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2000-05-18 第147回国会 衆議院 法務委員会少年問題に関する小委員会 第2号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十二年五月十八日(木曜日)     午前九時三十四分開議  出席小委員    小委員長 武部  勤君       笹川  堯君    杉浦 正健君       与謝野 馨君    北村 哲男君       日野 市朗君    倉田 栄喜君       木島日出夫君    安倍 基雄君       西村 眞悟君    保坂 展人君     …………………………………    最高裁判所事務総局家庭局    長            安倍 嘉人君    政府参考人    (法務省刑事局長)    古田 佑紀君    政府参考人    (法務省矯正局長)    鶴田 六郎君    法務委員会専門員     井上 隆久君     ————————————— 本日の会議に付した案件  少年問題に関する件(少年犯罪をめぐる諸問題)     午前九時三十四分開議      ————◇—————
  2. 武部勤

    武部委員長 これより少年問題に関する小委員会を開会いたします。  少年問題に関する件について調査を進めます。  本日は、特に少年犯罪をめぐる諸問題について、小委員間において自由に討議をお願いしたいと思います。  なお、発言は、一人一回五分以内を目安として行いますので、挙手の上、小委員長の許可を得て行っていただきたいと存じます。  それでは、発言のある方は挙手をお願いいたします。
  3. 安倍基雄

    安倍(基)小委員 私の意見は大体前回で尽きているので、特に、私自身が例の論文皆さんにお配りしておりますから、特につけ加えることもないのでございますけれども。  やはり、少年法問題、今まで結局遷延されてきたということは、いわゆる人権論者と言っては悪いんですけれども加害者がかわいそうだかわいそうだということが中心になってしまって、私が前回委員会でも言ったように、戦後の少年法というのは余り重罪を想定していなかったということかと思います。非常に混乱期でございましたし、ちょっとした窃盗とか万引きとか、そういうことで一生を狂わせてはいかぬという面から、いわば名前を報道しちゃいかぬとか、優しく審査しろとか、そういう面があったかと思います。  でございますから、結局は、法の想定しなかったような事態がどんどん出てきた。それに対して、やはり法はいわば変化していくべきものである。それが、いわゆる人権論者という人々によって、少年保護育成ということが言われた。私は、保護育成は必要でございますけれども、あくまでやはり軽犯罪の場合でございまして、やはり重犯罪というかそういったものは別、この前お話しした抑止力といいますか、そういう面で考えていかなきゃいかぬじゃないか。それとともに、本当に最近になって被害者のことが言われ始めましたけれども、長らく被害者権利ということは言われなかった。そういった意味では、やはり改正の時期である、いささか遅きに失した。  私自身平成十年のときも論文を書きましたけれども、こうやっていろいろな事件が起こって初めて日本社会は対応する、この辺がやはり我々としては、もう少し法というもののできたときの背景、その後の変化、そういったものを勘案していくべきものじゃないかと私は思います。  前回私も言いましたように、今回の改正は、手続面それなりの進歩を遂げている。確かに、事実を確定するのが一番大事だ、こういった面で、この前議論も出ましたけれども、いわば被害者に対してももう少し中身がわかるようにする、民事でやれば当然わかるわけでございますから。民事になって初めてわかるようになるというんじゃこれはおかしいのであって、やはり、重大な、大きな問題については被害者側もちゃんとわかるようにするべきだ、立ち会いがいいのかどうかという問題はございますけれども。そういった意味で、私は、今回の改正は一歩進むものであるけれども、やはり改正の第一歩だという認識を持っていただきたい、そういうことでございます。  それからもう一つは、何も諸外国に合わせる必要はないのでございますけれども、やはり諸外国の、いわば方々の例を見ながら、いろいろないい点、悪い点を取捨選択しながら進むべきじゃないか。これは、各国のいろいろな状況がございましょうけれども、それはそれなりに、日本の特色とはいっても、少年犯罪というのは二十一世紀の諸外国は全部直面する問題でございます。ほかの諸外国犯罪凶悪化等々についてそれなりの対応をしてきたのに対して、日本だけが対応しなかった。そういった意味で、やはり諸外国の例を十分勘案しながら、最終的に今決めていくべきじゃないかと私は思います。  時間のあれもございますからこの辺でやめますけれども、私としての意見は述べさせていただいて、ちょっと途中でいたしますので。  では、どうもありがとうございました。
  4. 武部勤

    武部委員長 ありがとうございます。
  5. 北村哲男

    北村(哲)小委員 北村でございます。  今マスコミでは、少年犯罪、特に少年問題を本当に日々、ことあるごとに多くの問題を取り上げて、あたかも少年問題が、少年法の問題が急務である、もちろんそうでありますけれども、かなりあおり立てているような感じがします。  きょうの朝日新聞社説でありますが、「頭を冷やして考えよう」という社説が載っておりました。それには、「これまで何度となく話し合われてきた問題である。その蓄積を生かし、法の目的や、現に果たしている役割を踏まえた冷静な議論が、なぜできないのだろう。少年による重大、凶悪な事件が起きるたびに、単純で感情的な少年法改正論が持ち上がる。今回もまた、その例外ではない。」そして、「求められているのは、居丈高なスローガンや強硬策ではない。少年犯罪背景にあるものを分析し、そこから浮かび上がってくる課題や矛盾の解消に向けて、地道で実際的な取り組みを積み重ねることである。」ということを言っております。私もその立場に賛成でございます。  多くを語る時間もありませんので、一点だけ、今多く問題になっている、それでほとんどの人が一致しているであろうと思われる問題に事実認定適正化の要請があります。それに対して、この改正案検察官関与というものを認めておるわけでありますが、現行少年法審問構造前提にこの改正案検察官関与を認めておるわけであります。  現行審問構造は、あらかじめ検察官より送られた記録、すなわち、検察官は嫌疑があると認めるがゆえに家裁送致義務があるから、この記録は基本的に有罪記録というものであります。そういう有罪前提とした検察官から送られた記録裁判官が見ているのが今の審問構造でありますが、すなわち、刑事裁判対審構造と異なって、そこには起訴状一本主義もないし、また伝聞証拠を採用しないという法則もありません。そして、そのままに検察官関与することになっているわけです。したがって、いわゆる訴訟構造の中の武器対等原則がない。特にまた、成人に比べて防御力の少ない少年には本来であれば成人以上の権利保護が必要なのに、わずかに弁護士がつくだけということで、少年権利保護の点で問題が大きいと考えるわけです。  例として草加事件なんかが挙げられております。その草加事件経緯は、捜査機関による重要な証拠隠し、あるいは、問題が顕在化すると証拠を工作して、何が何でも有罪をかち取ろうという捜査機関の体質の問題がありました。そして、自白にとらわれて客観的証拠を無視する裁判官姿勢がこの草加事件冤罪をつくり出しました。いいかげんな捜査報告書がそのまま出るという問題もありますけれども、これが現在の刑事司法に共通する病根でもあります。  これは少年法だけには限りません。こうした捜査機関裁判官姿勢を規制する制度は今は何もありません。むき出しに検察官関与がなされるならば、今以上に冤罪がふえるのはもう目に見えているわけであります。今回のこの少年法改正にもその規制が全くないということであります。現在の通常刑事裁判でさえ自白偏重改善捜査機関裁判官に求める必要がありますけれども、それを規制するものもないわけです。そして、予断排除あるいは伝聞法則のない少年審判検察官関与すれば、刑事裁判の病状をさらに悪くしたものになるというふうに私は考えるわけでございます。  以上でございます。
  6. 西村眞悟

