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2000-05-25 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第10号
公式Web版
会議録情報
0
平成
十二年五月二十五日(木曜日) 午前十時二分
開議
出席委員
会長
中山
太郎君
幹事
中川 昭一君
幹事
葉梨 信行君
幹事
保岡
興治
君
幹事
鹿野 道彦君
幹事
仙谷
由人君
幹事
平田 米男君
幹事
佐々木陸海
君 奥田 幹生君 奥野
誠亮
君 久間 章生君
小泉純一郎
君
左藤
恵君 白川 勝彦君
田中眞紀子
君 高市 早苗君
中曽根康弘
君 平沼 赳夫君 船田 元君 三塚 博君 森山 眞弓君 柳沢
伯夫君
山崎 拓君 横内 正明君
石毛えい子
君
岩國
哲人
君 枝野 幸男君 中野 寛成君 藤村 修君 横路 孝弘君 太田 昭宏君 倉田 栄喜君
春名
直章君 東中 光雄君 中村 鋭一君 二見 伸明君 伊藤 茂君 深田 肇君 …………………………………
最高裁判所事務総局総務局
長
中山
隆夫君
最高裁判所事務総局行政局
長
千葉
勝美君
衆議院憲法調査会事務局長
坂本 一洋君
—————————————
委員
の異動 五月二十五日
辞任
補欠選任
島 聡君
岩國
哲人
君
志位
和夫
君
春名
直章君 同日
辞任
補欠選任
岩國
哲人
君 島 聡君
春名
直章君
志位
和夫
君
—————————————
本日の
会議
に付した案件
日本国憲法
に関する件(戦後の主な
違憲判決
) 午前十時二分
開議
————◇—————
中山太郎
1
○
中山
会長
これより
会議
を開きます。
日本国憲法
に関する件、特に戦後の主な
違憲判決
について
調査
を進めます。
国会
がこのような
内容
について
最高裁判所
から
説明
を聴取し、質疑を行うことは、大変重要なことと存じます。
説明
を聴取するに当たり、一言申し上げます。
日本国憲法
の
制定
を契機として、
我が国
の
裁判制度
は大
変革
を経験しました。とりわけ
違憲法令審査権
の導入、そして
司法裁判所
による
行政事件
の
裁判
が重要である。こういった
変革
は
司法権
の地位の飛躍的な向上をもたらしたが、戦後の
混乱期
で、しかも
占領下
という状況の中で、
理論的検討
が十分されることなく実施されたため、「あたかも、木に竹を接いだような恰好で、従来の大陸法的な土壌の上に英米法的な
救済制度
が移植された結果」となった、
渡部吉隆
「
行政訴訟
の
現代的課題
」と題する一文にこのように記載をされております。 なお、
最高裁判所
の
統治機構
というものは、
憲法
が
制定
されましてから五十
有余年
を経過した今日まで、
唯一
その当時の姿を変えていない機関であります。もちろん、
憲法
上期待されている役割を
最高裁判所
が十分果たしていると存じますが、しかし、現在、
最高裁判所
に対する
批判
も少なくはございません。
最高裁判所
の
憲法裁判
が消極的過ぎるとの
批判
は、今や多くの人に
共有
されていると言っても過言ではなく、学界、マスメディアにとどまらず
経済界
からも、
我が国
の
司法
の態度は、
立法裁量
や
行政裁量
が絡む
事件
については、
米国最高裁
や
ドイツ
の
憲法裁判所
に比して自己抑制的になっていると指摘をされております。 以上、申し上げまして、ただいまから
最高裁判所当局
から
説明
を聴取いたします。
最高裁判所事務総局千葉行政局長
。
千葉勝美
2
○
千葉最高裁判所当局者
最高裁判所
の
行政局長
をしております
千葉
でございます。よろしくお願いをいたします。 それでは、私の方から、
憲法調査会
の御
依頼
に基づきまして、戦後の
違憲判決
、これを
中心
に簡単に御
説明
をさせていただきたいと思います。 あらかじめお断りしておきたいと思いますけれども、
最高裁判所
は、これから御
説明
申し上げます
裁判
をした当事者という立場にございますので、私といたしましては、
裁判
の
内容
の当否などその評価にわたる事項とか、今後予想される
裁判
、どういうものになるかということにつきましては、御
説明
をいたしかねるところでございます。また、
憲法理論
の是非についても同様でございます。したがいまして、
判決文
にあらわれております客観的な事実
関係
とその
判決内容
を御
説明
させていただくということになりますので、御了承のほどをお願い申し上げたいと思います。
法令等
の
合憲
、
違憲
という
憲法判断
をした戦後の
最高裁
の
判決
というのは多数ございます。その中で何を主要な
判例
と見るか、これは論者によってさまざまでございますけれども、お手元に
資料
を配付してございます。
資料
1をごらんいただきたいと思います。 これは、
法律雑誌
などで戦後の主な
憲法判例
として紹介されていたものを
一覧表
にしたものでございます。この中で、
憲法調査会
の
事務局
の方で、
違憲判決
を
中心
に、本日の御
説明
にふさわしいということで選んでいただきました十二件につきまして、御
説明
をさせていただきます。 次の
資料
2をごらんいただきたいと思います。 まず、一枚目でございます。 これは、
憲法
に関する
判決例
十二件を並べてみたものでございます。最初の
警察予備隊違憲訴訟判決
、これは、
我が国
の
違憲審査権
の性格について言及をした、いわば
違憲審査
の土俵を明確にした
判決
ということで選定されたものと思います。そのほかの十一件は、すべて
違憲判断
のものでございます。 これらの
裁判例
を眺めてみますと、
一つ
の
時代背景
と申しますか、そういったものが反映されているのではないかなという感想めいたものを持つわけでございます。 つまり、
日本国憲法
が
制定
、施行されました
昭和
二十年代から三十年代にかけては、
民事事件
よりも
刑事事件
の方が相当多い
時代
でございまして、例えば
昭和
二十五年ですと、地裁の第一審の
民事訴訟事件
は約六万一千六百件、
刑事
の方では約十一万千五百件、
刑事
が
民事
の倍近くでございます。 このころから
昭和
四十年代にかけまして、新
憲法
それから新
刑事訴訟法
の解釈がまだ十分に定着していなかったということもありまして、
刑事事件
をめぐる
違憲判断
が比較的多い。また、
戦時
中に
立法
された
法律
の効力が争われる。そうしますと、いわゆる戦後の混乱した世相の中で、法や
制度
などの大きな
枠組み
が問題にされるということが少なくなかった
時代
と言うことができようかと思います。 このような
時代
の
判決
として、
資料
2の一枚目の(1)から(7)がございます。これらについて御
説明
をさせていただきます。
資料
2の二枚目以下に、十二件の
裁判例
について一件ずつ
事件
の
概要
、
判決要旨等
をまとめたものがございます。御参照いただきたいと思います。 まず、(1)のいわゆる
警察予備隊違憲訴訟
でございます。 先ほど申し上げましたように、この
判決
は、
我が国
の
裁判所
に与えられました
違憲審査権
の
枠組み
を決めたもの。この
審査権
というのは、
個々
の
事件
を離れて
法令
の
合憲
、
違憲
を一般的に
判断
するというものではなくて、具体的な
事件
を解決するための
前提
として
合憲
、
違憲
の
判断
を行う、いわゆる
具体的審査制
あるいは
付随的審査制
といいますが、こういうことを明示したものでございます。
事件
の
概要
は、
国会議員
が
原告
になりまして、自衛隊の前身であります
警察予備隊
の設置や
維持
に関して国が行った
法令
、規則の
制定等
一切の行為が無効であるという確認を求めて、直接
最高裁
に出訴したものでございます。 この
判決
の
要旨
は、
裁判所
は、
法律
、
命令等
に関し
審査権
を有するけれども、この
権限
は
司法権
の
範囲
内において行使されるべきものであって、具体的な
事件
を離れて抽象的に
法律
、
命令等
が
憲法
に適合するかどうかを
決定
する
権限
を有するものではないというふうに言ったものでございます。 次の
ページ
をごらんいただきたいと思います。以下、
違憲判決
が続きますが、
自白調書有罪認定違憲判決
、
昭和
二十五年七月の大
法廷判決
でございます。 この事案の
概要
は、
東京都内
の電車内でのすりの
窃盗被告事件
でございまして、
本件
では、
憲法
三十八条の三項に言います
自白
、
唯一自白
だけが
証拠
の場合に
有罪
とされないという
規定
がございますけれども、ここで言う「
本人
の
自白
」がどういうものかという意義が問題になったものでございます。 この
判決
は、
被告人
の第一審の公判での供述、
自白
、それからこの
被告人
の
司法警察官
の
尋問調書
中の
自白
、これらはいずれも
憲法
で言う「
本人
の
自白
」に含まれるから、これだけでは
補強証拠
なしに
有罪
を
認定
することはできないということを言ったものでございます。
違憲判決
でございます。 次の
ページ
が、三番目でございますが、
強制調停違憲決定
、これは
昭和
三十五年七月の大
法廷
の
決定
でございます。
事件
の
概要
は、これは
戦時民事特別法
に基づきまして、
家屋明け渡し請求事件
などについて、職権で
調停
によって
処理
をするという旨を
決定
して、
調停
が不調になりますと、この
法律
の十八条とか
金銭債務臨時調停法
七条、八条等の
規定
によりまして、
事件
を併合して
調停
にかわる
決定
、これで決めてしまうという
決定
をしたわけでございます。
本件
では、こういう
決定
というのが、これは
公開
で行われておりませんので、
裁判
の
公開
を定めた
憲法
八十二条等に
違反
するかどうかということが問題になった
事件
でございます。 この
決定
の
要旨
といたしましては、これは性質上は
訴訟事件
である。そうすると、
公開
の
法廷
による対審、
判決
によることなく終局的に
国民
の
権利義務
を決めてしまう、こういうような
調停
にかわる
決定
というのは、これはやはり
憲法
八十二条、三十二条、特にこの八十二条が
公開
を
規定
してございますので、これに
違反
するということを言ったものでございます。 次が、
第三者所有物没収違憲判決
、次の
ページ
にございます。
昭和
三十七年の大
法廷
の
判決
でございます。 これも
刑事事件
でございますけれども、これは、税関の免許を受けないで
貨物
を
船舶
に持ち込んで
密輸出
を企てたということで起訴された
事件
でございます。
被告人
らが、
没収
された
貨物
には
被告人
ら以外の
第三者
の
所有物
が含まれている、ところが、この
第三者
に対しては
財産権保護
の
機会
を全く与えないで
没収
ということを
判決
で命じた、これは
財産権
の
保障
を
規定
した
憲法
二十九条に
違反
するというようなことで争ったものでございます。 この
判決
の
要旨
は、
禁制品
を輸入する罪などの
一定
の
犯罪
に
関係
ある
船舶
、
貨物
が
第三者
の
所有
に属するという場合においても、
被告
に対する
付加刑
として
没収
するという旨を
規定
していた
関税法
、これは旧
関税法
でございますが、百十八条一項、これは、その
第三者
に対して、告知とか弁解とか防御とか、そういう
手続
的な観点での
保障
を一切していない。
刑事訴訟法
やその他の
法律
においても、そういう
手続
を全然設けていない。何もそういう
手続
というようなことをしないで、いきなり
没収
をする。したがいまして、こういう
規定
だけで
第三者
の
所有物
を
没収
するということは、
憲法
三十一条、二十九条に
違反
するということを言ったものでございます。 次が、
余罪量刑考慮違憲判決
、
昭和
四十二年の大
法廷判決
、
刑事事件
がここでも続くわけでございます。
事件
の
概要
といたしましては、
郵便局
の
集配課
に勤務する
被告人
、これが
昭和
三十九年の十一月に、現金、
郵便切手在中
の
普通郵便物
二十九通を窃取したという
窃盗事件
でございます。 一審では、起訴されていないほかの、約百三十件と非常にたくさん同じような犯行がございましたけれども、これを逐一具体的に判示をいたしまして、
懲役
一年二月に処したわけでございます。
控訴審
では、一審における
余罪
を
量刑
に考慮するということについては
一定
の配慮をしつつも、一審の
判決
は
量刑
がやや重過ぎるということで破棄をいたしましたが、やはり
