものをつくろうじゃないかというのは、負の財産を入念に積み上げられた正の財産ですね。それが、ヨーロッパが人類に今与えている大きなレッスンだと私は思うのですね。  それから今度は、第三世界は何かというと、やはり解放闘争をして、いろいろなばかみたいなことが今起こっているけれども、少なくとも自分の自由を守って闘った、殺されたりいろいろなことがあったけれども、闘ってきたことを残していく。私は、朝鮮を見ていてそうだと思うのですよ。インドを見ていても、インド解放闘争というのをしたおかげで今のインドがやっと来たんだということですね。そのことをやはり残していく必要があるだろうと思うのです。自由を守るためにとかいろいろなことはあるけれども、自決を守る、自分の自由を守っていくというようなことが、一つの負の遺産もあったけれども、それが正の遺産として我々が残す課題だと。  それでは、日本は何かと思うのですよ。私は、作家として、日本の文化を相当いろいろ勉強したけれども、日本の文化として残すとか、そういうことを議論しても仕方がないと思っているのですよ。つまり、日本はお能があるといえば、それではギリシャ悲劇が向こうにあるし、そんなことをしてもしようがない。  そうじゃなくて、さっき申し上げました、殺し、焼き、奪う歴史を我々はやって、殺され、焼かれ、奪われる惨劇を背負った、それから見るべきものが見えるんだ、ほかの人には見えないものが見えるんだということ、この平和主義です。それはドイツもそうなんですよ。ただの経済大国では困るんですよ。ただの金持ち国になっても仕方がない。そうではなくて、残すべきは何かというのは私の言う広義の意味の平和主義ですね、それが見えたのですよ。そのことを全人類のために残そうじゃないかということのために私は必死になるべきだと思うのです。それが二十一世紀のために、これから全人類のために我々はすべきだと思うのです。  私はいつもこの平和主義を考えるときに、一体人々が何のために死んだのかと考えるのです。例えば、戦争のために死んだ、犬死にであるとか、名誉ある死だとか、そんな論争をしていてもつまらないと思うのです。そうではなくて、全体の死、殺し、あるいは殺された死、この全体を私は悼む気持ちはありますね。そして、そういう死をむだにしないために、殺し殺された、それは、どっちがいいとか悪いとか犬死にだとか、そういう議論をもうやめにして、全体が殺し殺されたのだと。  そして、それを生かすためにはどうするか。それは、我々が良心的軍事拒否国家に立って、見るべきものを見たのだということをやはり全世界に提示し、それに少しでも貢献すること、これしかないのじゃないかと私は思うのです。それぞれが負ってきたものを我々は二十一世紀に向かって全人類のために使うべきときにあると思うので、私は、そういう次元の話を実はここへしに来たのです。
  124. 赤松正雄

    赤松(正)委員 ありがとうございました。  アメリカとの関係をどうするのかというのは、もう本当に常々悩み、堂々めぐりをしています。つまり、私のように一九四五年に生まれて戦後そのものの中で生きてきた人間にとって、アメリカの存在というのは非常に深く重い。  要するに今、日米安保条約を結んで在日米軍基地というものを抱えて、沖縄の現実があって、日本の現状がある。これをいつまでも続けるわけにいかないというふうに当然思っておりますけれども、さりとて、先ほど来お話が出ているような日常の安全保障という観点から見て、たちどころにどうこうはできない。これは小田さんと先ほど来の話で全く一致するわけですけれども、将来においてどれぐらいかは別にして、アメリカとの関係をきちっとしていく、それに向けて動こうじゃないかというのはそのとおりだろうと思います。  そういう中で、ヨーロッパの国々は、戦争について、もういいということを学び出しているということは、私もこの間訪欧の視察団の一員として行かせていただいて非常に痛切に感じてまいりました。その分が、アジアにおいては、もちろんアジアでも一九四五年に至る過程の中で経験をしたのですが、その歴史から学ぶ学び方がいささか弱いのじゃないかなという意識を持っておるわけです。  「ベトナムに平和を!市民連合」で大変な闘いをされた小田さんですから、アジアでもそのことは十分に学んでいかなくちゃいけない歴史を持っている、こう言われるのだろうと思うのですが、むしろ今、ヨーロッパにおける冷戦の終わりに対比して、アジアにおける新冷戦の時代というようなことも指摘されているという流れの中で、何とかそれを覆す動き日本がつくらなくちゃいけないというふうに強く思っております。  そんな中で、日本が非核三原則というものを持ってきた、つくらず、持たず、持ち込ませず。これは日本が、外に働きかけのない、自分の自制心として我が身に与えた一つの原理だろうと私は思うのです。それをもう一歩、積極的に他に働きかける原理として、つくらせず、持たせず、そして使わせずという新しい非核三原則というものをつくるべきだという考えを持っているのです。私がここでそんな持論を述べても始まりませんが、今のような考え方、小田さんに聞いていただいて、どういうふうに思われるか、御感想を。
  125. 小田実

    ○小田参考人 それは非常にいいことだと思うのですよ。小さな声でも上げることが、やはり議員にとっても必要でしょうね。私はそういうふうに思うのです。市民と議員が一緒になっていろいろと考えることをもっとつくって、そういう小さな声を上げていく、それがだんだん大きな声になるんだということは非常に大事だと思うのです。殊に日本国は、少なくとも被爆の国でしょう。被爆の国としてもっと積極的に発言すべきでしょうね、政治家も。それが非常に必要なんですよ。  しょっちゅうそれを言っている必要があるだろうし、実際具体化していく。日本の中で核を持ちながら、そんなことを言っても仕方ないですよ。核兵器を持ちながら言っても仕方がない。そうするとまた日米関係が出てくるでしょうね。そのことをこれからの努力として明らかにしていく、実際にやっていく必要があると思うのです。  例えば、ドイツがアウシュビッツについて、ノーモア・アウシュビッツだと、なかなか発言力がありましたね。それが結局コソボに行くんだ、空爆に行っちゃうんだ。それなら、同じことを日本はもっと強力に、広島、長崎を言うならば、本当に強力に言わなければいけない。あらゆるものに反対するんだったら、アメリカにまず反対しなきゃいけないですね。そういうことが問われていると思うのですよ。インドとパキスタンへ行って御託を並べてもだめなんですよ。一番強力なのは日米関係でしょう。その中の核兵器の問題があると思うのです。そのことをまず我々が強力に推し進めない限り、絵にかいたもちみたいになるおそれがあると思うのです。
  126. 赤松正雄

    赤松(正)委員 最後に、先ほどのお話の冒頭で、インドに行ってきたというお話があって、この間の毎日新聞の小田さんが書かれたものも読んだのですが、実はIT革命のことを最後にちょっとお話を聞きたいと思うのです。  インドに行かれて、そしてこの間の森さんのお話を聞かれて、日本のIT革命の将来というものを非常に憂えておられた。貧富の差を拡大する側面というものを強調されたように記憶しているのです。  私は、IT革命、光と影の両方の面があるだろう。政治世界という分野に限って言えば、IT革命というものが進むことによって情報の公開というものが格段に進む。一般市民、有権者が政治家と直結する。政治家の物の考え方、何をしたか、何を考えているか、何を動いたかということがこれからはもう手にとるようにわかる時代が来る。これは、隠したりあるいは真実を語らない政治家が淘汰されるという最も手っ取り早い政治改革の道だろう、こんなふうに思って、IT革命のいろいろな側面があるのですけれども、そういう部分は大いに評価しよう、こう思っているのですが、その面について。
  127. 小田実

