運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1999-07-16 第145回国会 衆議院 内閣委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年七月十六日(金曜日)     午前九時十一分開議   出席委員    委員長 二田 孝治君    理事 植竹 繁雄君 理事 小此木八郎君    理事 小林 興起君 理事 萩野 浩基君    理事 北村 哲男君 理事 佐々木秀典君    理事 河合 正智君 理事 三沢  淳君       越智 伊平君    小島 敏男君       佐藤 信二君    橘 康太郎君       谷川 和穗君    近岡理一郎君       桧田  仁君    平沢 勝栄君       堀内 光雄君    矢上 雅義君       河村たかし君    藤村  修君       山元  勉君    倉田 栄喜君       中村 鋭一君    鰐淵 俊之君       石井 郁子君    児玉 健次君       深田  肇君  委員外出席者         参考人         (元長野五輪儀         典アドバイザー         )       吹浦 忠正君         参考人         (作曲家)   中田 喜直君         参考人         (國學院大學文         学部教授文学         博士)     阿部 正路君         参考人         (京都産業大学         日本文化研究所         所長)     所   功君         参考人         (全日本教職員         組合中央執行委         員長)     山口 光昭君         参考人         (東京大学名誉         教授)         (フェリス女学         院大学名誉教授         )       弓削  達君         内閣委員会専門         員       新倉 紀一君 委員の異動 七月十六日  辞任         補欠選任   虎島 和夫君     橘 康太郎君   鰐淵 俊之君     中村 鋭一君 同日  辞任         補欠選任   橘 康太郎君     虎島 和夫君   中村 鋭一君     鰐淵 俊之君 七月九日  傷病恩給等の改善に関する請願中村正三郎紹介)(第六六二四号)  同(持永和見紹介)(第六六五五号)  同(渡辺具能紹介)(第六六七一号)  動物の保護及び管理に関する法律の改正に関する請願菅義偉君紹介)(第六六七〇号)  日の丸君が代国旗国歌法制化反対に関する請願深田肇紹介)(第六六九三号)  同(中西績介紹介)(第六六九九号)  日の丸君が代国旗国歌としての法制化反対に関する請願石井郁子紹介)(第六七〇八号) は本委員会に付託された。 同月十四日  戦争被害等に関する真相究明調査会設置法早期制定に関する請願(第一八九四号)は、「山花貞夫紹介」を「伊藤忠治紹介」に訂正された。 本日の会議に付した案件  連合審査会開会に関する件  参考人出頭要求に関する件  国旗及び国歌に関する法律案内閣提出第一一五号)  派遣委員からの報告聴取     午前九時十一分開議      ――――◇―――――
  2. 二田孝治

    二田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出国旗及び国歌に関する法律案を議題といたします。  この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。  本案審査のため、本日、参考人として元長野五輪儀典アドバイザー吹浦忠正君、作曲家中田喜直君、國學院大學文学部教授文学博士阿部正路君、阿部参考人はちょっと電車の都合でただいまおくれておりますけれども、ただいま参ります。京都産業大学日本文化研究所所長所功君、全日本教職員組合中央執行委員長山口光昭君及び東京大学名誉教授フェリス女学院大学名誉教授弓削達君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     ―――――――――――――
  4. 二田孝治

    二田委員長 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いします。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、吹浦参考人中田参考人阿部参考人所参考人山口参考人弓削参考人の順に、お一人十五分程度意見をお述べいただき、次に委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  それでは、吹浦参考人お願いをいたします。
  5. 吹浦忠正

    吹浦参考人 ただいま委員長から御紹介いただきました、長野オリンピック儀典アドバイザーをしておりました吹浦でございます。  私は、我が国国旗国歌を法的に明確にすべきであるという立場から、まずもってこの国旗国歌法案に賛成であるということを申し上げ、参考人としての公述をしたいと存じます。  国旗国歌は、国の公式制度の主要なものとして、きちんとした形で整備すべきであるというのが私の基本的な考えでございます。今お話もしたように、私はオリンピックにも関係いたしましたが、一九六二年、昭和三十七年に、高柳賢三先生会長とする憲法調査会中央公聴会におきまして、当時青少年団体代表として公述したことがございますが、その際にも私は、国旗憲法規定すべきであるという見解を述べ、この調査会最終報告書にもこれは記載されております。三十七年を経た今日でも、この考えは変わっておりません。今国会で本院に設置決定を見た憲法調査会においても、ぜひその方向で検討をしていただきたいとお願い申し上げます。  私はこれまでに、世界日本国旗につきまして三十を超える出版物にかかわり、また、一九六四年、昭和三十九年の東京オリンピック、また昨年二月の長野でのオリンピック等で、専門家として組織委員会への参画を要請され、各国旗デザイン決定や制作に当たりましたが、いずれの場合におきましても、その際一番当惑したのが日本国旗についてでありました。  すなわち、日の丸デザインや色をどうするかということでございます。結果だけを申し上げますと、我が国で開催されました東京長野両方オリンピック両方とも私自身が旗をつくったのでよく覚えておりますが、それぞれ異なったデザイン日の丸を掲げることになったのでございます。  日の丸デザインにつきましては、大別して、これまで五つの種類のものがございました。太政官布告第五十七号、同じく六百五十一号、そして仮に永井一正型と申しましょう、それから日本航空型、全日空型と申し上げておきます。この五つでございます。  今回の法案は、そのうちの六百五十一号型の日の丸が、デザイン日本人に一番なじんでいるものとして提案されているものと私は理解しております。賛成しております。  いま少し詳しく申し上げますと、御承知のように、一八七〇年、明治三年、日の丸について二つ太政官布告が出されました。まず、一月に商船に掲ぐべき国旗としての太政官布告第五十七号が出されまして、この布告は、実寸で旗のデザインを、つまり何丈何尺何寸という数字でございますが、それで旗を表記しております。  これを幾何学的に整理いたしますと、旗面縦横比率でございますね、これは言葉がないもので、私は縦横比という表現で、自分でつくった言葉ですが、縦横比表現させていただきますが、これが七対十。そして、何と円はさお側の、仮にこっちがさおとしますと、さお側に横の百分の一だけずらすという、これは各国旗の中でも大変不思議な指定と申し上げるほかありませんが、それで円の直径が縦の五分の三というものを決めております。これは明治の人の一つの美学だったのかもしれません。ちょっと解釈に無理があるかもしれませんが。  次いで、この明治三年の十月、今度は軍船で用いる国旗についての太政官布告第六百五十一号が出ました。これは、縦横比は今度は二対三で、円の中心対角線交点、つまり旗面中心、円の直径は縦の五分の三というものでございます。  今、簡単に数字で申し上げましたので若干おわかりにくかったかと思いますが、要するに二つ太政官布告で異なるデザイン日の丸が誕生したのでございます。このため、以後デザイン上の混乱が続き、今日に至っております。この間、国旗法制化への動きは少なくとも四回あったと言えましょう。  最初の具体的な動きは、昭和の初め昭和六年、一九三一年の二月、当時本院の議員でありました石原善三郎さんという方が大日本国旗法案というものを提出しております。衆議院は三月二十五日、これを可決いたしました。このとき石原議員は、前年六月、文部省から内閣国旗の制式について問い合わせたのに対し、国旗寸法は差し当たり太政官布告の五十七号に定むるものの比率に準拠することを妥当と認むるとしたが国定教科書では日の丸縦横比を二対三にしている、国旗デザイン法制上あいまいになっているからだということを理由にして、デザイン明確化を求めたことを法制化意義として述べておるわけでございます。  この石原議員提案に成る法案日の丸は、太政官布告六百五十一号と同じものであったわけでございます。しかし、この年の四月、浜口内閣が総辞職し、九月には満州事変が勃発するなど、激動の内外情勢の中でこの国旗法案審議未了、廃案となりました。そして、やがて衆議院は解散、この議員は大阪の選挙区で落選してしまいまして、この国旗法はとんざしたわけでございます。  戦後、最初国旗法制化検討されましたのは、一九六二年、東京オリンピックを前にした昭和三十七年のことでございます。当時の総理府に設けられました公式制度調査会国旗国歌、元号、国名の呼称など公式制度研究調査し、東京オリンピックを前に世論の関心も高まりましたが、国会への法案提出までには至りませんでした。しかし、このときの公式制度調査会調査が、国会図書館によるその前後の調査研究と相まって、今回の法案作成に当たっても大いに活用されているようにお見受けいたしております。  三回目は、一九七三年、昭和四十八年、時の田中角栄首相が突如として国旗法制化を政治マター化させたときでございます。しかし、このときは、今回と違いいかにも唐突で、またしかもその本音が日の丸を強制的に掲げさせるというようなところもあり、世論の賛同を得るには至らず、立ち消えとなりました。  四度目もまた突然の動きでした。七党一会派による細川護熙首班連立政権時代、今回私を推薦してくださいました自民党の一部の方が法制化を図ろうと発言したことがございました。ただ、このときは、いささか動機不純といいましょうか、国旗法によって連立政権内にあっていまだ日の丸を認めていない日本社会党政権から分離させて、その政権を瓦解させようとしたとしか思えないようなものでございまして、日の丸を政争の具にしたと言うほかなく、私は大変残念なことだと思いましたし、当時も私は、そうした形での法制化国旗国歌にはふさわしくない、そういうものとして反対いたしました。  それらに比べますと、今回の国旗国歌法案は、かなり周到に準備された、妥当な提案であると言えましょう。  少し話を戻します。  日本国憲法第九十八条は、すべての海軍関係法令を失効させました。このため、六百五十一号は廃止され、日の丸デザインにかかわる有効な成文の法令太政官布告第五十七号のみとなりました。百分の一ずらす方です。しかし、現実には、円を百分の一ずらすといったような規定はほとんど無視され、東京、札幌、長野オリンピックでも、またニューヨークの国連ビルや本院の屋上の日の丸もすべて、円の中心対角線交点、すなわち旗の中央日の丸が置かれてきたのであります。今回の法案で、円を旗面中心に置くとし、また日の丸デザインをはっきりさせるため五十七号の失効を織り込んでいるのは、こうした実態にかんがみて、当然のことでありましょう。  一九六二年、昭和三十七年、オリンピックを前に、永井一正、この方は現在日本グラフィックデザイン協会会長という要職にある方でございますが、このほかに白井正治有本功の三人の若手グラフィックデザイナーが、新しい日の丸提案し、その法制化を求めました。これが三番目の日の丸であります。すなわち、縦横比二対三、円の直径は縦の三分の二、円をちょっと大きくしています、円は旗面中心というものであり、これは、いわば六百五十一号型の円の部分を少し大きくしたものでございました。これが三番目です。永井さんらは、これによって古いイメージを払拭した新しい平和のシンボルともなることを期待したいという趣旨を発表して、提案したわけでございました。  東京オリンピック組織委員会では、その永井さんらの提案の採用を内定いたしまして、プレオリンピックなどで使用しましたが、最終的には、今回の法案と同じ六百五十一号型の日の丸を採用したわけでございます。  他方、昨年の長野オリンピックでは永井提案が全面的に採用されました。永井さんたちが掲げた提案理由のほかに、冬のオリンピックということでございますから、背景が雪で白でございまして、したがって少し日の丸の赤の面積が多目の方が適切であろうと私どもが考えたからでございます。  ところで、我が国フラッグキャリアである日本航空全日空では機体日の丸デザインは異なっております。皆様お気づきの方も多かろうとは思いますが、日本航空機体には、縦横比二対三、縦の十分の七の直径の円、そして永井型よりさらに大きな丸、十分の七でございますね、これが第四のタイプでございます。日本航空型。これは機体のデザイナーとしては、日本航空機体そのものは白が大部分でございますから、そこは赤い丸をやや大きくした方がいいのではないかと考えたようでございます。  さらに、全日空は、五十七号型をベースにして、すなわち七対十の縦横比で、旗面中心、五分の三という円でございますが、これが五番目の日の丸でありまして、デザイン混乱は、こうしたようにさまざまなところで見られているわけでございます。  今配っていただきました朝日新聞サトウサンペイさんの漫画には思わず苦笑されましょうが、従来、日の丸デザインについては、明確に法制化されていなかったことから来る混乱がこうしたところでも見られるわけでございます。今般の国旗国歌法案が具体的にデザインを特定していることは、今後、国旗を国家の行事公官庁オリンピックなどで正式に用いる場合の混乱を避ける上で重要な意義があるものと私は評価いたします。  日の丸につきましては、赤という色についてどう規定するかという問題もございます。  諸外国には、何と光の周波数で色彩規定しているものもございます。また、マンセル値とかブリティッシュカラースタンダード、インクの番号とかけ合わせ率、色の三要素数表などで決めている例もございます。ただ、私は、日の丸の場合は、法律では文字によるだけの規定で十分かと考えます。ただし、将来、政令やその他でもって色の三要素数値で定めるとか、日本工業規格、さらに国際的なスタンダードなどで表示し、これが参考とすべき標準値であるという程度決定しておくことはあっていいのではないかと思います。  今回の法案では、日章紅色表現されておりますが、白地に赤くという表現ではいけないのかなど、細かく言えば全く検討事項なしとは言えません。しかし、要はこうしたいわば付随的な事項は、今申し上げましたように現代科学を基礎とし、専門家を含む衆知を集めて別に検討すれば済むことでございます。紅色という規定は、標準とすべき色を文字表記するといういかにも日本らしいあいまいさで規定したものであり、他方日の丸日本国旗であるということを世界の人々と日本国民が既に十分過ぎるほど認識し、あらゆる公式行事などで確認されている日章の色をより明確にすることが重要だと私は考えます。  世間には、また若干の政治家の方の中にも、この際、新たに国旗国歌制定すべきであるという意見もあるやに聞いておりますが、私は、これには断固反対いたします。日の丸君が代は、日本らしさを結実させ、表現したものであり、このことの重要さははかり知れないものがあります。また、日の丸君が代にはこれまで内外国旗国歌として十分認められ、使用され、普及しているという実績があり、新たな国旗国歌制定を行う場合には、比較にならない強制を伴って、なお安定した普及ができるとは私には考えられないのでございます。  他方国旗国歌取り扱いや演奏時の態度などにつきましてはこの法案に何の規定もありませんが、私は、それはそれで結構ではないかと思っております。こうしたことは、むしろ法的に規定することを避けまして、国際的なマナーエチケットに従えば十分であると考えるからでございます。同時に、グローバリゼーションの時代にありまして、国際的なマナーエチケットといったようなことこそ、学校教育のみならず、社会教育家庭教育、そういったさまざまな教育機能を通じて大いに指導、普及すべきものと考えます。  最後になりましたが、私は、国旗国歌法制化に関連しまして、二点皆様に希望がございます。  第一は、法制化によって決定されるデザイン数値と少々異なるものを排除したり、国旗と認めないといったような狭量なことは決してすべきではないということでございます。  かつて私は、国会議事堂はもとより、首相官邸文部省、外務省など政府公官庁日の丸を実際におろしていただいて、実測、寸法をはからせていただいたことがございます。全部これはばらばらでした。さらにまた、無作為に各家庭で所有している五百枚の日の丸デザインの色や形を分析調査する研究にも携わったことがございます。それらは、結果として、文字どおり十人十色と申しましょうか、多岐にわたるものでございました。それでもこの五百枚の日の丸は、いずれも日本国旗として、国会でも官庁でも、また各企業や家庭でも、我が国国旗として使用されているものであります。  どうか、国会も行政も、また各職場や家庭でも、この法律デザイン色彩に厳正過ぎるこだわりを持った取り扱いをしないようにしていただきたいものと思います。  第二でございます。これが最後ですが、国旗国歌法制定された暁には、何はともあれ、国会開閉会式、この式場で議場内に国旗を掲げ、全議員が起立して国歌を斉唱されるか、演奏されるべきものであると私は考えます。  これは、海外、諸外国で私自身何度かそういう場面に立ち会って感動した経験から申し上げている要望でございます。国旗国歌を実際に制定された国会議員皆様が、その国旗国歌を国権の最高機関である国会議場内で用いず、小中高等学校などの講堂で行われる入学式卒業式においてのみ国旗を掲揚し、国歌を歌えと指導するのはいかがなものでございましょう。まず隗より始めよということを申し上げて、終わりたいと思います。  長時間、御清聴ありがとうございました。委員長、ありがとうございました。(拍手)
  6. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、中田参考人お願いをいたします。
  7. 中田喜直

    中田参考人 私がここに呼ばれましたのは、皆様にお配りしてある朝日新聞の記事によって、ぜひ私の意見を述べてほしいということで、きょう伺いました。  私は、前から日の丸君が代についていろいろ考えを持っておりましたけれども、最近は特に、法制化の問題で議論がたくさんあります。まず、大きく考えまして、日の丸君が代を一緒に考えるんじゃなくて、日の丸日の丸君が代君が代と、まず二つに分けてぜひ考えたいと思っております。  今、吹浦さんが日の丸について非常に詳しくお話をなさいました。私は作曲家ですので、時間も余りありませんので、君が代の方についてだけちょっと申し上げます。  大体の趣旨朝日新聞に書いたのと同様ですが、要するに、一番問題は、歌曲国歌というのは歌ですから、歌というのは歌詞メロディーが合っていないといけないんですね。これはどんな名曲でもそうですけれども、日本でいえば、例えば、昔北原白秋山田耕筰がたくさんの童謡とか名歌曲をつくりました。必ず山田耕筰北原白秋の詩を、ちゃんと詩を読むような感じで、歌うとちゃんとその詩がわかるんですね。ところが、そういうよくわからない曲もありますけれども、特に国歌のような日本を代表する一番大切な歌が、歌詞メロディーが合っていないということは、これは重大問題なんですね。  私は、ここにも書きましたように、子供のときに、小学校で君が代を書きなさいといったときに、「きみがあよーわ」と歌うように書きました。これは、「君が代は」と歌わなきゃいけないのに、「きみがあよーわ」、それから「ちよにいいやちよにさざれ」、さざれで切れちゃうんですね。「いしのいわおとなーりて、こけのむうすうまーああで」、こういう歌ですから、間延びしているんですね。もうじきお相撲も終わりますけれども、最後閉会式のときに君が代を歌うと、何だか、ぼわっとしてちっとも緊張感がないんですね。ところが音楽だけはすばらしい。これにも書きましたように、オーケストラとかブラスバンドで君が代をやると、すばらしいんですね。  ですから、私は、君が代メロディーはそのままにして、歌詞が問題なんですね、歌詞も政治的な意味でいろいろ問題がありますけれども、政治的な意味も持っていますけれどもあえてそれは言わないで、ともかく純粋に、歌曲として歌詞メロディーを一致させよう。  そうしますと、歌は、本当は詞が先にあって後でその詞に作曲するのが普通なんですけれども、最近は、メロディーを先につくってそれに詞を当てはめる。あるいは訳詞の場合ですね。外国の曲に日本歌詞をつけるときは、そのメロディー歌詞をつけます。その歌詞をつけるのが非常にうまい人がたくさんいまして、できたものがすごく自然に聞こえるように詞をつくる人が今たくさんいます。  それで、国歌という一番大切な、メロディー歌詞が合っていないのを急にえいっと法律で決めちゃうよりは、もう少し間を置いて、皆さんに相談してメロディーにいい詞をつけて、みんなが納得する、一〇〇%ということはこれは不可能で、必ず反対する人はいますけれども、少なくとも八〇%から九〇%の人が、ああこの詞ならいいやというところまでゆっくり考えて、ぜひともこんなのを大急ぎでしないで、もうちょっと余裕を持って国歌について考えていただきたいと思います。  それともう一つ、新しい国歌国民の歌をつくろうという計画がありまして、一九六三年に電通とか民放で、民放が主になりまして、非常に大がかりで三曲つくったんですけれども、全部消えました。だれも知っている人はいないんですね。私も一曲つくったんですけれども、私は子供用です。サトウ・ハチローさんが補作しましてつくりましたけれども、今全然歌われていないんです。  メロディーというのは抽象的なもので、メロディーには意味がないんです。ですから、これはある程度長い間定着するというか、長い間皆さんに聞かせるというか、体に持っているものでないとだめなんですね。  ですから、最初に言いましたように、このメロディーはとてもいいメロディー日本的でありますし、真ん中のところはヨーロッパの、本当の、世界的に共通のハーモニーがちゃんとつくんですね。始めと終わりはハーモニーはつかないで日本風メロディー。普通はドから始まってドで終わるのが、レから始まる。そういう特色があるので、これはそのまま残す。  ですから、両方で妥協する。つまり、今君が代は何でもかんでも反対だという人も、歌詞が変わるからいいではないか。それから、どうしても君が代でこのままやれという人も、メロディーが残るから新しい歌詞でいいじゃないか。両方で妥協しないと、これは法律で決めたからみんな言うことを聞くというものじゃなくて、いつまでたっても反対する人は反対して、これはいつまでたっても一致しないと思います。ですから、両方で妥協して、ぜひともこのすばらしいメロディーにすばらしい詞をつけて、それで皆さんが納得するような国歌ができたら非常にいいと考えております。(拍手)
  8. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、阿部参考人お願いをいたします。
  9. 阿部正路

    阿部参考人 阿部正路です。  本日の国旗及び国歌について意見を述べます。ここにお集まりくださっている内閣委員会の先生方にどれほど御参考になるか存じませんが、大層心もとないのですけれども、日ごろ考えておりますことの一端を申し述べます。  資料をお届けいたしました。資料は、概要を記しましたかがみ一枚と参考資料を添えてございます。都合六枚になります。最初のかがみに沿いながら補足する形で、限られた時間でございますので、申し上げます。  まず一枚目。縦だったり横だったりして大変恐縮でございますが、一枚目のかがみの部分でございます。  まず最初の、内閣委員会国旗及び国歌に関する法律案審査会資料、「天皇は象徴、君が代国民の世、日の丸は太陽」と題しました。話の順序はそれを逆にいたしまして、まず、「日の丸は太陽」、次に「君が代国民の世」、最後に「天皇は象徴」の問題に移ります。  結論を最初に申し上げます。  私は、天皇は象徴であり、君が代国民の世を示す歌として適当であり、日の丸は太陽を象徴するものであって、これら三つの諸要件は、いずれも現在の日本人の、国民のシンボルとして適切だ、適切といいましょうか、守り抜くべきことだろう。私は法律専門家でございませんから、先生方にお任せするとして、法制化には賛成でございます。  なお、私の結論をより客観的なものにするために、これから与えられた時間の中で幾つかのことを申し上げます。  まず最初に、「日の丸は太陽」としておきました。読んでいただければおわかりいただけるので、時間の関係上省略してまいりますが、(一)に新潮社の古語・現代語国語辞典を用いたのは、このような学問的なというよりも、学問の結果としての一般的な事象を挙げましたのは、現代の日本人の普遍的な考えを代表していると認識したからであります。  二番目に、日の丸は、日の紋は太陽をかたどったこと。二行目になりますが、日、太陽が神として崇拝されていたからばかりではなくて、その形が鮮明で見分けやすかったことが一因である、これは沼田先生の「日本紋章学」の一節でございます。大著でございますが、ごらんになった方がいると思います。日の丸と各家々、このごろ若い人はほとんど問題にしなくなりましたけれども、家紋とは密接な関係があるわけでございます。ちなみに、私の家の家紋は、一に日の丸でございます。  なお、その形が非常に鮮明で見分けやすいことの一つの例として申し上げますと、源平盛衰記に、源義経が鷲尾に日の丸の紋の扇を与えたという記事がございます。それから第二に、これはもう皆さんよく御存じだろうと思いますが、例の那須与一が扇を射るときに、日の丸の扇ということになっております。つまり、すなわち那須与一の場合には、そしてまたあの源平盛衰記に照らして、やはりそれは大層鮮明で見分けやすいという、そこがその根本であろうというふうに私は考えています。  第三に、これはちょっと新しいというか、見なれない例かと思いますが、原文どおり読みます。「太陽は、昼は東から西へと空をわたりながら生者を照らして活力をつけ、夜には西から東へ命の河を「太陽の舟」に乗り、生命の河にうかぶ死者を照らしながら蘇生の力を与えると古代エジプトや日本では考えられていた。」  その証拠は、古代エジプトのクフ王のピラミッドのところで、東と西の二つの、つい最近のことでもありますけれども、言ってみれば、昼の太陽と夜の太陽が発見されました。日本では熊本の珍敷塚、それから、福島の古墳の中にも、この太陽の舟を刻み込んだのが出土といいましょうか、残されておりまして、明らかに太陽は、時に舟に乗る。最も重要なことは、生きている者も死んでいる者も照らし出すということでございます。すなわち、すべての命へ、すべての生命へ向けての暗示がそこにございます。  「君が代国民の世」に移ります。  「君が代もわが世も知るや磐代の丘の草根をいざ結びてな」この「君」は舒明天皇、作者は中皇命。中皇命については、学問的にいろいろな問題がございます。天皇になり切れない方であるとか、あるいは初めから天皇に予定されている方などと、学説はいろいろございますけれども、客観的に言いますと、ここに示しましたように、この古歌の場合の中皇命は天智天皇の御母、舒明天皇の皇后であり、後の斉明・皇極天皇のことを指します。  見てのとおり、「君」も「わが」もほぼ同格として表現されている。つまりは、一緒に草の根を結ぼうという気持ちをうたい上げている。「代」は「よ」で年齢、寿命をいうというふうにここに記しましたが、さらに加えていただきたいのは「世」です。「代」と「世」は「よ」で、平仮名の「よ」ですが、年齢、寿命をいうということであります。「よ」はいろいろな意味を持つ、根底に深く結び合い合いながら。  第二の(二)を申し上げます。  「筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣あやに著欲しも」これは、万葉集の巻十四の東歌の常陸の国の歌、ここに記したとおりでございます。「君が御衣」は歌のとおり、どこまでも夫あるいは恋人を指すことは明瞭でございまして、東歌はいずれも民衆の歌でございます。したがって、ここに歌われている夫も、それからこの作者も、あるいは恋人、いずれも、当時の言葉で言えば民衆、今の言葉で言えば国民ということになると思います。それを意味している。「君が」は、明らかにそのことを意味しているということが証明されます。  次の(三)でございます。「武蔵嶺のを峰見かくし忘れゆく君が名かけて我を哭し泣くる」この歌の意味は、武蔵野の山、その山の姿がだんだん遠ざかっていく、あるいは意識から忘れていく。しかし、忘れてならないものがある。それが忘れられるようであれば、「哭」というのは声を立てて泣くことでありますが、大事なものが忘れられた場合には声を上げて泣く、そういう意味でございます。そして、この場合の「君が」も作者も同格であるということですね。  さらに大事なことは、ここにおきますところの武蔵嶺というのは、この巻十四の東歌の相模の国の歌の「或る本の歌」ですから、「或る本の歌」というのは正式に認められない歌と言っていいでしょうか、万葉集の歌の数がいまだに定まらないのは、「或る本の歌」をどうするのか、あるいは似たような歌を一首、二首と数えていいのかどうかといったような問題、さまざま含むわけでございます。  ここで明白なのは、この本歌、原歌というよりも、認められた歌は「相模嶺の小嶺見退くし忘れくる妹が名呼びて吾を哭しなくな」こういう歌でして、非常によく似ている。ほとんど意味は同じですね。ただ違うのは、武蔵嶺というのと相模嶺というのがはっきりと違う。万葉集では相模嶺の方をとって、武蔵嶺の方を副としたわけです。この場合、ではこの嶺はどういう山なのか。御存じのとおり、大山でございます。したがって、神奈川県から見た山、それから東京の方から見た山ということになりますね。  つまり、見ている人の立場によって言葉が変わってくる。その人の立場立場によって、同じ大山であっても、人によってはそれを武蔵嶺と言う、また人によってはそれを相模嶺と言う。また、万葉集の編者についてはいろいろと問題のあるところですけれども、編者は、この場合は相模をとって武蔵を次にしたということですね。そういう問題がここに明白になっているわけであります。  (四)でございます。「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」まさにこのことが今問題になっているわけでございますが、ここに、私の先生でもある柳田先生の「生石伝説」、ある岩、石が生えて成長していく伝説、大分古い時代の「太陽」の、明治四十四年の御論考から一節を引きました。  少し長いので、ポイントだけを申し上げますと、貞観十六年のこととしてまず記されていることです。そして、君が代の歌のできたのは、あたかもおおむねこの時代であると言われていること、つまり、貞観十六年ごろに君が代の歌が成立したということですね。これは余り話題にならないことですけれども、大事なことであります。  なぜ大事かというと、この貞観年間というのは、いつどういうときなのか。一つだけ例を挙げますと、この貞観十六年の前の年、言うまでもなく貞観十五年でございますけれども、そのときのさまざまの記録を読んでみますと、渤海の国の人が天草にやってくる、あるいは唐の国の商人が肥後、北九州にやってくる、あるいは対馬に漂着した新羅人を帰国させたといったような記録が残っているわけです。つまり、当時のすべての外国と言っていいでしょう、アメリカなどはなかったわけですから。そういったときに、外国のことが非常に意識されるころに、君が代という歌が正しく歌われているということですね。この事実も見逃すわけにはいかないだろうと私は思います。  注釈として米印にしておきましたが、「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」、これすなわち薬師如来の御詠歌なるべし云々ということ。それから、その次には、揖斐川石の小さなさざれ石が大きな石へと合体すること。そのことについては、所先生の資料を今拝見したら、岐阜県の御出身でもいらっしゃるようなので、そのことが記してございました。それをごらんいただければいいのですが、石は成長するのでございます。  その辺のことは、この「子規庵追想」、二枚目の参考資料を読んでいただければありがたいのですが、特に二百十一ページのところ、そこに、十二代の成務天皇のころには、このさざれ石というのは人の名前でございます。先ほども中田先生から音楽についての御指摘がありましたが、私はここに、「さざれー」と息をのんで「石の」と言うのが間違いだということを言っているわけですね。さざれと石は分解できないのです。さざれ石という一つの名詞であるわけですから、それを分けるのはやはりどうにも私はおかしいということをここに書いているわけです。  それから、さらに言いますと、この成長する石、それはどこにあるのかといいますと、例えば明治神宮にございますし、それから千鳥ケ淵の戦没者の慰霊を祭っているところにもございますので、ごらんになった方はいると思います。当然、揖斐川石が産地でございます。  時間がなくなったので、少し早く言います。  その次の二の(五)「呉竹のよよの竹取野山にもさやはわびしき節をのみ見し」これは、竹取物語の蓬莱の玉の枝のところにございますが、「よよ」は代々とか世々などを意味することを書いてございます。それから、節は節目の節でございます。それを意味するのです。  これはもう繰り返さないことにいたしますけれども、竹取物語では五人の人が求婚しますが、実際は七人が求婚することになっていて、それは天皇です。しかし、竹取には天皇とは書いてない、みかどと書いてある。これは一体どういうことかといえば、竹取物語の登場者の文字には大層中国風の発想がある。秦の始皇帝などの皇帝につながるそういう発想があるということが見逃せない。現実に、竹取物語には漢文体の作品といいましょうか、漢文体のものもあるわけであります。  (六)に移ります。  これは古今和歌集の歌で、しばしば問題になっているので繰り返す必要がないかと思います。「千世にやちよ」の「や」は無限大を意味すること、たくさんのこと。例えば、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝元と続きますところの、神武から崇神天皇までの間に欠史八代というのがございまして、あの八人の天皇は何をしたのかさっぱりわからないんですね。そこであの八人の天皇は存在しなかったという説がある。  しかし、そうではなくて八ということはすごく大きな数、無限大でございますから、書くことができないほどたくさんの問題を含んでおるということが一つ。それから、数限りなく永遠に続いた一時期があったということですね。それを認識しておく必要があるだろうというふうに思います。  あとは、和漢朗詠集の詩句などはここに引いておきました。  そして、この(六)の後ろから二行目、長生殿の不老門の前には日月のめぐりが遅い。「日月遅」とありますのは、一日一日、月々がゆっくり行くということは、結果的には老いないということですね。不老長寿のことを言っているのです。その問題。  それから、三に移ります。「天皇は象徴」ということであります。  (一)についてはもう何も言うことはございません。日本国憲法第一条にございまして、私は、これは当然大事なことであり、守り抜くべき問題だろう、私どもはむしろ責任を持って守り抜くことだろうと思っております。  三の(二)の万葉集では、天武・持統朝においても、天皇あるいは皇、大君なのか、君ということが揺れ動いていて、まだ決まっていないということですね。「大君は神にし座せば天雲の雷の上に廬せるかも」とは人麻呂の歌でございますけれども、そのときですら、あのとき初めて天皇という言葉が定着しているというか、記録に残っているという事実を申し上げたく思います。  昨年、韓国で国際会議が開かれまして、私はそのときのことを、横書きの「日本文学の発生」のところの必要な部分だけをコピーしてございますのでごらんいただければと思いますが、そのときに、アジアは一つということを申しました。私は一九三一年、昭和六年生まれ。私よりも少し前の人、あの前後の人々は、岡倉天心のアジアは一つという言葉を、アジアは一つでなければならない、したがって、日本中心になって、代表になって多くの国々を治めていくんだというふうに治められました。つまり、聖戦の思想でございます。  私は、それは違うだろうということをここに言っているわけです。アジアは本来一つなんだ、なければならないんじゃなくて、本来一つ。本来一つであるならば、各アジアの一つ一つの国の独立性、あるいはその中の本質は一体何かということを見抜く必要があるだろう。それが今回のここの内閣委員会での問題のポイントではないだろうか。私は、それをやはり天皇であり、それから君が代であり、そして日の丸だろうというふうに考えているわけでございます。  最後になりましたが、三の(三)、百二十五代に及ぶ天皇の歴史は、十代あるいは五代ごとに大きな変化を見せる。これは「天皇と日本史」というかなり厚い本の私が記した序文の中の一節でございまして、孝明、明治、大正、昭和、今上陛下と続きますが、孝明天皇の百二十一代、近代の夜明けでございます。百二十二代、これが近代のまさに夜明けでございまして、以後、今上陛下は真昼の時代に立ったと言っていいでしょうか。これもちょうど百二十一、百二十二、百二十三、百二十四、百二十五というところに大きな変化があります。そのことは別のところに記しておりますし、ここでは繰り返す必要がないのですけれども。時間があれば申し上げたいのですが、時間がないので省略いたしますが、ここでの結論は、先ほどの、最初の結論は無論変えません。  もう一つは、この百二十五代という天皇の時代は、百二十五代の連綿として続いた天皇の系譜の中で、五代、十代で非常に大きな変化があるという事実ですね。決して数字合わせではございません。まさに百二十五代が非常に……
  10. 二田孝治

    二田委員長 阿部参考人に申し上げますけれども、時間が超過していますので、結論を急いでください。
  11. 阿部正路

    阿部参考人 はい、もう五秒で終わります。この百二十五代のときにおいてこそ国旗及び国歌に関する問題が真剣に討議されていることに私は心から感謝したいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
  12. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、所参考人お願いをいたします。
  13. 所功

    所参考人 失礼いたします。京都産業大学の所功と申します。よろしくお願いいたします。  私は、日本の歴史と法制研究しておる者でございますが、このたびの国旗国歌法案の内容を慎重に検討させていただきましたが、結論を先に申せば、全面的に賛成であります。  私は、十年ほど前、「国旗国歌の常識」というタイトルの書物をまとめたことがございます。その際、日本日の丸君が代だけでなくて、ただいま意見陳述をされました吹浦先生や、あるいは作詞家の高田三九三という現在御高齢で御健在の先生の書かれました「世界国歌全集」というふうなものを参考にさせていただきまして、世界国旗国歌についても随分勉強いたしました。それを通じて私なりに再確認し得たことは、三点ほどございます。  第一は、現在二百近い独立国家にはほとんど特定の国旗国歌がございます。もし自分の国をあらわすことのできる特定の国旗国歌を持たないならば、それは独立国家としての要件を欠いていることにもなりかねません。  第二に、それらの国々では、自国の特色を象徴する国旗国歌について、ほとんど何らかの法的な措置をとっております。また、その様式や扱い方などを法律で明文化している例も少なくありません。  第三に、どの国旗国歌も、その国の誇りとする歴史や風土、また多くの国民が信ずる宗教、さらには現在の政治や社会の特性などを端的にあらわしております。ですから、国旗国歌によりそれぞれの国柄をよく知ることができます。  これを我が国について顧みますと、第一に、日本は今や世界有数の独立国家ではありますが、敗戦後の占領下で、日本においては日の丸掲揚を制約され、また君が代斉唱をタブー視された、そんな影響もあってか、現在も一般に国旗国歌への関心が必ずしも高いとは言えません。しかも教育界などの一部に、日の丸君が代をマイナスイメージばかり強調し、これをあえて否定しようとするイデオロギッシュな運動がいまだに根強く行われております。  第二に、しかし、大多数の世論は、日の丸日本国旗とし、また君が代日本国歌と認めております。さらに、戦前も戦後も世界の国々がこれを当然のごとく公認しております。したがって、かような大半の世論と長年の慣習を踏まえて日の丸君が代日本国旗国歌として明示するこのたびの簡潔明快な法律制定することは、十分根拠がございます。  第三に、しかも、歴史と法制の両面から見て、この日の丸君が代こそ我が国の千数百年に及ぶ伝統文化をあらわし、また現行憲法下における日本の国柄を示すことのできる最も適切な国旗国歌だと言ってよいと思われます。  このうち、第三の点につきましてもう少し説明を加えさせていただきます。御参考までに、先生方のお手元に図版資料のコピーが一枚配られていると思いますので、随時ごらんいただきたいと思います。  まず、日章旗、すなわち日の丸は、何よりも日本という国号を如実にあらわしております。しかも、世界で最もシンプルなデザインだと思います。  大昔、我が国は中国から東夷とさげすまれ、倭と呼ばれていました。しかし、七世紀の初めごろ、遣隋使が中国へ持参した国書には、日出るところと記しており、また倭と称されることを嫌って、みずから日の本、すなわち日本と書く国号を用いるようになったとほかならぬ中国の正史に伝えられております。  その「日」は、先ほど来お話がありましたように、太陽でありましょう。地球上の万物に光明をもたらす太陽を丸印であらわすことは世界に多く見られます。しかし、それを金色や黄色ではなくて明るい赤色、いわばライジングサンレッドであらわすのは、あるいは日本的な特色と言ってよいかもしれません。しかも、それが平安時代から中世、近世を通じて、扇や旗などに広く使われてまいりました。  そこで、幕末に至り、ペリーの艦隊が来航した際、薩摩の島津斉彬が提案し、水戸の徳川斉昭に協力を得て、安政年間、当時の政府である江戸幕府は、白地に日の丸旗を日本総船印、御国総標というふうに定めました。  これが、単に船の旗ではなくて、当時から日本を代表する国旗だと認識され、現に機能しておりました。  これはお手元の図版資料を見ていただきたいのですが、例えば、文久元年、西暦の一八六〇年ごろ出版されました「世界輿地全図」とか「官許 新刊輿地全図」の挿絵を見ますと、日の丸が何と大日本国旗と明記されておる点からも明らかでありましょう。これは先生方の方に回覧してございますが、これが当時の地図でございます。(地図を示す)世界地図にいろいろな旗を挙げて、日本の旗が大日本国旗ともう一八六〇年ころに明示されております。これは市販の地図でございます。  それゆえに、明治の新政府も、旧幕府の方針を引き継いで、明治三年、一八七〇年、日の丸を御国旗と確定し、布告しております。これは、明治維新が先人の歴史否定にのみ走りがちなレボリューションではなくて、むしろ伝統の本質継承に努めたレストレーションだと評価される一例かと思われます。  一方、君が代を見ますと、歌詞と曲から成っておりますが、これまた両方とも日本の伝統的な文化と国柄をよくあらわすまことにユニークな国歌だと言ってよいと思われます。  この歌詞の原歌は、最前来御説明もありましたように、十世紀の初めに勅撰された古今和歌集の中に賀歌、つまり祝い歌としてそのトップにおさめられております。その冒頭は、当初「我が君は」でありましたが、ほどなく「君が代は」という表現に改められております。それが平安時代から中世、近世を通じて、さまざまな形で中央、地方に広まり、各界各層の人々に親しまれてまいりました。恐らく百人一首以上にポピュラーな国民歌謡であったと言ってよいでありましょう。  それゆえに、明治三年、外交儀礼の必要から初めて日本国歌をつくる際も、相談を受けた大山巌は、平素から愛唱していた薩摩琵琶歌の「蓬莱山」に引用されている君が代歌詞に選んだというふうに伝えられております。  その薩摩琵琶歌には「目出たやな君が恵みは久方の」「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで命ながらへ」「尭舜の御代もかくあらん」云々とありますから、この文脈に見える「君」は、江戸幕府時代であってもなお京のみかどを指していたと思われます。  事実、大山巌も、英国の国歌にゴッド・セーブ・ザ・キングという歌がある、我が国国歌としては、よろしく宝祚の隆昌、天壌無窮ならんことを祈り奉れる歌を選ぶべきであるというふうに言いまして君が代を推薦したとみずから語っております。  ただ、この歌詞に対して英国人のフェントンのつけた曲は、評判よろしきを得ず、数年後に廃止されてしまいました。そして、明治十三年に至りまして新しい君が代曲がつくられたのであります。  そのいきさつは少々複雑でありますけれども、大事なことは、第一に、歌詞として引き続き君が代を用いたことであります。第二に、原楽譜は、宮内省伶人の林広守らがつくった雅楽調の壱越調律旋であることであります。第三に、その編曲は、ドイツ人エッケルトが原譜を尊重しながら吹奏したり斉唱しやすくしていることであります。  しかも、これが当時から国歌だと認識されていたことは、エッケルトのサインした吹奏楽用の総譜の表紙に「国歌君が代楽譜」と書かれておりますし、また、お手元の図版資料にもありますように、明治二十一年、内外に交付された「大日本礼式」にもドイツ語で日本国歌と記されている点からもうかがわれます。  このように、国歌君が代歌詞は、最も伝統的な国語表現である五七調の和歌であり、しかも敬愛する君の長寿と繁栄を祝い祈る賀歌に由来いたします。また、その曲も、日本的な原譜に基づいて西洋風に編曲されたものであります。  したがいまして、音楽の専門家の間でも、例えばオペラ歌手の林康子さんは、ある新聞に「すばらしい歌だ。雅楽の旋律で、詞も和歌から引いており、これだけ独特の伝統文化が国歌に生かされているのは、世界にも類がない。」というふうに高く評価されております。  さて、今回政府は、君が代歌詞につきまして、日本国憲法のもとでは天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の繁栄と平和を祈念したものという統一見解を示されました。これは従来の歴代首相や文部大臣らの国会答弁及び文部省の学習指導要領解説指導書にあった説明とほぼ同じ趣旨でありますが、それを一段と明確にされた意義はまことに大きいと思われます。  何となれば、現行憲法が最も重要な第一章に「天皇」という章を設け、第一条で「日本国民の総意に基く。」と定めた象徴の天皇は、もちろん単なる私人ではありません。その第二条に「皇位は、世襲」と定められた天皇は、大和朝廷以来百二十五代にわたる歴史を受け継がれ、まさに日本国及び国民統合の象徴として、内閣の助言と承認により多様な国事行為などの公務を御在位中いつも国家国民のために行わなければならない純然たる公人であります。  そのことは、今先生方のお手元の図版資料を見ていただきますと、今の憲法ができましたときにつくられましたポスターにも、国事行為がそのような位置づけで示されております。  したがって、我が国では王朝時代にも武家時代にも歴代の天皇を精神的なよりどころとしてまいりましたが、この日本は、現行憲法のもとでも世襲の象徴天皇を君主として仰ぎ続ける立憲君主国と見ることができます。このような伝統を持つ日本の国柄を最もよくあらわすのが今回の政府統一見解に示されたような意味における国歌君が代にほかならないと思われます。  なお、この君が代の後半に「さざれ石のいわおとなりて」とありますが、これも単なる文学的比喩とも限りません。  先ほど阿部先生も言われましたように、実は、私の郷里であります岐阜県の春日村というところに、伊吹山から流れ出る石灰質の作用により、長い長い年月の間にたくさんの小石がコンクリート状に凝結した巨岩がございます。これを学名で石灰質角れき岩と申しますし、地元では、それをさざれ石と呼んでおります。平安初期の名もなき歌人も、あるいはこのような天然現象に悠久の時間の流れを感じ取って、それを賀歌の中に詠み込んだのではないかというふうにも思われます。  私は、以上のような理由によりまして、日本の伝統と国柄を実によくあらわす日の丸君が代こそ、日本国旗国歌として法制化されるに最もふさわしく、これにかわり得るものはあり得ないというふうに考えております。  以上をもって意見陳述を終わらせていただきます。(拍手)
  14. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、山口参考人お願いをいたします。
  15. 山口光昭

    山口参考人 全日本教職員組合の責任者の山口でございます。  私は、こうした意見を表明できる機会を与えてくださったことに心から感謝を申し上げます。  さて、今日本子供たちは、いじめや登校拒否、学級崩壊など深刻な事態は募るばかりですが、このことを国連の子どもの権利委員会では、日本子供たちは競争的な教育によるストレスのため発達障害にさらされていると厳しく指摘をしております。こうしたときだからこそ、学校における管理職を含めたすべての教職員の一致協力と、自主的、自発的活動が重要であり、父母との信頼と協同も殊さらに大事にしなければいけないときだと私は思っております。  ここで今問題にされております日の丸君が代法制化は、この困難な学校現場の状況にある子供たちとその学校を生き生きとよみがえらせることができるのか、それとも一層困難な状況をつくり出すのか、私は、そのことがこの根本には問われているのではないかというふうに思っております。  戦後、新憲法のもとで教育基本法が定められ、同じ年の一九四七年、いち早く学習指導要領が出されるわけですが、この第一回目、次いで第二回目までは、日の丸君が代については全く記述されておりませんでした。一九五八年の第三回目の学習指導要領で、国旗及び君が代を指導することが「望ましい」と記述されたのが初めてであります。当時はまだ、「望ましい」と記載されても、押しつけはそれほど厳しい、露骨なものではありませんでした。  ところが、一九八〇年代の半ばから、文部省の都道府県教育委員会への指導が急速に強められ、特に一九八九年の第六回目の学習指導要領の改訂、これは今日使われているものでありますけれども、この改訂で国旗及び国歌を「指導するものとする」とされてから、事態は一変したわけであります。  文部省は、学習指導要領を唯一の法的よりどころに、都道府県の教育長会議や担当課長会議などで、日の丸君が代卒業式入学式で掲揚し斉唱する方針を徹底して指導し、その結果がどうであったか毎年調査し、指導通知を出したのか、実施されない理由は何かなど、事細かく報告させ、小学校、中学校、高等学校別に、都道府県ごとに掲揚率や斉唱率の全国一覧表をつくり、これを公にしているわけであります。私がきょういただいた資料の二百二十二ページにもそのことが全文記載をされておりますから、またごらんになっていただければというふうに思います。この膨大な今の学習指導要領の中で、異常なまでにしつこくというか厳しく取り上げられているのは、日の丸君が代問題だけであります。  各都道府県によって若干の差異はありますが、文部省の指示を受けた都道府県教育委員会は、市町村教育委員会や高校長に職務命令を出して、教職員に掲揚と斉唱を指示し、違反者があれば氏名と違反行為の内容を教育委員会に報告をさせております。こうして、文部省から都道府県教育委員会、市町村教育委員会を通して各学校まで指示、命令が行き渡り、卒業式入学式で掲揚や斉唱が行われるわけであります。  ここで最も重大な問題は、私は、管理職の方も含めすべての教職員をまさにこの指示、命令で、がんじがらめにしてしまう日の丸君が代の押しつけの職務命令は、校長を初めすべての教職員が信頼と協力、共感で結ばれる学校づくりを根本から破壊してしまうのではないかという問題であります。  また、日の丸君が代国旗国歌として定着をしていると言われておりますが、そこには、今申し上げましたような強力な指示や職務命令、そして、この異常なまでの調査や違反者への処分という教育には最もなじまない行為や手段がとられていることは今の説明でおわかりいただけたのではないかと思います。今改めて法制化をするということは、これまで言われてきた定着をしているとか学習指導要領に法的拘束力があるなどということが実はそうではなかったのだということを、みずから証明しているものにほかならないと思います。  私は、次に、学校への押しつけに対し教職員がどのように悩み、苦しんでいるかということについてお話をさせていただきます。  先ほど申し上げましたように、教育委員会からの職務命令は、学校長からすべての教職員に伝えられるのです。御承知のように、卒業式入学式は、子供たちにとっては学校生活の中で最も晴れがましい、喜びと希望に満ちた瞬間であります。教職員や父母の皆さんはもとより、地域を挙げて新しい門出をお祝いいたします。しかし、この卒業期と入学の季節は、実は教職員にとっては、一年の中で最も重苦しい、できれば味わいたくないような一瞬ともなっているのです。それは、日の丸君が代の押しつけが、教師にとっての誇り、教育者としての生き方を根本から打ち砕いてしまいかねない問題があるからであります。  私のある同僚は、次のように言っております。教育者は真理と真実のみに忠実であり、自分の心に偽った行動をとることほど情けないことはない。ましてや、それを生徒の前で振る舞い、そしてそのことを生徒に押しつけることは、偽善者としての二重の誤りを犯すようなものなんだ。こんなお話を聞くと、胸の裂ける思いであります。  また、新任のある音楽の先生は、職務命令で君が代の伴奏をすることを命令されたが、個人への職務命令なので、一人だけで悩んだが、断り切れずとうとうやってしまったと悲しそうに語った顔が今でも私の目に浮かぶのであります。  また、式を司会する担当の先生も、自分の意思に反して君が代斉唱などと言って子供たちに歌うことを強制するわけでありますから、これも大変つらいわけであります。  管理職の校長先生たちも、大変な苦しい立場に置かれております。  朝日新聞の三月十一日の投書に、元校長先生が書いております。校長時代、教職員との板挟みにあって、食欲もなくすほど苦悩にあえぐ人もいた。私も校長として実施する立場を貫いた。だが、自戒の念を込めて思う。現場を混乱させ、教職員との信頼関係を破壊してまでの意味が本当にあるのだろうか。こう言っているわけであります。  今、この先生のようにかつて学校の校長さんや教頭さんであった管理職の皆さん方が、押しつけやめよ、もっと慎重審議をと陸続として今声を上げているわけであります。私は、こうした苦労をなさった管理職の皆さん方の声に謙虚に耳を傾けるべきではないかというふうに思っております。  押しつけが強まる中で卒業式のあり方も大きく変わりました。それまで、例えば多くの小学校では、子供たちを中心に、子供たちの作品がいっぱい飾られ、子供と教職員、父母の手による心の通い合う卒業式が行われておりましたが、日の丸君が代が強制されてからは、メーンには日の丸君が代が掲げられて、いわゆる儀式的なものに変わってきているわけであります。  さて、この押しつけ問題と子供たちの内心の自由について最後に述べたいと思います。  良心の自由、内心の自由は、人間にとって最も本質的な人権であり、人間の存在と尊厳にかかわる性格のものであるから、憲法第十九条では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と何の前置きも条件もつけず断言しているわけであります。それは、子供たちにとっても当然のことです。  押しつけ問題で、教師にとって最も苦しい、つらい問題は、教師への強制は子供への強制につながり、子供の内心の自由を奪ってしまうという問題であります。子供の内心の自由を保障することは、人間としての人格を認めることであります。逆に、内心の自由を侵すということは、人間としての価値や尊厳を否定することに通ずるわけであります。こうしたことは、憲法や教育基本法、子どもの権利条約の立場から、特に教育上あってはならない性格の問題だというふうに思っております。例えば、小学生など小さい子供たちは、先ほどもお話がありましたが、君が代歌詞意味もわからないまま歌わされるわけです。発達段階からしてわからないというのは当然ですが、このわからないという自由さえも奪ってしまうわけであります。  このように、思想、信条、良心や内心の自由は、教師にとっては生命とも言える命がけの性格の問題であるからこそ、その苦痛は並大抵のものではありません。広島の自殺されたあの校長先生の思いが胸に響いてまいりますが、教師がみずからの良心を偽って、また内心の自由を侵して子供の前に立つこと、ましてや、その上、子供の自由を奪うことほど、心のさもしい、惨めさを感ずるときはありません。私は、教育とはそういう重みのある営みだというふうに思っております。  以上申し上げてきましたように、これまで学校という狭い空間での閉塞的な日の丸君が代論議から、今やっと国民的な土俵にこの問題が解き放たれ、新聞紙上や全国各地の集会やシンポジウムで自由濶達に論議が行われております。私は、教職員の立場からこのことを本当にうれしく思います。  最後に、日の丸君が代法制化問題について私の考えを述べて、終わりといたしたいと思います。  第一に、特に君が代憲法国民主権主義とはどうしても両立しない、日の丸は過去の天皇制や侵略戦争のシンボルであり、今国論が二分されているものを法制化することには反対です。第二に、自由権的基本権の中心ともなる良心や内心の自由を侵し押しつけることは、どのような国旗国歌であっても許されない問題だと思います。第三に、民族や国家の象徴としての性格を持つこの問題は、十分な国民的論議を尽くすべきで、数を頼りに短期間で強行するようなことがあってはならない問題ではないかというふうに私は思っております。  最後に、大変口幅ったいことですが、一言お願いをさせていただきます。  民族や国家の象徴や統合にかかわる問題がどうなるか、多くの子供たちやあるいは国民皆さんが注目や関心を寄せております。私は、結論が先にありきではなくて、真剣な国民の論議を求め、国民国会が一体の方向で判断を下すという議会制度の模範となるような大きな勇気をお示ししていただき、民族と国家のあり方について子供たちへ希望と励ましを与えていただければ大変うれしく思っております。  以上、どうもありがとうございました。(拍手)
  16. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  次に、弓削参考人お願いをいたします。
  17. 弓削達