被告人
を
懲役
十月に処した。 この
事件
では、このような
余罪
の
取り扱い
が
適正手続
の
保障
を定めた
憲法
三十一条等に
違反
するかどうかという点で争いになったというものでございます。
判決
の
要旨
は、起訴されていない
犯罪
事実を
余罪
として
認定
をする、さらに、これを実質上処罰するという
趣旨
のもとで重い刑を科するということになりますと、これはやはり
憲法
三十一条、三十八条三項に
違反
するという
違憲判決
を出したというものでございます。 次が、これも
刑事事件
でございます。
偽計自白有罪認定違憲判決
、
昭和
四十五年十一月の大
法廷判決
でございます。 これは、妻と
共謀
をして、けん銃一丁と実弾三発、これを自宅に隠していたということで起訴されたものでございますが、
捜査段階
におきまして、妻が
被告人
との
共謀
の事実を供述していないにもかかわらず、検察官がこの
被告
に対しまして、妻が
共謀
を
自白
したと
うそ
を告げて、
被告人
から
自白
を引き出した、こういうものでございます。
本件
では、こういう
うそ
のことを言って引き出した
自白
の
証拠能力
ということが問題にされました。
判決
は、
偽計
によって
被疑者
が
心理的強制
を受けて、その結果、虚偽の
自白
が誘発されるおそれがある場合、これは、
偽計
によって獲得された
自白
はその
任意性
に疑いがあるんだということで
証拠能力
を否定すべきである、こういう
自白
を
証拠
に採用するということは、
憲法
三十八条の二項、
強制
、拷問もしくは脅迫による
自白
、それから長く勾留された、あるいは拘禁された後の
自白
は
証拠
とすることができないという
憲法
三十八条二項に
違反
するんだ、こういうことを言ったものでございます。 次が、
高田事件
、かなりこれは著名な
事件
でございますが、
昭和
四十七年十二月の
最高裁
の
判決
でございます。 これは、起訴されましたのが
昭和
二十七年でございまして、二十七年に、
名古屋市内
の
大韓民国居留民団愛知
県本部の元
団長宅
が侵入されたり、付近の
瑞穂警察署高田巡査派出所
が火炎瓶によって放火された、いわゆる
高田派出所事件
などの
刑事事件
でございますが、この
事件
で、
併合予定
の
別件
の
審理
を優先いたしまして、その結果、その
別件
の
審理
が非常に長期化した。肝心のこの
事件
につきましては、第一審において十五年余にわたる
審理
の
中断
があった。
本件
では、こういう
審理
の著しい
中断
というのは、
憲法
三十七条一項が
保障
した
被告人
の迅速な
裁判
を受ける
権利
を侵害したことになるんじゃないかということが問題になったわけでございます。 この
判決
は、
憲法
三十七条一項は、単に迅速な
裁判
を一般的に
保障
するために必要な
立法
上、
行政
上の措置をとるべきことを要請するのにとどまらないで、さらに
個々
の
刑事事件
についても、
現実
にこの
保障
に明らかに反して
審理
の著しい遅延の結果、迅速な
裁判
を受ける
被告人
の
権利
が害されたと認められる異常な事態が生じた場合には、その
審理
を打ち切るという
非常救済手段
がとられるということも
憲法自体
が認めている
趣旨
の
規定
なんだと。十五年余の長きにわたって全く
審理
が行われないで経過した
本件
、これはもう
憲法違反
、そして免訴という
判決
をしたわけでございます。 以上の七点でございますが、こういう
法律
や
制度
の大きな
枠組み
が問われている
時代
でございました。 これを経まして、徐々に新しい
憲法
が
国民生活
の中に行き渡ってきた。
憲法
の定める
平等原則
とか各種の
人権規定
に基づいて
憲法判断
を求める
訴訟
が、これから徐々に多くなってきております。こういう時期にされました
違憲判決
、三つございますので、御
説明
を申し上げたいと思います。(8)から(10)ということで、先ほどの続きをごらんいただきたいと思います。 (8)でございますが、尊属殺
重罰規定
の
違憲判決
、四十八年四月の大
法廷
の
判決
でございます。 これは、中学二年のときに実の
父親
に姦淫されて、以後十年以上、夫婦同様の
生活
を強いられ、数人の子供まで産んだ、こういう
被告人
が、その後、正常な結婚の
機会
にめぐり会ったわけでありますが、
父親
はあくまでも
被告人
を
支配下
に置いて、こういう醜行を継続したということで、この
被告人
が
父親
を殺害するに至った。
本件
では、この
法定刑
を
死刑
または
無期懲役
に限っている
刑法
、これは旧
刑法
でございますが、二百条の尊属殺の
規定
の
合憲性
が問題となったわけでございます。 この
判決
は、旧
刑法
二百条、これはその
法定刑
を
死刑
または
無期
に限っているという点において、余りにも厳しい、尊属に対する敬愛とか報恩とかいう
自然情愛
ないし普遍的な倫理の
維持尊重
という
立法目的達成
のため——この
立法目的自体
はいいというふうに言ったわけですが、この
目的達成
のための必要な限度を超えている。したがいまして、そういうことから、普通の殺人に関する
規定
であります
刑法
百九十九条に比べまして、この
法定刑
が著しく不合理なものになっておる、
差別的取り扱い
をするものである、
憲法
十四条一項に
違反
する、こういう
判決
でございます。 九番目が、
薬事法距離制限規定
の
違憲判決
でございます。 これは、
県知事
に対しまして
薬局
の
開設
の申請をした者が、
薬事法
に基づきまして
薬局
の
配置
の
基準
を定めた条例の
距離制限規定
に適合しないということで、
薬局開設
不
許可
とされたということで争った
行政事件
でございます。
本件
では、こういう
配置規制
を定めた
薬事法
の
規定
が
職業選択
の自由を定めた
憲法
二十二条に
違反
するかどうか、こういうことが問題になったものでございます。
薬局
の
開設
の
許可基準
の
一つ
として
地域制限
を定めた
薬事法
の
規定
、これは
不良医薬品
の供給の防止というような、そういう
目的
のためにしたということでございますけれども、必要かつ合理的な
規制
を定めるものとは言えない、こういう
規制
はやはり、
憲法
二十二条、
職業選択
の自由を認めた
規定
に
違反
して無効である、こういう
判決
でございます。 (10)でございますが、
昭和
六十二年四月の大
法廷
の
判決
でございます。 これは
山林
の
関係
でございますが、兄と一緒に二分の一ずつ
父親
から
山林
の生前贈与を受けた弟が起こしたもの。
共有物分割
の
請求
を求めた。ところが、
森林
の
共有者
というのは、これは
民法
では
共有物分割
の
規定
がございます。二百五十六条一項の
規定
がございますけれども、ところが、
森林
の場合には、
森林
の
分割請求
をすることはできないというふうに旧
森林法
百八十六条本文が定めております。
森林
を
細分化
しないという
趣旨
の
規定
でございます。これは
財産権
を
保障
した
憲法
二十九条に
違反
するのではないか、こういう
事件
でございます。
判決
は、
共有
の
森林
について二分の一以下の
共有者
の
分割請求権
を否定していたこの百八十六条の
規定
、この
立法目的
は、今申し上げました
森林
の
細分化
を防ぐということで
森林経営
の安定を図って、それが究極的には
国民経済
の発展に資する、こういうものでありますけれども、ただ、これは
森林
の
範囲
や期限には限定がない。
民法
のこの
規定
で
分割請求
されても、
現実
に
分割
をしないで
価額賠償
などで
処理
するということも可能でございますので、
民法
の
規定
を認めたからといって
森林
の
細分化
をもたらすとは言えない。だから、一律に
分割
を認めないというこの旧百八十六条、これは
合理性
、
必要性
が認められない、
憲法
二十九条に
違反
して無効である、こういう
判決
でございます。 さらに、同じ時期でございますけれども、
権利
の侵害を受けた個人からの訴えにとどまりませんで、公の
制度
が抱える
憲法
問題、こういったようなものも広く指摘されるようになりまして、例えば一連の
議員定数訴訟
のように
選挙制度
のあり方について疑問が投げかけられる、あるいは
公金
の
支出
が
政教分離原則
に
違反
するというような主張がされる、こういう
事件
が多かったようでございます。 このような
時代背景
の中での
違憲判決
ということで、十一番と十二番の
判決
がございます。その後のを引き続きごらんいただきたいと思いますが、十一番は、
昭和
五十一年四月の大
法廷判決
、
衆議院議員定数配分規定
の
違憲判決
でございます。 これは、
昭和
四十七年の十二月に行われました
衆議院議員選挙
につきまして、
選挙人
が、
公職選挙法
の
規定
によりますと、
議員
一人当たりの
有権者数
、これは
選挙
区によっていろいろございますけれども、この
最大値
と
最小値
の比較が四・九九対一になっておる。約五倍でございます。
合理的根拠
なしに一部の
国民
を不平等に取り扱っているということで、この
定数
の
規定
は法のもとの平等を定めた
憲法
十四条に
違反
する、これに基づいて行われた
選挙
は無効であると主張して、
選挙
無効の
判決
を求めたものでございます。
最高裁
の大
法廷
の
判決
は、この
昭和
四十七年の
衆議院
の
選挙
当時、
公職選挙法
が
規定
します
衆議院議員
の
選挙
区や
議員定数
の定めというのは、
国会
の両議院の
議員
の
選挙
における各
選挙人
の
投票価値
が平等であることを要求する
憲法
十四条一項、それから十五条一項、三項、四十四条ただし書き、こういう
規定
に
違反
をしていたということを言ったわけでございます。そういう
違憲
の
判断
をしたわけでございます。
違憲
の
判断
をしたけれども、なお、この
衆議院選挙
を無効とする
判決
をいたしますと、そのことによって直ちに
違憲状態
が是正されるわけではなくて、かえって
憲法
の所期するところには必ずしも適合しない結果を生ずる、こういう事情があるということで、
選挙
が違法であるということを主文で宣言して、
選挙
無効を求める
請求自体
に対しては
請求棄却
、こういう
処理
をしたというものでございます。 最後に十二番でございますが、
愛媛
県
玉ぐし料違憲判決
でございます。
平成
九年四月の大
法廷
の
判決
でございます。
愛媛
県が、
宗教法人
の
靖国神社
、それから
宗教法人護国神社
が挙行しました
例大祭
などに際しまして、県の
公金
から
玉ぐし料等
を
支出
したことにつきまして、県の住民であります
原告
らが、この
支出
は
憲法
二十条三項、八十九条等に
規定
された
政教分離
の
原則
に
違反
すると、
県知事
らに対して、
玉ぐし料支出相当額
の
損害賠償
を求めたものでございます。 この
判決
は、
愛媛
県が
靖国神社
の挙行した恒例の
宗教
上の祭祀であります
例大祭
などに際して県の
公金
から
玉ぐし料等
を
支出
したことは、県が特定の
宗教団体
との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持つことを否定することができない、したがって、
憲法
二十条三項、八十九条に
違反
する、こういう
判決
をしたというものでございます。
事務局
の方から御
依頼
ございました
判決例
についての御
説明
は以上でございますけれども、
外国
の
憲法裁判制度
につきましても御
依頼
がございましたので、
英米独仏
の
制度
につきまして簡単に御
説明
をさせていただきます。もとより、
最高裁
はこういう
外国
の
制度論
の
専門家
ではございませんので、
概要
のみを御
説明
させていただきたいと思います。
資料
の3でございますが、二枚紙をごらんいただきたいと思います。 一枚目は
英米独仏
の
制度
を
一覧表
にしたものでございます。特別の
憲法裁判所
を持っていますのは
ドイツ
だけでございます。アメリカは日本と同様に、
通常
の
裁判所
が
具体的事件
の
処理
の
前提
として
憲法判断
を行うという仕組みになっております。イギリスとフランスは、そもそも
裁判所
、
司法部
は
違憲審査権
を有しておりません。 それから、
ドイツ
の
憲法裁判所
の
制度
につきましては、次の
ページ
に別紙をつけておりまして、少し詳しく書いてございます。
ドイツ
の
憲法裁判所
では、
