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1999-04-28 第145回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年四月二十八日(水曜日)     午前九時三十三分開議   出席委員    委員長 井上 一成君    理事 佐藤  勉君 理事 桜井 郁三君    理事 滝   実君 理事 蓮実  進君    理事 桑原  豊君 理事 永井 英慈君    理事 久保 哲司君 理事 吉田 幸弘君       岩永 峯一君    下村 博文君       園田 修光君    西川 公也君       西田  司君    古屋 圭司君       宮本 一三君    渡辺 喜美君       赤松 広隆君    伊藤 忠治君       小林  守君    宮地 正介君       中島 武敏君   知久馬二三子君  出席政府委員         国土庁大都市圏         整備局長         兼国会等移転審         議会事務局次長 板倉 英則君  委員外出席者         参考人         (駐日マレイシ         ア特命全権大         使)      タンスリ・H.M.カティブ君         参考人         (駐日オースト         ラリア公使)  トレーバーウィルソン君         通     訳 石田 真紀君         衆議院調査局国         会等移転に関         する特別調査室         長       白兼 保彦君 委員の異動 四月二十八日              辞任         補欠選任   棚橋 泰文君     園田 修光君   保坂 展人君    知久馬二三子君 同日                 辞任         補欠選任   園田 修光君     棚橋 泰文君  知久馬二三子君     保坂 展人君 四月二十七日  幾央高原への首都機能移転に関する陳情書(第一九五号) は本委員会に参考送付された。 本日の会議に付した案件  国会等移転に関する件     午前九時三十三分開議      ――――◇―――――
  2. 井上一成

    井上委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として駐日マレイシア特命全権大使タンスリ・H.M.カティブさん、駐日オーストラリア公使トレバーウィルソンさんに御出席をいただいております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。両参考人には、首都機能移転に関する知識及び経験について、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。  なお、議事の順序ですが、まず、両参考人から十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。御発言は着席のままで結構でございます。  なお、本日は、通訳を駐日マレイシア大使館石田真紀さんにお願いしております。よろしくお願いいたします。  それでは、まずタンスリ・カティブ参考人にお願いいたします。
  3. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 委員長様、ありがとうございました。  本日は、このような機会に招いていただきまして、マレーシアの新行政府プトラジャヤについてお話しさせていただく機会を得ましたことは、私にとって大変光栄なことであります。  本日は、こちらのオーストラリアの方に比べますと、マレーシアの方はまだ実際の新首都として機能しておりませんので、いささか不利な面があるような気がいたしますけれどもマレーシアプトラジャヤの方にも来月首相が動く予定です。  あらかじめ答弁の内容を配付させていただいていたのですけれども、これについては、本日はこのとおりには読まないことにいたします。また、薄目のフォルダーにマレーシア参考資料を入れておきましたが、本日、皆様にこのプトラジャヤ建設状況のビデオをお見せする機会がなくて残念です。  そして、この資料の中にカラーコピーの、こちらの地図と写真が入ったプトラジャヤの現在の建設状況を示しているものがあります。このように、マレーシアプトラジャヤ建設も進んでおりまして、経済危機があったとはいえ、順調です。そして、もう一枚のカラーコピーが、これはプトラジャヤ行政府が設けられます地区の地図です。  そして、この新行政府をつくるという構想は決して新しいものではありません。マレーシアは、これからの開発そして発展を考えたときに、今後より計画的に建設された都市をつくることが必要だと考えておりました。今現在の首都クアラルンプール川沿いにつくられた町ですので、いろいろと不都合な面もあるわけです。今のマレーシア首都クアラルンプールは、これから発展していく国の首都としてふさわしくありません。現在、交通渋滞ども悪化する一方です。そして、現在の首都クアラルンプールから行政機能移転することによって、そこのあいたスペースに、より商業目的あるいはビジネス目的機能を果たす団体が入ることができます。  最初に立ち上げられました構想では、この新しい都市を山際の方に移転するということでした。そして、きれいな美しい景観のもとで仕事をしようということでした。しかし、一九九五年、マレーシアマルチメディア・スーパー・コリドール構想というのを立ち上げました。マルチメディア・スーパー・コリドールというのは、幅十五キロ、長さ五十キロの帯状の地域のことです。このマルチメディア・スーパー・コリドールの北に位置するのがクアラルンプールでして、ここは新しく建設されたツインタワーなどに象徴されます。そして、このコリドールの南に位置するのが新国際空港、これは先日、黒川紀章氏のデザインによって完成いたしました。  マルチメディア・スーパー・コリドール目的は、最先端のハイテクを導入することと情報通信技術を導入することです。特に、このマルチメディア・スーパー・コリドール中心につくられますサイバージャヤ情報通信分野のための町です。  先日、井上委員長様に、なぜマレーシアマルチメディアに目を向けてこれから進もうとしているのかという質問を受けました。それに対して、私は、マレーシアは二十一世紀は情報そして知識中心の社会になると答えました。  マレーシアは小さな国です。そこで、これからの世の中で、世界の中で参加していくためには、この情報通信分野の参入が必要となります。また、独立をかち取ったというような歴史的な経験からも、このマルチメディア分野において北の国々だけに任せていては我が国が危ないと考えています。  ここで、将来のマルチメディア世界的なルールの中に参加するためには、マレーシアのような発展途上国も、この分野において役割を果たさなければなりません。もちろん、マレーシア技術においてもまだまだ不十分です。そこで、このようなマルチメディア・スーパー・コリドールという地域を設けまして、世界じゅうから最高水準のインフラやアメニティー、公益施設、それからインセンティブなどを導入いたしまして、世界マルチメディア中心となることを目指しています。  そこで、マレーシアは、よりクラシックなイメージの丘の上にある美しい新首都という当初の構想ではなく、より機能的で、情報通信分野に目を向けた新首都をつくろうという構想にいたしました。また、これは、ひいては小さな政府を目指すという方向性でもあります。これで、民間にできることは民間に任せ、政府政府しかできないことをするということです。  そこで、この新しい行政都市の隣には情報通信都市を設けます。情報通信都市というのはサイバージャヤと呼ばれ、この行政都市の方をプトラジャヤと呼びます。マレー語でジャヤというのは成功という意味をあらわします。プトラというのは初代マレーシア首相の名前でした。これが新しい行政都市をつくろうという決断でした。  あらかじめ配付させていただきました資料にありますように、このプトラジャヤ人口は三十五万人になる予定です。公共部門で七万五千人ほど、そして民間部門で十三万五千人ほどの労働人口となる予定です。敷地面積は四千五百八十一ヘクタールになるはずです。新国際空港は一万ヘクタール。この新しい都市プトラジャヤにはマレーシアイメージが反映されます。マレーシアの文化そして建築が反映されますが、同時に、それは近代的で機能的なものです。この町をだれがデザインし、だれが設計したのか、そしてだれがつくったのかと聞かれれば、それはマレーシア人だと私は答えます。  そして、建設に幾らかかったかと言われますと、それはまだ私どももわかりません。ただ、この建設される土地は、もともとゴムの木そしてヤシの木の畑でした。ですから、このマルチメディア・スーパー・コリドール建設するに当たって、だれかもとから住んでいた住民を動かさなければならないというようなことは余りありませんでした。  さて、この開発プロジェクトをどのように私どもが実際に運営しているかということですけれどもプトラジャヤ建設は、プトラジャヤ・ホールディングスという会社責任を持っております。このプトラジャヤ・ホールディングスの株式のシェアは、マレーシア大手石油会社ペトロナス、それから二つの政府系トラストファンドによって賄われております。そして、だれが実際にこの中の建物や公園や湖や交通機関建設するかということですけれども、それは、マレーシア開発会社五社が請け負うことになっております。  この構想の中にあるのは、つまり、政府民間ができないことを補うということです。そして、この町のメンテナンス、維持については、民間部門の方が実際に行います。政府の方は、むしろ家賃やリース料などをこちらに払うことになります。  さて、マレーシアのこの新行政府は、結局マレーシアが実際必要としていることを満たすためにつくられます。それは、より機能的な小さい政府であり、コンピューターなどをしっかり導入した政府です。  例えば、市民が、国民が、政府に対してアクセスするときの方法は、一枚のカードによってすべて行うことができます。それは、収入の申告でありましたり、税金の支払い、それからパスポートの申請なども賄われる予定です。こうすることによって、今までのお役所的と言われたようなことはなくなり、より効率のよい行政サービスを行うことができます。そして、人々はそれをコンピューターにアクセスすることによってできます。  マハティール首相が一九八〇年代初頭に就任して以来、日本日本株式会社という概念のような、マレーシア株式会社という構想を進めてきました。今もマレーシアはこのような方針を貫いておりまして、そして今は、開発民間部門が率いるものとしています。  マレーシアを御存じの方はもちろん知っていらっしゃることですけれどもマレーシアは多民族国家、そして多宗教国家です。したがって、強い政府が必要です。そして、強い政府には強い経済が必要です。そして、強い経済には活気のある民間部門というのが必要です。  井上委員長、私からは以上です。ありがとうございました。
  4. 井上一成

