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1999-12-09 第146回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年十二月九日(木曜日)     午前十時二分開議  出席委員    委員長 井上 一成君    理事 佐藤  勉君 理事 田野瀬良太郎君    理事 蓮実  進君 理事 古屋 圭司君    理事 永井 英慈君 理事 古川 元久君    理事 久保 哲司君 理事 吉田 幸弘君       荒井 広幸君    岩永 峯一君       下村 博文君    滝   実君       棚橋 泰文君    西田  司君       穂積 良行君    渡辺 喜美君       桑原  豊君    玄葉光一郎君       山元  勉君    冨沢 篤紘君       宮地 正介君    中島 武敏君      知久馬二三子君     …………………………………    国務大臣    (国土庁長官)      中山 正暉君    国土政務次官       増田 敏男君    衆議院調査局国会等移転    に関する特別調査室長   木寺 信行君     ————————————— 委員の異動 十二月九日  辞任         補欠選任   保坂 展人君     知久馬二三子君 同日                 辞任         補欠選任   知久馬二三子君    保坂 展人君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国会等移転に関する件     午前十時二分開議      ————◇—————
  2. 井上一成

    井上委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田野瀬良太郎君。
  3. 田野瀬良太郎

    田野瀬委員 第二次小渕内閣が成立して、きょう初めての特別委員会でございます。新しい大臣政務次官を迎えまして、特に大臣にこれから数点、大臣の見解をひとつお聞きしたい、このように思いますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。  私は、平成五年に国会に初当選させていただきまして来させていただいた者でございますが、既に平成二年に東京からどこかへ首都機能を移そうという国会決議がなされ、平成四年にそれを受けての国会等移転に関する法律が設けられまして、いよいよ具体的に国会移転を進めよう、そういう経緯があったことを国会に出てきて初めて知ったわけでございます。その中身を聞かせていただいて、私も実にその話に魅了された一人でございます。  特に最近は、日本国家全体に漂う閉塞感、若者が夢を持って、あすに向かって活力を持って頑張る、そういう機運がないようにどうも思えてならないわけでございます。日本の歴史を振り返るんですが、首都を変わるたびに新しい時代が生まれ、日本発展を遂げてきたということは、これはもう私から言うまでもないことでございます。私も、何としてもこの機会に、この閉塞感を打破する意味でぜひ首都機能移転すべきだと強く期待をしておる一人でございます。  新しい大臣におかれましては大変これに情熱を持たれておるということを聞き及んでおるわけでございまして、改めてこの席で国民大臣決意をひとつ表明していただきますように、そしてまた、その意義を含めて決意を語っていただければ大変有意義なことだと思いますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。
  4. 中山正暉

    中山国務大臣 おはようございます。  この国会でこうして首都機能移転に関する委員会をお開きいただきまして、委員の皆さんと、それから御配慮いただきました委員長に心から敬意を表したいと思いますし、今、田野瀬先生から御質問がありましたが、私は、新しくミレニアム、千年紀を迎えるわけでございますが、日本がこれから再生するために、首都機能移転というのは最大プロジェクトではないかという感じがしております。  今、国債、公債発行残高六百八兆、三百三十五兆が国の方で、地方が百七十九兆とか言われております。しかし、まだ千三百三十三兆の金融資産というのを国民資産として持っておりまして、これは外国から金を借りているわけじゃございませんので、ここで知恵を持って日本列島の大改造をやる、その最大一つがこの首都機能移転ではないかと私は思います。民間の研究所なんかで試算をしておりますのは、三十兆から百兆の効果があると。移す場所によっての差もあるんだろうと思いますが、そういう民間期待もありまして、特に国土の五〇%が過疎地で千二百三十の過疎市町村がある、これを、国土のバランスをとった大改造をするというのは、首都機能移転するということが私は大変重要なことになるのではないか。  きのうの参議院の予算委員会でも、六四五年の大化改新から官僚機構が整った、特に、大蔵省という名前が今度は財務省という名前に変わるわけですが、大蔵省という名前大化改新で決まっております。ですから、千四百年ぶりに大蔵省名前すら変わるときが来たわけでございますので、その意味首都機能移転。  それから、特に、私はこれは閣議でも申し上げたんでございますが、残念なことに、百九十八カ国と日本は国交がありますけれども東京大使館を置いているところが百二十五しかありません。国内に大使館を置いていないところは六十四カ国、日本担当大使館を置かないというのは三十九もあります。それから、海外の大使館に兼轄をさせている、中国に日本の兼轄をする大使館を置いているところが十三、本国からやっているところは六、それからインドからが三、ニューヨークの国連代表部に置いているところは一カ国、韓国に置いて日本を兼轄しているところは一カ国、マレーシアが一カ国、計二十五は東京大使館がありません。これは東京土地が高いから発展途上国なんかは東京に置けない。これは、やはり日本から大使館土地でも提供してさしあげられるような新しい首都機能、これは首都移転ではありませんわけで、首都機能移転でございますから、東京はもっとグレードアップしていただくとか。  それから、私はいわゆる江戸城復元なんというのを言っているんですが、五十六年間この東京、江戸の町にそびえていた江戸城復元して、木材業界活性化、これは全部図面が国会図書館に残っておりますから、文部省設計図が残っていたら復元をお願いできるわけでございますし、それからまた、臨海地域の開発とか、それからもう一つ東京沖合展開の飛行場をなんという話がありますが、私は羽田空港のもっと拡張とか、そんな大きな、東京国際都市世界都市に格上げしていただくようなそういうのが、二百十二ヘクタールの役所をほかへ移すことによって東京はもっと緑豊かなもっと環境をよくするような、東京もこれにお金をかけることによってよくなる、それから日本列島も大改造ができる、そんな意味で私は期待をしております。
  5. 田野瀬良太郎

    田野瀬委員 私、冒頭申し上げましたように、国会議員になって間もなくこの話を聞いて国会移転に魅了された一人でございます。そんなことで、この委員会にはできるだけ今まで参加させていただき、歴代大臣長官の話を聞いてきたわけでございますが、歴代長官も並々ならぬ情熱を持っておりましたが、ただいまの中山大臣は今までの大臣に比べて一番だ、私はこのように敬意を表する次第でございます。ぜひ、その情熱でもって、この大プロジェクトをひとつ実現していただきたいと強く望むものでございます。  ただ、とはいうものの、国民マスコミも、率直に申し上げまして、本当かなという思い半信半疑思いは否めないと思うのですね、その空気を見ておりまして。この時期にどうして大金を投じてする必要があるのかとか、そういう空気は否めない。  私は、これは議員立法で今日まで来ておりますので、国会責任があるとはいえ、近くこの候補地答申されるわけでございます。これも小渕総理政府にされることでございますし、日本議院内閣制でございます。やはり国会議員である内閣先導役となって国民に発信しないと、この半信半疑思いはなかなか消えないのではないかと思うわけでございまして、ぜひその大臣情熱を、内閣でひとつ機運を盛り上げていただきたいし、やる気をぜひ第二次小渕内閣のもとで示していただきたい、このように強い発信を国民にしていただきたいと思うわけでございます。  いよいよ近く答申がされるわけでございまして、それを受けてこれからどういう手順でこれを進めていこうとするのか、先ほど申し上げたその大臣情熱をどう第二次小渕内閣で広めていただけるのか、その辺のところの御意見をお伺いさせていただきたい、このように思います。
  6. 中山正暉

