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参考人(堀尾輝久君) 現在、中央
大学におります堀尾です。
私は、
東京大学にいたときには
教育哲学、
教育思想を講じておりました。現在は中央
大学の文学部と法学部で主として国際
教育論と
教育法を教えております。そういう専門の
立場から、そして
国民の一人としてこの問題に対する
意見を申し述べたいと思います。
私は、結論的に言いますと、
国旗を
日の丸とし
国歌を
君が代とするという法案の成立に対しては、余り急ぐべきではない、十分に審議を重ねるべきだという
意見を申し述べたいと思います。
そもそも、
国旗・
国歌というものをどう考えるか。
これは、現代を、そして二十一
世紀へ向けての国際
社会の
あり方を考えるとき、それを私は地球時代というふうに考えようとしているのですけれども、それは地球上に存在するすべての
人間、すべての
民族、すべての
国家が一つの連帯感を持って共生しなければならない時代に入ってくるのだということであります。
その際、それではネーションというものはどうなるのか。いきなり地球
市民、地球時代における地球
市民の
教育というわけにはまいりません。
国家の存在というものを私は認めるものであります。当然、
国家を単位としてインターナショナルな
関係というものがつくり出されなければならない。その限りにおいて、その国を
象徴する
国旗・
国歌というものは必要であろうというふうに思っております。
しかし、それは
日本日本と、国際
社会の競争に打ち勝つというような仕方で出ていくような
国民意識ではなくて、この国際
社会、地球時代にふさわしい
国民意識をどういうふうに育てるか、そういう観点からのネーションの
意味をとらえ直すということが必要なわけで、これからはできるだけ国境は低く、余り
日本日本と言う必要のない、すべての存在するもののユニークなその価値を認め合うという、そういう
社会と国際
関係をつくるべきではないかというふうに考えています。
そうした場合、それでは今必要だと言いました
国旗・
国歌でありますけれども、問題は
日の丸・
君が代というものが
国旗・
国歌たり得るかという問題であります。
高橋さんの今のお話では、専ら
国旗・
国歌ということで、
日の丸・
君が代の問題について触れられたわけではありません。
なぜ
日本の
国民の間に
日の丸・
君が代を早急に
法制化することに対して批判があるのか、あるいは
学校現場でそれを押しつけることに対して批判があったのかということは、決して
教育関係者がかたくなな
意見を持ってそれを
教育したから
定着しなかったのではないわけであります。
日の丸・
君が代が果たして
国旗・
国歌たり得るのかという問題について、
国民は多くの疑問を持っているということがあるわけであります。
さらに、
日の丸と
君が代を同じレベルで考えていいんだろうか。
日の丸は
日本国の
象徴として、その
日本国というのは戦前の
大日本帝国憲法下の
日本、そして現在の
憲法を含んで
日本国、あるいはさらに遠い
歴史を含んで
日本国の
象徴としての
意味を持つことはできるというふうに私は思っています。しかし、
君が代は果たしてそうなのか。これは歌詞があり曲がある、そして限定された
意味がある。そういう
意味でいうと、この
日の丸と
君が代を同じオーダーで論ずるべきではないというふうに思っております。
もちろん、この
日本国の
象徴としてのということで
日の丸・
君が代も果たした
役割があり、特に戦前はそれが
侵略の
シンボルとして利用されたということも事実であり、それだけに
日の丸に対してもやはり厳しい見方が残っているのは当然のことであります。
この
君が代に関してもう少し述べてみますと、いただいた「
国旗及び
国歌に関する
法律案関係資料」、この
法律案の提案理由を見ますと、「我が国におきましては、長年の慣行により、「日章旗」及び「
君が代」が、それぞれ
国旗及び
国歌として
国民の間に広く
定着しているところであります。」というふうに書かれています。
しかし、広く
定着していなかったからこそ現在のような問題になっているんだというふうに考えざるを得ません。そして、長年の慣行と言う場合、これは戦前からのということを当然に
