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1999-04-20 第145回国会 衆議院 大蔵委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年四月二十日(火曜日)     午後三時開議   出席委員    委員長 村井  仁君    理事 井奥 貞雄君 理事 衛藤征士郎君    理事 鴨下 一郎君 理事 柳本 卓治君    理事 上田 清司君 理事 日野 市朗君    理事 石井 啓一君 理事 小池百合子君       江渡 聡徳君    大石 秀政君       奥山 茂彦君    河井 克行君       栗本慎一郎君    河野 太郎君       桜田 義孝君    菅  義偉君       砂田 圭佑君    中野 正志君       中村正三郎君    能勢 和子君       平沼 赳夫君    村上誠一郎君       吉川 貴盛君    渡辺 具能君       石毛えい子君    枝野 幸男君       末松 義規君    仙谷 由人君       藤田 幸久君    山本 孝史君       大口 善徳君    谷口 隆義君       並木 正芳君    若松 謙維君       鈴木 淑夫君    西田  猛君       佐々木憲昭君    矢島 恒夫君       横光 克彦君  出席国務大臣         大蔵大臣    宮澤 喜一君  出席政府委員         内閣法制局第三         部長      阪田 雅裕君         北海道開発庁総         務監理官    斎藤 徹郎君         国土庁計画・調         整局長     小林 勇造君         国土庁地方振興         局長      中川 浩明君         大蔵政務次官  谷垣 禎一君         大蔵大臣官房長 溝口善兵衛君         大蔵省理財局長 中川 雅治君  委員外出席者         会計検査院事務         総局第五局長  小川 光吉君         北海道東北開発         公庫総裁    濱本 英輔君         日本開発銀行総         裁       小粥 正巳君         大蔵委員会専門         員       藤井 保憲君 委員の異動 四月二十日  辞任         補欠選任   大島 理森君     江渡 聡徳君   桜井  新君     能勢 和子君   渡辺 博道君     奥山 茂彦君   渡辺 喜美君     菅  義偉君   海江田万里君     枝野 幸男君   玉置 一弥君     石毛えい子君   中川 正春君     藤田 幸久君 同日  辞任         補欠選任   江渡 聡徳君     大島 理森君   奥山 茂彦君     渡辺 博道君   菅  義偉君     吉川 貴盛君   能勢 和子君     桜井  新君   石毛えい子君     玉置 一弥君   枝野 幸男君     海江田万里君   藤田 幸久君     中川 正春君 同日  辞任         補欠選任   吉川 貴盛君     渡辺 喜美君 本日の会議に付した案件  日本政策投資銀行法案内閣提出第三三号)     午後三時開議      ————◇—————
  2. 村井仁

    村井委員長 これより会議を開きます。  内閣提出日本政策投資銀行法案を議題といたします。  これより質疑に入ります。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。江渡聡徳君。
  3. 江渡聡徳

    江渡委員 自由民主党江渡でございます。  宮澤大臣におかれましては、日々大変厳しい経済情勢であります日本のかじ取りのために努力されておりますことに、まずもって心より敬意を表するところでございます。  今回の法案に関しまして幾つか質問をさせていただきたいと思うわけでありますが、特に、私の選挙区の中に六ケ所村のむつ小川原開発の問題がありますので、この法案等に関しまして特別の関心を寄せさせていただいているわけでございます。  昭和三十一年の経済白書におきましてもはや戦後は終わったというふうに書かれ、その後日本経済というものは急速に伸びていったわけでありますけれども、その中におきまして、地域間の経済格差あるいは過疎化問題等都市地方格差というものが広がっていったわけでございます。  それら格差問題の解決のために、また地方夢実現のために、しっかりとした政治の光を当てて、国土の均衡ある発展を目指そうという政治思想のもとにおきまして全国総合開発計画がつくられたと認識しているわけでございます。  そこで、質問させていただきたいわけでございますけれどもむつ小川原開発苫小牧東部開発プロジェクトを創出いたしました昭和四十四年の新全総計画のねらいというのは一体何だったのでしょうか。また、新全総計画において、むつ小川原苫東のような大規模で難しい事案北東公庫はどのようにかかわってきたのでしょうか。また、北東公庫政府関係機関としての使命とどう関連しているのか、その点をお伺いしたいと思います。
  4. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 ただいま昭和四十四年の全国総合開発計画、いわゆる新全総についてお話がございました。  私はたまたま、当時経済企画庁がこの仕事をしておりましたので、前後五年間厄介になりましたので、累次のいわゆる全総に直接間接にかかわってまいりました。  今お話しの、四十四年の、これは新全総と言われるものでございますけれども、当時我が国経済成長のまことに輝かしい過程におりまして、将来を見通しますと、国内基幹産業生産規模というものを飛躍的に拡大する必要がある、また、大規模プロジェクトというものも当然に必要である、そういう国土利用が大事だということがいわば国内のコンセンサスであったと思いますし、新全総というものは、その考え方についての理論的なあるいは実際的な裏づけを試みたものでありまして、そういう中から巨大な臨海のコンビナート等々が幾つか構想されました。むつ小川原開発プロジェクトもその一つであったわけでございます。
  5. 濱本英輔

    濱本説明員 北東公庫政府関係機関としてどのような使命のもとにこのむつ苫東事案に関与したかということにつきましてお答え申し上げます。  北東公庫法第一条というのがございまして、北東公庫は、北海道東北地方における産業振興開発を促進し、長期の資金を供給することによりまして民間の金融を補完することを目的とするといった趣旨規定がございます。この規定を受けまして、業務方法書におきまして、本公庫は、その業務を行うに当たっては、政府北海道または東北地方開発政策に順応せよと書いてございます。  北東公庫法国会最初に審議されました昭和三十一年五月、国会附帯決議がございました。附帯決議にどう書いてあるかと申しますと、当時は北海道開発公庫でございましたが、「北海道開発公庫投融資計画は不明確である。政府は速かに北海道総合開発第二次五ケ年計画を策定し、開発公庫の対象となるべき投融資計画を明確にすること。」とされました。  この脈絡がずっとございまして、この中で全総計画が後につくられてまいりました。  新全総計画におきましては、趣旨としては、過密過疎及び地域格差の問題を解決しなければならないとして、新しい開発方式を記しました。これによりますと、各地域の特性を生かした自主的、効率的な大規模開発プロジェクト計画して、これを実施することによってその地域が飛躍的に発展し、漸次その効果が全国土に及び、全国土利用が均衡のとれたものになるという方式として示されました。その事業主体に関しましても、公共、民間混合方式等について検討することとされ、後々その計画流れの中で、北海道東北地方に、この苫東地区あるいはむつ地区に大規模工業基地建設することが明記されてまいりました。  そういった流れでございまして、北東公庫法第一条に規定されております事柄、これを我々の使命とし、以後、ただいま申し述べましたような流れの中で北東公庫がこの両事案に関与することになったということができようかと存じます。
  6. 江渡聡徳

    江渡委員 今お話を伺ったわけでございますけれども、しかしその後、我が国経済に大きな影響を与えました第一次、そして第二次のオイルショックというものがあったわけでございます。そのことによりまして、このむつ小川原開発苫東開発というものは修正を余儀なくされたと思うわけでありますけれども、その後策定されました全総計画及び同時期に策定されました地方ブロック開発促進計画には、この大規模工業開発に関しましてどのように書かれていたのかということもお伺いさせていただきたいと思います。
  7. 小林勇造

    小林(勇)政府委員 四十四年に閣議決定された新全総における大規模工業基地建設につきましては、先ほど大蔵大臣から御答弁があったとおりでございます。  その後、御指摘のとおり、いろいろな経済情勢変化がございましたが、昭和五十二年に三全総を閣議決定しております。その中におきましては、この両地区につきまして、地方における脆弱な経済基盤を強化するため、両地区に大規模工業基地建設するという表現でこの工業基地問題を扱っております。  また、昭和六十二年の四全総におきましては、基幹資源型工業立地にとどまらず、長期的視点に立った有効利用を積極的に推進するというふうに変化してきたところでございます。  さらに、昨年三月に閣議決定されました新しい全総計画においては、近年の経済社会情勢変化を踏まえて、開発方策等検討を行いつつ、それに基づき推進することとしておりまして、いずれにいたしても、その時々の経済社会情勢を反映した表現ということでこの問題を取り扱っているところでございます。
  8. 江渡聡徳

    江渡委員 今伺わせていただいたわけですけれども、先ほども述べましたように、このむつ小川原開発地域というのは、私の地元ということもありまして、また今、我が自由民主党におきまして、この問題解決のためにむつ小川原開発問題プロジェクトチームというものを設置いたしまして、そこにおいて私も汗をかかせていただいているわけです。  このたびの全総及び東北開発促進計画におきまして、むつ小川原地域におきましては、今御答弁いただきましたとおり、開発方策等検討を行いつつ、それに基づき推進するというふうにしておるわけでありますけれども、国として、では具体的にどのように推進していかれるのでしょうか。あるいは、この推進に当たりまして、その前提としてどうしても実効性のある事業計画というものが必要であると私は思っております。そしてそのためにおいて、研究開発プロジェクト等、国としても関連プロジェクト立地等支援していくべきだと考えているわけですけれども、いかがでしょうか。お伺いしたいと思います。
  9. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 ただいまお触れになりましたように、むつ小川原地域は、我が国にとって重要な施設でございます国家石油備蓄基地とかあるいは核燃料サイクル施設が既に立地建設をしておりまして、さらに加えて研究施設立地が進むなど、重要な役割を果たしているところでございます。また、当該用地は一体的に確保されていることから、全国総合開発計画東北開発促進計画に位置づけられましたように、今後、諸施設集積可能性を含めて開発方策等検討を行いつつ、それに基づき推進するという姿勢で臨んでいるところでございます。  この地域基本となりますむつ小川原開発計画は、青森県が作成いたしましたむつ小川原第二次基本計画でございますが、現在、青森県においてその計画改定作業に入っているところでございます。昨年六月に青森県が作成いたしました新計画骨子案におきましては、量子科学研究機構環境科学技術研究所等エネルギー環境関連分野研究開発機関立地や多角的な産業集積拠点等として長期的な視点に立った地域有効活用を図ることを目指しているものと承知をいたしております。  また、先生お触れになりましたように、自民党におきましても、むつ小川原開発問題プロジェクトチームにより、むつ小川原地域において立地を進めるべきプロジェクトについて御検討をいただいておりまして、昨年十二月に座長試案として取りまとめていただいたところでございます。  開発推進に当たりましては、その前提として、御指摘のように、実効性のある計画が必要であると存じております。国土庁といたしましても、青森県とも相談しながら、関係省庁その他関係者との必要な調整に最大限努力することによりまして、実効性のある計画の着実な推進を期してまいりたいと考えているところでございます。
  10. 江渡聡徳

    江渡委員 今お答えをいただいたわけですけれども、しかし、なかなかここの部分が難しいというところがございます。特に、私もこのプロジェクトの一員として汗を流してきたわけでありますけれども、やはり事業計画その他の方におきましては、国あるいは青森県そしてまた関係機関の方々のある程度の考えというものは取りまとまっているようなところがあるわけですけれども、しかし、今度は、具体的に債務問題その他の処理のことを考えていくならば、なかなか思うようにいかないというような厳しい状況があるわけでございます。特に、青森県のむつ小川原開発、二千三百億円という大きな大きな借金を抱えているというところがございます。ですからこそ、そこのことも踏まえながら、やはりしっかりとした計画というものは私は大切になってくるのではないのかなと思っているわけでございます。  そこで、視点を少し変えさせていただいて御質問させていただきたいと思うわけでございますけれども、このむつ小川原開発というのは、今日本の中におきまして、次の時代、二十一世紀におけるエネルギー政策というものを踏まえて、日本国家にとりましてはもちろんのこと、そしてまた青森県にとりまして、地域にとりましても大変重要なプロジェクトであると私は思っております。  それゆえ、私が思うには、この開発におきまして北東公庫というものはかなり大きな役割を持っていたと思っております。つまり、計画立案部隊という立場のみならず、ある意味では執行部隊であったのではないのかなというふうに考えているわけでございます。ゆえに、今までの長期の間、この二千三百億円という大きな債務が発生しているわけでございますけれども、その段階までの間に、執行部隊としてこの会社収益確保のために北東公庫がいかなることを行ってきたかということをまずお聞かせいただきたいと思います。
  11. 濱本英輔

    濱本説明員 御指摘いただきましたように、北東公庫は、その計画のいわば執行部隊でございまして、確かに、公庫としてどこまでこの全体の運営に関与できるかという限界はあろうかと思いますけれども考えられるいろいろな方策につきまして努めてまいりました。  多少具体的に申し上げてみたいと存じます。  会社がやっていきますために会社収益が確保されなければなりませんが、実際問題としまして、計画が既に与えられた上でどこまで会社収益が確保されるかということになりました場合に、着目すべきは経費の抑制でございます。  例えば、具体的な例として申し上げますと、むつ会社の場合、土地を取得しました後これを売却するわけでありますけれども、その間、取得した土地につきまして、いずれ造成作業を施す必要がございます。これをあらかじめどんどん造成作業を進めていくということに最初はなっておったわけでございますけれども、やはり売却がはっきり見通しが立った上で造成作業を行うということで十分ではないかというようなことで、その経費の合理的な計上の仕方につきまして論議を進めました。  それから、非常に大きな負担になります金利の問題、これにつきましても、何とかこの金利負担は軽減できないか、これだけ大きな国家的なプロジェクトでございますし、その趣旨に沿って特別な金利特利制度活用できないかという論議も進めてまいりました。私どもも、そういった現場からの要求としまして特利制度要求に加わりました。その結果、幾つ段階を経まして特利制度が認められ、それによって金利負担は少しずつ軽減されるという方向に向かった、その特利制度の限りにおいて負担が軽減されるということに向かったと思います。  また、会社のリストラの問題につきましても、できる限りこれを進めるべきではないかということで論議をさせていただきました。  それから、この広い土地にしかるべき企業を誘導するという事業、これによりまして土地売上実績が上がるわけでございます。企業の誘致のためには公庫として努力できる余地があるのではないか、微力ではございますけれども、あちこちそれにつきまして検討する、さらに、その誘致された企業に対して融資をする、その融資に際して利子を軽減するというようなこともできないだろうかと考えまして、これも当局に要望をさせていただいたという事実がございます。  さらに、事態が非常に難しい状況になってまいります局面では、その状況を突破しようと考えまして、ただいま申し上げました利下げの措置に加えて、さらに企業立地のための補助金、つまり、そこに企業が誘致されます場合にはしかるべき補助金が供与される、そういう仕組みにつきましても関係者との合意に努めまして、一つ支援パッケージを組ませていただくというようなこともございました。  あるいは、さらにこの土地利用につきましてのいろいろなアイデアの募集でありますとか懇談会の開催を行うとかいたしまして、土地の存在を多くの人に知っていただき、もしどこかにその活用余地があるならばそれを土地と結びつけたいという気持ちで努めてまいったつもりでございます。  執行部隊として何をやったかというお尋ねに対しまして、以上、お答え申し上げました。
  12. 江渡聡徳