    中山国務大臣 これはバブルが崩壊した後、平成二年に決議がなされておりますから、私はその意味で、ちょっとムード的に悪かったために、そんなことができるのかということがあったと思いますが、私はこれをやらなきゃいかぬ。ペルリが日本に来て日本を大改造されました。それから、マッカーサーが来て、いい悪いは別にして大改造がなされましたが、今度は、だれも来ないときに、この平和なときにそういうことをやるということが私は重要だと思っております。  今、審議会で御審議をいただいておりますが、年内にはその答申がなされるのではないかと思っておりますが、その後は、法律の定めるところによりまして、内閣総理大臣答申国会報告し、これは移転法の第十三条第二項に書いてございますが、国会における東京都との比較考量等検討を経て移転を決定する、これは法律の二十二条に東京都との比較考量というのが書いてございます。それから、国会移転先についても、今度は法律で、これを内閣が受けました後法律をつくるということ、これは二十三条に書いてございます。  国土庁といたしましては、答申後において、国会における審議状況を踏まえながら、引き続き必要な検討を着実に進めながら、移転具体化に向けての積極的な検討を行う所存でございます。  また、国民的合意形成に向けて一層の幅広い論議を呼びかけるということは、私はこの間石原知事にもお話をしておったのですが、ひとつお互いに切磋琢磨しながらこの話題日本に広げるために大いにやろう、こういう話をしておきました。私は、外環道路とかそれから圏央道凍結を解除してくれという話に十一月一日に来られましたから、それは凍結を解除する方向でひとつ進めるけれども首都移転反対という東京都知事の口は凍結する、こう言っておきました。
  7. 田野瀬良太郎

    田野瀬委員 いよいよ答申されますと、当委員会責任も大きくなってきますし、国会でしっかりと審議していかなきゃならない、我々も頑張らなければならないのですが、どうぞ政府におきましても、やる気をひとつ国民にぜひ示していただきますように強く要望させていただきたいと思います。  今お話に出ておりましたように、この時期になって、国会決議がなされ法律で粛々と進められておるこの事業に、東京真っ向から、東京がというより石原知事真っ向から、しかも非常に神経質に反対運動を起こしておることは、非常にゆゆしい思いで私は見ておるところでございます。  今、江戸城の復活であるとか、あるいは東京都の発展に配慮しながらという大臣の非常に温かい言葉がありましたが、しっかりと石原知事政府責任を持ってひとつ説得していただきますこともよろしくお願い申し上げまして、私、もう既に十五分参りましたので、これで質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  8. 井上一成

  9. 古川元久

    古川委員 民主党の古川元久でございます。  私は、この委員会は初めてこの国会から参加させていただきまして、初めて質問させていただきます。  私は愛知県の選出でございまして、そういった意味では、今、伝え聞くところによりますと、有力な候補地一つとして挙がっているということではありますけれども、ただ、本当はこれは十一月末までには審議会答申が出されるということになっておったわけでありますから、きょうの委員会はその答申を受けて本当議論をしたかったわけでございます。  こうした形でまだ答申がない中では、どんなことを聞いても、大臣も参照するものもないのでなかなか難しいかと思うのですが、少し一般的なお話になるかと思うのですけれども、先ほどの田野瀬議員からのお話にもありましたけれども、実は最近耳にするのは、要するに首都機能移転に反対する声ばかりの方で、どうも盛り上がりに欠ける。  実は愛知県は、首都機能移転国家的プロジェクトでございますが、二〇〇五年に同じような国家的プロジェクトとして愛知万博をやるということになっておるわけでありますが、これも何となく盛り上がりに欠けておりまして、愛知県以外の人は、国家的プロジェクトであるにもかかわらず、そもそも万博をやること自体も知らないぐらいの、そんな感じもなきにしもあらずなのでございます。その辺を見ていますと、これはもう少し具体的な中身に入っていかないと、やはりそうした国民関心といいますか、そういうものも進んでこないのではないかなというふうに思っているわけなんです。  一般論になってまことに恐縮なのでございますけれども大臣は、このような関心が高まらない、一時期のバブルのときに東京一極集中が非難をされて、そこから出てきたところからすると、昔の政治改革をあれは熱病だったというような話が最近出ているような感じがありますけれども、何となくこの首都機能移転に対してもそんなような感も見られるような部分もあるわけなんですが、大臣は、今こうして気持ちが高まってこない、国民関心が高まってこない、その理由はどういうところにあるというふうにお考えになっておられるのでしょうか。
  10. 中山正暉

    中山国務大臣 私は、一九八九年のベルリンの壁の崩壊、これは世界的に大変いい時代が来たなと思ったのですが、そのときに、日本にあった二千億ドルぐらいの短期の資金が、これはヘッジファンドというものでぱっとヨーロッパにシフトした。それが最初の、あっという間にバブルが崩壊した理由だと私は思っております。二回目の、いわゆる宮澤基金をつくらなければならない、三百億ドル基金というものをつくらなければならない理由というのは、香港を返還した後の十月に、電子メールを打ったヘッジファンドのあれがいまして、これがタイのバーツの暴落につながる。そういうことでバブルが崩壊したものですから、そんなことできるわけないじゃないかというムードになりました。  私は、逆に、今力をこれに入れなければ、日本の二十一世紀に対する期待というのは阻害をされるのじゃないかと思っております。  名古屋も、私は今度も現地に入らせていただくということを言っております。私は、一九六七年にモントリオールの万博以来、一九七〇年の大阪の万博それから花の博覧会とか、ことしも五月二日に昆明花博に行って、博覧会というのは、昭和三十九年のオリンピックも日本の経済に大変大きな起爆剤を与えましたから、私は、先生のこれからの期待される政治生活の中で、今、国会に出て私も三十年になりますが、後の時代に私どもが贈り物を贈るのは、日本列島のそういう意味での首都機能というものを移して、東京をもっとスリムに、ぜい肉を落として発展をしていくような、石原知事とも私は仲がいいものですから、三十年来の友達で同い年なものですから、好きなことを言い合っておりますが、今先生のおっしゃったような話題をうんとつくって、首都機能移転話題が国家的なプロジェクトとして国民の頭の中でも第一番目に置かれるような、そういう意味でのPRをしなきゃいかぬ。  特に、答申が粛々とやっていただいておるものですから、それが表に余り出ませんので、むしろ答申が出たら、マスコミもみんな注目をしていただいて、日本じゅう注目が集まるような働きをしたい。  特に、国土庁でも一回一回審議会が行われますたびにこういう「新時代」というようなものを出しまして、インターネットなんかでも逐次報告はしておるようでございますが、まだ世の中にそれほど話題になっておらないことは、むしろこれからの、嵐の前の静けさというか、嵐という表現がいけないかもわかりません、いい風が吹いてくるという言い方に変えた方がいいかもわかりませんが、そういういい種子を運んでくる風になっていただきたいと思っております。
  11. 古川元久

    古川委員 その期待はわかりますし、私もそうあってほしいなと思うのですけれども、やはりもうちょっと、ブループリントのような状況から少し具体的な、例えば中身がなかなか詰められないのであれば、手順であるとかそういうものをもうちょっと具体的に詰める必要があるのじゃないかと思うのですね。  例えば、今度の答申が出てきた後に、では実際に法律を出すときに閣法でやるのかあるいは議員立法でやるのか。これまでの経緯を踏まえれば議員立法というような話もあるようなんですけれども、しかし、ここまで国会内閣を通じて審議会答申を出してもらうようにお願いをしてきたようなところの経緯考えると、今度の審議会総理のもとに置かれた諮問機関でありますし、答申総理にされる、そして総理から国会に対して報告がされるというようなことで、その経過から見ると、何となくこれは閣法でやるものかなみたいな話まで戻ってくるわけなんですが、その辺を答申が出てから考えましょうと。  閣法でやるのか議員立法でやるのかという部分ですけれども、もし議員立法でやるのであれば、それは相当精力的に事前から準備をしてやっていかないと、実態的には、名前だけ議員立法で実際はお役人がつくった、官僚がつくった法律名前だけ議員立法で出すという、しばしばよくある、形だけの議員立法みたいになってしまう。それでは本当国会の権威というものもないわけでございまして、特にこれだけ国家的なプロジェクトということであれば、例えばそのように閣法で出すとか議員立法で出すとか、そういうことも今の段階から本来は具体的な方向性を示すことじゃないかと思います。  また、それを決めた上で、それをいつの時期に、例えば今度答申が出れば次の通常国会中には出すとか、何らかそういう方向性というものをもう少し具体的に、今審議会で、どこにするか、そういうことの部分はなかなか今のところでは議論できない話でありますけれども、そういう手続面というものは決められるものはやはり進めていくということが、国民の目から見ても、ああ、物事が進んでいくのだなということがわかるのじゃないかと思いますが、その点に関してはいかがお考えでしょうか。
  12. 中山正暉