    ○小田参考人 私の発言は、今の問題と核の問題とを絡めてしゃべりたいと思いますね、戦争の問題について。  IT革命のマイナスの面というのは、私が皆さんにお配りした資料の中にも書いていますけれども、日本に絡めて言うと、私がなぜIT革命の話を最初にちょっとしたか。そして、私は良心的軍事拒否国家の話をしたんですね。というのは、IT革命というのは一番軍事技術に使われるでしょう。要するに、IT革命が将来へのすばらしい展望を開くというような話ばかり言われているわけですね。それなら、根本的に戦争をしない国家をつくっていかなきゃいけないでしょうね。いわゆる良心的軍事拒否国家があった上の話なんですよ。だから私はその後ずっとしゃべったわけですね。IT革命の話をちょっとしてから良心的軍事拒否国家の話をしました。  というのは、これほど軍事技術に転用、転用というか使っているんですからね、大体。今のIT革命の本体は全部軍事技術です。アメリカ合衆国が開発した軍事技術を我々はもらっておるわけで、それでIT革命だIT革命だと言っているんですけれども、軍事技術なんですよ、これは。こういうあり方がまず基本にあるんだ。  我々の国としてそれをやっていけば、それは本当に戦争に使うんですから、そうでないものとしてIT革命を考えていかなければいかぬ。だから私は、基本には良心的軍事拒否国家としてやるんだ、平和主義があるんだということがあった上でのIT革命でないと、人々の幸福につながらない、破壊と殺りくにつながるだろう。  これは私は、IT革命ではないけれども、ドイツの非常に高名な、ソフトの開拓者の一人として有名な人なんですけれども、その方と対談したんです。彼はそのことでマサチューセッツ工科大学の教授をやめたんです、ベトナム戦争に使われるということでやめちゃったんです。  だから結局、IT革命の恐ろしさというのは、軍事技術そのものなんですね。それとどう切るか。どう切るのかというのは、このままやっていけば、国を守るためとか、みんなずるずるくっついてきますから、これはやはり良心的軍事拒否国家あり方を求めて、その上でIT革命をするということが必要だと思います。その議論がなされていないと思うんですよ。ばらばらなんですね。  IT革命は軍事技術なんですよ、まず第一に言っておきますが。その軍事技術のおこぼれで我々は来たんだから、そういうものでないIT革命をするわけです。そのためにはまず軍事的なものを断ち切らなければいかぬ。そのためには、日本の科学技術がそういうものと断ち切った形にするためには、良心的軍事拒否国家をつくって、そしてこれは軍事技術でないんだというものが明確になって全世界にそれが行くという形じゃないと世界は変わらぬでしょう。私はそこまでの構想でさっきの話をしました。
  128. 赤松正雄

    赤松(正)委員 終わります。
  129. 鹿野道彦

    鹿野会長代理 武山君。
  130. 武山百合子

    ○武山委員 自由党の武山百合子でございます。小田さん、きょうは、二十一世紀日本のあるべき姿ということでのお話、どうもありがとうございました。  早速ですけれども、小田さんはいろいろな国を平和主義また戦争主義というお話をされて行かれているようですけれども、例えば中国に行かれたときはどんな反応がございましたでしょうか。(小田参考人「何についてのお話でしょう」と呼ぶ)  平和主義か戦争主義かというお話をずっと聞いてきたわけですけれども、その中で、あちらこちらに講演また勉強にまた御招待で行かれたり、そういう中で中国にも何回も行かれたというようなお話、そのお話の中で中国が出てきたと思うんですね。中国に行ったときのお話の反応をぜひ聞きたいと思います。
  131. 小田実

    ○小田参考人 残念ながら、私はその話をしたことがないんですよ。というのは、私は最近中国に行っていないんですよ。私は、戦争主義か平和主義かということを考えて、そういう思想活動をしているのはこの五年間ぐらいです。残念ながら、中国にはその間行っていないです。
  132. 武山百合子

    ○武山委員 先ほどの中国へ行かれた話はずっと前のお話だということですね。(小田参考人「ええ、そうです」と呼ぶ)はい、わかりました。  それでは、先ほどのお話の中で、長期的展望ということで、現行憲法、平和主義に徹して、平和主義を説いていくべきだというお話を聞きました。ないものをあるもののようにしてきたということで、では、なぜないものをあるもののように、戦後五十数年たっているわけですけれども、してきたと思われますか。
  133. 小田実

    ○小田参考人 ちょっと誤解があると思うんですね。私は、ないものをあるものにしようという意欲に満ちた憲法だと。ないものをあるようにごまかしてきたということは申し上げていません。この憲法は、ないものをあるものにしようという意欲に燃えた、気概に満ちた憲法だということを申し上げたのであって、ごまかしてきたということは言っておりません。
  134. 武山百合子

    ○武山委員 それでは、なぜ現行憲法の根底に流れている平和主義が皆さんに理解されなかったんでしょうか。
  135. 小田実

    ○小田参考人 理解されたと思いますよ。ただ、現実の政治の中でそれがうまくいかなかった理由を私は申し上げました。一つは、日本が貧しくてそして力もなかった。そういう平和主義を実現していくだけの力を持っていません。それは事実そうです。だからこそ、今こそ我々は力を持っているのだから、それを実現する方向に一歩でも進もうではないかということを申し上げています。  それからもう一つの理由を言いました。東西対決の冷戦構造の中に安保条約を仲介にして強力に引きずり込まれた。にっちもさっちもいかぬところに追い込まれた。その中でも平和主義を求める動きが辛うじてあったんですよ。  例えばバンドン会議ですね。五原則を周恩来とかネルーが言い出して、五原則を実現するバンドン会議というのを、日本政府は正式代表団を送っていますよ。そのとき自民党政権ですね。私の尊敬する政治家であった宇都宮徳馬さんが一生懸命やって、そして、バンドン会議中曽根康弘さんも少し参加しているはずですよ、彼はそう言っていましたから。それが一つの変わり目だったんですよ。平和主義を実現していこうじゃないか、ああいう東西の冷戦構造から離れて、そしてやっていこうじゃないかという一つ動きを自民党政権が示しました。  しかし、それがうまくいかなかったんですね。結局そのことの動きアメリカの戦略に抵触するので必死につぶしに走った。バンドン会議の精神だけ生かされて、実現はできなかったという企てがあります。日本も辛うじてそういうことをやっていたんですよ。私は、第三の道を選択する、それは平和主義に向かって進もうじゃないかというのが宇都宮さんの考え方だったと思うんですね。私の尊敬する宇都宮さんの話をここでしたいんですけれども。ただそういう考え方もあったんだということを申し上げたいと思います。  ついでに言えば、宇都宮さんは私に、自民党の代議士選挙に出てくれと頼んでいましたよ。平和憲法守護派として自民党からぜひ出馬してくれ、費用は一切持つということをいつも言っていましたよ。ついでに言っておきます。まあ冗談です。     〔鹿野会長代理退席、会長着席〕
  136. 武山百合子