    西村(眞)小委員 私も意見は言い尽くしておるんですが、今北村先生が言われたことに、これは悪循環が起こっているのではないか。少年事件審判構造が、和やかに、証拠能力原則起訴状一本主義もなく審判されるのに、捜査段階における熱意というものが、やはり一般刑事訴訟に提出する捜査資料証拠書類を作成するのと大分熱が違うだろう。これは現実にそうだ。自分たちがつくった一件書類がどのように評価され、どうなされるのか、捜査機関にとってはさっぱりわからないわけですね。これは一種の悪循環ではないかと思います。  それで私は、最高裁家庭局長がお見えですので、ちょっと現場の声をこの際お聞きしたいと思います。  起訴状一本主義をもって、予断排除原則をもって事実認定に当たるのが我が国裁判官が最も訓練を、修練を積んでおられる分野でございます。しかしながら、少年犯罪審判については、二十二条の、和やかに、懇切を旨として、ただ一人の裁判官が、今申し上げましたような裁判官が日ごろ修練を積んでおる事実認定原則から外れて、一人で事実の認定に向かわねばならない。  その場合に、単純な事件ならよろしいですけれども、先ほど北村先生も言われたように、少年というのは誘導に乗りやすい等々の要因があることもまた事実でございます。その中で、現実に起こった、複数少年が罪をなすり合い、またその少年付添人及び父母が、我が子供には有利にという思惑で、これはいたし方ないことですが、その審判に参与してくる。その少年の側の声だけが審判廷に届いておって、他の客観的真実を発見できるであろう声は届かないわけですね。  しかし、裁判官としては、その中で、現状法律ではただ一人で事実の認定に立ち向かわねばならない。十六歳未満では検察官送致は無理でございますから、立ち向かわねばならない。この裁判官の御苦労、またこの現状での危惧を、やはり現実審判に当たられている裁判官の声として、ぜひお聞きしたいと存じます。
  7. 安倍嘉人

    安倍最高裁判所長官代理者 御説明申し上げます。  今回国会に提出されております少年法改正、これはまさに事実認定手続適正化を図るための法案でございますけれども、これについての裁判官認識を若干説明させていただきたいと思います。  私ども裁判官としては、山形マット事件を受けて、家庭裁判所の事実認定手続は十分機能しているんだろうかという世の御批判を受けたわけでございまして、この御批判を受けまして、裁判所内部でも何回かにわたって検討議論を重ねてまいりました。  やはり裁判官として果たすべき努力が足りないんじゃないだろうか、こういった議論もしたわけでございますけれども、そういった議論を経た上での裁判官認識といたしましては、現在の制度の中で精いっぱい努力、工夫はするものの、やはり制度的な限界があるのではないだろうか、こういった認識に立ち至っているところでございます。  その点は、一つ申し上げますと、記録の膨大な、非常に複雑な経緯をたどってきている事件などについて、裁判官一人で的確に、多角的に問題の所在を明らかに確認して、その判断をしていくことはなかなか難しい場面がある。そういった意味で、裁判官複数の目から多角的な検討を加える必要がある場合があるのではないだろうかというのが一つ場面でございます。  いま一つ場面は、ただいま委員が御指摘ございましたような、少年が激しく事実を争うような場合におきまして、裁判官として非常にジレンマに立つ場合があるわけでございます。  と申しますのは、裁判官として終局審判をする立場にあるわけでございますから、少年との関係においては、まさに公平中立立場において判断をする、それがひいてはその処分についての少年の信頼を得て、適正な改善更生につながっていく、こういうことになるわけでございますけれども少年が激しく争っている場合に、裁判官としてそれでは少年の言い分についてうのみにすることでいいんだろうかという問題意識があるわけでございます。そのような場合に、少年主張について厳しく吟味する姿勢を持てば持つほど、少年から見た場合には、裁判官は初めから有罪と認めているのではないだろうか、こういった危惧を抱くこともあり得るわけでございます。  そういった意味合いにおいて、裁判官として、公正な判断者という立場と、少年主張するところを吟味する立場と、いわば一人二役を兼ねなければいけない場面に遭遇する場面があるわけでございます。そういった事態を考えた場合に、裁判官として、より公正な判断者という立場に徹することを可能にするためには検察官関与をいただく必要がある場合があるのではないだろうか、こういう議論を経まして、現在の国会議論いただいております改正案について、大方の裁判官としては、この方向での改正が実務的にはありがたいものである、こういう認識を持つに至っている状況に今あるところでございます。  以上でございます。
  8. 日野市朗

    日野委員 私は、前回お話をしているわけでありますが、少年法についての現在出されている法律案について当委員会としてとやかくすることは、少年問題というのは広いアプローチが必要である、特に、最近の大きな事件を見まして、少年問題に対する関心が非常に高まっている、このような時期に、その手続とはいえ、一部のもののみを取り上げてこれを論議し、そこについてだけ結論を出すということについて私は消極であるということをこの間もお話ししまして、その私の結論については、今も全く同様であります。  そして私は、きょうは別の観点からのアプローチをしてみたいと思います。何しろ少年問題に関する小委員会でありますから、少年問題としてとらえてお話をしてみたいと思います。  この少年問題について、教育が非常に大事だということについては、もう皆さんずっとお話しになりました。私も、そのところは強調して前回お話をしたつもりであります。  ところで、教育を考えるときに、どのような理念を持って教育というものを組み立てていくのか、教育方法をどのようなものとして考えていくのかということについて非常に重大な関心を示さざるを得ないところでありますし、その点が、教育問題を考えるときの非常に重要なポイントでありましょう。  そういうふうに見ておりまして、最近の森首相発言日本神国論ということについて発言をされたわけでありますが、私は非常に重大な危惧を覚えます。  戦後の日本は、そういった日本神国論というものを捨てて、民主主義という方向国家理念として定めて、それを築き上げるために苦労してきた、その五十年であったと思うんですね。しかし、残念ながら、総理大臣のような立場にある方が日本神国論を述べて、戦前の状態の歴史観やら道徳観、こういったものをまた言い立てるということについては、私は非常に危惧を持っております。戦後日本民主化への努力というのは一体何だったのだというふうに考えざるを得ないわけですね。  この森総理発言は、これは単なる謝罪なんかで消し去ることのできる問題ではない。まさに総理大臣内面を我々はかいま見たわけでありまして、このような内面の思想が今日本で復活するなどということは絶対にあってはならないし、我々は戦後の民主主義を担ってきた人間として、そういう問題には断固として立ち向かっていかなければならない、私はこう思っているんです。  そして、そのような観点から日本教育あり方、そういったものを組み立てられたのでは、これはたまったものではない、こういうふうに私は思います。その点、やはり厳重にここで注意を喚起しなければならないし、そのような方が総理大臣としての地位を維持しておられるということについては、私は、重大な警鐘を国民の前に鳴らさなければならないと思う。  私は、教育理念というものは、あくまでも民主主義というものを踏まえて、そしてその民主的な国のシステムの中でどのように国民が生きていくべきかというその生き方、これが教育理念として提示されなければならないと思うんですね。  でありますから、我々が今なすべきことは、民主的な国として、そして国際化を踏まえて世界でいろいろな問題が起きる中で、その国際化にいかに日本人というものが貢献をしていかなければならないのか、日本国家というものがいかに貢献をしていかなければならないか、そのような道を模索していく、そういう国家目的を立てていく、そのことが非常に重大なことであると私は思っています。  テーマは既に限られている、それを実現するための教育方法というものを考えていく、その中で少年問題が論じられるべき、こう私は思っております。  後の時間で、また別のいろいろなアプローチをやらせていただきます。
  9. 杉浦正健

