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1999-03-09 第145回国会 参議院 予算委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年三月九日(火曜日)    午後一時開会     ─────────────    委員の異動  三月八日     辞任         補欠選任      市川 一朗君     佐藤 昭郎君      岩井 國臣君     森下 博之君      狩野  安君     三浦 一水君      金田 勝年君     森山  裕君      斉藤 滋宣君     中川 義雄君      松谷蒼一郎君     鈴木 正孝君      溝手 顕正君     佐々木知子君      齋藤  勁君     円 より子君      加藤 修一君     海野 義孝君      須藤美也子君     橋本  敦君      田  英夫君    日下部禧代子君      山崎  力君     田名部匡省君      島袋 宗康君     佐藤 道夫君  三月九日     辞任         補欠選任      江田 五月君     小川 敏夫君      和田 洋子君     広中和歌子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         倉田 寛之君     理 事                 鴻池 祥肇君                 竹山  裕君                 林  芳正君                 矢野 哲朗君                 今井  澄君                 平田 健二君                 山下 栄一君                 笠井  亮君                 大渕 絹子君     委 員                 大野つや子君                 岸  宏一君                 佐々木知子君                 佐藤 昭郎君                 鈴木 正孝君                 常田 享詳君                 中川 義雄君                 長谷川道郎君                 三浦 一水君                 森下 博之君                 森山  裕君                 依田 智治君                 吉村剛太郎君                 若林 正俊君                 海野  徹君                 小川 敏夫君                 郡司  彰君                 内藤 正光君                 福山 哲郎君                 円 より子君                 柳田  稔君                 海野 義孝君                 高野 博師君                 浜田卓二郎君                 小池  晃君                 小泉 親司君                 橋本  敦君                 照屋 寛徳君                 入澤  肇君                 月原 茂皓君                 奥村 展三君                 田名部匡省君                 佐藤 道夫君    事務局側        常任委員会専門        員        宍戸  洋君    参考人        前大蔵省銀行局        長        山口 公生君        元大蔵大臣官房        金融検査部長   中川 隆進君        前日本債券信用        銀行頭取     東郷 重興君        日本生命保険相        互会社代表取締        役副社長     名原  剛君     ─────────────   本日の会議に付した案件 ○平成十一年度一般会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十一年度特別会計予算内閣提出衆議院  送付) ○平成十一年度政府関係機関予算内閣提出、衆  議院送付)     ─────────────
  2. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ただいまから予算委員会を開会いたします。  平成十一年度一般会計予算平成十一年度特別会計予算平成十一年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題とし、参考人、前大蔵省銀行局長山口公生君、元大蔵大臣官房金融検査部長中川隆進君、前日本債券信用銀行頭取東郷重興君及び日本生命保険相互会社代表取締役社長名原剛君に対し、質疑を行います。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席をいただき、ありがとうございます。  当委員会は、目下、平成十一年度総予算三案の審査を行っておりますが、いわゆる日債銀再建問題をめぐり、広範な質疑がなされております。  当委員会といたしましては、金融行政の根幹にかかわる重要な問題であり、関係者出席を求め、事実関係をただすことが必要であると判断し、本日、皆様方にお越しいただいた次第であります。  参考人におかれましては、招致の趣旨をお酌み取りいただき、御存じの点を率直にお話しくださるようお願いいたします。  また、委員質疑時間が限られておりますので、答弁質問趣旨に即し、的確かつ簡潔にお願いいたします。  それでは、これより質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 林芳正

    林芳正君 自民党の林芳正でございます。  本日は、四人の参考人皆さん、本当にお忙しい中、この委員会出席をしていただきまして、ありがとうございました。  今まで、この日債銀の再建問題につきまして、衆議院の方で議論が行われてまいりました。また、本院でもいろんなところで議論があったわけでございますが、これを私、ずっと今まで拝聴しておったわけでございますけれども、どちらかといいますとミクロ的な議論といいますか、我々、立法府の委員会でございますから、今までどうしてだれが何をしたということも大変大事でございますけれども、それを今後の立法、また制度をつくっていくというところにどう生かしていくのか、こういう視点でもう少しマクロ的な議論をしていかなければならないのではないか、こういうふうに思っておったわけでございます。  いわゆる奉加帳をどうした、またあのときもう少し知っていたのに言わなかったではないか、そういう議論だけではなくて、むしろ、金融行政における危機管理というものは一体どうあるべきか、こういう問題を基本に置きながら、それに資するという意味参考人皆様に事実をお話しいただきたい、こういうふうに思うわけでございます。  御案内のとおり、ビッグバンが進行しておりますから、昨今では、昔の護送船団で一行もつぶさないという方がコストが安かったのではないか、こういうような議論も一部ではあるようでございますが、これはもうそういった昔のユートピアに今さら返るということは我々できないわけでございます。新しい時代に対応して行政というものが危機管理をどうやってやっていかなければいけないのかというのは、我が国がいわば体験をしたことのない未体験ゾーンでございまして、それを今から考えていく上で、私は、この日債銀の再建問題というのは一助になる、こういうふうに思っておるわけでございます。  また、今議論をされておりますいわゆる財金分離問題といいますか、金融行政をどうしていくのかという問題につきましても、財金というよりも、検査監督というものがどういう関係になければならないのかという意味で、大変に大きな示唆に富むケースだと、こういうふうに思っております。そういう認識を持った上で聞いてまいりたい、こういうふうに思っておるところでございます。  日債銀は、御承知のとおり長期信用銀行として戦後の日本経済産業金融を通じて支えていただいたわけでございまして、この点は皆様と同じく私も高く評価したい、こういうふうに思っておるところでございます。  ただ、バブル発生前後から経営がやはりおかしくなってきた、これは歴史的な使命がだんだん終わりに近づいてきた、ある意味ではそういうことが言えると思いますけれども、それと同じくしてバブル発生したために、その狭くなってきた自分の分野をバブルの方に求めてしまった、いわゆる証券市場の成長につれて産業金融の役割が後退をしてきました。  そこで、企業は長期資金調達を自前でやるようになったわけでございますが、その中でやはりこのバブル状況と相まって貸し出し市場の確保に走り、結果として高いリスクをとって資金運用をせざるを得なくなった、こういう状況がある、これはある意味では歴史の必然ではないか、こういうふうに思っておるわけでございます。  そこで、まず山口参考人にお伺いしたいわけでございますが、そういった歴史的な背景の中で、平成九年の初めには日債銀はマーケットに追われるような格好で経営再建策を打ち出すことになったわけでございますが、そのときにいわゆる監督行政当局と御相談したということでありますが、どのような御指導や御助言を行われたのか、まず山口参考人にお聞きしたいと思います。
  4. 山口公生

    参考人山口公生君) お答え申し上げます。  当時、日債銀で最大の問題となっておりましたのは、関連ノンバンク三社というものが大変重荷になっているということだったと記憶しております。それに伴いまして、日債銀が出しております金融債、これが非常に売れ行きが悪いという状況資金繰り的にも行き詰まるということが市場で言われておりました。  したがって、私どもといたしましては、それは銀行自身最大限努力をしていただく必要がありますけれども市場日債銀認識を大きく変えることをやってもらわなければこれはだめだろうという感じも持っておったわけでございますが、そういった思い切った自助努力措置を考えるべきではないかというふうに同行の経営陣にお伝えしていたという記憶がございます。
  5. 林芳正

    林芳正君 いわば当時は今と大分我々の常識もまた異なっていた。この二年間に本当に大きな変化が起きたなと改めて振り返って思うわけでございますが、当時はいわゆるマネーセンターバンクというものはよっぽどのことがない限りつぶさないんだということがいわば所与の前提としてあったわけでございまして、行政としては、今お聞きすることによりましても、そういう前提に従っていろんな改革をやって、とにかく生き延びてもらいたいというようなことで行動されたということでありましょうが、今から考えてみると、それはある意味では行政の範囲を超えて経営の中まで入っていったというようなことがなかったかどうか、山口参考人の御意見をお伺いしたいと思います。
  6. 山口公生

    参考人山口公生君) 当時、主要行につきましては金融機能を維持する、これはやはり国際的な観点からも大変大事なことでございますので、そういうことを申し上げておったと思います。それが、マネーセンターバンクというものはつぶさないんだというふうに言っていたわけではありませんが、世間一般にはそういうふうに受け取られておったというふうに覚えております。  ただ、これは政府としてそういう意思を持ってはおりましたけれども、あくまで民間金融機関そのもの経営に責任を持っておるわけでございますので、まずは自助努力でそこを切り抜けていただかなければならないということが基本だと思います。  確かに、おっしゃるように行政というものの限界というものがございます。ただ、その限界はありますけれども銀行そのもの自助努力で可能な再建策というものをつくれば、それはやはり全力でもってそれを支援してあげるということが、今申し上げた金融機能を維持していくということにつながるんではないかというような認識だったというふうに記憶しております。
  7. 林芳正

    林芳正君 そういうことだろうと思うわけでございますが、先ほど申し上げたとおり、これは平成九年の四月ですからもう二年も前のことでございまして、このときは今のように金融再生法健全化法というものはなかった。セーフティーネットというものも全くないような状況でそういうことをされたということでございまして、今とどういうふうにそのセーフティーネットがなかったということが違ったのか。  また、当時あらゆる努力を払っても日債銀が破綻してしまった場合はどういうふうな状況が予見されたか、どういう御認識だったかを山口参考人にお伺いしたいと思います。
  8. 山口公生

    参考人山口公生君) 当時のセーフティーネットは、現在のセーフティーネットとは大分違っております。  若干説明をお許しいただきたいと思うのでございますが、預金者の保護という意味でのいわゆる金融三法、附則でもって預金一千万を超えても保護し得るという措置は、既に八年六月の住専の国会のときに成立させていただいたと思います。ただ、その後に、公的資金として破綻処理のために十七兆円というセーフティーネットをつくっていただきました。これは、去年二月の預金保険法の改正ではなかったかと思っております。さらに、受け皿銀行が見つからない場合のブリッジバンクとか国有化というような法律は昨年の十月でございます。さらに、健全化のための二十五兆円という公的資金の注入も昨年の十月でございます。  それを振り返ってみますと、当時は金融三法はありました。しかし、そのときの議論は、まだ公的資金がございませんので、まず金融債について保護されないのではないかと。それは、保険対象になっているのは預金であって、金融債は入っていないんだという議論がありました。国民の皆様に誤解なきようにお願いしたいと思いますが、今は保護しますということでしっかりそこは保護されておりますので御心配は要りませんが、当時としてはそういう議論がございました。  あわせて、先ほど申し上げた受け皿受け皿銀行というものが見つからない場合には、せっかくの金融三法の資金の援助という、全額保護しますというものの、支援する受け皿の先がないわけでございます。したがって、受け皿銀行が見つからないときはせっかくの金融三法の発動が有効に働かないという状態でありました。  したがって、仮に先生が今おっしゃいました日債銀がずっと放置をされまして、再建可能であるにもかかわらず、例えば資金繰りで行き詰まってどうしようもなくなったということになりますと、それは実は受け皿が、あの当時二十五兆円の規模銀行でございますので、なかなか見つからないと。  そうしますと、まず一番すぐに影響が出たと思いますのはインターバンクの貸し借りのところだと思います。インターバンクがまずは急激な収縮を起こしたと思います。そうしますと、日債銀のみならず相当数銀行影響を大きく受けたと思います。連鎖倒産もあったかもしれません。  それからもう一つ、海外での取引海外では日本銀行ドル調達をしております。そのドル調達が非常に難しくなる。そうすると、海外ドル調達ができないということは、これは日本銀行が倒産する、つまり行き詰まってしまう、資金繰りで倒産するということがあるということなんです。  そういうことを考えてみますと、やはり他行への連鎖倒産等を考えましたときに大きな影響がある。なおかつ、日債銀取引先が一瞬のうちにそのメーンバンクがなくなってしまう。こういう状況であったというふうに、当時のセーフティーネットを思い返したときに感ずるわけでございます。
  9. 林芳正

    林芳正君 ありがとうございました。  金融債については、たしか委員会で、私は当時の山口局長に、これは預金保険対象になるのかと二年前に御質問差し上げた記憶を今よみがえらせておったところでございますし、インターバンクにつきましても、RTGSを早くやらなきゃいけないんじゃないかというようなことを御質問差し上げた記憶がございます。そのときと比べますと、今は金融三法も成立しましていろんなセーフティーネットができてきた。この二年間で随分変わったものだなと思うわけでございます。  そこで、名原参考人にお伺いしたいのは、日本生命さんは当時もそして現在も日本金融機関代表でいらっしゃるわけでございまして、その一挙手一投足、金融すべての方が注目をされておられるわけでございますが、そのお立場で当時の、こういった主要行といいますか、マネーセンターバンクはやはりつぶさないように最大限努力をするという政策についてどういうふうに見ておられたか、率直にお聞かせ願いたいと思います。
  10. 名原剛

    参考人名原剛君) マネーセンターバンク金融システムの中核をなすわけでございますから、万が一のことが発生をすれば、それは国際的にも国内的にも、あるいは消費者というような面でも大変影響が大きく、これを支える金融政策というものは行政立場として当然に必要であったというふうに存じます。
  11. 林芳正

    林芳正君 ありがとうございました。  まさに二年前を思い出して、当時はいわゆる金融セーフティーネットというものが、全くないとは言えないにしても、非常に心もとない状況だった、その中でとり得る具体的な政策というのは非常に狭かった、こういうことが思い出されてきたわけでございます。こうした状況の中で日債銀再建計画が打ち出され、その一環として増資ということにつながっていくわけでございます。  そこで、東郷参考人にお伺いするわけでございますが、まずこの増資総額をどういうふうにしてお決めになったのか、またその要請先をどういうような基準でお選びになったのか、お聞かせ願いたいと思います。
  12. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 一昨年の四月一日に私ども経営再建策を発表いたしまして、その中で非常に重要な部分増資計画でございました。  最初の御質問増資総額についてでございますが、私ども経営再建策の中で海外業務から撤退をするということを表明しておりましたけれどもマネーセンターバンクとして市場取引を円滑に行っていくためには、国内の自己資本比率基準である四%を超える六、七%の自己資本比率が必要と考えまして、それを満たす総額どの程度の増資が必要かということで総額を決めました。  増資要請先については、新金融安定化基金のほか上位の株主銀行さん、それから私どもと同業態であります債券発行金融機関、あるいは劣後ローンを私どもにお出しいただいていた生命保険損害保険関係の深い皆様方に御協力をお願いすることになったと聞いております。
  13. 林芳正

    林芳正君 今おっしゃっていただきましたけれども、その中でも特に新安定化基金、いわゆる日銀が含まれておるわけでございまして、この増資要請はどなたの発案で、どなたが実際に要請をされたか、お伺いしたいと思います。
  14. 東郷重興

    参考人東郷重興君) ただいまの新金融安定化基金、いわゆる日銀への増資要請ということでございますが、この部分につきましては、私ども増資計画を御当局皆さん相談をさせていただきながら検討を重ねる過程で出てきたアイデアというふうに認識しております。日債銀の側から出てきた案ということではなかったと聞いております。  また、実際の要請につきましても、当時の大蔵大臣談話にもございましたけれども大蔵大臣から日本銀行になされたものと承知いたしております。
  15. 林芳正

    林芳正君 そこで、山口参考人にお聞きするわけでございますが、今お聞きになられたように、この日銀増資要請、これは御当局といろいろと調整の上で、最後大蔵省も一緒になってということでございましたが、これは事実だと考えてよろしいでしょうか。そして、大蔵省内のどのレベルでこの判断をされたのか、山口参考人にお伺いしたいと思います。
  16. 山口公生

