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国務大臣(
中山正暉君) どうも、私なんかも昭和七年生まれでございますので、アバンとアプレ、両方に足をかけておりまして、郷愁があるみたいなところがあるんですね。
しかし、政治家は、政というのは、神と人の心の間をつる、祭りというのはそれが語源だと言われていますが、神様に近づいてもいけないし、人に近づき過ぎてもいけない。神様に聞かれても恥ずかしくないことを人のためにするというのが私は宗教だと思っておりますが、これは行政の場に持ち込んじゃいかぬと。
政治家が神を信じているかどうか。だから、閣議の前に私は総理にも言ったんです。家の中にもおかみさんがいるだろうと、日本は山の神というのが一番大事な神様だということを最後につけ加えておけばよかったのになと言って、閣議が始まる前に、森総理と私は同期なものですから、若いときから、我、おれでやってきていますので、そういう私は言い方をしました。
先生はお若いですから、また余計なことを申し上げて恐縮でございますが、明治維新に、余り
一般の民衆は天皇のことを知らなかったようでございます。
歴代天皇、今まで百二十五代の天皇がおられます。私は、昔、建国記念日をやるときに神社本庁三十五団体に呼ばれまして、何としても二月十一日に建国記念日をやるのならば、ここで神武天皇を言え、それから天皇陛下万歳をやれと言われましたので、私はそのとき言いました。神武天皇にはお父さんもおられたでしょうし、おじいさんもおられたから、神武天皇で切るわけにはいきませんと。
大分県の国東半島から出た「ウエツフミ」の話を聞いたことがありますが、その「ウエツフミ」の中には、神武天皇以前の七十二代の天皇の
名前が隠されているという話も聞いたことがございました。今から二千六百六十年前に橿原宮で神武天皇が即位されたということですが、確かにそれまでの先祖がいらっしゃるはずでございますから。
しかし、やっぱり英国とかフランスに明治維新は影響されたようで、伊藤博文はドイツに
憲法を習いに行っているようでございますが、そのとき、ウィッテに明治維新後の日本をどうして統一したらいいだろうということを相談しております。そうしたら、ドイツの人が、あなた方のところには氏神様というのがあるじゃないか、その氏神様の集中した中心が天皇だと言ったらどうだと。これが大きな間違いにつながった。
つまり、明治
憲法ができる四年前に内閣制度ができておりました。明治
憲法の中には総理
大臣という
名前が一切ありません。今でも
大臣と言いますが、大きな臣というのは天皇の臣ということになっておりました。ですから、首相という
名前が明治
憲法では一切出てきておりません。
内閣が軍縮会議に影響を与えたときに、それは統帥権の干犯だと、こういう話につながったのは、明治
憲法の欠陥は総理
大臣という
名前が
憲法の中に一字も出てこなかった、首相という
名前が一字も出てこなかった。これが現人神ということで、天皇陛下のために死ぬと、天皇陛下のためならば何で命が惜しかろうなんという歌にもつながってしまったと。私
どもはああいう話を聞くと頭の中をそれがよぎるわけでございます。
私は、そういう神道の方ばかり寄っていらっしゃるところで、そういう郷愁の発言がああいうことになって、森総理も多分反省しておられると思っております。ですから、何であの大東亜戦争につながったかということを
考えるならば、
先生のお答えに、私はそれを政治家として反省の材料にしなきゃいかぬと。
私は、そういう
意味で今度の発言は、政治家としての神様の存在というものを意識して、神様に聞かれても恥ずかしくないことをするのが政治だ、信仰というのは一人一人が持っていればいいわけでございまして、総理
大臣にも信仰の自由はあると思いますが、それが行政の場としての総理
大臣の場に入ってくるといろいろ問題があるんじゃないかなと、そんなふうに、御質問に対して答弁が長うございますが、これは御辛抱いただきたいと思います。
そういう国会になったと思いますので、政治家としての
考え方をはっきり言う時代が来たと思いますので、(「ここは
法案を通すためなんですから短くしてください」と呼ぶ者あり)御
指摘をいただきましたが、そういう
意味で、御質問でございますので、これはお答えをさせていただきたいと思います。