    弓削参考人 弓削です。私は、まず二つの点から意見ないしは感想を述べさせていただきます。  第一は、個人的なあるいは家庭内での一つの経験であります。  私の妻は、三人の弟妹を持っておりました。そのうちの一人、すぐ下の弟は二十そこそこの若さで死にました。戦死であります。彼と私の妻は、年も近く、幼いときからけんかをしたり猫の子のように遊んだりしまして、大変仲よくしておりました。彼らの母親の話を思い出すのですが、どっちも一歩も、一言も譲らないのですよと言って死んだ母が笑っていました。  この弟は、当時の旧制中学から海軍機関学校を卒業しまして、まだ任官しないうちに、任官したと思っていたようですがしていないらしいのですが、航空母艦の「翔鶴」に乗り込みまして、すぐに太平洋を駆け回ったようであります。彼は、昭和十九年、一九四四年六月十九日、マリアナ沖の海戦で艦もろとも沈没しました。そして、戦死しました。  私の中学時代の友人で海兵に行った者がおりまして、彼がサイパンのあたりで戦闘したことがあるということを聞きまして、クラス会で詳しく様子を尋ねたのですが、「翔鶴」に乗り込んでいたそういう若い見習い士官は、多分サイパン島に上陸するというようなことはなかったろう、船に乗ったまま一度も陸を見ないで死んだであろうということを教えてくれました。  私の妻は、その弟を忘れることがどうしてもできませんでした。それが年を経るに従ってひどくなり、一つの特徴的な行動になってあらわれました。当時、今でもやっているのかどうか知りませんが、NHKテレビの放送が終わりますと、その最後日の丸が美しくひらめき君が代の曲が荘厳に流されました。それを耳にし、目にしますと、妻は慌ててテレビを消しました。テレビから離れたところにいたときは慌てて駆け寄ってスイッチを切りました。そのうちに妻は、左大腿骨を人工骨と入れかえる手術をしまして障害者になりました。歩行が大変困難になりましたが、それでも、はうようにしてテレビに駆け寄ってスイッチを切る。それも難しいときには、消してと叫んで私に依頼するのであります。  私の妻は、思想的なことあるいは政治的なことを口にすることは全くありません。彼女は若いとき音楽学校を出まして、中年過ぎまで、幼いたくさんの子供にピアノを教えておりました。したがって、彼女のその行為の意味理由など自分から一言も言ったことはありませんでした。私も尋ねませんでした。  しかし、あるときふと、これは弟のことが忘れられないのだということに私は気づかされました。戦死をして、骨も帰ってこない。あるときふと言いました。道というんですが、道ちゃんは海の中にいる。私は、彼女は弟の葬式もしていない、墓もないことが強い痛みとなっていることに気づきました。そして、それが日の丸君が代への狂気のような敵意となっていることを思いました。  マリアナ海の海戦から五十年たった一九九四年秋、私は彼女を伴いまして、つえをついて不自由な彼女をサイパン島に連れていきました。サイパン島には美しいマリアナの海の中を見る観光船があります。もとより、「翔鶴」そのものの沈没した姿を見ることはできませんでしたが、美しく透き通った水中を心行くまで眺めることができました。そして、海の上から花を投げ入れることができました。  そのことを境にして、NHKテレビの終わりへ示した狂気のようなしぐさはうそのようになくなりました。けれども、日の丸君が代に対する拒否感は少しも薄れておりません。大相撲の千秋楽に流される君が代もできるだけ聞かないようにしているようです。  彼女のような例は、私には特殊だとは思えないのであります。あるいは、我々の世代が消えていくとともに、悲痛な経験、心の深いところに残っている痛みも、世代とともに消えていくのかもしれません。けれども、戦争体験をした世代がいる限り、さまざまな形で悲しい記憶は残っております。だれも口に出さなくとも、心の奥の悲しみと痛みは日の丸君が代とともにあるのであります。  私は、現在大学での自分の専門の講義はしておりませんが、今ある大学で、日本に留学に来ている留学生を対象にした日本事情という講義をずっと受け持っております。内容は、日本近現代史であります。今十五人の留学生が聴講しておりますが、このほかに四人の日本人学生も留学生にまざって日本近現代史の講義を聞いてくれています。  留学生は、ことしは韓国、中国、台湾からの者たちで、国は割に少なかったんですが、今週の火曜日、十三日の講義のときに、彼らにきょうのこの参考人の会のことを話しまして、率直な意見を求めました。  最も活発に口を開いたのは、韓国人の学生でありました。はっきりと感情の底からにじみ出る言葉でノーを語り、それは今こそ言いたいというような思いが込められていました。中国人は、自分の生の体験ではないせいか、初めは口を開きませんでした。やがて、親とかおじいさん、おばあさんから聞いた日本軍進撃の話を聞き、そこに必ずあった日の丸の旗のことをぽつりぽつりと話してくれました。台湾出身者からは何も聞くことができませんでした。君が代のことは、その名前は知っているが曲は知らないという人がほとんどでありました。  最後に、法制化という問題について私見を一言述べさせていただきます。  法制化しても今までと変わらないという御説明をたびたび伺いました。かつて私の友人であったある東大教授が、大相撲の千秋楽に行って、君が代が奏されるとき、自分一人が立たなかった。それは大変な精神的な圧力を受けて、それが耐えがたかったと申しておりました。  世論には法制化への反対は少ないと提案者は考えられておるようでありますが、沈黙の陰にこういう精神的な苦痛を受けた国民がどれほどいるのでありましょうか。日本国憲法が明言している思想及び良心の自由、要するに内心の自由を、こういう経験をした国民は奪われているということまで思いやってほしいと思います。  思い出すままにもう一つだけ申し上げます。  中曽根総理の時代につくられました臨時教育審議会の最終答申、一九八七年の八月、これを受けた教育課程審議会の議を経まして、八九年三月に官報で告示されました新指導要領の中に、入学式卒業式などにおいて「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」という一句がありますが、なぜ、「指導する」という命令文ではなくて、「するものとする」という建前の言葉にしたのか。  これについて、当時の西岡武夫文部大臣が外国人の記者団に対する講演で述べている説明、釈明は注意を引きます。西岡さんによりますと、この区別は私立学校であるミッションスクールを配慮してのことであるということでありました。この弁明は、日の丸君が代の教育の現場における現実をかいま見させてくれます。  つまり、儀式における君が代斉唱は、あたかも賛美歌や御詠歌のような役割を果たしているということ。日の丸を式場に掲げることは、かつての御神体や御本尊、さらには天皇の御真影への拝礼に等しいことであるということ。だから、ミッション系ないしは宗教系の諸学校には自由な扱いの余地を残したということを弁明しておられるのが記憶に残っております。ということは、そのような特別の宗教系学校以外の一般の学校では、教師、生徒個々人の思想、信教の自由への配慮がないことを問わず語りに白状しているのであります。  また、六年の憲法学習、歴史学習では、天皇への「敬愛の念を深めるようにすること。」とされておりますが、口をきいたこともない、つき合ってもいない天皇という人を敬愛せよとは、感情の自由を無視した暴言ではないかと思うのであります。  以上で終わります。(拍手)
  18. 二田孝治

    二田委員長 ありがとうございました。  以上で各参考人からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  19. 二田孝治

    二田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小此木八郎君。
  20. 小此木八郎

    ○小此木委員 おはようございます。自由民主党の小此木八郎でございます。  参考人皆様方には、お忙しいところをお越しいただきまして、ありがとうございました。我が内閣委員会では、先日から、北海道、石川県、広島県、そして沖縄県で地方公聴会を開かせていただきまして、二十六名の公述人からいろいろな御意見を伺ってまいりました。そして、きょうは六名の参考人皆さんにお越しをいただいたということであります。  いろいろな御意見、もちろん賛成から反対までいろいろな方がいらしたのは当然でございますけれども、きょうは作曲家中田参考人がいらっしゃいまして、新聞の記事も今読ませていただきました。歌なのに政治的なことばかり議論していて、歌としてふさわしいか、音楽家の意見をちょっとも聞かないのは残念だと。  確かに、音楽家の御意見は聞いておらなかったというふうに思います。私も音楽が大好きなものでありますから、でも、これは賛成、反対意見を言うと、むしろ賛成の立場から申し上げたいんですが、この君が代歌詞というのは旋律と合っていない、おかしいじゃないかというような話を聞いたときにちょっと私は考えまして、音楽にはそんなものたくさんあるんじゃないか。亡くなりましたけれども、坂本九という歌手がいましたが、「上を向いて歩こう」、あれは「うえをむーいて、あーるこおおお」と、何を言っているかわからないけれども、日本でも大ヒットした。あるいは、むしろ海外でヒットしたような形でもございまして、今でもリバイバルでなれ親しんでいる面もあると思います。  また、私の母校であります東京の町田にあります玉川学園というのは、君が代を四重唱で歌うんですね。私は歌ったこともありますし、聞いたこともありますが、大変にすばらしいものだというふうに思っておりますが、ちょっと御感想をお聞かせいただきたい。
  21. 中田喜直

    中田参考人 中田です。  今おっしゃったように、詞とメロディーが合っていないような、それがちょっと不自然な曲もたくさんありますね。それで、みんなが好きで歌っているのも実際はあります。  だけれども、国歌はやはり日本語というものが正確なアクセント――日本語のアクセントというのは強弱じゃなくて抑揚です。これは地方によって方言はあります。方言は反対の場合もありますけれども、方言は方言で僕は尊重しております。例えば関西弁でつくった子供の歌というのはとてもおもしろくて、それを作曲するときには関西弁でつくらないとだめなんですよ。東京言葉でそれをつくっちゃったら、詞のおもしろさが消えてしまいます。ですから、詞と曲というのは、合うことがとても大切だけれども、合わないのも確かにあります。だけれども、国歌ですから、国歌はやはり日本語として聞いてわからないと困る、正確な日本語じゃないと困る。  国歌の場合に私は言っているのでありまして、合っていない曲が全部だめだということじゃなくて、今おっしゃったように「うえをむーいて」も、そういうのもありますけれども、私は例えば「めだかの学校は 川のなか そっとのぞいて みてごらん」と、普通に子供が詩を読むように歌っております。それで、あれは昭和二十六年につくったんですよね。それから「夏の思い出」は昭和二十四年ですけれども、いまだに歌われているんです。というのは、言葉を自然にそのまま音楽にした。不自然に言葉考えて、例えば「なつーがくーればおもーいだすー」なんていったらだれも歌わないですよね。普通に「夏がくれば思い出す」ということで、言葉を大切にした。  国歌ですから、そういうことで強調したわけです。
  22. 小此木八郎

    ○小此木委員 どうもありがとうございました。  それはやはりいろいろな話があると思いまして、作曲家の御意見かとは思いますが、私みたいに、例えば国歌を四重唱したときのすばらしさを感じた人間もいるということも御理解をまずいただきたいというふうに思います。  私は北海道、石川に参りまして、そのときも申し上げたのですが、二十数年前、私は小学生あるいは中学生であったわけでありまして、そのときにやはり、君が代国歌であり、あるいは日の丸国旗であるというようなことを、学校で教わったことはないのですね。むしろ家庭で、父や母やあるいは兄、こういった人たちから教わった。でも、そのときにも歌詞意味なんというものは教わらなかった、あるいは教えてもらってもわからなかったというふうに思うのですね。その点は、先ほど山口参考人も学校で教育される中でのお話をされていましたけれども。  ですからこそ、それに反対だとかおかしいとかいうのではなくて、私の、今の小此木八郎という人間の中で、もう君が代国歌、そして日の丸国旗であるということは自然になってしまっているのですね。むしろ自然に教えたらどうなのか、そして、その自然のことが本当におかしいのかどうなのか。  むしろ今、国会でこういう議論がされていること自体が、私自身は三十四という年で、国会議員では一番若い年の者でありますけれども、そういう中で、今こういう議論が起こっている、君が代の「君」というのはどういう意味なのか、天皇なのか恋人なのか、そういう議論がされているのはおかしい。むしろ、もう憲法で天皇というのは国民の象徴である、国の象徴であるというふうに理解をしています。阿部先生、憲法でそういうふうに定められている、「君」の意味ですね、あるいは天皇の意味というものが、これはイコール国民、国とはならないかもしれませんが、しかしながら、もうこれは国民と思っても、国と思っても、間違いではないですね。
  23. 阿部正路

    阿部参考人 今御質問があったように、間違いではないと思います。  それから、教育問題のこともありましたので、ちょっと一分ぐらい、よろしいでしょうか。
  24. 二田孝治

    二田委員長 なるべく簡潔にお願いします。
  25. 阿部正路

    阿部参考人 はい。  実はきのう国学院大学で二時限のときに日本文学特殊研究、これは古典です、百人近い学生がいます。それから午後、日本文学各論、これは二百人を超える学生がいます。一時間半が授業ですから、残りの三十分で、国歌君が代国旗日の丸法制化についてどう思うかということを全員に書かせました。それが今ここにあるのです。  今、小此木先生は三十四ですか。きのう私の講義を聞いてくれた学生は三年生、四年生ですから、大体二十一、二十二ぐらいなんですね。卒業して高等学校、中学校の先生になる人が多いのです。そういった人々に、私は、教えるように講義では言っております。  それから、私の解釈が正しいかどうかはまた異論のあるところでしょう、学問というのは自由ですから。しかし、私は間違っていないと思っているのです。  それで、法制化反対かどうかを聞きましたら、九〇%が賛成です、今の学生が。それは多分、歌の解釈がしっかりしているからでしょう。それから、あとの一割がどうでもいい、どっちだって同じことじゃないか、法制化しようとしまいと関係ない。  それがまた二つぐらいに分かれておりまして、今おっしゃったように、もう身についていることだから今さら法制化しなくてもいいというのが〇・五%。さらに、法制化することによって、例えば先ほどお話がありましたように、それが精神的な自由を奪うことだ、そこまでは書いてありませんが、とにかく縛られるのは一切嫌だ。  これは、いかなる場合も若い青年たちは縛られるのは嫌いなんですよ。そういうことと、縛られるということとは問題の意味が違うのですね。その辺のことはやはりかなり厳密に見ていく必要があるだろうと思っています。  お答えになりましたかどうか。
  26. 小此木八郎

    ○小此木委員 どうもありがとうございました。  最後に、時間もないものですから、申し上げたいのは、公聴会でも申し上げたのですが、三十四年間、私も生きてまいりまして、政治家としても六年ということでありますが、私もまだまだ教えられることは多いですけれども、やはり日本人として誇りを持っていたい。日本に対する帰属意識を持ちたい、アイデンティティーを持ちたい、海外の皆さんに対しても誇りを持ちたい、そういう何か日本人が共有するものを持ちたいということになりますと、それがやはり日の丸である、君が代である。これが国としてきちっと決められることがあっていいというふうに私は思って、きょうは賛成の立場で、この委員会でも議論をさせていただいているわけであります。  小さいお子さんたちにとりましても、教育現場では難しいものがあるかもしれませんが、やはりぜひそういう意識を持って、山口先生、教えていただきたいと私は思うのですが、最後に簡単に一言、積極的に賛成の立場でお答えいただければ大変ありがたいというふうに思います。
  27. 二田孝治

    二田委員長 時間が超過しておりますので、簡潔にお願いします。
  28. 山口光昭

    山口参考人 賛成の立場というお話ですから、子供たちに国旗国歌のことについて教えるということについては、私はそれはやぶさかではないし、そうあってしかるべきだというふうに思っております。  そのことと、自由の問題で、子供たちに押しつけるということは別の問題なんだという点で、そこのところは関連は深くありますけれども、憲法でも決められているわけですから、押しつけの問題については、やはりそれはあってはならないという点で、その部分をできる限り区別すべきだというふうに思っております。
  29. 小此木八郎

    ○小此木委員 どうもありがとうございました。よろしくお願いいたします。
  30. 二田孝治

    二田委員長 次に、佐々木秀典君。
  31. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 民主党の佐々木秀典でございます。  先生方、きょうは大変御苦労さまでございます。  中田先生から音楽家としてのお立場でのお話を伺って、大変感銘深く思いました。中田先生のおつくりになった「夏の思い出」「雪のふるまちを」「めだかの学校」「ちいさい秋みつけた」、みんな私の好きな歌で、しかも大変歌いやすくて、メロディー言葉がまさにぴったり一致している。  私なんかは北海道の旭川なものですから、「雪のふるまちを」なんというのがNHKで放送されたときには本当にうれしくて感激して、私の持ち歌にもなっております。  それで、先生のおっしゃったようなこととくしくも同じようなことがきょうの毎日新聞の投書欄に出ておりまして、お一人は神奈川県の九十四歳になる田中さんという御婦人。  この方は、日の丸の方については大変美しい国旗で単純で晴れやかだということを言っておられて、国歌君が代については否定的なんですね。君が代の「君」を象徴天皇とたたえるのは時代錯誤でこじつけなんじゃないだろうか。それから、歌、あのメロディーについても、歌いにくいということで、むしろ日の丸に合うような、みんなが一緒に胸を張って青空を仰いで、愛情深く、助け合い、自由と平和をたたえるような歌を新しい国歌としてつくることを望んでいるというようなこと。  それから、もうお一方。これは四十六歳の東京の主婦の方、水島さんという方ですが、これは、やはり日の丸はいいデザインだと思いますけれども、君が代メロディーが歌いにくい、簡単に口ずさめるものではない、歌詞も現代にふさわしいものとは思えないということを言っておられるのですね。  また、くしくも今フランスで、あの有名なラ・マルセイエーズですか、国歌について、メロディーはいいけれども歌詞がやはり今の時代に合っていない、もっと平和な歌詞に変えるべきだという運動が起こっているようですね。  そこで、中田先生は、メロディーについては肯定的なお話もありましたけれども、歌詞が合ってないとすれば、歌詞をやはり変えるようなことを時間をかけてすべきだ、こういうお考えなのか。もう一度お聞かせいただきたいと思います。
  32. 中田喜直

    中田参考人 メロディーというのは、先ほど申し上げましたけれども、意味がないので、長い間の時間がないと定着しないんですね。今おっしゃられたように、君が代メロディーが歌いにくいのは、これは歌詞が合ってないから歌いにくいんですね。メロディー自体はそんなに歌いにくいメロディーではないと思います。うまく歌詞をつければ、日本語らしい歌詞をつければ、みんながもっと歌えると思います。  今おっしゃったように、本当は新しい国歌をつくる、詞も曲も新しい国歌をつくりたいというのはそれは非常に自然なことで、僕もそれは思うし、皆さんも、君が代君が代で置いておいて、新しい歌をつくってそれが普及したらいいなというのは自然な考えですけれども、今現実として考えたときに、一つだけの国歌というのは、長い間、明治からずっと来たこのメロディーに対して、うまく合唱すれば、非常に音楽的な人がハーモニーをつけて合唱すればできないこともないし、それから、自衛隊でも、あるいはどこの軍楽隊というか、そういうブラスバンドでやると、歌詞がないととても自然に聞こえるということがあります。それから、フランスでも今、メロディーはいいんだけれども歌詞が非常に戦闘的で危険だというので、そういうことがあります。  だから、僕はちょっと妥協的なのかもしれないけれども、メロディーに、よい、わかりやすい、みんなが納得する歌詞をつければ、両方から少しずつ我慢して一致するようになってくるのではないかというふうに考えております。ですから、それには時間がやはり、今すぐというのは君が代に関しては私は反対です。
  33. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 ありがとうございました。  所先生、先ほど一番最後のところで、国旗国歌ともに、日の丸君が代法制化されるに最もふさわしいという御発言でした。日の丸君が代国旗国歌としてふさわしいという御主張は御主張としてお聞きしますけれども、この法制化に最もふさわしいというところがちょっといかがなものかと思われるのは、先生も御承知のように、今まで法制化されたことがないんですね、この二つとも。戦争中でも法律によって決められていなかったんですね。もしも法律化されていれば、法律を変えることによってこれをなくしたり変えたりすることができるわけですね。  私は、これがかつて戦時中に法制化されていたとすれば、戦争が終わって、それであの日本国憲法が新しくできたときに、少なくとも君が代はこの憲法に合わないということで、恐らくなくなっていたのではないかと思われるんです。特に、短かったけれども社会党政権が、もちろん連合ですけれども片山政権がありましたからね、長続きしなかったけれども。あれが法制化されていなかったから君が代日の丸も今まで慣習として続いてきたように思われるんですよ。  ですから、私は法制化ということはいかがなものかと思われるんですが、先生のお考えを。
  34. 所功

    所参考人 失礼いたします。  ちょっとさっきのことを一つつけ加えてよろしゅうございますか。  フランスの話なんですが、実は、フランスでそういう運動があった、特に、フランス、ラ・マルセイエーズ、二百年のときにあったんですが、結局それは立ち消えになるどころか、強い反対で、現在はほとんどそうでないということを私はある新聞で確認しております。
  35. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 いや、それは私はおととい報道されたのを見たばかりですから、昔の話じゃありません、現在の話です。
  36. 所功

    所参考人 私もフランスの方に確認をいたしました。  さて、私に対する御質問でありますけれども、私は先生のお考えとは全く異なります。  つまり、君が代というものが法制化される、日の丸というものが法制化されるということは、まさに民主社会でありますし、議会制民主主義の中で、法治国において法によって特定のものを明確にするということは極めて重要なことであります。  どの国にも国旗国歌が必要だということはほとんどの方の共通認識であり、それが日本では日の丸であるのか君が代であるのかということは、慣習的に多くの方が認めておられても、実はそうでないと言い張って、明文上の法的根拠がないから入学式卒業式でやらないという人がいる限りにおいて、それらを、明文上の法的根拠を長年の慣習と大半の世論に基づいて明確化するということは当然だと思います。  さて、それでは戦前にそうされておったら戦後は変わったかと言われますと、私は変わらなかったと思います。  言うまでもなく、今の日本国憲法は、少なくとも手続的に大日本帝国憲法の改正手続をとって成立しておるということになっております。しかも、その憲法において、第一章という極めて憲法においては重要な部分に「天皇」という章を置いて、その天皇が日本国の象徴であり国民統合の象徴だということは明文化しておるわけでありますから、そういう意味で、日本国をあらわす天皇、あるいはまた日本国民統合をあらわす天皇というものを持っておる日本において、君が代が例えば戦前に法制化されておっても、なおそのとおり通用したであろうと思います。  もちろん私は、今後民意が大いに変わって、それを改めるとかやめるとかいうことになれば、それはそれで一つのありようだろうと思いますが、少なくとも現実において、そうすることが多くの民意にかなうことでもあり、長年の慣習を明確化することになるという意味で当然のことだ、必要なことだというふうに思っております。
  37. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 阿部先生、国文学者としての阿部先生にお尋ねをいたしますけれども、例の君が代ですね、「代」というのは、私は素直に解釈すれば、時代というか年代というか、そういうものだと思うんですね。ところが、君が代の解釈で政府はだんだん変わってきまして、最初は象徴天皇だと言っていたのを、最近になると、国自体をあらわすというように言っているんですね。  私は、広辞苑から何からいろいろ調べたんですけれども、「代」が国をあらわすというのは、かつて中国に代国という、これは固有名詞ですね、あったけれども、「代」が国をあらわすというふうに書いている辞書などはほとんど見ていないんですが、そうすると、私はちょっと政府の解釈というのはこじつけでないかと思うんですが、国文学者として簡単に御意見を。
  38. 二田孝治

    二田委員長 阿部参考人。質疑時間が限られておりますので、簡単にお願いします。
  39. 阿部正路

    阿部参考人 見たことないとおっしゃいましたけれども、例えば今の「代」の問題については、広辞苑をごらんになれば出ております。  それから、「代」が時代によって「だい」であったり世の中であったり、それから、代が情けなんというふうな、近世の言葉では男女の間というふうに言う、時代によって変わるわけで、例えば、「あはれ」というのは、晴れを祝うという、古代では晴れの儀式を祝う、ところが、中古、中世では、「あはれ」というのは悲しいこと、ところが、戦国時代から近世になりますと、「あっぱれ」という相手を褒めたたえる言葉というふうに変化しますので、言葉は当然時代によって違う。  ならば、君が代の「代」がどうなのかということについては、先ほどるる申し上げました。ほとんど同格であり、愛のあかしであるというふうに私は解釈しています。
  40. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 終わります。どうもありがとうございました。
  41. 二田孝治

    二田委員長 次に、倉田栄喜君。
  42. 倉田潤

    ○倉田委員 公明党の倉田栄喜でございます。  参考人皆様方には、お忙しい中、大変きょうはありがとうございました。しかも、大変重要なお話を、御開陳をそれぞれいただきました。  絞ってお聞きをさせていただきたいと思いますけれども、参考人皆様方のお話の中にもありましたけれども、まず君が代の解釈です。この君が代の解釈、そしてこの歌詞の解釈について特に議論が多かったようにお聞きをいたしました。それは山口参考人お話の中にもありましたけれども、君が代国民主権と両立をしない、こういう立場からの反対論でございます。  そこで、阿部参考人に、阿部先生は国文学者として、先生の資料を見させていただき、また御意見もお伺いしたところでございますが、この一枚目の資料に、「君が代国民の世」という見出しがございます。君が代は「代」、そして国民の世は「世」、この字を使ってこういうふうにお書きになっておられますけれども、先ほど阿部先生は、歌詞の解釈は変わるものである、そういうふうなお話でございました。私どもも、明治憲法下の君が代、そして明治憲法以前の君が代、そして日本国憲法下における君が代の解釈というのは変わってしかるべきだ、こういうふうに思っております。所先生も君が代の解釈については、この文脈においてはこういうふうに考えることができる、こういう御発言をなさいました。  そういう意味で、確かに、明治憲法下における、いわゆる天皇主権をもとにした君が代の解釈、それをそのまま引き継いだとすればこれは相当な反対論が出ても私は当然だと思いますけれども、しかし、憲法一条が定める、日本国憲法の中における解釈、そして、その中において先生が「君が代国民の世」、そういうふうにきちっと解釈できるのであれば、多くの国民の方々には御理解をいただけるのではなかろうか、このように実は思っております。  そこで、まず阿部先生に、君が代を、天皇がを、いわゆる所有の格助詞の「の」にかえて、天皇の国、あるいは天皇の御代、あるいは天皇の時代、そういうふうに解釈すると、いかにも国民主権に合わないからという反対論もあるわけでありますけれども、しかしここは、我が国日本国憲法は象徴天皇として天皇制を位置づけているわけですから、君が代そのものの解釈にしても、そして君が代歌詞そのものの解釈にしても、まさに象徴というところに実は大きな意味があるのではないか。  そうだとして、阿部先生が「君が代国民の世」、こういうふうにお書きいただいたのには、なるほどそのとおりだと思ったわけでありますけれども、この点を阿部先生にもう一度、先生の御主張あるいは御見解を踏まえて御説明をいただければ、このように思います。
  43. 阿部正路

    阿部参考人 ただいま倉田先生からは、非常に的確な、鋭い御質問をいただきました。繰り返しになると時間がございませんから、その「代」についての考え、「よよ」と繰り返される場合と「よ」では大分違うということは、先ほどの二の(五)竹取物語の例で申し上げました。  最初に私が申し上げましたように、天皇は象徴であるという憲法の第一条は、当然私は国民の一人として守り抜くべきだろうというふうに考えている一人でございますが、そのときに、天皇が象徴であるということ、そして天皇が君が代というそのものであることには問題がありますが、君が代だとしても、天皇が象徴だというのは国民の象徴ということであり、言いかえではなくて、したがって、君が代国民の世であるわけですから、その象徴、シンボルとしての天皇を当然守り続けるべきであるし、また同時に、君が代の、国家の「代」は国民の「世」として解釈すべきだという私の立場は変わりません。
  44. 倉田潤

    ○倉田委員 ありがとうございました。  所先生にこの点、確認をさせていただきたいと思いますが、先生からお配りいただいた資料の中に、「大日本帝国憲法下では「日本を統治する天皇の……治める御代が末永く続き栄えますように」という意味であったが、」として、以下、先生の御見解をお示しになっておられます。  この「が」は、「代」は、君が代国歌としてあるいは国の歌として歌い続けるとすれば、その時代の中で当然解釈は変わってしかるべきだ、したがって、大日本帝国憲法下の君が代の解釈と、そして現日本国憲法下の君が代の解釈は違って当然だ。もちろん、先生が天皇という、その天皇制ということを前提として、我が日本国が伝統として受け継ぐべきものだという立場お話しになっていることは当然だとしても、解釈は変わってしかるべきだ、こういうふうにお聞きしてもよろしいんでしょうか。
  45. 所功

    所参考人 失礼いたします。  私が申し上げたいと思いますのは、やはり賀歌、お祝いの歌としての君が代というのは、それぞれいろいろな解釈があり、また我々もいろいろな用い方をして一向に構わないと思いますし、今度は、国歌としての君が代は、まさに国の歌でありますから、大日本帝国憲法時代にはその憲法に則して、今の日本国憲法のもとでは日本国憲法に則して解釈することこそが大事だと思うわけでございます。  そういう意味で、特に天皇というものを考えるときに、戦後突然存在するようになったわけではなくて、まさに長年の歴史の中に存在されるわけですから、そのことを踏まえ、そして憲法に則して解釈していけば、つまり、天皇がまさに世襲であるということに大きな意義があると思います。その世襲の天皇は、単に空間的な日本だけではなくて、時間的な日本を象徴されるところもあるというところから、日本国という、まさに空間的存在でもあると同時に時間的存在である日本国を、そして、この祖先以来の、そして現に存在する国民を全体としてあらわされるということが憲法にある意味ではまことにうまく表現されておる。それに則して解釈すればよいのではないかというふうに思っております。     〔委員長退席、植竹委員長代理着席〕
  46. 倉田潤

    ○倉田委員 ありがとうございました。  最後に、山口参考人一つだけお伺いしたいと思うのですが、山口参考人は、教育の現場でこの君が代等々、国旗国歌の問題についていろいろ御経験がおありの立場の中からの御主張だと思ってお聞きをいたしました。  私どもも、思想、良心の自由を侵してはならない、強制があってはならない、特に子供たちに強制があってはならない、こういう立場でございますけれども、先生のお話を聞きながら一つだけちょっと腑に落ちなかったのは、一枚目のペーパーの最後の方、つまり「「日の丸君が代」の押しつけが、教師としての誇り、教育者としての生き方を根本から打ち砕いてしまいかねない」、この御主張を聞きながら、私は、一方で、いろいろな意見があって当然だ、この国会の中でも議論がされる。  先生はここで、教師を一般化して、教師としての誇り、教育者としての生き方を根本から打ち砕かれるというふうに書かれているわけですけれども、もしこれがすべての先生方がそうだとすれば、実は大問題ですね。  しかし、一方で、やはり日の丸国旗として、君が代国歌としてきちんと教えるべきだ、それがやはり教育者としての誇りだ、そういうふうにお考えになられる先生は現場にはいらっしゃらないのでしょうか。
  47. 山口光昭

    山口参考人 今の御質問ですけれども、教育にとって、自由とか民主主義というのはやはり最も大切な問題だと思うんです。この自由や民主主義が学校の中で本当に満ちあふれるように豊かになっている、そのためには、教師自身が本当にみずから自由に、みずからに対しても誠実に生きる、この部分が私は大変重要であるという点で、教師のあり方の問題を一つ申し上げたわけであります。  御質問でありましたように、日の丸に対してそれは大いに結構じゃないか、こういう方々も私はたくさんおいでになることを率直に申し上げます。ただ、そういう方々も含めて、その方々の中にも、押しつけは、やはり子供たちへの押しつけには、こういう部分はおありであるという点もまた同時に受けとめていただきたいというふうに思っております。  以上です。     〔植竹委員長代理退席、萩野委員長代理着席〕
  48. 倉田潤

    ○倉田委員 今御指摘のように、教育の現場で子供たちに対して押しつけられることがないように、私たちも頑張りたいと思いますし、先生にも頑張っていただきたいと思います。  以上で終わります。
  49. 萩野浩基

    ○萩野委員長代理 次に、中村鋭一君。
  50. 中村鋭一

    中村(鋭)委員 自由党の中村鋭一でございます。  きょうは、参考人皆さん、本当に御苦労さまでございます。この法律の成就に尽力をしてきた者の一人として、今日ここにこのような状況になりました。まさに大詰め、大団円を迎えようとしておりますが、本日は、参考人皆さんの御意見をいろいろとお伺いいたしまして、殊さら感銘深いものがございました。  所先生に幾つかお尋ねをさせていただきたいと思います。  今回、非常に簡潔明快な、全二条をもって成る法律案がまさに成就しようとしているこのときに、百二十五代にわたる天皇家、我々子供の時分は、万世一系たぐいなき、こういう表現をいたしましたが、今日憲法にも、天皇家は世襲である、このように記載をされております。そういった我が日本の特別な立場、これを国歌においてきっちりと規定することができた。私は、君が代歌詞意味するところも明快にそのことをあらわしている、こう思っております。  そこで、この君が代日章旗を、先生のお話の中では、終戦直後にこれをタブー視する、例えば日の丸を上げることをタブー視するとか、君が代を歌うことに制限を加える動きがあった、こういうお話があったと思いますが、簡単で結構ですが、そういう事実をひとつ御証明願いたい。
  51. 所功

    所参考人 失礼いたします。  先ほどごく簡単に申しましたが、今先生御指摘のことにつきましては、実は私もかねて承知はしておりましたが、つい昨日、こちらに出ますために衆議院調査内閣調査室からいただきましたこの参考資料を見ますと、そのことがきちんと資料に出ております。私は、これは大変よくできた資料だと思うんですけれども、そこの中にこういうことがちゃんとまとめとして書いてございます。  「占領下の国旗」というのが百五十六ページにまとめてございまして、「連合国総司令部は、占領の当初、日の丸の掲揚を禁じていたが、昭和二十二年五月に、マッカーサーは、日本国憲法の施行に際して、国会、最高裁判所、首相官邸、皇居に限定して、国旗の掲揚を認めた。翌二十三年三月には、連合国総司令部覚書により、祝祭日における国旗掲揚が許可された」ということでございまして、昭和二十年から二十一年、二十二年、二十三年ころまでは、最初は全面禁止、やがて部分許可となりまして、ようやく昭和二十四年に至りまして、マッカーサーは、年頭のメッセージで国旗掲揚の制限を撤廃し、国内において無制限に使用し掲揚することを許可したわけです。  申すまでもなく、占領下ですから、最高の命令権はマッカーサーが持っておりましたけれども、それが禁止し、そして制限し、やがてそれを許可するということでありましたが、なお昭和二十四年当時でも、国内においてはという限定がついておりましたので、この資料を見ますと、「国内においてとは、この場合領海を含まず、従って船舶は、国旗を掲揚できないものである」ということがちゃんと通達されております。つまり、なお昭和二十七年の四月、講和独立に至るまでは、船舶は日本国旗を掲げることができなかったという事実がございます。  私も記憶にありますのは、ちょうど昭和二十七年の講和独立のころ、小学校五年生でありましたけれども、そのころ初めて翩翻と掲げられる日の丸を校庭で見たことがございます。  そういう状況でありますから、君が代につきましても、特段の禁止命令は出ていないようでありますけれども、やはりそれを遠慮する、タブー視するという風潮が当時あったように記憶しております。  以上でございます。
  52. 中村鋭一

    中村(鋭)委員 だからこそ先生、やはり私は法律化をきちっとするべき必要があると思うんです。その時々の世の中の流れで、法律で決めてなかったら、またこれはやはりやめておきましょうとか、歌うのは好ましくないとか、日章旗は上げない方がいい、これはやはり困りますからね。  君が代意味するところでありますが、私はもう先生のおっしゃる所論と一二〇%シンクロナイズしております。そのことを初めに申し上げておきますが、しかし、にもかかわらず、「君」という言葉は、万葉におきまして、やはり普通には恋人あるいは夫婦の一方の相手方を指す場合の方がむしろ圧倒的に多い、こう思うんですね。  私は犬養孝先生に御薫陶を受けた生徒の一人でありますが、犬養孝先生がよく朗詠なさった歌に、「菅畳いやさや敷きて君とかも寝ん」というのがあります。これはみこの歌であります。戦争に出ておりまして、国にいる恋人に送った歌でありますが、戦争が終わったら国へ帰って真っさらな畳を敷いてあなたと裸で抱き合って寝たいよ、こういう意味なんですね。「菅畳いやさや敷きて君とかも寝ん」です。あるいは、君の御手の触れてし小さな小さな小川の石をどんな宝石よりも私は大事なものに思って一生懸命胸の奥深くに秘めておりますよと。こういうところにも「さざれ石」なんという言葉が実は使われているんです。  だけれども、一般論として言えば、だから私、「君」というのは、天皇を指す場合はむしろ大君というのが妥当ではないかとは思います。「海行かば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ」、これは明快に天皇を指している、私はこのように理解をいたします。  しかし、今回の君が代は、その後に続く助詞は「が」、それから「代」、そしてその後に続く歌詞は「さざれ石のいわおとなりて」、こう言っているわけですから、この場合の「君」というのは、私、正確にこれは天皇を指すと理解をしておいていいし、そして今回政府見解で、昔は主権者である天皇を指していたと、帝国憲法のときはそう言われていたが、現憲法のもとでは日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈が適当、この解釈はそれでいい、こう思いますが、先生、これは間違いございませんね。
  53. 萩野浩基

    ○萩野委員長代理 所参考人、簡潔にお願いします。
  54. 所功

    所参考人 わかりました。失礼いたします。  大筋おっしゃるとおりでございまして、「君」という言葉はまさに古くから、例えば天皇という言葉がまだない時代にも天皇を大君という言い方であらわし、またそれが広く使われた。さらに、「君」といえば、かなり地位の高い方であり単なる恋人でありを指した。いろいろな用い方がされてきた。それはまさにおっしゃるとおりであります。それがだんだんに賀歌として使われる場合、今度はやはりかなり限定して、特に敬愛する相手を指す。  国歌としては、まさに明治のときも戦後もそれぞれ国の歌として憲法に則し、その政治、社会に即して解釈される意味でいえば、やはり天皇と考えるほかない。しかし、現時点では、まさに象徴世襲天皇を指すということに間違いない。そのことをあらかじめ政府見解で示されたことはまことに意義があることであり、それによって我々は理解すれば、全く矛盾もないどころか極めて意義があるというふうに考えております。
  55. 中村鋭一

    中村(鋭)委員 これは先生、全く同意見でございますが、私は、天皇の聖寿万歳を我々国民が心からお祈りを申し上げるというのは、これは国民のやむにやまれぬ気持ちの発露でありますから、余りこういうのは難しく考える必要はないと思います。やはり「君が代は千代に八千代にさざれ石のいわおとなりてこけのむすまで」、我々の象徴である天皇さん、ひとつその御代がいつまでも続くようにと、この気持ちというのはごく自然な我々国民の感情の発露である、こう思いますが、同感ですね、先生。はい、ありがとうございます。  最後に、憲法第一章「天皇」第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」こうなっておりますが、先生、一言だけ、この憲法第一章第一条に規定するところと、今回の君が代日章旗法、法律ですね、整合しているかしないか、ぴったりときているのか、多少問題があるのか、最後にそれだけ一言お伺いをしておきたいと思います。     〔萩野委員長代理退席、委員長着席〕
  56. 二田孝治

    二田委員長 所参考人、時間が経過しておりますので、簡明にお願いします。
  57. 所功

    所参考人 個人名を挙げて恐縮でございますが、学習院大学の坂本多加雄という先生が「象徴天皇制度と日本の来歴」という書物を書かれました。私、大変名著だと思いますが、要するに、天皇というのはやはり古来の歴史を担ってこられたわけでありますから、当然現在の象徴天皇というものもその歴史の中で理解されるわけであります。そういう意味では、今の憲法の成立にはいろいろな事情がありましたけれども、まさに千数百年来の歴史、明治以来の歴史を踏まえてその条文ができており、それに則して今の君が代を解釈しようとするときに、ある意味でまことに見事に象徴天皇が日本国をあらわされ、また象徴天皇が日本国民統合の姿をあらわされるというふうに憲法自身が明記しており、そのことが主権の存する国民の総意だと言っておるわけであります。  この「主権の存する日本国民の総意」というのは、古来の日本人、そして憲法制定当時の日本人、将来の日本人にわたるまさに日本国民総体の総意がそういうふうに確定しておるわけでありますから、この憲法が続く限りにおいて、まさに象徴世襲天皇を持つ日本国及び日本国民の歌として、この君が代は最もふさわしいというふうに思うわけでございます。
  58. 中村鋭一

    中村(鋭)委員 お互いに国民の一人として、この法律が一刻も早く成立をすることを、その暁には心から奉祝し慶賀することを私、念願といたしまして、終わります。ありがとうございました。
  59. 二田孝治

    二田委員長 次に、児玉健次君。
  60. 児玉健次

    ○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。  最初に、山口先生にお伺いしたいと思います。  先ほど先生は冒頭に、現在の学校教育が置かれている困難。この困難にどう取り組むかというのは、まさしく国民的な課題になっているように私は思います。そういう中で、先生の御陳述の中にありました日の丸君が代が押しつけられる、そのことで、校長を初めとしてすべての教職員が、信頼と協力、共感で結ばれる学校づくりが根本から破壊されてしまう。そこのところをもう少しぜひお聞きしたいと思います。
  61. 山口光昭

    山口参考人 それでは、私の思っているところを申し上げます。  学校というのは、あるいは教育というのは、本当に心から信頼し合うというときに初めてそこに教育の場が生まれてくるわけであります。申し上げましたように、学校長も大変苦悩をしながら、しかし押しつけられると、教職員にとってみれば、そのことがみずからの内心やあるいは子供たちのそれを侵してしまう、親御さんのことを思うと、そういうことを一方的にやるということに対して一層矛盾を感ずるわけであります。  今学校の中では、本当にすべての教職員が子供たちを中心にして、そしてみんなで力を合わせるということが物すごく大切であるし、さらには、学校というのは教職員と子供だけではなくて、父母の皆さん方がいろいろな思いを学校に寄せ、子供たちを通して教職員に期待をしているわけでありますから、ここのところが、本当にみんなで信頼し合えるということが重要なわけでありまして、この押しつけの問題というのがその根本をずたずたにしていくような性格を持っているという点で私は申し上げたわけであります。
  62. 児玉健次

    ○児玉委員 弓削先生にお伺いいたしたいと思います。  先ほどの先生のお話を大変感銘深くお聞きいたしました。  先生は、この六月七日でございますが、奥平康弘先生や暉峻淑子先生、永原慶二先生などとともにこの日の丸君が代法案国会提出についてのアピールをお出しになったと思います。すぐ、加藤周一さんや鶴見俊輔さん、三浦綾子さんなどからの賛同があったと承知しておりますが、先生がお出しになったアピールの内容のあらましと、そして学者、文化人の中にどんな反応、反響があったか、そこのところをお聞かせいただきたいと思います。
  63. 弓削達

    弓削参考人 アピールの内容は細かくは覚えておりません。ただ、いわゆる学者、文化人と言われる方は、ふだんはこういう問題については意見を述べないことが多いんですけれども、私どもに、よく言いたいことを言ってくれたということを寄せてくれました。
  64. 児玉健次

    ○児玉委員 中田先生にお伺いしたいと思います。  私も先生がおつくりになった「ちいさい秋みつけた」とか、そういった曲を愛好している者の一人でございます。そして、先生がこの七月二日の朝日で、最後のところで述べていらっしゃる、今回の法制化に対する国会議員のあり方、そこのところは非常に重く受けとめている者の一人でございます。  先生は、四月八日の朝日新聞でこの問題に触れて、「問題は歌詞メロディーと合っていない。思想の問題というより、芸術歌曲として拙劣です」こういうふうにお述べになっておりますが、歌曲というのは非常に重要な人類にとっての文化だと私は思います。このあたりのところをもう少しお聞かせいただければと思います。
  65. 中田喜直

    中田参考人 思想とかそれから政治に対する考えというのは、先ほどおっしゃったように、この君が代日の丸をもう絶対的にいいものだとおっしゃる方と、全く反対という方がおりますよね、それはいつまでたっても変わらないんですけれども。私も天皇制とか憲法やなんかに対する考えがありますが、それを言ってもそれはまた何分の一かで、言ってもいいんですけれども、今は時間もないので……。  一番大切なことは、先ほど何遍も申し上げたように、歌というのは本当に詞とメロディーが合っていないといけない。山田耕筰は、歌曲というのは詞が一でメロディーが一、両方足すと二ではなくて三にでも四にでもなる、そういうふうに言っておりまして、詞とメロディーが一致するということがとても大切ということに、もうそれだけなんですけれども……。  特に、歌詞日本語ですから、一番正しい日本語で、その日本語を言ったときに「君が代は」とわかればいいんだけれども、先ほど言いましたように「きみがあよーは」、あなたの用は何だというふうになっちゃうわけですよね。だから、そういうようなつくり方、つまり歌詞が短いんですよ。メロディーが長いから、合わない。だから、やはり歌詞の長さとメロディーの長さは一致させなきゃいけない。  それで、結婚でも、結婚は一回するのは当然かもしれないけれども、やはり二回目はとてもうまくいくということがありますよね。だから、メロディーにもっといい歌詞をつければ、みんなが納得するすばらしい国歌になる可能性があるということを、私はいつもそう思っております。その辺でいいでしょうか。
  66. 児玉健次

    ○児玉委員 吹浦先生にお伺いしたいと思います。  オリンピックにあっては、日の丸君が代、これはそれぞれ選手団の旗であり、そして選手団の歌である。これは、外国の言うところの国旗国歌も全く同じ扱いだ、私はそのように承知をしておりますが、このことに限定してお答えいただきたいと思います。
  67. 吹浦忠正

    吹浦参考人 限定してということでございますから、そのとおりですとだけ申し上げます。
  68. 児玉健次

    ○児玉委員 最後に、もう一度山口先生にお伺いしたいと思います。  先生の先ほどの御意見の中で、教師への強制は子供への強制につながり、子供の内心の自由を奪ってしまうという問題になると。ここのところがやはり先ほどの、教育の困難を国民的に乗り越えようとするとき最も中心一つになると私は考えるわけですが、そのあたりについてさらに御意見をいただきたいと思います。
  69. 山口光昭

    山口参考人 子供たちの内心の自由というときに、私もちょっと先ほど申し上げましたけれども、わからないということもその一つなのですね。わからないということと同時に、知らないということ、言いたくないということ、こういう部分子供たち、特に小さい子供であればあるほどそういう部分がたくさんあるわけであります。そこのところを無理にこじあけて言わせたり何かしようとするのは、それはやはり教育の上において根本的に違っている。  教育の場合には発達段階があるわけでありますから、要するに、子供たちの発達の状況に応じながら、子供たちの知識とあるいは理解度等の関係の中でもって教育をしていかなければならないという部分があるわけです。  日の丸問題、特に君が代の問題については、私は特にその部分が大変大きな問題で、一般の方々は、小さいときから何となく歌っているからそれでいいのだというふうに言われるかもしれませんけれども、内心の自由というものを突き詰めてみると、子供君が代の問題についてはそういう部分に到達する。そこを本当に大切にすることが一人の人間として子供たちを本当に扱うというか、子供の権利条約の、一人の人間として人格を持っているのだ、どんなに小さい子供たちでも人格を持っているのだということを認め合う、そこから教育や信頼というのが出発するのだということをこの問題にかかわっては私は申し上げておきたいというふうに思っております。
  70. 児玉健次

    ○児玉委員 お二人の先生には、ちょっと時間がなくて御質問できなかった失礼をお許しいただきたいと思います。  私たちは、今この問題で当然賛否分かれておりますけれども、自由に活発な議論をしていけば必ず国民的な合意に到達する。その国民的合意に資するような国会での審議をこの後慎重に継続的にやっていきたい、そのために共産党は努力をするということを述べて終わらせていただきたいと思います。  ありがとうございました。
  71. 二田孝治

    二田委員長 次に、深田肇君。
  72. 深田肇

    深田委員 もう大分遅くなりましたが、けさ早くから弓削先生初め六人の先生方、お出かけいただきまして、しかも高いお話を伺いまして心から感謝申し上げておきたいと存じます。  私は、社民党の深田肇と申します。したがって、ちょっと前置きはしておきたいと思います。  社民党は、日の丸は、一般的にお互いの共通認識として、特に船舶問題の中では必要だろうということを早々と考えておりました。同時にまた、ずばり言いますが、先般本会議場で官房長官が答弁の中で引用されましたから申し上げるのですが、村山総理時代には、日の丸君が代に対する一定程度国民的な認識があるのではないかというようなことを申し上げたことも事実でありますが、実は、そのときうちの村山総理が強調いたしましたことは、こういった問題は強制があってはいけない、強制をしないことであるということを強調しているわけでございます。  したがって、自然の流れの中でみんなの認識がそうなっていくとするならば、今二分しているか何分の二か、実はわかりませんけれども、はっきり申し上げて賛成、反対二つの大きな意見があるわけでありますから、その点はひとつ国民の中で十分討論をしていこうということを民主主義者村山富市は考えてそういうふうに話したことを申し上げた上で、ちょっと最近の状況を考えてみたいと思います。  私ども、内部でも討議しておりますけれども、最近の世論調査では随分変化が出てきたように思います。特に、君が代のことを官房長官が次々と新しい解説をされる。しかも総理大臣は、今期の会期の冒頭では、国旗国歌についてはそういう法律はつくらないよということをおっしゃっていたものが、よくよくお考えになったら出さなければいかぬということになったというので、会期延長とともにぼんと出てきた。  しかも、それがいわゆる法制化をちゃんとやろう、こういうことになるわけでありますから、それがきっかけになってまだまだ全国民的な討議があったり子供たちの中で話があったりとは思いませんけれども、それなりの、先生方の、公聴会を初めとするきょうの参考人皆さん方のお話もあると思いますが、大変な話題性が出てまいりまして、いい意味で、我々の国のあり方、特に、二十世紀を終わるに当たって二十一世紀にどういうふうに我々は対応すべきなのか。  特に、お互いつらい思いをいたしましたあの侵略戦争をどういうふうに我々は反省をして、アジアを中心とする世界のメンバーに、平和憲法を持った誇りある我が日本は、憲法だけではなくて、この二十世紀を終わるに当たってきちんとした謝罪をしたり償いをするということを鮮明にしながら、お互いの合意を得るならば、その中で、あえて私は日の丸君が代と申しませんが、国旗国歌についてお互いが集約していく時期が来るだろうというふうに実は考えておるわけでありますが、やればやるほど、あえて私は申し上げますが、二分の上、その上でまた、君が代についてはよくわからないよ、それでいいのかという内容は、時間がありませんから省略いたしますが、そういう声が世論調査でどんどん出てきている。テレビでも新聞でもそうでありますね。  そういう状況になってまいりますと、私は、やはりもう少し国会の中で慎重に討議をするし、きょうの先生方のお話を聞きながら、もっともっと国民的な討論の場を保障する。例えば、ある党では国民投票をやったらどうかという話もあるようです。国民投票も結構。等々を含めて、全国民的な討論をしながら民主的に物事を決めていく。その上で、我々が自分たちの誇れる国旗国歌を持つべきだというふうに実は思っていることを申し上げた上で、突如のことで申しわけないのでありますが、きょうお話しいただきました山口先生に、ちょっと最初に教育現場のことについて。  実は二十一日の日に、文教委員会の申し入れも含めまして、合同で、我が委員会とで連合審査をやることになるわけでございますので、そのことも意識しながらやるのですが、きょう先生の出されました文章の中に、違反者があれば氏名等をこちらに上げてこいと。違反者という言葉がありますが、これは、いわゆる学校当局なり校長なり、それからもっと言えば県の教育委員会が、違反者ということを、きちんとして、違反者を上げてこい、こういうのは正式に指導文献としてあってやっているのか、俗に言う括弧づきの違反者かということをちょっと現場状況を知りたいと思います。これが第一点。  関連いたしまして、違反者に対する処分を行うというのがありますが、処分があることは聞いております。したがって、この処分は何法に基づいて処分しているのか。処分の量刑もたくさんありますが、時間がありませんから量刑は別にして、何法によっていわゆる学校の先生方が処分されているのか。ここだけはちょっと簡単にお話を伺って、文教委員会の方に引き継ぎたいと思いますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
  73. 山口光昭

    山口参考人 私は、ここに、きょうはお届けすることはできないのですが、ある県の教育委員会から出された校長への通知という形ですが、職務命令があるわけです。その中に、指導に従わず違法行為を行う職員が出ることが予想される場合は、その指導等について教育委員会と事前に協議することを含め、対応を検討しておくことというような記載があって、そして、事実、文部省の統計では毎年いろいろな形でもって、例えば交通違反で処分したとかいろいろなものがありますけれども、そういう部分の中に日の丸君が代の問題で処分された人は何人いるという統計が出ているのです。これは文部省の教育委員会月報で出されているわけであります。  そういう形で懲戒処分がなされているという点も、ひとつちょっと文部省の資料を通しながらお話をさせていただいておきたいと思います。
  74. 深田肇

    深田委員 ありがとうございました。  そこで、弓削先生が御家庭の話まで思い出されながら深刻な例のお話がありました。私どもの身内にも、それは全部おります。その点では大変共感をしながら、心が痛んだ思いをしたことを申し上げた上で。  そこで、先ほども学校現場の経験がある先生方の方にもちょっとお尋ねしましたとおり、やはり、内心といいますか、良心といいますか、心の中に対するあり方論については大変重要な問題があるだろうと実は考えている次第でございます。  そこで、法制化をするとどうしても強制化が伴う。これについては、官房長官の方は、法制化をしても義務化はしないのだ、同時にまた、法制化して強制化をするわけではないのだ、こういう御答弁は何回も出ていますが、これはだれも信用できないのです。  そういう問題ではなくて、法制化をするのは、今なぜ法制化をするかということが一つひっかかりますし、急いで法制化することによって、いわゆる校長先生を初めとする御苦労があったような話に対して、法制化法律ができたがために、今度は、強制という言葉を使わなくても、このとおりやりなさい、やらなきゃ違反ですよ、処分ですよというところまで行くだろうし、同時にそのことが子供のところに行くだろうと思います。  私などもちょうど中間の世代でございますから、夜遅くテレビを見ておりまして、日の丸がなびき、君が代がNHKで流れますと、何とも言えない、おやじや年寄りの人の話を思い出すことも事実でありますので、そんなこんなで、法制化をしたら必ずこうなることはお互いわかるのですが、法制化をしなくても今いろいろなことが起きていることもお互い確認できるわけでございますから、少なくとも私たちは嫌だということを言いたいのですけれども、実際問題、嫌だということを言えなくなるという雰囲気をあちこちで感じますよ。  うちの子供たちも、帰ってきて、PTAでもそのことをお母さんが頑張るから、私は小学校の中でつらいのよと娘が言うのですよ。頑張るやつが悪いのか、子供の言うことが本当なのかということも実は夫婦間で、親子間で論争することも事実でございますので、そんなこんなを含めた意味で、前置きが長くなりましたが、この内心に対する問題について、いま少し先生の御意見を伺っておきたいと思います。  いかにして我々は、民主社会として自由を守るために何が必要なのか。ここでもう一歩間違うと、どんなに約束事をしておっても、そこには強制をしてお互いの内心に物を響かすことになるのだということを感じますので、ちょっと御意見を賜っておきたいというふうに思います。
  75. 弓削達

