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内野参考人 内野でございます。本
委員会におきまして
意見を述べる機会を与えていただきまして、まことに光栄に存じます。
国内炭鉱の存在意義とその
技術の評価について申し述べたいと思いますが、その前に、その背景として、
エネルギー問題の
現状と将来について少し触れてみたいと思います。
前回お招きいただきました
平成九年六月の本
委員会よりほぼ一年九カ月が経過いたしました。この間、
アジアを
中心といたしました
世界経済の大きな変化が生じまして、その影響で
石油の
価格が大幅な下落をしております。
英国の雑誌ザ・エコノミストの最近号でございますが、「ドラウニング・イン・オイル」、
石油におぼれてという大見出しを表紙に掲げて論説を展開しておりますけれども、これは、
石油があり余って心配は要らないという主張ではございませんで、この
状況は
石油ショックの前にも似ている、注意が必要である、備えをせよ、そういう主張をしておる記事でございます。さらに、エネ研、
エネルギー経済研究所の最近号の「
エネルギー経済」の中に、
石炭については
経済安定性にすぐれ、安価で豊富な
石炭というキャッチフレーズが正しくないのではないかという警鐘を鳴らす研究報告がなされております。
さらに、我が国の
エネルギー消費も御存じのとおり
増加を続けておりまして、その
供給の脆弱性ということについては、本質的には何ら変わらぬままでございます。
途上国におきましては、
経済の問題から一時的には
エネルギーの
需要が落ち込んでいるとはいえ、長期的には再びまた以前に見られた高い
経済成長率に伴う
エネルギーの
需要が回復するであろうということは、多くの識者が指摘するところでございまして、
中国あるいは
インドの
エネルギー市場の将来における
需要性は不変のままでございます。
さらに長期的に見ますと、
石油の
供給能力の極大値は、この三十年あるいは四十年以内に到来するであろう、それ以降は減少の一途をたどるであろうという見方も不変のままでございます。
このような将来を考えますと、その次に来るのは
石炭と
原子力しかあるまいというのが、これもまた大方の
意見でございますけれども、これについても大きな変化はございません。
要するに、我が国の
石炭対策はこのような背景の中で考えるべきものであろうと私は考えております。
こういうことから、
日本の
炭鉱の存在意義ということを考えてみたいと思いますが、第一は、言うまでもなく
価格差あるいは量の少なさということでございますが、やはり
国内の数少ない貴重な
資源であり、最も安定性の高い燃料、あるいは地域の
経済に
貢献しているということを再確認すべきではなかろうかと思います。
第二には、
技術の
基盤の維持あるいは人的
資源の育成という点における
貢献でございます。つまり、
海外の
石炭開発、貿易業務、
政府を含む諸機関、
関係団体における専門的な知識を有しました
技術者が不可欠でございますが、そういう
専門家の
供給のベースとなっておるということを忘れてはならないと思うのでございます。
石炭というものが、その探査、
開発、
生産、輸送、利用あるいは
環境へのインパクトという非常に大きな広い問題とかかわり合いを持つ分野であるゆえに、こういう
専門家の存在というのは極めて大事なものでございますが、そういう人的
資源の育成、維持に役割を果たしておるということでございます。
国内にそういう場がありませんと、そういう
専門家の育成、人的
資源の枯渇にもつながるということを十分想起すべきであろうと思います。
この問題に関連して生じております具体的な問題を
一つ申し上げます。
それは、我が国の大学で、公私国立を問わず、
石炭地質を講じる大学の教官がこの三月をもちましてただ一人になってしまいます。ということは、
石炭についての地質、あるいは利用いたしますときの
石炭の性質、
石炭組織学等にかかわります
専門家を育てる場がほぼゼロになりつつあるということでございます。グローバリゼーションが進行する中、こういう
専門家という意味での数と質の低下ということは十分に気をつけておくべき問題ではなかろうかと常々考えておるところでございます。
第三は、
国際協力における役割でございます。
一つの具体的な例を挙げます。私もその一端に参加させていただきましたが、トルコの例でございます。
トルコは、数回にわたる多くの犠牲者を出したガス爆発を経験いたしましたが、その様子、それからくる国家的な、国の
関係としての
要請もございまして、それにこたえて、ただいま研究者と現場
技術者から成るチームが
センターを設けまして、常駐いたしましていろいろな基礎的な研究、
調査あるいは
技術指導をやっておりますが、その成果は多方面から非常に高い評価を得ているところでございます。
さらに、
中国に対する
協力もございます。
中国は、現在、百万トン当たりの死亡者の数は全国平均で四・六人とされております。しかし、その
生産の四〇%を占めます郷鎮
炭鉱、個人
炭鉱と呼ばれるところは八・一と高うございまして、これは
昭和三十年代の
日本の
炭鉱の値となります。現在、この値は
日本では〇・二でございます。そういう私どもの経験と
技術をもちまして、
中国の年間六千名にも達する、あるいはそれ以上であろうかとも言う人もございますけれども、とうとい人命の損失を防ぐため、これを
協力によって
貢献するということは、ヒューマニズムの立場からも高い評価を得るはずでございます。
それから、
生産という
技術におきましてもいろいろな
協力が行われております。釧路鉱業所と池島
炭鉱両所におきまして、オン・ザ・ジョブ・トレーニングと申しますか、
途上国の方を招きまして、
生産あるいは安全という
技術を、座学だけではなくてジョブ、それ自身に接触を持ちながらこれを教育訓練するということでございますが、これも高く評価されているところでございます。
第四には、新しい
技術の
開発の場ということでございます。
いろいろな人が指摘をいたしておりますように、
日本の
炭鉱というのは、非常に複雑な条件の中で高い
生産性と安全性を
確保するレベルに達しておるということでございますが、そういう高いレベルの
技術を
基盤といたしまして、さらにこれを発展させ、
海外の
炭鉱にもこれをもって寄与するという可能性は非常に高いと私は考えている次第でございます。
要するに、我が国の
炭鉱の
技術というのは、地質が非常に若いということ、地殻変動を受けておるということ、あるいはまた、火山活動の影響を受けているということから、他国に見られない極めて複雑な様相を呈しておるわけでございますが、その中で、繰り返しになりますが、高い
生産性と高い安全レベルを
確保するという
技術をかち得ているわけでございまして、この意味から、我が国の
炭鉱の
技術の特殊性があるというふうに評価することができると考えられます。
石炭の問題を考えていきますときに、保安と
生産というのはいつも言及されます二つの側面でございますが、
生産性につきましても、
コストダウンを図るため、いろいろな
技術の導入、
開発がなされておりまして、
世界に知られております
技術を二つ申しますと、釧路鉱業所におきますロングウオールの採炭
技術、あるいはまた、池島鉱業所におきます
世界で最も早い坑内の人車、時速五十キロという速度に達するわけでございますが、そういったものは、最新の
技術の展開を示すものとして紹介しておきたいと存じます。
石炭の問題を考えますときにいつも頭に出てまいりますのは、長期的と短期的、直接的な効果あるいは間接的な効果、ミクロに見るかマクロに見るか、狭い分野を深く考察するか、あるいは多角的にこれを見るか、そういう相反する二つの
考え方のコンビネーションでございます。どちらをとるかによってその見方が変わるわけでございますが、もちろん一番大事なことは、この両者の角度から物を見ることであろうと思います。総合的な角度からこれを考えると、
国内の
炭鉱の存在意義は依然として存在いたしますし、我が国の
炭鉱技術も高いレベルにあり、これを最大限に利用する必要があるというのが私の
意見でございます。
どうもありがとうございました。(拍手)