○田中(甲)
委員 民主党の田中甲です。どうぞよろしくお願いします。
この
特別委員会は、与野党が一体となって、
児童虐待、きょうはそのテーマでありますけれ
ども、
青少年問題に関するさまざまな問題に、とにかく、現実の
社会に立法府の
対応がおくれてはならないという思いを持って、結束して審議を行っている
委員会である、そういう
認識をまず持っておりまして、ぜひきょうは、立法府としてどのように今
対応しなければいけないのかということ、
出席をされている全員で、傍聴の皆さん方も含めて、話をしていければと思っています。
最初に、自己反省から入りますが、
厚生省のお考えですと、「育児をしない男を、父とは呼ばない。」ということだそうでありまして、私は、二十代から選挙ばかりやっておりまして、ほとんど育児は家内に任せたという
状況の中で、二人の
子供がおりますけれ
ども、振り返ってみますと、ほとんど育児をしてこなかった男でありまして、多分、皆さん方から見ると、父という呼ばれ方をしない対象のものだろうというふうに思っております。
前回、
参考人を呼んでお話を聞いたときに、立法府の
対応ということがおくれている、国
会議員の
先生方にも大きな
責任を
感じていただきたいという
参考人の御意見がありました。このことも肝に銘じて、父とは呼ばれない私ではありますが、きょうは精いっぱい、
大臣にもいらしていただいていますから、問題の解決に向けての具体的な法の改正や、あるいは新しい法の立法ということもお話しさせていただければと思っています。
どちらかといいますと、アジアは、個人主義の進んでいる欧米とは違って、家族の結束、連帯感ということが強い、
家庭内暴力も少ないというような、そんな推理もされていた時期があったやに聞いています。しかし、どうも最近の
調査を見てみますと、それは全くの誤りであるという新たな
認識を持つ中、少し古い話ですが、「菊と刀」という著書を書かれた
社会学者のベネディクト氏が、恥の文化と
日本を
指摘していたように、どうも自分たちの恥というものを外部に出さないということが
日本はかなり強かったのだろう、そして今もそれが継続しているのではないか、そんな
認識を持つようになっています。
潜在化している、表面になかなか出てこない、解決困難な
児童虐待の問題ということをいかに明らかにして、どのように
子供たちの命を救っていくかということが私たちの命題であろうかと思います。
そこで最初に、
児童福祉法の改正という点で、
厚生省さんに対して御
質問させていただきたいと思っています。
最近、毎日新聞で随分と連載に力を入れておりまして、「殺さないで」という特集で、三カ月前に左足の骨折で入院した二歳の男の子がまた運ばれてきたときには、今度は意識不明といいますか、昏睡状態のまま救急車で運ばれてきた。
虐待に気づいた医師が保健所に
通知し、毅然とした態度で親に、
児童虐待です、
子供を
保護しますという告知をしたため、二歳の命は救われたという記事が載っておりました。
逆に、同じ新聞の特集記事でありますけれ
ども、
母親の
虐待で肩の骨がねじれ折れた生後三カ月の男の子ですが、親から、もう一度チャンスを下さいと言われて、医師が
家庭に戻したところ、四カ月後には頭蓋内出血で男の子は
虐待死をしたという話も載っておりました。
この命を守るという点において、
児童虐待の
早期発見の重要性ということと、それから、通告義務が現在の
児童福祉法の中で徹底しているのかどうかということをもう一度見詰め直していく、確認をしておく必要があろうかと思います。
委員の皆さん方にくどくど申し上げることは逆に失礼かもしれませんが、これは
児童福祉法の二十五条でありまして、
国民全体に通告の義務を課しているわけでありますけれ
ども、これは罰則もなく、
国民全体に課すということで逆に実効性がない。これは私の意見ではありませんで、裁判官をやられ、現在は弁護士さんであります、
参考人でいらしていただきました平湯
参考人がそのように言い切って、断言をされていたのであります。
この通告をしない例が非常に多い。それが結果的に命取りになっているということを考える場合に、
日本の
児童福祉法に、今よりも通告義務というものを専門家に、もちろん対象を限定してそこに課していく、違反した者に罰則を科す。たとえ間違って
虐待の事実がなかったとしても、通告を受けて、それを調べていく中でなかったとしても、それは訴訟の対象にならないなど、免責する規定を加える、こういう細やかな
児童福祉法の法改正というものが私は必要になってきているというふうに考えます。
随分細部にわたるところまで
指摘をしての御
質問で恐縮でありますが、
大臣、いかがお考えでしょうか。