意味しているわけで、それでは戦前、戦後を通して慣行が成立していたか。決してそうではなくて、この長年の慣行と言われるものの中間に、つまり一九四五年が入るわけでありまして、
大日本帝国憲法から現在の
日本国
憲法への変化という問題を含んでどう考えたらいいのかという、その
象徴の
意味をどう考えるかということが実はあるわけであります。
例えば、もし私も教師として
君が代を教えなければならないとしますと、この法案の別記第二のところに、
君が代の歌詞及び楽曲が載っています。これを一年生から繰り返し教わることになります。子供
たちは次第にこの歌ってどういう歌なんだろうと。よく見ると「古歌」と書いてあります。作曲は林広守と書かれています。古歌とはどういう
意味なんだろうか、林広守とはどういう人だったんだろうか。これは子供が好奇心を持ち、探求心を持っているならば当然問われる問いであります。そして、この「君」とは何かを先生は教えなければならない。
衆議院での
議論を拝見しましたけれども、
君が代の「君」というのは
天皇である、「が」は所有の「が」であり、「代」は時代であり国であるという
説明を一方でしながら、では
天皇の国かというとそうではなくて、
国民統合の
象徴としての
天皇を持つ我が国と教えなければならないことになっています。これは非常に子供は戸惑うし、先生も戸惑うのではないでしょうか。
調べる子供は、古歌、先生も教えるかもしれません。和漢朗詠集あるいは古今和歌集にあった歌なんだ、そしてそのとき
君が代であったりあるいは我が君と言われたこともある。「君」とは恋人であったり君のことだよというふうな教え方もすることになっていくわけです。それと
国民統合の
象徴としての
天皇とはどういう
関係になるのかということで、子供も戸惑い、先生もこれは戸惑うのではないか。そして、作曲者、林広守という人は何者なのか。
君が代の作成過程についても
歴史の関心を持つならば、当然これを調べていく人もいると思いますし、私自身、実は
教育史に関しても深い関心を持っています。その領域では、例えば山住正己さんなんかは本当に
専門家なんですけれども、山住さんがこの
君が代の
成立過程については詳しい、これはドクター論文の一部でもあるんですけれども、
研究をしています。
そうすると、最初にフェントンというイギリス人に、陸軍の大山巌が、
国歌が必要なのではないかと言われて彼につくらせた曲、しかしそれは
日本人にはなじまないということで歌われなくなる。今度は海軍から宮内省に
国歌をつくってはどうかということで、宮内省の式部寮雅楽課が
君が代をつくる。そのときエッケルトというドイツの音楽家も協力する。この林という人はどうもこの雅楽課におられた人ではないかということになるわけです。
しかし、この曲も実は余りうまくいかなくて、
文部省はその後さらに
国歌の選定を音楽取調掛に命じている。しかし、音楽取調掛はとても
国歌はつくれない、難しいんだということでその命令を返上する。そこで、エッケルトも参加した宮内庁の曲がこの
君が代の曲になっていく。しかし、まだ
国歌として認められたわけではなくて、これが
国歌として広く
教育の場で使われるようになってくるのは、実は一八八九年、
大日本帝国憲法の成立、そして翌年の
教育勅語の成立、その翌年に小
学校祝日大祭日儀式規程というのができて広く
君が代を歌うようになっていく。そういう経過があるというようなことも、実はこの
君が代の
歴史ということでは当然興味の関心になっていくということになります。
有馬文部大臣も
歴史をきちんと教えなきゃいけないというふうに言われているようです、記録によりますと。この
君が代の
歴史についても、多分こういうことを知った場合に、果たしてこういう
歴史を持つものが
国歌たり得るんだろうかということになります。
その前にもう一つ言わなければなりません。一九四五年、
大日本帝国憲法が現在の
憲法に変わった、そのことによって実は
天皇の
意味というものが大きく変わってくるわけであります。長い間慣行としてと提案理由には書かれていますけれども、しかし一九四五年、あるいは新
憲法の成立、そのことの
意味をどうとらえるかということが非常に大事な問題なわけで、私は、この
憲法第一条なるものをどう解釈すべきかということで、古い論文を持ち出して、今もう一遍御紹介しようと思います。
これは「註解
日本国