    ○武山委員 質問が、正直言いまして非常に難しいんです。お話を聞いていた中で質問しないとお答えがいただけないというし、かといって、私は大局で二十一世紀日本のあるべき姿で聞きたいと思いますと、また全然小田さんのお話ししたこととずれますし、非常に苦慮しております、正直言いまして。私が聞きたいことには恐らくお答え願えないと思うんですよ。そうすると、小田さんがお話ししたことにしかお答えしていただけないということで、大変こちらの質問の方が苦慮しております。  先ほど、ドイツの話を、不正義の戦争だったということで、戦争をやめて、そして良心的軍事拒否の流れになってきたと。しかし現実には、本当にいざ攻められたときの防衛もきちっと持っているという両方の状態でございますけれども、流れとしては、当然いろいろな考え方を多種多様に取り入れていかなければいけないわけですから、では、その徴兵制にどうしても行かない、拒否した人たちをどうするかという一つの選択肢として、良心的軍事拒否ということ。これは、アメリカではベトナム戦争の後、実は私の子供三人、アメリカ生まれで、二重国籍で、本来でしたら徴兵の義務があるんですけれども、アメリカは徴兵制度と志願と両方とっておるものですから、今そういう選択肢というものは徐々に世界的な流れの中でふえていっていると思うんですね。  しかし、日本は、同じような流れの中で、今日本は自衛隊という形で、自衛隊に入りたいという希望を募ってやっているわけですけれども、では、日本はいざそういう状態になったときに、この良心的軍事拒否というものをどのように広めていったらいいか、進めていったらいいかという、よい妙案ですか、そういうものは何かお考えでしょうか。
  137. 小田実

    ○小田参考人 御参考になるかどうかわからないけれども、私は、社会には制度と空気が要ると思うんです。制度というのは、一番簡単に言えば法制度ですね、法律でしょう。同時にまた、もっと大きな意味での制度、仕組みと言ってもいいです。しかし同時に、制度的なものができ上がっても、それを支える空気がなかったら絵にかいたもちですよ。  私が申し上げたいのは、例えば女性差別について、日本には女性差別に反対する明確な法律はないですね。法律だけの問題じゃありません。例えば、今の女性に対する就職差別、大学を出た連中の。それは恐らくアメリカ合衆国だったら一遍に訴訟の対象になるでしょうね。それで、物すごい、目の玉が飛び出るような金を払わせるでしょう。そういうものを含めて制度と言っているわけですね。そういうものはやはり必要だと思うんです。差別はいけないという法律がちゃんとないと、これはなかなかできないですよ。あるいは訴訟によって物すごい懲らしめを与えるとか、そういうものが制度的な保障ですよ。しかし、それだけやってもだめなんです。絵にかいたもちなんです。やはり空気が必要になってきます。この二つが車の両輪だと思うんですね。  西欧諸国のすぐれているのは、制度的なものをつくっていくんですね。空気的なものから制度的なものをつくるということを古代アテナイ以来営々とやってきたわけです。日本には、どうしても、日本人たち自分たちで制度をつくっていくというあれがなかなかなかったものだから、明治以来の歴史でやっとこさ出てきたんですね、殊に戦後。だから下手くそですね。あるいはまだまだ熱意が足らない。私が市民・議員立法というのをやり出したのは、制度をつくろうじゃないかということをやり出したんですね。これはつくったわけです、曲がりなりにも。だから、それはやはり空気が要ると思います。  同じことですね。良心的兵役拒否の問題も、やはり制度的なものとそれから空気的なものが車の両輪で進んでいく。私が今申し上げているのは、良心的兵役拒否というのが良心的軍事拒否国家までいけば、それは良心的兵役拒否なんて要らないわけですよ、軍隊がない。しかし、そうでないならばということも出てくるんですよ。  これは、こういう議論をすることで空気をつくっていこうじゃないかと。良心的兵役拒否の段階にとどまる人もいるだろうし、良心的軍事拒否までいく人もいるだろう。これからこれをそういうような空気の形成の第一歩として、そして、皆さん方は政治家なんだから、それを制度化していくということをお考えください。
  138. 武山百合子

    ○武山委員 ありがとうございました。  そうしますと、やはり教育問題に根幹的にかかわっていくと思うんですね。我々、もう私なんぞ五十を過ぎているものですから、いろいろな意味で、若い人、子供たちにあすの日本を託していくということだと思うんです。  それでは、平和主義と教育という形では、どのようなお考えを持っておりますでしょうか。
  139. 小田実

    ○小田参考人 私は、やはり将来に子供たちが希望を持たないといけないと思うんですよ。  今の教育のやり方を見ますと、例えば平和教育というのはほとんどやっていないでしょう。  私が大変おもしろいと思ったのは、アメリカ合衆国にいたときに、日本教職員組合か何かに頼まれて、平和教育について書いてくれと言うから、アメリカでは平和教育はなかなかできないんだと。平和教育的なものをやっている国というのは恐らく日本とドイツだと私は思うんです。つまり、どうしてかというと、平和教育をやり出しますと、第二次世界大戦はファシズムに対する正義の戦いだ、あるいは違うのか、ベトナム戦争はどうするのかというのが全部出てくると思うんですよ。だから、そうすると紛糾するでしょう。結局十分にやっていないと思うんですよ。  日本はかつてやっていたんですよ。つまり、大東亜戦争は悪である、日中侵略戦争は悪である、そこまではいいでしょう。しかし、これからどうするのか、湾岸戦争はどう考えるのか、あるいはコソボをどう考えるのか、人道的武力介入はどう考えるのかというようなことを言われると、先生方はもうだめなんですよ、今見ていると。  私が現場で教師に聞いてみると、結局、いろいろな説がありますねぐらいでごまかす、あるいは一切触れない。平和憲法に触れない、日本国憲法の問題に触れないで済む、そのうちに学期が終わっちゃう、それが現状なんですよ。信念を持ってちゃんと語っていないと思うんですね。それは語れないですよ。  私のように良心的軍事拒否国家でいくんだ、これに我々はかけるんだ、国家目標をそこに置くんだ、そうすると、これは本当にいいことなんだというのは当然出てくると思うんです。つまり、今見ていると、平和教育と称しながら、平和憲法を教えられていないんですね。結局、お茶濁している、いろいろな説がありますねと。いろいろな説がありますねと言われても、子供は困るだけですよ。子供はどう生きたらいいんですか。  やはり教師が一つの信念を持つ、そして良心的軍事拒否国家にすることが世界に発言権出てくるんだ、これはちゃんとしていくんだ。今のやり方だったら、世界に、おまえは防衛のただ乗りしているなんて言われても困っちゃうわけですね。そうではないんだ、私たちは私たちの信念で世界に貢献しているのだということのくっきりした形、くっきりした日本の姿形がないと思うのですよ、子供には。  先生にもないですね。私の娘はまだ現役の中学生ですから、見ていると、先生たちは何しとるのやという気が時々します。先生たちは自信がないのですよ。どういうふうに教えていいかわからない。日本のあるべき姿は何だと言われたら困っちゃうのですね。ただ経済大国です、経済大国です、どこだって経済大国です。  ほかの国の子供は割とちゃんと言うでしょう。アメリカの子供というのは、おまえの国は何やと言われたら自由と言うでしょう。子供は言うよ、見ていると。それから、フランスだったら文化の国だというふうに、ちゃんと出すものはあるでしょう。デンマークだったら社会保障なんですよ。日本は金持ちだ、金持ちだだけなんですよ。ずっと金持ちなんですよ。  そうしたら、やはりそこはちゃんとしようじゃないか。ちゃんとするためには根幹が要るだろう。原理、論理の根幹は何かというと、平和主義なんですよ。それは、我々の苦しい体験を経て、殺し殺されの歴史の果てに我々は確認した。そして、もう見るべきものは見たのだ、見えないものを我々は見ているのだ、世界の国よりはるかにこの点はすぐれているんだ、だから、これをちゃんとしていこうじゃないかということが原理として明確に平和教育で提示される必要がある。それは教育の根幹なんです。  教育の基本の一番大事なのは、将来の姿が子供にちゃんと明確に見えることですよ、プラスな形で、マイナスになっちゃったらだめですよ。それが必要だと私は思います。
  140. 武山百合子