    弓削参考人 お答えになるかどうかわかりませんが、今回の日の丸君が代法制化についての法案というのは、一九九九年のこの時点ではなくて、違った政治的な状況のもとで出されたのであれば、もっと素直に聞けたのではないかと思うのですね。ところが、最近の政権担当者、それから国会の大勢の方の御意見といいますか、それでいわゆるガイドライン法というものが通されて、それ以後、我々国民の空気も大分変わってきているわけです。そのような目で今度の法案を見ざるを得ない。そうした場合に、法制化しても決して強制しないよということが、そういうことをおっしゃることが本当にそのまま現実となるかどうかについて疑問を持つわけです。  つまり、私の年代の者は、昭和十三年の国家総動員法ができてからの国民の生活というものを覚えています。そういう感覚の中で、もしこの法制化がなされ、そして、これへの服従を暗黙の気持ちででも、暗黙の言葉ででも言われれば、それは強制になると思います。  もう一つだけよろしいでしょうか、私の経験で。
  76. 二田孝治

    二田委員長 時間が過ぎていますから、なるべく簡潔にお願いします。
  77. 弓削達

    弓削参考人 もうこれだけで終わります。  私は、戦争中、青山通りに近いところに住んでいました。渋谷から青山通りを通って九段の方に行く市電と、それから、当時宮城と言いましたが、宮城の方に行く市電がありました。それからもう一つは霞町の方に行く市電なんですが、これは問題ないのです。  初めの二つの場合は、私の経験では、これに乗りますと、築地の方に行く電車は、ただいま宮城前通過でございますということを車掌が言うわけです。そうすると、いやでも応でもみんな立っておじぎをするわけです。それから九段の方に行くものでも、ただいま靖国神社前通過でございますと。こういう暗黙の、おじぎをしろとは言わない、しかし、これは暗黙のプレッシャーになる。そういうことを日本国憲法は許していないということ。こういうことをみんな記憶していて、あの日本国憲法ができた、私どもは喜んだということを申し上げたいと思います。
  78. 深田肇

    深田委員 時間が来ましたから終わるわけでありますが、御指摘のとおり、全体の大きな流れの中で、最後の仕上げのような国旗国歌が出てきました。同時に、私どもが反対したから申し上げるのでありますが、言葉は別にいたしまして、憲法調査会設置されることになり、本格的に憲法改正に向かっての論議までやろうということを国会で取り上げましたので、これは少し真剣に、全国民的な討論の中で頑張らなければいかぬなということを申し上げて、私の方は、感謝の言葉を申し上げた上で終わりたいと思います。  どうもありがとうございました。
  79. 二田孝治

    二田委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。  参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)  参考人皆さん、御退席いただいて結構でございます。     ―――――――――――――
  80. 二田孝治

    二田委員長 この際、本案審査のため、第一班沖縄県、広島県及び第二班北海道、石川県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員からそれぞれ報告を聴取いたします。第一班小林興起君。
  81. 小林興起

    ○小林(興)委員 沖縄県及び広島県に派遣された委員を代表いたしまして、団長にかわり私からその概要を御報告申し上げます。  派遣委員は、二田孝治委員長を団長として、萩野浩基君、平沢勝栄君、北村哲男君、藤村修君、河合正智君、三沢淳君、石井郁子君、辻元清美君と私、小林興起の十名であります。  沖縄県における会議は、七月六日、ホテル日航那覇グランドキャッスルにおいて開催いたしました。  まず、団長から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序などを含めてあいさつを行った後、沖縄県商工会議所連合会常任幹事米村幸政君、沖縄人権協会理事長福地曠昭君、政治アナリスト比嘉良彦君、元川平小学校・川平中学校校長鳩間昇君、沖縄国際大学教授安仁屋政昭君、日本基督教団佐敷教会・うふざと教会牧師平良修君の六名から、それぞれ意見を聴取いたしました。  以下、その陳述内容につきまして簡単に申し上げますと、  まず、米村君からは、国旗国歌法制化に賛意を表するものであること、日本国民として国旗国歌に敬意を表することは当然のことであり、それらの否定は許されるものではないこと、国旗国歌法制化は教育現場における混乱を回避する意味において必要であること、  次に、福地君からは、国旗国歌法制化する必要はないこと、国旗国歌法制化により、日の丸の掲揚、君が代の斉唱の義務化が一層強まる懸念があること、  比嘉君からは、国旗国歌法制化には賛成であるが、それらの押しつけには反対であること、  鳩間君からは、日本の歴史と伝統の中からはぐくまれてきた日の丸君が代国旗国歌とすることは適切であること、  安仁屋君からは、日の丸君が代国旗国歌として法制化することは、沖縄の近現代史に照らして容認できないこと、  最後に、平良君からは、日の丸君が代国旗国歌として法制化することには反対であること、新しい国旗国歌制定すべきであること などについて、それぞれの立場から意見が述べられました。  次いで、各委員から、日の丸君が代の定着状況、国旗国歌法制化が教育現場に与える影響、国旗国歌について児童や生徒に教えることの意義国旗国歌法制化の目指すものなどについて、それぞれ熱心に質疑が行われました。  次に、広島県における会議は、七月七日、ホテルグランヴィア広島において開催し、現地において斉藤鉄夫議員が参加されました。  まず、団長から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序などを含めてあいさつを行った後、広島県公立高等学校長協会会長岸元學君、広島県高等学校PTA連合会副会長渡辺綾子君、広島大学副学長牟田泰三君、全広島教職員組合執行委員長高橋信雄君、広島平和教育研究研究員空辰男君の五名から、それぞれ意見を聴取いたしました。  以下、その陳述内容につきまして簡単に申し上げますと、  まず、岸元君からは、国旗国歌法制化の実現を望んでいること、自国の国旗国歌を大切にする指導を通じて、国際社会に通用する日本人の育成を期待していること、  次に、渡辺君からは、教育現場においては国旗国歌について全国共通の教育が必要であること、  牟田君からは、国旗国歌法制化は必要であるが、特定の個人にそれらを強制すべきではないこと、  高橋君からは、国旗国歌法制化は許されるものではないこと、国旗国歌法制化によって教育現場への強制はあってはならないこと、  最後に、空君からは、日本のアジア諸国への加害の歴史から見て日の丸君が代国旗国歌として法制化することには反対であること、国旗国歌法制化にはもっと時間をかけた幅広い国民的論議が必要であること などについて、それぞれの立場から意見が述べられました。  次いで、各委員から、国旗国歌をめぐって教育現場が混乱した理由日の丸君が代の定着状況、国旗国歌についての児童や生徒への教育のあり方、国旗国歌法制化が教育現場に与える影響などについてそれぞれ熱心に質疑が行われました。  以上が第一班の会議の概要でありますが、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。  なお、速記録ができましたら、本委員会議録に参考として掲載されますようにお取り計らいをお願いいたします。  これをもって第一班の報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、地元の関係者を初め、多数の方々に多大の御協力をいただき、極めて円滑に行うことができました。ここに深く感謝の意を表する次第でございます。  以上、御報告申し上げます。
  82. 二田孝治

    二田委員長 次に、第二班植竹繁雄君。
  83. 植竹繁雄

    ○植竹委員 北海道及び石川県に派遣されました第二班の委員を代表いたしまして、私からその概要を御報告申し上げます。  派遣委員は、団長として私、植竹繁雄と、小此木八郎君、小島敏男君、矢上雅義君、佐々木秀典君、山元勉君、倉田栄喜君、鰐淵俊之君、児玉健次君、笹木竜三君の十名であります。  北海道における会議は、七月六日、ホテルニューオータニ札幌において開催いたしました。  まず、私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序などを含めてあいさつを行った後、前札幌大谷高等学校校長塚本正孝君、北海道大学法学部教授山口二郎君、北海道大学工学研究教授中島巖君、酪農学園大学環境システム学部教授太田一男君の四名から、それぞれ意見を聴取いたしました。  以下、その陳述内容につきまして簡単に申し上げますと、  まず、塚本君からは、国旗国歌をめぐる現実社会での混乱を収拾するためにも、また、同一社会、同一文化への帰属意識を高揚するためにも、法制化が必要であること、  次に、山口君からは、慣習を法制化することには問題があること、二十一世紀の入り口で日の丸君が代法制化をすべきではないこと、  中島君からは、世代間の国旗国歌に対する敬愛の念を共有し、継承していく必要があること、教育に当たっては、民主的ルールに則して国旗国歌の必要性への理解を深めるべきこと、  最後に、太田君からは、新たな国旗国歌を創設する必要があること、国旗掲揚、国歌斉唱を強要しない担保が必要であること などについて、それぞれの立場から意見が述べられました。  次いで、各委員から、法制化することのメリット及びデメリット、国旗国歌意義及び法制化の是非、教育現場に対する強制への懸念、国旗国歌に対する国際儀礼上のマナー指導の必要性、国旗国歌のあり方、君が代の解釈及びその教育方法等について、それぞれ熱心に質疑が行われました。  次に、石川県における会議は、七月七日、ホリデイ・イン金沢において開催いたしました。  まず、私から、派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに議事運営の順序などを含めてあいさつを行った後、金沢青年会議理事長米井裕一君、石川県労働者福祉協議会理事長荒島勝夫君、北陸大学外国学部教授松田三郎君、元尾口村村長佐藤忠吾君、金沢大学名誉教授深井一郎君の五名から、それぞれ意見を聴取いたしました。  以下、その陳述内容につきまして簡単に申し上げますと、  まず、米井君からは、国際化の観点から国旗国歌法制化が必要であること、国旗国歌に新しい解釈を加えることには違和感があること、  次に、荒島君からは、法案に対する審議は慎重に行う必要があること、政府において新たな世論調査を実施する必要があること、  松田君からは、国際社会における国家へのアイデンティティーとして国旗国歌は重要であること、国民的理解を得た上での法制化が必要であること、  佐藤君からは、日本人としての誇り、責任、自覚のもとでの法制化が必要であること、  最後に、深井君からは、現時点での法制化は時期尚早であること、君が代の解釈については疑義があること などについて、それぞれの立場から意見が述べられました。  次いで、各委員から、地域社会における国旗掲揚、国歌斉唱の現状、国旗国歌の教育問題と愛国心の養成との関連性、国旗国歌に対する敬愛の念の必要性、教育現場に対する強制への懸念、法制化の手続のあり方、諸外国における国旗国歌の現状等について、それぞれ熱心に質疑が行われました。  以上が第二班の会議の概要でありますが、会議の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと思います。  なお、速記録ができましたら、本委員会議録に参考として掲載されますようお取り計らいをお願いいたします。  これをもって第二班の報告を終わりますが、今回の会議の開催につきましては、地元の関係者を初め、多数の方々に多大の御協力をいただき、極めて円滑に行うことができました。ここに深く感謝の意を表する次第でございます。  以上、御報告申し上げます。
  84. 二田孝治

    二田委員長 以上で派遣委員からの報告は終わりました。  お諮りいたします。  ただいま報告のありました第一班及び第二班の現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  85. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     ―――――――――――――     〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕     ―――――――――――――
  86. 二田孝治

    二田委員長 次に、連合審査会開会に関する件についてお諮りいたします。  ただいま審査中の本案に対し、文教委員会から連合審査会開会の申し入れがありましたので、これを受諾するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  87. 二田孝治

    二田委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  なお、連合審査会の開会日時等につきましては、公報をもってお知らせいたしますので、御了承願います。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     正午散会      ――――◇―――――   〔参照〕     ―――――――――――――    派遣委員の沖縄県における意見聴取に関する記録 一、期日    平成十一年七月六日(火) 二、場所    ホテル日航那覇グランドキャッスル 三、意見を聴取した問題    国旗及び国歌に関する法律案内閣提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 二田 孝治君       小林 興起君    萩野 浩基君       平沢 勝栄君    北村 哲男君       藤村  修君    河合 正智君       三沢  淳君    石井 郁子君       辻元 清美君  (2) 政府側出席者         内閣総理大臣官房審議官 佐藤 正紀君  (3) 意見陳述者         沖縄県商工会議所連合会常任幹事 米村 幸政君         沖縄人権協会理事長(元沖縄県教職員組合委員長) 福地 曠昭君         政治アナリスト 比嘉 良彦君         元川平小学校・川平中学校校長 鳩間  昇君         沖縄国際大学教授 安仁屋政昭君         日本基督教団佐敷教会・うふざと教会牧師 平良  修君      ――――◇―――――     午後零時三分開議
  88. 二田孝治

    二田座長 これより会議を開きます。  私は、衆議院内閣委員長であり、今回の派遣委員団団長の二田孝治でございます。  私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  皆様御承知のとおり、当委員会では、国旗及び国歌に関する法律案の審査を行っているところでございます。  当委員会といたしましては、本案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようよろしくお願いいたします。  それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十分程度お述べいただきました後、委員から質疑を行うことになっております。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  まず、派遣委員は、自由民主党の小林興起理事、萩野浩基理事、民主党の北村哲男理事、公明党・改革クラブの河合正智理事、自由党の三沢淳理事、自由民主党の平沢勝栄委員、民主党の藤村修委員日本共産党の石井郁子委員、社会民主党・市民連合の辻元清美委員、以上でございます。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。  沖縄県商工会議所連合会常任幹事米村幸政君、沖縄人権協会理事長・元沖縄県教職員組合委員長福地曠昭君、政治アナリスト比嘉良彦君、元川平小学校・川平中学校校長鳩間昇君、沖縄国際大学教授安仁屋政昭君、日本基督教団佐敷教会・うふざと教会牧師平良修君、以上六名の方々でございます。  それでは、米村幸政君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
  89. 米村幸政

    ○米村幸政君 ただいま御紹介いただきました米村でございます。  このたびは、国旗及び国歌に関する法律案の公聴会を特に本県に指定され、意見を述べる機会を与えていただきましたことに対し、心から感謝を申し上げます。  それでは、早速ではございますが、私見を述べさせていただきます。  まず最初に、国旗国歌法制化についてでございます。  結論から申し上げまして、私は、日章旗・君が代国旗及び国歌とする法律案に賛意を表するものでございます。  国旗及び国歌に関する法律案が今国会において速やかに可決成立し、国旗国歌が名実ともに法律的位置づけがなされることを願うものでございます。  以下、その理由について申し述べさせていただきます。  まず、国旗国歌に対する基本認識でございます。  私は、日本国民として、また、我が国を構成する一県の県民として、自国の主権を象徴する国旗及び国歌に理解を深め、敬意を表することは当然のことであり、かつ、重要なことだと認識いたしております。そのことはまた、同時に、世界各国の国旗及び国歌を尊重することにも相通ずるものであり、国際社会において、相互の理解を深め、平和と友好に資するものだと考えております。  明治からこの方、日の丸君が代我が国国旗国歌として定着しており、国際的にも承認されていることは周知のとおりでありますが、この際、国内法で明確に国旗国歌として位置づける必要があると考えます。なぜなら、今日まで、成文法による法的根拠がないことを理由日の丸君が代国旗国歌とは認めないとする主張もあり、多くの摩擦があったことも事実であるからであります。  次に、国旗国歌の持つ意義と役割について考えを述べさせていただきます。  まず、国旗についてでございますが、御高承のとおり、国旗には二つの側面があると言われております。一つは国家を象徴する標識としての国旗、もう一つは国の主権を象徴する国旗でございます。したがいまして、国旗はその国のシンボルでありますから、自国の国旗に敬意を表することと同時に、他の国の国旗に対しても敬意を表することは当然でなければなりません。  戦後、沖縄では、米国により七年もの間、日の丸の掲揚が禁止されておりました。遠洋漁業に出る漁船は船籍を識別するための国旗掲揚は必要であり義務であるにもかかわらず、琉球船籍の船は、米国国旗はもちろん、日本日の丸さえ掲揚できず、当時米国民政府で制定した琉球の旗なる三角旗を船尾に掲げて遠洋漁業に出航いたしました。  琉球の三角旗は、国際的には認知されているわけでもありませんので、国籍不明の船舶として威嚇射撃を受けたり拿捕されたりいたしました。当然のことながら、関係漁民からは日本国籍船としての国旗の掲揚が強く求められ続けました。一九五二年に日の丸掲揚が認められるようになってまいりました。国家の象徴である国旗の持つ意義を改めて考えさせられる事件でございました。  次に、国歌についてでございます。  国民世論調査を見ましても、日の丸君が代国旗国歌と認めるか否かについては両者に多少の差があり、また、法制化についても同様な差があることは事実でありますが、圧倒的多数の国民国旗国歌と認め、法制化についても大多数が賛意を表しています。特に国歌については、その歌詞やこれまでのイメージ等についてなお反対立場に立つ人がありますが、本県においても、過去の歴史的な体験から特別な思いを持つ人も多いと思います。  沖縄が我が国の歴史に参入することになってからいまだ百年余りしかたってなく、また、沖縄戦を初め、この百年間の沖縄県民の歩みは決して平たんなものではなく、国旗国歌に対しても他県に比べ違和感を持つ人々が多いこともまた事実かもしれません。しかし、だからといって、自国の国旗国歌を否定したり粗末に扱ったりすることは、決して許されるものではございません。  次に、国旗国歌法制化の必要性について述べさせていただきます。  私は、昭和五十九年、六十年、六十一年までなんですけれども、沖縄県教育長の職にございました。当時、沖縄県内の小中学校の卒業式入学式などでの国旗の掲揚、国歌の斉唱はほとんどゼロでございました。教育委員会としては、強力な反対運動のある中で、学習指導要領に基づく適切な指導を行ってまいりました。現在ではほぼ全国並みになっていると伺っています。  反対立場の主張は、戦時中の国旗国歌のイメージなどから日の丸君が代そのものに反対する主張や、法的根拠もない国旗国歌を押しつけるのはけしからぬなどなどということでございました。  学習指導要領では、特別活動の学校行事等の中で「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい。」となっておりました。「望ましい。」ということは、可能ならば行うことが望ましいなどと勝手な解釈を行い、通達を出す市町村の教育委員会もあり、学校現場は混乱をきわめました。  ようやく平成元年から学習指導要領の改正が行われ、「望ましい。」から「するものとする。」と変わり、わかりやすくなりました。しかし、それでも、法的根拠については依然として学習指導要領に求めなければならず、論争は今日までも続いたものと思われます。広島の学校長の不幸な事件がこのことと関係あるとするなら、まことに耐えがたいことであり、心痛の思いであります。法制化することにより、このような不幸な事態や不要な議論はなくなることでございましょう。  次に、結びでございます。  私は、かつてアルゼンチンを旅したとき、そこの中学校、これは日本人組合の経営でございますが、その校長先生とお話し合いをする機会がございました。  校長先生の話によりますと、日本の中学校とアルゼンチンの中学校の野球の試合が同校で行われ、開会式に両国の国旗が掲揚され、国歌が斉唱されましたが、アルゼンチンの中学生は、国旗掲揚に姿勢を正し国歌を斉唱し、同じく日本国旗国歌に対しても同様な態度をとりました。  一方、日本の中学生は、アルゼンチンの国旗国歌に対して敬意を表する態度をとるわけでもなく、日本国旗国歌に対しても同様な態度であり、音楽に合わせて国歌を歌う者も皆無であったので、校長先生は大変嘆かわしいことだと言い、日本では学校教育の中で国旗国歌について十分に教えられ指導されているのかねと尋ねておられました。  同じく、パラグアイの日本人移住地の小学校に参りました。午後五時になりますと、全校生徒が集まりまして、君が代放送とともに日の丸の降納式を行っておりました。海外において改めて国旗国歌について考えさせられる思いがいたしました。  以上申し上げましたが、国旗及び国歌に関する法律が成立することによって、法律的根拠が明確となり、学校教育の現場でも、これまでにも増して自信を持って教育指導に当たることができると思います。また、これを機に、二十一世紀を背負って立つ我が国の青少年が、真に国際性豊かで世界平和に貢献できる人間に成長する環境づくりができることを願うものであります。  諸先生方の御健闘を心から御期待申し上げまして、私の意見陳述とさせていただきます。ありがとうございました。
  90. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、福地曠昭君にお願いをいたします。
  91. 福地曠昭

    ○福地曠昭君 きのう届きました法律関係資料を読みました。  政府の示したこの提案理由は、到底納得できません。「長年の慣行により、」とされていますが、従来文部省が繰り返した慣行法ということでございましょう。そうであるならば、新たに法制化、成文化する必要は生じません。その意図は、明らかに、法的根拠をつくって学校行事等で日の丸君が代を強制することにあると思われます。  野中官房長官は、正直に法制化理由を述べておられます、法的根拠を与えることで学習指導要領に基づく指導を円滑に進めたいと。円滑とは義務化を一層強めようとすることであり、法制化されると、現在の職務命令どころか、反対の態度表明さえできなくなりかねません。法律違反者として、他の法律をもっても処罰されることになりかねません。また、学校だけにとどまらず、各家庭や一般の社会行事にも遵法精神が強調され拡大されていくのを期待していると思われるのであります。  法制化の動機が広島県立高校長の自殺とされていることは間違っていると思います。死へ追い込んだのは指導要領による強制であって、解決の方法は現行の指導要領から法的拘束力を取り除くことであります。学校行事は学校の自主性に任すべきであり、沖縄では、指導要領の導入に当たって、前文で法的な拘束性を避ける処置をとってきました。私は、琉球政府中央委員で、県の教育委員でもあったからそう言えるのであります。  自国の国旗外国国旗についても理解、尊重する態度を育てるのは当然なことであります。だからこそ県民は、東京オリンピックの聖火が沖縄を通過した際や、六・二三慰霊の日に心ない米兵が日の丸をちぎり、盗んだことに厳重に抗議しました。当時、政府は外務省を通じて米軍に注意喚起だけしかしておりませんでした。立法院や県民大会で抗議決議したのでありますが、施政権が米国にあるからといって消極的な態度であったのであります。国民全体の占領ぼけにもあきれ果てるばかりであります。  一方、一九八七年、故岸信介氏の自民党葬では、文部省が学校で半旗を立てて黙祷を指示したことも忘れられません。特定政党が学校行事に介入した典型と言うべきであります。  ついでに言いますと、長期にわたる米占領下で、君が代日の丸は米軍布令、集成刑法で禁じられ、安全に反する罪として重罪を科されていたのであります。県民は、教育者を中心に、日の丸は民族のシンボルだとして自由掲揚の運動を続けました。  国歌の演唱は講和発効によって自由になったが、戦後、禁じられていたにもかかわらず、だれも歌う人はいませんでした。米国の施政下では、かえって「オー・キャン・ユー・シー」という、我々は今でも曲を覚えております。  日の丸は、米軍の弾圧を受けながらも、学校行事や復帰行進、集会等で自然発生的に掲げたものであります。米国旗及び米軍旗以外は掲揚を禁じられたにもかかわらず、私たちは祖国復帰悲願達成のため、日の丸は民族のシンボルだとして位置づけ、抵抗したのであります。米軍は、国旗は施政権のシンボルだとして抑えつけたのでありました。  毎年の教研集会で、児童生徒の一割が日本人でないとの意識調査もあらわれましたが、排日的な米軍の政策が生み出したものだと我々は考えたのであります。教研の際に、正しい日本国民の意識を育てようと掲げ、再三の廃案にも屈せず、ついに教育基本法で、我らは日本国民として人類普遍の原理に基づきを前文として打ち立てることができました。  屋良教職員会長は、自分の生涯で最高の喜びだと、承認された日はいすから離れて喜々としていたのであります。これで沖縄の教育は、晴れて黎明期を迎える明るさが見え出し、日本国民教育が堂々と行えるようになったのであります。  日本国民を教育する誇りと自負から米国の教員給与援助を我々は断り、教育に対する日政援助を求める運動を起こしております。佐藤総理の訪沖おみやげとして教員給与の半額負担が実現するに至っております。憲法記念日の実現も祖国を慕う心情から発しているのであり、ペリー来琉百年祭や皇太子御成婚記念、正月三日の日の丸掲揚許可も、県民が国民的な感激に浸りたいとする一心から学校における日の丸掲揚をかち取ったのであります。  さて、国会で首相は、軍国主義の再現とは無縁のものだとか、アジア諸国から何の懸念の表明はないと表明しておられます。しかし、県民意思を無視してガイドラインや軍用地特措法を強行した直後だけに、私たちは、既に日本が戦争準備に踏み込み、二十数万のとうとい生命が失われた沖縄戦の前夜を想起いたします。巨大な沖縄基地を強化して、沖縄戦のように捨て石にされる不安を抱いております。  米国は、自分の国を守るために沖縄に駐留していると公言し、相も変わらず沖縄は太平洋のキーストーンとして基地の重要性が強調されているのが現状であります。軍国主義が胎動し、侵略されたアジアの人たちが脅威を表明している事実を決して見逃してはいけません。  首相は、理解が進むとの見解を表明しておられます。しかし、沖縄にはこれは当てはまらないと思います。広く定着しているとは到底思えませんし、形式的な数字づらでしかありません。一〇〇%になっているが、日の丸は三脚旗、君が代はテープ演奏だけであり、現場での取り扱いは面従腹背なのであります。どの家庭日の丸を掲げておりません。海邦国体の際、政治介入で現場を大混乱させ、警官配置をもたらしたことは、沖縄の教育史上最大の不祥事であったことを忘れてはいけないと思います。入学式卒業式が近づくと学校は重苦しくなります。教育効果を失ってしまうのであります。  以上の理由から、平和憲法を尊重し、憲法理念に基礎を置くことと、国民合意を絶対条件としての慎重審議を要望いたします。さもなければ、廃案にするのが当然でございましょう。  以上です。
  92. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、比嘉良彦君にお願いいたします。
  93. 比嘉良彦

    ○比嘉良彦君 比嘉良彦でございます。  私は、生まれも育ちも読谷村です。読谷村は、本日の公聴会の主題の一つであります日の丸には、極めて縁の深いところであります。  沖縄で日の丸問題といえば、多くの人が、十二年前、一九八七年の海邦国体の際に起きた日の丸焼き捨て事件を思い起こしますが、戦後の沖縄で初めて日の丸が全県的な問題として関心を集めた四十七年前、一九五二年にもこの日の丸は読谷と深い縁がありました。御承知のように、一九五二年四月二十八日に講和条約が発効して、日本は独立、沖縄は米軍の統治下に残されるわけですが、この日、米国民政府は沖縄住民に、政治的な目的を持たない場合に限り、祝祭日に個人の家庭や集会などで日の丸の掲揚を許可したわけです。  この日の丸掲揚に対して極めて対照的な反応を示した当時の沖縄のトップリーダーの二人が、これまた読谷村の出身でした。その一人は、初代任命主席の比嘉秀平氏、もう一人は、先ほどから話が出ております沖縄教職員会会長の屋良朝苗氏です。このとき、日の丸掲揚に比較的冷淡なといいますか、冷静な対応を示して、当時マスコミからも批判されました比嘉秀平主席とは対照的に、この日の丸を熱烈歓迎したのが、後に最後の任命主席、最初の沖縄公選知事になる屋良朝苗当時の教職員会会長でありました。  ちなみに、このとき屋良会長は、この日の丸掲揚を祝祭日の際に学校等の公共施設にまで拡大するように、当時の米軍政府に嘆願書まで出しています。その理由として、完全に日本復帰が実現した際に、日本国民としての魂の空白をつくることなく、豊かな国民感情と国民的自覚を堅持せしめるためには、機会あるごとに日本の象徴である日の丸を掲揚し、これに親しませるのは極めて重要であり、このことは琉球住民はもちろん、わけても教育界にとって最も重大な意義を持つと力説しておられます。日の丸の見事な物神化であります。  このように、十二年前の海邦国体のときには日本軍国主義の象徴として焼き捨てられた日の丸も、四十七年前に沖縄が日本から切り捨てられたときには、国民的自覚を堅持するための象徴としてその掲揚が歓迎されていたのです。いずれも物神化の極致と言えると思います。  ここでこの昔話を持ち出したのは、国旗とか国歌とかというのは、政府であれ、団体や個人であれ、使う側の都合でどうにでもなる存在だと言いたかったのであります。シンボルの持つ必然的な側面であります。  もともと国旗には二つの機能があると思います。一つは、シグナルやサインとしての機能、いわゆる記号としての識別機能であります。つまり、世界国旗のない国はないとか、旗それ自体は悪いことは何もしないというときの例がこれです。  もう一つは、シンボルやイメージとしての機能、いわゆる国家の象徴機能です。国内的には国民統合、対外的には国家の威信をあらわす役割を担う、そういう機能です。これは情緒的で物神化されやすく、使い方次第では国家国民を破滅に導きます。しかし、ボーダーレス化の進展で、物神化はやがて色あせてくると思います。  日の丸の強制をたくらむ人々も、またその強制におびえる人も、物神化に由来するわけで、肝心なのは、私はこの二つの機能を明確に区別することだと思います。区別さえ明確であれば、国旗国歌問題の大半というのは、解決するどころか、私は解消すると思います。  そのことを前提にして、本日のテーマに対する私の結論を申し上げますと、日の丸君が代もひとしく国旗国歌とする法案に賛成いたします。しかし、日の丸国旗君が代国歌として法制化されたとしても、押しつけには反対します。幸い、今回の法案には義務づけの規定はありません。これが、今度私が法制化に賛成する最大の理由です。  それでは法制化意味がないと言う人もおられると思います。しかし、そういう人には、日の丸国旗かとか、君が代国歌かという長年の不毛な論争が解消されるメリットがあるということを申し上げたいと思います。また、今は義務規定、罰則規定がなくてもいずれ追加される、そういうふうな危惧をされる人には、そんな規定がもしできたりしても、それは憲法違反だというふうに申し上げたい。  さらに、日の丸君が代国旗国歌にふさわしいかどうかということを問題にする人には、好みや価値観というものは千差万別なんだ、それに、国旗国歌の役割は、国際化と情報化の進展で、先ほど申し上げましたように、識別機能が残るにしても、象徴機能は徐々に低下していくだろうということを申し上げたいと思います。  こうした観点でこの国旗国歌問題を見ますと、諸悪の根源といいますか、これまでの対立の源というのは、私は、日の丸君が代法制化にあるのではなくて、端的に申し上げて、文部省の指導要領にあるというふうに言えると思います。それも、指導要領で国旗国歌の物神化を推し進めた結果だというふうに言いたいと思います。  そもそも戦後の国旗国歌問題の発端というのは、「学校における「文化の日」その他国民の祝日の行事について」という例の昭和二十五年の天野貞祐文部大臣の談話にさかのぼるわけですが、そのときの大臣談話は、「祝日の意義を徹底させ、進んで国家及び社会の形成者としての自覚」、形成者としての自覚ですよ、「を深くさせることはきわめて必要なこと」「その際、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することもまた望ましい」、また望ましいということでした。  それが現在では、指導書では、「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、」「国旗及び国歌に対して正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることは重要」、そのために入学式卒業式に「国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導する」、今度は指導するというふうに変化しているわけです。  現在の指導要領や指導書とかつての天野文部大臣の談話とは、物神化の度合いが全く違います。私は問題はそこにあると思うのです。  もちろん、政府としては、このような指導は、児童生徒が将来広い視野に立って物事を考えられるようにとの観点から、国民として必要な基礎的あるいは基本的な内容を身につけることを目的として行われるので、児童生徒の思想、良心を制約しようというものではないというふうに抗弁することでしょうが、法制化しても強制はしないというふうに言いつつも、一方では、学習指導要領を法規としての性格を有するというふうに言って強制を暗示するため、そういうふうなことをしている政府の抗弁に信頼性が得られないというのは当然です。ですから、文部省における国旗国歌の物神化こそが私は問題なのだと思います。  しかし、だからといって、今度の日の丸君が代国旗国歌として法制化する問題と、文部省が学習指導要領で国旗国歌を物神化することとは、関連はしましても別の次元の問題だというふうにとらえています。法制化とその対応の問題、その区別もまた重要だと思います。  このように、国旗イコール日の丸国歌イコール君が代法制化問題は、価値観や歴史認識に加え、論理構造も非常に複雑多岐にわたる難問ですけれども、戦後五十有余年にわたって、文字どおり積年の課題ですので、二十世紀の課題は二十世紀中に区切りをつける、そういう観点からも今度の法制化で区切りをつけて、そこから派生する問題は二十一世紀の課題としてまたさらに追求していく方がよいのではないかというふうに現在は思っている次第です。  以上で意見の陳述を終わります。
  94. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、鳩間昇君にお願いをいたします。
  95. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 御紹介いただきました鳩間昇でございます。  大変浅学の者が立法府の先生方に意見を申し上げるのは大変恐れ多いことでございますが、現場におりましたときの体験をもとに、識者の先生方の意見もかりながら述べてみたいと思います。また、先生方に資料の提示ができなくて大変失礼をいたしておりますが、御容赦ください。  現場におりましたときに絶えず問題になるのがこの国旗国歌問題で、法的根拠があるのかということでございます。沖教組の先生方とけんか腰になりながら、法的根拠といいますけれどもその法的根拠はあるのかと言い合ったり、いろいろなことをしてまいりました。よく言われる慣例法であるということで指導を強化してきております。  まず国旗についてでございますが、私たち日本民族の歴史を通して、日の丸ということについて、太陽を仰ぐ心の象徴だと考えております。国旗協会が出したパンフレットによりますと、日の丸が旗の様式をなしたのは後醍醐天皇の御代だというふうに記されております。そういった大昔から、連綿として日の丸について我々日本民族は歴史をつづってきていると言うことができようかと思います。  そして、明治三年の太政官布告に基づいて商船旗としてこれが次第に国旗化し、国旗としての慣例になっていったと考えます。そういう意味から、日の丸に対しては何ら異議を挟むところはないと考えております。  申しおくれましたけれども、私は、日の丸君が代国旗国歌であるということの前提に立って申し上げておりますので、よろしくお願いいたします。  次に国歌についてでございますが、御承知のように「君が代は」というところから始まりますが、これに、主権在民になじまないとか単なる象徴だとかいうことをよく耳にいたします。  そこで、象徴ということについて考えてみたいのです。もちろん、これは法律用語としては大変珍しいということは言われておりますけれども、これについて少し触れてみたいと思います。  本来、象徴たるものと象徴をなすべきものとは一体であると私は認識しております。ですから、国旗であろうと天皇であろうと、あるいは各都道府県の県旗であろうと、あらゆる団体の旗であろうと、これは、象徴としてそれをあらわす旗と、象徴たるものと象徴をなすものとは一体であると考えております。そして、憲法学者として著名な小林直樹という先生は、象徴について著書の中でこう述べておられます。天皇を象徴として置く以上、象徴侮辱罪というのがあっても憲法違反にはならない、しかし、それを望むものではもちろんない。もちろん私も望むものではありません。これは何を意味しているかといいますと、象徴たるものの重みを強調しておられることだと考えます。  また、大原康男國學院大教授は、象徴の観点を五つ挙げておられますけれども、そのうち二点を申し上げますと、象徴としての天皇は非常に聖的な存在である。これは、国家国民の象徴であるがゆえの聖なるものであるというふうに話しておられます。また二点目には、規範的である。すなわち、象徴としての天皇が国民から敬愛される天皇であられること、これにはもちろん異議はないと思います。また、国民はその象徴たるものを敬愛していくところの責務があるのではないかということを指摘しておられます。大変感銘する論調ではないかと考えております。  そういうことを考えてみますと、主権在民になじまないとか、あるいは単なる象徴であるとかいうことは、憲法解釈上大変誤っているのじゃないかと考えております。憲法条項を単なる象徴と解釈するならば、学問の自由も単なる学問の自由ということになってくると思います。憲法解釈は、同じレベルで、同じ解釈法でやるのが正しいかと思います。  さらに君が代の旋律でございますが、これは御承知のように、日本の雅楽を基盤とした優雅なメロディーでつづられております。音楽的に大変価値の高い曲であるというふうに言われておりますので、これも大変すばらしい曲だなと考えております。  これら日の丸君が代は、先ほども申し上げましたように、私たち日本の歴史と伝統の中からはぐくまれてきた、本当に我々の伝統、文化の中心的価値をなすものだと考えます。ですから、日の丸君が代国旗国歌として大変適切であると考えておるところでございます。  どうか、今度御他界なさいました広島県の校長さんの冥福を祈るとともに、このような事故が再び起こらないように、それにも増して、今後、我々日本の青少年が二十一世紀に生き、日本の次代を背負っていく立派な日本人、国際人としていけるように学校でも指導、学校では指導でございますから、指導していけるよう、今回の国会における立法化を切にお願いいたしまして、私の意見を終わります。
  96. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、安仁屋政昭君にお願いをいたします。
  97. 安仁屋政昭

    ○安仁屋政昭君 お手元に二枚つづりのレジュメをお配りしてございます。意見陳述の要点を最初に申し上げます。  私は、沖縄の近現代の歴史に照らして、日の丸君が代国旗国歌として法制化することは容認できません。我が国は、植民地、いわゆる台湾、朝鮮、ミクロネシア、満州、あるいは占領地で、日の丸君が代によって皇民化政策を強行しました。それによって、民族の文化も誇りも踏みにじってきました。その先例となったのが沖縄における皇民化政策であった。この歴史的な事実それから国体護持、つまり天皇制を守るために捨て石にされた沖縄戦の体験、これを忘れることができません。これらの観点からして、日の丸君が代国旗国歌としての法制化には到底納得できない。国民的な広い論議を尽くすべきであるとは思いますけれども、沖縄の近現代の歴史に照らして、これを法制化するということについては、あくまでも反対であります。  何でそういうことを言うかと、幾つか事例を申し上げます。  沖縄県は今、日本国沖縄県ですけれども、十九世紀の半ばぐらいまではここは琉球王国でありました。その琉球王国を廃止して琉球藩を設置し、沖縄県を設置していくという一連の流れ、琉球処分と言っておりますけれども、これは明治政府と清国との間に厳しい外交交渉が続いていたわけですけれども、そのさなかに台湾出兵をやり、強引に琉球王国を廃止して琉球藩を設置し、設置した翌年に、何と琉球藩に対して日の丸を七本持ってきておるのですね。メモを後でごらんください。七本持ってきて、久米島、宮古、石垣、与那国、西表まで含めて、場所もきちっと指示して、日の出から日没まで立てておけ、こういう指示をしております。さらにその年の、明治六年の冬には天皇、皇后の写真を持ってきて、それを拝め、こういうふうな指示もしております。  つまり、まだ沖縄県になっていない琉球王国を強引に廃止して琉球藩を設置したそのときに、既に日の丸を持ってき、天皇、皇后の写真を持ってきて、既成事実をつくって、日本領土になったんだということを示す事例になるわけです。日の丸は沖縄にとっては当初から侵略のシンボルであった、こんなふうに考えられます。  以後、沖縄に対しては皇民化政策が厳しく行われるわけですけれども、例えば言語統一、方言撲滅です。改姓改名、これは、後に朝鮮半島では創氏改名といったぐあいに展開していきます。台湾でも同様であります。ミクロネシアでも同様、でっち上げの満州国でも同様であります。  二枚目に「蛍の光」の歌詞を挙げてありますけれども、琉球藩設置、沖縄県設置というふうに続く中で、例えば明治十四年、沖縄県設置の二年後です、第四節に、   千島のおくも、おきなはも、   やしまのうちの、まもりなり。   いたらんくにに、いさをしく。   つとめよわがせ、つつがなく。 まさにここまで来た。ところが、二十世紀に入って一九〇六年の教育唱歌集で第四節は何となっているか。「台湾のはても、カラフトも」となっているのです。「台湾のはて」というのは御存じですね。日清戦争の戦勝によって下関条約を結び台湾を領有する、日露戦争によってポーツマス条約でサハリンを占領する。驚くことなかれ、太平洋戦争のとき、一九四二年、昭和十七年にはマレー半島、シンガポールまで日本軍は侵略していきますけれども、「蛍の光」の第四節の歌詞は、「昭南のはても、アリューシャンも」と、こんなふうな歌い方までしておる。まさに日の丸を掲げて進軍であります。  そういう過去の歴史を我々が本当に考えるのであれば、アジア太平洋に対してどういう思いを持つのか、アジア太平洋の人々がどういう思いで我々の現在の動きを見ているのかと冷静に考えてみたいと思うわけです。  沖縄戦のときに、沖縄の戦場は国内唯一の地上戦と言いますけれども、厳密に言うと、これは日米最後の戦闘であります。国内の最初の戦場は、東京都小笠原村硫黄島でありました。  そこで、硫黄島の例も沖縄戦の例も全部チェックしてみてください。何のための戦争だったか。祖国防衛などと言いながら、実際は天皇制を守るために、国体護持のために捨て石にするんだ、こういう戦争だ。そのために、軍人を上回る十五万以上の住民が殺されていった。天皇に忠誠を尽くさない者はスパイだ、反逆者だ、こういうふうに殺されていった。まさに日の丸君が代を押し立てての戦争であったと思います。  戦後は、沖縄はアメリカによって分離されましたけれども、私どもは、沖縄の人々はどうしても忘れることのできないことがあります。一九四七年、昭和二十二年五月三日に主権在民の平和憲法が発効していますけれども、その同じ年の九月に、昭和天皇は、沖縄をアメリカが長期にわたって軍事占領することが望ましい、それは二十五年ないし五十年が適当であろうなどと言っております。天皇がそう言ったからそうなったというふうに簡単には論断はできませんけれども、天皇制というものはそういうものであったのかと、沖縄の人々は深くこのことを考え続けております。  そのことを思うと、日の丸君が代法制化によってこれを国民に押しつける。学校教育だけじゃありません、国民体育大会であれ、全国植樹祭であれ、大相撲であれ、日の丸君が代、天皇の出席というような、どうしてそういうことになるのか。日の丸君が代がなければマラソンも走れないのか、日の丸君が代がなければ全国植樹祭で木は生えないのか。それほど沖縄の人々は手厳しく今の事態を見ております。  当初述べましたとおり、意見陳述の趣旨は、日の丸君が代国旗国歌としての法制化反対である、こういう趣旨でございます。  以上です。
  98. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、平良修君にお願いをいたします。
  99. 平良修

    ○平良修君 意見を述べます。  国旗国歌がなくても国は存在することができます。国旗国歌は国の印にすぎません。しかし、一般論として、国が国旗国歌を持つことも、また、場合によってはそれらを法制化することも容認できます。しかし、日の丸君が代国旗国歌とすることには反対です。ましてや、それらを法制化することは全く容認することはできません。私は、国旗国歌法案は廃案にすべきであると思っています。  次に、日の丸についての反対理由を述べます。  日の丸は、単なる自然現象としての太陽を意味するものではありません。単にそれだけでしたら、天高く上り輝くあの太陽のデザインは、ほかの国の国旗にもなり得るデザインであると思います。しかし、日の丸には日本独自の意味づけがあります。それは、日本国を日のもと、日出る国とする太陽神アマテラスオオミカミによる肇国神話と、太陽神の神霊を継承する天皇によって支配されるべき特別な国体であるということの思想をあらわしています。そこから、外国を日没する国とべっ称する発想も生まれてきたのであります。  戦時中の国民学校の教師用手引書は次のように記述しています。我が日本は日のもとであり、日の神直系の御子孫のしろしめす国であり、日本人は日の神の末裔であるとみずからを任じ来った。このようにして、肇国以来揺るぎなき国体とともに国民精神の繁栄が日の丸の旗のうちに鮮やかに看取せられるのである。したがって、日の丸の旗の由来について説こうとすれば、皇統連綿たる国史と国土国勢と、そうして国民性とのすべてにわたって触れていかざるを得ない。  しかし、第二次世界大戦を経て、日本はこのような特別な国ではなくて、普通の国家の一つになったのであります。現人神の主権によってではなく、国民の主権によって営まれる国家になったのであります。その意味において、日の丸国旗として全く不適当であります。  さらに、日の丸日本の侵略戦争の第一級の軍旗としての汚点を持つ旗であります。「日本日の丸なだて赤い、おらが息子の血で赤い」と歌った母親がおりました。日の丸は、そういうすねに傷を持つ旗であります。日本の侵略を受けた国々の中には、日の丸を見たら今でも憎悪を感じる人は大勢います。そういう旗は日本の平和主義にふさわしくありません。日の丸日本国旗として全く不適当であると思っています。  次に、君が代についての反対理由を述べます。  君が代は、明らかに、天皇が支配する国家の永遠の繁栄を祈り歌った歌であります。かつての修身の教科書に、我が天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も、いやいつまでもいつまでも続いてお栄えになるようにとの意味で、まことにめでたい歌ですという説明がありました。天皇が主権者であった過去においては、国歌として全くふさわしい歌でありました。  しかし、現在、主権者は国民なのです。国民の大多数が希望すれば、憲法を改正して象徴天皇制を廃止することもできる権能を国民が持っているのです。したがって、君が代国歌にふさわしくないことは論をまちません。ただ、国民主権が敗戦によって棚ぼた式に与えられたいわば不労所得であったために、国民はそれを本当には大切にせず、君が代を廃止して国民主権の新しい国歌をつくり出すことができなかったにすぎないのであります。  それを、君が代歌詞は天皇を象徴とする日本の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解するのが適当との政府の新解釈は、何としてでも天皇を軸とした体制を維持せんがための苦肉の策にすぎません。時代が変わったから、歌詞はそのままにしておいて意味の解釈を変えるということは、許されることではありません。政府は、日の丸君が代は慣習法的に定着していると繰り返して言いますが、政府自体が君が代歌詞について新解釈を出さざるを得ないような状況で、果たして定着していると言えるのでしょうか。極めて疑問です。  次に、私は、主権在民、平和主義国家にふさわしい新しい国旗・国家を制定することが望ましいと思っています。それまでは現行のものを慣習的に用いる、そして将来、新しい国旗国歌制定されても、法制化されても、国民の思想、信条、表現の自由の立場から、使用を強制しないことが肝要であります。それのできる国のシンボルとしてのみ、国旗国歌意義を有するものと考えます。  聞くところによりますと、文部大臣は、口をこじあけてまで強制的に歌わせることはしないと言ったそうですが、このような物理的実力行使に至るまでは強制にならないという認識であれば、事は重大です。内心の自由との関係で、強制とは、人間の自由意思の働きへの圧力となるすべての行動を指すのではないでしょうか。国旗国歌国民国旗国歌であって、政府のものではありません。その使用については、国民の自由意思が最も尊重されるべきであります。国民の自由意思を圧迫して国旗国歌の使用を強制しようとする国は、国旗国歌を持つ資格はないと思っています。  政府はこれまで、日の丸君が代国旗国歌として定着しているので法制化はしないと言ってきました。にもかかわらずその方針を急変させたのは、日の丸掲揚と君が代斉唱を強要する政府の罰則つき指導と、それに反対する教師たちとの板挟みに遭って苦悩の末自殺した広島の高校長の悲劇が直接の契機になっています。したがって、法制化によって日の丸君が代により明確な根拠を与え、このような悲劇の再発を未然に防ぐのだと言います。  これは余りにも短絡した発想ではないでしょうか。あの悲劇が起こったのは、文部省日の丸君が代を学習指導要領によって事実上強制したことによるのです。それさえなければ、教師たちの抵抗も校長の苦悩もなかったのです。その強制にさらに法的な力を加えることによって事を片づけようとする政府の発想は、粗雑かつ強権的です。法制化によって国民国旗国歌に誇りを持ち、国を愛する心が養われることを期待している政府の期待に反して、日の丸君が代はこれまで以上に国民に冷遇されることにならないでしょうか。あの校長の悲劇は、なくなるどころかもっと多発することになりかねません。  最後に、国旗国歌制定は、賛成過半数で機械的に決めるようなものであってはならないと考えています。国民の心がそこになければ、仮に形式的には国旗国歌になったとしても、それは真の国の歌、真の国の旗にはなり得ないのです。時間をかけた幅広い全国民的討議が絶対不可欠です。場合によっては、国民投票もすべきではないでしょうか。  報道によると、自由民主党は、本法案を七月二十一日の内閣委員会で可決し、二十二日の衆議院会議で採決する方針であるといいます。私は強く要望します。この公聴会を単なる通過儀礼にしてはならないということです。委員皆さん方は、これを単なる通過儀礼としてお考えではないでしょう。私たちここにおりますところの陳述人たちもまさにそうです。真剣な訴えです。ですから、既に決まった路線に乗っかって単なる通過儀礼的なものにしてはならないのであります。日の丸君が代法制化することは余りにも問題が多いのです。  私は、このことが問題になってから、新聞紙上で実に考えさせられる豊かな議論が展開していることを知っています。私たちが知り得ていない豊かな考え方、豊かな意見がいっぱい隠されているんですよ。全国にあるのです。それを聞かなければなりません。五回の公聴会で全部聞き取ることができるほど、そんな簡単な問題ではありません。時間が必要です。本格的な全国的な討論が必要です。  一八七九年、琉球王国が日本に併合されて以来百二十年、沖縄は日の丸君が代によって苦労させられ続けてきました。沖縄に生をうけた者として、日の丸君が代に対する思いは極めて複雑かつ否定的であります。私は、特に沖縄県民として、その廃案を求めます。少なくとも継続議案とすることを強く要望します。時間が必要です。  以上。
  100. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  101. 二田孝治

    二田座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小林興起君。
  102. 小林興起

    ○小林(興)委員 ただいま各陳述人の皆様方から非常に貴重な御意見を拝聴いたしまして、大変参考になりました。そしてまた、沖縄ならではのいろいろな歴史、経験、体験に基づくお話も伺わせていただきました。特に、戦後しばらくの間、アメリカによって日の丸を掲揚することもできなかった、それがやっと掲揚することができるようになったとき大変喜んだというお話も承らせていただいたわけでございます。ただ、だからといって、それがストレートに日の丸君が代を、どんどん掲揚し、国歌を歌おうというふうにはならないというように言われた方々の気持ちの中に、やはり沖縄特有の問題もあるのかなというふうに思わせていただきました。  しかしながら、今や沖縄も、昔はどうであれ、現在私どもから見ますと、日本国の一つの県であります。まさに一緒の日本人だ、こんなふうに思っているわけであります。  そういう中で、皆様方にお伺いしたいんですが、沖縄がほかの県なんかと違って日の丸君が代がいわゆる定着していないということがあるのかどうか、いや、定着はしているんだけれども、今言われた皆様方の個人的な思いでいろいろと考えるところがあるのか、こういうことについては一般的にどうなんでしょうか。
  103. 米村幸政

    ○米村幸政君 私は、今さっきの委員の御指摘のように、沖縄は、やはりいろいろとこの長い歴史の過程の中で、屈折したところがあると思います。  結論から申し上げますと、国旗に対するいわゆる賛意、賛同と申しましょうか、その声と、それから国歌に対するのとは、多少ニュアンスが違うと思います。  国旗については、かなりの部分の人が、今さっきお話にありましたように、国旗として認めるという立場にあるだろうと思います。  ところが、国歌に対しましては、先ほどいろいろなお話がございましたが、やはりニュアンスの違いがございまして、必ずしも十分ではない。数でいいましたらどうなりましょうか、国旗よりは国歌数値がかなり低くなるだろう。それは、学校の国旗の掲揚、国歌の斉唱の中にもあらわれております。  以上でございます。
  104. 小林興起

    ○小林(興)委員 引き続きお尋ねいたしますけれども、しかし、まあ大体、国旗日の丸国歌君が代だというふうに多くの方々が考えられておられるのであれば、しかも政府としてもこれは慣習法を単に成文化するにすぎないと言っているわけですから、国歌国旗がない国というのはほとんどないわけですから、一応今までそれで決まっているなら、そのことを成文にすることについてそんなに問題がないような気もするんですが、いかがですか。
  105. 米村幸政

    ○米村幸政君 この件に関しましては、個人的なものはあると思いますけれども、総体として見た場合には、おっしゃるとおりだというふうに私は理解しております。
  106. 小林興起

    ○小林(興)委員 それから、総体的に皆さんが認めておられるならば、とりあえずこれを成文化させていただいて、それともう一つお伺いしたいのは、歴史、経験を踏まえられてもう既にいろいろとお考えになっていらっしゃる方は別として、これからどんどん育っていくお子さん方がいるわけですね。そういうお子さん方にとって、やはり学校の教育現場におけるセレモニーで国歌を素直に歌ったり日の丸を掲げるということは、教育効果としては非常に重要だと思うんですが、いかがでしょうか。
  107. 米村幸政

    ○米村幸政君 大変重要なことだと思いますし、青少年の将来を考えまして、この国旗国歌については引き続き教育していくことが大変重要なことだというふうに考えております。おっしゃるとおりでございます。
  108. 小林興起

    ○小林(興)委員 それで、陳述人のお話の中に、アルゼンチンのお子さんとの比較がありましたけれども、まあ外国では、普通にそういうふうにして子供たちにきちっと国歌国旗に対する尊敬の念を持たせるということで自然に国に対する思いをつくり上げていくわけですから、過去の歴史ももちろんありましょうけれども、そのようにして、過去の経験を忘れることがいいとは申し上げませんけれども、これから育つお子さん方のために、二十一世紀に向かって自分の国を素直に愛するというような形にするために、国旗国歌を成文化して、そして教育現場で安心してこれを歌ったり日の丸を掲げるようにするというような前向きなことを取り上げていこうというふうに今思っているんですけれども、いかがでしょうか。
  109. 比嘉良彦

    ○比嘉良彦君 定着しているかどうかというのも、それはどういう意味で定着しているのかということはいろいろあると思います。先ほどほかの公述人からありましたけれども、掲揚の仕方がどういう形のものを定着というのかという問題はありますけれども、日の丸の使われ方とか君が代の歌われ方というのが、どういうところで行われているか。  さっき先生、過去は過去として将来に向かってと言われましたけれども、今沖縄で日常的に日の丸が目につくのは米軍基地ですよ。星条旗と二つ並んで立っているところが、まず日常的に見えるのは、日の丸というのはそういうところで見るだけです。君が代というのは、相撲の始まりと終わりぐらいのときの、そういうところでしか見ないわけです。それが、たまたま三月、四月の卒業式入学式のころになると日の丸だ、君が代だというふうな話になるから、今みたいな騒動になっちゃうわけです。  ですから、過去のことじゃなくて、現在においても、日の丸がどういうふうな使われ方をしているか、日の丸を現実に見ることができるかといったら、全国の七五%の基地の中に掲げられているその日の丸を見て、あれを、日米共同支配の象徴だ、星条旗と日の丸かというふうに見るのは、現実でも、現在でもそういう実態なんですよ。  ですから、そういう意味からは、沖縄で日の丸君が代が定着しているのかしていないのか、しっくりいくのかというふうなことになれば、それはやはりいろいろな思いが出てくるというふうに考えます。
  110. 小林興起

