○井上美代君
平成十年度が四十九柱ということで、大変頑張って御
努力しておられるのはわかります。
平成十年から米軍の基地の調査が始められているということで、ごうも見つかっているということを聞いております。また、自衛隊の基地の中は防衛庁から
遺骨が見つかったというときに
収集というようになっているようで、基地の中の情報というのはほとんどとれなくなっているということです。
資料の
最初のところに硫黄島の地図を入れてあります。右上の方が米軍基地です。あとずっとありますが、これが自衛隊の基地です。島全体が基地になっております。
生き残った人の証言などに基づいて
収集することもほとんどなくなっているようなんです。硫黄島の
遺骨収集が始められたのは戦後七年たってからですが、あの島は、今御説明もありましたように、ごうに立てこもって戦ったわけです。ごうに入らなければ
遺骨収集はできないわけなんです。そのごうも、基地をつくるときにブルドーザーで削られ、そして今コンクリートで固められ滑走路の下に埋められてしまっている。だから、残る一万以上の全部の
遺骨を
収集しようと思えば、基地をなくすということなしに
遺骨を
収集することはできません。
そもそも
最初から、玉砕の島に基地などがつくられたということ自身が問題であったというふうに思います。この間の
遺骨収集についても、もっとやはりこの玉砕の島の硫黄島について真剣に
考えていかなければいけなかったのではないだろうかというふうに思います。今は
ソ連も崩壊したのですから、それを無視して基地が強化されているところに問題があるのではないかというふうに私は思っております。
基地によって
日本の平和と安全を守るということを言っているんですけれ
ども、
昭和三十年六月につくられました陸上自衛隊幹部学校の「戦史 硫黄島作戦 講義要綱」というのがあるんです。資料の二枚目に表紙を入れておきましたけれ
ども、これがその実物です。(資料を示す)
この要綱の中を読みましたけれ
ども、これは陸上自衛隊が硫黄島の戦争の戦訓を
勉強するためにつくられたものなんです。敗戦十年後に講義要綱にして戦訓を教えているということに私は驚いております。
遺骨収集もしないうちから戦争の教訓を生かしているのは本当にびっくりです。私は本末転倒ではないかというふうに
考えているんですけれ
ども、いかがお
考えになりますでしょうか。
この本の
最後の付録のところに地図が出ているんです。この地図を見ますと、旧軍の部外秘になっている資料なんですけれ
ども、全島要塞の塊であるこの島が米軍のB29のじゅうたん爆撃で一木一草までなくなっても、生き抜くためにアリの巣のように穴を掘ったということがわかります。
その距離がずっと書いてあるんですけれ
ども、これは皆様方のお手元の資料には入っておりませんけれ
ども、生息用が十二・九キロ、そして交通路が三・二キロ、陣地が一キロ、貯蓄庫が〇・九キロ、総延べ十八キロというふうに書いてあります。この坑道の中には、爆弾や機関銃などでやられて死んだ方もいらっしゃるんですけれ
ども、多くは地下ごうに閉じ込められて、地下からの硫黄の熱気の噴き出してくる中で蒸し焼きになって亡くなられた人もたくさんいらっしゃるということです。
この島の
遺骨を
収集せずして、戦争が終わったとは言えないと私は思います。これをどうしても掘り起こすべきだというふうに思うんです。この基地を撤去してでも
遺骨を
収集していくということが今の私たち残された者に課せられた仕事だというふうに私は思いますが、
大臣、戦争の体験も持っておられる
大臣です、どのようにお
考えでしょうか、ぜひ聞かせてください。