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1999-08-03 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年八月三日(火曜日)    午前十時開会     ─────────────    委員異動  八月二日     辞任         補欠選任      山下 栄一君     松 あきら君      林  紀子君     阿部 幸代君  八月三日     辞任         補欠選任      佐藤 雄平君     本岡 昭次君      阿部 幸代君     畑野 君枝君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         岩崎 純三君     理 事                 鴻池 祥肇君                 溝手 顕正君                 江田 五月君                 森本 晃司君                 笠井  亮君     委 員                 市川 一朗君                 景山俊太郎君                 亀井 郁夫君                 中川 義雄君                 南野知惠子君                 橋本 聖子君                 馳   浩君                 森田 次夫君                 足立 良平君                 石田 美栄君                 江本 孟紀君                 竹村 泰子君                 本岡 昭次君                 松 あきら君                 山本  保君                 阿部 幸代君                 畑野 君枝君                 山本 正和君                 扇  千景君                 山崎  力君    事務局側        常任委員会専門        員        志村 昌俊君        常任委員会専門        員        巻端 俊兒君    参考人        東京大学大学院        総合文化研究科        教授       石田 英敬君        武蔵野女子大学        教授       杉原誠四郎君        明星大学人文学        部教授        感性教育研究所        所長       高橋 史朗君        中央大学教授        東京大学名誉教        授        前日本教育学会        会長       堀尾 輝久君     ─────────────   本日の会議に付した案件国旗及び国歌に関する法律案内閣提出、衆議  院送付)     ─────────────
  2. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を開会いたします。  委員異動について御報告いたします。  昨日、山下栄一君及び林紀子君が委員辞任され、その補欠として松あきら君及び阿部幸代君が選任されました。  また、本日、佐藤雄平君が委員辞任され、その補欠として本岡昭次君が選任されました。     ─────────────
  3. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 国旗及び国歌に関する法律案議題といたします。  本日は、本案の審査のため、参考人として、午前は、東京大学大学院総合文化研究科教授石田英敬君及び武蔵野女子大学教授杉原誠四郎君に御出席いただいております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。  皆様方には、ただいま議題となっております国旗及び国歌に関する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず石田参考人杉原参考人の順序でそれぞれ二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は、意見質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。  それでは、まず石田参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。石田参考人
  4. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 東京大学石田英敬と申します。  資料を用意しておりましたのですが、現在ちょっとどこかに置き忘れたみたいで、後ほど多分見つかると思いますが、とりあえず用意していた発言内容を発表させていただきたいと思います。  私は、記号コミュニケーション研究専門家として今日ここでお話をさせていただきます。と同時に、この法案が提案されることがはっきりしたこの六月以降、私たちのような人間科学社会科学の比較的新しい研究分野で、特に日本近代について、国民国民国家近代性記号や表象といった問題を研究してきた研究者知識人たちが出した日の丸君が代法制化に反対する共同声明起草者の一人として、そして共同声明署名者としての発言ともなるということをあらかじめ申し上げておきます。  この共同声明は、八百を超える署名者共同署名者といたしまして、ニューヨーク、カリフォルニアからパリ、オスロ、ライプチヒ、香港、台湾、ソウルに至る、国際的な第一線の研究者を含む研究者知識人による共同声明です。  したがいまして、私がこれから述べます意見は、もちろん一人の学者としての私の個人的な見解ではありますが、同時に、国民国家、ナショナリズム、国民国家記号象徴関係についての研究といった問題について世界各地大学で日ごろ研究を行い、その知見に基づいて、今回の法制化について重大な危惧を表明している国際的な研究者たちの定説や共通した考えをある程度代弁するものであるということを御理解していただきたいと思います。  今回意見陳述を求められております国旗及び国歌に関する法律案が提起しております問題を、私たちのように国民国家近代共同体研究する立場から一言で定義するといたしますと、これは国家象徴政治の問題であると言うことができると思います。  それは具体的には、どのような記号象徴、すなわち旗にしても歌にしても、意味を生み出す記号シンボルということですから、どのような記号象徴を通して国民国家共同体をつくり出すのか、確認するのか、を国家政治的に決定することにかかわる問題であるという意味で、これは国家象徴政治にかかわる問題だというふうに考えるわけです。  これは、言うまでもなく国の根幹にかかわる重大な決定がかかっている事件であり、これこそすべての国民による広範な議論と十分な論議が尽くされるべき問題であることをまず述べておくことにいたしましょう。  限られた時間での意見陳述ですので、私が提起いたします問題の論点をあらかじめ幾つかに絞って整理して述べていきたいと思います。  今回の国旗国歌法制化に関して私が提起したい問題の論点は、ほぼ次の五つです。  その一、今回の法制化天皇制の問題。二、今回の法制化がもたらす記憶封殺の問題。三、今回法制化されようとしている日の丸君が代が、私たちの用語でスペクタクル社会と呼びますが、見せ物とかマスメディア支配するような社会、そのような今日のメディア情報社会においての集団的忘却回路とこの問題が結びつく可能性が提起する問題、これが第三点。四番目、特に学校教育において強化されると見られる象徴権威作用がもたらす問題、これが第四点。第五点は、それらすべての問題が私たちの国の民主主義にもたらす危機の問題であろうという、以上、五つの問題を論点として私の意見を述べさせていただきたいと思います。  第一に、天皇制の問題です。  周知のように、日本近代国民国家は、天皇制という象徴的な権威体系をつくり出すことによって国民統合を行いました。人々は古い共同体から引き離されて、天皇制国家象徴体系の中に呼び込まれることによって国民となったのです。そのとき、近代天皇制象徴体系の中に呼び込むための象徴装置役割を担ったのが、日の丸君が代御真影教育勅語といった、明治国家によって新しくつくり出された記号でした。  これらすべては古来からの伝統ではなく、近代国家をつくるための新しく発明された伝統であったということが重要です。日の丸は、のぼりなどとは違って、ヨーロッパ的規格に基づく当時としては新しい視覚記号、目に見える記号であり、君が代は、洋楽と雅楽の折衷のメロディーにより歌詞の意味近代的に組みかえた新しい歌、御真影も、外国人画家が描いた天皇の肖像を写真として複製したという、二重の意味で新しい記号でした。  それらの記号は、公教育を通して、未来国民としての生徒たち身体の中に刷り込まれたのです。天皇を唯一の超越した「君」と呼ぶことで、一人称の私たちは、一人一人が、天皇という超越的な君主臣下としての国民、すなわち明治憲法下における臣民になる。これらの国民を制作する象徴装置によって、人々大日本帝国という近代的国民国家君主に対する臣下として統合されていったと考えられます。  今回の法制化問題点は、戦後の第二の国民国家において、「あいまいなまま」にとどめられていた明治憲法下における国家象徴装置だったそれらの記号を、再び国民をつくり、あるいは、国民自己国民として確認するための国家記号として明示的に定めようという点にあります。  このときに問われるのは、当然、大日本帝国憲法下近代日本の第一期国民国家における象徴的な権威としての天皇制と、戦後の日本国憲法下の第二期国民国家における象徴天皇制との関係であるということが言えます。  しかし、また同時に、現在の国民国家を単位とする世界システム再編期、すなわちこれが冷戦の終わり以降の世界新秩序の問題だと言うことができますが、その世界システム再編期とのかかわりからいうと、明治憲法五十余年、戦後憲法五十余年という二つ国民国家を経て、恐らく今姿をあらわしつつある二十一世紀の第三期国民国家としての日本における天皇制の確認と再定義の問題がここで焦点となっているのであろうと分析することができます。  君が代の「君」をめぐっての六月十一日の政府見解や六月二十九日の小渕首相による補足は、天皇制象徴体系について戦前と戦後の連続性を初めて政府見解として明言したものですが、引用いたしますが、「二十一世紀を迎えることを一つの契機」に、「成文法で明確に規定することが必要」という首相説明は、来るべき第三の国民国家においては、明治憲法下における国家象徴が再定着、再定義されるべきだという意思の表明だと理解できます。  以上が天皇制をめぐる問題です。  第二の論点は、多くの人々が既に訴えているように、この法制化記憶封殺につながらないかという問題です。  日の丸君が代は、日本近代国家成立過程において、国内においては国家による国民の強制的で規律的な統合道具になったし、朝鮮台湾支配に見られるように植民地化と異民族の併合、そして特にアジア近隣諸国に対する戦争侵略道具になりました。第二次大戦後、日の丸君が代が批判され議論の的となってきたのは、そのような日本国家の過去の行いについての記憶を持つ人々が現に多数存在しているからです。  日の丸君が代は、国内における文化的、民族的、宗教的マイノリティー戦争犠牲者たちアジア近隣諸国侵略を受けた人々社会的記憶象徴となっている。法制化はそれらの人々記憶にどのようにこたえるかを示してはいません。今回の私たち共同声明には、アジア研究者のほか、アジア諸国からの留学生や、逆に日本からアジア諸国に留学して研究を行っている大学院生がたくさんの署名を寄せました。  そのような日本の過去の歴史を反省する議論を打ち切り、法による封印をすることになるのではないか。過去の侵略歴史事実を否定したり虐殺を否認したりする歴史修正主義が無批判に流布される傾向が存在しているこの国では、過去をまともに正視し、きちんと整理した上で国の未来議論するという契機をないがしろにしてしまうような国家の不道徳がさらに蔓延することにならないかというのが研究者知識人の深刻な懸念であると申し上げておきましょう。  しかも、社会的記憶については、侵害を受けた側の方が侵害を行った側よりもずっと長く記憶を維持し続けるものであるという、これまた極めて人間的な事実も思い起こされるべきでしょう。国民への定着を言うのであれば、それらのシンボルが、在日韓国人在日朝鮮人人々アジア近隣諸国人々にどのようなイメージとして定着しているのかをも調査し、検討すべきなのではないでしょうか。  第三点、スペクタクル社会という問題ですけれども、オリンピックやワールドカップなどのスポーツイベントにおいて国民国家象徴が果たす意味作用をもって、それらの象徴人々に広く受け入れられたものとする見方が流布しています。それは、私たちのような研究を行う文化記号論的な立場から言うと完全な誤りです。スポーツゲームである。すべてのゲームは便宜的な象徴記号の働きによって可能になるのですが、それはその場限りで共有されたルールに基づいてつくり出される意味経験にすぎない。そして、すべてのゲームは、世界の時間からの離脱と歴史の一時的な忘却をつくり出すという効果を持っています。人々は、現実から一時離れ、自分生活をひととき忘れるためにこそゲームするのです。スポーツなどのゲームによって生み出される人間意味経験は、その場でのプレーがつくり出していくものにすぎません。  メディアイベント支配するスペクタクル社会は、これを見せ物社会と言ってもよろしいと思いますが、そうした象徴ゲームによる忘却装置社会の至るところに持つことになりました。そして、それは歴史忘却を生み出すに至った。  しかし、歴史の中に蓄積された社会的記憶の問題とゲームが生み出す集団的忘却とを同じ水準で論ずることはできないのです。社会は、さまざまな水準経験を組織し、同じ象徴でもそれらの水準において違った機能を担っています。マスメディア自体スペクタクル社会の担い手であり、水準混乱を引き起こし、歴史忘却を促す役割を果たしつつあるとも言えます。  例えば、サッカーのサポーターが日の丸をボディーペインティングして熱狂することと、学校国旗掲揚儀式化を通して国民国家一員になるということは、同じシンボルを介したものであるとしても、全く違った意味経験です。前者は、観客の一人一人が想像の中でせいぜい日の丸サッカーチーム一員になるといった程度想像的経験にすぎない。ところが後者は、国民国家運命を引き受ける習性を持った一人一人の国民主体になることを意味している。それは国や国民歴史運命を引き受けることをも含むものです。  両者がまぜられ水準混乱するときに、スポーツイベント政治利用の問題があらわれることになります。このような水準混乱政治利用経験は、旧ユーゴスラビアの一九八四年のサラエボ冬季五輪とその後のバルカンの紛争や、ナチス・ドイツのベルリン・オリンピック民族の祭典の経験が教えているものです。  四番目に参ります。  象徴は、人が何かを語るときの後ろ盾にもなり、権威体系と結びつくことができます。国民を生み出す象徴装置という役割を既に述べましたが、日の丸君が代天皇制象徴体系は、そのような権威体系として成立し機能してきました。  そして、再び日の丸君が代は、学校においてそのような権威規律体系強化するために再び使われようとしているのではないか。国家象徴体系と権力の系列関係学校において整序され対応するようになると、教育という行為がどのようなものになっていくのかという問題がここにはあります。  国民国家教育という場合、教育役割国民の再生産ということですから、その再生産は、理論的には市民社会国民を基礎にして行われるというあり方、すなわち国民による国民のための国民教育というあり方と、国家ヘゲモニーを持って国民をつくり出していくという二つ方向性があり得ることになります。法制化は明らかに後者傾向に、国家ヘゲモニー傾向象徴的な裁可を与えることになります。  国家による教育強化によって、市民社会における市民教育の自由はますます狭められていく。そのことによって、教師たちはますます物言わぬ人々へと変えられていき、生徒たち規律による教育の受動的な受け手に変えられていく。そして、市民公教育への参加の契機はますます閉ざされていくことになりはしないか。  先ほど紹介いたしました私たち共同声明は次のように述べています。   かつて一度も法制化されたことのなかった国旗国歌を、法制化によって正当化しようとするこの動きが、主として学校教育の場を念頭において進められていることも、私たち懸念をより深刻なものにしています。いま学校教育にもとめられているのは、有無を言わせず「日の丸」を掲げ生徒たちに「君が代」を歌わせることではないはずです。疑問を封殺するために国家の規範を強制するのではなく、世界人々と共生することができる国や社会原理とはなにかを生徒たちに考えさせること、他の国々との相互歴史認識を深め、国の内外の異なった言語や民族文化人々と共に生きる市民社会基本的価値原理とは何かについての議論を重ねることからしか、国民的同一性についての真の教育は根付かないのではないでしょうか。 と、このように述べております。これが、国家教育強化か、市民社会に基づく教育かという対立にかかわる今回の法制化問題点です。  最後に、以上に述べました問題点を総合してみた場合に、法制化が私たちの近未来社会にもたらす影響についての論点があります。  学校では、日の丸君が代という古風な記号を強制され、規律権威ルール体系身体に刷り込まれ、他方、学校の外では、ますます拡大し続けるスペクタクルメディア社会忘却ゲームにのみ込まれていくというような生活定着するときに、国民とはどのようなものになっていくことを運命づけられるのかという問題です。  同じような生活は、学校を終えた後の国民生活の基調でもあり続けるでしょう。例えば、仕事の場においては権威規律関係支配され、仕事の外ではマスメディアスペクタクルの、見せ物支配に流されていくという生活、それは基本的には今でもよく見なれた国民生活の光景と言えるかもしれません。  国家イメージをつくる記号に関してそのような回路定着してしまうとき、決定的に欠落してしまうのは、実は、私たち市民社会とは何か、国民とは何か、国とは何かという問いかけと反省の理性的な契機なのです。  法という沈黙のおきてによって決められた国家象徴の囲いは、市民社会自己イメージ化を許しません。国家象徴をみずから動機づける、モチベートする対話を許さない。そして、スペクタクル社会は、みずからの最も近い過去の歴史を問う回路をあらかじめショートさせてしまう。国民自身が自問すること、自分たちの過去の歴史についての議論を公共化し、自分たち未来をともに考えて決定することや、他者とのかかわりにおいて自己を問題化するための契機市民社会原理に基づいた理性的な他者との、そして自分自身との対話契機をこの国は失ってしまうことにならないか。過去の記憶封殺と、集団的忘却をつくるメディア社会の仕組み、そして権威体系強化、それらが国家シンボルをめぐって結びついたとき、私たちの国から一体何が失われていくのか。それこそ、私たちがもう一度理性的に考えてみなければならないことではないでしょうか。  その意味で、今回の国旗国歌法制化は私たちの国の民主主義の大きな危機を予告していると、私は多くの研究者知識人とともに深く危惧せざるを得ないのです。  いずれにいたしましても、冒頭に申し上げましたように、今回の法制化は、日本国民国家基本原則にかかわる国と国民未来にとって重大な問題でありますので、拙速な決定は避けるべきであります。多くの国民が慎重に議論を重ねた上で決定すべきであると考えていることは新聞社による世論調査の結果等が示していることでもあります。  この問題については、広範な国民的議論が行われなければならないと思いますし、だれの目から見ても問題のない民主主義的なプロセスを経て決定が行われることが何よりも重要なことであろうと思います。国民世論国民の声の負託が議会に反映されるという代議制民主主義基本原理にもとるような、国会内的な数合わせによって採決決定されるには、事は余りに重大な案件であり、二十一世紀国民国家未来にとって禍根を残すことのないよう、十分な審議を尽くすことを国会には望みます。  以上、私、石田英敬からの参考人意見陳述でした。
  5. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ありがとうございました。  次に、杉原参考人にお願いいたします。杉原参考人
  6. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 武蔵野女子大学杉原と申します。  私は、教育学を専攻しておりまして、教育学立場から話したいと思います。  教育は今日、大変混乱崩壊状態にありますが、それを支える教育学もしっかりしていないがゆえに、そういう意味教育学に対してじくじたる思いがあります。その立場から見た範囲内で憲法とか日の丸とか国歌について述べたいと思います。  まず、教育立場から四点あるんですけれども、まず一点、憲法制定手続をどう理解するかということです。今日の憲法改正関係しては、改正憲法論という立場と民定憲法論という立場占領憲法論という立場、大きく分けるとこの三つで、民定憲法論というのを極端に言いますと、宮沢俊義の八月革命説、要するに日本が降伏したときに革命があったという考え方です。占領憲法論というのは、極端に言いますと、これは占領軍に押しつけられたのであるからそれ自体が無効であるという考え方であります。  八月革命説というのは、これは事実に反しますので違いますが、教育学立場から見たときに、この憲法無効論ということも採用できないのでございます。これは、憲法前提教育基本法が成り立ち、教育基本法前提学校教育法が成り立つ。それによって学校を設立、運営して教育をしておりますので、そのためにその根本である憲法教育で否定することはできないわけであります。したがいまして、教育学から見たときには、憲法学としては多様な見解が成り立つかもしれませんが、教育学立場からは改正憲法論、すなわち大日本帝国憲法改正手続を経て生まれたものであるという論であります。それが教育学から見たときの改正手続に対する結論です。  第二点としまして、今日の憲法象徴というものをどう解するかという問題がありますが、象徴とは通俗的に言いますと君主の属性をあらわす言葉のようですが、昭和二十四年八月に文部省から出ました社会科、十五番目の教科書で「社会政治」という教科書があります。そこの中では、天皇君主であるという説明をしております。  今日の天皇は、この憲法のもとで政治的権能は持っておりませんが、しかしながら、日本の長い歴史とか文化とかという意味において、象徴という意味は、占領期に出された文部省教科書に書いてある君主という考え方でよいのではないかということが言えるのではないかと思います。この主権とか国体とか君主とか元首とかいう言葉相互関係しておりますので、いろいろ説は分かれるところがありますけれども、しかしながら日本の場合、長い歴史を背景として憲法改正のときに象徴天皇制を明確に認めたわけでありますから、象徴天皇主権在民制というふうなことになります。  では第三点でございますが、そういうふうな象徴天皇制憲法に載せたような制度がこれからの国家にたえるのかたえないのかという、ここでは先ほどの石田先生の考え方とかみ合う、議論の余地のあるところだと思いますが、これからの日本というか、世界のそれぞれの国が国際協調をしながら国際化していかなければいけない時代の趨勢にあるわけであります。  そういう時代で、最終的には世界連邦とか世界国家というふうな状況に何世紀か後になっていくのかもしれません。そうすると、今まで存在していた国家というものは、世界国家の中で地方自治というふうな立場になっていくかと思います。世界国家になっても言語が一つになるわけでもありませんし、風俗が一致するわけでもありません。そうすると、それぞれの地方自治という現在の国家は、それぞれ個性を持ち、それぞれの歴史意味を生かしながらアイデンティティーをそれぞれに形成し、持続させていくものだと思います。そういう意味で、我々は古い歴史を担い、その歴史をまた次の世代に伝えていくという役割を持ちながら文明の進化に合わさっていっているんだと思います。そういう意味で、象徴天皇制というものが憲法にあるということは、これは決して世界の文明の進展に反するものではないというふうに思われます。むしろ、世界の文明の発展に合わせて、日本というのが非常に個性を持った、アイデンティティーを明瞭に持った平和的な国家というか地方自治というものになっていくということで、世界の文明の発展にむしろ貢献するのではないかというふうに思っております。  次の四点目というのは、日の丸とか君が代の問題を直接お話しします。  先ほど憲法の改正は大日本帝国憲法改正手続によってなしたものであると申しましたけれども、それは逆にどういうことをあらわすかといいますと、その改正した時点において改正手続を経なかったものはすべて有効であるという前提に立ちます。したがいまして、その時点で国歌とか日の丸とかというものを廃止する手続はとっておりません。したがいまして、その時点で慣習的には有効であったというふうに判断せざるを得ません。  これは、現在の憲法体制のもとでもたしか六十か七十ぐらい勅令が存在しております。大日本帝国憲法下で出された勅令が今日なお有効であります。これは明らかに現在の日本憲法は帝国憲法を経由して生まれたものだということになります。したがいまして、その時点で廃止の手続をとらなかったものについては有効である。ただし、憲法の中に、前文のところに、日本憲法に反するものは直ちに廃止というふうなことがありますけれども、その条項にすらかからなかったものが六十か七十個あるわけです。そういうことで、大日本帝国憲法と昭和憲法、今の憲法主権在民ということにおいて明確な相違がありますが、それ以外の廃止の手続を経なかったものに対しては有効であるというふうに言えると思います。  したがいまして、一般的には日の丸君が代もここで法制化する必要は本来はないと思います。しかしながら、今日の教育状況において、法制化していないことが大いに混乱のもとになり、そしてそのことが教育の崩壊に直接関係していると言えば言い過ぎになりますけれども、それは確かに言い過ぎですけれども、少なくともその混乱の収拾に貢献はしていないということにおいて、教育においてこういう混乱を早急になくしていくためには法制化はやむを得ないというふうに思っております。  ただし、この法制化した段階におきましては、単に制定したというだけではなくて、やはり我々国民とか官庁の方々もある程度気をつけてほしいことがございます。  と申しますのは、私は団地に住んでおりますけれども、団地というものが昭和三十年ごろから日本にかなり普及しましたけれども、団地の中には国旗を掲揚しようにも国旗の掲揚のポールがありません。五月のときに子供たちのためにこいのぼりを上げてやろうとしましても、そういうものがありません。一棟しかない団地でしたら仕方がないかもしれませんけれども、その中に公園をきちんと持っている巨大な団地もそういう施設を持っておりません。昭和三十年代とか占領が終わったときには、各家に全部国旗を祝日の日にはかけていたんですね。それで、これが日本人の一体感を形成、石田先生にしかられそうですけれども、一体感を非常に形成していたんですね。それがそういうふうに、国旗をかけようにもかけられないような施設がどんどんできていったわけであります。  そして、これは運輸省が関係するんだと思いますけれども、祝日のときに公共バスとか電車にはたしかかなり前までは国旗を掲げていました。それがいつの間にかかけなくなりました。そういうところにおいて、教育学校の中においてだけ国旗をかけろとか歌えとか、そういうことだけを言われたのでは教育関係者の負担が非常に大きくなると思うんですね。やはりこれは、つくった以上は、関係省庁に自分たちのできることはきちんとやっていただかなければいけないと思います。  こういうふうな混乱の起こった一つの大きな流れを申し上げますけれども、占領下でアメリカ軍に強制されて憲法を事実上つくって、そしてその解釈についても随分アメリカの介入があったわけですけれども、それでも先ほど申しましたように文部省教科書において天皇君主であるというふうなことを述べておりました。しかしながら、昭和三十二年から三十九年にかけて憲法調査会というのができました。この憲法調査会というのは、本来の意図としては憲法を改正するという意図で審議を始めたと一応言っていいと思うんですけれども、そういう形の中で三十二年から三十九年にかけて審議をして、結果的にその憲法改正を放棄しました。  これは私個人から言わすと、憲法を改正するよりも憲法の解釈をきちんとすべきだというふうに、今日の憲法には積極的に評価すべき点が多々ありますので、そういう意味憲法の調査をするといったときに、その三十二年から三十九年の間空白があるんですね。その間に憲法の解釈は占領期よりももっと混乱、後退した形のいろんなところにおいて問題を起こして、そしてそれが教育、特に文部省の責任もあると思いますけれども、そこからそういう憲法を改正するという前提があったがゆえに、本来望ましくない解釈が社会に普及するのを放置したんですね。  そのために、昭和三十年代前半のころは、国旗国歌とかというものは議論の余地はなかったんです。これはすべて占領が解除されたときにみんな喜んで国旗とか国歌をきちんとやったわけですね。それがだんだん今日のように混乱の種になったのは、その間の憲法解釈をきちんとしなかったからですね。これは、自民党の方もいらっしゃると思いますけれども、自民党の一番先輩に当たる、私は外交問題も少し勉強しておりますが、吉田茂氏などのやっぱり怠慢があったと思うんですね。  そういう形の中で、今日の憲法混乱は、憲法自体ではなくて解釈の問題であるということ。そこに行政の側というか国権の側がきちんとなすべきことをなさなかったがゆえに混乱がだんだん大きくなっていったというふうに解しております。そういうことです。  それで、天皇象徴ということは、今日の憲法でそういう意味で明瞭に認められており、そして、憲法をつくるとき、押しつけではありましたけれども、あのときの国民天皇制を残すという強い意思とあわせて、そのときの人たちが受け継いだものを後世に残すという形で非常に努力して天皇制を残したわけですから、それはやっぱり意味を持つべきだと思います。  天皇制戦争の問題がよく出てきますが、確かにあの戦争日本から見ればなすべき戦争ではなかったとは思いますが、しかしながら、長い歴史を見たときに、日本天皇制の意義を簡単に否定はできないというふうに思っております。  と申しますのは、中国と日本歴史を比較したときに、中国は二百年に一度革命を起こします。そのためにどれだけ国が混乱するか。日本が遣隋使とか遣唐使をしたときには日本は文字も知らないような非常に非文明的な国家でしたけれども、明治維新の時点では日本だけがアジアではヨーロッパ並みに識字率を誇り、中国をはるかに越していたという。  これは、我々日本人が平和な社会を築いたその結果として天皇制が続いた。天皇制が続いたから平和な国家だとは言いませんけれども、平和な国家を持続させたがゆえに天皇制が残った。そういう意味において、長い歴史から見れば天皇制というのは日本の中で平和のシンボルであった。その意味であるがゆえに、返す返すもあの戦争はしなければよかったというふうには思いますが、もう少し広い観点から日本歴史というものを考えるべきだというふうに思っております。  ちょっと時間が早いかもしれませんが、以上です。
  7. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  なお、各参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  8. 中川義雄

