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1999-04-21 第145回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十一年四月二十一日(水曜日)     午前九時三十分開議   出席委員    委員長 原田昇左右君    理事 鴨下 一郎君 理事 栗本慎一郎君    理事 佐藤 静雄君 理事 村田 吉隆君    理事 石井 紘基君 理事 前田 武志君    理事 谷口 隆義君 理事 佐々木洋平君       相沢 英之君    赤城 徳彦君       飯島 忠義君    熊谷 市雄君       桜田 義孝君    田中眞紀子君       田邉 國男君    滝   実君       東家 嘉幸君    萩山 教嚴君       堀之内久男君    森  喜朗君       矢上 雅義君    山口 泰明君       安住  淳君    鍵田 節哉君       熊谷  弘君    田中  甲君       中川 正春君    葉山  峻君       赤羽 一嘉君    石田 勝之君       旭道山和泰君    福島  豊君       米津 等史君    辻  第一君       中林よし子君   知久馬二三子君       保坂 展人君  委員外出席者         総務庁行政監察         局企画調整課長 関  有一君         大蔵省主計局司         計課長     児島 俊明君         会計検査院事務         総局第三局長  大和 顕治君         参考人         (東京大学大学         院経済学研究科         教授)     金本 良嗣君         参考人         (マッキンゼー         日本支社パート         ナー)     上山 信一君         決算行政監視委         員会専門員   酒井 喜隆君 委員の異動 四月二十一日         辞任         補欠選任   三塚  博君     飯島 忠義君   藤村  修君     中川 正春君   村山 富市君     保坂 展人君 同日         辞任         補欠選任   飯島 忠義君     三塚  博君   中川 正春君     藤村  修君   保坂 展人君    知久馬二三子君 同日         辞任         補欠選任  知久馬二三子君     村山 富市君 本日の会議に付した案件  歳入歳出実況に関する件及び行政監視に関する件(事務事業評価監視システム導入に関する問題)     午前九時三十分開議      ————◇—————
  2. 原田昇左右

    原田委員長 これより会議を開きます。  歳入歳出実況に関する件及び行政監視に関する件、特に、事務事業評価監視システム導入に関する問題について調査を進めます。  本日は、参考人として東京大学大学院経済学研究科教授金本良嗣君及びマッキンゼー日本支社パートナー上山信一君に御出席をいただいております。  この際、両参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。両参考人には、事務事業評価監視システム導入に関する問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。  次に、議事の順序について申し上げます。  まず、金本参考人上山参考人順序で、お一人二十分程度意見をお述べいただきたいと思います。次に、委員からの質疑に対しましてお答えいただきたいと思います。  よろしくお願いいたします。  それでは、まず、金本参考人にお願いいたします。
  3. 金本良嗣

    金本参考人 金本でございます。本日風邪をこじらせておりまして、大変お聞き苦しいかと存じますが、よろしくお願いいたします。  お手元にレジュメを配ってあるかと思います。まず、これに従いまして、二十分の時間でどれだけのことがお話しできるかわかりませんが、とりあえず進めるところまで進ませていただきたいと思います。  評価監視あり方についてということでお話し申し上げるわけですが、今までいろいろな機会評価監視について考えさせられることが多かったのですが、残念ながら国会役割について余りきちんと考える機会がございませんでした。それで、今回お話しすることがどの程度お役に立てるかわかりませんが、とりあえず私自身が考えていることを申し述べさせていただきたいと思います。  まず、お聞き及びのことと思いますが、今、世界的に評価監視あり方が注目されていて、新しい公共部門ガバナンスあり方というものがつくられつつあるということですが、この背景についてごく簡単に申し述べさせていただきたいと思います。  まず、ごくごく大ざっぱに申しますと、旧来のアプローチは、民主社会では、国民議会を選挙で選んで、議会行政機関コントロールする、こういう民主的コントロールメカニズムというのが基本で、この筋道で物事が考えられてきたということになるかと思います。  実際の公共部門活動中身については、この中で、特に日本では、行政機関内部あるいは行政機構全体の中で各行政機関同士がお互いに統制するメカニズムを持っている。私はここで官官規制と呼んでいますが、これが非常に大きな位置を占めてきたというふうに思っております。大蔵省予算統制をする、総務庁定員管理をする、行政監察局監視をする、会計検査院決算検査をする、こういったメカニズムが非常に重要だということであります。  もう一つ重要なのは、各省は本省が出先機関コントロールするという統制メカニズムを持っておりますし、また、中央省庁地方自治体をいろいろな形でコントロールする、こういったメカニズムが非常に顕著に存在していたということであるかと思います。  こういった官官規制の特徴は、基本的には、予防的に規制をする、下の人が悪いことをしてはいけない、上の人の思っているようなことをやってもらうというために、上の方から、こういうことはしてはいけないといったタイプ予防的規制を非常に細かく張りめぐらせるということであったろうかと思います。