憲法」、昭和二十八年、一九五三年に出された
日本国
憲法のいわば注解書としては最も
権威ある書物であります。私自身、実はこの二十八年に東大の法学部に進み、そして
宮沢俊義先生に
憲法の講義も聞いたわけであります。
この第一条をどう解釈するか。第一条は
天皇です。
天皇をたたえる条項を第一条に置いたのか。そうではないんですね。つまり、
大日本帝国憲法、そこでは
天皇は統治権の総攬者であり、陸海軍の総帥であり、そして
教育勅語を通して
国民の精神的な
権威の保持者であったその
天皇が、今度はそうではない、この国の
あり方が大きく変わるんだ、
天皇主権から
国民主権に変わる、そのことによって
天皇は
象徴になったんだ、
象徴でしかないんだということを例えばこの解説書では強調しているんです。
読んでみます。「本条は、
日本国
憲法の冒頭において、この
憲法の基本的組織
原理を表明したものである。」、この基本的組織
原理とは何か。「即ち、
国民主権主義の
原理である。第一条の規定が含まれている第一章は
天皇と題されており、従つて本条は、規定の直接の目的からいうと
天皇の
憲法上の地位を宣明したものであるようにみえるが、しかし規定
自体の趣旨は、むしろ新
憲法における
天皇の特殊な法的地位を宣明することによつて、結局その基礎である
国民主権主義の
原理を確認するにあつたといわなければならない。」、こういうふうに書かれているんです。
憲法体制が大きく変わり、
天皇の
意味も大きく変わった。
君が代は残っている。その場合に、先ほど私は、
日の丸というのは
日本という国の
象徴たり得るだろう、それは戦前の
侵略の
歴史も含み、しかし現在の
憲法を持っている新しい
日本の
象徴にもなり得るだろうと。
しかし、
君が代は、その「君」が
天皇である限り、
天皇の位置づけが大きく変わったのであって、
天皇主権から
国民主権へ変わった、その
国民主権にふさわしい歌が本当は必要なんじゃないのかということになるわけで、
国民主権、人権の尊重、平和主義、さらには二十一
世紀にふさわしい国際的な感覚を持った歌、あるいは子供こそが
未来である、そういう思いを込めた新しい歌こそがつくられていいのではないかというふうに私は思っているわけです。
改めて提案理由を読みますと、「政府といたしましては、このことを踏まえ、二十一
世紀を迎えることを一つの
契機として、成文法にその根拠を明確に規定する」と書いてあります。二十一
世紀をどう考えればいいのか、そこが実は大きな問題でもあるわけです。
私は、冒頭で、地球時代こそが開かれていかなければならないという思いを込めて、その中での国の
あり方というものを考えなきゃいけない、そこではそれこそ平和
憲法こそが国際的にも非常に大きな誇り得る
憲法ではないかというふうに思っているのですけれども、そういう
議論がここで大きく出てもいいじゃないかと。確かに、戦後五十年何もできなかったということは本当に残念なんですけれども、二十一
世紀を迎えるということを一つの
契機にして、政府はなぜ
国民主権、そして平和主義、地球時代にふさわしい新しい歌をつくろうではないかというふうな問題提起をしなかったんだろうかということを非常に残念に思っております。
なぜ現場の先生
たちに批判が強いか。これは、こういう問題を本気で考えざるを得ない
立場にあるから批判も強いのであります。森幹事長が、
教育界には反対の人が多いから
法制化してきちんとやる必要があるんだというふうに
発言しています。これは非常におかしなことなんで、本気で問題を考えようとすればいろいろ疑問がわく。私が今申し述べたのもその一つであります。
本気で考える人は
教育界だけではありません。今度の問題に対して慎重に
議論しようという声はたくさん上がっています。それは
世論調査の数字だけではありません。例えば、日弁連も慎重にすべきだという声を上げていますし、あるいは演劇人も
署名をして声を上げています。あるいは東大の先生方も百人近い方が
署名をしています。そういう動きというものは、本気でこの問題を考えようとする人にちょっと待てよということで疑問がふえているのでありまして、
世論調査ももちろん、本気で考えようじゃないかということで、だんだんと批判派がふえている。
専門家は本当に心配の声を上げているんです。その声を無視して強行採決するようなことがあっていいんだろうか、私は本当に心配になっているわけであります。