    井上委員長 ありがとうございました。  次に、トレバーウィルソン参考人にお願いいたします。
  5. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 オーストラリア大使館公使ウィルソンと申します。  きょうは、ちょっと私の不十分の日本語で、直接、委員会メンバー質疑にできるだけ返答をしたいと思いますが、もし私の方でわからないことがございましたら、あるいは私の日本語が不足したところがあったら、勘弁してください。  最初に、ちょっと自己紹介の形で、私は、一九六一年、つまり三十八年前からキャンベラに住みまして、そのとき、学生としてオーストラリアキャンベラにある豪州国立大学を卒業しました。その後、オーストラリアの外務省に入りまして外交官になって、もちろん海外出張もございましたが、そのほかはずっとキャンベラに滞在してきましたから、その意味で、自分の目でキャンベラ発展開発経験しておりました。  きょう、私の資料委員メンバーに配付された資料の中に、キャンベラの歴史、キャンベラ発展についての説明がございますが、それは私の発言に繰り返さないつもりなんですが、むしろ、幾つかの重要な点だけを強調したいと思います。  まず、キャンベラ構想オーストラリア首都として構想ができましたのは、オーストラリアが独立した連邦国になってからすぐ後のことでしたから、つまり、国として、連邦政府行政オーストラリア連邦政府としての機関組織がまだ小さいときに、キャンベラというところに首都機能移転する計画をつくりました。  年を言いますと、オーストラリアは一九〇一年に一つの連邦政府になりまして、一三年にキャンベラというところに首都をつくる計画を発表しまして、一九二六年からキャンベラ首都としての機能が始まりました。一九二七年にキャンベラ国会開会式をやりました。  その前は、キャンベラには何もございませんでした。全く畑で、川がありまして、牧場もありましたが、町でもなかったし、そういう意味で、全く開発のないところに新しい都市をつくるのは割合と簡単でした。  しかし、キャンベラ開発は、私の資料の中に説明したとおりに、一挙にすぐ首都ができたわけでもありません。国会が一九二七年から始まりましたが、その後着実に役所が、そして役人人々もどんどんキャンベラの方に移りましたが、最後の役所キャンベラの方への移転が一九八〇年代でした。つまり、ほとんど六十年かかりました。  キャンベラ構想としては、委員メンバー幾つかの興味のあるところがあると思いますが、オーストラリアが独立した国になりまして、首都がとても象徴的な役割を果たすつもりで、首都として新しい人造計画でつくる都市でしたら、なるべく世界で一番先進している都市計画のアイデアとか理想、理念とか、そういうことを踏まえまして新しい首都をつくるつもりでした。つまり、なるべくキャンベラが住みやすいところ、なるべく環境保護目的できれいな、汚くない都市をつくるつもりでした。初めからキャンベラガーデンシティーとして、つまり庭みたいな都市として発展してきました。  そして、そういう目的を達成するのに、製造業キャンベラに全然設けていません。今でも産業としては第三次産業だけ、例えば技術情報産業とかそういう産業だけで、製造業とかそういう環境を汚染する産業キャンベラには絶対ありません。  キャンベラ発展には、最初から、国の象徴的な役割を果たすために相当たくさんの国の機関が必要だろうという考え方がありました。まず一番大切なのは国会、それから国会運営を支持、支援する役所とか役人が全部キャンベラに集中する計画でした。  その次、国の政府としてあらゆる役割を果たすためにそういう活動機関をなるべくキャンベラに集中させる計画でした。例えば外交という方も、外国の大使館は必ずキャンベラにしかできない。シドニーとかメルボルンとかほかの都市には許さないのです。今現在でキャンベラには八十カ国の大使館がございます。国立図書館、最高裁判所、国立大学とかいろいろな国の機関もございますし、それだけじゃなくて産業組織、例えばロビー機関とか農業産業団体とか商業団体がみんなキャンベラに事務所あるいは本部を設けています。しかし、そういった組織キャンベラに集まってきましたのは割合と最近、つまりこの二十年、三十年の間のことです。  そのほかに、国の行政と直接関連する組織キャンベラに集中しています。例えばメディアとか、そういった国の全般的な見方をする組織は相当キャンベラに集まっております。  キャンベラ行政につきましては、一九二五年から一九八八年まで、キャンベラオーストラリア連邦政府直轄統制のもとで発展しました。それは、キャンベラを町として計画するあるいは建設管理とか監視、どうしても直接連邦政府のもとでやらなければならないという考え方でした。しかし、一九八八年にオーストラリア首都特別地域に自治を与えまして、今オーストラリア首都特別地域オーストラリアの州と同じような地位に、全く別の政府、そして役人とか役所がございます。  キャンベラ人口は三十万だけですから、その何倍ぐらいの州と同じような力は持っているわけでもありません。しかし、一九八八年からキャンベラ住民は、ほかの国の都市と同じように自分の代表を選挙で選べるようになりました。しかし、そのときから、オーストラリア首都としての計画管理と、キャンベラの普通の都市としての住民あるいは行政運営について、時々うまく合わないところが出てくるのは当然だろうと思います。  特別地域直轄運営とその役割は、今のところ、国会とか役所のある地域だけ、そして、キャンベラ中央にある湖の管理とか、国立機関として例えば国立図書館とか戦争記念館とか、そういった建物とか機関行政だけが連邦政府直轄統制のもとにあります。ほかのキャンベラ行政は全部、地方分権の形で、キャンベラ地方特別地域政府に移っています。  キャンベラ役割キャンベラ発展に、今でもいろいろな問題が出てくることはあります。例えば、内部の方の三十万人の人口都市が、どういうふうに一番うまく運営するのか、あるいは、そこの交通、そこの市民生活を、できるだけ住みやすい、あるいはいい生活に、どういうふうにそういった条件をつくるのか、そういった問題に対して時々問題が出てきますが、一番大きい問題は恐らく交通の問題です。  キャンベラは、シドニーからも三百キロメートル、メルボルンから五百キロメートルの距離があります。最初は飛行機の便に大分頼りました。最近、鉄道と道路の方がよくなりましたが、ほかの都市と、オーストラリアのほかの国民との交通の便がまだ不足という気持ちがあります。しかし、ほかの意味で、キャンベラオーストラリアのほかの都市とそんなに大した変わりがないという私の感じです。  三十年前、キャンベラがまだ小さいところだった時代、キャンベラ役所都市あるいは役人の町という評判がありましたが、今の三十万人口都市になりまして、全くそういうことはないと言えると思います。例えば、オーストラリア役人の数、この数年の間、中央政府のテーマで削減されまして、キャンベラ産業あるいは雇用の大部分は今でも連邦政府と直接関係ありますが、その割合が大分変わってきたと思います。  ここで私の発言を終わらせていただきたいと思いますが、委員メンバーからの質疑にできるだけお答えしたいと思います。  ありがとうございました。
  6. 井上一成

    井上委員長 ありがとうございます。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  7. 井上一成

    井上委員長 これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。蓮実進君。
  8. 蓮実進

    蓮実委員 私は、自由民主党の蓮実進でございます。限られた時間でございますので、要点だけ御質問申し上げたいと思います。  本日は、両大公使、大変御多忙のところを御出席いただきまして、大変ありがたく思っております。  最初に、マレーシアカティブ大使に御質問申し上げたいと思います。  プトラジャヤの十カ年計画について、十年間で一体妥当なのかどうか。今話を承りますと、多少延びているようですが、その辺についてお伺いをいたしたいと思っております。
  9. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 当初の計画では、一九九五年から二〇〇五年までの十年間で完成するはずでしたが、経済危機の影響で長引くことが予想されています。ただし、先ほど申し上げましたとおり、マハティール首相の総理府の方及び官邸の方は既に完成しておりまして、来月には移動が可能となっています。  ただ、この移動に関しましても、やはりお金がかかることですので、このあたりもある程度計画柔軟性を持たせることが必要と考えられています。
  10. 蓮実進

