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1999-07-05 第145回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年七月五日(月曜日)    午前九時開会     ─────────────    委員の異動  七月二日     辞任         補欠選任         日出 英輔君     水島  裕君      依田 智治君     田浦  直君  七月五日     辞任         補欠選任         今井  澄君     川橋 幸子君      日笠 勝之君     山下 栄一君      小泉 親司君     吉川 春子君     ─────────────   出席者は左のとおり。     委員長         吉川 芳男君     理 事                 石渡 清元君                 大島 慶久君                 田村 公平君                 吉村剛太郎君                 朝日 俊弘君                 伊藤 基隆君                 弘友 和夫君                 富樫 練三君                日下部禧代子君     委 員                 阿南 一成君                 岩永 浩美君                 海老原義彦君                 太田 豊秋君                 狩野  安君                 亀井 郁夫君                 久野 恒一君                 佐藤 昭郎君                 清水嘉与子君                 長峯  基君                 畑   恵君                 水島  裕君                 脇  雅史君                 江田 五月君                 岡崎トミ子君                 川橋 幸子君                 輿石  東君                 高嶋 良充君                 寺崎 昭久君                 藤井 俊男君                 山下洲夫君                 魚住裕一郎君                 益田 洋介君                 山下 栄一君                 池田 幹幸君                 八田ひろ子君                 吉川 春子君                 大脇 雅子君                 照屋 寛徳君                 入澤  肇君                 星野 朋市君                 奥村 展三君                 菅川 健二君                 石井 一二君    事務局側        常任委員会専門        員        志村 昌俊君        常任委員会専門        員        入内島 修君    公述人        横浜国立大学名        誉教授      成田 頼明君        中央大学法学部        教授       辻山 幸宣君        マッキンゼー・        アンド・カンパ        ニー・パートナ        ー        上山 信一君        武蔵大学名誉教        授        小沢 辰男君        早稲田大学政治        経済学部教授   片岡 寛光君        明治大学法学部        教授       野上 修市君        名城大学都市情        報学部教授    牛嶋  正君        名古屋経済大学        法学部教授    榊原 秀訓君     ─────────────   本日の会議に付した案件 〇内閣法の一部を改正する法律案内閣提出、衆  議院送付) 〇内閣設置法案内閣提出衆議院送付) 〇国家行政組織法の一部を改正する法律案内閣  提出衆議院送付) 〇総務省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇郵政事業庁設置法案内閣提出衆議院送付) 〇法務省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇外務省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇財務省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇文部科学省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇厚生労働省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇農林水産省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇経済産業省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇国土交通省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇環境省設置法案内閣提出衆議院送付) 〇中央省庁等改革のための国の行政組織関係法律  の整備等に関する法律案内閣提出衆議院送  付) 〇独立行政法人通則法案内閣提出衆議院送付  ) 〇独立行政法人通則法施行に伴う関係法律の整  備に関する法律案内閣提出衆議院送付) 〇地方分権推進を図るための関係法律整備等  に関する法律案内閣提出衆議院送付)     ─────────────
  2. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ただいまから行財政改革税制等に関する特別委員会公聴会を開会いたします。  内閣法の一部を改正する法律案内閣設置法案国家行政組織法の一部を改正する法律案総務省設置法案郵政事業庁設置法案法務省設置法案外務省設置法案財務省設置法案文部科学省設置法案厚生労働省設置法案農林水産省設置法案経済産業省設置法案国土交通省設置法案環境省設置法案中央省庁等改革のための国の行政組織関係法律整備等に関する法律案独立行政法人通則法案及び独立行政法人通則法施行に伴う関係法律整備に関する法律案並びに地方分権推進を図るための関係法律整備等に関する法律案の各案を一括して議題といたします。  本日、午前は、地方分権推進を図るための関係法律整備等に関する法律案審査のため、公述人方々から御意見を承ることといたします。  御出席いただいておりますお方は、横浜国立大学名誉教授成田頼明君中央大学法学部教授辻山幸宣君、マッキンゼー・アンド・カンパニー・パートナー上山信一君、武蔵大学名誉教授小沢辰男君、以上の方々でございます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、公述人方々からお一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず成田公述人にお願いいたします。
  3. 成田頼明

    公述人成田頼明君) ただいま御指名がございました成田でございます。  行財政改革税制等に関する特別委員会委員皆様方におかれましては、二十一世紀の日本行財政システムを大きく変換しようとする幾つかの法案について大変御熱心な御審議をいただいておりますことに対して、まずもって敬服申し上げたいと存ずる次第でございます。また、地方分権推進につきましては、かねてから非常に深い御理解を賜り、またその推進のためにいろいろ御努力、御援助を賜っているということに対しましても感謝申し上げる次第でございます。本日は、この席で地方分権推進一括法案につきまして私の意見を申し述べる機会を与えてくださいましたことを心から感謝申し上げる次第でございます。  ところで、私は大学に三十八年間勤務いたしまして、その間、行政法地方自治法、主として法制度を中心として研究教育を続けてきたところでございますが、同時にこの間、日本地方自治の発展、それからその推移につきましては、地方自治法施行後の昭和二十年代からずっと見守ってきたわけでございます。その後、審議会懇話会研究会等におきましていろいろ地方自治の今後のあり方について提言をいたしましたり、政策の形成にかかわってきたというふうな経過もございます。それで、平成七年に地方分権推進委員会が設立されました後に、その秋ごろから、私は専門委員といたしまして地方分権推進に参画いたしました。  本日は、このようなかかわりの中で、今回の法案の取りまとめに関連いたしました仕事をした関係者の一人として、半ば研究者という形で、今御審議を承っております一括法案につきまして私見を申し述べたいというふうに思っております。  まず、今回の一括法案の全般的なあるいは総合的な評価でございますが、私は、今申し上げましたように、地方分権推進委員会中間報告段階から一次ないし四次までの勧告をいたします際に、専門委員として直接かかわってきたわけでございます。勧告が終わりまして、政府地方分権推進計画、それから一括法案作成段階、この段階になりますと当然のことながら直接参画することはいたしませんで、その間いろいろ政府関係者等から一般的な報告あるいは説明を受けてきたわけでございますけれども、その条文がどんどん変わっていく過程につきまして細かいことは存じ上げないわけでございます。  今回の一括法案は、全体として見ますと、勧告に沿ってほぼ忠実に作成されているのではないかというふうに考えております。  法定受託事務定義でございますとか、あるいは勧告段階では必ずしも十分に詰め切れなかった問題、あるいは勧告当時は想定していなかった条文、そういったものが入ってきたわけでございますけれども、これは全体としては法文に落とす場合には特別な技術もございますし、私も長いこと内閣法制局におりましたのでその間の事情は心得ているわけでございますけれども、そういった法案全体をはっきりさせる、考え方を明確にする、こういった意味からの文言変化ではなかったかというふうに思うわけでございます。ただ、このような文言変化があったことによって勧告の実態が大きくゆがめられたり、あるいは国の権限がこれによって特に強化された、こういったことは私はなかったのではないかというふうに考えております。  この点につきまして、もし御異論がございましたら後ほどまたお答えいたしたいというふうに思うわけでございます。  基本的に、全体として、勧告趣旨や本質的な要素というように考えた事項はほぼ忠実に維持されているというふうに評価しているところでございます。  分権推進委員会勧告では、分権推進の核心的な部分と考えました地方自治法の改正につきましては、これは情報公開法のときのようないわゆる法案要綱という、ある程度条文に落とした形の作業というものはいたしませんでした。  それはどうしてかと申しますと、非常に分権推進の問題というのはすそ野の広がりが広いわけでございます。非常に膨大な広がりを持ちますし、制度的、理論的に非常に難しいいろんな課題をも抱えているということがございます。しかも、法定受託事務自治事務の割り振り、あるいは国の関与の制限というものを各法律にわたって一々子細にやらなきゃならない。そのために非常に多くの時間と労力を使ったということがございました。しかも、勧告をまとめる時期というのが限られておりまして、その目標に向けまして全力投球をしたということでございまして、平成八年、九年の二年間はほとんど夏休み返上という形で非常に膨大な作業に取り組まされ、しかも時間に追われたわけでございます。  そういう作業過程の中では、いろいろ毎日毎日やっているけれども、さてこれを法文に具体的に落とす場合に法案作成者であればどういうふうに書くだろうか、あるいは過去に先例のない新しい概念制度というのが至るところに登場いたしますので、これを法文化する担当官というのは多分大変だろうなということを考えたりしたわけでございます。  こういった体験を通じまして、当時を振り返りながら今改めて分権一括法案を拝見いたしますと、あの難しい問題をよくこういう形の条文に書きあらわしたな、あるいはなるほどこの問題を条文化する場合にはこういう表現になるのかな、こういうことを、昔とったきねづかということでもございますけれども、時には感服し、時には目からうろこが落ちるような思いでこの法文を拝見したと、これが第一印象でございます。  この一括法案に対しましては、第一線で仕事を担っております地方公務員の方とか、それから一般住民方々からは極めて内容がわかりにくいのではないか、余り内容が膨大過ぎ、しかも時には非常に技巧的なところもあるのでわかりにくい、いろいろ難しいことが書かれているけれども、どうもよく考えてみると国と地方関係というものはこれまでとちっとも違わないんじゃないか、本質的には変わるところがないんじゃないか、あるいは税財源に手をつけないでただ仕事自治事務という形で地方に渡してみても、それは結局は分権という立場からいえば空論なのじゃないか、こういったいろんな厳しい御意見がございます。この御意見は、法案に対する批判というよりも、むしろ勧告それ自体あるいはこの作業の一連の過程に対する御批判でもあろうかというふうに思うわけであります。  こういった御批判の中にはもっともであるというふうに思われるものもないではございませんけれども、だからといって今回の法案を先延ばしいたしまして百点満点のものに直してみるということを考えるとしても、それは恐らく大変な仕事になるだろうと思われます。それは相当長い期間をさらに要するということになりまして、結局はこれまでの古いシステムというものを温存させるという結果になってしまうのじゃないか、余り現実的ではないというふうに思うわけであります。  もちろん、今回の一括法案は百点満点の完全なものではございません。仮に六十点程度であるといたしましても、この現状を大きく一歩進めるということは間違いのないところであると思いますし、これが施行された暁には私は国と地方の間のシステムというものは大きく変わる可能性がある、そういう可能性は極めて高いというふうに思っております。さらに、地方公共団体自主性自立性というものも確実に高まってくるだろうというふうに思っております。  ただ、これは申すまでもないことでございますけれども、制度を動かすのは人でございます。ですから、いかにいい制度をつくっても動かす人の側にその意識と力がなければ、これは結局は実効性が上がらないということになりますので、この法律施行されましても、やはり国の公務員地方公務員あるいは住民の方も含めて関係者方々意識改革というものが伴っていかないと十分なシステム改革課題というものは達成できないんじゃないかというふうに考えているわけでございます。  それから次に、これはほかの公述人からいろいろ後から御指摘があるかもしれませんけれども、個別の争点に対する意見をちょっと申し上げたいと存じます。  この一括法案をめぐりましては、これまで国会審議、特に衆議院審議状況でございますとか、あるいは学者、評論家、ジャーナリズムの方々の発言、こういったものを通じまして少なからぬ争点、何点かの争点が浮かび上がってきております。ここでそのすべてについてコメントすることはもうとても時間がございませんので避けることにいたしますけれども、割合重要で本質的と思われる問題、争点二つに絞って意見を申し述べたいというふうに思うわけでございます。  その第一は法定受託事務定義についてでございます。  法定受託事務定義は、勧告段階、それから政府分権推進計画段階、さらにここに入っております法案段階、各段階ごとに二転三転したということは御存じのとおりでございます。当初は機関委任事務制度そのものを廃止することができるかどうかということさえも危ぶまれるような状況であったわけですけれども、平成七年の終わりごろに廃止するという方針を一応内部で決めまして、廃止後の事務区分というものをどうするのか、こういうことを議論してまいりました。当時も、委員及び専門委員、参与の間ではいろんな議論が出たわけでございます。しかし、最終的には、その中から法定受託事務自治事務、こういう二つにしてみようということで話がまとまりました。  次の作業は、そういった二元的な受け皿をつくっていくことに伴って具体的な仕事をどういうふうに割り振っていくかということでございますけれども、私どもは、極力、法定受託事務というものを制限すべきだという立場に立ちまして一応の定義をいたしました。さらに、メルクマールを立ててふえないようにしたわけでございます。これは、具体的には、皆様承知グループヒアリングというひざ詰め談判過程一つずつ詰めたわけであります。そういうやりとりの中で、相手方の説明を了承してやむなく自治事務化することを断念したというものもございますし、逆にこちらの主張を押し通して自治事務化させたということもございます。  その過程の中には、当初の我々の定義メルクマールに入り切れないものが出てきたわけでございまして、極力そういうものを変えたりふやしたりすることは抑制しようと思ったわけですけれども、やはりそういう枠をはみ出すものが出てまいりまして、必要最小限度の修正あるいは追加というものをいたしてきたわけであります。  そういうことで、勧告過程でも若干変わってきたわけでありますけれども、同じようなことは処理作業政府レベルに移りました後にもやはり行われたというふうに聞いておりまして、このすべての振り分け作業が終わった後で全体を包括する概念をどうするかということになりますと、やはり勧告とは若干違った表現になったということのようであります。  しかし、表現の仕方にはいろいろ違いがございますけれども、我々の考えておりました制度概念というものがこれによって本質的に変わったとは申せません。つまり、法定受託事務が国の事務ではなくて地方公共団体事務であるという点は維持されましたし、それから国が本来果たすべき役割に係る事務であるために自治事務と違った法的効果が与えられているということ、さらに法律、政令で明確に定める、こういうことは基本的には維持されたままであります。しかも、若干定義が変わったことによって、我々が考えていたものより法定受託事務範囲がふえたということにはなっておりません。  我々もメルクマールというものは考えたわけで、これは法制化されませんでしたけれども、我々も法制化にはなじまないというふうに考えておりました。しかし、そういう趣旨は、「特に」という言葉がその限定の中に入っております。そこで、これをこの中で読み込んで解釈していくということになるんではないかというふうに思います。  それから、もう一つは、これは是正要求に対する義務の拘束性の問題でございますけれども、これも時間がありませんので、後ほどお話しするつもりでしたが、省略いたすことといたします。  まだ申し述べたいことはございますが、時間になったよという御注意を受けましたので、これで私の話は終わりますけれども、各委員におかれましては、どうか本法案が一日も早く成立しますように、ひとつお願いいたしたいというふうに存じます。  どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  次に、辻山公述人にお願いいたします。
  5. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) おはようございます。中央大学辻山でございます。  私は、地方自治論を専攻しておりまして、その立場から地方分権一括法案についての意見を述べさせていただきます。  まず最初に、一九九三年でしたか、国会地方分権推進のための決議がなされて、六年たって、今ここに地方分権一括法という形で具体的な法律案が出てきた。この経過の中で、成田先生を初め地方分権推進委員会方々の大変な努力をずっと見てまいりました。そして、今回、機関委任事務制度を廃止するという決断をこの国会においてなされるという、これについては私は歴史的な英断だというふうに思っておりまして、そういう意味では今回の分権改革というものはきちっとなし遂げていただきたいというふうに念願しているものでございます。  御承知のように、今回の地方分権改革というのは機関委任事務制度を廃止するというまさに歴史的な出来事でございますが、その意味について少しお話をさせていただきたいと思います。  そもそも機関委任事務制度というのは、明治二十一年の市制町村制において初めて採用された制度でございますが、そのときに、時の政府団体委任にするか、それとも機関委任にするかということで内部で検討を行った節がございます。それは、市制町村制という法案に付された理由書、つまり「市制町村制理由」というものの中に詳細に記されているわけでありますが、少しそのくだりを御紹介いたしましょう。こういうふうに書いているんです。  「元来甲乙二例」、「甲乙」というのは、甲は団体委任、乙は機関委任方式だと。「元来甲乙二例ヲ比較スルトキハ互ニ得失アリト雖モ」、ここは重要なんですが、「「今日ノ情況ニ照シ事務挙行ヲ期スルニ付テハ乙法行フニ如カス」と、こう言っているわけです。つまり、機関委任団体委任を比較検討してみたところ、今日の状況に照らして機関委任方式をとらざるを得ないのだ、こういうふうに言っているわけであります。  では、「今日ノ情況」、つまり当時の状況とは何だったのか。いろいろ調べてみましたが、別のくだりに同じように「今日ノ情況」というのが出てくるわけであります。  それは次のようなものでありますが、「集議制行ハント欲スレバ」、「集議制」というのは合議といいましょうか代表制といいましょうか、そういう意味です。「集議制行ハント欲スレバ名誉職ヲ以テ行政ニ参与ス可キ適任者ヲ多ク求メサルヲ得ス」、つまり優秀な人材をたくさん求めなければ集議制というのはできないのだと言っています。「而シテ「今日ノ情況ニテハ都会地ニサレハ望ム可ラス」、こう言っているわけです。つまり、大都市ならともかく、一般の市町村においてはそのような人材を得ることができないので、残念ながら分権という形にはできないのだ、したがって当時の状況というのは、まず中央政府責任を持って機関委任方式でやっていくんだ、こういう決断をしたわけであります。  恐らく、この方式を抜本的に改革するチャンスというのは戦後改革のときだったんでしょう。しかし、私はまだ生まれておりませんでしたが、容易に想像できることは、あの荒廃と混乱の中で、さらに国民自治責任を持たせるということは多分不可能だったのではなかったのかなというふうに思っております。  そのようにして、今日、この機関委任事務制度というのが存続してきた。もちろん、当時、私の親の世代はどうやって食っていくか、子供たちをどうやって育てどのように教育していくかということで精いっぱいでありましたでしょう。したがって、自治というものを国民の手にゆだね、そして多くの責任地域に持たせるということができなかったのもまさに無理のないことでございました。  しかし、よく言われるように、今日、多くの国民は一定の豊かさを手にして、自分たち地域をどうするか、あるいは自治体の政治政策をどうするかということについて積極的な意見を述べるようになりました。つまり、私が申し上げたいのは、この機関委任事務制度を採用した当時の状況というものは、今日では全く払拭されているのだということでございます。その根本は地域に人が育ったということでありまして、まさに住民自治の仕組みをどうつくっていくか、これが分権改革の基本でなければならないということでございます。  今回、中央政府から自治体への権限の移譲、あるいは機関委任事務制度を廃止して自治体の裁量に任せていくということが実現しようとされておりますが、基本は、その権限を使ってどうやって住民地域に対する責任を全うさせ、あるいは地域自治住民自身が担っていく仕組みにしていくのか、この点でございます。  今回の法案について不満なのは、確かに今、成田先生がおっしゃったように、ほぼ勧告どおりの法案になっておりましょう。しかし、分権推進委員会勧告は、中央政府自治体との関係をまず法制度的にどうするかということを中心に行ったわけでありまして、これを実現していくためには当然地方自治システム改革しなければいけないのであります。この点については、ほぼ法案には触れられていない。なぜならば、勧告にはそのような一つ一つ自治内容についての言及がなかったからであります。しかし、この勧告の精神を酌み取れば、当然のこととして、住民自治システムをこの地方自治法改正案の中に大幅に取り入れていくことが必要だったのであります。  少し具体例を申し上げてみたいと思いますが、第一は、今日、各地で多くの活動が行われ、そして住民の提案、つまりイニシアチブというものが行われておりますけれども、最終的には地方議会の多数決によって決着がつくということがございます。例えば神戸空港の問題をめぐって、非常に多数の署名を集めた条例の提案が議会での一回の採決によって葬り去られるという事態でございます。  御承知のように、この制度は昭和二十一年に市制町村制、道府県制の改正で盛り込まれたものでございまして、当時の説明によりますと、当然のことながら、アメリカ諸州の制度にならった、こういうことが言われておりますが、実は、このように議会が最終的に決着をするというのはアメリカの制度ではまれでございまして、議会が否決をした場合には住民投票にかけるという間接的イニシアチブというのが優勢でございますし、そもそも議会に審議させる前に住民投票を行うというのが一般的でございます。  そのような意味で、この直接請求の制度についても今回やはり見直すべきではなかったのか。例えば要件が三分の一というような高いハードル、議会のリコール、市長のリコール、解散請求というものでございますが、アメリカでは前回選挙の投票数の何分の一というような非常に可動的な仕組みにしているということも参考になろうかと思います。  第二は、今度の分権改革は決定的に地方議会の役割というものを高めていくということになりそうでありますが、残念ながら、現在の公職選挙法というのは、衆議院議員の選挙あるいは参議院議員の選挙、あらゆる選挙の仕組みと同じ方法をとっているわけでございます。  地方自治体と申しましても、大は三百万を超える横浜から、小は百人足らずの自治体までございます。これが全く同じような、例えば参議院の全国区と言われるようなサイズの選挙方法と同じでいいのか。積極的に戸別訪問を認め、立会演説会を認めるなど、この公職選挙法から地方の選挙に限っては離脱させるということが必要だと私は考えております。そのようにしなければ、これからの分権時代を担ういい地方議会、いい地方議員というものがなかなか得られないという状況にございます。  第三点目は、私、先ほど住民投票というふうに申しましたが、これを地方自治法の中に書き込めと言っているのではありません。地方自治法の中に書きますと、どうせ、このような場合には住民投票ができるというふうに要件を絞ってくるだろうと思われますので、これは自治基本条例というような自治体の組織と運営に関する基本的な事項を定める条例の制定によって、ある自治体では住民投票を制度化する、ある自治体ではしないというようなことを選択的に可能にする道を開くべきだと考えております。  最後に、先ほど触れましたが、是正の要求についての意見を少し述べておきたいと思います。  これまで是正の要求について改善義務があるということが随分議論されてまいりました。せんだっての野田自治大臣の答弁においても、そう軽々に発するものではない、まず住民たち、住民自治体の間で解決されることを原則にするのだという大変前向きの答弁もありましたし、あるいは西尾勝先生が、もともと現行法の是正措置要求についてもこれは改善義務があるのだ、こう解釈すべきだという御意見を出されております。  だとすれば、現在の二百四十五条の五第五項というのはなくても何にも問題がないということになるわけであります。つまり、解釈の面において、既に改善義務があるのだということでございますし、そもそもそう軽々に発動する気はないのだとすれば、この第五項は削除してもいいのだというのが私の結論でございまして、こんなものを置いておくと、自治体の職員が住民といろいろ折衝するときに、後で何か来るなといういわば一種の萎縮効果を持たせるだけでありまして、生き生きとした仕事ができないということでございます。ぜひ御検討をお願いしたい。  なお、この法案は通過いたしますと来年四月一日から施行ということになっておりますが、現在自治体ではこの分権化に向けての大変な作業が進んでおります。条例の制定あるいは規則の見直しなどなどやっておりますが、いかにも時間が少ないという気がいたします。この委員会において十分な審議が尽くされるかどうかということもあります。したがって、もっと十分な審議をしていただきたいという気はしておりますが、仮に今国会で通過したとしても、一年ぐらいは施行期日を延ばしてもいいのではないかというのが私の考え方であります。この点についても御審議をお願いしたいというふうに思います。  以上でございます。ありがとうございました。(拍手)
  6. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  次に、上山公述人にお願いいたします。
  7. 上山信一