    中山国務大臣 審議会答申をお願いしておりますということで、今、どういう形でこの答申が出てまいりますのか、まだ全く中身の予測がつかないわけでございます。複数説とかいろいろあるわけでございますが、私は、それが内閣に提出されたそのときから新しい事態が展開をしていって、今閣法になるのか議員立法になるのか、そもそも平成二年に国会決議首都機能移転の話が始まったものでございますから、最もいい方法で、それこそ国会等移転という主題になっておりますから国会議員先生方で、特に複数候補地があった場合にはそれが決まるまでの紆余曲折がいろいろあると思います。それを、決まった場合、内閣の方で出した方がいいのか国会議員立法にした方がいいのかということは、おのずから、その討議をすること自体国民関心を集めていくいいきっかけになるのではないか、私はこう見ております。
  13. 古川元久

    古川委員 お気持ちはわかるのですけれども、そういうことをやっていると、何となく一般国民からすると、ウィーン会議じゃないですけれども会議は踊る、されど決まらずみたいな、今の議論だけ見ているとそんな感じに見えるのじゃないかと思うのですね。  ちょっとまた方向を変えて、少し今の首都機能移転に関する国民の普通の感じ方を見ますと、例えば官邸が今立派なものを、新官邸をつくり上げようとしている。霞が関の省庁を見ても、どんどんと新しい新庁舎ができていって、今や、古く残っているのは大蔵省文部省ぐらいのもので、ほとんどの官庁が新しいビルに建て直っている。ああいう姿を見ていると、普通の人から見ると、本当政府はやるつもりがあるのですかと。  総理大臣も新しい官邸をつくる。それはまあ確かに、首都機能移転移転先が決まってから時間がかかるからというものはあるものの、逆に言うと、その辺で新たなものはつくらないというくらいに物理的ないろいろな制約を課さないと、新しいものをつくってもらえば、そんなに慌てなくても、まだここは今使えるんだから当分いいのじゃないかというふうに思ってしまうというか、そういう議論が間違いなく出てくると思うのですね。  また、官庁に勤めている役人の立場からすれば、多くの人は、東京中央官庁があるから中央官庁に勤めているという人もかなりいるはずでございまして、そういう人たちからすると、先にこうやって自分の官庁を新しく建て直してしまえば、役所を建て直してしまえば、そう簡単には、役所を出て行け、新しいところへ行けと言われないだろうと、まさに東京に残るための橋頭堡を築いているかのような、そんな感もやはり一般国民からしたら見えると思うのです。  ですから、やはりその辺、そうじゃないんだということであれば、例えばこの新官邸あるいは今の霞が関の新しく建っている官庁街、そういったものを首都機能移転後にはこういう形で利用しますとか、何かそういうもう少し先のものが見えないと、それで、見えなくてどんどんと新しいものをつくっていったのでは、これは本当物事議論だけしてずるずると先延ばしする、そういうように思われてしまうのではないか、そんなふうに私は思うのでございますが、大臣のお考えはいかがでしょうか。
  14. 中山正暉

    中山国務大臣 私も、この間、ブラジルへ行く機会がありまして、ブラジリアというところを見てまいりました。三十年たっているそうでございますが、やっと形がついてきたというような話を伺いまして、官邸も、今つくっていますが、三十年ぐらいたったら、新しくつくるものでも老朽化が目立つような形になってくるのじゃないか。むしろ首都機能移転した後の過渡期をどう補完するかというので、その場合には、やはり東京国際都市になっていただくためには、外国から来られるお客様の接受とか、そんなことで、今つくっている総理官邸それなり意味がある。  それから、これは、国会答申が出された後、今先生の御懸念の問題、中央官庁、今あるものをどういうふうにしていくのかとかいうようなことが具体的になってくると思いますので、私は、昭和四年にできた、田中義一内閣ではなかったかと思いますが、今の官邸、ライトさんがおつくりになった大変価値のある建造物でございますから、そういうものもちゃんと残しながら、それからまた、今私どもについていてくださるような役所方々も、遠いところから毎日毎日通勤して、狭い官舎を与えられている人たちに広い、日本の将来のことを考えてくださる、もう国会に一々出てくることもだんだん少なくなってくるような方々に真剣に日本のことを考えていただくためには、住環境のいい首都機能を行政の方々にも提供したりする。それから、先ほど申しましたように、大使館もちゃんと準備してさしあげるというような。そういう非常に機能的なものが立ち上がるということは、しばらく、むだなように見えますが、今つくっている新しい一府十二省になるもの、これもほかへの転用ができることでありますので、私は大してそれに対する心配はいたしておりません。過渡期を補てんするものというのはやはりそれなりの姿を維持するべきである、こう思っておりますので、これは長いレンジ考えるべきものだ、こう思っております。
  15. 古川元久

    古川委員 その長いレンジというのがどれぐらいの期間かというところで、この首都機能移転に関する国民関心というのもやはり変わってくると思うのですね。それが、今おっしゃったように例えば三十年とか、そういう話になってきちゃうと、これは関心を持てといってもなかなか難しいものであります。ですから、三十年なら三十年にしても、では、ここの十年とかここの五年という、最終的なゴール点というものはそこにあっても、その前提のところというものを、これは議論に任せてという面も一つはあるのかもしれません、議論を十分に尽くしてということもあるのかもしれませんが。もう一つは、ある程度、時のリーダーというものがしっかりと先頭に立って方向性を指し示していかないと、とにかく、過去の日本の中で首都移転をしたときを考えてみても、みんなの意見がまとまるまでという形でやっていては、これはなかなか進まないわけであります。  そういった意味での方向性というものがどうも見えにくいのじゃないか、そんな懸念を持っていることを最後に申し添えまして、私の質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  16. 井上一成

    井上委員長 宮地正介君。
  17. 宮地正介

    ○宮地委員 きょうは、大臣政務次官、時間が十五分という限られた時間でございますので、単刀直入にちょっと御質問させていただきたい、こう思います。  特に、今回のこの首都機能移転というのは、二十一世紀のプロジェクトとして国家的な、大変重要なプロジェクトであろう。そういう意味合いにおきまして、まさに私は、この事業の成功によって日本の再生の大きなきっかけにしていくべきであろう。例えば、中央集権国家を、これを契機に地方主権国家に国をつくりかえていく、そういう動機づけにインパクトを与えていく、そういう点からも非常に大事ではなかろうか。  そこで、ちょっと、いろいろ議論してまいりましたけれども、明確にしておかなきゃならない点。これは、いよいよ答申が十二条の法律に基づいて年内に出される、こういう方向でございます。大臣は、首都機能というこの言葉と遷都という言葉、これは同義語としてとらえておられるのか、どういうふうにとらえておられるのか、まず、そこをはっきりと答弁いただきたいと思います。
  18. 中山正暉