    参考人山口公生君) 日債銀自身再建策ができまして、そこで政府日銀として何ができるのかということを真剣に考えたわけでございます。  まずは、増資要請するというような日債銀努力に加えまして、さらに資本を厚くしないとせっかくの再建策が本当に市場で信認を受け金融債発行等が順調にいくかどうかということが懸念される状況でありますので、より資本を厚くするという観点から、日銀とも御相談をいたしまして、金融システム安定に使うという目的で住専最後の段階で設立されました新金融安定化基金、こういうときのために基金を一千億積んでおくというのがありましたので、それを使ってそういう趣旨を実現しようと。それを九年四月一日の大蔵大臣談話においても発表し、同基金及び日銀要請をいたしたわけでございます。
  17. 林芳正

    林芳正君 こうした日銀を初めとする多数の金融機関増資要請を打ち出されたのが平成九年四月だったと思いますが、そのときに大蔵省日債銀金融検査を実施されました。検査結果を世間が、特に関係者はかたずをのんで見守っていたわけでございます。  そこで、そういう状況でございますから、検査実施の前に検査担当部局監督部局である銀行局打ち合わせを行ったのか、どのようなことをお打ち合わせになったのか、まず山口参考人にお伺いしたいと思います。
  18. 山口公生

    参考人山口公生君) ちょっと御答弁を申し上げる前に、先ほど日債銀規模を二十五兆と申し上げたようですが、これは十五兆の規模で、申しわけございません、訂正させていただきます。  今のお尋ねでございますが、九年四月一日の経営再建策の内容、それから資金繰り状況等担当の課の方から検査班検査に出かける人たち検査の着手前に説明をしたというふうに伺っております。
  19. 林芳正

    林芳正君 それでは、中川参考人にお伺いをいたしますが、当然のことながら参考人日債銀と当時の金融システム状況はよく御存じ立場にあったわけですから、この日債銀検査を実際に実行されるに際して、どのような方針で臨まれて、また実際に検査をやられる部下の方にどういう指示を出されたのか、お伺いしたいと思います。
  20. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えを申し上げます。  今、山口参考人から話がありましたが、当時、銀行局からも日債銀の置かれている状況についていろいろ報告を受けておりまして、検査に出ます前には検査官と打合会というんでしょうか、準備会をするわけでございますが、その際私からは、今ありましたような日債銀経営再建策状況等をよく把握して臨むようにということは当然でございますけれども日債銀検査自身いわゆる総合的な検査というか、全体を見る検査でございますから、通常の検査はそうでございますけれども、特に長期信用銀行の場合は、金融自由化の中でそうした長期信用銀行としてどういうふうに経営をしていくのか、あるいは全体的にリスク管理内部管理といったものがどういう状態にあるのかというのをきちっと全体的に実態把握をしてきてほしいと。一般的ではございますけれども、そういう指示をしたというふうに記憶をいたしているところでございます。
  21. 林芳正

    林芳正君 日債銀再建策を発表される前に大蔵省日銀が、平成九年三月ぐらいだと思いますが、時間的には短かったようでございますが、プレ検査といいますか、実地の検査を行っておられたということでございますが、このプレ検査のときの認識としては、日債銀債務超過であるという認識はなかったのかどうか、中川参考人にお伺いします。
  22. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  今、委員からプレ検査というお話がございましたが、実は金融検査部としてはその時期にプレ検査といったものは私はやっていなかったというふうに承知をしております。  銀行局日債銀自己査定状況をチェックされたということは記憶しておりますが、そういう状態であったかと思いますので、山口参考人から御答弁いただいた方がいいのではないかなという気がいたします。
  23. 林芳正

    林芳正君 それでは、山口参考人にお聞きしますが、銀行局の方の自己査定状況、そのときにあわせてちょっと山口参考人にお聞きしたいのは、衆議院のやりとりを見ておりましても、公認会計士が債権を一本一本洗っておったから、これを信じて御判断をした、こういうことであろうと、当時はルールがなかったということでありますから。  例えば第Ⅲ分類のところに全く償却をしていなくて、これは公認会計士の方でいいと言ってきたら、監督当局としてこれはおかしいんじゃないですかと言えなかったのかなという疑問が残るわけでございまして、この貸出金の償却の適否というものを見ておられなかったのかということをあわせて山口参考人にお伺いしたいと思います。
  24. 山口公生

    参考人山口公生君) まず、プレ検査という先生お言葉を使われましたが、再建計画をつくる前の段階で、数日かけましてこれは銀行局の方で自己査定の適切性を一応チェックしております。そうしませんと、その後の話を進めていいかどうかというめどが立ちませんので、そういうことをやったわけです。そのときも債務超過ではなかったというふうに思っております。  それから、償却・引き当てというものについてのお尋ねでございますが、当時のルールを申し上げますと、債権一本一本についてどういうふうに償却を引き当てするかということは専門家である監査法人と相談して決めるということでございましたので、その監査法人が実はその三月の時点でよく自己査定を見ております。それで、現実にそれを見た上で引き当てるべきものは引き当てております。  したがって、私の記憶では、三月の時点では、五千億を超える償却・引き当てを既に済ませた、その後でなおかつ一千億程度の資本が残るから、これは資本充実するとか、ほかの自助努力をするということで再建が可能だというふうに銀行認識しておったし、私どもとしては、公認会計士がそこまできちっと見ておるわけでございますから、それを尊重するということで、そういうルールに基づいて判断をしたわけでございます。
  25. 林芳正

    林芳正君 一番そこが衆議院でもポイントになっておったようでございますが、今公認会計士がきちんとというふうにおっしゃったということは、きちんとやっていなければ指導があり得べしということで適否を判断されるということだというふうに思うわけでございます。  まさにそういうようなルールが当時はっきり決まっておらなかった。衆議院の方でも、たしか西川委員だったと思いますが、資料をお出しになって、余りお使いになられていなかったようですが、当時のルールと、今まだ最終的に確定しておりませんが、検査マニュアルということを比べてみますと、その辺も随分整備をされてきたな、こういうふうに思うわけでございます。  そこで、世間が大変注目しておった検査でありましたから、検査の結果によっては重大な事態が起こる可能性が大変強い重大な検査であったという認識を持たれておった、こういうふうに思うわけでございます。今、自己査定について銀行局の方でやられた、プレ検査という言葉を私使いましたけれども検査をやっていくうちにそれとちょっと違うんではないかということが検査中にわかってくれば、当然これは関係部局と協議をしていくものだ、こういうふうに思うわけでございます。これはもういろいろ議論されているところでございますが、Ⅲ分類は四千七百が七千、そして最後は一兆一千億、どんどんとふえていくわけでございまして、中川参考人は実は任期が途中で切られておって、ちょうど中途半端なところにおられたわけでございますが、次の方にどういう引き継ぎをしたかという点も含めて、これがだんだん膨れてきちゃうと債務超過のおそれも出てくるわけでございますから、どういうふうにその時点で連絡協議をされておられたのか、中川参考人にお尋ねしたいと思います。
  26. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  私の記憶では検査に入りましたのは四月中旬でございました。検査の示達というか終わりましたのは九月でございましたが、今、林委員御指摘のように、私は実は七月のちょうど真ん中ぐらいでございますが、人事異動で検査部長を交代いたしたわけでございます。  したがいまして、申し上げられますのはその間の状況ということになってしまわざるを得ないわけでございますけれども、私の在任期間中はまだ本当に検査途中という状況でございました。検査のことを、そのころのことを今申し上げるつもりはございませんけれども検査班、主任検査官以下検査チームが銀行に参りまして、もうずっとそこにかかり切りといいましょうか、現場へ行きましていろいろ金融機関から実態を聞いていろんな資料をとって分析を進めていくわけでありまして、その間、当然その検査の過程でいろいろ検査官の認識も変わってくるわけでございます。  したがいまして、私がかわりました段階ではまだ検査の途中でございましたが、検査の途中の認識検査の途中の段階の数字といいますのはあくまでもどんどん変わっていく段階の状況でございますので、そういう実態を後任によく伝えたというような状況であったかというふうに思っております。
  27. 林芳正

    林芳正君 だんだん数字が変わってくる。確かにこの信用リスクというのは、時々の景気の状況とか相手先の経営状況というのは刻々動いていくわけですから、どこの時点で確定するかというのは大変難しいところだと思いますし、余談になりますが、BISでも信用リスクモデルというのはなかなか何年かかってもできない。難しいところは大変理解はできるわけでございます。  そこで、山口参考人に、このちょうど動いているときに、日債銀がいろいろと増資をお願いして回って、Ⅲ分類を七千億円だというふうに説明して回ったという議論衆議院でもありましたけれども、これをある意味で放置をされたといいますか、特に異議を唱えられなかった、これはなぜそういうことだったかということと、そのときに検査部と銀行局と協議をされたのか、また最終的に一兆一千を超える第Ⅲ分類ということになったわけでございますが、そのときには検査部とどういう協議をされたのか、山口参考人にお伺いします。
  28. 山口公生

    参考人山口公生君) 検査結果が出ましたのは示達の九年九月なわけでございます。その増資要請日債銀がいろいろ数字について御説明をして回っておられた時点では検査の結果というものは判明していないわけでございます。当時、日債銀増資要請先に対して増資要請する一方、逆に要請先からは早く様子を知らせてくれという強い要望が殺到したやに聞いております。  したがって日債銀としては、検査が終わるまでという判断もあったでしょうけれども、何か説明しないと増資計画そのものがとんざしてしまうという危機感をどうも持っておられたようでございまして、そこで日債銀自身が、検査の途中で受けている感触を数字的に自分で積み上げて七千という数字で御説明に回られたと。  私どもとしては、検査で幾らですかと聞かれても、それはまだ全くわからない状態でございますので、日債銀の方でそういう感触で積み上げたということであれば、それは私どもはそうでないと否定する材料もございませんし、またそういう切迫した事情であれば、それはやむを得ない行動であろうというふうに思ったわけでございます。  検査部とそのとき協議したかというお尋ねでございますけれども検査はまだ途中でございますし、まだ検査に行って現地でいろいろやっている段階でございますので、全くそういったことはやっておらないというふうに思っております。  それから、一兆一千の最後の数字のときは、示達のときの附属資料に検査結果というのが載っておりますので、その時点ではⅢ分類が一兆一千ということが相手方にもきちっと伝わっているわけでございますけれども、私どもとしては、検査部とそれでどうこうということではなくて、分類というものと償却・引き当てというのは別問題でありますから、財務内容がよほどそれで変化があれば別ですけれども、そういうことは、検査検査としてきちっとやっていただくということだったんではないか、そういうふうに思っております。
  29. 林芳正

    林芳正君 まさにおっしゃるように、その分類と引き当てとリンクしていなかったという当時のシステムが今と比べると大変に心もとない状況であったというのがよくわかるわけでございます。  そこで名原参考人にお伺いしたいわけでございますが、こういうちょっとよくわからない状況を、実際にお金を出す方、増資要請されておられたわけですから、どう見ておられたか、お伺いしていきたいと思うわけでございます。  日債銀からの増資要請と並行して、大蔵省からも要請といいますか、説明会というものがあったとお伺いしておりましたが、そういう事実があったかどうか、またどういうふうにその説明を受けとめられておられたのか、まずお伺いしたいと思います。
  30. 名原剛

    参考人名原剛君) 御指摘のように、大蔵省からも強い要請がございました。また、私ども大蔵省があえて乗り出しておられることは重く受けとめました。
  31. 林芳正

    林芳正君 四月一日に三十四社お集めになったということだったと思いますが、大変重く受けとめられたということでございまして、日債銀がその後、今申し上げましたように、回収に懸念のある債権が大体七千億ほどあると説明してこられたときには、大蔵省にその事実を確認されましたでしょうか、そしてどういう意図でその確認をされたのか、名原参考人に伺います。
  32. 名原剛

    参考人名原剛君) 七千億という数字でございますが、この数字は、五月十九日に当時の東郷常務からお電話をいただきまして、その中でお聞きをしたものでございます。あわせてその中で、大蔵省検査はまだこれから続くけれども、資産査定の結果についておよそ見通しがついたというような旨のお話もございましたので、大蔵省に改めて確認するような必要は感じませんでした。大蔵省に確認することはしておりません。
  33. 林芳正

    林芳正君 五月十九日にお電話があったということでございますが、今回、名原参考人においでいただいたのは、この確認書というものが資料として提出されたということからであったわけでございます。これは五月三十日の日付になっておるわけでございまして、そうしますとこの確認書を取り交わしたという目的でございますが、なぜこういう確認書をおつくりになったのか、お聞かせ願いたいと思います。
  34. 名原剛

    参考人名原剛君) 私どもは、当時の新聞報道等でも御承知のとおりだと思いますが、支援策のスキームだとか内容等につきまして、問題点は問題点として率直に申し上げました。そしてその後、大蔵省とのお話し合いを繰り返し行いまして、その過程で逐次確認されたことを最終的に文書にしていただいた、これが確認書でございます。  したがって、事実確認の文書でございまして、顧問弁護士からは、経営の最終判断をするに当たっての補強材料、そういうことで必要であるというアドバイスもございまして文書にしていただいたものでございます。
  35. 林芳正

    林芳正君 経営の最終判断をするに当たっての補強材料ということでございますが、それでは逆に、この確認書がいただけないということになった場合には増資には応じられないというふうにお考えになっておられたのか、またそういう場合はどういう事態が招来されたとお考えなのか、お伺いしたいと思います。
  36. 名原剛

    参考人名原剛君) 確認書につきましては、今ほど申し上げましたように、経営判断を補強する材料の一つでございますが、これは事実確認の文書でございます。私どもが支援策に合意をいたしましたのは、合意をすることによって日債銀の破綻を防止し、そしてそれが私どもの総合的な判断のもとで経営の利益につながるという判断のもとに合意をしたわけでございます。  もし応じなければという御質問でございますけれども、一社でも応じなければ支援策は成立をせず、日債銀は破綻に陥るという大蔵省の見解でございましたし、私どももそう理解をしておりました。
  37. 林芳正

    林芳正君 応じなければ日債銀は破綻になって、その場合に金融システム全体についてシステミックなリスク発生をするということは、先ほども山口参考人から御説明があったわけでございますが、その場合に日生さんそのものについてはどの程度の被害が想定されておられましたか、お聞かせ願いたいと思います。
  38. 名原剛

    参考人名原剛君) 当時、仮に日債銀が破綻をしたといたしますれば、私どもがお貸し付けをしていた劣後ローンが毀損するということと、保有しておりました株式も無価値になっただろうと思います。  ただ、破綻の状況によりまして劣後ローンの回収の可能性ということもあり得るわけでございますので、被害の程度といいますか、想定は状況によって異なるというふうに思います。
  39. 林芳正

    林芳正君 そこで、この確認書には大蔵省の方に日債銀の再建が可能であるということを確認しておられるわけでございますが、今おっしゃったように、劣後ローンをお持ちだった、また株もお持ちになったということであれば、日生さんとしてもふだんから日債銀さんとは日常取引があったわけでございまして、それであれば通常取引する相手の審査、信用許容限度というものは大変に念入りにチェックをされておられると思うのでございますが、独自の判断として、大蔵省が確認するしないは別にして、この日債銀が再建可能かどうか、そういう独自の判断というのはそこでなされなかったのか、お伺いしたいと思うんです。
  40. 名原剛

    参考人名原剛君) 私どももそれなりの判断はいたしますけれども、他行のことでございますので立ち入った調査等ができるということではございません。銀行さんが再建可能であるというふうにおっしゃっておるわけでございますから、そういうふうに信じたということと、再建策の実現を推進された大蔵省の判断を確認書で確認させていただいた、そういうことでございます。
  41. 林芳正

    林芳正君 まさに当時の護送船団的な状況というのはよくわかるわけでございますが、もう一つ、確認書には、「追加的な負担を一切求めない。」、括弧の三でございますが、ということが書いてありまして、これもその名あて人が大蔵省と日生さんですから、大蔵省が負担を一切求めない、こういうことだと思うんですが、大蔵省が負担を求めるというんじゃなくて、やはり再建をするのは日債銀でございますから、その辺の主語も今から考えればちょっとおかしな文章だなというふうに思われるわけでございますが、そういう追加的な負担をこういう文書がなければ大蔵省は求めてくる可能性や、そもそもそういう権利があるというふうにお考えになっていたのかどうか。
  42. 名原剛

