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参考人(
明石要一君) こんにちは。千葉大の明石と申します。生まれは九州の大分県でございまして、昭和二十三年のねずみで、戦後っ子でございます。
きょうは時間が三十分程度と限定されておりますもので、勘どころだけを申し上げたいと思います。
今日、子供がいろんな問題を起こしておりますけれども、その問題の背景を考えていきたい。そこで、戦後の
社会史といいましょうか、その五十年間を少し振り返ってみたい。
私は、戦後五十年間を十五年サイクルで考えていきたい。
昭和二十年から昭和三十四年までを第一期と申します。この第一期の
生活リズムというのは、年中行事を中心に生活が来た。お盆、お正月、
夏祭り、秋祭りという形で
生活リズムがありました。非常に緩やかな
テンポです。学校で申しますと、第一期の場合は
農繁期休みといいましょうか、
田植え休みとか
稲刈り休みとかがあったのでございます。非常に
地域社会が健全で、非常に社会は貧乏だったけれども、
やる気満々で、何とか復興しましょうというのが第一期でございます。
第二期になりますと、昭和三十五年から大体昭和四十九年ぐらい。この
生活リズムというのは、月単位で生活が動いてまいります。
産業構造で申しますと、第一期は
農林水産業が大体六割、七割ありまして、昭和三十四年あたりからいわゆる第二次産業が五割を超えてきます。言うならば
給与生活者が半数を超えてきますから、
子供たちの
小遣いのもらい方も
月決めがだんだん出てまいります。第一期は年中行事で
夏祭りに
小遣いをもらうとか秋祭りに
小遣いをもらったのが、第二期から
月決めになってきます。
そうしますと、今非常に
少年漫画が盛んですけれども、昭和三十四年に「
少年サンデー」、「
少年マガジン」が発売されます。御承知のように、「少年ジャンプ」は昭和四十三年、「マーガレット」とか「りぼん」というのが昭和三十八年。第二期になってきますと漫画というのがかなり復興してくる。
もう一つお願いしたいのは、昭和三十九年に
東京オリンピックがございまして、新幹線が開通します。当時のコピーで「
東京オリンピックをカラーで見ましょう」という
キャッチコピーがありまして、
テレビが各世帯に普及してまいります。
白黒テレビを含めまして、第二期になってきますとほぼ八五%の家庭で
テレビが普及してまいります。いわゆる
テレビっ子という言葉が第二期の昭和四十年以降には出てまいります。
ですから、言いたいのは、第二期というのは
月決めの
テンポで始まって、
テレビと漫画が普及するのが第二期だと押さえてほしいんです。
第三期になってまいりますと、昭和五十一年から平成三年までで、これはもっと
テンポが速くなりまして、
週単位の
生活リズムがふえてまいります。当然
企業人たちは手帳を持ちますけれども、残念ながら
子供たちが手帳を持ち始めます。遊ぶ場合に、ちょっと待ってくれと、こう手帳を出して遊びを決めちゃう。きょう月曜日は何とか塾、水曜日はスイミング、土曜日は
少年サッカーとか、要するに手帳を持ち始めて遊びを相談するような
子供たち、いわゆるスケジュールに追われる
子供たちが出てまいります。
それで、いろいろ
文部省も考えたんでしょうけれども、平成四年に
学校週五日制、これでは困るんだ、不完全ながら
学校週五日制を提案してきて、
小学校において低学年、一年生、二年生で理科と
社会科を壊して
生活科という教科を設けます。要するに、
子供たちが生きる力が乏しいんだ、何とかこのままでは困るんだという形で流れてくるという、これをまず押さえてほしいのでございます。
四番目に「教師の
生きがい」とございます。今
子供たちの生活の変わりようを見ましたけれども、教師の
生きがいも変わってきてまいります。
第一期の
教師たちというのは、「
社会改革」とあります。要するに