    江渡委員 特に、今お話しいただいている中におきまして、支援パッケージというものを策定されてかなり努力されたということは私自身も存じ上げているわけでございますけれども、しかし、そのことが思うような形として生かされていなかった、また進まれていなかったということで今の状況があると思うわけでございます。  そのことも全部踏まえまして、それでは、このむつ小川原プロジェクトの問題を解決していく上においては、事業スキームと、そして債務処理スキームというものをしっかりとつくり上げていかなければいけない。その債務処理スキームをきちんとつくり上げていって、この問題の解決を目指す上におきまして北東公庫がなすべきことは何であるとお考えなのか、そこのところをお伺いしたいと思うわけです。
  13. 濱本英輔

    濱本説明員 いろいろ努力を重ねてきたつもりではございますけれども、ただいま江渡先生から御指摘のような結果を見ておるわけでございまして、私どもといたしましても、ここにいわばすべて我々の持ち合わせております知恵を集中して方策考え続けてまいりました。そんな折に北東公庫開発銀行とが統合される、そういう政策決定が下りまして、その際、このむつ問題につきましても統合の行われますまでにしかるべき結論を出すこと、そういった方策も明らかにされました。  私どもとしましては、抱えております問題をこの時期までに、ただいまの指図に従いまして関係機関協議を尽くし、この協議の中からしかるべき成果が出るように尽力をしたい、これが一つでございます。  いま一つは、この長い歴史を顧みまして、いろいろなことがございましたけれども、その一つ一つをもう一度たどってみまして、そうした体験の中から将来に生かされるべき事柄は何かということをやはり真摯に考えてみたい。そして、それを具体的な形で先々生かすことができればというふうに考えておりまして、今そういったことを課題にまさに取り組むべきときに来ているというふうに考えております。
  14. 江渡聡徳

    江渡委員 かなり厳しい道のりだと思うわけですけれども、最大限の汗を流していただきたいと私は望むところでございます。  さて、今まで質問させていただいて、また中身が明らかになってきているわけでございますけれども、現在のむつ小川原開発というものがこれまで掲げてきた夢というものが私は破れたのではないかと言わざるを得ないわけですけれども、しかし、やはり政治家また我々が次の時代に向けて新たな夢というものをつくり上げて進んでいかなければならないというふうに思っているわけでございます。  そのためには、この件に関しまして、国、青森県、北東公庫、そして関係者でありました経団連等がしっかりと意思を共有していくということが私は必要であると思っております。現状をよく理解して、問題意識を持って進めていくことも大切であると思います。そして、これらのことを踏まえて新たなシステムの構築をしていくという姿勢が私はどうしても不可欠であろうと思っております。そのためには、早急に一番の問題でありますこの債務処理問題というものを解決していかなければならないと考えております。そのことをすることによって、次の夢に向かって関係各位が力を結集していくということが、ある意味では私ども政治家も含めての責務であるというふうに考えておりますし、また、それだけの自信と自負を持って進んでいかなければならないとも考えているわけです。  この問題を解決するにおいては、どうしても多数の関係者の利害というものを調整していかなければ問題を解決することは不可能であります。しかし、早急にしなければならないという問題を踏まえた場合、どうしても私自身政治的な解決というものがよりベターな方策であるというふうに今の状況ですと思えて仕方がございません。  それゆえにお尋ねしたいわけでございますけれども、新全総当時の経済企画庁長官として、また元総理大臣といたしまして、経験豊かで洞察力のすぐれております大臣のお考えというものをお聞かせいただきたいと思っているわけでございます。
  15. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 私は、今、国土庁の御所管のことでございますので、直接の所管大臣ではございませんので、それを申し上げました上で申し上げることでございますけれども、新全総以来、冒頭に申し上げましたようなことで、私は、苫東につきましてもむつ小川原につきましても、関心をずっと持ち続けてまいりました。不幸にして石油危機があったり、また我が国経済がこういう推移をたどったりいたしまして、今状況は必ずしもよくないということではありますけれども、将来の我が国、二十一世紀における我が国のあり方というようなことを考えますと、何とかして、御関係皆様がこのプロジェクトをここで断念することなしに、将来に向かって考えていただけないものかなということを個人的にはずっと思い続けてまいりましたし、また意見を聞かれれば、個人の意見としてはそのようなことを申し上げてまいりました。  幸いにして苫東につきましては、関係皆様方が、ここのところは将来に向かってやはり前向きに考えていこう、ここでギブアップしてはならない、そういう合意がともかくもでき上がったと承知をいたしておりますが、むつ小川原については、必ずしも状況がまた同じでもございませんこともありますけれども、いろいろなことからその合意が、いろいろ御苦労も多いので、目下のところ成立をしておりません。  いわば、今私は直接には関係のない人間でございますけれども、しかし、何とかお話ができないものだろうか。また、そのことが北東公庫関係をする部分があるとすれば、それは恐らくあるのだろうと思いますけれども北東公庫におかれても、これは私に関係がございますので、北東公庫におかれてもどうかそういうお話し合いの成立に、一役どころではない、実は非常に苦労しておられることを知っておりますけれども、買ってもらってしかるべきことではないかというふうに考えております。  ただ、終局的には、国のレベルにおきましては国土庁の御所管ですが、おっしゃいますように国土庁青森県、むつ小川原会社北東公庫経団連、皆さんの間で何かの合意ができて、そして将来に向かって、来るべきチャンスを待ってこれを生かしていくということがあれば大変に望ましいことだと個人といたしましては考えております。
  16. 江渡聡徳

    江渡委員 大変ありがたいお話をいただきましてありがとうございます。  ただ、新銀行を設立する時期までには、時間的な余裕というものはかなり厳しくなっております。それゆえに、どうぞ今後とも大臣のお力もかしていただきながら、これらの解決というものを早急に進めていけるような形というものをつくり上げていきたいというふうに私も思っているところでございますので、よろしくお願いしたいと思います。  時間が参りましたので、質問を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
  17. 村井仁

    村井委員長 次に、上田清司君。
  18. 上田清司

    ○上田(清)委員 きょうは、日本開発銀行総裁並びに北東公庫の総裁、御苦労さまでございます。また、過日、大蔵委員会の理事会で苫小牧東部開発地域の視察をさせていただき、その際に大変お世話になったことをこの席をおかりしまして御礼を申し上げたいと思います。  さて、何といってもこの統合法案の一番のポイントは、北東公庫に生じた損失を日本開銀の準備金で埋めるというこのスキームが本当にいいことかどうかというのが第一点であります。そしてもう一つは、苫小牧並びにむつ小川原の巨大開発プロジェクトの総括というものをやはりきちんとしなければならない。何が問題でどこが成功し、どこが失敗したのか、こんなところをしっかりとやっていかなければ、これからの開発行為に関しても、あるいは今後考えられるさまざまなスキームについても台なしになってしまうという考え方を持っております。  そこで、私も「苫東開発をふりかえって」というタイトルの、昨年の十一月九日、北海道開発庁が取りまとめた報告書を隅から隅まで丁寧に読ませていただきました。基本的に北海道開発庁にお伺いしたいんですが、結論の部分にそれなりの見解が出ておりますが、まず、どのように苫小牧東部開発についての総括をされたのか、改めてきちっとこの委員会の席でお述べいただきたいと思います。
  19. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫小牧東部開発につきましては、先ほど来御議論がございますように昭和四十年代前半の高度経済成長のいわば終わりの時期に開発され、当時としては重厚長大産業企業立地の場所として予定されていたわけでありますけれども、その後の経済事情の変動、二度にわたるオイルショック、あるいは昭和五十年代前半におきます円高不況等々、当初予定しておりました経済条件とそごを来してきたということから、何回か全体のグランドデザインを変更せざるを得なかったわけでありますけれども、それ以上に、当初から土地の先行取得、これは事業の担い手であります三セクの苫東会社が中心になって行ってきたわけでありますけれども、専ら借入金に頼る形で土地の取得がされてきた、一方で計画どおりに企業立地なり土地の分譲が進まなかったということの結果、金利金利を生むという形により苫東会社債務が累積してまいったわけでございます。  北海道開発庁、北東公庫北海道あるいは関係者、何とか事業の再建を図るべくいろいろと努力をいたしましたけれども、一昨年の十一月に代表幹事行であります拓銀の破綻をきっかけに協調融資が得られなくなり、その後関係者苫東会社の経営の再建について検討をいたしましたけれども、最終的には民間協調融資団の理解を得られることとならずに、結果的に行政としては、苫東会社を清算し、その上で官民の出資を募り、新会社をつくる、このことによりまして引き続き苫東事業を進めるとともに、現在の苫東会社に累積しました債務をきちっと処理していこうというふうに考えているところでございます。
  20. 上田清司

    ○上田(清)委員 監理官に申し上げますが、質問に正確にお答えいただきたい。現状を説明しろと申し上げておりません。総括をしなさいと言ったんです。先ほど江渡議員からも質疑が、大変重要なことをしっかり言っておられますが、答弁の方がだめですよ。抽象的で何もお答えになっておられない。国会の審議というのは抽象的な議論をするところじゃありませんから、最初に申し上げておきます。  要するに現状を説明されただけですから、これはまだこの報告書の文章の方がしっかりしていますよ。書いてあります。苫東会社の経営破綻は一義的には経営上の問題だ、ちゃんと会社の責任があると。この間概況説明のときには、社長は、手足でやっていただけですからと言って責任逃れみたいなことを発言されておられましたけれども、きちんと総括されてあります、一義的には経営上の問題だと。  それからあわせて、経営破綻は苫東開発のシステム全体における複合的な要因によるものだ。また、経済発展の中で、産業政策の変転過程の中でいろいろな破綻ができてきた。それから、有利子借入金による債務累積構造が最大の要因であった、こういうことも言っておられます。そしてまた、苫東開発長期的な視点に立ち戦略的に取り組むべきにもかかわらず、関係機関が官と民の多岐にわたる既存の縦割りシステムのもとで、連携の不足と責任の欠如が生じるいわゆる官民のもたれ合い構造にもその一因があったとそれなりに総括してあります。  こういうことを踏まえてどのようにこれから新しい仕組みをつくっていくかが問われているわけですから、何が原因だったのかということをきちっと把握しなくちゃいない。現状の説明だけじゃ困るんです。  そこで、私がアレンジして正確に、これはまだまだ非常に遠慮深く書いてありますので、私が整理してみました。この開発がなぜ失敗したかということを申し上げます。  苫東開発株式会社は、会社そのものが一義的な責任者であるという自覚に欠け、採算無視の経営を行い、開発庁や北東公庫の天下りを受け入れ、高額給与や高額退職金をむさぼり、大穴をあけてしまった、これがまず一点。  北海道開発庁は、国家プロジェクト推進、監督の立場でありながら、産業構造の転換があってもさしたる計画の変更もしないで、第三セクターである苫東開発に適切な指導もできず、天下りポストとして利用し、国民の金をむやみにむしり取った。  三、北東公庫は、金融機関でありながら、国のプロジェクトだから安心という安易な視点から巨額の融資を続け、中でも金利分を土地代に上乗せし追い貸しをするという政府系金融機関として無責任な融資を続け、十年三月期の政府系金融機関のリスク管理債権の残高に占める割合は九・八%という、他の政府系金融機関の多いところの三倍に上る不良貸付機関となった。  これが私流に、少し言葉が汚くなって大変御無礼な部分もございますけれども、正確に総括すればこういう三つの問題点があるというふうに私は考えました。  そこでお尋ねをしたいんですが、先ほどちょっと申しましたように、概況説明を現地で受けたときに苫東開発の中田社長は、我々は手足でやっていただけですという非常に当事者自覚に欠ける発言をされておられましたので、先ほどの理事会でも参考人としてお願いしたいということを申し上げましたが、ぜひそれは関係皆様のお力もおかりしながら実現させていただきたいと思います。  そこで、現実に苫東開発の社長がおられませんのでお伺いしますが、北海道開発庁としてはこのような事態に陥ったことに対してどのような責任をとられてきたか、あるいはとられようとしているのかを確認したいと思います。
  21. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 第一に、苫東会社の責任の問題でございますけれども、三セクとはいえ商法上の法人でありますので、かつ会社自体が債務不履行状態に陥っているということでありますから、当然に商法上の会社としての責任をとるべきものというふうに考えております。  次に開発庁でございますけれども、私どもの責務は、苫東開発計画を立案し、そしてこれを進めていくということでございます。  先ほど申し上げましたように、種々の経済事情の変動によりまして当初予定したとおりの計画にはならず、最終的に、経営の担い手であります三セク会社の破綻を来すという事態に立ち至っております。このこと自体、私ども、当然、北東公庫あるいは苫東会社北海道とも相談した結果でございますけれども、現在の苫東会社を生き残らせるのではなくて、これを清算するという決断をし、それだけですと債権者に対して非常に無責任な結果になりますので、そこは、一方で債務処理のスキームをきっちりと打ち立てるとともに、これまでの苫東開発計画が新しい会社のもとで円滑に推進することができますように、関係者協議しながら最大限努力していくというのが開発庁としての責任の果たし方である、こういうように考えているところでございます。
  22. 上田清司

    ○上田(清)委員 責任をとったことにならないんです。新しい組織をつくってしっかりやればそれが責任をとることになるというふうにお考えなのか、もう一度伺いたいと思います。
  23. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫東土地計画面積一万七百ヘクタール、それから第三セクターが持っております土地が六千六百ヘクタールありますけれども我が国に残された貴重な未利用広大地でございます。何としても、開発庁、あるいは地元の北海道も同様でございますけれども、この土地を一体的に確保し、計画的に開発を進めていきたいということに最大の責任を感じているところでございます。  その上で、これまで借金を重ねてきた結果累増してきた債務、最大債権者は北海道東北開発公庫でございますけれども、あるいは民間金融機関でございますけれども、こういった債権者との間の債権債務関係をきっちりと整理するということが第一に私どもに課せられた責任というふうに考えておりますし、その上に立って、新会社のもとで円滑に事業を進めていくというのが第二の私どもの責任だというふうに考えているところでございます。
  24. 上田清司

