○
小島分科員 今の話を、答弁を聞いていて、やはり
環境庁はだめだというのですよ、はっきり言って。そういうやり方をやっているからだめなんです、はっきり言って。
一つの結果が出てきて、所沢のあの大問題が出たでしょう。今もって、JAがテレビ局を訴訟しているでしょう。関係の市
町村長に聞いたんですよ、私が。そうしたら、何にも指導がないというのだから、はっきり言って。だから、
調査のしっ放しなんというのはだめだというのですよ、はっきり言えば。そこにあなた方が住んでいれば毎日考えるでしょう、
全国でワーストツーだと。子供への
影響はどうなんだろうか、野菜はどうなんだろうか、三百六十五日考えるのですよ。あなた方は全部調べて、公表して、あとは、補助金を出すのはこうだああだと言っているのでしょう。だから、そういうことじゃだめなんだ、はっきり言って。
もう少し、所沢であれだけ問題になったのだから、所沢でどういう形で住民が納得して——しかもJAは今テレビ朝日を訴えているでしょう。訴訟中でしょう。みんな真剣なんだから。そういうことを考えたときに、わかりましたと、関係市
町村、それから業者、もう少しそういうところに話を詰めて、そして、二度とこういうことがないようにしなきゃだめですよ。また起きますよ、これは。モニタリングというよりも、検査すれば、またでかいところは出るよ。そこが、所沢より野菜の産地だったらどうするの。この可能性はないとは言えないですからね。
だから、もう少し適切な指導と、それから、一年たったらまた公表しますじゃなくて、その間に
調査をして、大丈夫だ、これだけ下がってきましたよ、あなたの地区は大丈夫だ、市長さん、安心してください、こういうことを言えば、市長が地区に行って、
環境庁がやったことで、この数値が出たけれども、現在の数値はこうなので、野菜農家の皆さん、大丈夫だよと。一年も二年もほっておかれたらかなわないですよ、はっきり言って。だから、もう少し前向きにやらなきゃだめ。私は自分が熊谷市に住んでいて思うが、こういうやり方じゃだめですよ。もう少し前向きに取り組んでください。
きょうは時間がないから私は言わないけれども、いずれにしてもさっき言ったように、所沢なら十一億九千万といったって、ほかの市
町村じゃ出せませんよ。所沢という、何十万という人口があるから対処できますけれども。
所沢の市長も熊谷の市長も、行政指導はないと言うのですよ。
解決方法とすると、国と県、それから関係市
町村と業者ですよ。何でそういうところを、
環境庁が行けばみんな集まってくるから、集まってきて、それでどうするかということを、やはりひとつ
会議を開かなくちゃ。ワーストテンぐらいの間はみんな動揺しているから、それをやらなきゃだめですよ。
では、時間がないから次の問題に移ります。
それでは次に、希少な生き物を
保護するための取り組みについてお伺いをいたします。
環境庁、愛知万博がありますね。これが、オオタカなんかで設計を変更せざるを得ないということで、やはり希少動物というものが環境に対して非常に大きくのしかかっているわけであります。これは、だから
一つのデータだと思うのですよ、こういうものがすめば自然があるというあかしでありますから。ですから、私は、こういう自然を守るということに対しては
最大限の努力をしていただきたいと思います。
人間の生活向上だとか社会の進展、科学技術の進歩により、かけがえのない地球が毎年毎年変貌せざるを得ない
状況にあるわけですけれども、こういう不安な気持ちを持っているのは私一人ではないと思うのです。そこで、長官には、希少動物の生態系が破壊をされてきている、絶滅をするような、そんな危険性が、可能性があるわけですけれども、
環境庁の取り組みというものをぜひお聞かせをいただきたいと思います。
それから次に、ムサシトミヨの
保護に対する取り組みについてお伺いしたいのです。ムサシトミヨというのは、以前は、東京、埼玉に広く生息いたしまして、東京だと井の頭公園、それから石神井公園、そして善福寺、これらに昔は生息していたということが確認をされているわけであります。
ムサシトミヨは、昭和三十八年に国立科学博物館におられた中村守純博士が命名された魚であります。都市化の
影響で今ではすべての地点から姿を消し、現在では唯一、熊谷市の元荒川の上流の一部に生息をしているということであります。これは、私が住んでいるすぐそばなんです。ですから、日本でここだけということになると、世界で唯一の場所なんですね。ですから、大切にしなければならないということであります。
たまたまこの場所になぜムサシトミヨが長年にわたって生息していたかということですけれども、これは、県の
水産試験場が土手のすぐわきにあったのです。ですから、新しい水がくみ上げられて、マスを飼っていた関係で、本当に絶滅したろうということが言われていたのですけれども、昭和三十年代の後半に高校生が、ムサシトミヨがいたということで、これが大きく新聞に載って、それから
保護活動が始まったということであります。
ムサシトミヨというのは、体長が三センチから五センチという魚で一年魚なんですね。長官は見たことはまだないですか。そうですか。特徴というのが非常におもしろいのです。
ムサシトミヨというのは、一年魚なんですけれども、雄が全部、水草を口にこういうふうにくわえてどんどん巣づくりをするのです。ピンポン玉ぐらいの巣をつくるのです。それで、ピンポン玉の巣をつくり終わると、今度は雌を呼び込んで、卵を産んでくれということなんですね。余りちっちゃい家だと雌が逃げちゃうのです。だから、立派なうちをつくらなくちゃいけない。そこのところに、雌が来て卵を産みつける。そうすると、入り口から雌は向かい側の壁をばばばばっと破って出ていくのです。これは、