    ○中川義雄君 自民党の中川義雄であります。  きょうは、大変忙しい中、この場まで来ていただいて御意見を述べていただきまして、本当にありがとうございました。  そこで、今、杉原先生から憲法上の問題から国旗国歌を肯定するお話が出ましたが、逆に石田先生は、憲法の中の天皇制というような観点も踏まえて、過去の歴史その他から国旗国歌を否定するというお話だったと思うんですけれども、憲法第一条を石田先生はどういうふうに理解し、それを否定的に考えているのかどうか、ちょっと意見を述べていただきたいと思います。
  9. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡潔にお答えいたしますが、今の御質問の中で、私が憲法の中の天皇制国旗国歌を否定しているとおっしゃいましたけれども、それは私の認識とは違います。  国民国家、これは今の世界システムをつくっているものなんですけれども、国民国家国歌国旗を持ってきたという事実、これは日本に限らない問題ですけれども、こうした問題がどういうことを問題としてつくり出しているのかということを明確に議論した上で、そうした問題についての国の行方を決めるべきだと言っているのであって、国歌国旗を否定しているということではありません。  それから、天皇制に関しても同じです。天皇制を否定しているというふうにお受け取りになると、私の意見とは違います。そうではなくて、天皇制がどういうふうに機能してきたのか。日本二つの、明治期以降の五十余年の国民国家と戦後の国民国家五十余年を経て第三の国民国家期に入ったときに、そうした問題がこういう法制化についてどういう形で出てくるのかということについての意見を述べさせていただいたと、このように御理解いただきたいと思います。
  10. 中川義雄

    ○中川義雄君 それでは、石田先生にお聞きしますが、国際的に見ても、現国歌国旗というものは、あらゆる国際機関や国際的ないろんな大会等で五十数年間ずっと慣習的に続いていたことは否定できない事実だと思うんです。  その中で、今、この日本国旗国歌に対する、一部の人の話ではなくて、大きな地球全体から眺めて日本国旗国歌に対する国際的な認識というものをどう理解しているのか、ちょっとお聞かせいただきたいと思うんです。
  11. 石田英敬

    参考人石田英敬君) お答えいたします。  今の御質問ですけれども、一部の人ではなくてとおっしゃいましたけれども、一部の人というのが多分、私がここで社会的記憶ということで述べた過去の記憶の問題かと思いますが、そうした問題と、それからネーションステートの、国民国家世界システムの中でそれぞれの国の国旗あるいは国歌がどういう扱いを受けており、そのネーションステートが一堂に会するような場面においてそれがどのような認知を受けているかという問題は、これは違った問題です。  後者につきましては、日本国旗日の丸であろう、国歌はよくわからないが君が代のようなメロディーであったかなという認識は、世界のネーションステートの一堂に会する場面においてはもちろん認知されているというふうに私は思います。  ただ、問題なのは、その社会的なあるいは歴史的な記憶の問題とこの問題が常にぎくしゃくした関係をつくっていることをどういうふうに国として解決していくのか、その解決の手順についてもう少しいろんな議論がなくてはいけないし、いろんな対策が施されるべきではないかということを申し上げているということです。
  12. 中川義雄

    ○中川義雄君 要するに、国旗国歌が国際的に今、先生が言われたように大体定着している、だからといって、それを法制化するに当たってはただそのままでやってはいけない、もっと過去の歴史だとかそういうものを議論した上でやるというお話でした。  そうであると、もう一つ問題なのは、これまでの五十年間、国旗国歌が国際的に認知されたと言ったら言葉がちょっと違うのかもしれませんが、国際的な機関も日本国旗国歌として認めていた。その間に国旗国歌に対する先生方のこういう貴重な御意見があればもっともっと出して、例えば、この国旗国歌は国際的に何となく漫然と通用しているが、しかし真剣に考えてみて、こういうことから改めるとか改めないとかという提言もあってもよかったような気がするんです。そういう点では、今まで五十数年間、オピニオンリーダーとしてそういうことをしなかった最大の理由はどこにあると思いますか。
  13. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私、今四十五歳ですので、その五十年の責任を私がとるということはできないんですけれども。  それから、先ほどの御質問にちょっと戻りますが、ネーションステートの世界システムの中で国旗国歌が認知されるという問題は、そもそも日の丸君が代がつくり出されたときの問題でもあるわけです。つまり、日本にはその前こういう国旗国歌が、日の丸君が代がなかったわけです。ただ、日本がネーションステートのシステムの中に十九世紀の半ばに入るときにそれを求められたということです。ですから、それは問題としては、認知されているかどうかというよりは、認知されるためにこそつくられたものだという意味においては認知されているということですね。  それから、今の御質問ですが、こうした問題について議論が十分に行われてこなかったと。私も恐らくそうだと思います。それは冷戦下の問題だと思います。第二の国民国家期と今私のお話の中で申し上げましたが、第二の国民国家期の最大の特徴というのは、これは冷戦時代である、世界システムが冷戦によってさまざまなオピニオンの分断をつくっている、こういう時代であったかと。  私は、今、第三の国民国家期に日本は入りつつある、ほかの世界のさまざまな国々と同様に入りつつあるであろうと。このときこそやはりこういう問題はきちんと議論していくべきだろうという立場ですので、第二の冷戦下におけるこういう問いかけがうまく機能してこなかったということについては、事実そのとおりだと思いますが、今こそ、第三の国民国家期に入るときにこうした問題をきちんと国民的に討議していくことが重要であろうかと思います。
  14. 中川義雄

    ○中川義雄君 私自身のつたない経験ですが、日本人の国旗国歌に対する考え方の変わりようといいますか、今、杉原先生も言われましたように、戦後から今日まで年を経れば経るほど、例えば国旗の掲揚率も下がってきているし、それからいろんな機会で国歌を歌う機会も少なくなってきている。例えば学校の諸行事においても、私が義務教育それから高等学校教育を受けたころは、国旗国歌について議論をするなんということはもうほとんどなかった時代におりましたが、それが最近になって非常に大きな議論になっている。それはそれで、国旗国歌に対する議論はいいんですが、一方では、国際的に見ると変な日本人になりつつある、世界じゅうの人から日本人を見れば。  例えば、私が経験した非常に惨めな思いをしたのは、昭和四十六年に、私は北海道庁に勤めておりまして、シベリア開発と北海道の関係を親密にしようということでミッションを送ったことがあるんです。そのときに、ブラーツクというところでブラーツク大学の先生方と交流会を設けました。そして、ブラーツク大学の先生方が歓迎会を開いてくれて、大変愉快な会になったんです。そして、国旗をテーブルの上にきちっと置いて、司会者が立って、非常に上手な宴席に入ったんです、友好的な。そうしたら、そこに参加していた道会議員の一人が、かなり強いアルコールなものですから酔ってしまって、お酒を乾杯して座り際に当時のソ連の国旗にそれをかけてしまった。そうしたら、その途端に司会者の態度が一変するんです。何が急に起こったのか、私たちはそれを見ていませんでしたから、よく聞いて冷静になると、国が侮辱された、これは許しがたいことだと。  そのとき私がしみじみ感じたのは、日本では一体どうなるだろう。お客さんを呼んで形式的に国旗を置いても、お客さんを大事にするから、もし間違ってお客さんが日本国旗にお酒をこぼしても、お客さんにかかったお酒をふくのがもう先に走って、国旗に対してそういう行為があってもだれも何も言わないのがこの国ではなかろうかと、そのとき本当に大変な気持ちになったことがある。  それからもう一つのとうとい経験は、今のは昭和四十六年の記憶ですが、昭和四十九年のときに北欧へ行ったんです、ちょうどオイルショックのときでしたけれども。省エネ省エネとやっていて、スウェーデンのストックホルムの市庁舎へ行ったら、広場の真ん中に人がたくさん集まっているんです。何をやっているのかと思って行ってみたら、国旗がたくさん置いてあるんです。市民がそれを一つずつとって、ちゃんとお金を払ってとっていっているんです。それでよく聞いてみたら、その国旗は温度が上がると半旗になるようにできている。ちょうど十九度ぐらいの温度でつくってあって、それ以上室内温度が高くなると半旗になる。そうすると、スウェーデン人の国旗に対する非常に敬虔な思い、半旗になることを非常に忌み嫌う。そういうことで、室内温度を十九度以上にしないように守らせるというような、そういう旗になっている。  そのときも私は大変感銘を受けましたが、果たして日本ではこんなことを工夫してもだれも守ってくれないだろう。大体、祝祭日にでさえ国旗も掲げない国民性、そういうふうになってしまった。  これからの国際社会において国際交流が大事になってくる。ですから、相手の国のいろんな伝統文化を大事にすると同時に、日本のいろんなことも考えて、そして少なくともきちっと自分の国の国旗国歌を思う心も育てて、そして国際的にもそういう誇りを持って交流できるような社会にしなければならないと思ったときに、この現実に私自身は大変ショックを受けたことがあるんです。  それに対して、つい最近、冬季オリンピック日本の若い人が優勝しました。しかし、国旗が掲げられて国歌の中で表彰されましたが、そのときのお嬢さんのとった態度が大変国際的にもいろんな問題を起こしました。これも、その子供が悪いのではなくて、国旗国歌、そういうものに対するしつけ、家庭教育から社会教育学校教育を通じてのしつけがそうさせて、国際的に恥ずべき現象になってきている。  こういうことから見ましても、国旗国歌をきちっと、歴史的な経緯があるのなら歴史的に経緯があってそこで議論されて、議論する人はきちっと提案してやるべきであって、決まった国旗国歌については、それをきちっと尊重する心、国家としての日本国の将来を考えたときに、そういう国民を育てていくこと、私はそれが大事なことだと思いますが、それに対して石田先生と杉原先生の私の考え方に対する御評価をいただきたいと思います。
  15. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 残り時間が少のうございますので、簡潔にお願いをいたします。
  16. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡潔に述べさせていただきます。  今、中川議員がおっしゃった問題を私なりの言葉で整理いたしますと、それは国家国民をどういうふうに結びつけるかという問題だと思います。あるいは別の言葉で言うと、国家市民社会とがどういう結びつきを持たなくてはいけないかという問題だと思います。そして、国家が一方的にナショナルなシンボル強化することによって市民社会国家記号との結びつきが果たしてうまくいくかどうか、こういう問題であろうかと思います。
  17. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 先ほども申しましたけれども、これが制定されましたら、文部省にだけその尊重を訴えるのではなくて、やはり社会全体でそういう指導をしていただきたい。  先ほど言ったように、団地の中でそういうものを立てようにも立てられないというのは、昭和三十年代のころの、あれは建設省が関係するんですか、あのときから祝日法というのはあったわけですから、それを無視してかけなくても全然差し支えないような、かけようにもかけられないような施設をどんどんつくっていった、そういうところに非常に政策としての一貫性、全体性がなかったということがあると思います。その点をよろしくお願いしたいと思います。
  18. 中川義雄

    ○中川義雄君 ありがとうございました。
  19. 江田五月

    ○江田五月君 お二人の先生方、きょうはお忙しい中を大変ありがとうございます。  御意見を伺わせていただいて、私も杉原先生とは多分同じとき同じ大学にいたんでしょうか、御迷惑をおかけしました。石田先生の方は四十五歳とおっしゃるので、ざっと一回り下というわけです。  国旗国歌議論、この委員会の中でも随分同じ議論ばかりやっていて、もういいじゃないか、蒸し返しばかりだと、そんな意見も聞かれたりするんですが、いやそうじゃない、やっぱりきょう聞いて本当によかった。かなり議論を深めることができたと思っております。  ただ、学者の先生方のお話というのはやっぱり大変難しくて、かなり老化した頭で一生懸命何をおっしゃっておられるのかということを、共感する方向に自分の体を寄せながら寄せながら聞いたつもりですが、それでもなかなかわからないところもあったので幾つか聞きたいんです。  まず石田先生にお伺いをするんですが、五つの点、それぞれお伺いしたいところがあるんですが、余りすべてを伺っておりますと、十五分という時間ですからできませんので、一つ。  スペクタクル社会ということで、スポーツにおける経験というのは、スポーツという限られた場での経験にすぎない、それと国民国家とか市民社会とかをどうまとめていくかという話とは違うというお話をされたんですが、この委員の中にはスポーツ界で大活躍をされてここへ来ている人たちもおられて、スポーツでの経験を、すぎないというふうに言われると、やっぱりかちんとくるんじゃないかという気がするんですね。  私は、むしろ先生がおっしゃっているのは、それとこれとは違う話であると。スポーツ社会での、例えば優勝してそのことをみんなで喜ぶというのは、それはそれで非常に大切な経験だ、それを決して軽視しているわけでも何でもない、ただ違う話だということだけおっしゃっているのじゃないかと。  むしろ、例えばスポーツ社会でいえば、勝った者は大変喜ぶけれども、同時に、勝って喜んでいるときに負けた者の悔しさもわかる、それがスポーツ社会だと。そして、喜んでいるとき、悲しんでいるときに人間自分の生を感ずることができるといったこと、これはこれで非常に大切なことなんだ、こう思うんですが、その辺どうなんでしょう。  先生は、やはり御自分のなさっていることが一番とうとくてという、そういうお気持ちをお持ちでしょうか。
  20. 石田英敬

    参考人石田英敬君) すぎないという言い方が否定的な評価だというふうにとられてしまったとしましたら、それは撤回いたします。  これは、あくまで限定したスポーツ意味経験というものと、それから国民国家記憶の問題とを混同してはいけないということを言うために述べた文脈ですので、これはそれ以上でも以下でもありませんので、否定的な評価というふうにとられたとしたら私の本意に反しますので、それは訂正させていただきます。
  21. 江田五月

    ○江田五月君 さらに続けて、国民国家というものに、そこに住んでいる者みんなが、国民国家国民であろうと、あるいは国民でない、国籍を持っていない者であろうとにかかわらずみんな取り込まれていく、そういうものですね。それと、あるいは市民社会なり、さらにもっと言えば一人一人の人生なり、それは必ずしも同じじゃない。  だから、国旗とか国歌とかというものはネーションステートをまとめていくための一つのシンボル操作といいますか、象徴政治といいますか、そういうことであって、何か国旗国歌がこうなれば人生すべてそれで決まりと、だからそれをやろう、あるいはだからそれはいけない、そうまでの議論とはちょっと違う。  しかし、日本日の丸君が代というのを国旗国歌にすることによって、この国がネーションステートとして新しい国際社会の中でちゃんと役割を果たすのにプラスになるのか、あるいは障害になるのか、そういう議論をしっかりしなきゃいけないという、こっちの方もかなり限定された世界議論ではないかという気もするんですが、いかがでしょうか。
  22. 石田英敬

    参考人石田英敬君) お答えいたします。  スポーツのワールドカップとかオリンピックについての流布している見方、国家シンボル国民定着していると。これは小渕首相説明等の中にも言及があったかと思うんですけれども、その議論を念頭に置いて私が述べたいのは、その二つ、つまりスポーツイベント等における国家シンボル経験と、それから国民社会国民国家の中におけるナショナルシンボルの機能の仕方とは分けて考えるべきだということを強調したいために言った問題です。  それで、これは既にスポーツ愛好家の中でも論争がありまして、インターネット等でその論争が行われているんですけれども、つまり、自分がそのワールドカップのときは日の丸君が代を含めてそれに同調した、共感したわけだけれども、実は私は、そういう今の問題になっているような日の丸君が代の制定の仕方については疑問を持っている、これは一体自分の中でどういうことが起こっているのかという、そういう問いを立てている人はたくさんいるわけです。  それは、学問的に説明すると、先ほどちょっと述べさせていただきましたような経験の質の違いというものがあって、そしてその二つを区別して考えていかないとさまざまな歴史的な混乱の中に陥ることになりますよと。  特に、例えばサラエボ・オリンピックのときのユーゴスラビア国民の熱狂と、その後のバルカンの状況というような問題は、まさにこういう問題をはっきりと区別して論じなければ見えてこない問題だと思いますし、あるいは、意識的にそういうスポーツイベント等を利用するような権力のあり方としてのナチス・ドイツとか、そういう問題も歴史的に既に前例があるということを申し上げたということです。
  23. 江田五月

    ○江田五月君 ごめんなさい、ちょっと私の質問の仕方が悪くて。スポーツの話はもう終わったつもりでいたので、今度は国民国家におけるいわゆる記号なり象徴なりとしての国旗国歌というものが持つ意味の重さの話を私はしたんですが、私なんかは、国家が住みにくいところであろうが、国家と離れて自分が個人で自分の人生を送っていく、そういうやり方もあるんじゃないかと。ただ、それでも国家の中に全部取り込まれますから、その国家が余り一人一人の人生を強く規定するような国家になられるとやりにくいなと。その意味で、未知の危機というお言葉はそうなんだなという感じはするんです。  もう一つ、日の丸君が代あるいは国旗国歌。きょうのお話はどちらも記号象徴ということでずっとお話しになられましたが、その二つに違いがあるでしょうか、ないでしょうか。
  24. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 二つの御質問にお答えします。  最初の、私が先ほどの答えで答えられなかった問題ですけれども、江田議員が言っている自分生活感覚というか、市民としての生活感覚、そうしたものを大切にしていこうと。まさにそれは私が市民社会の自由ということで述べようとした問題です。そして、その領域が確保される、そのような形でこういう問題が整理されていかなくてはいけないだろうということを述べたということだと理解していただきたいと思うんです。ただし、その市民社会の自由というものが、一方における国家シンボル強化と、それからスポーツイベント等によるそういう情報の増大という中で侵食されていく危機感があるということを申し上げたということです。  それから、国旗国歌ですが、これは私の記号を専門に研究している立場からいいますと、二つは違ったものです。  日の丸は、要するに白に赤の丸で、目に見える。視覚記号と我々の用語で呼びますけれども、これは時によってその意味を変えやすいという性質を持っています。それに対して君が代は、これは歌ですのでメッセージを持っています。歌詞を持っています、言葉ですね。ですから、その意味視覚記号よりはずっと変わりにくいという特徴を持っています。  そして、君が代に対する国民世論調査等での抵抗感が示しているのは、まさに視覚記号が移ろいやすいといいますか、我々の用語で言うと恣意性が高いと言いますけれども、その込められる意味内容が変わりやすいという視覚記号の性質と、それから歌というメッセージ性の強い記号が持っている過去を維持する性格、変わりにくいという性格との違いがここで二つ記号に対する反応に出てきているというふうに思います。  したがって、二つは違ったものであるという答えです。
  25. 江田五月

    ○江田五月君 変わりやすいというのを逆に言えば、視覚記号としての象徴の場合には、その象徴象徴している実態というものがいろいろ変わっていってもそれに結構ついていける。しかし、歌の方は、これはそれ自体が一つの意味を持っているから、ついていくといったって、もうそれ自体意味なり価値なりを持ったものだということで違いがあるということになるんでしょうかね。  杉原参考人にお伺いするんですが、ごめんなさい、ちょっとはっきり聞き取れないところがあって、最初の憲法のところで、先生は宮沢俊義先生の民定憲法論に立たないことはわかったんですが、改正憲法論占領憲法論と、どの立場にお立ちになると言われたのか、ちょっとはっきりしなかったので。
  26. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) それは改正憲法論です。  占領憲法論というのは、究極に突き詰めると、日本国民の自由意思の表明する機会を与えられない状況でつくられたものであるから、それ自体が無効であるという、論理的に言うとそうなっていくんですね。それは確かに一理ある……
  27. 江田五月

    ○江田五月君 結論だけ。
  28. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) そうですか、済みません。  ですから、学校ではそういうことは教えられません。学校では現行憲法は有効であるという前提で教えなければいけません。したがって、私の立場改正憲法論です。
  29. 江田五月

    ○江田五月君 同じときに同じ大学で勉強したので、私たちが習った、私の方は法学部の方ですが、立場の理解は、先生は今改正憲法論、八月革命説は事実ではないからそれはとれないとおっしゃったんですが、そうじゃなくて、あの当時の憲法学というのは、事実にどういう意味付与をするかと。あの憲法の変わり方というのは、これはとても明治憲法改正手続で、それは確かに枢密院があり、天皇の裁可があり、そして改正されたという手続はとったけれども、しかしその事実にどういう意味を与えるかということで、宮沢俊義先生がこれは革命としか言いようがないということを言ったので、事実でないからそれはとれないというのとちょっと違うと思うんですが、いかがでしょうか。
  30. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) その点については、私、宮沢さんのことを一度調べたことがありますけれども、宮沢さんは例の松本委員会の筆頭委員なんですね。もともと憲法は改正する必要はないというふうな、極端に言えばですよ、そういう論者であったわけです。  そして、この憲法が改正された直後に「あたらしい憲法のはなし」という子供向けの本を書いております。そこの中では、象徴天皇制を非常に肯定しており、戦前も事実上は日本の場合は象徴天皇制であったので、そういう意味において継続されている、ちょっと今は原文がありませんので、そういうことを言われて、その直後に八月革命説を言われたんですね。それは結局、その「あたらしい憲法のはなし」で示した解釈も占領軍から事実上否定されるような状況になって、それで自分の身分について非常に危惧したところがありまして、私の推測ですけれども、それで八月革命説を唱えれば今までの自分の過去が全部清算できるものですから、そういうことで学問を打ち立てた人ということにおいて、私は非常に学者としては良識のなかった人だと思っております。
  31. 江田五月

    ○江田五月君 時間が来ましたので、もうちょっと聞きたいことがあったのですが、終わります。  ありがとうございました。
  32. 松あきら

    松あきら君 きょうは、杉原先生そして石田先生、お忙しいところお出ましをいただきましてありがとうございます。  先ほどからいろいろお話を伺っておりまして、少し難しいところもございますが、私も私なりに一生懸命に理解をしているつもりでございます。  私自身の話をすれば、小学校から横浜の雙葉学園というカトリック系の学校へ行っておりましたので、小中高、宝塚に入りますまで、幼稚園のときからそうなんですけれども、ずっと国旗国歌も知らないである意味では育ったと申しましょうか、入学式や卒業式にも国旗も掲揚しなかったし国歌も歌わないで実は参りました。そして、宝塚へ入りまして初めて音楽学校で壇上に国旗が掲揚され、そして国歌を歌って、何か少し面映ゆいような気持ちでおりました。  しかし、だれからも国旗国歌についての定義と申しましょうか、教えは多分受けなかったように思います。その学校教育方針だったのでしょうか、歌はもちろん音楽の授業の中で教わったんだと思うんですけれども、それについてこれがこういうことでということは教わらなかったように思うんですけれども、私の自然の発露の中で、国旗に対してはきちんと起立をして敬意をあらわし、また国歌は誇りを持って少し面映ゆく歌ったように覚えているわけでございます。  先ほど、石田先生のお話の中でも刷り込みという言葉が出てきたように思います。それは、小学生や中学生が国旗に対して起立をさせられ、あるいは君が代を歌うときに、起立をしたくなくても、歌いたくなくてもそういうことをさせられることによって刷り込みができてくるのではないかというお話があったんですけれども、また反対に言えば、歌いたくない、あるいは起立をしたくないと小さな子供が思うのには、やはり親とかあるいは教師から何がしかの刷り込みがあるからそういうふうに思うのではないかなと、反対の意味にもまたとれるわけでございます。  今、オリンピックのお話も出ました。スポーツやそういうイベントに対して政治的利用は云々というようなお話も出ましたけれども、ソウル・オリンピックの話もございまして、例の国立競技場である国の国旗が掲揚され国歌が歌われたときに、日本人の修学旅行の高校生ですか、だけが脱帽もせずに座ったままで何か食べたりお話をしているということで、非常にこれは恥ずかしいというふうに新聞にも載りましたし、私自身も、やはりきちんと他国の国旗国歌を尊重する心がないのはいかがなものかという思いで新聞を見たわけでございます。  まず、石田先生へ。  二十一世紀に生きる子供たちが、グローバル化という中で世界人々と共存していかなければいけない、本当に仲よくしなければいけない。先生のお話ですと、国旗国歌法制化することはそれを阻害することだというふうに伺ったように思うんですけれども、それでは子供たち日本人であるというどんなアイデンティティーを与えるべきだとお思いになるでしょうか、まずお伺いしたいと思います。
  33. 石田英敬

    参考人石田英敬君) お答えいたします。  簡潔にしたいと思いますが、松議員の御発言の中で個人史にかかわる部分について、僣越ですが少しコメントさせていただきたいと思うんです。  カトリック校において国旗国歌が教えられていなかったという事実、この事実自体が実はこの問題のある重要な側面ではないか。つまり、公教育において教えられている、指導されるということと、それから私的な、プライベートな教育機関の中で教えられていないという事実があらわしているのは、実はこれは良心、信教の自由の問題です。  これは日本の、まさに私が先ほどちょっと述べましたような、明治の国民国家が成立したときに、その部分、国民国家の公の空間からいわば離脱した部分といいますか、排除された部分といいますか、そうした部分が歴史的に言うと私的な教育機関等をつくってきた、こういう伝統があるわけですね。つまり、明治の時代に国民国家が最初にできたときに民権か国権かという対立がありましたけれども、そうした軸に沿って日本の異国の異教の一つであるキリスト教的な伝統というものが築かれてきたということがあります。ですから、そういう歴史的な脈絡の中でそういうことが起こっている、御自身の経験があったというふうに、私の研究者立場から見ると位置づけられるという経験であろうかと思います。  それで、質問の第二の点についてですけれども、私は先ほども中川議員の御質問に答えましたように、国旗国歌教育世界の理解、世界人々との理解を阻害するとか、それから、そういうものは必要ないとかということを言っているのではなくて、それを決めていくときの国内的な合意のつくり方が、例えば宗教の自由とか信教の自由の中で起こってきたさまざまな問題というものとのかかわりにおいてもよく考え直さなくてはいけないだろうということを言っているのであって、国旗国歌が必要ないとか、それが世界の理解、平和的な協調を阻害するとかということを言っているのではありません。
  34. 松あきら