    参考人名原剛君) 権利云々といいますと大変難しゅうございますが、日債銀のこのケースがまさにそうでございましたように、大蔵省行政立場で支援策をまとめられるという事実はあるわけでございますので、確認をしていただいたということでございます。
  43. 林芳正

    林芳正君 さらに、この確認書には劣後ローンや株式の譲渡先についてのことも大蔵省から確認をとられておりますが、当時、二年前の状況ではこういうことも通常の金融監督行政の範囲であったとお考えであったのか。それとも、このシステミックリスクを含めて非常時であった、非常時であるからこの程度はいたし方ないなと、危機管理として特殊な状況下でこういうことをお認めになったという認識であったか、お伺いしたいと思います。
  44. 名原剛

    参考人名原剛君) 確認書の四項、五項等に関する質問でございますが、この確認書の内容は、ごらんいただきますように、劣後ローンについては劣後ローンとしての契約の趣旨を尊重するという当然のことを文章にしたということでございますし、また株式の譲渡につきましても私どもの自己責任で引受先を見つけた場合ということでございますから、これも当然のことを御確認いただいたというふうに私どもは思っております。  そういう意味では、通常の行政の範囲であったか、それを超えておったのかということについては特段に私どもは意識をしておりませんでした。
  45. 林芳正

    林芳正君 こういう当然であることをわざわざ文章にして確認をとらなければいけなかったということ自体が私は大変に当時のいわゆる護送船団的な行政というものが如実にあらわれているのではないかと。そういう意味で、こういう確認をとらなければそうじゃない扱いがあるかもしれないという状況にあったところが、私は危機管理のあり方としてここまでやるべきかどうかという議論対象になる、そういう意味でお聞きしたわけでございますが、御答弁は結構でございます。  東郷参考人に、ちょっと時間も迫ってまいりましたのでお伺いしたいわけでございますが、増資がもし計画どおりにいかなかったらどうするおつもりだったのか、どうなってしまうのかということをまずお聞きしたいと思います。
  46. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 御承知のとおり、私ども経営再建策の中で増資計画がまさに中核をなすものでございまして、何としてもこれを実現しなければならないというふうに考えておりました。当時、これにかわる手だてとしては大幅な資産圧縮、含み益の吐き出しなどがあったかと思いますが、あの局面で計画変更をすること自体が、一気に信用不安を惹起して不測の事態に立ち入るおそれが非常に強いと。別の計画を立てて同じ金額を調達する可能性があったか、そのことよりも、少なくともあれだけの大きな増資計画が立ち行かない、あるいは変更するということ自体の市場や周囲に対する影響の方を強く感じておりました。
  47. 林芳正

    林芳正君 まさに、当時を思い出しますと、マーケットと戦争といいますか、戦いをやっておったような状況であったと思います。ですから、一たん出したこの計画というものが、今、参考人がおっしゃったように変更になるということ自体がマーケットのえじきになるような状況であった、こういうふうに思い出しておるわけでございます。  そこで、この出した計画を遂行していくしかないんだというような当時の状況、そして最初にお聞きしたように、セーフティーネットはないという状況の中でいろんなお願いをして回ったということでございますが、日生さんについては確認書というものがここにあるわけでございます。そのほかの金融機関につきましては、いろんな形でそういうものがあったという報道もあるわけでございますが、そのことについては山口参考人、いかがでございましょうか。
  48. 山口公生

    参考人山口公生君) 日債銀増資要請いたしました先のうち、大蔵省といろいろやりとりをした、そのやりとりの内容をメモにして欲しいというところが数社あったような記憶があります。ただ、確認書というものは日生の場合だけではないかというふうに思うわけでございます。
  49. 林芳正

    林芳正君 数社あったということでございまして、逆に言えば三十四社のうちそういうものもとられていなかったところもあった、こういうことだろうというふうに思うわけです。  そういう状況の中で、もし日生を初めとした金融機関皆さんが、これはもう勘弁してくれと増資に応じてくれなかった場合は、行政としてどうするおつもりだったのか、山口参考人にお伺いします。    〔委員長退席、理事竹山裕君着席〕
  50. 山口公生

    参考人山口公生君) 実は、増資要請した先は大株主の銀行、それから同じく金融債を発行している銀行、それから劣後ローンという形でかかわりの深かった保険会社であります。したがって、そのほかの方々に増資を求めるというのはなかなか難しい、ある意味では一番身近なところにお願いをするというような計画だったわけです。  もしこの計画が実現できないとなりますと、実は資本金がたまらないというだけじゃありません。こういった計画が一回表に出てそれが実現しないということのマイナスというのはほかの例でもございます。ほかの銀行で私が経験したときも、名前をあえて言いたくはありませんが、せっかくうまくいきかけたけれどもだめだったというので、それをきっかけにどどっと悪くなるケースがあります。市場というのはそういう評価をいたします。したがって、この増資のお願いが実現しなければ、恐らく資金繰りでまずだめになったんじゃないかというふうに思います。それで破綻ということになります。  そうすると、先ほどるる申し上げましたように、余り大げさには言いたくありませんが、他の金融機関連鎖倒産という形で波及したというふうに私は実は内々心配をしておりました。ただ、そういうことは避けられたので、本当に増資に応じていただいたところにはありがたいと私は思っております。  ただ、今の先生の御質問で、もしそれが実現しなかったらどうしたんだということになりますと、もう何としてもこれを実現していただかなければという気持ちがあったわけですが、もし万一のケースでだめだったときというのは、もう危機でございます、金融危機。これは先ほど申し上げたように、日本発の金融危機になるわけでございます。  したがって、そうなったときは危機にどう対応するかというのは、もう法的にも資金的にもあらゆることに対処せざるを得なかったと思います。ただ、時間的にはマーケットとの競争でありますから、かなり余裕はなかったのではないか。そういうものを整える間にかなり我が国経済は大打撃を受けたのではないかというふうに思っております。  したがって、私としては、これ以外にいい策というのはなかったのではないかというふうに今でも思っている次第でございます。
  51. 林芳正

    林芳正君 ありがとうございました。  冒頭に申し上げましたように、当時はこれをやるか、もしくは非常に危機的な状況を招いてしまうか。それが昨年の国会を経ましていろんなセーフティーネットをつくって、今回は特別公的管理という非常にスムーズなやり方にすることができたわけでございまして、この二年間の変化は大きかったな、こういうふうに思うわけでございます。  今の質問と関連して名原参考人に事実関係というよりも御意見をお伺いしたいわけでございますが、御社は増資に同意したわけでございますが、今のようにもしそのときほかのところがやっぱりうちは嫌だよ、こう引っ込んでしまったり、またいろんなところが出す出さないということでがたがたして足並みがそろわない、そろわなければこれは先ほど言ったようにマーケットにも影響して大変なことになるというときに、金融行政当局としてはどこまでどういうことをやるべきだとお考えかどうか、お考えを聞かせていただきたいと思います。
  52. 名原剛

    参考人名原剛君) 行政当局がどうすべきかということを申し上げる立場にはございませんけれども、そういう場合には支援策をまとめるために最大限努力をされるであろうというふうに思いますし、また当時においても大変な御尽力をされたというふうに思っております。
  53. 林芳正

    林芳正君 もう少し忌憚のない御意見をお伺いしたいところでございますが、ここまでの質疑で明らかになったのは、セーフティーネットがないという当時の状況では、やはり関係者皆さんはどうなるか本当にわからないという非常に厳しい判断を強いられていた状況であって、今のこのセーフティーネットがある意味で整った時代と比較しますと、大変に役割が、また責任が重かった、こういうふうに思うわけでございますが、まだいろんな問題点が今日でも残っているということになろう、こういうふうに思うわけでございます。そして、いろいろな質疑で明らかになりましたように、この監督行政とそれから検査関係も非常に重要であるということがわかってきた、こういうふうに思うわけでございます。  最後に、山口参考人に、この監督行政を担ってこられた方として、検査との関係はどうあるべきか、率直なお考えをお聞かせ願いたいと思います。
  54. 山口公生

    参考人山口公生君) 検査監督との関係といいますのは、正確に言いますと検査監督の一環だと私は認識しております。検査監督上のモニタリングというのは情報交換を密にしていく必要があるというふうに考えております。しかし、検査の過程におきましては、検査部局がこれを独立して行って、監督をしている部局はその結果を受けて監督上の必要な措置を講ずるというやり方でいいんではないかというふうに思います。  ただ他方、今後重要性を増してくるのは今度はどういう検査かということになるわけでございます。それは監督と直結するからでございます。したがいまして、検査自身もよりルール化してわかりやすいものにしていく必要があるんではないかというふうに考えます。  それからまた、その検査結果が十年の四月から、これも法律改正をお願いして通していただいたものですが、早期是正措置ということで監督と有機的につながってまいります。先ほどもちょっとお話がありました、引き当ての適切性ということまで検査でも見るというふうになりました。これは早期是正措置が入るからでございます。  そういう結びつきがより強くなってまいりますので、両々相まってこれからの金融行政をよりよい姿にぜひ持っていっていただきたいというふうに思っております。
  55. 林芳正

    林芳正君 ありがとうございました。  時間もなくなりましたけれども、この危機管理のあり方ということを考える意味では、先ほど申し上げました特別公的管理、これがどういうふうに入っていったかというところも大変重要なテーマだと思いますが、これは次回に譲るといたしまして、私の質疑を終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  56. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 民主党・新緑風会の福山哲郎でございます。  本日は、御多用のところ、四名の参考人皆様方にはお越しをいただきましてまことにありがとうございました。  先ほど林委員との質疑をお伺いしていても、四人の皆様それぞれが当時日本金融の安定のために心を砕かれて一生懸命やられた結果、残念ながら日債銀国有化という形になって、大変御苦労されたということをまずねぎらいたいというふうに思います。本当にお疲れさまでございました。  そして、本日は日債銀質疑ということで始まるんですが、どういうわけか、たまたまきのう合計七兆四千五百九十二億円もの公的資金の注入を大手銀行十五行が申請をしたというのがございまして、きょう次の日にこういう質疑があると。大変長引く不況の中、国民は毎日の生活の中で大変しんどい思いをしている。きのう申請をされた資本の注入に対して、国民がもろ手を挙げてよかったなと思っているかというと、私はなかなかそうはいかないのではないかというふうに今思っています。逆に言いますと、不況の中、何で銀行だけがという国民の中にはそういう思いもあるでしょうし、日銀が入れた先ほど出た金融安定化の八百億、そして公的資金の六百億も日債銀が破綻をしたことによってパアになったという状況の中で、その政策決定の不明朗さとかを明らかにしていただかないと、逆に国民は、幾ら金融安定だ、信用秩序の維持だと言ってもなかなか納得できないのではないか。  そして、私も衆議院予算委員会、参議院の予算委員会等の審議を拝見させていただくと、いろいろ次から次へと新しいことが出てくる、今まで出てこなかった新事実がいろいろ出てくるということではなくて、できればきょうのこの参考人質疑で、四人の参考人皆様に本当に当時の御記憶を思い起こしていただいて、お答えをいただきたいというふうに思います。そして、何とかこの予算委員会での質疑を通して、金融の安定化、そして将来のビッグバンに備える日本にとって、景気もよくなる、何とか国民に銀行金融行政も信頼できるんだというような、そういうふうな委員会質疑にさせていただきたいと思いますので、どうかよろしくお願い申し上げます。  少し細かいところからいきます。名原参考人、よろしくお願い申し上げます。  平成九年の三月の後半にいわゆる増資についての依頼要請が大蔵並びに日債銀からあったというふうに思いますが、日債銀、大蔵のいずれかからいつごろ要請があったか、お答えください。
  57. 名原剛

    参考人名原剛君) 三月二十四日に中井審議官から要請がございましたのと、四月一日には大蔵省による生損保に対する、劣後をお貸し付けしておる債権会社に対する説明会がございました。並行して日債銀からは四月二日に副頭取から御要請がございました。
  58. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 三月二十四日、中井審議官、四月二日、日債銀ということだったんですが、そのときに、両日ともで結構でございますが、いわゆる第Ⅲ分類の額等についてのお話はございましたでしょうか。
  59. 名原剛

    参考人名原剛君) その段階での具体的な第Ⅲ分類の額というのは説明がなかったように思います。
  60. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そのときに、もし増資を引き受けてくださるなら、いつごろまでに増資をお願いしたいというような期日の指定、目標等はございましたでしょうか。
  61. 名原剛

    参考人名原剛君) 四月中には回答がほしいという内容であったということでございます。
  62. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 四月二日に日債銀が来られて、三月二十四日に中井審議官が来られた、四月中には何とかというお話だったというように今承ったんですが、四月九日、御社の宇野郁夫社長がこの増資要請に対して不満の意を表明されました。説明が不十分だ、明確な論拠がないじゃないか、なぜ劣後ローンが増資に変わるんだ等々の会見での御発言がございましたが、こちらの真意というのはどういったことでございましょうか。
  63. 名原剛

    参考人名原剛君) 私どもは当時、経営判断を行う前提として幾つかの問題認識がございました。例えば日債銀資本充実ということであれば、劣後ローンもその一部をなすものでございますから、なぜ劣後ローンのままでいけないのか、これを株式に変える必然性というのはどこにあるのか、その結果、こちらの意思といいますか経営の意思に関係なく、一躍筆頭株主になる、そういった点について率直に問題だというふうに申し上げました。    〔理事竹山裕君退席、委員長着席〕  それからまた、当時、生保は日産生命の処理といった大きな問題を一方で抱える中で、銀行以上の過大な出資を生保に求められるということについても異論を申し上げた、そういう点がポイントでございます。
  64. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 経営判断としては大変そういう考えを持たれることはあり得べしことだなというふうに思います。  そのときに、四月九日、宇野郁夫社長が不満の意を表明されて、その後継続的に日債銀もしくは大蔵省との交渉は続いていたのでしょうか。
  65. 名原剛

    参考人名原剛君) 私ども大蔵省日債銀との交渉は、その後も私どもが合意をする直前まで続いておりました。
  66. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 先ほど名原参考人は、五月十九日に七千億だという数字をいただいたというお話を御答弁いただいたというふうに思うんですが、東郷参考人衆議院予算委員会で、増資要請先機関から検査の中途結果でも構わないから資産内容について情報が欲しいという依頼があったというふうに言われていますが、日本生命として東郷参考人日債銀の方に資産内容について教えてくれというような依頼はされましたか。
  67. 名原剛

    参考人名原剛君) 私どもも、経営判断をするために重要でございますので、査定結果等について三月末の数字等は聞いておりましたが、その後の変化があれば教えてほしいというようなことは当然申し上げておりました。
  68. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そしたら、三月末では四千七百億円というふうに言われていた第Ⅲ分類が五月十九日に七千億円という報告を聞かれたわけですが、そのときにどういった思いをされましたか。
  69. 名原剛

    参考人名原剛君) そのときに、先ほど申し上げましたように、大蔵省検査の中でおよそそういう数字も確認を、確認といいますか、数字がまとまったということと、関連ノンバンクを中心にした増加であるというようなことも聞きましたので、まあ銀行の役員がおっしゃることでございますから、そうであろうというふうに理解をいたしました。
  70. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 名原参考人の今の御答弁は実は非常に重要でございまして、先ほど東郷参考人から電話があったというふうにおっしゃいました。そのときに、今内容をおっしゃられたんですが、大蔵の検査の方からまとまったからというお話をいただいた、検査の方がまとまったといっても大蔵の検査が入ったのは四月の五日か六日だと思います。これは五月の十九日でございます。先ほど山口参考人中川参考人の方からは検査の途中だという議論がたくさん出ているわけでございまして、ここで大蔵の検査の方からまとまったのでというのは、大変これは重要でございますので、そのときの中身をもう一度参考人、御確認させてください。
  71. 名原剛