農村型教師、地域に根づいて、学校と自分のおうちがあって職住が一致と申しましょうか、非常に日々の授業も熱心でありましたけれども、授業以外に
農村社会で
青年学級とか
子供たちにそろばんを教えるとか、農村の古い体質を改善していくとかいう
社会改革という
テーマがございました。非常に教師が
生きがいを持っていた。まだまだ日教組もしっかりしていまして、
テーマがあったんです。ですから、思想は違っても、何か村づくりとか
町づくりに貢献したという教師がございました。
それが第二期になりますと、六〇年安保がおさまり、社会が安定してまいります。
教師たちが
社会改革という
テーマを失ってきます。そこで、教師の
生きがいとしては教室の中で勝負する。よく四間・五間と申します。坪数二十坪が教室なんですね。四間・五間の教室で勝負しましょうという。だから授業の腕を上げるという。だから第二期は、いろんな意味の
教育方法、例えば今のTTとかバズセッションとかメディアを使ったいろんな
教育方法が第二期に出てまいります。
要するに、言いたいのは、第一期、第二期は
テーマは違っても教師の
生きがいがあったのでございます。それが第三期から、これは
教師受難時代と申します、
生きがいが拡散してまいりまして、何をやっていいかわからない。それで、
保護者が物すごく意識が高くなってまいりまして、
保護者は教師と学校を選べないから、自分としては塾、おけいこを選べる、要するに
保護者の
ダブルスクール観と申します。だから、学校では遊びとか
集団生活の、またしつけをやってほしい、
読み書き算数は地域の
都市部におきましては塾とか予備校に行かせますよという非常に
保護者の目がきつくなってきたのが第三期で、教師が
生きがいを失ってくる。
それでは困るので、私の提案としては、第四期から授業の腕を上げたり、それから
ボランティア活動というのもやってはいかがかという提案をしております。
私は野球が好きなのでございまして、この教師の三つのタイプを、一期は
先発完投型と申します。昭和三十三年、四年に
西鉄ライオンズがありまして、
稲尾投手という方がおられました、神様、仏様、稲尾様という。彼は九回全部完投したんです。当時の一期の
教師たちは、教育すべてを任せなさい、
学校教育、
家庭教育、
社会教育全部を引き受けた。だから教師様々であったし、
先発完投型が第一期の
教師たち。
第二期になってまいりますと、教師の分業が始まります。ジャイアンツのV9がありまして、当時八時半の男という、大時計がありまして、八時半になってきますと宮田という投手が出てきまして八回、九回を抑えたんです。要するに、野球界でも投手の分業が始まりますけれども、
学校社会でも、昭和四十六年に学校と
社会教育は連携しましょう、
学社連携と申します、これが出てくるのが昭和四十六年です。教師は、例えば八〇%を学校が責任を持つ、あとの二割ぐらいは
社会教育に任せましょうというのがいわゆる
分業体制。
第三期になりますと、ますます分業が進んでまいりまして、先発、中継ぎ、抑え。横浜ベイスターズは
ダブルストッパーを用意しますからね。そうしますと、やっぱり教師も学校だけは押さえる。
家庭教育、
社会教育で
学社融合という言葉が出てまいります。こういう形で非常に
テンポが変わってまいります。
そこで、五番目の
学校病理という視点をちょっと申し上げたいんです。
第一期は幸いにも学校の病理はないんです。
社会病理はありました。非常に貧しかったから
非行少年とかかっぱらいとかありましたけれども、学校の病理は第一期はなかったんです。極めて健全でありました。
それが第二期になってまいりますと、昭和三十二年にソビエトが
人工衛星を打ち上げます。これまでの教育を少し反省しながら、
経験主義と申しまして、はい回って経験ばかりしているから勉強の力がつかないんだと。それでアメリカと日本が反省しまして、理数科に力を入れてまいりまして、
専門言葉で言うならば
系統学習、要するに順番に算数を教えていかなきゃだめだ、理科もそうなんだという