    ○武山委員 時間でございます。どうもありがとうございました。
  141. 中山太郎

    中山会長 次に、山口富男君。
  142. 山口富男

    山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。  きょうは、小田さんから、憲法の平和主義をよりどころ、基本にして内外に働きかける良心的軍事拒否国家、これについて詳しいお話をいただきました。どうもありがとうございました。  私も、小田さんが読み上げられた憲法の前文とそれを具体化した憲法九条に示された憲法の平和原則が、私たちの二十一世紀日本の進路、市民社会の根本的な土台になると考えております。憲法調査会のテーマに即して言いますと、二十一世紀日本のあるべき姿を現実に即して考えて接近する上での土台である、小田さんの言葉によると、気概に満ちた土台ということになると思うのです。  きょう、小田さんの方から、ヨーロッパでの良心的兵役拒否について、これを生み出した三つの認識が詳しく跡づけられたと思うんですが、そのことを踏まえた上で、憲法の平和主義というものが二十一世紀日本世界の中で積極的な力、役割を果たし得るぞ、そういうふうに考える条件をどうとらえていらっしゃるのか、お話しいただきたいのです。  先ほどのお話の中で、かつての日本はそれだけの力はなかったが、今経済的にも力を持ってきた問題や、いわゆる冷戦構造が解体していった問題という御指摘がありましたけれども、この私たちが持っている憲法の平和主義は、二十一世紀、先々、長期的に見て力になる、そういうことを強調される根拠、条件について、もう少しお話し願いたいと思います。
  143. 小田実

    ○小田参考人 さっきも申し上げましたように、ギリシャが一つの道を選んだ、我々はなぜしなかったかということを申し上げました。それだけの力を期待されていると思うのですね。  どうしてしなかったのかというのは、私は不思議で仕方がないです。例えば、さっきも申し上げましたように、イスラエルとパレスチナの仲介をどうして日本はしなかったか。今でも紛争は続いていますね。それを積極的に、国連待ちだとかアメリカ待ちではなくて、みずからの意思によってどうしてしないか。こういうことからまず始めていく必要があるということを申し上げたのです。  そして、例えば難民救済というのはどこでも大問題になっていますよ。だから、それを我々は引き受けるのだ、難民の事件が起こると我々の飛行機が必ず飛んでいって全部救済するのだ、そして我々は連れてくるのだ、そして、そこに日の丸の翼が出てきて連れていってくれるのだとなれば、日の丸のイメージが変わるでしょう。そういうような積極的な働きかけというのは必要だと思います。  第三世界における債務を率先して棒引きにしてしまうとか、世界は今それを大問題にしていますね。日本が、へっぴり腰でするのではなくて、率先して行うとか、いろいろな形でできると思うのですよ。それだけの経済力を持っているし、それだけの政治的発言権を持っているでしょう。だから、そういうことでやっていったらどうか。  それから、災害救助に対しても、我々はもっと積極的に行う。さっき申し上げましたように、FEMAに倣って、災害救助部分を自衛隊から切り離してもっと大々的に拡大する、そちらの方に予算を大々的に使う、そして積極的に日本国の名前において我々が行くというようなことを、幾らでもできると思うんです。そういうことの積み重ね。  あるいは反核を本当に実現するとか、あるいはコスタリカのような良心的兵役拒否、軍事拒否の憲法を持つ国と連関してそういう考え方を広めていく。コスタリカは小さな国ですけれども、なかなか見事なんですね。そういうような小さな国とも連帯を我々が強力にするとか。  例えば、ことしの四月ハバナで、G7に対してG77の会議が開かれましたね。非同盟会議が開かれた。ベトナムはそこで主役になっていたわけだけれども。そういうところにも積極的に参加するとか、そこに必要なものを提供するとか、そういうことはできると思うんですよ。例えば、G77は今の世界あり方は間違っているということを宣言しました。しかし、力がありませんね。それと我々が組むとか。私は、かつて、日本は非同盟の中に入れ、非同盟としてやれということも主張したことがあるんですね。それは、バンドン会議に自民党政権が代表を派遣したと同じことなんです。  そういうような形で、積極的な形をこれから出していけ、その中で事柄が変わってくるのであって、抽象的に今どうしろこうしろと言っているんじゃありません。具体的な形として我々がやることはたくさんあるんだということで、私はさっき、日本がそれだけの力を持っているんだと。日本が決断してそうやることに対して、ほかの国がとやかく言って全部妨害するわけになかなかいかないんですよ、今の世の中は。それぐらいの力は日本は持ってきたし、それぐらいに世界は変わってきているんだ、今が好機だというふうに私は申し上げているわけです。
  144. 山口富男

    山口(富)委員 私も、G77については、あの会議で、特に今の世界のグローバリズムの問題で非常に批判的な見解が出た点については注目しておりました。  今の小田さんのお話によりますと、憲法の平和主義というものを生かして積極的に働きかける中でこそ我々の持っている憲法が生きてくるんだというお立場だったと思うんです。  そうしますと、小田さんも御存じのように、今、憲法の平和主義、中でも憲法九条を取り払うという、あるいは改憲するという主張はかなりあるんですね。となりますと、憲法の平和主義を積極的に評価されて、これを実現していこう、二十一世紀日本世界を長いスパンで憲法の平和主義に基づいて考えていこう、そういう小田さんのお立場からいって、憲法九条を取り払うことについてどういう見解を今お持ちなのか、お話し願いたいと思います。
  145. 小田実

    ○小田参考人 私がさっき申し上げましたように、まず憲法を実現しようじゃないか。憲法の条項をいじくり回してここをやめるとかどうするかというような議論をするんじゃなくて、実際に一遍、本当にこの憲法を実現する方向に努力しようじゃないかということを申し上げているんです。  憲法第九条もしかりです。憲法第九条を取り払って普通の国にしたいとか、そういうような動きでは軽佻浮薄な動きだと私は思うんです。そうではなくて、じっくりと、我々の憲法はすばらしい憲法なんだと。それはそうでしょう、戦争のない世界の方が戦争のある世界よりいい気持ちじゃないですか、だれも異論がないじゃないですか。軍隊に金を使わない世界の方がいいに決まっているじゃないですか。そのことを考えたらどうですか。そのことに一番近いのがこの憲法なんです。全世界課題を背負っているから、私は、世界平和宣言だと申し上げているわけですね。本当に努力しようじゃないかということを私は今申し上げているわけであります。  そして、もう一つは、努力するだけの力を持っているんだ、この経済大国を平和大国に変えるだけのことをしたらどうか。前はなかったんだ。そのことを私は感じます。  私が子供のときに、日本は東洋のスイスたれということを盛んに言っていましたよ。当たり前なんですよ、スイスが一番現実的な選択だったんですよ。ぺっちゃんこでしょう。年とった議員にはわかるでしょうけれども、そのときに日本はぺっちゃんこでしょう。何にもない、焼け野原だ。焼け野原へ向かって経済大国になりましょうなんてだれも信じないでしょう。だれも言わなかった、そんなこと。竹村健一も言わなかった。だれも言わないですね。そのときに、文化国家をつくろうじゃないか、平和国家をつくろうじゃないか、一番リアリスティックな選択だったんですよ。それはできるでしょう、リベラルになれば。  しかし、残念ながらアメリカの中に入っちゃった。アメリカの核戦略の中に、東西対決の戦略の中に入ってあっぷあっぷになっちゃった。そこへもっていって、金もなければ力もない、巻き込まれて延々と来たんです。  もういいかげんに、我々は力をつけたんだから、少しそれを考え直したらどうか。私は繰り返して言いますが、日本戦争に使ったら全然だめな国ですよ。平和に使ったらすごい力を持っている国です。戦争方向日本を向けたら、石油もなければ何もない国ですよ。平和の方向に向けたらすごい力を持っています。そのことを我々は今自覚すべきだ、我々の力を自覚すべきであるというふうに私は考えます。
  146. 山口富男