通常
の
裁判所
が
具体的事件
について適用しようとする
法律
が
違憲
であると考えるときには、その
手続
を中止いたしまして
憲法裁判所
に
判断
を求めるということになっております。そして、このような
具体的事件
に伴う
違憲判断
とは別に、
連邦政府
とか
州政府
、あるいは
連邦議会
の三分の一からの
申し立て
があれば、
具体的事件
を離れて、
法令
が
違憲
であるかどうか、そういう一般的な
判断
をする抽象的な
違憲審査
の
制度
というものが設けられております。 また、
公権力
によって
憲法
上の
基本権
を侵害された者、これは
一定
の要件のもとで対象となった
法律
の
合憲性
の
審査
の
申し立て
ができる。
憲法異議
というふうに言います。ですから、この
公権力
には
裁判所
の
判決
も入りますので、
判決
についてさらにこの
憲法異議
ができる。 次に、
我が国
の
司法
制度
の実情につきましても御
依頼
がございましたので、統計
資料
に基づきまして概略を
説明
させていただきます。 まず、地裁の第一審の
事件
数でございます。
資料
4をごらんいただきたいと思います。これは地裁の
民事訴訟事件
の推移を示しております。
民事訴訟事件
の数につきましては、社会情勢や経済の規模、景気、
立法
動向、法曹人口等さまざまな要因によって影響を受けるわけでございます。ごらんのように、長期的に見ますと大幅に増加してきております。 また、地裁の
刑事事件
につきましても、やはり社会情勢等を反映いたしまして影響を受けるわけでございますが、
資料
5にありますとおり、戦後の社会情勢を反映いたしまして、
昭和
二十四年、二十五年がピーク、一たん減少して、その後増加傾向を続けましたけれども、
昭和
六十年に入るころから減少、最近は再び増加傾向ということでございます。 次に、平均
審理
期間を見ますと、
資料
4をごらんいただきたいと思いますが、地裁の
民事訴訟事件
につきましては、
昭和
四十八年が十七・三カ月という非常に長期間を要しております。これをピークとしておおむね短縮化傾向にございます。
平成
十一年では、九・二月という数字まで行っております。 これは、
裁判所
が
中心
になりまして、争点整理、集中
証拠
調べという
審理
の運用改善を行う、それから、
制度
化しました新しい
民事
訴訟
法が
平成
十年に施行された、こういうようなことが
審理
の迅速化につながっているものと思われます。 また、地裁の
刑事事件
につきましては、
資料
5をごらんいただきたいと思いますが、
昭和
四十九年の六・六月をピークとして年々短縮されておりまして、
平成
十一年には三・一月というふうになっております。
民事訴訟事件
、
刑事
訴訟事件
、いずれにつきましても、
審理
期間につきましては国際的に見ましても遜色のない水準にあると言ってよいというふうに考えております。
審理
期間が三年を超える長期の係属
事件
につきましても、
資料
の6、7をごらんいただきたいと思いますけれども、
民事
、
刑事
ともに、四十年代後半をピークに大幅に減少してきておる、こういう状況でございます。 しかしながら、地裁の
民事訴訟事件
につきましては、問題がないわけではもちろんありませんで、公害
訴訟
のような
訴訟
当事者が極めて多数のいわゆる大型
事件
、それから知的
財産権
とか医療過誤
事件
などのようないわゆる専門的な
事件
の中には、解決まで長期間を要している
事件
が多く見受けられるわけでございます。
刑事
訴訟事件
につきましても、件数はごくわずかでございますけれども、極めて長期間を要する例がございます。 今後、こういうような長期間を要している
事件
につきましては、さらに迅速化を検討することが必要であると考えております。 次に、
資料
の8をごらんいただきたいと思いますが、
昭和
二十四年から
平成
十一年までの
裁判
官の数の推移を示したグラフでございます。
裁判所
といたしましては、
事件
数の変動や事務
処理
体制の変化など、諸要素を総合的に考慮いたしまして増員を行ってまいりました。
平成
十二年の定員は、
裁判
官は三千十九人、
裁判
官以外の
裁判所
職員、書記官、事務官、一般職でございますが、これは二万二千三十八人となっておりまして、
昭和
三十九年に臨時
司法
制度
調査
会の意見書が出されました以降の三十六年間では、合計で五百四十四人の
裁判
官の増員、千五百十四人の書記官等の増員を行ってきております。 次に、
資料
9をごらんいただきたいと思います。
最高裁
における年間の受理件数の推移をグラフにしたものでございます。
最高裁
でも戦後しばらくは、先ほど申し上げました
刑事事件
が多くて
民事
、
行政
が少ないという状況が続いていましたが、その後逆転をいたしまして、以後、
民事
、
行政
は増加、
刑事
は微増という状況にございます。
民事
、
行政事件
につきましては、
最高裁
の負担を軽減して、本来
最高裁
が担っております
憲法判断
とか、あるいは最終審としての
判断
を示して
法令
の解釈を統一するという重大な機能をより一層充実強化しよう、そういう観点から、
平成
十年の一月一日に施行されました新しい
民事
訴訟
法におきまして、
最高裁
に対する上告の理由をいろいろ制限した。上告理由を
憲法違反
と重大な
手続
違反
に限定をいたしました。 また、
法令
違反
につきましても、
判例
違反
とかその他
法令
の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる
事件
、これにつきましては、
最高裁
が上告審として
事件
を受理するという
決定
をいたします。そういう
決定
をした場合のみに上告があったものとみなされる。 これによりまして、上告
事件
の新受件数は、
平成
十年では二千五百四十二件でございます。
平成
十一年は、減少いたしまして二千百六十件でございます。
申し立て
段階で、上告
事件
、上告受理
事件
、振り分けが行われます。また、
平成
十年以降の平均
審理
期間は短縮しておりまして、未済
事件
の件数も明らかに減少している。こういうことからいたしますと、
事件
の重さに応じた
事件
処理
をするという新
民事
訴訟
法がねらった効果は徐々にあらわれつつあるのではないかというふうに考えております。 以上、御
依頼
ございました事項につきまして御
説明
をさせていただきました。 御質問をお受けいたしますけれども、先ほど申し上げましたように、
裁判例
につきましては、
最高裁
は当事者でございますので、その当否や評価、さらに将来の予測あるいは
憲法
論といった点について申し述べることは差し控えさせていただきたいと思います。そのあたりは、やはり
憲法
学者の方にお聞きいただければというふうに思っている次第でございます。
裁判所
といたしましては、客観的な事実
関係
、
判決
の
内容
等について、わかる
範囲
でお答えをさせていただきたいと思います。 以上でございます。
中山太郎
3
○
中山
会長
以上で
最高裁判所当局
からの
説明
聴取は終わりました。
—————————————
中山太郎
4
○
中山
会長
これより
最高裁判所当局
に対する質疑を行います。 まず、
調査
会を代表いたしまして
会長
から総括的な質疑を行い、その後、
委員
からの質疑を行います。 それでは、
会長
からお尋ねいたします。 まず、
違憲審査
制度
についての質問ですが、
最高裁判所
は、
法令
、処分等についての
憲法
適合性を
決定
する終審
裁判所
として、その職責は極めて重大と存じます。 元
最高裁
判事の伊藤正己氏は、
我が国
の
最高裁
に
司法
消極主義をもたらす要因として、およそ次の点を挙げておられます。 まず第一に、意見の調和が重んじられる
我が国
の精神風土では、
最高裁
内部での和の尊重にとどまらず、政治部門への礼譲の意識が存在している。 二、
裁判
の長期化から、争点となる
法令
に基づく状況が既成事実化し、
裁判所
がこれを覆すことは難しい。 第三、
最高裁
の
処理
件数の多さから、特に小
法廷
にあっては
通常
事件
の最終審という意識が強く、
憲法
の
裁判所
であるという考え方は生まれにくい。 四、大
法廷
回付を慎重にする傾向があり、結局のところ小
法廷
で
憲法
事件
が
処理
される。 五、顔のない
裁判
官、どの
裁判
官に当たってもほぼ同じような
判断
が期待される
裁判
官を理想とする
我が国
においては、少数意見は生まれにくい。 以上であります。 これらの点を踏まえ、
我が国
の
違憲審査
制度
及びその運用の実態の特色としてはどのようなことが挙げられるか、お伺いしたい。
千葉勝美
5
○
千葉最高裁判所当局者
伊藤元
最高裁
判事の御指摘の点とかみ合うかどうかわかりませんが、
我が国
の
違憲審査
制度
は、先ほど
資料
3で御
説明
申し上げましたように、
ドイツ
のような特別な
憲法裁判制度
というものを設けておりません。アメリカと同様に、
通常
の
司法裁判所
が、
具体的事件
を
前提
としまして、その解決に必要な限度で、必要な
範囲
で
憲法判断
を行うという、いわゆる
具体的審査制
、
付随的審査制
というのを採用しているわけでございます。 すなわち、いわゆる
警察予備隊
の、先ほど御
説明
申し上げました
昭和
二十七年の大
法廷
の
判決
でございますけれども、こういう枠の中で
違憲審査権
が行使されるということになりますので、やはり
裁判所
といたしましては、
具体的事件
を離れた形で抽象的に
法令
や
命令等
が
憲法
に
違反
するという
判断
をする
権限
は持っていないわけでございます。この二十七年の
警察予備隊
の
事件
での
最高裁
の
判決
は、それを明示しておるわけでございます。そういうものとして今まで
違憲審査
をやってきた、こういうことが、
我が国
の
違憲審査
制度
、その運用の特色といえば言えるかなという気がしております。
中山太郎
6
○
中山
会長
次に、配付
資料
の「主な
憲法裁判
例年表」に掲げられている
判例
のうち、いわゆる統治行為論等を理由として
裁判所
が
憲法判断
をしなかったものはどの程度あるか、それらの
判例
では、どのような理由で
憲法判断
をしなかったのか、お伺いしたいと思います。
千葉勝美
7
○
千葉最高裁判所当局者
統治行為論ということでございますが、
憲法
の教科書などで統治行為論という
説明
がございますが、これを採用した
最高裁
の
判決
として紹介されているものが二つございます。
一つ
は、いわゆる砂川
事件
の
判決
、この
資料
1の上から数えて十番目の
判決
でございます。
昭和
三十四年十二月十六日の大
法廷
の
判決
でございます。 この砂川
事件
は、日米安保条約の
合憲性
が問題になった
事件
でございまして、
最高裁
は、
我が国
の存立の基礎に極めて重大な
関係
を持っております高度に政治性を有するものについては、一見極めて明白に
違憲
、無効であると認められない限りは、
裁判所
の
司法
審査権
の
範囲
外であるということを判示したものでございます。 もう一件は、この
一つ
下、十一番目の
判決
でございます。
昭和
三十五年六月八日の苫米地、トマベジと読みますが、この
事件
でございます。これは、
衆議院
の解散
手続
を
憲法
七条に基づいて行いまして、この
合憲性
が問題になったという
事件
でございます。
最高裁
の
判決
では、直接国家統治の基本に当たるような高度に政治性のある国家行為、こういうものにつきましては
裁判所
の
審査権
の外にある、そして、その
判断
はやはり主権者である
国民
に対して政治的責任を負うところの政府や
国会
、最終的には
国民
の政治
判断
にゆだねられているものと解すべきである、こういう
判断
をいたしました。 これらの
判決
は、
判決文
に統治行為という表現を用いておりませんけれども、講学上で言います統治行為論をとったものというふうに解されているわけでございます。 こういう統治行為論は、アメリカでも
判例
理論として、ポリティカルクエスチョン、政治問題ということで古くから言われている法理がございまして、一八四九年にアメリカの連邦
最高裁
の
判決
が初めてこの考え方を示して、それ以来、
判例
理論となっております。ですから、日本独特のものではないということでございます。 このほか、
最高裁
が
憲法判断
や
司法
判断
の対象外であるとしたものはいろいろございますが、
一つ
だけ御紹介させていただきますと、この
資料
の上から十四番目にございます
昭和