    参考人名原剛君) ちょっと私の表現が正確でなかった点はおわびを申し上げます。記憶のことでございますから定かではございませんが、当時のお電話の中では、大蔵省検査は六月の半ばぐらいまで継続をすると、その途中の段階であるけれども、まあ資産査定についておよそまとまったというのか感触をつかめたというのか、そういう旨のお電話であったというふうに聞いております。
  72. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 少しニュアンスがお変わりになられたのでちょっと困っているんですが。  そしたら、その七千億円だというのが来ました。それで、先ほど言われたように、もうそれは東郷参考人が言われていることだし、大蔵もまとまったと言っているんだからもう確認はしなかったとおっしゃいますが、では、それから大蔵省にはその数字についての確認はされていませんね。
  73. 名原剛

    参考人名原剛君) 先ほども申し上げましたように、大蔵省には、検査の途中の段階ではあるということではございましたが、その中での査定結果、査定のおよその感触ということでもございましたので、大蔵省に確認するということはしておりません。
  74. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 それでは、ちょっと別の視点でいきます。  日債銀から七千億円だという話があって、そして並行して大蔵省とはずっと交渉されていた、その交渉の過程で恐らく確認書が出てきたと思うんですが、確認書の議論に入った。先ほどいろんなものを積み上げていって確認書になったとおっしゃいましたが、確認書の議論をされ出したのはいつごろだと御記憶ありますか。
  75. 名原剛

    参考人名原剛君) 先ほども申し上げましたように、確認書というのは二カ月間ぐらいにわたって私どもがもろもろ主張していた点について、その交渉の中で逐次確認できたことを確認書に落としていただいたということでございまして、確認書がそのためにずっと検討が続いておったということではございません。  そして、確認書を現実にお願いをしたというのは、経営の最終判断をするに際してそういう書類が、確認が文書で必要であるという弁護士の意見もございましたので、最終ぎりぎりの段階で確認に、文書に落としていただくことをお願いしたということでございます。
  76. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 確認書を交わされたのは五月三十日でいらっしゃいますよね。
  77. 名原剛

    参考人名原剛君) そのとおりでございます。
  78. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、十九日に東郷参考人から電話があって、七千億円となったと。それで三十日に確認書を交わされた。そこに大蔵省からのあれで再建は確認できるというようなことが書いてあったわけですね。債務超過ではないということが書かれてあったわけですね。この十日間の間にも、七千億円は本当に正しいんですかという、四千七百億から七千億に上がったけれども、本当にこれ以上ふえないんですか等のやりとりは大蔵省とはなかったんでしょうか。
  79. 名原剛

    参考人名原剛君) 大蔵省から特段に御連絡をいただいたというようなことはございません。
  80. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 名原参考人の方から確認をされたことはなかったでしょうか。
  81. 名原剛

    参考人名原剛君) それもございません。
  82. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そこは太っ腹な会社だということであれなんですが、確認書のやりとりをずっとされていたとおっしゃいましたけれども、日生側から、例えば文案とかというものを大蔵省に渡して、これでどうだというようなことはされた御記憶はございますか。
  83. 名原剛

    参考人名原剛君) 今の表現で、確認書をずっと検討しておったということではなくて、それはもろもろを交渉の中で口頭で確認をすることは一生懸命やったということでございまして、確認書は三十日ぎりぎりの段階でお願いしたというふうに記憶をしております。文案は、お願いすることでございますから、私どもで作成をいたしました。
  84. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 その確認書のやりとりに対して窓口になられた大蔵省の方はどなたですか。
  85. 名原剛

    参考人名原剛君) 当時の中井審議官でございます。
  86. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 それでは、その後、五月三十日に確認書を交わされて、六月二日の取締役会で増資について決定をしたということで結構ですね。
  87. 名原剛

    参考人名原剛君) そのとおりでございます。
  88. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 現在、日生には株主代表訴訟の動きもあるようでございますが、日生側としては、増資をした分がロスになったということで行政訴訟をするおつもりは今ございますでしょうか。
  89. 名原剛

    参考人名原剛君) 現段階で損害賠償といったことにつながるものであるかどうかという判断はできないというのが私どもの顧問弁護士の見解でございます。
  90. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 では、少し変わりまして、東郷参考人にお伺いをしたいと思います。  今、増資要請先機関から、五月十九日に東郷参考人が七千億円だというふうにお伝えをされたときに、検査の中途結果でも構わないから資本内容について情報が欲しいという依頼に基づいて伝えたという御答弁をされているんですが、先ほど言われた三十四社の中のどのぐらいの数から教えてくれというような御依頼があったんでしょうか。
  91. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 当時、三十四の金融機関に対する増資要請担当役員が手分けをしてやっておりまして、私は主として損害保険生命保険関係のお願いをして回っておりましたので、他の業態で全部でどのぐらいというのはなかなか申し上げられませんけれども、かなり、ほとんど大多数のところから、現実に四月の中旬以降、大蔵検査が入っておりましたので、要するに我々の経営再建策をチェックするために大蔵検査が入っていたわけでございますから、それがどうなっているのか。従来、我々のクラスの大蔵検査ですと二月ぐらいはかかりますし、その後、示達まで数カ月というのが通常でございましたので、そういう要請は大多数のところからあったと記憶しています。
  92. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 この五月十九日に七千億円、お電話をされたわけですよね。これ、何で五月十九日だったんでしょうか。先ほど山口参考人だと思いますが、検査が終わるまででもいいだろうと思っていたのが五月十九日にされたと。その根拠が、根拠というか理由があればお知らせください。
  93. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 大蔵省検査のスケジュールの問題が一つございます。最初に資産査定を現場の部局、支店とやるわけなので、そのラインシートのチェックが、第一ラウンドが終わるのが約一月ぐらいかかるということと。もう一つは、私ども増資のお願いのスケジュールの関係で、優先株の発行を考えますと、株主総会で議決をしなければならないということで、せめて五月、六月の初めぐらいには大体の御了承を得ておきたいと。両面あったと思います。
  94. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 いろいろマスコミには出ていたんですが、金融監督庁の日野長官とかは、日債銀さん側の理由が、いろいろ事情があっただろうとおっしゃられたのが今はっきりわかりました。六月二十四日に株主総会があったと。そうすると、いろんな総会の準備をされるに当たっても、やっぱり五月中ぐらいにはある程度の返事を欲しかったということで解釈してよろしいわけですね。
  95. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 五月末ないし六月の頭ぐらいにはぜひ全体の大枠は固めたいと思っておりました。
  96. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 東郷参考人は、というか日債銀側は、その時期、ちょうど五月十九日から五月末ぐらいまでに、大蔵省がほかの増資要請先機関と確認書なり応接録なりを交わしておられた事実は御存じでしたか、その時点で。
  97. 東郷重興

    参考人東郷重興君) その件については全く承知いたしておりません。
  98. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 ということは、そこで大蔵省が、債務超過ではない、再建は確認できますよということをほかの、例えば日生さんとかにお渡ししていたことについては全く御存じなくて、十九日に七千億を伝えられていたということですね。
  99. 東郷重興

    参考人東郷重興君) おっしゃるとおり、私ども検査の中途がまとまった一番早いタイミングで数字を足し上げてお願いをしたわけです。
  100. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 山口参考人、一つだけお伺いしたいんですが、なぜ同じ時期に、これは山口参考人日債銀のことをおもんぱかって、株主総会があるからこれを早く決めてあげなきゃいけないから確認書をという形で同じ時期に確認書を交わしていたということですか。
  101. 山口公生

    参考人山口公生君) これは日債銀側の事情というよりは、出資に応じていただける銀行等から、内部でいろいろ意思決定をする際にその説明として応接の内容をメモにしてほしいということがあったので、それで確認書というものあるいは応接のメモか応接録か知りませんが、そういったものを交わしたというふうに思っておりますが。
  102. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 もう一度東郷参考人、お伺いします。  現在の全銀協の岸会長がことし二月九日の会見で、日債銀から五月十九日に電話が入った、電話が入ったときに、大蔵からの検査がある程度まとまったので大蔵も承知の上だというような記者会見で御発言をされていますが、それで参考人は間違いないと思われますか。
  103. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私どもは、東京三菱銀行の方に約七千億というところがまとまった数字ですというふうにお伝えをしましたが、東京三菱銀行側がそれを大蔵省に確認したかどうかは存じ上げておりません。
  104. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 済みません、私の質問の仕方が悪くて。岸会長は大蔵省承知をしていることを確認したと。それは東郷参考人に確認をされたのではないわけですか。
  105. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私どもは約七千億という数字をお伝えしたわけです。もちろんお伝えするに当たって、こういう数字を要請先にお伝えするということは事前に大蔵省に通知をいたしておりますが、大蔵省に通知した上でこれを申し上げていますということは多分申し上げておりません。
  106. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 東郷参考人、素朴な疑問なんですが、この数字をほかの増資要請先に伝えます、七千億を伝えますというのを大蔵省に今通知をされたと東郷参考人おっしゃいましたね。そのときに大蔵省側の窓口はどなたでしたか。
  107. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 大蔵省銀行局銀行課だと思います。これは事務レベルで常時連絡をとっておりますので、私自身が電話したわけではございません。
  108. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、東郷参考人、本当に素朴な疑問なんですが、そのときに、じゃ七千億円だということを増資要請先に伝えますよといって連絡をしたときに、大蔵省はうんともすんとも否定も肯定もしないで、そうですかという対応だったのでしょうか。
  109. 東郷重興

    参考人東郷重興君) そういう対応であったと理解しております。
  110. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 その検査をしている最中、確認書をちょうどやりとりしている大蔵省が、七千億という具体的な数字が東郷参考人から大蔵省に通知が行った時点で、今の対応だということはちょっと私は理解ができないんですが、それは追ってお伺いするとして、山口参考人にお伺いをしたいと思います。  日生との確認書をこの間提示していただきました。ここに中井大臣官房審議官という名前で印がついてありまして、そして確認書が出ていますが、中井氏は当時銀行局担当であったので山口参考人の部下ということでよろしいわけですね。
  111. 山口公生

    参考人山口公生君) 結構でございます。
  112. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、山口参考人は、中井氏がこういう形の確認書を日生、そしてほかの数社と応接録という形で交わしていたことは御存じでいらっしゃったわけですね。
  113. 山口公生

    参考人山口公生君) それは大臣談話趣旨で、そういった自助努力を支援するということでありましたので、それは結構だということで存じておりました。
  114. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 これは中井審議官の判断で各社と確認書を交わされたのか、逆に上司である山口参考人の命令で中井審議官は動かれたのか、どちらでしょうか。
  115. 山口公生

    参考人山口公生君) もちろん中井審議官の個人的な判断ではありません。しかし、私が命令してこれを交わしなさいと言ったものではありません。  どういうものかといいますと、いろいろ問い合わせがあって、それで大臣談話趣旨、そういうものを織り込んだもの、またその後の状況等で、向こうがぜひ聞きたいあるいは確認したいというようなことがいろいろ問い合わせがあって、それの受け答えをメモあるいは応接あるいは確認書ですか、そういう形で出したということであります。
  116. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 今、メモとかそういう形で確認されたとおっしゃいますが、一応、大蔵省大臣官房審議官で判こがついてあって、日本生命さんは代表取締役副社長で判こがついてあって、それぞれの会社の個別の事案がこう書いてある。ほかの応接録はわかりませんが、それがメモでありますというのはちょっとよくわからないんですが、どういうことでしょうか。
  117. 山口公生

    参考人山口公生君) それは、当事者間でそういったものを交わしているわけでございます。それをこの場合は日生さんの中で、例えばほかの上司の方等々に説明するときにそれをお使いになる場合に、こういうきちんとしたやっぱり名前も書いたものというのが必要だったんではないでしょうか。私自身は、どういう事情で判こが押してあるのか、あるいはサインなのかというようなことまでは存じません。
  118. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 きょうは参考人質疑なのであれなんですが、局長は先ほど、部下で承知をしていた、こういうことをやっているのは承知をしていたと。今おっしゃったのは、何でこういう状況になったのかお互いのメモ同士でという。そこは一応、中井審議官は先ほど言われたみたいに山口局長の部下で動かれていたわけですから、今の御答弁はちょっとよくわからないのですが。
  119. 山口公生

    参考人山口公生君) 私は、御質問が、何でこういう判こが押してあって云々というその形態をお聞きになったと思ったのでそう答えたわけでございます。これはあくまで当時の大臣談話趣旨を踏まえて、全面的にそれは支援をするということのあらわれで、そういった必要な書類であればそれは交わすということは必要なことだと私も考えましたし、これはしたがって個人的にやりとりしたものではありません。
  120. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、一応大蔵省としてこれは責任がとれる文書でございますね。
  121. 山口公生

    参考人山口公生君) 四月一日の大臣談話趣旨にのっとって交わしたものでございます。
  122. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 いえ、大臣談話の話ではなくて、この確認書に対して大蔵省としては責任がとれる文書ですねということを確認させていただきたいんです。
  123. 山口公生

    参考人山口公生君) 私的なものではないという意味ではそうだと思いますね。
  124. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そして、結果として確認書が、これがこのとおりいかなかったわけですが、先ほどのお話の中で、この確認書は日生さん一社だけだと言われた。ほかは応接録だと言われましたが、この応接録の中身とかその性質というのはこの審議に当たって大変重要だというふうに思いますので、委員長、ぜひ資料請求として理事会で御検討をいただきたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
  125. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 福山君の要求につきましては、後刻理事会で協議することといたします。
  126. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、では山口参考人にお伺いしたいんですが、結局これは確認をされましたと、日債銀の債権は確認をされたけれども結局破綻になった。ここに対して大蔵省として、当時の銀行局長として山口参考人はどのように今お考えでしょうか。簡潔にお答えください。
  127. 山口公生

    参考人山口公生君) 破綻になった結果、この出資等が結局その当初の目的に役に立たなかったということに対しては、大変残念なことだというふうに思っております。  ただ、当時の、先ほどもるる申し上げましたセーフティーネットのああいう状況のもとでは、こういう一番近しいと言ったら語弊があるかもしれませんが、大株主の金融機関とか、そういったところがやはり力を合わせて何とかこの危機を乗り切るということをやっていただいたことには大変ありがたく思っております。そのために我が国の経済も相当危機を乗り越えることができたのではないかというふうに思うわけでございます。
  128. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 では、山口参考人にもう一つお伺いしたいんですが、先日、日野長官が当参議院の予算委員会におきまして、確認書で債務超過ではないものを確認したことについて日野長官は、「大蔵省としての検査とはまた別の独自の、検査検査部の方でやっているわけですが、銀行局では独自の情報の収集を行っているわけでありますし、」というふうに日野長官は答えられているわけです。  先ほども山口参考人が言われたみたいに、途中で、この確認書の段階で中川参考人検査部とは接触はないとはっきりおっしゃった。そうすると、この確認書で債務超過ではないということを検査の途中で出しているその根拠というのは、一体何でしょうか。
  129. 山口公生

    参考人山口公生君) 確認書の中で今、先生が御指摘になっているのは、再建策が実行されれば日債銀の再建は可能であるという部分についての御質問だと。ここに債務超過でないというふうな文章、ちょっと見当たりませんので、そういう前提でちょっとお答えを申し上げることをお許しいただきたいと思います。  九年四月の日債銀経営再建策をつくりましたときに、先ほど申し上げましたように、大変重荷になっておりました関連ノンバンクというものを、非常に金融常識からいうと当時は異例でありましたが、公的処理、プロラタ処理ということをやったわけです。そのときも大変な不良債権処理をしたんですが、その前提として、監査法人が問題の債権は全部引き当て・償却をやった後、さらに一千億残るということで再建策ができております。それに海外拠点からの撤退とかリストラとかそういったものを加えて、それで増資要請しておりますので、そういう判断ができたというふうに思っております。
  130. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 今、債務超過ではなくて、皆さん増資をしてくれれば再建できるという旨でお答えいただいたわけですね、確認書についてといってお答えいただいたわけですよね。
  131. 山口公生