    ○上田(清)委員 同じお話ですね。今言われましたように、当初の予定は総生産額が三兆三千億。結果はどういう結果であったかというと、生産額は、九五年の時点で、少し古くなっておりますが、九百五十億、大変違いがございますね。従業員数五万人が千六百五十人。関連投資三千六百億の結果、どうなったかというと、借金が一千八百億残った。こういう巨大プロジェクトの中身の違いというんですか、そういうものについて、失敗しました、またしっかりやっていくことが責任の果たし方ですと言って世の中通らないです。そういうことを言っているから、新しい事業をやったってうまくいかないですよ、だれも責任をとらないという。  本来なら、だれか責任者がやめて、きちっと総括したものを出さなくちゃいけない。そういうことをやらない以上、前へ進むわけないですよ。全然反省がないということの証拠じゃないですか、そういう言い方は。何か失敗しても、いや、このまま続けることが責任のとり方です、それで世の中通じますか。内閣はそういうことはなかったでしょう。何か問題があれば、責任をとってやめているでしょう。それと同じですよ。やめない人たちもいますけれども。そういう例外をまねしちゃいけないということです。  それで、これは繰り返しになってまいりますから、次に聞きましょう。国土庁にお伺いしたいと思います。  五全総の中でこの両プロジェクト推進する方向性をきちっと記述されておられますが、このまま五全総の中で両プロジェクト推進するという立場の中でいいのか。当然もう違うスキームが出ているんですが、この点について国土庁の責任はどのように考えられるか。五全総の中で、両プロジェクト推進するときちっと述べておられる。どのような理由で本当に推進しなきゃならないと思ったのか。そして、現況の中で、そうじゃないということが閣議で決定もされております。したがって、どんなふうな形で総括をされ、反省をされているのか、お伺いしたいと思います。
  25. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 ただいまお触れになりましたように、昨年三月に定めました全国総合開発計画及び本年三月に定めました東北開発促進計画におきまして、むつ小川原開発につきまして、「近年の経済社会情勢変化を踏まえて、これまでの基盤整備を生かし、諸施設集積可能性を含め、開発方策等検討を行いつつ、それに基づき推進する。」と定めているところでございます。  このむつ小川原開発の問題につきましては、新全総以来の開発方式として定めているものでございますが、その後の多くのいろいろな社会経済情勢変化、変貌の中でいろいろな状況下に置かれていることは事実でございますが、この地域が一体的に用地が確保されているものであり、今後の我が国開発上非常に重要な地域であるという認識のもとにこのような推進をするという書きぶりの計画に今回も定めているところでございます。
  26. 上田清司

    ○上田(清)委員 中川政府委員にお願いしたいんですが、今のは国土庁基本的な考え方ですが、しかし、現況が変わっているということはもう御存じだったんでしょう、状況が変わっているということに関しては。それについての内部議論というのはどのような形があったんでしょうか。
  27. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 御指摘のように、むつ小川原開発地域開発について、社会経済情勢変化によりまして、従来のような重厚長大型の方式開発できるのかどうか、いろいろな議論もございまして、そのような方向では今後はなかなかうまくいかないだろうということで、既存の立地施設立地企業等の集積も含めながら、開発方策についてより詳しい検討を行った上で今後の推進方策を決めていきたい、こういうことで、現状の変化を踏まえて全国総合開発計画その他についてもそれなりの方向の変換を図っているものと理解をいたしております。
  28. 上田清司

    ○上田(清)委員 ちょっと違うなという感じがいたします。現況が変わっている、だから従来の重厚長大じゃだめだ、そういう認識もわかった、しかし、ではどういう仕組みで国土庁考えたのか、あるいはそういうものを北海道開発庁や苫小牧あるいはむつ小川原の現地第三セクターと打ち合わせをされたのか、そこを聞きたいんです。
  29. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 全国総合開発計画の策定に当たりましては、北海道開発庁を含めて関係省庁の御意見も十分聞きながら、またむつ小川原地域開発については、実際の計画を立案する責任者であります青森県の意見も聞きながら、このような記述ぶりになったものと理解をいたしております。
  30. 上田清司

    ○上田(清)委員 ちょっと押し問答になってもったいないので、必ずしも私の意図するところに、俊邁なる中川さんが理解できないと思えないのですが、お答えができないもので、先へ飛ばします。  それでは、北東公庫にお伺いをします。  総裁、今申し上げましたように、「苫東開発をふりかえって」の結語の部分でそれなりに、抽象的ではありますけれども、総括をされております。しかし、どのような責任がとられたのか、具体的に北東公庫としてどのような総括それから責任のとり方をされようとしているのか、あるいはしたのか、そこも含めて、ただし、先ほどの江渡議員の質問に答えるようなちょっと的外れな答弁では困りますので、あらかじめ申し上げておきます。
  31. 濱本英輔

    濱本説明員 先ほど上田先生から御指摘がございました北東公庫に関します部分を伺いましたところでは、上田先生のお手元の先ほどの総括ぶりとしまして、北東公庫というのは追い貸しをしてきた、それからそれを担保にして融資を続けてきたという御指摘であったかと存じます。そこがまず核心の部分であろうと思います。これにつきまして、多少御答弁申し上げたいと存じます。  ただいまのお尋ねには二つの部分があろうと存じます。一つは、北東公庫は支払い利息というものに対して融資することができたのか、いかなる根拠でそれをやったのかというのがその一つだと思います。  これに関しましては、北東公庫が法の第十九条の規定に基づきまして土地の造成事業に必要な長期の資金を貸し付けるに当たりまして、必要な長期の資金の中身の解釈が問題になるわけでございます。これは、かつても国会の大蔵委員会で、参議院の大蔵委員会だったかと存じますけれども、こういった論議がございまして、土地の原価として未成不動産勘定に計上される諸費用、未成不動産勘定につきましては後ほど申し上げますが、未成不動産勘定に計上される諸費用が必要な長期の資金の対象になるという意味なんでございますけれども、そういう諸費用であって、企業会計原則上、用地の取得費とか造成費とか、そして支払い利息がこれに含まれる、これは当局からの答弁で明らかにされたところでございます。以後、こういった考え方を踏襲しまして、支払い利息に対しましても融資を続けてまいりました。  先生の御指摘のもう一つの重要な点は、そうした支払い利子というものを資産に加えてまいりまして土地の価格に上乗せしてくるということをどう考えるのかという点かと存じます。  この点でございますけれども土地の造成、分譲事業というものを考えてみました場合に、これは、まず土地を買いまして、それを造成して分譲するということのために、通常、非常に長期にわたります多額の資金を必要とし、これを借り入れる例でございます。借入金に対しましては、当然それなりの利子がつくわけでございまして、これはコスト要因となります。  これをどう処理するかということでございますけれども企業会計原則に従いますと、原理的には、費用収益対応の原則によりまして、一定の期間の収益とそれに要した費用というものを対応させまして、対応しない費用の部分につきましては、これを次期以降の費用として資産勘定に掲げまして繰り越すことができる、こういう処理が一般になされております。  例えば電気事業でございますとか鉄道事業でございますとか、そういった建設期間が非常に長期にわたります事業で多額の資金を要します事業につきましては、こういった経理が一般に行われます。苫東むつの場合も、これは株式会社でございまして、この原則に従っておるわけでございます。借入金利息を資産計上するということが合理的と判断しまして、これを棚卸資産の未成不動産勘定として計上してまいりました。  したがって、これを担保にするということをどう考えるかということになりますけれども、結局、北東公庫が徴求いたします担保というのは、こういったプロジェクトファイナンスのケースにおきましては、原則として融資対象の資産そのものを担保にいただく、そういうやり方をとっております。これは、ほかの機関の場合にも、プロジェクトファイナンスの場合にはしばしば行われる手法だと考えますけれども苫東むつ事業につきましても、販売用の不動産そのものが融資対象の資産でございます。これがまさに担保の対象ということになるわけでございます。  民間金融機関も、苫東むつにつきましては北東公庫と協調融資を組んでいるわけでございますけれども、これらの機関におきましても、苫東むつ事業につきまして、販売用の不動産を同じような条件で担保として徴求しておるという事実がございます。  上田先生の先ほどの支払い利息への追い貸しの話と、それから担保に関連いたしますお尋ねにつきましては、以上のように考えております。  それで、加えて、北東公庫の責任の自覚につきましてのお尋ねをいただきました。  北東公庫は、実は地域のこういった三セク事業につきましてはいささか経験を重ねてまいっております。もちろん、うまくいかなかった例もございます。失敗に泣いたこともございました。しかし、この失敗を公庫として繰り返したくないということから、公庫としてのいろいろなノウハウを修練してきたつもりでございます。  例えば、地域で三セクをつくりまして新しい事業を営まれようとする東北、北海道の方々から御相談を受けましたときに、その事業規模事業規模というのはしばしば甘い規模になることがございます、これをかなり激しいやりとりで適正な規模におさめてかかる、それでなければ北東公庫としては参加できないというようなことを条件として提示させていただいたことも多々ございます。  それから、それに対しまして、三セクでございますから、公費と民間のお金をどういう形で混入するかという問題も重要な問題でございまして、三セクとして自立的にやっていける採算点というものを追求したりいたしました。さらに、それを運営しますための三セクの仕組み、そういうものにつきましても、いろいろな経験からこういう方法がいいだろうということを提案したりいたしました。  そういう意味におきまして、公庫は、最近に至りまして、三セク事業を営むについては、何を言うかとおっしゃるかと存じますけれども一つの、自分たちでもやれるんではないかという自覚を持ちつつあるところであるというふうに私は思っております。  なのに、このむつ苫東という非常に重要な三セク事業において、肝心かなめのこの事業においてその機能を果たし得なかったということは、これは公庫の職員といたしましてもまことに言葉にあらわせない無念さを感じております。力及ばずしてこうなったこと、そのこと自体に対しまして、また御心配をおかけいたしておりますことに対しまして、私としましてまことに残念に存じ、遺憾に思っております。  ただ、それでは何をおまえはその立場で償おうとするのかということになろうかと思います。これは、先ほど江渡先生に私からお答え申し上げましたことと重なってしまいまして、上田先生が先ほどわざわざ御指摘をいただきましたことにお言葉を返すような形になって申しわけないとは存じますけれども、とにかく、事ここに至りました以上、この事案をどのようにおさめるのが今の状況において一番妥当であるかということを、先ほど来の協議の中で私どもとしましても力を尽くして主張してみたいというのが一つございます。  それと、先ほど来長々申し上げて聞いていただきましたこの三セク事業をめぐります我々のかつての体験、そしてこのむつ苫東の体験というものが何とかしてこれから生きますように努力してみたい、かように考えております。
  32. 上田清司

    ○上田(清)委員 会計検査院にお尋ねをいたしますが、北東公庫が検査対象での平成九年度までの出資、融資の精査をされた資料をいただいておりますが、この中身について、「公庫の」、北東公庫のことですが、「公庫苫東開発及びむつ開発に対する出資・融資については、本院としても、従来から、主として融資が適正に行われているか、出資・融資の効果は上がっているかなどの観点から検査を実施してきているが、」というふうな記述の中で、以降ずっといろいろと検査の状況を書いてありますが、こういう視点で検査をされたということでよろしいんでしょうか。
  33. 小川光吉

    ○小川会計検査院説明員 従来から、会計検査院では、大規模プロジェクトについて今議員御発言のような観点で検査してまいりまして、今回もそのような観点で検査したところでございます。
  34. 上田清司

    ○上田(清)委員 そうして、この検査の中に幾つか重要な指摘もございます。先ほど濱本総裁が言われた部分もございます。  その前に申し上げますが、全国の工業団地の分譲価格と苫小牧との比較とかも資料として私はいただいております。それから、何よりも苫東会社用地分の分譲価格の推移、例えば五十三年度に臨海地区で、これは一平米ですが、一万一千五百、内陸部で八千。これが、例えば平成九年度には、倍までいっている分もありますが、一万六千九百円から二万三千九百円、一万二千二百円から一万三千四百円。もちろん、五十三年から平成九年度までの間に地価の高騰とかいろいろございましたが、少なくとも地価が下落傾向にある平成五年と比較しても、現実にこの分譲価格が高くなってきているという事実がございます。  これが先ほど、金利を払う過程の中で担保に上乗せする形の中でどうしても土地の分譲価格が上がってくる、そうすることによってまた売れないという悪循環を繰り返してきておりまして、全国の工業団地と比較しても、北海道とか鹿児島県とかという非常に地の利の悪いところの中でもやや少し割高かなということをこの資料として裏づけもされております。  そこで、会計検査院の方で、その辺の記述についてもやはりきちっと指摘をされております。これはまた後で詳しく同僚議員や関係議員からもお話があるかと思いますが、ちなみに少し申し上げておきます。  七九年以降、一千五百億の融資に対して、計百七十四回にわたって期限延長措置をとった。償還の約束を停止してさらに延長するとか金利を低くするとか、いろいろなことをやってきた。それから、両社の分譲する土地は膨大な利息分が含まれており、売却による営業収入はわずかしかない。資金繰りは極めて厳しい状況であった。それから、返済が進まず、膨らんだ支払い金利は両社が抱える不動産価格に上乗せられたために、不動産価格に占める金利分の割合は、苫東で五二・六%、むつ小川原では六一・七%。これは七九年以降の総括的なものでありますが、直近の五年間だけでいえば、一九九二年から一九九六年、要するに金利分が八二・九%、これが苫東部分です。それからむつ小川原の分は七七・六%。こういう土地の分譲価格の中で占める割合が直近の五年間で八〇%というべらぼうな価格体系になっておれば、これは当然、分譲価格に上乗せされて、とても売れるわけがない。こういう状態を五年間もほうっておいて、北海道開発庁や北東公庫は、苫東開発株式会社が何がまともな会社だというふうに思われるのか、とても私には理解できない。  ここ一、二年の話じゃない、私はそんなふうに思うのですが、例えば苫東開発株式会社が経営的に火の車だというふうに思われたのは、そのような認識をされたのはいつだったのか、改めて北東公庫開発庁にお伺いします。
  35. 濱本英輔