この点に関して、日本規制システムは、甚だよくできているといいますか、微に入り細にわたって細かくつくられているということであります。したがって、世の中いろいろなことが変わったときに、こういう細かい規制の体系が世の中の動きにおくれてうまく機能しないということが出てきたということであろうかと思います。  その辺で例を挙げておりますが、時間の関係で省略いたしまして、基本的な方向としては、こういう上からの統制というものが全体として余りうまく機能していないというのが世界的な認識であろうかと思います。  そこで、新しい方向として違う考え方がとられたということでありますが、そこの考え方としては三つの要素があろうかと思います。  まず第一は、国民主権者としてコントロールする、主権者としてとらえるということはもちろん重要なんですが、別の視点として、公共部門サービスを受ける顧客としてとらえる、顧客としての国民視点から公共部門あり方を見直す、こういう発想の転換があったということであります。  それにのっとりまして何を行うかというと、公共部門が行う政策目標を明確にして、パフォーマンス成果基準評価を行う、こういうパフォーマンスを重視するというアプローチであります。  それともう一つ対になっていることは、官官規制を緩和して公共部門経営弾力化を行う、この弾力化のかわりに、成果を厳しく見て、そのパフォーマンスに関する評価基準コントロールをしていく、こういうアプローチであろうかと思います。  こういう流れに沿っていろいろな仕組みが考えられているということでありますが、次に、評価監視の具体的な例を幾つお話ししたいと思います。  実は、評価監視については、対象もさまざまでありますし、用いられる分析用具もさまざまであります。したがいまして、具体的な話を展開しないと実はほとんど意味がないということでありますが、日本現状では、具体的な話をする前に入り口のところでいろいろな議論が堂々めぐりしているという傾向が多いのでありまして、基本的には、具体的な評価監視を行う中でやり方をつくり上げていくという必要があろうかと思います。  これは、いろいろなタイプ評価監視があり、それぞれの中身については、私が関係しました研究会報告書がございますので、詳細については御参照いただきたいと思います。  ごく簡単に幾つかの例をお話しいたします。  まず最初の例は、御存じかと思いますが、公共事業プロジェクト評価事業評価と言われることもありますが、費用便益分析をメーンの手法とした評価であります。これについては、各関係省庁取り組みが進んでおりまして、今年度中にはかなりのものが出てくるということになろうかと思います。  もう一つは、地方自治体の一部で進行中の事務事業評価。  あと、これ以外にも、実は欧米諸国ではかなり一般的でありますが、日本ではほとんどお取り組みがなされていないというものも幾つかあります。  一つは、規制関係規制インパクト分析と呼ばれているものです。特に安全規制環境規制に関してはこういう規制インパクト分析が有効であるというふうに言われておりますが、まだ日本では基本的に着手されていないといった状況かと思います。  もう一つよく言われることですが、政策評価という非常に大きな、政策評価するということがあるわけですが、これについてはどの国でもルーチン化されたものができているわけではなくて、個別テーマに応じてかなりアドホックにいろいろなことが行われているというふうな状況であろうかと思います。  これ以外にも評価監視を行うべきテーマはたくさんございまして、そこで挙げておりますが、公共部門が何か行ったときに費用の負担をだれがどれだけ行うか、こういうことについてもきちんとした評価監視が必要でありますし、公共サービスをどういう組織がどういう形で行うのかということ、組織形態に関する評価も重要だということであります。最近議論になっております独立行政法人の問題については、こういう組織形態評価を行いながら進めていく必要があるということであろうかと思います。最後に、入札契約方式についても、日本の場合は非常にメニューが少なくて硬直的になっておりますが、これについてもきちんとした評価監視が必要だというふうなことであろうかと思います。  こういったさまざまな評価監視テーマがあるわけですが、これを個別に議論する時間がございませんので、今回はごく大ざっぱな、全体的な注意事項を少しお話しさせていただきたいと思います。  次のお話しさせていただく問題は、基本的にはこういう評価についても競争性が必要だ、いろいろな方々評価をして、それらの間のチェックアンドバランスがあるということが一番重要だということであります。  基本的には、評価はある一つ組織がすればいいというものではなくて、さまざまな立場人々評価をして、それぞれの間で議論が必要だということであります。実際にもいろいろな立場方々評価をされておりまして、順序かなり不同でありますが、そこに並べておりますのは、行政監察局国会会計検査院政府部内の第三者機関、それから民間研究所等、それから大学研究者、こういったさまざまな立場の人が評価監視を行うという仕組みが実は必要である。  なぜそういうものが必要かと申しますと、評価品質を高めるには競争が必要だ。市場経済がうまく動く要因、一番大きな理由は、そこに競争が働くメカニズムがあるということであります。それは、単に市場経済だけではなくて、こういう評価監視の世界でも同じであって、さまざまな人々競争しながら活動をしていくということが非常に重要であるということであります。  現在、日本閉塞感があるという一番大きな理由は、こういう政策分野活動について、担当省庁がさまざまな形で独占権を著しく持っているということであります。こういう競争が機能しないというときには、政策中身について、余り品質がよくないんではないかという疑念が生じてくるということであります。  こういう評価についても競争性が必要だということが重要なわけですが、それを達成する一番大きなツールというのは透明性であります。担当省庁独占力を持っているというのは、単に権限を持っているということではなくて、権限にまつわる情報を独占することができるということによっているわけです。