系統学習というのが第二期になって出てまいりまして、有名な
学力論争、このままでは学力はつかないんだという有名な論争があって、若干
学校教育の病理が出てまいりますけれども、まだまだ一期、二期は学校は健全だったと思います。
それが、不幸にも第三期から学校の病理がざあっと出てまいります。例えば昭和五十一年ごろ、
落ちこぼれ七五三という嫌な言葉がありました。ほぼ二十五年ほど前から、当時
小学校で三割、
中学校で五割、高校で七割の方が勉強についていけないんだという
キャッチコピー、
落ちこぼれ七五三というのが出てまいります。
それから、昭和五十七、八年ごろ、
校内暴力と申しまして、今からほぼ十七、八年前、金八先生の第一期ですよね、たの
きんトリオが出てまいりました、あの辺がこの
校内暴力なんですけれども、教師に対して抵抗してくる。
昭和六十年ごろに今度は
いじめが出ます。これは、御承知のように中野区の
葬式ごっこというのがありまして、先生が色紙にサインしますよね、不幸にも。いわゆる六十年に
いじめが始まります。そして昭和六十三、四年ごろに、今度は不登校という問題が出てまいります。平成六年の名古屋の大河内君の自殺から、八年、九年、福岡、千葉とかで自殺が出てまいります。
言うならば、第三期になりますと一気呵成に学校の病理が出てまいります。ということは、第三期というのは、
子供たちにとっては家庭と
地域社会が消えてなくなりまして、学校だけに閉じ込められてくる。
学校人間と申します。だから、第三期において一番学校の問題が出てくるということをまず押さえてほしいんです。
次に、
いじめの問題がございますから、
いじめをどう考えればいいのか。
よく言われますように、
いじめというのはいつの時代にもあったんです、私に言わせれば。だけれども、一期、二期、三期で
いじめの中身が変わってきたんだということを申し上げたいんです。
第一期の
いじめというのは、
集落ごとの
いじめがあったんです。例えば
夏祭りで闘って、おまえのところ負けたからとか、放課後帰るときお互いの集落を
いじめて、みそっかすを
いじめて、だけれども、
いじめられても自分の集落の先輩に訴えれば次の日かたきを討ってくれた。要するに、第一期は
逃げ場があったんです。だから、まだまだ自殺に行かない。
第二期になってまいりますと、
地域社会が消えてしまいますから、学校がだんだん大きく肥大化してきます。そこで、第二期の
いじめというのは、放課後の
いじめなんです。いわゆる
中学校の
部活動があります。例えば
野球部に入った場合に、二年生が一年生を集めて
けつバットとかいって、おまえの球の磨き方はおかしいとかグラウンドの整備がまずいとか言ってねっちりねっちり
いじめたんです。だけれども、一年生は教室に帰れば同級生がいてほっとできた。教室が救いの場であったんです。ですから、
いじめられても
逃げ場があった。
それが第三期になってまいりますと、一番不幸なのは教室の中の
いじめなんです。もちろん教室というのは同学年です。一番居心地のいいところのクラスメートからたたかれていく。要するに
モグラたたきなんですね、順番がかわりまして。一番訴えるところの仲間から
いじめられますから、
逃げ場がない。思春期の場合は教師と親には訴えませんから、まず一番いいのは親友に訴えたいんだけれども、その親友から
いじめられてくる。それで、
逃げ場がないからこういう不幸な自殺という行為に行ったというのが私の解釈でございます。
それで、具体的にもう少し何が不足しているかということを考えますと、七番目に
体験活動。
今、中教審でもいろいろな
体験活動を奨励していますけれども、大きく
自然体験と
生活体験、よく中黒のポツが多いんですけれども、私は二つを分けていただきたい。
自然体験というのは、例えば少年自然の家へ行って二泊三日のキャンプをするとか山登りするとか川遊びするとかという、これは非日常的なことですよね。
生活体験というのは、日常に体験する衣食住とか、まず勉強があります、それから遊びがあります、次に