    濱本説明員 苫東会社が経営的に火の車になっておるのではないかということをいつごろ認識したかというお尋ねでございますが、私ども、ずっと一貫しまして、経営の状況を見ますときに、やはり会社の利益の状況とかそれから土地がどれくらい売れているかというようなことを中心にしまして考えてまいったと存じます。  そういうことからいたしまして、これは常に起伏がございますので、それぞれその状況状況に応じましていろいろな思いをいたしただろうと想像いたしますけれども、そういう中で、やはりバブルがはじけました後に著しく分譲面積も低下してきたという事実が認められます。  もう少し具体的に、ほんの少しつけ加えさせていただきたいと存じますけれども、例えば、それをさかのぼってみますと、昭和五十四年ごろから五十年代の終わり近くまではかなり土地が売れまして、分譲面積もそれなりのものが確保されましたし、見合いまして、経常利益ももちろん黒字を確保しておった時期がございました。それが六十年代に入りましてからはだんだん赤字基調に転じまして、難しい状況になってきたと拝察されます。しかし、平成元年からまだこの数年間はそれでも、二けたオーダーでございますけれども、それなりの売却実績も上がっておったわけでございますけれども、特に、ただいま申し上げましたバブルが終わりまして後は、これがさらにしぼんだものになってきた。売買実績が全くゼロになったというわけではございませんけれども、非常に心細いものになってきたという感じがいたしまして、やはりそのような時期に合わせまして会社の経営の困難さというものをより強く感じたのではないかという気がいたします。     〔委員長退席、柳本委員長代理着席〕
  36. 上田清司

    ○上田(清)委員 何かちょっとしり切れトンボみたいな答弁になってしまいましたが、要するに火の車になったのはどのようなときだったのか、どのような認識だったのでしょうか、いつだったのかと。今のは土地の売れぐあいの話ですね。私もそれは知っております。売却実績、合計で七十社、うち稼働しているところが三十四社、そして全体で一五%、しっかり頭の中に入っております、概況説明で伺いましたので。  そうではなくて、先ほど申し上げましたように、直近の五年間だけで土地の価格部分金利が八〇%も乗っかっているような、そういう担保のつけ方や融資の仕方は異常だと私は申し上げているのです。それを異常と思わなかったのかどうかというのが一点。そういう異常な状態に対して、これは常識的に見れば経営は火の車だというふうに見ておかしくないのではないか。その部分について、いつそういう経営について火の車だという認識になったのか。そして、そういう認識のもとにあえてそういう融資を続けられたのか。  この辺について、会計検査院としては明快に、指摘をしてはおりますが、それについての判断は余り加えておりませんけれども、しかし素直に読めばやはり異常な貸し付けをしている、冷静に前後を読めばこういう判断なのですよ。会計検査院というのは遠慮深い方々ばかりですから、余り強力な指摘をされませんので。  そういうことでありまして、経営に対する認識と、そして今申し上げたこの直近の五年間だけの異常な金利上乗せを含めた貸し付け、これが異常だと私は認識しているのですけれども、総裁としてどのような認識だったのか、この点を伺いたいと思います。
  37. 濱本英輔

    濱本説明員 二点、お尋ねをいただいておるかと存じます。  それだけ大きな金利負担が累積しているという現象の中で、一体どういうふうにそれを受けとめておったかということでございますけれども、この金利負担の圧力というのは当然感じておりました。その証拠には、すごく早い時期から、もっともっと早い時期からでございますけれども金利負担を少しでも減らしたいという意味におきまして、特利制度活用し、金利を薄くしたいということを北東公庫としても要求しておりました。それは、みずからそういう思いに裏打ちされて要求していたところがあったということではないかと思います。  では、それだけの大きな金利負担というのが現実に生じておって、そういう願いを持っていたということはわかるにしても、なぜ続けたのかということについてお答えしなければなりません。  当時の状況というものをいろいろ思い返してみまして申し上げられることは、その状況に至りましたときに、一つは、この計画推進していく最も大きな意思としまして、国がこの計画をどう考えているのか。私どもは、国の意思の実現というものに専心してきたつもりであり、この状況のもとにおいて国の意思を常に確認しながら、見詰めながら事業を行ってきた者といたしまして、いかなる判断をそこに読み取るかということがまずございました。  これは、計画を何とか実行しようという気持ちがまだもちろんございました。公共事業も投入されまして、いろいろな形で企業を誘致していきますための条件のレベルアップも図られつつあったように思いますし、さらに、民間金融機関もこれに呼応して融資を続けておりました。  そして、先ほど申し上げましたように、売却実績というものは、近年になりまして確かに細ってまいりましたけれども、それでも売却交渉というものは幾ばくか続けられていたという事態もございます。  そのときに、公庫として考えましたことは、状況は厳しいけれども、その厳しい状況の厳しい岩盤をぶち破って何とかして突破口を見つけることはできないのか。その可能性が存在する限りそれを実現したいという思いでぶつかっておったということかと思います。それが当時の状況であったということをお答え申し上げておきたいと存じます。
  38. 上田清司

    ○上田(清)委員 必ずしもお答えになっていないのですが、また違うところでお詰めをさせていただきます。  今のお話だと開発庁、国、国ということですので、これは国といっても抽象概念ですから、国の意思に従ってということですから、どこを指しておられるのかわかりませんが、とりあえずこの融資についても、北海道開発庁、あなたが悪いのだというふうに私は受けとめたのですけれども、いかがでしょうか、斎藤監理官。
  39. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 会社経営の認識といたしましては、今北東公庫総裁が答弁されたのとおおむね同様の認識を持っております。  ただ、一点つけ加えますと、苫東会社ができましたのが昭和四十七年でありますけれども、それに先駆けて、当時の右肩上がり経済のもとで土地を先行取得しなければならない。その際に、何といってもこの面でのノウハウを持っております北海道が起債によりまして土地の先行取得をしてきておる。その後、苫東会社金利負担つきで北海道が先行取得した土地を譲り受けるという結果になり、昭和五十年代、五十二年当時でありますけれども苫東会社としては、一番最初に分譲契約が成立いたしますけれども、そのときに既に六百億円を上回る借金を抱えているということで、土地の分譲よりも債務の累積の方が先行していた。その限りにおきましては、当初からいわば厳しい経営環境のもとに置かれていたというふうに言ってよろしいかと思います。  それから、当然、北東公庫にいたしましても民間金融機関にいたしましても、貸したお金は土地の分譲価格に上乗せして回収するということが基本になってまいります。確かに、御指摘のように、ここ五年、金利などが上乗せされた結果、苫東会社の用地分譲価格が若干高騰しております。その限りにおいては、確かに価格競争力を失っている面もございます。ただ、幾分なりともいまだに若干の譲渡ができた。  それから、私どもの分析といたしましては、価格の競争力もさることながら、日本経済全体として冷え込んだ結果、こういった企業立地のインセンティブが十分に働かないような経済情勢に置かれているというふうに申し上げることができるかと存じます。
  40. 上田清司

    ○上田(清)委員 もう今度は経済の責任になってきましたね。だからだめだと私は申し上げているのです。確かに、バブル以降、一年に一社程度の引き合いですね。だから、そのことはここ一、二年の話でもないのですね。それもまず指摘しておきます。  それから、土地の先行取得で六百億。これは何年で償還する予定だったのですか。
  41. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 最初北海道が起債によりまして土地を先行取得した際に、その起債についての償還計画がどうなっていたかは承知しておりませんけれども、いわば借金のつけかえの形で苫東会社が借金を負った時点では、十年ないし十五年の長期にわたる償還ということを予定していたわけでございます。
  42. 上田清司

    ○上田(清)委員 今答弁されていましたように、我々も概況説明で、十年というお話を現地で聞きました。だから、六百億、先ほど先にお金を使って赤になっているからその後も苦しいんだというようなことを言っておられましたけれども、それは違うのですね。予定では十年で償還する予定だったのですから、それが問題ではないのですよ。その後が問題だったのですよ。むしろ最初はうまくいっていたのですから、だから、そういうときにはこういう言葉を使わないでほしいと思いますね。あっちに責任を振りつけ、こっちに振りつけても、論理が、つじつまが合わなくなってきますから。  それで、時間が来ておりますけれども、最後にもう一回監理官にお伺いしたいのですが、開発庁として、開発会社が、第三セクターが火の車だというふうな認識はいつとられたのですか。
  43. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 先ほど来申し上げておりますように、苫東会社の経営状況は、土地の分譲が円滑に進むかということと、それから借金の累増との相関関係において判断されるべき問題だと思いますけれども、その点では、先ほどお答え申し上げましたとおり、借金が先行している分だけ最初からなかなか経営としては楽ではない。  その上で、特にバブル崩壊後におきまして、当時から今に続いておりますような経済情勢のもと、従来にも増して厳しい経営環境になってきたというふうに考えているところでありますし、最終的には、拓銀の破綻をきっかけといたしまして、行政としても苫東会社を清算するという決断をせざるを得なくなったわけでございます。
  44. 上田清司

    ○上田(清)委員 今のも質疑に対してきちっと答えになっていない、いつ御認識をされたかという。経過説明をされただけなんですよ。いつも主体がないんですよ、話に。最初にちょっと申し上げましたように、あなた方の答弁というのは主体がないんですよ、これだけのことをやっておきながら。国民に対する大変な損失を与えるんですよ、結果的に。それについて何ら主体的な、意思があるような発言をされないんですよ、現況説明ばかりされて。無責任じゃないですか、それでは。ちゃんと答えてください。  要するに、拓銀が破綻して行政がきちっと清算するということを決めるまで、経営の中身はわからなかったという理解でよろしいんですか。答弁してください。
  45. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 北海道開発庁といたしましては、苫東開発計画の中で、いろいろな前提条件のもと、土地の分譲を進めてまいってきているわけであります。しかしながら、客観的な経済情勢の変動というものは到底計画で織り込んでまいるわけにいかないということの結果、苫東会社が破綻に至ったものであるというふうに認識しているところでございまして、一体どの時点で破綻の道に向かっていたのか、時点的にはどの時点かという点については、明確な認識を持っておりません。
  46. 上田清司

    ○上田(清)委員 明確な認識を持っていない。では、いいか悪いかわからないままずっと走るということですか。     〔柳本委員長代理退席、委員長着席〕
  47. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 最初に申し上げましたとおり、何とかして、私どもとしては、北海道あるいは地元経済界、地元市町村と連携をとりながら、苫東土地を一体のものとして開発してまいりたいということでありまして、したがいまして、その苫東開発の担い手であります三セク法人、かなり前からなかなか厳しい経営環境にございましたけれども、何とかしてこれを立ち直らせ、引き続きその当時の計画のもとで事業推進してまいりたい、そのために北東公庫あるいは北海道、苫小牧市その他と検討を重ねてきた、あるいは関係省庁にもいろいろな御支援をお願いしてきたということでありまして、最後の最後まで破綻を回避すべく努力してきたところでございます。
  48. 上田清司

    ○上田(清)委員 今少し言われました。厳しい経営環境にあったが、何とか立ち直らせたいと。この厳しい経営環境というのはどういう認識なんでしょうか。
  49. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 第一には借金の累増の問題でありますし、先ほど来先生指摘のように、土地の売り渡し価格に占める未成不動産と申しますか、金利負担割合が高まってきている。これは、客観的に見て経営状況が厳しいという徴憑の一つであろう。それから、現に若干の引き合いはありましたものの、徐々に企業からの立地の意思表示というものが減ってまいった。それらを総合勘案いたしますと、徐々に厳しい経営環境に追い込まれてきたというふうに認識したところでございます。
  50. 上田清司

    ○上田(清)委員 その認識はいつだったんですかということをお尋ねしているんです、先ほどから。
  51. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 特に厳しくなったということでは、バブル崩壊後あるいは最近の時点ということになりましょうけれども、先ほど来申し上げておりますように、ある時点で急速に破綻に向かって進み出したという認識は持っておりませんで、どうしても苫東会社の再建をすることが不可能である、この点については、北東公庫苫東会社あるいは北海道とも検討した結果でありますけれども、これは債務処理する観点からも破綻をさせるしかないという認識に達しましたのは、去年の七月のことでございます。
  52. 上田清司

    ○上田(清)委員 一番大事なことなんですよ。厳しい経営環境にあったが立ち直らせたい、そういう認識を立てられたのはいつなのかと。  では、バブル崩壊後というふうに認識してよろしいんですか。
  53. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 先ほど来申し上げておりますように、借金が先行する経営でありましただけに、最初からなかなか厳しい経営を強いられてきたわけでございますけれども、その上で、いろいろな経済諸事情の変動、私どもの予測を超える変動によりまして、その結果として年々歳々経営環境が厳しくなってきた。どこかの一時点をもって急速に苫東会社をめぐる経営環境が一挙に悪化したというふうには考えておりません。
  54. 上田清司

    ○上田(清)委員 それではだめなんですよ、正式に答えていなくて。やはり、いつごろからどういう状態だという、だからこそ厳しい環境になって、立ち直らせたい、そういう表現をされたんですよ。それはいつだったのかということをずっと聞いているんですよ。何できちんと答えないんですか。  最初から借金でスタートした、そんなのわかっているんじゃないですか。十年でちゃんと償還できる計画もあったじゃないですか。事実、最初のスタートはよかったじゃないですか、どんどん売れて。何の問題もなかったんじゃないですか、それは。最初からの約束事じゃないですか。それを今ごろになって言ってはいけませんよ。そのときはそれは問題なかったんです。そうじゃない時期が始まってからおかしくなったんです。そういうことをきちっとポイントポイントを押さえていらっしゃるかどうかが問題だと私は言っているんですよ。だから、だめですよ、きちんと答えないと。  委員長、ちょっと注意してください。堂々めぐりで時間がもったいないじゃないですか。きちっと答えてください、私の質問に。
  55. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫東開発計画基本的な概念の変更という意味では、それまでの経済情勢の変動を受けまして、平成七年に、それまでの重厚長大産業を中心とした企業誘致から、産業、学術、居住環境それからレジャー関連施設も含めたより柔軟な考え方でもって企業の誘致を図っていくというふうに考え方を変えているところでございます。
  56. 上田清司

    ○上田(清)委員 それでは、平成七年に、厳しい経営環境にあったので、さまざまな形で対応を新しくし直してみたいというような認識には立ったわけですね。これだけ確認してください。
  57. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫東開発計画基本的な考え方の変更を行いました大きな要因としては、先生指摘のように、経営環境の悪化というものが挙げられると思います。
  58. 上田清司

    ○上田(清)委員 時間が参りましたが、やはりこの「結語」に書いてある部分の官民のもたれ合いあるいは責任のなすり合い、そういう責任主体がよくわからないような答弁がたくさんございまして、私は準備した部分の三分の一しかできませんでしたので、この後またじっくりやらせていただきたいと思っております。ありがとうございました。
  59. 村井仁