    公述人上山信一君) おはようございます。  私は、きょう来られております八人の公述人の中では唯一民間企業の出身でございますので、民間企業の視点から今回のコメントをさせていただきます。  私の所属しておりますマッキンゼーという会社は、大企業の経営改革をお手伝いするのが専門でございます。全世界八十カ所に事務所がありまして、私自身も東京の経営メンバーということで、みずから役員として活躍をしております。  そうした背景をもとに、今回のテーマというのは、いわば地方政府それから中央政府のそれぞれの経営改革にかかわる重要な問題だと思いますので、その視点から発言をさせていただきます。  ちなみに、私自身は大昔、もう十三年以上前になりますが、運輸省と外務省に勤務した経験がございます。それからあと、最近では海外の行政改革の事例なども直接現地を歩いて見ておりますので、できるだけきょうは民間企業の視点、それからグローバルな視点、あるいはあえて言いますと、もう四十代ではありますが、若手の視点で発言をさせていただきます。  感想を三点述べさせていただきますが、今回の改革案ですが、まず一つは、やっと戦後が終わったんだなという感じがいたします。特に機関委任事務に関しましては、五十年おくれでやっと今こういうことができたと。これは喜ばしいことでもあり、非常に恥ずかしいことでもあるというふうに思います。  その中身の方ですけれども、足りないものだらけであると。これだけ複雑になりました地方行政それから中央政府の経営、それぞれこのような法案をちょっとさわって中身を変えるというような程度ではとても改革はできない。手をつけたのは五十年おくれであるが手法自体もまだ二十年おくれであって、大変にギャップが大きいというのが二番目の感想であります。  それから三点目ですけれども、プロセスでありますが、六年間もかかってしまう。しかも、先ほど辻山先生が専門家の立場から非常にいいアドバイスをされておられましたが、地方自治体の施行にまた一年かかってしまう、大変な準備に追われてしまうという、このような制度そのものをどこまで引きずっていくのかということ自体が非常に疑問に思うわけであります。  それで、二つの角度からコメントさせていただきますが、一つは現在の案を評価しますと、民間に任せる、あるいは地方に任せるという本来の橋本行革のときのコンセンサスが余り生かされていないというふうに思います。  まず一点目の、地方に任せるという点でありますけれども、機関委任事務の廃止自体は結構ですが、御存じのとおりかなりがまだ国の関与の残る業務として残っております。  それから、国と地方はイコールパートナーシップであるというふうにうたわれておりますが、この事務の振り分け、つまり自治事務法定受託事務の振り分けの仕事自体を国がやってしまっている。これは地方議会も交えて、せめて公聴会などを各自治体とやった上でやるというのが本来の筋でありますが、国が一方的にこれはおまえのところに任せる、これはまだ関与するということを決めている以上は決してイコールパートナーシップとは言えない、プロセスそのものに瑕疵があるというふうに思います。  それから、補助金の流れです。国の中央省庁から自治体への補助金の流れの見直し、これに関してせめて附帯決議でかなり大きな縛りをかけないと、実質は全く変わらないというふうに思います。  したがいまして、戦後処理ということでは私は非常に評価をしますが、これから二十一世紀の日本を支える改革案というふうにはとても言えないと思います。  二点目ですが、民間に任せるという観点、これも午後の審議の方がメーンになるかと思いますが、地方行政においてもやはり民間に任せないと財政的にはもたない、こういう状況にあります。  この現実を踏まえますと、今回入れるべきことは、例えばマーケットテスティングであるとか強制競争入札といったようなイギリスのサッチャー政権が七九年、八〇年代以降手をつけました、まさに民間企業でできることはすべて入札制度にかけて行政にはもうやらせない、こういった根源的な原則変更というのがむしろ必要になるというふうに思います。この問題に触れずして国の権限を一部地方に渡すとか渡さないとか、法律条文上のいろんな作業だけをやっていても実質は全く変わらないというふうに思います。  それからあと、何を任せる任せないということを決めるときの基準の決め方ですが、これもやはり経営的視点からいいますと、住民に対するサービスのあり方、ここを細かく数値でもって測定をして、いわゆる行政評価の手法を使って決めていくという逆の発想が必要になると思います。  中央の審議会あるいは有識者を集めた場で一本一本今ある事務を取り上げて、これは民間か、これは市町村か、これは県かといったような作業をやるというアプローチそのものが恐らく時代おくれでありまして、それぞれの業務に関して幾らのコストがかかっていて、これは民間なのかそれとも自治体がやるべきか、あるいは国がやるべきかどうかといったようなことは事実と数字に基づいた分析なしに中央で決めるべきことではないというふうに思います。  以上が民に任せる、地方に任せるという原則に照らしてのコメントですが、もう一つのコメントがございます。もう一つは、経営改革の視点というものがないということであります。  これは民間企業においても実はよくある間違いでありますけれども、よくある間違いの一つは対等合併、大きな組織と大きな組織が同時に合併しますと動きがとれなくなります。お互いリーダーシップを取り合い、あるいは譲り合い、意思決定がとまってしまう。現在の霞が関がまさにその状況でありますけれども、現場の業務改革は三年分ぐらいストップしている。ですから、対等的な合併はだめで、一つの省庁がよそを吸収する、あるいは何かを廃止するような形でないと、くっつけるだけというような合併は非常によくない、これは地方についても同様だと思います。  それから、エージェンシー制に関して、これも午後がメーンになりますけれども、エージェンシー化するよりも、むしろ民営化を前提に考えるべきである。なぜならば、一〇〇%収入が国から、つまり親から来るという状態の組織は決して切磋琢磨はしない。しかも、株主である国側からするとつぶせない、こういうふうに非常に非効率なものがつぶせない状態で残ってしまうということになりますので、安易なエージェンシー化もいかがなものかというふうに思います。  以上、非常に批判的なことばかり述べましたけれども、むしろ前向きに本来やるべきことは何なのか、今後の課題というのを最後に述べさせていただきます。  特に、参議院は良識の府であるというふうに聞いておりますので、今回の法案はさっさと通すべきであると私は思いますけれども、これでは全然足りないんだ、これで終わったわけではないという附帯決議あるいは今後の継続審議の体制、これをぜひお願いしたいと思います。  中身の方でありますけれども、本来やるべきことに関しまして大きなことは三点あります。  一つは、やはり行政評価というものの導入であります。これは、お手元の横長の資料の八ページをごらんいただきたいんですけれども、ちょっと分厚い資料になっておりますが、右下に八というふうに書いた横長のページがございます。  この行政評価という手法は、非常に単純な手法でありますが、日本ではまだ余り理解されていないという手法です。サッチャーあるいはレーガンの改革、それから現在の米国のクリントン、ゴアの連邦政府改革の中核にありますのが実はこの仕組みであります。  どういうことかといいますと、行政のやっている仕事を全部棚卸ししまして、それぞれにどれだけのコストがかかっておるのか、それからそこから出ている成果がどのようなものであるかというのを全部並べてそれをオープンに情報公開にかけていく、そして費用対効果というものをチェックして、これをもって税金に対するアカウンタビリティーという形で議論をしていく、こういうシステムであります。つまり、予算の設定権というものを官僚もしくは主計局の手からもっとオープンな形での議論の場に引きずり出していく、こういう手法でございます。  ここにある例は、たまたま文部省の初等教育の例で、これは架空の内容であって決して実態を踏まえたものではありませんけれども、それをとっております。  ここにありますような単位の施策、これは中央省庁の各局でいえば五十か百ぐらいあると思いますが、それぞれについて、それぞれのポリシーは、期間はどれぐらいなのか、それからどういう効果が国民の視点から見てあるべきなのか、それに向けて行政はどういうアウトプット、仕事をするのか、それに必要なインプットはどれぐらいか、こういうことを棚卸しするという非常に単純な仕組みでございます。ですが、これさえ情報開示されてくれば毎年この数字がとれます。あるいは海外との比較、自治体間の比較というのができるようになります。これをベースに個々の具体的な業務の中身についての見直し、これをやっていく体制が必要だと思います。  法律案を改正してという作業も、過去の遺物を取り除くという意味では必要ですが、前向きに現場の動きを変えていくという意味でいいますと全く不十分なことでありまして、この行政評価のような新しい仕組みを埋め込まない限り本物の行政改革はあり得ないというふうに思います。これが一点目。  二点目は、現場の改善活動であります。これは民間企業の場合、TQCでありますとかあるいはTQMというふうに言われる手法ですが、これはお客様の不満あるいはかかったコストを具体的に現場の職員が分析して、それでもって業績評価につなげていく、こういう仕掛けであります。このような行政評価とこのTQMという二つの仕組みをやはり二本柱にしていかない限り行政改革はできません。  世界各国を見渡しますと、OECDのレポートなどを見ましても、この行政評価あるいはTQMをメニューのメーンに入れていない国は恐らく我が国だけではないかというふうに思います。手法自体が極めておくれている、それから法律案がわかる人以外がこの議論に参加しない、これも非常に問題があると思います。  私自身も、たまたま京都大学の法学部出身で法律教育を受けてまいりましたけれども、その後、外資系企業で実際に会社の経営などをしておりますと、自分自身が法学部の教育を受けた中で得た知識がいかに時代おくれで、現行体制の維持には役に立っても改革には全く役に立たないということを自分自身の民営化のプロセスの中で痛感した、こういう経緯がございます。  したがいまして、今後の行政改革審議においては、ぜひ民間企業の人たちあるいは法律のプロ、プラス経営のプロというのも入れて議論していただきたいというふうに思います。  以上です。(拍手)
  8. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  次に、小沢公述人にお願いいたします。
  9. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) 御紹介いただきました小沢でございます。  一枚目に資料一、二枚目に資料二から三、四と提出してございます。  私は、今回の地方分権一括法案に関し、日本国憲法第八章地方自治、とりわけ第九十二条の地方自治の本旨、すなわち住民自治を発展させる立場から少し意見を申し上げます。  二枚目の資料二でございますが、地方分権関連年表を見ますと、一九九五年には地方分権推進法が与野党一致で成立し地方分権推進委員会が発足し、九六年には中間報告、第一次勧告が出されました。そこでは、国の地方支配の根拠をなす機関委任事務を廃止し、国と地方関係を上下主従の関係から対等、平等な関係に改めることがうたわれております。  そして、国際的に見ても、既にヨーロッパでは一九八五年に各国の間でヨーロッパ地方自治憲章が採択されまして、二十一世紀を地方自治の時代にしようという動きが深まりました。これに力を得まして、一九九三年ごろから自治体問題研究所など地方自治関係の団体、各分野の住民運動団体二十団体で構成する「地方自治憲章」運動をすすめる会をつくりまして、九七年には資料一のような地方自治憲章(案)を発表することができました。  地方自治憲章(案)は、資料一のように、前文と第一条、基本的人権と地方自治、第二条、住民自治の原則など八条にわたっていますが、基本的には日本国憲法九十二条及びこれを受けた現行地方自治法二条の精神を踏まえ、何よりも住民生活の保障、住民参加、そして国と地方自治体の民主的な協力関係の確立をうたっております。  以上の立場から今回の地方分権一括法案を見ますと、資料三のように機関委任事務の廃止に伴い地方事務は大きく自治事務法定受託事務に分かれますが、機関委任事務のうち国の直接執行事務とされるもののうち、米軍用地特別措置法改正案では、自治体の土地収用委員会で米軍用地の使用を続ける上で差しさわりがある場合、審理を尽くす前に使用を認めてしまう緊急裁決制度を創設することとしています。それでも裁決ができないときには、総理大臣が土地収用委員会にかわって裁決できる代行裁決制度をつくるとしております。これは、自治体の住民の生命、財産を守る役割という点から見ると、少し弱められてしまっているのではないかと思います。  また、機関委任事務そのものにつきましても、地方分権推進委員会の第二次勧告で、地方自治法別表の機関委任事務、五百六十一項目と言われておりますが、これを法定受託事務約二割、それから自治事務八割にするという方針があったようでございます。実際は自治事務を四割、法定受託事務六割としてしまったようでございますが、今回の分権法案ではこの方針が恐らく貫かれているわけであろうかと思います。機関委任事務が廃止されるといっても、法定事務という形でまだまだ国の地方自治体への関与が色濃く残されていると言えましょう。  それだけでなく、資料四のように、国の地方自治体への関与の新しいルールを見ますと、法定受託事務の関与の類型として「指示」、「代執行」の規定があるのはもとより、自治事務につきましても、資料四のように「是正の要求」という強い関与の規定がございます。現行地方自治法では自治事務に対するこのような強い規制はないわけでございますが、もちろん行政指導というような形があるから、かえってこれをルール的にした方がいいんだという御意見もあるわけです。  いずれにしても、今回の分権法案は、国の権限を自治体に移譲して自治体の自主性自立性を拡大強化するという点から見ると、むしろ支配が強化されるという面が強いのではないだろうかというふうにも思われます。  関連して、五月二十四日に成立しました周辺事態法第九条では、有事が起きたら国は自治体に協力を要請できるとありますが、罰則規定はありません。しかし国会答弁では、政府は、自治体は国の要請に従う義務があると言っています。しかし、今回の地方自治法改正案では、緊急時には自治事務であっても国はその事務処理を指示できるとございます。ある意味で周辺事態法を補強するものとも言えます。  こうして見ますと、今回の分権法案は、むしろ地方の統制を強化する役割を持つのではないかという面があるのではないかと思います。  申しおくれましたが、分権一括法案は、地方自治法改正案と関連する個別法の改正法案を含めますと、我が国の現在の法律全体の約三分の一近い四百七十五本の法改正案になると言われていますので、問題が多岐にわたることもあり、慎重に審議を尽くしていただければいいのではないかと思います。  以下、さらに幾つかの問題点を申し上げたいと思います。  ここでは、地方自治法改正案のうち、必置規制の縮小、廃止の問題を取り上げますと、自治体の自立性を尊重するという名目で、児童福祉司などの職員や公立図書館長の司書資格規制の廃止のように、職員の資格、選任、配置基準等にかかわる必置規制の廃止などが提案されておりまして、地方自治法の別表が廃止されることになりましょう。これにつきましては、当該職員の配置基準あるいは施設の配置基準がナショナルミニマムの水準保障の点から見て廃止が適当かどうか、少し丁寧に見ていただくとありがたいのではないかと思います。  例えば、図書館法の一部改正案として、図書館長の司書資格要件の廃止、司書の配置基準の緩和などが提案されております。しかし、日本図書館協議会の要望によりますと、この資格要件は国庫補助金の交付要件であって、図書館運営方法についての規制ではないと考えていると言っております。しかも、既に九八年に図書館の建設費の補助金は廃止されているので、この補助金交付要件を必置規制として廃止する根拠はなくなっているのではないか。  ちょっとよくわかりにくいですけれども、図書館の設置率が現在四八%だそうでございますが、この実態から見ると、図書館法の精神はどちらかといえば図書館を町村に、一村に一つずつといったように全国につくるというような趣旨があるという点から見ると、どうも図書館法の精神をうまくくみ上げてくれているとは言えないんじゃないか。こういう国の責任としてのナショナルミニマムの保障の見地から、国庫補助金を廃止する場合にもいろいろ検討していただくと大変ありがたいと思います。  次に、地方議員定数は法律で削減する上限値の規定を提案していますが、例えば定数の標準を法定化し、地方自治体が条例で決めるようにする方が望ましいのではないかという考え方もございましょう。また、個別法としての現行の市町村合併特例法の改正案ですが、合併に伴い合併特例債を認めたり、都道府県知事が市町村合併協議会の設置を関係市町村にいわば勧めるというような内容になっております。しかし、合併に際しての住民投票制度は、住民の合併に関する発議は決めてございますが、投票制度まで決めるという方がすっきりするだろうと思いますけれども、聞くところによりますと、分権委員会ではいろんな点から考えてまだ尚早だという考え方をとっているようであります。  最後に、地方分権に伴う地方税財源の移譲の問題がございます。  地方分権推進委員会勧告地方自治体の歳出と歳入の乖離の実態に対し税財源の移譲の必要性は認めておりましたが、今回の分権法案では、国も地方もということになりますが、財源難という理由でまだ税財源の移譲については何も言っておりません。そうはいっても、地方債の許可制度については廃止する、協議の仕組みをこしらえるというようなことでありますが、税財源の移譲の問題については、今後とも積極的に中央省庁あるいは国会におかれましても議論していっていただくと本当の地方自治が花咲くのではないか。  今回の地方分権法案につきましては、さらに慎重審議を重ね、真の二十一世紀に向けての憲法を暮らしに生かすという趣旨の法改正が望まれると思います。  ありがとうございました。(拍手)
  10. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  以上で公述人方々の御意見の陳述は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  11. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 自由民主党の亀井でございます。  きょうは、先生方には、お忙しい中御出席をいただきまして、大変貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。これからもいろいろと御指導をちょうだいしたいと思うわけでもございます。  質問に先立ちまして、過ぐる集中豪雨によりまして、西部地区におきましては大変な方々が被害を受けられ、亡くなられた方も多いわけでございますが、私の地元広島でも大勢の方が亡くなりました。一昨日、昨日と現地を見舞いに回ってまいりましたけれども、被害を受けられた方々に、また亡くなられた方々に対し、心からお見舞い申し上げ、心からお悔やみ申し上げたいと思うわけでもございます。  それでは質問に入らせていただきます。  地方分権の問題についてでございますけれども、これは明治以来長い間続いてきた行政組織に大きくメスを入れ、変えていこうということでございまして、そういう意味では、今回は中央の行政組織の改正の問題と地方分権というのが二つの大きな車の両輪になっておるのではないかと思います。  これから特に地方分権の問題についてお話を聞きたいわけでございますけれども、この地方分権は単に中央の行政組織の減量化あるいは効率化のためにやられるのではなしに、やはり地方そのものの活性化あるいは地方の行政の主体性の確立という観点から取り組んでいかなければならない大事な問題だろうと私は思うわけでもございます。  先ほど来お話ございましたように、従来の機関委任事務が否定されまして、大幅に縮小されまして、そして法定受託事務という形になって縮小されておるわけでございます。都道府県によりましていろいろ違いますけれども、都道府県でも従来機関委任事務が大体七〇%ぐらいあったのが今回の改正で三〇%ぐらいになるだろうというふうな説明を受けております。また、市町村にありましては、従来は三〇%ぐらいだった機関委任事務法定受託事務として一五%ぐらいということで、いずれにいたしましても自治事務が大変大きくふえてきておるわけでもございます。  そういう意味では、これをどのようにやっていくかということが大きな課題でございますが、自治事務かあるいは法定受託事務にするかということにつきまして、先ほど成田先生からもお話ございましたようにいろんな議論があったようでございますが、そこの中で、確かに流れとしては地方分権地方に移していかなきゃならないんだけれども、しかし地方分権という名前だけで何でもかんでも移せばいいというものでもないだろうと私は思うわけであります。  その問題で一つ大事なのは、私は教育の問題だろうと思うわけであります。特に、義務教育を中心とした初等中等教育につきましては国が責任を持つべき立場にあるわけでありますから、これを地方公共団体、市町村に任せ切っていいものではないと私は思うわけでもございます。特に、今回の改正で文部省の教育に対する是正勧告も削除されましたし、また国の関与もできるだけ抑えるような形で法案がつくられておるわけであります。  私の地元広島の例をとってはまことに恐縮でございますけれども、広島の場合には、現実に市町村の教育委員会を初めとして教育現場に外部団体である解放同盟と同時にまた組合の方が一緒になりまして事実上支配している、見方によっては解放区になっているんじゃないかというような形で全く手がつけられない状況のところもあるわけでございまして、これをなすすべもなく見ている教育委員会の状況を見ますと本当にこれでいいのだろうかと思うわけでもございます。  そういう意味では、こうした情勢、いわゆる受け皿をちゃんとしないで地方分権という形で任せていくときに、地方の義務教育を初めとした初等中等教育はどうなるんだろうかという心配を非常にしておるわけでありまして、これは私だけではございませんで、広島県の心ある人たちは皆危惧しておるわけでございます。  そういう意味で、教育問題についての地方分権のあり方について、成田先生辻山先生にお話をお伺いしたいと思うわけであります。
  12. 成田頼明

    公述人成田頼明君) ただいま教育問題について御質問がございまして、教育問題については国の方がもう少しいろんな形でにらみをきかせた方がいいんじゃないか、こういう御意見だと思います。ところが、御承知のように終戦直後の改正ではこの教育権と警察権というものを完全に地方に移すということでいろんな改正が行われたわけですけれども、やってみるといろいろ問題があるということで、昭和三十一年ごろのいろんな改正で現在のような形に変わってまいりました。  教育の問題は確かに分権一つの対象になるわけでありますけれども、憲法でも義務教育制度というふうな規定がございますし、教育については無償の原則なども書いてございます。完全に分権するというなら、私はそれは憲法を改正しなければ国の責任というものはとれないだろうというふうに思っておりまして、憲法の範囲内でやはり国が教育について責任を持つということは言えると思うんです。ただしかし、現場の細かい教育のやり方まで全国画一で北海道から沖縄まで全く同じような形で同じようなことをいつも教えるというふうなことはいかがなものであろうか。  教科書あたりでも、例えば各地方ごとにある程度やはり地域の特殊性を生かしたものを採択するというふうな自由があってもよろしいだろうということでございまして、個々の問題に分けながら国と地方の役割分担というものをもう少し今後詰めていくべきじゃないかというふうに考えている次第でございます。
  13. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 今回の一括法案の中では、教育についての分権はかなり前向きに取り組まれているというふうに思います。  教育現場が解放区になっているかどうかというのは、私は広島の実情を承知しておりませんので、そのことについてはコメントできませんが、この問題は、実は制度の問題だけではなくて、親御さんたちが子供をどのように育てるかという思いの問題がございますので、先生御指摘のように、地方でそれぞれ勝手な教育システムにするというわけには多分いかないでしょうね。それは教育上の要請というよりはむしろ親御さんたちが何とかしていい学校へやりたいという思いがあって、自分のところはもう受験教育はしないんだぞというような地方自治というのはなかなか難しいという側面がございます。  ただ、今日の教育システムでは、逆にそのような親御さんたちの思いをどこかで封じ込めていないかということは心配されるわけであります。つまり、そのような声をちゃんと教育委員会なりが受けとめて、工夫できるところはできるようにしようという意味で今回分権改革の中で取り上げておりますけれども、私の本心は、やはりもう一度教育委員会の公選制を検討してはどうだろうか。御心配だとは思いますけれども、人材は育っておりますので、十分検討の余地はあるというふうに考えております。  以上です。
  14. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ただいまのお話で、成田先生の方から義務教育というのはやはり国の責任でやらなきゃならないんだというお話、そしてまた辻山先生からは、教育の問題についてはやはり地元の父兄の思いというものを十分体してやらなきゃいけないんだというお話をちょうだいしたわけでございます。  私もそうだと思うんですけれども、現実にはなかなか難しいのが現場でございまして、そういった形の中で、地方分権という形で教育についての権限が市町村の教育委員会の方に移っていくということについては非常に問題がありますので、そういう意味ではやはり文部省の方でいろんな形でこの問題については指導してもらわなきゃならないと思いますし、そのことについては方向としては間違いないだろうと思うんです。  外国の場合は、やはり教育についてはそのように市町村だとかそういうところに任せているんでしょうか。成田先生、どうぞ。
  15. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 私は、教育の方の制度については余り詳しくないのでございますけれども、恐らくアメリカなどの場合には、もともとの教育というものは公教育に入る前に民間の教会とかそういうところで始まったというような沿革があるようであります。教育についてそれぞれ州によって違ったシステムをとる、これは連邦制であるところでは各州に教育権が任されているところも多いわけですので、非常に多彩な教育が展開できるということもあると思います。  これに対して、ヨーロッパ諸国ではどちらかといいますと国が中心になってそういう義務教育のようなものから積み上げてきたというふうな実績がありまして、それが百年ないし百五十年の歴史の中でかなりそういうような国中心の仕組みから地方自治体が中心になって行うというふうな仕組みに移ってきているところもありますけれども、ただ、私が知っている限りでは、例えば小学校の休みなどについては、ドイツあたりでは全国画一じゃないようですね、州によってそれぞれ違っていると。休みもそうですから、教育内容もさまざまであるということもあるわけで、義務教育については国が責任を負うという建前であっても、そのために国が何でもかんでも全部やるという形にはもちろんなるべきじゃないというふうに思っているわけでございます。
  16. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。  それでは、次の質問に移らせていただきますが、地方分権となり、地方自治体がしっかりいろいろ仕事をしてもらわなきゃいけないんですけれども、何といいましても、企業の場合と同じでございまして、人、物、金が大事になるわけでありますが、特に先ほど成田先生もおっしゃったように、人が大事なんだということでございます。  私もそのとおりだと思いますけれども、果たして地方公共団体人材の育成がどの程度になっているんだろうかということを考えてみますと、私も県会議員として地方政治に携わって見ておりましたけれども、なかなか問題があるように思えてならないわけであります。  特に、県と市町村の間にはかなり人的能力の格差も大きいように思います、こう言ったらしかられるかもしれませんが、現実に。そして、市町村の場合には、人的な面を見ましても、採用が縁故採用を中心にしてかつてやられておったというふうな実績も引きずっているという現実を考えますと、相当地方の職員のレベルアップをやっていかなきゃならない問題があろうかと思うわけであります。  そういう意味では、この人材育成という大きな問題があるわけでございますし、同時にこれからどんどん地方に権限を譲っていくわけでございますから、人事交流もこれを補う意味においていろいろしていく必要があるのではないかと思うわけであります。  県と市町村、あるいは国と県または市町村との間でもうちょっと流動的にやっていかないと、こうした行政執行面においていろいろな問題が出てきやしないかというふうに感ずるわけでございますけれども、こうした人的な問題についてどのようにお考えでしょうか、成田先生
  17. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 今御指摘がございました人材の問題は、分権というのはやっぱり三ゲンの分権でなくちゃならないと。権限と人間と財源、この三ゲンの分権でなくちゃならないというふうに言われているわけで、非常に本質的な要素であると思われます。  ただ、この新しい仕組みの中で一体どういう人材が必要になるかといいますと、これまでのような、例えば法律に詳しいとかあるいは先例に詳しいというふうな人材ではだめだと思うんです。これからは自主的に物を考え、自主的に政策を決定し執行していく、そういう人が必要なわけでして、本当にどういう人材が必要なのかということをもう少し各地方自治体あるいは自治体の連合組織で考え直して、研修というものをやるにしても、恐らくその研修のやり方をかなり変えていかなければいけないのじゃないかというふうに思うんです。  そこまで人材のことを考えて措置をしている自治体というものはないようでして、自治体の人材確保の方式はいろいろ実際にやられていますけれども、まだまだ十分ではないのではないかというふうに思っています。  ただ、先ほどお話がございましたけれども、民間の方を途中で公務員に採用するということも必要でしょうし、それから現に、今の行政では情報処理の専門家というものを含めていろんな専門家が必要なわけでありまして、これは採用試験の方法も変えていかなきゃいけないのじゃないかというふうに思います。
  18. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。  それでは次に、行政評価の問題について、上山先生にお尋ねしたいんです。  私も民間企業におりましたけれども、常にプラン・ドゥー・シーをいかにしていくかということが大事であり、シーの分野をしっかりやっていかなければ次に行けないわけでございます。しかし、行政の面を見ておりますと、プラン・ドゥー・プラン・ドゥーで回っているケースがほとんどでございまして、シーの分野が非常におくれているように思うわけでもございます。  そういう意味では、この行政評価という問題にしっかり取り組んでいかなきゃならないと思うわけでございますし、中央省庁の関係では例の独立行政法人の関係から評価委員会というものを各省庁に設けることになるということで、結果を見ていこうという動きが出ておるわけでございます。新しい動きだと思うんですが、これを地方公共団体に当てはめたときに、どのような形で地方公共団体の行政評価をやっていったらいいのかといろいろと考えましたけれども、なかなかよくわからないわけであります。  地方議会というのは、中央の国会と違いまして、チェック機能を十分果たしておればそれでいいのかという考え方もあろうかと思いますし、また地元の町民、村民がみんなそういう目でチェックしていくのが最大の行政評価かと思います。しかし、それについてもうちょっとシステマチックにやるような方法はないものだろうかと思うんですけれども、何かいいお考えがございましたらお教え願いたいと思います。
  19. 上山信一

    公述人上山信一君) 行政評価の重要性はまさに先生のおっしゃるとおりで、中央省庁では政策評価というシステムが入る体制ができてきておりますけれども、地方においても同様のものが必要だというふうに思います。現状では、三重県あるいは静岡県など一部の都道府県でやられているほかは、市町村レベルではまだ非常に限られている、こういう状況です。  それで、ただ海外の状況を見ますと、自然発生的に生まれてきましたこの行政評価ですが、国よりはむしろ自治体の方が導入が早く進んでおります。というのは、比較的単位が小さいということ、それから首長さんが権限をいわば民間企業の社長のように握っていて比較的全体をコントロールしやすいというようなことで、企業の経営手法というのはまず自治体に入って、それからいろんな実験を経て中央政府に及んでいるというのが大体各国の状況であります。我が国においても、私は恐らく政令指定都市、特に札幌、仙台、広島、福岡というようなサイズの小さい政令指定都市で実験的な試みがなされていくといいんではないかというふうに思います。  議会の役割、それから首長の役割、これは確かに地方議会は国会ほど強力ではないというふうに私も感じております。海外では、行政評価というのは新任の首長さんが行政の中身を理解するための実は最高の教科書である、あるいは議員さんも国に比べますと素人の方が多いわけですけれども、行政の中身を簡単に理解する上では不可欠であるというふうによく言われておりますので、やはり地方議会あるいは首長の質を上げていく、あるいは先ほどの地方人材の問題、受け皿の人材強化、こういうことを進めていく上でも行政評価というのは非常にいい入り口になるのではないかというふうに考えております。
  20. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 今お話がございましたように、行政評価はどのようにやっていくかということが抽象的にはよくわかるんですけれども、具体的に何かこういう形でやってうまくいったというような例があれば御紹介いただければと思うんです。
  21. 上山信一

    公述人上山信一君) 国内ではまさにまだ始まったばかりなんですけれども、一部の施設、例えば福祉施設のようなところでは、行政評価という名前は使っておりませんが、福祉施設の例えば具体的なお客様、入居者の満足度を測定したり、あるいは入居者一人当たりのコストというものをよその施設と比べたり、民間と比べたりといったような個別の施設レベルでの効率評価というようなところから始めるのが非常にやりやすいというふうに思います。例えば図書館であるとか地下鉄であるとか、住民の身の回りにある身近な施設で、かつ料金を具体的に払っているような施設、ここから始めるのがいいというふうに思います。  例えば図書館でも、一人平均ある市で年間七冊借りているというようなデータは簡単にとれるわけです。一方で、市の予算、地方税一人当たり幾ら取っているか。これを頭で割って比べていって、図書館に割かれている予算がトータルで例えば二万一千円である、それで七冊だということだと一冊三千円もかかっているのではないか、それだったら自分で本を買った方がいいんだというような非常にわかりやすい比較ができます。  したがって、自治体レベルで税金と具体的に突き合わせて、それぞれの施設で幾らかかっているのかというようなあたりを出していくところから始めていくといいのではないかと思います。
  22. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。  行政評価といっても、すぐに頭に何か委員会をつくったりなんかというのが浮かんでくるわけでありますけれども、むしろそうじゃなしに、先生おっしゃったように、細かい具体的な日常の生活に絡むようなことについて行政がどんなことをしてくれているんだということをつぶさに見て、それを評価していくというところから始めるべきだというふうにお教えいただいたと思ったんですが、そういうふうに理解してよろしゅうございますね。  そのようにやらなければならないということがよくわかりました。  それでは次に、人、物、金の金の問題でございます。地方分権で権限をもらうのは結構だけれども、しかしお金の方はどうしてくれるんだという声が各市町村から強く出ておるわけでございます。  そういう意味では、こうした税財源の問題については委員会でもこれまでいろいろと質問が出たわけでございますけれども、これにつきましては、政府の方の答弁は、経済情勢の推移や税制の抜本的改革の方向を見きわめつつ総合的に検討して地方税の充実確保を図っていきたいというふうな回答にまだとどまっておるわけでございますし、これから進む中で具体的にいろいろなことが検討されることになろうかと思います。  国の税収そのものが六十兆円から四十七兆円に下がっている状況でもございますし、大変厳しい中でのこうした地方分権、金の問題をどうするかということに対してどう考えていったらいいのか、成田先生からお話をちょうだいしたいと思います。
  23. 成田頼明

    公述人成田頼明君) この財源の問題は非常に本質的な問題であるということはおっしゃるとおりでございまして、私も冒頭の陳述でも申し上げましたように、この面で足りないところがたくさんあったというふうに思っております。  ただ、四次勧告では、具体的な形ではございませんけれども、一般的な方向性というのはかなり示しております。今、国全体の税収と国全体の歳出及び地方自治体のそれとの対比におけるアンバランス、これはなるべくそういうアンバランスがないようにすべきであるとか、あるいは景気の変動等に影響を受けないような確実な財源というものを与えるべきであるとかいうことがいろいろ書いてございます。  ただ、具体的な数字になりますと、当時のいろんな状況のもとでやっぱり書くことができなかったということなどもございますし、ちょうどこの問題を審議しておりますときに財政構造改革の問題が起こりまして、国会でもそのために緊急にということで法律をおつくりになったということがあるわけです。そこでいろいろ議論をするということでもございましたので、分権推進委員会ではそこの審議にお任せをするということで余り踏み込めなかったということもございます。  それから、税制の問題については、何分、地方税制調査会というのはございませんで、すべてを含めて国の税制調査会で現在いろいろ審議をされているわけでございます。そういった意味で、税制改革の問題等についてはもう少し広い視野から国、地方全体を通じて検討なされるべきではないかというふうに思うわけで、私は事務の配分に見合った税制あるいは財源の移転というものがいろんな面で不可欠であるというふうに思っておりまして、それはこれからの課題でございます。国会皆様方の方でもその点は特に肝にお銘じになりまして、ひとついろんなことをお考えいただきたいというふうに思っておるわけでございます。
  24. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。  いろいろとお話を聞いてきたんですが、最後にそういう意味ではもう一度金の問題なんですけれども、辻山先生にお考えをひとつお聞かせ願いたいと思うんですが、どういう形で考えていったらいいんでしょうか。
  25. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 地方自治体を歩いておりますと、分権するなら金よこせという合唱が聞こえてくるのですが、私は分権に伴う今回の税財政改革というのは必然ではないと言っております。  つまり、従来からやっていた機関委任事務自治事務に変わるだけなのだから、権限移譲された一部のものを除いてはそんなに事務量はふえないのだ、むしろこれは分権に伴うというよりは従来から続いてきた財政構造といいましょうか、国、地方の財政構造の問題をどう考えるか、そういう意味では分権推進委員会勧告についていろいろな御批判はありますけれども、考え方は示されている。国が負担すべきものは黙って負担する、この原則を立てて負担金と補助金は分けよう、そして補助金も余り細かい条件をつけずにできるだけ地方で自由に使えるようにしていこうじゃないか、この考え方で多分いいんだと私は思っておりまして、ぜひ近いうちに抜本的な検討をお願いしたいというふうに思っております。  ただ、税を地方へ移せばいいかといいますと、これは税源の偏在がございますので、地方を全部ばらばらにしてしまうならともかく、国としてやっていこうというときには何らかの財政調整の仕組みは残さざるを得ないのかなというふうには考えております。  以上です。
  26. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 どうもありがとうございました。  いろいろと貴重なお話をお伺いしたわけでございますけれども、地方分権と一言で言ってもなかなか人の問題、金の問題等々問題があるわけでございまして、こういう問題につきまして、きょう先生からお聞きしましたお話等を参考にしながらまたみんなで頑張っていかなければならないと思います。  どうもありがとうございました。(拍手)
  27. 山下八洲夫

    山下洲夫君 公述人の先生の皆さん、本日はありがとうございます。民主党・新緑風会の山下八洲夫でございます。どうぞよろしくお願いします。  先ほど成田先生の公述をお聞きしておりまして、結論を先に申し上げますと、今回はおおよそ六十点ぐらいではないか、このような評価をなさいました。その前に、それこそ先生が専門委員として第四次の勧告まで大変な御苦労をいただきましたことにつきまして感謝申し上げる次第でございますが、きっとあの発言はおなかの中では百点ぐらいつけたいなというような気持ちの六十点ではないかなというような気持ちで私はお聞きしておりました。  私自身はまた全く逆でございまして、今回のこの地方分権の一括法は、富士山で例えますとようやく一合目へ登り上げた、先ほど上山先生の発言にもございましたけれども、これから二合目、三合目へと登っていかないといけないのではないか、このような気持ちで審議に積極的に参加をいたしている次第でございます。  と申しますのは、ある意味では現行法よりかなり強化されたのではないか、このような気がいたしております。特に、地方自治法の二百四十五条の五につきましてはその典型的なものではないか。現行法で申し上げますと、二百四十六条の二で、是正措置要求は内閣総理大臣しかできないわけでございますが、今度の新しい二百四十五条の五では各大臣に是正の要求ができるわけでございますから、かえって地方自治体としては、それぞれの大臣が結構是正の要求をしてくるのではないか、このような心配もされるところだと思います。ですから、そのような点から辻山公述人はここを一番破棄すべきだと、そんな強い発言もございましたが、私もその点につきましては、ある意味では同感でございます。  そういう中で、特に私は地方分権ということになれば、どうもまだまだ中央の皆さん方はお上意識が抜けない、このように思えてなりません。常に中央と地方とか、あるいは国と地方とか、このようなとらえ方で今回も地方分権というふうになっているわけです。私はそうではなくて、少なくとも中央と地方ではなくて中央と地域地域分権、この方が本来なら正しいのではないか、それが将来に向かっての対等、協力関係に移っていく、このように考えているわけでございますが、その観点から成田公述人辻山公述人の御意見をいただきたいと思います。
  28. 成田頼明

