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国務大臣(
森喜朗君)
青木官房長官は、二日から恐らく大変な心労と、どういう的確な判断をしていくかということでお悩みになっておられたことは、
伊藤議員もお認めいただいて、
青木さんのお人柄というものをよく承知しておられての御発言を受けました。
私どもは党の立場でございますから、しかも日曜日でもございましたし、こうした問題が外に流布されたり、あるいは大きな
事態になっていくということを極力私ど
もとしては、やはりある意味での危機管理の面からも、これは党としてはでき得る限りの、注意深く見守っていくべきだと判断をいたしました。
たまたま、いわゆる自自公の連立が解消した翌日でもございまして、これからの
対応をどうするかということの緊急
事態のことで私は党の役員の皆様との
連絡をとり合っておりまして、そういう
事態の中で、また
青木さんとは夜お会いして、これから会見をする、そういうことになったという、今の
臨時代理をお引き受けになったという話をそのとき伺いました。
政府部内、政府のことでありますから誤りなきようにやってくださいということを申し上げました。当然その
事態になれば党の方がどうなるのかなということを考えなければならぬわけでございまして、翌日、緊急の党の、党則にのっとって執行部の
会議、あるいは総務会等も開いたというのが経緯でございます。
ただ、その後、私が
内閣総理大臣を受けまして、私は
小渕前
総理の後を受けて
責任を負っていかなきゃならぬということでございましたので、
閣僚の皆さんも
政務次官の皆さんも全部そのままにしてほしいということから、
青木さんにも
官房長官を引き続き
お願いをしたいということを
お願いいたしました。なかなか、
青木さんが非常にかたく固辞されまして、
総理がこういう立場で
病状にもあられるし、私は適当ではないということも再三おっしゃいました。私は、
青木官房長官にそのまま御
就任をいただきたいということを御説得申し上げるまでにかなりの時間を要しました。そのことが私の頭の中にずっと残っておりました。
したがいまして、昨日、
伊藤議員とは逆に、
衆議院では
青木さんのお人柄についてかなり踏み込んだような御
質問があったり、歴史上の中での人物と対比をされたりということで、
青木さんをかなり酷評されたそういう御発言もございましたので、私は、
青木さんとの政治家としてのおつき合いもございますし、学生時代からずっと私は一年下で後輩でございましただけに、
青木さんのお人柄も全部承知をしておりますし、あの日のことの御苦労のこともよくわかっておりますので、
青木さんは私が
お願いをした
官房長官を固辞されたんですよということを申し上げたくて、その場で私は
青木さんを擁護といいましょうか、
青木さんを、ある意味ではお人柄というものを、
テレビはみんな全国の方が見ておられるわけでありますから、あえて私はそのように申し上げたわけでございまして、そこのところが
臨時代理を固辞されたということと誤解を受けるような私は発言をしたことは、私の大変な、発言について、そのときは非常にそういう
状況の中で発言をいたしたものでございまして、
官房長官を固辞されたということを私は申し上げたかったわけでございます。(「言ってないよ、そんなこと言ってないじゃないの、だめだよ、話にならないよ、冗談じゃないよ、一国の
総理の言うことじゃないよ」「それはだめですよ」と呼ぶ者あり)