    松あきら君 私の個人的なお話にも見解を述べていただいたわけでございますけれども、確かに、それが私学であっても、本来であれば一応日本の決められている中で教えなければいけないということです。今、雙葉がどういうふうになっているか、現在のことはわかりませんけれども。  この間、こういう事実がございました。駒場の学生が反対の署名を持って各議員の部屋を回ったということがございました。私はたまたまいなかったんですけれども、同僚の山下議員のところにその学生さんが三、四人いらして直接お話をなさったということでございます。そのとき山下先生はきちんと学生さんに、今までのいろんな国旗国歌の、君たちのあれもよくわかった、しかしこういうことを知っておりますかと。  橋本議員がこの前、代表質問の中でおっしゃいました。古今和歌集、あるいは和漢朗詠集ですか、つまり記載された君が代、鎌倉・室町時代に神社仏閣の行事うた、あるいは江戸時代の庶民の盆踊りなどにも歌い込まれて各層に親しまれたということ。そして、それが一千年以上にもわたって我々の祖先が受け継いできたこの歌。しかし、明治のときに「君」が明治天皇ということになったわけでございますけれども、これが戦争に利用された経緯。これをずっと話しましたら、学生たちが、いや、それは知らなかった、そんな昔に、古今和歌集でそれができたんですかと、しばし考え込んでしまったという。そして、その後はビラを置いて帰られてしまったと。  私は、やはり教育の現場の中で本当のことを、事実、真実という二つあると思うんですね。よく事実と真実は違うということはあるんですけれども、事実をやはりきちんと教えていないところに大きないろいろな問題があるのではないかなというふうに思うわけでございます。もちろん、日本が戦時中に、あるいは国旗であり国歌であることを非常に軍部が利用して、そしていろんな混乱を招いた、これは事実でございますから、これはきちんとやはり今の子供たちにも日本侵略した戦争ということも教えなければいけない。しかし、君が代、これも一番、二番、三番がありまして、これが実は一千年も昔からこうやって歌い継がれて、しかもこれは上下の分け隔てなく、一時は「君」というのはあなたあるいは恋人にも使われた、そして私たちという意味にも使われた、こういう事実もきちんと教えるべきであるというふうに思うわけでございます。  その中で、次は杉原先生に伺いたいと思うんですけれども、国旗国歌など国民の心を統合する独自の象徴がある。各国民は自国だけでなく他国の歴史文化を理解し、それぞれの象徴相互に尊重することが求められている。また、学習指導要領には、「我が国の国旗国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗国歌も同様に尊重する態度を育てるよう配慮すること。」となっているわけでございます。教育基本法には、教育は人格の完成を目指すことがうたわれておりますように、こういう指導が子供たちの人格にどう結びついていくのか、杉原先生の御見解をお伺いしたいと思います。
  35. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 先ほども言いましたように、これからの世界というのは、協調し合って世界連邦とか世界国家とか、そういう方向に何世紀かの後には行くと思います。  そういう形の中で、今の国歌というのは、非常にそれぞれが個性を持って世界の中に位置づく、そういう意味では、アイデンティティーを形成するために日本の古いことから出てきたそういうシンボルです。そして、それは憲法的にも象徴天皇制というのは明確に位置づいているわけですから、法的にも合憲である、歴史的にも十分権威のあるものであるというふうに指導することは望ましいことではないかというふうに思っております。
  36. 松あきら

    松あきら君 教科書の記述によりますと、今のお話ですけれども、国旗国歌について尊重する態度を育てる、こういうふうにありますけれども、どう尊重する態度を育てるのかという指導が書いていないのが問題だというふうに思うわけでございます。ですから、先生方によって教え方がみな違う、解釈の仕方でそれぞれ違うというふうに思うわけでございます。  そういった先生方の指導の裁量を、お二方の先生、それぞれどういうふうにお考えになりますでしょうか。お伺いさせていただきたいと思います。
  37. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡潔にお答えしたいと思いますが、その前の御発言の中で駒場の生徒についての言及がありましたので、一言だけ申し上げておきます。  もし、その学生たちが私たちが行った集会から行った学生であったとすれば、それは事実とは少し違うかと。その祝い歌の話は、ここに清水議員もいらっしゃっていますが、私たちが行った駒場の集会の議題の一つでした。ですから、その事実を学生が知らないとすれば、それは寝ていた学生か、あるいは別のグループであるかというふうに思います。そしてそれは、私のきょうの発言の中では、近代における伝統の発明にかかわる問題だと思います。つまり、歌としては古代から存在していたとしても、それが近代にどう組みかえられたかということが非常に重要な問題だというふうに申し上げました。  指導の問題ですけれども、指導という言葉自体がどういうふうな形で日本国民国家の中で位置づけられてきたかということが、この国旗国歌の問題については非常に重要な問題だろうと思います。官僚的な指導という言葉がこの国旗国歌についていつあらわれたかということを書いた文化勲章作家の永井荷風の「花火」という短編がありますけれども、その中で、当時の東京市の市役所が官僚的に国旗を掲げることを指導することによって路地の裏店にまで国旗が一斉に掲げられるようになった、これは非常に新しい現象だというふうに述べています。すなわち、日本国家による官僚制度の指導という形で教育が行われてきたという歴史的な伝統近代的な伝統がここにあります。したがいまして、その指導という言葉はそういう歴史性を持った行為であるということをまず申し上げておきたいと思います。  そして、私は基本的には、私も教育者でありますから、学校教育の根本的な問題としては、教育はそれぞれの教師の良心に基づいてしか行い得ないだろうというふうに思っています。これは人間的な普遍性に根差す問題です。そして、指導を強要されるということが起こってきたときにどういう問題が起こるかということを、これもまたよく考えてみる必要があろうかと思います。  以上がお答えです。
  38. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私の方からは、学校で指導する場合は、今にわかにここでどういう方法がいいということは言えませんが、一つだけ言えるのは、やはり他の国で他の国々の国旗とか国歌がどういうふうに扱われているかということを認知させる教育はその周辺において必要だと思います。  それからもう一点は、この法案が成立した段階で、これはもともと教育のところの問題から事実上提起されたような問題ですけれども、教育だけにおいてこの問題を強く指導するという考え方ではなくて、やっぱり社会全体だと思うんですね、先ほど言いましたように。文部省にだけ責任が過重に加担をさせられるというのは、やはり現場の先生も社会一員ですから、学校の中だけの問題にしないでいただきたい、そういうふうに思います。
  39. 阿部幸代

    阿部幸代君 日本共産党の阿部幸代でございます。  初めに、杉原参考人に伺いたいと思います。  先生のお話の中で、廃止の手続を経なかったものは有効であるということがあったと思うんですが、法制化をするのは今回が初めてですから、廃止のしようもなかったというふうな歴史的な経緯であったのではないかというふうに私は思うんですけれども、だからこそ今一番大事なことは、いわば初めての国民的な経験ですね。その際、国民的な討論を十分保障するということだと思うんですけれども、この点についてはどのようにお考えでしょうか。
  40. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 先ほど憲法が制定されたときに廃止の手続をとらなかったものは有効であると言いましたが、そのときに言えることは、慣習法として成立していたことも慣習としてやっぱり持続したと考えるべきであろうと思います。事実、そういうふうに国旗はその占領期に、上げてよいとか上げて悪いとかというふうな言い方をされましたけれども、そのときの国歌とか国旗というものは、当然今言われているものを指していたわけですね。  それが最初の方の質問の答えで、後者の、議論をした方がよいということ、それ自体は私は問題ないと思います。しかしながら、その議論は既にそれこそ戦後、長く見れば戦後ずっと一貫してされてきたので、議論は重要ですけれども、議論はもう熟しているというふうに思います。
  41. 阿部幸代

    阿部幸代君 この間の国会審議の中で政府の答弁も変わってきていまして、今までは日の丸君が代国旗国歌として定着しているということを相当強調していたんですけれども、世論調査の結果を見ますと、審議が進めば進むほど、拙速な法制化はやめていただきたい、慎重審議をしていただきたいという方がふえてくるんですね。  こういう事実を踏まえて、官房長官は世論調査の結果で十分国民に理解されていないと、こういうことを認めたんです。これは国民ですね。それから、外国の人たち、特にアジアの人たちにどうかということについても、長い傷跡を残してきた我が国なので、まだまだアジア近隣諸国の被害を受けた方々から信認されるような状況には残念ながら至っていない、こういうこともおっしゃったんですね。  私は、こういう認識を示していながら今国会で法制化をするということはやっぱりおかしいというふうに思うんですが、この点について最初に杉原参考人、それから次に石田参考人に伺います。
  42. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) しかしながら、この国歌とか国旗とかというものは、世界の国に国歌がなくて、世界の国に国旗がなくて、そういう状況で日本だけが国歌をつくり、国旗をつくるとか、そういうものが日本だけにあったからするというのであれば、そういう今の御議論は非常に重要だと思いますけれども、既に例外なくすべての国が国歌国旗を持っている状況で、明治以来慣行として存在したものをここで、先ほど言った憲法的にも象徴という意味においては合憲でありますから、そしてこの法案自体ができるきっかけになったのは教育現場の直接の混乱ですから、そういう全体的状況から見たときに、そういう混乱を収束するためには、今まで慣習で行われていたものを法制化してきちっとそういう混乱をなくそうということであるから、別に問題ないと思います。
  43. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 阿部議員の質問ですが、この件につきましては、私の意見陳述の中でも既に述べさせていただいていますように、二十一世紀のこれから五、六十年恐らく存在するかもしれないような第三の国民国家期において根本的な問題であるということを申し上げましたが、したがいまして、これは審議を尽くすべきである、国民的議論を尽くすべきであるというのは間違いのない事実だと思います。
  44. 阿部幸代

    阿部幸代君 杉原参考人参考のために、念のためにといいますか、私は国旗国歌が必要ではないという立場には立っていませんから。これはあっていいだろう。戦後初めての国民的な議論が起こっているわけですから、十分議論を保障して、国民合意の力で新しいものをつくるという道も切り開けるという、そういう立場です。  次に、石田参考人に伺います。  先生のお話を大変興味深く聞いたのですが、最初に、近代天皇制の呼び込みのために新しく発明された伝統、それが日の丸君が代御真影、そういうものであるということで、公教育を通して刷り込まれたというふうにおっしゃっていたと思うんですが、この刷り込まれたという実際の当時のあり方を具体的にお話ししていただけたらと思います。
  45. 石田英敬

    参考人石田英敬君) これは具体的に詳述する時間が恐らくありませんので、先ほど配付させていただきました私たち共同署名者の中に、この問題について朝日新聞に記事を既にお書きになっている方がいらっしゃいますので、それを詳しくは見ていただきたいんです。  その、刷り込まれたという表現の内実なんですが、これは日本だけに限らず、近代国民国家が成立するときに国民統合を行う二つ国家装置というものがありまして、それは端的に軍隊と学校というものです。これは日本に限りません。そして、軍隊というのは、まさにこれは身体的な共同性をつくり出すという役割を担っているわけですけれども、学校も同じように、義務教育公教育というものによってさまざまな社会的な階層、カテゴリーの違った人たちを一つの団体としてまとめ上げていく。  日本の場合、極めてこれは規律による統合という形をとった。その統合の形をつくり出す仕掛けとして、日の丸君が代御真影教育勅語というものがあったのだということを述べさせていただいたわけです。
  46. 阿部幸代

    阿部幸代君 戦時中の教育を受けた方から直接話を聞く機会などもあるんですけれども、例えば校長室に御真影が飾ってあるときに、(「御真影じゃない」と呼ぶ者あり)いや、私が聞いたのはそうなんですが、そこに飾ってあるときに、校長室の入り口が見える位置から必ず敬礼をしなければならなかった、そういうことも聞いて、刷り込まれたという表現はまさしく的を射た表現だというふうに思ったんです。  問題は、先生のお話の中で、今後、国旗国歌象徴扱いされることによってもたらされる作用学校教育の問題について懸念を表明しておられたと思うんですが、実際、今現在、卒業式や入学式に日の丸を掲揚し、それから君が代を斉唱するということ、これは最終的には校長の職務権限で職務命令を発してまでとにかくやる、そういう形で進められているんです。  これが法制化されればさらに一層強まるであろうということは、現場の先生たちが一番危惧をしている。もちろん私たちも心配をしていることなんですが、その辺についてどのようにお考えでしょうか。
  47. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡潔にお答えいたしますが、それはそのとおりであろうと。つまり、権威の体制を強化するというふうに私は申しましたけれども、学校における権威のシステムというものが強化されることは間違いないだろうというふうに思います。
  48. 阿部幸代

    阿部幸代君 石田参考人杉原参考人、そもそも教育というのは職務権限と職務命令で進めるものなのでしょうか。石田参考人に。
  49. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私の先ほどの話の中でも述べさせていただきましたけれども、教育については国民国家の中でも大きく分けて二つあり方があるだろうと。つまり、市民社会に基礎を置く原理を優先させるような教育なのか、国家の指導を、国家ヘゲモニーというものを強調する教育なのか、分けて主にこの二つがあるだろうと。  もちろん、理想論を、おまえは学者だからそういうことを言うのだろうとおっしゃるかもしれませんけれども、やはり基本は市民社会教育市民による市民のための教育というものを基礎にして教育は行われなくてはいけないと私は思っております。ところが、今行われていることはむしろ国家による教育強化につながっていくということが確実に見えてきているということだと思います。
  50. 阿部幸代

  51. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 今のテーマをもう少し教育論で一般的に申しますけれども、今、教育で個性を尊重するということがありますが、個性を尊重するというときに、弱い者を見たらいじめたくなるという子供がいたとしたとき、それも個性です。それを認めることはできません。そういうことから考えたときに、教育というものは、大人の教育の場合は少し違うんですけれども、子供の教育というものは、広い意味では強制をするという範囲内で、そして子供はできるだけそれが強制でなくて自発的に気がつく、わかったということでありますけれども、しかしながら、弱い子供を見たときにいじめたくなるという心が起こる子供に対しては、その心が起こらないように、そしてその行動を起こさないように指導しなきゃいけないわけですから、やはりそういう意味において指導ということはある。  それで、それは学校においても、教育というものは教員一人一人の自発性に基づいてなすことが望ましいことは言うまでもありませんが、しかしながら、制度として全体の中にはそういうふうな指導ということがあるからこそ、初めて教員としての伸び伸びとした教育ができるんだという構造になっていると思います。
  52. 阿部幸代

    阿部幸代君 石田参考人に、スペクタクル社会論というのを初めて勉強させていただいたんですが、私はスポーツというのは随分政治利用されるものだというふうに思うんですね。それはとても残念なことで、ナチス、ヒトラーのベルリン・オリンピック、芸術家の力を最大限動員してつくった映画なども私は見ましたけれども、それを例に引くまでもなく随分政治利用されていると思うんですが、その政治利用の際にさらに政治利用されるのが日の丸君が代というような気がするんですね。  それで、こういう日の丸君が代を尊重するということについて、やっぱりスポーツ大会の場がよく議論で出されるわけです。日の丸が掲揚されたら、あるいは君が代が流されたら、敬意を払い尊重するのは当然ではないか式の議論があるんですね。私は、スポーツというのはもっとそれ自体を楽しむ純粋なものであると思うんですけれども、先生はどのようにお考えになりますか。
  53. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡単にお答えいたしますが、まさに私が申し上げたのは、スポーツを純粋に楽しむということが見えなくなっている状況というものが問題であろうと。  それから、ナチス、ベルリン・オリンピックの話をおっしゃいましたけれども、これは二十世紀の、一九三〇年代、四〇年代の、ファシズム期と世界史の中で言いますけれども、ここにあらわれた全体主義的な権力ですね、これは旧ソ連邦とかということも含む情報の体制の中でできていく権力のあり方ですけれども、このような二十世紀の中ごろに成立した、マスメディアを大量に動員したような権力のあり方の中で、スポーツ政治的利用のいわばある極点を迎えたということは歴史的な事実だと思います。
  54. 阿部幸代

    阿部幸代君 どうもありがとうございました。
  55. 山本正和

    山本正和君 まず、石田先生に御意見を伺いたいんですが、日の丸君が代についていろいろな意見がありますけれども、事実上、慣習法もしくは慣習的に、日本人も外国人も日本国旗日の丸国歌君が代である、こういうふうな現実があると。この現実があるということを認めますかと国民に聞けば、世論調査では圧倒的多数がそのとおりですと、こう答えているんですね。そのことと、これを法制化する、政府が提案をして国会がそれを承認して明文化するということとの違いですね。  私はいろんな意見があると思うんです、日の丸にも君が代にも。しかし、現実の問題として、日本国旗日の丸であり、国歌君が代であるというふうにいろいろ言われている、またそういう事実がある、これは否定できないと思うんですね。しかし、それをここで明文化する、法律に明文化するということの意味をどういうふうに考えておられるか、石田先生にまずお伺いしたいと思うんです。
  56. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私がきょう述べさせていただいています意見のあるあり方を特徴づけますのは、この問題について国旗国歌に反対するという立場を述べているのではなくて、法制化ということが持っている問題を深刻にとらえなくちゃいけないのではないかということで、多くの知識人大学研究者から危惧の念が発せられているということを御紹介しているわけです。  といいますのも、法制化するということは、国家としてあるメッセージをこの問題について今の時点で発信するということですから、そしてそれは、私が先ほど述べさせていただきましたさまざまな問題について、ある態度をとるということ、要するに明示的にメッセージをつくるということですので、そのことが持っている問題をよく考えなくてはいけないだろうと思うのです。そして、それと同時に、やはり明示化する、法にすることによって、特に教育現場のような決定のプロセスの中に、ある強制力が働くようになる、これは否定できない事実だと思いますので、そのことがもたらすさまざまな影響についても深刻に考えなくてはいけないと思うのです。  つまり、法制化ということと慣習として存在しているということは全く違った事実ですし、世界の国々の中には、国旗にせよ国歌にせよ、それを慣習として持っているという国は幾らでもありますので、そういう意味からいえば、全く違った国旗国歌に対する日本国家の態度をとるということが何になるのかということを考えなくてはいけないと申し上げた次第です。
  57. 山本正和

    山本正和君 後段の学校現場に及ぼす影響ということについては杉原先生からもお聞きしたいと思うんですが、教育というのは、幼稚園であろうと大学であろうと教育教育なんですね。  例えば、お二人とも東大の卒業生ですが、私の次男坊も慶応で今、教育学の助教授をやっていますけれども、大学であろうと幼稚園であろうとみんな教育教育だと思うんですね。教育をする者が何を一体もとに持って児童や生徒や学生に接するかという非常に重要な問題が私はあると思うんですね。そのときに、杉原先生はこれは大賛成のようですから、そうすると東大で主張されますか。東大でも、例えば入学式、卒業式で日の丸を掲げて君が代を歌おうと主張されますか。  もっと私が言いたいのは、こういうことを法制化したことによって、学校現場の混乱をなくし、学校現場で入学式や卒業式で日の丸君が代を歌えるようになるんじゃないかという願望が政治の側にあるわけですね。政治の側のそういう願望に対して、教育という場はそのままイコールで受けとめていいものかどうかというのが教育の場には私はあると思うんです。  そういう意味で、法制化されたということと、学校現場においてこれをどう扱うかということについての教育という観点からの考え方を、時間が余りないんですけれども、お二人からひとつ一言ずつ御感想を伺いたいと思います。
  58. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私の方から簡単にお答えさせていただきます。  教育活動の根本的なもとは何であるか。これは、私は先ほど既に申し上げましたが、人類の普遍的な原理に基づく人間の良心であろう。普遍的な価値の追求なくして学問や教育はありませんので、基本的にはそれであろうというふうに考えています。  大学と初等中等教育の間にこの問題についての社会的な扱いの差、慣習の差等があるということは、これは事実としてはそのとおりだと思います。私は、もし大学がこのような社会的強制力に再び支配されるようになれば、これは日本社会にとって極めて深刻な問題を及ぼすであろうというふうに考えております。
  59. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 教育考え方の基本は先ほどの石田先生とそれほど変わっていないとは思うんですが、大人の教育と子供の教育はかなり性格が違う。子供の教育というのは、やはり子供たちを健全な大人にするという課題を背負っておるんです。その中には、子供たち日本人として生まれてくることを知らないで、千九百何年に生まれたということも知らないで全く無知な状態で生まれてくるわけです。それをその時代の社会に合わせて育成していくわけですから、成人が好きなことを自分教育する、自分自分教育する、そういう意味とは少し違うんです。  そういう意味では、社会が健全になるという意図を持って子供に教えますから、社会の調和とか団結とか、人間関係がよくなるとか、そういうことを目指しておりますから、そういう意味の中でこの国旗国歌というのは教育で非常に混乱したわけです。今はもっと大きな問題が教育の中にあるわけですけれども、少なくとも国旗国歌の問題において混乱を起こさせることは望ましくない、そういう意味ではやはり法制化が今の時点では必要であるというふうに思っております。
  60. 山本正和

    山本正和君 私が特に杉原先生にお聞きしておきたいと思ったのは、高等学校の一年生というのはかなりいろんな本を読みますし、場合によっては進んだ子はもう哲学もカントなんかでも読む子がおるんですね。それから、大学の一年生へ入学するときはやっぱり未成年なんです。だから、高校生と大学生の間にそんなに違いはない。しかし、いろんなことを考える。例えば、中学校の二、三年生からいろんな世の中の問題を考えたり、哲学を考えたり、すばらしい文学作品をつくったりすることができるんです。  そういう中で、高等学校では、卒業式、入学式には君が代を斉唱させ日の丸を掲げるということを強制するわけです。これは全部校長が命令して職員が全部並んでやるわけです。大学は全然知らぬ顔をしているが、私は余り変わらないと思う。  だから、広島の高等学校で大変な苦労をしたと。しかし、広島の中学校で、もちろん議論がありますよ、随分。しかし、高等学校における問題と中学校における問題は違うんです。同じように大学も当然違っていいと思うんです。したがって、教育の場というものは、発達段階に応じて、それぞれの学校の現場の中で子供たちの顔を見ながら国旗国歌を指導するといっても指導の仕方は違うと私は思うんです。それがなぜ、教育学をやっておられるような方が法制化したら学校現場の混乱がなくなるから賛成ですと、こう言われたのがちょっとわからなかったもので聞いたわけです。
  61. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) ですけれども、現実に混乱しているんじゃないんですか。
  62. 山本正和

    山本正和君 法制化したらなくなるのかな。
  63. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) いや、なくなるとは言えません。なくなるとは言えませんけれども、今までの混乱が、法的根拠のないものを指導するのはどうしてですかということが混乱の一つの論理になったわけですから、それは、慣習的に存在したものを、では明確に位置づけましょうということをしたにすぎないんです。  この問題は、先ほど言いましたように、学校だけに指導を強制するというような考え方じゃなくて、やっぱり社会全体がそういう認識をしていかないといけないと思います。
  64. 山本正和

    山本正和君 私は、あなた方が子供のときに、戦争が終わったときに最後の兵隊だったものでちょっと感覚が違うのかもしれぬけれども、要するに、江田さんもそうだけれども、今井さんもそうだけれども、東大の全学連が大変な勢いでいろんな苦しい中で学生運動をやっておられたときのあなたはまだ学生だったから、そういうことからいったら、何か東大の教育学部の先生が法制化したら学校現場の混乱がなくなるだろうと言われるのは非常に悲しい気がするものでつい言ったんです。これはもう答えはお聞きしません。  私は、時間が三分しかありませんからここで最後に石田先生にお聞きしておきたいのは、この問題をどうお考えになるか。私はこの前からいろいろと官房長官にも文部大臣にも聞いているんですけれども、君が代という歌にはさまざまな歴史がある、由来がある。その中でしかしながら、国歌なんだという事実は厳然として存在している、こうお二人とも主張される。しかし、これから仮に法制化した後にどう扱うかといった場合に、君が代歴史をきちんと教えると。  要するに、先生が今おっしゃった、近代国家を形成するために国旗国歌がどう使われたか、あるいは第二次世界大戦においてこれがどういうふうな役割を果たしたか、日本国民が総動員されるためにどういう役割を果たしたか、いろいろあるんですよね。そういう負の遺産も皆きちっと教えます、そしてその上に日本が今平和憲法を持っている、平和な国家日本として世界にこれから臨むんですよ、こういうことを教えていきたいんだ、そういう意味法制化なんだ、ぜひ御理解をと、こういうふうに野中さんは言っているわけです。これは一つの見識だと私は思うんです。  ですから、先生は記憶封殺という言葉をここで使われた、これを法制化したら。しかし、逆に記憶をきちんとして、それを国民の前にも提示して、世界の前にも提示して、我が国の歴史はこのとおりでございます、しかし君が代というのは、もともとの歌は古今和歌集や和漢朗詠集にあった本当に平和な歌なんですよ、だから、歴史の思い出は背負いながらも、日本の国は平和国家として頑張るんですよと、こういう意味でやろうという提案をしていると野中さんはおっしゃる。これは一つの見識だと私は思うんです。  そういうことでの記憶封殺じゃない格好で仮にこれに取り組もうとする場合、この辺については石田先生はどうお考えですか。
  65. 石田英敬

    参考人石田英敬君) それには実際上の決定のプロセスが非常に重要な意味を持つだろうと思います。このような形で法制化をするというのは、実はそういう態度を示すことになるのかどうかということです。その点が説得性を持つかどうかということの分かれ目になると思います。  そして、記憶封殺に関する問題ですけれども、細川元首相が朝日新聞に投稿なさっていますけれども、私たち研究者は非常にこの文章に共感しています。つまり、今の問題というのは、細川元首相の文言では恐らく、ちょっと記憶で引用いたしますが、過去と対決しないことがこの問題の根本をつくっている。過去と対決すること、つまり過去の問題をきちっと私たちの国が整理していくということ、これこそが一番今重要なことであって、そういう問題を解決しないからこういうことについてのさまざまな問題が起こってくるということで、それが一番の原因であるということは山本議員のおっしゃることと私も全く同感です。
  66. 山本正和

    山本正和君 終わります。
  67. 扇千景

    ○扇千景君 お忙しいところをおいでいただいたんですけれども、各党からるる質問がありまして、十五分ずつという均等割合ですから時間的な余裕がございません。大変恐縮ですけれども、一問一答形式で端的に御意見を拝聴したいと思います。  まず、石田先生が知識人と称される皆さん方と反対の共同声明をお出しになっている資料をお配りいただきました。外国人も含めたこの反対声明というのをお出しになりましたけれども、既に世界的には、憲法で定められたもの、それがフランスでありドイツでありイタリアであり、憲法国旗を定めております。あるいは法律で定めているのがアメリカ、オーストラリアなど、またその他文書によって制定しているものがカナダであり韓国であり、言っていると時間がありませんから省略いたしますけれども、既に憲法で定め、あるいは法律で定め、あるいは文書で定めている諸国があるにもかかわらず、なぜ日本の国が法制化したらいけないのかという基本的なことをどうお考えか、まず石田先生に伺いたいと思います。端的に、一問一答でさせてください。
  68. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 法制化ということと、慣習に基づいて国家シンボルが存在しているという事実は全く違ったことだということは、先ほどの御質問にお答えしました。  どちらを選ぶかということについては、これは今まさにその問題が起こっていることだと思いますので、なぜいけないかというのは、今の時点で法制化をすることが持つ影響が余りにも甚大であるというお答えになろうかと思います。
  69. 扇千景