    公述人成田頼明君) ただいまの御質問にお答えいたしますけれども、特に是正要求については現行法より強化されたのではないか、こういうことでございます。これは確かに両方の条文を読み比べてみますと、片方には従わなければならないというふうな規定が入っていて、形の上では強化されたように見えるわけですけれども、現在、二百四十六条の二の内閣総理大臣の措置要求というのは、これは余り発動されていません。これは御存じのとおりだと思うんです。ところが、実際には機関委任事務に八割ぐらいの仕事が特に県の場合にはございまして、それを通じていろんな指揮監督がなされています。この指揮監督には限界もなければ制限もないわけです。  それで、かつて参議院議員でございました宮澤先生がおっしゃっておられますけれども、広島県知事の時代に、雨のように通達が降ってくる、しかもその通達は勧告なのか要望なのか、あるいはこうしろという指示なのか全くわからない、法律的に違法だというのか、これは望ましくないということなのかもわからないと。非常に不透明なわけです。場合によっては電話で呼びつけてしかりおいたり、そういうこともいろいろやっているわけです。  しかし、今度は事自治事務に関してはそういうことは一切やらせない、こういう前提が全体を読み比べてくださいますと明らかになるわけでございまして、現状よりはるかによくなっているというふうなことだと思います。  それから、義務規定につきましては、義務といってもいろいろございまして、例えば努力義務というのがございますし、先ほど話がありました協力義務というのもございますし、それから措置を具体的にとらなきゃならない義務というのもございます。さらに、制裁とか代執行については非常に強い義務というのもあります。  この場合の措置を講じなきゃならないという義務は、これは義務とは申しましても義務の程度はそんなに制裁もなければ軽いのじゃないかというふうに思うんです。しかもそれは、結局変なことを言ってきた場合には、これは国地方係争処理委員会に提訴をして、そこで決着をつけてもらう。そこで筋目を通そうということになるわけですから、これから恐らく指示を発する方も主務大臣ということで若干広くはなりますけれども、やっぱり下手をすると後から恥をかくかもしらぬ、下手をすると裁判所まで行くかもしらぬ、そういうことを考えながら要求をするということになります。しかも、それは文書にちゃんと理由を書いて渡すということになるわけですから、これは現在に比べますと、もちろん百点とは申しませんけれども、非常に大きな改善になるんじゃないかというふうに思っているわけでございまして、決して強化ではないというふうに思います。  それから、地域分権でなくちゃならないということの意味は、私はよく理解できない点はございますけれども、例えば現在の市町村をもう少し大きくして、あるいは県も大きくして、それでリージョナルのような形に持っていって、その上で自治を考える、あるいはそういうところに主権を持たせて連邦制に持っていく。いろんなことがあるかと思いますけれども、この種の問題は、まず分権をやってみて、そこから出てきた問題を考えながら次のステップでおっしゃるようなことをどう考えていくかということになっていくんじゃないかというふうに思います。
  29. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) お答えいたします。  まず、是正の要求の問題でありますけれども、随分とこれまで国会で議論されてきておりまして、論点はそろそろ出終わったのかなというふうに思っていますが、ただ決定的な観点が抜けているんです。  それは、分権推進委員会でお仕事をされた成田先生の前でなんですけれども、ついに推進委員会は自治事務とはどういう性質の事務であるかということを定義しなかったんです。法定受託事務以外のものはすべて自治事務と、こういうふうに定義してしまいました。これは積極的な意味はあるんです。自治事務の範囲を広く推定できる、それ以外のものは全部自治事務だ、そういう意味はあるんですが、実は自治事務法定受託事務の違いというものがきっちりと定義されていないという問題なんです。  考えるべきなのは、先ほどの公述でも申しましたけれども、今回の機関委任事務制度の廃止というのは、今日の状況というのは当時の状況と変わったのだということを前提にしなければいけないわけでありまして、まさに地域住民の自己決定にゆだねるべき領域というものがふえてきたのだ、そこに自治事務というものを配置したわけですから、自治事務とはまさに地域責任地域の決定によって実施していく、こういう性格づけをして、それが制度全体を貫く原理にならなければいけない。したがって、自治事務に対して国の関与というのはそもそもあり得ないのだという原則を貫くべきなのであります。  今、成田先生がおっしゃったように、いや、係争処理で第三者機関で審理が受けられるし、訴訟もあるではないか。私に言わせれば、自治事務について何で国と争わなきゃいけないような事態が生じるのだということなんです。それは、地域に任せているんだから争うようなことが起きてはいけないのだという前提でございますので、先ほども申し上げたように、わざわざ非常に下品な第五項というのは取ってしまっても何の不都合もないのだというふうに考えております。
  30. 山下八洲夫

    山下洲夫君 係争処理委員会の件でございますが、私もそういう意味では辻山先生と考えがやや近いなというふうにお聞かせいただきました。  特に、成田先生、係争処理委員会に持ち込む場合は、要するに国が関与をして、そして地方公共団体がその関与に従わなかった場合に係争処理委員会に地方公共団体が持ち込まなくてはいけないんです。私は、このようなシステムを残すのであれば、地方をそんなにいじめるのではなくて、せっかく対等、協力関係に将来持っていこうというのであれば、国が逆に係争処理委員会へ持ち込めばいいと思うんです。その道はなくて、地方団体が持ち込まなくてはいけない。もともと地方は、国から何か関与されますともうすぐ言うことを聞くのが今日までの状態なんです。  それをあえてこのように強化すべきではないというふうに考えますので、もう一度その点についての御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  31. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 係争処理委員会につきましては、これはやはりこういう仕組みができる以上は駆け込み寺が要るだろう。今まで泣き寝入りしていたわけですね。国から言われると御無理ごもっとも、お上の言われることだから拳々服膺いたしますということで、内心いろいろじくじたるものがあっても従わざるを得なかったという非常に陰湿な関係になっていたわけです。一般国民の場合にもそういう形で、消費者とかいろいろなところで不満があって、それでやっぱりオンブズマンができたり、あるいはそういった紛争処理委員会ができたりしているわけです。  やはり私は、民主主義社会で対等な関係になる場合には、どこかで調整機関がなくちゃいけない。それは恐らく裁判所が最終的な調整機関になるんだと思うんですけれども、これは国とともに行政を担当する、国と地方関係でありますので、これは市民社会的な意味における法律上の争訟というふうな形の紛争ではないだろうと思うんです。そこで、それはやっぱりなるべく行政部内でおさめる、こういうことで仕組まれたこの制度であるわけです。  これは、初めはもちろん国の方からもそこに持ち込んでいく、いろんな地方公共団体が指示を聞かない場合に聞くように、そこに国から持ち込んでいく、こういったようなことも審議の途中で考えたことがありますけれども、これはいろんな理由がありまして、地方公共団体から一方的に持ち込んでいくという形のものになって今日に至っているわけです。  先ほど辻山公述人がおっしゃいましたように、なるべく紛争は起こらない方がいい。これは確かにそのとおりだと思うんです。対等、協力関係で仲よくやれば紛争は起きるはずがない、こういった考え方もあるわけあります。これは中央官庁とヒアリングをやりましたときも、かなりの官庁からそう言われました。  私ども、こういうものが余り門前市をなすような状態は好ましくないんだというふうに思うんですけれども、やっぱりだれか中立的な者が間に入って、そこの間をつないでいくということがぜひ必要であろう。しかも、その運営は公正、透明にしていく必要がある。こういうことで仕組んだ制度でございまして、私はこの仕組みは今度の新しい一括法では欠くことができない目玉商品の一つだというふうに信じているところでございます。
  32. 山下八洲夫

    山下洲夫君 上山先生にお尋ねしたいと思います。  先ほど経営改革の視点が余りないんではないか、このような意見陳述もございました。  率直に申し上げまして、私は、今回法定受託事務自治事務、大体四五対五五ぐらいになってまいりましたので、そういう意味では今日よりは少しはよくなったのかなという気持ちは率直に言って持っています、たくさん問題点はございますけれども。  そういう中で、先ほども三ゲンの議論がございましたけれども、私は、権限の移譲も大変重要でございますが、それ以上に税財源の移譲がもっと重要だと受けとめております。特に、権限はそれほどなくても、お金さえあれば不思議といろいろな改革もやっていけますし、いろいろな思い切った行政もやっていけるわけでございますが、今回は、そういう意味では、税にいたしましても財源にいたしましても、全然移譲はなされていないんです。  辻山公述人は、それは今まで機関委任事務としてやっていたんだから、それが廃止されて自治事務になってそんなにコストはかかっていないんだというような御発言もありましたけれども、地方分権をより推進するためにはこの税財源を早急に、今、日本の状態が税財源を移譲するのが大変困難であると仮にすれば、三年後にはこのように税財源は移譲しますよとか、こういうものが並行してくればかなり変わっていくんではないかというふうに私は考えているんです。  その点、今回の、私が一合目へ登った程度と申し上げましたのは、税財源については全然触れられていないものですから、その点も含めて申し上げた次第でございますが、その辺につきまして、上山公述人それから辻山公述人の御意見を拝聴させていただきたいと思います。
  33. 上山信一

    公述人上山信一君) 先生の御指摘、全く私も同感でありまして、権限というのは六年前には恐らく非常に大きなテーマだったろうかと思いますけれども、現在、自治体の方々のお話を聞きましても、財政問題というのがやはり最大の課題である。しかも、国の公共事業のツケの分でありますとかあるいは法人税の落ち込みの分、こういうものが全部自治体に集約して出ておりまして、この問題は国家的最重要経営課題でありまして、その問題に関してはまた別途、今回の分権問題以上のテーマとして議論されるべきではないかというふうに思います。  財源問題そのものについて私の考え方は二点ありまして、一つは、財政的に自立できるような地域、ここに関しては何年後と言わずに、もうかなり任せてしまっていいのではないか。例えば起債の権限でありますとかあるいは一部の事業の民営化であるとか、あるいは場合によっては増税、減税、こういうような権限に関しましても、政令指定市あるいは一定の要件をクリアしているような自治体に関しては、もうどんどん自由にやらせるということでいいと思います。  逆に、実行経営能力のない自治体というのはやはり現実にはあります。これは、地域割りが悪くてどうしても万年赤字的な財政構造になってしまうというような状況が多くあるわけですし、場合によっては放漫財政あるいはバブルの時期に変な投資をした、こういうところもあるわけです。これは私は逆に、これこそ自治省が責任をとるべきであるというふうに思います。  財政再建団体になるのは恥であるというような風潮がありますけれども、もともとアフリカの諸国の国境と同じように、無理のある国境といいますか市町村のくくりがある地域では、財政的に自立しようと思ってもできないわけでありますから、こういうところに関してはむしろかなり中央の関与を深めてもいいんじゃないか。  イギリスの改革の例を見ましても、サッチャー政権がやったことはいろいろ賛否両論ありますけれども、かなり放漫的な経営をしている自治体に関しては、例えば経常収支で一%赤字が出た場合には六%地方税が増税されるというようないわば懲罰的な税制を組んだりしてかなり抑制に励んでおった、こういうことがあります。ですから、政治的なリーダーシップもなく財源もないような地域に関しては国がむしろ責任を積極的にとるべきである、こういうふうに考えます。  以上であります。
  34. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 先ほどの私の発言、少し誤解があるかなと思いました。  要するに、今回の分権一括法の中に税財源改革がほとんど含まれていないという問題について、分権絡みではない課題ではないかと申し上げました。今、上山公述人からもありましたように、まさにそれは分権以上の課題かもしれない、そういう認識でございます。  したがって、今、先生おっしゃったように、せめて何年以内にはやるぞということを国会ではっきりさせていただくというスケジュールを示していただく、今現在は出ておりませんけれども、何年以内にはやると。御答弁があったと思いますが、例えば実質成長率二%ぐらいになったら考えましょうとかそういうわけのわからないことを言わずに、これは金が入ってきたから分けるという話ではなくて構造を変えるという問題ですので、ぜひとも何年以内というような御決断をしていただくことを要求したいと思います。
  35. 山下八洲夫

    山下洲夫君 小沢先生には大変失礼いたしましたが、時間になりましたので終わらせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  36. 弘友和夫

    弘友和夫君 公明党の弘友でございます。  私は持ち時間が十五分でございますので、本来であれば全先生方に御意見をお伺いしたいんですけれども、お伺いできない場合もあるので御了承いただきたいと思います。  先ほど来、行政評価の問題が取り上げられておりましたけれども、私どもは、ぜひとも行政評価法というのを制定して、国であれ地方であれ、これはぜひ必要だと、このように思って主張しているわけでございます。  先日、この委員会におきまして参考人の御意見をお伺いしたら、私も意外に思ったんですけれども、余り必要ないんじゃないかという御意見もありました。といいますのは、これはやっても余り効果がないと。私は、多分従来の行政への評価という感覚があってそうした御意見、不信感といいますか、中央にしても地方にしても行政に対する不信感の上でこう言われているんだろうと思うんですけれども、上山公述人にその行政評価の必要性といいますか、先ほど来強調されておりましたけれども、ぜひもう一度御意見をお伺いしたいと思います。
  37. 上山信一

    公述人上山信一君) 行政評価に関しましては、確かに先生おっしゃるとおり、言葉はある程度広がってまいりましたが、その中身がどういうものであるか、あるいは本当に必要かどうかというのはまだ十分議論されていないというふうに思います。  行政評価の最大の眼目は、評価した結果を議会及びパブリックに、一般に公開するということ、これが必須条件であります。それからもう一つは、予算の審議に必ずそれをリンクさせるというのを義務づけるということでございます。この二つがない限りは余り画期的なものではないというふうになります。  今、関係者関係者といいますのは財政当局の方々あるいは一部の研究者方々とお話をすると、行政評価は要らないという御意見もたまにお聞きするんですが、その多くは二つに分けられます。  一つはもうやっているという意見ですね。これは財政当局の方に多いんですが、自分は大変な勉強をしている、各事業部門から出てくる案に関しても何が優先で去年つけた幾らの予算が一体どのように使われたか、こういうのはもう当然予算の査定のプロセスでやっておるんだ、であるがゆえに、さらに行政評価などというのは余計である、こういう意見があります。  これに対して私は、それは、財政当局が国民主権に成りかわって財政当局主権というふうに憲法に書いてあるのであれば全くごもっともであるけれども、財政当局に予算の査定権を引き渡した覚えは議会も国民もないということでもって反論したいというふうに思います。  税金を払うときは極めて精緻な書類を要求され、大変な時間と労力を一般国民は使っておりますが、それをどう使ったかということに関してはほとんど説明がない。これは全くおかしな話でありまして、このようなことを続けておりますと、二十一世紀の日本では納税拒否運動というのが起きてもおかしくないというふうに思います。  したがって、当然、税金の使われ方というのは説明するべきであるし、予算の査定のときにヒアリングをやっているというものと行政評価は全く違うということです。  それから、もう一つあります反論は、かつてPPBS、プランニング・プログラミング・バジェッティング・システムというのを七〇年代アメリカあるいは日本でも一部やって失敗したではないか、こういう議論があります。  これも、実は行政当局の中で評価をやってそれを予算に直接リンクさせようというような、いわばかなり無理のあることをやろうとしたので失敗したわけであります。  専門家がデータをとって専門家的見地から予算を組むというのをPPBSというふうに当時呼んでいたわけですが、私の主張しております行政評価というのは、専門家にはもう任せない、数字をとるのは専門家に任せますが、それを解釈するのは議会と国民である。したがって、情報開示、情報公開とセットで行政評価をとらえて、むしろ行政当局の外の人たちが政策を評価し議論するための材料を提供しろというのが行政評価である、こういう考え方です。  したがいまして、これは情報をめぐる戦いでありまして、財政当局それから各実施官庁から正しい情報をとって、しかも出さない場合には予算をつけない、こういうことをやる必要がありますので、ぜひとも法制化をお願いしたいと思っておる次第です。
  38. 弘友和夫

    弘友和夫君 先ほど戦後処理としては評価するけれども、二十一世紀へ向けての改革とは思わない、全然評価がないという今回の改革。私は必ずしもそうは思っておりません。  あのクリントン、ゴアの連邦政府改革にしましても、日本の場合は権限移譲だとかいろいろな部分でどこがやるのかというのが大事ですけれども、アメリカのクリントン、ゴアの改革にしても、要するにどこがやるんだということじゃなくて何をやるかというのが一番大事だと。国民にとっては、それが機関委任事務であろうと自治事務であろうと何であろうと、どこがやっているかというよりも、どういうサービスを受けられるのかというのがやはり大事じゃないかという観点からやっておられる。しかしながら、権限移譲というのは大事だと私は思っております。  そういう中でこれを進めていきましたら、自治体レベルでは非常にそういう行政評価しやすい部分というのはございますけれども、国の行政、例えば外交だとか防衛だとか、また、この間、石原都知事が視察をされて、非常に赤字を出している文化的な施設へ行って、しかし文化はお金ではかれないようなことを言われておりました。そういう文化だとか、そういう部分に対して行政評価をしていくどういう観点というのがあるのかなというふうに思うんですけれども、ちょっとお尋ねします。
  39. 上山信一

    公述人上山信一君) 行政評価は決して一律の仕組みでできるものではありません。行政のやっている仕事には、例えば日米安全保障政策といったような非常に枠の大きなものもありますし、先ほど私が資料で少し御説明をした、初等教育の中の例えばパソコンリテラシーを上げていくためのプログラムといったような施策レベルのものもあります。そして、現場レベルでは国道何号線の何とか陸橋のつけかえといったような非常に具体的な作業があります。  この三つのレベルに分けて、評価のやり方は当然違ってまいります。特に、目的に合わせて考えるべきなんですけれども、現場の施設に関してはそこの利用者が満足したかどうか、あるいは利用者一人当たりのコストが幾らかといったような非常にわかりやすい作業をやるのが必須だと思います。  国の場合難しいのは、結構抽象度の高い施策あるいは政策レベルのものが多いということですが、私は、これは情報公開のプロセスというふうにとらえ直していただければ比較的わかりやすいんじゃないかと思います。  すなわち、国のやっている施策は全部で何本あるのか数えたことはありませんけれども、恐らく千や二千の単位では下らないと思いますが、それぞれに関して予算がついている、それぞれに関して人がついている。それに関して具体的に何をやったのかまず情報公開していただいて、それを去年と比べる。あるいは、もし民間に任せたらどうなるんだろうという議論をそのデータに基づいてやる。あるいは、そこのパフォーマンスが悪い場合は予算をもっとつけようという議論があってもいいし、逆に効果がないんだったらもうやめてしまえという議論があってもいいし、優先順位に向けてまともな議論をしていく一つのプラットホームだろうというふうに思います。  ですから、一律に単に評価をしたから政策が決まるものではなくて、これは議論のベースを提供するものとしてのいわば必需品だというふうに考えてはどうかと思います。  日本語の訳でたまたま私は行政評価と訳したんですが、英語はパフォーマンスメジャーメント、つまり業績測定をするというのが英語の本来の言葉でありまして、税金の対価として一体何をやろうとしているのか、どこまでできたかを開示するというのがまずは行政評価のとりあえずの目標であります。
  40. 弘友和夫

    弘友和夫君 成田公述人辻山公述人にもお尋ねしたいんですけれども、地方分権をまとめられた、また地方自治の御専門の立場から、地方自治体への行政評価の導入というか、まさしくこれは、自治事務がふえればふえるほど、私はそういう評価をしながら、今の情報公開もしながら、また市民の皆さんとそういう意見を交換しながらやっていく。  私は出身が北九州ですが、北九州では出前講演という行政が出かけていって市民の皆さんともよく話し合う、そしてどういう行政の要望があるのかというのも聞いていくというようなことをやっているんですけれども、行政評価についてお二人の御意見をお尋ねしたいと思います。
  41. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 行政評価につきましては、現在国の方でもいろいろ考えられているという事情がございますし、地方公共団体も先進的なところで実験的にいろいろ始めているということもございます。  ただ、この問題につきましては、先ほどもちょっと出ておりましたけれども、一体何を対象として評価するのか、それからその評価基準を一体どうするのか、さらにそこから出てきた結果を一体どうするのか、こういったいろんな問題がございます。ですから、現在まだ試行錯誤段階でございまして、そこでいろいろな実験をしてみて、そこから出てきた成果をもとにして法制化を考えるなら考えるというふうにした方がいいと思うんです。  それで私は、行政評価は、自治事務であろうと法定受託事務であろうとこれは全部地方公共団体仕事ですから、両者を対象にすべきだと思うんです。  ただ、法定受託事務の方は法令等で割合細かい処理の基準というのが決まっていますので、自治体に裁量の自由がないということはあると思うんですけれども、ただ、それが非常に非効率的なものであれば、むしろ自治体の連合体あたりが一緒になって、そういうことはやめてほしいとか、そういう形で意見具申をするということも今度はあり得ると思うんです。  一番難しいのは、どういう対象で、どういう基準でやるかということになるわけで、これは下手をいたしますと、ただ費用対効果というふうな基準でいいますと、例えば情報公開制度というようなものは非常に金がかかるわけです。ところが、上がってくる成果というのは、目に見えた成果ははっきり出てこない。長期的にはそれはきいてくるんだろうと思うんですけれども、なかなか一年ぐらいの評価じゃ出てこないということになるわけなので、私は、対象をどうとるか、基準をどうとるかということは非常に難しい問題になるんじゃないかというふうに思います。
  42. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 行政評価についてのお尋ねですけれども、実は余り詳細の議論を承知しておりませんで、上山先生の著書を今読んだりして勉強している最中でございます。ただ、考え方としては、恐らくこれからの行政のありようというようなものを大きく変えていくきっかけになるのではないかというふうに漠然と思っております。  先生お尋ねの行政評価法でしょうか、これをいわゆる自治体全般に行政評価の導入とそのやり方を義務づけるというような法律案としてお考えだとすれば、それは私は余り賛成しないのでありまして、今各地で検討されている成果をみんなが参照しながら、それぞれの自治体で評価の方針と仕組みをつくっていくべきだというふうに考えております。
  43. 弘友和夫

    弘友和夫君 上山公述人、今、成田公述人辻山公述人は費用対効果の判定が非常に難しいと。確かに私、先ほど言いましたように難しい部分はございますけれども、そう言っておればなかなか進まないというか、私は、言われているように、とらえどころのない行政だからこそ数値ではかるべきだと思うんです。もう時間が来ました。最後に、一言それに対するお答えをいただきたい。
  44. 上山信一

    公述人上山信一君) だれが評価するのかというのが非常に重要な問題でありまして、行政のプロにとっては満足できない数字でも、一般国民、議会の皆さんからするとのどから手が出るほど欲しい数字、それがないというのが今の日本の現実です。まず数字を出していただく、そこから始まると思います。
  45. 弘友和夫

    弘友和夫君 どうもありがとうございました。(拍手)
  46. 富樫練三

    ○富樫練三君 日本共産党の富樫練三でございます。  お忙しいところをありがとうございます。十五分の時間ですので、なるべく皆さんの御意見をぜひ伺いたいと思いますけれども、不十分でありましたらお許しをいただきたいと思います。  最初に、辻山先生に一点まず伺いたいんですけれども、先ほど是正の要求について、最初から個別の問題に入って大変恐縮なんですけれども、これは削除した方がよろしいのではないか、こういう御意見がありました。私も同じような意見を持っているわけなんですけれども、ここのところをひとつ教えていただきたいんです。  今度の是正の要求というのは、法律の中で、違法状態にあるとき、それから適正を欠き公益を害している場合、その場合に是正の要求をするんだ、それに対しては地方自治体は従う義務がある、こういうふうになっているわけなんです。  ここで、法律論の立場から教えていただきたいわけなんですけれども、国の方が、大臣が、これは違法状態であるというふうに断定する、あるいは公益に非常に害を与えている、こういうことを断定する、断定するから従わなくちゃならない、こうなるわけなんですが、これを断定する権限が行政機関である内閣あるいは大臣にあるのかどうかという問題です。  これは司法権との関係、かかわりでどのように見るべきか、この点をまず最初に教えていただきたいんですが。
  47. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 今お尋ねの問題は、内閣の行政権の及ぶ範囲という、国会でやられてきた議論に関係があると思いますが、少なくとも従来はこの行政権が地方自治体の事務にまで及ぶというふうに理解されていたせいかどうか、行政の判断がいわば有権的な解釈として通用してきた、そういう状況がございました。  今回、自治事務法定受託事務と分けたのは、まさにこの一定の行政権が及ぶ範囲と、そうではなくて自治体の自己決定に任せる部分とに分けるということが主な目的であったというふうに思いますので、当然ながら、一方的に各省の大臣が違法状態である、あるいは著しく適正を欠き、かつ公益を害しているという判断をして、それで是正の要求をするという仕組みそのもの自体に問題があるというふうに私は理解をしております。
  48. 富樫練三

    ○富樫練三君 どうもありがとうございました。  次に、小沢先生に伺います。  これは大変根本的な問題だと思うんですけれども、今度の地方分権というのは、当然のことながら、憲法で規定された、憲法に基づいて行うということだと思うんですけれども、この憲法の規定する地方自治体のあり方、これについて、ちょっと漠然としているんですけれども、現行の地方自治法の場合、住民と滞在者の安全や健康、福祉を保持するということが第二条に地方自治法の基本としてうたわれていたわけですけれども、ここの部分が今回なくなると。この点についてどのようにお考えなのか、この点をまず最初に教えていただきたいと思います。
  49. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) 富樫先生のおっしゃるとおり、現行の地方自治法二条では、かなり例示的に範囲が広く自治体のやる仕事が決められておりますが、今度は例えば福祉をというふうに福祉だけ出している、こういうことです。  おっしゃるとおり、私は、例示規定で少し長くなりますけれども、やはりやや細かく決めた方がいいと。ということは、とりあえず地方自治の目的というのは、住民生活とそれからいろいろな意味での基本的な人権を守るという、暮らしと人権をいわば保障し守るということが地方自治体の任務であるとすれば、やはりとりあえずは、環境のこともありますし都市計画のこともありますけれども、やはり人の最低生活を保障するというようなところに力点が置かれるべきだという意味で、現行の地方自治法二条は割にそのことがはっきり決めてあるんではないか、そういうふうに思います。
  50. 富樫練三

    ○富樫練三君 ありがとうございます。  そういう立場から見て、先生の最初の公述のときに、きょう資料もお配りいただいているわけですけれども、この「地方自治憲章(案)」ということですけれども、この中でも、実は地方自治体自身のやっぱり力量も高めていくというか、自治権を確立しつつ住民自治を大幅に前進させる、こういうことのようですけれども、この地方自治憲章運動というのはどういう中身の運動なのか。時間が短いので余り詳しくはお話しいただけないかとは思うんですけれども、基本はどこに置いているのかというところをぜひ教えていただきたい。  その立場から見て、この憲章の資料の中の下から二段目の左の方に、「国および地方自治体は、事務・権限の民主的再配分、関連する法令の改正や非民主的な関与の改善などにより、」云々ということで、国の地方自治体に対する関与の問題にもこの点で触れられております。  今回の分権一括法では、助言、勧告、是正の要求、代執行、直接執行という形でさまざまな関与が規定されているわけですけれども、この地方自治憲章という立場から見て、これらの関与についてどういうふうにお感じになっているのかをお聞かせいただきたいと思います。
  51. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) ちょっと話が飛びますけれども、戦後、非常に重要な改革委員会として、御存じのシャウプ勧告のシャウプ委員会と、それからその後を受けた、これは辻山先生よく御存じのことですけれども、神戸委員会があります。  この趣旨は、国と地方、そして都道府県と市町村の間の事務配分をそのときの情勢に応じてまず確定する、その上で税財源を配分する、こういう考え方があったと思うんですけれども、これをやるとすれば膨大な仕事になるわけで、なかなか政府の担当の方々もこのかつての神戸委員会みたいなものをつくろうということは言い出しにくいのではないかと思います。  国が何をやるか、都道府県、市町村が何をやるかということが、実は今、財政について言えば国庫負担金、国庫補助金それから国庫委託金という形であいまいになっております。国庫負担金というのは、生活保護とか教育のようにどちらかといえば国が責任を持ってナショナルミニマムを保障するというような側面ですが、その次の奨励補助金というのは、現在例えば四兆円あるとすれば二兆円をいわば地方に仮に与えるという場合に、問題は中身になります。奨励補助金のうちでどういう事務を、削ると言っては失礼ですけれども、これをやっぱり納得のできるような大々的な委員会をつくってはっきりさせて、しかも観点は地域住民の生活を保障し、しかも地域自治体の運営は当然議員さん方がまずとりあえず扱うわけですけれども、やはり住民が日常、いわば地域政治に参加するという意味で、いろんな形での住民参加の法をつくり上げていく。そして、住民個人個人がその力量を高めていく。それが運動になるだろうと思うんです。  そういうことを含めて、国の方でももう少し今の国と地方地方の中の都道府県と市町村の事務配分というものを新しい二十一世紀に対してどのような形で考えていったらいいかという点を、お互いに面倒なものですから、ここのところみんな適当にしてしまっているということがあると思いますので、なかなか難しい問題があろうかというふうに思っております。
  52. 富樫練三

    ○富樫練三君 そういう中で、やはり政治というか、国もそうですし地方自治体もそうだと思うんですけれども、国民の暮らしをきちんと守っていくという点では、ナショナルミニマムというか、やっぱり最低限これだけの条件は整えよう、これ以上の行政水準に上げよう、こういうことが大変大事だというふうに感じているわけなんです。  今回、必置規制の廃止あるいは縮小、先ほど図書館の関係で先生の方からお話があったと思いますけれども、こういう意見もあるんです。日本のこの行政の水準というのは一定のところまでもう既に来ているんだ、したがって必置規制を廃止しても大丈夫なんだ、こういう意見もあるんですけれども、先ほど図書館の例でお話しされた点からいえば、まだまだそこまで行っていない分野もかなりあるのではないかというふうに感じるわけです。  今回、分権一括法の中で必置規制の廃止あるいは縮小、こういうことが出されておりますけれども、これについてはどのようにとらえられているか教えていただきたいと思うんです。小沢先生にお願いします。
  53. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) 先ほど、図書館法の問題について日本図書館協議会の意見書みたいなものを御紹介申し上げたんですが、これは何か図らずもおもしろい問題を提起していると思いますのは、例えば図書館長さんは司書の資格を持っていなきゃいかぬ、こう言うわけです。この図書館協議会の意見ですと、これは国というか具体的には文部省でしょうが、例えば国が図書館を全国の町や村に一つずつ設置するということは、二十一世紀のというか今後の日本のこういう少子化社会が進むときに、子供を育て、それから一人一人が学習するという意味でも図書館というものを全国の町や村にまでちゃんと位置づけていく必要があるんだと。  ついては、図書館の建設費補助金を出そうというわけですが、私うっかりしてこの陳情書というか意見書を見るまでは、昨年平成十年で図書館の建設費補助金は、さきに委員がおっしゃるように、もう必要ない、足りている、だから削ってもいいんじゃないかという意味もあって補助金を廃止してしまっていると。補助金を廃止してしまうと、そういう司書という資格を持った人が図書館長でなきゃならぬと言うんですが、この図書館長になっている人は全国の図書館の中では意見書によるとまだ四分の一もいないということでこれからだと。やっぱり図書館について専門的な知識があり、専門職の人の方がいいんだと。  そして、文部省の方は奨励的な意味で補助金を出すと言うんだが、こっちの方は、大蔵省と言っては失礼ですが、言われて削ってしまうと。そして今度は、図書館長さんは必ずしも司書でなくてもいいんだという意味で規制をしていく、あるいは司書の方ももう定数その他標準というのは余り考えなくてもいいんだ、削ってしまえと。  こういうふうになっているというのは、図書館法というものの法の精神が、いわば本当に図書館を全国津々浦々に設置する、そういう奨励的補助金の意味がなくなっているんだけれども、その点がわかるように説明されていないのじゃないかと。ここでも現段階におけるナショナルミニマムというのは一体何であるかという問題を提起しているというように思いまして、図書館協議会の意見書、これはやや手前勝手という考え方もあるかもしれませんけれども、拝見しまして大変勉強になりました。  以上です。
  54. 富樫練三