    山口(富)委員 私も、憲法の平和主義の方向を実現する上での努力を政治家として尽くしていきたいと思っております。  それで、きょうは時間の都合で割愛された、阪神・淡路大震災に係る被災者としての運動にかかわっての経験なんですが、これは、私の質問時間が限られておりますから、その中で可能であればお話し願いたいのですけれども、憲法二十五条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」こういう定めがありまして、災害の中で生存権を脅かされているわけですから、憲法上の要請として、当然公的な支援が必要になると思うのです。  この問題は、やはり憲法の大事な原則を踏まえた際の、二十一世紀日本のあるべき姿を考えるときに非常に大事な問題になると思うのですが、小田さん御自身がみずから被災者への公的支援を実現する運動を進められてきたわけですけれども、その問題を、憲法とのかかわりで今どういう考えをお持ちなのか、そこのところを少し、可能であればお聞かせ願いたいと思います。
  147. 小田実

    ○小田参考人 憲法の関連だけ答えます。  私たちの運動も憲法を使っていました、物すごくたくさん。それから、国連の人権規約とか、それは我々も加盟していますから、それを基礎に我々は考えた。だから、私たちの運動の過程の中で随分今のおっしゃった条項も使った。  もう一遍繰り返して言いますけれども、憲法第九条を含めて、我々は実現していない、健康にして十分な生活ですね、それを我々は運動を展開して、辛うじてのところまでできたんだけれども、やはり十分にはできていない。それこそ憲法を実現しようじゃないかということが、一番私の考えていることの基本なんです。
  148. 山口富男

    山口(富)委員 参考資料でいただいた、小田さんがお書きになった論文を読みまして、その中で、公的支援の問題では、生活再建や生活基盤の回復という考え方が、小田さんの言葉で、社会の常識になったんだというふうにお書きになっています。私、このことは、二十一世紀日本のあるべき姿を考えたときに、憲法を暮らしの中に生かすという点で非常に大事な前進だったと思うのですけれども、この点はどういう感想をお持ちでしょうか。
  149. 小田実

    ○小田参考人 生活基盤の回復というのが常識になったでしょう。同じことが、良心的軍事拒否国家というのが常識になるということを期待して、私は話をしています。
  150. 山口富男

    山口(富)委員 どうもありがとうございました。  私は、きょうの小田さんのお話を聞きまして、やはり二十一世紀日本のあるべき姿を憲法調査会で考えたときに、平和の問題でも、国民生活人権にかかわる問題でも、憲法の原則、これは小田さんの言葉によると、おもしろくて気概があるというその憲法の原則が土台になるということが大いに確認されたのではないかというふうに感じました。その感想を申し述べて、質問を終わりたいと思います。どうもありがとうございます。
  151. 中山太郎

    中山会長 次に、保坂展人君
  152. 保坂展人

    保坂委員 小田さん、きょうはありがとうございました。社民党の保坂展人です。  私は、戦争が終わって十年、一九五五年に生まれて、六〇年代、小学校に入り、小学校の高学年ぐらいからベトナム戦争が激しくなってきて、ちょうど三十年前に、「ベトナムに平和を!市民連合」ベ平連の小田さんたちの呼びかけられていた市民集会に中学生のときにのぞきに行って一緒に歩いた、そんな経験もあります。  今お話を伺っていて、こういう方向でいこうということがなかなか語られない時代の中で、良心的軍事拒否国家、こういうことで大いに世界に発信していこうというお話だったと思います。  そのお話の中で何度か感じたのは、ただ護憲を叫ぶだけではだめだというお話が何回かあったと思います。つまり、日本国憲法の平和主義の理念を掲げた平和運動、これは戦後ずっとあったわけで、その平和運動の中で小田さんがあえて現在、五年ほど前と先ほどおっしゃっていましたけれども、良心的軍事拒否国家、そこを掲げながら、もう一つは市民的な奉仕活動という部分が欠けていたんじゃないかということも言われていると思いますが、その辺をもう少しお話しいただきたいと思います。
  153. 小田実

    ○小田参考人 繰り返しになるけれども、私は平和憲法を信奉してきたのだけれども、私たちの一つの盲点だったのですね。市民的奉仕活動の重要性、これは良心的兵役拒否というものと触れることによって私は考え出したのです。それは、ドイツにおいて暮らした体験もありますね。さっき申し上げましたように、良心的兵役拒否の若者とつき合ったりして、ああ、なるほど、こういう制度が生かされているのだと、しかも、これは法制度としてあるのだということは私にとって大きな希望になりました。  つまり、抽象的な概念として憲法を語るのではなくて、具体的なものとしてここに出現しているのだ。小規模であっても、一国の法制度の中でやる。しかも、一つの大きなポイントというのは、宗教上の理由ではなくて、平和主義そのものによって認められるようになっているのだ。とすれば、平和主義そのものの価値ですね。国家が押しつけてくる、あえて私の言葉を使えば、戦争主義に対して平和主義を持っている。平和主義が一つ価値を持って、法的な基盤としてなっているのだということは、私は自分で、このことを基本にして考えるのだというふうに考えたのです。  その間、五年ぐらいの間にいろいろなことを考える中で出てきたのが、良心的軍事拒否国家として生きようではないかということであります。
  154. 保坂展人

    保坂委員 先ほども質問が出ていたのですが、この良心的軍事拒否国家、こういう理想をただ掲げるだけではだめで、小田さんが挙げられているように、難民救援だとか、あるいは平和外交だとか、あるいはさまざまな若者たちの国境を越えた対外救援だとか、そういうもう一方の若い人たち、特に子供のうちからそういう問題を考えていくということが、より一層必要なのだろうと思いますけれども、我々の世代、三十年ほど前の中学校ぐらいで当たり前だった、平和あるいは学校の中のさまざまな問題についてディスカッションするなんということは、今なかなか行われていない。そして、まさに小田さんが言ったように、学校現場で先生方も萎縮をしているというような状態がありますね。しかし、長い時間かけて、主体的に社会に参加して相互扶助をしていくような若い人たちを生み出していかなければならないんじゃないかというふうに思います。  一方で、今奉仕活動の義務化、これは教育改革国民会議などからそういう言葉で出ている問題もあります。これは私は、奉仕活動を活発化、あるいはボランティアの活発化であれば大いに歓迎だけれども、いろいろな活動を若者や子供たちが選んでいくということであれば大いに歓迎だけれども、そこのところが非常に画一的にはめられていく危険があるのかな、そういう心配もしています。その辺について、小田さんの意見を伺いたいと思います。
  155. 小田実

    ○小田参考人 そういう政府の人たちとかいろいろなことを考える人たちはつまみ食いすると思うのですよ。さっきもFEMAの例を言いましたね。危機管理庁の問題を言いました。本当は、危機管理庁の根本というのは、被災者みんなを安心させるということなんです。そのために、一番彼らがやったことは、一週間以内に小切手を渡すということをやっているのですね。公的援助をするということ、これがあった上の話を進めているんです。  ところが、日本でFEMAの話が出てきたときをごらんなさい。全部危機管理ですよ。テレビでよくしゃべっている人も危機管理と言うし、そのお金のことは一言半句皆言わないのです。私が言い出すと、小田さん、そんなことありましたかというようなことになるのですね。びっくりするでしょう。政治家も知らなかった。だから、つまみ食いしていく、自分に都合のいいところだけとっちゃうというのがあるわけですね。だから、良心的兵役拒否の問題でも、奉仕活動だけとっちゃう、そして今後はというぐあいになっていくと思うのですよ。  これは、政治家がいろいろなことを考えていかなきゃいけない。我々市民の側も考えていかなきゃいけないのは、根本的に良心的軍事拒否国家の話がある。その上の話なんですよ。つまみ食いされちゃうと、そっちだけ、ああ、皆青年が一生懸命やっていますよ。福祉にそれを使ったら安上がりだ。それはそうだろうね。そういうふうになっちゃうおそれが物すごいある。我々は知恵をつけなきゃいけないでしょうね。しかし、そのことを恐れているとだめなんで、我々は知恵をつけて、そうやって一つ一つ処理していかなきゃいけない。そうしないとつまみ食いされちゃうということを私は痛切にこの五年間感じているのです。ですから、ぜひつまみ食いされないようにしてください。
  156. 保坂展人

