○前島
委員 水かけ論になるからあえて
答弁は求めませんけれ
ども、けさからの
議論の中で、譲許表そのものも、国際ルール、条約の
一つを構成していると私は思います。同時に、
国内法が条約に優先することはないだろうとも思います。したがって、先ほどの統一見解に、四月一日までに手続を完了しなくちゃいけない、そういう規定がないからいいんだ。これを
前提としましても、条約を構成する譲許表の承認がないということは、その条約は完成をしていない、手続中である、こういうふうに解釈すべきだろうと思いますね。
したがって、
政府が言うように、四月一日をもって
関税化するんだというのはいわば
日本の宣言みたいなものだから、それは
WTO協定に基づいて承認されたとしても、条約を構成するこの譲許表というのはまだ手続途中なんですね。手続の途中なんですよ、完了していないのですよ。だから、WTOも了承のサインを
日本には出さない。したがって、条約としての
国会の手続はできない、こういうことになるわけなんです。
譲許表そのものも条約を構成する要件である、同時に、
国内法が国際法に優先することはあり得ないという
前提に立つならば、やはり譲許表の承認が完了していないと、それを実行することについては無理があるのではないか、問題がありゃせぬかということ、もしアメリカ等が提訴をした場合はそういう事態が起こることは間違いないと私は思います。
そう思うということを
答弁を求めても水かけ論になりますから、私は
答弁は求めませんけれ
ども、けさからの
議論を聞いていて、その辺のところには無理がありゃせぬかなということだけは
指摘をしておきたい、こういうふうに思います。
それから、
長官もしくは経済
局長でいいのですけれ
ども、
関税化したのだから外国から米は入ってこないぞ、ここを余り言って、
国民並びに
生産者に幻想を与えることは、今後の問題として非常に危険ではないかなという
感じが私はします。
確かに、二〇〇〇年までのことを考えると、やはり七万数千トンは減少させることができるかもしれませんけれ
ども、しかし、さまざまな要件を考えると、
関税化したら米は入ってこないんだということを余り
農民並びに
国民に期待させることは、
関税化を絶対化することについては危険ではないかな、こういうふうに実は思っているのです。
そこで、
長官並びに経済
局長に聞きますが、あなた方が出した
資料に基づいてこれからの関税相当量を計算しますと、例えば、これも
交渉事の
一つでしょうけれ
ども、一九九七年を基準年とした場合の関税相当量は幾らになるのか、あなた方が出したこの
資料に基づいて計算をしてみますと、輸入米は六十円から百円の間ですから、計算上、中をとったとして八十円としますね。これに対して、国産の一九九七年の新潟コシヒカリは三百四十四円。この関税相当量は幾らになるかというと、二百六十四円です。あなた方の
資料に出ているあきたこまち、一九九七年の
価格は二百九十二円です。これを八十円引けば幾らになるかとなると、二百十二円。それから、きらら三九七、北海道、これは
資料によると二百五十三円。八十円引くと百七十三円。これは大ざっぱな数字ですけれ
ども、いわゆる一九九九年の三百五十一円十七銭という関税相当量と同じ計算方法で、一九九七年を基準年とすると、大筋こういう数字になるだろうと思いますね。
交渉事の
一つだろうけれ
ども、もし基準年が二○〇〇年からの
交渉の中で一九九七年となったとすると、関税相当量は、新潟の場合をとった場合、三百五十一円十七銭から二百六十四円、あきたこまちは二百十二円、きらら三九七は百七十三円に関税相当量が下がってしまうという計算に概略なるわけですね。
あるいは、先ほどの
議論から、これからも
日本に対して関税引き下げの圧力攻勢をする、こういう
議論になったとすると、さらに削減率というのが加わるとすると、二〇〇〇年まではミニマムよりか多少、七万六千トン抑えられることは間違いないけれ
ども、
交渉次第では、二〇〇〇年を超えたらこういう結果になるよ、
関税化というのはそういうものだと私は思いますね。
そういう面で、
関税化をすれば米は入ってこないのだ、最高の
選択なんだというのは、二〇〇〇年以降の、これはあくまでも
交渉事という
前提はつくけれ
ども、そんなに期待感を与えたり幻想を与えることは、結果として、いろいろ
生産者や
国民の
農政不信、
政治不信を招く要因になりゃせぬのかな、そういう心配をしますが、その点について御
答弁をお願いしたいと思います。