    杉浦委員 二点ばかり申させていただきたいと思います。  現在提案されている少年法改正は、非常に無理なことをやろうとしている。要するに、今の少年法ですと、家裁審判職権主義ですね。それに一般刑事裁判対審的構造を持ち込もうとしている。根本的に無理があると思うんです。木に竹を接ごうとしている。反対論もいろいろあるわけですけれども、日弁連の意見の中にも聞くべき点が多々あるわけです。検察官立ち会いも、検察官とか裁判官の恣意に任される面が多々あるわけで、これは基本的に大きい問題を含んでいると思うんですね。  私ども自民党が今検討している中に、必要的逆送という制度を設けるべきだという考えで検討していますが、私どもの今検討している案が実現すれば、例えば今の改正案で、検察官が立ち会うべきものあるいは抗告権が認められる云々部分は、逆送してしまえばいいわけです。通常刑事裁判手続でやれば検察官は立ち会うわけだし、捜査も改めてやり直すわけです。きちっと対応できるわけで、それが実現するだけで今の少年法改正の大部分は必要なくなる、こう思っております。  捜査にしても、保坂委員前回いろいろ言っておられましたが、家裁送致する事案については、警察、検察庁とも余り十分な捜査をしないんですね。捜査されないまま家裁へ行っちゃう、そして家裁には捜査権がないということなんですから、その必要的逆送でぐっと検察庁へ戻してしまえば、改めて十分捜査をして立件するということになるわけで、家裁裁判官の重圧も減るわけなんです。それを第一点に指摘したいと思います。  第二点は、北村委員が言われたマスコミ朝日新聞論説を私は読んでいませんが、今の少年問題の根本に教育がある、その教育を悪化させた一つにはマスコミの責任も非常に大きいと思うんですね。  家庭でもそうですが、家庭学校社会において少年教育する場合に、ペナルティーを与える。体罰というのも、程度問題ですが、子供健全育成のために必要だと思うのですが、マスコミは一貫して、教師暴力を振るう、体罰を加えると暴力教師といって糾弾をして、今全国で小学校の教員は、中学もそうですが、体罰を加えられないというのが現状じゃないでしょうか。こういった点は、これからの論議の中で改めて教育の問題としてとらえていかなきゃいけないと私は個人的に思っておるわけなんです。  マスコミの、頭を冷やせという論説だったそうですけれどもマスコミこそ、日本のこれからの教育あり方について、今までの報道の姿勢について十分検討をしてもらって、教育が全体として、学校家庭社会全体で青少年が健全に伸びていく、それに必要なペナルティー、これは刑罰じゃなくて、少年法云々刑罰を場合によっては加えるということですが、刑罰以外のペナルティーを与えるということが必要だと私は個人的には思っているわけなんで、反省をしてほしいと思っておる次第でございます。  とりあえず、以上二点、申し上げておきます。
  10. 木島日出夫

    木島委員 幾つか述べたいと思うんです。  一つは、安倍委員が退席されてしまいましたが、先ほど、戦後改正された現行少年法重罪を想定していないということは、根本的に事実認識が違うんではないかという指摘をしておきたいと思います。  それは、少年法五十一条には「罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科し、無期刑をもつて処断すべきときは、十年以上十五年以下において、懲役又は禁錮を科する。」こういう規定が入っているわけでありまして、この少年法は、まさに死刑に値するような重大犯罪をも十分に想定の上、それを前提にして保護主義という理念のもとに組み立てられているものじゃないかということを一点指摘しておきたいと思います。  それから、政府から出された改正法案についてですが、最高裁当局からも、事実認定手続改正であるという主張がなされました。この点につきましては、少年審判対象は何かということでさまざまな学説の争いがありますが、基本的な通説は、少年審判対象二つだということに収れんされていると思います。  その二つというのは、一つは、非行事実の認定です。そして二つは、要保護性判断です。非行事実の認定と要保護性判断というのは、性格が全く違う。それら二つのことを今の少年法審判手続の中でやるということを前提にしているわけであります。  したがって、私は、事実認定手続を厳正にやるということから検察官立ち会いが必要だ、検察官抗告権を与えるべきだ、そういう理念改正法案がつくられていると思うのですが、これは、二つ審判対象のうちの非行事実の認定部分についてのみは辛うじてそういう考え方もあり得ると思うわけでありますが、要保護性判断、これはまさに教育的、保護的理念に基づいて行われなければならない分野であって、それについて全く何の配慮もなく検察官関与が認められるということは、それはやはり少年法基本理念を損なうことになるのではないかと考えます。  最高裁は、最高裁が出した提案は保護主義少年法基本理念にはいささかも手をつけるものではないんだ、変えるつもりはないんだとおっしゃっておるようでありますから、それではその二つ審判対象があるということとの関係は説明ができないのではないかというのが一点です。  二つ目は、北村委員から指摘されたことはそのとおりだと思います。現在の少年法審判手続、しかもその一つ非行事実の認定という分野に関する手続は、御案内のように、戦前の予審のような、起訴状一本主義じゃなくてすべての資料が一遍に裁判官に渡される、それから予断排除原則がない、伝聞証拠排除原則がない。さまざまな、現行刑事訴訟法手続から見ると全く例外的な組み立てをしているわけでありまして、その組み立てをそのままにしておいて、そして検察官関与させるということでは、私は、率直に言って、真実を発見するということからいっても逆行してしまうのではないか。  特に少年というのは、非常に取り調べに対して弱いです。事実と違うことを警察誘導尋問等によって平気でしゃべるような弱さを持っています。それが調書となって、そして起訴状一本主義もなく、予断排除原則もなく提出されたときには、やはり真実から遠ざかって、逆に、この構造の上に検察官関与させただけでは冤罪をますます生みかねないんじゃないかという重大な危惧を私は持っているということを指摘しておきたい。まず、これだけは第一回の発言として述べておきたいと思います。
  11. 保坂展人

    保坂委員 私は、前回からアメリカの例を考えてみるべきじゃないかという発言をしています。与謝野委員からは銃器が介在するから参考にならないという話もありましたけれども日本少年法自身アメリカのイリノイ州の少年裁判所に源を持つ以上、これは検証する必要がある。  とりわけ、私の部屋にアメリカのジャーナリスト、司法担当記者がやってきまして、アメリカでは今、余りに拘禁されている少年が多く、また、拘禁が長期にわたるために、少年時代に事件でいわば処罰を受けて、青年期をすべて刑務所で過ごすような人たちの再犯率が高いという問題が大変大きな社会問題になっている。それから、刑務所の維持コストも大変なものになっている。そういう中で、政治家による非常にわかりやすい、厳しくあれという主張が多くの世論の支持を受けた結果、少年に対する刑事司法の骨格が変更されていったというお話を聞いてきました。  法務省として調査研究しているはずだということで何度も資料を求めるのですが、どうやら犯罪白書しか持ってこなくて、しかも三ページぐらいの文書しかないので、恐らく研究はほとんどなされていないのじゃないかというふうに思います。  そこで、今届いたばかりなので、一点だけ端的な点を紹介したいと思いますが、ニューヨーク少年犯罪者法というのはアメリカ少年法の典型的な転換例として有名だそうなのですが、葛野さんという方がお書きになった「ニュー・ヨーク少年犯罪者法の犯罪抑止効果 強圧的な少年犯罪統制立法は成功したのか?」という検証論文があるのですね。  それを見てみますと、大きく転換したことによって「未決拘禁施設や閉鎖処遇施設に収容される少年が激増したにもかかわらず、それに対応するために十分なだけの設備やサービスの充実がなされなかったために、深刻な過剰拘禁状態が生じ、また、処遇の質的低下がおきる、という問題が発生した。」この法律に対しては、民間の人権擁護団体のみならず、裁判官検察官少年処遇の実務家など、批判も強かったそうです。しかし、「このような批判にもかかわらず、少年犯罪者法の廃止は実現しなかった。少年犯罪者法の制定によって、少年司法改革をめぐる政治動向には終止符が打たれた。同時に、少年司法改革に対する公衆やマス・メディアの関心も大きく低下した。こうして、少年犯罪者法の制定以降、ニュー・ヨーク州において、大規模な少年司法改革はなされなかった。」  いろいろ実証的な研究がこの前にあるのですが、この結語の部分を紹介しているのですが、この研究は「少年犯罪者法が重大少年犯罪の効果的統制というその意図の達成に成功しなかった、ということを明らかにしている。しかし、現実的効果がどうであったかにかかわらず、少年犯罪者法は、徹底して強圧的な少年司法システムを求める公衆の願望にはうまく応えることができた。少年犯罪者法は、少年司法改革に対する関心をみごとに鎮静化し、その制定以降、さらなる改革が企画されることはなかった。この点において、少年司法改革の「象徴」としての政治的意味をもっていたのである。」という分析の論文を、今求めていたのが見つかって、ちょっと御紹介しました。  法務省は、こんな研究をちゃんと見て、その上で五十年のスパンで考えているのか、ちょっと機会があったら短くお答えいただきたいと思います。
  12. 古田佑紀