    保坂委員 小田さんは、今の日本国憲法は実現されていないんだ、まずこれを実現していこう、そういう立場でお話をされたと思うのですけれども、基本的人権にかかわる部分で、いわば日本国憲法というのは権利ばかりが盛り込まれ過ぎていて、つまり国民としての義務なり、あるいは今の憲法でも公共の福祉というところを非常に大きく解釈して、公共の福祉ということがあるからその範囲内で権利があるんだ、そういう議論も相当広まっているように思います。  また、国家個人尊厳、基本的人権を絶対侵してはいけないんだという、戦争が終わった時代のある種の歴史的総括だったと私は思いますけれども、そこの部分について、変えてしまえという議論があるわけですね。この点については小田さんのお考え、いかがですか。
  157. 小田実

    ○小田参考人 だから、さっき申し上げましたように、そういうことを考える連中というのは絶えずつまみ食いしながらやっていくでしょう。全般的な問題として考えていないということだから、私たちは、まず実現に向かってやるという基本的原則を立てるということが一つ必要だと思うのです。  それから、制限の方向に向かうのは大体間違っていますね。一番私が恐れているのは、憲法第九条の問題は、こんなことは実現不可能だから変えてしまえということになりますね、普通の国になりましょうと。そうしたら、それに便乗してほかのものも変えちゃえというのが出てくると思うのです。  私がさっき申し上げましたことは、憲法第九条には気概がこもっているんだ、気概がこもっているんだからほかの条項も生きてくるんだということを申し上げました。一番大事なことは、基本には平和主義があるんだということがあった上で皆生きてきたと思うのです。ところが、それを外してしまえば、後はだらだらとだめになっていく。そういう動きを私は警戒するし、皆さん方も、警戒したい人は警戒してほしいというふうに私は思います。殊に、政治の要路に立つ人は警戒しておかなきゃいけないというふうに私は思います。
  158. 保坂展人

    保坂委員 私は、小田さんのお話を聞いていてはっとしたのは、今この時期だ、チャンスなんだ、世界じゅうでこういうことが提唱できる時代になったではないか。日本にはその力があるんだ。つまり、かつての日本にはできなかったかもしれないけれども、今そのチャンスなんだというお話がとても印象に残ったのです。  最近でも、ドイツやギリシャやイランあるいはベトナム、アメリカなどいろいろな国でそういうお話をされた。そのそれぞれの国でいろいろな反響があったと思うのですけれども、そのあたりお話しいただけますか。
  159. 小田実

    ○小田参考人 私が今申し上げたことに関連して言いますと、一つの原理として、要するに土台を持ってきたと思うんです、単なる空理空論ではなくて、私が話をするようなことが。実際に、例えば正義の戦争はないんだということが、私はドイツの社民の人とか緑の人としゃべりますね、そうするとそれは現実的土台として、あのコソボの空爆は何だったという反省が今起こっているんですから、そういう非常に現実性を持っていますね。  例えば、ベトナム戦争については、御承知のように、アメリカの世論も含めて、あれはとにかく間違っていたんだ、あの戦争はだめだったんだ。マクナマラ、つまりマクナマラの戦争と言われた当事者が、回顧録の中であれは間違っていたんだということを平気で言ってしまう。当然のことになってしまったんですね。そういう中で我々の言っていることの正しさというのが証明されてきている、ベトナム反戦運動の正しさも証明されているんですね。  日本だけだと思うんですよ。私はアメリカ合衆国で二年間教えたけれども、この先生はベトナム反戦運動をしたとなると、みんなが、それはいいことだと思うんですね。日本だけいちゃもんつける人がかなり出てくる。おもしろい国ですね。実際やった人たちというのは、これはやはりだめだったということがわかる。僕はアメリカ合衆国で講演しますと、あっちこっちで講演したのですけれども、私の相手は全部アメリカ人だとかそういう連中ですけれども、必ず私の講演にいちゃもんつけるのは日本の留学生ですよ。  アメリカというのは、言えばやらなければいかぬのですよ。武力介入しろ、本当にしなければいかぬのですよ、あの国は。さっき私、日本に金を出させろということを投書した市民の話をしましたね。あの新聞は傑作で、武力介入をソマリアでもやれと言ったんですよ。そうしたら、やったでしょう。ブッシュが、クリントンに対する嫌な置き土産として武力介入して、結局うまくいかなかったでしょう。殺し合いの連続になっちゃった。それで、とにかくクリントンはごまかして引き揚げた。そのさなかに、その新聞、ニューズデーという有名な新聞なんですよ、新聞の社説が何と書いたかといったら、どうしていいかわからないという社説なんです。こんな社説は僕は初めて見た。どうしていいかわからない、国際情勢は複雑であると書いてあるんだ。こんなあほなことはない。有名な新聞なんですよ、これは。そうなっちゃった。武力介入してもあかんということがわかった。  おもしろいのは、ちょうど十何年前に、ベイルートの海兵隊の司令部が、ファンダメンタリストの襲撃を受けまして爆破された。それで、二百六十何人の海兵隊員が吹っ飛んだ。その隊長は辛うじて奇跡の生還を遂げまして、この連中が集まって十周年の集会を、ちょっと忘れましたけれども、今から十何年前にしたのです。私はそのころアメリカにいたのです。そうしたら、そのときの演説というのは、絶対武力介入するな、ろくでもない、我々は武力介入を阻止するために武力介入したんだ、要するにニクソンの人気取りのために我々海兵隊は派遣された、ドンパチやっている中に我々もドンパチやりに行ったんだ、そこでやっていたら余計ドンパチが広がった、これは絶対やめろ、だから、ユーゴスラビアにおいては絶対に武力介入してはいかぬという大演説をしたのです。  大変おもしろいと思うのですよ。アメリカというのは本当に戦わないかぬでしょう。要するに、抽象的に物を考えていないのですよ。言うたら本当にやらないかぬ。武力介入しろと、ばあっと行くでしょう。そうすると、日本の留学生なんかは、何もしようがない者が、小田さん、そう言うけれども、そこまで行かないかぬと違いますかというようなことを言うのですよ。おまえ何を言うておるんだと。世界最強の軍隊が行って武力介入してだめだった、あるいはスウェーデンみたいな平和な軍隊として教育を受けたものが行ってもだめだった、自衛隊が行って何ができるんだと。世界最強の軍隊でもなければ平和軍隊でもない自衛隊が行ってどうするんですか。  要するに、大人が集まって泥まみれになっている、子供が一緒に泥まみれにしたら終わりじゃないか。ほかにすることはちゃんとあるんですよ。国防婦人会みたいな女性が出てくるんだ。アメリカに世話になっているんだから返さないけませんとか、あほみたいなことを言う者が出てくるんだ。そういうばかみたいなやじ馬はやめてくれ。それは日本人だけですね。  今、アメリカ合衆国の平和運動の一番中心は、元FBIとか元CIAだ。やったけれどもだめだったということがわかったから、こんなことをやったらおしまいだというのが一つのあれですよ。  例えば、一番おもしろかったのは、この間アメリカで僕が会った海兵隊の隊長ですよ。少佐ですね。キーンという人です。キーンという人は、今から二十五年前の四月三十日に、サイゴン、今のホーチミンですね、サイゴンのアメリカ大使館からみんなが逃げ出すでしょう、逃げ出すための指揮をとった人、海兵隊員です。その海兵隊員が、そこで一晩明かしたのです。連絡の不行き届きで彼ら自身が捨てられた。それで、翌朝救われたのですよ。  その海兵隊の十一人、その隊長というのは物すごい反戦主義者です。この人は三度負傷しているのですね。十七年間戦った。彼は十七年戦って、三度負傷して、しかも勲章ももらっているのですけれども、彼が一番勇敢な人ですよ。この人が物すごい反戦主義者、もう一切反戦だ、あの戦争は何だった、こんなばかな戦争をなぜアメリカはしたんだということを言うのですよ。人道的武力介入の話をしたら、我々はもう年をとったからいろいろなことを疑うのだ、におうねと言ったよ。いろいろなにおいがすると、このインチキな話。  ところが、その明くる日に、僕は海兵隊の偉い人に会ったのです。海兵隊大学の学長です。この人は、もちろん何にも言わないのですよ。ベトナム戦争について聞いても、いやいや、私は言えませんと。この人は勲章はたくさんつけていた。この人は五時間しか参加していないのですよ。十七年間参加して、血みどろになって戦った人が反戦主義者ですね。五時間しかやっていない人、何も血みどろにならなかった人はまだ戦争のどこかに正義があると思っているのではないでしょうか。それを一番はっきり示しているのがベトナム戦争ですね。  ベトナム戦争で反戦に回った連中は山といますよ。それが今の平和運動の一つの本拠地なんです、アメリカ合衆国。だから、皆さんが政治家としてそういう人に会いたかったら、幾らでも紹介しますよ。キーン少佐とかすばらしいですよ。この人は、本当に戦った人ですね。その上で、おれはもうこんなことをしたらおしまいだ、戦争の繰り返しはやめたということを彼は断言しています。
  160. 保坂展人