    ○小林(興)委員 再三申し上げていますけれども、過去の歴史は歴史として、今や日本ということで、沖縄県の方々も我々と一緒に日本人として将来生きていくわけですね。そういうことを考えたときに、小学校で、日の丸君が代というような形を通じて素直に日本国というものをいい意味で意識していただいて、そして頑張っていこう、こういう気持ちを持ってもらうために、今度成文化すれば、どうなんですか、学校教育現場で、別に強制なんかする必要はないし、罰則とかそんなのは当然ですけれども考えてもいないわけですけれども、そうすれば、もっと日の丸君が代は使いやすくなることは事実でしょうか。どう思われますか。
  111. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 おっしゃるとおり、法律ができれば、国旗国歌はこういうものですよという指導は適切にできると思います。しかし、これは先ほどからも出ておりますように、強制ではないと思います。学校では指導をするということを先ほども申し上げましたので、指導ということは、あくまでも資料を提供し、そういうことの判断をさせていくのが指導でありますので、必ずこれはしなければなりません、これは必ずこうですよというようなものは指導じゃないと思います。しかし、国旗はこういうものである、国歌とはこういうものであるということを示して指導していく、歌うように指導するということですから、歌っていきましょうというふうにして指導することは、これは適切だと考えます。
  112. 小林興起

    ○小林(興)委員 ありがとうございました。  これは強制するようなものでは全くないわけですけれども、自然に、こういう成文化を通じて、国旗国歌が本当に多くの国民に愛される、いわゆる世界で言う国旗国歌になるように、そのきっかけになれば幸いと考えます。ありがとうございました。
  113. 二田孝治

    二田座長 これにて小林君の質疑は終了いたしました。  次に、北村哲男君。
  114. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 北村でございます。  本日は公述人の先生方、どうも御苦労さまでございました。私、民主党の北村哲男でございますが、まず、私は、福地先生にお伺いしたいと思います。  この法案の提出の動機として、野中官房長官が、広島の世羅高の校長先生の自殺がその動機にあるというふうに言っておられます。この世羅高校の校長先生の不幸な事件が今回の法制化によってなくなる、そういうものがなくなっていくというのが恐らく政府のお考えであろうと思うし、そういう考えの方々もいらっしゃると思うんですけれども、一方、強制しないといいながら事実上の強制になるんだから、そういう混乱はより多くなるというふうな見解も数々あるように聞いております。  福地先生はその点についてはどのようにお考えでしょうか。
  115. 福地曠昭

    ○福地曠昭君 成文化されますと、間違いなく、学校教育が、これまで「望ましい。」から「する。」という義務化された経過を見ても、これは時の政党、権力が随分内容にまで入ってきております。できるだけ避けていくというのが教育的であり、教育混乱を起こしてまで、子供たちが本当に国際性を帯び、国に対する自覚ということは私は生じないと思います。自然にまた教職員の指導力を駆って、そして学校行事ももっと創造的に、はっきり申し上げますと、沖縄では、壁画を、あるいはまた子供たちの作品を、あるいはまたその都度の卒業式の歌を歌い、まだまだこういう実に豊かな地方性を持って行事をやっておるのも御承知いただきたいわけでございます。  ですので、法一本で、例えばアメリカの布令もそうでありました。法律一本で君が代を禁止しようとしたところで、あるいは君が代を歌わそうとしたところで、沖縄は君が代についても、行政の立場で指導する人たち、この人たちも、君、では君が代を歌ってごらんと言ったら、歌えないんですよ。私は戦前派に属してはいませんが、君が代は立派に歌って、今でも模範的に歌ってみせます。  歌もわからぬのに、大人が歌いたくない、また歌えないのに、子供たちには義務づけをもっと強化して、そしてひとつ歌えるように、また、音楽を通して楽譜をきちんと頭に入れるという、そして算術と漢字と同じじゃないか、こういう学習効果、あるいはまた、価値観に通ずるこういうふうな問題を単なる基礎学力と同じようなことで考えているところに間違いが生じてきたのであって、その反省をしてもらわぬと、私は、また同じようなことで、学校側が、校長が職務命令より以上に法的根拠を持ち出すのではないかということを危惧するから、効果は生まないということを断言いたします。
  116. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 先ほどから何人かの先生方の間で若干の食い違いがあるのですけれども、この法制化によって強制をするものではないというふうにおっしゃる方がいらっしゃいました。一方、福地先生は、先ほどの公述の中で強制につながるというふうな言い方をし、また、他の法律でも処罰されかねないというふうなこともおっしゃいました。  強制をしないとなると現状と変わりないのじゃないかということになるし、また、強制をしないのなら法制化は必要ないのじゃないかという考え方も成り立つと思うのですけれども、先生は、この法律ができることによって現実に教育現場において強制的なことが起こるというふうなお考えを持っておられますか。  もう一つ、他の法律をもって処罰をされるのではないかということを言っておられますけれども、それはどういうことをおっしゃっておられるのだろうかということを、二点お伺いしたいと思います。
  117. 福地曠昭

    ○福地曠昭君 沖縄では職務命令ということで、もちろん今の指導要領の中でではありますが、三十三名が校長を含めて処分されました。また、学校現場から校長が胃が痛くなって病院に駆けつけていった、手術はしなかったのですが、こういういろいろなことが起こったのであります。  私は、指導すること、いわゆる沖縄の琉球王朝のああいった家紋あるいは船舶旗だっていろいろ過去はあるわけで、これなども含めて、日の丸を沖縄の成り立ちから意義から教えることに、それは我々も教えているに十分ではありませんが、教えるということについては当然だと思って、もっとこれを教えるべきだと思いますね。  ただ、先ほど申し上げましたように、他の法律という場合に、沖縄でも少しやりかけたのですが、例えば、日の丸子供が取り出して、ある高校でどぶの中に投げ込んだ、こんなことなんか我々指導したというわけじゃありませんし、不祥なことでしたが、こういうふうなことで、日の丸はある時期には器物損壊として取り扱われたことがあるのです。そうすると、これは軽犯罪ですね。刑法犯なんです。その処罰は、他の、刑法によってこれはもっと厳しく、単なる職務命令以上の、訓戒とか減給どころではないと思います。ここに波及するそういうきっかけが、遵法精神となれば、そこにいくのを私は恐れるという意味でございます。
  118. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 もう一点、引き続いてお聞きしたいと思います。  先ほどから定着という言葉が出ております。既に定着している云々という話がありますが、定着したか、しないかというのは一つのロジックのようなことになってしまうのですが、先生は、中で、定着していると言うけれども、実際はそうではない、面従腹背なんだというふうなことも言われました。  それについて、その面従腹背ということは、もちろんそれはそれで御見解だと思うのですけれども、日の丸君が代は同じように先生はお考えなのか、あるいは区別して、日の丸はこう思うけれども、君が代については認識が違うんだというふうなお考えなのか、そのあたりについてはどのような御見解でしょうか。
  119. 福地曠昭

    ○福地曠昭君 確かに、日の丸を上げたり下げたりした張本人ですのでなんですが、我々が日の丸を持つ必要がある場合には、もちろん自分たちで判断して自分たちで選択したわけであります。どこからも押しつけられて、権力で、屋良教職員会長が、天皇というあだ名はあったが、天皇の命令をおろしたことは一度もありません。それは、父兄や学校や、あるいはまた地域の人々との話し合いで大体学校行事はうまくやってきたのに、どうも政治的に、海邦国体の場合から県あるいは市町村の議員団側まで学校に乗り出すということ、そんなことがあってはならないのですよ。学校だけはそっとしていただきたい。  だから、そういうことで、私は決して、いわゆる定着するのを恐れているというわけではありませんが、きょう手によせた、例えば、君が代法制化について、朝日新聞のこの二十七、二十八日両日の面接調査によると、必要が四七%、法制化の必要がないが四五%、国論が二分されておるし、六六%が議論を尽くせという状況は、沖縄だけじゃないということだと思います。  そういうふうなことを法律にゆだねるということは、法律ということは、それだけのやはり行政を超えた、あるいはまた行政処分以上のものがここに予測されるということは、常識的に考えるからでありまして、今のところ、沖縄にとって、本当に学校における義務化をもっと強めるとなると、逆効果が生まれやせぬかということであります。だから、少なくとも定着なんということは、私は、沖縄自体のいろいろな世論調査もありますけれども、そこまでいっているとは見ておりません。  また、日の丸君が代というけれども、おっしゃるように、沖縄でもまた、君が代は禁止されなくても、布令から取り除かれてもだれも歌う人はおりませんでしたが、日の丸は、我々が大いに振りかざして復帰運動もやったというふうな経緯から見ても、そこの違いは認めます。
  120. 北村哲男

    ○北村(哲)委員 ありがとうございました。時間が参りましたので、私の質問は終わります。
  121. 二田孝治

    二田座長 これにて北村君の質疑は終了いたしました。  次に、河合正智君。
  122. 河合正智

    ○河合委員 公明党の河合正智と申します。  本日は、陳述者の諸先生におかれましては、御多忙のところ、また、大変難しい問題に対しまして率直に御意見をお聞かせいただきまして、心から厚く御礼申し上げたいと思います。  私は、とりあえず三点につきまして、特に比嘉陳述人にお伺いさせていただきたいと思います。  先ほどの御意見の御開陳の中で、比嘉先生は生まれも育ちも読谷だというふうにおっしゃいまして、私たち日本人にとりまして生きている限り忘れることができない沖縄戦の上陸地点でお生まれになったということ、そして、社大党の書記長を御歴任された比嘉先生が先ほどのような御開陳をされまして、私はある種の感動を持って聞き及びました。  そこで、ちょっと確認を二点させていただきたいのですけれども、一九五二年、四十七年前の講和条約発効による時点と、それから十二年前、同じく読谷で起こりました海邦国体の知花さんの事件も、これを目撃されていたという御体験がおありだと伺っておりますけれども、この双方ともが日の丸に対しまして、非常に受けとめ方は違うようだけれども、ともに物神化としてとらえることができるとおっしゃいましたことにつきまして、私、やや理解できませんでしたので、ちょっと詳しくお教えいただけますでしょうか。
  123. 比嘉良彦

    ○比嘉良彦君 日の丸については、君が代についてもそうでしょうけれども、過去の事実をとらえて、賛成したからとか、あるいは反対したからとかというふうなことは、福地先生のような、上げたり下げたりと言われましたけれども、そういう事実をとらえて、あれはよかった、これはよかったと言っても、それは時代の流れとかいろいろなものが変わってきますし、象徴天皇制である天皇陛下、前の昭和天皇でも、二十年までは帝国憲法に基づく天皇であったし、二十年以降は象徴天皇として今の憲法でとらえたその同じ人が、同じ個体と言ってはなんですけれども、そういう人が、個人が天皇をしていたのと同じように、日の丸そのものとか君が代そのものでも、私は、そのものについてどういう意味を付与するかというのは、その時代時代のあれだというふうに思うのです。  ですから、ただ、四十七年前に日の丸を掲げたいと言った屋良先生のそういうお気持ちも、それはそれで立派だっただろうと思いますし、それから、その後に沖縄教職員会が、日の丸はだめだ、おろさざるを得ないと言った、福地先生たちのそのときの政治判断といったような問題も、それはその時々で理屈は立つだろうと思うのです。  しかし、そういうふうなものを、あのときはこうだ、これだと言ったってしようがないので、むしろ私が言いたかったのは、そういう旗とか歌とかというものに対してすべてを託して、これでなきゃいかぬと絶対化する、平和というシンボルであってもそれを絶対化するとか、戦争目的であってそれを絶対化するということで、そういう何か物を、すべてを象徴、もちろん、それはシンボルがないと物事を人間は判断できませんから、何らかの形でシンボルは必要でしょうけれども、何が何でもというふうに絶対化してやると、かつての軍国少年が今は平和少年みたいになっていくとかいうふうな形で、視野が狭くなっていくというふうに私は思うのです。  ですから、知花昌一さんが日の丸をおろしたときにも、私はかつてオリンピックのときには日の丸少年だったんだというふうなことを言って、しかし、彼がその後チビチリガマの問題とか戦争中のことをいろいろ調査したら、それは軍国主義の象徴だったんだということがわかったので、それはけしからぬというふうなことを言って、国体のときに日の丸を引きずりおろしてそこで焼いたと言っていましたけれども、あれはそういうふうに、もう思い込んだら命がけといったような形の思考パターンになる、そういう思考過程が危険だというふうに私は思うわけです。  ですから、平和問題を語るときにも、軍国精神の問題を語るときにも、少し総体的に物事を見ていいのじゃないか、そうでなければまた同じことを繰り返すというふうな形で、余り物神化したような形では逆に困るというふうに今考えておるわけです。
  124. 河合正智

    ○河合委員 ありがとうございました。よく理解できました。  もう一点確認させていただきたいと思います。  比嘉先生は、単なる二カ条であれば法制化もやむを得ないということを表明されたわけでございますけれども、法制化した場合に強制されるのではないかという懸念に対しては、どのように整理されておりますでしょうか。
  125. 比嘉良彦

    ○比嘉良彦君 お答えします。  法制化ということにまず賛成するというのは、一つは、先ほど申し上げました事件のときにも、あれは国旗ではない、国旗ではなかった、そういう論争があったり、日の丸国旗かとか君が代国歌かといったような形のそういう論争が延々と続いてきたわけです、この五十年近く。だから、そういうものを一応日の丸国旗なんだというふうにして整理するという意味で、法制化には私は一応了とする。日の丸であろうがほかの図案化されたものであろうが、決めればその辺のややこしい論争は終わっちゃうのですが、ただ、じゃ、ほかでいいのかというふうな話をしたら、今言ったように、慣習でも習慣でもそれは定着しているという話であれば、別に日の丸でもいいだろうというふうな意味で了とします。  ただ、強制の問題については、その強制というのには、先ほどからも出ております物理的な強制もあるでしょうし、それから法律的に強制するということもあるでしょうし、あるいは逆に心理的な強制というふうな形でもあると思いますけれども、法律上は今規定はないわけですから、強制しないと言っているわけですから、法律的な強制は今度は全くないわけです。  もちろん、それですから、当然物理的な強制もないわけですけれども、ただ、先ほどから出てくるのは、恐らく心理的な強制という意味では、それは心理的に圧迫を受けるという人たちは、それは個人、個々の問題ですし、現場でどういうふうな、現場におれば、心理的な強制を受けやすい現場にいるかというところによっても、心理的な強制の面では全くないとは言えないし、逆にまた、全くそういう心理的な問題を受けないという人たちもいるだろうと思います。ですから、物理的強制は当然ないし、法律的にも強制しないとなれば、少なくとも心理的。  ただ、教職員との関係で申し上げれば、いろいろな指導要領とかあるいは教育委員会との関係で、法的なのか、行政的な強制なのか、それから心理的な強制なのかという微妙なところの受けやすい現場というふうなのはあるだろうと思います。しかし、それに対しては、逆に、そういう強制に対して戦術といいますか、対応の仕方というふうなものに工夫があって、やり方によっては逆にできることもあるのじゃないかというふうにも考えるわけです。  ですから、ただ、問題は、小学校、中学校、高等学校、そういう国立でもないところで、大方の小中学校というのは県立か市町村立か、そういうところで、なぜ日の丸をそういう心理的圧迫を加えてでもというふうな形で強制するのかという点では、むしろ、もしそういうことで圧迫を受ける人にとっては、逆に市町村旗とか、学校だったら学校旗というのがあるわけですし、旗が必要であれば校旗をまず中心にしてやって、そしたら次は市町村旗があって、それから県旗があって、そしたらその次に日の丸があるわけですから、そういうのを全部やって、それで、国際性豊かな日本人をつくるというのであれば万国旗にして全部やった方が、むしろある意味では文部省との対抗もできるのじゃないか。  そういうふうな知恵の使い方だってあるわけですから、そういう意味で、強制というものに対する考え方も、せっかく法律的にはやらないと明言しているわけですから、それは物理的にはもちろんできないわけですから、心理的な強制に対する対応の仕方というのは一工夫もあっていいのじゃないかというふうに思います。
  126. 河合正智

    ○河合委員 大変頭の中を整理していただきまして、貴重な御提言まで含めまして、ありがとうございました。  以上でございます。
  127. 二田孝治

    二田座長 これにて河合君の質疑は終了いたしました。  次に、三沢淳君。
  128. 三沢淳

    ○三沢委員 自由党の三沢淳です。  本日は、意見陳述人の皆様方、お忙しいところを大変御苦労さまでございます。  私も五年前まではスポーツの世界にいまして、沖縄の県民の皆さんには大変お世話になりまして、改めて感謝申し上げておきます。  私が全く違う世界へ入りまして三年近くたちますが、一つ理由は、二十一世紀を支える若者たちが本当に自分の伝統と歴史と文化、そしてこの日本を愛し誇りを持つ、そういう若者をつくるために私は政治の世界へ入りました。しかし、今子供たちは、責任と義務を教えられずに、自由と権利の便利さだけに浸っております。  これを確認しましたのは、つい春先に、私は青少年特別委員会にも入っておりますが、東京の少年少女の少年院を視察いたしまして、そこで院長さんが、今の若者の特徴は自分勝手と怠け者だ、これが一番典型的だ、そういうふうにおっしゃいました。二十一世紀、本当にしっかりした教育と若者をつくっていかないとこの国は滅びてしまうのじゃないか、それぐらい危機感を私は持っております。  私はスポーツの世界にいまして、スポーツは万国共通、ルールのもとに、ルールを犯せば責任をとらなければいけない、こういう厳しい中で育ってまいりました。そして何よりも、一つの勝利のためには自分を犠牲にまでして貢献するということも教えられてまいりました。言いかえれば、今、公共の利益のためには個人の自由や権利が制限される必要性も学ばなければいけないのじゃないか、そういうふうに思っておりますが、先生をやっておられました鳩間陳述人、そして一時期教育長もやっておられました米村陳述人に御意見を伺いたいと思います。
  129. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 済みません。お聞きになっておられるのは何についてでございましょうか。
  130. 三沢淳

    ○三沢委員 ですから、何でも自由で、あれがいいとかこれが悪いとかいうのじゃなしに、みんながこれで決めようというときはやはり自分を抑えて、要するにその中で、国の利益のためには自由、勝手なことではだめじゃないかというようなことなんです。意見意見として大切なんですけれども、やはり自分の意見をずっと通すのではなしに、あるときは自分を抑えなければいけないのじゃないかと。
  131. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 わかりました。  おっしゃるとおりに、これは施設の学校だけじゃなくて、一般の学校にもそういう児童生徒が多くなっておるのは確かだと思います。学級崩壊だとかいろいろ言われておりますけれども、これは詭弁じゃありませんけれども、学校の先生の指導ではどうにもならない事実があるわけです。そこにもって手でも出そうものなら、暴力教師の汚名を着せられる。ですから、この問題につきましては、学校教育家庭教育、そして社会が一体となって、今後全国民的なレベルで取り組んでいかないといけない問題じゃないかと思っております。
  132. 米村幸政

    ○米村幸政君 ただいまの御質問、公共のためには私権の制限もある程度やむを得ないのじゃないかという要旨だったと思いますが、まさに御指摘のとおりでございまして、私権は公共の福祉に従うという民法の大前提がございます。そういった意味での制限は当然あってしかるべきでありますし、また、今さっきにも問題になっておりますように、学校現場におけるいわゆる組織側と学校管理者側の間においても同様なことは言えると思います。  学校教育の現場におきましては、御承知のとおり、先ほどからお話が出ていますように、青少年に日本人としての誇りを持たせ、そして国際性豊かな、二十一世紀を担う日本のすばらしい人材を養成していくのだ、こういう大きな目標と理念に基づいてやっているわけでありますから、当然のことながら、いわゆる公共の福祉のために一部私権の制限等があるのはやむを得ないことだというふうに考えております。
  133. 三沢淳

    ○三沢委員 ありがとうございます。  次に、私も我が党も、日の丸君が代は昔から歴然とした日本国旗国歌である、そういうふうに思っております。しかし、国旗国歌について、軍国主義国家のシンボルとか、表現の自由、思想信条の自由に反するという御意見もたくさんございますが、戦争は、時代の背景と政治的理由によるものであり、国旗日の丸国歌君が代だから戦争になったわけではない、そういうふうに思います。国旗国歌には罪はないのじゃないか、そういうふうに思っております。そして、国旗国歌の問題は日本人であるかどうかという問題であり、学問とか思想信条の問題とは全く別次元の問題ではないか、そういうふうに思っております。  この法案に関しまして、学校教育のみならず、やはり家庭や地域社会においてその意義を伝え教えることを通じて、日本の文化や歴史、伝統を、次代を担う若者に継承していかなければいけないのじゃないかと思われますが、鳩間先生は校長先生をやっておられましたけれども、教員組合の方々にその辺のところをどういうふうに教えられたのか。そして、教育長であられます米村陳述人はどういうふうに指導されたのか、ちょっと御意見を伺いたいと思います。
  134. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 御承知のように、現在は成文法がありませんので、慣習法としての国旗国歌の扱いしかできません。私、意見のときにも申し上げましたように、慣習法上の国旗国歌である。これは「指導するものとする。」であるから、皆さんは指導をしなければなりません。ですから、ちゃんと指導をしてくださいというふうにして先生方を指導しておりました。  ところが、これは小学校段階で各学年を通じて歌えるようになっておりますけれども、小学校でも先生方はそれを渋って、なかなかやってくれない。ですから、中学校に入るまでに歌えない子供たちもおるわけです。しかし、思い切って、どうしても指導しないのか、ぜひやってくれ、私も出るからと言って指導の時間を設けて練習をさせたら、子供たちはやはり歌います。これは、先ほどから申し上げておりますように、子供たちに資料を提供し、歌っていきましょうという指導でありまして、強制ではないと理解しております。ですから、先生方がきちんと指導する姿勢を持てば、児童生徒は立派に歌っていけるものと考えております。  国旗国歌問題を、よく信条にそぐわないからとかいって拒否をしたりする教師もおりますけれども、今先生もおっしゃいましたように、国民としての自覚と、そして指導でありますから、自分の気に沿う、沿わないというのはまた別問題だと思います。教師というものは公務員であり、公務に示された指導内容は指導していかなければならない義務がありますから、そこを校長として示してきたところでございます。
  135. 米村幸政

    ○米村幸政君 ただいま先生の方で、思想、良心の自由の侵害になるというお話もあるし、また、指導要領の問題も御指摘がございました。確かに、思想あるいは信条、信教の自由を侵すのではないかという議論があることも事実でございますが、学校教育の現場において児童生徒等に、先ほどから申し上げておりますように、日本国民として一般的な教養、一般的な知識、そしてなおかつ国際的にも十分理解度を持てるような青少年を育てていくのが目標であり、また、思想信条等の自由というものはあくまでも心の中の問題でございます。心の問題に、指導要領やあるいは今の国旗国歌の問題等で踏み込むわけにはまいらないわけでございます。  もう一点の指導要領の問題では、指導要領の中で一番いろいろな問題が起きておるわけでございます。私の陳述の中にも書きましたように、「望ましい。」と書いておりますから、市町村教育委員会の中で特に革新的な、非常に革新的な団体が教育委員委員長等をしておられるところでは、県教育委員会の指導通達等に対しまして猛烈な反発がございました。  それで、教育委員会の指導の限界はどこかとかいろいろありますけれども、それはそれといたしまして、その解釈を独自に行ったりするわけであります。例えば、「望ましい。」ということは、可能ならばやりなさいということですよ、こういう指導を通達の形で出したりもなさっておられるわけです。つまり、慣習法として定着しているというのであり、問題はないじゃないかという今のいろいろな議論がありますが、慣習法だといったって、組織の方では、先ほど申し上げましたように独自に歩いているわけであります。つまり、「望ましい。」というものは、可能であるならばやってもいいよというような形ですよと。したがいまして、教育現場では学校長と大変な事態になってくるわけです。  強制はするなと言っておりますけれども、強制はしておりません。ただ、一方は、学校管理者は、学校長と教頭それから学校の事務長です。他方のこの問題に対して交渉に来られるのは、大多数の教職員でございます。それはもう想像がおつきのことだと思います。したがって、ここでは逆の強制の力が働いてきてしまうわけです。我々は、先ほども申し上げたように、国民としての基礎的な、全国共通的な基礎知識を授けようとするのに対しまして、国旗国歌を否定するような言動、こういったのが物理的にありますから、これはどうしてもいろいろな形で指導し、排除していかなくちゃいけない、こういう立場で指導をしてまいりました。  以上でございます。
  136. 鳩間昇

    ○鳩間昇君 今、米村先生から学校交渉の話がちょっと出たのですけれども、国旗国歌問題あるいはそういった教育課程問題は交渉事項じゃありませんですので、私は、これは交渉事項じゃありませんということで交渉には応じておりませんでした。
  137. 三沢淳

    ○三沢委員 どうもありがとうございました。
  138. 二田孝治

    二田座長 これにて三沢君の質疑は終了いたしました。  次に、石井郁子君。
  139. 石井郁子

    石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  きょうはそれぞれのお立場から、日の丸君が代問題につきまして貴重な御意見をお聞かせいただきました。私は、そういう御意見を伺うにつけましても、国旗国歌を決めるという重大問題ですから、ますます慎重な審議が求められているということを痛感したところでございます。  時間が余りありませんので、安仁屋陳述人にまずお伺いをしたいと思いますが、沖縄にとりましては、やはり日の丸君が代の問題は近現代史の中に位置づけて考えなければいけない、そういう重い問題だということや、天皇制の支配、統治と無関係ではないということが強調されたわけでございますけれども、戦後もまた独特の、アメリカ軍の占領という中での歴史も抱えているわけであります。  先ほど来いろいろ触れられていますけれども、一時期は、一時期というか、民族のシンボルとしての日の丸という意味を持ったという話も他の陳述人からもございました。祖国復帰運動のときに日の丸を使われたし、一定の意味を持ったということは伺っているわけですけれども、それはどういう状況だったのかという問題です。やはりこの辺も沖縄の歴史的な背景があるかと思いますけれども、それを一点伺わせてほしいと思います。
  140. 安仁屋政昭

    ○安仁屋政昭君 少し頭を整理してみますと、アメリカ軍は沖縄に上陸、占領と同時にニミッツ布告というのを発しています。それは一号、二号ありまして、二号は戦時刑法といいまして、要するに、日の丸を掲げたり、君が代を演奏したり歌ったりすることは厳罰にする、それがニミッツ布告なんです。ですから、ずっとこれは禁止されていました。  先ほどちょっとどこかの話にもありましたけれども、講和条約が発効したときに若干緩められて、公共の場で掲げてもよい、祝祭日に限って掲げてもよい。一九六〇年、いわゆる六〇年安保で池田・ケネディ会談の結果、沖縄が日米共同管理という事態になったときに公共の建物に掲げてもよい、こういうふうになった。一九六九年の佐藤・ニクソン会談で沖縄返還交渉が本格的になった段階で、日の丸に対する規制は全部取り払われた、こういう流れがあるわけですけれども、一番大事な点は、対日講和が議論されているときに、沖縄はGHQによって日本の行政から分離されました。行政分離宣言が行われております。  対日講和で沖縄をどうするかという議論があったときに、大事な点があります。アメリカの信託統治がよい、いや独立がよい、中国がよい、いや日本だとありましたけれども、一九四八年段階で本格的に復帰方針が確立する。それは、大日本帝国日本じゃなくて、主権在民の平和を高らかにうたった日本国憲法のもとへ我々は戻るのだ、そういう趣旨で復帰運動はスタートしていくわけです。ただ、その趣旨を明快に占領軍に示す手だてとして日の丸が掲げられたということであります。感激を持って日の丸を掲げたとは私は思いません。私らは、独立でもない、信託統治でもない、中国でもない、主権在民の日本なんだ、その意思表示の手だてとして日の丸を掲げた。したがって、大衆集会で日の丸を掲げるということは、アメリカの弾圧を覚悟でやったということであります。  ただその段階では、非常に差し迫った状況ですから、日の丸の過去に果たしてきた侵略的な役割について議論するいとまはなかった、これは事実であります。ただ、一九六〇年代に入ってから本土と沖縄の交流が活発になる中で、日の丸の果たしてきた侵略的なシンボルとしての役割について厳しい議論が起こってきたことも事実なんです。ですから、復帰運動は初発から最後までのっぺらぼうに日の丸ではなかった、これは言明できると思います。
  141. 石井郁子

    石井(郁)委員 もう一点お伺いいたしますが、定着の問題なんです。  定着しているということが言われているわけですけれども、しかし議論を始めますと、その解釈はさまざまであったり、また、政府の一定見解が出されるとなおのこと、それは私とは違うという意見が出たり、いろいろあるわけです。それから、特に若い世代が、歴史が教えられていないとかその意味は知らなかったとかという意見も今多く聞かれるところですけれども、私は、沖縄から見て定着という問題はやはり歴史と結びついて、あるいは県民のいろいろな感情と結びついていろいろなことがあるかと思うのですが、安仁屋陳述人からごらんになってどのようにとらえていらっしゃいますでしょうか。
  142. 安仁屋政昭

    ○安仁屋政昭君 客観的に見て、この沖縄県の地域で日の丸君が代が定着しているとはとても言えないと思います。  学校現場で日の丸君が代が強制されているという議論をちょっと外しまして、学校以外のところの話をしますと、例えば沖縄特別国体がありました、沖縄国体もありました、全国植樹祭もありました。そこで日の丸君が代、さらに天皇、いわゆる皇室関係者の出席ということですけれども、日の丸を掲げ、君が代を歌い、天皇陛下をお迎えするという形、植樹祭もそうでした。これに対して沖縄県民はどういうふうに見ていたか。  多くの沖縄の素朴な庶民は、君が代を歌い日の丸を掲げなければ百メーターも走れないのか、日の丸を掲げ君が代を歌わなければ木は生えないのか、一体だれがそれを強制しているんだ。しかし、現実に国民体育大会、全国植樹祭というのは、日の丸君が代がなければできないことになっているのですね。これは定着じゃなくて強制じゃないか。学校現場に対する強制だけじゃなくて、そういう全国的なイベントに日の丸君が代が強制されている。甲子園の高校野球までも、そこまで来ている。これを定着しているというふうに評価するのか。沖縄県民は決してそう評価していない。非常に違和感を、何だあれはと、過去の歴史に照らしてみてもどうもおかしい、とても定着しているとは言えない、こういう評価であります。
  143. 石井郁子

    石井(郁)委員 もう一点、福地陳述人に学校現場の問題をお伺いしたいと思うのですが、先ほどの陳述の中で、入学式卒業式が近づくと学校は重苦しくなりますという言葉がございました。そして、今形式的には一〇〇%の掲揚、斉唱というふうになっているということは、しかしこれは現場での取り扱いは違うという御指摘もあったかと思うんですけれども、文部省の方は、こういう数字を挙げるやり方というのは、調査報告という形であの一九八九年の学習指導要領以降してきておりますよね。このことで、事実上学校現場に掲揚、斉唱を強制するということが続けられてきたかと思うんですが、時間がありませんので、私は、そういう文部省のやり方が、やはり調査という名の強制だと思うんですが、現場はそれをどう受けとめてこられたのかということを一点お聞かせいただければと思います。
  144. 福地曠昭

    ○福地曠昭君 隣に当時の米村教育長がおられますが、義務制のいわゆる市町村立の小中学校に直接県の教育委員会が指導、指示するというふうなことは、これはいわゆる教育委員会の独立性、地方分権という立場からすると――県立の高校には直接の指示文書はいいんですよ。ところが、義務教育に対してまでも、かなりの市町村委員会に対する圧力をかけ、さらにはまた、本当にそこまで行くとは思わなかったんですけれども、校長処分ということまでもいったわけですね。それは、学校自体が、父兄もそういう入学式に強制されることはいけないということで、地域で父兄の組織もでき上がっていくし、PTA側からも、教育長の上からの指示については相当の不満が、あるいは学識者ですね、大学の先生とかいろいろなことが、それは行き過ぎだということでかなりの声明発表なりをやりました。  ですので、必ずしも現場で教員と校長がということじゃないんです。もっともっと行けば、本当に、米村教育長も校長の専権だといって県議会で、予算、決算委員会で述べたことがありましたけれども、学校に任せて、学校に任すといっても、やはり教員組織としっかりと話をして学校を運営しているところは実に父兄からの信頼も得ているし、地域のいろいろな協力体制も受けるんだが、校長と教員組織とけんかばかりしているところは、これはもう到底校長が一緒に酒も飲みませんし、教員も勤務時間が終わるとさっさとうちに帰るようではいけないですよ。残って教員と、地域の教育についても父兄も呼んで、ここに、自由な雰囲気と言われたように、こういうことをもっと育てるという行政指導こそ望ましいことじゃないでしょうか。
  145. 石井郁子

    石井(郁)委員 ありがとうございました。
  146. 二田孝治

    二田座長 これにて石井君の質疑は終了いたしました。  次に、辻元清美君。
  147. 辻元清美

    ○辻元委員 社会民主党、社民党の辻元清美です。本日は、陳述者の皆さん、どうもありがとうございます。  それでは、私は幾つか質問させていただきたいんですけれども、この国旗国歌の問題というのは、各国でさまざま話し合われてきた問題だと思います。例えばカナダですと、カエデの国旗、有名でチョコレートなんかによくついていますけれども、かつてはカナダは、イギリス系の移民、フランス系の移民がいますけれども、イギリスのユニオンジャックがちっちゃくついていたということで、フランス系の移民の方々との長い抗争がありまして、皆で新しい国として出発しようということであのカエデの国旗をつくったというふうに聞いております。  それ以外にも、オーストラリアなどではまだ七十年以上議論しておりまして、これは、オーストラリアもかつてイギリスの支配下にありましたために、ユニオンジャックがちっちゃく国旗の端についているわけですが、あそこはかつてのアボリジニという先住民がいた地であるということで、現在もかなり国旗などをめぐってのすさまじい議論が闘わされているという中で、日本もずっとこの問題についてはさまざまな立場からの議論が続けられてきたということで、私は、皆さんの中にも慎重審議をという御意見にもちろん賛成です。  そういう中で、私は、まず社民党としましては、今回の日の丸君が代法制化には反対、教育現場への持ち込みもこれは反対であるという立場で審議を進めておりますので、まずそれを明らかにしまして御質問させていただきたいと思います。  さて、まず平良陳述人にお伺いしたいんですが、きょう陳述いただきました中に、最後に、沖縄は日の丸君が代によって苦労させられ続けてきたというような御発言がありました。先ほどから復帰運動の話はお伺いいたしましたけれども、それ以前の、特に太平洋戦争当時、沖縄戦において、この沖縄の中で日本軍からも加害を受けたというような歴史があることは事実だと思うんですけれども、そういうことを意味されてそういう御発言をされたのかなと思いながら私は聞いておりましたが、この点についてもう少し詳しく御意見を伺わせていただきたいと思います。
  148. 平良修

    ○平良修君 この件は私は本当に短くしか触れておりませんが、かなりのところを安仁屋陳述者が触れてくださいました。そこにゆだねたという面もありますが、基本的には同じ歴史体験を意味しています。  また、つけ加えるならば、私は、この沖縄で二十万余りの人が沖縄戦で亡くなったという事実を、その数をどう見るかということがとても大事なテーマだと思っています。そのころの沖縄の駐屯日本軍が約十万人、沖縄の住民が約五十万いたそうですから、十万と五十万がいるこの小さな島で、それこそ米軍の攻撃でもって、軍隊のいる場所と民間人のいる場所がもうごっちゃになっているという状況では、数の多い方がたくさん殺されてしまうということはある意味では自然なことです。  しかし、軍人よりもはるかに多くの民間人が亡くなったということの背景には、もう一つ、やはり日の丸君が代でもって押しまくられていった沖縄の人間の基本的な生き方の問題があると思っています。  つまり、日の丸君が代は、もともと沖縄の者たちのものではなかったわけです。ですから、それに同化することを強く要求されました。同化できないということは、非常にこれは不都合なわけですね。生活しにくくなってきます。そういう意味で、沖縄の人の側からも受け皿があって、同化へ同化へと進んでいきました。それは、ごく普通の日本人として認められたいという思いですよ。そういう素朴な思いです。  しかし、そうはならなかった。つまり、化外の民として、もと日本ではなかった者としての見方がどうしても迫ってきます、襲ってきます。これは、集団的にも個人的にもさまざまな形でやってきます。  そういう中にあって、沖縄戦というのは、ある意味では日本国民としての、日の丸に殉ずる、君が代に殉ずることでもって日本人としてのあかしを立てる場所だったんですよ。つまり、命を投げ出すことでもって日の丸君が代を自分たちのものとしているのだということを証明しようとする深い心理が働いているんです。これが沖縄戦で民間人が多く死んだ一つの大きな原因だと思っています。  しかし、ああいう死に方をしてはならぬわけですよ。それも、日の丸君が代を自分たちのものとしなければならないところに追い込まれていった沖縄の現実から出てきている悲劇だと私は思っています。  それだけ一つつけ加えておきます、たくさんありますけれども。
  149. 辻元清美

    ○辻元委員 ありがとうございます。  それではもう一点、平良陳述人にお伺いしたいんですけれども、今なぜ日の丸君が代法制化問題が出てきたかということなんです。私は、この一連の流れを見ておりまして、最近では、日米新ガイドライン、これの法律ができ、そして今参議院では、通信傍受法案と言われているいわゆる盗聴法という法律も審議され、そして住民基本台帳、これはもう別名国民総背番号制なんというように言う人もいます。そして出てきたのが日の丸君が代法制化、これをどう見るかということなんですね。  きょう派遣されている委員の中にもさまざま意見があると思いますが、やはり私は、この一連の流れを見まして、何だか年輩の方が時々、かつて戦争があったときに似ているなというような方もいらっしゃいますし、こういう中で日の丸君が代法制化が出てきたということについて非常に危惧を感じているわけです。  この点について平良公述人はどのようにお考えでしょうか。
  150. 平良修

    ○平良修君 私も全く同感です。  かつて中曽根首相は、戦後政治の総決算ということをよくおっしゃっていました。つまり、戦前の日本のあり方は、主権在天皇、人権無視、軍国主義、こういう中身でしたね。それが戦後、主権在民、人権尊重、平和主義に変わったわけですよ。しかし、戦後これは変わり過ぎたというわけですね。行き過ぎたというわけです。これをもう少し振り戻さなきゃならないということが言われたと思いますね。  つまり、もっと皇室を重んじる、天皇を重んずる、戦争にも必要な戦争があり得るのだという考え方、だから軍隊も、侵略的な軍隊は否定するけれども、防衛的な軍隊ならば必要だというふうに考えるところまで軌道を修正させなきゃならない。それから、権利だけを主張して義務を放棄するという戦後の甘ったれた教育を是正して、義務をしっかり教え込まなきゃならないという方向への一つの揺り戻しですね。それを戦後政治の総決算という意味で強調したと思いますね。私は、今の姿は、まさにその方向に向かってぐっと進んできている国全体の状況だと思っています。つまり、もうまさに復古調ですね。  日の丸君が代の問題は、一人の高校長の悲劇を一つのきっかけとしているということは明らかでしょう。そのことは野中官房長官が繰り返しおっしゃっています。きっかけはそうだと思いますけれども、私は、やはりここには、昔の日本をもっと取り戻していこうとする、そういう大きな流れに向かって方向づけられていることの一つだと思っています。  そういう意味で、本当に私は、日本という国は五十年たってここまで後戻りしてしまったのかという非常な危惧を持っています。
  151. 辻元清美

    ○辻元委員 最後にもう一点、平良公述人にお伺いしたいんですが、今教育のお話が出ましたけれども、この中で、例えばG7に参加している国を見ますと、卒業式入学式国歌を歌い国旗を掲揚するということを指導している国はないんです。これは外務省の資料によります。特にイギリスやフランスなどでは、いろいろな経緯がありますので、各国、いろいろな国の人たちが学校に通っているということで、むしろ学校のイベントには持ち込まないというふうにしているわけですね。私も、それはいいなと思うんです。  また、もう一点、教育現場で、ではずっとこの間、指導要領によって日本も九〇%以上の学校が国旗を上げて国歌を歌うようになっているわけですね。ところが、学級崩壊の度合いは進んできているように思うんですよ。  ですから、私は、むしろ国旗国歌の問題と教育の現場での問題というのは別のところに原因があって、むしろ今私たちが行っているような議論を、教育現場で学生たちに賛否両論議論を闘わせるとか、そういう指導を行っていないことが原因ではないかというように思うんですが、いかがお考えでしょうか。
  152. 平良修

    ○平良修君 私は冒頭に、国旗国歌は絶対的なものではないけれども必要なものであると判断すると申しました。ですから、場合によっては法制化することもあり得るといったふうに認めております。ですから、国旗国歌があるならば、当然それは学校でも教えるべきものだと思っています。  しかし、私は、今の日の丸君が代は学校で国歌国旗として教えるべきものではない、ふさわしくないと思っています。ですから、学校で教えることができるような新しい国旗国歌をつくることを私は求めているんです。そうすれば、私は、日本という国は、そこまでできるんでしたら、一つの大きな可能性に向かって一歩進むことになるだろうと思うし、この安定した精神状況の中で、学校の運営ということも不要な摩擦が避けられると思うし、あるまとまった学級経営ということも教育の立て直しということも見えてくるんじゃないかなといったふうに考えています。その根本のところでおかしなことが強制されているために起こっているさまざまな問題につながってくるということがあるんだろうと私は思っています。
  153. 辻元清美

    ○辻元委員 どうもありがとうございました。これで質疑を終わります。
  154. 二田孝治

    二田座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  本日拝聴させていただいた御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心より感謝申し上げ、御礼を申し上げます。  それでは、これにて散会いたします。     午後二時十七分散会     ―――――――――――――    派遣委員の広島県における意見聴取に関する記録 一、期日    平成十一年七月七日(水) 二、場所    ホテルグランヴィア広島 三、意見を聴取した問題    国旗及び国歌に関する法律案内閣提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 二田 孝治君       小林 興起君    萩野 浩基君       平沢 勝栄君    北村 哲男君       藤村  修君    河合 正智君       三沢  淳君    石井 郁子君       辻元 清美君  (2) 現地参加議員       斉藤 鉄夫君  (3) 政府側出席者         内閣総理大臣官房審議官 佐藤 正紀君  (4) 意見陳述者         広島県公立高等学校長協会会長 岸元  學君         広島県高等学校PTA連合会副会長 渡辺 綾子君         広島大学副学長 牟田 泰三君         全広島教職員組合執行委員長 高橋 信雄君         広島平和教育研究研究員 空  辰男君      ――――◇―――――     午前十時開議
  155. 二田孝治

    二田座長 これより会議を開きます。  会議に先立ち、一言申し上げます。  先月末の集中豪雨により大きな被害を受けられた広島県の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。  また、災害復旧にお忙しい中、今回の会議開催を受け入れていただいたことに感謝申し上げます。  私は、衆議院内閣委員長であり、今回の派遣委員団団長の二田孝治でございます。  私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつを申し上げます。  皆様御承知のとおり、当委員会では、国旗及び国歌に関する法律案の審査を行っているところでございます。  当委員会といたしましては、本案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようよろしくお願いいたします。  それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと思います。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十分程度お述べいただきました後、委員から質疑を行うことになっております。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  まず、派遣委員は、自由民主党の小林興起理事、萩野浩基理事、民主党の北村哲男理事、公明党・改革クラブの河合正智理事、自由党の三沢淳理事、自由民主党の平沢勝栄委員、民主党の藤村修委員日本共産党の石井郁子委員、社会民主党・市民連合の辻元清美委員、以上でございます。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。  広島県公立高等学校長協会会長岸元學君、広島県高等学校PTA連合会副会長渡辺綾子さん、広島大学副学長牟田泰三君、全広島教職員組合執行委員長高橋信雄君、広島平和教育研究研究員空辰男君、以上五名の方々でございます。  それでは、岸元學君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
  156. 岸元學

    ○岸元學君 広島県公立高等学校長協会の岸元でございます。  このたび、内閣におかれましては、私たちの同僚である広島県立世羅高等学校長の死を重視され、国旗及び国歌に関する法律案国会に提出される運びとなりました。そのことに対しまして、まずもって感謝申し上げます。  本日は、学校現場に勤める者として、本県の実態を報告しながら、国旗及び国歌法制化をぜひとも実現していただきたいという立場意見陳述を行います。  広島県教育は、昨年五月、異例とも思われる文部省の是正指導を受けました。余りに法令、規則を逸脱した学校運営がなされているという指摘でございます。したがいまして、広島県教育委員会は、法令、規則に準拠した公教育の確立に向けて、各学校の校長、市町村教委を指導してこられました。その指導の中の一つに、国旗及び国歌の指導は、学習指導要領に記されているとおりに、適正に行ってくださいというものがありました。  この国旗国歌問題については、広島県にはいろいろな歴史的経緯があり、実施が困難な状況がございました。その一つとして、平成三年十二月五日に私どもの協会と高教組、広島県高等学校教職員組合との間で取り交わした、事実上国歌斉唱を実施しないという約束事がございました。またもう一つとして、当該年度の卒業式の前日、平成四年二月二十八日に、部落解放同盟広島県連合会と高教組の両者に示された、君が代歌詞は身分差別を助長するおそれがあるとした、時の教育長の見解書がありました。  この二つの約束事のそれぞれに、日の丸君が代の問題点を教育内容化する必要があるという認識が示されてもいたのです。そのために、研究団体である広島県高等学校同和教育推進協議会を中心に、反元号、反国旗国歌、反天皇制と指摘されても完全に否定し切れないような中身の同和教育なるものが各学校で行われてまいりました。  このような状況の中で、校長協会は、国旗国歌問題にどう対処したらよいのかを、意思決定機関である理事会で検討しました。その結果、学習指導要領にのっとった公教育の確立のために、国旗国歌の実施に向けて頑張ろうということになりました。その理事会の意向を受けて、昨年十二月二十一日に私が高教組本部に参りまして、実施するための障害となる平成三年十二月五日の約束事の国歌部分を破棄通告しました。ところが、ことし二月になりますと、部落解放同盟広島県連が前面に出てきて、私どもの協会の各支部単位に、従来行ってきた同和教育と君が代実施の整合性を説明せよ、説明できないのなら県教育委員会に説明を求めてこいという趣旨の要求がなされました。  このことにつきまして、二月十八日に、私は部落解放同盟広島県連幹部数人の方々と意見交換の場を持ちました。彼らの主張は、大体において、一、君が代歌詞は身分差別を助長するものである。また、その歌詞は科学的にも説明できない中身である。二、日本には国旗国歌もない。慣習法として定着しているという説明もあるが、我々は少なくとも納得していないし、国民の間にコンセンサスが得られているとは思わない。三、したがって、学習指導要領の国旗国歌部分意味がないのだ。以上の三点であったように記憶しております。  それに対して私の主張は、一、君が代歌詞は、日本国及び日本国民の統合の象徴である天皇をいただくところの日本国、日本国民が永遠に栄えるように願った歌であると解釈すべきで、身分差別を助長するものではない。歌の歌詞というものは至って情意、情感に訴えるものであるから、科学的に説明することに何らの意味はない。二、マスコミ等の各種調査を見ても、日の丸国旗であり、君が代国歌であることは国民の間に定着している。三、同和教育といえども法令、規則の範囲内で行われるべきで、最高裁で法的拘束力を持つと判断された学習指導要領を逸脱してはならない。四、国際理解教育推進のためには、基礎、基本として国旗国歌の指導が必要であるの四点でした。  二時間ばかりの話し合いでしたが、整理がつかず、結局物別れに終わりました。  この意見交換と同様の中身が、各学校の職員会議や校長交渉の場で校長と教職員の間で議論されました。しかし、従来、多分に問題を含む同和教育を容認してきた校長が、それと君が代実施との整合性について教職員を説得し切ることは非常に困難でありました。私どもの協会内部にも、いっそのこと県教育委員会が職務命令を出してくれれば教職員を説得しやすいのにという声が多く出るようになりました。  そのような状況の中で、二月二十三日に教育長が職務命令を出したわけです。それを受けて校長たちが全力で教職員の説得に取り組んだ結果、国歌斉唱率が大きく向上したわけですが、その裏で貴重な一人の命が失われました。  もしも日の丸君が代国旗国歌として成文法にその根拠が規定されていたなら、広島県における議論も相当変わったものになり、仲間の校長が死を選ぶこともなかったことでしょう。逆に、このたびの法制化動きがとんざすれば、既に国旗国歌国民の間に定着しているという根拠も崩れ、本県には大変な混乱が生じるものと思われます。  次に、国旗国歌の強制反対という考え方についての意見を述べたいと思います。  来る二十一世紀は、一段と国際化が進展するものと思われます。そのためにも、国際理解教育の一層の充実が望まれます。  国際理解教育の原典と言われているユネスコ憲章の前文に「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした」という民族の文化の相互理解の大切さを述べた部分があります。さらに、一九八五年のユネスコ国内委員会が編集した国際理解教育の手引にも、国際理解教育の目標の一つとして、自国認識と国民的自覚の涵養、他国、他民族、他文化の理解の増進が記されています。すなわち、自国認識は他国認識の前提として位置づけられております。  その流れを受けて平成元年十二月に示された「高等学校学習指導要領解説」の第一章総説第二節改訂の基本方針「文化と伝統の尊重と国際理解の推進」の部分には、「我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視するとともに、世界の文化や歴史についての理解を深め、国際社会に生きる日本人としての資質を養うこと。」と明記されています。  いずれの国の国旗国歌も、それぞれの国の文化であり、伝統であります。自国の国旗国歌を大切にする指導を通じて初めて、他国の国旗国歌を尊重することのできる、国際社会に通用する日本人を育成できるのではないでしょうか。指導はあくまで指導でありまして、決して強制ではありません。国旗国歌は国威発揚のシンボルではなく、国際協調、国際平和を希求する日本のシンボルとして世界に通用するように努力することが日本人には必要であるということを指摘して、私の意見陳述を終わります。  ありがとうございました。
  157. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、渡辺綾子さんにお願いをいたします。
  158. 渡辺綾子