    ○扇千景君 他国の法制化に関してはお認めになるわけですね、もちろん、法制化しているということに関しては。
  70. 石田英敬

    参考人石田英敬君) お答えいたします。  それは、それぞれの国のシンボルをめぐる問題について私たちは無関心であるということではありません。
  71. 扇千景

    ○扇千景君 それでは重ねて伺いたいと思いますけれども、日本の国の刑法がございます。刑法の第九十二条に外国の国章の損壊等という項がございまして、「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」という刑法がございます。  その刑法があるということは、子供たちにしろ、そういう刑法があることも知らないで外国の国旗に尊敬の念を持たないと、もし刑法に触れるようなことをしたらこういう処罰があるということは、私は、自国の国旗も大事にしなければならないというような論理に至ると思うんですけれども、その点に対してはどうお考えでしょうか。
  72. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 今の御質問の論旨が若干わかりかねるんですけれども、もう一度説明していただけますか。
  73. 扇千景

    ○扇千景君 刑法九十二条に、他国の国旗等々を損壊したり汚損したる場合には刑法に触れると書いてあるんですね。
  74. 石田英敬

    参考人石田英敬君) そちらはわかります。
  75. 扇千景

    ○扇千景君 外国のものをすることがいけないと刑法に定められているんですから、自国のものを大事にしない者が外国のものを大事にしないのを教えられないのは当たり前ですね。子供を対象にしていますよ、私。
  76. 石田英敬

    参考人石田英敬君) それで、その先は、つまりそのような意味からいえば、国旗国歌を尊重する義務を設けるべきであろうという御主張でしょうか。
  77. 扇千景

    ○扇千景君 自国の国旗国歌を尊重しない者が刑法に触れるようなことをする可能性というのはあるわけですね、そういう意識を持っていないんですから。それはどうお考えになりますかという意味です。
  78. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私の論点からいいますと、つまり現在における国旗国歌法制化に明確に反対している立場ですので、その立論からいえば、御質問のような、尊重義務を設けるべきである、法制化した上で尊重義務を設けるべきであろうという主張には同意することがいたしかねるというお答えになろうかと思います。
  79. 扇千景

    ○扇千景君 では、端的に伺いたいと思いますけれども、それぞれ教授をしていらっしゃいますので、大学とは別としても、先生方お二方とも生徒に国旗国歌のことを教えたり指導したという経験がおありでしょうか。まず、石田参考人から。
  80. 石田英敬

    参考人石田英敬君) これは私のきょうの意見陳述の冒頭でも申し上げましたけれども、このようなナショナルシンボルの問題については、私たち大学において研究教育を行っています。  したがいまして、こういう問題はどういう問題であるかということについての研究教育を行っているというお答えになろうかと思います。
  81. 扇千景

    ○扇千景君 では、杉原参考人
  82. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私も大学の授業ではそういう場面はありませんので、直接にはありません。  教育関係した授業をしておりますから、先ほど申しましたように、教育というものには強制という要素があるんだという、それで成り立つところがあるんだということは言っております。それはちょっと関係ない話ですけれども、そういうことです。
  83. 扇千景

    ○扇千景君 先ほど石田参考人から、集団的忘却であるとか、あるいは記憶封殺等というようなお話がございましたけれども、私は、少なくとも私どもの年代、両親等々が戦時中に日の丸の旗に名前を書いたり武運長久と書いたり必勝と書いたり、そういう日の丸を振りながら兵隊さんを送っていった記憶がございます。  私のうちにも、お年を召した方で、私の息子は亡くなりましたけれども日の丸を見ると思い出すので情けないというお電話もいただきます。けれども、少なくとも私どもは、過去の間違いのシンボルとして使われた、日の丸戦争を起こしたわけじゃありませんから、その日の丸をもって私どもは二度と戦争を起こさない、あるいは二度と過ちを起こさないという反省と訓戒の意味を込めても、今、日の丸を堂々と私どもの国旗とすることが、忘却ではなくて、むしろ今の二十一世紀の子供たちにもそれを堂々と、二度と起こさない平和な日本のために日の丸を上げるということも一つの手だてではないかと思うんですけれども、石田参考人はどうお思いになりますか。
  84. 石田英敬

    参考人石田英敬君) それは私のきょうのお話の論旨をもう一度繰り返さないとお答えにならないかと思いますが、今、戦争期におけるまさに記憶の問題を最初におっしゃったと思います。それはつまり、日の丸によってどのように国民が動員されたかということの記憶の問題ですね。そして、その記憶の問題がどういう形でこの新たに国旗国歌をどう考えるかという問題に生かされなくてはいけないのかということを私はきょうお話ししたつもりです。
  85. 扇千景

    ○扇千景君 その生かされ方なんですけれども、日の丸があることが生かすことなのか、あるいは日の丸をむしろかえて、今、国旗国歌は認めると参考人はおっしゃいましたので、じゃ日の丸にかわってどういうものをもしも頭に描いていらっしゃいますか。
  86. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私は、そのような対案を提示する立場に今のところありません。
  87. 扇千景

    ○扇千景君 でも、否定されるのであれば、何か頭に描いたものがおありになろうと思います。  それと、もう一つそれじゃ伺います。  先ほど国民的議論を尽くすべきだとおっしゃいました。国民的議論を尽くすというのは、どういう方法が国民的議論を尽くすというふうにお考えでしょうか。あるいは国民投票というふうなことをお考えなんでしょうか。国民的議論を尽くす方法論がもしあれば御参考にお答えいただきたいと思います。
  88. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 簡潔にお答えいたします。  どのような形で議論をすることが国民的議論ではないかということについては、かなり明確な答えができると思います。  すなわち、総選挙に際してこのようなことが問題にならなかった国民の負託を受けていない国会において、このような形で決めてしまうプロセスに入ることが国民的議論ではないということをまず申し上げておきたいと思います。  そして、国民投票についてですか、国民投票は……
  89. 扇千景

    ○扇千景君 いや、私が言ったんで、どういうお考えかを聞いている。
  90. 石田英敬

    参考人石田英敬君) ですから、国歌国旗法制化についてどう考えるかということを国民に問うということは、当然あってしかるべきかと思います。
  91. 扇千景

    ○扇千景君 少なくともここにいらっしゃる先生方も含めて国会議員は国民を代表して選ばれて、国民の代理で議論している立場であろうと思います。ですから、選挙の公約以外のものは何もしてはいけないということのようにも聞こえてしまいますので、例えば、国旗国歌の重要性にかんがみて、これを公約にして選挙をしなさいというふうにお考えなのか、あるいは我々が国民に選ばれた人間として、国民の代表として議論をしているということの重みというものもお感じいただけるのでしょうか。
  92. 石田英敬

    参考人石田英敬君) もちろんその重みは感じておりますが、国会内的な勢力の合同の話も、私は国会外の人間ですので余り密着したお答えをすることはできないかと思います。  ただ、この問題について国民的な負託を議会が受けているかどうかというようなことについては、例えば世論調査等を参考にして判断することも可能ではないかと思います。
  93. 扇千景

    ○扇千景君 きょういただいた資料の中で、先生方が反対の署名をお出しになった東大の教員八十六名の声明というのがございますけれども、その中の言で、「推進派がいうような「国民的合意」などどこにも存在しない」とマスコミに報道された。私は、東大の教員八十六名の声明ということでマスコミに発表されたこの「どこにも存在しない」というのは余りにも一方的な、先生方にしては珍しい発言だと思うんですけれども、どうお考えでしょうか。
  94. 石田英敬

    参考人石田英敬君) まず、その資料の読み方なんですけれども、東大教官声明を代表して私はここにいるのではありません。その同じ記事の中に報道されているもう一つの声明の取りまとめ役として私はここにいるのですから、その発言を私の見解であるというふうにおっしゃられるのは、まず事実として違っているということを申し上げます。  ただし、国民的合意が存在しない、国民的合意の内実は何であるかということについては、これは議論の余地があることであると思いますので、それがそのような形で報道されたということだと理解しています。
  95. 扇千景

    ○扇千景君 少なくとも、反対声明の何人かの皆さんでこういうものを出し、「どこにも存在しない」というのは私は余りにも独善的な発言だなと感じましたので、申し上げたんです。  最後になりますので、伺いたいと思います。  先生方は大学教授でいらっしゃいますから、義務教育というものをどうお考えかということを最後に伺っておきたいと思いますけれども、いわゆる公教育、義務教育というものに関してのお考え。私は、少なくとも戦後の公教育の中で道徳というものが失われつつあると、全部なくなったとは申しませんけれども、思っておりますけれども、義務教育というものをどういうふうにお考えか、最後に伺って終わりたいと思います。
  96. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 義務教育というのは、私のきょうのお話の中でも既にさせていただいておりますが、国民をどのようにつくり出していくのかという国家の根幹にかかわる問題だと思っています。であるがゆえに、国民の納得のいく形で義務教育が行われていかなくてはならないというのがお答えになろうかと思います。
  97. 杉原誠四郎

    参考人杉原誠四郎君) 私は、その点につきましては、子供の教育、義務教育というものにおいては道徳教育というのは不可欠、不可避であると思っております。
  98. 扇千景

    ○扇千景君 ありがとうございました。終わります。
  99. 山崎力

    ○山崎力君 それでは、時間の関係で手短に質問させていただきます。  まず、石田参考人参考人は、日本に今現在、国旗国歌があるとお考えでしょうか。
  100. 石田英敬

    参考人石田英敬君) あるというのはどういう意味でしょうか。国旗国歌というものが存在しているということですか。
  101. 山崎力

    ○山崎力君 ええ。
  102. 石田英敬

    参考人石田英敬君) そういう事実が存在しているということは認めます。
  103. 山崎力

    ○山崎力君 事実が存在するということは、法的な根拠を持った、慣習法的な規範となった国旗国歌があるというふうにお考えでしょうか。
  104. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 慣習法的にこれが認められているかどうかということですが、私の私見では慣習法として存在していると思いますが、これは法律的な解釈の問題ですので、さまざまな判断、前例、その問題についての判断ですね、これを検証してみないと正確なお答えにならないかと思います。
  105. 山崎力

    ○山崎力君 ということは、今、参考人のお考えではというか意識においては、日本国の国旗日の丸であり国歌君が代であると思っているということでしょうか。
  106. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私自身がということですか。
  107. 山崎力

    ○山崎力君 はい。
  108. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私自身は、それは慣習として存在しているということを考えています。そう認識しています。  私がその事実についてどういう価値評価を持っているかということについては、私がきょう述べたとおりです。
  109. 山崎力

    ○山崎力君 そこのところが御意見を伺っていて見えてこないんですね。  今回の問題というのは、五十数年来いろいろ議論があって、校長が自殺したというのも初めてじゃないわけで、そのときはそのときで議論をされていたし、どこかのときで、日の丸を上げようと言って日の丸校長だとやゆされた人がいたこともあったわけですし、そういう流れの中で、個々一つ一つの積み上げの中でこの意見が出てきている。  それで、参考人の御意見を伺っていると、分析は非常にされているんですけれども、その結果どうなんだということが見えてこない。現在のなされた政治的課題に対してこたえていないというか、その辺の指針を指し示していないと。むしろその点、杉原参考人の方がはっきりしているというのが私のもどかしさの原因でございます。  といいますのは、今回の問題というのは、少なくとも人一人が、国歌国旗、そういったものに関連して法的根拠がないと、少なくとも知識人一員たる教師の団体から突き上げられたことによって死を選ばざるを得なかったということが、これは言葉の言い方ですけれども、契機になっているわけです。ある意味で言えば、それを奇貨として法制化しようとしたという表現も可能かもしれません。  それは、奇貨は奇貨かもしれないけれども、それに対して真剣に、その点についてどう考えるかということを考えなきゃいかぬというのがまさに我々の議論であるわけで、その点について石田参考人、先生のこの一連の話というのがどう位置づけられているのかというのが見えてこないんですが、お考えがあれば伺いたいと思います。
  110. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私は、教育行政の問題についてきょうお話をしたのではありません。この問題についてどういうふうに我々の研究分野からとらえているかということについてお話をしたわけで、教育学専門家の方は別に参考人としていらっしゃるわけですから、それの部分についての言及がないということによって、何かそのことについて不足があるというふうにおっしゃられても、少し困惑してしまうということがあるかと思います。
  111. 山崎力

    ○山崎力君 わかりました。  そういう感覚からすると、その辺のところから出ているということが、この共同声明にあるように、戦後の状態のなし崩しの清算にほかならない、こういう表現が出てきたり、「すべての議論を沈黙させけりをつけて、「戦前」との連続性を再導入しつつ「二一世紀」に向かおうとする日本国家のあらたな象徴政治の身ぶりに他なりません。」という表現をされるということは、いかにも侮辱されたという以外に感想を持ち得ないと思うんですが、普通の人間ならばそういう感想を立場によりますけれども持つということに関しては、先生はどうお考えでしょうか。
  112. 石田英敬

    参考人石田英敬君) お話の中の普通の人間という言葉に若干ひっかかりますけれども、私たちが言っているのは、確かに、学校教育の現場において大きな対立が数十年にわたって繰り返しされてきたであろうと。また分析の話になるわけですけれども、国民国家の五十年の歴史の中で、それは冷戦時代という世界システムの中で起こった問題であろうと。イデオロギー的な対立という問題ですね。そうした問題とは違った時代に入っていくのに、そのようなイデオロギー的な対立の一方だけを強化するような形での解決法は本当の解決かどうかということを言っているわけです。そのようなさまざまな対立を時間をかけて融和させていくような道筋が最も理性的な解なのではないかということを申し上げているんです。
  113. 山崎力

    ○山崎力君 その感覚からしてついていけない部分があるんですが、冷戦終結前後、イデオロギー対立の時代、そうでないというふうなことをおっしゃっているんだけれども、この問題に関してはそれと全く別の次元でのきっかけになってこの問題が生起されているということについてどう思うかということ。  それから、戦後のいろいろな問題、先ほど来の発言を聞いていますと、国旗国歌を一〇〇%何の問題もなくやっていて議論にもほとんどなっていない地域というのは、現時点においては日本においてかなりの面積を占めているわけです。人口もある程度ある。そういったところというのは、議論もしていない、ある意味では非常に非民主的であり、戦前のところに戻っているというふうにしか判定できない。こういった議論をされていない地域も現実の問題としてあるわけです、義務教育において。  そういったところというのは、そういうふうな議論のされている地域に比べて、先生の感覚からするとおくれているというふうに思われるんでしょうか、それとも問題を解決された地域と思っていらっしゃるんでしょうか。
  114. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 地域差の問題ですけれども、私の観点から申し上げますと、なぜこの問題が広島を舞台にして起こるのかということですね。あるいは沖縄においてはこういう問題についての非常に敏感な世論が存在していると。それが進んでいるというようなことを私は述べておりません。そうではなくて、それこそまさに戦時下、戦前の記憶の問題がうまく解決されていない地域であるがゆえにこういう問題が起こっているということを申し上げているつもりです。
  115. 山崎力

    ○山崎力君 ですから、その辺のところとそうでないところについてどう思っているのかということを聞いているんです、こちらは。
  116. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 私の知り得ている限りのことを申し上げますが、そういう問題が起こっていないところでも、それぞれの学校によってこの問題についての処理の仕方は違った伝統をつくってきただろうと思います。ですから、それらの問題は、その他の部分、コンフリクトが起こっていない部分についてそれらは統合されてしまったというように思っているわけではありません。より自由な伝統を持っている地域もあると思いますし、学校によっても相当違うであろうというふうに思います。
  117. 山崎力

    ○山崎力君 ですから、そこのところの差があることを、今いろいろな問題点がある中で、議論が尽くされていない中で法制化するのは反対だ、こういうふうな結論のようでございますけれども、そういうことになりますと、参考人の考えでは議論が尽くされた後の法制化というものについて賛否はどうなのか、それとも議論さえ尽くされれば法制化してもいいものと思っているのか、どちらでございましょうか。
  118. 石田英敬

    参考人石田英敬君) 法制化の内実ですが、法制化についてはいろんな、例えば新しい国旗国歌法制化する、そういうオプションもあると思いますし、それから、十分に議論を尽くした上でこの法制化について是非を問うという立場もあろうかと思います。  それらすべてを含んで、これについてはもっと長い議論が必要だろうというふうに私は述べておるつもりです。
  119. 山崎力

    ○山崎力君 自分のことを言うのは何ですけれども、私の世代というのはまさに七〇年安保世代で、我々の世代が、戦後一番政治学においてしっかりした発言をされてきた丸山真男先生をして、以降、表立っての活動から引退させた行動をとった世代だと思っておりますが、そういうふうなことを言えば、我々の一番のあのときからの、今も含めての感覚からいけば、我々の日本社会というものが、総括とか、非常に古いある意味で特別な意味を持った言葉になってしまいましたけれども、そういったぎりぎり詰めたことについてやるということ自体に違和感を持つ民族性ではないのか。最後までその辺のところをぎしぎし詰めていくのが本当にいいというふうには思っていないんじゃないかという問題点がありますし、それから、それをやろうとした立場からすれば、世界各国にしろ、本当のそういったことの総括をぎりぎりのところまでやっているかと。  例えば、今の大陸中国、中華人民共和国が文化革命の総括をやったか。台湾の独立運動もそうですし、済州の問題もそうですし、あるいは独立戦争、第二次世界大戦のいろいろな連合国側の問題、そういったものをも本当のところは各国とも総括していないんじゃないか。人間というのはそんなものじゃないのか。国家歴史というのはそんなものじゃないのかというふうな気が今してきている段階なんです。  そういった点で、本当に議論というのをどこまでやるかといったら、まさに先生方のきょうの御指摘のことを言ったら、議論を詰めるということは永久にできないですよ。  なぜならば、第二次世界大戦の総括というのは我々はしようとしていない、この五十年間。しようとした人もいるんだけれども、していない。それを今から国旗国歌が出てきたからやりましょう、やらないうちは法制化は反対ですというのは、僕はある意味においては、今までの自分たち立場を、このことにやってこなかったことに対しての逃げの声明でしかないと。現場現場で、そのときそのときで集中的にやる、例えば半年なら半年、一年間なら一年かけてやるということが前提であるならばいいんですけれども、ただ単にこういうふうなことを言うというのは、僕は逃げでしかないなと。議論を詰めたくないからだなと。  先生の、申しわけない、そういった考え方の方が随分出ていらっしゃるんで、僕なんかも、どこまで問題にされているのかということを詰めていきますと、結局問題点の指摘だけでそこが詰まっていないから、このことは今決めるべきではないと、その議論に落ちついちゃっているわけです。  そういう感想を持つことについてどうお考えでしょうか。
  120. 石田英敬

    参考人石田英敬君) その御感想の中で、先生の私的な理解の仕方と私たちが提起している問題との根本的なずれというものがあると思います。  戦後五十年のお話をおっしゃいましたが、これはきょう当初から申し上げていますけれども、私の認識は、三つの国民国家論という歴史認識をきょう申し上げているわけですね。これは私見ですけれども。  その戦後五十年の国民国家がいわば生まれ変わる、政府の認識の中にもう二十一世紀を念頭に置いてと、こういう言い方がされるわけですし、今、世界でのさまざまな情勢を考えても、国民国家再編期に当たっているという認識は、私はこれはかなり広く共有されているものだと思います。そして、その新しい国民国家が立ち上がるときに、日本近代国民国家がつくられてきたさまざまな対立軸といいますか、さまざまな構造的な問題というものがここにあらわれているということを言っているわけです。ですから、まさにこの問題こそ今対決すべき、総括するとおっしゃいましたけれども、これらの問題を総括して議論することが必要であり、かつ可能な歴史的な時点に私たちはいると思っています。  ですから、その問題を先送りするとかということではなくて、まさに私たちが問うているのは、先ほど民権、国権という明治の国家の成立の仕方から引きずっている問題を申し上げましたけれども、市民社会国家との関係、あるいは国民国家との関係がどういうふうに定義されていかなくてはいけないかという非常に重要な問題なのだから、ともに考えていかなくてはいけないということをメッセージとして発信したということで、さまざまな問題を持ち越そうということは、私たちとは正反対の考え方だとお答えしたいと思います。
  121. 山崎力

