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円より子君 私は、
民主党・
新緑風会を代表し、ただいま
議題となっております
平成十一年度
予算三案に
反対の
立場から
討論を行います。
今、
我が国は
メガコンペティションの荒波にもまれ、戦後五十年の
システム転換を余儀なくされ、
国民は塗炭の
苦しみを味わっております。しかし、
政府は
システムの問題だけに
責任転嫁をしているのではないか。
政策の成功、失敗には必ず人が存在し、人が
国民を幸せにも不幸にもするのです。
私どもが
政府予算に
反対する最も大きな
理由は、
国民の
苦しみを真に憂え、
責任をとり、
国民の
不信を払拭し、
国民に元気を与え、幸福をもたらすのだという
気概、志のある人が今の
政府にはおらず、その
気概が
予算に全く反映されていないことにあります。
気概と志のある
リーダーがいないことは、
戦略を持った
リーダーがいないということであり、
予算に見られる
政府の諸
政策には戦術あって
戦略なしということであります。
戦術が局地的であるのに対し、
戦略は全体を俯瞰しての
対応です。戦後
日本の奇跡的な
経済発展には
戦略がありました。私の言う
戦略とは、個として国としてのアイデンティティーを実現しつつ
世界全体に貢献する願いということです。
総理は、昨年の組閣後、直ちに
経済戦略会議に諮問なさった。しかし、今回の
予算案のどこに
総理の
戦略があるのでしょうか。
四・四%もの
失業率で
国民は
苦しみ、不安を募らせていますが、この
失業の
増加は残念ながらまだこれからが本番でしょう。このデフレは尋常なものではないのです。
日本には戦後の大
発展による
蓄積が残っているために、ある
意味ではまだ骨身にはこたえていません。しかし、その
蓄積を背景に、
財政が大盤振る舞いをしても、
不況に歯どめはかかりません。それは
理由があるからでしょう。
長年の
水増し型の
拡張経済の
かじ取り自体が壁に突き当たっているのです。過渡的、部分的に正しい
かじ取りであったとしても、それを常態化し、打ち出の小づちのように振り回すのは行き過ぎだったこと、破綻が不可避な
水増し型の
拡張経済を続けてきたことの
誤りを
政府は自覚し、
責任をとるべきではないですか。
今回の
予算は、その
誤りの自覚のないまま
拡張経済を助長しております。
西欧主導の
世紀、欲望の
世紀であった二十
世紀、それへの反省のないまま、二十一
世紀への志も示せてはおりません。このことが、
リーダーシップへの
国民の
失望と
不信をますます募らせているのです。そして
日本の
景気回復をおくらせていることを考えると、今回の
戦略なき
予算案に到底
賛成などできるわけがありません。
今、欧米もアジアも、
経済の行き詰まりを打開するために
日本に多くの
注文をつけてきています。しかし、彼らの側も本当の答えを持っているのか。
日本自身が持っているに違いないとの
期待感があっての
注文なのかもしれません。とするなら、
政府が常に外圧によって
金融政策や
財政政策を猫の目のように変えていることは、
日本国民の
不信を増すだけでなく、
世界のために貢献するという
立場からも、
世界の
失望を呼ぶだけです。
さて、先般の
経済戦略会議の
答申も、
日本の
経済政策の青写真としてとても十分とは言えません。それは、この
答申は、
基本的柱を立て、総合的なアプローチを目指している点でそれなりに
戦略と言えますが、
戦略の質を左右する
目的が欠落しております。
戦略会議の
目的は、
個人に引き直せば、
借金苦の状態から、やっと一息ついて
生活できるよう正常化することにすぎません。しかし、これだけでは、人は将来への展望も生きがいも見出せません。国においては、この難局を乗り越える覇気をよみがえらせることができません。
今回の
予算案もしかり。この
予算案では、
最大の
課題である
景気回復に十分こたえているとは全く申せません。
政府公約の実質〇・五%の
経済成長は到底不可能な
内容です。さらに、一過性のばらまき
景気対策のみと言っても過言ではありません。
昨十六日に発表された三月の月例
経済報告では、
景気は下げどまりつつあると上方修正されましたが、来年の
民間設備投資は約一〇%も減少し、大幅なリストラ、つまり大量の
失業者が出ることが確実視されています。
個人消費も大きな