    ○古田政府参考人 いろいろな外国の法制がどうなっているか、あるいはその運用がどうなっているかということは、一つ参考としてはいろいろな意味で必要に応じて研究することは、もちろん求められていると考えているわけでございます。  ただ一点申し上げたいことは、犯罪情勢あるいは社会情勢その他がいろいろその国によって大きく異なっている部分があることも事実でございますし、例えば、今保坂委員お話にありましたアメリカのやり方をそっくりそのまま日本に移そうというようなことであるとするならば、これは、おっしゃるとおり、アメリカのそういう問題というのも徹底的に研究をしなければいけないと考えるわけです。  しかし、私たちの考えておりますことは決してそういうことではありませんで、現在の少年法の基本的枠組みというものは維持しながら、その中でのいささか欠けている面を補うという程度のことを考えているわけでございます。  したがいまして、まず、社会的な基盤の問題でありますとか、あるいは私たちが現在御提案申し上げております改正目的、そういうものから照らして、アメリカのそういうお話というのが直ちに重要な意味を持つというふうには私は考えておりません。
  13. 倉田栄喜

    ○倉田小委員 私は、現行少年法理念目的は維持されるべきものである、変更する必要はないという立場であります。  その立場に立つとして、問題は、最近指摘されているような問題、少年犯罪も含めて、いわゆる限界的な事例において、今の審判あり方、システムというのが本当に対応し得ているのかどうか、機能し得ているのかどうかという問題意識であります。その意味で、前回、それぞれに応じて三つの類型ぐらいの審判あり方があってもいいのではないのかということを申し上げさせていただきました。  そして同時に、少年審判の本当の目的、本来一番大切なものは何なのかということで、先ほど審判対象は何なのかという議論がありましたけれども、私は、審判対象は要保護性であって、要保護性と事実の認定が並行的に両立するものではないという立場であります。あくまでも要保護性である。ただ、その要保護性前提として、事実の認定をどういうふうに扱えばいいのか。  現行少年法が、裁判官が一人で対応している、こういうシステムを持ったのは、恐らく、少年健全育成、本当の意味の反省と更生はやはり魂と魂の打ち合い、心と心の触れ合いの中でしか生まれないということで、裁判官のいわば人格、そういうものにかけて一人制をとったのだろうということだと思っておりますが、集団化する中でなかなか足りないということであれば、合議制も、それぞれ役割分担に応じて、少年の本当の意味での反省、更生を図るということでの役割分担はあり得るのかな、こう考えております。  前回被害者立場から、被害者審判の中に参加をしたらどうなのか、それは少年審判が非公開とされているということといわゆる被害者に開示をするということとは理念の上ではきちっと分けることができるだろうという立場で、被害者の方にも意見の陳述、あるいは直接向き合うということだってあり得るのだろう、こういうことを申し上げたわけであります。  その延長線でいえば、いわゆる現在の職権主義構造の中で裁判官が担当する、今の刑事裁判の中における当事者主義構造とシステム的に違うわけですから、私は、少年審判にかかわる裁判官にしても、あるいは弁護人、付添人にしても、あるいは捜査官、家裁調査官、検察官にしても、やはりこれは少年事犯に対する特有のプロでなければいけないというか、みんなプロなんだと思うのですけれども、専門家でなければならない。心理的側面も含めて、近時は、特に動機の解明に至ってはなかなか従来の考え方では理解できないという部分もあるわけでありますので、いわばこの少年事件関与する方々の、研修ということはなかなか、一般的になってしまいますけれども、もっと深く進んだものとしてあらなければならないのではないのか。それは、システムの上でも、またいわゆる能力という面についてもそうであります。  そういう少年審判に携わる方々の能力という部分からすれば、やはり少し、今の事件に対応できるような問題意識というのか体制というのは整っていないのではないのか、そういうふうに思っておりますので、後でまたもう一度申し上げますけれども捜査の段階における捜査官、検察官家庭裁判所の調査官そして担当する裁判官、もっと全面的に、これにかかわる方々の能力あるいは研修ということに力を入れていかなければいけないな、こういうことも申し上げさせていただきたいと思います。
  14. 武部勤

    武部委員長 引き続き、御発言がある方、挙手をお願いいたします。
  15. 杉浦正健

    杉浦委員 さっき日野先生から森総理の話が出たのですが、私は森総理をよく存じ上げている人間の一人として、神の国発言なるものはちょっと舌足らずではなかったかと。やおよろずの神々のまします国だという趣旨だろうと思いますし、天皇を中心にしたといっても、何も戦前の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」というような意味で天皇中心と言われたのではないと私は思っております。  私ども日本人のマジョリティーはそうですが、草木や岩にも神は宿る。地方へ行けば行くほど、お地蔵さんにしても、石が祭られているところもありますし、いろいろそういう人間を超えた自然の中にも私ども社会を動かしている高らかな精霊が宿っているという気持ちでみんな、多くの者は生きているわけで、そういうような趣旨を言われたのではないか、こう思っておる次第でございます。日野先生のような御懸念の向きで総理が発言したんじゃないと私は思っています。  それから、先ほど私が言った論点をさらにもう少しきちっと言わせてもらいたいと思うのですが、現在、刑事処分に処すべきと家裁が考えた場合は逆送できるというふうになっているわけ。今私ども自民党が考えているのは、要するに、改正法で検察官を立ち会わせるということができる、死刑、無期、長期三年以上の懲役に処すべき場合とか、あるいはその中で被害者が死に至った場合はさらに立ち会いが容易にできるようになっておるわけなんですけれども、そういう重要事犯の場合で、被害者が亡くなった場合とか、あるいは本人が否認している場合、これは逆送の要件に当たっていると思うのですが、そういう場合にはもう必要的に、無条件に刑事訴訟手続に戻して、捜査も十分にやり、起訴状一本主義のもとで、対審構造できちっと事実認定すればいい。保護すべき、保護処分相当の場合はちゃんと保護処分にしたらいいわけで、そういう事案を除けば、あとは和やかに、本人が争っていない、事実認定も和やかにできるわけなんですね。  ですから、今の少年法の審問、審理構造に何ら手を加える必要がない。そういう意味で、必要的逆送を入れるべきだ、こう考えているんだということを申し添えさせていただきます。
  16. 倉田栄喜

    ○倉田小委員 今杉浦委員お話しになりました必要的逆送の件でありますけれども、私も、もちろん逆送事件ができるようになっているわけでありますけれども、そこがどういうふうに機能しているかということを考えれば、確かにもう少し、逆送事件で扱う、刑事裁判の中で扱う事犯があってもいいのではないのかな、こういうふうに思います。  その意味で、非常に重大事犯で、事実認定そのものを争っている場合については、必要的逆送事件を明記するかどうか、いろいろ議論をしなければいけないと思いますけれども、今杉浦委員がおっしゃったような考え方はあってもいいだろう、こう思います。  ただ、その場合に、では、現行少年刑務所がどういうふうになっているのか。やはり少年少年でありまして、成人の、普通刑務所の中に少年を一緒にするわけにはいかないんだろうと思いますと、そういうふうに、必要的逆送事件ということで、同じ刑事裁判をやって、刑事判決を受けるということになったときの、その後の処遇で、今の少年刑務所がどうなっているのか、きょう矯正局長お見えでございますので、ちょっとその辺教えてもらえませんか。  あと、そういうことになるとすれば、少年刑務所がシステム、体制も含めて受け入れ体制がもっと整備されていかなければ、今どうなんだろうという思いから、ちょっとお聞かせください。
  17. 保坂展人