    ○渡辺綾子君 高等学校PTA連合会の渡辺でございます。こういうお席を設けてくださいましてありがとうございます。  ただ、最初に申し上げますのは、私ども保護者の団体と申しますのは、最大限学校にかかわりましても三年間でございます。その三年の間に何ができるかわかりませんけれども、一人の親として、このたびの校長先生の死、保護者は大変なショックを受けております。親としてのそれなりの意見を申し述べさせていただきます。  私は、日の丸国旗君が代国歌であるということは全く自然のうちに認識をいたしておりました。ところが、卒業式を何週間か前にいたしましたころ、子供が音楽部で、もしかしたら国歌を演奏することになるかもしれないから練習が始まったと申しました。そして何回か練習を重ねた結果、あるときこんなことを申しました。練習をしているときに三曲ほど譜面をいただいたんだけれども、お友達が、国歌って何番目の曲だったってささやいたんだそうです。答えた子供は、二番目らしいよ。うん、あのゆっくりした曲だよね。そういう話をしておりました。子供たちは、どのメロディー国歌であるか、君が代であるか全く認識をしていなかったのです。私はびっくりいたしまして、えっ知らなかったのと。そうしましたら、だって習っていないものという答えが返ってまいりました。そこで私は初めて、これはどういうことなのかなと思ったわけでございます。  そしてまた、広島出身の東京の難関大学に入ったという大学二年生の子供がこんなことを申しました。いろいろと広島で国旗国歌について報じられているようだけれども、実は自分が広島出身だということが友達にわかったら、君、君が代歌詞についてどう思うかと議論の輪の中に無理やりと言っていい感じで入れられたそうです。ところがそのとき、その大学二年の男の子は、はたと気がついたのですね。一人で歌えと言われたら、歌詞を全部知っていない。そこでこんなことを言っておりました。その議論の輪の中に入ることができない、どうしてそういうことになってしまったんだろうか。確かに、主義、主張は百人いれば百様あると思うけれども、全く歌詞を知らなかったりメロディーを知らなかったりするのでは、歌詞のよしあし、いろいろな論議の中にも加わることができないというようなことを申しました。  私はこの二つの話を聞きましたときに、親といたしまして、人は皆、自分の生まれ、育ち、国、友達、友達だけは自分で選ぶことができるけれども、だれも選んで生まれてくることはできない。ですから、それぞれの環境、立場でいろいろな主義主張はあろうけれども、少なくとも義務教育、そして高校生ぐらいまではまだ子供たちは未成熟で、責任能力がないわけですから、広く平等にいろいろなことを、教育の現場にイデオロギーを持ち込むのではなくて教えていただきたいと私は親として思いました。そして、その子供たちが成長した暁に、自分の考えを持ち、そしてそれを唱えるのは結構だとは思いますけれども、まだ未成熟な子供たちに、教育の現場で、賛成だ、反対だといって先生方に混乱が起きるようでは、親としてまことに困ります。  私は、いろいろな意味で、子供は広く教育を受ける権利があると思っております。法制化の話が出まして、大多数の皆様が、国旗国歌日の丸君が代は認めているということを聞いております。もしこういう話が出て法制化が通りませんでしたらば、きっと教育の現場はまた大混乱になるのだと思います。ちょうどこういうときに教育を受ける子供たちは大変に不幸でございます。  どうぞ、学校の現場が静かに当たり前に、全国同じレベルで教育を行えるように、親として願っております。一母親といたしましては、この願いだけでございます。そして、もし通りました暁には、ぜひ国政レベルで、県の教育委員会を監視ではなくて見守っていただきたいというふうに思っております。  そして、私の学校では、式典の折、国歌が流れまして、親が礼儀として子供に起立することを見せました。何の混乱もなく終わりましたけれども、私どもは、子供たちに、常識のラインで静かに自分の姿を見せて教えようと話し合いをいたしました。  そしてまた、昨年私は、高校生を連れましてイギリスへ短期留学の付き添いとして参りました。その折、イギリスのある学校で、ジャズバンドでございますけれども、日本君が代を演奏してくれました。その折、その学校の生徒さんたちは、ぱっと起立をいたしました。ところが、我々が連れてまいりました日本人の、日本から行った短期留学ですが、この子たちは、右左をきょろきょろ見回して、立っていいのか座ったままでいいのか、中腰の状態でございました。そこで、大人が立ちました。私たちの国の国歌を演奏してくれているのだからこれは当たり前なのよと言って立ちましたが、その折にも、何か非常に悲しい思いをいたしました。  私は、一つの学校をよい学校にするというのは、突然に、偶然できるようなことはないと思っております。本当に子供の一人一人の個性を認めた先生が一丸となって、そして正しく教育というものを理解した皆様が進めていってくださるので、徐々に学校というのはよくなると思います。そして、そのよくなるためには、まず愛校心を持つことです。それと同じように、縁あってこの国に生まれて、また住んでいるのですから、親といたしましては、子供に愛国心というものを持ってほしいと願っております。  先生方のお力で、何とか広島の教育が正常化して、私たち親が安心して次の時代子供に託すことができるように、どうぞよろしくお願い申し上げます。
  159. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、牟田泰三君にお願いをいたします。
  160. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 私、広島大学副学長の牟田でございます。  本日の公述に先立ち、一言申し上げます。  私は、本日、内閣委員会委員長の要請によって公述人となるよう依頼されて参りましたが、新聞等では民主党の推薦というふうに明記されております。もちろん、私、民主党のおっしゃることには賛成もあり、不賛成もあります。他の政党の方のおっしゃることにも賛成もあり、不賛成もありますが、一党一派に偏った意見を申し上げたことはございません。したがいまして、本日も、国旗国歌について、一党一派に偏しない、私個人の意見を述べさせていただきますので、御了解いただきたいと思います。  そこで、本論ですけれども、私は、本日、私自身の未来観に基づいた視点からの国旗国歌の問題を考えてみたいと思います。  国旗国歌がなぜ必要なのか、日の丸君が代がなぜ国旗国歌になるのか、なぜこれを法制化しなければならないのかということを議論するときに、いろいろな方のいろいろな視点というのがあると思います。それで、本日は私は、それを過去の視点、現在からの視点、未来からの視点の三つに分けて考えてみたいと思っております。  それで、まず過去の視点ですけれども、これは、君が代とか日の丸とかの歴史的な成立過程をいろいろ調べてその上に立って考える、それから、歴史的な事情で、軍国体制下でどのような役割を果たしたかとか、そういうことを考えた上で、日の丸君が代国旗国歌としてどうであろうかということを考える、そういう視点だと思うのですが、この点に関しては、従来から非常に詳細に調べられておりますし、私どもが参考資料としていただいた分厚い文書の中にも詳しく書かれております。私、個人的にも歴史的なことはいろいろ調べてみましたが、残念ながら、その分厚い文書の中にすべて私の知っていることは書いてありました。したがいまして、本日はこの点については省略させていただきたいと思います。  次に、現在からの視点ですけれども、ここが一番問題の残るところ、多いところだと思うのですが、まず、君が代歌詞の解釈の問題とか日の丸寸法等に関する問題とか、それから日の丸君が代に対するいろいろな種類の国民的な感情の問題、それから日の丸君が代国旗国歌としてふさわしいかどうかという観点ですね。  これは、日本の国体を適正に表現できているのかどうか、君が代の曲は適当なものかどうか。人によっては「上を向いて歩こう」の方がいいなどと言う人もいるかもしれませんが、そういうような視点から考えるというのが現在の視点だと思うのですけれども、この点についてはいろいろ述べている時間はありませんので、私の個人的体験を通して国民的感情について一言述べたいと思います。それに続きまして、未来の視点から私なりの考えを述べさせていただきたいと思います。  私も、若いころ、三十年以上も前になりますが、英国のブライトンという小さな町で、そこにある大学で研究をしておりました。このブライトンという町はロンドンの南の保養地なんですけれども、現在ではここには日本人がたくさんおりまして、何も日本人が珍しいことはございませんが、当時はほとんど日本人がいませんでした。そこで一年もいますと、本当に日本語すら忘れてしまう、自分が何人かすら忘れてしまうような状況でございました。私自身は、周りの英国人や外国人と非常に仲よくさせていただきまして、何の違和感も感じていなかったわけです。  ところが、ある日、どうしてもヨーロッパのある国に行くためのビザを取る必要があって、ロンドンの日本大使館に出かけたのですが、たまたま大使館の屋根を見たら日章旗が翻っていた、そのときに非常に胸が熱くなったという思いを今でもまざまざと思い出すのですけれども、この感情というのは一体何だろうか。私自身は、それまで国旗とか国歌とかいうものに大した興味もなくて、言ってみれば空気のようなもので、どうでもいいような感じでいたのですが、そのとき、はたと国旗というものの存在に気づいて、しかもなぜかある種の感動を覚えたわけです。  これは、私なりに考えてみますと、日章旗を見たときにみずからのアイデンティティーを突然自覚した、そのことではないかというふうに感じております。当時、その国で私自身非常にうまくやっていたと思いますし、私自身が国粋主義者になったわけでもなく、また、いじめられてホームシックにかかっていたわけでも何でもないので、非常に純粋な国を愛する気持ちがわき上がったのではないかというふうに考えました。  国民的感情という中にもいろいろあって、戦時体験に基づく日の丸君が代への反発心、それから最近ではスポーツを通したすがすがしい感情とか、いろいろあると思いますが、私の抱いたような感情もまた一つ国民的感情ではないかと思っております。  さて、では、そういう国旗国歌を持って、それによって我々が国民としての共通の意識を持つということは、どうでしょう、それはやはり大事なことではないかと思うわけです。  ここからは未来の視点から見た国旗国歌への私の考えでございますけれども、私は、国旗国歌の問題については、過去に対して正しい認識を持ち、それから国旗国歌そのものの内容に関して正しい認識を持つ、これは非常に重要なことだと思いますが、もう一つ、未来へのビジョンを持って、そのビジョンのもとに国旗国歌を論じて、それが必要かどうか、法制化する必要があるかどうか、そういうことを考えることも非常に大事なことではないかと思っております。したがいまして、この点について一言述べさせていただきたいと思っております。  特に、最近グローバリゼーションという言葉であらわされる国際的な価値観、これを持つことによって国際人として通用する人間になるということが叫ばれております。人だけではなくて、企業であれ大学であれ、どのような組織であれ、国際的な尺度で通用するものでなければならないということが強く叫ばれております。私どもは、そのような中で、国際社会の中で、世界の平和それから人類の発展に基本的に貢献していく義務があると考えております。特に、最近の日本に対しては、世界からそのような期待が寄せられているというふうに感じております。  では、そのような役割を日本が将来、二十一世紀の前半から後半にかけても担っていくためには、その基礎になるのは何であろうかというふうに考えてみました。  そのときに、こういうグローバリゼーションの時代に、国旗国歌によって日本国民としてのアイデンティティーを持とうではないかという考え方は、むしろ国際化に逆行する考え方ではないかという意見もあるかと思います。しかしながら、私はそれは違うと思っておるわけです。それについて一言述べたいと思います。  これから世界は、交通手段がますます発展して、物理的にも狭くなります。また、情報流通が、インターネットに代表されるような仕組みによって非常に活発になってくると考えられます。こういう世界の中で、遠い将来には人種や言語の違いもだんだんと薄まってなくなってきて、世界的な単一国家として地球が一つにまとまるというような夢ももちろん我々は持ち続けないといけないと思うのですが、そこまでに至る道のりはまだまだ長いと思われます。  その途中で、では国家というものを捨て去っていいのかというと、やはりその存在意義は非常に重いものがあると思います。世界じゅうの国々では、これから国家としての存立の議論と、もう一つは、国家の中での多民族化という問題に対処していかなければならないのではないか、私はそういう未来の考えを持っております。特に、ヨーロッパ諸国ではもう既にそれが現実の問題となっており、東西冷戦が解消した後は平和な時代が来るかと思ったら、民族紛争に明け暮れている次第です。その基本的なところには、やはり国家というものに対する各個人の帰属意識といいますか、その辺に問題があるように思われます。  したがいまして、日本においても、海に隔てられて単一民族の平和な国だと思っていても、将来はそういうことは許してもらえないであろう、多民族化への道を歩むに違いないと思います。  また一方、先ほど申し上げた情報面でも、国境という感覚はだんだん薄れてきますので、一つの国としての統一を保つ論理がなかなかつくりにくくなっていくであろう。でも、一方では、やはり国家というものの存在意義があると私は考えます。  それでは、国家としての共通項は何であるかということをやはり真剣に考えるべきであって、これから未来に向けて、特にこの点は重要な問題ではないかと思っておりまして、国旗国歌の問題が現在論じられるのは必然性があると考えております。  したがいまして、将来、我々の次の世代、その次の世代の人たちが世界で活躍し、それでリーダーシップを発揮して世界の平和と人類の発展に貢献してくれるためには、まずその基礎となる日本の国家としてのアイデンティティーをはっきりさせることが重要であろうと思っております。  日の丸君が代が、これまでの歴史を踏まえた上でも、先ほども申し上げましたように非常に詳しく検討されておりまして、それを見ましても、国旗国歌として国民の支持を得ている、妥当であるというふうに考えますと、我々の共通項として、国旗国歌としての日の丸君が代法制化するということは、この時点でやはり必要とされているのではないかというのが私の結論です。このような国旗国歌という原点を持って、次の世代の人々が世界で活躍できることを期待したいと思います。  ただ、最後に一言、日の丸君が代法制化したからといって、特定個人に対してこれを強要するということのもとになるというわけではなくて、個人の自由はあくまで尊重されてしかるべきであろうと考えております。  少しオーバーしました。失礼しました。
  161. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、高橋信雄君にお願いをいたします。
  162. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 紹介をしていただきました高橋です。時間がありませんので、早速本論に入らせていただきたいというふうに思います。  私は、今回の意見陳述に当たって、ぜひはっきりさせておいて始めさせていただきたいことがあります。それは、教育への不当な介入や強制は何人といえども許されないことだ、これは日本国憲法、教育基本法が目指しているものである、そういうふうに思います。  日の丸君が代の問題のみならず、国民の間で意見の不一致、見解の分かれる問題が数多く存在をするということについては論をまちません。これらの問題が教育の場に持ち込まれる場合には慎重であるべきでありますし、子供の発達段階を十分考慮し、事実を正確に伝えて、その判断は子供たち自身にゆだねるべき問題である、そのように考えるものであります。私たちは、この原則を教育を進めていく上で何よりも大切にした教育実践を行うために力を尽くしてまいりました。きょうは、この立場から日の丸君が代の問題にかかわって意見陳述をさせていただきたい、そういうふうに思います。  まず最初に、多くの皆様から取り上げられていることもあって、本案が提案されるきっかけになったと言われている、広島県立世羅高校の石川校長自殺事件について触れさせていただきたいと思います。  広島県における部落解放同盟の教育介入の実態については、ことしの三月十日、参議院予算委員会で、きょうも御出席の岸元校長、広島県選出の宮澤蔵相が証言あるいは答弁をされたとおりであるというふうに思っております。  広島県では、一昨年来、そのような部落解放同盟の教育介入に対する県民的な批判が大きくなり、それを背景に、広島の教育はおかしいというキャンペーンが展開をされてまいりました。そして、文部省のいわゆる是正指導を受ける発端になったというふうに思っております。  このキャンペーンの中では、広島県教委自身が、そのような教育の混乱を招いたそういう教育介入を容認し、それに荷担してきた責任が大きいという批判が大きな位置を占めておりましたが、広島県教委は、みずからの教育行政についての反省や総括を全く行わないで、文部省是正指導を盾にして、指導要領遵守、中でも、卒業式入学式における日の丸君が代実施に焦点化した指導を繰り返してきた。そして、二月二十三日には県立学校長に対して日の丸君が代強制の職務命令を出す、そういう事態にまで至りました。  日の丸君が代、中でも君が代は部落差別につながるものであり、卒業式入学式などでの実施は認めない、もし実施をすれば糾弾、確認でもって臨むぞ、そういう脅迫が行われる。そういう脅迫も、実施しなければ実施しない校長を処分するぞという県教委の強圧的な態度も、教育への強制、介入である点において本質的に変わるものではありません。  このような両者からの強制、介入の中で、石川校長は、私の選ぶ道がどこにもないと悲痛なメモを残されて、前日の二月二十八日に命を絶たれた。  私たちは、この事件は、日の丸君が代国旗国歌として法制化して、学校教育へ強制をする論拠をつくるということではなくて、いかなるものであれ教育への介入、強制は認めないという日本国憲法、教育基本法の精神に立ち返るべきことを教えている、そういうふうに思います。日の丸君が代法制化し、それに対する対立意見を封殺し、法律を盾に強制をするということは、広島県の教育混乱をつくり出してきた解放教育がやったことを、今度は国家が法律の名において行うという立場に立つことにしかなりません。これは、この問題を解決する上で決して意義のあるものではない、この問題の解決とは無縁のものであるというふうに私たちは考えます。  次に、教育現場における日の丸君が代をめぐる状況についてお話をさせていただきたいというふうに思います。  私は、三十八年間広島市内で中学校の教師を務め、この三月に定年退職をいたしました。この間、私はずっと現場にいましたから、毎年、自校の卒業式入学式づくりにかかわってまいりましたし、学校区内の小学校や高等学校の式にも参加する機会を得てまいりました。  そのときのことを思い起こすのですが、君が代を生き生きと大声で歌う儀式に出会った経験がありません。歌わないのは子供たちだけではありません。来賓の皆さん、保護者、教職員など、式への参加をなさっている圧倒的多数がそうであります。君が代斉唱というふうに言うと、式場全体が非常に重苦しい雰囲気を醸し出してまいります。それは、とても国民の間に定着をしているという光景とは思えません。また、子供たちの門出や入学を祝う儀式になじまない光景であったというふうに私は思っております。  皆さん子供たちが心を込めた歌声をつくるには、それを歌う意義、その歌の意味を理解されてなければならないというのは当然のことであります。皆さんにも思い起こしていただきたいのですが、小中学校時代君が代歌詞が理解されていたでしょうか。少なくとも私は、歌詞が理解できたのはずっと後のことでした。現在の中学生に歌詞の解釈を求めても、ほとんど答えることはできません。それは、教えられていないからという単純な問題ではありません。また、その歌詞意味が理解できたとしても、よし、じゃ、ひとつ頑張ってみよう、頑張って歌おう、そういう子供の心を揺り動かす中身になっているでしょうか。教育はそこにこそ依拠して成り立っているのです。  例えば、小学校の音楽に、歌唱曲共通教材というものがあります。この教材はぜひ教科書に取り上げなさいという指導要領の規定であります。その中に「夏は来ぬ」という歌がありました、かつては。でも、今は外れております。それを外したときの文部省の見解は、この文語体の歌詞を理解させることは大変困難である、また、歌詞の理解ができない歌を歌わすことは難しいということでこの曲を外したということを指摘しておきたいというふうに思います。この点からも、日の丸君が代を強制することの特異性は歴然としたものではないでしょうか。  最後に、日の丸君が代の強制の実態について触れます。  政府は、法制化子供への強制につながるものではないとはしていますが、我々は大きな危惧を感じざるを得ません。教師に指導を強制することは、必然的に子供への強制につながらざるを得ないということになるからです。それは、教育の営みとして避けられない現実なのです。  また、教師がみずからの思想、良心を偽って子供の前に立つことほど惨めなことはございません。みずからの教育的良心を偽ることを強制されることは、教師たる資格を剥奪されるに等しいことです。  かつて、軍国主義教育を強制された我々の先輩が、戦前の教師が、戦後になって次の歌を詠んでいます。時間がありませんから途中省略していきますが、「逝いて還らぬ教え子よ 私の手は血まみれだ」「逝った君はもうかえらない」「涙を払って君の墓標に誓う くり返さぬぞ絶対に」この悔悟、ざんきの思いを再び日本全国の教師に繰り返さす、それが強制というものである、私は、現場の経験を通して強く主張したいというふうに思っています。  広島県下では、昨年来の文部省是正指導の名のもとに、指導要領遵守、日の丸君が代強制指導が行われていることは述べたとおりですが、具体的には、君が代を指導しない者には音楽の専科は担当させないとか、生徒の卒業に当たっての卒業記念作品が式場の正面に飾ってあるけれども、おろしなさい、日の丸を掲げなさい。どういうふうな理由でそういうふうにおっしゃるかというと、子供がつくった卒業作品なんかは日の丸に劣るものだ、のけろ、こういうふうに言われる。あるいは、日の丸君が代は指導要領で定めていることだから、どういう扱いをするかを論議することはない、このことについて教育的な論議は認めない、そういうふうなことまでおっしゃる管理職がふえてきています。  学習指導要領は、教育課程の編成、すなわち、卒業式入学式などの行事についてはそれぞれの学校が決定をすることである、きちんと定めているのであります。にもかかわらず、日の丸君が代は別格に扱われる。これが強制ということなんだというふうに私たちは思っているところであります。  このような状況の中で、法律日の丸君が代を強制する論拠づくりを行うということになれば、現場の混乱が一層大きくなります。  私たちは、日の丸君が代国旗国歌としてふさわしいかどうかについての意見は持っていますが、それを強制しようとは思いませんし、これまでも強制することは厳しく戒めてまいりました。  繰り返しますが、教育に強制はあってはならないことです。この観点から、今回の法制化は許されるものではないということを表明して、時間をオーバーしました、申しわけありません、陳述を終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  163. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  次に、空辰男君にお願いをいたします。
  164. 空辰男

    ○空辰男君 時間の関係で、原稿を読み上げて意見発表といたします。  今日、だれしも容易にアジア諸国の歴史教科書を読むことができます。中でも中国、韓国、朝鮮などの教科書では、日本のアジア侵略が日清戦争から始まると鮮明に書かれ、その後に続く戦争のありさまやアジア諸国が受けた被害事実が、日本の教科書以上に詳細に記述されています。このような日本の加害歴史を学校で学んだ人々が、今日、中国を初めアジア諸国にははかり知れないほどの数がおることは間違いありません。その人たちを前にして、私は、広島の地域史、現代史の中の加害性、加害面から題材を取り上げ、日の丸君が代法制化反対意見を申し上げます。  その第一は、日清戦争における日本を代表する加害基地は広島でありました。  そのあかしの第一は、一八九四年、明治二十七年八月一日、日本は清国に対して宣戦布告、九月十五日、戦争指導最高機関としての大本営を広島に移し、明治天皇みずから広島に移住し、戦争遂行の大号令を全国民に発しました。  あかしの第二は、その十月五日、天皇は、広島市と港宇品地域周辺に対して、ここは戦場と同じだという臨戦地境宣言と厳戒令を出しました。  あかしの第三は、その十月十八日、広島で臨時帝国議会を開き、当時の年間予算を超えた臨時軍事費予算を無修正、全員一致で可決決定しております。  この大本営、臨戦地境宣言、臨時帝国議会の三つが広島の歴史上の根拠となって、後の原爆被害に至るまでの五十年間、広島は軍都の呼称のもとに運命づけられたのです。  さて、日清戦争の第一陣として広島第五師団第十一連隊約千名が、その年六月九日、宇品から出陣しました。海岸には多くの市民や子供たちが日の丸の小旗を振り、その歓呼の声は、何と遠く宮島まで響き渡ったと言われています。ここに日本日の丸と戦争の原点、起点がありました。それから、戦争のたびごとに、その歓呼の声は天皇陛下万歳の叫びとともに次第に大きくなり、全国に波及しました。  だれしも語らず、その歓呼の声の底には、数知れない全国の兵士と家族の深い悲しみが、そして日の丸に結びつく反戦の心が満ち満ちていたことは言うまでもありません。ここに日の丸反対の基本的な歴史的根拠があります。  第二は、長い軍都広島の歴史の反省の上に、二度と教え子を戦場に送るまいという教育思想が、なぜか戦後の広島には行政の上で生かされませんでした。  その検証は数々ありますが、その一つに、一九九四年、広島でアジア競技大会が開かれました。その開会式全体会では、アジア各国七千余名の選手団を前にして、最初が、一人の歌手による君が代の独唱でした。次に、アジア大会の規則によれば、開会宣言はその国の元首が行うことになっているようですが、広島では、元首ではなく天皇の開会宣言でした。さらに、地元広島の市長、知事の歓迎のあいさつは一言もなく、まさに日の丸君が代の幕あけ大会でした。  日本の加害史を学んできたアジア青年たちを前にして、よくぞこのような開会セレモニーが計画され、実行されたものです。  この年は、日清戦争の百周年でした。さらに、広島がアジア大会の地に選定された理由一つは、広島が平和記念都市であったからです。このような歴史的意味のある中身が、アジア大会の中には生かされておりません。実は、アジア大会は、戦後の広島とアジアとの貴重な平和交流の最大の機会でした。しかし、その糸は見事に切れました。その上に、今回の日の丸君が代法制化は、その傷口を一段と大きく広げることでしょう。  第三は、広島には、原爆資料館はあっても、不戦を誓う戦争資料館はいまだ不在です。また、ユネスコの原爆ドーム世界遺産化はあっても、アメリカと中国は合意していません。九五年八月、中国は国連で、アメリカの原爆投下は侵略戦争の仕返しであったと主張しております。  まさに、広島の戦前史と戦後史は切断されています。一体、この原因はどこにあるのでしょうか。広島にとって、切断された歴史認識こそ新たに統一し、侵略の反省と核廃絶の思想を一本化しない限り、広島の未来はありません。  日本の降伏条件は、歴史的にはポツダム宣言の中にあります。その中には、日本の侵略戦争の歴史の解明や、その戦争責任、戦争犯罪者の処分、そして被害国への日本の戦後補償などの降伏条件が書かれています。  ところが、結果的には、侵略戦争史は真剣には解明されず、戦争責任もまた大日本帝国憲法に照らした根本的結末に至らず、戦争犯罪者の処分も、A、B、C級の裁判はあったが、全体的には小規模のまま終わっています。戦争賠償金のあり方も、中国などの賠償金請求権放棄などもあって、全体的には一兆円近くで終わっています。まとめて日本の戦争処理は、同じ敗戦国であるドイツと比べて、根本的な違いを示しています。  その違いの根拠は、戦後の日本を管理したアメリカ側の占領政策にあったと言えましょう。  占領軍によって日本の侵略戦争史が不問であれば、軍都広島の戦前史もまた不問とされ、侵略のけじめとしての謝罪の哲学にも手がつけられず、軍都広島の思想も置き忘れたままになっています。広島戦前史、戦後史の切断、その思想の不統一の原因は、すべて占領下にありました。思えば、戦後の日本の生き方を決めていたポツダム宣言は、アメリカ占領政策によって根本的に変質させられています。  したがって、占領軍によってカバーアップされたり、置き忘れられた歴史事実の数はかなりあります。その一つが、日の丸君が代でもあります。これは、軍国主義の思想とともに戦後きっぱりと処断すべきものでした。それが占領政策変質の中で放置され、今、思い出されたように手がけられているのです。  また、広島にとって今日まで重視してきた、アメリカの原爆投下目的の真相があります。今まで一般的に言われていることは、原爆後のトルーマン大統領声明による早期終戦説でした。しかし、今日、政治学会、歴史学会では、これ以外に原爆投下目的があったと推論しています。しかし、アメリカはその公文書資料を一切公表していません。早期終戦説では核兵器廃絶の思想は生まれないのです。  したがって、今日言う人類消滅危機の時代にあって、核兵器廃絶を叫び続けている広島市民の苦しみは、これからも続くことでしょう。  日本政府は、日の丸君が代のような、侵略戦争の落ち穂拾いに似た国民論争を起こすのではなく、もっと戦後史の原点、起点に立ち、大きく、アメリカと正面に向き合い、戦前戦後の歴史思想と向き合って、アジアと世界の中で連帯して生きる平和の道を論じていただきたいと思います。  いずれにしても、今回の法制化は、もっと時間をかけた、幅広い国民論議を求めない限り、歴史的な決着にはならないと思います。  以上です。
  165. 二田孝治

    二田座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  166. 二田孝治

    二田座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。平沢勝栄君。
  167. 平沢勝栄

    ○平沢委員 自由民主党の平沢勝栄でございます。  きょうは、陳述人の皆様方には、お忙しい中、御出席いただきまして、心からお礼を申し上げたいと思います。  時間がありませんので、答弁はできるだけ簡潔にお願いしたいと思います。  最初に岸元陳述人にお聞きしたいと思うのですけれども、きょう、広島県の教育の実態についてるるお話がございました。そして、さきの参議院の予算委員会でもるる御説明いただきまして、広島県の教育の現場というのが、組合そして解放同盟にいかに牛耳られているというか振り回されているか、我々からは想像もできないような実態について勇気ある御発言をいただいたわけでございまして、心から敬意を表したいと思います。  そこでお聞きしたいと思うのですけれども、学習指導要領でちゃんと法的拘束力が与えられているわけです。そして、地方公務員法で、先生方は校長先生の言うことをちゃんと忠実に聞かなきゃならないということが決められているわけです。石原知事がよく言われることですけれども、どんなに嫌なことでもみんなで決めたことは守らなかったら、民主主義社会というのは秩序が保てるはずがないわけですけれども、何で広島の教育の現場、一言で言えば無法状態というか荒れ放題というか、こんな状態になるまでなぜ今日まで来てしまったのか、なぜ立ち上がらなかったのか、これについてちょっと岸元陳述人の御意見をお聞かせいただけませんか。
  168. 岸元學

    ○岸元學君 例えば今回の学習指導要領の件でございますが、彼たちは、日本には国旗国歌もないのだ、だから、学習指導要領で、入学式卒業式等には国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう「指導するものとする。」と書いてはあるが、肝心の国旗国歌がないのだから何をやるのか、やる必要はないじゃないか、そういう形での法令、規則の無視といいますか、そういうものが生じてくるということでございます。そういう趣旨で先ほど意見陳述させていただきました。
  169. 平沢勝栄

    ○平沢委員 今度の法制化というのは、今の広島の教育の現場の不毛な争いといいますか混乱、これを収拾するのには、先ほどもちょっとお話がございましたけれども、大きな効果があるというふうに見ていいでしょうか。
  170. 岸元學

    ○岸元學君 一定の成果はあると思います。
  171. 平沢勝栄

    ○平沢委員 渡辺陳述人にお聞きしたいのですけれども、私の地元は東京の葛飾区なんですけれども、ここでもかつて組合が君が代日の丸反対したのです。それで、先ほど高橋陳述人の話がございましたけれども、保護者というのは子供を人質にとられているから、言いたくても言えないのです。そこで、こんな先生方は許せないということで地元の町会が立ち上がったのです。町会が立ち上がって、そして君が代日の丸をやってほしい、こういうことで運動してそれを実現させたという、もうこれはかなり前ですけれども、私の地元の葛飾区なんです。  先ほど高橋陳述人は、卒業式君が代を圧倒的多数が否定しているというような意見がございましたけれども、私の意見では、人質にとられているPTAとか関係者は言えないのです。だから、私の地元でも町会が立ち上がったのですよ。  こういうようなことがあるのですけれども、それについて渡辺陳述人の御意見をお聞かせいただきたいと思います。
  172. 渡辺綾子

    ○渡辺綾子君 学校の現場で保護者がエイ、エイ、オー的に立ち上がるということは、私はいたしません。いたしませんが、親として正しい姿勢を示す、大人として私が信ずる正しい姿勢を示すという形であらわすというような形でならやってまいりました。
  173. 平沢勝栄

    ○平沢委員 岸元陳述人でも渡辺陳述人でもいいのですけれども、子供たちの中で、やはり君が代日の丸をきちんと使った卒業式入学式をやってほしい、そういう子供たちもいっぱいいると思うのです、保護者もいっぱいいると思うのです。だけれども、現実にはそうした子供たちそれから保護者のそうした意向が、教職員組合あるいは解放同盟、こういった人たちのいわば圧力によって阻止されている、こういう実態があるというふうに見ていいのでしょうか。
  174. 渡辺綾子

    ○渡辺綾子君 保護者の立場から申し上げますと、大多数の保護者はきちんとした形で式典に臨みたいという気持ちはございます。しかしながら、子供はそういう教育を受けておりませんから、先ほど子供の判断に任せるというようなことがありましたけれども、そういう意味合いでは子供はまだ判断能力が未熟だというふうな理解をしております。私の学校では、大人たちは七割以上が式典に国旗掲揚そして国歌斉唱をしてほしいという、これは役員でございますけれども、そういう形ではございました。そして、やりましょうよ、やりましょうよというような感じでございましたけれども、学校というのはあくまでも校長先生を中心として先生方が一丸となってやっていただきたいので、その中に混乱が生じるようなことは保護者からはできませんので。
  175. 平沢勝栄

    ○平沢委員 高橋陳述人にお聞きしたいのですけれども、学校の先生をずっとやっておられたということなんですけれども、では、高橋陳述人御自身君が代日の丸についてどういう教育をされてこられたか、ちょっと教えていただけませんか。
  176. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 君が代日の丸については、私は社会科を担当しておりましたから、歴史の授業の中で、その時点その時点での授業の中で扱える範囲で扱ってきた。こう思えとか、こういうふうにとらえるべきだとか、そういう扱い方はしてきませんでした。
  177. 平沢勝栄

    ○平沢委員 そうしたら、先ほど岸元陳述人からるるお話がございました、参議院でもお話がございました。今、広島の教職員組合あるいは解放同盟が、入学式卒業式君が代をやめろ、日の丸をやめろ、それをしなかったらば我々は一切学校行事に協力しないよというような圧力をかけたというようなお話があったわけですけれども、それについては、では高橋陳述人はどう思われますか。
  178. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 そういうやり方は間違っていると、私たちは強く批判をしてまいりました。
  179. 平沢勝栄

    ○平沢委員 ということは、今まで高橋陳述人は、式典で君が代をやめろ、日の丸をやめろというようなことを言われたことはないわけですか。
  180. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 やめろ、やめないという論議を、そういうふうに言われるとなかなか答えにくいのですけれども、どういう扱いをするかということについて十分論議をしましょうという立場をとってまいりました。
  181. 平沢勝栄

    ○平沢委員 学校の方針として校長先生が決めたことについて、高橋陳述人は今までどういうふうに対応されてこられたのでしょうか。
  182. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 最終的に、学校の民主的なリーダーとしての校長の指導性を私たちは強く期待をしておりますけれども、どういう行事の持ち方をするかということについては、校長だけが行うわけではありませんから、十分合意と納得をつくった上でやってほしい、そういう立場をとってまいりました。
  183. 平沢勝栄

    ○平沢委員 しかし、最後意見が分かれて、校長先生の考え方と先生方の考え方がどうしても一致しなかったときは、校長先生のあれに従わなかったら学校というのはまとまらないのじゃないですか。
  184. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 そのようになっていると思いますけれども。
  185. 平沢勝栄

    ○平沢委員 現場はそのようになっているのですか。
  186. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 はい。私の職場は少なくともそうでした。
  187. 平沢勝栄

    ○平沢委員 岸元陳述人は、今の高橋陳述人の御意見はそのとおりですか。
  188. 岸元學

    ○岸元學君 高橋さんは組合が違うのです。教職員組合にもいろいろありまして、だから、高橋さんの勤められているところ、また高橋さんの所属している職員団体はそういうふうにおやりになったのでしょう。  以上です。
  189. 平沢勝栄

    ○平沢委員 空陳述人にお聞きしたいと思うのですけれども、君が代日の丸をぜひやりたいという子供たち、これを現実に事実上実力で阻止しているということは、ぜひやりたいという人の数が多いと思うのですが、これは、逆の意味でその人たちの思想、良心を侵していることになりませんか。これは牟田陳述人にもお聞きしたいのです。
  190. 空辰男

    ○空辰男君 そういう事態があれば、強制したことになるでしょうね。
  191. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 私が、強要は避けるべきだ、個人の自由は尊重されるべきだと申し上げたのは、特定個人がその個人の信念に基づいてそのような判断をしたことに対して、その信念を曲げることを強要するのは無理だろうと言っているわけで、強制と強要とは違うと思います。
  192. 平沢勝栄

    ○平沢委員 時間が来ましたから、終わります。ありがとうございました。
  193. 二田孝治

    二田座長 これにて平沢君の質疑は終了いたしました。  次に、藤村修君。
  194. 藤村修

    ○藤村委員 民主党の藤村修でございます。  本日は、五人の陳述人の皆様方に本当に貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。中で、私どもも御推薦をさせていただきました牟田陳述人の方にまずお伺いをしたいと思います。  きょうまでの議論が、どうも君が代日の丸法制化がすぐ教育の問題と一〇〇%つながってしまっているというやや偏った議論や意見交換の中で、牟田陳述人の方には、未来へのビジョンに基づいた検討という新しい視点できょうはお話をいただいたことに大変敬意を表したいと存じます。  その中で、おっしゃったことは非常に納得ができるわけですが、例えば、日本国民として将来に向けて確かなアイデンティティーのもとに世界で活躍できるようにするその共通項が、一つ国旗であったり国歌であったり、もう一つ、例えば国語、日本で国語は日本語とするという法律はございませんので、これは定着しているのでみんなわかっている話ではあるものの、共通項は国語というのもございます。  この際に、ではなぜ国旗国歌が今法制化の対象に上ったのかということについて、牟田先生のお考えをお伺いしたいと思います。
  195. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 私は、国のアイデンティティーを顕現している国旗国歌というものが意識されるのは、常に、国際化の波にさらされたときだと考えております。  まず、日の丸最初に国の旗として認められたのは、黒船、ペリー来航の直後に薩摩藩主の島津斉彬が進言して、それを幕府が認めたという経緯があって、それは明治以後も引き継がれているわけですね。そういう日本が太平の世を過ごしていたときに、突然世界というものがあることを皆が意識して、それで国体をあらわすものが必要だという意識を持った。  私は、現在の状況は二度目の黒船に近い。終戦直後のあの大改革はちょっと違うと思うのですね。今回の国際化の波というのは第二の黒船だ、そういう意味で国体を、我々のアイデンティティーをあらわすものをここではっきりさせるというのが非常に重要ではないかと考えたものですから、そういうふうに述べました。
  196. 藤村修

    ○藤村委員 私ども民主党も、ここでいろいろな意見があるように、党内でもいろいろな意見がございます。しかし、おおむね国旗日の丸国歌君が代ということでいわば定着しているとの認識に加えまして、日の丸君が代を認める意見というのは相当多いわけでございます。  ただ、この法制化ということについていろいろな議論がまたある。慣習法という形できょうまで来て、これをなぜわざわざ今、遵守義務も何もないようなたった二条のこんな法律をつくるのか。つまり、そこに対して相当疑問を持っている人も多いし、あるいは中には、もちろん、日の丸はいいけれども君が代反対とか、あるいは両方とも嫌とか、いろいろあるわけです。しかし、これが多分今の社会全般のいろいろな考え方を代表していると思うので、今民主党の方では決して腰がふらふらしているのじゃなしに、真剣に議論、討論をしている、こういうことでございます。  この法制化の目的などなどお話をいただきました。先ほど岸元陳述人の方では、これは法制化することで教育現場の混乱など一定の前進があるとお答えになりましたが、では、高橋陳述人は法制化について一定の、つまり混乱が解消される方向になるのかどうか、そこをちょっとお聞かせいただきたいと思います。
  197. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 時間がありませんので簡単にしか申し上げられませんけれども、私は、法制化によってこの問題が解決するということは決してないというふうに思っています。  それは、先ほどの話にも幾つか出ましたけれども、決まったことはやるべきだ、それは当然であります。しかし一方で、決めてはならないこともあるということは、日本国憲法が明確にしていることなんじゃないでしょうか。幾ら議会といえども、内閣といえども、決めてはならないこと、やってはならないことというものを決めているのだと思うのです。それは、例えば思想、良心の自由に踏み入ってはならないと明確に規定をしております。そのことを日の丸君が代でもって踏み込んでいこうとするところに問題があるわけですから、この問題を解決するためには、日の丸君が代法制化するということではなくて、国旗国歌についての国民的合意をつくり出していくための努力を全国民でやっていく、それしかないというふうに私は考えています。
  198. 藤村修

    ○藤村委員 今法案が出されたことで、こういう機会を通して国民的合意を形成する作業をしている、私はそういうふうに受けとめております。  しかし、いつも言われるのが、教育現場で過去、確かに学習指導要領では「指導するものとする。」と書いてあるけれども、法的根拠がないじゃないか、このことも相当学校の現場から出てきた声でありました。  これは岸元陳述人にお伺いしたいのですが、そういうことを踏まえますと、一定の前進というのは、つまり法的根拠ができたからはっきり説明できる、そういうふうなお考えでございましょうか。
  199. 岸元學

    ○岸元學君 私が一定とあえて申しましたのは、高橋陳述人の意見にありますように、そういう考え方がまだ残っているから一〇〇%効果がありますよとは申し上げなかったわけです。  いろいろな意見がございましょう。思想信条に触れてはならないということについて私はちょっと問題にしたいのですけれども、それでは、一〇〇%の人間が皆賛成ですよという国旗国歌ができるでしょうか。また逆に、日の丸の旗、新聞等では九〇%の支持、八〇%の支持というのがアンケート等で出ておりますが、それに成りかわる八〇%、九〇%の国民が支持する旗が別にできるでしょうか。国歌にしてもそうだと思うのです。そうすると、一部の方が賛同されないという実態は当然残ると思いますね。それこそ民主的な日本ということが言えるのじゃないでしょうか。一〇〇%が全員賛成というのは、かえってちょっと異様な感じがするわけでございます。  したがいまして、国旗国歌について賛成の人、また反対の人がおいでになることも事実だ。しかし、それを、思想信条に触れることだから学校教育で指導してはならないという論理は克服しなくちゃならぬと思うのです。これは、先ほど私が言いましたように、国際理解教育を推進するためにはそれを克服しなくちゃならぬ。それは法制化だけで単純にすべてできますとは言いませんけれども、しかし、法制化していただくということは非常に心強い支えになると私は思うのです。  以上です。
  200. 藤村修

    ○藤村委員 一般的に定着しているというのは、つまり国旗日の丸国歌君が代というこの概念は相当、今八〇%、九〇%とおっしゃった、多分そういう数字で出てくる。ところが、今回の法制化の一番の基本の、原点となりました昭和四十九年の総理府調査では、法制化には消極的と出ておりました。あるいは、最近のマスコミ調査などなども、国旗日の丸国歌君が代はおおむねよろしい。ただ、法制化にはというと、これはなかなか、相拮抗するところでございます。  だから、私は、やはりこの法制化というところが、本当にメリットがあって、今岸元陳述人のおっしゃるように、学校現場でこれで相当改善するということであればぜひ積極的にやりたいし、いや、そうでないとおっしゃるなら相当慎重に考えないといけない、私はこういう立場をとっているから、ふらふらしているわけではなしに、一生懸命考えているということを御理解いただきまして、終わらせていただきます。  ありがとうございました。
  201. 二田孝治

    二田座長 これにて藤村君の質疑は終了いたしました。  次に、河合正智君。
  202. 河合正智

    ○河合委員 公明党の河合正智でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。  陳述人の皆様におかれましては、御多忙のところ、またこのように大変難しい問題につきまして率直に御意見を賜りまして、心から厚く御礼申し上げます。  そこで、私は、例えば岸元陳述人、法制化についてはすべきであるというお立場と伺いました。また、渡辺陳述人は、法制化をしてほしいというお立場じゃなかったかと思います。それから、牟田陳述人は、むしろ現在の時点で法制化すべきであるというお立場であったと思いますので、そのお三人にお伺いさせていただきたいと思います。法制化した場合に強制されるのかという論点についてお伺いさせていただきたいと思います。  それは、学習指導要領に基づきまして、教えるという立場、これは教師の立場と、それから子供立場、教えられる立場がございますが、その前に、教師と子供にとって、教えるということ、教えられるということが強制なのかどうか、どのようにお考えでございましょうか、三人の陳述人のそれぞれの御意見をお伺いしたいと思います。
  203. 岸元學

    ○岸元學君 私は、学習指導要領は大綱的なものであって、それを教職員はそのとおり守らなくちゃならない。例えば二年生で九九を教えなさいよという仕組みになっておったら、二年生で九九を教える。これは、教員の判断によって九九を教えなくてもいいとかいうふうなことでなくて、やはり学習指導要領どおり実施しなくちゃならない。国旗国歌につきましても、先ほど来言いましたように、国際理解教育の推進のためには他国の国旗国歌も尊重するという姿勢が当然必要ですから、教員は指導しなくちゃいけない。  しかし、先ほど言いましたように、九九、分数を教員は指導しなくちゃいけませんが、では、生徒は一〇〇%わかり切るかといったら、わかり切らない面があろうかと思います。だから、国旗国歌の指導にしましても、生徒が十分理解し切れないという事態はあると思うのですね。そのときに、国歌を斉唱しなかったら卒業させませんよとか、それから先生が口をこじあけて歌いなさいとか、これこそ強制であって、私は、強制と指導を峻別して皆さん方に考えていただきたいのですね。  一般的に、強制、強制といいますと、何か次にペナルティーが来るということじゃないかと思うのですけれども、学校教育国旗国歌の指導については、ペナルティーは当然あるべきじゃありませんし、ありません。しかし、教員がその指導を怠るということはいかがでしょうか。自分の個人的な発想で法で決められたことを守らないというのは、私は教員としてはいかがなものかというふうな思いを持っております。  以上です。
  204. 渡辺綾子

    ○渡辺綾子君 私は、親といたしましては教えていただかなくては困ると思っております。教えていただけないのでは困ります。教えていただく権利が、子供には習う権利があると思っております。国外に出て、自分の国の国歌を知らない、国旗掲揚することも知らない、そういう教育は私は間違っていると思っておりますので、教えていただきたいという考えでございます。
  205. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 私は、国旗国歌法制化それ自身は、特に強制力を持つわけではなく、皆がそれを国旗国歌として確認し合う事項であると考えております。しかしながら、それに基づいて指導要領等がつくられた場合には、その中に盛り込まれた事項によっては当然強制力はあると考えます。  しかし、この強制力というのは、先ほど私が強要とは違うと言ったのは、今岸元先生のおっしゃったのと同じでして、特定の個人が自分の信念に基づいて君が代吹奏の間立たないとか歌わないとかいったときに、それを無理やり立たせたり口をこじあけたりすることまで強制しろということではないと考えております。したがって、その個人の自由は保障すべきである。これは、アメリカにおいても同様のことが起こっておりまして、国旗に敬礼をしない者がいても、それはそれで自由だ、その人の信念に基づいているというふうに判断されていると聞いております。
  206. 河合正智

    ○河合委員 大変ありがとうございます。  ただいま牟田先生の、強制と特定個人に対する強要を非常に峻別してお考えでございますけれども、その辺のところをもう少し詳しくお教えいただけますでしょうか。
  207. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 特に詳しくというほどの知識があるわけではございませんが、強制という場合は、やはりみんなでこれをやろうと決めたことですから、それはみんなでやるのが当然のことだと思うのです。ただ、みんなでやろうと決めたことの中に、一部個人的な見解に基づいてそれに従わない者があっても、一〇〇%従わないとだめだといってそれを強要するのは、やはりこれは全体主義だというふうに考えます。したがいまして、我々民主国家にいる者としては、強制力はあっても強要しないということがあっていいと私は考えております。
  208. 河合正智

    ○河合委員 貴重な御意見を承りました。大変ありがとうございました。
  209. 二田孝治

    二田座長 これにて河合君の質疑は終了いたしました。  次に、三沢淳君。
  210. 三沢淳

    ○三沢委員 本日は、五人の陳述人の皆様、お忙しいところ本当に御苦労さまです。自由党を代表しまして、私三沢が質問させていただきます。  まず、岸元陳述人と渡辺陳述人にお伺いいたします。  これはきのう沖縄でも私質問しましたけれども、私は昔から、日の丸君が代がもう歴然とした日本国旗国歌、スポーツを通しまして、これはやはりすばらしい旗と歌じゃないかと自分では思っております。我が党もそういう方向の先生方が多い党であります。  そこで、この君が代日の丸につきまして、特に広島では、軍国主義国家のシンボルじゃないかとか、表現の自由や思想信条の自由に反するのじゃないかとかいう意見がたくさんありまして、いろいろ混乱されていると伺いますが、我が党としましては、戦争は時代の背景と政治的理由によるものであり、国旗日の丸国歌君が代だから戦争になったわけではない、国旗国歌には罪はないという主張をしております。そして、この国旗国歌の問題は、日本人であるかどうかという問題であり、思想信条の自由とか学問とは別次元の問題だと我が党はとらえております。  その中で、国際化の中で、牟田先生もおっしゃいましたけれども、これからは、日本国というものを認識する場合には、やはり国旗国歌というのが子供たちにとって一番必要なことではないかと思われますが、この今回の法制化につきまして、これからの先生方との接触が変わるのか、それとも法制化によってどういうふうに変化するのか、お伺いしたいと思います。
  211. 岸元學

    ○岸元學君 私は、歴史の古い国においては、例えばイギリスあたりは慣習的に物事が決まっていくといいますか決まっておるといいますか、だから、イギリスの国旗についても国歌についても、慣習的になさっておる。私も従来、日本はもう慣習的に定着していると。マスコミ等のいろいろな調査を見ましても、これは平成元年ごろ、学習指導要領が、入学式卒業式には国旗を掲揚し、国歌を斉唱するのが「望ましい。」から「指導するものとする。」に変わった時点から、この問題というのはいろいろ論議されてきたわけです。  その中で、アンケート等で慣習法として定着しているという論、いや、文章になっていなければ、成文化されていなければないのと一緒だという反対の側の人たちの論拠とでも申しましょうか、そういう論がまかり通るということは、私はいかがなものかと思うわけです。法制化の話が一たん出て、ここでとまりましたら、いやいや、定着していなかったろう、だからということになる、それが現在私が非常に懸念していることです。  こういうお答えでよろしゅうございましょうか。
  212. 渡辺綾子

    ○渡辺綾子君 法制化して私がよいと思う気持ちは、例えば八割方が君が代国歌であると認識していても、式典の折に声を大にして歌うことが少しためらわれるような雰囲気が、教員の皆様が起立はしない、声を大にして歌わないということになりますと、子供たちは判断できませんから歌いません。歌おうと思っている保護者たちに安心感、ある種の認識をしている者に安心感を与えるかなというように思っております。
  213. 三沢淳

    ○三沢委員 次に、今子供たちは、どちらかというと、民主主義で自由だから何をしてもいいのだというような形で取り間違っている面が物すごくあるのじゃないか、これは私の考えですけれども、そういうふうな考えを持っております。  特に、この前、今問題になっています少年少女の少年院を私は視察いたしまして、そこの院長さんに聞いたのは、今のそういう問題を起こす子供たちの一番の特徴は、自分勝手と怠け者だ。この辺のところが、やはり今の教育といいますか、自由だから民主主義だからということがまず先に立って、その辺のところで責任と義務を教えられていないのじゃないか、自由と権利ばかり主張している、そういうふうな子供たちが多くなっているのじゃないか。  私は、スポーツの世界にいまして、海外にも行きました。やはり勝利のためには自分が犠牲になってチームに貢献しなきゃいけない、そういう人がおって初めてチームが勝利をするのだということをスポーツの中で学びました。そのためにも、自分の自由だから、好き勝手な意見だから従わない、従うというのじゃなしに、やはりこれは、公共、国の利益のためには個人の権利や自由が制限されることが必要じゃないかということも、教育の中で教えていくべきじゃないかと思います。  特にこれからは、日本人として自分の国を愛して誇りを持つためには、やはりこの国旗国歌を認識することが一番必要になってくる、そういうふうに思いますし、私がアメリカなどへ行ってプレーしましても、アメリカのスタンドの売り子さんたちが国歌が流れると必ず敬意を表して立ちどまって、あの多民族の、異民族の中のああいう人たちでさえ自分の国には誇りを持っている、これは見習うべきところじゃないかと思います。日本人としても、この国、日本人としてまずはその伝統、歴史、文化、愛国心というものは一番何が必要かといいますと、やはり国旗国歌じゃないか、そのように思います。  そういう意味でも、個人の自由、権利というものが余りにも何か今ははんらんし過ぎて、これを抑える、そういう教育も必要じゃないかと思われますけれども、牟田先生と岸元陳述人、そして先生をやっておられました高橋陳述人にもちょっとお伺いしたいと思います。
  214. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 私は、自由であるということがわがまま勝手であるということとは同じではないと思っております。やはり、自由主義の一方の覇権国であるアメリカで、強制力は持っておるけれども、個人の自由までは侵さない、その一線は越えないということを認めていることは、やはり我々は学ぶべきではないかというふうに思っております。  国旗国歌を仮に法制化して、そしてその結果強制力のあることがあったとして、皆さんが一〇〇%敬礼し、歌ってくれればそれでいいんですが、そうでない場合でも何も気にすることはない。皆さんが一〇〇%歌わなくなり、一〇〇%敬礼しなくなったら、むしろそのときは、もう日本という国体そのものが意味をなさなくなっていると思うのですね。私は、そんなことは決してない。  だから、幾らかの反対の方がいることが正常であって、それを包含しながら我々は進んでいくべきだと思っております。
  215. 岸元學

    ○岸元學君 生徒指導における権利と義務のことについて質問されたのではないかというふうに受けとめておるわけですが、子どもの権利条約というのがあるわけですけれども、その中に、やはり結果責任というのがあるのですね。だから、子供に、発言権、表明権、いろいろあります、行動の自由もあるかもしれませんが、そのことによって生じた結果は責任をとらすよ、こういう厳しい指導が要るのじゃないかというふうに私どもの学校では教職員の間で話し合っております。
  216. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 時間がありませんので、三沢議員の方から言われたことについて細かく答えることができませんけれども、二点だけお答えをさせていただきたいというふうに思っています。  一つは、今の日本子供たちが本当に自由気ままで伸び伸びとできる環境の中にいるかというふうに言われると、私が接してきた子供たちの状況というのは必ずしもそういう状況にはないという認識を持っています。  もう一つは、子供たちに対して市民道徳をきちんと指導しなければならない、それは教育の場できちんと責任を果たすべきことだ、そういうふうに思っています。
  217. 三沢淳

    ○三沢委員 ありがとうございます。以上です。
  218. 二田孝治

    二田座長 これにて三沢君の質疑は終了いたしました。  次に、石井郁子君。
  219. 石井郁子

    石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  陳述人の皆様には、それぞれのお立場からの御意見をいろいろお聞かせいただきまして、本当にありがとうございました。  この問題は、学校現場における日の丸君が代の扱い、とりわけ入学式卒業式でのあり方ということが法制化の契機になっておりまして、この問題を教育のあり方、学校のあり方としてしっかり議論しておくことが、まさに教育は未来への仕事ですから、今非常に重要になっているというふうに私は考えているところでございます。  そこで、第一に伺いたいのですけれども、これは高橋陳述人にお聞かせいただきたいと思います。  やはり強制の問題なんですが、子供への強制はできないというのは、ほぼ全体的に語られ、合意になっているかと思うのです。しかし、子供への強制と教師への強制というのは一体区別できるものなのかどうかという問題があるかというふうに思うのですね。あるいは、国民には強制できないのに、学校には指導という名の一定の押しつけがあるというふうに私は思うのですが、それがなぜ許されるのかという問題もあるわけです。  そこで、先ほどのお話の中にいろいろ実例がございましたけれども、やはり教育活動にとって、教師から見て、本当に自由ではないな、あるいは教師の良心を抑えてやらなければいけないというような実態、現実があるのではないか、それはどういう実態としてあるのか、もう少しお聞かせいただければというふうに思います。
  220. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 まず一つは、私たちはこんなふうに思っています。  日の丸君が代国旗国歌の問題について、その多くの論点を学校教育に絞ってされることについて、非常に問題があるというふうに私は思っています。国旗国歌の問題を片づけることを学校教育に期待する、そういうやり方そのものが大いに間違っているのではないでしょうか。私は世界的にもそう思うのです。学校で教えなければ定着しないような国旗国歌というものをつくること自体が問題だというふうに思うのですね。その点を一つ思っています。  もう一つは、子供には強制できないけれども教師には指導義務を負わすのだというふうにおっしゃいますけれども、皆さん考えてみていただけませんでしょうか。先ほども少しお話をしましたけれども、例えば校長先生が、入学式君が代を歌わせなさい、あなた、音楽の授業で指導しなさい、そういうふうに言われたときに、私が、あるいは皆さんが音楽を指導している教師だったとしますね、歌わない子供がいたらどうしたらいいのでしょうね。いや、私はそう考えていただきたいというふうに思うのです。歌えるようにしろと言われたら、いろいろな形をとってやらざるを得ないのですよ、子供に対して。  もう一つ、そこで大きな問題は、だって、子供というのは、それは歌わない自由があるのだから、歌わなくてもいいのじゃないかといいますけれども、その自由は大変困った言い方の自由なんですね。僕、歌いたくないよということを言わなきゃいけないわけですよ。自由というのは、沈黙の自由があるのですよ。私は嫌だということを言わないでもいいという自由があるのですね。それを、指導を受けるということになったら、子供に表明を強制するわけですね、私は嫌ですと。私、立ちませんとか、私は歌いませんとか、君が代嫌ですとか、表明を迫るわけじゃないですか。それは、そのこと自体が自由を奪っているというふうに思うのです。
  221. 石井郁子

    石井(郁)委員 そういうことで、法制化によって学校現場がどうなるかということが先ほど来いろいろと出されておりますので、この点で私も伺いたいわけです。  これは岸元陳述人にぜひお聞かせいただければと思いますが、法制化で広島の石川校長のような不幸な事態が避けられる、あるいは教育の現場の混乱がおさまるというか、そういう意味混乱を避けられるような効果が一部あるというふうにお考えのようでございますけれども、それは一体どういう事態に学校がなるということなのでしょうか。  例えば、きのうも沖縄でもそうでしたが、けさの新聞を見ても、今は議論が始まったばかりで、国民の中には、いわば法制化をめぐって賛否激突というある新聞もございましたように、やはり、国民の中で意見が大きく分かれている。  それから、特に君が代については、やはり歌いたくないという強い感情が国民の一部にあることは事実だと思うのですね。それから、子供たちに教えても、教えた子供たちが、やはり僕は嫌ですという子供が出てくると思うのです。  そういうことで考えますと、私は、校長先生の苦悩というのはずっと続くだろうというふうに思うのですね。ですから、効果があるというのは、一体どういう学校を考えていらっしゃるのでしょうか。
  222. 岸元學

    ○岸元學君 法制化したら学校はどう変わるのか。これは、現在私どもは、従来から慣習法として定着していますよ、そういう背景の中で学習指導要領は意味を持ちますよ、それで学習指導要領は最高裁の判断で法的拘束力を持ちますよ、したがって教職員は最高裁の判断には従うのが筋ですよ、学習指導要領を遵守しなくちゃいけないと。そのときに教員が、自分の主義主張によって、いや、自分はしたくないというふうなことを許したのでは、公教育は成り立たないというふうに思います。  生徒への指導ですけれども、例えばこんな学校があります。広島県は、このたび卒業式のときに初めて国歌斉唱が実現したという学校はたくさんあります、それはもう何十年間実施してこなかったという歴史の中で。そのときに、ほとんどの生徒が素直に立った学校、それから立たなかった学校とあるわけですね。私はそれを客観的に見まして、長年その学校では実施がなかった、それで卒業式に初めて取り組んだ、そのときに、素直に生徒諸君が立っている学校、生徒諸君が立たなかった学校、一〇〇%立つとか一〇〇%座るというところは、何らかの意図があったというふうに思います。  ところが、生徒、保護者が全員立っているのに、教員が全員座っている学校というのがあります。こういうところを考えていくと、私は、極端に言いますよ、教員は指導しなくちゃいけない、しかし、生徒の中でどうしても歌いたくないとか座りたいという子がいる、これはやむを得ないことだと思うのですが、そんなに生徒が全員が座るというふうなことはございません。かえって、逆に、教員が全員が座ることをもって生徒に座れという逆の指導、学習指導要領の真反対の指導をやっていると言わざるを得ないのじゃないか、そういうことは間違いじゃないかというふうに思うのです。
  223. 石井郁子