    参考人山口公生君) 確認書についてのお問い合わせであればその部分だというふうに思いましたので、そう答えました。
  132. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 実は、先ほど言われたあなたの部下であります、参考人の部下でいらっしゃる中井審議官は四月二十一日の「金融財政事情」というところに論文を書かれていまして、「日債銀債務超過ではない」、「日債銀は厳しい自己査定を積み上げ、さらに公認会計士からも厳格に外部監査された結果の報告を受けている。」と。これではっきりと「日債銀債務超過ではない」と中井審議官が言われているわけです。これが出ているのが四月二十一日で、これは検査に入っている真っ最中なわけです。そして皆さんが、逆に言うと、増資をするかしないかという話をしているときに、議論しているときに、こういう論文で債務超過ではないということを中井審議官が書いているわけですが、これについて山口参考人はどのようにお考えですか。
  133. 山口公生

    参考人山口公生君) 四月二十一日の時点でございましょうか。
  134. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 はい。
  135. 山口公生

    参考人山口公生君) そうすれば、原稿がいつの時点で出たかということにもよりますでしょう。  そうしますと恐らく、これは私の推測でございますのでわかりませんが、当時経営再建策をつくったときに公認会計士に、償却・引き当てすべきものを全部した上で再建策をつくっておりますので、そのときは明らかに債務超過ではありません。現実に九年三月末の決算書をごらんいただきますと、これは資産超過であります。そういうことを審議官は書いたんだと私は推測いたします。
  136. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 では、その前提で書いている中井審議官のこの論文に関しては、山口参考人はそれなりの正当性はあるんだというふうにおっしゃるわけですね。
  137. 山口公生

    参考人山口公生君) 再建策をつくったときの前提を見ますと、公認会計士と全然相談しないで再建策がつくってあれば別ですけれども、それはそう推定せざるを得ないと私は思うわけでございます。
  138. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 これ、実は最後にこういう文章が書いてあるんです。「日債銀自身再建計画のベースとなる計数が次回大蔵省検査で」、これ、真っ最中にやっている大蔵省検査です、「大蔵省検査で大幅に修正されるようなことがあれば、計画自体が立ちゆかなくなることはわかっている。」というふうに書いてあるわけです。  これは九月の示達のときに第Ⅲ分類は一兆一千二百十二億円になっているわけです。この時点では、山口参考人が今言われて、先ほどからも議論になっている四千七百億円なわけです。ここで実は約六千五百億円もの差が出ていて、中井審議官が、「大蔵省検査で大幅に修正されるようなことがあれば、計画自体が立ちゆかなくなる」から、そんなことはあり得ないと言われているんですが、現実には九月の示達で大幅に修正が行われたんですが、これについて参考人はどのように思われますか。
  139. 山口公生

    参考人山口公生君) 今、先生の御指摘になったケースは第Ⅲ分類の数字だと思います。私も第Ⅲ分類は一兆一千二百云々と覚えておりますけれども、ただ、分類債権がふえたから引き当て・償却が直ちにふえるわけではありません、それはもうるる申し上げているとおり。しかも、その対象になったⅢ分類でふえた債権も、三月のその計画をつくる時点で全部公認会計士が一回目を通して、必要なものは全部引き当て・償却が済んだものです。  したがって、例えば、私の説明が悪いかもしれませんが、百なら百という問題の債権があって、五十は必ず回収できるだろうと。残りが、やはり分類でひとつこれは注意して見なきゃいけないよというような債権が五十残っていたとします。そうすると、公認会計士は、そのときに五十だからといって、今直ちに相手が倒産するわけではありませんから、例えば二十を今引き当てる必要があるだろうということで企業会計に沿って二十を引き当てするわけです。そうすると、三十というちょっとこれから気をつけておかなきゃいかぬという部分が残るわけです。それは、残ったからといってすぐまた全部引き当てなきゃいかぬというものではありません。二十を引き当ててあったら、それが例えば三十が、いや三十五じゃないか、四十じゃないかという、物の見方ですから、例えば地価がもうちょっと下がりそうだとか上がりそうだとかいうことで大分変わってきます。また減ることもあります。  そういうことを見ながら、企業会計的見地から二十でいいと一回判断したもの、それが全部対象となったものだというふうに聞いておりましたから、確かに第Ⅲ分類がふえましたが、それを受けてどういうふうに公認会計士が判断するかということがポイントです。  どう判断したかというのは、九月期の示達を受けた後の中間期の決算を見ればわかるわけです。そのときまで四千億強の資産超過になっておりますので、したがって、その時点では既に全部見た債権についての指摘だったということだったというふうに推定されます。
  140. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 私は引き当てどうのこうの言っているわけじゃなくて、少なくとも第Ⅲ分類がふえているということについて、査定が変わっている、修正されたというふうにお話ししたんですが、次に行きます。  中川参考人、大変お待たせしまして済みません。一つお伺いをします。  平成九年三月五日、「早期是正措置制度導入後の金融検査における資産査定について」、こういう通達を中川金融検査部長のお名前で出されていますね。
  141. 中川隆進

    参考人中川隆進君) 御指摘のとおりでございます。  平成十年四月から早期是正措置が法律上導入されるということの準備といたしまして、実質的に金融機関自己査定を早目に準備していただくという趣旨もございまして、私の名前で通達を出しました。  通達といいますのは、金融検査官向けの通達でございまして、金融検査官にこういうふうに査定をする、何という名前だったか記憶しておりませんが、資産査定についてという名前だったかというふうに承知いたしております。
  142. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 ここには中川部長名でこういう文章があります。「早期是正措置の導入は平成十年四月からであるが、各金融機関においては、できるだけ早期に自己査定を実施する体制を整備し、自己査定結果を適正に反映させた償却・引当を実施することが望ましい。」と。平成十年からだけれども、前倒しにどんどんやりましょうねというお話をされているんだと思います。  当時検査部長だった中川参考人は当然、これが三月に出されたわけですから、四月五日から入った日債銀検査に対してもこれに準拠したわけですね。
  143. 中川隆進

    参考人中川隆進君) まず、事実関係でございますが、四月五日ではなかったと思います。もう少し後、四月十六日からではなかったかと記憶しております。  今の御質問でございますけれども、先ほど言いましたように、あくまでも平成十年四月からの早期是正措置の導入でございますので、実際の適用はもちろんそのときからでございますけれども、いきなりというわけにいきませんので、各金融機関に準備をしてほしいというより、金融検査官に対する通達でございますから、すべてについて準備してください、こういう趣旨であったかというふうに承知しております。
  144. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、日債銀検査に四月十六日から入られたことに対しては、これは適用されていないんですか、されていますか。
  145. 中川隆進

    参考人中川隆進君) 正確に御答弁できるかどうかちょっと自信がないんですが、通達で書きましたのはあくまでも十年四月からだというふうに書いたと思います。ただし、今申し上げましたように、なるべく早く準備してくださいという意味でいいますと、特に金融検査官の査定のやり方ということにつきましては従来の場合とそれほど大きく違った中身ではございません。  したがいまして、そこに書いてあるようなやり方で査定をするという御理解で結構だというふうに思います。
  146. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 東郷参考人にお伺いしたいんですが、平成九年の三月に自己査定をされていますね。そのときには早目にやるんだということでこれを先行としてやられたというふうに伺っているんですが、それで間違いないでしょうか。
  147. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 平成九年三月五日の大蔵省検査部の金融検査における資産査定についてという通牒ですが、そこに書かれてあることは、従来の金融検査の実態とそう大きく変わるものではありません。そこで書いてあることは、例えば第Ⅲ分類とするものは、「最終の回収又は価値について重大な懸念が存し、従って損失の発生の可能性が高いが、その損失額について合理的な推計が困難な資産」ということで、従来これまで公認会計士等がやってきたものとそう大きく変わっているところではありません。  ただ、恐らくこういう通牒を出しまして、これに基づいて四月十五日に公認会計士協会の指針が出るんですけれども、この内容自体も従来と主に変わっていない。それを踏まえて徐々にいろんなガイドラインが出てくるというふうに認識したわけです。
  148. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、問題になっている示達の二つの数字があるという話でございますが、いわゆる問題になっている四千億円の差、関連会社の差でございますが、関連会社に対して中川部長はどのような認識のもとで関連会社を見られましたか、四千億円に対して。
  149. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  先ほどの御質問お答えしたわけでございますが、私の検査部長の期間が七月の中旬の途中まででございますので、今の御質問について適当に御答弁をできる立場にはないのではないかというふうに思っております。
  150. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうしたら、端的にお答えください。  七月五日か六日に検査結果が日債銀から出ていると思いますが、その時点で中川参考人は七千億円と一兆一千二百十二億円という二つの数字があったことは御存じでしたか。
  151. 中川隆進

    参考人中川隆進君) 七月の時点で検査官が銀行に対する立入検査を切り上げまして帰ってまいりました。実は私のちょうどその異動の直前でございましたけれども検査官から報告を聞いたわけでございます。そのときに全体的な状況、先生今おっしゃったことだけではなくて、あらゆる全体の検査でございますから、あらゆる観点から検査官から検査の印象、検査状況というのを聞いた記憶がありますけれども、まだあくまでも検査の途中の話でございまして、そうした状況を踏まえて、それから九月に向けて検査、数字の確定、あるいは報告書の作成等が行われていった、そういう状況でございます。
  152. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 そうすると、いわゆる二つの数字が出てきた、七千億円と一兆何がしのお金に関しては、第Ⅲ分類に関しては次の原口検査部長のもとで決裁が行われたというふうに判断してよろしいわけですね。
  153. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  決裁というのはどういう御趣旨かよくわかりませんが、検査最後にはいわゆる示達書というのを渡すわけでございますが、これの決裁といいますと、おっしゃるとおり、九月、いつかわかりませんけれども、私の後任のときでございます。
  154. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 実は、時間がなくなって大変残念なんですが、先ほどから言われているこの中川部長の通達には、いわゆる日債銀が言われている支援をし続ければ倒産をしないというものに対して、自行として消極ないし撤退方針を決定していない債務者であっても、当該債務者の業況等について客観的に判断し、今後経営破綻に陥る可能性が大きいと認められる場合は第Ⅲ分類にするということが書いてあります。  そうすると、先ほど言った四千億円の、いわゆるこれまで議論に出ている二十二社の分については第Ⅲ分類に入れなければいけないんです。それを入れると一兆何がしのお金になる。しかし、東郷参考人を初め日債銀はずっと七千億だ七千億だと言っていたから、それに対しては、これを入れていない。これが私は両論併記の二つの答えではないかなというふうにも思っております。  その中で、では、融資をし続ければ倒産をしないんだという、存続をし続ければ倒産をしないんだというものに対する二十二社の財務諸表というものが大変重要で、中川参考人がやられている検査で、この二十二社のBS、PL、金利の状況、業務状況等を暦年で、大変これは重要な資料で、私はこの委員会にぜひ提出をしていただきたいというふうに思いますし、先ほどのお話の中で中井審議官の存在というのも大変重要でございますし、さらには今お話がありましたように中川参考人から引き継いだ原口検査部長の存在もこの示達に関しては大変かかわっているので、お二人の証人喚問と今の資料について、委員長、理事会で検討していただくようにお願いいたしたいと思います。
  155. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ただいまの福山君の要求につきましては、その取り扱いを後刻理事会で協議することといたします。
  156. 福山哲郎

    ○福山哲郎君 これで質問を終わります。  どうもありがとうございました。
  157. 海野義孝

    海野義孝君 公明党の海野でございます。  本日は、四人の参考人の方々、御苦労さまでございます。  今までお二人の方からるる御質問があり、それに対して答弁があったわけでございますけれども、私は、大蔵省銀行局、それから当時の中川金融検査部長、それからまた東郷日債銀頭取のお話を聞いておりまして、どうも大変あいまいな部分がいろいろあるのではないか、このように思いました。  まず第一点、先ほどから確認書の問題が出ております。これは日生さん、それから大和銀行さん等と大蔵省の間で確認書が交わされたということを伺っておりますけれども、この際、日本生命さんとの確認書でございますが、これの疑問点について幾つかまずお聞きしたいと思います。  第一点は、大蔵省がこの確認書を出すに際しまして、大蔵省内の金融検査部に対しまして、当時は中川部長であったと思いますが、日債銀経営の実態、これについてまず詳しく聞いたかどうかという点を知りたいと思うわけでございます。  具体的には、中川部長は検査の内容をどのように説明されたかといった点をまずお聞きしたいと思います。
  158. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えを申し上げます。  私ども金融検査部といたしましては、確認書という問題につきましては全く関知をいたしておりませんでした。先ほど来申し上げておりますように、検査は四月の中旬に入りまして、ゴールデンウイークもございますし、五月のころというのはまだまだ金融機関からいろいろ資料を出していただいて議論を詰めている、そういう段階であったかと思います。そういう状況でございます。  そういうことで、主任検査官というのがおりますけれども基本的には検査はもう主任検査官が中心に、現場で独自の判断でといいますか、ちょっとそれは言い過ぎかもしれませんが、独立性を持って公正にやってくる、任せるというのが基本でございまして、そういう状況でございました。時々話を聞いたり、都内の銀行でございますから、検査官が立ち寄ることもございます。時々聞くことはございましたけれども、そうしたこと以上の情報というか状況ではなかったわけでございます。
  159. 海野義孝

    海野義孝君 ちょっと今の元部長のお話ではいささか不可解なわけでございます。だとするならば、その確認書を交わす際の日債銀の実態については、具体的にどこで把握して、それを具体的にどこで掌握してこの確認書にあらわすと。  確認書の内容を見ますと、五項目にわたっておりますが、これはかなり突っ込んだ部分があります。そうなりますと、これは相当実態がわかっていないとこういった確約というか確認書は書けないんじゃないか、こういうように私は思うんですが、いかがですか。
  160. 山口公生

    参考人山口公生君) この確認書、日生との間のものでございますが、「全関係金融機関の同意がなければ成立せず、日本生命がこれに応じなければ日債銀は破たんに陥る見込みである」というような部分でございますが、これは先ほど私がるる申し上げましたように、一回こういう計画が表に出て、それで増資が実行できないとなった場合に、市場の圧力でこれは破綻という、金融のマーケットの状況から見て資金繰り破綻がすぐ来るだろうな、こういう認識であります。  それから、二項目にあります「今回の再建策が実行されれば日債銀の再建が可能である」、これは、先ほどるる申し上げましたように、かなり自助努力を踏まえた上での増資計画というものがございます。それから、それを本当に実行できれば、それは当時の財務状況、公認会計士がちゃんと見た上で計画が立てられたということからしてこれはやはり可能である、だから国としても支援をして金融システムの崩壊といいますか、それを防ぐということを言っているわけでございます。  あとは、日生が筆頭株主になるということでかなり御心配をなさったような条項になっておりますけれども、これは、今回の再建策が実行されれば再建は可能と見ておりますので、それ以上また次々と要請するということはないという趣旨を言っておるわけです。  あとの二つは、法的に当然確立していることではございますが、念のために書いてある、こういう内容でございますので、そうした認識のもとでこういう確認書が交わされたというふうに思うわけでございます。
  161. 海野義孝

    海野義孝君 引き続き、山口参考人にお聞きしたいと思います。  今いろいろと確認書の項目に触れられてお話がありましたけれども日本生命がこの出資に応じなかったならば日債銀は破綻するということについてであります。まさにかなり強圧的といいますか、大蔵省行政指導によってこの増資に応じさせる、そういうような点がうかがわれるわけでありますけれども、この段階で、大蔵省としては既に債務超過であるということについての私は認識があったのではないか。そういった点からかなりこの確認書におきましては、特に、全体で日銀さんを含めて約二千九百億円強のそういった出資の中で日生さんが最大の出資者であるということですから、ここがやはりオーケーしないと全体の再建の具体的な計画の中の増資、これが実現できないということでありまして、しかもこの金額については、大変これもそういったいわゆる実態としては債務超過すれすれというような中でこういった増資の金額というものがやっぱり出てきたのではないか、こういうふうに思いまして、私は債務超過という認識大蔵省には既にあったのではないか、このように思うんですけれども山口参考人、いかがでございますか。
  162. 山口公生