    村井委員長 次に、石井啓一君。
  60. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 今回の開発銀行北東公庫との合併、これをめぐる最大の問題は、北東公庫むつ苫東に対する損失の処理、これを実質的に開銀の準備金で処理する、こういうことにあるわけでございますから、やはりむつ苫東開発についてきちんと失敗の総括をするということが重要かと思いますけれども、今上田委員質疑のやりとりを聞いておりましても、残念ながら、そこら辺がなかなか明確になってまいりません。  私も北海道開発庁がお出しになった「苫東開発をふりかえって」という報告書を見せていただきました。その中には、「結語」として、先ほど上田委員への答弁にもありましたけれども、有利子債務が非常に膨らんだということが問題だ、あるいは官民もたれ合いがあったということが問題だ、こういう一応のまとめになっております。  この「苫東開発をふりかえって」という報告書の取りまとめの委員のお一人であった北海道大学の宮脇教授が、この「苫東開発をふりかえって」報告書に対する意見書をおまとめになっていらっしゃいます。私はこれを読みまして、非常に重要な指摘がされているな、こういうふうに思っているのです。  ちょっと読ませていただきます。   報告書の検証のまとめに、苫東会社破綻の最大の要因として「有利子借入金による債務累積構造」が掲げられている。しかし、有利子借入金による債務累積は、苫東開発の仕組みを通じた結果であり、破綻の原因ではない。有利子債務により生じるコスト負担事業としての採算性の評価等も含め、有利子債務を多額に抱え累積し続ける苫東開発事業長期にわたって抜本的に見直すことなく継続してきた体質そのものに問題の本質がある。その問題の本質をみることなく、有利子債務の累積という現象面に苫東会社破綻の原因を求めることは困難である。 私は、これは非常に大切な指摘だと思うのです。  すなわち、直接的な原因としては、有利子債務が膨らんだ、金利金利を呼んで一千八百億円近い借金になってしまった、こういうことなんですけれども、もっと深く原因をつかまなければいけないのは、なぜこれだけ、一千八百億円もの借金が膨らむまで放置をしていたのか、こういう借金を累積し続ける巨大なプロジェクトを、抜本的見直しをすることなく、なぜここまで続けさせてしまったのか、そのことをやはり厳しく検証しなければいけないと私は思うのです。  その点について、私は、北海道開発庁それから実際に融資をされた北東公庫に伺いたいと思います。
  61. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫小牧東部地域開発につきましては、全総それから北海道総合開発計画に基づきまして昭和四十六年に基本計画が作成されて以来、国、地方公共団体が基盤整備を行いますとともに、第三セクターの苫小牧東部開発株式会社土地取得、造成、分譲を行うという体制のもとでその推進が図られてきたわけでありますけれども、この間、二度にわたる石油危機や円高等による産業構造調整の進展など、予想を超える経済社会環境の変化もあり、一方、土地の取得に有利子資金を用いたことに伴いまして、開発推進主体である苫小牧東部開発株式会社が膨大な借入金を負ったことにより、苫東開発推進する上で重要な役割を担う同社が債務の延滞状態に陥ったということでございます。
  62. 濱本英輔

    濱本説明員 なぜ放置し続けたのかということにつきましてのお尋ねでございますけれども、これは、どこにその責任の所在があるのかということに対して私お答えを申し上げているつもりはないのでございますけれども、事実としまして御理解をいただく必要があることが幾つかあるように思います。  先ほど来御答弁を申し上げました中で、政府関係機関としまして、何を使命とし、何によってその事業を遂行してきたかということを過去にたどってまいりますと、やはりそこに存在しましたのは、これは国の意思という言い方をいたしましたけれども、それが具体化されておりますのは、一つには各次の開発計画でございます。  その開発計画の中に今もたどることができます具体的な文言といたしまして、状況が厳しくなってまいりました局面におきましても、例えば、従前にも増して北海道東北開発公庫の果たすべき役割は重要なものとなっている、そのように認識をしろというような指摘をいただくとか、あるいは北海道東北開発公庫の出融資機能の一層の活用に努めるようにというような示唆をちょうだいしていたということがございます。これは、全体としての論議を踏まえました上での意思というものを私どもは感じるわけでございまして、それを遂行するために、目前にいろいろな難事がございましても、その難事をどうやって克服しようかという方向に向かったということでございました。  そのほかに、先ほどちょっと申し上げましたように、当時、公共事業等を通じますいろいろな条件整備も図られてまいりますので、与件が変わってくるという事象もございましたし、確かに経済状況というのは刻々動いておりますから、そういった与件の変化を加えますと、先々まだ見通せない、確実に見通せないものはたくさんございますけれども、あるいはという可能性を抱かせることもあり得るわけでございました。それから、民間の金融機関におきましても支援の体制を崩しておりませんでした。  そういったいろいろな政府及び民間の取り組みの中で、実際の企業苫東むつに進出するにつきましての問い合わせをしてくるところもございましたし、現に進出してくるところもあったわけでございましたので、私どもとしては、何とかして道を開きたいという一心で参ったように思うわけでございます。  なぜ放置したのかということに対するお答えとして十分なものであるかどうかわかりませんが、当時の公庫基本的な業務運営の意思としてそのようなものを読み取ることができるように思う次第でございます。
  63. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 ちょっと今の北海道開発庁の答弁はひど過ぎますね。私は、なぜこのプロジェクトを放置してきたのか、借金が膨らむのを放置してきたのかという問いのはずだったのですが、今、膨らんできた経緯といいますか、現象を御説明されて、まだ今、北東公庫の総裁の方が多少誠意を感じる答弁でございましたけれども、こういうすれ違いの答弁ばかりされていたんじゃ、ちょっと私どももいろいろ考えなきゃいけませんね。もっとまじめに、真摯にお答えをいただきたい。  もう一回聞きますよ。  有利子債務が膨らんだというのが直接の原因だというのはわかりました。では、なぜここまでしてしまったのか。先ほどの上田委員とのやりとりの中でも、最初から厳しかった、年々歳々厳しかったとおっしゃいましたね。ずっと最初から厳しくて、厳しいというのはずっとわかっていたわけでしょう。何でこんなになるまでほうっておいちゃったのですか。それをきちんと検証しなければ、この問題の総括にはなりませんよ。ちゃんとお答えください。
  64. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 お答え申し上げます。  苫小牧東部地域は、先ほど来申し上げておりますように、我が国に残された数少ない未利用広大地でございます。地元の北海道あるいは苫小牧市、それから私ども北海道開発庁は、何とかしてこれを一体のものとして確保しながら計画的に開発を進めてまいりたいということでございます。  その過程にありまして、その時々の経済情勢の変動により、不本意ながら、経営主体であります三セクの苫東会社債務が累積したということでありまして、同時に、貸し手あるいは計画について責任を負っております北海道開発庁といたしましても、何とかこの債務を将来に向けて解消していかなければいけないということでいろいろな企業の誘致を図る、しかしながら、金利が膨らむほどのスピードではなかなか企業立地が進まないということの結果、今日のような莫大な債務を負うに至った、その上で苫東会社が破綻を来さざるを得なくなったというふうに認識しているところでございます。
  65. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 いや、それも経過の説明なんですよ。  先ほど、答弁の中で、清算を決意されたのは昨年の四月だとおっしゃいましたね。これは、要するに民間の協調融資が受けられなくなった。これは、要するに幹事行である拓銀が破綻したからですよね。協調融資団の幹事行である拓銀が破綻をしたから協調融資が受けられなくなった。  そうすると、仮に拓銀が破綻していなかったらそのまま続けたのでしょうか。あるいは、北東公庫と開銀との合併という問題がなければそのまま放置されていたのでしょうか。どうですか。
  66. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 仮定の御質問でありますので、なかなかお答えしづらいところでありますけれども、拓銀が破綻を来してしまうような経済環境であれば、仮に拓銀が破綻をしないといたしましても、相当程度、苫東会社の将来の見通しというものは暗かったであろうというふうに認識しているところでございます。
  67. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 拓銀が破綻しなかったとしても暗かった。  そうすると、今度は、北東公庫と開銀が合併するから北東公庫債務を処分しなきゃいかぬ、そのため、やむを得ずこういう形になった、こういうことですか。
  68. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 少し経緯を説明することをお許しいただきたいと存じますけれども、一昨年の十一月に拓銀が破綻をし、その結果、協調融資が受けられなくなるということで、生命保険会社北東公庫、銀行に対して相次いで、一昨年の十一月から十二月に債務延滞の状態が生じております。この重大な、かつ深刻な事態を受けまして、苫東会社あるいは北海道開発庁も参画をし、北東公庫とも相談し、まず第一に、民間協調融資団との間で何とか、リストラ案といいますか、会社の再建案が成り立たないかどうか、協議を重ねてまいりました。  昨年の四月段階では、民間融資団に対しまして元利の棚上げあるいは優良不動産の優先的な売却等々の再建案を提示いたしましたけれども融資団の方からは全く理解を示されることがないということで、ようやくその段階で、私どもといたしましては、苫東会社を再建していくことは到底困難であろうということで、昨年の七月でございますけれども北海道あるいは北東公庫とも協議をいたしまして、苫東会社を清算した上で新会社を設け、ここに官民の出資を募り、それで、現在の苫東会社から新会社に資産を譲渡していくことを通じまして、北東公庫を含む債権者に貸付金の一部を返済するということで、債務処理を図りながら新会社のもとで事業を進めていくという方針を打ち立てたところでございます。
  69. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 今の経緯の説明は、要は、拓銀がつぶれて、今まで放置してきた問題が放置が許されなくなった、端的に言いますとこういうことですよ。ですから、そういう外的な要因がない限り問題を先送りしてきた、その体質こそ厳しく問われなければならない。その点に対する反省が全くないということが問題であることを、私は指摘しておきたいと思います。  本当はもっと厳しくそこをやりたいのですけれども、これだけで一時間も二時間もかかりそうですから。私の時間は四十分しかありませんので。  それでは、この苫東の失敗の責任というのはどういうふうに考えているのですか。  先ほどの答弁では、会社を清算して、また新しい開発を進めることが責任のとり方だなんということを開発庁がおっしゃっているけれども、少なくとも、開発庁は十三省庁の協力体制の中の主務官庁だったわけですね。このプロジェクトに対する要するにリーダーシップを発揮する責任があった。もう一つは、計画を策定する、そういう責任があったわけですね。  そういう計画を策定してきた責任、あるいは関係省庁の中でリーダーシップを発揮すべきだった立場である、そういう開発庁としての行政責任というのはどういうふうに感じているのか、受けとめているのか、その点についてお答えください。
  70. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫東開発につきまして、開発庁といたしましては、計画そのものを円滑に立案し、その上で円滑に進めていくというのが最大の行政責任であるというふうに認識しているところでございます。  ところが、御議論いただいておりますように、開発の担い手であります苫東会社が多額の債務を抱えたまま事実上破綻するに至っているということでありまして、この累増しております債務を行政的に処理していかない限り、開発庁といたしまして、将来に向かって苫東土地活用した開発というものが不可能でございます。  そこで、昨年の夏以来検討をいたし、そして新会社に対する北東公庫の出資という形で平成十一年度予算に織り込んでおりますけれども、そういった形で、新会社の設立それから債務処理を一体とした形で債務の整理を図り、その上で新会社のもとで計画を進めていくというのが開発庁に課された最大の責任であるというふうに認識しております。
  71. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 いや、私は、その答弁を伺った上で、計画してきた責任があるでしょうというふうに聞いているわけですよ。  もう少し具体的に言うと、この苫東基本計画というのは、昭和四十六年八月に、苫小牧東部大規模工業基地開発基本計画ですか、これが立てられていますけれども、その後、第一段階計画から第三段階計画まであったようですが、要するに、基本計画として変更になったのはようやく平成七年の八月、新計画ができてからですよね。それまでは、いろいろ経済状況は変わっているにもかかわらず、この基本計画の位置づけ、すなわち、この苫東は大規模な工業基地をつくるんだという計画は変わっていなかったですよ、ずっと平成七年まで。ようやく平成七年になって、その工業立地ということに加えて、研究開発だとかあるいは居住生活機能をやろう、こういうふうに変わったわけでしょう。ですから、昭和四十六年から平成七年まで、二十四年間かかってようやく基本計画が変わっているんだけれども、その間の経済情勢変化なんか、全然これは反映されてないじゃないですか。  例えば、この前現地に行って苫東会社の中田社長にお聞きしたら、本来は、流通会社からいろいろな引き合いがあった、ところが、苫東開発というのは基本的に工業基地の開発だということからその流通基地もできなかった、こういう御説明ありましたよ。  何でそういうふうに柔軟に基本計画自体が変えられなかったんですか、放置してきたんですか、平成七年まで。バブルのときに随分企業の引き合いがあったんでしょう。あのときにもっと土地利用が柔軟にできるような体制であったらもっとこの売却が進んでいたという指摘もありますよ。長年の間、そういう基本計画を適時適切に見直してこなかった開発庁の責任はどうなんだと聞いているわけです。お答えください。
  72. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 当初、苫東開発計画昭和四十年代中盤に立てまして、その後、一切計画の実質的中身を変えてこなかったというわけではございませんで、その時々の経済状況に応じて幾つかの見直しを行ってきております。もちろん、最初段階での重厚長大産業の誘致という点では、平成七年に至るまで、ある程度そういった考え方が残ってきた面もございますけれども、それまでの企業誘致一本やり方式に加えて、昭和五十年代前半にありましては、例えば石油備蓄基地の導入あるいは北海道電力の事業というように公的なプロジェクトを導入しというような形でもって、経済情勢に合わせた実質的な意味でのプロジェクトの内容の変更を図ってきているところでございます。
  73. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 いや、だから、三段階計画がある、それはわかっているんですよ。けれども基本のところの性格が変わらなかったから、本来、立地の要請があってもできなかった企業もあるわけでしょう。経済情勢だとかなんとか変わったから、それが破綻の原因の一つだとおっしゃったけれども、そういう重厚長大産業立地なんというのは、オイルショックが破綻してもう無理だというのはすぐわかるじゃないですか。それにもかかわらず、そういう基本的な重厚長大産業立地という性格が平成七年の八月の新計画まで変わらなかったということは事実でしょう。なぜ、そういう長い期間、適時適切な計画の変更ができなかったんですかというふうに聞いているんです。
  74. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 先ほど申し上げましたように、全く実質的な計画の中身を変えてこないということではありませんで、例えば、平成三年の三月には、開発の中心地域であります柏原台地の一部について、工業専用地域から工業地域への用途指定の変更を行うというようなことで、その時々の需要に対応してきているつもりでございます。  それから、立地希望企業があるにもかかわらず、それを計画に沿わないという形でもって企業立地を認めなかったという事例については、私ども承知しておりませんけれども、恐らくは、地元における環境問題あるいは漁業補償の問題等々、地元調整に手間取ったために、結果として立地希望企業立地に至らなかったというケースはあるように存じます。
  75. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 開発庁が御自分でおまとめになったこの「苫東開発をふりかえって」の報告書の中にも、「検証結果」の一つとして、「苫東計画の策定と課題」という項目の中でどういうように書いてあるかというと、これは開発庁さん、自分でまとめた報告書ですよ。   開発庁は北海道の協力を得ながら基本計画の策定・変更並びに段階計画の策定等の中心的な役割を担ってきた。   しかしながら、施策が広範多岐にわたることから、関係機関との協議・調整に時間を要するとともに、港湾計画、都市計画など各種行政計画の手続きを経て実効性を担保するにはさらに長時間を要した。   また、関係機関の取り組み姿勢の相違により、協力・協調体制が必ずしも十分とは言えなかったことから、結果として、経済社会環境の変化に機動的に対応することが難しかった。 自分で言っているじゃないですか、「経済社会環境の変化に機動的に対応することが難しかった。」と。だから、何でなんだと聞いているんですよ。  だから、北海道開発庁の実力がなかったらなかったで、はっきりお認めになればいいじゃないですか。リーダーシップがとれませんでした、申しわけありませんでしたと。御自分でおっしゃっているんだから。この点について聞いているわけです。
  76. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 計画策定を専らいたします北海道開発庁の実力の限界ということであれば、まことに御指摘のとおりでございます。
  77. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 それは、みずからの非を棚に上げた責任放棄と言わざるを得ませんですね、残念ながら。  本来、開発庁は、各事業官庁の出先が統合した、そういう意味では中央省庁の再編の何か先駆を行くような役所だ、そういうふれ込みもあったんだけれども、今の話を聞くと、なかなかそうじゃないんだろうなと言わざるを得ませんですね。  いずれにしましても、今のやりとりの中、本当に、もう私の時間がだんだん迫ってきておるんであれなんですが、やはり、失敗したプロジェクトの厳しい総括と責任を明らかにするということがなければ、同じ間違いを犯すということになりますし、何よりも国民が納得しませんよね。どうして失敗をしたのか、どこに責任があったのか、そこは役所としての責任を、だれか個人に私は責任をとれというふうに言っているわけじゃありませんから、行政官庁としての責任があったということはやはり率直に認めるべきではないかと思います。  では、ちょっとむつの方に行きますけれどもむつは、本来、この国会審議のときにきちんと処理策が示されているべきであって、それがなされないままその法律の審査をしろというのは、本来は私は大変おかしな話だと思うんですよ。苫東の方は一応北海道開発庁さんもいろいろ反省といいますか、振り返った報告書等を出されて、また損失の処理方策も出されていますから、それをもとに私どもいろいろ国会でのチェックはできるわけでありますけれども、そういうことをさせないでおいて法案成立させてくれというのは本当におかしな話でございまして、何でむつのこの損失の処理策の取りまとめがおくれているのか、いつこれをまとめるつもりなのか、ちょっと確認をしたいと思います。
  78. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 むつ小川原開発は、青森県が基本計画を作成することとしておりますし、また、政府においては、この基本計画を参酌しつつ所要の措置を講じる旨の閣議口頭了解を行っております。  そのほか、北東公庫青森県及び経団連主導の民間が出資いたしました第三セクターであるむつ小川原開発株式会社が用地を買収、造成、分譲するという仕組みになっておりまして、多岐にわたる関係者の協力と連携のもとに進めてまいっている事業でございます。  特殊法人等の整理合理化につきましては、平成九年九月に閣議決定で、むつ小川原開発については、「新銀行設立までの間に、関係省庁地方公共団体、民間団体等関係者間において、その取扱いについて協議の上、結論を得る」とされておりまして、現在、むつ小川原開発株式会社青森県、北東公庫経団連等関係者協議を鋭意進めているところでございますが、多岐にわたる関係者のすべてが協力し、連携し得る案を現在まで得るに至っておりません。今後とも、その案を得るべく国土庁としても努力をしてまいりたいと考えております。  いずれにいたしましても、閣議決定で定めておりますとおり、本年十月の新銀行設立までの間に結論を得るように努めてまいりたいと考えております。
  79. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 いや、関係者が多岐にわたっているのは、それは苫東も一緒なんですよね。だから、苫東関係者が多岐にわたっているにもかかわらず、とりあえずこの法案審査に間に合ったわけですけれども、何でむつが間に合わなかったのか、それを聞きたいんですよ。  それからもう一つは、新銀行発足までということで閣議決定をされているようですけれども、十月一日までということなんだけれども、先ほどから申し上げましたように、本来はこの法案審査の段階で間に合わせるべき話なんだから、これは十月一日なんて悠長なことを言っておれないはずですよ。なるべく早期にまとめるという姿勢を示すべきじゃないですか。いかがですか。
  80. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 繰り返しになって恐縮でございますが、閣議決定以来鋭意努力をしてまいっておりますけれども関係者が多岐にわたるということもございますし、また、むつ会社自体が昨年の年末まで元利の支払いについては通常どおり行っていたというような実態もございまして、結果的に、現在その協議の結果の案を得るに至っていないということでございます。
  81. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 いや、だから、それはそれとして、では私がもう一度言いますけれども、閣議決定では十月一日までということになっているけれども国土庁としてもなるべく早く取りまとめる努力をすべきじゃないか、その姿勢を示してくださいということです。
  82. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 国土庁といたしましても、関係者の間の協議を積極的に進めまして、できるだけ早期にこのむつ開発処理案について取りまとめたいと考えております。
  83. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 また、国からの出資といいますか、新銀行からの出資等があるとすれば、これは来年度の概算要求にやはり間に合わせなければいけない話だと思いますから、おのずから時期は十月一日ということではなくて、前倒しでせざるを得ないと思いますから、その点よろしくお願いしたいと思います。  もう一つ、ちょっと確認しておきたいんですけれども国土庁として、こういうむつ開発の失敗の反省、これはきちんと何か報告書としてやはり取りまとめになりますね。確認しておきます。
  84. 中川浩明