    石井(郁)委員 最後に一点だけ、高橋陳述人にお聞かせいただければと思うのです。  学習指導要領のことがいろいろ出ておりますけれども、先ほど来出ているように、学校現場への問題というのは、やはり、学習指導要領で日の丸君が代は書いてきたというか、書き込んできて、そして「望ましい。」から「指導するものとする。」というふうに、いわば強めてきたわけですね。だから、学習指導要領で、この日の丸君が代問題、国旗国歌問題がいわば突出した扱いになってきたという部分があるかというふうに思うのですね。そういう点での御見解を伺えればというふうに思います。
  224. 高橋信雄

    ○高橋信雄君 私たちは、指導要領が大綱的なものとして示されることを否定するものではありません。子供たちに具体的にどう指導していくかということについては、それぞれの子供たちの実態や地域の実態に合わせて専門職である教師が判断をし、責任を持ってやっていくことだというふうに思っています。  問題は、日の丸君が代が、今おっしゃっていただきましたように、このことについてはその枠を大きく踏み越えて、例えば広島県教委の調査がありましたけれども、どういう歌わせ方をしたとか、意味を教えたとか、否定的な意味の教え方はしなかったかとか、そういうことまで指導要領ということの名をかりて踏み込むことは間違っている、そのことを日の丸君が代だけに限ってやるところにこの問題の特異性があるというふうに私は思っています。  名誉のために申し上げておきますが、その点については、県教委に指導要領というのはそういうものでしょうということで私たち話をしまして、撤回はしていただきましたけれども、そういうふうに思っております。
  225. 石井郁子

    石井(郁)委員 どうもありがとうございました。  以上で終わります。
  226. 二田孝治

    二田座長 これにて石井君の質疑は終了いたしました。  次に、辻元清美君。
  227. 辻元清美

    ○辻元委員 社会民主党、社民党の辻元清美です。  本日は、皆さん、緊迫する中、いろいろな御意見をいただきましてありがとうございました。大変参考になりました。  さて、その中で幾つか質問させていただきたいと思いますが、私は、法制化するかしないかということと学校の現場でどう取り扱うか、これは切り離すべきであると考えているわけです。学校の現場での取り扱いについても二段階あるかと思うのですが、どういうふうに教えるかということと、卒業式入学式、いわゆる儀式で使うか使わないか、この二つに分かれると思うのです。  きょう、ちょっと資料を幾つか持ってきたのですが、国立国会図書館の資料によりますと、法制化している国、していない国、さまざまありますが、例えばイギリスは法制化していませんね。しかし、学校行事等では掲揚しない、国歌を歌わないというふうに決めています、プライベートスクールはちょっと別ですけれども。フランスの場合は、学校では歴史の教科書の一部として教育されるが、入学式卒業式での掲揚や斉唱については、これは指導なし。ドイツも指導はありません。それから、イタリアでは、祝日には学校の校内に掲揚されるが、儀式では行わないというように、いろいろな国、法制化している国であっても儀式等への持ち込みについては非常に慎重になっている。  これは、今私たちが話し合っているようなことは、各国どこでも起こり得る議論である。そこをどう整理するか。ですから、今学校現場で起こっている混乱が、法制化したから鎮静化すると見るのか、かえって激化すると見るのかというところなんですね。むしろ、意見としては、学校教育現場で教えることは教えたらいいけれども、卒業式入学式の儀式での取り扱いをやめたらどうかという意見も出ています。  というような各国の事情をちょっと御紹介しながら、まず最初に牟田さんにお伺いしたいのですけれども、海外での御経験もおありということで、教える場合なんですが、私の友人がイギリスに留学してびっくりしたと。ユニオンジャックについて、イギリスも各国に植民地を持っていたという歴史がありますので、教える現場で賛否両論、そして、ディスカッションの時間があったというわけです、教育の現場で。ですから、教育の御専門の方ばかりの前で恐縮ですけれども、やはり、子供たちが考える、議論する、そして賛否両論教えるというような態度というのは、私は非常に重要ではないかと思うのですが、いかがお考えでしょうか。
  228. 牟田泰三

    ○牟田泰三君 今おっしゃったことは大事なことだと思います。  ただ、この国旗とか国歌が自分らのものとして妥当かどうかということの判断については、やはり、大学生ぐらいのレベルで議論させるのは適当かと思いますが、それを小学生レベルで始めるということには、私は小学校の現場にいませんのでわかりませんが、ちょっと無理な面もあるのではないか。これはやはり、家庭における、親から教わったこと、体で感じたこと、それで自然にこれを国旗国歌と思うか思わないかというのが分かれてきているのだろうと思います。高校生、大学生になって、初めてそれを批判的ないしは肯定的に見ることができるようになるのじゃないかと思います。大学生等にそういう議論をさせるということには、私は賛成です。
  229. 辻元清美

    ○辻元委員 それでは、次に、教育現場の分け方、果たしてどこが問題だから混乱が生じているかというところを、法制化とごちゃごちゃにするとかえって余計おかしくなってしまうということだと思うのです。  さて、そうしますと、法制化する、しないというこの国旗国歌取り扱いについて、特に国歌君が代がふさわしいのかどうかという点について空陳述人にお伺いしたいのですが、きのう沖縄でこういう意見が出ました。かつて、修身の教科書でこういうふうに書かれている。君が代について、我が天皇陛下のお治めになる御代は、千代も八千代も、いついつまでもいつまでも続いてお栄えになるようにとの意味で、まことにめでたい歌ですと教えられた。ところが、今回の解釈では、国会でもこういう解釈が出ました。君が代歌詞は天皇を象徴とする日本の末永い繁栄と平和を祈念したものと理解するのが適当という解釈で、時代が変わったから歌詞はそのままで解釈をころころ変えなければいけないということ自体にこの歌の無理があるのではないかという御意見が出たり、それから、特に空陳述人は戦争を御体験だと思うのですが、年配の方から寄せられた意見の中にも、やはり新しい歌をつくって、次の世代に新しい日本として二十一世紀に向けてバトンタッチしていきたいというような御意見もあったわけなんですが、この君が代について空陳述人はどのようにお考えでしょうか。
  230. 空辰男

    ○空辰男君 私は、どちらにしても、歴史を無視するような行き方は間違いだと思っております。  中でも日の丸君が代は、まさに軍国主義の思想そのもの、ままでありますし、侵略戦争の歴史とともに生きた一つの大きな意味をそういう意味では持っているわけですね。したがって、これが戦後五十年間、今まで大きなことなく、定着したという言葉はいい言葉ですけれども、実際は放置されてきて、五十年たった今これを国歌にしよう、こういうような行き方は、やはり間違いじゃないか、歴史の法則に狂っている、こういうことを考えるわけです。  あくまでもこの際国旗国歌法制化するのであれば、全く白紙の立場で論議を起こして新たな国歌国旗をつくるならば、やはりそれは意味があろうと思いますけれども、今まで放置されたままのこの日の丸君が代をいきなり法制化するというのは、長い歴史の中に生きてきた我々としては、やはり間違いだというように感じております。
  231. 辻元清美

    ○辻元委員 岸元参考人にお伺いしたいのですが、法制化賛成のお立場と理解いたしましたが、例えば、法制化するということは変えられるということにつながるわけですね。これは、賛成多数で法律というのはころころ変わるものであります。修正であったり、それから、他国では政権がかわれば法律ががらっと変わるということもあります。  ということで、そういう逆説的な関係になるわけですが、日の丸君が代がふさわしいと思っていらっしゃる、そして法制化するというのは、将来そういう変化もありというように見ていらっしゃるのでしょうか。
  232. 岸元學

    ○岸元學君 確かにおっしゃるとおりだろうと思うのです。  しかし、今、法制化の話が出てとんざしたら、どういうことになるでしょうか。従来の各マスコミ等がいろいろなアンケート等をとられてもう国民の間に定着しているものが、それが論拠が崩れるわけですね。マスコミの方はこういう問題が生じてきますと賛成論、反対論というのを公平に並べられます。そういう記事をずっと国民が読んでいくと、もう国旗については九〇%近くが賛同しておるのですよ。にもかかわらず、いかにも半分は反対で半分は賛成、国論が二分されているような、そういう雰囲気になっておるのですね、今。ここでもし法制化がとまりましたら、日本は本当の意味国旗国歌もない国になってしまう。  したがいまして、一たん法制化の話が出た限りは、決着をつけていただいたら、これは私は、法によって変えられますけれども、日本国民はずっとそれを継続するものと確信しております。
  233. 辻元清美

    ○辻元委員 それでは、もう一問、最後に空陳述人にお伺いしたいと思います。  先ほどの御陳述の中で、歴史から学ぶのが重要であると。私はまだ三十代で戦争は全く知らない議員なんですが、やはり過去の歴史を学ぶことは非常に議員としても大事だと思いながら仕事をしています。  そういう中で、今、唐突に日の丸君が代法制化問題が出てきたのかどうか。これはきのうも沖縄でも御質問したのですが、この数カ月、日米新ガイドライン法制化、通信傍受法案と言われる盗聴法の法制化問題、住民基本台帳という一人一人に番号をつけて管理していくという法案の問題、そして今、日の丸君が代が出てきている中で、かつて戦争を体験された方の方がかえって私たちよりもこの一連の流れに対して複雑な感情であったり、危機感をお持ちの方も多いように、次の世代として見受けるわけですが、空陳述人は、この一連の流れの中での法制化が出ている点については、どのようにお考えでしょうか。
  234. 空辰男

    ○空辰男君 私が一番心配をしておるのは、その次は徴兵令が出てくるというように感じています。これは間違いない一つの事実ではないかというように感じていますけれども、まあ先生の言われるその考え方は、そのことで一つまとめたいというように感じています。まさに今もう徴兵令寸前の、日本時代ではないかというように思っています。
  235. 辻元清美

    ○辻元委員 どうもありがとうございました。  今の点については賛否両論、いろいろな御意見があるかと思いますが、戦争を御体験された方々のかつての反省であったり、体験をどう引き継ぐかという中でこの問題を論じていかなければいけないということも痛感しながら、私は審議に臨んでおります。どうもありがとうございました。
  236. 二田孝治

    二田座長 これにて辻元君の質疑は終了いたしました。  以上で委員からの質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  本日拝聴させていただいた御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして心から感謝申し上げ、御礼を申し上げます。どうもありがとうございました。  これにて散会いたします。     正午散会     ―――――――――――――    派遣委員の北海道における意見聴取に関する記録 一、期日    平成十一年七月六日(火) 二、場所    ホテルニューオータニ札幌 三、意見を聴取した問題    国旗及び国歌に関する法律案内閣提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 植竹 繁雄君       小此木八郎君    矢上 雅義君       佐々木秀典君    山元  勉君       倉田 栄喜君    鰐淵 俊之君       児玉 健次君    笹木 竜三君  (2) 政府側出席者         内閣総理大臣官房参事官 金口 恭久君  (3) 意見陳述者         前札幌大谷高等学校校長 塚本 正孝君         北海道大学法学部教授 山口 二郎君         北海道大学工学研究教授 中島  巖君         酪農学園大学環境システム学部教授 太田 一男君  (4) その他の出席者         内閣委員会専門員 新倉 紀一君      ――――◇―――――     午後一時開議
  237. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これより会議を開きます。  私は、衆議院内閣委員会派遣委員団団長の植竹繁雄でございます。  私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつ申し上げます。  皆様御承知のとおり、当委員会では、国旗及び国歌に関する法律案の審査を行っているところであります。  当委員会といたしましては、本案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、御当地におきましてこのような会議を催しているところでございます。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわりませず御出席をいただき、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようよろしくお願い申し上げます。  それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しての質疑はできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、意見陳述者の皆様方から御意見をお一人十分程度お述べいただきました後、委員から質疑を行うこととなっております。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  まず、派遣委員は、自由民主党理事として小此木八郎君、民主党理事として佐々木秀典君、また、自由民主党から矢上雅義君、民主党から山元勉君、公明党・改革クラブから倉田栄喜君、自由党から鰐淵俊之君、日本共産党から児玉健次君、無所属の会から笹木竜三君、以上でございます。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。  前札幌大谷高等学校校長塚本正孝君、北海道大学法学部教授山口二郎君、北海道大学工学研究教授中島巖君、酪農学園大学環境システム学部教授太田一男君、以上四名の方々でございます。  それでは、塚本正孝君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
  238. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 塚本でございます。  私は、基本的に、国旗及び国歌に関する法律案に賛成の立場から若干意見を述べさせていただきたいと思います。  戦後、国旗国歌についてはいろいろな論議がありました。そのため、殊に教育の現場では混乱を招いたこともありました。ことしの二月に、御承知のように、広島県で県立高校の校長先生が国旗国歌の問題で自殺されるという、まことにショッキングな事件が起きました。これは、その典型であると言ってもよいかもしれません。  この事件を契機に、にわかに国旗国歌法制化の問題が生じてきました。率直に申して、やや唐突な感じがいたしましたが、しかしながら、いずれかの機会には、国旗日章旗、国歌君が代というように法制化しなければならないことだと考えております。  以下、その理由を申し上げます。  第一に、現実に日章旗や君が代が、国際的スポーツ大会、外交の場、官公庁の儀式、その他の儀式、大会などで、国旗国歌として用いられております。  第二に、このたびいただきました第百四十五回国会内閣委員会参考資料の中にもございますが、昭和四十九年、総理府の世論調査の結果として、日の丸日本国旗としてふさわしいと思う人は八四%、君が代国歌としてふさわしいと思う人が七七%、また、今回国旗国歌法制化の問題で、新聞社などの世論調査でもほぼ同様の結果があらわれていると思います。これは、同様に、内閣委員会の資料などに出ておりますところから見られるところであります。  第三に、国旗国歌は必要ない、そういう主張は別にして、何らかの意味国旗国歌の必要性を認めるならば、現在のところ、それは日章旗すなわち日の丸と、君が代以外にあり得ません。それは判例などでも明らかにされているところだと思います。平成八年二月二十二日大阪地裁の判例にも見られるところでございます。  第四に、国際化ということに関係して、国旗国歌法制化の必要性を述べたいと思います。  最近は、国際化とか国際的ということがよく言われます。国際とはインターナショナルであります。すなわち、ネーションとネーション、つまり国と国との間とか関係、それが国際的ということであろうと思います。したがって、国際的とか国際化というためには、自己の確立、日本の国についての意識がしっかりしていることが大切でありましょう。もし自分がなければ、自国についてのしっかりした意識がなければ、相手との関係は成立いたしません。つまり、インターナショナルではあり得ない、すなわち国際的ではあり得ないということが言えようかと思うのであります。  したがって、自己の確立、自分の国についてのしっかりした意識を持つこと、すなわち同一社会、同一文化への帰属意識を高揚すること、これは非常に大切なことであります。ここに本当の意味での国際化が進展すると考えます。  このような自己意識の高揚のためには、国旗国歌についての意識をさらに深く国民の間に定着させることが必要と思います。そこで、国旗国歌についての法制化は、日本の現状から見てまことに至当なことと私は考えます。  次に、日の丸君が代国旗国歌とすることに反対意見に反論いたします。  第二次大戦において、我が国日の丸君が代のもとで多くの人々の生命財産、とりわけアジア諸国の人々に多大な迷惑をかけ、苦痛を与えたわけであります。また、日本国民も、命を失い財産を失った。したがって、そのような日の丸あるいは君が代国旗国歌として認めることはできない、このような主張があります。  これに対して、私は思いますに、そのような歴史的事実を率直に認めなければならないと思います。そして、この歴史的事実に対して、深く反省しざんげしなければなりません。そして、謙虚に日本及び世界の平和と繁栄を憶念しつつ、日の丸を仰ぎ君が代を歌う、これが大切なことだと考えます。そのようにして初めて、日の丸君が代は歴史に裏打ちされたものとして国民の間にさらに深く定着していくのではないかと考えます。  次に、日の丸君が代を慣習として国旗国歌として認めていても、国旗国歌法制化には反対であるという意見があります。日の丸君が代国民の間に定着しているというなら、なぜ法制化するのかという問題であります。言いかえると、日の丸君が代が慣習として国旗国歌となっているのなら、それを法制化することは不要でなかろうか、こういう考え方であります。  一般的に言って、慣習がうまく機能し、社会を安定させている場合には、法制化する必要はないと考えます。しかし、慣習についての考え方がいろいろあり、その考え方が厳しく対立し、現実の社会の中で混乱が生じたり、また混乱が生ずる可能性が予見される場合には、成文法によってある種の決着、解決をすることが必要ではないかと思います。国旗国歌法制化はそのようなものだと考えます。  最後に、政府の国旗の定義について若干述べさせていただきたいと思います。  政府作成の日の丸君が代法制化に関する一問一答集の一ページに、国旗とは国のしるしとする旗であると定義しています。しかし、他方、第百四十五回国会内閣委員会参考資料の二十四ページあるいは二十五ページの政府の答弁の中で、政府は、一般的には国旗は国家を象徴する標識として認識されていると答えております。したがって、国旗は国のしるしとする旗だけではなく、国旗は国を象徴する標識と言いかえてはいかがなものでしょうか。  例えば、大会、儀式などで国旗を掲揚し仰ぎ見ることもあります。また、外国外国の要人に対して敬意を表するために国旗を用いることもあります。これらの場合は、国旗は国のしるしとしてだけではなく、日本国の象徴としての意味を持ち、その働きをしていると考えるのが自然ではないかと思われます。  以上で、私の意見陳述は終わります。(拍手)
  239. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、山口二郎君にお願いをいたします。
  240. 山口二郎

    山口二郎君 北海道大学の山口でございます。  私は、この法案についていまだ腰をふらつかせている民主党の推薦ということですが、今回は明確に反対立場から意見を申し述べたいと思います。  私の基本的立場は、日の丸君が代国旗国歌として定着をしているということは、現実認識として同意いたします。しかしながら、現在これを法制化することにはさまざまな問題があるということ、それから、二十一世紀に向かって望ましい国旗国歌とは何かということについては幅広い議論が必要であるということであります。  まず第一に、慣習を法制化することの問題について考えてみますと、およそ法律というものは、国民を何らかの形で拘束するものであります。特に、政府答弁において、個人の内面に立ち入ったことは行わないという説明が行われていますが、教育現場などを中心に、国旗国歌に対して、ある特定の忠誠服従の仕方を押しつけるということが現に行われており、法制化によってそのような方向がますます強まることは確実であろうと思われます。  また、従来慣習であったものを実定的な法律として制度化する場合、例えば君が代の「君」とは一体何を意味するか、あるいは君が代意味は何かといったように、従来あいまいであり、個人個人が各人各様の読み方をしていたものについて、何らかの公定的解釈を確立せざるを得ません。そうすると、君が代の「君」は象徴天皇であると言わざるを得ない。となりますと、日本国の最も重要な原則であります国民主権の原理と、この国歌君が代というものとの間に非常に大きな矛盾があるのではないかと私は考えます。  少し歴史を振り返って、この日の丸君が代というものが近代日本においてどのような機能を持ってきたかということについて考えてみたいと思います。  言うまでもなく、日の丸君が代は、明治維新の後、成立をした新政府が国民を統合するためのシンボルとして使いました。それはまさに日本が西欧化を進める過程において西欧から輸入したものであります。  明治時代の思想家に西村茂樹という人がいます。この人は、後に華族女学校校長や宮中顧問官を務めた、どちらかというと保守的な人物でありますが、その人の「尊皇愛国論」、明治二十四年という書物の中でこういう記述があります。「本邦にて用ふる愛国の義は」「西洋諸国にいふところのパトリオチズムを訳したるものなり」「本邦の古典を閲するに西人の称するが如き愛国の義なくまた愛国の行を顕したる者なし」ということでありまして、まさに日の丸君が代が象徴する愛国心というものは特殊近代的なものであり、古来の日本の伝統とは関係がないということであります。  近代国家としての日本が発展を遂げていく過程で、言うまでもなく、日の丸君が代は愛国心を強化するための象徴となりました。自己の所属する政治的共同体に対する自発的な自然の愛情の発露としての愛国心は、殊さら問題にする必要はない、むしろそれは非常に自然なものでありますが、一たびそのような愛国心が自民族中心主義と結合したときには極めて危険な性質を持つわけであります。すなわち、アジアに対する帝国主義的な侵略、あるいは国内における富国強兵に向けた国論の統一のための武器としてこれらの象徴は用いられたわけであります。  支配権力は、常に自己に対する敵対者を国に対する敵対者として多数の国民の目に映すわけであります。さらに、反対者を非国民あるいは国賊として葬るということがしばしば行われたわけであります。この場合、上から押しつけられた愛国とは、批判の封殺、不寛容、権威への盲従と同義となるわけであります。  このような歴史的な現実に十分顧慮することなく、この二十一世紀の入り口で、日の丸君が代法制化することに一体どのような意味があるのかということについて次に考えてみたいと思います。  法制化というものは、言ってみれば、わざわざ異端をつくり出すという作用を持つと私は懸念いたします。すなわち、日の丸君が代に対して疑義を呈する者は、法制化の後には法に逆らう者になるわけであります。そして、愛国心の権力的な強調というものは、かつてのように、国賊、非国民の創出と表裏一体となるのではないかというふうに思います。  再び、先ほど引用した西村茂樹という思想家の「賊説」、明治八年という論考から少し引用してみたいと思います。  西村はその中で、日本において、ややもすれば意見の違う者に対して賊という呼び名を当てることに対して批判をしています。そして、こう述べています。「意見ノ異ナルヨリ政府ニ抗セント欲スルノ類ハ皆賊ト称スベカラズ。」「天子」すなわち天皇「ニ敵スル者ニモ賊ト称スベキ者アリ、天子ヲ助クル者ニモ亦賊ト称スベキ者アリ」。すなわち、明治の極めて早い段階には、このように意見の多様性に対して極めて健全な認識が知識人の中にも広く共有されていたわけであります。  日の丸君が代というものは、それを尊重するだけであたかもその人が国に貢献する真っ当な人間であるかのような錯覚を持つことができる、あるいはそれに敵対する人間があたかも日本国民全体に対する敵対者、反逆者であるかのようなレッテルを張ることにつながる、そこに最も大きな危険性があります。明治生まれの日の丸君が代が仮に日本の伝統であるとするならば、先ほど引用した西村のごとき異論、異端に対する尊重もまたこれからの日本の伝統とすべきでありましょう。  今の日本で必要なことは、国民の同質性、一体性ではないと私は思います。むしろ、社会の多様性、異質性こそが二十一世紀の日本にとって重要な価値であろうと思います。ひところ、「みんなで渡れば怖くない」というざれごとがはやったことがありますが、我々は、例えばバブル経済の崩壊の中で、組織全体がみんなで渡ることの恐ろしさ、だれ一人、多数の意見に対して勇気を持って異論を唱えないということの恐ろしさを身をもって経験したばかりであります。そのような意味で、意見の多様性、少数者の見解の尊重ということを、この際、我々は十分考える必要があります。  また、日本社会の多様性ということを考えた場合、例えば、この北海道にはアイヌ人という先住民族があり、実にユニークな文化や伝統を保持してきた。それを、明治以降の日本において、多数派の日本国民の側に吸収、統合したという歴史があります。また、沖縄においては、長い長い独自の伝統と文化というものがあったという経緯があります。今日、日本はいわばそのような意味で多民族社会であります。多民族社会の日本にとって、一体、日の丸君が代というのは適切な象徴でありましょうか。答えは明らかにノーだと私は思います。  この際、二十一世紀に向かって、仮に国旗国歌というものを維持するとしても、私はもちろん国旗国歌というものは必要だと思いますが、新たな国歌制定すべきだと思います。日の丸は、君が代とは若干違って国民的な支持もかなりある、あるいは単なる図章ですから、そのことの意味ということについては殊さら危険性はないだろうと思いますが、少なくとも国歌については、新たな国歌制定すべきであろうと思います。しかし、その場合も、法律によって根拠づけ、これを強制するということはあるべきではないというふうに思います。  事柄は、二十一世紀の日本がどのような国の形をつくるかという根本的な問題にかかわる問題であります。この際、国会においては国民意見を十分聴取し、慎重に審議を進めていただくことを念願して、私の意見陳述は終わりといたします。(拍手)
  241. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、中島巖君にお願いをいたします。
  242. 中島巖

    ○中島巖君 中島でございます。  私の専門は工学でございまして、政治や法律に関しては素人でございます。したがいまして、きょうは、自由党から推薦を受けまして、市民としての意見を述べたいと思っております。  私は、日章旗とか君が代というものは、日本国の象徴として国民に広く敬愛されることが望ましいと思っております。さらに、国旗国歌に対する敬愛の念というのは、世代間で共有して、継承していく必要もあると思っております。こういった趣旨で、法的規範が現在必要なら、今回提起されている法案に賛成したいと思います。  東洋諸国に比較して、西洋諸国の国民というのは、国旗国歌に対する敬愛の念が非常に強く、忠誠心も自発的に示すと感じております。特に米国の市民の多くの方々は、だれからも強制されることなく、自然な動作でその忠誠心を示す習慣を持っております。  東洋諸国の国民は、歴史的に国家成立へのかかわり方が前向きでなかったというか、場合によっては上から与えられたものだというようなことで、国旗国歌に対する個人的な意思表示は少ないように思います。  日本においても、大多数の国民日の丸君が代を容認しているとは思いますが、個人単位の意思表示は非常に少ないように感じております。非常に大きな単位、例えば高校野球とか大きなイベントの単位になると、非常にそれが素直にあらわれてくる現象のように感じております。  日本でも、将来は、個人個人が思想信条の自由に基づいて国旗国歌に対する意見を自発的に表明するようになることが望まれると思います。現在表明できないのは、一つのプロセスといいますか、民主化の進歩のプロセスにおいて、個人主義的な物の考え方がまだ根づいていないという意味で、自発的な賛意の表明というのが少ないことと思っております。  次に、国旗国歌の受け入れ方、個人的な受け入れ方というのは、さっき言いましたように、あくまでも個人の思想信条の自由に基づいたものであって、幅広い裁量があってしかるべきだと考えております。換言すれば、他人に肯定も否定も強要してはならないということであります。  したがって、国旗国歌に関する教育に当たっては、次世代に日の丸君が代に関する歴史的な変遷を説明し、民主的ルールに則して国旗国歌の必要性に理解を求めていくことが何よりも望まれると思っております。  以上述べましたように、法制化の目的は、国旗国歌に対する民主的ルールの確立を目指したものでなければならないと思っております。日の丸君が代世界から親しまれるようになるかどうかは日本国民の努力次第で、過去に忌まわしい問題を抱えていても、将来に向かって日本人が努力していけば世界から信頼されるものに変わっていく、決して固定されたものではないというふうに考えております。  以上述べた観点から、今回の法制化には賛成したいと思っております。  以上です。(拍手)
  243. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、太田一男君にお願いをいたします。
  244. 太田一男

    ○太田一男君 太田でございます。  私は、このたび日本共産党から御推薦を受けましたけれども、お電話をいただいたときに、実はびっくりしまして、私ですかと申し上げたのですけれども、およそ私、今までに共産党とは思想的にも立場の上でも、別に一線を画しておりませんけれども関係がなかったわけでして、この話を申し上げるときに、ぜひ推進していらっしゃる方々に僕は話を聞いてほしい。共産党とは全く独自の立場で話を申し上げますので、先入観で聞かれますと話が通じませんので、ひとつそこのところをお願いしておきたいと思います。  私は、やはり、日本人が今、日の丸君が代国旗国歌として法律で定めたりするようなことは決してしてはいけない、そういうふうに思っております。  実は、私は、一九三五年、今の韓国、当時は朝鮮と言っておりまして大日本帝国の領土とされていました、ここの光州という町で生まれました。父は大日本帝国の下級官吏で、技師をしておりました。私たち日本人は、天皇を現人神として敬い、神社に参拝し、日の丸を先頭に行進し、君が代を斉唱することを当たり前として教育されてまいりました。そのように考え、私たち日本人は一等国民で、朝鮮の人たちは天皇陛下のお情けで日本人の中に加えてあげているのだから三等国民で、彼らが日の丸国旗として大切にし、君が代を歌って大東亜共栄圏確立のために命を出して励むということは当然というふうに教えられ、考え、そのように教育されてまいりました。  ですから、終戦の日、天皇の声をラジオで聞いたとき、私はそれを信じることができませんでしたが、もしこれが本当なら、アメリカ兵が日本に上陸してきたら、その一人を殺して敵に向かい、天皇のために命をささげようと決意した少年であったわけであります。  私の学校時代の友人の中には、何人か、頭脳はとてもすぐれているのですけれども、表現する力がなくていつも困っている人がおりました。私は彼らをかばう、ある意味でボス的な立場におりましたものですから、他の日本人仲間から時々いじめられた経験を持っております。それは、私が父の故郷に帰って小学校に通っていたころの出来事ですが、そのとき子供たちが使っていた言葉は朝鮮帰りという言葉で、私が在日朝鮮人の子供たちの友達として親しく交わっているそのことに対する反発のあらわれでありました。  このようなわけのわからない民族差別や人種差別を地方の田舎の小学校の子供たちが、子供たちの間でやってのけたわけであります。それは天皇制軍国主義国家。そうした天皇制軍国主義国家は、ある日突然できたわけではありません。東条さんたちが意図的につくり上げてきたわけでもありません。  お手元にお配りしております大日本帝国憲法、これは明治の元老伊藤博文が苦労して原案をつくり上げたものですが、彼は、その近代化、すなわち日本社会の資本制商品生産社会化が進み、近代の市民社会の社会関係の一般化が進む中で、憲法制定して、近代的な市民社会の関係を日常的な法関係とすると同時に、天皇を担いでこの国を治めていくという特殊な国体づくりを考える上で苦心をし、彼が見つけ出した憲法体制が大日本帝国憲法体制であったわけであります。  彼は、天皇に統帥大権や非常大権、文武官任命大権など、さまざまな権限を集中的に持たせて、憲法によって「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めると同時に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めて、天皇と天皇大権を、憲法を定めることによって、憲法に拘束されない憲法上の地位として憲法規定したのであります。  この憲法制定が後に天皇制軍国主義国家、大日本帝国をつくり上げていったのであります。当時の政治の衝に当たっておられた人たちは、そのような軍国主義的天皇制国家を初めから想定していたわけではなかったと思います。しかし、憲法の条文がひとり歩きをして、軍隊と結合した力が天皇制軍国主義国家をつくり上げていってしまったわけであります。そして、恐ろしいことに、神国大日本帝国論だとか現人神天皇論などがこの国を支配するという忌まわしい歴史的事実を生んでしまったわけです。  大日本帝国はそのような道を走り始め、歯どめのきかない天皇制軍国主義国家になっていき、軍が政治のみならず教育を支配して、さきにも述べましたような少年をつくり上げていった、こういう事実を私たちは共有していると思います。  もう一つ、お手元に配りました文書がございます。ポツダム宣言であります。この文書の中に、次のような言葉があります。十のところを見ていただきますと、「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ」、これは一九四五年七月二十六日に日本に差し出された国際的文書であります。  人はその器で他人をはかるといいますが、当時、日本世界にそのように映っていたわけであります。今考えると恐ろしくなるような言葉でございます。そして、事実、私たち日本は、朝鮮や中国の人を軍事的に支配し、侵略、占領し、隣国の人たちを民族として滅亡し、国民として奴隷化していたわけであります。  私が小学校で学んだ地図には、朝鮮も台湾も日本の領土でしたし、満州は日本の支配地区でありました。その軍国主義大日本帝国のシンボルとして日の丸君が代が使われ、アジアの人々は、軍国主義支配のもとに非人間的な扱いを受けていたのであります。  また、私たち日本人の中でも、そのような国のあり方は正しくないと批判する人たちに対しては、次々と憲兵や官憲が連れ去っていって弾圧をしたという事実があります。私は今でも、天皇のことを口にするときは憲兵や官憲の力を後ろに感じないわけにはいきません。  少年の日、神社参拝の隊列をなして行進した日がございます。校旗と日の丸を先頭に町を歩いた記憶は鮮明です。君が代を歌えなかった友人たち、彼らは今思うと在日の方でしたが、毎日毎日、自覚することもなく、親切に加害者の側に立って彼らと接していたわけであります。  私の連れ合いは、フィリピンで牧師をしていました父が兵士として連れ去られました。そして、日の丸を銃剣につけた兵士が立っている慰安所の前を毎日小学校に通うため通った記憶を今も鮮明に持っています。彼女は、慰安所の中の朝鮮の御婦人たちの目を今も覚えています。あの人たちにとって、日の丸君が代は決して受け入れられるものではなかったわけであります。  広島、長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦してくるに及んで、大日本帝国の指導者たちはなお国体護持を問題にいたしました。そして、なお国体護持の可能性ありという判断のもとに、ポツダム宣言の受諾を決めたわけであります。その流れからすれば、戦後の権力、政治担当者たちが、機会あるごとに日の丸君が代を用いて、国民のみならず世界の人々にこれをならすことをやってきました。そして親しませる努力をしてきて、今の日本世論はできております。その意図は国体護持ということにあったのではないでしょうか。  今、私自身、今の日本が再び軍国主義的に世界に進出していくなどとは考えていません。そのようなことをしなくても、既に日本の経済力は世界全体に及ぶようになっており、世界で羽ばたいております。  それは、今という時代が、高度に発達した科学技術を組織して、すべてのものを工業制商品として生産し、世界一つの市場とする社会関係を形成する時代に入っていますので、経済的強国が軍事的に他国を支配したり、侵略したり、占領したりする必要はなくなっている社会関係に入っているからです。そして、日本人の多くは、教育を受けてこの社会関係の中で働き得る存在となっていますから、世界じゅうに出かけていくことにもなるわけであります。  しかし他方、この社会関係が世界化し、一般化していきますと、世界の各地で、仕事を奪われ、それまで生きていく手段として支えてきた仕事が成り立たなくなって、仕事が消えていくという消業化の現象が今起こっております。そして、その人たちが、棄民の群れの中に追いやられていくという世界的現実ができております。それらの人々はスラムや都市にたむろし、時として地域紛争に発展することもあるわけであります。そのとき、日本人は、また民族主義的な日本を振りかざして、それらの貧しい人々を軍事的に圧迫するために軍隊を送るというのでしょうか。軍隊が動くとき、国旗国歌が必要となってまいります。  日本人学校が世界の各地に必要となってきていますし、多くの外国の人たちも日本人学校で学ぶようになっております。これまで私たちの同胞がアメリカのインターナショナルスクールで勉強したようにであります。また、日本国内でも多くの外国人の子供たちが日本で教育を受ける機会を持つようにもなります。そのとき、私たちは彼らに国旗国歌日の丸君が代を押しつけようというのでしょうか。  経済のみならず、すべての分野、すべての関係において、国際化ではなくてグローバライゼーションが進んでおります。国家や民族を鮮明に分けることが困難になる時代、十万人のどのような地域をとってみても、もう既にさまざまな人が生活をともにしている、そういう時代であります。それらのところに、わざわざ人々を区別するそういうものを法律でもって制定してかかわっていくことが必要なんでしょうか。  国旗国歌は全く不要だとは言いませんけれども、法律でわざわざこれを決める必要はありません。もし必要だというのなら、歴史的に多くの問題を抱えている、そしてあのどうしようもない苦しみのシンボルとして機能した大日本帝国、軍国主義国家日本日の丸君が代をそれに充てるべきではありません。全く新しいものをつくる努力をすべきだと思います。時間がかかるかもしれませんけれども、それをすべきです。  私は、戦後、大日本帝国の犯した負の現実を認めようとしないで国体の護持を課題とした人たちのあり方のもとで、日の丸君が代が各方面で強引に用いられ、国民の間で使われてきたという事実は承知しております。しかし、そのような努力をすることで本当に世界に認められていくことになるのでしょうか。  大日本帝国が犯した負の現実を考えますとき、私たちは、日の丸君が代国旗国歌として法定化しないというストイックな態度を持ち続けること、そこに私たちが戦争をどう反省したかということのあかしが出てくるのではないでしょうか。大日本帝国、日本天皇制軍国主義のシンボルであった日の丸君が代国旗国歌としないという態度を保持することを通して、アジアや世界の人々に、私たち日本人が軍国主義神国日本の再現を許さないと誓い、その実践をしているのだ、そういうあかしとすべきものと考えております。  最後に、どうしても国民の一人としてお願いしておきたいことがございます。  どのように私どもが反対を申し上げても数の力で法制化するというのでしたら、悲しいことです。本当に悲しいことです。ですけれども、そうされるのでしたら、法律の中に、何人も他人に対して国旗の掲揚や国歌の斉唱を強要してはならないという文章を載せてほしいと思います。そして、教育の現場にこれを持ち込んで混乱をさせ、子供たちを苦しめるようなことはしないでいただきたい、これはお願いでございます。(拍手)
  245. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  246. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小此木八郎君。
  247. 小此木八郎

    ○小此木委員 改めましてこんにちは。小此木八郎でございます。  自由民主党を代表いたしまして質問をさせていただきますが、先生方の御認識を伺いましたところ、塚本先生と中島先生がこの法制化に賛成、山口先生と太田先生が反対という御認識を伺いました。そこで私は、自由民主党としても、あるいは私個人としても、自分の今の認識とともにひとつお伺いをいたしまして、お答えをいただければというふうに思います。  私は、今こうして派遣された代議士諸先生の中でも一番若い三十四歳でありまして、二十数年前には小学生あるいは中学生でありました。私は、もちろん、学校の卒業式等々で、君が代はみんなと一緒に歌っていた記憶があります、横浜の公立の小学校、中学校でありましたが。  ただ、その中で、学校から国歌君が代国旗日の丸だよというようなことを教わった記憶がないんですね。教わったかもしれませんけれども、そういう記憶がない。むしろ家庭の中で、それは父であったり母であったり兄であったり、そういう人たちから教わった記憶の方があるわけです。  しかしながら、学校では、そういう儀式といいますか、行事のときには必ずそういう歌をみんなと一緒に斉唱していたし、今になってみて、そのことが何年かたって、同じ小学校や中学校でさまざまな問題が出てきているということを知ったときに、私が若いころにはそんなこと、その当時にはなかったな、何でこんな問題が出てきたんだろうか。むしろ、私の中には、法制化する、しない以前に、もう国旗日の丸国歌君が代というものが自然に自分の精神状態の中でなれ親しんでいるものだという中でこういうふうに行ってきた。  その中で、その学校時代にどんな現象がほかにあったかというと、校内暴力というのが非常に出始めたときだというか、あるいは先生方がストライキをした。親は困ったわねという感想を持ったんでしょうけれども、私たちは授業がなくなってしまうからもう万歳して喜んでいた。これはうれしい話だったわけですけれども、そんな現象がありました。そんな無邪気な若いころでさえ、今みたいな厳しい現象があったということは、今、想像しがたい話であります。  私の中では、先ほど申し上げましたように、自然にそういう国旗国歌が身についている。そもそも、当初、この法案化されるという話を聞いたとき、何も法制化をする必要なんかないんじゃないかというふうに私も思っていたんですが、今の日本の現状を見たときに、塚本先生が先ほどおっしゃったように思いますけれども、今、日本人の帰属意識あるいはアイデンティティーといいますか同一性といいますか、そういった、もう本当に、最低限日本人が共有するものは何かあるだろうかと考えたときに、私はその答えを見つけるのが難しい状況だと思っているんですね。  だけれども、日本人たるゆえんといいますか、そういう意味で、日本人が日本人であることに誇りを持つということはまたこれは大切なことである、こう思ったときに、今までなれ親しんできた国旗国歌日の丸君が代というものを、ここで、その帰属性を持つため、最低限の同一的な私たちの誇らしいものを持つために、今回法制化するということは、これは非常に大切な話であると思っているんです。  君が代の「君」というものが一体だれなのかということで、先ほど山口先生の御意見がございました。  「君」というのは象徴天皇だという見解、あるいは古今和歌集からきた恋人なんでしょうか、どういうものなんでしょうか。象徴天皇であったとした場合に、今の憲法の中で天皇陛下というのは日本の象徴だ、国の象徴だ、国民の象徴だという場合、この君が代歌詞というのは、もうまさに我々国民がこれから千代に八千代に、未来永劫に幸せになっていく歌詞だ、そういうふうに私は理解をしています。  先ほど、私の小学校、中学校時代の話を申し上げましたけれども、今この現状の中で、この問題について法制化をして、学校の方々がきちっと生徒たちに指導する中で、いいこともあると思うんです。その考えられるいいことというのはどういうことなんだろうか、あるいは混乱はどういうことなんだろうか、その混乱を解決するためにはどういうようなものがあるんだろうかということをそれぞれの先生方にお伺いをしたいと思います。
  248. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 私は、高等学校の校長を二十五年経験いたしましたけれども、意見としては日の丸掲揚とか国歌を歌うということに賛成でない先生方といろいろ話したことがございますけれども、幸い実力行使とかそういうことはございませんでした。  この国歌国旗のことで私は思いますに、この間、長野オリンピックがございましたけれども、その後、しばらくしてから、五、六人の方と国旗国歌についてオリンピックの表彰式との関係で話し合ったことがございます。そのときに、日本の選手のことについていろいろ話題が及びましたが、多くの方々が、最近は国旗国歌ということを教えていないんだから、ああいうことぐらいあっても、多少そのほかの国の選手と比べて違ったところがあってもそれはやむを得ないことで、それぐらいは大目に見るべきだ、こういうような意見が何人かから強く出まして、私は正直申しまして多少驚いたことでございます。  やはり、国歌に賛成とか日の丸に賛成とか、そういうことではなくても、日本の国の国歌というのはこれである、それから国旗はこれだというような意識はしっかり持っていただくことが必要でないかな。日本は国際化時代、こういうふうに日本では言われておりますが、そういう中においてはやはりそういうことが必要でないかな、私はそのように思っております。お答えになったでしょうか。
  249. 小此木八郎

    ○小此木委員 時間もありませんので、済みません、順次簡単に先生方にお願いします。
  250. 植竹繁雄

    ○植竹座長 簡略にお答え願います。
  251. 山口二郎

    山口二郎君 若者の政治的共同体への帰属意識という点では私は余り問題を感じておりませんで、要するに、強制されなくても、国際的な舞台では、日本人は、例えば日本のそのチームを応援したり、あるいは国際舞台で議論するときに、やはり自分は日本人として物を考え、行動していくということは、いやが応でもひとりでにそういう帰属意識は持つだろうと思います。  要するに、混乱が起こるというのは、これは、学習指導要領等の権力的な手段を使って、特定の仕方で国旗国歌に対して服従をせよということを押しつけるから混乱が起こるというふうに私は理解をしております。
  252. 中島巖

    ○中島巖君 御質問の意味は、要するに、学校教育の中に日の丸君が代を持ち込んでいい面と悪い面というのはどう考えるかという御質問だと思いますけれども、私は、一般には、今の子供たちというのはそういう問題に全くの無関心だと思っております。その無関心な子供たちに非常にまじめに教えれば、過去の事実と今後の必要性というか、国際的な活動をする上で、例えば国際会議に行っても、それから、学会に参加してでも、相手国の国歌をパーティーでやる、そういう国際的な問題とのかかわりというのを理解させる上では非常にいい面を持ってくる。国旗国歌を通してそういう日本人としての自覚を養うという面では、プラスになると思っております。
  253. 植竹繁雄

    ○植竹座長 時間がないので簡単にお答え願います。
  254. 中島巖

    ○中島巖君 はい。  それから、問題になる面というのは何なのかというのは、教え方の問題だと思っております。やはりその根底には、個人主義的な民主主義の深化という問題を踏まえて、きちっと体系づけて教えていけば混乱は避けることができると思っております。  以上です。
  255. 太田一男

    ○太田一男君 小此木さん、本当に考えていただきたいんですけれども、私が大日本帝国憲法の話をしましたのは、その当時の政治家が神国大日本帝国をつくり上げようなんて思っていなかったと思うんですね。ひとり歩きを始めたわけですよね。  小此木さんは御存じないかもしれぬけれども、我々の小学校時代のあの軍国主義の圧力、先生方一人一人がもうどうしようもなくて、言論の自由を奪われて、憲兵の恐怖の中でいく、あれを一夜にしてつくったわけじゃないんですよ。徐々に徐々にそういうふうになっていって、もう抵抗できない人たちをつくっていった。そういう道具になるんですね。  日本は戦後のこの整理をしてこなかったわけですよ。あのときに、きちっとアジアに対して責任を果たし、その賠償もし、日の丸ではない別の国旗や、あるいは君が代でない国歌をつくっておれば、それは今違ったものになったかもしれないけれども、何といったって、国体護持を考え、そして日の丸君が代をできるだけ使って定着させようとした政治勢力の普遍性があるわけでしょう。それを、だからそれは誤りでなかったんだと言い張るんだったら、これはおやりになるしかないと思うんですよ。  しかし、それは、私たちは世界に出ていって、このグローバライゼーションが進んでみんなが仲よくしなきゃならぬときに、そういう過去を背負った、それを出していくべきじゃないんじゃないでしょうか。私は、だから政治家が判断してほしいと思うんですよ。今、流れに流されちゃだめだ。その時期に来ているんですよね。ところが、数でいっちゃう。そこが心配で心配でなりません。  混乱子供たちに起こります。先生だって弱いです、給料をもらっているんですからね。校長にもなりたいし。そういう人たちの良心を締めつけるようなことは政治はすべきじゃない。お願いします。
  256. 小此木八郎

    ○小此木委員 どうもありがとうございました。参考にさせていただきます。
  257. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて小此木君の質疑は終了いたしました。  次に、佐々木秀典君。
  258. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 民主党の佐々木秀典です。  先生方、きょうは本当に御苦労さまでございます。  私は、一九三四年の生まれですから、太田先生とまさに同世代で、軍国主義教育を受け、軍国少年として毎日毎日日の丸君が代に親しんで育った世代ですから、先ほどの先生のお話、先生は外地でお生まれになったという特殊な経験をお持ちですけれども、そこが違うにしても、共感するものを非常に強く覚えます。  特に、戦争が終わりましてすぐに、私ども国民学校の五年生でしたけれども、教育の現場でやらされたことは、今まで使っていた教科書に墨を塗ることだったんですね。私どもも愕然としましたけれども、それをさせた現場の先生方のお気持ちは本当にどんなものだったろうかと今にして思います。そんな考えを交えながらお話ししたいと思います。  実は、この間、内閣委員会でこの審議が始まって、私が質問をしまして、次の日に新聞で報道されましたら、直後に私の息子から、今アニメの映画づくりの監督をやっているのですけれども、ファクスが来まして、もちろん本人は論議を全部詳細にわかっているわけじゃありませんけれども、この国旗国歌の論議で大事な基本的なことが置いてきぼりにされているのじゃないか、どうもみんなの議論は初めにまず日の丸君が代ありきということになってしまっているのじゃないか。大体、国旗国歌とは一体何であって、何のために必要なのか、どういうところで使うものなのか。だとすれば、どういうものが国旗国歌としてふさわしいのかという根本的な議論がもっと慎重に行われるべきじゃないのか。ただ日の丸君が代国旗国歌として認めるか、法制化するかという議論だけではいけないのではないかという指摘を受けて、なるほどなと、私にも思い当たるところがあるわけです。  そこで、山口先生にまずお伺いしたいのですが、山口先生などが呼びかけ人になって、六月二十九日、多くの学者や知識人の皆様日の丸君が代法制化反対する共同声明を発表されておられます。この中で理由として挙げられている中で、第三項だと思いますが、「スペクタクル社会と集団的忘却」ということを述べられております。大変恐縮ですけれども、要約してこれの論点をもう少し御説明いただけましょうか。
  259. 山口二郎

    山口二郎君 先ほどオリンピック等の話がありましたが、そういう機会に国民的一体性をその瞬間味わう。しかし、それに伴って、要するに、日本国民が抱えているいろいろな問題あるいは歴史、負の遺産というものを全部忘却するという、そこに一つの落とし穴があるということを申し上げたいわけです。
  260. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 法制化の作用というのはそういうものじゃないかということですね。わかりました。  それから、中島先生、先ほどのお話の中で、法制化は必要だと思うけれども、これは、個々人の思想とか良心を大事にすべきものだ、他に強要してはならないものだというようにお伺いしたのですが、だとすれば、法制化の必要ということにはならないのじゃないかと私は思うのですけれども、どうなんでしょうか。
  261. 中島巖

    ○中島巖君 国旗国歌というのを受け入れるか受け入れないかというのは、私は、思想信条の自由の保障というのがその前にある問題だと思っております。ある人は自分の信条に基づいて受け入れてもいいし、ある人はそれを拒否しても構わないと思うのです。それは個人主義的に、個人の問題である。  それに対して、学校教育の中では、過去の事実関係それから変遷、それから、国際的な経済、文化、スポーツとかそういういろいろな関係においては、やはり国旗国歌は必要ですし、それに対して生徒に理解を求めていく。そういうことを前提にして、個人主義的な民主主義の深化を進める意味で、正しい教育をすれば問題はないというふうに感じて、法制化も必要だと感じております。
  262. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 今、正しい教育ということをおっしゃった。そこで、教育の現場におられた塚本先生にお尋ねをしたいのですけれども、正しく教えることが日の丸君が代についてできるのかどうかということについてお伺いしたいのです。  というのは、太田先生などが御指摘されるように、これを単純に、客観的に見れば別ですけれども、歴史的な事実との関係で考えた場合には、日の丸にしても君が代にしても、大変負の遺産と結びついているということがあるわけですね。しかし、そこのところは一応置いておいて、例えば、山口先生が言われるように、日の丸については抽象的な一つデザイン、商標と見れば、確かにそのこと自体には意味がない、ただ、使われ方に問題があったということになる。だから、あるいはこれは単純なデザインで、日本の国家をあらわす旗としてはとてもいいんだということも言えるのじゃないか。だから、国民の中でもこれを国旗として認めるという意見が多いんだと思うのです。  しかし、私は、やはり旗と歌とは違うと思うのです。歌には歌詞があって、そしてメロディーがあるわけですね。そのメロディーのよしあしということも当然問題になります。しかし、何といっても、その歌詞意味を持っているわけです。  そこで、これを正しく教えることがこの歌詞についてできるのでしょうか。少なくとも、戦前の君が代意味と現在の意味とは違うと政府は言っているわけです。先日来でも非常に変わっているわけです。例えば、「君」あるいは「代」ということの解釈についても政府の見解を変わらせているわけです。こういう、政府でさえくるくる変わっているものを教育の現場の先生に正しく教えるなんということができるのかどうか、一体正しさとは何なのか、こういうことですね。意味を持っているわけですから。  そこで、山口先生が言われるように、どうしても今の憲法、主権在民とは相入れないのじゃないか、幾ら象徴天皇のことを言うのだといったって、そうはいかないのじゃないかということが言われるわけですけれども、先生、今、教育者として、教育の現場にある先生方として、どうやってこの歌の意味を教えるのですか。意味が教えられなければ、子供たちに理解しろといったって無理ですよ、親しめといったって無理ですよ。  私は歌が好きなんですけれども、どだいこの歌は歌いにくくてしようがない、メロディーとしても本当に歌いにくくてしようがない。だって、「さざれ石」なんというのは一つの固有名詞でしょう。それが、歌うときには「さざれ」と「石」と切り離されてしまいますよ。これを続けて歌えなんということを言えません。  実はそのことを、この間、元校長先生だった方が東京新聞の投書欄に出していまして、とてもじゃないけれども、今の先生方に正しく教えるなんということはできないと断言しておられます。この点についてどんな御感想をお持ちですか。
  263. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 正しく教えるという意味、内容にもよりますが、実際の問題としては、君が代については、全体的な意味として生徒に言うときには、象徴天皇とともに、我々の現代の社会あるいは日本がさらに繁栄するようにということを、私はよく憶念という言葉を使ったわけでありますが、憶念しつつ歌ってほしい、こういう程度でございまして、生徒に指導するときには、言葉の内容もさることながら、メロディーに乗せて、声を大きく出して歌う、こういうことの指導が主になってまいります。  しかし、今私が申しましたようなことに対しまして、今の生徒は、そんなに大きな拒否反応を示すのは余りないように私としては思っております。
  264. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 時間がなくなりましたけれども、最後に、太田先生。  政府は、今度の法律で何ら義務づけをするものでない、ただ国旗国歌日の丸だ、君が代だと決めるだけのことだ、こう言っているのです。しかし今、例えば解釈などについても、政府見解もだんだん変わってきているのですけれども、私は、指導要領などでこういうように教えろということを言ってくるのじゃないかと思うのです。この辺はどうですか、これはやはり強制につながってくるのじゃないかと思うのですけれども。
  265. 太田一男

    ○太田一男君 私が一番心配しているのはそのことでして、本当に政治家の方に歴史を見通す力を今発揮してほしいと思うのです。  大日本帝国憲法をつくったときに、まさか神国天皇制国家をつくるとは思ってなかったと思うのです。そして、どういう事実かといったら、天皇の人間宣言をしなければならぬほど日本の国はマインドコントロールにかかったというのは、少なくとも戦前を御存じの方は御存じですね。わざわざ天皇陛下をラジオに引っ張り出して人間宣言をしないと、日本国民が神様だと思う。私なんか、子供のとき学校でどう教えられたかというと、天皇陛下をまともに見たら目が腐るというのですね。それだから見てはいけない、そういうことを学校の先生がまじめに教えたんですよ。  そんなことをだれがやったか。それは時の流れの力ですよ。それを利用する人たちが出てきたら、あなた方が今幾ら保証したって、だれも絶対保証できない。そういう恐ろしい力が働くのがファシズムなどなんです。その源になるようなことをやったわけですから、それはもう、今良心を発揮すべきです。政治家皆さんお願いしますよ。
  266. 佐々木秀典

    ○佐々木(秀)委員 どうもありがとうございました。以上で終わらせていただきます。
  267. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて佐々木君の質疑は終了いたしました。  次に、倉田栄喜君。
  268. 倉田潤