    保坂委員 二十世紀最後の国会でこういうお話が聞けた、そしてそういう話をぜひ生かしていく場にしていきたいと思います。ありがとうございました。
  161. 中山太郎

    中山会長 次に、近藤基彦君
  162. 近藤基彦

    近藤(基)委員 21世紀クラブの近藤でございます。  小田先生、長時間大変御苦労さまであります。  大勢の方に御質問をいただいて、中で、劇薬、漢方薬というお話、先生独特の言い回しだろうと思うんですが、今の医学でも、いわゆる西洋型の薬とある程度健康管理をしながら長期間飲む漢方薬ということなんだろうと思います。  現実、平和主義に反対をする人間は、多分この憲法がなくてもいないだろう。だれに聞いても平和の方が戦争をしているよりもいいというのは当たり前の話だろうと思うんです。特に、我が憲法の条文には世界平和を書いてあるということでありますので、日本国内平和は当たり前という話なんだろうと思います。  ただ、依然として軍事大国があり、核がありということで、しかも、宗教的な部分戦争を抱えている、火種を抱えているところ、あるいは、最貧国の中で、隣同士で、あるいは侵略的な部分でまだ戦争の火種が残っている部分がたくさんある。それを平和外交として日本はやらなければいけない。これは私も同感でありますし、歴史的な認識、あるいは武器の発達、これは科学技術の発達と並行して、その最たるものが我々の日本に落とされた核爆弾だ。そういった意味では、日本人が平和主義を貫くというのは当然のことなのかもしれません。  一方で、そういった戦争が行われている地域に劇薬を投与して、武力介入するかどうかは別にして、軍事大国の武力の圧力、いわゆる抑止力としての効果が依然としてまだ残っている部分があるのではないか。それにあわせての漢方薬の併用ということが依然として、将来的には劇薬をなくすべきだろうと私も思いますが、現時点での先生のお考え方をちょっと聞かせていただきたいと思うんです。重なるかもしれません。
  163. 小田実

    ○小田参考人 大国による抑止力を信じている人たちいるし、大国はそうですね。私は、それへ加担することはないと思うんですよ。できるだけ加担を減らしていく。アメリカ合衆国は大国ですね。一緒になってやることないじゃないか。抜けたらいいじゃないか。  私が言うように、日本は平和に使ったら強い武器になると思うんですね。逆に、軍事に使ったらろくでもないことになると思う。アメリカにくっつけば、抑圧体系の中に我々も一緒に入って、自衛隊なんかつくるでしょう。これをやめたらどうかと。できるだけ減らしていけと言っているんですよ。私はワン、ツー、スリーですべてが終わるなんて一つも言ってないですよ。ちょっとずつでもいいからやれ、今こそできるんだということを申し上げた。  だから、できるだけ、そういう抑圧体系の大国、どこの大国でもいいですよ、それに加わっていくことをやめようじゃないか、できるだけ独自の平和政策をとろうじゃないかと。それが少しでもいい方向世界を向けるんだということを申し上げています。
  164. 近藤基彦

    近藤(基)委員 ノーモア・アウシュビッツ、あるいは日本でいえばノーモア・ヒロシマ、ナガサキということになるんですが、先生先ほども若干お触れになっていらっしゃいましたけれども、非核、いわゆる核抑止力を廃絶する、その方向日本が体験国として一番声が出しやすいのではないかと。しかも、日米の同盟国として、特にアメリカを先生は名指しをされて、アメリカにもっと物を言うべきではないかというお話でありました。  これはかなり長い期間、非核運動というのはずっと叫ばれてきているわけですが、先生のお考えとして、安保条約ももちろんあるんですけれども、日本の声をもっと高く上げられない原因として何が挙げられると思われますか。
  165. 小田実

    ○小田参考人 余りにも日米関係あり方になれてしまったんですね。アメリカの言うことを聞かないと面倒なことになるという恐怖感というのが僕は非常に強いと思うんですよ。  私はある人に、日米間交渉に通訳として参加した非常に有名な人物なんですけれども、この人としゃべったことがあるのですよ。日本人は、アメリカと交渉するときに、何であんなにへっぴり腰でいるのだ。やはり後で怖くなるのだということを言っていましたよ、あの人にこんなことを言ったらえらいことじゃないかとか。私みたいに平気で言うのはなかなか珍しいでしょう。  だから、そういうような今までの日米関係あり方、つまり、日米関係あり方は、どうしてもアメリカが強力ですね、日本は下だと思うのです、残念ながら。対等じゃないと思うのです。しかし、それにしても、余りにも恐怖感が多過ぎると思うのですよ。言うべきことも言わないということが余りにも繰り返されてきたのじゃないでしょうか。小さなことが堆積していくと、ろくでもないでしょう。小さなことが堆積して崩れていくということが今まで幾らでもありますね。だから、そういう意味で、日米関係あり方政治家も経済界の人たちもなれ過ぎてしまって、アメリカが上手に立つというやり方になれてしまっているだろうという、小さなことなんだけれども、これぐらいやめたらどうか。  そのためには、また、実はその次に出てくるのですよ。そのためには、おまえはどうするのだと言われているのですよ。日米関係というのは、フランスみたいに、おれは良心的軍事拒否を持ってやるのだ、おまえのところとは対等、平等につき合うのだ、だから、安保条約をやめるのだ、やめるかわりに日米友好平和条約を結ぶのだ、その上で軍事条約を考えるのだというふうに理路整然と言えなかったと思うのですね。それが必要だと思います。  自分は何であるか、自分であって何であってどう生きていくのか、我々の目標は何であるかということがあったときに初めて、アメリカに対する発言権もちゃんとしてくるのじゃないでしょうか。今までこちらの構想なしにしゃべっていた。つまり、今までの日米関係の枠組みの中でしゃべっていたのですよ、政治家たちを見ていますと。僕は、横で見ていて悔しい思いをしたことが何遍もあるのですよ。そういう意味で、私は、これをいい機会だと思うのですよ。そのことをひとつ皆さん。  例えばクリントンというのは、クリントンが大統領になったとき、私はアメリカにいたのですよ。アメリカの大学の先生をしていたのです。初め、クリントンはもっと謙虚だったのですよ。私は朝日新聞に書いたのです、我々は自分の主義を持ってちゃんとやるべきだと。だんだんとクリントンは傲慢になってきましたね。要するに、日本みたいなのは何を言ったってついてくるのだというのがありありと見えるでしょう。これは私は、日本人として非常に悔しいですね。クリントンはあんな田舎から来た知事だったでしょう。あの人は謙虚だったのです。そのときに、私は、ちゃんとした関係をつくれと朝日新聞に頼まれて書いたことがあるのですけれども、そういうことが必要じゃないでしょうかというふうに思います。
  166. 近藤基彦