    蓮実委員 新首都建設するために、先ほど費用の問題で、どのくらいかかるかわからないというお話がありましたが、概略どのくらいの計画をお持ちでございましょうか。
  11. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 申しわけございません、概略的な数字というのもまだ出ておりません。  ただ、先ほど申し上げましたとおり、この開発プロジェクト官民共同で行っておりまして、したがって、開発民間であればその資金を出すのも民間、そして、先ほど言いましたように、開発責任を持っております会社は、政府系ペトロナスという石油会社とか、あと、ほかの政府系トラストファンド二社が行っております。
  12. 蓮実進

    蓮実委員 今度プトラジャヤに新首都が移るわけですが、現在のクアラルンプール経済活性化、この問題についてお伺いをしたいと思います。
  13. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) クアラルンプールは、このプトラジャヤが完成した後も首都です。ですから、首都機能が縮小されるということはありません。このプトラジャヤ移転されるのは行政機能のみでして、したがって、クアラルンプールは依然金融及び商業中心地であり続け、そして国会クアラルンプールに依然残ります。  そして、行政機能移転した後にあいたスペースというのは、今後マレーシア経済活動活性化する上で大いに活用されます。
  14. 蓮実進

    蓮実委員 今度のこの新首都機能移転必要性について、国民の皆さんにどのように理解を得られるように努力されたか。そのことについてお伺いをいたしたいと思います。
  15. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) マレーシア国民は変わりました。特に、マハティール首相が就任して以来、ルックイースト政策東方政策という、日本そして韓国を見習えという政策を打ち出してまいりましたこともありまして、マレーシア国民は、何か自分でやりたいと思ったことがあれば、それに目を向ければ必ずそれは実現することができる、それは日本韓国のように実現することができると信じてきました。  そして、マレーシア国民政府に厚い信頼を置いています。それは、責任ある政府であり、国民のことを一番に考えている政府だと彼らは信じているからです。そして、プトラジャヤ行政機能移転するということも、より機能的に、より効率よく、よい、そして小さな政府を実現するために、ひいては自分たちのために必要なことだということを理解しています。  ただ、問題は、これから十年間の間にマレーシア人皆をコンピューターが扱えるようにしなければならないということです。
  16. 蓮実進

    蓮実委員 ありがとうございました。ぜひ御成功を祈りたいと思っております。  では、オーストラリアウィルソン公使に御質問申し上げたいと思います。  当初計画から実際の実現まで相当時間がかかっておるわけですが、その間、計画の変更、そういうことがあったかどうかをお聞かせいただきたいと思います。
  17. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 変化は何回もありましたが、やはり時間の移りで考え方が変わってきました。都市計画のエリアも変わってきましたし、あるいは一般の人々の希望とか期待も変わってきました。そして、時々、実現したことが余り成功していない場合もあったし、計画を変更したわけでございます。
  18. 蓮実進

    蓮実委員 長い時間かかっておりますから、移転費用というのはどのくらいかかったか、計算が出ているかどうかわかりませんが、相当かかっていると思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  19. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 委員メンバーからこの質問があったということも承知して、キャンベラの方からこの二、三週間の間ずっとその返事を待っていますが、まだわからないのです。これは余り長い時間かかりましたし、一九二七年のオーストラリア・ドル、そのときはポンドだったのです、その当時の通貨の価値とか、土地価値とか、建設のコストと現在のは余り比較できませんが、こういうことは言えます。  一九二五年からのキャンベラの発達は、全部連邦政府費用で実現しました。もちろん、ユーザーペイズの形で、キャンベラに住み込んだ人は自分生活費も払いました。しかし、一番最初キャンベラに引っ越した人の引っ越し費用とか、そういうものまでもオーストラリア政府は払いましたし、そして公務員の特別の手当、大分長い間、一九八〇年まで公務員をキャンベラに優待するために手当を上げました。そういったいろいろな意味で、政府の方からの補助金とか直接財政的な負担は大きかったのです。  しかし、はっきりいつからと言えないが、どんどんキャンベラ都市として自立できるように一生懸命努力していますし、例えば特別首都地域地方税とか、土地税とか、いろいろな税をかける権利がありますから、そういう意味で、連邦政府費用がどんどん少なくなっているわけです。そして、その費用として、僕が手に入れた一番最近の数字なんですが、一九七七年度の予算に、連邦政府だけの運営予算、六・二五百万オーストラリア・ドルですね。  しかし、例えば国立博物館という計画があります。まだそういう建物はないのですが、それをつくる計画は大分前からあったが、それをやるとしたら、それは恐らく特別の予算ですると思います。ごめんなさい、返事が長くて。
  20. 蓮実進

    蓮実委員 首都機能移転、これをしたことによってメリット、デメリット、この点で何かお聞きしたいと思うのですが。
  21. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 今でもオーストラリアでよく議論されていますし、これからマレーシアでも議論されると思いますが、オーストラリアは六つの独立した州、植民地でつくった国ですから、どの都市首都になるのかを決めるのはとても難しかったのです。どうしても国の象徴都市として、標準的な都市として、首都機能が発生する都市を決めるのは別のところが必要だった、私の意見なのですが。  キャンベラはある意味で理想的なところです。例えば、地形からいいますと、山もあるし川もあるし、しかし一般住民の家とか道路とか、そういった必要なものの場所も十分あるというところでした。そういう意味でメリットがあると思いますし、そして、オーストラリアの一般国民は、今、毎年相当の観光客がオーストラリアの国内からキャンベラに見学に行きますから、そういう意味で、キャンベラ成功したと思います。  もちろん、キャンベラが孤立していて、役人キャンベラに住んでいて、オーストラリアの一般国民生活あるいは問題がわからないという批判はまだあります。しかし、キャンベラの公務員がずっとキャンベラにいるわけでもないし、ほかのところにももちろん旅行しますし、キャンベラの状態は、オーストラリアのほかの都市とそんなに変わりがない。さっきの僕の発言でも触れましたが、実際には、ほかのオーストラリアの状態とはそんなに変わりがないと思いますので、この批判は余り正確でないと思っています。
  22. 蓮実進

    蓮実委員 日本も、今国会移転の問題で、国民世論の盛り上げとかいろいろな問題があるんですが、オーストラリアの場合、国民そして各層、どのように首都機能移転必要性国民に対して盛り上げる方策といいますか、どうやられたかを承れればありがたいと思うんですが。
  23. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 この質問に答えるのは、大分時間がかかると思います。  いろいろな方法は現在やっていると思います。まず、一番最初に言わなければならないのは、国民の代表は国会議員なんです。オーストラリア役人とかキャンベラ役人とか役所ではありません。オーストラリア国会議員は、国会開催中キャンベラに住んでいますが、そうじゃないときに自分の選挙区に住んでいるわけですね。だから、直接、国のあるいは国民のニーズをよく理解されていると思います。  キャンベラにいる役所あるいは役人が、自分の仕事の一部としてほかの都市とか地方に必ず行かなければならないことは多い、それで国民と協議する場も相当ある。  それから、オーストラリアは民主的な国ですから発言の自由もあるし、マスメディアを通じて人の意見も出てくるし、あるいは国会議員を通じて人の意見が出てくる。国会の中でいろいろな委員会もあるし、その委員会は、時々、キャンベラでなくてシドニーあるいはメルボルンあるいは別の都市でその委員会のミーティングをやるとか、いろいろな方法はあると思います。
  24. 蓮実進

    蓮実委員 ありがとうございました。  マレーシアオーストラリアの国の御繁栄を御祈念して、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。
  25. 井上一成