    ○山崎力君 杉原参考人に、時間でございますので、質問ができなかったのをおわびして、質問を終わらせていただきます。
  122. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 以上で午前の参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、長時間御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  午後一時三十分まで休憩をいたします。    午後零時三十一分休憩      ─────・─────    午後一時三十一分開会
  123. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ただいまから国旗及び国歌に関する特別委員会を再開いたします。  この際、委員異動について御報告いたします。  本日、阿部幸代君が委員辞任され、その補欠として畑野君枝君が選任されました。     ─────────────
  124. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 休憩前に引き続き、国旗及び国歌に関する法律案議題といたします。  午後の委員会には、参考人として、明星大学人文学部教授感性教育研究所所長高橋史朗君及び中央大学教授東京大学名誉教授・前日本教育学会会長堀尾輝久君に御出席いただいております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。  皆様方には、ただいま議題となっております国旗及び国歌に関する法律案につきまして忌憚のない御意見をお述べいただき、今後の審査参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。  議事の進め方でございますが、まず高橋参考人、堀尾参考人の順序でそれぞれ二十分程度で御意見をお述べいただいた後、各委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  なお、御発言は、意見質疑及び答弁とも着席のままで結構でございます。  それでは、まず高橋参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。高橋参考人
  125. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 明星大学の高橋でございます。  私は教育の視点から国旗国歌法案に賛成の意見を述べさせていただきます。  まず、国旗国歌をなぜ法制化する必要があるのか、次に、国旗国歌法制化が思想、信条の自由を侵害するものではないということについて意見を申し述べたいと思います。  世界各国の教育は、子供の内在価値を開発し、社会生活に適応するための知識や技能を習得させるとともに、その国の文化伝統を継承し、よき国民たらしめることを目指しております。  教育の目的について、教育基本法第一条は「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と定めております。  私が専門委員を務めさせていただきました政府の臨時教育審議会の「審議経過の概要—その三」、これは昭和六十一年の一月に出たものでございますが、そこで指摘しておりますように、この「完成された人格の内容の中には、当然国家民族の意義と価値の認識、国家権威と秩序の尊重、民族とその文化に対する理解と愛、国民としての義務と責任の自覚、公共心の涵養などが含まれる」のであります。  しかし、我が国の戦後教育は、日本文化伝統を継承する、国民として身につけるべき基礎的、基本的な教育内容を十分に教えてきませんでした。国旗を掲揚し、国歌を斉唱することにより、国家社会への所属感や国民の理想や願いを深めることは学校教育の大切な役割と言えます。  一九八八年のソウル・オリンピックにおいて、アメリカのジョイナーが優勝し、アメリカの国歌が吹奏され国旗が掲揚されたとき、スタジアムの全観客が起立をいたしましたが、日本から卒業旅行に来ていた高校の生徒と先生だけが起立せず、韓国民のみならず、世界人々からひんしゅくを買いました。  また、日本青少年研究所の日米の高校生の「国旗国歌に対する意識と態度調査」によりますと、日本の青少年たちは外国の国旗国歌に対し敬意を表さないばかりか、国旗掲揚国歌斉唱に際してもふざけた態度をとっていると諸外国から非難されていますが、この調査は、結果は諸外国からの非難が正しいことを証明したと結論づけております。  ちなみに、式典などで国歌が吹奏され国旗が掲揚されるとき、アメリカの高校生は九七%以上が起立するのに対して、日本の場合は起立をするのは四人に一人にすぎません。大変興味深いのは、アメリカではいつの場合も起立して威儀を正すのは当然と考えられているため、起立して威儀を正すかという質問自体がナンセンスであるとアメリカ側が主張したために、尊重して起立するか、それとも尊重しないが起立するかを問うことになったという点であります。その結果、前者が八五%、後者が一三%でございまして、無視すると答えたのは三%足らずにすぎません。ほとんど全員が起立をして威儀を正すことが明らかになりました。  また、アメリカでは八六%以上が国旗国歌に愛着を感じると答えていますけれども、日本は五二%以上が何とも感じないと答えており、日本とアメリカでは極めて対照的な状況にあることがわかりました。  その原因について、同研究所は「第二次世界大戦後、日本国旗国歌について、諸外国に対する侵略イメージ国歌の内容に疑問を持つ考え方があり、公教育の場でも国旗掲揚国歌吹奏に際してのマナーを厳格に教えなかったと言える。このような国旗国歌に対する考え方や態度が諸外国の青少年と著しい相違を見せるようになり、外国のひんしゅくを買うようになってきたと考えられる」と分析しております。  これは日の丸君が代を軍国主義のシンボル視して教えてきた戦後教育のゆがみの反映にほかならず、子供たち国旗国歌学校教育上の取り扱いをめぐる教育界の不毛なイデオロギー対立の不幸な犠牲者であったことを痛烈に反省する必要があるのではないでしょうか。  私が国旗国歌法制化に賛成をいたしますのは、明文の法的根拠がないために戦後五十数年間続いてきた日の丸君が代をめぐる教育現場の不毛な対立に一刻も早く終止符を打つ必要があると思うからでございます。  四年前、文部省との協調路線に転換した日教組は、国旗国歌法制化に反対する今年度の運動方針案を定期大会で採択し、「近現代史の中で日の丸君が代が果たしてきた役割をきちんと伝えることが重要だ」という文言を同方針案に追加しました。法的根拠がないことを最大の理由に日の丸君が代に反対する勢力が教育現場に根強く存在する以上、国旗国歌を一刻も早く法制化する必要があります。ここまで来てもし法制化できなかったならば、教育界の不毛なイデオロギー対立にますます拍車をかける結果となり、混乱を収拾することは極めて困難になるでしょう。  ところで、入学式や卒業式での国旗掲揚国歌斉唱の強制は憲法で定められた思想、信条の自由に反すると法制化反対論者は主張をしておりますけれども、国旗掲揚国歌斉唱を式典における式次第の一部に取り入れることは、個人の権利の侵害になるという性格のものではなく、教育作用と言えます。  学習指導要領に明記されておりますように、「国旗及び国歌の意義並びにそれらを尊重することが国際的な儀礼であることを理解させ、それらを尊重する態度を育てる」教育作用が入学式や卒業式での国旗掲揚国歌斉唱にほかならず、その式典での体験が国際化社会の中で生きる日本人の自覚を育てるのであります。  国旗掲揚国歌斉唱に際して起立を求めたり国歌を歌うことを求めたりすることは、儀式における礼や校歌斉唱と全く同じ意味でございまして、国際的な慣行、マナーになっております。したがって、起立や斉唱を強制ととらえること自体に問題があると言えるでしょう。  学習指導要領は「我が国の国旗国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるとともに、諸外国の国旗国歌も同様に尊重する態度を育てるように配慮すること。」を教員に義務づけているのでありまして、これはさまざまな教科を教えることを義務づけているのと全く同じでありまして、なぜ国旗国歌だけは強制ととらえるのでしょうか。  もちろん、学校教育にある種の強制が働くのは当然のことであり、校長は学校教育法や学習指導要領に基づいて学校行事への参加を義務づけることができます。それに対してもし生徒が思想、信条の自由を持ち出して参加を拒否したら、学校教育は全く成り立たなくなります。卒業式や入学式における国旗掲揚国歌斉唱は、一定の立場の強制ではなく、体験を通して国際的慣行、マナーを学ばせる大切な教育の場であることを明確に認識する必要があると思います。  大切なことは、子供が成人になったときに国旗国歌についての明確なみずからの考え方を確立できるように指導を積み上げていくことであります。子供自身の考え方を育てるためには、国旗国歌意味や精神、国際的慣行、マナーなどについて多面的に指導する必要があります。外国の国旗国歌について幅広く教える中で、自国の国旗国歌のよさを世界の中の日本という視野の中で見詰めさせる必要があるでしょう。  自国と外国の国旗国歌について多面的に教えることによって、子供たち一人一人がみずからのしっかりとした考え方を持つことができるように指導していくところに、国旗国歌を指導する重要な教育的意義があると言えます。教師の国旗国歌に対する先入観や偏見を強制することは厳に慎むべきであります。  教育と強制の関係について考える際に、能の世阿弥の「守破離」、これは型を守って型を破って型を離れるという能の世阿弥の言葉でありますけれども、「守破離」という言葉は示唆的であります。基礎、基本が守、応用が破、創造が離の段階と言えるでしょう。  書道では、形を学ぶ、これを節臨といいます。節臨によって意臨、すなわち心を学ぶことができるようになるといいます。形を学ぶことを通して筆遣いやリズムを感得して書の心を会得できるのであります。  日本の芸道はまず形を学ぶところから始めます。勝手な振る舞いを許さず一定の型を強要するという意味で、これは一種の強制と言えます。しかし、この強制を経て、形を支えている心を会得して初めて個性や創造性が育つのであります。  入学式や卒業式における国旗掲揚国歌斉唱にも共通点があるのではないでしょうか。まず自国の国旗国歌に敬意を表するマナーを身につけさせて、国旗国歌の心を学ぶことによって国際社会の中で主体的に生きる日本人となることができるのではないでしょうか。  入学式や卒業式において国旗掲揚国歌斉唱を行うのは、国際社会において児童生徒にとって必要とされる基礎的、基本的な教育内容の一つでありまして、このような内容を含む学校教育を行うことがむしろ児童生徒の教育を受ける権利を保障することになるのであります。  つまり、入学式、卒業式における国旗掲揚国歌斉唱は学校教育活動の一環として行われるものであります。思想、信条の自由とは、内心の自由について国家が制限、禁止したりみずからの思想、信条の表明を強制したりすることは許されないという意味でありまして、式典の一部である国旗掲揚国歌斉唱は児童生徒の内心の自由を制限、禁止したり思想、信条の表明を強制したりするものではありません。  平成六年十月の村山内閣時の政府の統一見解に明示されておりますように、学習指導要領は国旗国歌の指導を義務づけておりますが、それは児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導を進めていくことの必要性を指摘しているにすぎません。  問題になるのは物理的強制や罰則を伴う場合のみでございまして、一九四三年のアメリカのバーネット判決でも退学などの厳しい罰則を伴う強制が問題とされただけであります。児童生徒が国旗国歌の指導に従わない場合はケース・バイ・ケースで対処しなければなりませんが、あくまでも教育指導上の課題としてみずからの主体的価値観を形成していけるように粘り強く指導する姿勢が大切であり、安易に罰則で処分すべきではないでしょう。  しかし、教師は学習指導要領に拘束されており、教育委員会や校長の職務命令に従う職務上の責務を負っております。教師にも内心の自由はありますが、心の中で反対することと具体的行動を起こすこととは別問題であります。  平成七年二月三日の衆議院予算委員会における政府の統一見解についての与謝野文部大臣の答弁において、「教師の先生方は国旗国歌について生徒に対して指導するということは当然のことでございまして、そういうものについては実は例外はないわけでございます。」と明確に確認されているとおりであります。  校長には、職務をつかさどるとともに所属職員を監督する職務があります。これは学校教育法第二十八条第三項にあります。職務命令の法的な根拠は地方公務員法第三十二条、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」にあります。したがって、職務命令に違反した教職員に対してはこの規定によって懲戒処分を行うことができるのは当然のことであります。  教育基本法第十条において「教育は、不当な支配に服することなく」と定めておりますが、一部の人たちが入学式や卒業式における国旗掲揚国歌斉唱を妨げることは不当な支配に該当するのではないでしょうか。反対の強制は児童生徒の教育を受ける権利を侵害することにつながり、何人といえども学校行事を私的な思想や信条で私物化することは許されません。  君が代の斉唱を拒否することは児童の権利条約第十四条の思想、良心、宗教の自由から当然であるとの主張もありますが、児童の権利条約第二十九条は、「1 締約国は児童の教育が次のことを目的とすべきことに同意する。」として、教育の目的が「(c) 児童の親、児童自身の文化的同一性、言語及び諸価値、児童が現在居住している国及び自己の出身国が持つ国民的な諸価値並びに自己の文明と異なる文明等に対して尊敬心を育成すること。」にあることを明記しており、さきの指摘は当たりません。  これからの日本教育に求められているのは、自己他者自己や他国を温かい目で見ることのできる子供たちを育てていくことであります。自己や自国に対する肯定感の欠落傾向日本の子供たち自己評価というのは、中教審の答申にも出ておりますけれども、どの項目を見ても世界で最低でありますが、その自己肯定感の欠落状況というものが外国に比べて非常に顕著に見られるわけでございます。  もちろん、温かい目で見るということは、欠点を見ないで反省しないということではございません。人格のよさの本質を信頼しながら、人格と行為を明確に区別し、現象の問題行動を否定するのが教育の原点であることを、私は十三年間全国の現場を回っておりますけれども、横浜にある家庭裁判所が指定する施設、仏教慈徳学園というところから学びました。同学園では、非行少年たちが銘石という自然石の傷を毎日六時間やすりで磨きながら、現象の自分の奥にある本質の自分を発見して、弁護士や医者になるなど劇的に立ち直っております。  真の自己を発見し、自己への誇りを取り戻せば、誇りある反省ができるようになります。自国についても同じことが言えます。自国のよさ、自国への誇りを教えないで、自国の欠点ばかりを教えていると自虐的になるだけです。日の丸君が代に対して過度の罪悪感を持ち自虐的になるよりも、国旗を掲揚し国歌を斉唱するたびに自国への誇りと平和への思いを新たにする方がはるかに自然で健全で建設的ではないでしょうか。  どの国の歴史にも栄光と挫折があるように、国旗国歌にも光と影があります。しかし、日の丸君が代と軍国主義とは明確に区別する必要があります。ナイフを強盗が使えばドスとなり、名医が使えばメスとなります。化学物質も善用すれば薬となり、悪用すれば毒になります。日の丸君が代を軍国主義のシンボルだというのは、ナイフがあったから強盗事件が起きたというような感情論によるこじつけにほかなりません。  自国の歴史に対して誇りある反省をすることは大切なことですが、このことと国旗国歌問題とは明確に区別する必要があります。自国の国旗国歌に対して影のみを見るのではなく、光の側面を曇りのない目で真っすぐに見ることが大切であります。敗戦国ほど国旗国歌を大切にし、決意を新たにして国民的連帯を強めて新国家建設に邁進し、民族の名誉と誇りを守ってきた事実を忘れてはなりません。  国旗国歌はその国とともに生き、長い歴史伝統の中にはぐくまれてきたものであり、国旗国歌にはそれぞれの国の建国の理想や歴史文化伝統国民全体に共通する思いや願いなどが込められており、これを善用すれば国家の発展と人類の平和と繁栄をもたらすことができます。  戦後生まれの児童生徒たち日の丸君が代に抱く素朴なイメージと、軍国主義のシンボル視する教師たちの先入観、偏見との間には著しいギャップが存在します。私たちが考えなければならないことは、国旗国歌に対して純粋な気持ちを抱いている子供たちにあえてマイナスイメージを与えることが教育的に望ましいのかということであります。  自国の国旗国歌を大切にすることなくして、外国の国旗国歌を尊重する精神は生まれません。国旗国歌の尊重は偏狭なる愛国心や軍国主義につながるという考え方は間違っております。むしろ、自国の国旗国歌を粗末に取り扱う習慣や態度こそが他国の国旗国歌を尊重しないゆがんだ精神を生み、ひいては他国の人々の名誉や誇りを理解できない日本の若者を生み出すことになるのであります。異文化交流時代を迎えた今日、過去の偏見にとらわれない曇りのない目で自国と他国の国旗国歌の意義を教え、これを尊重する態度を育てる教育こそが求められております。  国旗国歌法制化することによって、戦後五十数年間続いてきた教育現場の不毛な政治的対立、イデオロギー的対立に終止符を打ち、公教育国民教育の原点に立ち返って、美しい日本人の心、感性を取り戻し、世界に向かって美しい日本文化を発信していく契機にしたいと念願しております。  国旗国歌法制化は、ゴールではなく、歴史的常識を取り戻すスタートにすぎません。国旗国歌の問題は実は戦後の日本人、私たち自身の問題なのであります。  まだ少し時間がございますが、以上をもちまして私の意見陳述を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  126. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ありがとうございました。  次に、堀尾参考人にお願いいたします。堀尾参考人
  127. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 現在、中央大学におります堀尾です。  私は、東京大学にいたときには教育哲学、教育思想を講じておりました。現在は中央大学の文学部と法学部で主として国際教育論と教育法を教えております。そういう専門の立場から、そして国民の一人としてこの問題に対する意見を申し述べたいと思います。  私は、結論的に言いますと、国旗日の丸とし国歌君が代とするという法案の成立に対しては、余り急ぐべきではない、十分に審議を重ねるべきだという意見を申し述べたいと思います。  そもそも、国旗国歌というものをどう考えるか。  これは、現代を、そして二十一世紀へ向けての国際社会あり方を考えるとき、それを私は地球時代というふうに考えようとしているのですけれども、それは地球上に存在するすべての人間、すべての民族、すべての国家が一つの連帯感を持って共生しなければならない時代に入ってくるのだということであります。  その際、それではネーションというものはどうなるのか。いきなり地球市民、地球時代における地球市民教育というわけにはまいりません。国家の存在というものを私は認めるものであります。当然、国家を単位としてインターナショナルな関係というものがつくり出されなければならない。その限りにおいて、その国を象徴する国旗国歌というものは必要であろうというふうに思っております。  しかし、それは日本日本と、国際社会の競争に打ち勝つというような仕方で出ていくような国民意識ではなくて、この国際社会、地球時代にふさわしい国民意識をどういうふうに育てるか、そういう観点からのネーションの意味をとらえ直すということが必要なわけで、これからはできるだけ国境は低く、余り日本日本と言う必要のない、すべての存在するもののユニークなその価値を認め合うという、そういう社会と国際関係をつくるべきではないかというふうに考えています。  そうした場合、それでは今必要だと言いました国旗国歌でありますけれども、問題は日の丸君が代というものが国旗国歌たり得るかという問題であります。  高橋さんの今のお話では、専ら国旗国歌ということで、日の丸君が代の問題について触れられたわけではありません。  なぜ日本国民の間に日の丸君が代を早急に法制化することに対して批判があるのか、あるいは学校現場でそれを押しつけることに対して批判があったのかということは、決して教育関係者がかたくなな意見を持ってそれを教育したから定着しなかったのではないわけであります。日の丸君が代が果たして国旗国歌たり得るのかという問題について、国民は多くの疑問を持っているということがあるわけであります。  さらに、日の丸君が代を同じレベルで考えていいんだろうか。日の丸日本国の象徴として、その日本国というのは戦前の大日本帝国憲法下日本、そして現在の憲法を含んで日本国、あるいはさらに遠い歴史を含んで日本国の象徴としての意味を持つことはできるというふうに私は思っています。しかし、君が代は果たしてそうなのか。これは歌詞があり曲がある、そして限定された意味がある。そういう意味でいうと、この日の丸君が代を同じオーダーで論ずるべきではないというふうに思っております。  もちろん、この日本国の象徴としてのということで日の丸君が代も果たした役割があり、特に戦前はそれが侵略シンボルとして利用されたということも事実であり、それだけに日の丸に対してもやはり厳しい見方が残っているのは当然のことであります。  この君が代に関してもう少し述べてみますと、いただいた「国旗及び国歌に関する法律案関係資料」、この法律案の提案理由を見ますと、「我が国におきましては、長年の慣行により、「日章旗」及び「君が代」が、それぞれ国旗及び国歌として国民の間に広く定着しているところであります。」というふうに書かれています。  しかし、広く定着していなかったからこそ現在のような問題になっているんだというふうに考えざるを得ません。そして、長年の慣行と言う場合、これは戦前からのということを当然に意味しているわけで、それでは戦前、戦後を通して慣行が成立していたか。決してそうではなくて、この長年の慣行と言われるものの中間に、つまり一九四五年が入るわけでありまして、大日本帝国憲法から現在の日本憲法への変化という問題を含んでどう考えたらいいのかという、その象徴意味をどう考えるかということが実はあるわけであります。  例えば、もし私も教師として君が代を教えなければならないとしますと、この法案の別記第二のところに、君が代の歌詞及び楽曲が載っています。これを一年生から繰り返し教わることになります。子供たちは次第にこの歌ってどういう歌なんだろうと。よく見ると「古歌」と書いてあります。作曲は林広守と書かれています。古歌とはどういう意味なんだろうか、林広守とはどういう人だったんだろうか。これは子供が好奇心を持ち、探求心を持っているならば当然問われる問いであります。そして、この「君」とは何かを先生は教えなければならない。  衆議院での議論を拝見しましたけれども、君が代の「君」というのは天皇である、「が」は所有の「が」であり、「代」は時代であり国であるという説明を一方でしながら、では天皇の国かというとそうではなくて、国民統合象徴としての天皇を持つ我が国と教えなければならないことになっています。これは非常に子供は戸惑うし、先生も戸惑うのではないでしょうか。  調べる子供は、古歌、先生も教えるかもしれません。和漢朗詠集あるいは古今和歌集にあった歌なんだ、そしてそのとき君が代であったりあるいは我が君と言われたこともある。「君」とは恋人であったり君のことだよというふうな教え方もすることになっていくわけです。それと国民統合象徴としての天皇とはどういう関係になるのかということで、子供も戸惑い、先生もこれは戸惑うのではないか。そして、作曲者、林広守という人は何者なのか。君が代の作成過程についても歴史の関心を持つならば、当然これを調べていく人もいると思いますし、私自身、実は教育史に関しても深い関心を持っています。その領域では、例えば山住正己さんなんかは本当に専門家なんですけれども、山住さんがこの君が代成立過程については詳しい、これはドクター論文の一部でもあるんですけれども、研究をしています。  そうすると、最初にフェントンというイギリス人に、陸軍の大山巌が、国歌が必要なのではないかと言われて彼につくらせた曲、しかしそれは日本人にはなじまないということで歌われなくなる。今度は海軍から宮内省に国歌をつくってはどうかということで、宮内省の式部寮雅楽課が君が代をつくる。そのときエッケルトというドイツの音楽家も協力する。この林という人はどうもこの雅楽課におられた人ではないかということになるわけです。  しかし、この曲も実は余りうまくいかなくて、文部省はその後さらに国歌の選定を音楽取調掛に命じている。しかし、音楽取調掛はとても国歌はつくれない、難しいんだということでその命令を返上する。そこで、エッケルトも参加した宮内庁の曲がこの君が代の曲になっていく。しかし、まだ国歌として認められたわけではなくて、これが国歌として広く教育の場で使われるようになってくるのは、実は一八八九年、大日本帝国憲法の成立、そして翌年の教育勅語の成立、その翌年に小学校祝日大祭日儀式規程というのができて広く君が代を歌うようになっていく。そういう経過があるというようなことも、実はこの君が代歴史ということでは当然興味の関心になっていくということになります。  有馬文部大臣も歴史をきちんと教えなきゃいけないというふうに言われているようです、記録によりますと。この君が代歴史についても、多分こういうことを知った場合に、果たしてこういう歴史を持つものが国歌たり得るんだろうかということになります。  その前にもう一つ言わなければなりません。一九四五年、大日本帝国憲法が現在の憲法に変わった、そのことによって実は天皇意味というものが大きく変わってくるわけであります。長い間慣行としてと提案理由には書かれていますけれども、しかし一九四五年、あるいは新憲法の成立、そのことの意味をどうとらえるかということが非常に大事な問題なわけで、私は、この憲法第一条なるものをどう解釈すべきかということで、古い論文を持ち出して、今もう一遍御紹介しようと思います。  これは「註解日本憲法」、昭和二十八年、一九五三年に出された日本憲法のいわば注解書としては最も権威ある書物であります。私自身、実はこの二十八年に東大の法学部に進み、そして宮沢俊義先生に憲法の講義も聞いたわけであります。  この第一条をどう解釈するか。第一条は天皇です。天皇をたたえる条項を第一条に置いたのか。そうではないんですね。つまり、大日本帝国憲法、そこでは天皇は統治権の総攬者であり、陸海軍の総帥であり、そして教育勅語を通して国民の精神的な権威の保持者であったその天皇が、今度はそうではない、この国のあり方が大きく変わるんだ、天皇主権から国民主権に変わる、そのことによって天皇象徴になったんだ、象徴でしかないんだということを例えばこの解説書では強調しているんです。  読んでみます。「本条は、日本憲法の冒頭において、この憲法の基本的組織原理を表明したものである。」、この基本的組織原理とは何か。「即ち、国民主権主義の原理である。第一条の規定が含まれている第一章は天皇と題されており、従つて本条は、規定の直接の目的からいうと天皇憲法上の地位を宣明したものであるようにみえるが、しかし規定自体の趣旨は、むしろ新憲法における天皇の特殊な法的地位を宣明することによつて、結局その基礎である国民主権主義の原理を確認するにあつたといわなければならない。」、こういうふうに書かれているんです。  憲法体制が大きく変わり、天皇意味も大きく変わった。君が代は残っている。その場合に、先ほど私は、日の丸というのは日本という国の象徴たり得るだろう、それは戦前の侵略歴史も含み、しかし現在の憲法を持っている新しい日本象徴にもなり得るだろうと。  しかし、君が代は、その「君」が天皇である限り、天皇の位置づけが大きく変わったのであって、天皇主権から国民主権へ変わった、その国民主権にふさわしい歌が本当は必要なんじゃないのかということになるわけで、国民主権、人権の尊重、平和主義、さらには二十一世紀にふさわしい国際的な感覚を持った歌、あるいは子供こそが未来である、そういう思いを込めた新しい歌こそがつくられていいのではないかというふうに私は思っているわけです。  改めて提案理由を読みますと、「政府といたしましては、このことを踏まえ、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法にその根拠を明確に規定する」と書いてあります。二十一世紀をどう考えればいいのか、そこが実は大きな問題でもあるわけです。  私は、冒頭で、地球時代こそが開かれていかなければならないという思いを込めて、その中での国のあり方というものを考えなきゃいけない、そこではそれこそ平和憲法こそが国際的にも非常に大きな誇り得る憲法ではないかというふうに思っているのですけれども、そういう議論がここで大きく出てもいいじゃないかと。確かに、戦後五十年何もできなかったということは本当に残念なんですけれども、二十一世紀を迎えるということを一つの契機にして、政府はなぜ国民主権、そして平和主義、地球時代にふさわしい新しい歌をつくろうではないかというふうな問題提起をしなかったんだろうかということを非常に残念に思っております。  なぜ現場の先生たちに批判が強いか。これは、こういう問題を本気で考えざるを得ない立場にあるから批判も強いのであります。森幹事長が、教育界には反対の人が多いから法制化してきちんとやる必要があるんだというふうに発言しています。これは非常におかしなことなんで、本気で問題を考えようとすればいろいろ疑問がわく。私が今申し述べたのもその一つであります。  本気で考える人は教育界だけではありません。今度の問題に対して慎重に議論しようという声はたくさん上がっています。それは世論調査の数字だけではありません。例えば、日弁連も慎重にすべきだという声を上げていますし、あるいは演劇人も署名をして声を上げています。あるいは東大の先生方も百人近い方が署名をしています。そういう動きというものは、本気でこの問題を考えようとする人にちょっと待てよということで疑問がふえているのでありまして、世論調査ももちろん、本気で考えようじゃないかということで、だんだんと批判派がふえている。専門家は本当に心配の声を上げているんです。その声を無視して強行採決するようなことがあっていいんだろうか、私は本当に心配になっているわけであります。  この二十三日、衆議院で法案が通ったその直後ですけれども、心ある人たちが集会を持ちました。それは非常に広い範囲での集会の持ち方でした。宗教家が声を上げ、教育者が声を上げ、法律家が声を上げ、そして文学者が声を上げ、あの日比谷野外音楽堂に、主催者としては三千人ぐらい集まるかなと考えていましたけれども、六千五百人の人たちが集まって、そして自分たち意見を表明したわけです。そういう動きにもっと国会の方々は耳をかし、そういう動きを注目してほしいと思うんです。もちろん世論の数字と、それからそういう専門家たち意見専門家専門家としてと同時に国民の一人として心を痛めているんだというふうに思っています。  今の国旗国歌、そしてそれをどう考えるか、日の丸君が代国旗国歌たり得るかという問題についてお話しましたが、もう一つ、私は教育関係者でありまして、この問題に教育という観点から非常に心を痛めている者の一人であります。  この法制化の背景は、二十一世紀にふさわしい云々ということも理由上には書かれていますけれども、より直接的にはこの二月の末に広島の校長先生が亡くなられた、その事件がきっかけであることは明らかなことであります。その問題を解決するためには、法律という根拠を持たせて、そして職務命令の根拠を強めようというのがこの法制化の現実的なねらいである、これも明らかなことであります。  しかし、法制化することによって問題が片づくだろうか。これは逆であります。むしろ混乱が広がる、不信感が広がるだけではないか。とりわけ、職務命令だからそれに従わなければならない、従わない者は処分する。しかし、職務命令の根拠というのは何なのか。公務員だからだということが挙げられます。それから、公教育の教師だからということが言われます。しかし、それは丁寧に考えればとてもじゃないけれどもそんな議論でいいのか。  この職務命令を強行する理論的な根拠として、特別権力関係論というのがございます。これは行政法の理論で、戦前のいわば命令を強行する根拠として、一般的な市民国家との関係ではなくて、例えば公務員の世界では特別にその権力の命令に従わなければならないという議論であります。現在使われている議論は、まさに今文部省が使っている議論はそれであります。しかし、この特別権力関係論なるものが、例えば行政法学界でどういうふうなとらえられ方をしているかということをちょっと御紹介します。  これは、兼子仁という教育法の専門家、私と一緒に「教育と人権」という本も書いた人ですけれども、教育法学界の権威者と言っていいと思いますが、彼がこの特別権力関係論に対して、「行政法学界においても、特別権力関係論一般に対して批判が強まり、こんにちでは、特別権力関係論の不必要説をも合わせて、もはや特別権力関係論は通説ではないのみならず一般に積極的な学説の支持が得られなくなっている。」というふうに書いて、文献をたくさん挙げています。これは、田中二郎先生を初めとして行政法学界の泰斗たち議論が、特別権力関係というのは古いんだということを強調している議論になっているわけです。  それに加えて、これは公務員の領域ですけれども、教育公務員の特殊性というものをどう考えるのか。公教育あるいは公立学校だから従わなければならないという理論的な根拠はないわけであります。私自身、先ほども申しました教育法学を講じている身であります。そして「人権としての教育」という本を書いている人間でもあります。そういうところからすると、そういう考え方自体が戦後の人権の主張、そして子供の権利を軸にし、教育とは何かというものを教育行政の軸に据えなければならない。  そこで、教育行政の責任と限界というものが戦後の教育行政のあり方を大きく方向づけている議論なわけでありまして、公教育だから、公務員だから従わなきゃいけない、そんなことはないのであります。むしろ、職務命令の内容自体憲法違反である、そういう問題をどう考えるかということが大きな問題で、それが子供の内面の自由、さらに教師の思想、信条の自由を抑圧することにならないか。さらに、教育研究に関してもそれははね返ってくる、そういう問題を持っているということを指摘したいと思います。  ちょっと時間を超過して済みませんでした。
  128. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  これより参考人に対する質疑に入ります。  なお、各参考人にお願い申し上げます。時間が限られておりますので、御答弁はできるだけ簡潔にお述べいただきますようお願いいたします。  それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
  129. 森田次夫