    近藤(基)委員 日米関係を別にしても、恐らく、先生の御主張ですと、良心的軍事拒否国家ですから、すべての国と友好条約を結ぶというのが最終的な平和運動になるのかなという気もいたしますが、世界平和を願う者としては当然のことだろうと思います。  先ほどからドイツの話が出て、ノーモア・アウシュビッツということ、そして、法制度として、ミリタリーサービスの部分とシビルサービスの部分、いわゆる良心的兵役拒否を奉仕活動の方に振り向けるという部分。この部分で、我が国には徴兵制度というのがなくて、自衛隊というものがありますが、どちらかというと、昔でいえば志願という形になるんでしょうか、それとも勤務をするということになるんでしょうか。  先ほど、老人介護あるいはボランティア活動を通してということで奉仕活動の話が出ましたけれども、今現在、例えば介護保険にしても、どうもボランティアが、いわゆる奉仕という活動日本の中で育ちにくい、あるいはなかなか根づいてこない部分。どうも公的機関が口を出し過ぎる部分がもしかするとあるのかもしれませんけれども。そういった意味で、国内的に、社会奉仕活動をするに当たって、何が一番そういった芽が育ってこない元凶になっているか。  今後、何か教育界の方でも、教育の中にボランティアを入れていくという話も出てきておりますけれども、現実的には、私の考えでは、そうではなくて、精神的な面から芽が出てくるのが当然かなと思うのですが、そういった意味で、日本でそういった芽が出てこない原因は何だと先生はお考えになりますか。
  167. 小田実

    ○小田参考人 国家が責任を持ってそういうことをやらなきゃいけないですよ。  つまり、どういうことかというと、良心的軍事拒否国家として我々は立つんだ、そして我々は市民的奉仕活動国家としてやるんだという明確な基本方針がないとだめなんですよ。でないと、すぐに市民に肩がわりして、市民にやれやれということになるでしょうが、そうではないのだ。我々は市民的奉仕活動をする国家としてあるんだ、そしてこれが良心的軍事拒否国家として生きていくための一番基本である、そしてそれが世界を変えるんだ、そういう大きな構想があった上で、だから一緒にやろうじゃないかということを子供たちに言わないとできないですよ。おまえは介護保険のところを手伝えとか、そんなことをボランティアでやれとか、震災が来たからやれとか、そういうのじゃないのですよ、私が言おうとしているのは。  国家レベルとして良心的軍事拒否国家として立とうじゃないか。そのためには、市民的奉仕活動国家レベルとしてやるんだから、一緒にやろうじゃないかということが出てきたら、そして日本国の未来はここにあるんだということが出てこない限り、それは非常にこそくな話になってしまって、怠けた方がいいとかそういう話になってくるんですよ。だから、我々、市民的奉仕活動国家レベルとしてやるのにおまえの助けも要るんだというふうに話を持っていかないと動かないと私は思います。私が子供だったら動かないですよ。おまえはここからどうするのだというふうになろうと思いますね。
  168. 近藤基彦

    近藤(基)委員 もうそろそろ時間でありますので、最後に、現憲法、ここは憲法調査会でありますので、前文を、小田先生の御主張では、条文よりも前文の文言にのっとって、それを実現するために今後行ったらどうかという話。  その中から一点、平和主義という、いわゆる世界平和を願っている唯一の憲法なんであるということでのお話でありましたけれども、平和主義の中に、当然世界的な部分で、新しい二十一世紀に向かって我々の子供たち、改正ということではなくて、まだ盛り込まなきゃいけない部分、余り条文にしていいのかどうかという部分があるのですが、世界環境の問題だとかまだ盛り込まなきゃいけない部分というのが今後先生の頭の中で将来的にあるのか。別に文章を変えるとかこの条項を削除するということではなくて、逆にもっと盛り込まなきゃいけない部分が今後起きてくるのではないかという気がするのですが、いかがでしょうか。
  169. 小田実

    ○小田参考人 さっきも申し上げましたけれども、この憲法は完全だと私は言っていないのですよ。これからいろいろなことが起こるだろうし、いろいろと考えていかなきゃいけないものだと申し上げた。  ただ、それは、実現する努力、今の条文を実現する努力の中でいろいろな知恵が出てくるのであって、議論も出てくるのである。抽象的に何もしないでいじくってもだめだということを申し上げたのです。  私は、きょうびみんな子供が、例えばあなたが教育のことをおっしゃった。例えば、前文をもっと、この重要性を、誓いの文句まで含めてたたき込んで、私が言ったような解釈をほとんどしていないでしょう。こんな憲法はないんだ、この憲法の内容はすばらしいじゃないか、こういうことをやっていこうじゃないか。おまえたちはこれを実現するのに、原理はそこに書いてある。その原理を具体化したのが条文です、何条、何条ですね。そうしたら、これをまだ具体化していない条項があるだろう。おまえら何考えているんだ、考えてくれ。それを子供と一緒に考えていこうというような教育をするべきです。それも実際やりながらやることです。それを私はもとから言っておるのです。  今こそそういうことを始めようじゃないか。今こうやって座って、あっちがいい、こっちがいいということではだめだと思うのです。それは人を説得しないし、一緒に実現に向かって動く中で、いろいろな、ここちょっと足りませんねというのが出てくるでしょうね。それはそのとき議論を十分に尽くしていけばいいんじゃないでしょうか、私はそういうふうに考えています。
  170. 近藤基彦

    近藤(基)委員 どうもありがとうございました。
  171. 中山太郎

    中山会長 以上で近藤基彦君の質疑は終了いたしました。  次に、松浪健四郎君。
  172. 松浪健四郎

    ○松浪委員 保守党の松浪健四郎でございます。  参考人におかれましては、長時間いろいろな御意見、本当にありがとうございます。  私自身、参考人のお話をずっとお聞きしておりまして、もうこれ以上お聞きすることがなくなりましたので、私はこれで質問を終わらせていただきたいと思います。
  173. 中山太郎

    中山会長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  それでは、最後に会を代表して、一言参考人にお礼を申し上げます。  本日は、大変貴重な時間、長らく我々の調査のためにお割きをいただきまして、まことにありがとうございました。  今後、調査会といたしましても、御発言の御趣旨を十分検討させていただきたいと考えております。ありがとうございました。(拍手)  次回は、来る十月十二日木曜日幹事会午前八時五十分、調査会午前九時から開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後五時十七分散会