    井上委員長 小林守君。
  26. 小林守

    ○小林(守)委員 民主党の小林守と申します。  本日は、カティブ参考人それからウィルソン参考人に御出席をいただきましてこのような機会をいただきましたことを、心から感謝申し上げるところであります。  まず最初に、マレーシアカティブ参考人、大使にお聞きをしたいと思います。  連邦政府移転計画されておるわけですけれども移転といっても、クアラルンプールから二十五キロぐらいのところにプトラジャヤ建設するというようなことでありますから、分散というふうに言っていいのかなというふうに思っております。オーストラリアシドニーキャンベラの距離と根本的に違うことであって、マレーシアの場合は、連邦政府クアラルンプールから少し、二十五キロ離れたところに移すというようなことなんだろうというふうに思います。  そこで、マレーシアマルチメディア・スーパー・コリドールという構想の中に、プトラジャヤ連邦政府移転しようとしてきた背景、どういうような理由があったのか、あるのか。先ほどのお話の中でも、交通の混雑とか、もちろん新しい時代の中でマルチメディア時代に対応するんだというようなお話がございましたけれども、ただ単なるこれからのマレーシア発展ということだけではない、社会的、経済的な事情があったのではないかな、あるのではないかな、このように思っております。  お国の基本的な政策の中で、ルックイースト政策ということが言われております。日本韓国をモデルにしたい、するというようなことがおっしゃられておるんですけれども、なかなか、今日の日本はモデルになり得るような国ではないのではないか、このように思っているところもあります。  そういう点で、どのような背景、それからどのような理由がこの新政府連邦政府移転の背景にあるのか、その辺のコンセプトをお聞かせいただきたいな、このように思います。
  27. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 先ほど申し上げましたとおり、マルチメディア・スーパー・コリドールというのは、マレーシア人が、そしてマレーシアという国が二十一世紀にどのような国になりたいか、どのような人々になりたいかというような精神をあらわすものです。  マレーシア発展途上国ですので、方向づけが必要です。そして、その方向づけというのが、マレーシアが打ち出してきたビジョン二〇二〇年という構想です。これは、経済及び社会発展計画などを含む全体計画を含めて二〇二〇年までに先進国の仲間入りをしようという構想でして、その中で、やはり二十一世紀に向けて、二十一世紀という情報化社会に生き残っていくためにはマルチメディアが不可欠であると考えたマレーシアは、このマルチメディア・スーパー・コリドールをつくるということを全く道理にかなっていると考えました。そして、政府機能もここに移転するということも、そのとおり、全く論理にかなっていることだと考えたのです。  プトラジャヤは、効率がよく、機能的で、小さな政府を目指します。そして、インフラや交通システム、公益施設ども最新の技術を取り入れたものとなります。ですから、これは、ひいては国民のためになるのです。  クアラルンプールから行政機能移転することによって、人々生活の質を向上させることができます。そして、クアラルンプールは依然ビジネスの中心地として残ることができます。
  28. 小林守

    ○小林(守)委員 お話で、新しい政府としてのコンセプトをお聞きさせていただきました。  私自身は、これから二十一世紀に向かって、新しいマレーシア政府としてのコンセプトの中で、機能効率、そして小さな政府、このコンセプトをもって新政府をつくっていく、そして、そのことによってマレーシアの人たちの生活の質が変わり、向上していくんだというようなお話についてよく理解しているつもりでございますけれども、ただ、そのことによって失うことになるのではないかというようなことを指摘しておきたいなというふうに思います。  というのは、キャンベラ首都移転の経過の中で、確かに、機能効率、それから小さな政府というようなコンセプトの中で町づくりが進められたと思いますけれども、しかし、そこに生活をする人たちという視点から見るならば、コミュニティーはどうなるのかとか、人と人との触れ合い、にぎわいみたいなものはどうなるのか、生活のにおいがしないような町ができてしまうのではないか、こんな心配をするわけなんですが、その辺についてはどうお考えになられているか、お聞きしたいと思います。
  29. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) プトラジャヤの隣にはサイバージャヤという町がつくられます。それから、二十五キロ先にはクアラルンプールもあります。そして、このプトラジャヤの中には五つの地区が設けられまして、政府地区、混合開発地区、市民・文化地区、商業地区、スポーツ・レクリエーション地区などですけれども、これらが密接につなげられまして、たくさんの活動、それは宗教的な活動も含めて、さまざまな機会を提供いたします。  また、この都市計画においては、ただガーデンシティーをつくろうというだけではなく、原生林のままのジャングルや湖などもつくりますし、人々がきっとここに住むことを誇らしく感じられるような町になることと思っております。そして、人口三十五万人という規模ですからほどよい大きさではないかと思いますし、また、サイバージャヤの方には大学や多国籍企業などが数多く建設され、アメリカのシリコンバレーのような感じになることを目指しています。  いずれにしても、この町は非常に環境に対して優しい町ですから、そのあたりの面では心配がないと思います。そしてまた、地理的に隔離されるということの心配もありません。クアラルンプール国際空港クアラルンプールからも直接、簡単に入りやすい道や鉄道が整備されます。
  30. 小林守

    ○小林(守)委員 それでは、同じ問題意識に立って、オーストラリアウィルソン参考人に、キャンベラ首都についてお聞きしたいと思いますが、私も十四年ぐらい前に視察に行かせていただきました。やはり現在と同じように三十万人ぐらいの都市だというふうにお話を聞いておりまして、大変美しい、整備された都市だな、首都だなというふうに思ったんですけれどもガーデンシティーという名のとおり、本当にそのようにきれいに整備された都市なんですが、おもしろみというかにぎわいというか、長くそこで滞在して、そこで一生を終わるという町ではないなという印象を受けました。  町というと、生きがい、働きがいはもちろんですけれども、もう一つ、死にがいのある町という考え方があっていいんではないかと思うんです。ところが、新しい首都づくりという構想の中では、機能とか効率とかそれから小さい政府ということにも含まれますが、要は仕事をするための都市なんですね。お年寄りが生活をするという姿は想像できない都市なんですよ。そういうことで考えますると、あそこに住んでいる人たちはお年寄りになったときにはどうなるのかな、ここで死んでもいい、骨を埋めてもいいというような発想の持てるような町を私たちは望みたいというのがあるんですが、これは個人の考え方かもしれませんけれども。町づくりとなると、ここに骨を埋めてもいいというような、にぎわいとか触れ合いとかコミュニティーとか、やはりそういうものが大事なんだと思うんです。  仕事をするときにはどこかの町に行くけれども、町というのはそういうところじゃない、最終的には定住して、そこで自分自身が一つの歴史を築いて亡くなっていくというようなところなんだろうというふうに思うんですが、機能効率というような仕事中心の町づくりでいいのかということを、私は率直に、十四年前にキャンベラを訪れたときに印象を持ちました。  お聞きしますると、確かに遊びはシドニーというようなこともお話を聞いておりまして、なかなか人間というのはただ単なる機能の動物ではないということも考えると、新しい首都づくりの中ではいろいろな面で考えなきゃならない問題があるのではないかな、このように考えますが、いかがでしょうか。
  31. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 確かに、先生がおっしゃるとおり、キャンベラの歴史の中で、長い間、余りにぎわいできないところとかつまらないところ、何もないところで、だれも永住したくない都市という評判はありました。しかし、自分経験からいいますと、私が一番最初キャンベラに行きましたときは、三万ぐらいの人口しかいなかったんです。そのときは本当に何もなかったんです、遊ぶところもないし。そして、先生がおっしゃった引退あるいは年寄りの人は、みんな退職して別のところに行きました。キャンベラに住まなかったんです。  しかし、今は全くそうじゃないんです。幾つかのことを主張したいんですが、一つは、キャンベラに短い期間でいらっしゃる人は、キャンベラの人の住み方は余りよくわからないと思います。キャンベラの一般に活動している人の、例えば仕事あるいは学校、あるいはスポーツとか買い物とかそういう活動は、余り理解していないと思います。  昔は、例えば大きなスポーツイベントあるいは音楽の公演とか、そういう大きな出来事は余りキャンベラにはなかったんですが、今はそういうのはあります。三十万の人口都市で、十分そういったイベントを経済的なベースで、商業的なベースでできるんですよ。しかし、こういったキャンベラの性格が変わってきましたのは、いつ、どのくらいの大きさ、あるいはキャンベラ発展の中でどの時点でよくなったかと言うのはちょっと難しいが、二十年くらい前かもしれないですね。  そして、キャンベラがとてもきれいな町で住みやすいところという評判もありますが、それを少し考えますと、キャンベラは、例えば家族あるいは子供が育つにはとてもいいところですよ。僕の自分経験の場合は、子供が四人もいますが、その四人の中の三人がキャンベラに残っています。今は仕事で十分雇用の機会もありますし、別にシドニーに行かなくても、十分どの期待があっても生活できると思います。
  32. 小林守