    参考人山口公生君) 先ほども説明いたして繰り返しになって恐縮でございますが、三月末から再建計画を練りまして四月一日に発表させていただいたわけでございますが、そのときに公認会計士が全部チェックしておるということから、債務超過ではないという認識を持っておりました。それは、実は後から振り返ってみまして、九年三月期の決算を見ましても一千億弱の資産超過になっておりますので、それは跡づけられているというふうに考えております。私は債務超過ではなかったというふうに思っております。
  163. 海野義孝

    海野義孝君 先ほど福山さんも質問されておりましたけれども、九月十一日に銀行局日債銀さんに示達を出されまして、第Ⅲ分類は一兆一千二百十二億円、それと併記しまして七千億円、こういったものが併記されているわけですけれども、この差額というものがいわゆる今、山口参考人がおっしゃっていた、実際には経営破綻ではない、債務超過ではないということでありますけれども、私は、その場合の問題として、いわゆる三月末に銀行局日銀が策定された経営再建策、これにおいては、いわゆるダミー会社、飛ばし先のペーパーカンパニーに移しかえられた不良債権、これについての、当時は一定の引当率とかそういったことについてのルールがなかったというようなお話がありますけれども、この不良債権についてこれを甘く評価したのではないかというように思うわけであります。  つまり、日債銀はダミー会社に不良債権を隠して処理し、先送りを続けていた。それで、銀行局としましては、再建策をつくると同時に、日債銀にダミー会社関連の不良債権は当面処理しなくてもよい、このような指導をされたというように聞いているんですが、その辺の事実は山口参考人、いかがでございますか。
  164. 山口公生

    参考人山口公生君) 今御質問の中で、再建策日銀と大蔵がつくったとおっしゃいました。これはあくまで銀行がつくっております。私どもはその支援をしているということをまずちょっと申し添えさせていただきます。  今の御質問で、いわゆる七千と一兆一千の差、これが関連会社部分であるということはそのとおりだというふうに認識しております。それを先生は甘く評価してとおっしゃいましたけれども検査においては、分類ではこれはⅢ分類だという認定をいたしております。  ただ、検査の報告書の中で私が知っております範囲で申し上げますと、注書きがあって、銀行が引き続き支援を続ける方針を有しておって、銀行の意思に反して倒産することはないと考えられるものを除いた部分というふうになっているという事実を申し上げますが、甘くしていいとかいうことを言っているわけではございません。  それで、償却・引き当てというものは当時のルールとしては、その専門家である監査法人がやるということがルールでありましたので、それでその結果出てきた後の九月期の決算でも、つまり示達後の組まれた決算におきましても、これは資産超過、たしか資本金が四千億ぐらいあったと思いますが、それは増資がありますから当然そうなると思いますが、そういうふうな状況であります。  それで、ダミーで隠してとおっしゃいましたけれども、いわゆる隠しているわけではなくて、その会社の部分というのは事業化するためにそういう別会社にしているということで、隠しているという表現はちょっと私は当たらないと思うわけでございますが、ただ繰り返して恐縮ですが、検査においてはこれはやっぱりⅢ分類だという指摘はしているわけでございます。
  165. 海野義孝

    海野義孝君 私は、この二年間の日債銀さんの問題の処理に当たってとそれ以後の昨年来の金融行政、特に金監庁ができて以降、また昨年の暮れには再生委員会ができて以降は、これまでのそういったいろいろ言われました金融行政、こういったものがかなり前向きにというか実現されてきたと思いますけれども、私がよく理解できない部分は、ちょうどあれは平成七年ですか、大和銀行のニューヨークの不祥事が発生しまして、その後でいわゆるこの住専の処理について急いだということがありましたけれども、この過程において思い切った金融のシステムというかそういったもののルールをつくっておけば、今日のような事態には至らなかったんじゃないか、こういう点が大変残念でならない。  例えば、先ほどもおっしゃった今回の問題は、一昨年の七月の増資だけではなくして、昨年の三月のいわゆる当時の佐々波委員会の認定に基づく公的資金の導入、こういったことをもやったわけですけれども、既にこの段階においては、そういった日債銀さんの第Ⅲ分類の不良債権、こういったものについては、最初からいうと七千億、さらに一兆一千億というように膨らんできていたと。そういうような中で、日債銀さんについてもこれは健全な銀行であるというような形で昨年、資本導入をしたといった点についても、重ねて私は大変この辺は理解に苦しむところでありますけれども、その辺についてはいかがだったんでしょうか、山口参考人
  166. 山口公生

    参考人山口公生君) 三月のいわゆる資本注入のときでございますが、この国会にも急ぎ審議をしていただきまして、三月末のいわゆるBIS基準のクリアの問題、これ大変深刻な問題でございました。そこでその資本注入を、BIS対策ということ、これが金融システムの安定のために不可欠だということで、急ぎその審査委員会をつくって審査していただいたわけでございます。  そのときに、果たしてその注入が可能かどうかという御審査を賜ったわけでございますが、そのときの日債銀状況を申し上げますと、直近の決算というのは九月期の決算、中間決算でございますね。それは、先ほど申し上げましたように、四千億程度の資産超過になっております。その後も、その資産超過になっている部分が全部すっ飛んでしまうような事態は起きていなかったということがございます。したがって、債務超過ではないということは言えたと思います。  それから、今後どうかということがもう一つあったと思います。それについては、実は再建計画、先ほどから申し上げている再建計画は非常に、非常にと言っちゃ語弊があるかもしれませんが、一応順調に推移しておりました。利益も業務純益も、思ったものよりはかなり多かったというふうに理解をいたしております。そういった状況のもとで御審査を賜って、いろいろな御議論があったようでございますが、それで最終的には公的資金資本注入するという御決定がなされたというふうに承知いたしております。
  167. 海野義孝

    海野義孝君 最後に、もう一つお聞きします。  東郷参考人にお聞きしたいと思いますが、東郷参考人は、昨年の暮れの一時的な国有化といいますか、特別公的処理によりまして頭取の座を去られたわけであります。大変この激動の金融行政、大きく変化する過程においていろいろと御苦労されたわけでありますけれども、いわゆる新しい、一時的に国有化されている日債銀さんについての今後でございます。やはりこれまでのことを踏まえて新生日本債券信用銀行となるのか、どういう名前になるかはわかりませんけれども、そういったこれからの新しい再生銀行に対して、これまでのいろいろと苦しい経験を踏まえてどういったことを要求されるか。  私は、従来的な銀行から、大きく国際的なそういった競争下において十分活躍できるような銀行になられるということが大事だと思うんですけれども、そういったことに対して、次の頭取に対してどのような申し渡しをされたか。具体的に何か文書として残されているか、引き継ぎの際に。その辺についてお聞きしたいと思います。
  168. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私は、昨年退任するときに、日債銀経営再建策を発表して一年半余りでこういう事態になったわけですが、その経営再建策後の一年半余りの間に日債銀は大変大きく変身しつつあったと思います。長期信用銀行からいち早く脱却し、リストラも他行に比べて数段先を行っておりました。  ただ、残念ながら景気がこういう状況の中で不良債権処理が進まなかったということでありますけれども、従業員自体は非常に苦しい中で抵抗力をつけてきましたので、私の後を継いでいただいた藤井頭取には、日債銀は不良債権の重荷さえなければ大変競争力のある、小粒ではあるけれども競争力のある銀行として再生できるので、ぜひ公的特別管理という枠組みの中で再生を図ってほしいというふうに申し上げました。
  169. 海野義孝

    海野義孝君 時間ですから終わります。  ありがとうございました。
  170. 笠井亮

    ○笠井亮君 日本共産党の笠井亮です。時間の関係で端的に伺ってまいります。  まず、今も若干出ておりましたが、日債銀が支援している子会社グループ、いわゆる受け皿会社を活用して不良債権を移すというやり方についての問題をはっきりさせたいと思います。  東郷参考人は、このやり方が資金回収の極大化をもたらす、つまりより多くの資金回収ができるよい方法だということをこの間主張されております。これを実際見てみますと、会社の名前には、神田神保町の地上げ途中でほうり出された土地、こういうものを大手企画とか桜田企画、田安企画、平川企画、半蔵企画、和田倉企画を初めとして、江戸城の門の名前のようなペーパーカンパニーをぞろぞろつくって移している。これは本当に回収できるとお考えだったんですか。
  171. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 繰り返しになりますけれども、私どもがこういった受け皿会社をつくることになりましたのは、不良債権の回収を少しでも効率的に実行したい、こういうことでございます。  バブル崩壊後、貸し出しの担保不動産に対しては、他の債権者が高順位の抵当権の設定を要求してきたり、あるいは貸出先の経営に反社会的勢力が介入してくる等の問題が出てまいりましたので、私ども金融機関としてはこういった貸出債権をどうやって守っていくかということが大変重要な問題でございまして、そこで関連の深い不動産会社の出資を得て新たに会社をつくり、貸出先から物件を購入し、貸出債権の保全と回収に努めてきたわけであります。  こうして買った不動産物件については、決して塩漬けしているわけではなくて、ディベロッパー、ゼネコン等、当行の取引先ネットワークを最大限活用して、商業ビル、ホテル、賃貸マンション等を建てることにより事業化し、稼働率を上げつつ、物件によっては売却のチャンスをねらっていく、こういうことでありまして、すべてのプロジェクトが全部成功ということではありませんし、かつまたその後の不動産価格の低落の中でリスクを大きくしていったという事実はありますけれども、私どもとしてこういう受け皿会社をつくり回収を極大化すること自体は有効な通常の対応であったというふうに理解しております。
  172. 笠井亮

    ○笠井亮君 今いろいろ言われましたけれども、本当に事業化できると考えていたのか、これは信じがたいことであります。私はできるわけないと思うんです。こんなのは子会社の経営支援じゃない。今、塩漬けじゃありませんと言いましたけれども、また土地が上がればいずれは回収できるかもしれない、バブル再来の夢を見ていた、これだけじゃないかとこれは疑わざるを得ぬ問題があります。私は、こんなことを本当に大蔵省が認めたのか、ここが問題だと思うんですね。  東郷参考人に伺いますが、この問題に関して大蔵省からはどんな指摘を受けたんですか。
  173. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私どもこういった受け皿会社の取り扱いについては、確かに回収の極大化にプラスする面はあるということを言っていただく一方で、その後の不動産価格の状況とか事業化のやり方によってはリスクを抱えてくるという両面を抱える問題であるというふうに御指摘をいただいておりますし、前回、衆議院参考人陳述のときにもそういうふうに申し上げました。  ただ、私どもぜひ誤解のないようにしていただきたいのは、私どもが貸し出しをしていた企業が事業継続不可能に立ち至ったときに、私ども貸し金に対して担保を押さえておりますが、その担保をいかに現金化して回収していくかということを我々金融機関として最も重要に考えなければならないわけであります。  そのときに、とりあえずその担保不動産を私ども受け皿会社に移してそこに商業ビルを建て、私ども取引先を使ってそこに入っていただく、商業ビルの稼働率を上げていく、こういう手法は当然でございますし、現実に私どもいろんな形でこういう事業化をやってまいりました。リゾートホテル、都市型ホテル、賃貸マンション、商業ビル等、大蔵省検査官に言わせると不動産業者ではないかと言われるぐらいのことをやってまいりました。  と申しますのも、私どもは不動産銀行としての生い立ちがございます。不動産鑑定士だけで八十人以上の人を抱えております。いろんなノウハウも持っておりますし、不動産会社、建築会社との取引関係も極めて緊密でございます。そういうノウハウを生かしながら回収を強化していったということでございます。  全く失敗ではなかったかというお尋ねをされるんですが、実際に例えば昨年度一年間のこういった受け皿会社の追加投資の利回りというのは一〇%、二〇%を回っております。例えば、社員寮を買い上げてそれをリゾートホテルにする、そこで大変地元の観光地に喜ばれて、大変投資収益が上がっているということもございます。  それから、私どもがこういう形で受け皿会社で経営しております商業賃貸ビルがございますけれども平成八年三月期と平成十年三月期と二カ年間の稼働率を比べますと、八〇%であったものが九二%に増加しているわけです。もちろん、地上げがうまくいかなくて投下した資金が焦げついてしまうというものもございます。ただ、一方で、こういう我々の持っているいろんなノウハウを投入していけば回収の効率が上がることもこれまた事実でございます。  その後の金融環境の激変の中で、不動産価格がどんどん低落する中で、もちろん失敗例もございます。その失敗例について当然我々はリスク承知でやっておりますから、その責めは負うわけでございますけれども、ただ我々としてもこういう成功例もあるということをぜひ御認識いただきたいと思います。
  174. 笠井亮

    ○笠井亮君 成功例もあるということで、わずかいいところだけ取り上げて、それだったらこんなことにならなかったわけですよ。うまくいっていないんでしょう。こんなペーパーカンパニーに事実上塩漬けするようなやり方をすると。一部のことを挙げました。だけれども、そんなことが結局、大蔵省も甘いんですよ、これ。回収額の極大化の面で有効な面もあるけれどもなんていうことを検査の結果で書くから、そんなやり方が認められたと思ってやるわけです。そういう余地を残した、こういうことだと思うんです。  日債銀としては、回収できると考えたから受け皿会社の不良債権四千億円を回収に懸念の第Ⅲ分類でなくて注意を要する第Ⅱ分類として処理をして、それを前提に昨年三月も公的資金を申請した。このことはそうですね。端的に答えてください。
  175. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 昨年の公的資金導入に当たりましては、早期是正措置導入前ではありましたけれども、早期是正措置前提とした資産査定のあり方にのっとった形で我々は自己査定をいたしました。  その結果、私ども受け皿会社等、子会社グループに対する貸付債権につきましては、私どもの支援姿勢が明確でありましたし、かつまたそういう前回の大蔵省検査におきましても、私どもの支援姿勢が明確である限りにおいては倒産の可能性のない企業に対する貸し付けということで認定をいただいておりましたので、そういう第Ⅲ分類ではなく第Ⅱ分類として自己査定をいたしました。
  176. 笠井亮

    ○笠井亮君 やっぱり大蔵省検査で認定されたからそういうふうにやったと言ったんですよ。  山口参考人に伺いますが、衆議院質疑の中で、昨年三月、資本注入時の審査のときにおける日債銀自己査定を甘いと、このように表現をされております。大蔵省は、当時、申請してきた日債銀が前年秋に大蔵省が示達をしたのとは全く違う分類をやってきたということを知っていた。この甘いと山口参考人が言われたのはまさにこのペーパーカンパニーにかかわる四千億円、この部分だということではいいですね、それは。
  177. 山口公生

    参考人山口公生君) そういう理解です。
  178. 笠井亮

    ○笠井亮君 それにしても主張の開きが大き過ぎます。四千億というのは大変な額であります。そして、ずっと経過を見ますと、この数字は日債銀大蔵省だけが知っていたもので、外には出てこなかった。出回っていたのは第Ⅲ分類、七千億円ぐらいという話がずっとあったわけでありまして、まさにこの問題が去年三月、審査のときにつながっていって、その後の重大問題を引き起こしていくと。  山口参考人、この核心にかかわる問題を松永大蔵大臣当時にどのように報告されて、審査委員会で何を大臣としてきちっと確認してくださいよというふうに提起したのですか。
  179. 山口公生