    ○富樫練三君 どうもありがとうございました。  お二方には御意見伺えなくて大変失礼をいたしました。終わります。(拍手)
  55. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 社会民主党・護憲連合の日下部禧代子でございます。  きょうは公述人皆様、大変貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。それからまた、日ごろから分権問題について御指導いただいておりますことを改めて感謝したいと存じます。  まず、辻山先生にお伺いをしたいのでございますが、五月二十二日、ちょうどこれは衆議院におきまして分権問題の審議が開始された日でございましたが、憲政記念会館で分権フォーラムが行われました。そのとき私も出席させていただいたわけでございますが、そのとき先生は、今回の国会のやるべき仕事というのは、いわばマラソンでコースから外れたことがわかるように道路に赤いポイントを立てる、その役割を担っているのだというコメントをたしかいただいたように覚えております。  今日までの衆議院、参議院での審議状況をフォローなさっていらっしゃいまして、果たして私ども先生の御期待なさいます赤いポイントを立てているのでございましょうか。もし御期待に沿わないようでございましたら、今後どの点をどのようにしてこの赤いポイントをきちんと立てなければならないのか、まず御教示いただきたいと存じます。
  56. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) かなりコースは見えるようになってきたなという印象は受けていますが、このレースは実は全員が一丸となって走るレースではなくて、法定受託事務のコースを走るのと自治事務のコースを走るのとコースが二つ設定されているわけなんです。ところが、それを今の法案ではとにかく一緒に走れと。例えば、健常者も障害者も一緒のレースでどんと行け、例はちょっと悪いかもしれませんが、そういうふうになっている。  私がずっと申し上げているのは、自治事務にはこういうコースがあります、コースから逸脱したら一緒に走っている仲間同士で直しなさい、そっちはだめだよ、コースを外れてますよ、戻りなさいというふうにして自立的にコースが管理されているといいましょうか、そういうものとして考えていくべきだと。法定受託事務は、恐らく赤いポイントがずっとあって、ちょっと外れますとピッピッとかいって国が笛を吹く、そういうものとして多分あるんだろうな、その原則をちゃんと立てた議論をしなければいけないということを申し上げておりますが、そんなことでよろしゅうございましょうか。
  57. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 まだ法定受託事務の方、それから自治事務ということに関しましても、やはりもう少しの赤いポイントが必要だという御意見でございましょうか。──はい、わかりました。ありがとうございます。  それで、続いて辻山先生にお伺いしたいのでございますが、先ほどやはり住民参加の問題をおっしゃいました。非常にこれは重大なことでございますので、より詳しくお伺いをさせていただきたいと思うのでございますが、いわゆる住民参加というふうにもう長いこと言われております。しかしながら、果たしてその住民参加のシステムというものがどのように道順がつけられているのかということに関しますと、かなりこれはさまざまでございます。さまざまであるということは悪いことではない、必ずしも悪いことではないと思います。しかしながら、これからいわゆる政策策定、政策実施、政策評価、それぞれのレベルにおきまして、やはり住民の参加ということが求められているわけでございます。  そこまではどなたもそうおっしゃいます。しかし、それをより具体的にどうすればいいのかということは、これはみんなそれぞれの地域住民、いろいろと考えあぐんでいるところもあるようにも思います。  それと関連いたしまして、やはりこれからは自治体の自己責任ということが問われるわけでございます。それは財務管理あるいは行政経営などのいわゆる政策責任が問われてくることになるわけでございますが、その住民参加のシステム制度化ということと、それから自治体の自己責任、それに伴う自己改革ということも含めまして、先生の御教示をいただきたいと存じます。
  58. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 確かに、御指摘のとおり、参加参加と随分言われてまいりましたけれども、ではどれだけそれが根づいてきたのかという問題があるように思います。  一番の問題は、結局、参加をしても最後は原案どおり通るんだと。よく言われますけれども、住民と行政が話し合う機会を持っても時間切れで行政の必勝、これは神戸大学の阿部泰隆先生の名言でございますが、時間切れだと普通は引き分けになるんですが、行政が必勝してしまう。そのことを住民は十分知っているものですから、本気でそこで自分たち意見を反映させてよりよい内容の事業にしていこうとかという、いわばそういう気分が少し薄れているのではないか。  まず、この時間切れ、行政の必勝というような体質をどうやってやめるかということなんです。  私、一つ日ごろ提案していますのは、あらゆる事業や計画には複数の原案を出しなさいということを言っております。そういうルールをつくる。つまり、現在のやり方ですと、一つのものに決める、例えば一カ所に決める、建物の形も一つ、原案一つということで住民に提案されます。これではなかなか参加しにくいんです。A案とB案あるけれどもどっちがいいだろうかという提案の仕方をしますと、いや応なく判断しなきゃいけないんですよね、どちらかに。  こういう仕組みを取り入れていくことによって決定における参加というふうなものが少し実質化していくのかなと。それは法律で入れなくてもいいんで、自治体の例えば計画確定手続条例とかそういうものをつくって、必ず原案を二つ出します、原案にはアセスの報告書もつけますというふうなことを自治体で打ち立てていく必要があるのではないか。  また、それ以外の個別のものにつきましても、今各省で始めているようなパブリックコメントというような仕組みで、こういうのをやりたいんだけれどもどうだろうか、御意見をお寄せくださいと。それが入り口とすれば、さらに上山先生がおっしゃっているような、やった後、結局どういう効果を生んだのかという、まさしくその結果についての評価をやってみて、それを次の計画にフィードバックしていく、そういうことでしか多分自治体の自己責任というのは高まっていかないんだろうというふうに実は考えております。
  59. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 成田先生にお伺いしたいのでございますが、推進委員会におきましての大変な精力的な御努力、本当に心から敬意を表するものでございます。ありがとうございました。  ところで、今の住民参加の問題でございますが、分権というものの目的というのは、いわゆる生活する者の場、地域においてその人々の自主性というもの、あるいは自立性というものを尊重するということがそもそもの目的でございます。にもかかわらず、今回の法案におきましてこの住民参加の問題というのはそれほど触れられているとは私は思えないのでございます。その重要性にもかかわらずということでございます。  これは推進委員会においてどのような御議論がございましたのか、その点お伺いさせていただきたいと存じます。
  60. 成田頼明

    公述人成田頼明君) お答え申し上げます。  私は、地方分権というのは、結局地方自治を拡充する、つまり地方公共団体自主性自立性という意味での地方自治を強化する手段にしかすぎないと思っています。分権推進法を読んでみましても、もちろん地方行政体制の整備のことも書いてございますけれども、主眼は国から権限とか財源というものを移譲していく、これは地方分権推進法に示されました国会の御意思でもあるというので、そこに重点的な努力を傾注したということでございます。もっとも、住民参加というふうなことも書いてございますので、これは地方行政体制の整備という形で取り上げたわけでございます。  ただ、住民参加につきましては、今、辻山公述人からお話しございましたように、何を対象にしてどういう形で参加するのかということについては非常に多様なわけでございます。これは条例でそれぞれ実験的にやるということであればよろしいのですけれども、下手に制度化してそれを抑え込んでしまうと、その制度しか使えないということになってかえって不自由になってしまうという面もないではないわけです。そういった意味で、もう少しいろんな検討を重ねながらこれについて考えていかなきゃならぬわけですけれども、残念ながら地方分権推進委員会では、時間の関係もございますし、それから重点の置き方のこともありまして、余り詳しく突っ込んでは話をしなかったということでございます。  私は、現在、地方制度調査会の副会長をやっておりますけれども、これから恐らく、地方の行政体制をどうしていくか、今度は地方が頑張る番だぞということで、今度地方自治体の体制の整備ということが重点的な課題になると思われます。その中で、今おっしゃった問題は、これは地方自治法の将来に向かっての制度改正、法改正ということになると思いますけれども、やっぱり真剣に取り組むべき課題だろうというふうに思っております。
  61. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 次に、上山公述人にお伺いしたいのでございますが、いわゆる自治体の自己改革ということが迫られているのは当然でございますが、そこに先生のおっしゃいましたいわゆる民間の経営といいましょうか、そういうお考えの上からいわゆる自治体の財務管理、行政責任、現在の状態をどのように自己改革していくべきかという点についてお伺いしたいと存じます。
  62. 上山信一

    公述人上山信一君) 自治体といいましても都道府県と市町村では状況が違いますし、それから財政状況、それから都市部、郡部、かなり状況が違いますので、まず一律で議論するというのは非常に難しいと思います。しかし、その中で比較的自己改革能力がありそうな自治体、主に政令市でありますけれども、ここに関しては民間企業の経営手法がかなり私は使えるんじゃないかと思います。  例えば、先ほど人材それから財源、権限、三つがセットだというようなお話もありましたけれども、民間企業の経営手法というのは、政令指定都市であれば現場改善手法あるいはTQCなどのノウハウを持った人材というのは民間企業にいっぱいおりまして、まさに今そういう人たちが社内失業しておるわけですね。であれば、ボランティア、雇用対策などと絡めて、このような人たちに手伝っていただければ一石二鳥ではないかというふうに思います。  それから、あと財源の問題も、政令市などに関してはかなり自由化していけば、今現在、国の縦割りの補助金に縛られ、あるいは地方交付税をもらった方が得だからというようなことで自主的な経営をみずから放棄してしまっているわけですが、そもそもその地域にある財源の中で経営するとどうなるのかというような絵をかいて、その中で将来のビジョンをかくというような動きができるのはやはりこれは政令市だろうと思います。こうしたところからまず改革のイメージをつくっていけば、本来の都市経営あるいは自治体経営がどういうものかというのが見えてくるというふうに思います。  それで、それをお手本にしながら見ていけば、恐らく都道府県というものは要らないというのが見えてきますし、抽象的な道州制というのも非常に時代おくれな考えだというのもおのずと見えてまいります。それから、合併というのも、単に過疎の力のない者同士を足してみても答えにならないという非常に現実的なことも見えてまいりますので、やはり成功事例を幾つか全国でつくるというのが先決だと思います。
  63. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 ありがとうございました。  今、市町村合併の件についてもお話が上山先生からございましたけれども、辻山先生は、かつて広域的政府をもってするのは、そういう手法というのは余りに単線的な発想だという御意見をたしかおっしゃっていたことがあるように覚えておりますが、それにかわって水平的な地方政府関係が有効であるという御意見、たしか「年報自治体学会」で私は拝見したと思います。私も学会の一人でございますが、そのお話も含めまして、この広域行政について御意見を承りたいと存じます。
  64. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 合併か広域的対応かという二項対立型の議論に今ちょっとなっているようですけれども、むしろうまく機能をつなげていって、今、広域行政機構とかと言わずに広域連携とかいう考え方でいったらどうだろうかと私は思っておりますが、やはり合併をしてしまいますと、これは一つの意思になってしまうわけですね。要するに議会が一つになるという意味です。それよりは、お互いの弱点をカバーし合うような形でうまい広域連携をしながらやっていく必要がありそうだと思っていますが、ネックはどうも今の広域連合の使い方のようです。  広域連合の使い方はちょっと下手くそだと思っておりますが、もう少し機能を発揮するような、せっかくあのようにして直接請求とか直接選挙の仕組みを入れているんですから、あるいは都道府県と市町村とでも組めるというわけですから、検討してみたらどうだろうかという気はしております。
  65. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 ありがとうございました。  小沢先生、どうも失礼いたしました。申しわけございません。
  66. 入澤肇

    ○入澤肇君 自由党の入澤でございます。  きょうは、大変貴重な御意見をありがとうございました。  まず、成田公述人辻山公述人にお聞きしたいんですけれども、成田公述人については、分権委員会で財源問題として現在の地方交付税制度の役割とか限界、こういうものについて議論があったかどうか。辻山公述人には、同じように地方交付税制度についてどのようなお考えを持っているかということについてお聞きしたいんです。  と申しますのは、実は地方交付税は一応の積算基礎、単位費用表に基づく積算基礎によって市町村、都道府県に財源が配分されていますけれども、使途は特定されていないということで、かなり各町村の産業担当係とか個別部門の行政を担当している人たちは不満があるんです。  その一例としまして、例えば林野行政等につきましてもかなりの交付税が行っているんですけれども、それじゃとても不十分だということで、相当な市町村、五百市町村になるんでしょうか、森林交付税というのを別途につくれという動きがございます。これは、地方交付税にミシン目をつけるのか、第二交付税として目的税化した地方交付税というのをねらっているわけです。このような動きが現に出ているわけでございますが、財源問題として地方交付税についてどのような御意見をお持ちかにつきましてお聞きしたいと思います。
  67. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 交付税制度の問題は、もとよりこれは基幹的な地方公共団体の収入でございますので、地方税とともにいろいろ審議してまいりました。ただ、地方交付税制度については、どんなに地方税源を充実しましてもアンバランスが生ずるわけですので、やはり必然的に交付税という仕掛けが要るだろう。  問題は、その場合の基準をどうするか、それから具体的な方法をどうするかというふうなことだったと思うんです。これにつきましては従来からいろいろ検討されている、しかも政府の方でも一般的な検討をされた結果というのがあるわけでして、財政問題に非常に大きな影響を与えますので、そこで決められた線以上のことは余り突っ込んでは議論できなかったということがあるわけです。  ただ、使途は自由だと言われましても、地方交付税というのは非常に巨大な補助金なんだ、個々の省庁の補助金についていろいろ問題にするけれども、もうちょっと巨大な補助金の方を何とかしなきゃいけないんだ、こういった反論も各省からかなり聞きました。  それから、地方交付税の算定基準が余り細か過ぎる。これは地方自治体が陳情して非常に細かくし過ぎたということはあると思うんですけれども、細か過ぎる。もう少し大くくりのものにしたらどうかと。そういった議論はいろいろ出たわけでございますけれども、まだ今後にいろんな問題が残っているだろうと思われます。
  68. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) お答えいたします。  現状では地方交付税制度はやはり維持しなきゃいかぬだろうなという気はしております。ただ、論点としては、都市部から上がった税金が地方へ配分されている、しかもかなり過重に配分されていくシステムとして機能しているのではないかという批判があるわけです。  しかし、東京一極集中と言われますけれども、結局は地方に親御さんとかを置いていたりするという人が多い中で、まだ一定程度の説得力はあるのではないかと私は思っております。  森林交付税の考え方なんかについても、交付税の中に算定基礎として森林面積を入れるとかという方法もあろうかと思いますけれども、余り複雑にしないで、例えばドイツでもこのような制度をつくっておりますけれども、森林を維持管理、担ってくださる人のための別枠の制度として考えていった方がいいのかなという気もしておりますが、まだそこの判断はついておりません。  以上です。
  69. 入澤肇

    ○入澤肇君 次に、上山公述人小沢公述人にお聞きしたいんですけれども、今度の地方分権は、裏返していえば、地方自治体をいかに強くしていくかということが議論されなくちゃいけないと思うんですね。強くすると同時に、大統領制をとっている都道府県、市町村、こういうところのチェック機能をもっと強化しなくちゃいけないということもあわせて考えなくちゃいけない。  そこで一つ、まず自治体を強くするために、合併について先ほどお考えがございましたけれども、中央省庁からの出向人事、これが私は地方自治体の自立の精神を非常にゆがめているんじゃないかという感じがしてしようがないんですが、中央省庁からの出向人事についてどのようなお考えがあるかということをまず第一にお聞きしたい。  二つ目は、首長さんの多選ですね。例えば、これは都道府県の県庁の中の職員の話を聞きますと、多選のところはかなり人事がよどむ、あるいは業者との癒着ということも言われますが、もう一つ大事なことは、首長さんが指導して行政をやる場合に、二選ぐらいまでは知恵が出るけれども、三選目になると知恵が出ない、要するに惰性になってしまうということがつとに指摘されております。  この二点につきまして、上山小沢、両公述人から御意見をお聞きしたいと思います。
  70. 上山信一

    公述人上山信一君) 私、民間企業の人間でありますので、二点ともちょっと専門領域ではないんですが、昔中央官庁におりましたので、身辺なじみ深いテーマではありますので、その観点から述べさせていただきます。  中央官庁からの出向ですが、確かに、中央からお金を取ってくるためのパイプとしてそこそこの人材を指名して持ってくる、しかしその人物が議会とうまくいかないと見るや、のしつけて返す、これが実態でありまして、ほとんどはそうだろうと思います。しかしながら、市町村に出向しているケースであるとか、あるいは特定のテーマでもって知識を持ったような人の場合は、そこそこ現地でのアドバイザーとして機能する。  ですから、現役の公務員でありながら政治的な利益誘導のパイプとして機能するというようなものは、恐らく天下りと同じような規定をとって規制していくべきだと。しかし、本人のノウハウが非常に明快な場合、特定のテーマについてのみ出向は認めてもいいというふうにしてはどうかと思います。  それから、業績評価、これもやはりある意味では公開するべきで、中央から出向している職員がどういうパフォーマンスであったかというようなことは、地方の議会が評価する、あるいは何らかの形でパブリックに公開していくというような仕掛けがあれば政治的な行動というのは消えるのではないかというふうに思います。  これは、私のかつての同僚の行動を見ていても、非常に危険ではないかと思われることを、公務員としては危険なことをやらざるを得ないようなことに追い込まれておるわけで、そういう意味でも、本人たちのためにも今のままでいいというふうには思いません。  それから、多選防止の部分については、これは先ほどと同じ話になりますが、行政評価をきっちりとやって、一体どれだけのパフォーマンスがこの二期八年、三期十二年で上げられてきたのかと。これは多選になればなるほど非常に評価しやすくなりますので、こういう評価をやっていく中でおのずとパブリックに見えていくのじゃないかと思います。長くやっているからよさそうだというようなあいまいな住民感覚というのも是正する仕掛けとして評価を入れるべきだと思います。
  71. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) 地方交付税の問題につきまして、二つくらい問題があるのじゃないかと思います。  一つは、御存じのように、基準財政需要額の計算をするときは単価掛ける数量で、数量はある程度、町でも村でも現状を見ているわけですからこれはいいとして、問題は単価でございますけれども、この単価をどうするかという点でかなりいろいろな意味での混乱があるのじゃないか、単位費用について。  それからもう一つは、全体の問題として、今地方交付税をもらっていないのは、都道府県では東京都、それから都市では大体三割くらいでございます。町村ではもらっていないのは一割もないと思いますけれども、これはどっちが悪いかという問題ですけれども、税源配分の問題をやっぱり一遍考えないと、地方交付税というものがそんなあり方でいいのかどうかという議論、これは当然あります。  大体、以上この二つが問題になろうかと思います。
  72. 入澤肇

    ○入澤肇君 終わります。  ありがとうございました。(拍手)
  73. 奥村展三

    ○奥村展三君 参議院の会の奥村でございます。公述人の皆さん、御苦労さまでございます。  まず、成田先生にお伺いをいたしたいわけですが、我々、衆議院からこちらへ送られてまいりまして、連日このように審議をさせていただき、また参考人の方々やきょうの公述人の皆さんの御意見をお聞きいたしているわけでございますが、どうも受け入れ側といいますか、地方自治体の方が大変心配もし、また不安がり、押しつけられていると。一体どういうようにして受け入れて、これは十二月の条例なんかで全部変えていかなければならない、体制を整えていかなければならないというようなことを私も帰るたびに聞かされるんです。  そういう流れの中で、私はこの地方分権という言葉、最終的には私は地方主権だと。国家主権、そしてまた地方の皆さん方が主権者となって、地域住民方々がなられるのが本当だと思うんです。  ですから、地方分権という言葉が余りにも、いいのかどうかまだ私も戸惑っているんですが、最終的にはやはり自治、みずからが治める、文字どおりこういう形になって地方の主権の時代になってほしいというような思いでございますが、どうも意識、感覚といいますか、受け入れ側の感覚として、従来型の国からの押しつけで、地方分権しますよ、権限を譲渡してあげますよ、受け入れなさいよ、何かこういうような思いで地方の皆さんがおられるようなんですが、ここらは議論になったのかどうか、お伺いをいたしたいと思います。
  74. 成田頼明

    公述人成田頼明君) 確かに今、委員おっしゃるような事情があるかと思いますけれども、ただ今回の分権は、国が旗振りをして進めたということではなかったと私は思うんですね。  ずっと歴史をたどってまいりますと、大体、昭和という年号が平成に変わりましたころからこの問題はかなり表面に出てきております。今までは政府の方で旗を振って、おまえらついてこいという形だったと思うんですけれども、今度は民間政治臨調というふうなものができて、そこでこういうような分権の方向が非常に強く出てくるとか、あるいは国会でも、両院の全会一致の決議で分権推進というものをすべきだというふうな意思表示がある。また、それを受けて経済団体その他のところからもいろんな提言が出てくるということで、私は今度の動きはやはり下から盛り上がってきたんだと思うんですね。  しかし、それを集約してどういう形に持っていくかということになりますと、これはやっぱり分権推進委員会とかあるいは各省庁、そこで賛意を得られなきゃならない。そういう一つの流れの最終的な形態がこの法案になってきたんだろうというふうに思うわけです。ですから、この結果だけをごらんいただいて、どうも国から一方的に押しつけられるというふうにおっしゃられるのは、私としてはやや心外な面がございまして、あなた方もしっかりしてください、あなた方の時代なんですというようなことをよく地方に行ってお話をしているわけなんですけれども、そういう受けとめ方ではちょっと情けないんじゃないかというふうに思います。
  75. 奥村展三

    ○奥村展三君 成田先生はそのようにお思いですが、本当に現場では三ゲン、人間、財源、権限ですが、やはり本当にそれだけの人が育っているかと思いますと、そこまで行っていないのが現状なんです。  確かに、地方から盛り上がって地方分権ということに御苦労いただいたと思います。そういう流れをしっかりと我々も受けとめながらこの議論をさせていただいているんですが、しかし、生意気なようですが、今申し上げたように、やはり地方主権の時代の基盤をしっかりとつくっていくようなこれから国の体制もぜひつくっていかなければならないなという思いで議論をさせていただいておるんです。  そうした中に、上山先生だったでしょうか辻山先生だったでしょうか、申しわけないんですが、地方議会の意見が案外くみ上げられていないというようなお言葉があったかもわかりません。  確かに、首長さん、町長さんや市長さん等は、一生懸命何とかしなければならない、移譲を受ければそれだけの体制を整えなければならない。議会も、やはり何か国から言ってくるけれども、これを受け入れるための体制、これは正直な話なんですが、先ほど辻山先生がおっしゃいましたけれども、先日参考人の方もおっしゃったんですが、住民投票がどんどん進んで、地方議会は要らぬのじゃないかと言わんばかりにこれが進んでおる。  しかし、私は、従来の村型の選挙は、今回の統一選挙でも見ましたけれども、私も田舎に住んでいますが、だんだんとやっぱり意識が変わっていますから、議会人を選ぶ、自分たちの代表を選ぶんだと。そのためには自分らの主張を何とか反映してほしいという思いでやはり地方議員さんを選んでおられると思うんです。  しかし、それと同等に、一方では民主主義だというようなことで住民投票をどんどんやられてしまうと、本当に地方議会は一体何なんだろうなというような思いも私は実はするわけですが、辻山先生、どういうようにお考えでしょうか。
  76. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) お答えします。  一般には、住民投票の議論というのは代議制の限界だ、だから直接民主制でやるんだと、こういうふうにぶつけているんですが、実は詳細に見ていきますと、これまで行われている住民投票あるいは制定されている住民投票条例は議会提案のものが多いんです。つまり、私は今感じているんですが、もし代議制の地方議会の危機だとすれば、みずから住民投票を組み込むことによってその機能を持たせていくことができるかもしれない。つまり、組み合わせ状態になっているということなんです。  ですから、住民投票を必ずしも議会制の否定というふうに考える必要はなくて、そこのところはそれぞれの地元で結構うまいことやっているんじゃないかなと。議会が提案して住民投票をやるなんというのは、大した知恵者がいたものだと私は思っております。そのように機能していってもいいものだと思います。
  77. 奥村展三

    ○奥村展三君 基本はそのとおりだと思うんです。  しかし、今回の統一選挙を見ましても、私は滋賀県で、琵琶湖空港という問題があったんです。これの住民投票をやる。完全にこれはもう政治と選挙とマッチした行動を起こしているんです。これが本来の姿でいいんだろうか。ということは、少数意見なんです、それはしっかりと利用しながら大切にしていかなければならない。しかし、それを住民投票に、選挙目当ての行動を起こしてそういうような反対、マスコミもそうですが、一部の人たちのことばかりが取り上げられて、大勢の賛成派の言葉が全然表へ出てこないということで、私は非常にここに疑問を持った一人でありますから、ちょっとお伺いをいたしました。申しわけございません。  上山先生にお伺いをいたしたいんですが、先ほど来、いろいろお話の中にやはり民間的な感覚をと、これはもう私も大いに、地方もそうだと思います、国もそうだと思うんです。今財政が六百兆円の赤字を抱える国家になってしまったんですが、こういうのもやっぱりバランスシートといいますか、国民にしっかりとわかる数字を出していくと先ほどおっしゃいましたが、そういうようなことを考えますと、特に地方はこれから財源も大変でございますし、そういう流れを考えますと、先ほど来先生からずっとお話をいただいていますような民間の活力、そして民間的な発想のもとに地方自治体もやっていかなければならない。そうなりますと、バランスシートといいますか、貸借対照表のような、これは民間とこういう公共のあれですから一遍には難しいと思いますが、そういうような方向に転換をしていかないとなかなかうまくいかないと思うんですけれども、もう少し先生のお考えをお聞かせいただければと思います。
  78. 上山信一

    公述人上山信一君) バランスシートを自治体でつくろうという動きが最近出てきております。私は考え方としては非常にいいことだと思いますが、かなり道のりは遠いだろうというふうに思うんです。  といいますのは、バランスシートというのは貸借対照表であって、資産の状況というのを見るわけです。しかしながら、財政的に主権がない自治体がそれをつくってみたところで、どこまでそれを改善できるのかという問題がありますので、私は、実践的な見地からはバランスシートよりはむしろABC、アクティビティー・ベースド・コスティングというふうに専門領域では言いますけれども、これはつまり活動評価と言いますが、例えば図書館などの例をとりますと、実際に本を買うのにお金がかかる、設備の維持費にお金がかかる、それ以外に職員の人件費というのにお金がかかっておると。それから、図書館の建物の外にいる職員、管理部門の人たち、ここの職員も時間を使っておるわけです。ですから、それぞれの職員がどの仕事にどれだけ時間を使ったのかというのを洗い出して、それをもとに効率を評価していくと。企業でいえば当たり前なんですが、こうしたいわば損益計算書そのものがちゃんとできていないので、それをまずつくる。それと民間との比較をやって、高いか安いか、行政がどこまでやるべきか考える、こうしたささやかな活動からまず始めるべきだと思います。  現在、自治体がやっているバランスシートを見ますと、実は非常に危うい展開になっていまして、外部のシンクタンクあるいは会計事務所に単に丸投げをする。それも、どちらかというと財務当局の職員、非常にまじめな問題意識なんですが、その方々の単なる知的満足のために、行革予算というのは潤沢にありますので、それを使って単につくってみると。何となくバランスシートとか借金とか財政破綻という言葉があるとマスコミ受けするので、首長も何となく乗ってしまう。  私は、本来、国全体について自治体と連結決算でつくるということが一番重要だし、次に重要なのは外郭団体、国、地方それぞれですけれども、外郭団体の財政状況のバランスシートをそれぞれについてつくって、民間企業で言えば破綻以上の状態になっているという現実をまずちゃんと見るということが重要だろうというふうに思います。
  79. 奥村展三

    ○奥村展三君 ありがとうございました。  小沢公述人にお聞きしようと思いましたが、時間が来ましたので、申しわけございません。
  80. 石井一二

    ○石井一二君 石井でございます。  四人の先生方、きょうは御苦労さまでございます。各先生方から一分程度のコメントをいただきたい、そのように考えております。  まず、成田公述人でございますが、中身というよりもむしろ審議経過についていろいろ御説明をいただいて、我々も、夏休みを返上していろいろ御苦労をいただいた由、心から感謝を申し上げます。  これはごく一般論でございまして、よく活字にもなっておることでございますから、おわびを申し上げたいと思いつつ申すわけでありますが、審議会とか委員会とか、いろいろ勧告を出すものは今多いけれども、形骸化しておるという指摘があります。それは俗に言う御用学者とか御用評論家政府とか地方自治体の意向に大体添った案を出す、そういう人しか選ばない、極端な意見を言う人はその次から外す、そういう中で形骸化の論理が出てきたと私は思うわけでございます。  むしろ、こういった原案なんかをつくるときに、役所が書きますから、ペア方式か何かで審議会委員が一人ずつスタッフを連れていって、それらが皆意見を踏まえて原案を書くというようなとっぴな変化がない限り、勧告が幾ら出てもそれは意味をなさない。ひどいのは、米価審議会なんかあしたやるという前日の夕刊に何ポイント、何パーセントと出ていて、そのとおり決まって、むしろ委員をやっておる方が恥ずかしいんじゃないかと私は思うんです。  こういったことに対して、先生の今回の一連の長い御審議を振り返って、御感想を賜りたいと思います。  続きまして、辻山先生にお伺いいたしますけれども、地域に人が育ったからいよいよ分権はゴーだというような御意見でございましたが、先ほど来出ておりますように財源を伴わないものはできませんので、今後、先生の御意見をどんどん吐いていただいて世論を喚起していただきたいと要望いたします。  と同時に、二百四十五条の五のあの上品な五項について、先生は非常にネガティブのようにおっしゃいましたけれども、国地方係争処理委員会、特にこのメンバーをだれがどのような基準で選ぶかとか委員会の決定の中身についての権威というものについてまだ決まっておりませんので、そこらに対する先生の御意見を賜りたいと思います。  次に、上山公述人にお伺いいたしますけれども、私はあなたのおっしゃった意見にはおおむね賛成でございますが、ただ、基準をコスト計算に基づいて判断するということを言われて、八ページがどうのこうの言われましたが、あの八ページを全部読んでみましたが、そこらにそういった十分な根拠があるように思いません。非常にいい意見だと思いますので、後日で結構ですから、ひとつそういった行政のコスト計算による分析という面をもう少し御指導いただきたいと思います。  そういう観点で、政策評価制度の導入ということが今回織り込まれておりますけれども、この政策評価の仕組みやルールなどについて御所見があれば承りたいと思います。  それから最後に、小沢辰男公述人でございまして、国会議員にそういう方が一人おられて、その方が来られるのかなとか思っておったら、先生がお越しになりました。いろいろありがとうございます。  特に、日本国憲法九十二条の関係で、土地や施設というものを、国民の財産を守るという面でこれはおかしいんじゃないかというような御指摘がありましたけれども、例えば沖縄の場合、一%未満の土地を数百人で保有して、一坪地主がああいった行動をとるというような場合もひっかけて、なお今回の米軍用地特別措置法の改正について先生は反対なのかどうか、反対であれば、具体的にこういう手法があるじゃないかというような具体案をひとつお示しいただけたら非常にありがたいと思います。  以上、四つ続けて行きましたが、各先生方、一分半か二分程度でひとつよろしく御指導をお願い申し上げます。
  81. 成田頼明

    公述人成田頼明君) ただいまの審議会の運営についていろいろ御指摘がございました。  これは、審議会といいましてもいろんな審議会がありまして、それが全部米価審議会のような運営にはなっておりません。特に、分権推進委員会とか最近のこういう大きな問題を扱う委員会の場合には、そういう批判を十分に考えながら、やはり事務局に余り関与させないという方針をとっているところもありまして、分権推進委員会もそうであります。  ですから、今までに勧告がいろいろ出ておりますけれども、これは必ず原案はやっぱり委員なりなんなりが出すと。それを文章でいろいろつなぎ合わせたり、余り官庁文書で使わない言葉は少し直すというようなことは事務方がやることはありますけれども、原案は全部委員ないしは専門委員が書く、こういう方針で進めておりますので、御心配になるようなことは余り分権推進委員会に関する限りありません。
  82. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございます。
  83. 辻山幸宣