このことによって、政策立案活動における競争が阻害されているということであります。  これについては、私が申し上げるまでもなく、さまざまな動きがございまして、情報公開法が審議中でございますが、こういうステップが非常に重要であろうと思います。  ただ、情報公開法で十分かというと、必ずしもそうではなくて、情報公開法は、多分政策立案品質を高めるという目的でつくられているわけではなくて、政策立案品質を高めるためにはもう少し違う取り組みが必要だろうと思っております。  その点で一つ重要なのは、情報収集コストの問題であります。  情報公開されても、それを手に入れるためのコストが高ければ、評価活動競争性は保てない。評価を行う人の数というのは、実はどこの国でも実際にはそんなに多くないわけです。百人の人がチームを組んである特定の政策課題評価をしているというのはあり得なくて、大抵の場合は数人規模活動をしている。この数人規模活動幾つか、複数存在することができるというのが非常に重要であります。こういう数人の人たちが複数取り組めるためには、情報収集コストかなり安くないとたくさんの人の参入はないということであります。  この点については、米国ではフリーダム・オブ・インフォメーション・アクトということで、政府情報電子媒体、特にインターネットを通じた公開が義務づけられているということで、この辺については日本とは非常に違う状況にあります。日本でもこういった取り組みが必要ではないかと思っております。  もう一つ、我々の経済関係の見地から申しますと、いろいろな政策、例えば税制の変更がどういうインパクトを与えるか、この評価のためには、個々人のアクティビティーあるいは企業アクティビティーについての、マイクロデータと呼んでいますが、個票データを使うというのが必要であります。  日本の場合は、こういった個票データの利用がプライバシー等の観点から非常に制限されているというわけですが、公共的な機関政策分析のためにこういうデータを使えるということは非常に重要でありまして、欧米諸国ではこの点の取り組みが非常に積極的になされているということであります。この点は、日本がおくれている一つの大きな要因であろうというふうに思っております。  もう一つ、この競争性について重要なのは、基本的な構造を踏まえておく必要があるということであります。  基本的にそこで重要なのは、国民から選ばれている代表者である方々専門家との関係であります。行政機関方々は、実は専門家の一人、一つタイプでありますが、これらの関係がうまく機能するということが必要です。基本的に、評価監視が機能をするにはかなり専門的能力が必要になる。これを代表者自分で行うということは非常に難しい。したがって、専門家をどういうふうにうまく使っていくかということがあるわけですが、これに関しても最も重要なのは、情報流れをよくして、複数の立場専門家が、代表者である例えば国会議員アプローチできるということが必要であるということであろうかと思います。  時間もほとんどございませんので、最後に、議会役割は何かということについて、私、きちんと考えているわけではございませんが、少し思いついたことを書かせていただいております。  まず、基本的に重要なのは、議会ルールをつくるということについて最も有効な存在であるということであります。  そのルールについては幾つかのものがあるだろうということでありますが、一つは、評価のタイミングや内容についてルールを定める。例えば、公共事業プロジェクト評価については、各省庁が独自にこの手のルールを現在は定めております。これが今の段階では自主ルールにとどまっているということでありますが、こういう問題について国会はどういう立場をとるかということが一つの重要な課題であろうかと思います。  もう一つ重要なのは、情報公開に関するルールづくりということですが、これはさっき申しましたフリーダム・オブ・インフォメーション・アクトといった関係のことであろうかと思います。特に公共事業評価については、現在進んでおりますが、その評価中身、どういうデータを使ってどうやってやっているかということについての情報余り公表されていない。したがいまして、外の人が、その評価が正しいかどうか、本当におかしなバイアスを持っていないかということについての評価が非常に難しいということであります。こういう問題について何らかの取り組みが必要なのではないかというふうに思っております。  あと二つほど書いておりますが、一つは、政策代替案議論する場が国会であるはずで、その場として有効に機能させるというのが一つ。  もう一つは、評価監視というのは後ろ向きであっては余り有効ではない。前向きに、次に何をするかということの立場から評価監視をする。これは国政に責任を持つ議会が担うのに最もすぐれた存在であろうかというふうに思っております。  最後に、他機関との関係でありますが、基本的に議会は他機関協力を得る必要があるだろうと思います。その協力を得るためには、情報発注者としての能力、識見というものが問われる。議会が培うべきものは発注者としての能力ということであろうかと思います。  アメリカでは、議会の中にGAOとか、そのほかCBOとかといった組織があって、議会からさまざまな調査発注されております。こういう調査発注がうまくいくためには、議会の中に発注能力がなければいけない。それだけの能力をどうやって持つかということが非常に重要だということであろうかと思います。  最後幾つ考慮事項として挙げておりますが、こういう発注を行うときには、議会側である種の自主ルールというのが必要なんだろうというふうに思います。議員個々の事情でいろいろな発注が行われると議会全体としては余り好ましくないというふうなことがあるわけでありまして、これについては、米国では、委員会単位発注をベースにするということと、会計検査院の場については、会計検査院内部最高意思決定機関がどういうテーマを扱うかということを審査して決定する、こういった手続を持っております。  そのほかにも幾つかのことを書いておりますが、時間も超過しておりますので、とりあえずこれまでにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