    ○森田次夫君 自由民主党の森田次夫と申します。  先生方におかれましては、大変お忙しいところ御出席をいただきまして、厚く御礼を申し上げます。  時間が十五分と限られておりますので、率直にお伺いをいたしたいと思うわけでございます。  先ほど高橋先生もおっしゃっていましたが、自国の国旗国歌に対するマナーが教えられていない、そういったところに問題があるんだ、これは学校教育の一環として教えることであって、思想、信条を強制するものではないんだと、こういうお話がございました。これはもっともな御意見だというふうに思います。  いろいろと言われておりますけれども、オリンピックあるいは国際大会、そういったあらゆる分野で国旗が掲げられ、国歌が吹奏あるいは斉唱されているわけでございますけれども、一番肝心なことは、教育の現場で教えられていない、こういったところに問題があるわけでございます。  そして、堀尾先生がちょっと触れられておりましたけれども、これだけではないんだと言っておられましたが、やはり公立の学校に特に私は問題があるのではないのかな、こんなふうに思うわけでございます。  そうしたことから、これからますます国際化、そういったことを迎えるわけでございますけれども、国旗国歌を大切にすると同時に、諸外国の国旗国歌についても尊重する、いわゆる国際的常識といいますか、そういったものを養うことが求められているのではないのかな、こんなふうに思うわけでございます。このような常識というのは、今私たちに必要なだけではなく、ますます国際化の進む次の担い手たちにこそ不可欠である、このように思うわけでございます。  しかしながら、今回の法案では尊重義務というものが盛り込まれていないわけでございますけれども、盛り込まれないことで国旗国歌に対する学校の指導が後退するのではないか、こういった危惧をする人もおられるわけでございます。そのことにつきまして、教育者である高橋先生の御意見をお聞かせいただければなと、こんなふうに思うわけでございます。
  130. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) これは法制化によって後退するということはないと思います。  ただ、もちろん私は個人的には尊重義務を規定した方がいいと思っていますけれども、しかし法制化によってより徹底されるということを期待したいと思います。
  131. 森田次夫

    ○森田次夫君 ありがとうございます。  それでは、私、遺族会の代表だということでちょっとお伺いしたいわけですけれども、これも高橋先生にお聞きしたいんですが、国旗国歌について一部には過去の侵略戦争あるいは植民地支配を想起させるとか軍国主義のシンボルであるとか、いわゆる国旗国歌を否定する意見というものがあるわけでございます。  そこで、この国旗国歌戦争に利用したということは私も認めますけれども、いわゆる侵略戦争だとか植民地支配だとかそういったことはともかくとして、いわゆる国旗国歌というものは国民と喜びも悲しみもともにするといいますか、先ほど光と影というようなお話がございましたが、ともにするものであると、私はそんなふうに考えるわけでございます。したがって、戦争のときには一段と国歌が愛唱され国旗が掲げられるということはむしろ当然ではないのかな、私はそのように思うわけでございます。  戦争に際しまして国旗を掲げ国歌を歌ったということで国旗国歌というものが否定される、こういうことになれば、例えばフランスのあの三色旗は仏印戦争だとかアルジェリアの独立戦争だとか、そういったところに用いられておるわけで、こういったフランスの国旗も否定されなければならないんじゃないのかな、こんなふうにも思うわけでございます。  そうした意見につきまして高橋先生はどのようにお考えになられるか、ちょっとお話をいただきたいと思います。
  132. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 最後におっしゃったことで申せば、例えばアヘン戦争で用いられたイギリスのユニオンジャック、あるいはベトナム戦争で用いられたアメリカの星条旗、そういうものも軍国主義のシンボルとして当然反対する人たちは反対すべきでありますが、なぜか日の丸だけに反対するわけであります。  例えば国旗は、リトアニアとかアゼルバイジャンあるいは東欧諸国、そういう国々が民族の存亡をかけて懸命に戦うときには必ず国旗を掲げるわけであります。あるいはベルリンの壁の崩壊のときにも、ドイツの国旗を振って喜んでおる姿が私は非常に印象に残っております。  国旗というものはそういうイデオロギーとか国家体制を超えて国家国民シンボルでございまして、それはきょう申し上げたように、栄光と汚辱といいますか、光と影というものを引きずっているものでございますが、戦争に利用されたからといって国旗を否定する、日の丸を否定するというのはこれは感情論でございまして、そのことをきちっと総括することとこれとは別の問題でございますので、これは区別をして論じるべきだと私は思っております。
  133. 森田次夫

    ○森田次夫君 日本に限って日の丸だとか君が代侵略戦争シンボルだというふうに非難されるのは、日本だけが侵略国家であったとするいわゆる東京裁判史観といいますか、そういったことがやはりあるのかな、こんなふうに実は思うわけでございます。  次に、これは高橋先生とそれから堀尾先生にもお伺いしたいわけでございますけれども、国旗国歌に対する反対意見としてこんな意見があるわけです。いわゆる第二次大戦の主な侵略国であるドイツだとかイタリアは戦後国旗を変えたじゃないか、戦争中の旗をそのまま使っている国というのは日本だけじゃないか、こういった主張をされる方があるわけでございます。  こうした表現というのは一面では俗耳に入りやすいかもしれませんけれども、これは明らかに理論のすりかえじゃないのかな、もしそれでなければ事実がわかっていないんじゃないか、こんなふうに思うわけでございますが、まず高橋先生からひとつその辺をお聞きしたいと思います。
  134. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 国旗歴史というのはそれぞれの国によって異なるわけでございまして、その長い伝統に根づいて定着している日の丸というものを戦争に敗れたからといって変えるということは、ドイツ、イタリアがどうだという比較の話ではないと思います、基本的には。  もう一点は、戦後、新しい国歌をつくろうという動きが実はあったわけであります。例えば日教組は、昭和二十六年に「緑の山河」というのが二千の詞、七百の曲の中から当選しました。あるいは、国民の歌作成委員会国民に呼びかけまして、二万三千編の応募作品から「若い日本」というのが選ばれておりますけれども、しかし当時の国民感情をとらえることができなくて、広く歌われることがありませんでした。  つまり、戦争のためにもし国歌を変えても、それは長い伝統というものに根づいていかなければ、たとえ国民歌というものをつくっても根づかないものであります。ですから、そう安易に変えるものではないというのが私の認識でございます。
  135. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 森田委員が言われたことで、もうちょっと広げながらお答えしたいと思います。  森田さんは遺族会を代表してとおっしゃいました。私も遺族です。遺児です。私の父は、私が四歳のときに日中戦争が始まり、戦争に行き、六歳のときに死んでいます。北支です。そういう人間として、私は日の丸君が代問題にも非常に深く考えるところがあります。だから、遺族はみんな遺族会と同じではない、平和遺族会もあるんだということも私は特に御記憶願いたいと思います。その上で、私の父は死んでいるんです。  質問の中で、東京裁判史観云々、それからドイツ、イタリーは変えたのに日本は変えないというのはおかしい、それは理論的すりかえではないかということが言われました。  私自身、冒頭にも言いましたように、日の丸に関しては日本という国の象徴として戦前、戦後を通してそれは象徴たり得ると。しかし、その場合に、戦前は侵略シンボルでもあった、しかし戦後は平和憲法を持つ現在の日本象徴なんだという意味を込めて、きちんと過去を教えながら、過去を心に刻みながら日の丸をとらえ直すということは可能ではないかという考えを持っているわけであります。ですから、それと君が代とは違うということをまず言わなければなりません。  そして、先ほどフランスについて言われました。この三色旗は、自由、平等、友愛をその三色旗に込めているわけであります。そうすると、その理念の意味というものを私たちはどう評価するかということが問われます。  それから、ラ・マルセイエーズに関して言えば、フランス人の中にも、あれは血なまぐさい文句もあるし国歌としてはふさわしくない、そういう意見を持っているフランス人も結構います。ですから、逆に言えば、そういう意見を持っている者に対してそれを押しつけるというようなことをフランスではやりません。私はフランスに留学もいたしましたし、その辺のことはわかっているつもりであります。  とりあえずよろしいでしょうか。
  136. 森田次夫

    ○森田次夫君 堀尾先生も戦争でお父さんを亡くされているらしいですけれども、私も実はそういう立場で、そして国会の方に送っていただいている、そういう立場でございます。  その中で、私のところへ、代表ですから遺族会の意見というのがいろいろと来るわけです。確かに平和遺族会ですとか遺族会はたくさんございますので、いろいろと物の考え方はあろうと思いますけれども、ただ私の中では、法制化を早くしろしろというような意見はたくさん来ますが、法制化しちゃいかぬ、もう少し慎重に議論しろと、こういうような意見はほとんど皆無と言ってもいい、このことをちょっと申し上げておきたいと思います。  それから、先ほどドイツ、イタリアの話を申し上げましたけれども、ドイツの場合には一時期いわゆるナチスの党旗、これを国旗とした時代があったわけですけれども、あれが崩壊して、そしてもとの旧西ドイツの国旗に戻した。それから、イタリアの場合には、王制だったんですけれども、戦後、国民投票で共和国になった、こういうことで、いわゆるその紋章を取ったというだけで、国旗国歌というのは全く変わっていないわけでございます。そのことを私は申し上げたかったわけでございます。  あと二分ということでございますので、これは一方的になるかどうかあれなんですけれども、尊重義務が盛り込まれなくとも、国旗掲揚をもし法制化できれば、これをさらに普及させることが大事なのかな、そしてこのことで国民の間に自然と国旗を尊重する心が養われていくんじゃないのかな、私としてはそう考えます。すなわち、国旗国歌に親しみを持たせるといいますか、こういったことが私は大切だろうというふうに思うわけでございます。  そうした中で、国旗を掲げることにしても、その掲げ方についてほとんどの国民は知らぬのではないのかな、こういうふうに思うわけです。子供だけではなくて、恐らく大人も知らないだろうというふうに思うわけでございます。そうしたことを考えたときに、そのマニュアルというか要領というか、そんなようなものをつくる必要があるんじゃないのかな。例えば、国旗というものは門の外から見たら右側にやりなさいとか、交差をさせるときにはどちらの国旗をどういうふうにしてとか、半旗の場合にはこういうふうに掲げるんだとか、そういったことがほとんどわからないのじゃないかな、こんなふうに思うわけなんです。  私はそういう要領みたいなものが必要だろうなというふうに思うわけですけれども、これはもう最後でございますので、高橋先生だけにお聞きして、終わらせていただきたいと思います。
  137. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 私の意見陳述の最後で、これは戦後の日本人全体の問題だということを申し上げました。作法、マナーを含めて、実は子供たちだけに求められるものではありませんで、先生はどうなんだ、お役人はどうなんだ、政治家はどうなんだ、つまり我々大人自身が問われているということをぜひ申し上げておきたいと思います。
  138. 森田次夫

    ○森田次夫君 ありがとうございました。
  139. 足立良平

    ○足立良平君 民主党・新緑風会の足立でございます。  きょうは本当にお二人の先生、それぞれ卓見を聞かせていただきまして、まことにありがとうございます。率直に申し上げて、私、大変勉強になりましたのは、両先生の考え方が全く対照的でございまして、そういう面でこの違いといいますか、この問題に対する認識というのを改めて実は感じたわけであります。  まず最初に、これは高橋先生にちょっと考え方をお聞きしておきたいというふうに存じます。  冒頭に高橋先生の方から、法制化の問題について、明文といいますか、これが明確でないといいますか、従来は慣習法であった、したがってそれは法的根拠がなかったので今回の法制化ということは本当にいいんだ、こういうふうにおっしゃっているわけであります。先生の今までの論文等を拝見いたしておりますと、これは「法律のひろば」の中で、平成三年でございますけれども、慣習法として完全に成立しているということを前提に、一応これは問題ないんだというふうに先生のお考え方を私は理解させていただきました。  冒頭のお話は、慣習法というのには触れずに、法制化しないとだめなんだというふうにおっしゃっておりますので、考え方といいますか、どういうふうな観点からそのように主張をお変えになったのか、この点をちょっとお聞かせ願いたいと思います。
  140. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 先ほど御指摘のありました「法律のひろば」にも私は論文を書かせていただいておりますけれども、基本的には慣習法として定着しているということが私は最も望ましいと考えております。  ただ、きょうもお話を申し上げましたように、教育現場において一定の反対運動というものが影響力を持っておりまして、その最大の根拠は、要するに明文上の法的根拠がないではないかということを理由としていろいろと現場で混乱が起きておりますので、その点を考慮に入れますと、しかも政府で法制化問題を提示されてここまで議論が進んできて、いや、法制化しないということになれば、私の認識ではますます現場は混乱するというふうに思っておりまして、そういう理由から法制化が必要だというのが私の現在の判断でございます。
  141. 足立良平

    ○足立良平君 そこで、先ほども話が少し出たかと思うんですが、それでは法制化をすることによって教育現場におけるトラブルというものが本当に解消していくことにつながってくるのだろうかということが、ある面におきましては実は焦点になっているわけであります。教育現場でのいろんなトラブルということは、これはもうあってはならないことでありますので、このトラブルを解消していく、そしてまた日の丸なり君が代というのはさらに定着をしていくことが望ましいというふうに私は思っているわけでありますが、それでは具体的にどうしたら本当にきちんとトラブルが解消していくんだろうかなと。  それは法制化の方がいいんだろうか、あるいはまた慣習法でやった方がいいのか、これは両方の問題もあるわけであります。きょうの午前中も、文部省が強制し過ぎるからトラブルがあるんだとか、あるいはまたこちらがどうであるとか、いろんな、この種の問題というのは極めて相対的なものでありますから、トラブルを解消していく手法というのは何なんだろうかという感じで議論があるわけでありますが、その点につきまして先生の考え方を教えていただきたいと思います。
  142. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) これは、私はやっぱり教育の本質論というものから、イデオロギーは対立をしますけれども、つまり今日の子供たちの現状、そして問題点、それをどういうふうに乗り越えていかなくちゃいけないのかということのかかわりで、学校教育というものは一体どうあるべきなのかという教育の本質に立った議論、これを巻き起こしていく以外にない。もちろん一遍になかなか鎮静化はしませんし、恐らく一時的には混乱に拍車がかかるかもしれません。しかし、私は次第に落ちついていくんだろうと思うんです。  ただ、この問題は余りにもいわば政治問題として出てまいりまして、教育の本質論として国旗国歌の指導というものが一体どういう意味があるのかとか、そういう教育の本質論からの論議が欠けていたと思うんです。  例えば、文部省対日教組の対立図式のようなものが続いてまいりましたし、そういうものを超えて、世界に向かってこれから一体どういう子供たちを育てていかなくちゃいけないのか。きょう堀尾先生が地球的視野ということをおっしゃいましたが、まさにその地球的視野に立って一体どうあるべきかという、義務教育そのものは一体何のために存在するのかも含めた根本的な議論が必要ではないかというふうに思っております。
  143. 足立良平

    ○足立良平君 その上で、ちょっと堀尾先生の考え方もお聞かせ願いたいと思いますのは、これは先生の「季刊教育法」、一九九〇年の夏季号、このパンフレットを拝見いたしました。私、ずっと拝見をいたしておりまして、質問のなには、先生の国家観、これはどういうお考えなのかなというふうに実は疑問を持ちました。  というのは、今、高橋先生も御指摘でございましたけれども、こういう文章がございます。これは山住先生との対談なんでございますけれども、山住先生は「ともすると非合理的なナショナリズムをもたらしがちな国旗国歌など、たいして必要とは思えない。あるとどうしてもそうなりがちなのでね。」というふうにおっしゃっている。これはいわゆる地球全体で物を考えていかなきゃいけない、こういう意味であろうと思います。堀尾先生の方は、それを受けて、「そこのところは、人類の課題という意味では僕も全くそう思うのですね。」、こういうふうにおっしゃっているわけであります。  ほかの項目では、まさに地球は一つという、世界市民、地球市民という概念の中で「国家意識なんていうものはできるだけ小さくしていく、これはこれからの教育の課題でもあると思うのです。」というふうに先生はおっしゃっているわけですね。  ですから、いわゆる国旗あるいはまた国歌というものに対するなにと、いわゆる国家観というもの、これとの関係が大変密接なのではないかというふうに私は類推をしてしまいましたので、ちょっと先生の考え方をお聞かせ願いたいと思います。
  144. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 今御指摘の問題、先ほど私は地球時代において国家というものがどうなるんだろうかという形で話をしました。山住さんとその辺が意見が違うということも今使われた文献でよくおわかりになると思います。  山住さんは地球時代には国旗国歌も要らないだろうというような意見になるようですけれども、私は、地球時代、しかしそれを構成するのは国民国家が単位であることは間違いない、そして紛争の問題などを含めても国家主権の問題というのは国際関係の中では尊重されなければならない、強国が国家主権を侵すというようなことは許されるべきではない、そういう問題を抱えて地球時代へ進んでいかなければならない、そうするとその国家あり方というものが当然従来のように少なくとも戦前の帝国主義諸国がせめぎ合っていた国家観とは違った国家でなければいけないし、その国家というものは、国家国家と余り言わなくて、地球時代にふさわしい、お互いの民族的な伝統を尊重し合いナショナルなアイデンティティーというものを本気で考え合うような国家であるべきで、その象徴としての国旗国歌というものが必要であろうという議論をしているんです。  ただし、私は、国旗国歌が必要だろうといった場合に、日の丸君が代がにわかに国旗国歌だということとは違うんだということをぜひ御理解いただきたいと思います。そして、それはまた日の丸君が代をそれぞれ区別して議論を深める必要があるというのが私の議論であります。
  145. 足立良平

    ○足立良平君 それでは、その上で高橋先生に再度お聞きをしておきたいと思いますのは君が代の問題についてであります。  君が代の問題で、今までの政府というのは君が代というものをどういうふうに解釈をするのか、あるいは「君」というものをどういうふうに解釈するのか。ずっと今日までの国会における議論といいますか、その解釈をめぐりましては相当長い歴史を実は持っておりまして、そしてその中で、大きく言えばそう違っていないのかなと思いながらも、時間がありませんから全部は申し上げませんが、微妙な違いが若干出てきている。  君が代というのは、先ほども先生のお話の中にありましたように、いろんな歴史があります、古今和歌集から始まって。この歴史があって、そして明治のああいう天皇に対する君が代の解釈もございました。そういう面からすると、一つのそのときの政府の解釈できちんとしてしまうということは本当にいいんだろうかと。  例えば時の政権がかわることによって全く解釈が異なってしまっているというふうなことを考えてみると、そういう面では一政府の解釈というものは余り固定化せずに、国民全部があなたであり、「君」であり、あるいはまた象徴である天皇というようないろんな解釈というものが存在をして、そしてその中で国を愛する、あるいはまた我が国を誇りに持つような気持ちを醸成していくということの方がいいのではないかなという感じを実は持ったりするものですから、高橋先生のお考えをちょっとお聞かせ願いたい、このように思います。
  146. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 基本的には、国民的な確信といいますか、歴史的な常識というものと政府の見解がもし外れている場合は私は問題であると思います。  おっしゃいましたように、君が代の「君」の意味は、確かに広い意味でのあなたという意味から天皇意味する君というふうな変遷がございました。しかし、天皇国民関係というものを考えますと、私はそう根本的な問題ではないと思っておりまして、例えば、ここに憲法改正当時の担当大臣の金森徳次郎さんのものを持ってきているんですが、そこには「主権天皇を含みたる国民全体」と言っておられますし、芦田均、衆議院の憲法改正特別委員会委員長でございましたが、この方も、「国家意思の発動は天皇を含めての国民の中にある」、こういう説明でございますね。  そういう点も踏まえますと、現行の日本国の憲法第一条が、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合象徴であつて、この地位は、国民の総意に基く。」というその憲法第一条というものに立脚して解釈されているということは、著しく国民歴史的な常識あるいは国民的な確信というものと離れていないと私は思っておりますので、特に問題はないと思っております。
  147. 足立良平

    ○足立良平君 同じ質問を、ちょっと余り時間がございませんが、堀尾先生は一体どういうふうにお考えになりますでしょうか。
  148. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 政府の解釈を固定化して押しつけていいかという御質問がございました。  その前に、高橋さんは教育の本質から考えるべきだと今言われました。私は、教育の本質から考えるべきだ、そして教育の本質と国家関係を問うべきだというふうに思っています。  そうした場合にどういう議論が出てくるか。これは私の「人権としての教育」の中で引用しているものですけれども、つまり近代国家教育の基本的な関係について、例えばコンドルセというフランスの革命期に活躍した思想家がいますが、彼は公教育の思想にとっては非常に大事な人物なんですけれども、こう言っています。「政府は「どこに真理が存し、どこに誤謬があるかを決定する権利はもたない」、「政府によって与えられる偏見は、真の暴政であり、自然的自由のうちの最も貴重な部分の一つに対する侵犯である」」、こういうふうにコンドルセは言っています。  このコンドルセは公教育の必要を説き、そしてその公教育で何をなすべきか、それは人権としての教育をすべての国民に保障する制度としての公教育、そのためには国家はその内面に介入すべきではない、どこに真理がありどこに誤謬があるかを決定する権利は持たないんだということを言っている。教育の独立性、自律性を主張したわけです。これが非常に大事なことで、私は高橋さんにそこのところをぜひ考えてほしい、教育の本質から問うんだったらというふうに思います。  さらに、イェリネックというドイツの法哲学の先生は、国家は内面にかかわるものは何も生産はしないということを言っています。これが言うなれば内面の自由、そして教育の本質と国家関係についての学説的に非常に大事なポイントではないかというふうに私は思っています。  それからもう一点、これは質問というよりもあれでしょうか、天皇を含んで国民ということを言われましたけれども、先ほど私が紹介した「註解日本憲法」というのは本当に大事な文献でありまして、どういう人が解説しているか。これは田中二郎、鵜飼信成、団藤重光、平野龍一、加藤一郎、そういった人が解説を加えている非常に古典的な憲法解釈なんですね。そこでの第一条解釈というのは非常に大事だというふうに私は思っています。
  149. 足立良平

    ○足立良平君 終わります。
  150. 山本保

    山本保君 公明党の山本保です。  時間が限られております。また、この会といいますのは専門の先生方に来ていただきまして私どもが意見をお聞きする会でございまして、本来ですと議論を闘わせたり異論を申し上げたりするということが本来の話し合いですが、この会はそういうものではなくして、お聞きするということでございますので、反論また反対の意見なども私もあるわけでございますが、それは意識的に出さないで、先生がおっしゃったことについてお聞きしたいと思っております。  まず、高橋先生にお聞きします。  実は私も、きのうここでありましたときに権利条約を引きまして、なぜこれを文部省がちっとも使わないんだと。形式的な職務命令だとかそんなことばかり言って、一番肝心な、もう諸外国で認められている、国が子供の最善の利益、子供の最大の発達保障という観点からいって、子供たちに自国のまたは出身国の、また他国であっても、それに対する尊敬の念を育てるという教育がちゃんと示されており、日本もそれを批准したのでありますから、当然これは日本教育の基本に掲げるべきである、こういうふうに申し上げました。  今、先生は同じことをおっしゃったわけですが、ちょっとそれで細かいことをお聞きします。  教育基本法を先ほどお読みになられまして、その中に当然含まれておるだろうと、こう言われましたが、私はきのうは、やはり教育基本法というのは歴史的制約もありちょっと難しいのだろう、改正すべきだという意見もある、しかしそこまで行かなくとも、もう既にこういう立派な条約をきちんと批准しているのだから、この二つそろえてこれが日本教育の内容についての指針である、こう言えばいいじゃないかと、こういうふうに申し上げて、余分なことで、文部省はどうも権利条約が嫌いなようですねというようなことも言ったんですけれども、先生はその辺についてどうお考えでございますか。
  151. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 私は、三十のときにアメリカに参りまして、GHQ文書を三年間アメリカでこもって研究をいたしました。  したがいまして、教育基本法成立過程等も研究をいたしておりまして、ただ一つだけ私が思いましたのは、日本側の教育基本法の前文案には伝統を尊重するという言葉が入っていたのであります。ところが、これを削ったのは占領軍の民間情報教育局のトレイナーという教育課の課長補佐でございまして、私はアメリカで実際にその方にお会いをしました。そして、インタビューをしました、なぜあなたは伝統を尊重するという言葉日本教育基本法の前文案から削除したのかと。それに対してトレイナー博士の答弁は、伝統を尊重するということは封建的な世の中に逆戻りするという意味だというふうに言われたと。その誤解から伝統を尊重するという言葉が削られたというのがいきさつでございます。  先ほど私、冒頭に申し上げましたけれども、実は教育基本法の中に先ほど申し上げた人格の完成ということが強調されておりまして、国家及び社会の形成者として国民の育成を期するということがはっきり書いてあるわけでございます。  ですから、その意味で、この教育基本法の本来の精神の中には伝統を尊重するという言葉日本側の立法者自身にはあったわけでございますので、そういうことも踏まえながら児童の権利条約のいい点を生かしていくというところが私は今後のとるべき道ではないかと思っております。
  152. 山本保

    山本保君 ありがとうございます。  それで、もう一つお聞きしたいんです。  それは、私の実は言ったことと同じことなんですが、内心の自由ということと、教育上のいわゆる強制でありますとかプレッシャーをかけまして子供にやらせるということとは別なんだと。きのう、このことはもう少し詳しく議論すべきだったなと思っておりましたら、先生がおっしゃったので安心したわけなんですが、どうもその辺が一般的に誤解がされているような気がするんです。  それは、例えば戦前の内村鑑三事件でありますとか、宗教的な自分の確信に対して、戦前の場合の天皇もしくは国旗というものの意味合いというのと私は今は変わってきているんだろうと思うんですが、確かにこれは余り議論がされていないと思うんですね。ですから、宗教的なというか、または党派的、いわゆる政治教育的な意味でそういうものは拒絶すると。こうなればもちろん拒絶できるわけですけれども、そうなりますと、教え方とか内容がそんなものではないんだということですね。ここをもう少しきちんと議論しなくてはいけないのかなと思っているんです。  先生、その辺をもう少し補足的に、教育上の課題というふうに文部省も言っているわけですが、これはどういう意味かということについてお願いします。
  153. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 私は学校教育立場で物を申し上げたんですが、例えば式典の中で国旗を掲揚し国歌を斉唱するという体験を通して主体的な価値観を形成すると。それは、国旗掲揚のときに生徒を起立させたり国歌を斉唱させたりしても、そこで生徒の内心の思想とか宗教とか、そういうものを問題にしたり、生徒の思想とか宗教というものの表明を強制するわけではございませんので、生徒が心の中でどういうふうに思っていようがそれは自由でございます。ですから、そういう点に留意しながら指導していけば問題はないというふうに思っております。
  154. 山本保