    公述人辻山幸宣君) 二百四十五条の五第五項については、既に私の見解を明らかにしておりますので、あえて申しません。  係争処理委員会のつくり方ですが、論点はやはりあると思います。国の行政機関として置くというところが一つの論点だと思います。やはり国と地方の問題を扱うときに、国の行政機関という性格を持った機関が処理できるかどうかという問題がありそうです。  ただ、そのことをクリアするために恐らく国会の同意人事にしていると思いますので、まさにこの係争処理委員会がどのような権威を持ち得るかというのは人事にかかわってくるというふうに思いますので、まさに国会の見識をそこで示していただいて、権威ある委員を任命していただくということかなと思っております。
  84. 上山信一

    公述人上山信一君) 政策評価あるいは行政評価については、まだ発展途上でありまして、なかなか明快な例というのは出せないのが私も苦しいところであります。  しかしながら、海外の例を見ますと、労働生産性が四割上がったとか、あるいは固定資産税を一五%下げるという状況に至ったとか、導入した自治体ではかなり成果が出ている、こういうものであります。  一言解説をつけ加えさせていただきますと、評価といいますと、どうしても何かやった後に専門家あるいは権威を持った人がこれはいいとか悪いとか言う、こういうふうな印象を与えますが、実はこれは目標を立てて自己管理させる、こういう仕組みであります。例えば、学級崩壊を全体の三%以下にするということを文部省に約束させて、そういうことならばこれだけの人と予算をつけようというふうに予算の審議のプロセスにこれを埋め込んでいく。できなかった場合は、それは文部省の能力不足なのか、予算が足りなかったのか、状況変化してなのか、それについてもっと深い議論をしようよと。  こういう議論のプラットホームでありまして、そういう意味では、何か万能の神様のようなシステムではなくて、これをだれがどういうふうに運用するかというところがまさに重要で、議会の役割が大きいというふうに見ております。
  85. 小沢辰男

    公述人小沢辰男君) 米軍用地特措法の問題でございますけれども、機関委任事務からこれを国の直接執行事務にして、しかも中身は、県を想定していると思いますが、県の土地収用委員会が最後までごねる場合もある、それでは間に合わないから総理大臣が乗り出して自分で始末してしまう、こういう趣旨でございますね。  気持ちはもう痛いほどわかりますけれども、やっぱりちょっと我慢していただいて、アメリカに対しても勘弁してくれということをちゃんと了解をとりながら、私は法定受託事務くらいにはした方がいいんじゃないかという意見でございます。  以上です。
  86. 石井一二

    ○石井一二君 時間が余っておりますが、全体としておくれておりますので、これで終わります。  ありがとうございました。(拍手)
  87. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) 以上で午前中の公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から御礼を申し上げます。(拍手)  午後一時に公聴会を再開することとし、これにて休憩いたします。    午後零時七分休憩      ─────・─────    午後一時一分開会
  88. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ただいまから行財政改革税制等に関する特別委員会公聴会を再開いたします。  休憩前に引き続き、内閣法の一部を改正する法律案外十七案を一括して議題とします。  本日、午後は、内閣法の一部を改正する法律案中央省庁等改革関連十七法案について公述人方々から御意見を承ることといたしております。  御出席いただいておりますお方は、早稲田大学政治経済学部教授片岡寛光君、明治大学法学部教授野上修市君、名城大学都市情報学部教授牛嶋正君、名古屋経済大学法学部教授榊原秀訓君、以上の方々でございます。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、公述人方々からお一人十五分程度ずつ御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、まず片岡公述人にお願いいたします。
  89. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 本日は、貴委員会にお招きいただきまして発言の機会を与えられました。大変光栄に存じております。  御審議中の中央省庁等改革関連法案に対しましては、私は賛成する立場からお話を申し上げさせていただきたいというふうに思っております。  この法案は、申すまでもなく行政改革会議の最終報告に基づいてつくられたものであると思いますけれども、その大もとをたどりますと、昭和五十六年に発足いたしました第二次臨時行政調査会にまでさかのぼることができるわけでございまして、実に二十年になんなんとする期間の間、多くの方々努力があってこそここに成案を見たと思いますので、関係された方々に心から敬意を表したいというふうに思います。  私は、この法案が速やかに成立することを希望するものでございます。なぜかならば、行政改革が発足しない限りはこれからの行政がどうなるかということについて確固たる方針が立てられないわけでございまして、行政運営にも、また社会的な生活にも非常に支障が出てくるというふうに思いますので、速やかにこの法案が可決されることを念願してやまないわけでございます。  この法案が成立いたしましても、行政改革の第一歩が踏み出されるということでございまして、いわゆる入れ物はつくられましたけれども、その中にどのように新しい行政をつくり込んでいくかということは、これはこれからの仕事でございまして、いわゆる仏つくって魂を入れるということはこれからにまたなければならないわけでございますけれども、まずその前提として仏の骨格を完成させるということが一番大事なことではなかろうかというふうに思っているわけでございます。  今回の改革はさまざまな角度から成り立っていると思いますけれども、まず一番大切なのは、内閣の強化あるいは総理大臣の権限の強化ということでございまして、中央省庁の改革ということもこれは両々相まって意味を持つものであるというふうに理解しているわけでございます。内閣の指導力ないしは総理大臣の政治的リーダーシップを強化するということは、今日社会が置かれております厳しい環境の中でどうしても必要なことでございまして、従来の行政に対して政治の力を浸透させ、そして社会の荒波を乗り越えていくためには、どうしても今回の改革が必要であるというふうに理解いたしているわけでございます。  第二臨調が始まりましたとちょうど同じころ、アメリカのレーガン、イギリスのサッチャーによります行政改革が始まりまして、世界的な行政改革の波というのが起こってきたわけでございますけれども、当初、小さな政府ということが言われておりました。今日でも小さな政府を実現しなければならないことは言うまでもございませんが、一九九〇年代ごろからちょっと世界の行政改革の様子にも変化が出てまいりまして、単に政府を身軽にするだけではなくて、やはり社会の大きな課題に対応する力を備えるためには社会を指導する権限というものを強化していかなければならない、そういう考え方が世界的にも認められるようになってきておりまして、今回の改革もその方向に沿うものであるというふうに考えている次第でございます。  内閣法の改正というものを見てみますと、まず最初に国民主権の原理というのが盛り込まれておりまして、それに合致する形で、国民を代表する国会に対する内閣の連帯責任というものもうたわれております。そして、その連帯責任のかなめとしての内閣総理大臣に、内閣の重要事項に関する基本方針を発案する権限及びその他の案件を発案する権限というものを与えようじゃないかというのが改革の骨子であろうかと思います。従来も総理大臣にそのような権限がなかったわけではございませんけれども、従来の法律にはそういうことが書き込まれておりませんでしたので、若干その解釈に疑義があったということで、今回はその懸念も晴らされたということになるわけでございます。  あわせて、大臣の数を十四名、その他特命の大臣が任命される場合は十七名までこれを認めるということでございますけれども、二十人から十七人に減らしたということは、これは内閣における慎重な審議を尽くしながら、しかし迅速な決定に到達するという必要性からなされたものであるというふうに理解いたしております。  そのほか、内閣官房の改組というものがございまして、内閣内政審議室、外政審議室、それから安全保障・危機管理室と、三つを統合いたしまして、そしてその長は内閣官房副長官補という方を三名任命いたしまして、弾力的に対応することが可能なようにするというふうな措置がとられているわけでございます。  そのほか重要なのは、従来総理府というのがございましたけれども、この総理府を国家行政組織法によらない組織として内閣に設置し、その名称を内閣府というふうに改めるというふうなことでございまして、そこに内閣府が文字どおり内閣官房とともに内閣を補佐し、あるいは内閣官房の機能を助ける役割を担う体制が整ってきたということが言えようかと思います。  省庁の再編成につきましては、主要な目標に従って内閣を再編するという方針がとられておるわけでございます。  橋本前総理大臣が示しました主要目的と申しますのは、国家の存続、国富の確保・拡大、それから国民生活の保障・向上、それと国民文化の継承と醸成ないしは教育という四つの機能であったわけでございますけれども、防衛庁、総務省、法務省、外務省、財務省あるいは国家公安委員会というのは第一の国家の存続に関する機能でございます。これが一つにまとまっていないのはおかしいじゃないかというお話もあろうかと思いますけれども、国家の存続に関する機能というものをつかさどる省庁というのは近代国家が発生した当初から存在していた古典的諸省というふうに呼ばれるものでございまして、これは性格が違っておりますから一つにこれをまとめることは困難であろうかというふうに思います。  実はアメリカでもニクソン大統領がこのような省庁の大くくりを試みたわけですけれども、その時点におきましては、古典的諸省以外の省を四つの省庁に再編成するという案でございまして、このようになりましたのも、事の性格上、当然であったであろうというふうに思います。  そのほか、文部科学省は国民文化の継承・醸成というもの、それから厚生労働省は国民生活、それから経済産業省は国富の確保・拡大ということに対応する省としてつくられたという点では橋本前総理のお示しになられました目的に沿っているわけでございます。  農林省が別でございますけれども、農林省は恐らく国富の確保・拡大の範疇には入ると思いますけれども、しかし国民生活に欠かすことのできない食糧を生産し、供給するということにかかわる任務を持ちますので、これは性格がいささか違うということでここに存在いたします。  そのほか、国土交通省と環境省がいささか違うジャンルとして存在いたしますけれども、広く言えば国富の確保ということに入ろうかと思います。国土交通省の場合には国土の上に社会が成り立つためのインフラストラクチャーを整備する、それから環境省は環境に対する負荷を取り除く役割、そういう意味で環境保全をするという役割を担うものといたしまして独立しているというふうに考えますと、ほぼ橋本前総理の意図したことに従いまして改革案がつくられてきたというふうに評価することができようかと思います。  なお、環境庁が省に格上げされたのは政治的意図のあらわれでございまして、環境問題を重視するという立場を表明したというふうに思います。  あわせて、防衛庁を省に格上げしてはどうかという御意見もあったように伺っておりますけれども、実は自衛隊法第七条によりますと、自衛隊に対する指揮監督権を有するのは内閣総理大臣でございまして、内閣総理大臣が主任の大臣である内閣府に防衛庁という形で置かれるのが最も妥当な解決であろうというふうに私は考えておるわけでございます。  改革はそのほか各般にわたっておりまして、後で御質問にお答えしますけれども、忘れてならないのは独立行政法人という新しい組織の形態というものがここで加わってきたということでございます。  独立行政法人というのは、国家からは独立した法人格を持った経営の主体が、大きな裁量を持って、行政任務ではないけれども、社会に任せたのでは十分達成できないから、どうしても行政がそれを行わなければならないような公共性の強い任務を主任の大臣から委任されて、それを効率的に遂行する組織というふうに理解することができます。  あわせて、行政評価ということがうたわれておりますが、これは我が国ではとかく手続思考が支配しておりまして、手続さえよければ結果はおのずからついてくるであろうということで、余り結果に対する配慮を持たなかったということがありますけれども、ここでの行政に対する反省といたしまして、政策評価というものを持ち込もうということを国家行政組織法の改正の第二条の二項で盛り込んでいるということが大きな趣旨ではなかろうかというふうに思います。これが成功するかどうかはこれからを待たなければいけないわけでございますけれども、ぜひこういう改革は成功させていっていただきたい、そのためには関係される皆さんの今後の努力に期待するということで、私のお話を一応終わらせていただきます。  どうもありがとうございました。
  90. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  次に、野上公述人にお願いいたします。
  91. 野上修市

    公述人(野上修市君) 野上でございます。  諸先生方にお会いできましたことを深く喜んでおります。また、私の見解を公にできる場を設定していただいたことについても深く感謝しておる次第でございます。  今回の行革法案については、評価すべきところは多々ありますが、しかし、また他方、疑問と考えてよい点も多々あるわけでございます。私の持ち時間が十五分間というわずかなタームでございますので、私は、専ら私が抱えております疑問点、問題点を指摘するという形で十五分間を費やしたい、かように考えております。  まず、最初に私が指摘しておきたいのは、戦後五十数年の歴史を振り返りますと、現在の政治行政の閉塞状況は、憲法の理念を現実に生かしてこなかった結果であると私は言わざるを得ないわけでございます。してみますと、二十一世紀の日本は、憲法の基本原理とそこにあらわれています国家目標、これをさまざまな制度システムの中に実現、定着させていく、そういう理念が必要ではないか、かように考えているわけでございます。  ところで、今回の法案の下敷きになりました行革会議の最終報告を見ていきますと、その理念が私から見ますと必ずしも明快なものになっていない。一体全体、二十一世紀に向かって我が国の社会をどのようにつくり直していくのか、それがどういう意味国民に利益、福利をもたらすのか、こういう点になりますと甚だ不透明な部分があると言わざるを得ないわけでございます。  先生方も御存じのように、一言で申しますと、「この国のかたち」論を議論しているわけでございますけれども、この言葉はある作家の人の言葉を引用したようでございますけれども、文学的な表現でございまして、行革というような大きな国家構造のあり方について適当なスローガンであったかどうか、甚だ私は疑問に思っているわけでございます。  また、最終的にはこの行革会議のまとめは、結局は我々国民の心の持ち方の問題だ、そういうような国民の精神論、倫理論、こういったものを説いているような気がしてならないわけでございまして、どうも我々から見ますと明快な目標、理念といったものが見えてこないわけでございます。また、簡素、効率的、透明な政府、こういう言葉も使われておりますが、これももう諸先生方、十数年前から言われている言葉と余り変わらないのでございまして、私から言いますと少し古いスローガンではなかったかと言わねばならないわけでございます。  それはそれとして、ところが、今回の現実に出ました法案でありますと、行革会議の目標とか、あるいはまた提言しましたことよりも全体として見ますと一層トーンダウンしている、こういうようなところが随所にあるわけであります。また後ほど時間をいただきましたらお答えいたしたいと思います。  私の立場で申しますと、やはり次のような行革の理念を明確にしておく必要があると言わなければならないわけでございます。  今さら申し述べるわけではございませんが、例えば今回の行革の一つの大きな目標として、いわゆる内閣の強化、そして中央官庁の再編という問題が出てきておりますが、行政権を内閣に与え、行政の長である総理に指揮権を与えて各行政各部を指揮、監督すると。また、国会に対して連帯責任を負う形できちっとした内閣づくりをするとか、あるいはまた、残念ながら不徹底に終わりましたけれども、民活の導入とか特殊法人の統廃合、こういった官と民との役割の分担及び国と地方責任の見直しなど、これはもう憲法が求めております行政における公共性という現実及び地方自治の原則との関係で大いに問題になるところでございます。  赤字財政については、今多く私は語る余裕はございませんけれども、現在のやはり予算制度のあり方を抜本的に変えていく財政構造改革である以上、憲法の要請します財政民主主義の原則、こういったものから国会の厳しいチェックというシステムがやはり導入される必要があります。  公務員の倫理の問題も憲法の基本にかかわる問題でございます。全体の奉仕者という有名な原則があります。また、各種の規制緩和、これも現代行政が、国民の厳粛な信託に基づいて国民の福利のために行われるという前提をとる限り、憲法が定めています基本権の否認とか削減とか縮小という方向で処理されてはならないわけでございます。  最後に、国際貢献というテーマも非常に大きな問題でございます。憲法が目指しています国際協調主義、国際共生と平和主義の観点からやはり取り組まなければならない問題が多々あるわけであります。  こうしてみますと、二十一世紀の日本の社会のあるべき姿というのは、やはり憲法の諸原則と、そこに認められております国家目標の真の実現と深い関係にあるということを改めて強調しておきたいのでございます。  そうでございますから、私の立場で申しますと、二十一世紀の日本の社会像は何かと、こういう問いに対しては、それは憲法の原理原則の定着した社会を本当につくり上げていくんだ、こういう答えになるわけでございます。  さて、少し各論的な話に入ってまいりたいと思います。  行革のやっぱり最大の理念、目標、戦略というものは、私の言葉で言いますと、行政の国民化というところに一つ尽きると思います。この行政の国民化というのは、本来、行政、内閣国民のために福利を実現するように働かなければならない、これが先ほど言いました行政における公共性の原則という原理であります。しかし、この原則は今や御承知のように建前だけになっておりまして、実際には官僚によって行使されております。残念ながら、立法権も予算またその他各種の行政政策も、新聞等でも指摘されていますように事実上各省庁で決められているのが現実なのでございます。したがいまして、議会の権能は空洞化し、内閣、閣議の役割も形骸化しているわけでございます。  そういうことで、後で御案内いたしますように、一定の内閣の強化、総理大臣の強化を行っておりますけれども、しかし私に言わせますと、そのことだけではなくて、いわば国民との関係をどういうふうに考えているのか、そういうことが一つ出てきていいと思うんです。  例えば、行政への国民参加というようなことをなぜ考えなかったのか。国会に行政を監視する体制を構築するとか、あるいは幸いにして情報公開制度が成立いたしましたが、こういったものも大いに活用することになると思います。あるいはまた行政のオンブズマン制度、こういったもの。あるいは各種の審議会の選任方法のやり直し、とりわけ国務大臣への民間人の登用というものを法定化すること。これは過半数以下であるならば憲法は認めているわけでございますから、こういったものをケース・バイ・ケースに行うのではなくて法定化して、その中で、内閣の中に常に民間人、国会議員だけではなくて幅広い国民の声が通るような、そういうシステムをやはり考えてみる必要があったのではないかと私は思っているわけでございます。  中央省庁の再編についても後で具体的なことをお話しいたしますけれども、理念の観点から申しますと、やはり国民のための改革という視点がどうも弱いと言わざるを得ないわけでございます。財政再建という至上命題というものがありまして、そのために国の支出の削減、そういう観点から行政システムのあり方の再編とか縮小というものにつながっていっている。どうもこれは本来の行政が持っています公共性の実現、基本的人権の保障という役割を放棄するという形になっているのではないか。  したがいまして、小さな政府をつくるということだけに邁進することがよいのではないのでありまして、重要なことは、大きいか小さいかというようなそういう問題の立て方よりも、国民にとっていかなる意味を持った政府になるべきか、そういう視点がやはり私に言わせますと重要ではないかと考えている次第でございます。  時間がありませんので、理念との関係では国際化の問題だけをお話ししておきます。行政の公正化とかあるいは分権化とかという問題が前にあっていいんですが、私はそれを述べる時間的余裕がございません。  最後に、行政の国際化という形で私から見た理念の実現をしていただきたい、こういう気持ちでお話ししてみたいと思うんですが、実は、一九九〇年の第三次行革審でもこの行政の国際化については一定の提言が行われているわけでございます。ここでは一々私読み上げることをいたしませんが、大変よいことが書かれております。大変考えねばならないことがたくさん書かれております。  しかし、諸先生方も御存じのように、残念ながら我が国の国際貢献という問題をとって議論いたしますと、わずかに政府開発援助、これだけが今のところ平和的な意味での国際貢献の策になっているんじゃないかと言わざるを得ません。平和的と言ったのは少し喜ばせ過ぎ的な発言かもしれません。実際にはそうではない国家に対してこの援助が行われているということで、いろんな方々から今後ODAのあり方、つまり外交なき日本というような形ではなくて、やはり平和主義という憲法の理念に基づいて、そういう目標のもとでやはり平和的な、民主的な、そして本当の意味でその国の環境とか国民生活、経済の立て直しに役立つような、そういう形で日本政府開発援助といったものが行われなければならないと強調しておきたいと思うのであります。  さて、残り時間が少なくなりましたけれども、以下、私は内閣の強化とそれから中央省庁の問題について簡単にお話をさせていただきたいと思います。  今回の法案を見ておりますと、総理大臣に発議権あるいはまたそのスタッフの強化等々、見るべきものがあるわけでございます。官僚支配の体制から民、政治主導型のシステムに変えていくということについてはそれなりに私は評価してよいと思うんですが、逆に今度は、内閣が強くなり過ぎて国民との関係ではどういうことになるのか、あるいは総理府以外の省庁との関係はどうなるかという問題が出てくるわけでございます。  例えば、経済財政諮問会議あるいは総合科学技術会議、これは目玉中の目玉と言われております。  前者の方は、確かにとりわけ予算編成権といったものを、内閣総理大臣の責任のもとでつくっていくということでございます。結構でございますけれども、しかし今のところ原案なりそのたたき台なり、また重要な作業をどうするかということがはっきりいたしておりません。最終報告の中には事務局の設置を考えていたはずでございますが、今回の法案の中には事務局のあり方については先送りになっているわけでございまして、この辺が私にとっては気がかりでございます。果たして、国民から見た望ましい予算編成づくりというのが行われるかどうか、制度的に不安があるわけであります。  後の総合科学技術会議、これはもう日本の科学技術についての国家的な戦略、政策を構築するところでございます。ここでいわゆる日本の科学技術の根幹にかかわる計画が煮詰められますと、実は文部省あたり、今度は名前が変わりますけれども、一体どういう省になるのか。全く下請機関で、文部省自体はほとんどこの会議でつくられました案に従って、それをいわば実施していく、そういう省に成り下がってしまうのではないか。  こういうふうに、余りにも内閣の権限が強過ぎる結果、結果として今度官庁の中に今とまた別の意味で序列ができる。また、国民との関係では、内閣が非常に強固でそれなりに一定のことができるんでしょうけれども、しかし国民との壁は打破できないんじゃないか、こういう危惧を私は持っているわけでございます。  時間がありません。中央省庁について移りたいと思います。  この点についても個々にいろいろと問題があるのでございますが、大切なのは、初めに削減する、縮小する省庁の数が決められている、内部部局の数も決められている、さらにまた審議会等の数も決められている。こういうふうに先にありきでございまして、実際には前の総理も最初はいいことを言っていたはずでございます。中央省庁の改革は、地方分権と規制緩和と同時並行的にやらなければならないと。そのとおりであります。私も自分の著書で高く褒めております。  ところが、実際に動き出しますと、数が先に決まってくる、中央の方の中身はどんどん決まってくる。これでは一体話にならぬじゃないかというのが私の意見になるわけであります。大切なのは、国と地方と民間の役割分担をはっきりさせます。はっきりさせますと、おのずから中央省庁の数、中身、その機能のあり方が決まっていくということになろうかと思います。  注意をされているようでございますので、甚だ残念ですが、以上で終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。(拍手)
  92. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  次に、牛嶋公述人にお願いいたします。
  93. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 牛嶋正でございます。  先ほど、委員会室に足を踏み入れたとき、一年ぶりでございましたのでちょっと緊張いたしました。ただ、今皆さんのお顔を見ながらお二人の公述人のお話を聞いておりまして、一年、時間がたちましたけれども、もう一度何か委員会に戻ったような感じで、これから委員会質問のような気持ちでやらせていただきます。よろしくお願いをいたします。  少し私は見方を変えまして、と申しますのは、今公述をされましたお二方はみんな行政学とか政治学をおやりになっておられます。私は経済学でございますので、その立場でちょっとお話をさせていただきたいと思います。  一九五二年、サンフランシスコ条約が締結されました。そこで我が国は国際社会に復帰したわけでございますが、そのとき、我が国はいち早く貿易立国の確立という目標を掲げたわけであります。これは、国際市場におきまして欧米先進国と互角に競争する力をできるだけ早く身につけるということを目指してのことでございます。  幸い幾つかのいい条件が重なりまして、御承知のとおり一九六〇年前後から本格的な高度成長が始まるわけでございます。既に一九六四年にはOECDに加盟いたします。OECD加盟ということは、先進諸国の仲間入りをしたということであります。そして、一九六八年には国民総生産はアメリカに次いで世界第二位になるわけであります。いわば十年余りで我が国は貿易立国を目指して先進国に追いつくという所期の目的をあっさり達成することになります。  このことからいたしますと、この過程で形成されました我が国の戦後型政治、行政体制はそれなりの機能を発揮してきたのだということで私は評価できるのではないかと思うのであります。  では、なぜここに来て私たちが直面している諸問題に対して、この政治、行政体制が適切に対処できなくなってしまったのか。この疑問を尋ねていく、そしてこの疑問に答えていくとき、今回の中央省庁の再編を中心とする行政改革の本質が明らかにされるように私は思うのであります。  行政改革会議の最終報告の中でも、「今回の行政改革の基本的な目的は、制度疲労に陥りつつある戦後型行政システムから、二十一世紀にふさわしい新たな行政システムへ転換していくことにある。」と述べております。そして、改革を進めるに当たりまして、制度疲労に関連して三つの問題点を指摘しております。その一つは、「行政の責任領域の肥大化と重点領域への取組みの遅れ、」、第二点は、「政策の企画と事業の実施の渾然一体化に起因する企画・実施双方の機能の硬直化、」、そして三番目は、「客観的政策評価機能の欠如」であります。  私は、この行政改革会議の指摘は適切なものであるというふうに思っておりますけれども、ここでは、その最終報告の中では余り取り上げられなかった貿易立国の確立という目標そのものにちょっと着目いたしまして、この目標が持っている幾つかの性質を整理して戦後型行政システムの問題点を明らかにしていきたい、こんなふうに思います。  組織論でいきますと、組織の大きい小さいには関係なしに、目指す目標が明確で、しかもその達成率が数量的にはかれるような場合は、その組織は物すごく機能を発揮いたします。そして、十分な成果をおさめることができるわけでございます。このことを念頭に置きまして、我が国が戦後いち早く掲げてまいりました貿易立国の確立という目標を見ますと、三つの重要な性質を持っていたように思います。  その第一点は、その目標の内容が非常に明快でそして単純です。ですから、国民のだれもが十分にそれを理解できたわけです。二番目は、当時国民のだれもが抱いていた望みあるいは希望、それと国が掲げた目標が一致したんです。この点が非常に私は大事だと思います。そして三番目は、この目標の達成率が例えばGDPの成長率等で数量化できたということであります。  戦後型行政システムにおきましても、各省庁は比較的独立した組織といたしまして、それぞれ責任領域を決めてその機能を発揮してまいりましたけれども、縦割り行政の弊害はそれほど問題にはならなかったわけです。そして、行政システム全体でさっき述べたような非常に大きな成果を上げてきたのであります。それは、一にかかっていずれの省庁とも単純明快な同じ目標を持っていたということによるのではないかと思います。しかも、個々の省庁が進める政策の評価も自分たちである程度客観的に行い得たということであります。したがって、今、内閣府に求められております総合調整機能はその当時はそれほど必要でなかったというふうに私は思っております。    〔委員長退席、理事石渡清元君着席〕  しかるに、これまで掲げてまいりました貿易立国の確立という目標が一九九一年のバブルの崩壊と冷戦構造の解消によりまして一瞬にして消えてしまった、これまでの行政システムを機能発揮するすべを失ってしまったというふうに見てもいいのではないかと思います。そして、いまだにこれまでの目標にかわり得る目標が定まっておりません。先ほども公述人が御指摘されたところであります。  行政改革会議の最終報告では、日本の進むべき方向づけについて、「従来日本国民が達成した成果を踏まえつつ、より自由かつ公正な社会の形成を目指して「この国のかたち」の再構築を図る。」と、司馬遼太郎の言葉を引用しながら「この国のかたち」のありようについていろいろ述べております。  我が国が目指す方向がどのように決められても、これまでの目標が持っていた先ほど挙げました三つの性質、このすべてを私は失わざるを得ないんじゃないか、こういうふうに思っております。  中でも国の掲げた目標と国民が目指す目標の不一致は、国民の価値観の多様化によりましてこれは決定的なものとなっております。そして、このことは、国の目指す国土整備の方向と各地域での地域づくりの目標の不一致をももたらしているわけであります。したがって、多様な国民の価値観を包含するような形で国の進むべき方向を決めようといたしますと、それはかなりもう抽象的な表現になってしまいます。  したがって、行政が進める政策に対する評価も客観性をだんだん失っていくわけであります。そして、これまで行政の責任領域とされてまいりましたところでも、国民の側から見ますと、それは余計なもの、そしてまた余分なものというふうに見えてくるわけであります。  いずれにいたしましても、これまでの目標が持っていた三つの性質が見失われるとき、それに伴って組織もこれまでのようにその機能を発揮できなくなったといたしますと、当然行政システム全体が見直されて、再び新しい目標に適合してそれぞれの組織がその機能を十分に発揮できるように改革を進めなければならないというふうに思います。  この場合、行政改革会議の最終報告で先ほど三点の問題点を指摘いたしましたが、それに倣いまして、私は今回の中央省庁の再編を中心とする行政改革を進めるに当たりまして私なりに四点の重要な問題点を指摘しておきたいと思います。  その第一点は、国の目指す方向が明確でなくなることは、各省庁とも組織として目指すべき方向があいまいになってくることを意味します。そして、各省庁で政策を立案する際にも、その目指す到達点があいまいになるため、企画立案機能の発揮は非常に難しくなります。省庁間で所掌事務が明示されておりますけれども、省庁間で政策上の重なりが生じやすくなると思います。ですから、縦割り行政の弊害がこれまで以上に問題になってくると思います。そのことを考えますと、省庁間の相互調整機能の強化、これが今回の行政改革で一番求められる点ではないかと思います。  第二点は、これまでのように国の掲げる目標と国民のだれもが望むところとが一致するということは、もはや価値観の多様化によりましてこれは考えられないことであると思います。このことを前提といたしますと、政治、行政の役割を考える場合に、国民の進むべき方向としてできるだけ基本的なものだけを示す、そしてできるだけ行政の責任領域を小さくしていくということが求められるのではないか。そして、国民自主性あるいは自立性を尊重いたしまして、国民の社会参加を促すような方向で改革を進めていく必要があろうかと思います。そういう意味で、よく官から民へという言葉が使われますけれども、私はあえて官の撤退というふうに申し上げたいわけであります。  三番目は、国の目標と国民の目標の不一致は国の目標と地域の目標の不一致でもあるわけであります。地域から見ますと、これまでと変わらない国の干渉、関与でありましても、これは非常に煩わしい余計なものに受け取られるようになります。そして、場合によっては地方自治体の組織としての機能の発揮を阻害してしまうという懸念も出てくるわけであります。ですから、この問題を解決するに当たりましては、政策あるいは事業の企画立案をできるだけ地域におろしていくということが求められるのではないか。これは地方分権の問題と関連いたすわけでございます。  第四番目といたしましては、政策や事業の評価を客観的に行うためには政策目標や事業の目標をできるだけ数値化しておく、これが必要ではないかと思います。ですから、これまで各省庁が公共事業などを進めるに当たりまして作成してまいりました五カ年計画、これに盛り込まれておる数値はいろいろありますが、その数値は今私が言っておるような目標数値ではございません。目標数値というのは、国民の目から見て、その政策が行われたときに自分たちがどれだけの便益を受けることができるか、これが非常にはっきりと示されなければならないのではないかと思います。  ですから、例えば総合的な交通体系を整備していくという場合に、これまでですと、こういう事業を行えば、道路の延長はこれだけ延びます、しかしこれだけの財源がかかりますということでありましたけれども、これからの総合交通体系の整備目標は、例えばこれを行えば大都市圏においてサラリーマンの通勤時間が十分間短縮されるんだと、こういうふうな非常に目に見える形で国民に目標数値を示さなければなりません。そうしますと、事業を行ってそれが実現しなければその事業は失敗だったというふうに非常に厳しく評価することができるわけであります。  以上のような四点を私なりに設定いたしまして、これに基づいて内閣法の一部を改正する法律案中央省庁等改革関連十七法案に対しまして検討を加えさせていただきました。  そこに大変な法案の山が積まれておりますが、私も委員会のときにこれだけ法案をきちっと読んだことはなかったんじゃないかと思うぐらいに勉強させていただきました。ただ、何分この委員会に出席を求められましてから時間がございませんで、十分な検討がその意味ではできなかったというふうに思います。  後の質問のところでまた各論についてはお答えさせていただきますけれども、総合的な評価といたしましては、今の四点について今回の法案を読ませていただきますと、いずれも不十分だということで、後で申しました政策の数値化などは、これはこれから行うべきものでありますので不十分であるというふうな評価はできませんけれども、しかし、ただ私残念なのは、官の撤退、これがこれだけ省庁が整理されながら十分な評価ができないというところが非常に残念だったと思っております。  特に、先ほども例に出されました二、三の省庁が統合してつくられた新しい省を見てみますと、その所掌事務をずっと検討いたしますと、これまでの各省庁の所掌事務をざっと集めただけの話というふうなことでございます。そういたしますと、こういうことをやればどういうメリットがあるかといったら、政策の重複、重なりはある程度整理できると思いますけれども、私が申し上げているような官の撤退というのはなかなか難しい、評価できないのではないか、こんなふうに思っております。  その他各論につきましては、また御質問にお答えしてまいりたいと思います。  ひとまず終わらせていただきます。
  94. 石渡清元