    中川(浩)政府委員 むつ開発の実態あるいはこれまでの経緯については、むつ会社なりあるいは青森県がそれなりのまとめをやっておりますけれども、この開発がどういう意義を持っていたのかということなど全体的な面について、国土庁としても何らかの取りまとめをしたいと考えております。
  85. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 わかりました。では、またそれを受けて、今回はたまたま苫東の方が先行して出したから苫東について私どもやっていますけれどもむつが出たらまたぜひこれはやらせていただきますから、楽しみにしておりますから、しっかり出してください。  それでは、時間がなくなってきましたので、ちょっと大臣にお聞きしたいんです。  苫東なりむつなりの失敗の原因とかあるいはその責任の認識ということを私お尋ねしましたが、ここまでのやりとりをお聞きになりまして大臣としてどんな御感想をお持ちになったか、御意見等お聞かせいただければと思います。
  86. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 昭和四十年代の初めに新全総が策定されました。それはもう三十年前でございますが、それからきょうまで、私は必ずしもこの北東公庫あるいはむつ苫東に直接関係してきたわけではございませんけれども、大変関心を持って見ておりましたことは確かでございます。  それで、今石井委員がいろいろ鋭く、なぜこういうことになったのかということを御追及になって、それは私は、まことに国会として当然の御責務だと思って承っておりましたが、私がそういう、やや関心を持った、しかし直接責任者では必ずしもない立場から率直に申しまして、そのころ日本経済成長の先を見ますと、重厚長大な装置産業立地というものはほとんど不可能であって、国としても、この苫東というのは非常に期待をかけたところでありました。  北海道にとってはそれ以来、この苫東というのは希望の星であったわけでありまして、北海道は、非常に気の毒なことに、その後石炭がほとんどだめになりました。それから二百海里で漁業が大変に制約をされました。また、その後にローカル線の引き揚げということがございまして、いよいよ北海道としては苫東というものに、この星に期待をかけざるを得ない。現実に北海道でその後成功したことといえば千歳空港の整備ぐらいではないでしょうか。千歳と札幌の間のリニアカーをつくるということもうまくいかなくて、いよいよもう苫東というものが星である。  情勢は日々に悪くなってきておるのですが、しかし、出資をしていた銀行がこれから引くということに仮になりましたら、経済的な判断としては正しかったのでしょうが、それはいわば反北海道的な行為になるという問題がございまして、それは、北海道庁あるいは北海道開発庁が責任官庁ではあるとしても、これで何とかなるのではないか、時間がたって何とかなるのではないか。まあ、ここは、これが純粋な株式会社じゃないところの問題であるわけですけれども、毎年毎年は何とか過ごしていける、そういうことが続いてきたのだというふうに私は思っています。  三十年前からここまで、一体おまえたちは政治をやっていて何をしていたのかねと、私自身がむち打たれる思いなんです。言ってみれば、三十年前の全総考えたことが、理由はともかく、そのとおりいかなくて今日になったわけですから、そういう国のそのときの発想そのものに誤りがあったと言われれば、私はそうだとやはり申し上げざるを得ないような思いがしますし、その後にどうして早くこの始末をしなかったということは、やはりそこはある意味で親方日の丸という部分がございましたから、この星をどうしても消したくないと北海道の人が思われたのだろう。  これは、委員長、大変不適切な説明を申し上げますので、後からお取り消し願ってもいいんですが、どうして日本が戦争に負けちゃったんだ、どうして早くやめなかったんだということは、きっと戦後にお生まれの方は思っていらっしゃるに違いないんですが、私なんかは、指導者ではありませんでしたが、その渦中にいてやめられないんですね。だれもやめるということは言い出せない、そういうことがありました。これは甚だ不適切な例かもしれませんので、お忘れをいただきたいんですが、そういう要素がございました。  しかし、そういう気持ちは、それだけの苦しみを味わいながら、やはり新しい会社をしてでも、やがていい日が来るんではないかという思いが地元にあるということでもおわかりいただけると思うんです。これが北海道という特別な、いろいろ問題を持った地域でなかったら、あるいはもっと簡単に処理ができたかもしれないとすら思いますけれども、そういう要素があった。  これは、私は自分で全総計画には何度も関係しましたから、反省の気持ちがあって申し上げることでございますけれども、率直に言えとおっしゃいましたから、答えさせていただきました。
  87. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 大臣の率直な御答弁をいただきまして、ありがとうございました。  今お話がありましたように、親方日の丸だとか、渦中にいてやめられない。やはりやめる勇気を持つといいますか、そういうことが非常に大切ではないかと思います。  実は、新しい銀行に関してもいろいろお聞きしたいことがあったんですけれども、きょうはもうほとんど聞けませんで、最後にちょっと一問だけ、私、この日本政策投資銀行、新しい銀行においての不良債権のディスクロージャーについて確認をしたいと思うんです。  政府系金融機関の中でも、この日本政策投資銀行は比較的民間銀行に近い性質を持っておると思うんですが、このディスクロージャー、今までも開銀、北東公庫はリスク管理債権のディスクロージャーをやってきたというふうに承知しておりますけれども民間銀行に倣って、金融再生委員会の定めた新たな基準にのっとって不良債権の情報開示を行うべきではないか、こういうふうに考えておりますので、その点についてお伺いしたいと思います。
  88. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 御指摘の点につきましては、開発銀行北東公庫におきまして、新銀行の設立に向けまして、民間銀行におきます金融再生法基準と同様の基準による開示を前向きに現在検討しておるところでございます。  ただ、そのためには、内部の体制を、どういう形で評価するかとか、システムをどういうふうに整備するかというような問題がございます。それから、本年の十月より新銀行として発足するため、統合した際に両機関の資産の査定の作業というのをどういうふうに統合するかというような問題がございまして、こういう問題に対応する必要がございます。  そういう検討を経まして、統合後間もないため暫定的にならざるを得ない面があろうかと思いますが、早ければ新銀行の初年度でございます十二年、来年の三月期のディスクロージャーに向けて準備を進めてまいりたいというふうに考えておる次第でございます。
  89. 石井啓一

    ○石井(啓)委員 では、それはしっかりお願いしたいと思います。  時間が参りましたので、以上で終わりにします。
  90. 村井仁

    村井委員長 次に、佐々木憲昭君。
  91. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。  私も、原因と責任を追及するつもりでありますが、前提として、まず事実関係を確認したいと思います。  日本開発銀行北海道東北開発公庫を廃止して日本政策投資銀行に統合するというのがこの法案の内容でございます。しかし、北東公庫は、苫東むつ小川原に対して合計一千九百億円を超える膨大な融資残高を抱えております。  それで、本法案の一番大きな問題は、新銀行の発足までに発生した北東公庫の損失を、現在約九千億円の残高がある開銀の損失準備金で穴埋めし、残ったものを新銀行の準備金として引き継ぐということを法案の附則で明記したことでございます。  そこで、前提となる基礎事実についてお聞きしたい。  開銀にお聞きしたいんですが、現行の開銀法では、準備金の使途はみずからの損失以外には充てられないとされているのではないかと思いますが、そのとおりですね。
  92. 小粥正巳

    ○小粥説明員 お尋ねのように、現在の日本開発銀行法におきましては、第三十六条第二項におきまして「準備金は、損失の補てんに充てる場合を除いては、取りくずしてはならない。」という旨の規定がございますので、そのとおりでございます。
  93. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 ということは、現行法ではとてもできないことを、特殊法人の整理合理化という大義名分のもとでこれを認めようということだろうと思います。  大蔵大臣にお伺いしたいのですが、もともと開銀の事業と全く関係のなかった苫東むつ小川原の損失を開銀の損失準備金で穴埋めするというのは、私は筋が通らないと思うんです。これは間接的な公的資金投入ではないかと思いますが、その点についてはどのようにお考えでしょうか。
  94. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 先に事実関係のところを御説明させていただきたいと思います。  開発銀行北東公庫を廃止いたしまして新銀行をつくるわけでございます。これは九年の九月の閣議決定で決まったわけでございますが、これは開銀、北東の話にとどまりませんで、政府関係金融機関全般を行革の観点から見直すということで、いろいろ統合とか整理をやったわけでございます。  他方、新銀行ができる際には、新しい銀行に古い両機関の債権債務関係一切を引き継ぐわけでございます。そういう意味で、そういう北東公庫のいわば不良債権部分も新銀行に引き継がれるわけですが、他方で、準備金、資本金等は新銀行に引き継がれるわけでございます。  御指摘のように、開発銀行の準備金は開発銀行の損失のためにしか使えないというのが法律の規定でございますが、今度は開銀ではございませんで新銀行になるわけでございまして、新銀行は両方を引き継ぐ。それで、新銀行におきましては、新銀行の損失あるいは準備金の使い方につきまして、御指摘のような新たな規定を設けたということでございます。
  95. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 だから、私が聞いているのは、今まで開発銀行ではできなかったことを、この統合をすることによって可能になる。  宮澤大蔵大臣にお伺いしますけれども、開銀がためていた損失準備金を、全く事業関係のなかった、従来の事業と別の苫東むつ小川原の損失の穴埋めに使う、これは、従来できなかったことをこの統合によって可能にするもので、本来の筋からいうと違うことを可能にするということであって、これは間接的な公的資金投入、今の制度からいいますと不当な流用ということに当たるのではないだろうか。この点について大臣の見解を伺いたいと思います。
  96. 村井仁

