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2000-03-07 第147回国会 衆議院 本会議 第8号
公式Web版
会議録情報
0
平成
十二年三月七日(火曜日)
—————————————
議事日程
第六号
平成
十二年三月七日 午後零時三十分
開議
第一
石炭鉱業
の
構造調整
の
完了等
に伴う
関係法律
の
整備等
に関する
法律案
(
内閣提出
)
—————————————
○本日の
会議
に付した案件
柳沢伯夫君
の故
議員前島秀行
君に対する
追悼演説
日程
第一
石炭鉱業
の
構造調整
の
完了等
に伴う
関係法律
の
整備等
に関する
法律案
(
内閣提出
) 午後零時三十三分
開議
伊藤宗一郎
1
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) これより
会議
を開きます。
————◇—————
伊藤宗一郎
2
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) この際、新たに
議席
に着かれました
議員
を紹介いたします。 第二百番、宮城県第六区
選出議員
、
大石正光
君。 〔
大石正光
君
起立
、
拍手
〕
————◇—————
伊藤宗一郎
3
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) 御
報告
することがあります。
議員前島秀行
君は、去る二月十日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の至りにたえません。
前島秀行
君に対する
弔詞
は、
議長
において去る二月十三日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年憲政のために尽力された
議員前島秀行
君の長逝を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます
—————————————
故
議員前島秀行
君に対する
追悼演説
伊藤宗一郎
4
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) この際、弔意を表するため、
柳沢伯夫君
から発言を求められております。これを許します。
柳沢伯夫君
。 〔
柳沢伯夫君登壇
〕
柳沢伯夫
5
○
柳沢伯夫君
ただいま
議長
から御
報告
がありましたとおり、本
院議員前島秀行先生
は、去る二月十日逝去されました。 今
国会
は、召集のあった直後から、
公職選挙法改正案
の
審議
をめぐって
与野党
の間は厳しい対決の様相となりましたが、
前島先生
は、この中で
与野党調整
の最前線に立って活躍しておられました。 そのさなかの二月三日夜十時ごろ、
九段宿舎
において突然気分の不快を訴えられ、
東京女子医大病院
に入院されました。そして、入院後幾ばくもなく、御
家族
の切なる回復の願いもかなわず、ついに不帰の客となられました。 個人的にもいささか
先生
と交流のあった私にも、余りに律儀な
先生
がその律儀さのゆえに職務に殉じられてしまったという思いが胸に込み上げてくるのを、いかんともすることができません。いかに天命とは申せ、
先生
はいまだ五十八歳、その死は惜しみても余りあるものがあり、まことに
痛惜
の念にたえません。 私は、ここに皆様の御同意を得て、
議員一同
を代表し、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
)
前島先生
は、
昭和
十六年六月、静岡県
富士宮
市に生をうけられました。
父君
は、東京電力に勤務しつつ、電産
労組員
として活発に
組合活動
をしておられました。そうした
立場
から、
父君
はまた、本院副
議長
を務められた故
勝間田清一先生
の熱心かつ有力な
支持者
であられたとのことであります。 このような環境の中で、
前島先生
は、御両親の慈愛を一身に受けながらも、同時に、かなり若年のころから社会に眼を向けた
少年
として育たれたのであります。
昭和
二十九年の六月から九月にかけて、
我が国
十大紡の
一つ
であった
近江絹糸
で世上にいわゆる
人権争議
が起こり、
前島先生
の
郷里
の
富士宮工場
も
争議
のあらしに巻き込まれました。 ある夜、当時の
右派社会党
の
書記長淺沼稻次郎
氏の来援があり、
前島少年
は、母君と
一緒
に、小わきにござを抱えて露天の会場に赴き、
淺沼代議士
の
演説
を聞いたということであります。当時、
前島先生
は十三歳、中学一年生という
人生
で最も多感な時期にあり、そのような時期に、あの音に聞こえた、
演説百姓
、
人間機関車
の生の声に接せられたことになります。
少年
が大いに心を揺さぶられ、その後の
人生
の
歩み
に多大の影響を受けたであろうことは想像にかたくないところであります。 その後、
前島先生
は、
地元
の
県立富士高校
を
卒業
の後、
淺沼先生
と同じ
早稲田大学政治経済学部
に学ばれました。そして、いわゆる
安保闘争
の中での青春の彷徨を経た後、
昭和
四十年、
卒業
と同時に
社会党本部書記局