    保坂委員 今せっかくいい点を聞いていただいたので、今、少年刑務所、ほかの施設も含めて、設置基準というのが多分長いこと余り変わっていないんじゃないかというふうに思いますので、その点も加えてお答えいただければと思います。
  18. 鶴田六郎

    ○鶴田政府参考人 それでは御説明させていただきますが、後段のことより、実情を説明することで責めを果たさせていただきたいと思います。  委員が御指摘になりましたように、懲役または禁錮の刑の言い渡しを受けた者のうち、裁判のときに二十歳未満の者が少年受刑者ということになっております。少年受刑者については、やはり成人受刑者からの悪影響の防止とか教育訓練の徹底を図るという観点から、少年刑務所というのが現在全国に八施設ございますけれども、逆送されて刑が言い渡されるわけですが、そこでその刑の執行をするということになっております。  刑の長さは不定期刑が一番多いわけですけれども、その場合については、少年のときに判決の言い渡しを受けて、それから二十歳になる場合もありますけれども、二十六歳までは継続して少年刑務所で処遇するということになっています。  現在どのくらい入っているかということですが、裁判の確定したときはまだ二十歳ですが、入ってきたとき二十を超える場合もありますので、それを含めますと、大体、平成十年の統計ですと、四十四人ということになっております。  では、どんな中で処遇をするんですかということになりますと、少年の受刑者のほかに、ある程度若いときに、二十過ぎの若いときに事件を犯して有罪判決を受ける者もおるわけで、原則として二十から二十六歳までの受刑者のことを青年受刑者というふうに呼んでいますけれども、現在の少年刑務所における処遇の実情は、少年受刑者、それから今申し上げた青年受刑者、それを大体合わせて処遇しているということになっております。  ただ、一般成人とは異なる面も処遇上ありますので、できる限り、職業訓練とか教科教育とか生活指導、そういった点に重点を置きながら処遇を行っているのが大体の実情でございます。  保坂委員の方の、適切な説明になるかどうかわかりませんが、設備につきまして、少年院について申しますと、何か特別の明文化された建築基準というものはありませんので、各施設の立地条件とか処遇環境、そういうことを考慮して整備しているということで、過去、三十年代は設備も不備な施設が多かったわけですが、昭和四十年代ころから比較的施設の改善もできておりまして、現在では少年院の場合は、比較的開放的な施設、半閉鎖施設とも逆に言いますが、そういう形で、両者の中にいろいろな、集会場とか食堂、トイレというような形の設備が整備されるような方向で整備を図っているという実情にございます。
  19. 日野市朗

    日野委員 私、実はこの小委員会法律に携わる者の少年問題に対する深い識見を聞きたいと思ったのですが、皆さん少年法のことばかりごちゃごちゃ言っておられるのです。法律家にとって共通の欠点は視野が狭いということだ、自分自身をも省みながらそう思います。  少年問題は非常に広い問題からアプローチしなければならないのに、今ここでの議論は非常に残念です。私だってそれは、少年法のことについていえば、いろいろ言いたいことはありますよ。それはちゃんとした委員会でやりましょう。私はさっきは教育理念について申し上げたが、今度は経済とのかかわり合いという点からのアプローチをしてみたいというふうに思います。  今度の幾つかの重大な少年犯罪を見て私考えるのは、まず、多くの識者が指摘しているように、動機というものが非常にわかりにくいものになっている。私はこの問題について、やはりいろいろな観点からいろいろ考え込んでみました。  そこで、この問題は非常に大きな問題じゃないのかなと思うのは、少子化ということの一つ社会的現象ですね、これについて考えざるを得ませんでした。特に農村部であるとか中小零細の商人の人たち、この人たちは自分の後継者を得たいという思いが非常に強い。でありますから、少ししかいなくなった子供たちを、自分の後継者になってもらうために非常に甘く育てているということは間違いないです。車が欲しいと言えば車を与え、どこそこに行きたいと言えばどこそこに連れていってやる。これは、中国の一人っ子政策の問題なんかについても論じられていることでありますし、随分古くから、教育を論ずる場合に言われていることです。  「エミール」という本がありますね。これは教育の教科書ともいうべき古典と私は承知をしておりますが、あれの中に書いてあるそうです。私が読んだんじゃありません、ある新聞に出ていた。子供を悪い子供に育てようと思えば簡単だ、欲しいと言うものは何でも与えればいい、こんなことが書いてあるそうです。そういう観点というのは非常に大事な観点であると私は思うのですね。つまり、子供たちが何かを欲しいと思う、そしてそのための努力をするという作業が、そういう過程が失われていやしないかと。  昔、我々自身子供のころどうだったかといえば、何か欲しいといえば、親にねだる、親がどうしてもやってくれないということになれば自分でアルバイトをしたり、それから、お手伝いをしてお小遣いをもらったり、そういうことで金銭的価値に結びついていたということは言えると思いますね。  しかし、今の子供たちの場合は、自己実現を図っていくということについての金銭的な価値から割と切り離されているというふうに私は思います。自分で金銭を得て何か欲しいものを得るということはなくて、金銭は比較的、親その他から与えられやすいという環境にありまして、そうすると、金銭的な価値を自分で得ていくということよりは人に与えられるということから、自分が何かをやりたいというときに自己中心的な価値観に陥って物事を行っていくという側面が非常に強いのではないか、私はそんなふうに思うわけですね。そういう自己中心的な価値観というものは、動機がなかなかわかりにくい犯罪非行、そういったものを生み出していやしないかと私は思うんですね。  ですから、そういう点、これは一つの経済的な現象としての少子化、それから後継者を得たいという人々の思い、こういうものと少年非行というものを一応関連づけて分析をしていくこと、これも必要ではないかというふうに私は思っていますので、感想を述べさせてもらいました。
  20. 保坂展人