    山本保君 それでは、堀尾先生にお聞きしたいと思います。  私は持田栄一先生の門下でございまして、コンドルセのことをおっしゃいましたけれども、まさに先生の理論的、立論の立場であります私事の国による共同化という公教育概念、この中で国旗国歌というものはどういう意味を持つのかというお話をきょうはぜひ伺いたいなと思っておったんですが、ちょっときょうは時間の制約もあったせいか議論されなかったように思うわけでございます。  先ほど足立委員の方からも山住さんとの対談が出ておって、そこで先生は、日の丸については私は敗北主義じゃないのでいいんだよというようなことを書かれて、先ほどもそんなことをおっしゃったのかなと思うわけですが、先生の私的な教育国家による管理というときに、日の丸ということも非常に問題があるんじゃないか、私はそういうふうに論を立てられるのかと思ったんですが、どうもそうでないと。この辺はどういうふうに整理されるんでしょうか。
  155. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) そこはぜひ誤解のないようにお願いします。  私は日の丸法制化していいということに賛成しているわけではありません。私が強調したいことは、日の丸君が代象徴意味の違いということであります。これは相当丁寧に話さなければわかっていただけないかもしれませんが。同時に、日の丸に関しても、それが過去侵略シンボルであったということをきちんと心に刻む必要があるんだと。その上で、新しい平和のシンボルとして日の丸は使えないだろうかどうか。私には、気持ちとしてはそれは認めてもいいんじゃないかという、これは個人の感じであります。しかし、それを国旗として、しかも法制化学校に強要するということとは全然違うことであります。  その侵略性ということで申しますと、先ほど資料が配られていますけれども、その写真の載っているものです。これはどういうことかといいますと、これは一九三二年の四月二十九日、上海の公園で起こった「変事」というふうに当時書かれています。そのときの新聞であります。  これはどういう事件だったかというと、一九三二年、満州事変の翌年、満州国が成立したその直後です。上海で白川司令官のもとで天長節を祝う式典があったわけです。写真は日の丸が掲げられ、そして解説がちょっと小さい字で書いてありますけれども、君が代が歌われたその直後に爆弾が投げられて、白川大将は亡くなり、重光葵氏は右足を失った、こういう事件なんですね。  こういう物騒な事件をなぜ私が取り上げたかといいますと、やはり日の丸に関しても君が代に関しても、その侵略性というのは、戦争が始まって先頭に日の丸を立ててと、そういうイメージだけではないということですね。この一九三二年四月二十九日に上海でこういう式典があったということに私は驚いた。しかも、実は私、この四月の末に韓国のシンポジウムに呼ばれて、その帰り、ソウルの郊外に新しく尹奉吉を記念する記念館が建ったんですね。そこに韓国の友人がぜひ行こうということで僕は連れていかれたんです。そして、その事実にもう一遍直面せざるを得なかった。だから、非常にしんどい体験をしてきたわけです。  その侵略性ということは、だから韓国の人たちから見れば、これはもう心からぬぐい去れないもので、しかも新しい記念館を建てて、そして若い人たちがそこに行っているという。だから、日本の若者と韓国の若者の言うなれば相互の理解の感情の亀裂というのは非常に大きいんですね。だから、そういうことを何とかしなくちゃならない。大学で教えていても本当にそのことを感じるんです。ですから、そこのところが一つ大きな問題だと思って、ちょっと刺激的な資料をお回ししたんですが、それはそういうことなんです。  ですから、日の丸に関しても、その侵略シンボルであったということをきちんと心に刻む必要がある、このことを私はやはり教える場合に言う必要があるというふうに思っているわけです。  それから、たとえ国旗と認めても、それを教育の上でどう利用するかということは全然違う問題なんですね。そこが現場が一番混乱しているわけで、教師の中だって、自分国旗として認めてもいいと思っている教師でも、ああいう形で指導要領に書かれ、そして職務命令で押しつけられると、これはちょっとおかしいんじゃないかということで戸惑いが非常に広がっているということなんじゃないでしょうか。  教育のあるべきことといえば、卒業式、入学式というのは教育実践の始まりであり終わりであり、教育実践にふさわしい式というものをそれぞれの学校教師が、そして子供も参加してつくるべきだと、これが教育の本質から考えられた入学式であり卒業式ではないかというふうに私は思っています。
  156. 山本保

    山本保君 どうもありがとうございます。  私は、こういうお話ももちろん重要ですし同感でございますけれども、先生からぜひ理論的な整理をしていただきたいと思ったんですが、時間的なこともあるということでございます。  それでは、高橋先生にもう一つお聞きしたいんですけれども、先ほどの続きになるんですが、私もきのう実はちょっと文部省とお話をし、後から余り厳しく言わないでくれなんて言われたんですが、子供の教え方というのがやっぱり道徳教育にもあると思うんです。  ところが、今までの日本の道徳教育論というのは非常にその辺がいいかげんでして、今回の指導要領を読みましても、国旗国歌は大事だと思うんだけれども、例えば儀式、学校行事などでの取り扱いというのは、小学校から高等学校まで全部同じ書き方をしておって、掲揚して斉唱せよと。こういう教え方では全然発達段階に即した教え方じゃないじゃないかということでちょっとかみつかせていただいたんです。  高橋先生、その辺について、もう時間も余りありませんが、アメリカの教育にもお詳しいということでございますし、いわば道徳的な発達観というようなことからどのような指導で、法制化に伴ってといいますとまた政治的に何かいろいろあるんですが、私は、法制化に伴ってではなく、まさに学校教育上の課題として、文部省はその指導方針についてもっとわかりやすく、また今の最新の教育方法の理論に基づいたものをきちんとすべきじゃないかと思うんですけれども、いかがお考えでございますか。
  157. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 道徳教育のお話が出ましたけれども、これは中教審の心の教育の答申に出ておりますが、小学生から中学生にだんだん学年が進むにつれて道徳教育がつまらないというふうになっていくわけです。中三で五%ぐらいに落ちていくわけですから、もうほとんど死んでいる状態であります。  それは、頭で知識を教えても道徳という行動は変わらない。アンダースタンドという、理解する、そしてリアライズという、実感するという言葉がございますが、これは涙で例えますと、涙は水と塩分からできているという成分を教えてきただけなんです、知識を。しかし、涙というものは、涙を流している人の心を追体験して、実感して、ともに涙を流すときに、つまり心の実感を伴ったら、それが心のエネルギーとなって、生きる力となって行動を変えるわけでございますので、その意味で、単に形式的なことではなくて、あるいは建前論ではなくて、気づかせるという教育が求められるんじゃないかというふうに思っております。
  158. 山本保

    山本保君 ちょっと時間があるようでございますので、もう一問。  堀尾先生、ちょっと専門ではないのかもしれませんが、最後に特別権力関係論をおっしゃいました。こうなりますと、私立学校の教師についてという議論ができなくなるのではないかという気もして、文部省は最近こういう言い方をしていないと私は思っておるんですが、その辺についていかがですか。
  159. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 文部省も特別権力関係論という言葉は使っていません。しかし、中身はまさにそのものだと言わざるを得ない。  業務命令、そしてその根拠に、公務員だから、それから公教育だからという言い方をしています。今御指摘のように、公立学校の教師はという言い方もしています。では、私学はどうなのか。公教育という場合に、私学を含んで公教育なんです。なぜ公教育か。それは教育というものが本当に一人一人の権利であると同時に、みんなのものであるという意味でのパブリックなのであって、公といえば国家が介入するという公観そのものが戦後否定されたわけです。にもかかわらず、特別権力関係論というのはまさにその古いイメージで公なるものを考えている、国権論的な公共性論だというふうに私は考えています。
  160. 山本保

    山本保君 ありがとうございました。
  161. 畑野君枝

    畑野君枝君 きょうは、高橋先生、堀尾先生、どうもありがとうございます。  高橋先生から国際的なマナーというお話がございました。それで、あわせて堀尾先生にその国際的なマナーということでも伺っておきたいというふうに思うんですが、外国の国旗国歌をどう尊重するか、また自分の国の国旗国歌への尊重をどうするか、こういうことではどのようにお考えでしょうか。堀尾先生に伺いたいというふうに思います。
  162. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 私は、冒頭でも申しましたけれども、地球時代にふさわしい国のあり方というものが求められなければいけない、そしてその限り、国旗国歌というものはそれぞれ尊重しなくてはならない、そういうふうに思っております。  ですから、むやみに傷つけたりというようなことはなしてはいけないことだ、そういう意味でのマナーというものは必要であろうというふうに考えています。
  163. 畑野君枝

    畑野君枝君 それでは、入学式ですとか卒業式で、国旗掲揚国歌斉唱という点ではいかがでしょうか、堀尾先生。
  164. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 今、文部省及び教育委員会の指導のもとで行われている卒業式、入学式のイメージを皆さん描いていただきたいのですけれども、この式典の演壇の後ろ側に日の丸が掲げてあり、そして演壇に登る方は一人一人まず頭を下げます。何に頭を下げているんだろうかというふうに思う子供もいます。日の丸なんだ、国旗なんだと。国旗には敬礼をし、尊敬の念をあらわさなければいけないということになっています。  そうすると、卒業式、入学式がどういう雰囲気になるか。後ろに張られた日の丸に頭をみんなが下げているということは、これはマナーとしてどうなんだろう。これが尊敬していることになるんだろうかというふうに私には思えます。非常に奇異な感じがします。それをしないのは愛国心がないからだ、そういうふうに言われたら、ますます内面的には混乱するだけではないだろうかというふうに思っています。  繰り返しますけれども、私は自分では愛国者の一人だと思っております。
  165. 畑野君枝

    畑野君枝君 そういう点で、内心の自由を守るということが今度の国会でも論議をされておりますけれども、先ほど先生は一九四五年というその年で大きく変わったんだというお話をされました。この内心の自由を守るということがなぜ大事なのか、その点ではどのような歴史的な経過があるのかということも含めてちょっと伺いたいと思うんですが。
  166. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 今、本当に問題になっている内心の自由、それは子供の内心の自由を奪うことにならないかというレベルの問題と、もう一つ、教師の内心の自由を奪うことにならないかという問題があります。さらに、それがはね返って、例えば教職関係教育をやっている大学の教師の学問の自由を制約することにもなっていかないか、そういう問題を含んでこの内心の自由の問題があるわけです。内心の自由というのは基本的人権の中でも本当に大事な精神の自由、これが基本的人権の中核なわけです。  日本憲法も、第十九条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という大原則が書かれているわけです。なぜこの原則が書かれたのか。これは当たり前じゃないかというふうに思われるかもしれない。しかし、少なくともこれは思想、信条の自由を奪われていたその経験に即して、それがあってはならない、それは人間の尊厳を侵すことになるんだという強い過去の批判を通してこの十九条が成立したわけであります。  これは、日本憲法ではそうですけれども、市民革命、そして市民憲法のそれぞれが精神の自由を非常に大事にしている。これが近代国家のいわば中核的なものですけれども、それはヨーロッパの場合にも絶対王政に対する市民の自由の要求として出てきたわけですし、日本でいえば戦前の抑圧に対して、それではならないということであります。  またまた「註解日本憲法」を引いてみますと、こう書かれています。   本条は外的権威に拘束されない内心の自由を保障することにより、民主主義の精神的基盤をなす国民の精神的自由を確保することを目的とする。過去において危険思想、反国家思想、反戦思想等の名を以て思想の弾圧が行われた経験に鑑み、再びかかることなからしめようとする意味をもつ。 こういうふうに書かれているんです。    〔委員長退席、理事溝手顕正君着席〕  つまり、これはまさに戦前の反省を通してこの十九条が生まれた。戦前の反省というふうに一口で言いますけれども、これは天皇制国家大日本帝国憲法が精神の自由にとってどういう意味を持ったかということであります。  非常に具体的な例でまず考えれば、この帝国憲法が一八八九年に成立し、そして翌年、教育勅語がつくられます。その勅語ができた直後に内村鑑三事件が起こるわけです。  内村鑑三事件というのは、そういう意味では帝国憲法下の精神の自由というものがいかにいびつなものであったか、その自由が許されていなかったかを端的に示す事例であります。そして、その当時の内村の思想というのは、御存じのようにキリスト教徒ですけれども、同時に彼は愛国者でもありました。自分二つのJだ、ジーザスとジャパンなんだということをいつも言っています。同時に、君が代天皇をたたえる歌であり国民の歌ではない、国歌ではないんだということも彼は言っていました。  そういう問題を含めて、この思想、信条の自由、さらにその後の思想弾圧の歴史を考えれば明白なことですけれども、大学人も多く大学を追われるわけですが、その反省に立って十九条が生まれたということを大事に考えなければいけない。  これは実は教育の問題と深く関係しているわけで、この教育における内面の自由の問題、精神の自由、そもそも教育というものは、精神の自由を大事にしながら、その理性を育て、感性を豊かにするというのが教育の目的であるわけでありますけれども、その仕事に教師はどういう責任を持つかという問題がそこでまたかかわってくるわけです。  先ほど途中で時間が参りましたけれども、教師の仕事について書かれているものは教育基本法六条の学校教育の条項とさらに学校教育法の二十八条の規定ということになるわけでありますが、この二十八条に「教諭は、児童の教育を掌る。」という非常に簡潔な表現がございます。これは、教育法学的に言えば、教師は教育専門家としてその内容や方法に関して責任を持つことができるんだ、責任を持たなければならないという条項でもあります。その前の方には、「校長は、校務を掌り、所属職員を監督する。」というふうになっているわけでありますけれども、この教師の規定に関して言うと、実は国民学校令では「訓導ハ学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育ヲ掌ル」、こういう表現だったわけです。これが戦後の改革によって「学校長ノ命ヲ承ケ」というのが消されたわけです。  この「教諭は、児童の教育を掌る。」、これだけで端的なんですけれども、それは何に対する否定としてこれが出てきているかというと、「学校長ノ命ヲ承ケ」という、つまり職務命令に従わなければいけないという教育観ではなくて、教師の責任、その専門性をかけた責任、教育の自由というものが保障されるんだ、そういう中身として私たちはこの学校教育法二十八条の条文というものも読んでいるわけです。  ですから、一九四五年の変化というものは、教育の面での変化、大きく言えば精神の自由が確立してくる、そして教育の自由も確立してくる、教育は一般行政とは違った教育の独自性、それは子供の精神発達、精神の自由を保障するという大きな責任を持っているわけですから、行政命令だったら何でもやらなきゃいけないというようなことではないので、その職務命令が本当に憲法に違反するような内容であれば、それは拒否しなければならないじゃないかという問題を含んでいるわけです。  ですから、今日の問題ということでいえば、子供の内面の自由の問題と教師の思想、信条の自由の問題、しかもそれを職務命令でということになると、教師は本当に二重の意味自分の思想、良心に反することもやらなければならない、しかもそれが子供の内面の自由を侵すことになるような行為をやらなきゃいけないという意味で、二重の苦しみに置かれてくると、だから教師は大変なんだということになります。それができないのは教師になるなと、そういうことでいいんでしょうか、日本の将来は。そういうふうに私は思っております。
  167. 畑野君枝

    畑野君枝君 そういう点では、今、学習指導要領の入学式、卒業式などで国旗掲揚国歌斉唱を指導するものとするというふうになっていることが問題になっていると思うんですが、その戦後という点で、教育あり方、指導とは何か、そういう点はどんなふうに戦前と変わってきたんでしょうか。
  168. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) ですから、これも戦前との違いを意識しながらでないと、戦後の新しいシステムとそれが支えている理念もわからないということになるんですけれども、教育内容の行政に関していえば、戦前、国定教科書のもとに置かれていた教科書制度が検定というふうに大きく変わるということです。そして、その検定も誤記、誤植を中心にした検定であるということが初期には言われていました。  さらに、学習指導要領に関しても、これは教育の内容に関する参考文献なんだ、これからは教師がその内容を自分で構成していく、そのための参考にしなければならない、これが学習指導要領の総則編、一九四七年に最初の学習指導要領が出るわけですけれども、そういう書き方がされていたんです。そして、「試案」というふうに書かれていた。これが一九五八年の指導要領改訂のとき、その試案が落ち、そして法的拘束力を持つという解釈が加えられるようにだんだんとなっていきます。  そのこと自体が実は大問題だったわけです。その後、教科書検定が強化され、国家がいわば中性の保持者として何が偏向しているかを裁くという仕方での国家の復権ということが出てくるわけです。私はその時代を国家の復権というふうにとらえているんですけれども、そういう中で現場と文部省関係が非常に厳しいものになっていくということになるわけです。  さらに、学習指導要領のことでちょっと申しますと、五八年の学習指導要領の国旗国歌問題はどういう書き方になっていたかというと、「国旗を掲揚し、君が代をせい唱させる」、そういうふうになっていたんです。つまり、五八年段階では君が代はまだ国歌と表現されていなかったわけです。それがその次の改訂で国旗国歌となり、そして五八年には「望ましい」という表現であったものが八九年にはそれを「するものとする」ということで、法的にこれは義務があるんだという仕方で指導要領が変わってくるわけです。  ですから、教育の面での慣行云々というようなことがありますけれども、これは慣行自体が相当に戦後の時代を見たって変化しているわけです。慣行が定着しているとはとても言えない。つまり、君が代国歌というふうに言われ出すのはいつからかという問題を含めて、これは指導要領の変化があるわけですし、「望ましい」からそれを歌わなければならないという義務づけに至る過程というのは非常に大きな変化があるわけです。  そして、現場が混乱し始めるのはこの八九年の指導要領が大きな転機になります。その前、八五年に文部省はどこまで全国的に実施されているかという調査をするんです。調査をやり、そして指導要領を変える、このことで現場は非常に混乱が深まってくるということなのであって、言うなれば十年前のことなんです。戦後、延々と教育たち国歌を批判していたからというようなこととは違うんです。  その辺のことをぜひお考えいただきたいし、その混乱を救うために法制化する、それは混乱に輪をかけるだけではないか。むしろ、学習指導要領の法的拘束力というようなものをなくす、さらに学習指導要領の中身そのものを変える、そういうことによって現場の混乱は救われるのであって、指導要領を何かにしきの御旗みたいに、指導要領に書いてあるからという議論は非常におかしい。そして、おかしいから法制化しようということになってくると、現場にとってはますます混乱が広がる、矛盾が広がる、不信感が広がる、こういうことではないかというふうに私は考えています。
  169. 溝手顕正

    ○理事(溝手顕正君) もう時間が来ております。
  170. 畑野君枝

    畑野君枝君 高橋先生にも伺うつもりでしたけれども、時間が参りましたので、両先生、きょうは本当にありがとうございました。
  171. 山本正和

    山本正和君 きょうはお二人の先生、御苦労さまでございます。    〔理事溝手顕正君退席、委員長着席〕  まず、高橋先生は感性教育ということが専門家でおありになるのですが、私は先ほどのお話を聞いておりまして、法制化をすれば教育現場の対立を解消できるというふうなお話がちょっとあったと思うんです。  私は教育という仕事は、本来は法律でもって規制し、あるいは職務命令でもっていろんなことをやらせていくということは本当はなじまないと思うんです。  そして、きょう出席している国会議員の皆さんも大体みんな戦後教育を受けられた方ばかりなんです。私は大日本帝国教育を丸々受けた、兵隊検査まで。だから、ちょっと違うんですけれども。  私が自分でずっと記憶するのは、昭和三十五年あるいは四十年ごろまでの小中高を卒業した人たちは割合におおらかに育っているんです。大学時代でも割合自由に勉強もしたりあるいはサボったり、いろんな人がおるんです。昭和三十五、六年までは非常に学校が自由だったと思うんです。金もなかったし、予算はないし、設備は悪いですよ、三十五年までは。しかし、その設備の悪い小学校、設備の悪い中学校、プレハブみたいな中学校を出て、そしてやっと大学へ入っても、本当の話、大学の先生も余りよくないんですよ。その時分に卒業した人たちは、実は戦後の日本が大変な勢いで経済成長したときの一番の担い手であり働き手、また思想的にも、あるいは日本の国がこれからどうあるべきかということを一番心配しておられる方々が多いんです。  その時代は、よく言われたのは、日教組が物すごく巨大で、それがいつも文部省とけんかばかりしておって、それが悪かったんだ、こういう話があるんだけれども、日教組が巨大なときに、力が強いときに卒業した人たちがみんな大体この年配なんですよ。今の二十代、三十代前半の人は日教組が弱くなってから、がたがたになってから卒業した方が多くなっている。大変に私は不思議に思うんです。  ただし、そこで言いたいのは、今の子供の問題で、子供たちのマナーが悪いとか学級崩壊だとか、それから大学が勉強せぬ学生の集団だとか、このごろ盛んに言われているんです。しかし、それを直すために国が学校教育かくあるべしという法律をもってやったらできるというふうには私はならないと思うんです。  一番大事なのは子供のときの感性ですよ、おぎゃあと生まれたときからの。親がどうあるべきか、教師がどうあるべきかということだと思うんです。  そこで、私も高等学校の化学の教師を昭和三十年代までやったから、昔の学生、高校生を思い出すんですけれども、その中で高等学校がなぜあれだけもめるんだ、特に広島の場合。私は広島の場合は確かに一つの問題があると思うんですよ。例えば、部落解放同盟という非常に強力な団体があります。その中で、組合もいろんな意味でその解放同盟との協調もあるでしょう、教育委員会もあるでしょう、いろいろあったんですね。その中で起こった対立なんです、これは。いわゆる広島的な条件が非常に重なり合った中で自殺者が出た、こういう問題だと私は思っているんです。  ですから、法律をつくったら、要するに君が代国歌であり日の丸国旗なんだと法律で決めました、だからこれで反対論はなくなるでしょう、したがって対立は解消したから学校現場は楽になりますよというふうに私はならぬと思うんです。そんなことじゃないと思う。  本当に校長と教員が話し合って、一生懸命自分たち学校でどうしたらいいか生徒とも話し合いをして、まさに感性をお互いにぶつけ合って、そこで学校教育学校運営というのはできると私は思っているんです。だから、法律をつくったらこれで対立は解消するとか、混乱を解消するために法律をつくるなんという、こういう理屈を言われると極めて非教育的に私は思うんです。  そういう意味で、感性教育をおやりになった専門の立場から、先ほどの御発言は恐らく真意はそうじゃないだろうと思うんですけれども、その辺のことをちょっと説明していただきたい。
  172. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) まず、法律万能主義というのは私もとらないところでございます。ですから、きょうの私の意見陳述の最後で、あくまで法制化というのはスタートラインに立ったんだということを申し上げました。これで一気にすべてが解決するとは全く私は考えておりません。  今、学級崩壊とかいろんなマナーの問題もおっしゃいましたけれども、私も学級崩壊の問題にたくさん取り組んでおりまして、学級崩壊から立ち直っている学校を回っておりますと、まず校長と教職員が一致団結をするということが第一条件なんです。やはりこの日の丸君が代問題で必ず入学式、卒業式で対立するというのが五十年続いてきたわけです。そのためには、先生方が一致結束すること、そして校長、管理職と教職員が一致結束すること、そのことが実は学校を一変させていくとても大きな影響力を持つわけでございます。  ですから、法制化によってすべて解決するということではございませんで、あくまでスタートラインに立って、校長先生及び教職員の本当の一致結束というものがより図られるスタートラインに立って、やはり信頼関係というものがまず学校という職場に取り戻されなければ、これは学級が荒れたり子供が荒れるのは必然の問題でございまして、何としても、とりわけ校長、教頭、そして教職員、これが一致団結するという場づくりをする必要がある、法制化はその第一歩になるんではないか。あくまで第一歩でございまして、何でも法律で決めればいいという発想には私は立たない。
  173. 山本正和

    山本正和君 そこで、これはどう言ったらいいんでしょうか、学校というもののあり方、私も実は一九四九年から高校の教員をしていたんだけれども、当時、宿直制度があった。校長等が若い教員が泊まったら一緒に泊まってくれたこともある。いろんな話もした。それから、先輩ともいろいろ話もした。酒も飲んだ、当直室で。今だったら当直で酒を飲んだらすぐ首ですよ。ところが、酒を飲みながらやっているところへ生徒がどんどん来るわけです、わあわあ言いながら。そういう時代を私は振り返るんです。  そうすると、おい、おまえ、ペスタロッチを読んだかと、こう来るわけです。ペスタロッチって何だと、こうやった。それから、教育書について読んでみていろいろ議論してみたり。だから、戦後教育を何もみんな知らないわけだ。何にも知らない教師が戦後教育を始めた。そこで初めていろいろな勉強をしながらぶつかり合った。それから、岩波が出した教育という講座本があった。それをみんなで読んで、ああだこうだ議論をしてみたり、おい、民主主義って何だというふうに議論しながらやったんです。本当に自由な空気だった、校長と教員が。それは大日本帝国教育を受けていれば、こうしなさいと言われたらぱっと起立しますよ、我々は。しかし、一杯飲んだら、こら、何だおまえは、おやじ、こう言ってやり合ったんですね。そういう中では、学校で職務命令という感覚があのときはなかった。  しかし、そこへ何が起こったかといったら、政治世界が逆に教育をかき回したんです。どちらが余計選挙で当選するかと。当選するのに教員組合が選挙運動をやったら困るからぶっつぶせと、こんなことも片一方で思う。また、選挙する方は勝たなきゃいかぬから、今度は自民党の悪口を一生懸命言う。いろいろ始まりますよ。政治が逆に教育に介入して混乱したというのが戦後の教育だと思うんだ、実際の話は。  そういう中で、今私がここで心配しているのは、学者の皆さんは、要するに教育学立場あるいは法学部の立場、いろいろおありになると思うんですが、本当の意味でそういう政治というものが教育に介入した場合に何が起こるか、学問的に皆さん一番よく知っているはずなんです。その立場からいろんな提言をしていただけないだろうかと私は思っているんですが、特に先生、専門の感性教育ということからいえば、子供に及ぼす大人の影響、子供は必ず父親の背中を見ている、お母さんのおっぱいを見ているんです。その中で育ってくる。その子供たちが一体どうなるかということを考えるときに、今ここで私が一番怖いと思っているのは、法律でもって教育支配するという思想が生まれたらこの国は滅びるというふうに私は思うんです。  先生は特に感性教育という立場だから、その辺の問題についてひとつ御意見をお聞かせいただきたいと思うんです。
  174. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 法律によって何でも決めるということの誤りは私も先ほど申し上げたとおりでございます。  私は、感性教育ということをいろんな著作物でもいろいろとやっているわけでございますが、それは一つは、日本文化といいますか、なぜ今学級崩壊が起きているかという根本とも関係してくるのですけれども、例えば皆さんもお感じになっていると思いますが、電車の中でお化粧をしたり、私、先日、西日暮里でしたか、駅を歩いておりましたら、階段の真ん中に女子高生が三人座っておりまして、またを広げてお化粧を同じスタイルでやっていたわけです。前からも後ろからも通っているんですが、だれももちろん注意もしませんし、本人たちも意に介さない。それは、今まで私の世界で行われていたことが公にどんと出てきて、つまり公という意識がどんどんなくなっている。あるいはジベタリアンという言葉もあちこちで聞かれるようになりましたが、上と下を区別するという文化感覚といいますか美的感覚といいますか、そういうものが崩れ始めている。私も戦後生まれでございますけれども、文化を受け継ぐという視点が、自覚が欠けていたんじゃないか。  ですから、感性というのは、例えば日本人は里山、ふるさととして山を見るという感性を持っておりますし、あるいは奥山、山を利用するけれども必要以上には踏み込まないという自然との共生という感性を持っておりますし、あるいは残しガキ、初冬に鳥が飢えてしまわないようにカキを残しておくという自然との共生。そういう日本人が持っていた心といいますか、本居宣長は「敷島の大和心を人問わば朝日ににおう山桜花」と言いましたけれども、その心というものを実は我々は失ってしまったんです、特に高度経済成長とともにみんなが豊かさ、便利さ、快適さに突っ走ってしまって、そういう文化を貫いていた心をですね。  これは西岡常一という法隆寺や薬師寺の宮大工の棟梁がおりまして、先生方が奈良や京都に修学旅行に連れてきて何と言っているか聞いていると、法隆寺は千三百五十年の歴史があって古いからとうといんだと言っていると。古いからとうといんだったら道端の石ころは何億年の歴史があると、こう言っているんです。  そういうことじゃなくて、伝統を貫いている生きた知恵を伝えてもらいたい。つまり、文化というのは単なる形ではありませんで、それを貫いている心があるわけでございます。その心、まさに感性でありますが、それを取り戻すということが今求められていることだと私は思っております。  ですから、それは法律によって何でも解決しようというのとは全く相反するところでございます。
  175. 山本正和