  4. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、上山参考人にお願いいたします。
  5. 上山信一

    上山参考人 おはようございます。  私は、主に民間企業、大企業リストラあるいはMアンドAなどの経営改革を支援しております経営コンサルタントであります。企業経営に関しては専門家なのですけれども、政府経営に関してなぜいろいろな意見を各所で述べておるのかということを最初にちょっとお話しします。  二つ理由がありまして、一つは、多国籍企業の役員を務めておりますと、我が国の、まあ企業経営もそうなんですが、政府経営は非常に甘いものがある。そういう点からいろいろな問題意識を持つに至ったというのが一つです。  もう一つは、若いころ運輸省及び外務省で公務員として勤務をしておりまして、そのころの経験に照らすと、やはり外に出てみると役所の中の常識というのは非常に世間の常識からずれたものである。自分自身を民営化してことしで十三周年目になるわけですけれども、そういう立場から意見を述べてみたい、こういうことであります。  お手元に横長の資料がありますが、これに沿ってお話をしたいと思います。  きょうのテーマは、私なりに解釈したのですが、政府経営をいかに監視するべきであるか。これは企業経営に照らしますと、ガバナンスの問題というふうに言うことができます。  一ページに書いておりますけれども、このガバナンスの問題というのは、何も政府だけが甘いというわけではありませんで、企業でも非常に大きな問題として出てきております。不祥事の背景にもガバナンスがあるわけですし、経営が甘いので御存じのように赤字企業が続出する、こういうことであります。  これは右肩上がり経済が終わるとどこの国でも起きる現象でありまして、八〇年代、英米企業はそれを経験し、リストラを経て、そして政府も同じような手法で改善をしてきている、こういうことであります。  英米歴史を見ますと、企業手法、例えばIBMであるとかマークス・アンド・スペンサーであるとか、こういった大企業手法を開発し、それを自治体の革新的な首長が流用して、そこから出てきた成功体験を、英国のサッチャーであるとか、あるいは米国でありますと最近のクリントン、ゴアのような人たちが集大成して法制化している、こういう流れが考えられます。  我が国の今の現状というのは、まさに約十五年から二十年、英米よりも後の歴史をたどっているというだけのことでありまして、決して日本だけの特殊な問題ではない、おくれて問題が顕在化しただけであるというふうに思います。おくれて顕在化しているわけですから、イギリスあるいはアメリカのように試行錯誤をたどらなくても、英米のいわばベストプラクティス、一番よいノウハウをさっさと持ってきてはめれば数年で改革はできるのではないかというふうに私は思っております。こういう仮説に立ってお話をします。  まず、企業企業というふうに申し上げておりますけれども、企業ガバナンスがそんなにいいものなのかということについてお話をします。  三ページをごらんください。  政府よりは企業の方が恐らく効率的であるというのは経験則からほとんどの方が感じておられると思うのですけれども、なぜそうなのかといいますと、四つの角度からのチェックが行われている。  これは上から四種類に分けて書いておりますけれども、まず外からの評価というのがあります。御存じのとおり、インベスターリレーションあるいはディスクロージャー、こういう情報公開を広くやって、いろいろな角度から人々情報を与えてチェックを受ける。これがまずあります。  それから、当然、アナリストによる評価とか格付、専門家がお客の満足度を勝手にレーティングして雑誌で発表する。自動車業界などではこれがまた非常にインパクトを持つわけです。第三者専門家が勝手に評価をする、これが外からの評価であります。  この二つに加えて、当然内部自己管理評価をやっておるわけですけれども、経営サイド、お金あるいは人を握っている社長及び企画セクション、こういうところは、戦略目標を各部門に立てさせて、ことしは幾らの金を投入してどれだけの成果を上げるのか、こういうプランを了承して、その上でそれができたかどうかチェックして、翌年度、資源をまた与える、こういうサイクルが、当然なんですが行われている。  さらに大事なことは、現場で自主的な活動が行われている。これは、例えば機械一個つくるのに三十五秒かかっている、これを十五秒でできないかというようなことを現場人たちが考える。幾らもうかるというようなことは現場の人は考えずに、お客様に喜んでもらうにはどうすればいいか、あるいはこの仕事を効率的にするにはどうすればいいかと。これはこれで現場で自主的な活動をやっている。  こういう四段階チェックがあって企業というのはうまく経営されているということです。これは何も昔からこうではなくて、矢印を書いていますが、一番下から順番に発達をしてきております。下の二つ日本企業かなりうまくできているというふうに思います。上の二つに関しては、バブル経済が崩壊しないとなかなか前に進まないということで、最近になって問題になってきている。英米企業に関しては、この二つが九〇年代に入ってかなり急速に普及した、こういうことであります。  四ページを見ていただきますと、先ほど、企業手法が自治体それから中央政府に伝播したんだということを申し上げましたけれども、現在の状況を見ますとこのようになります。  まず情報開示に関しては、原則的に行政評価の結果はすべて公開。  それから、専門家による監査。これは昔からGAOとかNAOというような会計検査部もありますが、それに加えて、サッチャーは効率室を政府の中につくり、アメリカは各省庁にインスペクターゼネラルというようなものを追加して置いています。  さらに注目すべきは下の二つでありまして、民間企業型の戦略計画システム、これを追加している。  それから、現場改善活動。これも非常にきめ細かな、いわゆるTQC活動のようなことをイギリスもアメリカもやっているということであります。  翻って我が国状況を見ますと、五ページになりますけれども、まだかなり不備である。