勤労体験があります、
生活体験というのが。
第一期は、幸いにも
地域社会の中に自然があったから
自然体験と
生活体験ができたんです。それが第二期になりますと、みんな都市に集まってきますから、いわゆる
自然体験が消えます。まだまだ
生活体験はありました。それが第三期になってまいりますと、第四期も含めて、
自然体験と
生活体験が消えてくる。だから、俗に言う生きる力がないというのは、この
自然体験と
生活体験の欠如で生きる力がなくなってきたというように言えると思います。
そこで、わかったと、そういうふうに子供が変わってきた場合に具体的にどういう対応策をとればいいのかということを私なりに考えまして、きょうレジュメの中の六ページから私の提案を七つほど挙げております。
生きる力というのは、いろんな定義がありますけれども、私は、子供の食べっぷりと遊びっぷりとつき合いっぷり、この三つの
ぷりがそろうと子供たちは生きる力がある。不幸にも
学校教育ではこの三つのぷりを教わっていないんです。これまで家庭と
地域社会では、食べっぷり、遊びっぷり、つき合いっぷり──多分、議員の先生方はみんなこの三つが上手だと思うんですけれども、選挙はこの三つがなければ戦ってこれませんからね。多分、健啖家の方が多いし、遊びっぷりも多いし、つき合いっぷりもあると思います。だから、この三つが今の
お子さんたちは非常に乏しいのでございます。
そこで、一番目として、どうしたらいいか。
生活体験学校をつくってはどうかと。
福岡県の庄内町という人口が一万弱の町がありまして、町の土地を確保して
宿泊場所をつくったんです。
子供たちが、
小学校四年生、五年生、六年生が一週間その場所に行きまして泊まって衣食住するんです。お米を一升五合持っていきまして、
おかず代三千五百円を持っていくんです。そうすると、そこで農園があってホウレンソウとかキャベツをつくる。鶏を飼育して卵をとる。ポニーがいますからポニーを飼育している。朝学校に行って放課後その宿舎に帰ってきます。
自分たちで掃除をして、洗濯をし、御飯を炊き、そういう生活をやっている。
これは、一週間ですけれども、異年齢で、四年生と六年生の交流もできるし、指導員はいますけれども、
ボランティアの
お母さんもいまして
手伝いをするという、まさに生活を丸ごと体験する
生活体験学校づくりというのをやっていかないと、もう第一期みたいな
生活環境はございませんもので、やっぱり意図的にそういう空間をつくってはいかがかなという感じがしております。
二番目です。二番目は
地域内交換留学の勧めを提案したい。
山村留学というのがございます。
都市部の方が、例えば新潟の佐渡とか北海道とか鹿児島に行きまして農村とか漁村に一年間留学します。非常に
子供たちがたくましくなってまいります。これはいいんです。だけれども、ちょっと残念なことにお金がかかります。大体平均しますと一月に六万ほどかかります。だから、全部の家庭では
山村留学は無理だろうなと。
それで、だれでもできる、
山村留学の
準備段階としては、まず地域内、自分が住んでいる地域の
交換留学。例えば、
小学校五年生の一組があります、三十五人いて、田中君と佐藤君の家が手を挙げて、一週間だけ交換をする。これはお金がかかりません、布団もあり、部屋もありますから。そうすると
子供たちは、勉強はするわ、
手伝いはするわ、掃除はします。新しい田中君の
お父さんお母さんをそばで見て、ああ何ていいんだろうとか、逆にうちに帰ったら、ああうちの
お父さんお母さんもいいなとか。要するに、ほかの家庭を知ることによって
自分たちの立場を理解するという、これはほとんどお金がかかりません。非常に今の家族というのはクローズしています。昔の家庭というのはオープンでしたけれども、今は非常に少子化でクローズしています。こういう形でオープンしていく。
もう一つの利点は、これから少子化になってまいります。今の