    ○理事(石渡清元君) ありがとうございました。  次に、榊原公述人にお願いいたします。
  95. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) 名古屋経済大学の榊原でございます。他の公述人の先生方と異なりまして、私は独立行政法人に限定をしまして意見陳述をさせていただきたいと思っております。  御存じのように、独立行政法人をつくる際、どのような中身にするのか。例えば、制度設計であるとか制度内容というふうに言われたりもしておりますが、その際には、一九八八年、サッチャー政権の一番最後のときに提案されまして現在まで十何年の歴史を持っておりますけれども、そのイギリスのネクストステップ制エージェンシー、一般的には日本ではエージェンシーというふうにも言われているようですし、イギリスでもそんなふうにも呼んでいるようですけれども、この制度が参考にされてつくられていると。もちろん、参考ということですからそのままイギリスのモデルを日本に導入したということではありませんけれども、法律の中身の中心的な部分を見ましたら基本的には同様なものを採用しているかと思われますので、私はこの独立行政法人につきまして、イギリスのエージェンシーの制度であるとか、この間の十何年の歴史というのを踏まえまして、独立行政法制度、もう少し具体的に言いますと、独立行政法人通則法案というのが出されておりますので、そこのところで書かれていること、あるいはそれがつくられるに際しまして長期間の議論がありましたし、少し前におきましても「中央省庁等改革推進に関する方針」といったようなものが出ておりますので、こういったところの議論におきます中で私が感じました幾つかの疑問点であるとか、このままで大丈夫だろうかと不安に感じられる点であるとか、もっと端的に言うと、問題点といったような事柄を幾つか挙げさせていただきたい、そういうふうに思っております。  また、独立行政法制度につきまして、現在どのような行政機関をこの独立行政法人化するかということでいろいろ考えられているようではありますけれども、将来といいますか、今後この対象が拡大していくという可能性もあるかと思いますので、文字どおり通則法といたしまして、一般的な仕組みとして、この特徴が何で、先ほど言いましたようにどういったところが問題点と感じられるかということを述べさせていただきたいと思います。  まず第一点目ですけれども、なぜこのような独立行政法人というものがつくられたのかといいますか、独立行政法人の設置理由ということにかかわる内容です。  もちろん、これはこの法律内容、これがあらわしているところの独立行政法人というのは何なんだろうか、何が最大の特徴なのか、こういう点なんですけれども、これはもう何回も繰り返し報告書の中でも書かれていることですけれども、例えば先ほど言いました方針というのを見ますと、「事前関与・統制を極力排し、事後チェックへの重点の移行を図る」、こんなふうに説明をされております。  つまり、人事であるとか予算面であるとか、そういったところについての規制を緩和しておいて、独立行政法人にベストだと思うような業務運営の自由を一方で拡大する、自由に活動してもらう。ただ、全く自由に活動したというだけではどのような結果が出るかわかりませんし、全く期待外れに終わる、こういう可能性もありますので、一方でこういった自由を拡大しつつ、他方で、まずはいろいろな基準といいますか、そういったものを設定する。法案の中の用語で言えば中期目標というものが設定され、それを受けまして中期計画であるとか年度計画とかが策定される。その中身に合わせて最終的な評価が可能である、あるいはそれに従って活動させるというふうに言ってもいいかと思います。こういうようなものをつくって公表して、だれでも見られるようにしておいて、それに事後的な評価をする。  ですから、この手法というのは、世界的に幾つかの国々で採用しておりますニュー・パブリック・マネジメント、新しい行政管理の方法を採用した日本版であるというふうに言えるかと思います。つまり、一方で自由は拡大しつつも、他方で目標を明確に設定し、事後的な管理をむしろ強化する。  だから、完全に自由になるということではなくて、弾力化とかいうことでしばしば自由の側面だけが強調されていますけれども、事後目標というのを設定して、それを強烈にチェックしますので、むしろ統制が強化する。この場合の強化するというのは、言い方をかえれば統制のあり方が、事前に一々チェックするというのはやめて、自由にやってみなさい、結果がよければいい、だめなら強烈にコントロールします、こういう仕組みだというふうに考えていただいてもいいかと思います。こういう仕組みを独立行政法人ということで意図的に採用したというふうになるかと思います。  問題は、なぜこういうものがつくられたのか。あるいは世界を見回したときに、これはニュー・パブリック・マネジメント、一つの方法ですから、それは一体何を意図してこういう手法がとられているのか、こういう問題です。  例えば、法案の「中期目標」というようなところで見ますと、初めの方に「業務運営の効率化」というものが挙がっております。これを具体化して計画とかが出てきますけれども、ここではまさに効率化の達成のために独立行政法人という特定の形式が採用されております。  注意しておきたいのは、ここで言っているところの効率化という意味です。しばしば減量化と同義語に使われるような場合もあるかと思いますけれども、この場合の効率化というのはそういった意味とは異なりまして組織の減量化、もう少し具体的に言いますと、日本の場合でいう公務員定数の削減という意味で用いられる減量化とは違って、それとは異なって、区別されて、一定の業務運営を今までよりも、要するに同じ内容をやるんだけれどもそれをもっと効率よくやる、こういう意味での効率化であると思われます。こういうふうな考え方、パブリック・マネジメントの考え方というのは基本的に同じかと思います。  したがって、独立行政法人が設置されるのがこのような意味での効率化を達成するということになりますと、従来の議論とちょっと合わないところがありまして、今まで独立行政法人が議論される文脈というのは、独立行政法人の設置の理由が、こういった意味での効率化とは違いまして、まさに公務員定数の削減、そのための減量化の受け皿をつくる、こういうところにあるように思われます。  しかしながら、減量化のための受け皿をつくるということであれば、わざわざ法案で採用されたような制度内容の独立行政法人を創設する必要はないという根本的な問題がありまして、わざわざ法案の中で独立行政法人で今言った効率化の達成というのをうたいながら、むしろ最大の目的、独立行政法人の創設の理由が別にあるというところは、その限りではミスマッチであるように思われます。これがまず第一点目です。  以下、この法律一つ内容として、まず減量化ではなく効率性が目指されている。問題は、その効率化に焦点を当てた場合にどうなるのかというのを見てまいりたいと思います。  独立行政法人化によって効率化が目指されるわけですけれども、効率化が一体どのような方法でもって、どのような手段でもって達成されるのかというのが一つのポイントになります。もちろん、効率化のための中期目標であるとか中期計画、年度計画というものがつくられますから、それに沿って達成されるということなんですけれども、こういったものさえ設定すれば自動的に効率化が達成されるという、当然ながらそういうものではありません。  いろいろなことが考えられますけれども、例えばコンピューターを一気に大量に導入した、そのことによって簡単に処理できるようになったということもあるかと思いますし、そうではなくて、効率化の評価は、目標であるとか計画に掲げられたそれを評価することによって前と比べて効率的なものになったかどうかということを考えますから、こういったところには上がらず、直接には評価の対象にならないようないわば付随的なサービスをカットすることによって効率化が達成されるということも考えられます。例えば、サービス本体ではなくて、それに付随するような助言、相談のたぐいをカットする、あるいは効率的にするという、こんなような意味合いです。  こういった事柄は、例えば政府がコストを削減するという目的から仮に政府の交付金を削減して独立行政法人自体の財源が減少するような場合には特にその可能性は高いと思われますし、他の理由から大幅な効率化が必要だというふうになればこういったものがカットされる規模というのも大きくなってまいります。いずれにしても、効率化というものは何らかの犠牲と一定の何か失うものがあって達成されるということに注意を向ける必要があるかと思います。  実は、このこととの関係におきまして、今はサービスの部分でも付随的というふうに言いましたけれども、ある意味でその本体の部分も問題になってまいります。独立行政法人は、行政改革の中におきましても、特にその「中期目標等」を見ますと、「国民に対して提供するサービスその他の業務の質の向上」、簡単に言えばサービスの質の向上というものをわざわざうたっております。したがって、独立行政法人に限定して考えてみますと、単に減量化であるとか効率化だけではなくて、わざわざサービスの質の向上というものを目指していることが法案からは明らかであります。    〔理事石渡清元君退席、委員長着席〕  これは、行政の公共性といったことからも出てくるかと思いますけれども、ニュー・パブリック・マネジメントの手法におきましては効率化とともにサービスの質の向上というのが目指されるのはほぼどこでも同じことですから、ある意味では、この手法を採用することによって効率化とともに質の向上も当然目指されたというふうに言ってもいいかと思います。  ところが問題は、まずは効率化と質の向上を同時に達成することがなかなか難しい、そういうことです。すなわち、先ほどの例からも容易に想像できますように、効率化を目指したような場合には、質の向上がないというだけではなくて、むしろ向上せず、質が低下するという問題が生まれてくる可能性も少なくないからです。  もっと難しいのは、このような問題を別にいたしましても、質の向上をどのように測定できるのかという問題です。目標を設定する際に、効率化の方は比較的容易に測定できるような目標等を設定することは可能であっても、質の向上について測定するのがなかなか難しいということです。  例えば、先ほどから言っております方針におきましては、「中期目標は、できる限り数値による等その達成状況が判断しやすいように定めることとする。」。確かに、わかりやすさからしてこのようにすべきだと思います。業務運営の透明化を図る上でもそのようにすべきだと思うんですけれども、質の向上の場合には、効率性と異なってやはり難しい。  例えて言えば、ここで公述人として十五分のお時間をいただいて、その間に何語しゃべったか、あるいは何分でしゃべったかという効率性の問題は比較的容易に判断できるのに対しまして、中身がどうだったかという質の測定をするというのは非常に難しい、こういうふうにも言えるかと思います。  ここが一つ問題なんですけれども、質の向上については、目標の設定が難しいということになるとどういう結果が待ち受ける可能性あるいは危険性があるかといいますと、効率性に関する目標設定は質の向上に比べれば容易なわけですから、効率化は重視されても、それと並んで規定されている質の向上については重視されず軽視されてしまう可能性が事柄の性質上あるという問題です。  第四へ行きたいと思います。  今言いました効率化であるとか質の向上につきまして中期目標を設定したり中期計画等を策定するわけですけれども、それが一体どのような手続で行われるであろうかという問題です。  つまり、ニュー・パブリック・マネジメントにおきましては、いろいろな基準を設定してそれを評価するということが決定的に重要なわけですから、どのように適切な基準が設定され、どのように適切に評価がなされるのかという問題です。法案の中では、これらの設定につきましては独立行政法人評価委員会の意見を聞くという事柄はありますけれども、果たしてそれだけで適切かどうかが問題になります。  質の向上に対しては、とりわけ国民に対して提供するサービスが問題になっているわけですから、国民意見を反映するような仕組みというのが法の中でも保障される必要がないんだろうかということが問題になります。  評価でも全く同じです。つまり、国民に対するサービス、それに対してどうだったのかというところは、意見反映の仕組みであるとか苦情処理の仕組みを通した個別ケースを通しての意見の反映という仕組みがないだろうかといった事柄が問題になってまいります。  最後に五点目について、簡単に話をさせていただきたいと思います。  これは今言ったような制度設計のあり方が業務の運営のあり方であるとか職員に影響を与え得るということです。  独立行政法人の長は、事務事業を適正かつ効率的に運営できる者であるとか、方針を見ますと、経営に関して高い識見を有する者といった人たちが任命され、また目標設定、計画策定とその評価を通して短期的に、一定の期限が切られていますから、短期的に成果を出すことが求められ、事後の評価では任期途中の交代もあり得るとか、役員の報酬や職員の給与において業務の実績等が反映されるということになっております。  そうすると、従来あったような業務運営の仕方、それが前提にしていたような、例えば平等性を確保するであるとか公平性を確保するであるとか、今まで公務員であることから守られていたような価値というものが今後変わっていく可能性があるのではないか、こういう問題です。  時間が来たようですので、これで終わらせていただきます。
  96. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) ありがとうございました。  以上で公述人方々の御意見の陳述は終わりました。  これより質疑に入ります。  質疑のある方は順次御発言願います。
  97. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 自由民主党の亀井郁夫でございます。  きょうは、先生方にはお忙しい中をわざわざ御出席いただきまして、いろいろと各方面から貴重な御意見を承りまして、ありがとうございました。心からお礼を申し上げたいと思います。  それでは、先生方に、不勉強でございますけれどもいろいろと質問させていただき、お教えを請いたいと思うわけであります。  今回のこの行政改革、考えてみますと、明治以来続いてきた一つの官僚機構に大きな変化を与えることでございまして、大変難事業ではないかと私は思います。しかし、ぜひともこれはなし遂げなければならない大きな課題でもあるわけでございます。  そういう意味で、これからみんなで英知を絞ってやっていかなきゃいけない。今、先生方からいろいろと問題点も指摘されましたけれども、こうした問題を一つ一つ克服していかなければ、この行政改革も日の目を見ることにならない、何をやったのかわからないということになってしまうのではないかと思うわけでもございます。  特に、行政改革に絡みまして、私も民間企業におりまして組織管理を担当しておりましたけれども、会社の風土をいかに活力あるものにするかということを考えますと、プラン・ドゥー・シーが常に順にうまく回っていなきゃいけない、私はそう思うわけであります。そういう観点からこの行政改革を考えるときに、プランについては内閣の権限の強化、行政機能の強化ではないかと思いますし、またドゥーの部分は中央行政組織の効率化、減量化ということでしょうし、またシーのところでは評価機能ということでございまして、これについて先生方がいろいろと御指摘になったわけでもございます。  特に、今回のプランのところでございますけれども、内閣機能を強化して総理大臣に発議権を与えるとか、あるいはまた内閣官房をつくり、内閣府を設けてこれを強力にサポートするという形になっており、そこで総合調整機能を果たしていこうというふうに理解されるわけであります。また、各省庁の統合再編成につきましても、二十二あったのを一府十二省庁にまとめるという形でございます。  これにつきましても、先ほど来御指摘ございましたように、国民の目から見ますと何かよくわからない、総理大臣が発議権を持ってリーダーシップを持つというのはよくわかるわけでありますが、各省庁を足した部分では、何か先ほど牛嶋先生がおっしゃったんですかね、足しただけのことになるんじゃないかということでございまして、ましてや国土交通省など、これまでも運輸省と建設省という大きな省が一緒になって国土交通省になっちゃう、こういうことで大臣一人でも大丈夫かいなと、それでなくても大変なのに、管理限界を超してしまってますます役人の思うとおりのことになってしまいやしないかとかという率直な疑問もあるわけでもございます。  また片方では、そうはいっても縦割り行政をこういうふうにすることによって防ぐことができて、今度はそういう点が少しよくなるんじゃないかというふうなことを評価する意見もあるや何やらで、よくわからない点があるわけでございます。  そういう意味で、片岡先生に最初にお尋ねしたいんですけれども、こうした国民の率直な疑問に対しまして、いろいろあるが今回の行政改革というのはトータルで見たら何点ぐらいなんだと。そして、こういう点が確かに一、二問題だけれども、これについてはこうすれば解決できるんじゃないかと思うからそう心配せずに実現すべくみんな頑張れよというお話がいただけるのかどうか、ひとつお願いしたいと思います。
  98. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) どうもありがとうございました。  私は、行政改革というのはサイエンスの問題ではなくてアートの問題、したがって、そこでは決断というものが大事であるというふうに思っております。  もしも、それが国の進むべき新しい方向に向かうのに必要であるとすれば、その決断が行われることこそ大事でございまして、実は決断をなされた結果ここにこういう形で改革案が出ているわけでございまして、まず決断というものをなされた方の勇気というものを尊重して、そしてそれに従ってみんな進んでいきたいというふうに思うわけでございます。  先ほども申しましたように、行政改革が最初から完成した形でできるものではない、日本の行政も明治からの長い年月をかけてつくられてきました。これから新しい行政を目指すわけでございますから、これはやはりこれからみんなの力でつくっていかなければならない。もしも、ここですべてを従来の官僚の手にゆだねるということになりますれば、またもとのもくあみであろうというふうに思いますので、国民も参加する形で新しい行政のシステムというものをつくり上げることが望ましいのではないかというふうに思っております。
  99. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 どうもありがとうございました。  それでは次に、野上先生にお尋ねしたいんです。  野上先生から時間もないから疑問点なり問題点を中心にしてお話しするとおっしゃいまして、十五分間問題点ばかりだったものですから、正直言いまして、お聞きしまして大変だなという感じがするわけでございます。こうした数ある問題点の中で、先生がこれとこれだけは特に問題なんだよという点を一つ二つぐらい重点的に指摘していただいて、そのためにではどうしたらいいのかというあたりについて先生の御意見を拝聴できれば、これからそういう問題を踏まえましてまた頑張っていかなきゃならないと思うのでございますが、いかがでしょうか、よろしくお願いいたします。
  100. 野上修市

    公述人(野上修市君) 内閣関係について申しますと、官から政という形で大きな転換が図られるという、この方向はもう大方の人が認めるところだと思うんです。そういう方向が今回の法案に出ていることは喜ばしいことであって、決してこれは悪い方向ではないと思います。  問題は、先ほど言いましたように、国民との関係がどうなるのか、国会内閣内閣総理大臣の関係はどうなるのか。官の関係では、内閣内閣総理大臣が憲法が予定しているとおりの本来の姿に返っていく、これは喜ばしい。しかしながら、そこまではいいんですけれども、では内閣内閣総理大臣が強くなれば日本政治国民の望むような形になるのかならないのか、これはそうはいかないわけでございます。そういたしますと、今度は内閣内閣総理大臣をチェックする、文字どおり本当の意味でチェックする機関を国会でつくっていくという方向にやはり連動していかなきゃいけない。官をたたくだけで内閣が強化される、それはいいですが、そこでとまってしまいましてそれ以上は従来どおりである、こういうことになりますといかがなものかと私は考えるわけであります。  それからもう一つ、中央省庁の件でございますが、これは私の著作では八つの省庁に再編成するということになっているんですが、細かい議論はここでは差し控えますけれども、やはり大切なことは、中央政府がどういう役割をするのか、どういう機能を持つべきなのか、地方は、そして民はと、こういった議論が日本では意外とされていないんです。ですから、かなりの人が言っているんですけれども、細かい議論になりますとほとんど議論されていないので、外国、アメリカ、イギリスその他でもこういった中央の役割、守備範囲、地方はどうする、そして民はどうすると、こういった三者が広い意味で行政にどういう形で参加していくのか、どういう形でまた責任を持っていくのか、こういう参加と責任の議論が実は前橋本総理の中にも少し出かかったんですけれども、結局は私から見ますと出ませんでした。  簡単に申しますと、よく国から地方へとかあるいはまた民へと、こういう標語は出ますけれども、そういう議論だけじゃだめなのでございまして、もっと中身が大切なんです。全国家的、全国民的な問題は中央政府地方自治という憲法上の原則はあるんですから、地方自治法も二条でずっと二十何項目にわたって書いているわけでございまして、実はこれらが実現されていないんですね、法令等に特段の定めがある限りという形で。その法令等に特段の定めが多過ぎるために、実際には地方自治体は今まで何もできないという状態があったわけです。  それでは、民はどうするのか、民間人はどうするのか、この議論は華々しく打ち上げられているんですが、ほとんどこれが行われていないんですね。でありますから、民はどうするか、民営化、民間委託を含めて。こういう議論がいわゆる国鉄の問題等では若干行われたんですが、それでストップしちゃいまして、結局、今は具体的なイメージをほとんど国民は持つことができないんじゃないでしょうか。  こういうところも、かけ声だけじゃなくて、もっときめの細かい議論をする時代に入っているんじゃないか。そうじゃないと、国民はある部分はわかるでしょう、内閣なんかの強化される部分等はわかりますけれども、では地方とか民間はどういうふうな行政にかかわりを持つのか、こういうところになりますとイメージとしてはわかないと私は考えているわけでございます。
  101. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 先生、どうもありがとうございました。  民間なりあるいは国なり行政なり政治なりがそれぞれの役割を具体的にきめ細かく考えてやっていくべきだという先生のお話はよくわかったわけであります。  それでは次に、牛嶋先生にお尋ねしたいと思うのでございますけれども、先生からお話がございましたのは、戦後は貿易立国という一つのテーマがあって、それに向かってみんなが頑張ってきたということで、短期間にその目的も達成できた。ただ、今は共通の目標がなくなってしまっているので、そういう意味でいろいろな面でミスマッチが起きているというふうなお話を今お聞きしたわけでございます。  そういう意味では、官の撤退というふうなお話もございましたけれども、これまで果たしてきた官の役割というのも大分大きなものがあるわけでございますから、ここで全面的に官を否定する形で官の撤退というスローガンはいいのかどうなのか、ちょっと私は疑問に思うわけでございます。これからのスローガンとして先生がこんなスローガンだったらいいんじゃないかと思われているようなものがあればひとつ教えていただきたいと思うんです。
  102. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 先ほど私が官の撤退と申しましたのは、全面撤退ではございませんで、部分撤退でございます。ですから、その撤退の仕方なんですね、問題は。  地方分権を今進めておりますけれども、私は地方分権で重要なのは、今まで国が握ってきた企画立案のところをできるだけ地方に移すべきだと思うんですね。そうしますと、地方が今まで持っていた、役割を果たしていた実施の事務、これはおのずと私は民間の方へ移っていくんじゃないかというふうに思います。例えば、今ごみの問題でも有料化の問題が議論されておりますけれども、こういう形で、ですからとりあえず国から地方へ企画立案の部分をおろしていくというのが私は全面的にスリム化していく一つの手段ではないかなというふうに思います。  今回の行政改革でも、実施と企画立案を明確にして、それぞれもう一度、硬直化ではなくて弾力化というふうにおっしゃっていますけれども、私はその場合に重要なのは、企画立案のかなりの部分、おろせる部分はみんな地方へおろしていく、そうするとおのずとその後には行政全体のスリム化がつながってくる、こんなふうに思っております。  先ほどの撤退の話は、全面撤退でないということをちょっとお断りしておきます。
  103. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 ありがとうございました。  官の撤退というのは、部分撤退だということはよくわかりました。ただ、スローガンにしますと、官の撤退というのは全面的になるものですから、そういうことでちょっとお聞きしたわけでございます。  特に、先生がおっしゃるように、地方分権といいながら実は機関委任事務を移してしまうだけのことであって、実際に企画立案まで地方分権で移しているものはないわけでございます。そういう意味では、この辺はこれから考えていかなきゃいけない大事な問題だろうと思います。  それから、次に榊原先生にお尋ねしたいんです。  榊原先生から独立行政法人に絞っていろいろお話があったわけでありますけれども、独立行政法人の中に特定独立行政法人という形で、公務員としての身分を与える形でやるようになっておるわけです。大体、八十九機関のうち八十五機関、七万三千人ぐらいがこれで、いわゆる一般の独立行政法人はわずか八百人、四機関ということで、何か一般的に考えますと、なぜそんなに公務員の身分にこだわるのだろうかというふうな感じがするわけでございます。  先日の質問で、大臣、長官に聞きましたら、いや、それは大したことないんだ、労働三権に絡むぐらいのことであとは全く同じなんだ、軽く考えていいんだというお話がございましたけれども、先生からその辺のところのお話が出るかと思ったんですが、そういうことはなかったわけでございます。  それについて、一般の受けとめる感じというもの、その他いろいろ出てきて、逆に国家公務員としての身分をもらったばかりに、これから本当に独立行政法人として民間的な運営を期待しているのに、結果としてはうまくいかないんじゃないかなというふうに私は個人的には非常に危惧しておるわけであります。それだけに、やはり民間的な運営をするためにはどうしたらいいかということをもっともっと考えていかなきゃならないんだろうと思っておるわけでございますけれども、榊原先生、その辺についてはどのようにお考えでしょうか。
  104. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) 身分の問題につきましてはもう時間がなくなりまして、実は触れようと思っていたんですけれども、ありがとうございます、ここで考えを述べさせていただきます。  まず、独立行政法人の仕組みということが、一定の効率性であるとか質の向上を上昇させるという、そのために自由を拡大しつつ、他方で目標を設定し監視するという仕組みですので、そういう制度だということを前提にちょっと話をさせていただきたいと思うんです。  現在の国家公務員としての身分を職員に与えるのか、それから身分を与えないのかというところでの一番大きなポイントの理由は、争議権の有無というところかと思います。しかし、ここで問題になりますのは、その他、国家公務員であることの意味というのをどう考えるのかというのがいろいろあるかと思います。  恐らく、評価の仕方としては、確かに現在の独立行政法人で考えている以上に民間に近づけようと思った場合には、それが支障になるということもあり得ると思うんですが、私自身の考えは逆に、国家公務員の身分を与えられることによって意味を持っている部分もあるのではないか。つまり、国家公務員法が適用されることによって確保しようとしている一定の価値というものがあるんじゃないだろうか。  例えば、成績主義に基づく任用であるとか、国家公務員法に定められた幾つもの服務規定がありますので、ああいったものが適用されるということの意味であるとか、もう少しはこういった問題を除きましても、公務員組織、ヒエラルヒー組織のつくられ方によって組織的な責任を確保して一定の手続を重視してみたり、その中で一体性が保たれて平等性や公正性にも目を向けていくことが理念的にはできるはずである、こういった価値もございますので、逆にそういった点をもし重視するということになると、職員に公務員の身分を与えないような場合には、そういった従来の考え方というのが変わっていってしまうのではないか。  また、公務員型の問題も、成績主義に基づく任用であるとか服務規程であるとか、こういったものがあるにいたしましても、先ほど言いましたような、例えば長のところに経営に高い識見を有する方がいらっしゃるであるとか、短期間に成果を出さなきゃいけないであるとか、もし何か成果が上がりますと給与のところにもそれが反映するといったようなところがあって、そうするとそういったインセンティブを通して、国家公務員型であってもやっぱり従来とは違ったところへの関心が強くなってしまうのではないか。私の関心としては、そういった国家公務員としての身分を維持する場合であっても従来とは変わってしまうのがどうなのか、むしろ問題があるかもしれないというふうに思っております。  以上です。
  105. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 今の先生のお話ですと、むしろ国家公務員型になった方がいい点があるんじゃないかというふうなお話があったんですけれども、実は私自身は、この八十五の機関がほとんど研究機関でございますから、やはり本当に有能な研究者は高給で処遇するというふうな形でやらなきゃいけないわけでございますし、そういう意味ではむしろ公務員で横並びという感覚が果たしていいのかという民間的な発想からいくとどうも理解しにくいものですから、このことをお尋ねしたわけでございますが、やはり公務員型がいいんでしょうか、先生その辺。
  106. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) そういうふうに質問を立てられると難しいんですが、そもそもそういうふうに自由を目指すということであると、独立行政法人の中に閉じ込めるというか、その形態を選択するということ自体もう今度は問題になってまいりますし、とりわけ独立行政法人通則法というふうになっていて、果たして個別のこれとは違った形での独立行政法人というものの存在を認めるのか、認めたとした場合にどの程度まで違えるのかという、こういう問題も出てまいります。そうなったときには、例えば独立行政法人をもっとここにあるようなのとはかなり違った形でつくった際にどうなるのかというのはまた議論があるかとは思うんですけれども、現状ではそもそも独立行政法人が前提としているような管理の仕組みというのに、研究所であるとかつけ加えますと大学であるとか、そういったものは必ずしもなじまないというふうに私は考えております。
  107. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 先生、どうもありがとうございました。  次に、行政の評価システムの問題についてちょっとお尋ねしたいと思うんです。  プラン・ドゥー・シーの三番目のシーの問題でございますけれども、このシーの問題については従来行政の面では比較的軽んじられておって、プラン・ドゥー、プラン・ドゥーで回っていくということで、例えば決算委員会も国会にありますけれども、決算委員会で審議されるのは二、三年前の決算が審議されるわけでございまして、その結果が予算編成には生かされないというふうなことで、そういう意味では結果は余り重んじられないのがこの世界かなという感じが今しておるわけでございますけれども、それじゃやっぱりいけないんじゃないか。これからは評価をちゃんとしていこうということで、中央省庁等改革推進に関する方針、この中にも政策評価について国民的視点に立ってやっていかなきゃならないということがはっきり書いてあるわけでございます。  そういう意味で、今の独立行政法人の問題に絡みまして、各省庁に評価委員会が設けられることになりましたし、総務省には評価委員会ができて、各省庁についても全部評価するというふうなことになっておりまして、大変重い形になっておるわけでございます。さらには、そういうことになりますと、これから特殊法人等についての評価もやっていかなきゃいけないという問題がありますけれども、そういう意味で特に政策評価について、業績評価をつくったらどうかという意見もいろいろ出ておるわけでございます。  こうした行政評価について、時間もございませんけれども、片岡先生にひとつよろしくお願いしたいと思います。
  108. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 行政評価は、国家行政組織法第二条の新しい項目によりますと政策を立案する前に出ておりますから、恐らく政策、事前とそれから事業実施中と実施後の三つの段階でなされることが予定されているというふうに思います。  そして、最後の段階で行われるということは結果を把握するということですね。これは先生方がいろいろ指摘されましたことで実は一番重要なことなんですけれども、まず政策評価というものの中にそういう要素も入ってくるんだ、将来入ってくる可能性もあるんだということです。また、入るようにしていかなければならない、そういう制度をつくっていかなければならない。それが把握されたことによって、行政がこれだけの犠牲においてこれだけの成果を社会に対して上げたんだということを示すことができなければならない。そして、それに対する国民批判が当然向けられるような仕組みがつくられなければならない。  これについては、イギリスにおきまして市民憲章というのがございます。それをさらにブレアは改定いたしまして、五千人から成る市民のパネルをつくりました。それによって政府が示した達成度に対しまして市民が評価をするという仕組みができましたので、将来はそういう方向に向かうのが望ましいというふうに私は思っております。
  109. 亀井郁夫