上の二つ情報開示それから専門家による監査、これがないということは非常によく言われますけれども、私は、このこと自体は、制度をつくればいいし、今までなかったことを別に批判する必要は特にないというふうに思います。ですが、問題は、政府の中での自己管理が行われていないということであります。  現場改善活動というのは、例えば、省庁再編の組織論は大変に熱心に霞が関の中でも議論していますけれども、具体的な、サービスをどうするかとかコストを下げるというようなことに関する議論は皆無であります。唯一、自治体で一部このような活動が始まっているという程度であります。  それから、戦略の立案に関しても非常に不明瞭であって、ほとんど主計局と各省の担当官の間であうんの呼吸でなされている。これは一部政治の問題もあるかとは思いますけれども、非常に不透明で、かつ目標管理がなされていない、こういうふうに私は評価をします。  それで、きょう申し上げたいのは七ページ以降のことでありまして、行政評価システムというものをぜひ法制化して、予算プロセスにつなげるべきであると。一言で言いますと、業績評価をして、その結果を公開しない事業に関しては、予算は一切つけない、こういう法律をつくってはどうかということであります。  これは、米国で九三年に通りましたガバメント・パフォーマンス・アンド・リザルツ・アクト、政府業績評価法というのがありますけれども、これを二〇〇〇年以降まさに実施しようということであります。七年間の実験を経て、二〇〇〇年以降は予算と評価というものをセットにしていく、これが米国動きでありまして、我が国もこれを入れない限り、会計監査あるいは情報公開ということだけをやっていても政府の中での自助努力が始まらないというふうに思っているわけです。  かいつまんでお話しすると、七ページにありますようなプロセスでありまして、まず各省庁、各事業の実態分析をする。一体どれにどれだけのお金を使ってどういう成果が出ているかというのをはっきりさせる。目標を立てさせて、それが達成できたかどうかということをまた申告させる。さらに、その結果はすべて情報公開にかける。こういう、ある意味では非常に単純なことであります。  例をお話ししますと、十ページに飛びますけれども、これは実際に分析をしたものではなくて、わかりやすくするためにつくった例でありますけれども、例えば、文部省には初等教育であるとか中等教育であるとか、恐らく二十本ぐらいいろいろな政策があると思います。そのそれぞれの政策に関して、その下の施策レベル、英語で言うとプログラムという言い方をしますけれども、ここに書いてありますような施策レベルに関して、何年間でどれだけの成果を出すのか、そのためにどれだけの仕事が発生するのか、お金に直すとそれはどれだけの税金を投入することになるのかということを、全部事業を始める前に開示する。  これをやった後、例えば事業によっては一年後あるいは二年後に、どれだけ実際にお金が使われ、かつ成果が出たかということをチェックをかけていく。パフォーマンスが悪いものに関しては予算を与えない、あるいは逆に予算が足りなかったからパフォーマンスが悪いんだということを国会の場できっちりと議論をして、主に委員会だと思いますけれども、委員会議論の質をさらに上げていく、このようなことができるのではないかというふうに思います。  先ほどの、企業チェックの四つのモデル、十一ページに移りますけれども、これに行政評価をはめるとどういうふうに変わるかといいますと、直接的にはかなり細かいチェックというものが可能になる。内部で自主管理もできますし、外からの評価も非常にしやすくなる。それから、このことをやりますと、予算の単年度主義が非常に弊害になっているとか、先ほど金本先生がおっしゃっていたような、そもそも行政システム自体が抱えている矛盾、これも露呈してくるというふうに思います。  ですから、初めに行政評価ありきでありまして、これを入れることによってほかの制度というものが順番に崩壊していく、こういういわば全体システムを変える最初の入り口になるのがこの制度だというふうに私は考えております。  それで、まとめますと、十三ページになりますけれども、政府経営チェックする上では、今申し上げたような行政評価というものがまずは手始めとして不可欠だというふうに思います。もちろん会計検査院の強化であるとかディスクロージャーというようなこともセットで必要ですが、政府自分自身のやっていることを自分で理解できていない、この現実が非常に大きな問題でありまして、自分で何をやって何ができているのかということをきっちりと国民に開示する、これがまず初めであると思います。  これは抽象的な政策レベルではだめで、先ほど申し上げたような、初等教育の中の十個のプログラムというようなレベルでやらないとだめです。それから、個別の道路の箇所づけのような極めて個別的なことですと、これまた客観評価ができないので、一定の、ある程度大まかな単位じゃないとできないというふうに思います。  これをだれがやるかということが非常に重要な問題でありまして、実は、執行部門の方が議会よりも意識的にはかなり先行しているというふうに私は思います。自治体の動きを見ましても、議会が本来行政評価を進めるべきなんですけれども、事務当局の方が非常に熱心で、いわゆる事務事業評価というものを自分たちがやっているということをマスコミを通じて宣伝し、行政評価は役所がやるんだというふうな、ある意味ではキャンペーンを張っている。  これは、私も昔役所におりましたので、役人であれば当然こういうことは自分でやりたいと思うし、やってみるというのは非常に重要だと思うのですが、自分自分評価するというのは人にはなかなかできないことでありまして、やはり政治あるいは専門機関評価しないとなかなか正しい評価はできないというふうに思います。したがって、今自治体でやっておりますような事務事業評価というものは、評価のための基礎資料としては結構だと思いますし、あるいは、職員による自分自身の仕事の点検という意識改革運動としては意味がありますが、とても国政の一部のシステムとして正当化できるようなものではないというふうに考えております。  以上のことをまとめまして、最後に提案があるのですが、十四ページであります。  