三十五年十月の大
法廷
の
判決
、地方議会懲罰議決
事件
。これは、地方議会の
議員
の出席停止処分について、他の機関の自律権を尊重するという見地から
憲法判断
をしなかった。統治行為とはちょっと違いますけれども、そういう
審査権
の
範囲
外のものもあるという例として御紹介をさせていただきました。 以上でございます。
中山太郎
8
○
中山
会長
次に、これまでの
憲法
訴訟
において、
憲法
のどのような条項に関する
訴訟
が多く見られるか、お伺いをいたしたい。
千葉勝美
9
○
千葉最高裁判所当局者
最高裁判所
の
民事
判例
集、それから
刑事
判例
集に登載された
憲法
に関する
裁判例
を見てみますと、
憲法
十四条、これは法のもとの平等でございます。それから二十一条、表現の自由。それから二十九条、
財産権
。それから三十一条の法定
手続
の
保障
。それから三十七条、三十八条、これは
刑事
関係
のいろいろな
規定
でございます。いわゆるこういう
人権規定
に関する
訴訟
というのが非常に多い、圧倒的に多いわけでございます。特に十四条、それから二十一条、三十一条が多いようでございます。 これに対して、例えば
統治機構
について定めた条項に関する
訴訟
というのは、件数としては非常に少なくなっている。これは、
違憲審査
が先ほど申し上げました一般の
民事事件
や
刑事事件
に付随してされるということでございますので、
民事事件
の当事者が自分の
請求
権を基礎づけるために
憲法
の
人権規定
を根拠として主張するとか、あるいは
刑事
の
被告人
が捜査機関の行為に対してやはり
憲法
上の
規定
に
違反
するということを主張して争う、そういう事例が多いからこういうことになっているのではないかというふうに承知しております。
中山太郎
10
○
中山
会長
それでは、
司法
制度
一般についてお尋ねいたしますが、
我が国
では
裁判
が長期化していると言われておりますが、その原因は主としてどこにあるとお考えなのか、また、その改善策として、一般論で構いませんが、どのようなことが議論されているのか、お伺いをしたいと存じます。
千葉勝美
11
○
千葉最高裁判所当局者
先ほど御
説明
申し上げました
我が国
の
民事訴訟事件
、これは
平成
十一年の平均
審理
期間でございますが、九・二月でございます。地裁の
刑事事件
につきましては三・一月でございまして、国際的には遜色のない水準であると言ってよいかと思います。 ただ、やはり、先ほども申し上げましたように、当事者が非常に多い大規模
訴訟
とか、それから医療過誤や知的
財産権
などの
事件
、いわゆる専門的な
事件
の中には、非常に長期間を要している
事件
があります。こういう
事件
というのは、著名
事件
が多いものですからマスコミによく取り上げられまして、
裁判
が遅いというイメージをつくられてしまうわけでございます。イメージだけではございませんで、やはり、それが非常に重要な
事件
でございますので、早くしなければいけないということでいろいろ考えてございます。 当事者の
訴訟
活動に計画性を持たせて、いつまでに争いのポイントを確定し、いつまでに
審理
を終えるかという
審理
全体のスケジュールを作成する、それに従って
審理
をする、いわゆる終期を見通した計画
審理
を実現する、こういうことが重要かなと。それから、専門的知見が必要な
事件
につきましては、鑑定やそれ以外のいろいろな場面での
専門家
を有効に活用するシステムづくり、これが必要になるだろうと思っております。
刑事事件
につきましては、件数はごくわずかでございますけれども、極めて長期間を要する
事件
がございます。その原因をいろいろ見てみますと、証人尋問に多数の公判期日を必要とするとか、あるいは弁護人の協力が得られがたいために、
裁判所
が連続的にあるいは集中的に期日指定ができない、こういうようなことが指摘されております。 こういう事態の対策といたしましては、
審理
期間の上限や開廷間隔を法定する、
法律
で決める、
刑事
弁護に専従することができるような公設弁護人の
制度
をつくる、それから
裁判所
の
訴訟
指揮権を強化する、そういうことなどが議論されているところでございます。 こういう改善策につきましては、現在、内閣に設置されております
司法
制度
改革審議会でいろいろ議論されているところでございまして、ここで対策を含めた検討がされるものというふうに考えております。
中山太郎
12
○
中山
会長
最後に、
外国
の
違憲審査
制度
につきまして、アメリカ連邦
最高裁判所
、
ドイツ
連邦
憲法裁判所
における
違憲判決
の数は日本よりもはるかに多いようでありますが、両国における
違憲審査
制度
及びその運用の実態はどのようなものであるか、お聞かせを願いたいと思います。
千葉勝美
13
○
千葉最高裁判所当局者
先ほど申し上げましたように、
外国
の
制度
の
調査
につきましては、
裁判所
は得意分野ではございませんので自信を持ってお話しできないわけでございますが、いろいろ文献などで指摘されております点をごく簡単に、承知している
範囲
で申し上げたいと思います。 両国ともに、
一つ
は、
我が国
の内閣法制局のような事前の
法令
審査
、
違憲審査
、こういうことを行う
制度
を持っていないというようなことが指摘されております。 そういうことに加えまして、さらに次のような点が指摘されているようでございます。
ドイツ
の
違憲審査
制度
については、そもそも
ドイツ
の連邦
憲法裁判所
、これは西
ドイツ
時代
からでございますけれども、その以前のワイマール
憲法
が、
憲法
の敵あるいは自由の敵に対しても言論の自由などの
憲法
上の
保障
を与えた、その結果、ナチズムが合法的に進出するということになった、そういうことに対する深い反省が
一つ
ございます。それともう
一つ
は、第二次世界大戦後の東西の冷戦構造、そういう政治情勢がございまして、そういうようなもとで、自由で民主的な基本的な秩序を防衛する機関としてこの
憲法裁判所
がつくられたようでございます。 つまり、
憲法裁判所
は、まさに、今言いましたことは、戦う民主主義という言葉でよく言われるんですが、戦う民主主義のとりでとしての立場で
憲法判断
を行うという役割を当初から担わされておった、そういう事情があるようでございます。 少し古い統計でございますけれども、一九八七年の末までに
ドイツ
の連邦
憲法裁判所
が下した
違憲判決
・
決定
は、約三百三十件に及んでおります。 アメリカ合衆国では、これは州の
法律
を
違憲
とした
判決
が非常に多いようでございます。その歴史的な背景といたしましては、そもそも、それぞれの州が自己の利益のみを擁護する、そういう
立法
などをいろいろ行いまして混乱が生じた、そういうようなことから、連邦の次元で州の
法律
をチェックするということの
必要性
について全体的なコンセンサスが得られて、そういう大きな
時代
の流れの中で、
国民
の間に連邦
裁判所
の
違憲審査権
の強化ということが抵抗なく受け入れられてきた、こういうような事情があったという指摘がされております。 こういうような事情が背景にあるのかなというふうに考えております。
中山太郎
14
○
中山
会長
以上をもちまして私の質疑を終わります。 次に、質疑の申し出がありますので、順次これを許します。それでは、保岡
興治
君。
保岡興治
15
○保岡
委員
十分間のわずかの時間ですから十分な質疑ができないかとも思いますけれども、とにかく、きょう議題になっております
最高裁判所
の
違憲審査
ということは、
憲法
が、国の根幹あるいは国のあり方、行き方というものを最高法規をもって律する非常に重要な
法令
である、そういう意味で、それに適合するかどうかという
判断
は非常に国家にとって重要な行為なわけでございます。 ところが、今まで、きょう
会長
からも指摘されたように、
国民
側も
憲法
論議をなかなかしない、あるいは
憲法
の存在感が
国民生活
の中に、あるいは国の重要な問題について、しっかり論議され、
判断
されていくという流れがなかなかできない。 こういう状況の最大の理由の
一つ
は、例えば砂川
事件
のように、日米安保条約は高度の政治性のある問題であるから
最高裁
の
違憲審査
の対象にならない、そうなりますと、こういう高度の政治的な
判断
を内閣の法制局がやって、それが有権的な最高の
判断
であるかのごとく許してきた
国会
にも非常に責任があるということが
一つ
。 それともう
一つ
は、やはり私は、
最高裁
がこういう
違憲審査権
というものの重要性を踏まえた、もう少し、
司法裁判所
の限界というものがあるにせよ、余りそれをやると消極的
立法
だとか
裁判
の政治化だという問題があることは事実でございますけれども、しかし、それにしても、
憲法
の番人として意見を言う、それは
最高裁
の
違憲判決
の効力において、さっき言われたような事情
判決
とかいろいろな考え方、工夫もできるのでありますから、できるだけ
判断
をするということは非常に重要なことだと思うんですね。 そこで、そういう基本的な認識に立ってお尋ねしたいことは、
一つ
は、先ほど、
警察予備隊
の
違憲
、
合憲
判断
で、付随的
違憲審査
制度
、
判例
通説のスタートになっているというような
趣旨
のお話がございましたが、私は、これは、今お話しのように、
ドイツ
の連邦
憲法裁判所
のように、やはり抽象的な
違憲審査
制とか
憲法
の異議権とか、こういった考え方を日本も検討する必要があるんじゃないだろうかというふうに思うんでございます。 そこで、
最高裁
は、やはり最高規範である
憲法
を
判断
する立場もありますから、
司法
全体の非常に重要なお立場を持っておられるわけですから、こういうことについても、
司法
改革などでもいろいろ意見を言っていただいていますが、この点についてはどう考えられるか、まず質問したいと思います。
千葉勝美
16
○
千葉最高裁判所当局者
先ほどの
警察予備隊
の
判決
にありましたように、
最高裁
といたしましては、現行
憲法
の解釈として、
司法権
に与えられているものは、やはり
具体的審査制
であるということを述べておるわけでございまして、これを
ドイツ
型の、いわゆる具体的な
事件
とは離れた抽象的な
審査
までできる機関にするということになりますと、これは
憲法
改正という問題が起きてこようかと思います。そういう
ドイツ
型の
憲法裁判所
をつくって
立法
、
行政
等に対するチェックがいいのか、現行の
司法
制度
のもとにおけるチェックがいいのかということは、非常に大きな
制度
的な問題、
憲法
上大きな問題でございます。
最高裁判所
といたしましては、現行
憲法
の枠の中での運用改善ということで今努力をしてございますけれども、その
制度
的な問題については、意見は控えさせていただきたいと思っております。
保岡興治
17
○保岡
委員
先ほどの答弁も今の答弁も、聞いておりますと、やはり
憲法
という最高法規を守る番人という意識からいえば、これをどうやったら守っていけるか、
専門家
として、その衝に当たる者として、
制度論
を積極的に言うべきだ。
司法
改革についても、そういう専門的な立場、責任を持っておられる人から意見が出ないというのはおかしな話で、これを積極的にこれから
最高裁
に考えてもらいたいと私は思います。 過去、五〇年代の後半でしょうか、
昭和
三十二年でしょうか、第二十六
国会
に
最高裁
が
最高裁判所
の改革案を打ち出したのですね。そのときの考え方は、恐らく、非常に
最高裁
に
事件
が集中して遅延した、これは重大だというので、
憲法判断
と、それから、いわゆる三審制の終審
裁判所
としての機能を分化しようとされて努力をされたのだと思います。そういうふうに
制度論
を積極的に考えた過去の
最高裁
の姿勢もあります。 そういう改革論についてどう考えられますか。
千葉勝美
18
○
千葉最高裁判所当局者
御指摘の
最高裁判所
の機構改革の議論でございますけれども、
昭和
二十七年二月末の
最高裁
の未済
事件
が非常に多くなって七千七百件ぐらいに達したということに端を発しまして、政府から
裁判所
の
制度
の改善に関する諮問がなされまして、法制審議会で主に
最高裁判所
の機構改革と上告
制度
について審議をされまして、その答申では、大
法廷
は長官及び八人の判事で構成をして、小
法廷
の判事は総勢三十人とする、その上で、大
法廷
で
審査
する上告
事件
は
憲法
との適合性の
判断
を要するようなものとか重要な事項を含むものに限定する、こういうような答申がなされまして、