上昇は見込めず、輸出も含めて民需が深刻で、惨たんたる現状が底ばいのままであることには変わりがありません。この
責任をどうとるのか。一過的に株価が上がったことに浮かれている
状況ではないのです。
甘い
経済見通しを続けて、
経済危機をいたずらに拡大し、かかる
事態を招いた
政府の
責任は極めて大きいものです。この旧態依然とした
政府予算が原案のまま通過しても、
景気が
プラスに転じる見通しは、
国民にとって全く不幸なことですが、低いと言わざるを得ません。
さて、今回の
予算案は、事ほどさように
戦略的とは言えない代物であります。これが
最大の
反対理由ですが、戦術的
予算案としても欠点がございます。
まず第一に、
個人所得税、法人諸税等の
減税の
実施は、遅きに失したと言わざるを得ません。
所得税減税の大半が
定率減税であり、恒久
減税等の抜本改革を見送ったことは、十分な
消費刺激や
国民の不安解消につながるものでないことは明白です。
個人所得課税については、すべての層を対象にした恒久
減税を実現すべきであり、その具体策として、我が
民主党は、
所得税率の一律二割引き下げによる累進構造の緩和、最低税率の適用範囲の拡大を図り、納税者番号制度と総合課税化への道筋を明らかにする対案を提出いたしました。この提案は、
消費拡大にも勤労者の
生活向上にも最良の
対策であると確信しております。
第二は、
公共事業に相変わらず多くの問題点が残されたままであることです。
旧来型の
事業が大半であり、大胆な
配分見直しに全く手がついておりません。さらに、五千億円の
公共事業予備費は使途不明金であり、
財政民主主義の根幹を否定するものではないでしょうか。
第三は、かつてない放漫
財政に陥り、将来の
財政再建に全く見通しが立っていないことです。
国債発行高は当初
予算では最高で三十一兆円を上回り、
国債依存度は三七・九%にもなります。国と地方の債務残高は、来年度末でGDPの一・二倍に当たる六百兆円に上る見通しです。
国民の多くは、近い将来の大増税を懸念しているのではないでしょうか。
このような
国民の懸念や不安を払拭するには、
政府は何の見通しもなく
財政構造改革法の凍結を行いましたが、今後五年間の
経済成長見通しと
財政展望を明確にし、凍結期間にこれまでの硬直的かつ固定的な手法にかわる新しい
財政規律の
あり方、
財政再建策を取りまとめるべきと考えます。
第四は、
行政改革が後退し、税金のむだ遣いが根本から是正されていないことです。
民間企業や家庭では血のにじむようなやりくりが行われているのに、
国会、行政の合理化、
経費節減は生ぬるいと言わざるを得ません。
政府が取り組もうとしている中央省庁や特殊法人の再編は看板のすげかえだけであり、大胆な歳出
削減策や地方分権を欠くものであり、真の行革とはほど遠い代物です。
霞が関の官庁街を売却するくらいの斬新な
施策なくして、
政府が真剣に行革に取り組んでいるとは言えません。英国がPFIを導入し、すべての庁舎を
民間に貸し、
財政難と行政サービス低下を防いだ実績に倣い、
政府も本気で頑張っているなと
国民にわかってもらうことが今こそ大事なのではないでしょうか。
第五は、西欧型の規制緩和
社会に向かう中で、
リーダーならば当然考えておくべき、少子高齢
社会や
失業問題に対するセーフティーネットの
整備が不十分なことです。
現在、
国民の公的年金への
不信、不安は限りなく高まっています。何よりも重要なことは、公的年金の土台である
基礎年金を抜本的に改革することです。さらに、安心して子供を育てることができることの一つとして、扶養児童に係る扶養控除を廃止し、西欧水準並みの子育て
支援基金を創設することが不可欠です。
労働・
雇用対策においても、
国民の不安解消に十分
政府予算は資するものではありません。十一月の
緊急経済対策で
政府が公約した百万人
雇用創出の具体策、育児・介護休業の所得保障の充実などを当然盛り込むべきです。
以上、
政府への信頼を取り戻し、志を持って危難を乗り越えようとする
気概が全く感じられない
政府予算に私どもは断固
反対いたします。
最後に、マネー至上主義、
市場原理主義は資本主義
経済を滅ぼすという懸念が海外でも叫ばれています。危機に対する
政府の切実感の乏しさこそが危機だということを
認識し、一九九九年というこの年を、自己改革へのチャンスとすることこそ
景気を立て直すかぎだということを提案し、私の
反対討論を終わります。(
拍手)