    ○小林(守)委員 ありがとうございました。
  33. 井上一成

    井上委員長 久保哲司君。
  34. 久保哲司

    ○久保委員 公明党の久保哲司でございます。  公明党・改革クラブを代表して質問をさせていただきます。  きょうは、カティブ参考人ウィルソン参考人、お忙しいところまことにありがとうございます。  首都というのはやはりそれぞれの国にとっての顔みたいなところがありますし、首都移転というのはその顔をつくりかえようというわけですから、ある意味でそれぞれの国が目指す将来像というか、あるいは国民の皆さんにとってのライフスタイルの象徴のようなことが、その移転ということの意味の中に当然込められるんだろうと思います。と同時に、それぞれの国の生い立ちといいますか歴史が、それに大きく、色濃く反映されてくるということもあるのかなと思います。そういう意味では、今、日本でもいわゆる首都機能移転がいろいろ議論されているわけですが、日本の場合とマレーシアあるいはオーストラリアの場合というのは、それぞれちょっと意味合いが違うのかなという気はします。  その上で、まずカティブ参考人にお尋ねしたいんですが、先ほどの冒頭の陳述の中で、マレーシアにおける新首都建設、今度プトラジャヤ建設されるに当たっては、マレーシアが必要としていることを満たすために行うんだ、こういう説明があったように思うんですが、このマレーシアが必要としていることを満たすというのは、日本でいえば行政スリム化とか地方分権とかいうことがよく言われますけれどもマレーシアの場合の新首都建設、それはイコール、マレーシアが必要としていることを満たすために行うんだという、それは具体的にはどういうことをお考えになっているのか、まずそれをちょっとお尋ねしたい。
  35. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) まず、マレーシアの顔なんですけれども、まだ日本と比べて新しい国ですし、顔というのはそれほど決まっていないのではないかと思います。  そして、これから世界に果たしていく役割というのも、小国ですからこれから決めることです。二十一世紀は情報化、マルチメディア社会になりますので、その中でいかに役割を果たしていくかということで決まることだと思います。そして、もちろん、このような方向性を新しい都市プトラジャヤは反映することになります。  マレーシアという国は、歴史的に、中国、インド、イスラム、キリスト教などいろいろな文化の影響を受けてきた新興発展国です。ですから、これから先のことを考えて、その強さを見きわめなければなりません。ですから、マレーシアの場合は、過去ではなく未来に目を向けているんです。
  36. 久保哲司

    ○久保委員 ありがとうございます。  確かに、先ほど来、カティブ参考人のお話、他の委員とのやりとりの中で、発展途上国という言葉を何度か使っておられました。そういう意味では、確かに歴史も違い、今回の新首都建設がまさに二十一世紀に飛躍しようとする国の玄関づくりという意味なのかなという思いはいたします。  そんな中で、カティブ参考人は、日本に来られて着任されたのはいつでしたか、一九八九年に着任されて、ほぼ十年近くこの日本においでですけれども日本の東京という町、あるいは東京以外の大阪その他も含めてですけれども、住まれて、また仕事をされて、貴国の新首都建設の際に参考になるというような部分というのはあったでしょうか。あれば御意見をお聞かせいただきたい。  要するに、東京の町を見、あるいは日本の他の都市を見た上で、マレーシアの新首都建設に参考にすべき点、あるいはまねたらいかぬなという点、あったら教えてほしいなと思います。
  37. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 外交官にとってその質問はとても難しいことです。  幸運なことに、日本各地をめぐる機会に恵まれまして、毎月一週間ほどは各地を回っています。ですから、今までに行ったことのない場所は、もう愛媛県、岩手県、秋田県ぐらいです。また、マハティール首相日本各地にお連れする機会に恵まれまして、例えば、札幌から函館までバスで行きましたり、京都の電車に乗ったり、兵庫から鳥取までバスに乗ったり、また大分県から温泉まで移動したりとかいうようなこともありました。  このように各地を見ておりますので、もしクアラルンプールに行かれる機会がございましたら、クアラルンプールマレーシアにそれが反映されていることが恐らくおわかりになるのではないかと思います。そして、効率的な社会、町をつくるということは、それぞれの文化や歴史の中の一番いいところをとることだと思います。  そして、新しい都市プトラジャヤ建設するに当たって、東京だけでなく、キャンベラやワシントンDCなどからも、よい点それからまた弱点も学んでいます。ですから、プトラジャヤは、この経験によって、学んだことによって、これまでのどの都市よりもいい都市になるはずです。新行政府にはさまざまな地区が設けられまして、政府地区、商業地区、文化地区などありますが、すべてそれらはリンクされ、結びつけられています。そして、隣接するサイバージャヤは、多国籍企業が集まる町となりますので、シリコンバレーのように自由を謳歌し、生活を楽しみ、そして生産するということに楽しみを見出す人々にとって、特に情報産業に従事する人々にとって楽しい町となるはずです。  マレーシアは決して単一民族国家ではありません。むしろそのよさを生かして、多民族国家、そして多国籍国家を反映した都市になりたいと思います。
  38. 久保哲司

    ○久保委員 ありがとうございます。  ウィルソンさんにちょっとお尋ねをしたいんですが、日本の場合の首都移転という話と、オーストラリア、六つの州がそれぞれ植民地であった、それが新しい国になった、さて首都をどこにしようかという場合と、根本的に意味が違うと私は思うんです。  日本の場合は、明治以降、中央集権の国づくりをやってきた、だから全く同じ議論をしようとすれば、日本も逆に、道州制じゃないですけれども、州をきっちりつくって、それで国の機能をどうするかということがあって初めて、それじゃその国の首都をどこに置こうかということになるんだろうと思います。  私も何年か前にオーストラリアへお邪魔させていただいたときに国会議員の方と話をしていたら、我々国会議員がやっているのは、外交、防衛と経済、グローバルな意味での経済と、あとは税金を集めて各州に渡すという、これだけのことですよ、こういうふうにおっしゃっておられた。  キャンベラの町づくりそのものが、一つはワシントンを参考にされたということもお聞きしましたけれども、アメリカにしろオーストラリアにしろ、いわゆる連邦政府の持つ機能と、現在のままであるかどうかは別として、日本のような国の首都政府機能というのは、これはおのずと違って当然なんだろうと思うんです。私は、日本のこの首都機能移転、単に第二の東京をどこかにつくる、ここが狭うなってきたからとかいうのでは意味がなくて、むしろそれを機に、二十一世紀の日本のあるべき政治行政のスタイルをみんなで議論をして、それで徹底した地方分権をするなり、あるいは行政スリム化をするという、このことが精神的には中心にないといかぬのだろうというふうに思っています。  とはいえ、これは人間おかしなもので、日本でことしサミットの誘致、どこにするかというんで、それだけでもこうなっておるわけですけれども、それに比べれば、この新首都をどこに持っていこうかなんというのは、これから大変な作業になるんだろうと思うんです。オーストラリアの場合にキャンベラに決められた、これも、一説によれば、シドニーメルボルンというでかい都市のちょうど中間地点を選んだという話もございますけれども、そういう経験を踏まえられて、日本首都機能移転の場合に留意すべき点、あるいはこれとこれとが最低限気をつけぬといかぬよ、あるいは必ず国民の皆さんに知らしめた上でやらぬといかぬよという、先輩としての御忠告といいますか、ございましたらお聞かせいただきたい。
  39. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 やはりオーストラリアは連邦制度ですから、日本と違うところは相当ありますが、しかし、国の政府自分行政のために場をつくる、つまり都市計画でつくるという構想があれば、それは、例えば日本の場合は、いろいろな県が首都機能が欲しいということもあります。これは今のサミットだけじゃないですから。その場合はどういうふうに実施するのか、ちょっと僕の考えではまだよくわからないのです。  国の方で、ある県に国の行政を置かれたらどういうふうに直接それを管理する、県の権力と国の権力はあると思います。オーストラリアの場合は、初めから特別首都地域が設けられました。それは最終的にとても利口なことだと思います。日本の場合は、同じようなことをするかどうかは、それはもちろん日本人が、あるいは国会が決めることですが、しかし特別地域をつくっても、そこに住んでいる人の権利、オーストラリアの場合は、キャンベラは長い間自分の投票する代表がなかったのです。ちゃんとした国会がなくても、何というか代表審議会みたいなものがありました。それは、決定、何もなかったのです。権力もなかったのです。それは大きな不満を起こしたのです。ですから、そういう問題もあり得ると思います。  しかし、ほかの意味で、特別のところで新しい首都をつくるのは、むしろ国の歴史とか一般の国民経験あるいは知識を見逃しているというような懸念があるらしいのですが、その点について、私はそんなに心配はしていません。例えば、東京は必ずしも日本の代表的な都市ではありません。僕も、カティブ大使みたいに長い間日本に住んでいるし、いろいろな県を訪問したこともありますし。ですから、必ずしも東京だけが首都機能が置かれるべき場所ではないかもしれないですね。  そして、もう一つは、やはり国の行政効率ですか、東京みたいな本当に人口密度の高いところで、こんなに混雑しているところで効率的に国の行政ができるかどうかという、どうしても疑問はあると思います。ある程度、東京の場合は永田町もあるし、すぐ隣に霞が関もあるが、そんなに問題がないかもしれないのですが、しかしそれだけじゃないですね、国の行政は。  別の、特別のところで首都をつくるのは、メリットもあるしデメリットもある。しかし、東京、あるいはパリ、あるいはロンドンみたいなところでもデメリット、メリットはあると思います。
  40. 久保哲司