国会
で審議がなされたわけでございますが、審議未了のまま廃案になったというふうに承知をしております。 今保岡
委員
から御指摘ございましたけれども、
最高裁判所
といたしましても、たくさんの
事件
が
最高裁
に来ますと、
最高裁
判事の負担ということにもなりますし、
憲法判断
や重要な
法令
の
判断
についてはなかなか力が割けないというような事態になっては困りますので、
平成
十年一月から施行されました新しい
民事
訴訟
法におきましても、先ほどちょっと御
説明
申し上げましたが、上告理由を制限して、重要な
事件
、つまり
憲法
的な問題とか重要な
法令
の解釈統一の問題について十分力が割けるような
制度
改正をいたしまして、まだ二年ちょっとでございますけれども、かなりの効果が上がってきているというふうに承知をしております。
保岡興治
19
○保岡
委員
私は、当
調査
会においても、この最高法規、
憲法
、この国のあり方、進み方、そういったものを、新しい
時代
に向かって、二十一世紀に新しい日本の姿を描きながら進んでいく、したがって、
憲法
の
判断
というものの重要性をやはり重要なテーマにして、
国民
の中に将来にわたって
憲法
論議が活発に行われるような仕組みを工夫していく必要があるというふうに考えます。 そういった意味で、
司法
改革、私は党で責任を持っている立場でございますが、
司法
の頂点に立つ
最高裁
、あるいは最高法規、
憲法
、その
違憲審査
も、
最高裁判所
の
国民
審査
の民主的コントロールの見直しなどを含めて、やはり重要テーマで検討すべきだと考えます。最後にそういう意見を申し上げまして、質疑を終わります。
中山太郎
20
○
中山
会長
仙谷
由人君。
仙谷由人
21
○
仙谷
委員
私の方からお伺いをいたします。 きょう、整理された御報告をいただきましたので、それを
前提
にまずお伺いをいたしたいと思います。 ここに、
愛媛
玉ぐし料
訴訟
違憲判決
を御紹介いただきました。これは、
愛媛
県が玉ぐし料を
支出
した、その
支出
が
憲法
上問題があるかないかということが問われた
事件
であります。国が玉ぐし料なりなんなり
宗教
施設に金品を納めたというふうな事例があるとすれば、日本
国民
は、そのことが
憲法
上問題がある、
憲法違反
の行為である、あるいは違法な行為であるということで、この
愛媛
の
訴訟
のように争うことができるのかどうなのか、この点についてまずお伺いをいたしたいと思います。
千葉勝美
22
○
千葉最高裁判所当局者
愛媛
玉ぐし料の
訴訟
は、いわゆる住民
訴訟
でございます。住民が、地方公共団体が行います財務会計上の行為につきまして、その違法がある場合に
訴訟
を提起することができるということでございまして、
愛媛
玉ぐし料の場合には、それが玉ぐし料という形で
支出
した
公金
の違法を争ったというものでございます。 したがいまして、この住民
訴訟
が、
公金
の
支出
の違法ということを主張して
訴訟
を起こすということは、
制度
としては存在するというふうに申し上げられるかと思います。
仙谷由人
23
○
仙谷
委員
国がと申し上げておるのです。国の
公金
の
支出
について、住民
訴訟
を提起する、そういう方法は今日本の
国民
に与えられているのでしょうかという質問です。
千葉勝美
24
○
千葉最高裁判所当局者
失礼申し上げました。 今の住民
訴訟
は地方公共団体が対象でございまして、国の
支出
それ自体を取り上げて
国民
が直接何か
訴訟
を起こすことができるかどうかということにつきましては、今すぐ思い当たるものはございませんが、少なくとも住民
訴訟
では無理だということでございます。
仙谷由人
25
○
仙谷
委員
まさにこの点が、先ほど来おっしゃっておる、
具体的事件
を離れては
裁判所
が
違憲
立法
審査権
を行使することができない仕組みになっている。 それはそれで、アメリカ流といいましょうか、
ドイツ
流に抽象的に
法令
の
違憲
性、
合憲性
を
判断
しないという意味において、いい面もある、悪い面もある。悪い面というか、
国民
から見ると非常に隔靴掻痒、フラストレーションがたまるような事態だという意味でということでありますが。あるいは、保岡先生おっしゃいましたように、私もそう思いますが、内閣法制局なる存在が、
憲法
の公権的解釈をみずからの手に独占するようなことを言って、むちゃくちゃな
憲法
解釈で既成事実をつくっていくというようなことが、戦後も行われたし、最近も行われておる。私は、全くもってけしからぬと思っておるのでありますが。 そのことはさておきまして、
最高裁判所
が、いわゆる具体的な
事件
として上がってこないと、そして、それが門前払い——当事者適格のある、あるいは訴えの利益のある
訴訟
として上がってこないと
憲法判断
はできないのだとおっしゃっておるのは、まさにそのことだと思うのですね。 それはそれで、我々育ってきた中である種の
合理性
を肯定しておるわけでございますが、地方自治法二百四十二条の二で住民
訴訟
が、住民にとっては、その向き合う地方公共団体、いわゆる自治体の
公権力
の行使については、ある種の、その
行政
行為の
憲法
基準
に照らしての問題点を提起できる道が今開かれているのに、国の権力行使については、その媒介をする、訴えを起こす
規定
が一切ない。ここが私は、現
憲法
体制を
前提
にしても、今の
一つ
の大問題だと思っているんですね。 そのこと自身が、日本の
憲法裁判
といいましょうか
憲法
訴訟
のある種の沈滞を表現しておって、
最高裁判所
はそのことによって、
最高裁判所
が
憲法判断
に消極的だ、こういうふうなことを言われても、片腹痛いといいましょうか、そんなこと言われたって困るよねということじゃないかと私は見ておったのでございますが、いかがでございますか。
千葉勝美
26
○
千葉最高裁判所当局者
個々
の
国民
が国が行う行為について、それを
憲法違反
その他を理由として争う道というのはいろいろございますが、例えば
行政訴訟
では、
行政
庁が行う
行政
処分、これを直接争うということは、もちろん
行政訴訟
で可能ではございます。 ただ、今
委員
が御指摘されましたように、これはあくまでもそういう具体的な
事件
という形で争うということでございまして、抽象的にそれを争うことができるかと言われると、これはやはりできないということにならざるを得ないかと思います。 要するに、国の行為をどういう形で
憲法
的にチェックしていくかということにつきましては、現在の
日本国憲法
は、やはり
立法
権、
行政
権、
司法権
、それぞれのチェック・アンド・バランスといいますか、権力分立構造でやっておるわけでございまして、
裁判所
といたしましては、具体的な
事件
が提起されました場合には、その
憲法
上の問題について、その解決に必要な場合には
憲法判断
を行っていく、
個々
の
事件
を
憲法
、
法令
に従って適正に
処理
していくということに尽きるわけでございます。
仙谷由人
27
○
仙谷
委員
結局、住民
訴訟
というのは、自分が
行政
処分を受けたわけでもない、あるいは直接損得、利害が発生したわけでもないけれども、
公金
の
支出
の仕方自身が、あるいは
行政
行為自身が、あるいは
行政
行為をしないことが問題である、そういう
訴訟
を起こすことができるというのが地方自治法で決められて、そして
裁判所
に出される。そうしますと、その権力行使の
基準
としての
憲法
にそれが合致しているかどうかということが具体的な
事件
として問われる、こういう構造になっているわけですね。 国でも同じだと思うんですよ。現に、
愛媛
の玉ぐし料
訴訟
は
憲法
上の問題になって
裁判所
の
判断
が示された。しかし、中曽根先生いらっしゃらないので、ちょっと言っていいのかどうかわかりませんが、
昭和
六十年に中曽根総理大臣が
靖国神社
にお参りして三万円の
公金
支出
をした、これが大阪地裁、大阪高裁で
事件
になっていますね。これは、ほとんど訴えの利益がないとは書いてありませんが、
請求棄却
でありますけれども、要するに、
裁判所
の
判断
になじまないし、そういうことを訴え出るそもそも当事者適格がないんじゃないか、こんな感じで
判断
がなされております。これは
最高裁
へ行かなかったような形跡がありますが。 事ほどさように、トーマス・ジェファーソンが
憲法
は権力行使に対する猜疑の体系であるというふうに言った、そして、法の支配というのも、そもそも権力行使が、
国民
がつくったあるいは議会がつくった
基準
に基づいて、つまり法によってコントロールされなければならないというのが近代国家の
原則
でありますから、その法自身の
違憲
性、
合憲性
を最終
判断
するのは
最高裁判所
あるいは
裁判所
、こういう構造のもとで成り立っているはずなのに、その
判断
を求める
機会
が実は実質的に失われているというのが、私は今申し上げたような問題だと思うんですよ。 そうだとすると、
最高裁判所
の方からも、
憲法判断
を積極的にやれというのであれば、媒介の、つまり地方自治法二百四十二の二に匹敵するようなものをおつくりになってはどうですかということを、
判決文
の中で示すか、
国会
に何らか別の方法で促さないと、これはそういうふうになってこない。
憲法
訴訟
、
憲法判断
が活性化しない。そして、内閣法制局あたりが、何か一番権威があるらしくて、
最高裁判所
より権威があるような顔をして
憲法
解釈をする、こんなことは、これから二十一世紀の日本にとっては許されてはならないと私は思います。 最後に御感想があればお伺いをして、質問を終わります。
千葉勝美
28
○
千葉最高裁判所当局者
少し技術的な話になりますけれども、地方公共団体の
公金
の
支出
を争う住民
訴訟
というのは、
法律
がつくり出した
制度
でございます。
国民
の具体的な
権利
や利益の侵害とはかかわりなく、住民であるという資格だけで
訴訟
が提起できる、これは、
法律
がつくった、いわゆる客観
訴訟
と言われるものでございます。 ですから、もし国に対してもそういう
制度
をつくるということであれば、それはそれで機能していくものだろうというふうに思っておりますが、
裁判所
といたしましても、
判決
でどういう
制度
をつくったらいいかということを
立法
的な提言をするという立場にはございません。あくまでも
具体的事件
の適正
処理
を通じて、
憲法
、
法令
の解釈適用、法の支配の実現に邁進していくということに尽きるかと思っております。
中山太郎
29
○
中山
会長
倉田栄喜君。
倉田栄喜
30
○倉田
委員
公明党の倉田でございます。 先ほど御
説明
いただきました点と少し角度は違うと思いますけれども、
憲法
の最高法規性あるいは根本規範という部分について、一般論としてでも御見解をいただければ、こう思うわけであります。 私の問題意識は、今、当
調査
会で
憲法
の
制定
過程を含めて
憲法
論議をさせていただいているわけでありますけれども、その中に出てくる議論の
一つ
として、
憲法
が解釈上明確でない、あるいは字義が不明確である、こういう議論も
一つ
ございます。 そこで、国の形を定める根本規範あるいは最高法規性、もちろん根本規範といった場合に、
憲法
の上位概念としての根本規範という言葉もあるでしょうし、あるいは
憲法
の中において、
憲法
の中の上位規範あるいは下位規範とか、そういう意味の中で使われる根本規範という言い方もあるんだと思うのですけれども、私が今から申し上げさせていただきたい意味は、最高法規性、根本規範、つまり、そういうものであるとすれば、もちろん
憲法
は不磨の大典ではなく、改正
手続
もあるわけでありますから、
時代
に合わなくなったら改正をしなければならないということは当然の
前提
だとしても、しかし、やはり根本規範、最高規範であるがゆえに、その解釈というのは
一定
の幅があってしかるべきである。つまり、根本規範が非常に明確になっていて解釈の余地がなければ、それが合わなくなってしまった途端にそれは改正をしなければならないという形になるわけであって、ある
一定
の期間、区切りの中に、当然それにたえられるだけというのか、それだけの解釈の幅がなければならない、こういうふうに私は勉強してきたというか、考えてきたわけであります。 そういう意味の延長線上にしても、例えば
憲法
九条論の解釈があって、これは全然解釈の域を超えているとか、あるいは解釈の幅の中にあるとか、あるいは
憲法
の変遷であるとか、いろいろ議論があるわけでありますけれども、根本規範あるいは最高法規性であるとすれば、当然