アメリカにGPRA法というのがございます。これはそのまま日本で使えるかどうかというのは異論もあるかと思いますけれども、同じような法律を日本もつくってみてはどうか。予算査定の判断材料にする、各省庁二つぐらいの事例のものをとって、それを毎年数をふやしていくということから始めてはどうか。  それから、だれが評価するのかという問題に関してですけれども、これはやはり役所出身者でないとなかなか難しいということを私は非常に感じます。同僚の経営コンサルタントあるいは財界の大企業の社長さんなどと行革の問題を議論しますが、やはりなかなか、外からチェックするというのは非常に難しい。ですが、わずか数年でも役所の中におりました私のような人間が見ると、どこを攻めればいいかというのがわかります。  ということは、各省庁のキャリアの官僚をヘッドハンティングして、大蔵官僚よりも上位のステータス、これは給与においても地位においてもですね、逆にスーパーキャリアのようなものをつくって、それを会計検査院あるいは議会事務局に置く、このようなことが実施の上では不可欠かというふうに思います。民間の会計士やコンサルタントはアウトソーシングという形で彼らが使いこなすということをすればいいと思います。パワーが官庁の中にあるわけですから、その中の人のパワーをシフトさせるというのが現実的で、外から幾らつついてもなかなか難しい。中の頭脳を外に引っ張り出すというような仕掛けがないと、評価は現実にはできないというふうに思います。  最後に申し上げたいのは、いわゆるエージェンシー制の問題でありまして、今我が国でやっているエージェンシーは、あれは特殊法人、非常に枝葉末節の部分に関してエージェンシーというふうに呼んでいるだけであります。サッチャーの行革の場合は、御存じのとおり、公務員の七割がエージェンシーに移行したということであって、そのことによって、評価というものが非常にやりやすい体制ができている。やはり政策と執行を分離しない限りなかなか明快な評価はできないというふうに思います。  以上であります。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  7. 原田昇左右

    原田委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。  この際、両参考人に申し上げます。  御発言は、すべてその都度委員長の許可を得てお願いをいたします。また、委員に対しましては質疑ができないこととなっておりますことをあらかじめ御了承いただきたいと思います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。矢上雅義君。
  8. 矢上雅義

    ○矢上委員 自由民主党を代表いたしまして、参考人の皆様方に質問させていただきます。私もまだ参考人質疑は二、三回しかやっておりません。なかなか上手にいかずに大変苦労しておりますが、私がトップバッターということで、きょうは、参考人方々も肩の力を抜いていただきまして、有効な意見交換ができればと思っております。  まず、参考人金本良嗣先生にお伺いいたします。  現在の日本の制度におきましては、議院内閣制をとっております。そういう中で、私たち国会議員に対して情報が偏りがちであるとか、役所の方で行政が滞っておるのではないか、また、行政監察の機関会計検査院等もありますが、幾つかの機関に縦割りになっておりまして、情報の連携、またその情報に対する具体的な施策等に対する連携がなかなかうまくいかないのではないかということが問題となっております。  そういう点を踏まえまして、今後、国会、特にこの当委員会を含めまして、評価監視機関として成長していくためには国会がどういう点に留意しながら取り組んでいくべきか。また、国会、当委員会と各機関との連携等について、金本先生、御所見がございましたらよろしくお願いいたします。
  9. 金本良嗣

    金本参考人 大変概括的な御質問で、うまくお答えできるかどうかわかりませんが、先ほど申しましたように、議会は国権の最高機関としてさまざまなルールをつくるということに特段の機能、長所を持っているということであろうかと思います。  こういう行政の評価監視について最も重要なのは、どういう情報がどういうタイミングでだれに流れるかということであります。こういう情報流れに関するルールづくりというのが、多分一番重要な問題なのではないかと思います。これは法律でやるのか何でやるのかということがありますが、いろいろな形で攻めていくということができるのではないかと思います。  もう一つの問題としては、情報を出せと言ったときに実は情報がないということが多いわけです。行政機関政策をつくる場合に、何を考慮して、どういう形でつくっていくかということについて、ある意味で国民のために有益なものは何かというところからきちんと組み立てていないということが往々にしてあるわけであります。もし、国民のためにベストなものは何かというふうに組み立てると、どういう情報を集めて、それをどう処理して新しい政策評価していくということが出てくるはずなんですが、それが実際には行われていないということで、情報をとろうと思っても有益な情報がないということがございます。  そういう問題を解決するためには地道な努力が必要でありまして、さまざまな立場の人の能力、知見を集めて、こういう情報をこういう形でつくってこいということを言う必要があるということになります。  そういうことを考えますと、国会役割として非常に重要なのは、そういう能力を持っている機関、人間はどこかということを調査して、広い範囲からそういう能力を調達してくるということであろうかと思います。最近、キャリア官僚をやめた方々あるいはやめたがっている方々もたくさんいらっしゃいますし、我々の学会の世界でも、さまざまな形で行政の情報をよくわかっている人間もいます。そういう能力をうまく活用できればかなりのことができるのではないかというふうに考えております。
  10. 矢上雅義