    ○久保委員 ありがとうございました。  カティブ参考人またウィルソン参考人、今後ともいろいろな御意見またお知恵を拝借させていただきたいことを最後にお願い申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  41. 井上一成

    井上委員長 吉田幸弘君。
  42. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 自由党の吉田幸弘でございます。  本日は、マレーシア大使、オーストラリア公使、非常にお忙しいところを御出席、また大変貴重な御意見をいただき、ありがとうございます。時間も限られておりますので、早速ではありますが、質問に入らせていただきます。  最初に、マレーシア大使にお伺いをいたしたいと思います。  マレーシアプトラジャヤに先進的な情報技術を盛り込んだ情報都市を十年計画建設されていると伺っておりますが、この情報都市の具体的な中身を詳しくお示しいただきたいと思います。
  43. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 御質問の内容がちょっと広過ぎまして、明確にお答えすることが難しいのですけれども、このプトラジャヤ及びサイバージャヤという二つの都市を含むマルチメディア・スーパー・コリドールというのは、十五キロ掛ける五十キロというとても広いところにつくられるものでして、特にサイバージャヤの方は、研究開発施設やソフトウエア、ハードウエアなどの産業、またマルチメディア関連産業などが多く入ることになっています。  そして、このすべてが情報に関係しておりまして、プトラジャヤというのは、最新の技術を導入することによって、そしてそれを利用することによって、より人々にとっての使いやすい行政サービスを提供するということが目的です。つまり、これまでのお役所的と言われたような仕事をなくすことが目的なのです。  そして、マルチメディアに関して言いますと、ハードウエアよりもソフトウエアの方を注視しています。そして、ソフトウエアを開発するには、そのような創造的な人々を招くための生活環境というのが必要です。彼らが魅力を感じる町にしなければならないのです。そして、それは世界じゅうから集めたいと思っておりまして、マレーシア人だけでなく、多民族、多国籍都市となることを目指しています。  そして、マルチメディアを使うことによって、政府に対する概念そのものも変えられるのではないかと思っています。その中で、国家のリーダーまた人々の代表者の役割がどうなるかということがまたおもしろいところです。というのも、すべての知識情報がどんな人にも手に入るようになるということは、また、もちろん、それを持っているリーダーたちがどのようにその人々に対処するかということが問われてくるわけです。  そして、この地域世界じゅうと結ばれます。それは光ファイバーですとか衛星などを通してシリコンバレーや東京、キャンベラども含めた世界じゅうの都市と結ぶことができます。この結びつきというのは、透明というだけでなく国際的なのです。
  44. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 ありがとうございます。  次に、オーストラリア公使にお伺いをいたします。  オーストラリアは、既にメルボルンからキャンベラ首都機能移転して、首都としての体制が大方整っているというふうに伺っておりますが、キャンベラは、ほかの都市には見られない計画性と景観の美しさを整えていて、日本国会等移転調査会報告が描くビジョンと非常に近いものと私自身も認識をしております。  ところが、当初考えてもいなかったような問題、特に経済活動においていろいろな問題が出てきているのではないか、また、そのことは当初からだれか識者が指摘をしていたのか、こういうことも含めて二点お伺いをいたしたいと思います。  景観を重要視したため、主要都市から距離的に離れてしまって、各州の産業経済活動から孤立化が進んでいるのではないか、これが一点目です。二点目は、通信手段が発展した現在、全省庁をキャンベラに集中させるメリットというのは以前よりは薄れてきているのではないか、経済関係の省庁だけでもシドニーメルボルンに戻すべきではないかというような意見も伺っております。この二点について御意見をちょうだいしたいと思います。
  45. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 ありがとうございます。  確かに、キャンベラ経済的な役割あるいは経済的な成功について、長い間、今でも議論されていますし、また、最初のころは連邦政府割合に低いレベルで新しい産業、例えば技術的な産業キャンベラに誘致させるように努力しました。しかし、それは余り成果を上げなかったが、キャンベラ特別地域の政権の力が大きくなってから、その地方政府がもっとそういうことに努力してきました。それで、ある程度成功しています。例えば、情報技術のある会社とかそういうのはキャンベラで本社を設けています。  経済基盤から離れているという批判は今でも聞きますが、しかし、経済ということは、広い意味で解釈されますと、やはりそんなに大きな問題ではないかもしれないのです。  経済というものは、もし、例えば文化的活動が入りますと、これはどの国でも文化事業で生活できる人が相当いますから、そういう意味で、ある程度キャンベラは理想的なところです。今、いろいろな文化的な経済活動をしていますし、キャンベラは田舎の町という現象なのですが、田舎というのはやはり農業地帯の中ですから、農業基盤も相当あると思います。キャンベラは、大都市とも言えないかもしれないですが、ほかの相当大きい都市とそんなに変わりのない経済基盤が今はあると思います。前は確かになかった。前は長い間問題があったと思います。  キャンベラで、経済関係者とか、農業経営とか、直接コミュニケーションがうまくいっているか、あるいは首都機能シドニーメルボルンに戻すという意見は、余りオーストラリアでは聞いていないのです。むしろ、今ごろ、キャンベラ首都としての機能に対して一般国民割合に強く賛成していると思います。そして、キャンベラ行政自力も十分にできていると思いますから、ある意味キャンベラに対しての批判も衰えていると思います。  ですから、この十年あるいは二十年の間、キャンベラ首都として成功していないという批判はほとんど聞こえなくなってきました。
  46. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 ありがとうございます。  次に、マレーシア大使にお伺いをいたします。  新たな都市をつくるということは、少なからず自然環境というものに影響を及ぼすと考えます。この環境についてどのような配慮をされているのか、このことをお伺いいたします。
  47. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) もしお時間がありましたら、ぜひ一度大使館の方にいらっしゃってくださいましたら、こちらの方でプトラジャヤ建設のビデオなどをお見せすることができますので、それでおわかりいただけるかと思います。  このプトラジャヤ建設のまず最初構想で一番重要視されたのが、自然環境の保全ということでした。したがって、プトラジャヤというのは、情報通信やマルチメディアの面も強調されますが、同時にガーデンシティーでありますので、大きな湖も真ん中にありますし、二つのジャングル、それから一つの湿地もあります。それから、建物、ビルなども一番高い木よりも高くならないように、というのは誇張かもしれませんけれども、それほど高さにも気を使って建物も建てることになっております。したがって、既存の自然環境を大切にした上でつくる町です。  それからまた、マルチメディア・スーパー・コリドールでは、排気ガスゼロを目指すことになっています。したがって、太陽電池を使った自動車や、廃棄物の力を使ったり、雨水で水力発電をしたり、また危険物の持ち込みを禁止したりと、とにかく、よりよい環境を保全するための努力をこれからする予定です。  先日も、日本会社のトヨタと最新の情報技術を使った交通システムの話をしておりまして、このようなテストケースを試すためにも、マレーシアマルチメディア・スーパー・コリドールはいい場所じゃないかと思っております。
  48. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 ありがとうございます。  新しい都市をつくるに当たって、人口構造の変化というのが予想されると思います。人口構造が変わると、例えば教育の問題や医療の問題、いろいろなところに影響が出ると思うのですが、まずは、オーストラリア公使にお伺いをいたします。  人口構造が新首都によって、ほかの都市と比べて変わったのか、また、そのことについて何らかの影響が出たのかどうか、これを簡単にお知らせいただきたいと思います。
  49. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 確かにキャンベラの場合は、主に中間的なあるいは高所得の人の都市なんですが、ある意味で代表的な社会構造はしていないかもしれないのですが、しかしほかの意味で、別の都市とそんなに変わりがない。  例えば、キャンベラに集まっている人はオーストラリアの方々から来ますし、オーストラリアの方々の大学を卒業した人が雇われているし、オーストラリアは多文化的社会になって、世界じゅうの国々から移民している人がいますが、そういった人もキャンベラに集まっています。そういう意味で、キャンベラはそんなに特別な社会、あるいは文化構造に問題はないと思います。
  50. 吉田幸弘