    ○亀井郁夫君 どうもありがとうございました。時間になりましたので、これで終わりにさせていただきます。  きょうは、先生方貴重な御意見どうもありがとうございました。(拍手)
  110. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 民主党・新緑風会の岡崎トミ子と申します。よろしくお願いいたします。  きのうはやはり一日じゅう、もしかしたらこの公聴会のために時間を割かれたのではないかと思っております。感謝をいたしております。  橋本行革の六大改革の核として今回の行革論議が始まりましたときには、熱気というものを感じておりました。この省庁再編そして地方分権ということについて法律が提案されましてからは、少し私たちの立場としては批判的な立場に立っておりました。しかし、それなりの期待というものも持っていたというふうに思うんです。ところが、時間がたつうちにずるずると後退して、何のためのどんな行政改革なのかというのが明らかにならないままに今日を迎えてきてしまっているというふうに思います。  きょうは、先生方の専門のお話をお伺いいたしまして、本当にもう一回この位置づけというものを考えて、またこれからの行革の道筋というものもいろいろと御示唆をたくさんいただいたというふうに思っております。  最初に、片岡公述人に伺いたいと思います。  内閣機能の強化は、政治によるリーダーシップを発揮する、確立するという意味でも大変重要だというふうに思っております。しかし、何のために政治が官僚システムをコントロールするのかというふうに言いましたら、それは市民の皆さんの思っているものが政府政策に的確に反映できるという期待であろうかなというふうに思います。  ところが、そうした観点から見てみますと、政府の出してきました内閣機能の強化案を見ると、やっぱり不十分だというふうに思います。この権限が強化される分、内閣がますます市民から遠くなってしまったのではないかというふうに思うんですね。内閣官房の政治任用も議論されておりますけれども、政府の方針からうかがわれる問題意識は、あくまでも各省庁からのすぐれた人材の登用、そして外部からの専門的知識を有する人材の登用を図るというふうになっておりまして、細部についてはまだ不明でございます。  そこで、内閣府のスタッフへの政治任用に民間人の起用、そしてまた内閣府にオンブズマン的機能を持たせるということで、内閣と市民の距離を近づけていくという仕組みを整備していく必要があるだろうというふうに思います。目先の法案にこだわりますと表現しにくい面もあろうかと思いますので、あるべき論ということで自由に発言をしていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  111. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 機会を与えていただきまして、ありがとうございます。  内閣法の改正によりまして総理大臣の権限を強化するというのは、実は我が国の歴史的な経緯によるものでございまして、これは日本内閣制度、戦前は内閣総理大臣が同輩中の第一人者、プライマス・インター・パーレスということであったのでございますけれども、戦後は憲法によりまして内閣の首長という立派な位置づけをもらったのですが、内閣法の中に位置づけを裏づける権限が書いていなかったということがあるんです、大変不思議なんですけれども。内閣法をつくられるときに、これは外国の文献も参考にされたようでございますけれども、ほかの大臣の閣議請議権とか、何でも発言していいというふうな権限は書かれているんですけれども、総理大臣の権限だけは規定されていなかった。したがいまして、それは必要最小限度規定する必要があるのではないか。そういうことによって、権限についての疑義が生じることを防止するという意味が非常にあろうかというふうに思います。  それから、内閣官房にオンブズマン的な機能ということでございますけれども、オンブズマンというのは要するに行政に対しまして監視するということでございますから、これはカウンターパワーというものにならざるを得ない。したがって、参議院がオンブズマンの機能を果たされるのは結構だと思いますけれども、内閣官房自体がオンブズマンになるというのは若干難しいのではないか。  しかし、これは決して国民の世論に対して内閣官房が耳をふさいでいいということではございませんで、むしろ国民意見を吸収するパイプは何らかの形で考案した方がよろしいのではないか。  それから、民間人の期限つき任用ということが制度全体的に考えられておりますけれども、これが一番意味を持ってくるのは内閣官房のところでございまして、内閣審議室等のスタッフにそれが幅広く登用されて活用されるということが望ましいことではないかというふうに私は思っております。
  112. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。  次に、野上公述人にお伺いいたします。  野上公述人は、今回のこの行革に関して疑問点、問題点を指摘してくださいました。憲法の理念を生かすということが大変大事だろう、そして基本原理と国家目標を制度の中に定着させていきなさいというようなことがございました。今度のこの法案というのは全く不十分だと言ってもいいと私自身は思っているんですけれども、中身をよく吟味いたしますと、本当はこれはいいなと思うことがあるんですけれども、肝心なところはこれから議論だというこの国会の中での答弁もございましたし、殊に政令事項だといってなかなかこの中では議論ができてこなかったんです。  政策評価の仕方につきましても、本来は民主党が主張しておりますように、日本版GAOをつくりましたり、きちんと政府業績評価法を制定しまして本格的な、制度的なアプローチをとるべきだというふうに思うんですけれども、政府が出してきました総務省内における第三者による評価委員会をつくる案も、それはそれで評価できる点もございます。これは数少ない目玉なんだというふうにこの間も委員会で指摘をいたしましたけれども、どういうものか突っ込もうとしますと、これまた政令事項でこれから決めるんだということでございました。  こういう肝心なことは政令にゆだねるということについて、憲法学者でいらっしゃいます野上先生はどんなふうにお考えになりますでしょうか。
  113. 野上修市

    公述人(野上修市君) もともとここで諸先生方にお話しするのは大それたことなんですが、憲法の七十三条では政令というものについての一定の基本原則があるわけでありまして、これは憲法と法律を実施するためにつくられる命令ということなんです。したがいまして、おわかりのように、憲法の理念といったものを踏まえて法律がつくられて、そして法律では書けないささいなことといいましょうか、言ってみましたら実務的なこと、こういうところが本来政令の守備範囲でございます。  ところが、日本の場合は、先生が御指摘されますように、今始まった問題ではございません。私たちの世界では、本当に政令の方が法律よりも上になってみたり、いわゆる白紙委任とかそういう問題がもう古くて新しい問題として語られております。したがいまして、今度の場合も肝心なところになりますと政令、政令は御承知のように内閣自体で、言葉が悪いんですが、勝手につくることになりますので、結局大切なここを知りたい、ここはどうなるんだ、この仕組みはどういうふうに考えておるのかと、それをいや政令で後日決めますとなりますと、諸先生方が見ますと輪郭はまだわかるんだけれども肝心の中身はどうなっておるのかというのが全然わからない、こういう話になってしまうわけです。  したがいまして、やはり法律といったものをつくる場合には、その法律の中で重要な機能、役割、システムと位置づけられているものについてはかなりの部分について法律の中で明確にするということがまず第一に必要でありまして、先ほども言いましたように、ささいな事務的なそういう案件について政令に委託する、これが憲法の建前だと私は言っておきたいと思います。
  114. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 大くくりのメリットとされる総合政策が可能になるとか、あるいは幅広い選択肢の中から優先順位をつけやすくなるということについて、このままでは発揮されないというふうに思うんです。具体的なことを聞こうとすると政令事項ということでは政策評価も同じです。  今後、大くくりのメリットが発揮されるためにはどのような仕組みを内在化させたらいいかということについて、また数年たちましてからこの大くくりのメリットが発揮されたかどうかを判断するのにどのような点に注目してどういう基準を見るべきかということについて、野上先生にお伺いしたいと思います。
  115. 野上修市

    公述人(野上修市君) 大くくり論につきましても私の論文で詳しく書いているんですが、これは今さら出てきた議論ではありません。かなり以前の行革審議会でも出ているのでございます。  大くくり論というのが一体何を意味しているかよくわからないところがあるんです。要するに、小さな政府、そして国が今までの守備範囲を超えていろんなことに口を出していた、ですから本来の国が持つべき役割を果たす、そういう意味で大くくり論を議論しているならそれはそれでよいのですけれども、実際はそういう形ではなくていわゆる行財政の削減といったものから出てきます議論が中にありまして、要するに経費の削減というものから大くくり論が出てきてしまう。そうしますと、結果的には本来果たすべき行政の公共性というものが果たせなくなってしまうということになります。そして、削減というものが絶対化されますから、先ほどどなたか公述人の方も言いましたように、結局でかい国土交通省みたいなのが出てくるというふうな形でございまして、実は数合わせになってしまうという議論になっていくわけです。  ですから、大くくり論は大くくり論でいいんですけれども、その中にやはり国家、中央政府がこれからはどういう役割をするんだ、この部分についてはきっと責任を持ってやるんだ、こういうことが明確にされないで、先ほど申しましたように、経費とかあるいは人員の整理とかそういうようなところが本音で大くくり論をぶりますと、これはおかしな大くくり論で大ぶろしき論になってしまうと言わざるを得ないと思います。
  116. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 今ちょっと国土交通省についても触れてくださったんですけれども、これは具体例としてお伺いしたいんですが、現在の企画調整部門であります国土庁の国土局と水資源局を一緒にした国土水資源局を設ける一方で、河川局と港湾局はそのまま維持するとなっています。そうかと思いますと、地方整備局をつくって、これは実施部門だと言っているわけなんです。そうしますと、企画部門、実施部門、これを分けるというのはどういうことなのかという観点から、今後これらの局の編成、地方支分部局の権限と本省との関係についてはどんなふうに進められるべきというふうにお考えでしょうか。
  117. 野上修市

    公述人(野上修市君) 企画立案機能と実施執行部門の二分論、機能二分論と私たちは申しておりますが、これは、当てはまるところと当てはまらないところがあるということを我々は考えておかねばいけないわけです。  今出てきます改革構想は、大まかに言いますと、中央レベルが企画立案していって、そして実施部門を地方自治体とかあるいは場合によっては独立行政法人とかあるいは外庁関係にさせる、こういうような分け方をしているんですね。そういうことではなくて、本来よい行政をするためには、企画立案はやはりある場合においては裏腹の関係で重要なんです。  私なんかが特に強調していますのは、大蔵省とかかつての厚生省とか、こういうでかいマネー、でかい権限、認可事務を持っている、こういうところが非常に問題になりましたから、こういうところについてはやはり分けていかなきゃいけないわけですね。そして、分けることによってチェックができるという考え方を持っているわけでございまして、何でもかんでも一律的に企画と執行が分離していくのがよいということではない。それは余りにも硬直した議論になろうかと思うんです。
  118. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 片岡公述人にも、局の統合のあり方について、お考えがありましたらお教えいただきたいと思います。局の統合のあり方について、今は改革は入れ物、これがまず第一歩だということなんですけれども、中身はこれからなので、その局の統合のあり方です。
  119. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 省そのものは主要任務というものに従って編成するという原則でございまして、その省の中の大きな所掌事務の範囲というものを局に分けていくということになります。  私といたしましては、やはり政策と執行の区分が必ずしもまだ十分ではないのではないかという印象を持っております。そして、できるならば規制機能と政策立案機能、それからまた審判機能、そういうものが今の省庁の中ではごったまぜになっておるんですけれども、将来はそこをちょっと整理していかなければいけないのではないか。これは、アメリカでは規制というのは省で行っておりませんで、独立規制委員会というものが行っております。  実際、イギリスで行いましたエージェンシー化というのは、そういうものを分けていくということを本旨としておりまして、例えばパスポートを発給するとか刑務所を管理するとかいう機能をエージェンシー化していったわけでございまして、日本では印刷局、造幣局というものが将来独立法人化される方向で検討されていらっしゃると思いますけれども、それが一つの例となりますが、そういうものがもっとたくさん出てこなければならないというふうに思っております。  そこで、国土交通省が大変大きな省だというお話でございますが、機械的に現在いる公務員を移してみますと六番目の省になりまして、必ずしも数の上で一番大きい省ではないということでございます。権限からいえば二千五百件ぐらいの規制権限というものが移ってまいりますので、非常に大きな権限を持った省庁であるということは事実であると思います。  ただし、ここで見逃してならないのは、実は地方整備局というふうに言われまして、地方建設局と地方港湾建設局を統合いたしまして地方整備局というものをつくるということでございますが、実は、地方分権化と並行いたしまして、国の中での現場の職員、第一線の職員に権限を委譲していく、これを昔はデボリューションと申しましたが、最近はエンパワーメント、力を与えるという言葉で表現されております。  実は、改革法案の中では盛り込まれておりませんけれども、推進の基本方針というところではそれがうたわれておりまして、補助金というものをブロック単位で与えてしまうということですね。あるいは、公共事業というものを地方単位で計画していく。そういたしますと、地方と国の出先機関とが対等の立場で話し合う場がつくられることが可能になってまいります。これまではそういう場が日本ではなくて、すべて東京に来なければ用が足りないということでございましたけれども、これからは地方同士が対等の立場で話し合うことができる。  実はこれは大事なことでございまして、アメリカの連邦政府というのは、これは中央集権的な連邦政府なんです。ところが、ドイツの方は現在は分権的な連邦主義というふうに言われているんです。なぜかと申しますと、連邦政府の職員と州の職員が対等の立場で話し合う場が用意されているからでございます。こういうシステム日本にもできることが望ましいというふうに考えますので、地方分権と相まって中央省庁における権限の地方委譲ということも行われることが望ましい、事実、その方向での改革は基本方針には盛られているということでございます。
  120. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 時間が本当に少なくなってしまったのですが、牛嶋公述人にも何問か用意をしていたのですけれども、一問だけなんです。  官の撤退ですか、おっしゃっていて、現在国がやっております仕事のうち地方でやるべきことは地方、民間でやるべきことは民間へということで移していくということはすごく大事だと思っているのですが、今用意されているものの中で、大変これは自治を脅かすのではないかと恐れられております最たるものは地方支分部局だというふうに思うんですが、これの制度設計、運営に当たってどのような点に注目すべきかとか注意すべきかということについて御意見がございましたら、お願いします。
  121. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 十分な検討をしておりません。ですから、もう感想だけでございますけれども、私は、実際に実施事務のところを担当していくということになりますと、やはりその地域に密着するということが非常に大切だと思いますので、できましたら、今、何か国家公務員ということで残していくというような議論もあるようですけれども、私は、地方公務員として現場に足を密着させていただきたい、こんなふうに思っております。
  122. 岡崎トミ子

    岡崎トミ子君 ありがとうございました。  榊原公述人にも私は質問を用意していたんですが、バランスが悪くて大変申しわけありません。  ありがとうございました。(拍手)
  123. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。  きょうは四人の公述人の先生方、本当にありがとうございます。  また、牛嶋先生にはもう一年ぶりにお会いさせていただいているわけでございますけれども、きょうは、何か牛嶋学校の追試のような思いで質問をさせていただきたいというふうに存じます。  早速ですが、牛嶋先生、参議院を勇退されて民間にこの一年間はずっとおられるわけでございますし、また今、法案をざっとごらんになったというお話もございました。その目で見て、官の撤退と何回か出ておりますけれども、非常に今回不十分だという御意見を述べられました。  結局、政と官があった場合にこの引っ張り合いというか、そういう状況の中で押し戻されているのかなというような思いもあるわけでございますが、そこではやはり政官、それと民だと思うんですね。今後、日本の国の形というものをよりよくしていくには、やはり民の力を大きくさせていかなきゃいけないというふうに私は思うわけでございますけれども、ただ日本の歴史上、民が大きな主導権を持って国のあり方というものを決めてきた歴史は余りないんではないだろうか。そんなことを思うと、非常に絶望的な思いも若干するわけでございますが、この点につきまして、牛嶋先生の何か御所見がございましたら、お教えいただきたいと思います。
  124. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 私が在籍していたときには橋本内閣でございました。そして、引退いたしましてから小渕内閣が成立した。ですから、小渕内閣の今の政治の手法につきましては、新聞とかテレビとかそういうものでしか理解できないわけですけれども、いかにも小渕内閣は橋本内閣に比べましてリーダーシップに欠けるような感じも国民は持っているんじゃないかと思うんですが、それがいろいろな政策を見ておりますと、割合うまく成果を上げてきているというところですね。これはどうしてなのかななんて私なりに考えているわけです。  一見、橋本内閣はリーダーシップを持っていたようですけれども、私は官に非常に寄っていたのではないかというふうに思うわけです。むしろ、小渕さんの方はちょうど官と政の中間ぐらいに位置しておられて、そしてその官と政の中間というのは、私はどちらかというと民に非常に近い位置でもあるというふうに思います。そのことが私は割合うまく政治が動いているのではないかというふうに思います。  私、先ほど政策をできるだけ数量化するということを申し上げましたけれども、この数量化に当たりましては、官の方が非常に私はノウハウを持っていると思うんです。だけれども、その数量化の決定を政治がやれば、しかもそれは民を受けて政治がやれば、今度は逆に数量化することによって官の政策立案等々、その結果の評価等も非常に客観的にできるのではないか、こんなふうに思っております。  それから、民のあれですが、私は非常に日本人も変わってきたというふうに思います。例えば、この前の阪神大震災のときのボランティア活動なんかを見ておりまして、やはり社会に参加するという姿勢はだんだん強まってきておりますので、今おっしゃいましたように悲観的な見方もあるのかもしれませんけれども、私は多少希望的な気持ちも持っております。
  125. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 何か私も希望がわいてきたわけでございます。  また、先生の御意見の中で貿易立国の機能というか目標がもう既についえてしまった、そしていまだ目標が定まっていないというようなお話でございました。ただ、二十一世紀ももう目と鼻の先でございまして、いつまでもそういうふうに言っているわけにもいかない。  国家目標として富国有徳と小渕総理は言っておられますけれども、ただ、その言葉だけあって、具体的に例えば有徳みたいな部分が数値化できるかという問題もあろうかと思うんですが、この国家目標について、既についえているといいながら、次は何を目指していくべきかというふうに考えるべきか、先生の御所見ございましたらお願いをしたいんです。
  126. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) これは非常に難しい問題でございまして、結局、いまだにその方向が定まっていないというのはその難しさにあるというふうに思います。  私は、今までなぜ国の目標とそれから国民の目標は一致していたのかということですが、まず私たちが生活を考える場合には、物質的な基盤がきちっと整うということだろうと思います。ですから、そこのところに対して国も努力してきたし、そして一人一人もできるだけ自分の生活水準を高めたいということで努力してきたわけです。  だけれども、ある一定の水準まで達すると、私はやっぱり、衣食足りて礼節を知るということではないでしょうか。今まで十分に考えられなかった精神面というふうなものが非常に重要な意味を持ってくるわけです。その精神面について、国は何ら方向を示していないわけです。ここに私は将来に対する国民の不安感というものがあるんではないかというふうに思います。  ですから、一つには、私は、少子高齢社会というものを念頭に置かなければなりませんが、それから考えますと、国民が一番不安を抱いているのはやっぱり老後だろうと思います。そこのあたりをきちっと、できるだけ不安を取り除くような制度をつくっていくということが、いろんな抽象的な表現ではなくて、むしろ社会保障制度をきちっと基盤を強化するということを実際にやっていけばおのずと方向が出てくるというふうに思いますが、どうも何か医療保険制度を見ておりましてもなかなか改革が進みませんで、これはどうなるのかなというふうに私は思っております。
  127. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 今、国民の不安を除去する方向にというお話でございますが、私なりに理解をすれば、ある意味では福祉国家というものを、もちろん効率的なということあるいは小さな政府ということを前提にしながらも福祉、それはすなわち人間主義といいますか、私たちの政党の言葉で言えばヒューマニズムの政治というふうになるわけですが、そういう方向になろうかなと私は勝手に会通を加えるわけでございますが、そういうふうに理解をさせていただきたいというふうに思っております。  それから、今、先生の意見の中でも、行政の評価あるいは政策の評価という言葉が出てまいりました。一方では、国家目標が定まらないうちに、かつての貿易立国というときには三つの性質があったと。だけどそれは失われてしまって、今はちょっと評価の客観性も保ち得ないんではないかという御意見とともに、最後の方では四つの問題点、評価するについては目標の数値化、しかもその視点を変えてというお話もございました。  私どもも、行政評価法というものをしっかりつくるべきである。また、今ある一定の前進が見られますけれども、あくまでも組織法であって、やはり行為法としてきっちり行政評価法というまとまったものをつくるべきであるというふうに主張をしているところでございますけれども、この行政評価法につきまして、先生の御所見をいただければというふうに思っております。
  128. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 実は、私は今大学で自己点検評価委員会の委員長をやっておるんですけれども、大学もやはり少子化に伴いまして経営が非常に難しゅうございます。ですから、大学の構造改革を懸命にやっておりますけれども、その方向がなかなか見えないんです。それはどうしてかというと、大学の使命というのが、非常に次元の高い使命が掲げられているわけですけれども、それには多分に質的な問題が含まれておりまして、その評価がなかなか難しいわけなんです。ですから、第三者による評価なんて言っておりますけれども、私は結局は自己評価、自分でやっぱり大学人としての一つの生き方を反省しながら、そして将来の研究活動や教育活動にそれを生かしていくという方法をとらざるを得ないと思うんです。  そういうふうに考えますと、行政もほとんどは、先ほどから議論が出ておりますように、公共性というふうな非常にとらえどころのない質の問題が含まれておりますので、私は、今おっしゃいましたように、幾ら制度化してもなかなか評価の客観性というのは得られないのではないかというふうに思っております。  きちっと私が今答えられるならば、私は大学へ戻りまして自己点検評価委員会の委員長として一つのきちっとした報告書ができるんですが、今模索中でございますので、むしろ皆さんと御一緒に考えていきたい、こんなふうに思っております。
  129. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 ありがとうございました。  そこで、片岡先生にちょっとお尋ねしたいんです。  いろんな機構の改革等がございますけれども、公正取引委員会の問題なんです。戦後、公正取引委員会が設置されて何回か改革がありまして、権限が強くなったり弱められていくというのが歴史の流れだったかなというふうに思っております。  今般、公取が総理府の外局から総務省の方に位置づけられるというようになっておりまして、総務省が情報通信であるとかそういうことも所管する。通信とか放送とかを考えてみると、独占禁止という部分で非常に大きな問題点があろうかと思うんですが、自分の所管するところに、大臣と相談しながら、これはちょっと厳しいよ、独禁行政上まずいよというような指摘が本当にできるんだろうかということを考えると、総務省から内閣府に移すべきであるというような意見がございます。また、日本の独禁行政に対して海外の不信を招くのではないか、そういう意見をおっしゃっている方もおられます。  この公正取引委員会の位置づけの問題につきまして、先生の御所見をお願いいたします。
  130. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) これは大変難しい問題でございますけれども、公正取引委員会は合議制の機関でございまして、独立性というものが本来保障されているわけでございます。  もしも内閣府に移るといたしますと、内閣府は今までよりも若干政治的性格というものを濃くしていかざるを得ない。例えば予算の基本方針を決定することを助けるというふうなことで、そこにかなり民間からも入ってくるでありましょうし、また政治的任命というものも行われるかもしれません。そういたしますと、総務省に置かれた方が独立性というのは保障されるのではないかというふうに私は思っております。  組織がどこにあるかにかかわらず、独立性は保障されている。恐らく総務省に置かれることについて抵抗があるかと思いますけれども、総務省という省は前の総理府の役割をそういう意味では若干担う機関であると理解することもできるということであります。
  131. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 意見は分かれるところでございますが、最後になります。  野上先生、先ほど政令についてちょっとお話がございました。政令につきましてこの法律案でもかなり政令に任せられている部分がいっぱいあるんですが、この法案に関連しての政令を出す前に、顧問会議報告あるいはチェックを受ける、また国会報告すべきである、こういう意見もあるわけですが、この意見について先生の御所見をいただきたいと思います。
  132. 野上修市

    公述人(野上修市君) その意見については、基本的には私は賛成です。要するに、本来はそういうことではなくて、最初から法律事項であってほしいんですけれども、次善の策としてはそういう形をとらざるを得ないという意味での賛成というふうに受けとめてください。
  133. 魚住裕一郎

    魚住裕一郎君 どうもありがとうございました。  終わります。(拍手)
  134. 吉川春子

    吉川春子君 日本共産党の吉川春子でございます。  公述人皆様には大変貴重な御意見を伺わせていただきまして、ありがとうございます。  まず、榊原公述人にお伺いをしたいと思います。  独立行政法人の職員の身分についてでございますけれども、公述人は、独立行政法人創設の最大の理由は、行政の効率化ではなく、公務員定員削減という意味での減量化のための受け皿をつくることにあると今言われました。将来これが民営化されていくということになりますと、すべて公務員の身分を失うおそれがあるのではないかと思われます。その点について御意見をお聞かせいただきたい。  また、イギリスの例を幾つか引かれましたけれども、現在イギリスにおいては、公務員の身分というものは独立エージェンシー化に伴って一体どうなっているんでしょうか、お伺いいたします。
  135. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) まず、後ろの方の質問から答えさせていただきます。  イギリスの場合には、エージェンシーになりましても公務員としての身分も失いませんし、定員法との関係でも定数を外すということはしておりませんので、その限りでは同じでございます。ですから、日本の場合とは制度のつくり方が根本的に違っています。したがって、イギリスで例えば公務員定数が削減される、かなり減っているんですけれども、それはエージェンシーとは直接の関係はございません。日本の場合とはその点はかなり決定的に異なっているかと思います。  もう一つ、民営化の問題ですけれども、まずイギリスですけれども、イギリスにおきまして、既にエージェンシーから民間企業といいますか、民営化されているものが幾つかございます。これは、どんどん効率性がよくなる、さらに収益性が上がるようなものにつきましては、むしろ成果を発揮すれば発揮するほどというか、独立行政法人としてうまくいけばいくほど民営化の道を歩みやすくなる、そんなことになるのではないかと思います。  日本の場合には、独立行政法人にするための組織ということで歯どめが初めの段階ではかかっておりますけれども、それがしばらくした後どうなるかというのは、また見直しを行いますので、その段階で、独立行政法人の中での職員の身分が公務員タイプとそうでないタイプもありますので、それでどうなるかという話であるとか、さらに民営化の話というところも出てくることは可能性として当然あるんだろう、イギリスと同じなんだろうというふうに思っております。  もう一点、前にお答えしたことの繰り返しになるかと思いますけれども、公務員としての身分を持っている場合、イギリスの場合のように、公務員としての身分を持っていて、定数との関係でも公務員である、日本以上にある意味では公務員という形で残っているエージェンシーの場合でありましても、やはり行政の運営においては大きな影響がありまして、従来のタイプとは違って民間企業にいわば簡単に言えば近づくということから、公務員組織であるとか行政組織であることから、当然に公務員法であるとか組織原理から確保されていたような平等性であるとか公正性であるとか、さらには民主的統制といったようなものがかかりにくくなっている。自由化を進めるということは、要するにチェックもかからずにやるということですからそうなりますし、エージェンシーの方でも統制を逃れたがる、こういうような傾向があるようでございます。  日本でもこの点については基本的な制度のつくり方は同じですから、同様の問題点が発生する可能性はあるのではないかというふうに思っております。
  136. 吉川春子

    吉川春子君 そういたしますと、独立行政法人の創設ということに伴いまして、そこで働く職員の身分が非常に不安定になるということ、それによってさらに、一番大切な国民へのサービスを担うそういう人たちですから、そういう仕事の安定性という点でもマイナスになる、このように考えてよろしいんでしょうか。
  137. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) ただいまの御質問は、恐らく職員の身分といいますか、労働関係の安定といいますか、そういった事柄と現実にそれが担当するサービスの関係とのつながりということだと思います。  先ほど片岡公述人が、ブレア政権になってから一定の市民憲章の方の見直しがあったということを述べられましたけれども、実はエージェンシーについてもこの点の見直しがありまして、エージェンシーといいますか、マーケットテスティングという別の制度ではあるんですけれども、広い意味でのニュー・パブリック・マネジメントと言われている手法のところでの見直しがありまして、ブレア政権のところでどんな見直しをしたかといいますと、よりよいサービスを提供するためにはよりよい労働条件が確保されなければいけない、そういった意味での見直しというのは始まっております。エージェンシーがもとへ戻ったというようなことはございませんけれども、その労働関係の重要性というのは改めて出されているということになっておりますので、またエージェンシーをどんどん進めるとか、そういうようなことじゃなくて、今度は行政の質の方へと関心を高めていかなければいけないということもうたっております。  日本の場合にも、端的に行政の質といったようなところへ焦点を当てて、現在はそのための工夫というのは法律の中におきましては特別にありませんので、そこへ目を向けていくことが必要なのではないかというふうに思います。
  138. 吉川春子

    吉川春子君 行革会議の最終報告を見ますと、独立行政法人の導入について、「透明性の確保を図るため、」ということが理由づけられております。私は、日本において行政の透明性の確保というのは独立行政法人化を図るかどうかにかかわりなく非常に重要な問題であると思います。  今国会において情報公開法が成立をいたしました。これは将来よりよいものに発展させていくという課題を負っての成立でございますけれども、独立行政法人にならなければ行政の透明性が確保できないということは問題なのであって、独立行政法人と透明性というのは、なるから透明性が確保されるという問題ではない、行政全体の透明化ということこそ課題であると思いますが、榊原公述人の御意見はいかがでしょうか。
  139. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) まず、透明性という言葉のルーツですけれども、日本におきましては行政手続法ができましたときに初めて透明性というのが重要なキーワードとして登場したということになるかと思います。こういった透明性は、そもそも行政手続法の中で使っているような言葉ですから、当然ながら独立行政法人にだけ限定される、そういったような意味合いではないと思われます。  ただ、独立行政法人の中の透明性というふうに言った場合には二つ意味合いで用いられているかと思われます。一つ意味合いは、政策の企画立案とその実施等を分離することによってどちらがどう責任を負っているかが透明になる、こういう意味合いで使われるかと思うんです。ただ、これにつきましては、行革会議委員でありました藤田宙靖先生もみずから、そういった完全に二つに企画立案機能と政策の実施を分離することは不可能だというふうに言っておりますので、恐らくそういったニュアンスよりも、もう一つ意味としまして、行政の透明性というのがニュー・パブリック・マネジメントの方法でありますいろいろな基準、ここで言いますと目標の設定であるとか計画の作成であるとかそういったことを通して、どういった関係なのか、何を行政としては目指すのだろうか、効率性、サービス性についての目標はどうであって、結果としてどんなことが達成されたのかというのを明らかにしていく、そのことの透明性ということに焦点を当てているのではないかと思います。  このように考えた場合には、およそ行政である以上といいますか、現在でも行政の多くは処分にかかわるような問題につきましては、先ほどの行政手続法との関係もあって既にいろいろな基準をつくって公にしておりますけれども、そうでないところでも基準は内部的には持っている、だけれども公にしない、こんなところもあるかと思いますし、基準自体がまず存在しないといったようなこともあるかと思いますので、こういう二番目に言ったような意味での透明性ということでしたら何も独立行政法人に限定して考える必要はないのではないかと思います。  また、イギリスの経験で考えましても、透明性を確保したのは、独立行政法人のモデルにあるエージェンシーというよりは、市民憲章という片岡公述人が先ほど言及されたものでして、そちらの方はすべての行政の組織に適用がありますので、その意味でも、日本でも幅広く透明性を確保していくことが可能であると思われます。
  140. 吉川春子

    吉川春子君 野上公述人にお伺いをいたします。  先ほど、二十一世紀の国家目標は憲法理念を現実に生かすことである、このようにおっしゃられまして、私もまさに日本の国家の目指すべき道というものは日本国憲法の理念の中にあるというふうに考えております。  平和の問題について詳しく言及されましたが、私が質問いたしますのは、赤字財政の削減を図るための小さな政府の樹立を求める議論について、著書でも厳しく批判をされています。これと憲法理念の実現ということをあわせて考えたときにはどういうふうになるんでしょうか。御説明していただきたいと思います。
  141. 野上修市