    中山国務大臣 私は、京都に天皇がおられて、鎌倉に幕府が移された、これはまさに首都機能移転であったのではないか。それから、天皇が京都におられて、そして江戸に幕府、首都機能を設置した。そういう形が、私は、天皇が御動座をなさる、天皇が動かれるというのが今までの遷都という意味合い、一八六八年、江戸城東京城という皇城ということを決められたときの意義とは少し違う。これは、橋本龍太郎総理大臣もそういう意味のことをおっしゃっている。天皇に御動座いただく意味首都機能移転というものではございませんと。首都機能移転で、首都移転ではない、こんなことです。  しかし、首都東京だという法律はありません。日曜日が休みだという法律がないのと同じでございます。ですから、これはその意味で、首都圏整備法とか、それから最高裁判所は東京都に置くとか、そういうことが書いてあります法律はありますが、基本的には、首都東京であるという法律がない点は、私は、非常に自由な形になっていると思うのです。天皇がいらっしゃるところ、場所が移ることをいわゆる首都移転だと思っております。  近畿の畿という字は、あれは昔、天皇のいらっしゃるところから百里以内というのが畿内。朝鮮半島のソウルという町も京畿道というところにあります。天皇のそばにあるというのが近畿とか畿内という言葉を使っておったようでございますが、天皇様は東京にいていただいて、そして首都機能だけが移る、そんな認識でおります。
  19. 宮地正介

    ○宮地委員 そうしますと、法律の第一条、これは三権分立の三権の中枢を移転する、こういうふうに我々は解釈しておるわけですね。橋本総理の当時の答弁では、いわゆる皇居はこれは移す考えはないと。こういう理解を我々もしているわけでございますが、大臣は、その点もう少し明確に、今回の首都機能移転というのは、いわゆる立法府である国会、行政府中枢、それから司法の中枢、これは地方に移転をする、しかし、皇居は東京に残す、こういうふうに理解してよろしいのかどうか、明確にしてもらいたい。
  20. 中山正暉

    中山国務大臣 先生のおっしゃるとおりだと思いますが、「国は、国会並びにその活動に関連する行政に関する機能及び司法に関する機能のうち中枢的なもの(以下「国会等」という。)」そういう形で第一条ができておりますが、東京圏以外の地域への移転国会等移転具体化に向けて積極的な検討を行う責務を有するという、責務になっておりますので、これはおっしゃるように、司法、立法、行政というこの三権の機能を他へ移す、こういう意味だと思います。
  21. 宮地正介

    ○宮地委員 そうしますと、今回、重要なこれからの答申が出た後、非常に重要なポイントは法律の二十二条ですね。この二十二条の、一つは、「審議会答申が行われたときは、国民の合意形成の状況、」この国民の合意形成をいかにこれから進めていくか、これが一つの問題。もう一つは、「社会経済情勢の諸事情に配慮し、東京都との比較考量を通じて、移転について検討されるものとする。」いわゆる東京都との調整問題。  先日、石原慎太郎都知事が来まして、慎太郎知事、皇居の問題に触れていましたが、何か皇居を移転するような、そういうふうにとられるような発言で、恐らくわかっていておっしゃったのじゃないかな、歴史的な文化的と。今おっしゃったように、法律では皇居は移転する考えはないわけですね。ですから、石原慎太郎知事も、その点ちょっと、わかっているようなわかっていないような発言があったわけで、そうした中でも、今大変な反対運動をしているわけですね。ここの東京都との調整の問題。この二つのクリアは私は非常に重要な課題である。これについて、大臣、どういうふうに取り組んでいくか、その点について確認したいと思います。
  22. 中山正暉

    中山国務大臣 これは先ほどもちょっと御答弁申し上げましたが、十一月一日に石原知事が来られたり、それからヨルダンの国王が来られたときの夜の会でも、それの開会を待つ間、石原知事といろいろな話をしておりました。あなたも平成二年、国会にいたではないですか、そのときに賛成をしたでしょう、いや、おれは反対したなんという話をしておられましたが。議席も、私の隣の隣に座っておられたのです。平成五年にやめられたのかな。ですから、それはちょっとあなた、国会にいるときと、知事に出られたときと、また別な話をしてもらったら困るななんという笑い話をいたしておりました。彼にしてみれば、東京都知事に選ばれたということで、いろいろ東京都からも一連の反対の要望書を、意見書といいますか、そういうものを持ってこられているようですが、これはこれで、早く話題を出してくださったので、ちょうどよかったなと私は思っております。  そして、東京都との比較考量というのが、そこから始まる。だから私は、東京都には、先ほど江戸城の話をちょっとしましたが、六十メートル、日本最高の江戸城があって、私は大阪の人間でございますので、昭和の天皇様の御大典記念に大阪市民から百五十万円の浄財を集めて、昭和三年に着工して六年に完成をしたのが大阪城でございます。江戸城は五十六年間そびえておりましたが、これは明暦の火事、振りそで火事というので焼け落ちてしまいました。私は、公開されております本丸跡の下を大国際会議場にでもして、御在位十年の式典を国立劇場でやるなどというのは、ちょっと余り東京都らしくないんじゃないか。だから、そういうものも東京考えていただいて、天皇陛下がお歩きになって集会にお出ましいただけるようなものも東京都にあっていいんじゃないか。昔の吉原を見せて、これが江戸であるなどというのはみっともないんじゃないのと知事にも言っておきました。  ですから、木材業界活性化という、木材を使った六十メートルの大建造物、そして、木材は規制がかかっておりまして、三階建てしかできません。小学校でも中学校でも、木造でつくってやればいいんじゃないか。そんな技術を残すためにも、図面の全部残っております江戸城復元などというのは、東京の考量をするときに、新しくプレゼントを東京都に差し上げて、そして、東京都の人たち首都移転しても寂しくないという思いをしていただくような準備をしなきゃいかぬ。先生のおっしゃるように、この話題が出てきましたらその後どうするかというのを、そこから今度は国土庁としても、事務局としてきっちり立案をしてまいりたい、こう思っております。
  23. 宮地正介

    ○宮地委員 そこで、大臣、時間がないのでまた次の機会にもいろいろ詳しく御質問したいと思うのです。東京都が、首都機能移転をしなくても東京を再生できる、むしろ首都機能移転をしない方がいいんだ、こういう論理の展開をやっておるのですよ。私は、首都機能移転をして東京は逆に再生できるんだ、もっと緑を残し、精神砂漠の東京から本当に心豊かな東京に変わるのだ、これをぜひ国土庁、しっかりとした東京再生プランを研究していただいて、東京都に負けないだけの、首都機能移転による東京再生のメリットがあるんだ、こういうことを発表することが大事じゃないか。こういう用意がありますか。
  24. 中山正暉

    中山国務大臣 青島知事が都市博をやめられたので、湾岸のところに青い島になってしまったみたいなところがありますが、後が石の原にならない、石原にならないような対応をして、そして今お話しのように、つくばに国土地理院とか土木研究所などが移った後、四〇%は公園になっておりますから、私は石原知事にも言っているんです、二百十二ヘクタールという土地があくのではないの、あなた、そこを知恵を使って、何か大公園をつくったり、それからすばらしい計画を東京都として立ててもらって、それで国と一緒に、新しい、すっきりした、ぜい肉を落とした東京都というのが再生するのには、年間二千億ぐらい首都機能移転にお金がかかるようでございますけれども、これは首都をすばらしいものにする大変安くつく方法だ、私はこう思っております。
  25. 宮地正介