    ○倉田委員 公明党・改革クラブの倉田でございます。  きょうは大変にありがとうございます。お一人お一人にお伺いいたしたいと思いますけれども、まず、塚本先生、もしこの法案が成立をして法制化されるということになれば、いわゆる教育現場で強制化されるのではないのか。私どもは、強制化されることがあってはならないという考え方でありますけれども、先ほど来お話がありました、教えるということと強制をするということ、一つ一つ細かなところになってくるとなかなか区別がつきにくい部分もあるのではないのかという気がいたしますけれども、そこは先生の今までの経験から含めて、教えるということと強制するということは全く別のもので、区別ができるというふうにお考えになられますか。
  269. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 教えるということと強制との区別でありますが、率直に申しまして、教えるということの中には、若干といいますか、ある種の強制はどうしても含むと思います。しかし、何と申しましょうか、その教え方が非常に権威的、あるいは、言葉が適当でないかもしれませんが、しつこく繰り返し繰り返しいつでもやる、こういうふうになっていくと、それは強制の方に変わっていくと思うのであります。  この法案ができたらそういうようなことが行われるかと申しますと、私は、率直な感じ、法案が成立したとしても学校現場ではそんなに大きな変化はない、こう思っております。
  270. 倉田潤

    ○倉田委員 山口先生にお尋ねをいたしますが、前回の内閣委員会の議論の中で、この法律が創設的規定なのか確認的規定なのかという議論がございました。法制局長官は、いわゆる今慣習として定着している国旗国歌国旗日の丸とする、国歌君が代とするという慣習をこの法律で確認をするという創設規定である、こういうふうな答えがあったわけでありますけれども、この問題は、例えば将来的に、またいろいろ日本国民考え方が変わって、新しい国旗、新しい国歌制定する、法律を変えてそういうことができるかどうかという議論に結びついていくのではないのかな、こう考えております。  先生は法制化すべきではないというお考えでありますけれども、もし法制化されて法律になったときに、将来的に、それでは国旗日の丸も、例えば国会の議席の数次第では変えることができるのではないのかどうかということについてはどうお考えでしょうか。
  271. 山口二郎

    山口二郎君 およそ、あらゆる法律というものは、やはり制定することもできれば改正または廃止することができるものであるわけで、今回の国旗国歌法案がそのような意味で例外ではあり得ないというふうに思います。
  272. 倉田潤

    ○倉田委員 中島先生に。中島先生は、強制されるべきではないというお立場だったと思いますけれども、思想、良心の自由が内心的なものだとして、教えるということと強制ということの、どこで区別がつくのだろうという問題は、やはりあるのだと思うのですね。先生のお立場からすれば、これは学校現場等で思想、良心の自由には踏み入れることは本来できないものだというお立場だとは思いますけれども、どうでしょうか、現実問題、混乱という問題で考えていけば、先生は大丈夫だとお考えになられますか。
  273. 中島巖

    ○中島巖君 私は、小中学校の教育の経験がないからよくわかりませんけれども、ただし、個人主義的な問題をきちっと押さえて、そしてそこに自由と正義、特に正義感というものを通してそういうものをきちっと体系づけておいたら、強制と教育の問題というのは、ある程度区別できる問題だというふうに感じております。
  274. 倉田潤

    ○倉田委員 太田先生にお伺いいたしますけれども、塚本先生が、国際化という言葉をお使いになって自己の確立、国家のアイデンティティーというお話をされましたけれども、太田先生は、グローバリゼーション、国際化ということではなくて、これからの時代の状況では、逆に国と国との間、国境も非常に小さくなってくるんだ、そういうお立場だったみたいに思います。そうだとしますと、先生は、いわゆる国家のアイデンティティーと申しますか、あるいは例えば日本としてずっと変わらなく存在するものは何かとか、そういうことに関してどうお考えでしょうか。  例えば、現在の日の丸君が代が、先生のお立場としてふさわしくないとしても、国として象徴するもの、あるいはずっとやはり我が日本の国だなというふうにみんなが思うようなもの、そういうものとして、国旗とか国歌とかはどういう形で存在すればいいとお考えでしょうか。
  275. 太田一男

    ○太田一男君 実は私、ユーゴスラビアの研究をしておる者なんですけれども、紛争が起こる前に、本当におもしろいことに、クロアチアだとかスロベニアだとかセルビアとか、そういうものが急に古いものを引っ張り出してきて、民族主義をあおってきました。  今、日本で起こっているのが、その感じがして仕方ないのですけれども、グローバライゼーションが進むということは、身の回りにいろいろな異質の人たちが来るわけですよね。私たち大和というか日本の人たちは、この今の高度科学技術工業制商品生産社会と言われている新しい経済構造の中では経済的強者なんです。ですから、その周りに人が集まってきます。そのときに、古い特権を引っ張り出すことによっていいものが生まれてくるだろうかというと、そうではなくて、彼らにとっての対立構造をつくり出すことにしかならないのですね。  実際に我々はそういう人たちの支えを得て今の経済を成り立たせているわけですから、むしろ認め合うものをする中でだんだんと出てくるものは出てくると思いますけれども、今、国旗とか国歌を前に押し出していって、国際化の中でインターナショナライゼーションだから国歌を明らかにするというようなことをするべきときではない。そうしなくても我々の力は認められていっているときですから、私は、そういう意味で、今、国旗をそういう形で出さない方が、そこで戦争の反省をすることの中に信頼を回復していくことなのではないか、そう思っています。
  276. 倉田潤

    ○倉田委員 最後に、もう一問だけ山口先生にお伺いしたいと思いますが、新しい歌をつくったらいいのではないのか、こういうお考えとお聞きをしますけれども、そういう新しい国歌をつくるとしたら、手続的にはどういうふうに進められたらよいとお考えですか。
  277. 山口二郎

    山口二郎君 国会に附属機関というかある種の審議会みたいなものをつくって、各界の代表を招き、また、多分最後は公募をして、最もよいものをその中で決めていくというようなことを数年間かけてやっていったらどうかというふうに個人的には思っております。
  278. 倉田潤

    ○倉田委員 終わります。
  279. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて倉田君の質疑は終了いたしました。  次に、鰐淵俊之君。
  280. 鰐淵俊之

    鰐淵委員 きょうは四人の先生方、本当に御苦労さまでございます。大変貴重な意見を拝聴いたしまして、まことにありがとうございました。私も国民学校からの生活を知っておりますので、皆さんお話を聞いておりまして、いろいろ考えるところもあるわけでございます。  国旗国歌、これは言ってみますと、歴史的に見ると、大変長い時代を経て今日ある、このように私は思っておりますが、その中で、太田先生がいろいろるる申されたことは、大日本帝国憲法後、日の丸あるいは国歌の非常に不幸な時代、こういったことを主に話されたわけでありますが、私もそのとおりだと思います。  したがって、私どもは、そういう反省のもとに、二度とあのようなファシズムを起こさない、いわゆる民主国家として、国民皆さんもよくその辺を学習していただいて、そして私ども政治家が多数で云々ということではないのでありまして、政治家国民の投票をいただいて、私どもは政策を訴え、それに共鳴をして国会に籍を置いているわけでございますから、その中で決まるということは、これは民主的ルールであくまで決まっていくわけでございます。これは、強いて言うならば、国民皆さんが決めていただいておると言っても過言ではないと私は思っております。  その中で、特に私は一つの例を出したいと思いますが、それにつきまして皆様方の御意見を賜りたいと思います。  私は、長い間、地方の首長をやっておりまして、諸外国、特に私どもはカナダの国との姉妹都市がございまして、何年かに一遍、交歓として小中学生が来られるわけであります。また、こちらからも行くわけであります。  そのときに交歓会がございます。やはりお互いの国の尊重ということで、国歌を斉唱するわけでありますが、カナダの子供たちは、本当に、異口同音、もう堂々とプライドと誇りを持って一糸乱れない斉唱をするわけであります。中には胸に手を当てて国旗の方にきちっと向かってやります。次いで、君が代の斉唱と国旗の方になりますと、これまた対照的でありまして、日の丸を向いている者、横を向いている者、後ろを向いている者、歌う者、歌わない者、まことにこれはもう雑多でございます。  そういったときに私は考えるわけでありますが、特に塚本先生が広島の高校の校長さんの不幸な死のことも申し述べられましたが、こういう国歌などというものは高等学校でもって教育したってもう遅いんですね、いわゆる学習しても。やはりこれはもう小学校、幼稚園。ですから、小学校、幼稚園になりますと、これは歌詞なんかどんな意味があるかなんといったってわかりっこないです。小学校の一、二年生に難しいことを説いたってわかるわけがない。ですから、そこがまた、その子供たちの親も戦後の時代の親ですから、当然、思い切ってそういう国歌を歌ったこともないし、また恐らくそれはオリンピックやそういったときにはあったんでしょうが。  いずれにしても、そういうような時期を経ているということでございまして、こういった、端的に外国との交歓のときの例を見て、私はつくづくと考えさせられたわけでありますが、この点について、塚本先生、山口先生にそれぞれ印象をお聞かせいただければと思います。
  281. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 民族とか国家の一体感と申しますか、そういうようなものは理屈ではなくて、ある面では小さいときからの育った環境と申しますか、そういうことが非常に大きく作用すると思います。  ですから、幼稚園とか小学校あるいは中学校、その辺までに、この国旗国歌のこと、あるいは日本の国のこと、そういうことをしっかり教育するということは、私は大切なことだと思います。そのことが直ちに戦前のような社会に結びついていく、こういうふうには私は考えておりません。  以上であります。
  282. 山口二郎

    山口二郎君 国民としての帰属意識を持つことと、日の丸君が代に対してある種の姿勢をとるということとは全く別問題だと私は思います。今の若者も、例えばワールドカップやオリンピックの場においては、だれから言われなくても日の丸を振って日本の選手の応援をするわけでして、その意味では自発的な帰属意識というものは持っていると思います。  それから、カナダの例をお出しになりましたが、カナダの国歌というのは、まさにそのカナダ国民の理想を唱える非常にわかりやすい歌詞で、比較的最近つくられたものであります。その意味で、君が代というのはなかなか歌いにくい、まして子供にとって意味がわからないという問題があるわけでありますから、先ほどの先生の御質問について私なりに考えてみれば、私は、さっき言ったみたいに、二十一世紀の日本の理想について、みんなにとってわかりやすい歌詞を持った歌をつくるべきという私の議論にむしろつながる御質問ではないかというふうに拝聴いたしました。
  283. 鰐淵俊之

    鰐淵委員 時間になりましたので、これで終わります。
  284. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて鰐淵君の質疑は終了いたしました。  次に、児玉健次君。
  285. 児玉健次

    ○児玉委員 日本共産党の児玉でございます。  今、日本の歴史始まって以来最初のこととして、国旗国歌をめぐる、賛否両論分かれた、しかし、かなり自由濶達な国民的討論が始まっていると思います。私は、これをしっかり保障するのが政治の務めだと思いますし、私たちは先日、国旗国歌をめぐっての調査会国会設置しようということを提起いたしました。  そこで、まず山口先生にお伺いしたいのですが、先ほど山口先生のお話の中で、国旗国歌法制化によってわざわざ異端がつくり出される、今、日本の社会にとって多様性、異質性こそ重要ではないかというふうにお話がございまして、私もこの国会審議に参加していて、いつも私の中で反すうしているのは、内心の自由、そして、沈黙の自由を含めて、行動で信念を表現する自由、憲法十九条が保障するこの自由がどうやって貫かれなければならないのか、そのことをいつも感じております。  そこで、御質問したい点は、私たちの国会の論議の中で、小渕首相は先日、本会議で、たとえ法制化しても君が代日の丸国民に強制することはしない、こう申しました。  そこで、私たちは、国民に強制しないことがどうして学校で子供や教師に強制されるのか。今の君が代日の丸の学校現場での押しつけは、想像を絶するほどの困難を教育の現場に与えていると思うのです。国民に押しつけないとすれば、学校、すぐれて教師、子供には決して押しつけない、そのことをこの際、国民の総意で打ち立てたいと考えておりますが、その点についての先生のお考えを伺いたい。  それから、太田先生にも御質問を申しておきたいのですが、先ほど先生は、軍が戦前、政治だけでなくて教育まで支配した、御自身の体験からもそうおっしゃいました。そして、アジアにおける侵略国家としての日本のシンボルであった日の丸君が代が今法制化されようとしている。先生御専門の国際政治の状況との関連で、なぜ今それが法制化されようとしているのか、このことについての御見解をいただきたいと思います。  以上でございます。
  286. 山口二郎

    山口二郎君 私、先ほど意見陳述の中で、明治初期の思想家の言葉を引用させていただきましたが、そもそも日本の中にはそのような多元的な意見に対する尊重を唱える知識人がいたわけでありますが、その後、まさに日本が対外的な帝国主義国家になり、また国内の統合を進めていく中で、そのような気風が失われてしまった。そして戦後、民主主義の方向に大きく転換をしたはずなんでありますが、まさに良心の自由といいましょうか、内面の自由といいましょうか、これを尊重するということが不徹底な部分がかなりあった。  きょうはそういう場じゃないので詳しくは申しませんが、その意味で、国旗国歌について学校教育の場で強制をするということは、やはり近代国家の大原則にもとることだというふうに思います。
  287. 太田一男

    ○太田一男君 私は、ぜひ皆さんにこの際お考えいただきたいと思うことは、今はあらゆる分野でグローバライゼーションが進んでおりまして、教育を受けて力を得た人たちは世界で羽ばたける時代になっております。そして、その世界で羽ばたいていくときに、裏の現象として何が起こっているかというと、教育から外された力を失った人たちが捨てられていっているという現象が起こっています、棄民と呼んでおりますけれども。今、地域紛争が起こっておる背景には、いわゆる少数者の存在が危うくなっている状況があると思うのです。  皆さん御存じだと思いますけれども、言葉はマーケットを持っています、ランゲージマーケット。言語的マイノリティーは今の社会ではマーケットにアクセスできなくなってきているわけですね。北欧の人たちは早くからバイリンガルに変えていきました。しかし、そうすることに失敗した地域の人たちは、民族としてマイノリティーになっているわけですね。その典型的なのはコソボの人たちです。今の経済にアクセスできない。そういうところがある今の時代、民族問題が起こってくるとすれば、そのような捨てられる人の側の訴えが出てくる、それに対して経済的強者の側がその論理を押しつけていって、軍事力や警察力で抑え込んでいこうとする、その矛盾としてあらわれてくると思うのです。  今はまだグローバルにその人たちを支える関係はできておりませんから、少なくとも経済的強者の側の者は内心の自由まで奪うようなことをしてはいけない。特にその場合、強者の側の正義を訴える人たちが体制の中でいじめられるわけです。それが怖いのですね。今起こっている出来事は、世界を制覇しようとするそういう力が経済的優位な者たちの論理を押しつけていこうとする。  ですから、私は、昔の軍国主義は来ないと思いますけれども、そういう企業優先の、そして強者の論理を押しつけようとするためにマイノリティーの者を抑える、そのときに軍隊を連れていこうとする、この間のガイドラインのような、そういうことをやらせてしまった後、本当に一人一人が自由を持てるだろうか。  ましてや、学校現場で子供たちが、親は反対するあるいはおかしいのじゃないかと思っても、それを言えるだろうか。そうしたら、とてもそういうことにならないですし、まして困っている人たちのために何かをしたいと思うその優しい気持ちまで抑え込まれていくことになるのじゃないか、そんなふうに思いますので、こういうことは避けなければいけない、私はそういうふうに思っております。
  288. 児玉健次

    ○児玉委員 中島先生にお伺いしたいと思います。  先ほど先生は、個人主義的な物の考え方がまだ根づいていない、こういうふうに御指摘なさって、そして、個人主義的な物の考え方というのは個人の思想信条の自由に基づくべきものだ、そういうふうに私伺いました。  それで、先生がおっしゃる個人主義的な物の考え方が、例えばドイツなどでどういうふうに培われたか。一九七三年にドイツの常設文部大臣会議というのが宣言を出しておるのですが、その宣言の中でこう申しております。「子供が自己の意見を自由に批判的に、しかしながら、他者の尊厳と確信を尊重しつつ表明することを学ばない限り、責任ある市民への教育は不可能である。」私はそうだと思うのです。子供も自分の信念を吐露しつつ、そして他の者が信念を吐露することを尊重しつつ、自由に育っていく。  ところが、君が代日の丸が学校現場に押しつけられますと、それとはほど遠い状態になると思うのですが、この点いかがお考えでしょうか。
  289. 中島巖

    ○中島巖君 今おっしゃったことは、私もそのとおりだと思います。  ただ、国旗国歌の問題とその問題とは多少次元の離れた問題として考えています。
  290. 児玉健次

    ○児玉委員 最後に、塚本先生にお伺いしたいと思います。  今私たちは、君が代の国語学的解釈を国会で多少やっております。先日来明らかになったことは、「君」とは象徴天皇である、「が」とは所有の格助詞だ、そして「代」というのは時代的な意味から転じて国を意味する。そうすると、君が代というのは天皇の国という意味になります。その天皇の国が千代に八千代に栄えていくと、どうしても日本国憲法の主権在民の原理とは両立しないと思うのですが、そういうことについて子供に教えていくことがどんなに困難なことか、その点どうお考えでしょうか。
  291. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 私は、率直に申しまして、政府見解とかそういうことを十分見ておりませんが、ただ、幼稚園とか、私のところは小学校はございませんでしたので、中学生には、この国が栄えるように憶念するのが国歌だよ、抽象的といいますか、そういう言い方でありますが、こういうふうに生徒には申しておりました。  それで、私個人の考えをちょっと申しますと、確かに、君が代国歌としていろいろ問題があるということを私は否定はいたしません。しかし、現在のところ、もし国歌を認めていこうとすればこれ以外にないのではないか。何年か後に、将来こういうものがもっと適切だということになれば、そういうものに変わることは結構なことではないか、私はそう思っております。
  292. 児玉健次

    ○児玉委員 ありがとうございました。終わります。
  293. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて児玉君の質疑は終了いたしました。  次に、笹木竜三君。
  294. 笹木竜三

    ○笹木委員 まず、塚本先生にお伺いをしたいわけですけれども、先生は学校の現場でいろいろ実際の御苦労もされてきたと思うわけですけれども、先ほどいろいろ厳しい対立、混乱があったというお話もありました。そういったことからも法制化が必要なんだ、賛成だというお話がありました。  ただ、考えてみますと、法の根拠がないものでも、学校現場では教えているものがもともとたくさんあるはずです。例えば、道徳的なこと、マナー的なこと、文化的なこと、こういったものは、ほとんど法の根拠はありませんけれども、学校の現場で当たり前のように教育として用い、あるいは教えている。  それで、この国の歌と国の旗について法制化が必要だということで、先ほど、慣習、これがいろいろ対立、混乱がある場合に、やはり法律が必要なんだというお話がありました。しかし、考えてみると、これは、特に学校現場で国歌国旗を用いることに対して、あるいは教えることに対して反対の方々が、法的根拠のないものは教育現場で用いるわけにはいかないと主張されるから、それに対する対応として法的な根拠が必要だと考えておられるのじゃないでしょうか。そのことについて、まずお答えいただきたいと思います。
  295. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 例えば、これは仮のことでありますが、国旗国歌に対して批判的な意見の人を多く抱えた集団があったといたします。そうしますと、この今の法律が成立することによって、そういう集団の意向とか意見とかというものが直ちに変わるとか、そういうふうには私は考えておりません。  ただ、長い目で見ますと、やはり国旗とか、国歌として歌ってはいるけれども、一体これは何に根拠があるんだとか、そういうような話というのはいろいろなときに出るであろうと思います。そんな、法律に根拠がないものが何で国歌なんだろうかといろいろ思う方がおられるかと思うのであります。  それで、こういうものを今のような時代法制化することにおいて、よく日本人には顔がないということを言われますけれども、だんだん日本人にも顔ができてくるんじゃないか、私はそんなふうに思っております。
  296. 笹木竜三

    ○笹木委員 さらにお伺いしたいのですけれども、先ほど、自己の確立のためにも必要だ、そういったお話自体は私も賛成なんですけれども、例えば、他の委員からも話がありましたけれども、政権がかわれば法律というのは簡単に変えることができる。例えば、制定して、政権が後にかわって、また別のものを制定する、これも法的にはもちろん可能なわけです。こういったことが、逆に自己の確立を混乱させる可能性はあるのじゃないか、そう心配をするわけです。国によっては、国民投票で決める、あるいは法律よりもさらに重い憲法規定している、そういった国もございます。  賛成の塚本先生と中島先生にさらに、こういった例えば法よりももっと重い国民投票とか憲法規定する、この方がより望ましいのではないかという意見もあります。あるいは、習慣のままにしておいて、政治的な思惑から超然とさせる、これがむしろ適しているんだ、そういった意見ももちろんあります。そういった意見についてはどうお考えか、一言ずつお答えいただきたいと思います。
  297. 塚本正孝

    ○塚本正孝君 国旗国歌に関するようなものは、政権がかわれば直ちに変わるとかというようなことがあるとすれば、それは好ましいことではありません。もしそういう可能性があるのでしたら、私は法制化はやめた方がいい、こう思います。
  298. 中島巖

    ○中島巖君 今回の法案といいますか、その中を見ますと、非常にシンプルなものだと感じております。法的にその程度の扱いをしておいて、そして非常に国民的なコンセンサスといいますかそういうもの、教育の問題も含めてそういうコンセンサスが得られれば、慣習法に切りかえても構わないような問題だ、あのイギリスみたいな慣習法でも構わない問題だと私は感じております。
  299. 笹木竜三

    ○笹木委員 続いて山口先生にお伺いしたいわけですけれども、特に国歌については、君が代ではなくて新たな国歌制定すべきという御意見でした。  私が小さいころからもよく聞いたわけですけれども、これまでも、例えば、国旗とか特に国歌に否定的な先生とかそういう方々は、新しい違った歌をつくるべきだと長年主張をされてきています。しかし、そういった具体的な動きは結局なかなか起こってこないというこれまでの経緯はあります。  新しい国歌ができるまでは現国旗と現国歌を慣習として認めていくこと、これに対しては先生はどうお考えなのか、お伺いしたいと思います。
  300. 山口二郎

    山口二郎君 私も、最初に申しましたように、できるまでは、現状の国旗国歌というものは事実として国民の間に定着をしている、その慣習については、あえて異を唱えるつもりはありません。したがって、国際的なさまざまな場等において、日の丸君が代日本国旗国歌として使われることに対しては、特段異を唱えるものではありません。
  301. 笹木竜三

    ○笹木委員 さらにお伺いしたいわけですけれども、特に国の歌、国歌のことについてお話しになったんだと思うのですけれども、ここで法制化をすることは過去を忘却することだというふうにお話をされました。  よく話題になるわけで、外国の例でいいますと、例えば、多民族の国家であるアメリカは、刑法の刑罰で国旗を保護することも実際にやっている。あるいはイギリス、これは慣習法ではありますけれどもアヘン戦争を、フランスも植民地主義を経ているにもかかわらず、歌、旗を変えることはしていない。あるいは法制、これもほとんどのかなり多くの国が憲法法律で両者ともに規定している、こういった現実がよく話題になるわけですけれども、先生は、世界の中で、さらに進んで他の国よりも最先端を行くんだ、そんなお気持ちで、まず今までに例にないようなことを日本でやる、そのような気概で発言をされているのでしょうか。
  302. 山口二郎

    山口二郎君 私はそういう先駆的なつもりがあるわけではありませんで、やはり、同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツとイタリアとを比べてみれば、それぞれ国歌を修正して、ドイツの場合は国旗も変えたという経緯があるわけでありまして、どこの国がやっているから日本もまねしよう、あるいはまねしなくてもいいというような議論は私は余り興味がありませんで、我々日本自身の生き方の問題としてこの問題を考えていくべきだと思います。
  303. 笹木竜三

    ○笹木委員 続いて、太田先生にお伺いをしたいわけですけれども、国旗とか国歌を学校で教えることが子供の思想信条の自由に反するといった意見がよくあります。実際に、国旗国歌を学校で教えることがそういった自由に反すると考えている国が日本以外にあるのでしょうか。
  304. 太田一男

    ○太田一男君 アメリカでそういうことに反対して裁判になったケースがございますけれども、国家として考えているかということになりましたら、国歌というのは、もともと国家、権力の側が、言ってみれば押しつけているわけですから、そういうことをやらない国は少ないと思いますね。  ただ、今そういう時代ではなくなってきているのじゃないでしょうか。というか、私は、日本に関して言えば、特に日の丸君が代は、本当にアジアに対して申しわけないことをしたシンボルですから、そのシンボルを何で今出すんだということの方が大事だと思うのですね。アジアの側から見たら、とうとう日本はそこまで行ってしまったか、もう自衛隊も外へ出すよ、そして企業は来ているよ、今度は何かと思ったら、今度は日の丸掲げて来るんじゃないか、こういう人たちの側から物を考えたら、そんな愚かしいことを今やらぬ方がいいです。  そういう意味で、よそにあるからじゃなくて、私たちはそういう道を選ぶべきだと思っております。
  305. 笹木竜三

    ○笹木委員 残念なんですけれども、時間が来ましたので、これで終わります。どうもありがとうございました。
  306. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて笹木君の質疑は終了いたしました。  以上で委員からの質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  本日拝聴させていただきました御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心より感謝申し上げ、御礼を申し上げます。  これにて散会いたします。     午後二時四十三分散会     ―――――――――――――    派遣委員の石川県における意見聴取に関する記録 一、期日    平成十一年七月七日(水) 二、場所    ホリデイ・イン金沢 三、意見を聴取した問題    国旗及び国歌に関する法律案内閣提出)について 四、出席者  (1) 派遣委員    座長 植竹 繁雄君       小此木八郎君    小島 敏男君       矢上 雅義君    佐々木秀典君       山元  勉君    倉田 栄喜君       鰐淵 俊之君    児玉 健次君       笹木 竜三君  (2) 政府側出席者         内閣総理大臣官房参事官 金田 恭久君  (3) 意見陳述者         金沢青年会議理事長 米井 裕一君         石川県労働者福祉協議会理事長 荒島 勝夫君         北陸大学外国学部教授 松田 三郎君         元尾口村村長 佐藤 忠吾君         金沢大学名誉教授 深井 一郎君  (4) その他の出席者         内閣委員会専門員 新倉 紀一君      ――――◇―――――     午前十時開議
  307. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これより会議を開きます。  私は、衆議院内閣委員会派遣委員団団長の植竹繁雄でございます。  私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。  この際、派遣委員団を代表いたしまして一言ごあいさつ申し上げます。  皆様御承知のとおり、当委員会では、国旗及び国歌に関する法律案の審査を行っているところでございます。  当委員会といたしましては、本案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を承るため、御当地におきましてこのような会議を催しているところであります。  御意見をお述べいただく方々には、御多用中にもかかわりませず御出席いただき、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただくようよろしくお願い申し上げます。  それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。  会議の議事は、すべて衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。  なお、この会議におきましては、御意見をお述べいただく方々から委員に対しましての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと思います。  次に、議事の順序について申し上げます。  最初に、意見陳述者の方々から御意見をお一人十分程度お述べいただきました後に、委員から質疑を行うこととなっております。  なお、御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。  まず、派遣委員には、自由民主党理事として小此木八郎君、民主党理事として佐々木秀典君、また、自由民主党から小島敏男君、矢上雅義君、民主党から山元勉君、公明党・改革クラブから倉田栄喜君、自由党から鰐淵俊之君、日本共産党から児玉健次君、無所属の会から笹木竜三君、以上でございます。  次に、各界を代表して御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。  金沢青年会議理事長米井裕一君、石川県労働者福祉協議会理事長荒島勝夫君、北陸大学外国学部教授松田三郎君、元尾口村村長佐藤忠吾君、金沢大学名誉教授深井一郎君、以上五名の方々でございます。  それでは、米井裕一君から御意見をお述べいただきたいと存じます。
  308. 米井裕一

    ○米井裕一君 米井でございます。よろしくお願いします。  今回、このような場で意見を述べさせていただく機会をいただきましたことを大変ありがたく思っております。  青年会議所の先輩から御指名を受けまして、なぜかという話をしましたら、青年会議所では毎月一度例会というのを行っておりまして、必ずそこで国旗を掲げ、そして国歌を斉唱するわけであります。いろいろな団体がありますけれども、毎回毎回こういうふうに国歌を歌う団体は青年会議所ぐらいだから、おまえ出ろということでございました。あらかじめもう名前が入っているのでよろしくねということでありまして、非常に緊張しております。お聞き苦しい点があるかと思いますが、よろしくお願いしたいというふうに思います。  青年会議所という組織からお話しさせていただきますが、先ほどの、国旗国歌を毎回掲げておるということです。青年会議所自体はアメリカで発祥し、今、全世界の組織になっておりますが、日本におきましても、戦後、その当時の三十代ぐらいの若者が、何とか戦後の日本を政治的にも経済的にも復興させようと努力した、当時の青年の気概によって組織化されたものだというふうに私は理解しております。当然そのときの状況から考えますと、もちろん、個人として、日本人としての自信の回復、それから、何とか国家に貢献しようというような目的が第一にあったのではないかなというふうに思っております。もちろん現在でも国家への貢献といったことは青年会議所の中では変わってはおりません。  しかし、こういう私でありますが、十年ほど前に入会させていただきまして、そのときに、まず入会のオリエンテーションで、我々の先輩方が国旗へ向かって起立しまして、直立不動の姿勢で国歌を歌った姿を今でも鮮明に覚えておりまして、正直なところ、非常に違和感を覚えた感覚を今でも持っております。これは、学校を卒業してから余りそういった習慣がなかったということもあるのですが、やはりいろいろな、例えば当時の見聞きした映画とかテレビで、いわゆる国旗国歌イコール戦争といったようなイメージが若干なりとも頭の中にインプットされておったのかなということを今でも覚えておる次第であります。  青年会議所の活動にいろいろな分野があるわけですが、こういう形で違和感を覚えたのが徐々になくなっていったきっかけというのが、青年会議所の中では国際という分野が多うございます。世界八十数カ国の国に青年会議所があるわけでありますが、金沢青年会議所は、たまたま九六年に国際青年会議所が主催する国際会議を金沢で主管することになりまして、その関係で、私、幸いにしていろいろ海外へ出かけることも非常に多うございました。海外のメンバーと接することも非常に多かったわけであります。  その中の国際アカデミーという事業の中で、各国の次の会頭を代表する方が集まってくるわけであります。アフリカの小さな国からアメリカまで、いろいろな国が集まってくるわけですが、その中のメンバーと話して、国のことを恥じる方はだれ一人いなかったということであります。どんな小さな国であっても、その国の固有の文化、歴史というものを非常に誇りに思っておるということに非常に感銘を受けたわけであります。もちろん、歌を歌えと言えば、国歌であるかどうかはわかりませんが、非常に胸を張ってその国の歌を歌うわけでありますし、旗に関して、一度アフリカへ訪れたときに、小さな国でしたが、その国の国旗を胸に縫いつけて行ったら非常に喜ばれたといったような経験もございました。  こんなようなことを何度か繰り返していくうちに、だんだんと入会時に覚えた違和感というのはなくなっていったというふうに思います。こういった青年会議所の世界の姿、今から国をつくっていこうよという人たちの姿を見て、日本での青年会議所の黎明期の諸先輩方の姿というのを何となくかいま見た、そんなような気がします。  私思いますに、国に対する愛着心とか愛情、愛国心というものは、私の家族であるとか地域に対するものと同様であろうというふうに思うわけであります。もし自分の国に何の愛着も感じないという国は、逆にほかの国からは非常に不自然に感じることであろう、そしてまた、信頼もされないのではないかなというふうに思います。世界に対する貢献というのは今日本で非常に大きく望まれていることでありますから、その中の基本的な部分なのかなということを自分なりに考えております。  国旗国歌を我々は毎月こうやって歌ったりするわけですが、それを尊重するということは、やはり日本という国に対する思いを強く意識することではないのかなというふうに思っております。他者へ向けての貢献ということが前提でありますが、その前に、自分が何者であり、何をすることが使命であるのか、これを意識するためにも、我々としては国旗掲揚それから国歌斉唱というのは非常に自然なこととしてとらえているということを申し上げておきたいというふうに思います。  今回、この法案について意見を述べよということでございましたが、いろいろ資料を見させていただきました。私、資料を見る限りにおきましては、この国旗国歌法律として明文化することについては特に異議はないことでございます。  諸外国の例、私、その前の感覚では、ほとんどの国はそういうふうになっているのかなと思いましたが、まちまちであったようであります。ただ、それは他国のことであり、国旗とか国歌というものは主に国をあらわすものであるというふうに思います。これが逆に一定しないようであれば、国民に対してもまた諸外国に対しても大変失礼な話なのかなというふうに感じております。  これは非常に卑近な例で申しわけないのですが、私は中小企業の社長をしておりますが、例えば企業においてのロゴや看板、こういったものを出しておるにもかかわらず、そこの社員が、これは認められていないけれどもとりあえず使っていますということを言う社員がいる会社はお客さんから果たして信頼を得られるだろうか。非常に社長的な感覚ですが、自分が一体何者であるかということをまずはっきりさせるために、明文化することですっきりするのであれば、私は、それが非常に自然なことであるというふうに感じるわけであります。  それから、内容に関しまして、これは解釈の問題でありますので、私から特に申し上げることはないのですが、憲法に基づいた相応の解釈があればいいのかなというふうに思います。ただ、それ以前に、我々は二つ国旗国歌に随分なじんでおります。そこに新たな解釈を加えるということには、逆に私としては非常に違和感を感じた、これが正直な感想であります。  ただ、特に国歌につきましては、非常に難解な歌詞であるというふうに思います。ですから、私は、一人の親という立場で申し上げるならば、せめて子供に説明できるぐらいの解釈は自分なりにできるようにしておきたいなということは感じております。もちろん、当然子供の年齢に応じての解釈はあろうかと思いますが、ある程度大きくなれば、日本の国の歴史とかそういったものも含めた説明ができればというふうに思うわけであります。  ある意味で、国旗とか国歌というのは制作者がもともとおられたわけであります。ただ、今となっては、だれがつくったかということは、その方はいらっしゃらないわけであって、これは、それを見る人が完全に理解するということはあり得ないのではないか。一般的に見ても、シンボルマークですとか例えば歌の意味ですとか、そういったものをすべての人が共通に、同じ意味で理解するということはない、そういうふうに私は思います。解釈というのはある程度自由度があってもいいのではないかというふうに私は思います。  ただ、問題は、そのときの指導者であるとか影響力のある方がこうだというふうに言えば、それが世論というふうになるわけであります。あくまでこれは利用する側の問題であろうというふうに思います。国旗とか国歌そのものの問題ではないというふうに私は思います。なぜならば、歌とか旗で戦争が引き起こせるわけはないわけでありまして、そのように考えるわけであります。  資料を見させていただきますと、国旗デザインにつきましてはいいのではないかという話が多いのですが、歌の内容についていろいろな意見があったように見受けられました。  例えば国歌について、新しい歌をどうだとか、現代風にしたらどうだとか、暗いのではないかといったようなことがありましたが、こういった内容については全く理解できないわけであります。現代もいずれは過去になるわけでありまして、国をあらわすというものは非常に神聖なるものであろうというふうに思います。ですから、これはより普遍的な価値を持つものでなければならないというふうに私は思います。  歌詞についてもこれと同様であろうかなと。曲調ともあわせて言わせていただくならば、これは、日本という非常に長い歴史の中で積み重なってきた、培ってきた文化、その土壌から選択された結果であるというふうに私は理解しております。もちろん当時の日本の状況は今とはいろいろ違いはあると思いますが、過去の人であれ現在の人であれ、同じ日本人であります。日本人が選んだ結果として我々は真摯に受けとめる、そういうつもりで私はおりたいというふうに思います。その上に、非常に長い年月が積み重なってきたという事実があるわけでありまして、このような歴史的な背景を覆すことのできるようなものが今新たにできるのかというと、現実的に考えて、非常に疑問かなというふうに思うわけであります。  ただ、法制化の問題でありますが、私は、それよりもその背景にあることが非常に気になるわけでありまして、今、二十一世紀を迎えようとして、次世代に何を伝えていくかということが非常に重要な課題になってくるかというふうに思います。これからの世の中は恐らく、より高度な技術発展のもと、複雑になっていくんだろうな、そのためにもやはり最低限の正確な認識を次世代の子供たちに与えることが必要なんだろうというふうに思います。  とにかく、いろいろな難局をこれから迎えられると思いますが、それをみずから打開できるような力と、それからその哲学を培う素養を与えていくこと、これが一番大事だというふうに思います。  これは、国旗国歌というのがこれが妥当かという問題よりも、恐らく第二次大戦のときのいろいろな解釈があるのかなというふうに思います。  これについては、私は一般人の立場として申し上げるならば、非常にいろいろな意見がいまだに出ておるわけであります。それは、真実は一つであろうはずなんですが、その中の解釈によっていろいろまちまちな見方がされている。これは私は、感情と史実、事実というものをまぜてはいけないですし、そのときのいろいろな政党の方向によって解釈が揺らいでもいけない。我々が知りたいのはあくまで何があったのかという事実のみであります。特に私は戦争を知らない世代であります。また、戦争を知った私のおやじの時代の方々がいなくなれば、さらにわけがわからなくなってしまう。そういったことを考えますと、やはりこういったいつまでも平行線をたどっているような議論にそろそろ終止符を打っていただきたいな、これが非常に正直な気持ちであります。  非常に雑駁な意見を申し述べさせていただきました。最終的に何を言いたいかということを言いますと、やはりこれから日本を代表していく若い世代、そういった人たちに対して、一人一人の方々が、日本を代表する者、そういった気概を持てるような教育をお願いしたいということと、もちろん我々自身も地域の中でそういった意識を持っていきたいなということを思いました。  また今回、これをきっかけにして、いろいろな資料等を読むことができました。私なりにもその認識が深まったかなということを最後につけ加えさせていただきまして、非常に整わない意見でありましたが、私からの意見とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  309. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、荒島勝夫君にお願いをいたします。
  310. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 荒島でございます。  私は、昭和十年生まれでございまして、終戦というよりは敗戦のときに国民学校四年生でございました。私のうちには日露戦争で金鵄勲章をもらった祖先もおりまして、立派な碑もございます。そういう人間が、成長の中で、戦争による価値観の一変、それから戦後の混乱、それから私たちは子供なりに新日本建設、こういうことに大きな志をみんなが燃やしながらこの人生を送ってきたと自負をいたしております。その中で、国旗国歌の問題につきましても、今日まで賛否さまざまな意見があること、また、その背景についても、私なりに、幅広くと自分で申し上げるのも大変僣越ですけれども、かなり関心を持って眺めてきたものでございます。  今国会におきまして国旗国歌に関する法律案が出されておるわけでございますけれども、私は、国旗国歌に対するまず一般的な考え方としては、それぞれの国家に国旗国歌があるのは自然なことであるというふうに思っておりますし、それについて法律で定めることの是非論はあるにしても、私は法律に定めるということについては必ずしも反対するものではございません。しかしながら、今国会、つまり第百四十五国会におきまして、今回出されておりますこの法案について決定されることについては、私は同意しかねるという考え方でございます。  以下、その理由について申し述べさせていただきます。  国旗国歌は、言うまでもなく、国民の広い支持と共感を得るものでなくてはなりませんし、また親しみと敬愛の念を持って接しられなきゃならないというふうに思うわけでございます。したがって、その制定に当たっては、幅広い圧倒的多数の国民の賛同と祝福の中で決定されてしかるべきだし、そのように願うものでございます。その点、今国会におけるこの法案の提出については、私ども、報道等を見る限りにおいては、いささか唐突あるいは突然という印象を免れ得ないのでございます。  小渕内閣総理大臣は、国会の初めのころには、たしか今国会での法制考えていないというふうに発言されていたやに伺っております。しかし、五月あるいは六月になりまして、にわかに六月の十一日ですか閣議決定をされたということにつきましては、私どもは、拙速というか、あるいは性急に過ぎるのではないか、これは国家国民の基本的な課題であるだけに、この際、もう少し国民に呼びかけて、次の国会以降に論議をされてもしかるべきではないかと。いつまでもこの問題を引きずるのはよくないという意見もございますけれども、これが半年、一年、あるいは二年延びたからといって決定的な問題ではないのではないか、このように考えておるわけでございます。  とりわけ、今回の背景には、連立政権構想など政局の動向が影響しているような印象すら私は受けております。と申しますのは、当初反対ないしは慎重論であった政党が途中で方向をお変えになったような印象を受けておるということもございますし、党によっては賛否半ばしておるというのは与野党の中にあるとも報じられておるわけでございます。国旗が大きく定着しているとすれば、この問題について私は繰り返して申し上げますけれども、今国会で強引にお決めになるというようなことは将来にわたって国旗国歌を傷つける不幸な誕生になるのではないか、このようなことを恐れるものでございます。  それからもう一つは、資料を見せていただきますと、マスコミ各社はそれぞれ世論調査を行っておられまして、発表されております。しかし、政府、内閣におかれましては、昭和四十九年に調査をされて以来されていないと伺っておるわけでございます。  その中身を見させていただきますと、一万人対象のうち、七千八百九十二人の有効回答があって、日の丸君が代については、八四%と七七%の方がそれぞれこれに賛意を示されておるというふうになっております。しかしながら、法律で決めなくてもよいのではないかと回答されている方が、その中のそれぞれ七一%、七二%というふうになっておるわけでございます。つまり、定着しているのだからあえて法律で定めなくてもいいという方が昭和四十九年の時点では相当数おいでになるということでありますから、今回の国会の論議等も受けて、今日、国民がどのように受けとめておるかということについて、早急に一度、政府の責任において全国的な調査をやられてみる、そうしたことを積み重ねることが、国歌国旗等の議論について、より根拠と正当性を与えることになるのではないか、私はこのように申し上げたいと思っております。  次に、国旗国歌の一般論ということじゃなくて、日の丸君が代について私の個人的な意見を述べさせていただきます。  私個人は、日の丸については特段の違和感を感ずるものではございません。私は、さまざまな政治的主張をされる方であっても、オリンピックあるいはワールドカップ等、日の丸が上がることによって、一体感あるいは喜びをともにしているという、これが一般的な素直な市民感情ではなかろうかというふうに思っております。ただ、君が代につきましては、この解釈をめぐりまして、国会の御答弁などを伺っておりますと、いかにもわかりにくいと言わざるを得ないと思うのでございます。  確かに、「君」ということについて、天皇はかつての天皇ではなく国民統合の象徴である、平和憲法による天皇を指すのだから、それは国民一般のことだなどという言い方は、理屈は理屈としても、非常に回りくどい印象を受けざるを得ないわけでございます。そういう意味では、国旗国歌を同列にというふうに必ずしも考えなくてもいいのではないかというふうに思っておるものでございます。  具体的に言えば、国旗国歌については別に取り扱われてもよいのではないかというのが一つ。それから、国歌につきましては、新しい歌詞検討されてもよいのではないか、このように思っているところでございます。  それから、今日、この問題が出るにつきましては、教育現場における混乱というようなことが言われているわけでございますけれども、それをめぐりまして、時間がないので深く述べることはできませんが、政府の御答弁では、強制にわたらない、このように申されておるようでございます。しかしながら、これは、これまで法律上の根拠がないということが一つのきっかけになってこの法制化という問題があるという意見もございまして、そのことによって実質的にそういう強制力というものに転化をしていくというふうなことを私は懸念するものでございまして、この点、私どもは扱いとしても明確にしておくべきだろうと。法律で決まったから守れというようなことではなくて、真に国民が、我らの国旗、我らの国歌という、先ほど冒頭に申しました共感と支持のもとにあるものでなければならないというふうに思うわけでございます。  私自身、国家あるいは日本の国、あるいは自分の郷土、地域、家庭を愛するということについては人後に落ちないものでございますが、それらが力によって押しつけられるものであってはならないというふうに考えているものでございます。  以上、雑駁でございますが、意見を申し述べさせていただきました。ありがとうございました。(拍手)
  311. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、松田三郎君にお願いをいたします。
  312. 松田三郎

    ○松田三郎君 北陸大学から参りました松田です。  実は風邪を引いていまして、お聞き苦しい点があるかと思いますが、お許しいただきたいと思います。  私は、大学で国際関係論、外交史、比較文化論といったものを担当しております。そうした立場からこの国旗国歌という命題について意見を述べさせていただきます。  申すまでもないことですが、国旗あるいは国歌というものは、国際社会においては一つ国民あるいは国家というもののアイデンティティーとして注目され、つまり認知され主張する立場を持ち得る最初のものだと私は理解しています。そうした国際社会、しかも我々が今生きているこの時代は、その国際化というものが避けて通れなく、我々の生活の内部にまで押し寄せてきている、そういう波の中に私たちは次の世紀を迎えようとしています。そうしたときに、国歌あるいは国旗というものが国民のアイデンティティー、国家のアイデンティティーとして法的根拠を持たないというのは、いかにもおかしなことではないかというふうに考えます。  そういう時代に我々が今生きている。私たちは半世紀余り、正確には一九四五年の八月十五日以降でありますけれども、五十四年にわたる世界を生きてまいりました。この間、私たちが国旗国歌と意識の上で持ってきたものは日の丸君が代であったと思います。この点については、恐らく先ほどの参考人の方も言われましたけれども、総理府の世論調査その他というもので示されたものがその内容であろうと思います。  そして、私たちは、少なくとも成熟した民主主義社会に生きているという誇りを持って、今国際社会というものを泳いで、あるいは生きています。そうすると、法的根拠を持たないというものがいろいろな混乱のもとになる。例えば、先ほどの広島における教育現場の悲劇といったようなものもこのことがなせるわざ、つまり法的根拠というのは、少なくとも議会制民主主義というものが定着したこの社会で国民の意思によって決められたルール、そのルールというものが基本になって文部省の指導要領などというものが決められるはずであります。例えばこういうことだってそうであります。  つまり、そういう中でこの国歌国旗というものがさきの大戦の先導役を果たしたということに大きな違和感、違和感というのは、国旗国歌とすることについて、日の丸君が代という言い方でしかこれを掲げてこられなかったその理由が、さきの大戦の悲劇というものを絶えず連想させる部分があります。  しかし、それは申すまでもなく、例えば君が代あるいは日の丸、これは、天皇制というものと軍国主義というものと侵略戦争というものと、その中で日本が受けた世界的なイメージ、もっと言うとダメージというものが重なり合って、なかなかこういうことが正面から議論の場に上げてこられなかったという部分があります。  私は、こうした多様な国民感情というものを真っすぐ見て議論を進めなかった、政府も各政党もこのことになるたけ直線で目を向けなかった、向けてこなかったという責任があると思います。  ふだん明治憲法と言いますが旧憲法、大日本帝国憲法は、その第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」、こう言っています。そして、その三条では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とまで書いてあります。つまり、日本という国は天皇が主権者であって、そのもとに国力を結集するというこのことが、日本が国際社会で大きな存在として生きるためにとった政策でありました。そこに天皇が出てきます。  しかし、一九四五年八月十五日、日本はこの戦争で敗退しました。その後でつくられた現在の憲法日本国憲法は、第一条で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と規定しています。つまり、国民が主権者である。帝国憲法とはコペルニクス的な解釈の反転をここで行っています。これは、民主主義社会を目指して日本が生きようとしたその決意として、我々は今、その憲法国民の意思として支持し、維持しています。誇りを持って維持しています。  国民が主権者であるというその前提で、国民の象徴、国家の象徴として、天皇というのを「君」という、この君が代の「君」はそれを象徴するものだというふうに解釈もされています。国旗国歌というものは、国民の意思として、そして国民全体がこれを誇れるような、そういうものでなければならないはずです。  そういうふうに考えてまいりますと、これは、そうした解釈を国民全体に支持を得られるように政治の責任において説明すべきじゃないかと私は思います。国民の大多数が賛成である、支持である、だからいきなり法制化しろということでは進まない国民感情という重要な部分がこの背景にはあります。そして、国旗国歌というものはそういうものだと私は思います。  そうするならば、その理由、その存在理由、それから今それを決めておくべきだというそのことを十分説明、これは丁寧に、しかも慎重に説明をして、国民的な理解を得られるという議論を国会で行って、その上で判断されるべきものだろうと私は思います。  法制化。私は、法制化というのはこの時代に必要だろうと思います。主要先進国でそういうものを持っていない国というものは、少なくとも民主主義が成熟した社会という中では通用しないと私は思っています。そういう誇りにかけて、私たちは政治を担当する先生方に、この議論を丁寧かつ慎重に議論をして、そしてそれが次の世紀に輝きを増すような、そうした結論で判断をしていただきたい。  できればそれは、今これだけ国民の関心が今日的に盛り上がったこのときの議論で法制化するかどうかということを決めるべきであります。そうしないと、この問題が、少なくともこの後、旧態依然とした議論で国内のあるいは民主主義を混乱させるもとになりかねないと憂えるからです。  時間が十分と限られています。まとまりがないものとなったかもしれませんが、これで私の陳述を終わります。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  313. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、佐藤忠吾君にお願いをいたします。
  314. 佐藤忠吾

    ○佐藤忠吾君 佐藤でございます。  国旗国歌に関する意見陳述をさせていただきたいと思います。  私は、日の丸君が代の歴史と意義をまず簡単に申し上げて、そして最終結論を申し上げたいと思います。  日の丸の旗は、寛永十一年ころ幕府の官章として定められ、安政六年に日の丸は総国惣印とされ、明治三年、政府は日本船舶に掲げるべき国旗として定め、江戸時代から我が国国旗として扱われてまいりました。  君が代歌詞は平安時代に起因しているようでございますが、鎌倉時代以降明治に至るまで、比較的祝いの歌として長い間民衆の支持を受けてまいっております。明治九年に君が代の改訂が上申され、十三年十一月三日には、天長節で宮中で演奏されております。  そこで、昭和二十年の敗戦に続く占領統治のもとで、GHQは進駐早々、日の丸を自由に掲げることを禁じましたが、日本政府に対してGHQは、日の丸君が代を全廃せよとかまた変更せよと迫ってはおりません。  昭和二十二年五月、新憲法及び教育基本法の施行で、一部門に国旗掲揚、君が代の斉唱が許可されております。昭和二十四年早々には、これに対しては制限なく許可されておるのが現況であったと思います。  以上のような経緯から、既に百年以上の実績を有し、しかも、それが現行憲法でも公の秩序または善良の風俗に合致し、慣習法として法的根拠を持っていることになります。これは明治三十一年に制定された法律、慣習法であります。その内容においては、公の秩序または善良の風俗に反せざる慣習は、法律と同一の効力を有すということになっておるわけでございます。  私は、こういう経緯をたどって考えてみるに、敗戦による占領統治下から一応は豊かな平和の日本になったという思いはいたします。しかし、近時、この社会政争の本当に憂うべき現況は、国民皆が思っている現状であります。特に今、心の教育、私は、これは教育現場だけでもないと思います。私ども国民が今、本当に誇り得るべき日本人の一人としてどうあるべきかということを真剣に考えなければならない時点が来ておると思います。  私たちは常に日本人の誇りとそして責任と自覚のもとで、この日本国のさらなる平和と繁栄を願うのは全国民の願いだろうと思います。こうした意味からも、国旗国歌法制を願うのは当然でございます。  簡潔に申し上げて、終わらせていただきます。(拍手)
  315. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  次に、深井一郎君にお願いをいたします。
  316. 深井一郎