    保坂委員 事実認定の問題については各党とも一致しているみたいだというようなお話西村委員からあったのですが、僕は、そこのところ、誤解を受けるといけないので、ちょっと意見を言っておきたいと思うんです。  前回、岡崎哲君という少年の問題、警察官の子供である、お兄さんも警察官であるということで、どうもそこが作用して、警察の取り調べ、これは両親もサインしていない調書が家裁に送られてしまった。それから、重大な関心を世間に持たれていた事件であるにもかかわらず、検察の方は御両親のお話も聞かずに送ってしまった。ここらは、現状捜査自身少年事件を本当にまともにやろうとしているのかどうか、ここが非常に疑わしいということを前回も申し上げました。  例えば、草加事件という冤罪事件が生まれているわけですけれども、付着していた血液型をめぐって、これは少年審判では既に決着をしていて民事場面ですけれども、検察側は奇説、珍説を展開しているんですね。血液型というのは、汗とそもそも付着していた血液とがまじって別の血液型に変化したのだというような、これはもう退けられたと思いますけれども。あるいは、綾瀬で起きた母子殺人事件というのがありましたね。これも、加害少年だということで、いわば二人の少年が結局は冤罪だったという問題が明らかになりました。  これも、もう成人をしたその少年たちが今振り返って言うには、少年審判においても、やはりなかなか、何を聞かれているのか、自分が何を問われているのかもはっきり理解ができない、専門用語などで言われるのでわからなかった、あるいは裁判官の質問についてもやはり非常に萎縮をしたと。  だからこの場合は、いわゆる検察官審判関与して、事実の争いのある事件についてはうまくいくんだというのは、私はちょっとそれはどうなのかなと思います。その場合には、先ほど杉浦さんが言われましたけれども、では起訴状一本主義だとかそういう原則に立って検察が関与していくのかというと、必ずしも今の案ではそうではない。  そういう意味で、調査官の方の声などを聞くと、確かに、これは少年法の骨格を守るんだといっても、今のこの政府案を一つの入り口として検察官はほとんどの事件に出席することが可能となって、やはり社会秩序、公共の安全の保持という社会防衛の観点からの処遇決定というのを検察は強く求めてくるだろう。現状では、処遇決定過程では少年の性格や環境に、いわゆる保護育成、そういう観点で決定をしているので、やはり相当大きく変化が生じるんじゃないかという声が上がっているんですね。  ただ、私もそう思いますが、否認事件の場合、山形マット死の場合も出ましたけれども、そういう場合に事実認定手続が、いわば裁判官が厳格な訴訟手続を通してやるわけではないので、いわゆる予断を持って職権でばっと処理しちゃって、そこに間違いがあるという場合がある。この調査官の方たちは、一案として、地裁の刑事手続を利用して、事実認定を地裁で行った後、再び家裁に戻すブーメラン方式、こういうものを考えてはどうかというふうなことも言われているんですけれども現実に問題を厳密に切り分けていって、そこのあたり、深く議論をするべきだと思います。  特に、冤罪事件というのは少年事件の場合にやはり多々ありますので、その中で、前回指摘しましたけれども少年事件を扱う警察官、検察官そして裁判官が、特に家庭裁判所もいらっしゃっていますけれども……
  21. 武部勤

    武部委員長 時間を過ぎていますので、まとめてください。
  22. 保坂展人

    保坂委員 キャリアシステムの中で、裁判官が、どうも本当にきっちりプライドを持って、事実認定力を持って仕事をするというような資質に欠けている方も一部いらっしゃるということが今日の事態をもたらしているんじゃないかなと思います。
  23. 笹川堯

    ○笹川小委員 日野先生お話を聞いていて、私も、視野が狭いという点には同感ですし、教育という問題を広く考えていく、これはもう当然だと思っています。  そこで、我々法務委員会だから、余り広く言っちゃうと各委員会にまたがっちゃってなかなか結論が出ないということでありますので、そこはその問題として、私は、やはり一番問題になるのは、よく家庭の中で保護と過保護、保護はしなきゃいかぬけれども、過保護、この線がなかなか難しい。  中国も一人っ子政策で、両方の親がおもちゃを与えて、よくない結果が出ておりますし、私は、教育というのは日本の国の根本だと思うんだけれども、まず、教育の前に、家庭教育がやはり一番大切じゃないかな。その上に立って学校教育、知識を身につけないと、基礎がないのに知識だけ入れれば悪知恵にもなるでしょうし、そういう意味においては、やはり社会教育をしてあげたい、この三つの教育が一緒にならないと、なかなかいい国というか、犯罪の少ない国になりにくいのではないのかなと私は思います。  ですから、父親というのは朝早く出て夜遅く帰ってくる、なかなか子供に接する時間がないわけですから、そういう意味では、やはり賢い母親をつくるということが家庭の中で一番大切だ。賢い母親はどういう母親かというと、決してこれは大学を出たとか成績優秀とかじゃなくして、要は、子供にしっかりとしつけをできる教育であってほしい。  御案内のように、百獣の王のライオンでも、動物園に入っているライオンは、姿形はライオンだけれども、今度、野に放せば、自分でえさをとったことがありませんから、すぐ餓死しちゃう。ところが、野生の動物というのは、どんな小さい動物であっても自立ができるわけで、自分でえさをとっている。だから、まずやはり子供を動物園のライオンにしないことだ。  私、先般、東大を優秀な成績で出て原子力に携わっている人から、自分の子供がお母さんの財布からお金を盗んだ、どう対応していいかわからぬという相談があったわけですが、それは、東大を出て優秀だから、親の金を盗んだことがないから対応することができないんですよ、経験がないから。  そこで、どういうふうにしていますかと言ったら、子供に頼まれたものは買ってやっている、与えているのにどうして盗むんだ、こういう議論なんですね。それじゃ、お小遣いは決めたものは上げているんですかと言ったら、それはやっていないというわけだ。そこが間違いだ。お小遣いを上げて、自分で何に使うかということを自主的に判断させる気持ちを醸成しておかないから、与えればいい、自分の意思で物を買えないから盗んだ。では、盗んだお金はどうしたのですかと聞いたら、おろおろしてどうしようもない。それじゃ、ポケットに入っておったら、すっとそのポケットからお金を抜いておいて、その中に、私のお金をとらないでくださいと紙に書いて入れておいたらどうですか、子供が必ず読む。  やはりそういう一つ一つの積み重ねというものが犯罪をなくしていくのであって、必ずしも法律があったから、あるいはまた優秀な裁判官といったって、成績優秀ということは子供のときに悪いことをしたことがないのですから、わかるわけがない。そういう意味では、やはり自分が先生として、歩んだ道がわかればこういうふうに指導してあげられるということも言えるかもわからぬけれども、私は、法というものはあくまでも常識の問題だというふうに思っています。  弁護士会から出ているこのパンフレットも、いいところもあるし間違っているところもある。書き方そのものも、厳罰化で非行は抑止できるかと。抑止できるかできないかは、やってみなければわからない。抑止できるときもあるし、できないときもある。これは大人だって一緒ですよ、死刑にすると書いてあったって人殺しをする人はいるわけですから。  そういう意味で、なるべく早く委員会として広く結論が出ることを望んでおりますが、私は、そのほかのことについては、もう今ここで申し上げることはありません。
  24. 木島日出夫