お子さんはいとこ、はとこを余り持っていないんです、子供が少ないから。非常にもう身内が狭い。こういう一週間だけか知りませんけれども
交換留学すると、新しいファミリーをつくれる面がある。そういう意味で、これからの社会においては、多くの方にこういう交換のホームステイですか、それをやっていただきたい。
特に
幼児期、
児童期にお願いしたいんです。
幼児期、
児童期にそういう経験をしますと、その子供が
中学校へ行って突っ張っていますね、
たばこ吸っていますよね、昔宿泊した
おじさんから、おい、明石君何やっているんだ、やめたまえと言うと、ああ済みませんとか、
たばこを消すんです。昔の自分を知られていると
たばこを消すんですけれども、今の社会の場合は、変な
おじさんに注意されても頭に来て向かっていく。言いたいことは、
幼児期、
児童期に
地域社会の中で親戚を含めて知人をたくさん設けてほしいという、それが
地域内交換留学の勧めとして私は提案していきたい。
三番目でございます。これは
商店街の
アルバイト体験の勧め。
今御承知のように、大体人口二万、三万の町では
商店街が寂れていまして、
シャッター商店街というのが出てまいりました。今の予算が通りましたら、
文部省と
通産省が連携して、あの仲の悪い
通産省と
文部省が連携しまして、
通産省は
中小企業の補助金を出す、ソフトは
文部省が当たる。二〇〇二年から
学校週五日制になりまして、
土日休みがある、その土日のときに
商店街に
ボランティアでお
手伝いに行きませんかと。子供が働きに行きますと、
お父さんお母さんがその姿を見に
商店街へ行きますよね。そうすると、やっぱり
売り上げに貢献して、お豆腐屋さんとか
たばこ屋さんで物を買ってくれますよね。それでその
地域社会が繁栄するという利点があります。
私は、それをもう一歩進めたいんです。
ボランティアもいいんだけれども、できたら
アルバイト体験したらどうか。
子供会がございます。また学校でもいいです、
生徒会、
児童会でやってほしいんですけれども。例えば、
小学校五年生の子供が八百屋さんに
手伝いに行きます。
おじさん、私の時間給は三十円ですよと、まず交渉してほしい。それで三十円働いて、一年間に十日間働く。現金の授受をやりますと
児童福祉法に違反しますから、シールだけを張ってもらう。それを十回分で三百円ですよと。
その三百円を
育成会が集計しまして、
単位子供会では
子供たちの
アルバイト体験で二万五千円ありましたよ。それを
商店街の会長さんから為替か何かでもらって、
育成者が貯金しておく。その二万五千円を、
子供会が集まってきて、これがうちの
子供会の
活動資金だよ、年間の
活動プランを練ってごらんなさいと。各担当からいろいろなプランを出してもらって、その予算をつけてあげる。それでまた一年間活動する、そういうこともあってもいいし、ある
子供会ではその働いたお金を
子供エイズ基金に寄附してもいい。
要するに言いたいことは、現金の授受はだめだけれども、働いた対価を自分で稼ぐんだ。一年間頑張って
売り上げが上がれば、また
経営者と交渉して、去年まで三十円だったけれどももう十円上げてほしいとか、そういうネゴシエーションと申しましょうか、自分と他人との
交渉能力というのが非常に今の
お子さんは乏しいのでございまして、そういう意味でいい意味での
アルバイト体験はできないものかと考えております。
四番目でございます。四番目は子供の
遊び学び情報誌を発刊する。お手元に「ティアオ」というのが行っていると思います。結局、先ほど申し上げましたように、二〇〇二年になりますと土曜日、日曜日がお休みになります。休みになってもいいんですけれども、
お父さんと
お母さんと
子供たちが土日何をして過ごしていいかわからないんです。そこで、実は土曜日、日曜日、地域の中でこんな
遊び情報、
学び情報がありますよということを出していきたい。
今これは
文部省から
科学研究費をいただきまして試験的にやっておりまして、千葉市と福岡市と札幌市でこういう