    ○宮地委員 では最後に、増田総括政務次官、埼玉県出身の政務次官として、首都機能移転に対する御決意を伺って御質問を終わりたいと思います。
  26. 増田敏男

    ○増田政務次官 御質疑をいただきまして、前置きが大変お褒めが入っていましたので、光栄であり恐縮です。  簡単に申し上げますが、私自身、質疑者の宮地先生にはよく御存じのところかと思います。その上に立ってのお答えですが、平成二年、国会決議がなされました。平成四年、今度は法律ができました。平成七年、調査会の報告がありました。平成八年、その国会移転法律が改正になりました。そして現在に至っているわけであります。  私たちの職柄、積極的にこれに取り組むというのが私たちの職柄であります。これを離れて決意はどうだといいましたら、ただいままでの大臣のお答えのとおり、一生懸命大臣を補佐して取り組んでまいりたい、このように思います。よろしく御指導を賜りたいと思います。ありがとうございました。
  27. 宮地正介

    ○宮地委員 ありがとうございました。
  28. 井上一成

    井上委員長 吉田幸弘君。
  29. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 自由党の吉田幸弘でございます。  私、この委員会で大変勉強させていただいていまして、もうここまでなのかな、さらに勉強しなきゃいけないのかな、そんな中で、年末、審議会からの答申ということで非常に楽しみにし、また緊張感を高めているわけでございます。  改めて大臣にお伺いをしたいと思います。  まず、移転の今日的意義及び効果について、この移転は、当初論じられたときの意義ということに、さらに今日に至っていろいろな問題が発生したと思います。このことを含めて見解をお伺いしたいと思います。
  30. 中山正暉

    中山国務大臣 私ども若いときに、日本列島改造論というのがありました。その日本列島改造論というのを、国土庁あたりにおられた方々がいろいろ研究しておられたことを、当時の幹事長、総理大臣をやられた田中角栄先生などが、それを実際に現実のものにしようという、「日本列島改造論」というのをお書きになりました。  私は、二十一世紀に、本当日本の新しい国土づくりというのは一体何だろう。新国土軸というような構想もあります。今まで、阪神・淡路大震災が平成七年に起こりましたが、あれで西日本が全部麻痺してしまいました。四兆九千五百億ぐらいのお金をかけて、五年間でよくあそこまで復興したなと思います。  移転というのは、東京の一極集中を是正すると同時に、国土の災害対応能力を強化する、それから東京に潤いのある空間を回復することに寄与するとともに、国政全般の改革と深くかかわる重要な課題だ。これが後世に借金を残さない、いわゆる国家としての設備投資、新しい事業展開をするための、借金返しの、池を雪で埋めていくような財政運営ではなしに、何かしっかりした、次の日本の経済再生の起爆剤になるような投資をするのがこの首都機能移転ではないかと私は思っております。  そういう意味で、意義とか効果につきましては、その時々の状況に応じて力点の置き方は異なるんですが、移転決議の当時から、これはしっかりやっていこうという国会議員の自覚の上に立った決議からの議員立法であったと私は思っておりますので、国会の意思をはっきり強調する上で大変意義のあることだと思っております。
  31. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 大臣の御答弁の中、首都機能、まあ言葉は、これはいろいろな意味で使われておりますが、機能等の移転に関して、その意義が今日強まってきた、当初の意義よりも一層強まってきたんじゃないかなというふうに私は解釈をさせていただいたわけであります。  この移転に関して、ではどのような場所、またどのようなところが、ところというか概念的なものですね、ふさわしいのかと考える必要があると思います。  その前に、我が国が、将来に向かってどのような都市像、例えば私が考えるに当たりまして、この一極集中という言葉は、東京に対する一極集中というのは、一方では、先般、黒川先生にお越しいただいてお話をちょうだいしたときには、例えば、九州の過疎化は東京が原因ではなくて福岡が、福岡に人が集まるというようなことを述べられたわけです。  将来、二十一世紀、特に人口の流れ、我が国の中に人口流動というのか、どの地域に人が流れていくのか、あるいは物流に関してもどのような形で流れていくのか、これは予測の範囲しか御答弁いただけないとは思いますが、あるいは理想像として大臣のお考えがあればお示しをいただきたいと思います。
  32. 中山正暉

    中山国務大臣 今、候補地として三地域が挙がっているわけでございますが、そういうところに新首都を形成した場合に、全く新しくつくるわけでございますから、環境の問題で、平和な時代首都機能を移すという、それも経済大国、世界第二位の日本がそれを平和な時代の象徴としてやるということは、環境の問題というのをどういうふうに世界に範を示すか。それから、ごみ処理とか。  この東京という過密の地、国土の三・九%のところへ一都三県の人口、これは日本の人口の二五%でございますから、これは本当に少し、どんどんまたこれからビルが建ったりしますと、その輻射熱とか反射熱で、二〇三〇年ぐらいになると四十五度ぐらいの温度になるのではないか、インド並みの温度に東京が上がってくる。そういうものを何とか今の首都に住まいする人たちに配慮する必要もあると思います。それから、循環型の社会とか、新しい交通システムとか。  それからまた、情報通信、双方向の情報化時代。光通信は一秒間に地球を七回り半するという。だから、非常に静かな、直接どんどん陳情に行かなくても、電気通信、双方向会議ができるとか、そんな新しい機能的な行政機構を備えたものになっていく可能性というものを秘めている、こんなふうに私は思っております。
  33. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 それでは、その移転先、夢の新首都であってほしいと私も願うわけであります。これが、我が国の首都像というか、最もすぐれた環境、また文化、そしてその他の面においてもすぐれたエリアとして手本になる、ほかの地域の手本になるのではないかなというふうに考えておるわけであります。  今の大臣お話の中にも、その点についても多少触れられていたと理解をしているわけでありますが、では、このエリアというのがほかの手本、基準となるに当たって特に重要視する面、これはどのような点なのか、再度お伺いしたいと思います。
  34. 中山正暉

    中山国務大臣 今も申し上げましたとおり、これは世界に日本の技術力というものを、いわゆる白紙に絵をかくような形でお示しできる。私は、これからやはり世界に貢献する日本としては、経済の繁栄を持続させていく必要があると思います。そういう意味で、緑豊かな、ブドウのような形といいますか、クラスター方式といいますけれども、私は、司法、行政、立法というのは、大きな三角か小さな三角かは別にして、うまくバランスのとれた、緑の中に沈み込んだ、そんなイメージを持っております。  そして、川が流れていたり、それから鳥が鳴いていたり、みんなが新しい首都機能の中で日本の山紫水明の国家のイメージを強調できるような美しい都といいますか、古い時代の都という言葉をあえて使うわけでございますが、そういうイメージの新首都ができれば、これは次の時代人たちに新しい日本のイメージ転換、ウサギ小屋に住んで、衣食は足っても住環境が悪いとか、そういう国土の地方分権のきっかけにもなる。一府十二省に中央は変えましたが、まだ地方は三千三百以上の市町村がありましたり、六百六十四の市がありましたり、そういう地方に大きな行政改革の波ときっかけを与える、そんな首都になったらいいと私は思っております。
  35. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 今の大臣の御答弁、私も非常に理解を示したと言ったら失礼な言い方になる。夢を持ち、感銘を覚えたわけです。これを広く国民に広めて理解を求める、このようにすれば、必ずや国民のすべてが理解を示すことになると私は思うわけでございます。  最後に、この候補地、いろいろ言われております。新聞報道もあるようなのですが、私の考えは、大きな人の流れというものに逆らうものではない。どの場所がいいとかいうわけではございません。ただ、全体的に人間の流れというもの、大きな流れ、これに逆らうものではない。ただし、今回、移転の意義というのは極めて必要である。そして、新しい町をつくっていかなければいけない。その中において、日本列島全体を考えた中での、またアジア、世界を考えた中での人の流れというものに理解を示す、乗っかる必要があるのではないかなというふうに考えるわけであります。  ここから先はどの場所がいいとかいう話につながりそうなので、このことはここでやめますが、私も先ほどの古川委員と同じ愛知県出身でございまして、その前にいろいろな乗り越えなければいけないハードルがございますが、最後の一言、人の流れ、いわゆる交通網、このことに対して私は極めて重要であるということを大臣にお伝えをして、きょうの質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございます。
  36. 井上一成