    ○矢上委員 ただいまの金本先生より御指摘がございました点に、どういう情報がどういうタイミングで流れるかが必要であることと、また、意外と情報がそもそもない場合が多い、この二点が述べられました。  実は、私も国会議員になりまして、よく国会が空転するとき、この二つで空転いたします。よく言われるのは、公害が起きたときとか薬関係で副作用が起きたとき、またいろいろ人身事故が起きたときに、あるべきはずの情報がないということになって、それが五年後、十年後にいきなりどこからか出てきたとか、そこで、情報が隠されていたのではないかということで国会が空転することがございます。  また、実際、どういう情報を集めておくか、管理しておくかという基準がないために、本当に情報がなくて出せないときにまで逆に行政とか政治の方が勘ぐられまして、行政の方がその情報を隠しておるのではないかと政治家の方から勘ぐられまして、逆に国会が空転する。そして、感情的になりまして重箱の隅をつつくような議論にさらに進んでいって、情報がない上に重箱の隅までつついちゃうものですから、さらに空転していく。この二つの点が、私どもが委員会の審議等を通してよく感じておることでございます。  この二つが、ぜひこういう新しい流れの中で基準をつくっていければ、大きく改善されていくのではないかと私も実は考えておるところでございます。  ところで、次に上山参考人にお聞きいたしますが、例えば私たち政治、行政が仕事をする上に当たりまして、よく、国会常識、永田町の常識と世間の常識は違う、そういうことを、先生もおっしゃいましたし、私もよく感じるわけでございます。  私が特に感じておりますのは、行政が考えて実行する政策というものは、どんなに早くても五年から十年、うっかりしますと十年から二十年かかって政策が実現するということが当たり前な世界でございまして、普通の民間企業のように、半年とか一年で損得の成果が、コストパフォーマンス成果が出るというところと違いまして、十年、二十年かかるところで、そんな慌ててあれしろこれしろと言われても、口で言うほど簡単ではないよとか、政治家の側も行政の側も特に思っているわけでございます。なかなか評価していただく基準がない中で、どうなっているんだとおしかりを受けても返す言葉がない。そうしますと、私どもも口ごもるというのですか、物言えば唇寒しで黙ってしまう、そういう状況が長年続いてきたと思うのです。  そういう中で、両先生、お二方、問題提起されまして、大きな流れとなりつつございますが、私が今述べました役人も政治家も、そんなの言われたって困るよというのが本音の部分でございます、今のところでは。  そういう中で、米国あたりでは、法制定によりまして、将来的には政策評価を通して、それによって予算とか政策方向性を決めていくというような法律ができたとお聞きしますが、日本状況と、また米国の新たな状況とを比較しまして、上山先生より御所見をいただければと思っております。よろしくお願いいたします。
  11. 上山信一

    上山参考人 二点申し上げたいと思います。  米国の場合は、やはりガバナンスということに関しての国民的理解といいますか、関心が非常に高い。これは、特に九〇年代以降なんですけれども、一般の人たちが、企業から年金をもらうというよりは、むしろ自分で株式投資をして自己責任において自分の老後のお金を担う、こういう社会になったわけですが、その中で、コーポレートガバナンスに関する関心が高まっていった、その延長線上で税金の行方に関しての関心も高まった、こういう社会的な流れがあります。ですから、国民の側の税金の使い方に関する問題意識、これがまずは根っこにないと、政治も行政も変わらない、これがまず一番大きいと思います。日本企業の不祥事も、株主が関心を持っていないからああいうことが起きるわけですね。まずはそこだ。  それから、あと二点目ですけれども、米国の場合特にそうなんですが、日本の場合は法令あるいは手続というものがすべてに優先するというふうになっておりまして、これは金本先生、古色蒼然というふうに表現されておられましたけれども、私もまさに同感で、非常にがんじがらめになっている。ある意味では、お行儀がよ過ぎるんじゃないかというふうに思います。  米国の自治体の議員さんの話なんか聞いていますと、自分たちが住民の利益を代表しているというつもりでおったけれども、行政評価が出てきたので、評価結果がインターネットで直接住民に伝わってしまう、そうすると、行政が直接民主主義を住民とやってしまって自分たちの役割がなくなる、であるがゆえに、さっさと自分たちも勉強してやっていかなくてはいけない。こういう競争原理が議会と行政の間で、ある意味で働いている。こういうような情報公開をやっていけば、いろいろな形で競争が起きる、競争が起きる中で切磋琢磨と改革が起きるというふうに考えておりまして、そういう意味では、やはり手続、法令というもの自体をもっと弾力化しないといけないというふうに思っております。
  12. 矢上雅義

    ○矢上委員 競争原理が議会と行政との間で働いて、より国民に対してよいサービスが行われると私も思うんですけれども、永田町と行政との間で通用する共通言語がありますよね。そして、その永田町と霞が関で通用する共通言語が、しかし現場の一般社会に行くと通用しない。  それは何でかと申しますと、私たち国会議員余りにも行政の専門用語に合わせ過ぎまして——例えて言うなら、建物に例えますと、現場監督さんがいますね。現場監督さんが、とび職さんとか塗装職人さん、鉄骨屋さん、いろいろ使ってやるわけですけれども、じゃ現場監督さんが全部それぞれ専門的にできるかというと、できないわけですね。現場監督というものは、お施主さんというのですか、家を建てる、ビルを建てる方と直接お会いしまして、どういう間取りにされますかとか、どういうテナントが入りますか、家族構成、一般の方々と一般の言葉でしゃべるわけですね。そして、一般の言葉でしゃべって聞き上げたニーズをさらにその専門の方に専門用語でお伝えする、そういうことで成り立っているわけです。実際、私たち国会議員余りにも専門的な世界の用語、専門的な世界にどっぷりつかり過ぎて、見るべきお客様、国民の方を向いていない。  ですから、国民の方を向いてまで霞が関と永田町の共通言語を使うものですから、国民からすると、結局、国会議員は何を考えているかわからぬということにもつながると私は考えております。  