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千葉景子君 やはり
裁判官というのがそれだけ独立性を保障され、そして身分も保障されて、それだからこそ公正で適切な
役割を果たし得る、こういう仕組みになっていることは当然でございます。ただ、むしろ今求められていることは、そういうことは当然のこととして、できるだけすそ野を広げ、そして市民とのすき間も減らし、スピーディーに
裁判を進めていくということでもございますので、その原則を壊すことなくいろいろな知恵を働かせるということは、私はできるだろうし、そしてそれがやはり
政府あるいは
法務省としての役目ではないかというふうに思うんです。
審議会などでも
議論があろうかと思いますけれども、ぜひそんなことにもいろいろな知恵を働かせていただきたい。ただ待っていて結論が出てからやるということではない
課題であろうというふうに思います。
それから、これも多くの
参考人などからも御意見がございました。やはり
司法への市民参加、これが大変重要な
課題だということも
指摘されてきたところです。ちょっとこれは半分からかい加減もあるのかもしれませんけれども、逆に
裁判官の市民
社会へのもっと参加ということが必要なんじゃないか、あるいは市民的な自由、こういうものももっときちっと保障することで市民との距離を縮めていく、そして市民の
生活にのっとった
生活感のある
裁判というものを進めるべきであるという御意見すらあったところでもございます。
そういう
意味で、
司法への市民参加という問題は、これも多分
審議会でも大きな
議論、
問題点になるのではないかというふうに思います。
その大きなポイントは、陪審あるいは参審と言われる
ような形で
司法に市民が参加をする形、こういうものが当然頭に浮かんでくるところでございます。これについては、これからこの
委員会などでもむしろ時間をとって
議論すべきことであろうというふうに思いますので、きょうここですぐにお答えを出していただこうということは私も求めるわけではございませんけれども、やはり市民が
裁判に参加をする道というのもそろそろ準備を始めてもよいのではないかというふうに思います。
私は、この
議論が煮詰まって、例えば
審議会などでも陪審というものを、これは新規に入れるということではなくてある
意味では
制度的には復活させるということかというふうに思いますけれども、そういう
議論が進んできた、そうなって、さあ、いざとなってどんとスタートし
よう、これも大変なことでございます。なかなか市民にとっても経験をしていないことでございます。
これは私もどうやったらいいものかというのをすぐに思いつかないんですけれども、例えば
法務省が、あるいは
裁判所などと協力し合いながら
司法への市民参加、陪審などの模擬的な法廷、そういうものを開いて、多くの市民の皆さんにも、実際こういうものですよ、こういう法廷になります、どうでしょうかと、むしろ率直に問いかけてみる。そして、市民も一回体験をしてみて、なるほど、これは自分
たちも
責任を持って
司法にかかわれるし、そんなにびくびくしないで大丈夫なことだという
ようなことも経験をする。
やっぱりいざとなったときにどんといっても大変ですから、こういうことも含めてむしろ
審議会の
議論を進める上でのいろんな情報、条件を整えていくということも
役割ではないかというふうに思います。
そういう
意味で、陪審や参審ということをぜひもっと身近な問題としてとらえていく必要があるだろうというふうに思います。検察審査会という
制度がございまして、私も何回かいろいろな機会に話を聞かせていただきましたが、大変市民が
責任を持って、そして積極的にその
役割を果たしているという、これは
裁判ではありませんけれども、こういう経験もあるわけです、私
たちの
社会には。
今、
司法がどうも市民から遠い、そしていろいろな問題について
裁判所の中だけでどうも
物事が進められているということに対する違和感、こういうものがあるわけですから、ぜひこういう陪審、参審、市民参加ということについて積極的な何か条件整備とか、あるいは多くの
国民が
考え得る土壌というものを今こそつくるべきではないかというふうに思いますが、大臣、いかがでしょうか。少し大臣としてのお
考え方などをお聞かせいただきたいと思います。