地域子供情報と申しまして発刊しております。それが結構脚光を浴びまして、千葉市ではセブン・イレブンが九十六店舗ありまして、そこに置いておきまして、福岡はローソンが多いのでローソンでお願いしました。これは有料です。千葉は百円で売りまして、福岡は実験ですから二百円で売っています。札幌は郵便局に置いてもらいました。これは無料です。
要するに言いたいのは、
お父さんお母さんたちがだれでも行ける場所に情報誌を置いてみましょうと。千葉で申しますと、二千部置きまして、創刊号は千二百部売れました。当初、私たちは二百部売れりゃいいと思ったのですけれども、結構
お父さんお母さん方はこういう情報を欲している。コンビニというのは、やってみてわかったんですけれども、男文化なんです。千二百部売れまして、六割は
お父さんが買ってくれました。四割は女性なんです。やっぱり、スーパーというのは女性の方が行かれる。一円でも安い方へ行っちゃう。コンビニというのはちょっと割高だけれども、
お父さんたちがこの情報誌を買ってくれたということがわかりました。
文部省が各市町村に補助金を三年間出します。四年目から補助金を打ち切りますから、言うならば各自治体で補助金をもらいながら、あとは
自分たちで有料化していい情報を出していく、それで
子供たちにまた親御さんたちにいい情報を提供するという活動も要るだろうなと思います。
そこで、今四点ほど述べてまいりまして、次に五番、六番、七番、やはりおうちの問題が大事だろう。
今、全国でほぼ三千八百万世帯ございますけれども、その中でやっぱり家の家風をつくってほしい。今、残念ながら、小さなお盆と小さなお正月がたくさんありまして、日常生活に変化がございません。だから
子供たちから、ごちそうさまという言葉が死語に近いんです。そうすると、各家庭で月に一回とかまた年中行事を復活させて、いわゆるリズムのある家庭生活が必要かなと。
そういう意味で家風づくり、古い家風じゃなくて新しい家風でもいいんです、どこにも負けない自分の家の家風があるんですよという、こういう家風づくりというのが一つ大事かなと。とにかく年中行事を興して、そうすると、
お父さんは毎週は帰れませんけれども、年中行事の節分とかひな祭りならば帰れるんです。そこで
お父さんが登場して豆まきをすれば子供から尊敬される。そういう形の家風づくりが一点考えられます。
六番目、中教審とか教課審を初め、新しい学校づくり、特色ある学校づくりをしましょうというのは、やっぱり校風なんです。多分、先生方が行かれた旧制
中学校とか旧制高校、新制高校というのはそれぞれの校風があったんです。校訓とかがありました。今、非常にそういう校風、校訓が消えまして、みんな金太郎あめの学校が多いのでございまして、やっぱり一つは校風づくりをやってほしいなと。言うならば
子供たちが自慢できる学校づくり、これが六番目であります。
七番目、地域カラー、地域色を出していただきたい。例えば、地域の憲章づくりとかをやってもいい。
例えば、長野県の県民は県の歌をほぼ全員歌えるんです、「信濃の国」を。松本と長野は仲が悪いんですよ。仲が悪いんですけれども、オール信州では仲がいいんです。「信濃の国」が一番から十三番までありまして、一番二番は全員歌えるんです。これは、
子供会でも教えるし
小学校で教えます。だから、東京で長野県人会をやったら、一杯飲んだ後に必ず全員で「信濃の国」を歌って帰るんです。だから、冬季オリンピックでもあれだけ
ボランティア活動が熱心で、地域が一体となって頑張っていただける。
だから、ぜひ各県の歌とか県の花とか県の木とか県の鳥とか、まずそういう地域のことを知ってほしい。次に、地域を好きになってほしい。三番目に、地域をよくしてほしい。こういう形で家庭と学校と地域、これはトライアングルと申しますけれども、それがまとまって
町づくりに貢献できると青少年の
健全育成が可能かなと思います。
以上、私の持ち時間が参りましたので、この辺で提案を終わりたいと思います。