に入られ、生涯を党にささげることとなるその第一歩をしるされたのであります。
書記局
にあっては、
平和運動
、特に
昭和
四十七年に実現される
沖縄返還
の
運動
に取り組まれ、党の
闘争本部事務局
の
責任者
の一人として長期にわたって
沖縄
に滞在するなどして、
運動
に汗を流されました。 そして、早くも
昭和
五十二年には、
成田知巳委員長
のもとで、百五十名
書記局員
のトップ、
総務部長
に就任されました。これは
先生
が務められた第一回目の
総務部長職
であります。
前島先生
は、その後、
石橋委員長
のもとで、
総務部長
に異例の返り咲きを果たされております。
前島先生
御
自身
、「
勝間田先生
は、
自分
にとっては年代的にもはるかに遠く、その
存在
は仰ぎ見るようなものだった。
自分
が真に私淑したと言えるのは、
石橋政嗣先生
だった」と述懐されていたと聞きます。 その
言葉どおり
、
前島先生
は、
石橋
氏のもとで、同氏の
書記長時代
には
党派遣
の秘書として気配り十分の
仕事ぶり
を示し、
委員長時代
には再度の
総務部長
として
書記局
の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。 このような赫々たる実績を上げられた
書記局時代
は、
前島先生
の次の飛躍を準備せずにはおかなかったのであります。時あたかも、
勝間田代議士
の引退の時期でもありました。
昭和
六十一年五月一日、メーデー当日、
地元沼津
市において
前島先生
は、
勝間田先生
から直接に
後継者
に指名され、みずから
次期衆議院議員
総
選挙
に立候補を表明されました。 これを受けての
地元
の期待と熱意の盛り上がりはすさまじく、
出馬表明
からわずか二カ月余りの同年七月六日、この無名の四十五歳は、第三十八回総
選挙
において見事に初陣を飾られたのであります。(
拍手
) その後、
平成
二年、
平成
五年の総
選挙
に連続当選された
先生
は、
平成
八年の新制度による
選挙
でも、
東海選挙
区でただ
一つ
、
社会民主党
の
衆議院
の
議席
を確保されました。
先生
は、本院においては、主に
農林水産委員会
や
沖縄
及び北方問題に関する
特別委員会
で活躍されました。
沖縄
は、
先生
が若い
書記局員時代
から、持続して情熱を注がれてきたテーマであります。
村山内閣時代
、
沖縄米軍基地
の問題について、政府と
沖縄
県とが直接協議する場が初めて設置されたのでありますが、その基礎は、
前島先生
の御
努力
によって築かれたのでありました。 他方、農政、林政には、
衆議院議員当選
の後、一貫して熱心に取り組まれました。 昨年の
通常国会
では、ほぼ四十年
ぶり
に実質改正される
農業基本法
の
審議
が行われましたが、この
審議
に当たって、
先生
は、たびたび
質疑
に立たれ、
我が国食料
の
安定供給
の確保と
自給率
の向上のためには、固定的にではなく、
動態的視点
から目標を設定し、計画を策定することが必要であるとの考え方を強く説かれ、その論議を各党との
修正協議
に反映させることに見事なリーダーシップを発揮されたのであります。 このように、
政策
の場での
先生
の御精進は着実に実を結んでまいりました。 しかし、
政治家前島秀行
の生きた
時代
は、そうした具体的な
政策努力
を重ねてさえいればその
使命
が全うできるといった、幸せな安定の
時代
ではありませんでした。すなわち、二十
世紀
を大きく支配した
一つ
のイデオロギーが力を失い、多分そのことが影響した結果、
先生
が
少年
の日からその
歩み
をともにされ、
人生
のすべてをささげてこられた
日本社会党
は、激しい波浪に襲われました。このような
状況
の中で、
先生
は、むしろ
党活動
により大きな力を注がざるを得なかったと思われます。
先生
は、旧
社会党
副
書記長
、
社会民主党総務局長
など次々と党の
まとめ役的ポスト
につかれ、あくまでも党の統一を守り、その上で改革を進めるという道を懸命に探っておられたようにお見受けいたしたのであります。
平成
十年一月以降は党の
院内総務会長
を務められ、
党活動
の中でも
激務
中の
激務
と言われる
国会対策
の
責任
を担うこととなりました。そして、最近では、
野党側
の
国会対策
のかなめ的な
存在
となり、
野党
の結束に心を砕かれておられたとのことでありました。いつも、誠意を尽くし、筋を通そうとされた
先生
の真摯な姿勢には、党派を超えて多くの信頼が集まっていたと聞くのであります。(
拍手
) このように、
前島先生
は、本
院議員
に連続して四回当選され、
在職期間
は十三年八カ月に及んだのでありますが、この間、
国会活動
、
党活動
を通じて国政に偉大な
功績
を残されたのであります。
先生
は、村夫子然とした頑健な体格の上に、えびす顔の
笑顔
を絶やさない陽気なお人柄で、だれからも好かれる
存在
でありました。他面、
郷里
にそびえる
富士
を常に仰ぎ見る求道の士でもありました。「
自分
は弱者という
言葉
は嫌いだが、日の当たらないところにいる
人たち
は決して切り捨てない」とおっしゃる
先生
のお
言葉
を、つい最近も
地元
の人が耳にしております。 さて、