    ○吉田(幸)委員 ありがとうございます。終わります。
  51. 井上一成

    井上委員長 中島武敏君。
  52. 中島武敏

    ○中島委員 日本共産党の中島武敏でございます。  きょう、マレーシアの大使、そしてまたオーストラリア公使、大変貴重なスピーチをいただきまして、ありがとうございました。  最初に、マレーシアの大使にお伺いしたいと思います。  事前にいただいたスピーチの概要を拝見いたしますと、そこには、首都クアラルンプールからプトラジャヤに移す目的は、クアラルンプールの都心の改善、生活の質の向上、そして引き続きクアラルンプール商業中心として発展させるため、こういうふうに書かれていますけれども首都移転の積極的な目的は一体どこにあるのかというのをまずお伺いいたしたいと思います。
  53. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) 交通渋滞など公害の問題は、まだマレーシアではそこまで深刻ではないのですけれども、やはり現状に甘んじず改善していく努力が必要だと思います。  それから、人々の動きというのはどうしても交通渋滞を招いてしまいますけれども、現在一万人ほどいる公務員を少なくともクアラルンプールから外に動かせば、少しはこの交通渋滞も緩和されることになります。そして、新しい都市プトラジャヤでは、マイカーではなく公共の交通機関を使って移動することにします。それによって、またよりよい環境のもとの家庭や学校や庭や地域社会などをつくることによって、より生活の質の向上を目指していくということです。  そして、例えばマルチメディア開発の結果として、大学でも遠隔教育というのも実現することになります。また病院などでも、直接行かなくてもある程度の診断まではマルチメディア技術を通してすることが可能になったりしますと、人々移動も少なくなり、渋滞も緩和されます。
  54. 中島武敏

    ○中島委員 もう一つ、政治的な目的として、これは率直に私の感じを申し上げるのですけれども首都プトラジャヤへの移転というのは、ASEANの今後の発展方向として、タイ、ベトナムとリンクした新たな政治経済中心軸を考えているのではないかと思うのですけれども、この点はどうでしょうか。
  55. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) プトラジャヤに新しい行政府をつくる決断は、あくまでも国内事情、そしてMSCによってつくり出されるさまざまな機会を考慮した上でなされたものです。ですから、決してASEAN地域中心となるとか、そのようなことは一切考えておりませんで、あくまでもマレーシアのための町です。  ただ、もちろん、シンガポールとマレーシアはASEANの中で比較的リーダー的な役割を果たしておりますので、このように開発が進んで、マルチメディアによってより透明性の高い行政政府が実現しますと、それが周辺またひいてはASEANにインパクトを与える、影響は些少なりとも与えることはあるかもしれません。
  56. 中島武敏

    ○中島委員 それでは、今度はオーストラリア公使にお伺いしたいと思います。  これも率直にお聞きしたいと思うのですけれどもシドニーからキャンベラは二百五十キロメートル、それから、同じく大都市でありますメルボルンから四百八十キロメートル離れた草原の中に人工的な都市をおつくりになった。そうしますと、首都が、あるいは国会政府国民から離れたところに存在をするということになるわけですね。そうしますと、これは国民意見や要求が届きにくくなるのではないのか、そういうことを感じるのですけれども、その点の御意見伺いたいと思います。
  57. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 ある意味で、私のさっきの発言でもちょっと触れましたが、やはり届きにくいところもあるかもしれないが、特に今の時代になりまして新しい情報技術で、そんな大きな問題はないと思います。  幾つかの点を申し上げますと、一つは、政治家の方は、国会の開会期間は週に四日しか開会していないから、三日は選挙区にいるわけですね、先生たちが。そしてもう一つの方法は、国会委員会はよくシドニーとかメルボルンとかパースとか、ほかの都市委員会を開きます。  役人の方は確かに離れていますが、逆の方向から見ますと、一般の人々がもし政府に対しての要望がありましたら、それは相当活発にそういった要望を出しています、あるいは手紙を使って、あるいは電話を使って。余り遠慮していません。そして、確かに役人の中で、そういった遠いところにいるから、そういうことを意識しながら仕事をしていると思います。例えば、国民生活に直接関係している方策あるいは対策を考えているときに、わざとなるべく協議をするような方法を生み出すんです。
  58. 中島武敏

    ○中島委員 今の答弁に関連をしてお尋ねしたいのですけれどもキャンベラを訪れる方々というのはどのぐらいいらっしゃるものなんでしょうか。それから、何のためにキャンベラを訪れるわけでしょうか。
  59. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 私の資料の中に観光客の数がたしかあったという気がしますが、ちょっとお待ちになってください。  さっきの質問に対してもう一言申し上げたいのですが、あるオーストラリア政府役所が今でも州の首都に、例えばシドニーとかメルボルンとかパースに事務所を持っています。例えば、私の所属している外務・貿易省が六つの州に、市に事務所を持っています。もう一つ、恐らく産業技術省もシドニーメルボルンとパースに事務所を持っています。  キャンベラを毎年訪れる観光客は、キャンベラ人口と同じぐらいだと思います。三十万人ぐらいの観光客が来ます。
  60. 中島武敏

    ○中島委員 その三十万人キャンベラを訪問する方の中で、政治家に直接会っていろいろ意見を述べたり、あるいは要請をしたり、そういう方々はどれぐらいいるものでしょうか。
  61. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 数からは言えませんが、確かに、そういう目的キャンベラにいらっしゃる人が相当います。私の自分経験から申し上げますと、私は外務大臣の秘書を務めたこともあります。そのとき、いろいろな都市から外務大臣のキャンベラの事務所の方まで来てくださった人がたくさんいました。そういう意味で、キャンベラが離れているところにあっても、そんなに障害になっていないみたいですね。
  62. 中島武敏

    ○中島委員 先ほどのお答えの中に、四日間はキャンベラ、それから三日間はそれぞれの州。それで、州に事務所もあって、そしてそこでも国民意見を聞く努力をいろいろしております、こういうお話でございました。  日本の場合にも、一週間のうち四日間はこちらに来ているかもしれませんが、三日間は地方にいて、それぞれ地方にもやはり事務所を持っていて、意見をよく聞くということはみんな努力している、そういう点では同じじゃないかなと思うのです。  ただ、参考までにちょっと申し上げたいのですけれども、この質問をするに当たって私調べたのですけれども日本では、議員会館に衆議院の議員を訪問する人数、これは三月だけで七万一千四百三十六人なんです。一日平均三千二百四十七人なんですね。それから、これも三月一カ月なんですけれども国会請願のデモが行われたのが五回で四千二十八人なんです。それから、衆議院の議員面会所で要請集会をやっているのも十四回、二千二百九十五人なんです。それから、これは衆議院議長に対する請願件数なんですが、ことしの通常国会が始まってから現在まで、調べてもらいましたら三千三百五十一件、署名をして請願をしている人が千八百二十一万九百六十一名、こういう数字がわかったんです。  ああ、やはり随分たくさんの人たちが政治家に対していろいろ要求を持ったり、陳情したり、請願をしたりということをやっているなと。それは、やはり大都市首都があるからそういうことができるんじゃないかというようなことを、別に皆さんのをいけないとかなんとかという話をしたいんじゃないんです、そうじゃなくて、そういうことを非常に私感じました。  そういう点では、いろいろな御努力でよく国民の声を吸収する努力をされているんだと先ほどからも御答弁がありましたけれども、でもやはり、何かもっと改善策が必要なんじゃないかなということを感じるんですけれども、いかがなものでございましょうか。
  63. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 改善策としては、私は専門家ではありませんから。  キャンベラの七十年の間の歴史の中で、理想的なやり方はまだできていないかもしれないのですが、確かに先生がおっしゃるとおり、政府に対して意見を表現したい、やり方はキャンベラではたくさんありますし、僕は自分で覚えていますのは、十年ぐらい前、林業の政策に対して、林業の職員たちがみんなキャンベラに集まって国会を閉鎖したこともあります。そういう意味で、キャンベラの孤立した離れたところに国会があっても、国民意見から離れられないのですね。  恐らく、まじめな話で、ある意味カティブ大使と同じ返事ではないかもしれないです。新しい技術を使って、なるべく人が意見を表現できるような設備を設けて、例えば今ごろインターネットがとても普及して、オーストラリアの方で、どの役所でもどの国会委員会でも自分のホームページも持っているし、そこになるべく一番最新の情報をちゃんと毎日載せてありますから、そういう意味で、なるべく情報国民に普及させるような対策をとっていると思います。オーストラリアの方でも昔から、昔といいますと二十年前から、情報公開法もありましたし、いろいろな手段はあると思います。
  64. 中島武敏

