○福岡
委員 民主党の福岡宗也でございます。
私は、提出三法のうち、
組織的
犯罪について、十一の罪について法定刑を加重する
法律案について御質問を申し上げたいと存じます。
ただいまの御質問によりまして、
イタリア・
マフィアの恐ろしさというのは私も十分に理解することができました。しかしながら、これは本当に
世界でも特異な現象でありまして、
我が国は
世界に冠たる、治安が最も安定しておる国という評価を受けているわけでございますので、これと一律に論ずるということはまさにできないんだというふうに考えております。
それからさらに、本法の目的の一部に、
暴力団の不法行為の
対策並びにカルト集団であるオウム真理教の凶悪
事件に対する
対策という問題が含まれていることは認めますけれ
ども、それに対する限定というものはほとんどないという点と、さらに問題なのは、それ以外の、不法な目的でないところの
団体、労働組合、市民
団体、または会社なんかもそうでありますけれ
ども、そういった
団体にまで適用の可能性が十分にある法案であるということが問題であるわけであります。
そして、肝心の
暴力団対策またはオウム真理教
対策というようなものがこの法規によって万全を期することができるかといいますと、決してそんなことは期待できません。法定刑を、
組織的なというような要件を加えて、下限を上げたり上限を上げたりするというようなことによって対抗できるはずないわけであります。防げるわけないわけであります。
したがいまして、そういう名のもとに、善良なというか、不法な目的のない、正当な目的を持った
団体の
人たちがたまたま
構成員としてそういったような行為を犯してしまったという場合に、むしろ適用が広くされてしまう
危険性の方が多いという点をまず
指摘を申し上げておきたいわけでございます。
それから次に、私は、この問題について、
平成十年の五月二十二日に、反対をするという立場から質問を既に一回いたしております。これは一年も前のことでございますので、そのときの基本的な立場を若干要約して申し上げて、これを前提として、追加して、数点について質問をいたしたい、かように考えております。
本法案は、まず、殺人、身の代金目的略取、常習賭博を初めといたしまして、十一の罪について、
犯罪行為が
団体の
活動として、これを実行する
組織によって行われたときは、
団体の不正な権益を維持拡大する目的で行われた場合には、その犯した罪の基本的な
犯罪の法定刑を、十一の罪全部について包括的に加重をしようとしておるものであります。すなわち、
組織的という全く同一の構成要件を基本的な罪の構成要件に付加することによって一括して法定刑を加重しちゃおう、こういう便宜な規定になっておるわけであります。そこには、
組織的に罪を犯した者は、個人的に犯した者、もちろんこの中には共犯の者もありましょうけれ
ども、こういった者と比べてその違法性が高い、すべて高いんだという短絡的な評価論というのを前提にしておるわけであります。
しかしながら、刑の量刑というものの重要なメルクマールというものは、まず、個人がどのような立場でそれに関与したかどうかということであります。
組織的に行われた
犯罪でありましても、その関与の仕方が、首謀者であるか、それとも付随的、無理やりさせられたのかという個人的な非難可能性、責任論というものが量刑の主な基準というふうになっていることは、具体的
事件では明白であるわけであります。この点の評価というものが全く欠落をしていて、
組織的というだけで短絡的にすべて悪いんだ、違法性が高い、こういうことになっております。これがまず間違いであります。
それからまた、
我が国の刑法典の基本的な構成に著しく反しておるのではないか、こう考えるわけであります。すなわち、
我が国の刑法というのはどうなっているかといいますと、それぞれ、生命、身体、財産というような保護法益ごとに罪を形成して、構成要件を定めておりまして、その保護法益を侵害する行為というもののみを単純に明快に構成要件として規定をしておるわけであります。例えば、殺人罪については「人を殺した者」、窃盗罪については「財物を窃取した者」、こういうわけであります。
そして、それが
組織的に行われたかどうかということ、計画的に行われたかどうかというようなことの
犯罪の態様は全く
犯罪の成否と関係のない、構成要件としてはなっていないわけであります。そして、このような
組織的とか計画的等の、また偶発的であるとかいうような、こういったことは、