    参考人山口公生君) お答え申し上げます。  この審査委員会で何を急ぎ審査をしなければいけなかったかといいますと、審査基準というのを委員会がつくっておりました、それに適合するかしないかの審査をしていただく。だから、分類が正しいか正しくないかとかいうような議論をする場ではありませんでした。  しかし、いろいろ日債銀がその資料を三月末の時点での資料ということで出してきておりますので、それについて一応チェックをしてもらいたいという委員長から大臣への御要請がありました、日銀にもあったようでございますが。それで、私どもとしては検査部を中心に調べて、それでその辺の精査をしたわけでございます。  松永大臣の方へ、しからばどういうことを上げたかということになりますと、その審査委員会の目的にまず沿った判断の材料を上げる必要があります。したがって、債務超過であるかどうか、それはるる申し上げてくどくなって恐縮ですが、九月末の時点の決算期からの数字から見てそれは債務超過ではありませんと。それから、今後の見通しという意味では、再建計画が順調にいっているという事実。そういったものを上げると同時に、私どもがチェックさせていただいたときにどうもⅢだと言ったものがⅡで出てきている、Ⅱ分類で出てきているということから、どうもこの関連会社の部分については会社の考え方を頭取を呼んでよく聞かなければいけないなということで、大臣にはぜひその点を頭取を呼んで確認していただきたいというようにお願いを申し上げました。大臣はこれを審査委員会の場で御発言されたということです。
  180. 笠井亮

    ○笠井亮君 今、最後に言われたところですけれども、要するに今言った関連会社、ペーパーカンパニーに係る部分ですけれども、結局伺っていますと日債銀の支援姿勢さえ確認されればよしと、そこを確認してくださいよということですからね。  私はそこが問題だと思うんです。検査を通じて大蔵省は、これらの関連会社に不良資産を移行する手法自体が、これは日野長官も言っていました、検査報告書の中に、資産内容悪化の大きな要因となっている、このように指摘しているはずなのに、実際に三月の審査のときには支援姿勢さえあればよしということは、これはそういう手法を続けて支援をし続けて隠せと言ったのと同じことになるじゃないですか。それが資本注入へと導いて六百億円の税金、それから民間の金融機関、合わせて三千五百億円がむだになった。  あなたと松永大臣の責任重大じゃないですか、これ。
  181. 山口公生

    参考人山口公生君) 何も支援姿勢があればよしというようなことを言っているわけではありません。その関連会社についていろいろ頭取を呼んで聞いていただきたいということであります。その中には支援姿勢がどうかということももちろん重要な要素として含まれます。したがって、日債銀東郷頭取をお呼びになっていろいろなことを御議論されたというふうに私は伺っております。  その結果、先ほど申し上げたようないろいろな状況も総合勘案し、注入が御決定されたというふうに伺っております。
  182. 笠井亮

    ○笠井亮君 いや、私はあなたがおっしゃった日債銀に対してきちっとこの関連会社の支援姿勢を確認してくださいよと、そういうことを大臣に提起したでしょう。だから、そのことを提起して、それを確認されたら、大臣はそれでよしだと。あなたからそう言われたからそこを確認しましたと。頭取もそういうふうにそこは支援をしますよと言ったと。では入れましょう、こういうことじゃないですか。結局隠し続ける。そして、結局あのときは資本注入先にありき、こういうことだったんじゃないですか。  時間の関係で私さらに聞きたいと思うんですけれども東郷参考人、あなたは、昨年の春から以降でも結構ですが、ちょうどこの問題が問題になっていたときに大蔵省関係者を接待したことはありますか。
  183. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 全くございません。
  184. 笠井亮

    ○笠井亮君 日債銀としてはどうですか。
  185. 東郷重興

    参考人東郷重興君) ほとんどないと思います。
  186. 笠井亮

    ○笠井亮君 ほとんどないということは、それは全く否定はできないということですね。
  187. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私も秘書室勤務ではございませんので、すべての接待記録を存じ上げているわけではございません。  ただ、言えることは、私ども経営再建策を実施して以降、経費支出については物すごくシビアにやっております。したがって、こんなことを言って恐縮ですが、大蔵省日銀の接待疑惑のときに検察の調査も受けましたけれども、極めて少額でびっくりされたということがございました。
  188. 笠井亮

    ○笠井亮君 否定はできない、極めて少額でびっくりされたと。ないとは言えないんですよ。  具体的にもうちょっと伺っていきますが、あなたもしくは日債銀の幹部が、当時、銀行局担当の中井大臣官房審議官を接待したことはなかったですか。聞いたことないですか。
  189. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私が頭取になりましてからはないと思います。
  190. 笠井亮

    ○笠井亮君 はっきり言えないんです。  ここに、昨年四月三十日、大蔵省が出した提出資料、国会に出したものがあります。中井審議官は減給二〇%二月ということで、非常に重い処分を受けました。その事由の中に、平成八年十二月二十六日以降、職務上関連のある民間金融機関との間で、倫理規程に定める手続を経ずに会食を少なくとも五回。確認書の当事者ですよ、この問題、日債銀担当されていた。全くなかったとは言えないと。私、これ重大な問題だと思います。  大体、債務超過かどうかが焦点になりながら、検査をやっている最中に、日債銀の再建は可能だということで大蔵省は考えているという確認書を出すこと自体が極めて不自然であります。大蔵省日債銀が、これはあうんの呼吸で、第Ⅲ分類を過少に見せてやっと事態を乗り切ったという作為があったということもこれは疑いとしてはあると思うんです。粉飾決算の疑いもある。  委員長、今私申し上げた範囲でも、当時の松永大蔵大臣そして中井審議官含めて、これ証人喚問ということで理事会で協議をお願いしたい。最後にこのことを申し上げて、質問を終わります。委員長、お願いします。
  191. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 笠井君の要求の件につきましては、後刻理事会で協議することといたします。
  192. 笠井亮

    ○笠井亮君 終わります。
  193. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 社会民主党の大渕絹子でございます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。  山口参考人にまずお伺いをいたします。  大蔵省は、日債銀のダミー会社の存在と飛ばしについての事実を確認したのはいつでございますか。
  194. 山口公生

    参考人山口公生君) 私自身は、局長としてでございますので、私の認識としてそういう関連会社の話があるというのは示達のときでございます。  大蔵省としてとおっしゃいましたので、そこはちょっと、だれがどういうふうに何を把握していたということはちょっと私は申し上げられません。
  195. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 大蔵省は、役職がかわるとき、前の任務とかそういうものは継続しないのですか。
  196. 山口公生

    参考人山口公生君) もちろん、いろいろ事務は継続しておりますが、そういった関連会社があって、それが問題になっているというようなことは、私は示達のとき、それが四千億とかいう程度だと、四千億強だったと思いますが、そういうふうに理解をいたしております。
  197. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 一九九二年の十二月八日、我が党の大先輩であります志苫裕先生が大蔵委員会質問をしています。日債銀が不良債権をダミー会社に飛ばしていることを指摘し、早急に調査をするように厳しく求めております。当時、この質問に沿って調査が行われたかどうかという事実は、それでは山口参考人中川参考人とも知らないということでございますか。
  198. 山口公生

    参考人山口公生君) 申しわけございませんが、私は知りません。  ただ、私が局長でいた間は、この日債銀の再建問題、金融システムの混乱をいかに避けるかという問題が非常に重要な課題だったというふうに思っております。
  199. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 山口さん、あなたは九七年の三月二十七日、重ねて志苫先生がこの問題を取り上げて質問をしたときに、あなたが答えているんですよ、今度は。いいですか、前のときはこれは前任者でしょうか、九二年のときはあなたの前任者の寺村さんという方が答えているんですけれども、九七年のときはあなたが答弁をしています。そして、そのときに、このダミー会社について、さっきほかの委員の方の御質問にも答えたように、「当該取引の売却物件の事業化を目的としておったということでございまして、意図的にその不良債権を隠すというようなことではなかったように聞いておりますけれども、」ということで答えていますよね。  だから、同じ答えをしているんですけれども、しかしこの答えから見ても、当時あなたが知らなかったということにはならないのですが、どうでしょうか。
  200. 山口公生

    参考人山口公生君) 知らなかったという表現は誤りかもしれません。忘れていたということかもしれません。御質問があって、そのときに担当官の方から聞いてそういった御答弁を申し上げていたというふうに思います。
  201. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 大蔵省は国会の審議というものをどういうふうに受けとめているんですか、あなた。大蔵委員会で、しかも委員日債銀については非常にこういう疑惑があるということを指摘しているのに、その後は一切調査をしなかったんですか、それじゃ。ちゃんと答えてください。
  202. 山口公生

    参考人山口公生君) こういった問題につきましては、通常、検査に入ったときによく見るわけでございます。したがって、今度の再建策の後の金融検査の際に、かなり綿密にそこは検査官の方でごらんになったというふうに思います。
  203. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 今の御答弁が確かならば、翌年九三年の八月、大蔵省検査に入っているじゃありませんか、日債銀に。どうして発見できなかったんですか。
  204. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  九三年、平成五年の検査のときにどういう状況であったかというのは、今ここで私自身も何ともお答えしかねるわけでございますが、今、先生御指摘のような関係会社の状況につきまして、当然この平成九年四月の検査の時点でいろいろ検査をし、先ほど来議論になっておりますように九月の示達の時点で指摘をしたと、こういうふうに理解をいたしております。
  205. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 答弁になっていませんよ。九三年の八月の大蔵の検査というのは、じゃそんなに手ぬるいものなんですか。大蔵省検査というのはそんなに手ぬるいものなんですか。
  206. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  九三年、平成五年の検査状況について、私、今承知をしていないというふうな前提お答えをさせていただきました。  いずれにいたしましても、検査部門といたしましては、当時そういう問題があるということであれば、適正に検査をし、適正に指摘をしたと私は今推測いたします。申しわけありませんが、そのときの検査につきましては今お答えすることはできません。
  207. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 適正な検査が行われていればこういう事態にはなっていないんですよ。そこは認めますか。
  208. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  当時、どういう指摘をし、どういうふうにそれをもとに銀行措置をされたかということを今承知をしていないというふうに申し上げたわけでございます。
  209. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 全く答えになっておりませんけれども、じゃ、その当時の実際に担当した検査官はどなたなんですか、九三年八月。
  210. 中川隆進

    参考人中川隆進君) お答えをいたします。  私の検査部長の在任は、平成七年の五月の終わりから平成九年の七月十二日でございましたかでございました。私の検査期間の間ではございません。ございませんといえども、もちろん検査部長であったわけでありますけれども、今申し上げましたように、当時の平成五年の検査につきまして私承知をしておらないと申し上げたわけでございます。
  211. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 山口参考人、九七年四月に経営再建策を発表しましたけれども、この時点で日債銀になぜ業務停止命令を出さなかったのですか。破綻を承知で奉加帳を回したということは、これは納得をできないのですけれども
  212. 山口公生

    参考人山口公生君) 先ほどから御説明をしておりまして繰り返しになって恐縮でございますが、再建策を発表いたしましたときに、関係者、公認会計士も全部入れまして再建策をつくって、債務超過ではないという判定をして、それで進めているわけでございます。  したがいまして、その業務停止命令をかける事態では全くございませんし、むしろその再建策をいかに成功させるか、それがまた金融システムに大変大切なことだという認識だったというふうに思っております。
  213. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 いつも当時としてはやむを得なかった措置だということが言われているわけですけれども、それでは、それまでの間になぜ金融機関が破綻をした場合のセーフティーネットというのを完備してこなかったか、この大蔵の責任というのは大変大きいというふうに思いますよ。この責任はまさに不作為の責任だというふうに言えると思いますけれども、この件に関してはいかがでしょうか。
  214. 山口公生

    参考人山口公生君) 確かに、先生が御指摘になりましたように、今のようなセーフティーネットをかなり前に整備していればいろいろな危機が避けられたという議論は、それはあり得ると思います。  ただ、私もずっと経験させていただいた大きな流れの中で、大きな金融機関の破綻が起きて、そのいろいろなセーフティーネットを国会での御議論をいただき、法的な整備もしていただき、また公的な資金というものも御用意いただいたということで、大急ぎでつくり上げていただいたということでございますけれども、当時としてはまだ金融機関も余裕があるという状況で、お互いに助け合うことによって何とかいくというような時代が大分長く続いたと思います。  先ほど御質問の中でも申し上げましたように、金融三法でございますか、その八年の六月、それからその後のいろいろな制度改正、最後は昨年十月の金融二法、これだけの短期間の間に本当にこれだけ難しい御議論を国会でこなしていただき、また立派な法律をつくっていただいて、それで国民の皆様が安心して預金もできるというふうになったということは大変よかったことだというふうに私は思います。
  215. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 東郷参考人にお伺いをいたします。  日債銀は、九一年から九二年にかけて七十六社ものダミー会社を設立して不良債権を移しかえていく。このうち三十五社が東京地裁から破産宣告を受けていると聞いていますが、これは事実ですか。
  216. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 私は九一年、二年の当時のことは、日債銀におりませんでしたし、存じ上げておりませんが、特別公的管理になって以降、日債銀受け皿会社が約二十社ほど支援を打ち切られて破産したということは聞いております。
  217. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 東郷参考人、松永大臣と直接お話し合いをなさったというふうに聞いておりますけれども、その話し合いの中身を逐次お話しをいただきたいと思います。
  218. 東郷重興

    参考人東郷重興君) それは佐々波委員会のことを……
  219. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 資本注入を決めたときです。
  220. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 昨年の三月の上旬だったと思いますけれども資本注入に関して佐々波委員会のヒアリングがございました。その中で、このいわゆる受け皿会社につきまして聞かれたことは二点あったかと思いますが、一つは日債銀の支援姿勢、私どもその前の年に系列ノンバンクを自己破産させていますので、支援姿勢について確かなものかどうか聞かれました。  もう一つは、関連子会社に対する貸し付けの資産査定について、子会社であるからということで特別な甘い査定をしているのではないかと、この二点を聞かれ、それぞれ支援姿勢には変わりありませんし、子会社といえども通常の貸出先と同じ自己査定の原則によっておりますと答えております。
  221. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 そこらが行き違っているんですよね。実際はそうなっていないということだろうというふうに思います。  それで、委員長、この佐々波委員会、いわゆる危機管理審査委員会の議事録の公開というのが大変おくれておりまして、真相究明にはこの議事録の公開は私は不可欠だというふうに思っております。ぜひこの予算委員会に提出を要求いたします。委員長、お願いします。
  222. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) ただいまの大渕君の要求につきましては、その取り扱いを後刻理事会で協議することといたします。
  223. 大渕絹子

    ○大渕絹子君 時間が来ましたので、残念ですが終わります。
  224. 入澤肇

    ○入澤肇君 自由党の入澤でございます。  衆議院のこの問題につきましての参考人質疑、全部読ませていただきました。それからまた、きょう各委員質問を聞いていまして、私は二つの点で大きな食い違いがあると、質問者側と答弁者側に。  一つは、債権の分類と引き当て・償却につきまして考え方の違い。一定のルールに基づいてやってきたんだけれども、ある日突然ルールが変わってしまって、その結果、従来のルールであれば債務超過でなかったのに新しいルールで債務超過と認定されて特別公的管理に入ってしまったと、こういう答弁者、参考人側の考え方。  もう一つは、ペーパーカンパニーについてでございます。  銀行側は、先ほども笠井委員の方からお話がございましたけれども、この方法は回収を極大化するために適正な方法であるというふうに認識していたと。大蔵省平成九年の検査の中でこの手法は有効であるというふうに記載をして認知していたということでございますが、一方で結果的にはこれは飛ばしになったんではないかということでございます。  この二つの点、これが本問題を究明するに当たって極めて重要な点であると私は考えます。  そこで、この二つの点について考えてみますと、行政のあり方がひとつ問われているんじゃないかと思うんですが、山口参考人にまずこの二つの点について、突然行政の仕方が変わったとか、あるいはペーパーカンパニーについての、結果的に飛ばしになってしまうようなことを容認したとかいろんなことを言われているんですけれども、これについての考え方をお聞かせ願いたいと思います。
  225. 山口公生