    井上委員長 中島武敏君。
  37. 中島武敏

    ○中島委員 私は、きょうは三つばかり、限られた時間ですけれども大臣質問をしたいと思ってここに立ちました。  まず一つは、二十一世紀というのは環境と福祉の時代だ、こう言われておりますし、私もまたそうなければならないと思っています。移転候補地のほとんどすべてあるいは全部を私は視察いたしましたけれども、説明を受けながら、これは実にすばらしい緑だなということを大変思いまして、そして、この緑はやはり守らなければいかぬな、これが失われるのは大変なことだな、そういう感想を持ち続けて視察をしたわけであります。  首都機能移転を行いますと、調査会の最終報告によれば九千ヘクタールですね。東京の山手線の内側面積の一・五倍。それから、首都機能移転審議会によれば八千五百ヘクタール。これだと山手線の内側の一・三倍といいましょうか、もう非常に広大な緑が失われていってしまうわけですね。私は、二十一世紀を環境と福祉の時代とするために、この首都機能移転というのは方向としては逆行じゃないかなと思うわけですけれども大臣はどんなふうにお考えになりますか。
  38. 中山正暉

    中山国務大臣 私は、花の博覧会を大阪でやったときに、いろいろな資料をちょっと調べてみたりしましたら、本当にこの国の山紫水明の国土というのはあだやおろそかにできていないなと思いました。  というのは、日本は、千二百年前に万葉集という、それには四千五百ぐらいの詩と歌が入っていまして、その中で私は一番感銘を受けて、これはいつも言うんでございますが、   いにしえの人の植えけむ杉が枝にかすみたな  びく春は来ぬらし 千二百年前の人が、いにしえの人が植えにしとおっしゃっている。これは本当に大変なものだなと思いました。  それからまた、日本書紀には、スサノオノミコトが日本を平定したときに、胸毛を抜いて投げたらこれがブナの木になったとか、それからすね毛を抜いて投げたら杉の木になった。これは、為政者がいかに国土の治山治水というものに気を使ったかという証拠が残っていると私は思います。先生のおっしゃるとおり、自然の環境ですばらしいものを崩したらいかぬと思いますが、私は、私の大阪なんというのは、公園面積が、世界の主要都市に比べて一人当たりの面積が一番少ないところでございます。それは、物資の集散地、いわゆる蔵屋敷でございましたから、大きな庭をつくると町人はお取りつぶしに遭って、淀屋辰五郎なんて淀屋橋しか残っていないというような形になってしまいましたから。  私は、木を植えて公園をつくる場所と、木をうまく植えかえて公園をつくる場所とがあっていいんじゃないか。きれいに間引きながら、このごろは間伐をしないので林野庁も木材業界大変だという話がありますが、私は、そんなところもきれいに整備して、そして自然の中を散策できるような、歩いていくとそこに財務省があるとか、国土交通省があるとか、そんな、先生の御懸念のないような新首都をつくる必要があるんじゃないか。特に国土交通省、建設省という名前も運輸省という名前もなくなって、国土交通省という新しい役所ができるというのは、その調整役に、私は、非常にいい行政改革になってもらいたいものだな、こんなふうに思っております。
  39. 中島武敏

    ○中島委員 大臣のお言葉ですけれども、これはなかなか都市の開発と緑を守るという問題とは両立しないんですよ。何か両立するような話をされているんですけれども、私は全く違うと思いますね。  大臣も御存じだと思うんですけれども、COP3、つまり地球温暖化防止京都会議、ここで日本が国際的な約束をしたのは御存じだと思うんです。一九九〇年のCO2排出量の六%削減ということを約束したんですね。産業界の方では〇・五%削減する、それから森林、ここでは三・八%CO2の吸収を行う、そういうことを、その他細かくあるんですけれども決めたわけですね。  果たして、今のような大きな都市開発、これは広大な地域に都市開発だけで九千ヘクタールとか八千五百ヘクタール、こういうわけなんです。木を植えるとかなんとかという話とはちょっとけたが違うんです、これは。だから、どうしても必然的に環境破壊をしなきゃいかぬという運命が都市建設なんですね。だから、そういうことからいうと、私は大臣の言っていることは当たらない。いや、むしろ、国がちゃんとした国際公約を守っていこう、こういう国際公約を守ろうというんだったら、やはりその先頭に国が立たなきゃいかぬ。国が立つためには、今言ったような首都機能移転というのはこれに逆行するんじゃないかなということを申し上げて、次に行きます。  もう一つは、都市計画のあり方ですね。この問題について、実は、この委員会で参考人として来ていただきました都立大の名誉教授であります石田頼房さんという方がここで意見を述べられました。これは、ちょっと短いところだけを引用いたします。   二十一世紀には、新しい都市空間を次々と加 えていくという今までの方法ではいけないので はないか、二十世紀の教訓を踏まえて、残され た貴重な自然、資源、環境、エネルギーを大切 にしなければいけない、あるいは、安易に都市 拡張を考えずに、広がり過ぎた都市空間をその ストックを有効に生かしつつ改造する、これが 二十一世紀的な都市計画の課題だと多くの都市 計画専門家は考えております。 ということを述べておられる。  私も、これは非常に同感なんです。二十世紀的な都市計画のあり方というものについて、都市計画学会でもやはりそういう方向が大多数というふうに伺っておりますけれども、これは、本当に聞かなきゃならない意見なんじゃないか。だから、これからの二十一世紀の都市づくりというのはどうなきゃならぬかという問題についての考えを述べられていると私は思うんですね。  そういうことからいいますと、今首都を新たにつくるということではなくて、やはり、現在の都市をいかに改造していくかということにしなければならぬのじゃないだろうかということを思うんですけれども、ちょっと大臣の見解をまた伺いたい。
  40. 中山正暉

    中山国務大臣 今、日本は道路でも何でも渋滞をしまして、自分の地元のことで恐縮なんでございますが、大阪市内なんかは平均時速二十キロ。八十キロぐらいのスピードで走れるようにしないと、先生の御心配の窒素酸化物、NOxとか炭酸ガス、CO2というようなものは減らないということでございますので、私は建設大臣も兼ねておりますから、道路財源をしっかり確保して、そして、自動車が一番環境にいいスピードを出せるような道路行政といいますか、一万四千キロを目標にしていますが、まだ七千三百七十七キロ、五三%の道路の進捗率しかありませんので、そんなものをいかにするかというのは、東京改造なんというのはなかなか一朝一夕にはできない。  その意味で、先ほど申し上げましたが、白紙のところに絵をかくような形の、自然を破壊しない新しい首都機能というものを、そういう石田先生のような知恵のある方にお知恵をかりて、そして改造をしていく必要があると思うんですが、関連用地の取得等に多大な費用とか時間を要することも、いわゆる先生の御懸念の中での費用をかけることも、これは効率のいい町づくりをするために必要なことで、先生の御懸念を心に留意しながら進捗をさせていただいてまいりたい、私はかように思っております。それは、国会の御理解を得ないといけませんので、先生国会決議のときの反対をされた理由もよく私熟知しておりますので、御心配のないようにしたいと思っております。
  41. 中島武敏