    ○深井一郎君 それでは、私から意見を申し上げます。  私は、召集を受けた兵士として軍隊経験があり、そして、戦後は約四十年、大学教育に携わった経験の二つから、この問題についての意見を申し上げたいというふうに思います。  以下、三点にわたって、どこが問題なんだということを申し上げたいというふうに思います。  第一点は、今なぜ法制化なのかという問題です。  確かに政府は、ことしの初めまでは、現行のままでよろしい、慣習的に定着しているんだからそれでいいというふうに公言していたわけですが、それが突如、法制化したいというふうに言い出した。その説明の文章の中では、明らかに新世代に向けて踏ん切りをつけたいという言い方を国会で答弁していますね。それは、新世代に向けて改めてほしいと思っている国民の願いはいっぱいあるわけですよ。あるいは、そこまでにぜひ変えてほしいと言っていることもたくさんあるわけですね。あるいは、今、即やれという国民の声もほかにいっぱいあるわけで、なぜ今、国旗国歌法制化なのかという、その今の問題であると同時に、それは法制化ということの問題でもあるわけです。  私は、総理大臣が国会で答弁している新世紀を迎えてという理由理由ではないと判断するために若干のことを今申し上げたんですが、それよりも、これまで学校現場でずっとあの指導要領によって国旗国歌を、国民の若い層、つまりこれから大人になっていく層に、指導要領にあるんだからやらなきゃいかぬのだと約十数年間強制してまいりました。そのことが行き詰まってきたという現場を私はよく知っているわけですが、そのことが一つ。もう一つは、教育現場だけで国旗国歌を尊重させることではもう足りない、この際、法制化によって国民全般にやはり国旗国歌の意識を持たせたいという意図が根底にあったことは当然だろうというふうに私は考えているわけです。  その二点から考えると、今、国会に提出し、早急に成立を図る趣旨が何となく見えてくるという気がするわけですが、もう一つ、この中での問題点は、長い年月にわたって慣習的に定着しているという表現です。  ここで言っている長い年月は、恐らくそれを話をしている今の総理大臣は明治以降百年という発想なんでしょうね。つまり、百年に満たない年月を長い年月というふうに普通の人間は言いませんから。少なくとも、百年に近い意識が頭の中にあるとすると、明治以降現在まで、ずっとその日の丸君が代日本国民の中で使われてきているという意識だと思うんです。それはその間、例えば儀式があれば君が代を歌ったし、それから、祝日があれば国旗を掲揚したということが慣習なのかという問題が残ります。戦争が終わるまでの国民が掲げた日の丸と儀式で歌った君が代は、これは明らかに一種の政治権力、少なくとも軍部、私も何遍も経験させられたんですが、警察、特別警察の圧力というのは大変なものでした。そういうところで、上げない人間は隣組の中で目くじらを立てられるという経験をみんな持っていたはずなんです。そういうところは、それは慣習になったのではなくて、そうさせられていたと見るべきだと僕は思います。  そうしますと、国民が少なくとも自分の意思で国旗を掲げ、君が代を歌ったのは戦後という期間にしかない。では、その間、国民はその国旗を自分の意思で掲げただろうかというふうに考えますと、一時期、当時の政治の流れを敏感に反映して、老人会、町内会を通じて国旗をずっと売りましたね。その時点では若干国旗はあちこちで立ちました。ところが、最近は、私は金沢の町で毎日散歩をするんですが、祝日も散歩をします。そのときに、ああ、この町内の中でたった二軒しか立ってないとか、この町会は一本も見なかったという経験を何度も経験しているんです。つまり、祝日が国民にとっての祝日じゃなくて休日になっているんです。だから、その日の丸を上げる意味が全くわからなくなっているんですね。そういう現状は、現在もまだ定着はしてないと私は考えるわけです。  そういうことの中で、例えば非常に強い圧力の中でそういうことを避けられなかった御時世で、ほかのことを調べているうちにたまたま見つけたんですが、明治三十七年の大阪朝日の天声人語、これはなかなかおもしろいことをいっぱい書きますので、私もよく調べるんですけれども、その中に、国歌君が代について、「皇室の歌あり、国民の歌なき、国民も亦不自由なる哉」という文言が入っているんです。これはその当時としてはもう最大の抵抗ですね。つまり、国民の歌が国歌の中にはない、あるいは国が挙げて歌う歌の中には国民の歌は入れられてないということを痛烈な批判をした一文だと思うんです。これは別に明確に皇室を批判したわけでもないし、国体を批判したわけではないですから、全くマスコミのプレスコードにはかかってない。ですけれども、それをあえて書いたところに、やはり相当の人たちがそういう意識を持って考えていたという一つの証左にはなると思います。  それから、戦後、ごく最近ですけれども、沖縄で出されている川柳をひとつ紹介しておきますが、「日の丸のいじめの代償振興策」というのがあります。つまり、「日の丸のいじめ」というのは二つ意味があるんですね。本土と一緒になったんだから日の丸をかけろという割と強いお達しがある。沖縄は、復帰協で運動しているときには日の丸の旗を振りました。これは、自分たちは日本本土と一緒になりたいというシンボルなんです。決して国旗で大事だから振ったんじゃないですね。ところが、復帰した後は国旗をかけろという圧力が学校を中心にかかります。だから、これは二つの「日の丸のいじめ」という意味だと僕は理解したんですが、それの「代償」に「振興策」、つまり、沖縄はどんどん振興させるから本土の政府の言うことを聞きなさいという言い方に対する痛烈な皮肉です。  それからもう一つは、「君が代は千代に八千代に民泣かせ」というのがあります。つまり、長い長い歴史の中で、君が代は民を泣かせてきたんだと。つまり、天皇陛下のためという言葉で戦前は皆泣かされましたよね。では、戦後は何のためかというと、日の丸を掲げるということに示された政治権力が国民を泣かせてきたという意味だと理解できるんですね。こういう状況を見ると、必ずしも定着しているというふうには言いにくいだろうというふうに考えるものです。  最近になりまして、ことしになってから新聞各紙、私は一週間に一遍、図書館へ行って出ている新聞は全部目を通すんですが、それを見ていますと、投書が随分ふえてまいりまして、その投書の中に日の丸君が代がふえてきているんです。これは賛成もあれば反対もあります、あるいは慎重論もありますね。それは当然だと思うんです。  つまり、国民が今やっと君が代日の丸について物を言うという気持ちになっているわけなんです。だから、新聞に投書すれば、それは人が読んでくれる、自分の意向を発表して、その意見についてまただれかが書くことを期待しているというふうに考えるわけですが、それがふえていることを今の政治はやはり大事にしなきゃいけない。つまり、国民はやっとこの課題で自分の意見を言うようになった。それをどんどん進めるのが今の行政の大事な役割ではないかというふうに考えているわけです。  ですから、今その法制化という問題を政府がたまたまうまいぐあいに投げかけてくれましたので、それを受けて国民は物を言い始めている。この国民の声を大事にすることこそが民主政治の根幹ではないかというふうに考えるのが第一点です。  それから第二点は、さまざまな新聞が取り上げておりますが、今の君が代歌詞、歌の言葉に関して問題の焦点が少し鈍っております。  私は、たまたま専攻が日本語の研究でして、今の政府答弁を聞いていて、こういう答弁を総理大臣が国会でやりますと、日本人全体が日本語がおかしくなるというふうに考えたわけです。つまり、あれは全く日本語の論理を知らない人がその場逃れで言うならばいいですけれども、その場逃れのできない責任者が、その場逃れのできない場でああいう答弁をしてはいけない。  かつてあの吉田首相が曲学阿世の徒という言葉を使って総反撃を食いました。つまり、学者ないしは生かじりの人間が当時の政府に対する直言を次々に出しましたときに、曲学阿世の徒という雑言を浴びせました。今度の場合は、だれに対してという雑言は吐いておりませんが、国語学的な検討をすることが本意ではないという言い方をしました。つまり、日本語で解釈をすることが本意ではないんだと。では、日本語で書いてない歌なのかという問題ですね。あれは日本語で書かれていて、日本人みんなに歌ってくれと学校を通じて強制してきた歌ですよ。それが日本語的な解釈に耐えられないということをみずから言ったのと同じなんですね。  具体的に言いますと、その君が代という言葉がさまざま紆余曲折を持っておりますけれども、この「君」が象徴天皇だということにどうやら落ちついているみたいです。それは内容的にそう理解しておいたとしても、ただ、憲法で言っている文章を最近よく使います。ところが、憲法で言っている「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、」というところを、総理大臣も政府委員も口をそろえて、「日本国及び日本国民統合の象徴」という言い方をします。この二つの概念規定が並んでいるものを一つにしてしまっているのです。両方とも「象徴」という言葉を使っているから括弧に入れてというあの数式と同じですね、省略と。  ところが、内容は、日本国の象徴というのは国家のシンボルですね。だから、まさにオリンピックで掲げるものという性格はこれに当たるんでしょうが、「日本国民統合の象徴」というのは何だということになりますと、日本国民がみんなそれでまとまるというのが「日本国民統合」ですね。そのシンボルですから、これは精神的なものなんです。具体的にシンボルを出しようがないですね。つまり、シンボルという言葉には具象性を持ったものと具象性を持たないものとがあるわけですが、それを一緒にしちゃって、「日本国及び日本国民統合の象徴」というふうに、小渕さんもそれから竹島さんも公式答弁しているんです。これは日本国憲法の理解そのものがまず間違っているということが一つ。  そして、そういうふうに持ってきた場合に、まとめて簡単に言いますと、象徴天皇だという言い方をしますね。それだけ言っている限りでは大きな間違いだというふうには言えないんですけれども、こういうふうに、「日本国及び日本国民統合の象徴」という言い方を公式見解として出されますと、日本語を知らないんだなという気がするわけです。  それから、特に、君が代の「代」が、一生懸命に探したんだと思いますよ、国という使い方があるんだというふうに。確かに僕もそれは知っているんです。  ところが、それは、「よを保つ」とか「よを執る」とかという言い方で、竹取だとか源氏の中にあるんです。そのときの「よ」というのは国の意味です。ところが、それは、その上に何とかの「よ」という使い方は何ぼ探してもないです。極めて抽象概念としての「よ」なんですね。  ですから、君が代の「代」は、決して「君」の「代」、「君」の国、つまり、象徴天皇の国というふうな使い方は日本語の中の用例を何ぼ探しても出てこないということをやはり知るべきなんですね、こういう解釈をする以上は。多数の人たちが調査に参加し得る機会をつくるのが総理大臣でしょう。そういうことは、ひっくるめて言えば、総理大臣は日本語を尊重してないということを示している一つの例ではないかというふうに思うんです。  こういう解釈をそのまま受けとめてまいりますと、君が代とその後に続く歌とを解釈しますと、象徴天皇が統治している国というふうに見るか、あるいは象徴天皇が持っている寿命というふうに見るか、どっちかしかないんですね。そうすると、そのどちらにしても矛盾がいっぱい出てくるわけです。一番大事なのは、主権者である国民という概念とこの二つの解釈とはどう考えても一致しないんです。そこを無理やりつなげたために、「日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のこと」だと。これは竹島政府委員の公式答弁ですね。これがまた危険な要素を持っているんです。  というのは、頭に「日本国民の総意に基づき、」点で切っているんですね。そうすると、これは、日本語の文法からすれば、真っすぐ象徴天皇のところへは入らなくて、その次の「天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする」までは一つの節ですから一貫した意味があるんですね。その前に点で切っているわけですから、その切った部分はどこへいくかというと、その後、「我が国のこと」だというところへ修飾するのが普通の文法なんですね。  そうしますと、置きかえてみますと、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国に対して、日本国民の総意に基づいているんだという言い方ですね。これは、今の憲法規定しているあの天皇規定に対して、これはその次に、千代、八千代に続くんだということを政府が国民に歌えと。国民もそれを歌うことは、今の憲法の天皇規定を未来永劫続けます、続けたいという意思表示なんですね。明確にそのことは言わないけれども、その観念を続けていきたいという意識なんです。決して国そのものの繁栄を願っているんじゃないということを銘記すべきではないかと思います。  それから、三点目に申し上げたかったのは、指導要領を通じての強制の問題ですが、これは簡単に申します。  指導要領は法的根拠があるかないかということは、平成元年の「指導するものとする。」という強制力を意識した表現が入って以来、裁判が幾つか続きますね。その中では、学習指導要領は法的根拠があるものに近い、それに類するという判決が幾つか出ておりますけれども、法律と同じ効力を持つということはだれしも言っていないですね。そのことがどうしても法制化したいという意図だったんだと思いますが……
  317. 植竹繁雄

    ○植竹座長 深井公述人、時間が参りましたので、結論をお願いいたします。
  318. 深井一郎

    ○深井一郎君 では、結論を一言申します。  その三点の問題点を挙げまして、やはり、今この国会でというような早急な扱い方は絶対に避けるべきだと。最初に申しましたように、やっと国民が議論をし始めた段階ですから、政府は、さまざまな議論を国民レベルで巻き起こしながら、その帰趨を見きわめて法制化するという方向に進むことは、民主主義に反するとは思いません。  以上です。(拍手)
  319. 植竹繁雄

    ○植竹座長 ありがとうございました。  以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  320. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これより委員からの質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。初めに、小島敏男君。
  321. 小島敏男

    ○小島委員 ただいま御紹介をいただきました自由民主党の小島敏男です。  きょうは、陳述者の皆様方にはお忙しいところを御参加いただき、各御意見をいただきましたことを心からお礼を申し上げたいと思います。  国旗国歌の問題というのは国の根幹をなすものであるということで、今皆さんお話を聞いていますと、大変に重要なものであるという気が今さらながらにするわけであります。  私、この国旗国歌の問題について、私の友達等にいろいろと話をしたときに、非常にショッキングな話題があったということを質疑の前にちょっとお話をしたいと思うのです。  それは、ロータリーのメンバーが海外のメンバーと交換学生をするという形でフィリピンに行ったということなんです。フィリピンに連れていって会を始めるときに、お互いの国の国旗を上げ、お互いの国の国歌を歌うといったときに、やはり教育現場が荒廃していたせいでしょうか、いずれにしても、先生も立たなければ生徒も立たない。そして、フィリピンの方は、皆さんが立って国旗に向かって歌を歌っていたということで、たまりかねた在フィリピンの日本の方がそばに来て一緒に歌ったというのです。こんなに恥ずかしい思いをしたことがないということで、そのことを私の会のときにお話をされたことが非常に印象的でした。  そういうことを思いますと、いずれにしても早期に結論を出してやっていかなければならないなということを実は私も感じている一人であります。  それから、君が代の解釈等についていろいろと委員会でも意見があるのですけれども、千年を超えた歌詞意味を今論じるということ、これが果たしていいのだろうかということを実は私は思います。  この間、松尾芭蕉の弟子にあてた手紙について、怒りを込めた手紙だということで新聞に紹介されましたけれども、学者の先生の意見が三人とも解釈が違うということで、そんなに遠くない江戸時代でも学者の先生方の意見が違うなということを私、見ました。いわんや千年を超えた君が代、このことに対していろいろな解釈があるのは当然なことであります。しかし、現実どうするかということを直視しなければならないと私自身は感じています。  そこで、陳述者の皆さんにちょっとお聞きするのですけれども、まず米井さん。  青年会議所で頑張っておられること、本当に力強く思います。私も、十六年青年会議所にいましたから、例会月二回、君が代国旗に向かっての敬礼というのですか、あれは全部いたしました。  そこで、青年会議所運動を続けていく中でいろいろとお話があったのですけれども、全国ネットである青年会議所を見たときに、果たしてLOMの関係だけでなくて、全国のJCの会等でこのことが論じられたのかどうか、これがまず一点。  それから、企業を経営なさっているということなんですけれども、いわゆる例会における国旗国歌というものがありますけれども、みずからの企業、それから地域の企業、こういうものに対して、そういう例会を通じての自分の気持ちを広げていくというようなことは現在どうなっているか、この点についてお伺いをしたい。  続けて言ってしまいます。  それから、荒島さんの方ですけれども、私も、昭和十四年生まれですから、戦争のことは家を焼かれたりして知っています。ですから、戦争の悲惨さということもよく知っているわけなんです。その中で、法制化に賛成だけれども今国会では突然過ぎる、もう少し十分な議論をしたらどうかということであります。四十九年に調査したことに対しての分析をいたしましたけれども、総理府の資料というのがちょっと前過ぎるんじゃないかということです。それでは、今現在、この国旗国歌についてはマスコミが最新の情報をどんどん提供しているわけですけれども、その辺について、マスコミは信頼できないと言うのか。唐突過ぎるということではなくて、今のマスコミの情報によればという形で、今の国会でも早く法制化すべきだという考え方にはならないかどうか。  それから、松田さんの方ですけれども、国際社会でいわゆる国旗国歌、これはもう国を代表するものだということであります。全くそのとおりだと思うのです。成熟した国際社会で生き抜くためには法的根拠がなければだめだ、国際社会においてはやはり法的根拠が必要であるということを力説されました。その後に教育現場のことも話をされましたけれども、教育現場が混乱しているのは法的な整備がされていないからであるというお話がありました。その点について、法的根拠を教育現場に与えたときに、しかるべき方向に行くのかどうか、この辺をお伺いしたいと思います。
  322. 米井裕一

    ○米井裕一君 私、金沢で活動しております。全国の情報についてはそれほど詳しいわけではございません。ただ、日本全体でいいますと、本年度は心の教育ということで、特に若い世代に向けて、今一番何が大事なのかという話をしています。ですから、直接的に国旗国歌を今取り上げているというわけではないのです。我々の活動は通常当たり前のように使っているということもあるのですが、今、心の問題であるよということで全国で展開している。  ただ、各地のLOM、会員会議所の単位におきますと、ことしということに限らず言うならば、金沢においてもかつて一つのテーマとして取り上げたことがございますし、ほかの青年会議所としても取り上げた経緯があるように私は聞いております。これが現状であろうかと思います。  それから、私自身、企業人でもあります。私の会社では、何かのたびには国旗は会社の旗とともに上げております。歌は歌っておらない。これが現状であります。例会なんかを通じて、私も一度この問題について話したことがございます。ただ、これがいいか悪いかというのはそれぞれの会員の考え方によるものだと思いますが、やはりこの問題のとらえ方について、例えば法制化すべき、そうじゃないということよりも、この旗の、また歌の裏側に込められたいろいろな方々の意見、これは果たして一体どういうことなんだろう、それをもっと考えてみようよ、そういうことを会員に向けて私は申し上げた経緯はございます。  以上でございます。
  323. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 マスコミ各社の報道が行われておることについて信用しないのかという端的な御質問にお答えするならば、私は、一社だけならばそれはやはり真実かどうかというふうに考えるかもしれませんが、各社のたくさんのものがございまして、そういう比較において、私は信用いたしております。  その意味で申し上げるならば、年代別、世代別の理解度、支持度というものにつきまして、私は関心を持っております。それは、八十数%というのは総体でございまして、年齢が高くなればなるほど一〇〇%に近い。しかしながら、今回御提案になられた政府の、総理大臣のお話でも、二十一世紀、つまりセンチュリーを超えたミレニアムという時代に向けて、やはりそういうものをしっかりしておきたいということについて、私は素直に受けとめたいと存じますが、それならば、二十一世紀に生きていく二十代、三十代の人たちにもっと呼びかけて、一度問いかけてもいいのではないか、そういう時間的猶予はなぜできないのかという疑問を感ずるものでございます。  もう一つ、聞かれないことを申し上げて失礼ですが、このような国旗国歌の問題で国論を二分といいましょうか激しい議論が出ることは極めて不幸なことであろう、私はこのように思っておるわけでございます。  その根源は何かといえば、やはりさきの大戦でございまして、私は、その大戦についての政府、国家としての歴史認識をあいまいにしてきて、四十年、五十年たってから、総理大臣談話とか、外国に対して何で頭を下げるんだと言われるほどのようなことになっておる、そのことにある。したがって、私どもは、単に条約とか法律で整理されて形式が整っているから問題は解決しているというようなところに、今日の日本のさまざまなモラルの欠如や社会的な混乱の原因があるのではないかと思っておるわけでございます。  したがって、私は、冒頭にも申し上げましたが、国旗国歌制定すること自体について反対するものではございません。しかしながら、これからの問題であるだけに、私はもう一度、今国会でなければならない――失礼な言い方でございますが、国会の先生方は国民の投票によって負託を受けておるとはいいましても、無条件ですべての問題にやられるということはない。やはり、そのときそのときの重要課題については、選挙に各党がはっきり態度を示されて審判を仰がれてもよいのではないかと思います。  長くなって失礼しました。
  324. 松田三郎

    ○松田三郎君 法的根拠という意味、このことについての御下問であろうと思います。  およそ民主主義というもので構成する法治国家は、憲法を基本として、それに対してできるだけ一つ国民的な規範としての法というものが必要な世界です。例えば次の世代を育てる場合に、文部省というレベルでつくる要領というものが法的拘束力というふうに考えられるのは、やはりよくない。国民から選ばれた国会というものでつくられた法律がその基本になければ、要領の説得力は持たないということであります。
  325. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて小島君の質疑は終了いたしました。  次に、山元勉君。
  326. 山元勉

    ○山元委員 民主党の山元でございます。  皆さん、御苦労さまでございます。時間が今のように短うございますが、端的にお伺いをしたいと思うのです。  私ども、国会、あるいはきのう北海道でしたけれども、論議を進めていく中で、幾つかの大事な問題点が出てきたのですが、そのことについて、もうきょうは皆さんお触れになりました。  そこで、端的に、米井公述人と松田公述人と佐藤公述人に、世論をどう見るかということについてお伺いをしたいと思うのです。  先ほども出ていましたけれども、この間NHKが出しましたように、日の丸国旗としてふさわしいと思うというのは八九%、そして君が代国歌としてふさわしいというのは七二%、高かったです。そして、だから法制化に賛成というのは四七%で、反対というのは三三%、高かったという印象を持ちます。  そこで共通して言えるのは、一つは、定着という言葉にいろいろ意味がありますけれども、このように国民皆さんは意識を持っていらっしゃるということは事実です。そしてもう一つは、日の丸の方がより高い意識を持っている、これも事実、共通しています。そしてもう一つは、今法制化に問題意識を持っていらっしゃる、違和感を持っていらっしゃるといいますか、こうやって、九〇%近くが日の丸をいいと思うけれども、法制化については三三%の人が反対をする。こういう状況というのは大事にしなければならぬし、政治の場でも受けとめなければいけないわけです。  今申し上げましたお三方は、国民皆さんは四七対三三と割れているわけですけれども、今あえて法制化をする意味というのは積極的に何があるのか、そしてもう一つは、将来に問題を残すおそれはないのかということについてどういうふうにお考えか、お三方にお伺いしたいと思います。
  327. 米井裕一

    ○米井裕一君 世論につきましては、私自身としては、例えばなじんでいるかどうかといったようなことも含まれているのかなという気がします。例えばワールドカップ、オリンピックを見れば、みんな小旗を振るわけでありますし、また選手が君が代を歌う姿には少なからず感動は覚えるわけでありまして、そういう形で、我々日常の生活の中ではもう既になじんでしまっているというふうに解釈していいと私は思います。  ただ、法制化するかどうかという問題は、私自身のことを申し上げますと、これは法律に一言も書いてなかったのかなというのが実は正直な最初の驚きでありました。これは何となくそういうふうになっていてなじんでいるのであって、ただ、そこで議論が何も分かれないというのであれば別にそのままでよろしいのでしょうが、こうやって現実的に、特に教育の現場ではいまだにそういったことでもめている場合もあるということになれば、やはりどこかでくぎを刺しておくということが必要なのかな、これはあくまで個人的な意見ですが、私としてはそういうふうに思っております。  なぜ今かという問題ですが、では来年ならいいのか、再来年ならいいのかということと同じ議論ではないのか。この問題自体に焦点を絞るべきで、時期の問題ではない、私はそういうふうに思います。  以上でございます。
  328. 松田三郎

    ○松田三郎君 いわゆるマスコミの世論調査というようなことでありますけれども、私は、日本のジャーナリズムというものは、民主主義社会の構成員たる国民の知る権利に十分こたえる、そうした正確な報道を行っていると信用しています。そして、その報道機関が行う世論調査というものは、国民投票と同じような信頼感をもって受けとめるべきだと私は思います。  その上で、今法制化ということでありますが、つまり、これだけ世論が、みんなの関心事となって議論が詰められようとしているこのときに、国会中心にその議論というものを展開して、そしてできるだけ早くこの問題は決着をするというか、方向を指し示す、その責任において政治に頑張ってもらいたいというふうに考えます。
  329. 佐藤忠吾

    ○佐藤忠吾君 私は、先ほど申し上げましたように、いろいろの経緯を踏まえながらも、少なくとも私どもの、国民の底辺にはこの日の丸国旗君が代は本当に定着しておる。  ただ、私、今いろいろな質問を聞いて考えましたけれども、大都会と私どものような田舎との、人間の現在の社会情勢における感覚は相当違うのじゃなかろうか。  極端なことを申しますと、先ほど深井先生がお話ししておったのですが、祝祭日には国旗の掲揚がない、まれにしかないと。しかし、私ども田舎へ行きますと、一軒残らず祝祭日には国旗をきちっと掲揚しております。これは田舎のよさでもあるかもしれません。しかし、こういうところには、私は素直に、日本国民の底辺には本当に慣習として根づいているなということを痛切に感じます。  以上です。
  330. 山元勉

    ○山元委員 私がお尋ねしたかったのは、今法制化という意味のことをお尋ねしたかったのですが……。
  331. 佐藤忠吾

    ○佐藤忠吾君 私は、結論を申し上げましたように、直ちに法制化すべき。
  332. 山元勉

    ○山元委員 もう一つだけですが、これは荒島さんに、できたら、時間があれば深井さんにもお尋ねしたいのですが、今、学校での押しつけだとか強制だとか、いろいろな問題が出てきています。皆さんにもお渡しされているのだろうと思いますが、調査室の資料では、去年の入学式では小中高等学校日の丸君が代をどうしたかということで調査をしている資料が行っていると思うのですが、小中高等学校日の丸君が代も一〇〇%だというのは、何と二十四県あるのですね。そうでないところでも、例えば高校だけが九九%、一校だけがだめだ、実態としてはこういうふうになっているわけです。  しかし、先ほど来出ているように、子供たちが君が代も歌わない、日の丸にも敬礼をしないということがありましたけれども、私は、そういう一〇〇%の実施とそして愛国心をはぐくんでいくということにはやはりずれがあるのではないかという気がするのです。ですから、今の日本の教育なりあるいは国旗国歌の扱いに、少し愛国心についての思い違いがあるというふうにこの際明確にしなければいかぬのと違うかという意見を持っているのです。  例えばフランスだとか、あるいはその資料にもありますけれども、入学式卒業式で歌っていない、入学式もないとか、あるいは通常演奏される機会はないとか、さまざまな先進国の状況になっているわけです。ですから、必ずしも先進国のほとんどが学校できっちりと掲揚して歌ってということにはなっていない実態があるわけです。しかし、さっき小島先生がおっしゃったように、外国の青年と日本の青年との違いが出てきている。そういうふうに、学校で日の丸君が代と言っていてもどこかにずれがあるのではないかというふうに思うのです。  愛国心を育てるということで大事なことだということについてどうお考えになっていらっしゃるか、端的にお答えをいただきたいと思います。
  333. 植竹繁雄

    ○植竹座長 時間が限られておりますので、簡潔にお答えいただきたいと思います。
  334. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 学校現場における問題について、私も非常に心を痛めております。  先ほど、外国におけるマナーの問題ということが出ましたが、私は、思想信条の自由というようなことからすれば、残念なことでありますけれども、くみしないという方がおられてもやむを得ないというふうには思います。ただ、やはり社会的な常識、守るべきマナーとしてのものがあるということは必要なのではないかというふうに思っておりまして、私自身はそういう認識のもとに、外国の方と接する場合には心がけているつもりでございます。  ちょっと緊張しておりまして、しゃべっておるうちに失念をした部分があるのですが……。ちょっとお時間をいただけますでしょうか。
  335. 植竹繁雄

    ○植竹座長 後で質問者に直接御説明いただけますか。  では、最後に、深井公述人、お願いいたします。
  336. 深井一郎

    ○深井一郎君 御質問は、国旗国歌の問題と愛国心の養成の問題をどう考えるかということなんですが、私個人が考えておりますのは、愛国心というのは国民が自分の愛すべき国を自覚したときに生まれるものですね。ですから、ほっておいてもと言ってはおかしいですけれども、ほっておいても、だれが説教しなくても、愛郷心とか愛校心というのは出てくるのです。ところが、愛国心という言い方をする場合には、国民が国を自分のものだというふうに自覚していかないと愛国心は生まれないですね。そうすると、国旗国歌をどう扱ってみても、それからイコール愛国心は出ないと私は思います。  つまり、別な言い方をすれば、愛国心の愛国の国は主権者国民の国なのか象徴天皇の国なのか。今の国旗の場合も国歌の場合も、その点がまさに問題の焦点でもあるわけでしょう。そういう意味では、国民が納得できる国が明確に見えてこないと愛国心は出ないので、国旗国歌では出るとは思いません。
  337. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 座長、よろしいでしょうか。
  338. 植竹繁雄

    ○植竹座長 それでは、ごく簡単にお願いいたします。
  339. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 国旗国歌がすぐ愛国心につながるかということでございます。  私は、愛国心というものについて極めて重要なものであるというふうに思いますが、私たちの今日のこのような不幸というのは、結局、愛国心とか国歌とか国旗とかというような、国がついたらイコール国家主義あるいは民族主義あるいは右翼というような連想に議論がなるというところに非常に不幸があるというふうに私は思っておりまして、その意味で、先ほどの小島先生の御発言のときにも申し上げたのは、やはりよかったことはよかったこと、悪かったことは悪かったこと、是非論について、歴史認識とかそういうものをきちんとしてこなかった、中途半端に過ごしてきたというところにあるのではないか、このように思っておりまして、国旗国歌というものを形式的に、そのことを通じてのみ愛国心を語るということにはならないのではないか、このように思っております。
  340. 山元勉

    ○山元委員 ありがとうございました。
  341. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて山元君の質疑は終了いたしました。  次に、倉田栄喜君。
  342. 倉田潤

    ○倉田委員 公明党の倉田でございます。  公述人の皆様方には大変重要な御意見を御披露いただきまして、ありがとうございました。順不同になると思いますけれども、まず松田公述人にお伺いをさせていただきたいと思います。  先ほどからも議論になりましたけれども、いわゆる君が代の解釈、先生は先ほどコペルニクス的転回というお話もありましたけれども、君が代の解釈ということ、それから象徴天皇ということ、この点について先生はどのようにお考えになられますか。  それからもう一点でありますけれども、先生、国際関係の専門家であられるということでありますけれども、国際的に見て、国旗国歌法制化するということの意義について、もう一度簡潔に御確認をさせていただければと思います。
  343. 松田三郎

    ○松田三郎君 まず象徴天皇ということでありますけれども、これは我々が今持っている、持っているというのは、我々が誇りを持って維持している日本国憲法は、天皇の地位を、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書かれています。明治憲法、大日本帝国憲法は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と言っていたのとまるっきり逆ですね。君主、民主、まるっきり変わりました。その上で、この君が代は、したがって、我々の意思の象徴、つまり、それを表象化するという形でこの天皇をした。したがって、我々の時代、我々の世界の象徴なんだ、そういうことで十分解釈して、それを大事にしてきたということがあると思うんですね。このことは、したがって、帝国憲法時代君が代意味とは、君主であるか民主であるかというこの部分でコペルニクス的な転回があった、そういう解釈に今なった、その世界で我々は生きているということを申し上げたんです。  それから、象徴天皇というものを今法制化、あるいはよその国々がというようなお尋ねですが、例えばイギリスの国歌と言われるものは、「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」、つまり、わかりやすい日本語でいいますと、女王陛下万歳ですね。イギリスは、海洋帝国以来、植民地支配、すべてこれを通してやってきました。アメリカの国歌は、イギリスとの戦争で一晩戦ってイギリス軍を撃退した、その感激をボルチモアの港で感激を持ってつくった歌が国歌になっています。御承知のように、フランスの国歌、「ラ・マルセイエーズ」は革命の進軍の歌です。つまり、それぞれの国々が、それぞれの国民が、その時々、そしていつまでもというような、そういうものを凝縮したものが国歌として規定されているわけです。  そうするならば、国旗国歌というものは、日本としても、国際社会で胸を張って生きようとする日本という国のアイデンティティーとして法制化すべきであろうと。ただし、乱暴なことではなくて、丁寧な慎重な審議あるいは議論というものを国会において行って、そして国民全体が支持できるような形にそれをしてもらいたいというふうに考えています。
  344. 倉田潤

    ○倉田委員 ありがとうございました。  次に、米井公述人にお伺いいたしますけれども、札幌の公聴会で、法制化することによって、これに反対をする人たち、その人たちを異端視するような、あるいは追い込むような、そういうことがあってはならない、こういう意見が出ましたけれども、この点についてはどうお考えですか。
  345. 米井裕一

    ○米井裕一君 全くそのとおりであるというふうに私は思います。それは、国民として一つ考え方だけがその意見ではないだろうというふうに思います。それについて反対側の意見がある、これは当然のことであろうというふうに思います。ですから、その方々を異端視するというようなことは、私としては同意できないことであります。
  346. 倉田潤

    ○倉田委員 荒島公述人にお伺いいたしますけれども、必ずしも法制化には反対ではない、ただ、今の時期になぜなのか、こういうお話でありましたけれども、必ずしも法制化には反対ではない、賛成である、そういうふうにお考えになるのはどうしてですか。
  347. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 私は、一般論として、国旗国歌制定されるということについて反対ではないということを申し上げたわけでございます。  具体的な今国会に出されておる法案については、私は日の丸については抵抗は感じておりません。賛成できると思います。しかし、君が代については、時代時代の解釈があるのはやむを得ないとしても、それはそうだと思いますが、しかし、みんな勝手にとればいいよというような国歌でいいのか、子供たちにどうやって説明するのかという視点も欠かしてはならないんではないか、このように思っておりまして、それが一つと、それからもう一つは、今国会でなくてもいいのではないかと。いつまでもこの論争、不毛と言われるような論争にはどこかで一定のけじめをつけなきゃならないだろうけれども、それが唐突な政局転換の中でやられる印象は私は否めないということについて危惧をいたしておりますので、政府における調査、あるいは選挙による国民の審判を仰ぐというようなことをしていただきたい、このように申し上げたわけでございます。
  348. 倉田潤

    ○倉田委員 それでは、深井公述人にお伺いいたしますけれども、先生、先ほど、君が代の解釈についていろいろお話をいただきました。先生のお立場で、今法制化しようとしている日の丸あるいは君が代、それは別として、国家というものに対して、いわゆる国旗とか国歌とかそういうものが必要であるかどうかということについてはどのようにお考えですか。
  349. 深井一郎

    ○深井一郎君 端的に言いまして、国歌とか国旗は今の近代国家にとっては当然あってしかるべしだというふうに思います。ただ、それは国民の総意ということを外しては、国歌とか国旗という、国の名前をつけるにふさわしくありませんので、そのことを十分に配慮しなければ、法制化することが、単なる法律上の文章でストップしてしまうのか、効力を発揮しようとすれば強制になりますので、そういうことではない、つまり、国民が、心からこの歌は私たちの気持ちを歌ってくれている、それから、この旗は上げることが自分たちの気持ちをすっきりさせる、勇気を起こさせるというものであれば、当然あってしかるべきだ。  特にさっき、ちょっと国際的に見てというふうに、国を挙げられましたけれども、ドイツ、イタリアをあえて挙げられませんでしたね。あそこの国歌は、国旗は明確に今次対戦での侵略戦争を批判した上で考えられているわけですね。そういうことを、日本は同盟三カ国の一国ですから、当然それを含んだ形で国旗国歌を議論して、その結論を出さないと、国民統合のポイントが出てこないだろうというふうに思います。
  350. 倉田潤

    ○倉田委員 それでは最後ですが、佐藤公述人に、元村長であられたとお聞きいたしておりますけれども、佐藤公述人のところではほとんどの家庭国旗を上げている、こういうことでございましたけれども、それは今でもそうでしょうか。そして、なぜそういうふうにほとんどの家庭で上げていらっしゃるんでしょうか。
  351. 佐藤忠吾

    ○佐藤忠吾君 先ほど申し上げましたように、大都会との認識の相違かと思う点もあり、ただ、そうした田舎のよさでもあるというふうに端的な解釈もあろうと思いながらも、やはり長い年月の慣習が根づいているというふうに解釈しております。
  352. 倉田潤

    ○倉田委員 ありがとうございます。終わります。
  353. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて倉田君の質疑は終了いたしました。  次に、鰐淵俊之君。
  354. 鰐淵俊之

    鰐淵委員 私、自由党の鰐淵でございます。  本日は、公述人の皆様方、大変ありがとうございました。札幌、そしてきょうは金沢で皆様方の御意見を伺いまして、この問題についていろいろな物の見方、考え方があるということについてよく勉強させていただきました。  私は、国歌国旗、特に国歌歌詞等についても非常に古い時代から今日まで営々と続いてきておる、その中で、悲しいかな、大日本帝国憲法以後、日本の戦争というかそういう不幸な時期にまたこういった国旗国歌というものが重用されたことも、皆様御指摘のように事実だと思います。  しかし、戦後、松田先生の方からもお話がございましたが、私どもは全く新しい憲法をつくりまして、憲法調査もまた国会の方でされるような決議もありましたけれども、私は、あの前文に書かれている内容はまさに理想的な哲学を持ったものだ、こういうぐあいに評価をしております。したがって、戦後、日の丸国歌というものが、そういう意味で不幸な時代のものをずっといまだに引きずっていくというのはいかがなものか、このように私は考えます。  それともう一つは、教育現場の混乱がある、あるいはその他いろいろ世論の不統一がある、こういうお話がございました。  そこで、米井さんにちょっと御質問したいと思いますが、私は、教育現場で混乱があるというのは、例えば小学校に入ったばかりの子供さん、低学年の子供たち、あるいはまた学校の子供たちもそうなんですが、子供たちが主体となった混乱はないと思うのですね。やはり学校の現場の混乱は、あくまでも校長、教頭とそこにいる先生方の間の混乱であって、学生は実はそれに巻き込まれているという事実があるわけです。私は、広島の校長さんが自殺した経緯等について本が出ておりましたが、あれを読ませていただきまして、あれが事実とすれば、慄然とするものも感ずるわけでございます。そういう意味では、幼い子供たちが本当に健全なパーソナリティーを形成していくために、やはり日本の国家に住む一員としての意識なりあるいは敬愛なり、そういったものを醸成していくことが必要だ、私はそのように考えておるわけであります。  そういう意味で、学校でこういったことを教えること、指導要領等で教えるということは、強制というお話がございましたが、教えることと強制的に行うということは違う、私はそのように考えておりますが、そういった点について米井先生はどんな感想を持っておられるでしょうか。
  355. 米井裕一

    ○米井裕一君 先ほど出た質問の中でも、国旗を掲揚することが愛国心かという話もありましたが、それと関連してお答えしますと、これはイコールではないというふうに私は思うのです。  ただ、そういうことと、例えばいろいろな人たちが経験を積んでいく、これはやはり一対のものであろうというふうに思うのですね。もちろん国旗を見るだけでは愛国心、国のことは考えられないわけでありますが、いろいろな経験をしていく中で、はたとその旗の意味ですとか歌の意味が胸の中に飛び込んでくるわけです。もしこれが、旗、歌なしでやったとすれば、果たしてその人の中でそういったものが引っかかるのかどうかといったこともあると思います。  教育現場につきましては、先生のおっしゃるとおりであろうというふうに思います。子供たちは教えられたことを真実として受けとめるわけであります。ですから我々としては、その思想を小さいうちから教え込むのではなくて、それに基づく事実ですとか経験をいかにしてあげられるか、そういったことの方が重要なのではないかなというふうに思います。  ですから、旗、歌を、上げる、歌うということがいいこと悪いことよりも、これは事実として現在慣習的にあるわけですから、それを遮るということはかえって不自然なことではないかな。これは私自身考え方ということで述べさせていただきます。  以上です。
  356. 鰐淵俊之

    鰐淵委員 もう一つ、荒島先生の方にちょっとお尋ねしたいと思いますが、実は私、過去におきまして、約百カ国から集まるラムサール世界会議を私の町で開催いたしました。そのとき、私は釧路の市長をやっておったわけでありますが、百カ国の国旗掲揚塔をつくりまして、朝、幼稚園の生徒、保育所の児童、ですから保育児、園児、そういう方をお願いいたしましたところ、御両親あるいはおじいちゃん、おばあちゃん、一人の方に多い人は四人来るわけですね。ですから、朝七時になると大変な数でございます。夜、また国旗をおろすときにも大変な数でございます。  そういった中で私、アフリカの小さな町の方もたくさん来られましたが、世界の各国の方々の自分たちの国旗に対する敬愛あるいはまた自分たちの国歌に対する敬愛というものを実は強く感じたわけであります。日本ではどうもまだ定着しておらないといいますか意見が二分をしているとかということに、ちょっと悲しみを感ずるわけですが、そういった点を考えたときに、どのようなお考えでしょうか。荒島さんにお聞きしたいと思います。
  357. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 先ほどの繰り返しになるかと思いますが、国旗あるいは国歌というものは、やはり国民の賛同あるいは共感あるいは敬愛というものがなければならない。その問題について、今日、長い間たなざらしといいましょうか、あるいは深刻な議論が引き継いでおるということについては非常に残念なことである、このように私は感じております。  一般的にはやはり、例えば外国にあっても、恐らく日の丸の旗を見たらほっとするというのが一般的な市民感情というかそういうものではないかというふうに思っております。  その意味で、私は、日の丸そのものは、今日さまざまな、オリンピックあるいはワールドカップその他含めまして、地域のいろいろな諸行事の中においても割と素直に受け入れられているのではないか、このように感じておりますので、私は、日の丸についてあえて反対はしない、こう申し上げているわけでございます。
  358. 鰐淵俊之

    鰐淵委員 以上、終わります。
  359. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて鰐淵君の質疑は終了いたしました。  次に、児玉健次君。
  360. 児玉健次

    ○児玉委員 日本共産党の児玉健次です。  今、国旗国歌をめぐって、賛成の立場からそして反対立場から、いまだかつてない国民的な討論が始まりつつある、このように考えます。私たち政治の務めは、それをどうやって保障するか、そのことにある。日本共産党が先日、国会国旗国歌に関する調査会設置しよう、そう言って提起したのもそういった趣旨からでございます。  そこで、まず深井公述人にお伺いいたします。  国会の論議の中で小渕首相は、たとえ法制化をしても君が代日の丸国民に強制することはしない、こう述べました。国民に強制しないことをどうして学習指導要領などと称して子供と教師に押しつけることができるのか、このことが大きな問題としてこの後浮かび上がってまいります。先ほど深井公述人のお話の中で、三点目、指導要領に関する部分、多分時間がなかったと思いますので、そこのところを若干御説明いただければと思います。  次に、松田公述人にお伺いしたいと思います。  国際関係論や比較文化論を御専攻だそうで、先ほど、国民国家のアイデンティティーを示すものとして国旗国歌がある、そういうふうにおっしゃったと私は伺いました。  それに対する態度ですが、例えばアメリカで、第二次世界大戦中に、国旗に対する敬礼を拒否した子供をめぐっての裁判がございました。一九四三年の連邦最高裁判決は、国旗に対して敬礼することまたは敬礼を拒否すること、そのことについて何が正当であるかを定めることはできない、こういうふうに明確に判示をいたしました。  そして、それがますますアメリカでは定着してきていて、一九八四年の共和党大会のときにある人が星条旗に対して何らかの行為をしたとき、同じく連邦最高裁は、そのような行為を認めることが星条旗の位置を高めこそすれ決して低めることにはならない、こうも申しました。  これらの点について、比較文化論の立場からどのようにお考えか。  以上、両先生にまず御質問いたします。
  361. 深井一郎

    ○深井一郎君 今お尋ねの件ですけれども、指導要領が強化されたのは平成元年以降、載ったのはそれよりも数年前になりますけれども、そのあたりから教育現場でどういうことが起こったかということを二、三申し上げた方がはっきりするだろうというふうに思うのです。  私は教育学部で教員養成の仕事をしておりましたので、うちの研究室の卒業生が約三百人ぐらいおりまして、北陸三県と愛知、大阪、兵庫というあたりに比較的たくさん就職しているのです。その人たちとは、約百人規模の人が年に一遍ずつ夏休みに集まってくれるのですが、そういうときの意見を聞いていますと、近ごろは、毎年そうなんだけれども、二月の終わりから三月に入ると学校の雰囲気が非常に暗くなると。僕はそのことが、最近は現場を余りよく知りませんので、どうしてだと聞きますと、結局、卒業式での日の丸掲揚と君が代斉唱を行事予定表に載せるか載せないかという議論が約三日、四日続くのだそうです。  そうすると、職員会議意見としては、これは教育基本法や憲法の精神から見ればよくないことだ、それよりは、やはり日本が新生、新しい憲法で生まれ変わったということをちゃんと議論して伝える方がいいのではないかという意見が圧倒的に多くなって、何となくそれで終わりそうな気配があるところで校長さんが、しかし世の中のいろいろなこともあるのでぜひこのことはお願いしたいという言い方で、かつてはそれはやってくださいという言葉だったのが、ここ二、三年はお願いしますという形で、そこで一応職員会議は終わりになって、結果としてはそういう学校行事表が通っていくケースと、学校によっては、校長さんがそういう言い方をしなくて、職員会議の結論がそのまま入って、行事予定表から国旗掲揚と君が代斉唱が消えるという形で通っていく。  ただ、やはり校長自体は教育者から上がってきた人ですから、皆、心の中では教育ということに対して非常に熱心なんですね。戦後やかましかった青空教室からスタートして、日本の教育の力で日本を復興させようという熱意があふれておった時期があります。ところが、残念ながら、その後、学テ、勤評という格好で行政権力がどんどん職場に入ってくるようになって、学校の中が一時期大変荒れたことがある。それが一応おさまって、最近になってからまた君が代国歌で荒れてきて、校長との間に非常に深い溝ができてくるということを多くの人が口にするのです。あっさり校長さんがお願いしますと言わない学校の場合は暗さがないのですね。  そういう意味では、それを儀式としてやらないと、委員会から非常に強い指導が来る、電話がかかるということがあるのが、今の段階では現場を混乱させている大きな原因だろう。やはり学校というのは教育実践をやる場ですから、全教官が一生懸命に知恵を出し合って、どうやれば子供がすくすく育つかということをやる場所なんです。  このいただきました資料を見ても、小学校が、国旗掲揚、君が代斉唱についてはやりますというところのパーセントが高い。そして、相対的に高等学校が一番低くなります。これはなぜかというふうに考えますと、高校生になれば、世の中をちゃんと自分の目で見るようになるのです。そして、自分の意見を言うようになります。  一つは、今紹介しておきたいのですが、広島の校長の自殺が起こったときに、その後に出されたいろいろな文集があるのですけれども、その中で私が非常に心を打たれたのは、女子高生の手記の一つですが……
  362. 児玉健次

    ○児玉委員 先生、恐縮ですが、簡潔にお願いします。
  363. 植竹繁雄

    ○植竹座長 簡潔にお願いします。
  364. 深井一郎

    ○深井一郎君 これで終わります。  「校長先生は命をかけて生徒の気持ちを大事にしたかったのだと思う。卒業式は生徒のもので、外部の人からやり方についてとやかく言われるものではないと思う。」こういう手記を載せているのですね。これは非常にしなやかな発想、まさに民主主義の中から自然に出てくる発想なんですね。そういうことは、やはり子供たちはちゃんと育っているというふうに思うわけです。  終わります。
  365. 松田三郎

    ○松田三郎君 お尋ねの件についてお答えします。  アメリカの星条旗に対するいわゆる侵害ともいうべき事件が幾つかあって、連邦最高裁はこれに無罪を言い渡したということは存じ上げております。その上で、アメリカの修正憲法は言論の自由というものを一番先に掲げていますね、これが優先したという最高裁の判決であったろう。当然のことです。  この日本国旗国歌というものについても、したがって、法制を伴ってはならないと私は思う。言論、表現の自由というのは民主主義の根幹でありますから、そのことは、内側に入ってまで強制をするということは、条項としてつけてはならないというふうに考えます。  以上です。
  366. 児玉健次

    ○児玉委員 最後に、米井さんにお伺いしたいと思います。  先ほどの御意見を伺っていて、あなたが先輩の君が代日の丸に対して最初に違和感を覚えた、そして今度の解釈にも違和感を若干持つ、そういうふうに言われたことを私非常に注目いたしました。  この後、国旗国歌に関して、現在または将来、他の人が違和感を持つようなことが当然あるだろうと思うのですけれども、そういうことに対してあなたはどういう態度をお示しになるでしょうか。
  367. 植竹繁雄

    ○植竹座長 米井公述人、時間が来ておりますので、結論をお急ぎくださるようお願いいたします。
  368. 米井裕一

    ○米井裕一君 国歌そのものに違和感を覚えたわけではないのです。いわゆる一般的なイメージとして、国歌イコール戦争的な報道がよくなされておりました。ですから、そういうものが脳裏にあったがゆえに、それを間近に見たということで、違和感というよりも、ちょっとショックを受けたかな、そういった感じで受けとめていただければいいと思います。  ただ、これは、先ほど申し上げましたが、後ほどの経験の中で完全に解消はされております。  そして、解釈については、要するに、こういう解釈が正解かどうかというよりも、もともとある歌の意味というのは恐らくあるんだろうな、また、これはもともとが和歌でありましたから、その解釈というのはいろいろあるのではなかろうか。
  369. 児玉健次

    ○児玉委員 今後どうなさいますか、違和感を持つ人に対して。
  370. 米井裕一

    ○米井裕一君 済みません。違和感を持つという意味がちょっとわからないのですけれども……。
  371. 児玉健次

    ○児玉委員 では、結構です。
  372. 植竹繁雄

    ○植竹座長 これにて児玉君の質疑は終了いたしました。  次に、笹木竜三君。
  373. 笹木竜三

    ○笹木委員 きょうはどうもありがとうございます。  皆さんの中で、四人の方は、国旗国歌について当たり前のものとしてさらに定着させる、大まかに言えば、それについては賛成で、法制化についてはいろいろな各論もありましたけれども、そういうお立場だと思います。私もそれは同じなんですけれども、ただ、例えば荒島先生、松田先生。荒島先生の場合には、今回のこの法案の出し方が政局転換の中で出されている、松田先生からも、乱暴な形でなく丁寧な形というのを望むというお話がありました。残念ながら、私もそういう面は今回否定はできないと思います。  ただ、考えてみれば、政治というのは数の世界ですし、どうしても、例えば政権が変われば法律がさらに改正されることもあるわけです。いろいろな議論の中で、法よりも、そういった、例えば政権が変わる、政局が変わるといったことから、こういった文化とか歴史とか習慣にもかかわるような国旗国歌というものを、そういうものからさらに重く位置づけて守るために、もっと重い、例えば憲法規定する、こういう国も当然たくさんございます。あるいは国民投票によって最終的にそれを確認するオーストラリア、こういった国もあります。そういった方法をさらにとって、先ほどお話がありました、丁寧な形とか、政局とか政治的な道具に作用されない、そういった道を目指すという、そういった御意見についてはどうお考えになるか、荒島先生と松田先生のお二方から御意見をいただきたいと思います。
  374. 荒島勝夫

    ○荒島勝夫君 国会で議決をされる場合には、当然多数決の勢威によって決められるわけですから、政局と無関係に法案があるというふうには私も考えておりません。ただ、何回も同じことになりますので、簡単に申し上げますけれども、国旗国歌は全国民が親しく親しみ、あるいは共感し、敬愛すべきものだということからすれば、この五十年間、賛否両論があったものが今国会で突如として決められる違和感というものについて申し上げているわけでございます。  したがって、参議院選挙におきましても衆議院選挙におきましても、それが皆様の任期中における重要な政策の課題というふうに受け取っている人は少ないんじゃないか、このように思われますので、そのことを国民に問い返していただきたい。国会議員の先生方には失礼かもしれませんが、当選したら、国会議員国民の代表だから、そのときの状況によって何でも決められるということではないというふうに私は思っておりますがゆえに、ワンクッションあるいはツークッション置いてお決めになってもいかがですか、このように申し上げているわけです。
  375. 松田三郎

    ○松田三郎君 この法制化というような、あるいは民主主義という笹木先生のこの部分は、多数というのが民主主義の最終的なという部分は了解しますが、私は、そういうことではない、少数の意見も重視するというのが本物の民主主義だろうと思っています。その場合、いきなり数にということじゃなくて、少数の部分も理解を得られるような、そうした人たちが国会を構成していると私は理解しています。  だから、そういう国民世論なりなんなりというものを集中して自分の背に持っているその先生方、つまり代表がそのことを議論して、それで多数というんだったらいいんです。それが、情報がすべて共通じゃない場合にインバランスが起こるから、そういう部分も丁寧にすくい上げて、そして説明をしてということをなるたけ早くやった方がよろしいと申し上げております。
  376. 笹木竜三

    ○笹木委員 さらにお聞きをしたいわけですけれども、小選挙区制に選挙制度が変わったということもありまして、以前に比べれば政権交代の可能性はいまだにかなり高まっているとは思うわけです。今、例えばこの法制化反対する方々が政権をとる可能性だってもちろんゼロじゃないわけです。そういうときに、また新たにこれを修正というか、この法制化については反対で、例えば新たな国旗国歌を定める可能性もゼロではないわけですけれども、そういった可能性についてはどうお考えですか。  重ねて聞きたいんですけれども、さらに重たい国民投票とか憲法によってある程度縛りをかける必要があるとはお考えになりませんか。米井先生、佐藤先生に一言ずつお答えいただきたいと思います。
  377. 米井裕一

    ○米井裕一君 今後の政局がどうなるかというのは私の範疇でございませんので、それは置いておきまして、可能性としては恐らくおっしゃられるとおりだろうと思います。逆のこともあり得るんであろうなということはあります。ただ、それに関しては我々は選挙という方法があるわけでありまして、どういう考え方を持つかという方々を選ぶ権利は国民にあるわけであります。  それと、これは国民投票といった形がベストではないか。それは私自身もベストであろうな、それは手厚くそういった形をした方が間違いはないであろうと。ただ、そのために必要な説明を今のうちにどれだけされておられるかな、私としてはそちらの方が関心があるわけであります。簡単に言うとこれだけでございます。  以上です。
  378. 佐藤忠吾

    ○佐藤忠吾君 時間もありませんから。  私も基本は米井さんの意見と同等のように思っております。
  379. 笹木竜三

    ○笹木委員 先ほど、アメリカでの裁判の例についてのお話がありました。  松田先生にこれもお伺いをしたいんですけれども、あのアメリカでの裁判は、たしか子供を退学させるという判断を学校がした場合に裁判が起こっている、そういった例だったと思います。国の中で、国旗国歌を教育の中で教えること自体を、あるいはそれを掲揚、斉唱すること、そのこと自体を思想信条の自由に反すると判断する国がありますでしょうか。松田先生に一応教えていただきたいと思います。
  380. 松田三郎

    ○松田三郎君 アメリカの星条旗に関する問題は、法律に定められたものでないことを行った、したがって、憲法条項によって判断せざるを得なかったという判決だと認識しております。つまり、言論の自由が先なんです。教育を受ける子供にしてもその自由は認められているというおおらかなアメリカの民主主義、だけれども、一番明るい民主主義だと私は思っています。
  381. 笹木竜三

    ○笹木委員 深井先生にお尋ねをしたいわけですけれども、まだ君が代日の丸も定着をしていないというお話がありました。都市部では、例えば金沢では祝日にも掲揚がされていないというお話がありました。  そこで、お聞きをしたいわけですけれども、例えば、今お話がありましたアメリカは、習慣を法で一応規定しているという形でありますけれども、掲揚の仕方、宣誓の方式、これも規定をしております、あるいは刑法の刑罰で国旗に対する侮辱を守っている、こういうことをやっている。あるいは憲法とかで規定する、法律規定する、強制力をもって国旗国歌を守っている、そういう国もたくさんあります。そういうことなしで日本よりも国旗国歌が定着しているという国がありますでしょうか。
  382. 深井一郎

    ○深井一郎君 別に各国の具体的な事情を知っているわけじゃありません。しかし、その法的根拠をなしにして国旗についての一般的な普及が進んでいるのはイギリスとフランスぐらいじゃないですかね。あ、フランスは憲法で決めているかと思います。
  383. 笹木竜三

    ○笹木委員 今イギリスとフランスの例がありました。先ほど、敗戦ということを受けて、ドイツ、イタリアはというお話がありました。第二次世界大戦で負けてはおりませんけれども、イギリスも、例えばアヘン戦争という、歴史上、非常に大きく反省すべき経験を持っています。フランスも非常に過酷な植民地支配を経験しております。しかし、両国とも、それによって国旗国歌を変えることはしておりません。これは先生から見てどう判断されますか。
  384. 深井一郎

    ○深井一郎君 イギリスの場合の植民地政策が間違いだという形は、イギリスの政府は何遍も公式見解を出していますね。そして、明らかにその植民地であったところは全部独立させながら、そこに対する援助という形でその罪を償うということをやっていますし、フランスの場合もそうなんですね。植民地は第二次大戦後すべて解放して、自立した国としてスタートするように援助しています。両国とも、政府が、正式な国会確認という格好でそのことが間違いだったということを確認しておりますね。  ですから、日本の場合でも、直結するかどうか。つまり、国旗の改変はその時点での国民感情によるんだと思います。私の場合なんかは、個人的にですけれども、血染めの日の丸をいまだに持っていますけれども、それを持って今の社会ではやはり生きていかなきゃしようがないという状況が、私をして日の丸国旗たらしめないという感情を非常に強く中に存続させるわけです。
  385. 笹木竜三

    ○笹木委員 どうもありがとうございます。
  386. 植竹繁雄

    ○植竹座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  意見陳述者の方々におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。  本日拝聴させていただきました御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げる次第でございます。  また、この会議開催のため格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心から感謝申し上げ、御礼を申し上げます。ありがとうございました。  これにて散会いたします。     午後零時五分散会