    山本正和君 もうあとちょっとしかありませんので、堀尾先生にお伺いしておきたいんです。  私も、実は特別権力関係という言葉を久しぶりに、何十年ぶりかに聞いて昔を思い出しました。勤務評定反対闘争というのが昔あった。先生を勤務評定して、校長が五段階でつけて、だれだれ先生はAで、だれだれ先生はBでCでDでEと点数をつけるという問題があって大騒動になった。そのときに、校長と教員の関係はどうかということをめぐって今の特別権力関係という話が出てきている。大げんかした記憶があるんです。  ところが、結局その勤務評定の問題は今全国的におさまってしまって、そういういわゆる企業や競争しなければいけない社会における人間関係というものは学校現場になじまない。だから、勤務評定という制度はあるけれども、それは点数をつけてやるべき筋合いのものじゃない。お互いの欠点や短所はお互いに出そう、長所は長所で出そうということに切りかえようということで、ほとんど今いわゆる勤評問題というのは学校現場でおさまっているんですよ、大部分のところは。おさまっていないところもありますよ。  だけれども、そういう中で、私が一番心配するのは、教育法学会、その先生方がいろんな過去の、戦後の教育のいわゆる現場におけるさまざまな紛争やあるいはそこから生まれた法律関係や何かを一遍整理していただいて、本来、学校におけるそういう法律関係は何なんだということを整理していただきたいというふうに思っているんですが、その辺も含めまして先生の御感想をお聞きしたいと思います。
  176. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 山本さんの言われたこととほとんど同感です。  そして、最後に出された課題に関しても、教育法学会では随分研究蓄積もあるんです。そういう文献もたくさん出ています。それは今、文部省がやろうとしている発想とは大きく違っているということを私はその専門家集団に属する一人としても危惧しているものです。  さらに言えば、先ほど教育学会会長の見解というものをお話ししましたけれども、私が実は昨年まで会長をしていました。今、寺崎会長にかわっているんですけれども、研究者集団がどういう思いを込めて今の事態を見ているかということが書かれていますので、ぜひ御参考にしていただきたいと思うんです。  そして、あるべき学校の雰囲気、関係というものは、校長と教師が対立するのではなくて、本当に教育、子供を軸に切磋琢磨し合う。そしてその上で、校長は教育者としての見識を持って、識見を持ってリーダーシップを発揮すべきだ、私はそう思っています。  ところが、この業務命令云々というような問題でいえば、結局、校長を教育行政官にしてしまうということですね。教育行政と教育の基本的な関係というものをどう考えるかというのが戦後改革の一番大事な問題だったわけです。先ほど山本先生が言われましたけれども、三十五年ぐらいまではうまくいっていた。それは自由の雰囲気があったからです。そして、教育行政の責任というものも、自由な雰囲気を醸し出すのが教育行政の責任だというふうに戦後は解釈されたわけです。  ところが、その勤務評定も一つの大きな転機ですけれども、教師は行政に従わなければならない、命令に従わなければならないという考え方がまたまた出てきている。勤務評定は終わったというような言い方をされましたけれども、実は東京都では新しい勤務評定問題というのが非常に深刻な問題になりつつあるんです。ですから、本当に校長と教師が自由に子供の問題、教育の問題で意見を交換し合うような関係ができなくなっているというところが非常に大きな問題なんだというふうに私は思っています。  感性の問題が重要であるというのは、私も全くそう思っています。
  177. 山本正和

    山本正和君 時間が参りました。  どうもありがとうございました。
  178. 扇千景

    ○扇千景君 だんだん時間がたってまいりまして、あと二人でございますので、恐縮ですけれどもおつき合い賜りたいと思います。  お忙しい中をお出ましいただいて、貴重な御意見をいただいたことにまず感謝申し上げながらお二方の先生にお伺いいたしたいんですけれども、国旗国歌というものが極めて重要な性質と役割を持っているという基本認識は共通のものでしょうか。まず高橋先生から。
  179. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) どういう意味ですか。
  180. 扇千景

    ○扇千景君 基本認識として、それを持っていいでしょうかということです。
  181. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) はい、持っていいと思います。
  182. 扇千景

    ○扇千景君 堀尾先生、いかがでしょうか。
  183. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 私も繰り返し申し上げましたように、その重要性というのはもちろん考えています。
  184. 扇千景

    ○扇千景君 ありがとうございます。  知識人の皆さん方でいろいろ御意見があろうと思いますけれども、私は今、基本認識が同じだとのお二方のお言葉を聞いて大変うれしく思うんです。  基本的には、国旗国歌に一定の敬意を払うというのは私は国際社会の最低のマナーだと思うんですけれども、その件に関してはいかがでございましょうか。
  185. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 当然のことだと思います。
  186. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 私もその点に関しては当然なことだと思います。
  187. 扇千景

    ○扇千景君 こういう基本的なことで共通の認識をいただくことは、私はすごくうれしいことだと思います。  それでは、先ほどから参考人のお二方の意見を聞きますと、全く違った意見のようにも聞こえるし、基本的には一緒なんだけれども、それは認めるけれどもこれだからだめというふうにも聞こえますので、その辺の整理をちょっとさせていただきたいと思います。  今、二つの点に関して共通の認識を得たことは私は大変ありがたいと思うし、また日本人であればそうあるべきだと思います。  大百科事典というものがございまして、大百科事典を信じるか信じないかは別でございますけれども、大百科事典には、国旗は、国の主権象徴する神聖な性質を付与されている、国歌は、第一の機能は他国に対して自国の独立性を示すことであり、第二の機能は一つの国の内部的結束を強化することであるというのが今の大百科事典に載っている国旗国歌なんです。  このことに関してはどういう御意見をお持ちでしょうか、高橋先生。
  188. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 私は同じ認識でございます。
  189. 扇千景

    ○扇千景君 ありがとうございます。  お話を伺っておりまして、国旗国歌はいいけれども、日の丸君が代侵略シンボルであるということも言われました。ある時期にはそうであったと思います。シンボルとしての国旗を上げて戦争の先頭に立った人もいるでしょう。  けれども、シンボルであるから国旗国歌反対だとおっしゃるのであれば、他の国において日本侵略した中で日本の統制によって日本語を教育した場所もあるわけです。そうすると、日本語も侵略シンボルであったと言いかえれば言えなくはないんですけれども、堀尾参考人はその辺はどう御理解なさいますか。
  190. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 私は、国旗国歌の問題と日の丸君が代問題は区別して議論すべきだということを繰り返して申しています。  それから、国旗国歌に関しても、国際社会での国のあり方というものが問われているんだということも申しました。その上で意見が同じとおっしゃるんだったら、私もそれでよろしいと思いますけれども。  そして、私は侵略シンボルだったからいけないという議論をしていません。少なくとも日の丸に関しては戦前、戦後を通して日本の国というそのシンボルたり得るだろう。しかし、戦前はまさに侵略シンボルでもあった。戦後は違ったシンボル、平和主義のシンボルとしての新しい日本シンボルたり得ないかどうか、ぜひそうしたいというのが私の個人の意見です。しかし、そうでない意見もたくさんあるわけで、それがどうなるかはわかりませんけれども。  君が代に関しては、先ほど自国の独立性と内部的結束を強化するというふうにおっしゃいました、事典を引かれて。しかし、君が代が果たして日本国民の内部的な親密感を強化する歌であるかどうかというのは、先ほど申しましたように、その歌の意味に即して考えれば決してそんなことはない、逆に対立を生むだけだというふうに私は思っています。
  191. 扇千景

    ○扇千景君 それぞれ個人の思想、信条というものは私は憲法にも保障され、また教育基本法、おっしゃるとおりだと思いますけれども、少なくとも私がきょう伺いたいなと思いましたことは、今の教育の現状というものを見たときに、果たして戦後五十四年間の教育が正しかったんだろうか、あるいは欠けた部分がなかったのかと。だから、こういう今の広島のようなことも、教育現場がこの国旗国歌ということによって争われる現状であるということが私は今大変悲しいことだと。それが戦後教育の欠けている部分ではないかなというふうに私個人は思っているんですけれども、そういうことをしないためにも、反省すれば、戦後教育の五十四年間何が欠けていたのかなということに帰着すると思うんです。  高橋参考人は先ほどアメリカのGHQの話をなさいまして、伝統を尊重するということが切られたんだというお話がございましたけれども、おっしゃるとおりで、昭和二十年の末にGHQにより修身が廃止されて道徳教育教育現場から今日まで空白になったというのはそのとおりであろうと思います。私は、昭和三十三年に道徳教育の時間が設けられたんですけれども、その当時日教組によって反対闘争の道具に徹底的に使われて今日に至っていると思います。  少なくとも私は、道徳というものが、悪い部分は別として、いい部分は、伝統を守るあるいは日本文化を守るという意味でも現場で先生方がきちんと指導していいのではないか、あるいは戦後の教育の中で欠けている部分は一つはその部分でないかと思うんですけれども、高橋参考人の御意見を伺いたいと思います。
  192. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) きょうの意見陳述の中でも申させていただきましたけれども、どの国の教育の目的にも、一人一人の子供の内在価値を開発するという側面と、その文化を受け継いで国民を育成するという側面がございます。戦後教育に私は後者の面が欠けていたんだと思っております。  とりわけ、今道徳のお話をされましたけれども、実は戦後公民科という科目をつくろうとした時期がございました。それは、戦前の行き過ぎたところは否定をして、そして守るべきものは受け継いでいく、つまり是々非々でその連続をさせようとしたわけでございますが、そこに断絶が起きたのが占領下における悲劇でございました。  私は道徳というものを戦後の教育の中で重要視しておりますけれども、ひとつ道徳というものはなかなか知識で教えられるものではございません。私は流汗悟道ということを北海道家庭学校という教護院から学んだんですが、みずから流す汗を通して道を悟る、そういう体験を通して深い価値に気づかせるという、そういう新しい道徳教育が求められているんではないか。今全国で、兵庫県のトライやる・ウイークを初めとして、地域の体験活動が子供を大きく変えておりますが、そういう新しい道徳教育も模索する必要があるのではないかというふうに思っております。
  193. 扇千景

    ○扇千景君 私どもは、よく海外視察の機会を得まして海外に出ることがございます。外国の国会議員によく聞かれます。あなたは宗教は何ですかと言われるんですね。私が、日本の場合は個人的な宗教は皆さんわからないけれども、私たち日本の一般は、子供が生まれると神社に行ってお宮参りをする、結婚式のときには教会へ行ってキリスト教で結婚式を挙げる、亡くなるとお坊さんを呼んで仏教でお葬式をすると言いますと、ほとんどの外国人はびっくりした顔をして、理解ができない、こうおっしゃいます。私は、これも一つの日本文化だろうと思うんです。ですから、外国人の先生方とつき合ってその話をすると、冗談じゃない、日本人は何を考えているんだなんて言う国会議員の先生方もいらっしゃるんですけれども、それも自由なんだし、しかも個人の信条も宗教も、憲法にのっとって今の日本の自由な体系あり方というものそのものが一つの今の戦後の文化になっているというふうに外国人が理解してくれるべきだろうと私は思うんです。  そういう意味では、私は、戦後の大変自由な民主主義というものが、これ一つとってみても、外国人に、ああ、日本は変わったな、フリーなんだな、本当に民主主義なんだなというふうにとられているんですけれども、はてさて、それが教育現場ではいいんだろうか、義務教育というものはなぜ義務がついているんだろうかということに関して、高橋参考人から義務教育というものの考え方を伺っておきたいと思います。
  194. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) なぜ義務なのかという問いでございます。  これは、よく不登校児がどうして学校に行かなくちゃいけないのと、こういう問いを発するわけでございますが、それは、私が先ほど申し上げましたように、一方において一人一人の個性というものを開発するという側面と、もう一つは国家社会の形成者としてのつまり国民を育成するということが義務教育の義務たるゆえんでございまして、先ほど宗教の問題も出ましたけれども、老、病、死ということを日本教育は避けてきたと思っております。  臨床の知恵という言葉があるんですけれども、弱さ、もろさ、そういうものに心を砕くという、そういう中で子供たちに生きるということを考えさせていく、実感させていく、そういう教育が求められておりまして、不易な価値と流行の価値と言われますが、時代や国を超えて変わらない不易な価値というものをきちっと踏まえて教育をしていく、そしてそれを国民を育成するという視点からもしていく、そのことが必要なことではないかと思っております。
  195. 扇千景

    ○扇千景君 私は、今の社会状況の中で子供の状況を見ますときに、これは先生だけではない、我々、世代を超えた母親というものの生まれたときからの教育のしつけのあり方、母親の信念、自分の子供をどうするか、自分の子供を預けて学校の先生をどう信用するかという、今の社会情勢の中での母親の思想、信条というものが少なくとも子供たちの現場の混乱の一翼を担っているのではないか。もっと母親が自分たちの先生を信頼し、学校を信頼できるような教育現場になることが私は前提の一つであろうと思いますし、またそれを容認する母親の心構えなり母親の教育というものも戦後崩れてきているんだろうと思います。  きょう、両先生においでいただきましたので、二十一世紀教育あり方ということでは、まず先生方を教えるというお立場にあられる先生方に、教師の先生方に現場が混乱しないように、また母親が先生を信頼し得るような先生の育成というものにも今後ぜひ御協力いただきたいという御要望を申し上げて、質問を終わります。
  196. 山崎力

    ○山崎力君 最後でございます。おつき合いのほど両参考人にお願いいたしたいと思います。  今回の国旗国歌法に絡んで教育問題が極めて関連しているということで両参考人においで願ったと思うんですが、同僚議員、それから午前中の参考人の先生方からいろいろな議論を聞いていて、この問題、すなわち国旗国歌教育問題に関して私が得心がどうもいかないというところがございます。これは申しわけないんですが、高橋参考人考え方というのは、それはそれとして一つの流れとしてわかるんですが、堀尾参考人のところで、理論的にわかるところがあるんですが、どうもつながらない。  そのところで、申しわけないんですけれども、ちょっと個々的な形で質問させていただきたいと思うんですが、法理論的にいきますと、日の丸君が代国旗国歌なのかという問題がございます。これを今回実定法化する、法制化するということで問題になっているわけですが、慣習法的にもうある程度確立されたものだと。どこまで慣習法というものの性質、これは慣習法の問題だけでも相当問題になるわけで、議論は進めませんが、少なくとも実際的には、戦前においてはこの二つ国旗国歌であったんだろうということは実態的にまず間違いない。  その後、いろいろな議論の中で、戦後、これがいつの時期かは別として、片方は慣習法でずっと残っていたんだという議論ですし、今の反対論の方々は、戦後のいつの時点かにおいてこれは国旗国歌でなくなったんだという考え方があって、その考え方教育現場において激突してきた歴史をずっと繰り返してきた。ある意味ではそこが鎮静化されたと思ったのが、ついこの間また広島で出てきたということが一つのきっかけに今回なったという事実の把握というものに関しては、堀尾参考人、いかがお考えでしょうか。
  197. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 戦後、国旗国歌がどういうものだったのかという御質問です、日の丸君が代国旗国歌でなくなったのかという。  その問題に関しては、なくなったという処置がきちんとされたわけでもありません。問題は、日の丸に関しては、先ほどから申していますように、日本の国というものが続いているその象徴たり得るであろうという形で、例えば私は学生にこの前も聞いたんですけれども、日本国旗国歌は何と思いますか、それは日の丸君が代だと思いますかというふうに聞くと、過半数は手を挙げるんですよ。つまり、それが国旗国歌である、日本国旗国歌は何なのかと問われたら、とりあえずはそう答える。  しかし、ではあなたはそれに賛成ですかと言うと、ちょっと待てよというふうになる。そして、法制化はどうですかと言うと、ますます数が減る。これは世論調査だけではなくて、私が学生に聞いたら本当にそういうふうになっていくんです。だから、とりあえず国旗国歌と尋ねられれば、それは日の丸君が代というふうになるだろう。  しかし、果たして日の丸君が代国旗国歌にふさわしいかどうかという問いをしなくちゃならない。日の丸に関して言えば、過去の歴史をきちんと心に刻むということを通して日本の国の象徴たり得るだろう。しかし、君が代に関して言えば、先ほど私は憲法一条を引きましたが、この一条というのは天皇象徴でしかないという位置づけなんです。その象徴でしかないという天皇を、国民統合象徴で、そしてそれはそのとおりなんだけれども、国歌として歌わなければならないのかという問題は当然出てくるだろう。だから、それは国歌としてはふさわしくないのではないかという意見が出てくるわけです。  しかし、国際関係なんかの中で日の丸君が代も使われている限りにおいて、とりあえずはそれは国旗国歌として使われているんだろうということは当然認めざるを得ないということになるんじゃないでしょうか。
  198. 山崎力

    ○山崎力君 今の御説明でますますわからなくなるわけです。そういうことだから、この問題というのは本当に難しい問題だなと思うんです。  国旗国歌があるかないか、その事実認定はしなきゃならぬのです、国民として。好きか嫌いかはもちろんあるんですけれども、我々の周辺にいる多くの人は、いろいろ好き嫌いはあったとしても、国歌君が代だろう、国旗日の丸だろうという人が大部分、五割以上、感覚からすると大体戦後一貫して七割くらいの方はまあそうだろうと、いい悪いは別として。そういうふうに私は感じておるわけです。  それでは、もしそうでないと裏返せば、日本国旗国歌もない国なんだということにもなるわけです。もし日の丸国旗でなく、君が代国歌でないとするならば、今の我々の日本は、戦後ある時期からの日本は、国旗国歌もない国家だったんだということになるわけです。その事実を認めた上で論を立てるというのも一つ考え方としてはあると思うんですが、その辺をあいまいにしたまま議論を立てて、しかも学校教育の現場においてやってきた、そういった教師の考え方、思想の背景には何があるんだろうというのが私にはわからないわけです。  要するに、日本国旗日の丸であり、国歌君が代である、それに反対である、あるいは法的な根拠がないからそれは認めない、だから卒業式とか入学式とかで国旗国歌のようなことをやるのはけしからぬ、これはそれで一つの考え方だと思うんです。だけれども、そうなのか。  確かに日教組はかつて日の丸を上げることすら反対した時期がありました、経過的にある。だから、その辺を教育の場で国旗国歌をどう扱いどう教えるか、あるいは日本の国、世界国家というものの中で国旗国歌の位置づけをどうやるかということを、先生、プロであり、ここのところで現場に任せるべきだというふうに先ほどの教育学会の人のおっしゃっているところが明確に国民に伝わっていない。そこに私は国民に対して教育界の戦後の一番の問題点があったんじゃないかというふうに思うんですけれども、堀尾参考人のお考えはいかがでしょうか。
  199. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) おっしゃいましたように、この問題が複雑であるためにわかりにくい、わからないところがたくさんあるわけです。ですから、そういう状況の中でそれを押しつけることがどうなのかという問題が出てきているわけです。さらに、法制化するというのはどういうことなのかと。  先ほども申しましたけれども、学生たちに聞いても、多分国民の皆さんに聞いても、日本国旗国歌日の丸君が代だと認めますかというふうにとりあえず聞けば、それはそうでしょうと。あなたはどう考えますかといえば、それは意見が違ってくる。さらに、日の丸君が代も決して同じじゃないという、これが国民の意識を反映しているわけです。  なぜそうなるかというと、それは象徴性の問題になるわけですけれども、戦前、戦後をどう考えるかという問題があるわけです。その中には、戦前の侵略の事実をどう考えるのか、さらに一九四五年以降の大きな日本の国の仕組みの変化、そして原理の転換、それをどう考えるのかという問題があるから、果たして君が代国民主権国家、そして平和主義の国家にふさわしい歌なのか。国民統合象徴なんだけれども、象徴でしかないという意味での天皇をたたえる歌をなぜ歌わなけりゃいけないのか、我が国のというふうになぜそこだけ言わなきゃいけないのか。例えば、平和憲法を持つ我が国のというふうになぜ言えないのだろうかというところがやはり意見が分かれることになるんじゃないでしょうか。
  200. 山崎力

    ○山崎力君 その議論というのは耳には入りやすいんだけれども、私は、先生に対して申しわけない言い方ですけれども、教育界に対して不信を持っているんですが、その議論というのは成り立たないと思うんです。  その理由は、その議論は高校生、大学生を対象としての議論であれば成り立ちます。しかし、国旗国歌というのは、普通の国においてでも我が国の国旗はこれである、我が国の国歌はこれであるというのは恐らく小学校段階あるいは中学校段階で教えているわけです。そういった中で教えているということを考えれば、その時点で戦前、戦後のことの歴史的な背景云々かんぬんなんということは子供たちに教え切れません、大人ですらわからないようなことを。  ということは、私の考え方とすれば、一つの国家意思として子供たち国旗国歌をどう教えるかということは、当然のこととして早い時期の間に結論を出していなきゃいかぬはずだ。国家として成り立つ以上、いわゆる講和条約が成立した直後くらいにやらなきゃいかぬ。ということをやってこなかったということに関して教育界として結論を出してこなかった。日の丸君が代反対だという結論でいくんだというならそれでもよかったんですけれども、それを一つの校長の国旗掲揚国歌斉唱の問題の組合活動にすりかえてきたということがあるんじゃないか、そのことに対する反省というものが教育界に不足しているんじゃないかというふうに私は思うんですが、そういう考え方は、堀尾参考人、いかがお考えでしょうか。
  201. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 教育界のと言われましたが、とにかくその問題は日本国全体、国民全体の間で実は意見も分かれていて、だから教師もまた、その意見も分かれるし混乱もしているということがあります。  それからもう一つ、講和条約の後、そういうことは決着をつけておくべきではなかったかと。それも私もそのとおりだろうと思いますね、どういう決着がつくかなんですけれども。  そして、問題は、国旗国歌を現場にどういう形で押しつけてきたか。つまり、日の丸の掲げ方も、歌い方も含めて、画一的に強要する形で、先生たちがせっかく自由な雰囲気のもとで自分たち教育実践の出発であり最後である式典をどうつくるかという、そういう発想自体を押しつぶすような形で強行されたことに対して教育界は反発している、こういうことなんじゃないでしょうか。
  202. 山崎力

    ○山崎力君 私は、今までの経過から見て、残念ながらそうはとらえておりません。そこのところの把握の仕方が、事実認定の仕方が違うんだろうと思います。  ですから、そういった点で、この問題でいけば、議論が足りないというのは、それは確かに一般の人はこんなことをいつも考えていませんよ。問題があるとすれば、この間の世羅高校の校長さんの自殺からです。しかし、これは我々の資料にもあるとおり、何年も前に中学校の校長さんが自殺したという例もあるわけで、そのときにやろうと思えばできた。いわゆる大きな時代の流れでこの問題が出てきた。そのときに、自分たちの意に沿わぬといいますか、危機感はいいんですけれども、沿わぬ方向での可決、成立が現実のものとなったということにおいて議論が足りなかったという考え方の人が私はかなりいると。  先生のように、そういうような掘り下げた部分、学問的な問題がある、あるいは実態上の問題があるという指摘はそのとおりかもしれませんけれども、それはそれで、私個人の考え方とは若干違うんです。  実定法というのは、衆参の両院で国民の意思の代表が多数を占めれば変えられるんです。そのための議論をしても、本当にするのならばいいんだろうと。ところが、今までいろんなことがあって反対がありましたけれども、一たん可決されてから、それを一生懸命議論が足りないんだということを言っていた人たちが、国民運動、市民運動として、この問題を法律によって変えようという運動が非常に日本において少なかったんだということの問題意識というものも持っていただきたいなと逆に私は思っているんです。  そういう考え方について、堀尾参考人、高橋参考人からお考えをいただいて、私の質問を終わらせていただきます。
  203. 高橋史朗

    参考人(高橋史朗君) 私は、一言で申し上げれば、子供たちは不毛な政治的な対立あるいはイデオロギー的な対立の犠牲者であったと思っております。そろそろ戦後五十四年でしょうか、そういう中にありまして、曇りのない目で日の丸君が代を見ていく、そういう心を育てる。歴史の総括や反省はまた別のところでやるべきでありまして、そこを区別すべきだ、そう考えております。
  204. 堀尾輝久

    参考人(堀尾輝久君) 最後だと思いますので、私、少なくとも義務教育に関する考え方は、これは人権としての教育が軸になり、義務教育という観念自体が戦前、戦後で大きく変わったということだけ申します。それから、戦後、修身がなくなって道徳教育がなくなった、そんなこともないんです。修身が何だったかということをお考えいただきたい。そして、戦後の道徳教育は先生方が本気に考えてきたんです。そういうことだけ補足させてください。  それに加えて、今御質問の点ですけれども、では法制化された場合にどうするのかという、そういう問題を含んでの御質問です。  これまでは法的にもはっきりしていなかった問題です。法律が通った場合に、これほど国民の意識と違った形で国会で通すということは、私は民主主義に対して大きな問題を残すのじゃないかというふうに思っています。(「まだ通っていない」と呼ぶ者あり)いや、ですから、通すとすればです。それで、その反対をどうするかという御質問もあったわけで、これをつまり法制化されれば、それに反対する運動というものは多分広がるだろうというふうに思っています。そのことはむしろ不幸なことではないかというふうに私は思っています。
  205. 岩崎純三

    委員長岩崎純三君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、長時間御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時五分散会