    参考人山口公生君) 大変難しい質問だとは思いますが、私の理解するところでお許しいただきたいと思います。  確かに、早期是正措置が入る前まで、したがいまして十年の三月までは検査では分類はきっちり見ておりました。これは、リスク管理をきちっとして、どうリスク認識し管理するかということは銀行経営にとっては非常に大切なものでございますので、リスクはあってはいけないというわけじゃありません、リスクに見合った収益、リターンがあればいいわけですが、そういった内部管理をきちっとやりなさいという趣旨があったと考えております。  そのことと引き当てをどうするかというのは、先ほど百のうち五十云々というお話をくどくど申し上げましたけれども、これはちょっと別で、引き当ては、その債権が将来どういうふうになるだろうか、どれくらい回収できるだろうか、将来のキャッシュフローはどうだろうかということで、いわゆる専門家の公認会計士が見るという形になっておったわけでございます。  ところが、十年の四月から早期是正措置を入れました。これは私も関係した措置でありますけれども、これは行政が透明性を持ってやらなきゃいけないと。そうすると、そのときの透明性の基準として、自己資本比率というのを一つのメルクマールにしようということにしたわけです。  自己資本比率ということをはじく前提として、引き当て・償却というのが大変大事な問題になるわけです。したがって、当時は検査では引き当て・償却までは云々しない、それは専門家にお任せしますと言っていたものが、やはり統一的に物を見る以上は、分類等もよく見るし、また引き当て・償却の適切性というのもチェックさせていただきますよというふうになったわけです。したがって、そこである程度、ルールの変更と言ったら語弊があるかもしれませんが、考え方の転換というのはあったと思います。  それで、率直に申し上げて、私が局長をやらせていただいていた期間というのは、どちらかというと危機管理金融の危機というのをどうやって防ぐかという時代だったような気がいたします。毎日毎日はらはらするような事態が大分ございました。  ただ、今の事態は、もう私がコメントするべきではないかもしれませんが、どちらかというと、金融システムを早く健全化させようという、よりステージが上がったというように考えるわけでございます。そういった意味で、手法としても、その早期是正措置という導入もありますし、そこをいかに有効に使って対応していくかというふうに変わったんだろうというふうに思います。  それから、もう一つのペーパーカンパニー、これは飛ばしという言葉は私はちょっと酷だと思うんですね。つまり、別に飛ばしてどこかに何か捨てたわけじゃなくて、子会社化して事業化を図るということでございますので。そういったものの存在についてどういうふうに見るかということは、やはりこれは非常に難しい面があったと思います。  それで、先ほどほかの参考人から話がありましたように、そういう手法自体というものが否定されるものではありませんが、しかしその手法をとったからいいというものじゃなくて、その結果がよくなければやはりそれはだめなわけで、その点については、ペーパーカンパニーで事業化するということが以前はよかったけれども今はだめになったということでは私はないと思います。つまり、その実態に応じて、事業化がうまくいってなければそれはやはり引き当て・償却を必要とするという判断が出てくるということだろうと思うわけでございます。  十分なお答えになりましたでしょうか。
  226. 入澤肇

    ○入澤肇君 要するに、こういう大きな問題につきましてポイントごとにアカウンタビリティー、行政側として隠さずに責任を持ってきちんとした説明をするということ、それからまた参考人側もどのような対応をしたかということについてきちんと説明することが両者の誤解、関係者の誤解を解くための最大の、またベストの方法じゃないかと思うんです。  そこで、日債銀東郷参考人にお聞きしたいんですけれども日債銀の株をずっと見ていましたら、結構順調だったんですよね、百五十円前後でずっと推移していましたし。それから、私も日債銀関係者資金調達はどうかと尋ねましたら、まずまず順調だというふうに当時言っておられました。  ところが、突然、今申し上げたような経緯で特別公的管理が開始されたと。その理由として日債銀側は、金融行政の大きな転換が行われたというふうに言っていました。今の大きな転換が行われたというのは、山口局長説明したようなことなんでしょうか、もっとほかにいろんなことがあったんでしょうか、ちょっと御説明願いたいと思います。
  227. 東郷重興

    参考人東郷重興君) 御指摘のとおり、一昨年四月に発表された経営再建策自体は極めて順調に遂行されております。業務純益も毎期毎期計画比倍増ぐらいの純益を上げることができましたし、資金調達の面でも昨年春ごろからほぼ入りと出が均衡するところまでまいりましたので、私どもとしては、金融機関の大型破綻が相次ぐというような環境不良の中では極めて順調にやってこられたなというのが実感でございました。  ただ、もう一つの私どもの課題でありました不良債権処理という問題については、御承知のような経済環境のもとで私どもも毎期毎期計画比倍増のこれまた不良債権処理をやってきたんですけれども、それ以上のペースで現実には不良債権が大きくなっていく。それから、早期是正措置の導入に伴って償却・引き当ての原則についても大きく方針転換がなされる中で、私どもの償却・引き当て不足が昨年十一月の金融検査の示達の中で初めて指摘されたということでございます。  私どもとしては、こういう流れの中で定められた金融行政でございますので、特別公的管理の中で再生をしていくことが一番いいということでそういう再生を願っているわけですけれども、この新しい金融行政の中で金融システムがぜひ安定していただきたいということを願うのみでございます。
  228. 田名部匡省

    田名部匡省君 先ほど何人かの質問を伺っておりまして、どうしてこんなに急いで処理策をやったのかな、随分無理をしてやっているなという感じを受けたんです。  特に、名原参考人にお伺いしたいんですが、この出資に当たって不安というものを感じませんでしたか、喜んで出資に応じましたか。
  229. 名原剛

    参考人名原剛君) 私どもの当時の状況を少し申し上げますと、既にお貸し付けしていた劣後ローンを保全できるかどうかということが大変重要な問題でございました。日債銀さんが破綻をすれば劣後は回収不能あるいはそれに近い状態に陥るわけでございますので、私ども経営の利益を守るという点からも、もろもろの条件を勘案する上で再建策に合意することが利益である、そういう判断で同意をしたものでございます。
  230. 田名部匡省

    田名部匡省君 私は、皆さん方の業界は将来のことを考えて不安に思わなかったのかなと。それは、大変な高齢化ですよ。また少子化も進んでいる。資金は今潤沢かもしれませんけれども、将来はもう本当に掛金を掛ける子供たちが減ってくるわけですから、むしろお年寄りが多いんですから、そんな中でどうしてこういうものにつき合ったのかなと、どうしてもこれは納得できないんです。強い要請大蔵省に盾を突くわけにもいかぬし、この際つき合おうかと、こんな気持ちはなかったですか。
  231. 名原剛

    参考人名原剛君) 結果論を申し上げてなんですけれども、今、特別公的管理に日債銀さんはなっていらっしゃるわけでございますけれども、先ほども申し上げた劣後についてはなお保全をされているということでございまして、そういう意味で私どもの利益があったというふうに現時点でも考えております。
  232. 田名部匡省

    田名部匡省君 山口参考人にお伺いしたいんですが、時々奉加帳とかいろんなやり方をやるんですね、大蔵省は、こればっかりではなくて。住専のときも、私が当時責任者でありまして、このときも農林中金と銀行の間で書類を取り交わしているんです。  私は、政治の責任も政府の責任も結果責任だと思うんですよ。何回も同じことを繰り返してだれも責任をとらぬ、こういうことに国民は不安を持っているんです。先はわからない、そうして最後のツケはやっぱり国民に来る、素朴な気持ちでみんなそう思っていますよ。公的資金を導入するということは、国民が汗水流して、今倒産したり失業したり自殺する人たちまでおる中で、簡単に国の方でいろんなことをやると。どうですか、大蔵省ちょっといろんな手を使い過ぎるんじゃないんですか。私は銀行に友達もいっぱいおるけれども、言われたら全く盾を突けないんだ、後で何をやられるかわからぬと、そんな話ばっかりなんですが、どうですか。あなた方は奉加帳を回すのに相当私はかかわっていると思うんです。どうですか。
  233. 山口公生

    参考人山口公生君) 奉加帳とかいう非難を大分私ども受けましたけれども増資をお願いした先は、しばしば申し上げますように、大株主の銀行、それからやはり金融債を出している、金融債の信認を落としちゃいけないと思っているような銀行、それから劣後ローンを既に供与して、それがもし破綻したらだめになるという保険会社というものに限られております。  奉加帳というものの定義は私よくわかりません。関係ない人まで集めるというのが奉加帳というのであれば、それは奉加帳ではないと思いますが、ただ先生がおっしゃっているのはそういうことではなくて、そういう手法がどうかということでございます。  当時のセーフティーネットが十分でない時代に、どうしてもその道しかなかったということでございますが、今、先生も公的資金というものは国民の税金につながる話だと、それはそういう意識は非常に私どもありましたし、国民の皆様にも今でもあると思います。  ただ、当時としては、もし事柄が自分たちの業界の中で片づくものであれば、それは自分たちで何とかするというような時代もあったと思います。ただ、今の時代はそれでは不十分です。そうすると、やはりこうした措置をとらざるを得ないということで、そうするとシステムとして何が起きても大丈夫なようにしよう、そこに公的資金というバックアップもきちっとやろう、それから国有化とかいう制度的な仕組みもきっちりつくろうということで、制度的に国民の皆さんの御支持を得て仕組みがつくられたわけでございますので、そうなってみますと、そういった先生が御指摘になるような手法というものがもっと公的な透明性のあるものに変わっていくんだろうというふうに私は思います。
  234. 田名部匡省

    田名部匡省君 私は、住専のときにも質問しまして、どうもルールがないと。例えば、ルールつくるのは大蔵省だ、取り締まるのも大蔵省だ、取り締まられる銀行の方には皆大蔵省の幹部が頭取で行っている、役員で。これじゃ試合になりませんよ、スポーツなら。  ですから、私は、こんなことになるんなら、もう頭取に責任を持たせてルールの範囲内でやりなさい、そのかわり失敗したら責任は相当強く行きますよという方が簡単なんですよ。余りあれこれ口を出して皆おかしくなる。  だって、これは最初は信組を助けるんだ、こう言ってスタートしたんですよ。もう信組どころじゃないんだ、今度は。あのころ、渡辺美智雄さんも、もうつぶれる銀行があってもいいんだというような話までいったんですから。それがこんな状態になって、だれも責任とらないんです、これ。  これは九年四月一日からずっと見てみると、大蔵の検査概要が出たとかあるいは確認書がどうのと、全部大蔵省がかんでいるんですよ。絶対知らないということはないです。あの住専のときだって大蔵と農林省の幹部とやったんですから。引き揚げると言ったら、いや、今やられたら困るから何とかつき合ってくれと、それで一筆とられたんでしょう。それもおかしくなった。  だから、やることなすことうまくいっていない。うまくいかなかったら、何かやっぱり形を変えるとか責任をとるとかいうことがなかったら、国民は不安に思っていますよ、こんなこと賛成している人はいないんですから。  私はもう時間がないので終わりますけれども、どうぞ本当に真剣に考えてください。いいかげんなことをやらぬで、やった結果は、失敗したときにはどういう責任とるかということが私は一番問題だと思う。これがなさ過ぎるということなんです。何でもありですよ、今。  時間ですから終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  235. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 最初に、山口参考人にお尋ねいたします。  銀行行政のあり方、こう考えてもいいと思います。銀行検査銀行行政のかかわりについてであります。  銀行検査というのは何のために行うか、対象銀行の実態を厳格に明らかにしまして、それに対して的確な行政を行う、指導監督いろいろありましょうけれども行うと。車の両輪と言っていいのか、密接不可分、一体と言ってもいいのか、そういうことだと思います。  しかし、今回のケースに関する限りどうもてんでんばらばらのようであります。不思議でしようがない。検査検査行政行政、勝手なことをやっておるようにしか思えない。  四月十六日に検査が始まったんですか。しかし、それに先立つ四月一日にはもう奉加帳が出されておりまして何とかしようということになっておる。それから、五月三十日には例の確認書が取り交わされております。一切関係なしにこれが行われておる。なぜ検査が済むまで待たなかったのか、不思議で仕方がないわけなんですよ。その検査を見て、もう日債銀はつぶすしかないとか、いや、少してこ入れをすれば何とかなるという判断が次の銀行行政で出てくるわけですが、それが関連なしに行われている。一体何でこんなことになったのか、全く不思議なんです。  時々、山口参考人は監査法人の意見を聞きましてなんてことをおっしゃるけれども、あれはしょせんは部外の存在ですから、監査法人で間に合うならば大蔵省銀行検査部なんか要らないことにもなるわけですよ。やっぱり大蔵省としては、検査部をして的確に厳格に検査をやらせて、それに基づいて銀行行政を行う、これは当たり前のことなんです。  ところが、行政行政でどんどん突っ走る。検査の方はゆっくりゆっくり行きまして、ようやく九月の中ごろにその結論が出ました。そのころは行政はもう行くだけ行っておって、もう引き返しができないところまで行っておる。あげくの果てに、五月ですか六月ですかよくわかりませんけれども、最高責任者の部長の更迭までしておる。とてもこれは考えられない行政なんです、こんなことは、中央官庁のあり方といたしましても。  だから、国民から見ますると、大蔵は本当に何をやっているんだ、もう要らんのじゃないか、解体してしまえというような意見も起きてくるぐらいでありまして、あなたは大蔵の銀行局長としてこの問題の最高責任者でもありましたので、一体大蔵の銀行局銀行行政についてどういうお考えをお持ちだったのか、この問題を踏まえて御意見を承れればと、こういうふうに思います。
  236. 山口公生

    参考人山口公生君) 佐藤先生のおっしゃった背景にある御印象は、恐らく分類の話と引き当てというものが別々だったというところの、そのつながりがなかったからということでそういう御印象を受けておられると思います。  外部の者だから関係ないということではなくて、外部の専門家であるからチェックがきくという、これは企業会計原則というきっちりしたものがありますから、そこでごらんいただくということでやっておった。しかし、先ほどの入澤先生の御質問がありましたときにお答えしましたように、早期是正措置が入りましてからは、今度は検査行政が非常にリンクをするということで、今、先生がおっしゃったような御印象を受けない行政にこれからなっていくというふうに思うわけでございます。
  237. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 それは、私はおよそ理解できない話だと思います。大蔵省検査部、銀行検査は何のためにやるかと。こういう場合に大いに活用する、行政に反映させる、そのために行われることは、これは明らかでございましょう、国民の常識からいいましても。その場合に、何か外部の検査をお願いする、監査をお願いする。じゃ、何のため銀行検査をやっていたんですか、今まで。まさしく税金泥棒以外の何物でもないという感じもいたしますけれども。  難しいことは別としまして、この素朴な国民の疑惑にどうお答えになるのか。大変重要なことだと思います。銀行検査はこういう目的があってやったと。一方、銀行行政は、いや全然別な観点からやっていたんだと。言われてみればそのとおりかもしれませんけれども、あの当時は違っていたと、こうおっしゃりたいのか。そんなことはわからなかったんですか、当時でも。
  238. 山口公生

    参考人山口公生君) 銀行検査は資産の査定だけをやっているわけではありません。それは、適切な運営がなされているかと。例えば、法令遵守がきちっとなされているかどうか、それからこういった信用リスクの管理がなされているかどうか、あるいはマーケットリスクの管理がなされているかどうか、それから意思の疎通を十分図っているかどうか、そういったことをやるわけです。  銀行行政の目的は何であったかと。それは、銀行個別個別を助けることではありません。これは、システムをいかにして守るかということでございますので、検査を使ってシステムをいかに守るかということが目的であったわけです。それは今も変わりません。
  239. 佐藤道夫

    佐藤道夫君 一言だけ、時間になりましたけれども。  個別の銀行を救済するつもりではないと言いながら、日債銀を救済するために頑張ってこられたんじゃないんですか。  終わります。
  240. 倉田寛之

    委員長倉田寛之君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人には大変御苦労さまでした。  明日は午前十時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時八分散会