    村井委員長 大蔵省溝口官房長。(佐々木(憲)委員大臣に聞いているんだよ」と呼ぶ)
  97. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 ちょっと技術的な点を御説明申し上げさせていただきます。  開発銀行北東公庫が廃止されまして新銀行になりまして、新銀行で一切の権利関係を引き継ぐわけでございます。それで、理由といたしまして、開発銀行北東公庫も、いずれも全額政府出資の特殊法人でございまして、それから事業基本的性格が類似いたしておるわけでございますから、両機関の債権を区分する必要性に乏しいわけでございます。したがいまして、統合いたしますと、一つのバランスシートで、新しい銀行のバランスシートとして一体として考える必要があるという考えで、行政府としてこういう処理を法律の形で提案させていただいて御審議をいただいておるということでございます。
  98. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 それは一つの御議論であろうと思います。  ただ、こういう損失が現実に北海道開発公庫に生じておって、そしてこういうふうに新銀行、両方とも政府機関でございますから、それが合併をするときにそれを開銀の準備金等々において処理することは、私は一つ考え方であろう。北海道開発公庫がそういう欠損を生じたことはけしからぬということは一つの御議論であろうと思いますが、生じた以上、新銀行設立のときに片っ方の準備金を持っておる銀行がそれをカバーするということは、同じく国の機関の間で行われたとしても、特に納税者あるいは国民の資産の損失を招くということにはならないであろう。損失そのものは北海道開発公庫が欠損を生じたそのときに生じておるということでございますから、むしろその問題ではないかというふうに思います。  日本政策投資銀行におきましては、開銀と同じように、出資あるいは融資の残高は資本と準備金の合計額の十五倍以内とすることにいたしております。この観点からこのたびの処理を見ますと、この処理に伴う損失は七百八十六億円でございますが、新銀行における資本金、資本プラス準備金ですが、一兆八千億でございます。そして、出資、融資の残高は二十二兆七千億でございますので、この資本の額の十五倍は二十六兆八千億でございまして、そういう意味では、これをいたしましても新銀行の健全性は確保されておって、業務に特段の支障はないという判断をいたしました。
  99. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 開銀が今までできなかった法律の枠を取り払って、新しい法律をつくって可能にして北東公庫の損失を穴埋めする、これは今度の法律の一つの重要なポイントですね。  私が聞いたのは、開銀が従来できなかったことを可能にしたということはいわば抜け穴をつくったということと同じであって、問題は、開銀に負担がかかる、そのことは結果的に国民にも最終的に負担がかかる、そういう関係にあるということを申し上げているわけです。そのことが結果的には原因の追及あるいは責任の追及、このことをあいまいにしていくのではないだろうか、そういう危惧を持っているので、お伺いをしたわけでございます。  具体的にお伺いしたいと思います。  会計検査院が昨年十二月に検査報告を出しております。平成九年度決算検査報告というものでありますが、この中には、北東公庫の貸付対象事業費は、主として用地取得費、造成費、さらに借入金の支払い利息で構成されているということが説明をされておりまして、当初は大部分が用地取得費と造成費であった。長期にわたって用地分譲が進まないので、公庫の九二年度から九六年度までの五年間の貸付対象事業費は、支払い利息にかかわる部分が、苫東開発会社では合計で実に八二・九%、八割を超えるところにまで上昇している。お聞きをしますと、用地取得費はこの五年間ではわずか一%、造成費は六%、維持管理費は一〇%であります。圧倒的部分、八三%が支払い利息であります。  会計検査院にお聞きしますけれども、この五年間の調査で、各年度ごとに支払い利息が何%を占めていたか、その五年のそれぞれの数字をお聞かせください。
  100. 小川光吉

    ○小川会計検査院説明員 お答え申し上げます。  苫東開発に関します支払い利息の貸付事業費に占める割合でございますけれども、四年が七二・六%、五年が八六・九%、六年が八九・四%、七年が八四・六%、八年が八三・六%、合わせまして平均しますと、検査報告にあります八二・九%でございます。  それから、むつ開発につきましては、五年が六〇・六%、六年が八五・七%、七年が八二・六%、八年が七八・七%、九年が九二・三%、この五年間の平均にならしますと、検査報告にあります七七・六%でございます。
  101. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 今の数字をお聞きしましても、驚くべき状況であります。毎年の実態で、支払い利息の部分がますます膨らんでいる。特にむつ小川原の場合は、九年度が九二・三%、九割を超えている。いわば利息の支払いのために借金をし、その利息のためにまた借金をする、こういう自転車操業に陥っていると言えると思うのです。追い貸しという言葉を使うかどうかは別としまして、これは極めて異常だと思うのですね。  会計検査院にお聞きしますが、このような状況というのは正常というふうに言えますか。
  102. 小川光吉

    ○小川会計検査院説明員 今まで御議論がありましたように、工業用地の売却が進まないため利息の支払いがふえまして、さらにこれのために融資を受けるという状態が長期化いたしまして、これを未成不動産に計上し続けますと、未成不動産の価額が上昇し、ひいては分譲価格の算定の際の原価の上昇につながるということで、分譲の困難性が増すというふうに認識しておるところでございます。  今、正常かどうかという判断を求められたわけでございますけれども、何割以上が正常、何割以下が不正常という線を引くのは非常に難しゅうございますけれども、支払い利息の割合が八割というのは、苫東むつの工業用地の開発の現状を見れば、やはり正常とは言いがたいのではないかなというふうに考えるところでございます。
  103. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 正常とは到底言えないと思うのですね。まさに異常だと私は思うのです。  それで、北東公庫にお伺いをいたします。  回収の見込みのないところに貸し出しているということになると思うのですね。そして、とうとうそれが破綻してしまった。北東公庫業務方法書がありますけれども、その第四条にはどのように書かれていますか。
  104. 濱本英輔

    濱本説明員 北東公庫業務方法書の第四条でございますが、第二条というのがその前にございまして、業務の中身について規定してございますけれども、その「二条の規定にもとづく出資、貸付及び債務保証は、北海道又は東北地方における産業振興開発が促進されるとともに貸付金等の回収等の見込みが確実なものに対して行うものとする。」と規定されております。
  105. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 業務方法書には明確に、「貸付金等の回収等の見込みが確実なものに対して行うものとする。」回収の見込みがないものには貸し付けてはならない、これに反しているんじゃありませんか。現実に、支払い利息のために九割も八割も、比率の高い融資をするというのは業務方法書に違反しているんじゃありませんか。
  106. 濱本英輔

    濱本説明員 先ほど来の御議論にもございましたように、事業費の中に占めます支払い利子の比率が大変高いものになってきているということをどう認識しておったかということになりますが、こういった土地分譲事業というのがある局面に達しました場合に、抱えております土地が売れません、その間利子の方は積もってまいります、そうしますとこういった現象に近づく。これは一般に最近見られた現象でございますけれども、そういう中でどこまで回収確実性というものを見詰めて融資できたかということになろうかと思います。  先ほど来もたびたびお答え申し上げましたけれども北東公庫考え方としましては、基本的に、目指す国家プロジェクトの目標がございまして、その目標に向かって何とかして近づきたいという一心でやってまいりました。その際には、いろいろなインフラストラクチャーの整備でございますとか、それから、先ほど来御説明申し上げましたような与件の見直し、例えば土地を取得するにつきまして助成を出す、あるいは金利を引き下げる、そういういろいろな措置を講じて、前進できないか、前進できないかと毎年挑んできたわけでございまして、その中におきまして一定の要件が満たされれば、将来これが売り払う可能性なきにしもあらず、その可能性というものを我々として見詰めることができるという前提融資を続けてきたということでございます。  これは、北東公庫の場合しかりでございますけれども、協調融資をしました各民間金融機関におきましても、金融機関それぞれの受け取り方はあろうかと存じますが、結果的には協調融資体制が維持されてまいりました。その過程におきまして、協調融資基本的な考え方におきましてはお互いに共有しておったはずでございまして、その間におきましては一つの見通しを持ってやってきたということでございます。  ただし、事ここに至りまして、北海道拓殖銀行のこの事態というものを一つの大きな事件といたしまして事態が変わってまいったことは先ほど申し上げたとおりでございます。
  107. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 先ほど会計検査院の答弁では、正常な状態ではない。つまり、貸し付けの中で金利が八割も九割もあるというのは極めて異常な状況です。回収ができないからますます深みにはまっていくわけでしょう。そういう状態をやっているということは、先ほど私が紹介した、回収等の見込みが確実なものに対して貸し付けが行われなければならないというこの業務方法書とは全く違うことをやっていた。これは事実だと思います。  この業務方法書というのは、北東公庫法の二十条で、公庫は、業務の開始の際、業務方法書を作成し、主務大臣の認可を受けなければならない、これを変更するときも同様とする。極めて重要な経営の基本方針を定めたものであります。それにはっきりと違反している。  国の意思どおりやってきたと言うけれども、国の意思でこの業務方法書が作成されている。その業務方法書に違反している、このことは極めて私は明確だと思います。その責任は重大だと思います。その責任はどのようにお感じですか。一言で答えてください。
  108. 濱本英輔

    濱本説明員 あらゆる金融活動、融資というものは、リスクに対する挑戦であろうと思います。その場合に一〇〇%の確率ということを念願いたしますけれども、常に一〇〇%の確率が保証されないというのはこの世界のことであろうと残念ながら思います。  一般の融資国家プロジェクトに関します融資とは、私どもも、先ほど来たびたび申し上げますように、若干違った気構えで臨んでまいりまして、つまり、国家の示される意思に従って、国もいろいろな公共事業を注入する、あるいはその他いろいろな条件の整備につきましても努力しておられたわけでありまして、それらと一体となって取り組んだ事業でございます。  その目標を達成するために、状況を変えていくという中で融資目的の達成のめどが見えるならば、これは融資をすることに責務があるんであって、そこで、もちろん時々刻々の状況につきましては十分なる詳察が必要であろうと思いますし、結果的にこうなったことに対しましては非常に残念に思っておりますけれども、国の意思というものは重いものでございますし、それをどこまで頑張ってやるかということに我々の責務を感じておったというのが正直なところでございます。
  109. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 残念だが責任がない、残念だけれども国の意思だからみずからの責任はない、そういう答弁は私は納得できない。  北東公庫自身の責任として、貸し出す際の条件をこのように決めているわけです。業務方法書に明確に書いている。それに基づいて実際の経営を行う、融資を行うというのが北東公庫自身に与えられた責任であります。義務であります。それに違反しているということは、私は、事実を明確にすれば、今までの事実経過からいってこれは明確だ、この事実関係からいって違反しているということははっきりしていると思います。全くその責任を感じていないというのは、私は本当に問題だと思います。  次に、具体的に聞きますが、苫東開発むつ小川原開発も元利返済がとまっております。延滞状況、いつからそうなっているか。苫東むつ小川原それぞれについて、その時点、いつからかということをお答えください。
  110. 濱本英輔

    濱本説明員 お答え申し上げます。  苫東開発株式会社に関しましては、北東公庫に対しまして、利払いにつきましては平成九年の十二月から、元金償還につきましては平成十一年の三月から延滞状況にございます。  それから、むつ小川原開発株式会社について申し上げますと、当公庫に対しまして、利払いにつきましては平成十年の十二月から延滞状況にございます。むつの元金償還につきましては、契約上、現在、据置期間にございまして、元金の返済が滞ったという状況にはなっておりません。
  111. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 苫東開発むつ小川原に貸し付けている民間の金融機関、協調融資団、これは苫東は三十九社あり、むつ小川原は三十六社というふうにお聞きしておりますが、これは大打撃を受けているわけであります。民間銀行の責任も私は大きいと思いますが、北東公庫の責任はもっと大きいというふうに思います。  北東公庫のディスクロ誌によりますと、昨年三月三十一日現在で、苫東開発に対する三カ月以上の延滞債権は九百六十一億一千八百万円となっております。まだこの段階ではむつ小川原の分については出ておりません。  ことしの三月期でどうなっているのか、お聞きをしたいと思います。北東公庫の破綻先債権それから延滞債権、三カ月以上延滞債権、貸し付け条件緩和債権の額、それぞれ幾らで、そのうち苫東開発むつ小川原開発の分は幾らか、お答えをいただきたいと思います。
  112. 濱本英輔

    濱本説明員 本年三月末時点での北東公庫の全体の債権の状況につきましては、実は先生、現在決算を取りまとめ中でございまして、その全容につきましてここで御説明申し上げることができないことをお許しいただきたいと存じます。  ただ、苫東につきましては、先ほどお話ございましたように九百六十一億強、それからむつに対しましては九百六十九億強、これはいずれも平成十一年三月末時点でその額で確定するというふうに考えます。
  113. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 九百六十一億と九百六十九億。そうしますと、北東公庫の自己資本、これは三月末で幾らですか。
  114. 濱本英輔

    濱本説明員 北東公庫の十一年三月末現在におきます自己資本というのは、資本金千三百四十一億円でございます。
  115. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 そうしますと、北東公庫苫東処理で六百五十五億円の債権放棄を行う。しかし、苫東会社の昨年九月期の中間決算では、債務が九八年三月期に比べさらに四十億膨らんでおります。さらに、九月以後十二月までに四十六億円も返済が滞っているという報道もあります。現時点ではこれはさらに膨らんでいるというふうに思いますが、そうなりますと、債権放棄額は六百五十五億円では絶対に済まないと私は思います。これはさらに膨らむのじゃありませんか。
  116. 濱本英輔