一定
の解釈の幅があってしかるべきだ、そうでなければ、明確であれば、次から次に変更していかなければならない、こういうふうに思っているわけでございますが、今私が申し上げましたことについて、
最高裁
の立場から御見解をいただける点がありましたらお答えいただきたい、こういうふうに思います。
千葉勝美
31
○
千葉最高裁判所当局者
憲法
の最高法規性、これは
憲法自体
に明記しているところでございます。
憲法
の解釈、適用という点でございますけれども、
憲法
の解釈につきましては、それぞれの
時代
、そのときの
時代背景
などを踏まえましていろいろな議論がされておるわけでございます。そういう背景の中で、
具体的事件
が
裁判所
に持ち込まれるという場合に、
憲法
のそれぞれの条項につきまして解釈、適用していくというのが
司法
の役割でございます。 今
委員
の御質問で、
憲法
の
規定
というのは、一義的にもうほかの解釈を許さないほど明確なものというのが、どの程度あるかわかりませんけれども、やはり今までの
憲法判例
の流れを見てみましても、それは解釈という余地はもちろんあるのではなかろうか。その解釈も、一度した解釈がまた変わって
判例
変更ということももちろんあり得ることでございまして、そういう意味で、一義的にもうほかの解釈を許さないというものではないのではないだろうか。 もちろん、これはそれぞれの
規定
を
個々
的に見なければ一般論としては言いにくいことではございますけれども、一般的には、
憲法
解釈につきましては、
具体的事件
が出されまして、その
判断
の必要な限度で、その
事件
を解決する場合に、
憲法
の
規定
の
趣旨
、
目的
、
内容
等を十分踏まえた解釈をしていく、あくまでもそういう解釈をして適用するものだというふうに理解をしております。
倉田栄喜
32
○倉田
委員
今、あえてこのようにお尋ねをさせていただきましたのは、論憲という立場で
憲法
を論じているときに、
憲法
が不明確である、だから明確に書き込んだらいい、こういう議論がある中で、確かにその要請もよくわかるわけでありますし、理解もできるわけでありますけれども、しかし一方で、やはりある
一定
の
時代
の中にたえられるものでなければならない。これから刻々変化する状況の中でたえられるものであるとすれば、ある程度その
時代
の幅に対応できるだけの弾力性、解釈の幅をやはり根本規範というものは持つべきものなのではないのかな、こういうことを、少し抽象的でありますけれども、申し上げさせていただいたわけであります。 もう一点でありますけれども、
憲法
に何を書くかということで、よく人権と統治という二つの章に分かれて書かれるわけであります。今私どもが議論をしている中に、最近の
時代
の流れあるいは
時代
の状況を反映していることの
一つ
なのかもしれませんけれども、先ほどのお話も、いわゆる
違憲
訴訟
については人権にかかわる部分が多いというようなお話もございました。つまり、人権、
権利
ということを主張して、その反面にある義務というのは一体どうなっているんだ、その義務というものも
憲法
に書くべきことなのではないのか、こういう主張もある。 私も、一方では、
権利
のあるところに責任あるいは義務あり、もう場合によったら、それこそ義務あるところに
権利
ありみたいな、そういう議論も出る中で、うん、なるほどなんて思ったりする面もないわけではありませんけれども、しかし、
憲法
に何を書くかということになると、例えば
人権規定
というのは主として自由権からスタートをしている。それは国家からの自由というものを
規定
したものであって、個人というものに対して国家は干渉すべきではないということが大
前提
としてあるべきなんだろうと思うのですね。 そうすると、そこに義務を書き込むというのは一体どういうふうに書けばいいのか。それは人権の
規定
の話なのか、あるいは統治の中に書き込むべきことなのか、あるいはその前文の話なのか。そこを少しこれから整理をして考えていかなければならないな、こういうふうに思いながら、ちょっと私自身も整理がつかないまま実はお尋ねさせていただいておるわけでありますけれども、
最高裁
の立場で、
憲法
の一般論として、人権の
規定
、人権と国家の
関係
、あるいは義務を書き込む場合には一体どういうことなんだということについて、何か御見解をいただけたらお尋ねしたいと思います。
千葉勝美
33
○
千葉最高裁判所当局者
大変難しいお尋ねでございまして、的確なお答えができるかどうかわかりません。 歴史的に見ますと、
委員
御指摘のように、
憲法
における
人権規定
、当初は、国家からの自由ということで、自由権というものの
保障
から始まったわけでございます。その後、これとあわせまして、
国民
の福祉の増進のために、国家に対して積極的な活動を求める社会権という方に発展をしてきたものというふうに
説明
をされておるわけでございます。 こういう
人権規定
の中に、あるいはそれと同じ章の中に義務の
規定
を置いているということが、
日本国憲法
もそうですけれども、諸
外国
の中にもございます。
我が国
の
憲法
も、教育の義務とか勤労の義務とか納税の義務というようなものを
憲法
に
規定
してございます。さらに、
憲法
十二条におきましては、人権の行使に際しての一般的な義務、乱用はいけないというようなことも書いております。 こういうような義務というものが
人権規定
とどういう
関係
にあるのかというのは、なかなか難しい問題で、私としても的確なお答えはできません。これは、統治というものに
関係
するというふうにも読めますし、人権の行使に関連する面があるということで人権のところに
規定
されているという考え方もあろうかと思います。諸
外国
の中でもその辺はいろいろでございます。
裁判所
といたしましては、やはり具体的な
事件
を
処理
する際に、こういう
人権規定
の性質の違いと申しますか、そういうようなものを十分見きわめた上で解釈、適用をしていきたいと考えております。
倉田栄喜
34
○倉田
委員
以上で終わります。ありがとうございました。
中山太郎
35
○
中山
会長
佐々木陸海
君。
佐々木陸海
36
○佐々木(陸)
委員
日本共産党の
佐々木陸海
です。きょうは大変御苦労さまでございます。 先ほどから
日本国憲法
第八十一条の
違憲審査
制の問題が
一つ
話題になっておりますけれども、まず、この八十一条が
日本国憲法
に設けられた、この八十一条について、明治
憲法
との比較で、この八十一条が設けられたことの意味あるいは背景、そしてその意義についてお聞かせ願いたいと思います。
千葉勝美
37
○
千葉最高裁判所当局者
大変難しい質問でございまして、実は、そういう大きな問題につきましては、むしろ
憲法
学者の方の方が適当かというふうに考えております。 御承知のとおり、戦前の
憲法
では
違憲
立法
審査権
ということが認められていなかったわけでございまして、現行の
憲法
におきましては、
立法
、
行政
、
司法
、それぞれの分立、チェック・アンド・バランスということが民主主義、法の支配の貫徹のために必要であるという、そういう基本的な思想のもとにこういう
違憲
立法
審査権
が
司法権
に与えられたというふうに理解しているところでございます。
佐々木陸海
38
○佐々木(陸)
委員
先ほどの質問者の発言の中にもあったのですが、この八十一条を指してのことだと思うのですけれども、
最高裁
を
憲法
の番人であるという
規定
をする、俗説的な言い方かもしれませんけれども、この
憲法
の番人であるという言い方についてどうお考えになるでしょうか。
千葉勝美
39
○
千葉最高裁判所当局者
最高裁判所
は、
法律
、命令その他、国家的な行為について
合憲性
の
判断
をする最終的な機関でございますので、そういう意味では
憲法
の番人という言い方がされているのかなというふうに考えております。
佐々木陸海
40
○佐々木(陸)
委員
しかし、先ほどお話にもありましたように、三権分立、チェック・アンド・バランス、それはすべて
国民
主権の上で成り立っている問題でありまして、
憲法
を守るか守らないか、やはり最終的には主権者である
国民
がそれを決めていく、そういう問題になろうかと私は思うわけです。そういう意味では、
最高裁
を
憲法
の番人という、俗説的な言い方として成り立つ面もこの八十一条からあるとは思いますけれども、私は、本当に最終的な番人というふうに簡単に決めていくわけにはいかないと思っています。 特に、そういう点に関して言いますと、先ほどお話がありました統治行為論、いわゆる統治行為論ですね。やはり、重要な政治問題について、極めて政治的な問題であるから
最高裁
としては
判断
をしないんだと。結局、主権者である
国民
に
判断
をゆだねるんだということに結論としてはならざるを得ないと思うんですが、そんなことは最初から、
最高裁
がそういうことを言わなくたって、
最高裁
がどのような
判断
を下そうと、最終的に決めるのは主権者である
国民
であるわけですから、やはり、この三権分立の土俵の上で統治行為論をとるというのは、私は、
一つ
の逃げとしか言えないという側面も、そういう
批判
もあるのではないかと思うんですが、統治行為論についてのそういう
批判
に対してはどういうふうにお答えになるでしょうか。
千葉勝美
41
○
千葉最高裁判所当局者
我が国
の
憲法
の思想は、先ほど申し上げましたように、
立法
、
行政
、
司法
、それぞれの抑制均衡の原理、三権分立の原理ということで動いているというふうに考えております。
司法裁判所
はあくまでも
具体的事件
の
処理
で
憲法判断
を行うということを再三申し上げているところでございまして、そういう大きな政治的問題について
司法部
が
判断
をするというのは、果たして
司法部
がふさわしいかどうかという根本的な問題があろうかというふうに考えております。 したがいまして、これは日本だけの理論ではございませんで、先ほども申し上げましたように、アメリカでも政治問題の理論というのがございまして、やはり大きな政治的な問題につきましては、いわばそういう国の命運を決するようなことを
司法部
が最終的に
判断
をするということではなくて、それはあくまでも主権者である
国民
に政治的な責任を負う
国会
、
立法
機関なりが
処理
すべきことである、そういう基本的な思想のもとにポリティカルクエスチョンという理論ができてきているんだろうと思っております。 講学上言われております統治行為の理論というのも、同じような思想からできているのではないかというふうに理解しているところでございます。
佐々木陸海
42
○佐々木(陸)
委員
これまで、いわゆる統治行為論と言われるものが
最高裁
の
判決
の中で使われたのはどのくらいあるんでしょうか。
千葉勝美
43
○
千葉最高裁判所当局者
先ほど
中山
会長
からの御質問にもお答えをいたしましたが、統治行為論、これは判文の中で明示的に表現したものということではございませんで、いわば教科書などで紹介しているものといたしましては、先ほどの砂川
事件
の
判決
と苫米地
事件
の
判決
、この二件が
最高裁
の統治行為論の
判決
ということで紹介されております。
佐々木陸海
44
○佐々木(陸)
委員
「主な
憲法裁判
例年表」の中の上から二十二番目に挙げられている、八幡製鉄政治献金
事件
判決
について、その
概要
を
説明
していただけませんでしょうか。
千葉勝美
45
○
千葉最高裁判所当局者
この
一覧表
では三十二番目になります。事案では、八幡製鉄の代表取締役二名が会社名義で自由民主党に対して政治献金を寄附したことにつきまして、この会社の株主が会社に代位をして提起した取締役の責任追及
請求
訴訟
の上告審でございます。
判決
は、
憲法
三章に定める
国民
の
権利義務
の各条項は、性質上可能な限り、内国の法人にも適用されるものであるから、会社は、公共の福祉に反しない限り、政治的行為の自由の一環として政党に対する政治資金の寄附の自由を有する、こういう
判決
と承知しております。
佐々木陸海
46
○佐々木(陸)
委員
判決
の
内容
について、ここで
批判
をしたり議論をしたりする場ではありませんから、そうするつもりはありませんけれども、企業の献金というようなものについては、
国会
の中の議論でも、これを正しくないもの、
規制
していくべきものという流れになっているということを、私は今ここで率直に指摘をしておきたいと思います。 そして、
最高裁判所
が
憲法
の番人というのにふさわしい状況になっていくためには、やはり、統治行為論なんという方向に逃げるのではなくて、きちんと