水産試験場で全部ビデオを撮っていますので、それを私も見たのですけれども。
卵が落ちる、そうすると、口にくわえてまた雄がその中に入れる。それで、胸びれで酸素を送りながら、外敵から守ってふ化をするのを待つ。それが雄の仕事なんですよ。ですから、雌は産んじゃうとそのまま行っちゃうのですよ。雄は、ふ化をするまで待つ。ムサシトミヨというのはこういう特徴があるわけです。
平成三年の十一月十四日、埼玉県の魚として指定をされて、さかのぼること昭和五十九年ですけれども、熊谷市では生息地を天然記念物の指定にしたわけです。その後、埼玉県も指定をしてくれました。これは天然記念物といっても、ムサシトミヨを天然記念物の指定にするのじゃなくて、ムサシトミヨが住んでいる生息地をやるわけです。これは後で言いますけれども、まだ学名がはっきりしないというところが問題なわけです。
それで、
平成八年のときに、信州大学の高田啓介先生が、魚類学会でムサシトミヨの種の問題を取り上げ、三回にわたって、遺伝子の立場からイバラトミヨという魚とムサシトミヨという魚は違いますよということを発表して、その種の確立をしていただきたいということで発表を重ねたわけであります。
先生の話を伺いますと、イバラトミヨとムサシトミヨが分かれたのは八十万年から百万年前というのですよ。そのくらい前なんです。ですから、とてつもない前に分化されたということが先生方の
研究でわかった。これは遺伝子の関係でわかるのですね。そういう長いものなんです。
ムサシトミヨとかトミヨという魚は、冷たい、十八度ぐらいの水にしかすんでいないのです。ですから、南に行くともう全然いません。一番南限が関西地区なんですけれども、これはミナミトミヨという魚がいたのです。ところが、イバラトミヨ、ムサシトミヨ、ミナミトミヨというのがいたのですけれども、これが、都市化の波と、当時は空中散布がはやりまして、全部空中散布でやったために、農薬のために絶滅をしてしまった。今では一匹もいません、ミナミトミヨというのは。ですから、ムサシトミヨの
保護活動というものは、これから非常に重要なことになってくるということであります。
私はこの守る会の会長を十何年やっているのです。この問題にかけては非常に
地域の人が熱心に取り組んでおられて、熊谷市も、特に教育
委員会が非常に熱心に取り上げて、昭和六十年に元荒川の近くの市立東中学校で増殖活動というのを始めました。
環境庁は六十一年に手をつけてくれたのです。六十一年に
環境庁が
野生生物保護増殖事業というのを始めまして、そして、沖縄県のヨナグニサンという世界
最大のガとムサシトミヨを指定してもらったということであります。
その事業で、その次の年の六十二年から、久下小学校という市立の小学校ですけれども、それから同じく熊谷市立の佐谷田小学校というところで、今度は佐谷田川だとか、学校の中に川をつくって、それで六十二年からずっと
保護増殖活動をして、これは、ボランティアで自主的に子供たちが観察をしながらやっているのですけれども、その成果というのは毎年毎年上がっているということであります。
これは、
環境庁がそういう事業を始めたということがきっかけとなってやっているのですが、いかんせん、あの場所にも都市化の波が押し寄せているということでありますので、以下の質問、
お話をしたいと思うのです。
もう地方の財政ではやっていけない。しかし、世界でここしかすんでいない。分散化を図っても、えさの関係、水温の関係でだめなんですよ、どこへ持っていっても。その元荒川の上流の
水産試験場の水がともかく頼りで、そこしかすめないのですね。ですから、何とか、いい環境があったらそちらの方にムサシトミヨを移して、それで分散化を図りたいという気持ちでいるのですけれども、なかなかそれが実行に移せない。
それではどうしたらいいかということになるわけです。どうしたらいいかということになると、ちょうど元荒川の下流に来ますと、武蔵野の面影を残したクヌギ林なんかがあるところを川がずっと流れているのですね。そういうところを何とか公有地に、いわゆる公有地化を図りたいということで働きかけているのですけれども、なかなか財政的に難しいということで、市にも県にも働きかけているのですが、実現ができないんですね。
しかし、いなくなったらどうするのかということになると、大変なことになりますので、この間も
環境庁の方が来たわけですが、
平成十六年に埼玉国体がある、そのときに天皇、皇后両陛下がお越しになるわけですけれども、ぜひそのときに、世界でここしかいない、日本でここしかいないムサシトミヨのところを訪れて、やはり
環境庁が取り組んでいるクヌギ林の中に観察所をつくって、そこで日本じゅうから来た人にムサシトミヨを見てくださいというような場所をつくったらどうですかという話もしたのですけれども、
環境庁長官にきょう
お話ができて、大変に私はラッキーであります。
ムサシトミヨの
保護活動についての取り組みを今後どういうふうに考えているか。また、ムサシトミヨに正式な学名がつくのはいつごろになるのか。そして、一番最後に
お話しいたしました、ムサシトミヨのいわゆる生息地の公有地化を図って、何とか、一般の方々にも見せると同時に、皆さんで
保護活動に参加をしていただきたい。
大変話が長くなりましたけれども、以上でございます。よろしくお願いします。