裁判官が具体的な
事件の
裁判において刑を盛り込むとき、量刑をするときの情状事由として、具体的な言い渡し刑を決定すればよい、こうされておるわけであります。
そのために、
我が国の各罪についての法定刑は、悪質な場合もあれば本当にかわいそうな
事例もあるということで、幅は極めて広く、他の国に例を見ないぐらい広くなっているわけであります。殺人罪等は、下は三年から無期懲役から死刑まである、窃盗も、恐喝等の財産犯も十年以下ということになっているわけであります。これは、ドイツの最高刑五年でありますけれ
ども、こういうようなものと比べても倍以上の幅広さを持っております。
したがって、この構成要件には、単純な
犯罪、共犯の場合、それから悪質なものも、それから憫諒すべき場合も、
組織的な
犯罪の場合も、当然態様として予測をして法定刑が定められておるものであります。他の国の法定刑の中には、計画性のあるものと構成要件を別にするとか、
組織的なものと構成要件を別にするとか、いろいろな考え方で法規が定められておりますけれ
ども、
我が国は、業務上の問題であるとか特殊な
事例を除いてはすべてのことが基本的な構成要件に含まれているわけであります。
このような基本的な体制というものをそのまま維持しながら、今度それの上にさらに、
組織的だというようなあいまいな概念を付加することによってさらに刑を加重する、こういうことは、いわば二重に違法性の問題を評価しようとする、いわゆるダブルスタンダード的な考え方であるということで、許されることではないわけであります。
それからまた、そこで十一の罪が挙がっていますけれ
ども、これは罪質がまるきり違うんですね、法益も。こういったものについて、すべて
組織的だということでいった場合に、本当に加重をしなきゃならないのか、また、加重するとしても加重する程度というものを同じように考えていいのかどうかというものも極めて重要であるわけであります。
そういう意味におきまして、もしこれでどうしても必要なものがあるとすれば、その基本的な罪についてだけ、例えば現行の、実際に
裁判において行われている量刑上、現在の法定刑では軽きに失する
処罰しかできないとか、そういうような具体的な事情がある罪に限定して個々的に決定をして、しかもその罪と一緒に基本的な刑を第一項、それから第二項にそういったものを、それについての加重要件を定めてする。しかも、そのときの構成要件も、十何罪一律ということではなくて、それぞれの罪について、構成要件的なことも、
組織的なという単純な言い方ではなくて、もう少し変化を持たせたものによって構成をする必要性もあるというふうに思っているわけであります。
もちろん、悪質な
犯罪、厳罰で私結構だというふうに思っておりますけれ
ども、何と申しましても、刑罰権の行使というのは、
国家の治安維持のために必要だから必要悪として当然あるわけです。しかしながら、これはしょせん、
国家の
国民に対する最も重大な人権侵害であるということは事実であります。要するに、国全体の安寧のため、秩序を維持するためにこれが許されておるということであります。
したがって、その行使、特に法定刑の設定というものは、その罪の重さ、それから責任の重さ、違法性の高さというような観点から合理的に定めなければならないわけであります。したがって、一罪一罪きちっとした形でこれを検討して、法定刑、これについてはもう必要だ、その合理的な理由もちゃんと説明がつくという場合に限ってしなければならないわけであります。
御承知のように、刑罰の法規というもの、法定刑の高い国というのは、やはり人権の後進性の国と評価をされているわけであります。いわゆる人権評価のバロメーターが
各国の法定刑のあり方というぐらいのものであります。しかも、後進性の国は、民主化され、さらに安定して
近代化されるに従って、すべてこういったものが減少されるという傾向にある。
我が国において今特にこれを加重しなきゃならない理由は全く見受けられないというふうに考えられますので、この点も含めて慎重な協議をさるべきだ、かように考えるわけであります。
そして、これらの問題は、国際的なことの視野という点、それからバランスという点から考えても、党利党略で考えるのではなくて、
我が国全体の中の本当にあるべき司法制度ということの観点からぜひとも御議論を願いたいと思うわけであります。
若干数点の
指摘をしましたけれ
ども、これについての大臣並びに法務省当局のまず所見を承っておきたいと思います。