判断
をしていくことが必要であるということも申し上げまして、質問を終わります。
中山太郎
47
○
中山
会長
中村鋭一君。
中村鋭一
48
○中村(鋭)
委員
きょうは御苦労さまでございます。 先ほどからの
説明
の中で、
昭和
四十七年十二月十日に行われた
衆議院選挙
について、
選挙人
が、公選法の
規定
によると、
有権者数
の
最大値
と最小限の比は四・九九対一にもなっており、
合理的根拠
なしに、
国民
を不平等に取り扱っている、こういうことで
裁判
が提起をされまして、これに対しては、非常に明快に、第十四条一項に基づいて、これは
違憲
であるという
判断
を
最高裁
は示しておられるところでございます。ただし、
選挙
の方は、これは無効にはできない、もうやったものであるからという
判決
であったわけでございますが。 一方で、
事務局
からいただいた「
憲法
訴訟
に関連する用語等の解説」、この中の「
立法
権の裁量に属する事項」というところで、具体的事例として、
昭和
五十二年七月の参議院
通常
選挙
について、
議員
一人当たりの
選挙人
数の最大格差及びいわゆる逆転現象の
合憲性
が争われ、これにつきましては、
合憲
であるという
判断
が
最高裁
において示されております。 それで、
違憲判決
の方は
昭和
五十一年の四月十四日でございますが、参議院の方の
合憲
判決
は
昭和
五十八年の四月の二十七日でございますが、一方で
合憲
、一方で
違憲
という
判断
を
最高裁
は示しております。一方は
衆議院
で一方は参議院でございますが。 そこで、この
昭和
五十二年七月の参議院
通常
選挙
、これにつきまして、簡略で結構でございますが、具体的な訴えの
内容
、それと
判決
をちょっとまず御
説明
をお願い申し上げたいと思います。
千葉勝美
49
○
千葉最高裁判所当局者
いずれも
定数
訴訟
と言われているものでございまして、地方選出
議員
の
定数
について、
選挙
区ごとに格差が非常に大きいということを理由といたしまして争われたものというふうに承知をしております。それが
憲法
十四条に
違反
するほどの大きな格差であるという主張で、その
選挙
の無効を求めたというものというふうに承知しております。 〔
会長
退席、鹿野
会長
代理着席〕
中村鋭一
50
○中村(鋭)
委員
その
昭和
五十二年七月の、私がお願いを申し上げたのは、そちらに
資料
がありましたら、そのときの
原告
団の主張するところと、そして
判決
の概略を教えてもらいたい、こう申し上げたんですが、
資料
をお持ちじゃございませんか。なければもう結構ですが。きのう連絡を申し上げておいたつもりなんですが。——参考人、もう結構でございます。ありましたですか。では、簡略にひとつ。
千葉勝美
51
○
千葉最高裁判所当局者
判決
の
内容
でございますが、非常に大部なものでございまして、なかなか簡潔に御
説明
いたしかねるところでございますが、
判決
の
内容
を一般的な言い方で御
説明
申し上げますと、
一つ
は……(中村(鋭)
委員
「参考人、もう結構でございます」と呼ぶ)よろしいですか。 要するに、
投票価値
の平等というものは、やはり
憲法
十四条もそう予定をしておる。ただし
定数
をどうするかというのは大きな
国会
の裁量にあるということと、それから参議院の場合には、三年ごとに半数が改選されますので、
一つ
の
選挙
区については最低二人以上の
定数
を配分しなければいけない、二の倍数という形で
定数
が配分される、こういう特殊性がある。それらもろもろを考慮して、結局、格差があるといっても、それは
国会
の裁量の
範囲
内であるということを言った
判決
というふうに承知をしております。
中村鋭一
52
○中村(鋭)
委員
私ごとにわたって恐縮でございますが、この
昭和
五十二年七月の参議院の
定数
訴訟
は、実は私の
選挙
に関して提起されたことでございまして、五十二年七月の参議院は、私は五十五万余票をちょうだいいたしまして、落選をいたしました。一方、鳥取県はたしか十八万票余りで参議院
議員
を一人出したわけです。
原告
団は、一方で五十五万票をとった人が落選をして、一方で十八万票ぐらいで当選をする人がいるのは
憲法
十四条
違反
であるということで訴えを提起されたわけでございまして、私は
原告
団にも何も加わっておりません。新聞に出て、ああ、そういうことがあったのかということで、新聞記者からあなたに関して訴えが出されていますよと言われて驚いた記憶がございます。 いずれにしても、この参議院の
判決
は、裁量権の
範囲
内ということを非常に重視しているわけでございまして、複雑かつ高度に政策的な考慮と
判断
を要求するから、だから
選挙制度
の
内容
を
決定
する責務と
権限
を有する
国会
の裁量にゆだねられている、こういう
判決
の
趣旨
だった。だから
合憲
と言っているわけですね。しかし、こちらの方は、先ほど例示なさいました方は、非常に明快に
違憲
だと言っているわけですね。 だから、同じ
国会議員
を選ぶのに、
衆議院
と参議院で
合憲
と
違憲
の
判断
が示されるということは、やはり
最高裁判所
の権威からしても、
国民
にやや
説明
がしにくい面があるのではないか、このように私は思います。 そこで、この
違憲判決
に基づいて具体的な
定数
の対比というものの数が示されていると思うんですが、今一番直近の
裁判
等で、この
定数
関係
の
裁判
で、
最高裁判所
が示しております
定数
に対する
判断
は、
衆議院
、参議院、分けていただいても結構でございますが、どういう数字になっておりますか。
千葉勝美
53
○
千葉最高裁判所当局者
まず、
衆議院
の方からいきたいと思いますが、
衆議院
につきましては
昭和
五十一年四月十四日の大
法廷判決
がございまして、これは
平等原則
に
違反
して
憲法違反
であるということを言った
判決
でございますが、格差が一対四・九九の格差でございます。同じように、
昭和
六十年七月十七日の大
法廷判決
がございまして、これは年表では五十四番目、先ほどの五十一年の
判決
が年表の四十三番目の
判決
でございますが、この五十四番目の
判決
は、同じように
平等原則
に
違反
するということで、主文で
選挙
が違法であるということを宣言したものでございまして、一対四・四〇の格差がございました。 それから次に、その
平等原則
違反
というところをきちっと言ったわけではございませんが、
憲法
が要求する
選挙
権の平等の要求に反する程度には至っていたけれども、まだ是正までの期間がそんなにたっていないということで、結果的には
違憲
とまでは断定できないという
判断
をしたものといたしまして、
昭和
五十八年十一月七日の大
法廷判決
、これは一対三・九四の格差について、こういう言い方をいたしました。
平成
五年一月二十日の大
法廷判決
も同じ
趣旨
でございますが、これも一対三・一八の格差でございます。 次に、そもそも
選挙
権の平等には反しないのだということを言ったものといたしましては、
昭和
六十三年十月二十一日の第二小
法廷
の
判決
がございます。このときの格差は一対二・九二の格差でございます。 〔鹿野
会長
代理退席、
会長
着席〕 簡単に申し上げますと……(中村(鋭)
委員
「もう結構です」と呼ぶ)よろしゅうございますか。 参議院につきましては、
選挙
権の平等の要求に反する程度には至っている、ただし、まだ時間的にたっていないので
違憲
とは断定できないということを言った参議院の
判決
は、
平成
八年九月十一日の大
法廷判決
、これは一対六・五九の
判決
でございます。 それから、
選挙
権の平等に反しないとしたものが、直近のものでは
平成
十年九月二日のもので一対四・九九の格差、その他一対五ぐらいのものについての
判決
が多数ございます。
中村鋭一
54
○中村(鋭)
委員
最後に、
一つ
だけお伺いいたします。 今幾つか数字を出していただきましたが、
国会
としては、直近の
最高裁
の
判断
の数字が、例えば一対三・一八であれば、その直近に示された数字というものが、例えば
国会
において審議をいたしまして、今回の
選挙
はこことここの
定数
をこのように改めようというようなことについて、その
判断
は
国会
の審議を拘束するものですか。
国会
の取り決めを拘束するものですか。それとも、それとは別に、
国会
には
国会
の裁量権として、それを
最高裁
はお認めになることができるわけでございますか。最後に、
一つ
だけお伺いをして終わります。
千葉勝美
55
○
千葉最高裁判所当局者
最高裁
が
判決
の中で
憲法判断
をいたしまして、仮にそれが、
一つ
の
規定
が
憲法違反
であるということを述べたときの効力の問題でございますが、これは一般的にその
違憲
とした
法律
の
規定
を無効とするものではございませんで、あくまでも当該
事件
における
判決
という、個別効力説といいますか、そういう見解をとっておるところでございます。したがいまして、
最高裁
の
判決
自体が
法律
の効力をなくしてしまうということはございません。 ただ、
最高裁
が
違憲
であるという
判断
を示した場合には、それは
立法
機関、
行政
機関それから公務員それぞれがその
判断
を尊重していただけるものというふうに考えております。
中村鋭一
56
○中村(鋭)
委員
終わります。
中山太郎
57
○
中山
会長
伊藤茂君。
伊藤茂
58
○伊藤(茂)
委員
最高裁
の皆さんには御苦労さまでございます。社会民主党の伊藤茂ですが、幾つか質問をさせていただきます。 同僚
議員
からも指摘ございましたが、
憲法
は社会、国家の基本ルールを決めるとございまして、それにつきましての
衆議院
における
調査
会の議論を今まで私ども展開をしているわけであります。 その中で、やはり
憲法
の持つ、社会のルールまたそのシグナルをどう示すのかということの重要性を改めて痛感をいたしておりますし、最近続発をする、何か信じられないようなさまざまの社会問題、
事件
を見ましても、政治の世界でも神の国とか
憲法
の基本にかかわるさまざまな御発言が首相から出るとかございまして、これは政治の責任で
処理
をしなければならぬという問題でございますけれども、非常に大事なときであるということを痛感いたします。 私は、
憲法
の理念と目標をより鮮明にしながら、社会のルールとモラルのある社会をつくりたいという立場から、二つの視点から伺いたい。
一つ
は、
最高裁
がそういう
判断
をより鮮明に、また的確に、機敏にやるための努力という問題でございます。もう
一つ
は、
国民
主権の国家でございますから、
憲法
に基づく
司法
の
判断
の、やはり最大の権威のベースは、これは
国民
の信頼であるということは言うまでもありません。そういう
国民
に信頼性のある
制度
にするにはどうしたらいいのか、二つの方面でお伺いをしたい。 まず第一の問題でございます。先ほどの
判例
の御報告の中に、砂川
裁判
などがございました。
一つ
の時期を振り返る思いがいたします。たしか、私の党の大先輩である鈴木茂三郎さんが代表で起こされたことだったと思いますし、それから、その
判決
の後、
裁判所
法の改正あるいは
違憲
裁判
手続
法などを、同じ鈴木茂三郎さんが提案の筆頭となられまして、
国会
に提出をしたという経過を思い起こしました。冷戦
時代
から五五年体制
時代
の象徴的な出来事でございまして、今はもっと違うと思いますし、もちろん違うべきだと思いますが、ということでございます。 先ほど来お話がありましたように、確かにアメリカ型、
ドイツ
型、
具体的審査制
あるいは抽象的
審査
制と言われる状況があり、日本の場合には、
憲法
八十一条、アメリカ型、そしてまた二つの機能を持っているということになっているわけであります。そういうことなんですが、私は、もっとやはり機敏に、どう変えていくのか、もっと機敏に、鮮明に
憲法
の
判決
を示すということが強化されていいのではないかというふうに思います。 具体的には二つ方法が出てくるのだと思います。
一つ
は、
ドイツ
型のような抽象的
審査
制、
憲法裁判所
というようなものをつくるべきであるという意見もあると思います。 もう
一つ
は、現在の
憲法
八十一条及び
裁判所
法という中で、先ほど申しました鈴木茂三郎さんなど、私どもの先輩が提起をいたしました
裁判所
法の改正という形で、より
憲法裁判所
的権威を持つ。その提出しました中身を繰り返し読んでみましたら、
憲法
に適合するかしないかを
裁判
により
決定
する
権限