    木島委員 少年問題を考えるときに、視野の広さが必要だと委員から指摘されましたが、そのとおりだと思うんです。  それに加えて、私は、少年法のあるべき姿を論じるときにも広い視野が必要だということを考えているわけで、これまで全く論点に出てきませんでしたから、やはり国際法規範に照らして考えるということが大事だということで指摘しておきたいと思います。  日本も九四年五月二十二日に発効しております児童の権利に関する条約、いわゆる子ども権利条約の問題であります。こういう国際的に到達した水準、そして日本も批准しているわけですから、やはりこの原則に照らして少年法を見直していくということが大変大事じゃないかと思います。  非行少年の処遇に関してこの条約で直接に規定しているのは条約三十七条と四十条でありますが、刑事法学者の指摘にもありますように、この児童の権利に関する条約は、すべての子供に普遍的に認められる権利を宣言したものである、だから、この条約のすべての条項が非行少年の処遇に際しても考慮されなければならない、こういう指摘であります。私は当然だと思うんです。  そして、この条約を貫く基本的考え方は何かということで、学者の皆さん方は三点挙げています。  一つは、子供にかかわるすべての活動において、子供にとって最善の利益を考慮すること。二つは、子供の生存と発達を可能な限り確保するという子供の成長発達権を保障するということ。そして三つ目には、その子供の成長発達権を保障する第一義的な責任を負うのは親でありますが、国はそのために必要な援助とサービスの発展に努める。これが子ども権利条約を貫く三つの柱だと言われているわけであります。  さらに、先ほど指摘しました、直接に非行少年の処遇について規定している条約三十七条と四十条であります。これは、八五年に国連総会で採択された少年司法運営に関する国連最低基準規則、いわゆる北京規則と言われているようでありますが、これを基礎にして、子ども権利条約三十七条と四十条が規定されたようであります。それらの基本的な考え方として、やはり三つにまとめられると指摘されているわけです。  一つ対象子供でも、適正手続の保障が完全に確立されるべきこと。二つ、すべての面において人道主義に立脚した処遇が実施されるべきこと。三つ、司法手続によらない取り扱い措置の確立、これは、何が何でも子供非行問題を全部司法手続にほうり込むんじゃなくて、保護措置といいますか、福祉の措置の取り扱いを確立、拡大していくべきだ。この三つだと言われているわけであります。  これらの国際準則を精査いたしますと、保護主義の徹底と適正手続の強化ということがうたわれているわけでありまして、先ほど私も発言しましたが、まさにそれが両立し得るものかどうか。今の日本少年法審判手続が、まさに一人の裁判官二つの審理対象非行事実の認定という重大な行為と、要保護性判断という、これはなかなか幅広い、教育学から心理学からあらゆるものを入れた上で判断するべき要保護性判断、この二つのいずれも重大なことを一人の裁判官一つ審判手続の中でやっているということがあるわけでありまして、保護主義の徹底と適正手続の強化、これが果たしてうまく両立するかどうか、それがまさに検証されなきゃならぬと思うんです。  いずれにしろ、国際的な準則は、これは両立するものなんだという前提組み立てられている。これはやはり日本現行少年法基本理念になっていると私は思うんです、保護主義の徹底と適正手続の強化。  そうしますと、こういう観点から、改めて我が国の少年法でメスを入れなくちゃいかぬ、光を当てなければいかぬ分野として、私は三つ指摘しておきたいと思うんです。  一つは、捜査過程における少年権利保障が一体どうなっているんだという根本問題。これは間違ったら冤罪の温床になるわけです、冤罪の出発点になってしまうわけですから、捜査過程における少年権利保障の問題にメスを入れる。  二つ目として、先ほど来再三論議されております審判手続における公正かつ適正な審理の保障の問題。  そして三つ目には、上訴や再審に関する制度、これは全く不備でありまして、先ほど来指摘された幾つかの具体的な問題を通じて、最高裁判例で再審ができるというようなことにはなっておりますが、法の制度はないわけであります。  そういう問題などについても、やはり広い視野で詳細な検討が必要じゃないか、拙速はだめだということを指摘して、発言を終わります。
  25. 倉田栄喜

    ○倉田小委員 もう一度だけ御発言させていただきたいと思います。  少年法の問題で今まで議論してきたのは、犯罪等を起こした当該少年に対してどう対応するかという問題ですが、やはりもう一つ、いわゆる未然防止ということと、そういう犯罪等を起こした責任ということを少し申し上げさせていただきたいと思っています。  少年法理念が国親思想ということであるとすれば、それは、敗戦直後非常に困窮した中で、なかなか食うに食えない少年たちが罪を犯したということに対して、そこから国親思想ということも出てきたのかもしれませんが、今はそういう状況ではない。そうすると、国親思想としての果たすべき国の責任というのは一体何なのか。今後、我が国日本のずっと続いていく未来をしっかり背負ってくれる少年たちに健全に育ってもらわなければならない。そのために国はどう対応すべきなのか、どういう責任があるべきなのかということを少し明確にしなければいけないのかなということが一つ。  と同時に、やはり、そのような問題が起こった地域社会ということもあるんだろうと思いますけれども、そこでの責任もあるんだろう。これが二つ目。  そして同時に、やはり、保護監督者がどうあるべきなのか。もちろん、先般本会議で指摘させていただいた、セクシュアル、バーチャルの、IT革命、情報化時代の中で、親も学校もすごい情報化状況の中で対応できていないという部分も含めて、保護者だけに責任を問うことはなかなか難しいということも承知をしております。しかし、やはり親の責任ということも考えていかなければならないのではないかということで、先般の法務委員会では、現在の民法上の、因果関係が認められる場合だけのいわゆる監督責任、不法行為責任だけで果たしていいんだろうかという指摘をさせていただいたわけであります。  そういう意味で、少年にどう対応するか、そして、そういうことが発生した責任をどういうふうに考えるべきなのかということも含めて、今後当法務委員会の中で議論を幅広くしていただければ、こういうふうに思っております。
  26. 武部勤

    武部委員長 他に御発言はありますか。  保坂君の場合は制限時間を超えておりますが、どうぞ。発言を許します。
  27. 保坂展人

    保坂委員 青少年暴力観と非行に関する研究調査というのが総務庁の青少年対策本部から出ているんですね。これはなかなか時宜にかなった、おもしろいというか大変分厚いものなのですが、総論の要旨を見ると、今回の事態も考えるヒントが多々書いてありまして、要するに、非行少年よりも、非行少年でない少年たちの方に暴力黙認傾向が強いという調査結果が出ているのですね。いじめなんかを見過ごそうという考え方が非常に強くて、一般的な暴力についてはもうしようがない、暴力容認傾向ですね。それは、非行で実際に暴力を行っていろいろな問題を起こしている少年よりも、それを見ている少年の側にこれは強い。暴力については、必要悪、世間にありがちなこととして、直面することを避けて、世の中を斜めに見るような考え方が非常に強くなる。これは年齢が高くなっていくほどにふえている。  神戸の事件をちょうど同年齢の子供たちに聞いてみましたけれども、非常に我々驚いたのは、あの事件をもって、えっと衝撃を受ける、なぜ中学生なのだというふうに思う、しかし、当の中学生たちは、ああ、気持ちがわかるよというような発言がいわゆる普通のよい子の中でどんどん出てくるわけですよ、女の子も含めて。どうしてこういうことになるのか。このあたりのところが、神戸の事件少年Aですか、彼の世代が十七歳ということもあって、この辺はやはり掘り下げて考えていくべきかと思います。  自民党の委員皆さんにぜひお聞きしたいのですが、アメリカのことを繰り返して言って、法務省の方は関係ないのだというお話で、今回の政府案は違うからというお話なのですけれども、自民党の中でもいろいろ議論があると聞いています。年齢の引き下げですね、そういうこともやるべきだという議論も出ていると聞いていますので、確かに銃の問題とか、違うのですけれどもアメリカにおける刑事司法少年についてどうなったのかという研究調査をぜひ、役所も含めて、我々与野党を超えて一緒にこれは論じ合いたい問題なのですね。このあたり、御意見をぜひ伺いたいと思います。
  28. 笹川堯

    ○笹川小委員 保坂先生へのお答えに一〇〇%なるかどうかわかりませんが、確かにアメリカは銃社会ですから、これは少年法の話をちょっとおいて、臓器移植がありますが、現実に、日本では臓器移植が、法律は通ったけれどもなかなか実行できない。というのは、現実に宗教観が違いますから。アメリカの場合には銃器というものがあるものですから、変な話、臓器移植を受ける側にとっては非常に好都合な国なのですね。日本は、逆に言うと臓器移植を受けるのに非常に難しい国だ。だから、一緒にはなかなか議論できない。  それで、少年犯罪も、アメリカというのは自己責任が徹底している国ですから、やはり処分そのものも日本よりは厳しいですよ。今度はそれが逆に、少年刑務所に入ったために、それがよく出なくて悪く出てしまって、それこそ大人になったとき、もっと悪い、犯罪者の予備軍をつくるようになっているということも一面あるとは思いますね。それは私も否定しない。  ただ、自民党の中にもそれこそいろいろな人がいますから、天下の秀才もいれば悪餓鬼もいるから、そういう意味では、非常に意見が出てくるので、集約することによって結構いい法案ができるのではないのかなというふうに私は期待をいたしておりますので、これは与野党ということで余り線を引かないで、でき得れば、やはり法務委員会の専門家の人が英知を絞っていいアイデアが出ることが一番いいのではないのかな。  それぞれの皆さん意見を聞いていると、ごもっともだということはいっぱいありますよ。ごもっともごもっともで時間が過ぎてしまって何もしなければ、これはやはり仕方がないので、あるところにはやはり発車をしなければならないのではないのかな。また、歩きながら考えることも必要ではないのかな。百点満点の答えが出るまで一歩も前へ進まないというのでは、かえって、零点をとったのと同じような結果になるのではないのかな。  ですから、アメリカのこともドイツのこともどこの国のことも、勉強して参考にすることは私は否定するものではありませんし、自民党もそんなことは考えておりません。
  29. 武部勤