    ○中島委員 ありがとうございました。
  65. 井上一成

  66. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 私は、社会民主党・市民連合の知久馬二三子でございます。  カティブ駐日マレーシア大使並びにウィルソン駐日オーストラリア公使の皆様に対しまして、心から敬意を表しながら質問させていただきます。  まず、マレーシア大使にお伺いいたしますけれどもプトラジャヤ首都クアラルンプールのエリアの範囲内であろうと思います。マレーシアでは、首都機能移転というよりも首都圏の拡大と認識されており、あくまで政経分離というよりも政経一体と理解していいのでしょうか、お伺いいたします。
  67. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) プトラジャヤ首都圏の拡大ではありません。決して拡大というわけではありません。  といいますのも、マレーシアが独立したときに、クアラルンプールという土地を、セランゴール州の一部だったのですけれども、これを連邦政府直轄地区というふうにいたしました。これはセランゴール州も同意の上で行われたのですが、もう一つ、マレーシアにはラブアンといいまして、特別な商業地区もあります。これらの二つの地区というのは州とは別と考えられた地区でして、連邦直轄地区なわけです。そしてプトラジャヤはこの連邦直轄地区にはなりません。そのような方針はありませんし、たとえ、そのようにしたところで、セランゴール州が同意しないであろうと思われます。マレーシアというのは連邦政府制度をとっておりますので、州にもそれぞれの権利がありますので、セランゴール州が反対するであろうと思われるわけです。  だからこそ、このプトラジャヤ開発というのも、連邦直轄地区としてではなくて、実際の機能的な面での開発民間に委託しているわけです。
  68. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 また、新首都行政機能のみが移転し、国会や司法機能などがクアラルンプールに残っているのは、あくまで首都圏の拡大と関係しているのでしょうか。
  69. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) ですから、プトラジャヤ首都圏の拡大ではありません。国会クアラルンプールに残りますし、司法機能についてはプトラジャヤの方に動く予定ですけれども、いずれにしても、行政機能プトラジャヤに動くのでありまして、首都圏の拡大ではありません。
  70. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 次に、マハティール首相は、アジア版のシリコンバレーを目指したマルチメディア・スーパー・コリドール、MSC計画を提唱され、九六年の八月に全体構想を発表されています。サイバージャヤと呼ばれる情報技術都市がつくられ、世界的な規模の情報通信企業やサービス産業を誘致されて、マルチメディア中心とした産業振興を図ることが計画されています。我が国でもNTTなどが協力しているようですが、MSC計画の進展状況等はいかがでしょうか、お伺いいたします。
  71. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) おっしゃるとおり、マルチメディア・スーパー・コリドール構想は正式に一九九六年に始動いたしました。それで、現在の開発状況としましては、予定ではサイバージャヤマルチメディア大学、それから研究開発機関はことしの六月に正式にオープンする予定です。  それで、一九九六年以来、マルチメディア・スーパー・コリドール世界から誘致した企業のうち二百五社がMSCステータスを獲得しておりまして、うち二十九社は国際的な大手企業です。目標は、そのような企業の数を二〇〇三年までに五十社までに伸ばすことです。  NTT以外の日本の企業にもMSCに参加していただきたいと思っておりますが、日本も不況のようでして、なかなかそれが思うように進んでいないのが現状です。現在、主力となっているのは欧米の企業です。
  72. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 そういう中で、我が国の企業がMSC地区内で具体的にどのような協力を求められているのか、お聞かせ願いたいと思います。
  73. タン・スリ・H.M.カティブ

    カティブ参考人通訳) マレーシアでは、既に日本企業というのは、半導体分野や電気機器分野において先導的な立場にあります。例えば、松下電器、ソニー、シャープなどは既にマレーシアにおいて大きく経済活動をしておりまして、これらの活動をより一層有効にするためにも、マルチメディアの導入、それから彼らの供給、調査開発などの活動のためにも、このMSCの場所を利用していただければと思っております。ここには先端技術や特別な司法措置などもとられますので、世界的な企業活動の拠点となることを望んでおります。  それから、マレーシア人というのは大体多言語を操ることができる人たちです。中国語、インド語、インド語というのはタミール語、あるいはアラブ語、そしてもちろんマレー語などを操るマレーシア人が大半です。そして、マレー語というのは、インドネシアの二億以上の人口も、インドネシア語というのはマレー語と似ていまして話しますから、これだけの人口とも意思の疎通を図ることができるわけです。それから、日本の大学を卒業したマレーシア人というのも、もう既に一万人を超えています。
  74. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 ありがとうございました。  続きまして、オーストラリア公使に対しまして質問させていただきたいと思います。  わずか二千二百平方キロメートルの中に千二百万人もの人間が住み、我が国の政治や経済、社会の中心となっている首都東京について、まずウィルソン公使の率直な御感想をお伺いしたいと思います。
  75. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 私は、東京に住みましたのがこれが四回目なんですが、通算しますと十二年ぐらいで、ある意味で東京の都民という感じもしています。  僕は、一番最初東京に参りましたのは三十四年前です。そのときから東京も大変発展してきましたし、きれいな現代的な都市になってきましたし、交通の便がよくできていますし、この高い人口密度の中でとても効率的、とてもきれいな、大気汚染もなくした大都市なんですが、いろいろな意味で僕は東京が大好きで、東京の行政、とても褒めたいと思いますが、しかし、自分の今住んでいる町キャンベラと直接比較できないのですね。  キャンベラは、木が多くて、庭がたくさんあるし、どの住民、どの人でも自分の庭があって、自分の庭でも日常生活に必要な野菜とかそういうものもつくれるし、僕の場合は、自分の庭で家内が鶏を飼っていたこともあるし、そういうことはなかなか東京でできないという差があります。
  76. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 私の生まれた鳥取県というのは、人口が一番小さい県なんですが、人口六十一万五千人で、面積が三千五百七平方キロメートルです。首都東京の一・五倍というところに六十分の一、人口密度では百倍、日本の一極集中の過密過疎の問題がこの一点をとってもいかにすさまじいか想像できると思います。  そこで公使に、公使の目から見た日本地方都市について御感想をお聞かせいただきたいと思います。
  77. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 私は、やはりカティブ大使と同じように、できるだけ日本地方に旅行して、いつも努力しています。できれば月に二、三回ぐらいどこか旅行したいのですが。  日本地方都市の私の一番好きなところは、日本の昔の文化をよく残している、日本の昔の建築とか祭りとか、そういうのをたくさん残してありますし、それが今企業の大きな魅力のところになってきたと思います。そういう意味で、割合と現代社会の発展と昔の歴史、文化的な世界とのバランスがよくとれていると思います。
  78. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 もう少し時間がありますので、最後に、オーストラリアでは一九八八年に首都特別地域法を制定されたと聞いています。  そこで、その国の首都機能計画開発が、現在そこに住む住民の利害と衝突したり意見の食い違いを生じた場合どのように調整されてきたのか、これまでにそのような経験がおありなのかということをお伺いしたいと思います。
  79. トレバー・ウィルソン

    ウィルソン参考人 確かに、意見の相違とか、例えば土地の利用目的についての意見の相違があることはあります。時々、国のレベルで土地をこういうふうに使いたい、しかしキャンベラ市民が別の目的で使いたいというような問題はあります。余りたくさんそういった場合はないのですが、しかし確かに、キャンベラ市民はほかの市民と同じように納税者で、自分の税金で国が使っているサービスとか、ほかの国民よりもキャンベラの人がその負担を感じている声もあります、そういった問題の解決に努力しなければなりませんが。  一般的に話しますと、キャンベラのこれからの計画につきまして、例えば二十一世紀に向かってキャンベラ発展、どういうふうに計画すればいいかということにつきまして、一九九六年から両レベルで、つまり連邦レベルと地方レベルで協議過程を設けまして、キャンベラの将来の計画についてどういうふうにあるべき、どういうことをやるべきだということにつきまして、大きな計画をつくっている途中ですが、後で、もし先生が興味があったら、この分厚い英語の書類がありますから、喜んで差し上げたいと思います。
  80. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 大変貴重な御意見、ありがとうございました。終わります。
  81. 井上一成

    井上委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  駐日マレイシア特命全権大使タンスリ・H.M.カティブ参考人、駐日オーストラリア公使トレバーウィルソン参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時十六分散会