を有することを明確に
規定
する。あるいはまた、
日本国憲法
第九十八条第一項及び八十一条の
規定
に基づき、
最高裁判所
が、
裁判所
法の
権限
として、
憲法
に適合するかしないかを
裁判
で
決定
する
手続
その他の事項について定めるというふうな中身になっております。 そういうやはり権威づけと任務の明確化をするということも
一つ
の方法だと思います。
国会
で主として決めることなんですが、
司法
制度
その他、いろいろな場で議論をされるべきことでございましょう。御所見を、発言できましたらお伺いしたい。
千葉勝美
59
○
千葉最高裁判所当局者
最初の
ドイツ
型の
憲法裁判所
をつくるということにつきましては、これも先ほど申し上げました
憲法
改正を伴う大きな問題でございまして、私の立場から申し上げることは控えたいと思います。 ただ、
憲法裁判所
によるチェックということになりますと、これは、
司法権
によるチェックということよりもう一段上の抽象的な形での規範統制ができるということでございまして、現行の三権分立による規範統制とは違う
憲法
原理がそこに出てくるわけでございます。そういう形での統制、これは
ドイツ
で行われているというところでございますが、あるいはフランスでも、議会で可決された
法律
が、大統領の署名する前に
憲法
院、コンセーユ・コンスティテューショネルというところで
審査
が行われる、そういうことでございます。より
権限
が強い形で、したがって政治的な問題もそこに持ち込まれる可能性があるという面もございますが、そういう
制度
で行うということになろうかと思いますが、いずれにしましても、現行
憲法
とは三権分立との観点が大きく違った
憲法
原理が入り、また
司法権
の
範囲
をどういうふうに考えていくのかという問題とも
関係
する、非常に難しい問題であるというふうに考えております。 もう
一つ
、
裁判所
法等を改正して、
権限
なり権威をもっと明確にするということでございますけれども、これは
裁判所
法の
制度
改正ということになろうかと思いますが、
裁判所
といたしましては、持ち込まれた
事件
につきまして、
合憲性
の
判断
、
憲法判断
が必要な場合には、毅然として
権限
行使を行ってきておりますし、今後とも、そういう
事件
処理
を通じて
憲法
の解釈統一をしていきたいというふうに考えております。
伊藤茂
60
○伊藤(茂)
委員
お答えをいただきましたが、もっと機敏な対応、鮮明な
判決
が求められている
時代
だなというふうに思います。もちろんですが、
司法
の反動化とか、これはおかしいではないかとか言われるような期待外れの方向で考えているわけではないことは、私は言うまでもないというふうに思っております。もう
一つ
は、申しましたように、
判決
の権威というものの基礎は、やはり
国民
の高い信頼性、そして
国民
主権の国家にふさわしい運用ということにあることは言うまでもないと思います。そういう意味では、さまざまな努力をしなければいけないのではないかというふうに思います。 この間、東大名誉教授の芦部さんの「
憲法判例
を読む」という本を読んでおりましたら、日本の
裁判
官は
行政
官と同じキャリアシステムで任命、昇進をしていくというのですね。何かやはり
制度
として改革が必要なのではないか。法曹一元化とかあるいは陪審制、あるいは参審制という言葉もあるようですし、あるいは
国民
審査
法が今の
制度
でいいのか、効果があるのかということについての問題などもございます。いろいろな意味で、やはり
国民
の高い信頼性を持つ、また
国民
主権の国であるということにふさわしい、そういうシステムとか努力がもっとなされるべきではないだろうか。私どももいろいろな場で、
国会
でも議論をしなければならないと思います。 いずれにいたしましても、世紀を越えるときでございます。新しい世紀に向けての、日本と世界の大きな変化の時期をどう設計し展望するのかという
時代
の節目にあるわけでありまして、いろいろな意味で、今までの延長線でまじめにやるというだけではないものが必要ではないかと思いますが、いかがでしょう。
千葉勝美
61
○
千葉最高裁判所当局者
大変大きな観点からの御指摘をいただきまして、ありがとうございます。 もちろん、おっしゃるとおり
国民
主権、
国民
に信頼される
裁判所
、
司法部
でありたい、あり続けたいというふうに考えているところでございます。やや蛇足になるかもしれませんが、そのためにも、やはり
裁判所
といたしましても、
国民
に親しみやすい
裁判制度
をつくっていかなければならないということでございまして、
司法
制度
改革審議会におきましても、そういう観点からの御検討をお願いしたいというふうに考えております。 また、
国民
一般に対する情報提供という点におきましても、なかなか
裁判所
というのは情報の発信が少ないというような
批判
がされているところもございますので、できるだけそういう情報発信をしていきたい。具体的に申し上げますと、
平成
九年五月に
最高裁判所
でホーム
ページ
をつくりまして、そのホーム
ページ
の中に、
最高裁
の
判決
で
判例
集に載るようなもの、これは言い渡し後余り長い期間をたたずに、二、三日以内ぐらいにホーム
ページ
に載せるというような形で、いろいろな形の情報提供も進めているところでございます。 今の
委員
の御指摘も踏まえまして、今申し上げたことだけではございませんが、
国民
に利用のしやすい、しかも信頼が得られるような
司法
制度
、
最高裁
の仕事のありようを心していきたいと思っております。
伊藤茂
62
○伊藤(茂)
委員
ありがとうございました。
中山太郎
63
○
中山
会長
二見伸明君。
二見伸明
64
○二見
委員
出たり入ったりして、参考人の御意見を十分に聞けなかったことを申しわけなく思います。それで、あるいはダブるかもしれませんけれども、ちょっとお尋ねしたいと思います。 実は、
警察予備隊違憲訴訟判決
ですけれども、このいただいた
資料
によりますと、
憲法
八十一条では、「
最高裁判所
は、一切の
法律
、命令、規則又は処分が
憲法
に適合するかしないかを
決定
する
権限
を有する終審
裁判所
である。」これは
憲法
の
規定
ですね。ところが、
判決
要旨
では、「
裁判所
は、
法律
、
命令等
に関し
違憲審査権
を有するが、この
権限
は
司法権
の
範囲
内において行使されるものであり、
具体的事件
を離れて抽象的に
法律
、
命令等
が
憲法
に適合するかしないかを
決定
する
権限
を有するものではない。」こういう
判決
ですね。 これは、アメリカがこうですね。
憲法
制定
過程でアメリカの影響を受けておりますから、そういうアメリカの影響を受けているということが、こういう
判決
要旨
になったのでしょうか。この点はどうでしょうか。
千葉勝美
65
○
千葉最高裁判所当局者
委員
御指摘をいただきましたとおり、この
違憲審査
制度
につきましては、アメリカの
制度
を倣ったものというふうに言われておるところでございまして、この
警察予備隊
の
事件
についての
最高裁
大
法廷
の
判決
も、
具体的審査制
ということを言っております。 これは、まさにアメリカが、アメリカは
判例
法でございますけれども、
具体的事件
の
処理
に必要な限度で
憲法判断
をする、そういう
判例
理論ができてきておりますけれども、そういう思想を
我が国
の
憲法
も取り入れたということをこの
判決
でうたっているものと思っております。
二見伸明
66
○二見
委員
としますと、この解釈は今後永久に変わらないということになりましょうか。それとも、解釈は変わることも将来あり得るでしょうか。
千葉勝美
67
○
千葉最高裁判所当局者
冒頭に申し上げましたとおり、将来の
判決
予測ということになりますと、とても私のなし得ることではございませんし、適当でもないと思いますので、御容赦いただきたいと思います。
二見伸明
68
○二見
委員
実は、抽象的
違憲審査
をやろうとする場合は、今の解釈ですとできませんですね。もし抽象的な
違憲審査
をしようということになりますと、
憲法
を改正しなければできませんか。
憲法
を改正しないで、解釈でもってできますか。
千葉勝美
69
○
千葉最高裁判所当局者
この
警察予備隊
の大
法廷判決
は、
司法権
の行使のあり方として
具体的審査制
ということを言っておるわけでございまして、その
範囲
内で
憲法判断
を行うということでございます。したがいまして、これが抽象的な
審査
制を導入するということになりますと、現行
憲法
が予定した
司法権
の行使のあり方とは違うものをつくるということになろうかと思います。したがいまして、この大
法廷判決
を
前提
とする限り、恐らく現在の
憲法
のもとではできないのではないかというふうに考えております。
二見伸明
70
○二見
委員
ということは、もしそういうものにする場合には、
憲法
を改正する以外にはないというふうに、そう解釈していいわけですね。そう考えていいわけですね。
千葉勝美
71
○
千葉最高裁判所当局者
現行
憲法
では無理であるというふうに思っております。
二見伸明
72
○二見
委員
はい。ありがとうございました。 ————◇—————
中山太郎
73
○
中山
会長
この際、一言申し上げます。 会期終了まであと二十四日ほどになりましたが、本
調査
会の開会も十回目となりました。ここで、今までの
調査
につき、改めてその経過を御報告いたしたいと存じます。 本
調査
会は、去る一月二十日、
国会
の召集とともに設置され、当日、第一回目として
会長
と
幹事
の互選の議事が行われました。 二月十七日には、各会派の
委員
六名より、
憲法調査会
の
調査
を開始するに当たり、意見を聴取いたしました。 二月二十四日からは、
日本国憲法
の
制定
経緯について参考人より意見の聴取をし、質疑を行ってまいりました。
日本国憲法
の
制定
経緯についての参考人意見聴取及び質疑は、二月二十四日、三月九日、三月二十三日、四月六日、四月二十日の五回であり、お招きした参考人は十人、質疑を行われた
委員
の延べ数は六十四人であります。 十人の参考人の主な発言の論点としては、例えば、
日本国憲法
の
制定
経緯をどのような観点から評価すべきか、
日本国憲法
の
制定
の際にGHQからの押しつけはあったのか、
占領下
の
日本国憲法
制定
はハーグ陸戦法規等に
違反
しているのか、いわゆる芦田修正の
趣旨
及び極東
委員
会の文民条項挿入要求との
関係
についてなど、多岐にわたるものがございました。 五月十一日には、
日本国憲法
の
制定
経緯についての五回、十人からの参考人意見聴取及び質疑を踏まえて、
委員
間の自由討議が行われました。この自由討議においては、三十九人の
委員
から御発言があり、これをもって
日本国憲法
の
制定
経緯については締めくくりといたしました。 これらの議論を通じて、
日本国憲法
の
制定
経緯については、それぞれの立場の違いによる評価は別といたしましても、各会派とも、客観的な事実に関する共通の認識を持たれたものと存じます。 また、四月二十七日には、衆参に
憲法調査会
が設置されてから初めて迎える
憲法
記念日に向けての
委員
各位の自由な意見の表明を聴取いたしました。当日、自由な意見表明を行われた
委員
の延べ人数は三十四人であります。 この意見表明におきましては、本
調査
会の今後の審議
調査
の進め方について、近代国家の
憲法
の
原則
とはいかなるものか、民主主義と伝統主義との
関係
をどのように理解するのか、
日本国憲法
の先駆的価値についてなどの観点から、多様な御意見をいただきました。 そして、本日は、戦後の主な
違憲判決
について
最高裁判所
事務総局より
説明
を聴取し、質疑を行ってまいりました。質疑者は、私を含め八名であります。 本日までの
調査
会において、発言をした
委員
延べ数は百五十一人、
調査
会開会時間は三十七時間を超えております。
憲法
は
国民
のものであり、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家とはならぬという
原則
を堅持して、二十一世紀の日本のあるべき姿を求めて、
憲法
に関する広範かつ総合的
調査
活動が今後もなされるべきものと信じます。 最後に、本日までの
調査
会において、
幹事
、オブザーバーの方々、そして
委員
各位の御指導と御協力により、公平かつ円滑な運営ができましたことに厚くお礼を申し上げて、閉会といたします。(拍手) 本日は、これをもって散会いたします。 午後零時六分散会