    武部委員長 北村君、西村君にまだ発言の機会があります。
  30. 西村眞悟

    西村(眞)小委員 先ほどからのお話を聞いておりまして、やはり我々、少年法に関しても、刑法の思想の伝統的な相克である、教育刑か応報刑か、そのバランスをいかに確保するかという問題に直面しているのだろうと思いますね。  木島さんの先ほどの意見も聞いておりました。子ども権利条約で、犯罪を犯した子供の将来、そして発展の可能性を確保すべきだ、それはいいので、だれも反対はできない。ただ、人を一度殺してみたかったとか、人を殺すのも何とも思わない、スポーツのように、人をどつけば亡くなるということも意識しない、そして被害者にとって、その権利だけが表に出て、社会全体として納得できるのかという事態に我々は直面しているのだと思いますね。  そして、先ほどからの事実認定の問題ですが、現下の、捜査段階から審判において冤罪が起こり得るという認識については一致しておるわけですね。それで、先ほどからも、拙速はだめだという御意見がありました。しかし、今の制度を放置しておいて冤罪が起こり得るならば、拙速であろうがなかろうが、現場の声として、先ほど私がお伺いした、このままでは悲鳴を上げるのだ、一人の裁判官では無理なのだということの改善に取り組むべきである。立法者としては当然の責務であろう。我々は少年犯罪のよって来るところの視野を非常に広く広げるということを今議論しておって、先ほども保坂さんがいい調査報告を発表されております。しかし、我が国の政治がそれに何かこたえたところがあるのであろうか。本会議ではいつも、命を大切に教育をするとかいう答弁がなされるわけですね。  ちょっとこれを御紹介しますと、八歳の女の子が重症の心臓病で、人工心臓を今入れておる。日本では移植の機会がほぼないであろう。したがって、アメリカに行って移植しなければならない。しかし、その人工心臓の電波と飛行機の計器が、どういうわけか、私、専門家ではありませんのでわかりませんが、非常に混線を起こして、飛行機の飛行自体が危険が伴うので、民間のチャーター便は拒否されておる。こういう同じケースが数年前にありまして、アメリカ軍はアメリカまで軍用機を飛ばすと言ってくれたわけですが、日本の外務省はそれはだめだと言った。そしてその子は死んでしまった。  今八歳の子、奈良の子ですが、その子の身内の方が来られて、私は今も官房長官にそのことをお伝えしておるわけです。同時に、アメリカ軍に対してもお伝えしておるわけですが、どうも今に至るまで返事がない。小渕総理が乗っておられた政府専用機が、一人の八歳のお子さんの命を助けるため、前例にはならないと思いますので、そしてそれがアメリカに飛ぶということは、政治が、人の命はとうといのだというふうに本会議で答弁する以上の見本を子供たちに示すべきことになるのではないか、このように私は昨夜申し上げて、今待っておるのですが、どうも先例がないということで、日本政府はだめなのだろうと思いますね。こういうことも議会で、本会議で子供に命のとうとさを教えるのだと言っておる内閣であれば、当然決断してしかるべきであろう、こういうふうに思っています。
  31. 与謝野馨

    与謝野委員 冒頭に北村議員から、社説を引用されて、こういうことが起こるたびごとに感情的に議論をするのはよくないという社説があるんだというお話でしたが、我々は、特にこの問題は感情的に議論する問題ではなくて、普通の一般国民が持っている正義感や公正観にかなうような制度はどうかということを多分議論しているんだろうと私は思っております。  刑法本体の方は十四歳未満の方は刑事責任能力がないという規定を設けておりますが、少年法に関しては、それのいわば例外規定をつくっているというふうに私なりには理解をしております。  そこで問題は、問題の議論の仕方は、これは教育の問題、社会的な背景の問題は当然含まれる問題だろうと思いますけれども、やはり、そういうふうに問題を一般化して限りなく拡散をしていくということは、実は何もしないことと同じことにつながるんじゃないかというふうに私は危惧をしております。  当然、教育的な見地から問題を論ずることも大事だし、あるいは、共産党が言われているように、退嬰的な社会的な背景というものがあるんだということも私はわかります。わかりますが、やはり、たくさんの少年のほんの一部の方が重大な犯罪を犯しているわけです。ほとんどは健全な人たちなわけですから、そういう意味では、私は、重罰化という言葉は使いたくないんですが、やはり年齢に応じた社会的な責任をとっていただくということは、今の国民のお考えに沿ったことだろうと思います。  それと、冤罪を避けるために事実認定をしっかりしろという部分もあるでしょうし、少年に責任をとらせる場合に、その責任のとり方の程度が行った行為に均衡ある責任のとり方、そういうもののためにも事実認定をしっかりさせなければなりませんし、また被害者の方も、私的なかたき討ちということは考えていないと思うんですが、自分たちにかわって国家が物事を処置してくれる、そういう被害者立場というものもやはり考えた少年法というものをきちんと国会で考えていかなければならない時期に来ていると私は思っています。  ましてや、昭和二十四年にできました法律を五十年以上使ってきたわけでございます。その間、どうも社会的には御納得のいただけないケースというものが幾つか出てきたわけですから、その部分についてどう対応していくかということを議論していくということは、やはり国会での党派を超えた大事な課題である、私はそのように思っております。
  32. 武部勤

    武部委員長 他に御発言ございますか。
  33. 杉浦正健

    杉浦委員 必要的逆送のことをきょう強調したわけですが、今度の少年法改正の出発点になった山形少年マット死事件というのは、私どもが考えている必要的逆送にはぴったり当てはまる事件ですね。重大犯罪であって、被害者が死亡している、それから、一部少年は否認していたというような事件ですから、もっと早く成立していれば、すっと刑事裁判に戻って、そこで十分な捜査が行われ、対審構造でぴしっとやられたということであるわけであります。  最後になりますが、私は、立法者としての怠慢をみずから反省しております。少年法改正案については非常に不十分だということで、審議入りについても熱意が起こらなかったのが正直なところでありますが、やはり根本的な問題について省察を加えて、本当に現代の、あるいは将来に向かって必要としている少年法を抜本的に改正すべきだという点について、我々党派を超えて立法者として取り組むべきときではないかと、冷静にそう思っておる次第です。
  34. 北村哲男

    北村(哲)小委員 私は、途中議論に参加しておりませんで失礼しましたが、まず、家庭裁判所を今の司法システムが軽視しているんではないかということ、そのためにそこに矛盾が重なってきているという点が非常に残念である。ですから、少年法理念に燃えた裁判官を育成して、そこで家庭裁判所を充実することが大切だと思います。  それからもう一つ、調査官という人が、非常に下積みというか、少年と直接接触をして大変な役割を果たしている。この調査官の方々から、少年法改正について非常に危惧を持っておるという声をお聞きしておりますし、私どもの勉強会なんかでもそういう声を聞きます。  ですから、この調査官制度についてもさらに充実することを最高裁に求めたいというか、これがどうも今の流れでは、調査官と書記官とを一つの形にして研修するような形に持っていって、調査官制度を縮小する、権限を少なくするというような傾向があるようなので、それをもっともっと大きくしなければ、少年に対する保護育成ということ、少年に対する対応が弱くなってくるだろうという感じがしますので、そのあたりを要望して、また今後の研究課題にしておきたいと思っております。  以上であります。
  35. 武部勤

    武部委員長 特に御発言がなければ、今後の小委員会について御相談申し上げる機会を得たいと考えますが、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時六分散会