    公述人(野上修市君) 小さな政府論というのは外国から出てきまして、我が国で流行語として使われているわけであります。もちろん、外国で語られています小さな政府論というのも建前と本音がありまして、先生も御存じのように、一方においては行革で成功した国であっても、他方においては国民から総スカンを食うというような状況が、ニュージーランドでもありますし、カナダでもありますし、アメリカでもあるわけでございます。  ですから、この小さな政府論というのは一体何をねらっているのか、それが本当に国民のためにどういう意味を持った政府論かということを改めて我が国においても吟味しておかねばいけないと思います。特に、実体が大切でございまして、今までたくさん大きく抱え込んでいた、そしてそのことが決して地方自治との関係とか民間活力との関係でよくなかった。そういう反省のもとで小さな政府論といったものを議論するなら、それはそれなりにわかるんですが、結果として、行政が果たすべき公共性、行政が果たすべき国民の人権擁護、こういったものを放棄する形で小さな政府論といったものを理論づけていく、正当化していく、こういうことになりますと、これはもう我々から見ますととんでもない議論になるんじゃないか、こういうふうに考えております。  我が国の小さな政府論は、どうも大きな政府論もおかしいし、小さな政府論もおかしい、そういうことでございますので、私は先ほど申しましたように、一番国民にとって明快な、憲法の理念といったものを実現するための政府であるべきだ、こういうふうに原点に返った方がよいという持論を持っている次第でございます。
  142. 吉川春子

    吉川春子君 野上公述人は、もう一つ内閣機能の強化、総理大臣の権限強化についても批判的にお触れになりました。国民との関係でどういう問題が生ずるのか、こういう問題提起をされました。  それを具体的に、時間がもう少なくなりましたけれども、内閣機能の強化というものが国民にどういう影響を及ぼすのか、その点について最後にお伺いしたいと思います。
  143. 野上修市

    公述人(野上修市君) これは、ある面は今後の実態を見ていかなければ言えないことでございまして、私も軽々に現在の構想が頭からよくないとは言いません。前にもお話ししましたように、憲法の立場でいいますと、それなりに内閣ないし総理大臣のあるべき姿は描かれております。  ですから、そういう方向に持っていくことはいいんですけれども、往々にして日本の場合には、要するに今までの主格が官僚でありまして、そしてほとんど何も仕事ができなかった、それで今度は主格を内閣がとろう、総理大臣がとろう、こういう議論にすりかわっていく傾向があるわけです。そうしますと、肝心の国民のための行政と言われました前橋本総理の視点はもうどこかへ吹っ飛んでしまうということを私は懸念しているわけです。  そうしますと、国民のための行革ということになりますと、やはり国会がきちっと監視していく、またそういう方向性で今度の行革法案についての対応をしていかないと、そういうことを忘れて内閣のあり方がどうだこうだとか、そういうところだけで意見とか審議を限定していますと、国民から見ましても、何ですか、我々を忘れているじゃないか、国民不在のとよく言われています行革ではないかということがずっと続いて出てくるような気がしてならないわけでございます。
  144. 吉川春子

    吉川春子君 ありがとうございました。  終わります。
  145. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 社会民主党・護憲連合の照屋寛徳でございます。  きょうは、公述人皆様方には貴重な御意見を賜り、また行政改革に対するさまざまな角度からの御示唆をいただき、心から感謝を申し上げたいというふうに思っております。  私は、この行政改革を考える場合に、やっぱり一番最初にどのような理念、哲学を持って行政改革を断行していくかということを定めることがとても重要ではないかなというふうに考えております。すなわち、二十一世紀の新しい時代に我が国の国家像をどういうふうなものとして定めていくのか、そしてそれを実現していくための行政システムのあり方、こういういわば国家戦略、国家目的を明確にしていくことが大事ではないか、こういうふうに考えるわけであります。  具体的には、これからの行政はお上から与えられるようなものではなくして、まさに憲法で言う国民主権に基づくものでなければならないと思いますし、国民本位の行政改革を進めていくことが大切である、こういうふうに思うわけであります。  よく簡素でスリムな行政と機動的あるいは効果的な政策遂行の実現が叫ばれるわけでありますが、仮に行政システムの簡素化やスリム化や効率化が実現されたとしても、結果として行政が国民から遠のいてしまっては何のための行政改革なのかというふうに私は言わざるを得ないと思うわけであります。  最初に、野上公述人にお伺いをいたしますが、公述人意見陳述の中で、憲法の原理原則が定着している社会の実現が大事であるという趣旨のことをおっしゃいました。また、憲法の理念にある国家目的をさまざまなシステムに生かすべきである、こういう趣旨のこともおっしゃったと私は受けとめました。  今、公述人がおっしゃった憲法の理念にある国家目的をさまざまな行政システムに生かす、こういう視点からすると、今、私どもが審議をしている中央省庁等改革関連法案、あるいはまたその法案の中にある省庁再編については、もう少し野上公述人の御意見、憲法の理念との関係でどのような評価をされておるか、お聞かせいただければありがたいなと思います。
  146. 野上修市

    公述人(野上修市君) 幾つかのケースを想定して申し上げたいと思います。  まず、内閣関係内閣総理大臣関係でございます。いわゆる憲法には議会制民主主義という大きな原則がございます。「国会は、国権の最高機関」という大きな原則があるわけでございます。そういたしますと、今度の内閣を中心とする行政システム改革、それが一方において憲法の目指すところであるということは認める必要があると思います。しかしながら、他方において、先ほど申しましたように、議会制民主主義というのは、おわかりのように、議会の中で日本の民主主義がつくられて語られて実行していくんだ、こういう大原則でございますので、何度も申しますけれども、そういう内閣総理大臣の権限強化だけで終わったならばそれは中途半端になるんじゃないかと私は申し上げたいと思うんです。  そうでございますので、私の頭の中に描いているのは、現在のいわゆる内閣をチェックするシステムは必ずしも円滑に動いておりません。会計検査院等も含めてもそうでございます。国政調査権の行使も御承知のように戦略的に使われております。与党にとって有利なときには開くけれども、野党にとって、また国民にとっていろいろと聞きたいときには開かれない。あるいはまた、裁判が始まりますと途中でやめてしまう。こういうふうなことが実態だと、一体日本の中で議会というのはどういうことになっているんだということを皆さんは感じているはずであります。  そういうことを考えてみますと、現行制度の中でできないとするならば、新しくアメリカ、イギリスその他にもありますように、行革に伴うそういったものを監視する全体の委員会をつくっていく、こういう発想がないといけないと思うんです。先ほどGAOというようなことを民主党の先生は言われましたが、そういったのも一つの例でありましょうし、さまざまな方法が世界にたくさんあります。ですから、そういうことも早くやはり反対提案をするような議会になっていただきたいと私は思っております。
  147. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 野上公述人は時間等の関係で十分お触れになりませんでしたけれども、例の数合わせの省庁再編ではないかという意見を述べておったわけでありますが、私もそういう点がなきにしもあらずというふうに実は思っております。  その中でも、国土交通省のような巨大官庁の出現という問題がございます。これは、先ほど片岡公述人が六番目の規模とおっしゃっておりましたが、私は必ずしも定員の数だけが問題じゃなくして、巨大官庁の出現というのはまさに行政権力の集中あるいはまた情報独占といった弊害が予想されるわけです。しかも、この国土交通省に至っては公共事業関係予算の八割を占める、それから許認可件数も二千五百五十件を超える、こういうことでありますから、これはもう仮に数合わせといっても行政改革の精神にそぐうものではないんではないかというふうに思うんですが、野上公述人はこの巨大官庁の出現の問題についてはいかように考えていらっしゃるんでしょうか。
  148. 野上修市

    公述人(野上修市君) その前提に、私の持論では八つのデパートメントで十分だという議論をしておるわけでございます。  参考のために申し上げますと、外交・防衛そしてまた法務、あるいは通貨それから財政・金融、交通・運輸、エネルギー、社会保障、環境、雇用、こういったところが中央政府が取り組む主な仕事ではないかと私は考えております。こういうことを前提として議論していきますとやはり八つのデパートメントで十分である、それ以外のものは地方そしてまた民間、こういうようなところで新しくいい意味での行政の分配、配分といったものを考えてよかろうかと思うんです。  ところが、今日の議論また実態を見ていきますと、先生も御承知のように、前橋本総理は最初から半分ということを出しました。その半分論がずっと来ているわけです。実際には中身がどうして半分になるのかという議論は出てこないわけです。結果として今一府十二省庁という形になってしまったんですけれども、これも考えてみたらたまたまの議論じゃないかという話になります。その先に、先生が御指摘のように、全体としてはスリムになっていって、そしてそのスリムになることが国民にとってよい行政を行うことになるんだと、ぜい肉を落として国民にとって効果的な安価なよい行政を行うんだと。また、他の部分については地方自治体に渡しながら、地方自治体のやはり創造豊かな地域性を入れた中で地方の企画立案が行われて、住民参加のもとで、地方政治というのが中央と同じ質を持ったようなレベルにアウフヘーベンしていくだろうと、こういう筋書きが私なんかにあるわけでございます。  そうしますと、先ほど言いましたように、数は減りますけれども、先生の御指摘のように、お金、権限、スタッフ、こういうものとして国土交通省が出ていきまして、極端に言いますと、交通からあらゆるものを全部取り込んで行うような省でございますので、これは行革は何だったのかというような代表的な悪例になってしまいます。この国土交通省だけではございません。あとにも二つ、三つあると思います。  それから、ついでに申し上げますけれども、外務省以下、全くアンタッチャブルの省になったんですが、これも本当はおかしいんです。ですから、なぜ一体法務省とか外務省について何にも中身を変えていかないのか、これはちょこちょことしか変えていかない、こういう議論もほとんどされていないんです。あわせて申し上げておきたいと思います。
  149. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 牛嶋公述人にもお伺いいたします。  委員会室で久しぶりに先生をお見受けして、何で先生があの席に座っていらっしゃるんだろうと、最初はびっくりいたしました。  先生の意見陳述の中で、サンフランシスコ条約から説き起こしまして貿易立国の確立目標、そして戦後型政治行政システム機能の評価の問題等にもお触れになりました。  私は、サンフランシスコ条約で行政分離された沖縄に住んでおりまして、その後国家目標である貿易立国ともほとんど縁もゆかりもないドル経済圏で、しかも構造的な基地経済に組み込まれたところで生きてまいりましたけれども、先生の意見の中で、国民の多様な価値観と国家目標の不一致、乖離の問題にお触れになりまして、大変示唆的な御意見、その視点からの行政改革のあり方に触れておったわけでありますが、私は、今後も国民の多様な価値観と国家目標の乖離というのはむしろ進むんではないかなというふうに思っております。  それを踏まえた上で、先生の理論に照らして、今の国土交通省の問題、巨大官庁の問題、また環境庁については省へ昇格されたけれども、規模は一千人程度と、こういうことで、中央省庁等改革基本法の「各省の行政機能及び権限は、できる限り均衡のとれたものとする」ということには反するのではないかというふうに個人的に思うわけでありますが、この巨大官庁の問題と環境省への昇格の問題、事務の均衡ある分配の問題について御意見をお聞かせください。
  150. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 私の意見としましては、国の役割といいますか行政の役割というのは、今まではどちらかというと、国土を整備していくとかあるいは限られた資源を有効に使っていくというふうな点に非常に政策課題を置いてきたと思うんです。それに対して、これからの政府の役割あるいは行政の役割というのはむしろ、今まではパイがどんどん大きくなりましたから、そのパイの分配の面についてはそれほど問題はなかったわけですが、これからパイがそんなに大きくならないということになりますと、非常に分配面が重要になってまいります。そこのところで私は、これまでの政府あるいは行政の役割というのは非常に今までの資源配分と変わって役割がふえてくるのではないかというふうに思うんです。  一つ御質問にありました巨大官庁の話ですが、私は割合、国土交通省ですか、これは持っていきようによっては非常にいい成果が得られるのではないかと思っておりますが、それは先ほど私が申しました公共事業なんかをやっていく場合の目標の設定なんですね。  今までは道路なら道路、それから鉄道は鉄道、港湾は港湾、みんな別々にやっていましたけれども、私は、これから国民の目に非常にわかるように、全体的な国土の交通ネットワークをこういうふうに整備すれば、例えば輸送コストはこれだけ減少するとか、あるいは先ほど申しました通勤時間はこれだけ短縮する、国民の目によくわかるような目標を設定しますと、それが今申しました巨大省のところではできると思うんです。そうしますと、割合今まで使ってきた金も節約しながら非常に国民の目にわかるような成果を上げ得るのではないか、こんなふうに思っております。
  151. 照屋寛徳

    ○照屋寛徳君 ありがとうございました。  終わります。
  152. 星野朋市

    ○星野朋市君 自由党の星野でございます。御苦労さまでございます。  私は、時間の関係上、一問だけ片岡公述人に御質問をいたしますので、よろしくお願いいたします。  中央省庁の再編は、昨年の基本法の策定のときからいろいろ問題になっておりまして、やはり数合わせの論というのは否めないのでございますけれども、やった方がいいに決まっている。ところが、もしゼロからの出発、この国を今、建国したらどういう役目のどういう省が必要だったかという視点だとすれば、かなり変わった面が出たと思うんです。  先ほど野上先生もちょっとお触れになりましたけれども、国家としてやるべき仕事は何かということの整理が一番大事だと思うんです。その中で、どうして国防という問題が表に出てこないのか。公述人も公述等の中でちょっとお触れになりましたけれども、私が思うには、内閣法制局というのが極めてあいまいな形でこの問題を引きずってきたというところに大きな原因があると思うんです。  それで、もし今の省庁再編がもっと進んでスリム化して国家のあるべき姿、そこにどういう省庁が置かれた場合、このときを想定したときに、今の防衛庁というのは国防省たり得るべきかどうか、片岡先生に御意見をいただきたい。
  153. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 大変難しい問題でございまして、まず数合わせというお話はこれは数合わせとならざるを得なかった事情がございます。それは閣僚の定員、定員といいますか上限を二十から何とか減らしたい、そうすることによって閣議がもっと活性化するようにしたいというふうな希望から発したわけですから、当然、大臣を長とする行政機関というものの数は減らざるを得ないということで、数合わせであったというのは私はこれはある意味ではやむを得なかったことであろうというふうに思います。  それで、御参考までに申しますと、日本では省庁の大くくりというお言葉しか使わないんですけれども、これはスーパーミニストリーないしはジャイアントデパートメントをつくるというふうに表現しておりまして、それを日本語で訳せば巨大省を設置するということです。これは、従来の省庁に比べて一つの省庁が大きくなるということで巨大省を設置する。ただ、これは行政のスリム化と若干整合性がとれないものですから日本ではその言葉を避けたのだと思いますけれども、そういう形で何とかこれは数合わせをしたということでございます。  行政機関をどのようにまとめるかは、私が最初から申しましたようにこれはアートの問題、決断の問題でございまして、これは百人いれば百様の意見があり得るわけでございまして、それをかれこれ議論してもしようがないということでございます。  さて、それを前提といたしまして、防衛庁がなぜ防衛庁であって防衛省ではないのかという御質問だと思いますけれども、やはり日本は平和国家であり、憲法九条のもとで自衛隊というものも発足したという経緯がございまして、これは防衛庁というステータスで今日まで来たということでございます。  その結果ということでございましょうか、防衛出動の場合の最高指揮監督権を有するのは内閣総理大臣である。これはどこの国でも、例えばアメリカならば大統領が、イギリスならば内閣総理大臣が恐らく指揮権を持つのでございましょうけれども、アメリカの場合、長官というのは大統領の部下でございます。日本では閣僚というのは同僚です。閣僚というのは、要するに総理大臣も大臣も国務大臣ということでございまして、そういう意味で、防衛庁となりましても、これは大臣庁でございますけれども、一応その大臣の指揮下に入るという意味において、現在の改革の方が私は整合性がとれているというふうに思っております。
  154. 星野朋市

    ○星野朋市君 済みません。五分を争う仕事を今しておりますので、失礼します。
  155. 菅川健二

    ○菅川健二君 参議院の会の菅川健二でございます。  きょうは、公述人皆様方には大変示唆に富む御意見をいただきまして、ありがとうございました。牛嶋先生には久しぶりに牛嶋節を聞かせていただきまして、ありがとうございました。  私、最近、李登輝さんの「台湾の主張」という本を読んでおったんですけれども、その中に、日本で現在欠けておるのは多様性と柔軟性であって、それがまさに求められておるんだというくだりがあるわけでございます。  今度の中央省庁再編、それから地方分権というのは、その流れでよりよい組織改編をしていくということにぜひ位置づけられたらいいなと思うわけでございますが、必ずしも十分でないということは残念でございます。  先ほど牛嶋先生が言われましたように、基本的に官の撤退といいますか一部撤退、そして地方分権という、この視点が大変重要ではないかと思うわけでございます。  そこで、片岡先生にお聞きしたいのでございますけれども、そういった面での中央省庁の仕事減らしといいますか、官の撤退の部分がこれからよと、とにかく器だけまずつくってそれに押し込んで、そこをどんどん減らしていくのよということになるのか、その点につきましてちょっとお考えをお聞きしたいと思います。
  156. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 私は完全なる民間人でございますので、現在官で予定されている計画を完全に知っているわけではございません。私が知る範囲で申しますと、アルコール専売を廃止する、それから食糧検査というものを民間化するというように、行政の減量化というものが予定されております。  先ほどから独立行政法人ということが問題になっておりますけれども、独立行政法人になる法人の中にも段階的に民営化されることが予定されているものが相当程度ございます。したがいまして、これからはさらに一層のスリム化と申しますか減量化、そして限定的な意味での官の撤退ということを予定されていらっしゃるというふうに思います。  政府では公務員を二五%削減すると言っておられるわけですけれども、行政の量と質を落とさないで二五%削減するということは到底考えられ得ないことでございますから、かなり絞り込むということを前提としていらっしゃる。外部から拝察いたしますと、そのように考えられるということでございます。
  157. 菅川健二

    ○菅川健二君 それから、先ほど国の出先機関につきまして、片岡先生と牛嶋先生の見解がやや異なるなという感じを持ったわけでございます。  私は地方公共団体に長らくおりまして、地方支分部局につきましてはかねてから私なりの独断と偏見があるわけでございます。これは何遍かこの委員会でも申し上げましたので、また申し上げるのもまことに申しわけないわけでございますが、基本的に国の現業的な出先機関、工事事務所とか税務署というのはもちろん地方に必要でございますけれども、補助金等の権限を持った、あるいは計画等の権限を持った地方出先機関を設けるということは、地方事務が重複するということもございますし、それから一番問題になりますのは、先般も論議がございましたけれども、地方支分部局には民主的なコントロールの手続がないんです。したがって、そういう面では非常に独断と偏見が横行しやすいという土壌を持っておるわけでございます。  したがいまして、私はそういった面で、情報化社会でございますから、本省でやるべきことは本省でやって、それでできない部分については地方に思い切って権限を移していくということが今後のあるべき姿ではないかと思うわけでございますが、その点、片岡先生はいかがお考えでしょうか。
  158. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) これも大変難しい問題でございます。  国の公務員のうちの大多数が実は地方支分部局で働いているわけでございまして、国のその部分を全部そっくりそのまま地方化すれば地方自治を確立する上で一番望ましいことになるというふうに思いますけれども、まず段階といたしまして、国の出先機関というものが実際に存在いたしまして、ただ現在はそういう権限、予算、補助金を配分するとか地方開発計画を立案するという権限は必ずしも十分持っていないということから考えますと、そういう権限を与えることによって地方公共団体との間の対等なる話し合いをしていただきたい。ですから、現在はコントロールがないということでございますけれども、逆に地方公共団体方々が積極的に発言されることによってチェックをかけていただきたい。  すべては段階的にしか進まないわけでございまして、先ほどは何もなかったとしたらどういう仕組みができるかということを質問されましたけれども、実は我々は常に歴史的な制約の中に住んでいるわけでして、一挙にそこまで行くよりは、地方公共団体とともにこの地方支分部局への権限の委譲というものを進めていった方が望ましいことではないか。そして、もしもその権限を本当に国で持っている必要がなければ、それはそのときに地方に分けていけばいいのではないか。  私は、行政改革は今ここで形はつくらなければならないと思いますけれども、決して今出された案がすべての形を示したものではない、将来に向かってさらにつくり上げられていくものであるというふうに考えております。
  159. 菅川健二

    ○菅川健二君 段階論としては一つの考え方として了解させていただきたいと思います。  この地方支分部局のあり方につきまして野上先生はどのようにお考えでしょうか。
  160. 野上修市

    公述人(野上修市君) 私は基本的には先生の意見に賛成でございます。  これは、現在あります地方支分部局というのは、これは前の時代の名残を引きずったものが大半でございまして、戦後そんなに新しくつくられたものではないのであります。そういうところが一つ歴史的にやはり、地方自治を憲法が認めた以上はそこを一つの戦後の処理の中ではっきりさせるべきだったんですが、かなりの部分が戦前からの名残をとどめて何となくここまで来ているということでございます。この点を私たちはどう考えるかということで、決して今始まった問題ではありません。  ですから、段階論も結構でございますけれども、そういう思い切った大胆なことをやると前総理は言っているわけですから、その辺のところからやはり明らかにしませんと、国民は大胆なのか小胆なのかという話になってしまいますから、どうも私はよくわかりません。  地方自治の受け皿の問題はまた別の問題として私たちは議論をしなければいけないのでありまして、最初から能力がないとかできないとかあるいはやつらはだめだとか、こういう議論は地方自治に対して私は失礼だと言わなければならないと思っております。
  161. 菅川健二

    ○菅川健二君 どうも力強いお話、ありがとうございました。  牛嶋先生には、本当に時間がございませんけれども、せっかくでございますので。  今、地方分権の中で国と地方の財源配分、特に地方税財源の充実というのが強く叫ばれておるのでございますけれども、牛嶋先生の国と地方税財源の配分のあり方について、簡単で結構でございますから、一言教えていただきたいと思います。
  162. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 今、私は行政改革で一番欠けているのは税制改革ではないかというふうに思っております。  それで、今の公務員の問題でも、地方税で税務にかかわっている職員の数というのは物すごく多いわけです。ですから、百円の税収を上げるのに国の方は一円から二円ぐらいの費用で徴収しておりますが、地方税の場合は四円から五円ぐらいというふうに。ですから、場合によってはもう共同税みたいにして、国が一括取ってそして配分するというふうなものも考えなきゃいけない。  そういう税務行政のあり方も含めまして、私は国と地方の税制の抜本的な改革をしていかなければならないというふうに思っておりますし、その中でやはり国と地方の税源配分というのが今一番いびつになっておりますので、その点を直していくべきだと思っております。それにつきましては私なりの持論はございますが、またの機会にさせていただきたいと思います。
  163. 菅川健二

    ○菅川健二君 それでは、後刻よろしくお願いいたしたいと思います。  榊原公述人には、時間がなくて大変申しわけございませんでした。  ありがとうございました。
  164. 石井一二

    ○石井一二君 どうも四先生方、御苦労さまでございます。  特に牛嶋先生には昔いろいろかわいがっていただきまして、きょうは江戸のかたきを長崎でという気持ちでここに立っておることをまずお伝えしておきたいと思います。  まずは榊原先生にお伺いをしたいと思いますが、独立行政法人についてるる御見識を御披瀝いただいたかと思います。私は、独立行政法人の後、次のいろんな行政改革の中で特殊法人の改革ということをどうしても行っていかなきゃならないと思うんですが、これについて何か御見識があれば御披瀝をお願いいたしたい、そのように思います。  それから、効率化と質の向上について御言及がございましたが、効率化は見たらわかりやすいけれども、質の向上ということはなかなか難しいということをおっしゃったわけでありますが、今我々が設けようとしております評価委員会の権能等について、御意見があれば御示唆をいただきたいと思います。
  165. 榊原秀訓

    公述人(榊原秀訓君) 特殊法人ですけれども、特殊法人についても特殊法人の独立行政法人化といったような議論があるかと思いますけれども、それは独立行政法人が持っているような透明性すら特殊法人の場合には欠いているであるとか、それこそ評価システムがないであるとか、こういったような問題点がありますので、独立行政法人というのが選択肢としてベストかどうかはともかくといたしまして、確かに現在の特殊法人の場合には、独立行政法人と比較しても多くの問題点を抱えているというふうには思っております。  それから、質の評価ですけれども、意見陳述でも述べさせていただきましたけれども、評価委員会の方で工夫するというところとはちょっと私の意見は異なっておりまして、質のところは、要するに国民へのサービスの質ということが問題になっておりますので、そこも重要なんですけれども、もう一つは、わかりにくいところは直接に参加の方を保障して、それで評価のところも考えていく、こういった工夫も加えたらどうかということで私は考えております。  以上です。
  166. 石井一二

    ○石井一二君 次に、牛嶋先生にお伺いいたしたいと思います。  官の撤退なんというショッキングな言葉も出ましたが、一部訂正されましてやれやれと思っております。  それはさておき、日本内閣というのは先進国の中で世界でも短命で有名でございます。サミットのときに、初めましてというようなことが日本だけしょっちゅう繰り返されておる。石橋内閣や宇野内閣は三カ月だ。  こういう中で、今後機構が変わりまして内閣の権限が多くなると同時に、ワシントンほど、大統領がかわると三千人ほど職を求めて異動するということがありますが、そうは至らなくても、いろいろ総理を中心として人事というものが大きく異動するような組織に相なっております。  こういう中で、一たん決めた内閣の方針というものが、今のような結果として短命にならざるを得ないという日本の組織の中で果たして十分機能していくのかどうか、そういうことも含めて、先生の御所見をちょっと御披瀝願いたいと思います。
  167. 牛嶋正

    公述人牛嶋正君) 短命であるということですが、これはそれだけ今我々が直面している問題が非常に難しい問題ばかりであるということです。  先ほど私申しました、国民の目標と国の目標が一致している高度成長のときなどはかなり長い政権、佐藤内閣などは非常に長かったわけです。ですから、社会の変化内閣の短命性というのは、一応検討しますと割合相関関係があるような気がいたします。それだけに私は、今非常に難しい社会情勢にあるわけでございますので、各省庁の役割分担あるいは責任領域というものを決めたといたしましても、その目標のところが非常にあいまいでございますので、そこのところをきちっと統合していく、あるいは総合調整していく内閣の役割というのは非常に重要になってくると思うんです。  それはどういうふうに進められるかということでありますけれども、先ほどもちょっと私申しましたけれども、これまでのように官に依存して政策をいろいろ立案するのではなくて、むしろ官に対しては、政策目標を設定した後、これを実現するためにはどういうふうな政策方法があるのか、あるいは事業の進め方があるのかということを官にはやってもらうということで、目標自体はやっぱり内閣の中で決めていかなければならないというふうに思っております。  そうなりますと、社会の情勢が非常に変化があって、そして非常に難しい問題が次々起こってまいりましても、そういう体制をとれば、むしろ逆に今度は長命な内閣が生まれてくるというふうに私は思っております。
  168. 石井一二

    ○石井一二君 必ずしもかみ合っておりませんが、親しい仲ですので、後刻また論議をさせていただきたいと思います。  次に、野上公述人に一問御質問をいたします。  先生はたしか民間人の内閣への登用を法制化せよというようなお考えがあったかと思いますが、今回の改正案では、経済財政諮問会議の中に、首相を議長としてメンバー十人以内ですが、この中に財界人、民間人が入り、しかも内閣府の中で非常に高い位置づけ、すなわち予算に対する編成等を行うということで、これでかなり補完できると思うんですが、その辺についてどのようなお考えか、特にこの諮問会議に対する御所見を御披瀝願いたいと思います。
  169. 野上修市

    公述人(野上修市君) その面は評価されていいと思います。いわゆる政治的任用、政治的任命というふうにアメリカでは言われていますけれども、日本もやっとここまで来たということでございます。  しかしながら、私は、やはり日本の今までの実績といいましょうか実情というものをあわせて考えませんと、形だけを見て全面的によいということにはならないわけですね。つまり、こういうことを言いますと諸先生方に大変失礼な言い方をいたしますが、日本のそういう民主主義というレベル、また公務員に対する考え方が非常にやはりまだユニバーサルになっていないわけです。ですから、そういう次元で政治的任用という言葉どおりにやりますと、結局は自分の好きな人、そういう方々、自分の味方になってくれる人、そういうふうな話になってしまうわけですね。  ですから、それだったならば思い切って、時々国務大臣に民間人のすぐれた方、見識のある方を登用してきたわけですから、そういうことを制度的にした方が、国民にとっておおっというやはり喜びを感じる内閣になるし、まさにそういうことがいわゆる国民内閣になるんじゃないでしょうか。  今度の法案でも、国民主権に基づいてという形で内閣は行政権を担当するということを改めて言ったわけですから、あの国民主権というのは、まさに国民的な基盤の中で政府がつくられかつ機能していくんだということの宣言と私は受けとめております。ですから、それはそれでいいんですけれども、私の意のあるところを先生もぜひ御理解いただきたいと思うんです。
  170. 石井一二

    ○石井一二君 片岡先生、お待たせいたしました。最後になりまして大変失礼いたしました。  先ほど来、二五%削減も非常に難しいという論議もなされておりました。巨大省庁の話も出ましたが、私はこうやってこの今回の改正の結果どうなるかと見ますと、公務員にとってだんだん天下り先は減ってくる、あるいはまた自分らの権限というものもだんだん弱くなってくる。そうすると、優秀な人間が公務員にならずに直接政治家になった方がいいなということで、日本の国がかえってよくなる可能性もありますが、その辺を踏まえて先生の御所見をひとつ賜りたいと思います。
  171. 片岡寛光

    公述人(片岡寛光君) 日本公務員制度は、これも固定的なものと我々は受けとめる必要はない。やはりこれからは公務員制度改革していくということがこの一つに入っておりますので、そのように期待することができるし、もっと弾力化すべきである。  私は、最終的には、官と民と政という区別がありますけれども、これはみんなそれぞれ生まれたところに住所がありますようにその所在地をあらわしますけれども、その内容はすべて同じという段階になるのが一番望ましい。究極的には、官であっても民の心を持っている、政であっても民の心を持っている、そういうことが望ましいわけでございまして、別に民が官化する必要はないわけですけれども。そういう意味で、将来の制度は、これはずっと遠い将来になると思いますけれども、官も民も政もみんな同じ志を持つようになるようにと。  実は、公務員制度改革できなかったのは、民間の雇用関係がリジッドであった、公務員だけを流動化することはできないという理由によって若干職階制を導入しながら職階制が成り立たなかったということがありますので、そういう点につきましては弾力的に今後は対応していくことができるのではないかという将来についての期待を持っております。
  172. 石井一二

    ○石井一二君 ありがとうございました。
  173. 吉川芳男

    委員長吉川芳男君) 以上で公述人に対する質疑は終了いたしました。  この際、公述人方々に一言御礼を申し上げます。  本日は、長時間にわたり有益な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から御礼を申し上げます。(拍手)  これをもって公聴会を散会いたします。    午後四時十五分散会