    ○中島委員 こういう答弁をいただきますと、どうもますます御心配なるものがふえてきますな。  次の三つ目の質問ですが、日本の財政危機というのは今非常に深刻な事態にある。これは申し上げるまでもありません。国、地方合わせて長期債務六百八兆円、GDP約五百兆円、こうなりますと、長期債務がGDPの一二〇%ですね。これはもう大臣御存じのように、EUだったら初めから門前払いと申しますか、六〇%以下でなきゃならないということになっておりますから、とても加盟条件をクリアしない。そういうぐらい日本の長期債務というのは、借金というのは非常に大きいんですね。そういうときに首都機能移転ということをやれば、この財政危機をますます促進するんじゃないかというふうに私は思います。  そういうことからいうと、この辺で思い切って、間もなく答申が出るそうですけれども、ああ、やはりこれはいかぬなというふうな判断をしっかり下すべきときじゃないかと思うんですけれども、どうですか。
  42. 中山正暉

    中山国務大臣 私は答申が出るのを本当に楽しみにしておりまして、先生と逆で、絶対やらにゃいかぬな、こう決意を固めております。  日本は、先生おっしゃった、財政難だと言いますけれども、私は、そんなに失望する必要はない。外国から金を借りているわけじゃありませんし、簡保の自主運用資金とか郵貯の自主運用資金で一兆五千億ぐらいのアメリカの財務省証券を持っているぐらいでございますから、アメリカにも金を貸しているような日本でございます。ここで日本がこけたら世界じゅうがこけるというときに、日本が財政破綻を克服する、先ほど申し上げておりましたような、新しい、価値ある設備投資に国民の浄財を私はちゃんと使わせていただいて、後世に、私どもが食卓を食い荒らしたままどこかへ行ってしまうんじゃなくて、子供たちが食卓につくときはちゃんと整理された日本国というテーブルを私は提供する必要があると思っております。  その意味で、国会等移転審議会における移転費用のモデル的試算によりますと、国会を中心とした移転に伴う第一段階での事業費は約十年間で四兆円、そのうち公的負担は二兆三千億円で、年間当たり約二千億円強となり、この額は国の一般会計予算における我が国の公共事業関係費のわずか二%でございますので、首都機能移転については現在の財政状況考えますと一時凍結あるいは中止すべきであるとの見解がありますけれども、その一方で、我が国の経済力、財政状況からいって負担できないわけではないという見解もあります。国会等移転調査報告では、我が国の余力のあるうちに実現をしておくべき課題だ。それが私の、答申期待をして、どこかへ必ず移そう、こう今決意をしておりますところでございます。
  43. 中島武敏

    ○中島委員 今御答弁ありましたけれども日本は資金をたくさん持っている、それから、一年にすれば大したことのないお金しか使わないんだ、こういうお話なんですけれども、これは私、全くいただけないと思っているんです。  いろいろな、金持ちだ、こういうことを言うんですけれども、しかし、実際に私もいろいろ調べてみて非常に思いましたのは何かというと、今税収見積もり四十六兆、それで、そのうち国債償還とそれから地方交付税、これを差し引いただけで十三兆しか残らないんですよ、十三兆。十三兆しかないもとで何ができるんですか。結局、もう膨大な借金に次ぐ借金でしょう。これを、もう国債に次ぐ国債の発行でしょう。これをやりまくってきているんですよ。小渕内閣になってから、もう御存じのように六十四兆の借金をふやしたと言われているんです。それで、その目標は何かといったら、これはもう何のことはない、景気対策だ、こう言うわけですよ。じゃ景気はよくなってきているかといったらちっともよくなってこない、ふえるのは借金ばかり、こういう状況じゃありませんか。  この間、実は、大臣これはもう御存じのとおりですが、七月から九月期のGDPが一%減になったというのが報告されましたね。それで、この点で、個人消費は何と前期比に比べてマイナス〇・三%ですよ。設備投資、これは前期比マイナス二・一%ですよ。結局、もう公共投資で支えるというのも限界に来ているんですね。結局自律的な回復には景気はとてもとても戻るような状況じゃないんです。  だから、そういう状況のもとでなおかつこんなこと、こんなことと申しますか、首都機能移転なんということをやりますと、これはもう日本は破産しちゃいますよ。使うお金、何もなくなっちゃうんですよ。今でさえ十三兆しか残らないんですよ、十三兆。だから、結局、借金の膨大な山を築いてお金を使っている。こんなことに対して国民はみんな不安に思っていますし、そんなときに首都機能移転なんてというふうにお考えの方はたくさんいらっしゃるんです。  私は、重ねて聞こうと思ったんだけれども、時間が終了いたしておりますので、やはりこの際きっぱりやめるべきだということを申し上げて終わります。
  44. 井上一成

  45. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 社会民主党・市民連合の知久馬二三子でございます。  まず、私は、国会等移転審議会が、十一月までに、地震など災害に対する安全性や土地の円滑な取得など、十八項目の点数と各項目の配点に差をつける、重みをつけての作業も終え、最終候補地も、福島県の阿武隈それから栃木県那須地域と、岐阜県東濃・愛知県西三河北部地域の両論併記とかも新聞報道などされております。昨日も、二十九回の審議会が開かれて、いよいよ答申が年内にも出されようとする大詰めを迎えております。この時期に当委員会を開催されまして議論の場を設けられました委員長さんに、まずもって敬意をあらわしたいと思います。  質問に入りますけれども、まず、国民的な合意形成と過疎地域についてお伺いしたいと思います。  審議会答申が年内にも出されるということに、首都機能移転問題については、私ども山陰地方、鳥取県なんですけれども、全くと言っていいほど住民の関心は高まっていません。そのことは、国会移転等の候補地である十一府県と東京以外の地域に共通するものだと思いますけれども東京への一極集中の是正、東京の過密解消がこの移転の問題に最大なメリットであるということは理解できます。しかし、裏返してみますと、やはり逆に、過疎で悩んでいる地域の問題はどうなっているかなということを常に思うわけなのでございます。  長官首都機能移転の論議を少しでも進めようということでいろいろ発言しておられますけれども、まずお伺いしたいのは、東京一極集中の是正、多軸型国土構造への転換を目指すこの首都機能移転が、私ども過疎地域の住民にとって本当にどのようなメリットがあるのか、具体的に示す必要があるんじゃないかなと思うのでございます。  これはちょっと全く例が違いますけれども、過疎法が来年の三月の期限切れ前になって、新しい過疎法が検討されているところでございますけれども、これなどは、ずばり言って国の予算が投じられると思うんですけれども、今言いましたように国民的な合意形成という、とりわけ関心の低い地域住民にとってのいい材料になるんじゃないかと思いますけれども、そこら辺あたりで、本当にメリットというのはどの辺にあるかなということをひとつお願いしたい。
  46. 中山正暉