    濱本説明員 最終的に統合が予定されております九月末の時点ということで考えました場合に、先ほど来の御議論にございますむつの問題がございます。このむつは、現在どのような処理に結果的に付されるかまだ決まっておりません。むついかんということだと存じます。
  117. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 そのむつも、先ほどありましたように九百六十九億、こういう数字でありますから、苫東よりも若干大きな数でございます。同じように処理をいたしますと、六百五十五億円さらにプラスアルファになり、かつ、むつがそれに同じ金額以上加わってきますから、この資本金そのものを食いつぶして、債務超過になるかならないかという状況になるのじゃありませんか。いかがですか。
  118. 濱本英輔

    濱本説明員 平成十一年九月末におきまして資本金がどうなるかと。先ほど、十一年三月末現在の資本金は千三百四十一億円と申し上げましたけれども、今次の予算でいただきます資本金を加えますと、九月末に千六百六十三億円のレベルになります。  一方、苫東、そしてむつ処理額がいかようになりますか。これは、先ほどの繰り返しになりますけれどもむつにつきまして判然といたしません。したがいまして、それ以上この状態につきまして論及することが難しい状況でございます。
  119. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 もう時間が参りましたが、今の御答弁でも明らかなように、全く見通しが明確じゃないのです。どれだけ債権放棄をやるのか、負担が幾らになるのか、そのスキームも明確ではない段階で、開銀の損失準備金の穴埋めだけは非常に明確にこの法律で決めてやる。責任もはっきりしない、原因も明確にならない、こんなでたらめなやり方は私はないと思うのです。  私は、まだあすもありますから、引き続きこの債務の実態について具体的にお聞きをしていきたいと思います。明確な答弁を今後行うように求めて、質問を終わります。
  120. 村井仁

    村井委員長 次に、横光克彦君。
  121. 横光克彦

    ○横光委員 社民党の横光克彦でございます。  まず、私、先般の国民生活金融公庫の審議におきましても申し上げたのですが、九七年当時の特殊法人改革、この論議のときに、国民生活の安定、向上に配慮していく立場から、民間金融機関では望みがたい公平性あるいは中立性等への対応を含めて、政策金融が担うべき役割は一層重要になるはずだ、そういうふうな認識を示したわけでございます。そのことは、その後の経済、金融の大きな激動期にあって、日本開発銀行あるいは北海道東北開発公庫のみならず、他の公庫における貸し渋り対策等の出動によって明らかになったと思うわけでございます。  以上のようなことを踏まえて、まず新銀行、日本政策投資銀行は、その名称のとおり、あくまでも国の機関であって、今後とも公平性、中立性を堅持して、政策的な金融を通して国民の負託にこたえるべきものである、このように考えております。  しかし、ともすればこうした基本原理を忘れて、民営化論などが安易に議論されがちでございますが、そうした考えは、本法案提出に当たって、この際、この民営化論とかいう論議は一切ないのであるということをまず大蔵大臣に確認をいたしたいと思いますが、いかがでしょうか。
  122. 宮澤喜一

    宮澤国務大臣 かつて開発銀行は、我が国の市中銀行の活動が盛んな時代に、民業圧迫と言われたこともございました。しかしその後、今、貸し渋りの時代になりますと、実際政府機関が一生懸命貸し出しをしなければならないような状況になっておりまして、状況が一変しております。  しかし、基本はやはり、横光委員の言われますように、国の仕事と民間の仕事ははっきりしておくべきである、混同をすることがあってはならないと考えておりまして、今度お願いをいたしております日本投資銀行におきましても、その融資の対象は地域整備の関連の分野、あるいは環境でありますとかその他生活基盤の関連の分野、それから国の戦略的に重要な、どちらかといえば大きな産業分野、いずれも民間の金融機関ではリスクが大きい、あるいは貸付期間が長いというようなことから融資をすることが難しい分野に限っておりまして、この点は今後とも厳密に守ってまいらなければならないと思っております。
  123. 横光克彦

    ○横光委員 政策金融の重要性というのは、今の状況であるならば、これからますます私は大きくなってくるのではなかろうか、そのような気がいたしております。  今回の新銀行、今まで各委員が厳しく質問してまいりました。私も新銀行の財務関係、このことがやはり非常に心配なわけでございます。政策金融機関は、国の政策に金融上の寄与を行う機関として規律ある経営が求められるのは当然でございます。しかも、それは国民に対して開示されるべきであり、厳しい説明責任、アカウンタビリティーが求められているわけでございます。  そうした観点から、今回の苫東開発あるいはむつ小川原開発にかかわる不良債権の処理が新銀行へ引き継がれた場合、新銀行の健全な財務に大きな影響を与えるわけでございます。つまり、北東公庫の損失を肩がわりすることによって準備金が目減りするわけで、その分新銀行の基盤は弱まる形でスタートせざるを得ないわけですね。  そうしますと、なぜこうなったのかという、先ほどから各委員がしつこく質問いたしております原因と責任、ここにどうしてもたどり着かざるを得ないわけでございます。この問題がこれまで放置されてきた結果責任、なぜ今回の破綻に至ったのかという責任ですね、これはどうしてもはっきりしてもらわなければなりません。  北東公庫が巨額の不良債権を抱えることになったのは、先ほどからお聞きしておりますように、いろいろな事情があったにせよ、これは明らかに政策当局の失敗ですよ。これは変えられないですね。いろいろな理由があったにせよ、結果的にはこれだけの大きな債務を抱えることになったのですから、これは政策の失敗でございます。  この問題をこのまま放置しておけばさらに膨大な債務に膨れ上がるということから、今回の処理策、これはやむを得ないと私も思いますよ。しかし、この処理する開銀の準備金というのは、先ほどから言われていますように国民の金でしょう。国民の資産なんですよ。となりますと、なぜこうなったのかということを国民にはっきりと示さなければ納得がいかないと思うんですね。一番問題は、この問題をあいまいなまま新銀行設立に至るということが、これからの新銀行の行く先、あるいは同じ轍を踏む可能性さえむしろ出てくるのではなかろうか。  いろいろな理由を聞きました。これだけの債務が膨らんだ理由を聞きました。円高の問題、石油危機の問題あるいは拓銀の破綻、いろいろな状況がございました。しかし、それはそういった経済状況変化であり、企画立案、政策、計画の実行、これは政策当局がやったんでしょう。となりますと、やはりここははっきりと結果責任をまず認めていただきたい。いろいろな状況があったにせよ、こういった責任は大きく感じているんだということを言明していただかないことには、事は前に進まないと思うんです。  まずは北海道開発庁にお聞きします。
  124. 斎藤徹郎

    ○斎藤政府委員 苫東開発、特に……(横光委員「理由はいいんです、責任を認めるかどうかと聞いているんです」と呼ぶ)  それぞれの立場からの責任という問題でございますけれども開発庁といたしましては、計画遂行についての責任を負っているわけでありまして、引き続きその責務を果たすべく、第三セクターの累積債務処理することを通じまして新会社のもとで計画推進してまいりたいというふうに考えております。
  125. 横光克彦

    ○横光委員 これまでの計画遂行に対する責任は、今北海道開発庁はお認めになりました。  そして今度は、その計画を執行した北東公庫ですね。つまり、先ほどから言われておりますように、資金の回収の見通しが少ない事業に巨額の融資を続けた、これは北東公庫の審査体制が甘かった、もっと言えば、ずさんな形での融資が行われたと言われても仕方ないぐらいのことをやってきたんじゃないか、私はそういう気がするのですが、北東公庫の方の責任をはっきりと認識してください。
  126. 濱本英輔

    濱本説明員 繰り返しの御答弁になりますが、執行部門としまして、目指した目標に向けて何かなし忘れたことと申しますかなし落としたことと申しますか、そういうことが本当になかったんだろうか。その点につきましては、先ほど来たびたびいろいろな御指摘もいただいておりまして、繰り返し繰り返し考えてみる必要があるというふうに思っております。  北東公庫の審査体制がずさんでなかったかというお尋ねでございますけれども一つだけ、北東公庫のこれまでたどってまいりました事績としてここでお耳に入れておいていただきたいことがございますのは、公庫が設立されましたのは昭和三十一年でございます。それから平成十年の三月末までの間、公庫は四兆五千億の資金を融資させていただいてまいりました。  その中で、最終的に回収ができなかった額、これが幾らあるのかということを調べてみました。最終的に回収できなかった額、つまり債権償却をいたしました額が六十八億円でございました。全体の比率から申しますと〇・一五%ぐらいになりますが、私、このことを申し上げたいということではなくて、公庫として審査に万全を期し、すべての力を集中して債権の確保に努力してまいった事績を何ほどかごらんいただきたかったということが一つ。  それから、その力をむつ苫東の問題に及ぼせなかった無念さ、これをはっきり私ども今認めて、先ほど申し上げましたような形で、今後このような体験をどのように生かすべきか、それを考えてみたいと思っている次第でございます。
  127. 横光克彦

    ○横光委員 これまでの努力は確かに努力として認めなければいけない。しかし、その結果はやはり大きな損失につながったということの責任も今痛感しているような御発言でございました。そして、そのことを反省することによってこれを生かしたいという言葉もございました。  あいまいにしたままだと、新銀行の行く先がやはり不透明になるだろうという気がするわけですね。しっかりとした反省、そしてまたその教訓を生かしてこの新銀行のスタートにつなげなければいけない。ですから、各委員が、これは本当に与党、野党問わず、この責任をはっきりしていただきたいという質問が続いたと思うわけでございます。  私、ちょっと細かいことをお聞きしますが、今度の新銀行設立は一つの行革でございます。日本政策投資銀行の役員数、これは開銀が十八人、北東公庫八人の計二十六人であったのが、九人削減され十七人になるというわけですね。しかし、この削減された九人のうち六人は、開銀に設けられていた参与制度の廃止により充てられております。つまり、現在、参与には民間の有識者が就任し、これは常勤ではないわけですね。このようなポスト削減に充てても実質的な削減とは言えないんじゃないかという気がいたしております。  確かに総裁は一人になりますね。しかし、副総裁はそれぞれの銀行から一つずつで二人。しかも、理事については一切の削減はないわけなんです。両機関の理事の数、合わせて十二人。今回も、日本政策投資銀行の理事は十二人以内、常勤が九人となっておりますが。この削減内容では私は本当の行革になっているのかと。ちょっときつい言い方になりますが、天下りポストについてはこれまでどおり確保しつつ、そして削減の大半は廃止するに余り意義のないと思われるポストを充てていると言われても仕方ないと思うんです。果たして十二人もの理事が要るかどうか、必要なのかどうか、まずそこをお聞きしたい。そして、行革であるのならば、せめてもう少し削減する努力をすべきではないか。この二つにお答えください。
  128. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 日本政策投資銀行におきましては、法定理事は、開銀八名、北東公庫四名の十二名でございます。これに対しまして、政策投資銀行になりますと、常勤につきましては、現在開銀が七名、北東公庫四名に対しまして、二名削減いたしまして合計で九名になるわけでございます。  政策投資銀行は、開銀と北東公庫のすべての債権債務を引き継ぐわけでございまして、融資の残高は、一万八千件、十九兆に上るわけでございまして、大変巨額でございます。もちろん、業務の見直しは今後も行うわけでございますけれども、主要な分野といたしまして、地域整備、それから環境対策等生活基盤関連の融資、それから戦略的に重要な産業分野に対する融資等、一般に民間金融機関ではリスクが高い、リスクがとれないというような分野、社会的な公共性が高くて、国の金融機関がリスクをとって奨励すべきようなものに業務を行うわけでございます。  こういう実態から見ますと、御提案申し上げているような理事というのは必要ではないかというのが私どもの判断でございます。
  129. 横光克彦

    ○横光委員 しかし、ただ足して同じ数というのは、どうしても行革の趣旨に反するという気がしてなりません。そこは努力によって少しでも削減の検討をすべきである、このように私は考えております。  日本政策投資銀行の役員の給与及び退職手当の支給の基準は、社会一般の情勢に適合したものとなるよう定めるとしております。これは国民生活金融公庫も同じですが、この社会一般の情勢に適合したもの、これがどうもよくわからないのです。国民によくわかるように具体的に説明していただけますか。
  130. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 先ほど申し上げましたように、政策投資銀行の新任務を遂行していく上で必要な人材を確保するということが重要でございまして、そういう意味で、適切な人材が確保できますように、社会一般のほかの方々とのバランスがとれたものでなければならないということが一点でございます。  それから、政府関係金融機関といたしまして、その職責、必要とされる能力に応じたものをやはり給与として支払う必要があるわけでございまして、そういう意味におきましても、社会一般の情勢に適合したものでなければならないということでございます。  なお、昨年の九月に特殊法人の役員の給与につきまして閣議決定をいたしております。国家公務員の一般職の給与にかかわる法律の指定職十一号、次官級の俸給でございますけれども、特殊法人におきましても、役員等、その範囲内で定めなさいという閣議決定が行われておりまして、新銀行におきましてもこの範囲内で行われるということになるわけでございます。
  131. 横光克彦

    ○横光委員 どうも余りよくわからないんですね。社会一般の情勢に適合したものという分野が、もっと国民に、ああ、そうか、なるほどなというような形を示さなければ、いつまでたっても不透明な印象を与えてしまいます。  北東公庫は、北海道、東北における地域開発を目的とする政策金融機関であるわけでございます。先日私も、苫東に視察に行ってまいりました。大変お世話になりましたが、北海道及び地元経済界などから、これまで北東公庫融資対象としてきた地域整備関連分野について、新銀行の重要な柱に位置づけてほしいとの要望が出されたわけでございます。  そこでお聞きいたしますが、新銀行設立後も、これまで北東公庫が担ってきた業務分野、範囲はこれまでと同様のものと理解してよろしいでしょうか、それが一つ。そしてまた、新銀行の業務における北東地域地域整備関連分野の位置づけはどうなるのか、お聞かせいただきたいと思います。
  132. 溝口善兵衛

    ○溝口政府委員 業務の分野につきましては、新銀行は、開発銀行が行っております地域開発融資制度を引き継ぎますし、北海道開発公庫が行っております、北海道東北地方を対象といたしました地域プロジェクト支援も引き継ぐところでございまして、こういう分野は新銀行の三本の重要な融資分野の一つでございますから、その三本の柱の一つとして重点的にやっていくことになろうかと思います。  それから、北海道関係でございますとかそういう地域整備の関係でございますけれども、機構面におきまして、重複する総務、人事部門のセクションを一本化しまして合理化する一方で、地域の拠点を充実するということを図っておりますから、そういう面を通じましても、地域開発地域の発展のために新銀行は重要な役割を果たしていくものと考えております。
  133. 横光克彦

    ○横光委員 終わります。どうもありがとうございました。
  134. 村井仁

    村井委員長 次回は、明二十一日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時五分散会