この二十三日、衆議院で法案が通ったその直後ですけれども、心ある人
たちが集会を持ちました。それは非常に広い範囲での集会の持ち方でした。宗教家が声を上げ、
教育者が声を上げ、法律家が声を上げ、そして文学者が声を上げ、あの日比谷野外音楽堂に、主催者としては三千人ぐらい集まるかなと考えていましたけれども、六千五百人の人
たちが集まって、そして
自分たちの
意見を表明したわけです。そういう動きにもっと国会の方々は耳をかし、そういう動きを注目してほしいと思うんです。もちろん世論の数字と、それからそういう
専門家たちの
意見、
専門家は
専門家としてと同時に
国民の一人として心を痛めているんだというふうに思っています。
今の
国旗・
国歌、そしてそれをどう考えるか、
日の丸・
君が代が
国旗・
国歌たり得るかという問題についてお話しましたが、もう一つ、私は
教育関係者でありまして、この問題に
教育という観点から非常に心を痛めている者の一人であります。
この
法制化の背景は、二十一
世紀にふさわしい云々ということも理由上には書かれていますけれども、より直接的にはこの二月の末に広島の校長先生が亡くなられた、その事件がきっかけであることは明らかなことであります。その問題を解決するためには、法律という根拠を持たせて、そして職務命令の根拠を強めようというのがこの
法制化の現実的なねらいである、これも明らかなことであります。
しかし、
法制化することによって問題が片づくだろうか。これは逆であります。むしろ
混乱が広がる、不信感が広がるだけではないか。とりわけ、職務命令だからそれに従わなければならない、従わない者は処分する。しかし、職務命令の根拠というのは何なのか。公務員だからだということが挙げられます。それから、
公教育の教師だからということが言われます。しかし、それは丁寧に考えればとてもじゃないけれどもそんな
議論でいいのか。
この職務命令を強行する理論的な根拠として、特別権力
関係論というのがございます。これは行政法の理論で、戦前のいわば命令を強行する根拠として、一般的な
市民と
国家との
関係ではなくて、例えば公務員の
世界では特別にその権力の命令に従わなければならないという
議論であります。現在使われている
議論は、まさに今
文部省が使っている
議論はそれであります。しかし、この特別権力
関係論なるものが、例えば行政法学界でどういうふうなとらえられ方をしているかということをちょっと御紹介します。
これは、兼子仁という
教育法の
専門家、私と一緒に「
教育と人権」という本も書いた人ですけれども、
教育法学界の
権威者と言っていいと思いますが、彼がこの特別権力
関係論に対して、「行政法学界においても、特別権力
関係論一般に対して批判が強まり、こんにちでは、特別権力
関係論の不必要説をも合わせて、もはや特別権力
関係論は通説ではないのみならず一般に積極的な学説の支持が得られなくなっている。」というふうに書いて、文献をたくさん挙げています。これは、田中二郎先生を初めとして行政法学界の泰斗
たちの
議論が、特別権力
関係というのは古いんだということを強調している
議論になっているわけです。
それに加えて、これは公務員の領域ですけれども、
教育公務員の特殊性というものをどう考えるのか。
公教育あるいは公立
学校だから従わなければならないという理論的な根拠はないわけであります。私自身、先ほども申しました
教育法学を講じている身であります。そして「人権としての
教育」という本を書いている
人間でもあります。そういうところからすると、そういう
考え方自体が戦後の人権の主張、そして子供の権利を軸にし、
教育とは何かというものを
教育行政の軸に据えなければならない。
そこで、
教育行政の責任と限界というものが戦後の
教育行政の
あり方を大きく方向づけている
議論なわけでありまして、
公教育だから、公務員だから従わなきゃいけない、そんなことはないのであります。むしろ、職務命令の内容
自体が
憲法違反である、そういう問題をどう考えるかということが大きな問題で、それが子供の内面の自由、さらに教師の思想、信条の自由を抑圧することにならないか。さらに、
教育研究に関してもそれははね返ってくる、そういう問題を持っているということを指摘したいと思います。
ちょっと時間を超過して済みませんでした。