    中山国務大臣 私は、どこか本当に画期的な移動という形で新しい首都機能を移しますと、日本列島の、先ほどちょっと申しましたが、過疎市町村が千二百三十もありますし、それから日本は島が大変多くて、六千八百四十七の離島があります。そういう離島の振興にもこれは大変効果的に、がらっと、今までの過疎地域に対する影響というものは大変大きな効果をあらわすんじゃないかと私は思っております。  私も離島が好きでございまして、私は新婚旅行は隠岐島へ行きました。帰りは、先生が勤めておられた三朝温泉に私一泊させていただいたこともございます。ですから、そういう過疎というところは本当にいい自然の資源が残っているところでございますから、その資源を大切にしながら、新しい日本列島本当に体質の改善といいますか、今は東京に向かって道路をつければつけるほど、何かジュースにストローを突っ込んだみたいに全部東京に集中してしまう。これを逆に地方へ押し戻すのは、やはり中心をどこへ移すかという、これが私は大事な日本列島の再生のもとだと思います。
  47. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 三朝温泉に来ていただきまして大変ありがとうございました。もう三十年以上も前のことでしょうから、今は大変な過疎になっております。  そういうことで、本当過疎地の問題というのはやはり考える必要があると思いますし、私自身も、鳥取から今のいろいろ指定されているところに行くのには、鳥取県からは何か不便なことになると思うんです。だから、東京に出た方がとても便利だということがございます。そのことについては、答申が出た後にいろいろ交通網等のことは出てくるとは思いますけれども、もう少し過疎地域のことをやはり十分頭に置いてほしいなと思います。  次に、地震災害対策についてお伺いしたいと思います。  直接にはこの移転について関係ないかもしれませんが、九五年の国会等移転調査会の報告でも、「東京が地震災害の危険に常にさらされている以上、東京の震災対策は移転の有無にかかわらず進められるべきことは言うまでもない。むしろ、移転を契機に東京の防災性の向上につなげていくことが肝要である。」と述べられております。  九八年三月の全国総合開発計画、二十一世紀の国土のグランドデザインの中でも、大規模地震に対する安全の確保がうたわれ、「大規模地震等が発生した場合にも、新都市と東京との同時被災の回避が可能となり、危機管理機能を始め国土の災害対応力が向上するとともに、移転跡地を有効に活用することにより東京の防災性が強化される。」と言われています。  国会等移転審議会の最終候補地選定作業の中でも、十八項目の条件のうち、地震災害の安全性がかなり上位を占めているんじゃないかと思います。  首都機能移転が必要であるという理由にこれが大きく取り上げられているところでございますが、そこで、まず、ちょっとこの移転の是非はさておいて、現時点において長官は、首都東京の災害対応力、とりわけ地震災害に対する対応力をどのように見ておられるのか、基本的な認識をお聞かせいただきたいと思います。  ちなみに、東京都では、移転するよりも、安全、安心の町づくりを進めて、首都東京の災害対応力を強化すべきだとする、このパンフレット等にも書いておられますけれども、とりわけ木造密集市街地における防災町づくりを重点的に進めておられるようです。  まず、基本的な認識についてちょっとお願いします。
  48. 中山正暉

    中山国務大臣 大正十二年の九月一日というのは関東大震災がありまして、九万人ぐらいの死者とそれから四万人ぐらいの行方不明者が出ております。大変な災害があったわけでございます。  ですから、東京は、あれは海溝型、いわゆるトラフ型の地震であったわけでございますが、今は直下型の地震というのが懸念をされております。これは、地震があるとかないとかをはっきり言うのは自信がないわけでございますけれども首都東京を初めとする南関東地域において直下型地震発生の切迫性が指摘されているということは今申し上げたとおりでございます。  それで、地震に強い南関東地域の形成を図ること、地震危険性の特に高い地域についての対策を講じること、それから南関東地域の集積する特殊な機能に対する、特殊な機能というのは金融とか証券とか行政機構でございますね、そういうものにどう配慮を行うかということが、基本方針を定めて対策を今講じているところでございます。  特に、自然災害の責任を持っておりますのが国土庁でございますから、具体的には、東京都の地域防災計画に基づきまして、地震に関する地域危険度の測定調査、直下地震の被害想定の実施とか、住宅や道路などの構造物、施設等の耐震性の向上、公園とか緑地等のオープンスペースの確保や密集市街地の再編、それから防災の町づくり、そういうものを心がけてまいりたい、かように考えております。
  49. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 一口に大規模災害とか地震災害と言っても、その規模や想定の条件は違いがあると思います。阪神・淡路大震災で、御案内のように六千三百八人もの死者と四万三千百七十七人もの負傷者が出ました。  東京の地震被害想定では、八八年八月に国土庁が出されたものを見ますと、死者六万四千人、負傷者八万二千五百人、全半壊十七万棟、焼失面積三百二十八ヘクタール、焼失棟数百七万棟、その他都市機能阻害、電気とか水道、ガス、電話等が幾らということが出ております。  その一方、九一年の九月に東京都が出された被害想定では、死者が九千三百六十八人、負傷者は重傷二万一千人、それから軽傷十二万六千人、全半壊は木造で十三万三千棟、全種類で十五万五千棟、焼失面積が二百二十五ヘクタール、焼失棟数が六十三万棟、そういうようなことが出ております。その前提条件が違うと言えば言えますけれども東京都の被害予測の方がおおむね低いように思います。  そこでお伺いいたしますけれども、阪神・淡路大震災クラスの規模の地震が東京で起きたと想定するときに、この国土庁の八八年の地震予想をどのように見られるか、そこら辺をちょっと政務次官にお願いします。
  50. 増田敏男

    ○増田政務次官 お答えをいたします。  災害に御心配をいただいてありがとうございます。長いこと消防に関係しておりました。したがって、心から敬意を表しながら答えてまいります。  先生がおっしゃいましたように、国土庁が調べたのはプレートによる地震です。一都三県を調べました。東京都は直下型の地震を、たしか二カ所にわたって調べたんだと思いますが、東京の中で起きた場合、例えば直下型がここで起きた場合、多摩で起きた場合、そういうふうな調査の結果を数字にしたものであります。  したがって、前提条件が全く違いまして、先ほど先生がおっしゃられましたのは、まず国土庁の場合、これは冬の平日午後五時、この時点に起きた場合の死者が十五万人、それから焼失家屋が二百六十万棟というのがプレート地震、一都三県であります。  そして、先生がやはりおっしゃいましたが、東京都の想定でありますが、やはり同じマグニチュード七クラスの地震ということで、冬の平日六時です、東京都は六時。そして、死者が九千人、焼失家屋は六十三万棟、こういうふうになっています。  国土庁はどういう対応をしているか、こういうお尋ねでありますが、こう言うとなんなんですが、東京都の調査の結果も十分尊重しながら国土庁の、時点が違いますから、それらをしっかりかみ合わせて対応していこうというので、現在、緊張の中で進めているところであります。  以上です。
  51. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 大変御丁寧にお答えいただきまして、ありがとうございます。  時間が来ますけれども、もう一点だけお願いします。  実は、新聞報道によりますと、最終候補地の絞り込みを行った十一月三十日の国会等移転審議会に、審議会委員で元国土事務次官の下河辺淳さんでしょうか、栃木県の那須塩原、静岡県の浜名湖、滋賀県の琵琶湖の三地区を候補地とした第一期国会都市を建設する独自案が提案された報道がなされております。  この下河辺案は、詳しくはわかりませんが、千から千五百ヘクタールの土地に人口一万から二万人規模の国会都市を建設し、当面は今の国会と併用する、移転する行政関連施設は首相官邸それから内閣官房、内閣府、防衛庁などで、他の省庁は連絡事務所で対応する、単身赴任や通勤型の居住形態となるため今ある都市を活用する、将来は国会都市を中心に複数県にわたって首都機能を配置する、このような考えが述べられておりますけれども、これは一種の分都ではないでしょうか。この下河辺案について長官はどのように見ておられますでしょうか、御見解を賜りたいと思います。  私は、これは、一括移転なのか、いや、分都方式でいいのではないかとの考え方がどうも審議会の中でもまとまっていないのではないかと思われるのですが、どうでしょう。この時期に、移転中身が決まらないうちに移転先だけが議論になったということがあったのじゃないかと思いますけれども、それを。
  52. 増田敏男

    ○増田政務次官 お答えを申し上げます。  時間切れですから簡明に申し上げますが、下河辺先生は、現在、審議会委員であります。そして審議会は、新聞で見る限り、直接の報告ではありませんが近々結論が出ます。したがって、内容にわたっての議論は、これがどうだった、こうだったは私は控えるべきだろう、こう思います。  それから、先生がおっしゃいました分都論の中で、国の立法、行政、司法、この三権の中枢の機能はというようなことから、御発言の趣旨等は私も若干承知いたしておりますので、もうちょっと時間をいただきたい、こう思います。ありがとうございます。
  53. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 どうもありがとうございました。終わります。
  54. 井上一成

    井上委員長 これにて質疑は終了いたしました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午前十一時三十三分散会