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伊藤(茂)
委員 まず、
沖縄のことでお伺いをいたします。
けさ方、
沖縄政策協議会が開かれたということでございまして、先ほど報道を見ておりましても、
稲嶺知事の方が、苦渋の念を込めながら、受け入れざるを得ないという
気持ちを述べたとか、新しい協議機関を設置するとか、今後の振興策についての希望や
意見交換があったとかいうふうなことを伺っております。
日米共同宣言それから
普天間問題、SACO、これらの経過、
外務大臣御承知のように、一定の時期は私
どもが連立政権の時代でもございまして、いろいろなかかわりを持ち、いろいろな
議論もし、また米側ともいろいろな
意見交換などをしたことをいろいろと振り返るわけでありまして、同時に、いろいろな意味で非常に重要な段階に入ったというふうに思います。年内、あるいは来年の
沖縄・九州サミットまでどういうふうに持っていけるのか、大変な苦労をみんながしなければならぬ
状況だなというふうに思うわけでございます。
沖縄問題につきましては、
防衛庁、
施設庁、
開発庁など、さまざまの役所がかかわってまいりますが、特に
外務省の責任にかかわる分野について幾つかお伺いをさせていただきたいと思います。
一つは、今大きな
課題である
普天間の移転の問題でございます。
私は、この問題につきましては、前から、二つ注目している文書がございまして、
一つは、九八年三月に、
アメリカ連邦議会会計検査院、いわゆるGAOの報告、費用のことや何かいろいろと述べていることがございます。しかし、この問題は、特に
施設庁が
関係する部面が多いので、きょうはそれは取り上げません。
もう
一つの問題は、一昨年の秋、九七年の九月二十九日でしたが、国防総省がまとめました「
普天間海兵隊航空
基地の移設のための
運用条件及び
運用構想最終答申」という文書がございます。
それを読みますと、非常に懸念される中身が幾つかポイントがございまして、
日米間の今後の交渉の中でも、腰を据えてどうするのかということではないだろうかというふうに思います。
ガイドラインの審議に参加しているうちに、山ほど資料があって、どこかにファイルにあったものをとじ込んじゃって見つからないものですから、
調査室にお手数をかけまして全部英文の原文をまた手に入れまして、ざっと目を通してみました。一、二点だけお伺いをさせていただきたいというふうに思います。
この中にこういう部分がございます。中身は詳細な非常に長いレポートになっておりますが、その中に「構造設計上の要求
条件」とございまして、その中のaというところに総括的な試案が書いてございまして、「SBF」、海上施設ですね、「および全ての関連構造物は、四十年の
運用寿命、二百年の疲労寿命に耐えるよう設計されなければならない。構造設計基準は、応用可能な基準に従って
日本政府が
開発し、米国の承認を得なければならない。」英文では「シャル・ビー」という表現になっております。また、その他SBFに関連をする施設ですね、メンテナンスとかいろいろなことがございまして、その部分を見ましても、その部分についての設計寿命につきましても、「最低でも四十年間の
運用寿命とする。」それらを「明確に立証しなければならない。」という文書がございます。
先ほど、冒頭の部分でしたか、
外務大臣の御
答弁の中に、我々は
日本の
外務省であり、私は
日本の
外務大臣であるという
お話がございました。何も孤立主義という意味じゃなくて、いい意味でのやはり誇りある
日本の一員として我々も
努力をしなくちゃならぬ、
気持ちは私も共通でございます。
稲嶺知事が十五年ということを出されておりまして、きょうの
沖縄政策協議会の後でも、十五年ということは捨てられませんという意味のことをおっしゃっておられるということでございます。
私は、このペンタゴンの報告で言う四十年とか二百年が、五年、十五年か十三年したら返しますから、平和的ないい空港として末永く使ってくださいという意味での四十年ならまだわかるんですが、この内容はそんなトーンでは全くございませんで、すべて軍事的なレベルから、軍事的な視点からの必要性ということを述べているわけであります。これは、米側、言うならばペンタゴン側の
要望ですね。あるいは、
海兵隊の要求としてはこういうことになるということの表現でございましょう。これは国防総省としての態度になるというわけでございます。
そういたしますと、
稲嶺知事が言っておられる、私は稲嶺さんと立場と
考えはちょっと違いますけれ
ども、それにしても、
稲嶺知事が現在強く希望をしておられることとこの
関係というものについて、腰を据えた
議論、あるいは、表現は余りよくないんですが、私
ども、昔
沖縄復帰闘争の当時には、小指の痛みは全身の痛みということをよく申しました。
沖縄を小指に例えることは失礼な表現かもしれません。しかし、
沖縄の仲間も含めて年じゅうそういうことを言われたのでございまして、やはり、同胞の一員としての、また大事な一部としてのそういう
気持ちを含めた
対応をしなければならないというふうに思いますが、まず、これが読み直してみて非常にひっかかる点なので、どうお
考えでしょう。