先生
は、これまで長く、
文字どおり縁
の下の力持ち的な
立場
で党を支えることに徹してこられました。しかし、今や
先生
が表舞台に立つべき時期が近づいていたのであります。年齢的にも、それが十分可能な若さをお持ちでありました。 今までで一番よくできたと
先生
御
自身
大満足だった次の総
選挙用
のポスターには、
先生
の
笑顔
と
一緒
に、「
市民
との連立」という
スローガン
が刷り込まれていたとのことであります。
先生
の胸のうちには、この
スローガン
のもとで、やりたいこと、実現したいことが山のようにあったに違いありません。 そんな、まさにこれからというとき、
文字どおり道
半ばで、
先生
は倒れられてしまいました。本人の無念と御
家族
の悲しみをお察しするとき、私は
言葉
を失うのであります。 今、二十一
世紀
へ向けて
日本
をどう立て直すかの
設計図
を描くことは、我々
政治家
に課せられた死活的な
使命
と申せましょう。このときに当たり、現実を見きわめ、理想を求め、ひたすら無私に行動された
政党政治家前島秀行先生
を失いましたことは、
社会民主党
・
市民連合
のみならず、本院にとっても、
国家国民
にとっても大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。(
拍手
) ここに、謹んで
前島秀行先生
の生前の御
功績
をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
)
————◇—————
日程
第一
石炭鉱業
の
構造調整
の
完了等
に伴う
関係法律
の
整備等
に関する
法律案
(
内閣提出
)
伊藤宗一郎
6
○
議長
(
伊藤宗一郎
君)
日程
第一、
石炭鉱業
の
構造調整
の
完了等
に伴う
関係法律
の
整備等
に関する
法律案
を
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
石炭対策特別委員長土肥隆一
君。
—————————————
石炭鉱業
の
構造調整
の
完了等
に伴う
関係法律
の
整備等
に関する
法律案
及び同
報告書
〔
本号末尾
に掲載〕
—————————————
〔
土肥隆一
君
登壇
〕
土肥隆一
7
○
土肥隆一
君 ただいま
議題
となりました
法律案
につきまして、
石炭対策特別委員会
における審査の
経過
及び結果を御
報告
申し上げます。
本案
は、
石炭鉱業
をめぐる諸情勢から見て、
石炭鉱業
の
構造調整等
を完了させることができる
状況
にあることにかんがみ、
平成
十三年度末までの
現行石炭政策
の期限内に
石炭対策
を完了するために必要な
財源措置
を講ずるとともに、
石炭対策関係法律
を廃止し、あわせて所要の
経過措置
を講じようとするものであります。 その主な内容は、 第一に、
石炭
並びに
石油
及び
エネルギー需給構造高度化対策特別会計法
を改正し、
石炭対策完了
に要する経費について
平成
十二年度及び十三年度において
石炭勘定
の負担による
借り入れ等
を可能とするとともに、必要な
措置
を定めた上で、
平成
十三年度末をもって
石炭勘定
を廃止することとしております。 第二に、
臨時石炭鉱害復旧法
、
石炭鉱業構造調整臨時措置法
、
炭鉱労働者等
の雇用の
安定等
に関する
臨時措置法
、
石炭鉱害賠償等臨時措置法
、
石炭鉱業経理規制臨時措置法
及び
産炭地域
における
中小企業者
についての
中小企業信用保険
に関する
特別措置等
に関する
法律
を、必要な
経過措置等
を定めた上で、
平成
十三年度末をもって廃止することとしております。 第三に、
地域振興整備公団法
及び
石油代替エネルギー
の
開発
及び導入の促進に関する
法律
を改正し、
地域振興整備公団
及び新
エネルギー
・
産業技術総合開発機構
の
石炭対策
に係る業務について、一定の
経過措置等
を定めた上で、
平成
十三年度末をもって終了させるものであります。
本案
は、去る二月二十三
日本委員会
に付託され、同月二十四日
深谷通商産業大臣
から
提案理由
の説明を聴取いたしました。昨六日
質疑
を行った後、討論を行い、採決の結果、
賛成
多数をもって原案のとおり可決すべきものと議決いたしました。 なお、
本案
に対し
附帯決議
が付されました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
伊藤宗一郎
8
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) 採決いたします。
本案
の
委員長
の
報告
は可決であります。
本案
を
委員長報告
のとおり決するに
賛成
の諸君の
起立
を求めます。 〔
賛成者起立
〕
伊藤宗一郎
9
○
議長
(
伊藤宗一郎
君)
起立
多数。よって、
本案
は
委員長報告
のとおり可決いたしました。
————◇—————
伊藤宗一郎
10
○
議長
(
伊藤宗一郎
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後零時五十二分散会
————◇—————
出席国務大臣
通商産業大臣
深谷
隆司君