そういうことで、両先生が考えておられます、お客様はだれなのか、その顧客ニーズに沿って顧客にわかりやすい言葉で評価していく、評価していくというよりも、評価すべき分野、項目を確立して、その表現についてまできちんと、国民にわかりやすい、直観的にぴんとくる表現に改めるということではないかと思っております。  私、特に厚生委員会等でゴールドプラン等で勉強させていただいておりますが、私どもが出す予算は、例えば老人福祉施設がことしは五百カ所が来年には七百カ所にふえますとか、精神薄弱者施設が千施設から千二百にふえます、予算は何%増額です、そういう予算書になれ切っております。両先生のお言葉をおかりしますと、それでは、実際その老人福祉施設ができ上がったから、今三年入所を待っておられる方々が二年になったとか一年半になったとか、また、福祉施設の整備、ホームヘルパーさんの整備によって、床ずれをしておられるお年寄りの方々が三割から二割に減ったとか、これから先は一割に減らしていこうとか、目に見える形での私どもの努力が確かに足りなかったという点、きょう、先生方の著書も読ませていただきました結果、私も実感しておるわけでございます。  その辺の、我が日本政府、また私たち国会議員に対して、両先生からの御意見等ございましたら、よろしくお願いいたします。
  13. 金本良嗣

    金本参考人 大変重要な御指摘だと思います。国民の目から見て、どういう形で情報を整理して出していくかということが非常に重要ですが、実際に、日本でやはり一番実質的に仕事をしているというのは行政機関でありまして、全部というわけではないですが、いろいろな行政機関でそういう取り組みをしております。  ただ、問題なのは、それは各部局がある意味で自分たちの利益になるからそれをやっているということでありまして、全体として見たときに、そういう努力が信頼されるかというと、必ずしも、自分の得になることしか出していないのではないかという疑念を持たれるということであります。  多分、一番重要なのは、横並びですべての関係する部局に同様なことをさせる、それを集めて相互に比較をして、おかしいものはないかということをチェックする、こういう仕組みが多分一番重要なんだろうと思います。私も行政改革委員会の参与で、少し各省庁方々お話をさせていただきましたが、日本組織でうまくいく方法は、各省横並びで何か制度をつくる、そうしますと、個別案件について非常にかたい守りをしていたところが意外にうまく新しい方向に乗ってくるということがあります。  今の問題としては、そういう各省横並びで仕組みをつくっていくということを考える人たち余りいないということであります。多分その一つの機能を担う一番重要なのは国会委員会であろうと思いますので、そういうことについてお考えをいただきたいと思います。  特に公共事業については、既に各省取り組みが行われておりますので、これを横並びに見てチェックをしていくという仕組みが必要でありますし、規制インパクト分析については、まだ日本では進んでおりませんが、欧米諸国では実際に使われている。こういうものについて、実際にどういうふうにやるとどうなるかということがかねてわかっているものについて、先行的に取り組みを進めるということが必要であろうかと思います。
  14. 上山信一

    上山参考人 大変的を得た御意見だと思います。  私も、行政評価をやるべきだということは、チェック監視という意味もあるんですが、それ以上に、やはり政治家が勉強をする材料、これを入手するという意味が非常に大きいと思います。米国の自治体の人たちとディスカッションをしたときも、一言で言うと行政評価って何と聞きますと、新任の首長が自治体のリストラをするときの基本的なデータである、それがないと何をやっていいかよくわからないうちに任期が過ぎてしまう、したがって行政評価をやるんだ、こういう非常に現実的な答えが返ってきて驚いた覚えがあるんですが、やはり勉強する材料をまず入手しないと、議会による行政のコントロールは難しいというふうに思います。  それから二番目に、入手した情報をどう使うかということですが、私はやはり税金、各家庭の家計のレベルまで落とし込むべきだ。イギリスの市町村のニュースレターを見ていますと、非常におもしろいのは、各家庭がことし平均幾ら税金を払ったかと。例えば二十二万円払っている。それぞれが幾らずつ教育だとか福祉だとかに使われているかというのが、きっちり分けて書かれている。ですから、一家庭当たり何万円分の行政サービスを福祉に関してやっていますというようなことが開示されて、家計簿と対比して見られるような形で出されている。こういうような形で国民に対して行政評価データを環流させていくというのが、やはり私は政治家の仕事ではないかというふうに思います。  それから三点目は、こうやって入手した情報をどういうふうに使うかということですが、私は、競争原理をつくる上で重要なポイントが二つあるというふうに思います。  一つは、先ほど金本先生もおっしゃっていましたが、省庁間の競争。私は、省庁間ということも重要だと思いますが、さらに、議会委員会の間での競争。いろいろな省庁縦割りに対応した委員会があると思いますが、例えば文教委員会というのは行政評価データを使って非常に突っ込んだいい議論をしている、でも、ほかの委員会というのは何か抽象的な議論をしている、こういう形で委員会競争にさらされていく、こういう切り口も要るかと思います。  それからもう一つは、国民との間のチャネルを二本つくる、その間で競うということだと思います。今あるチャネルというのは、一つは、主計局からいわゆる族議員の人たち、このよしあしはさておき、特定利害を代弁しがちな人たち、それから利益団体、こういう流れが一個あって、これが非常に不透明なわけです。これに対して、もう一本別の流れとして、行政監視機関が入手した情報、それが議員の手に渡り、それが一般国民の手に渡る、サイレントマジョリティーを代弁するようなチャネルというものをもう一本つくる必要があって、これをやる上でも行政評価は重要だというふうに考えています。
  15. 矢上雅義

    ○矢上委員 お二方には、大変ありがたい意見をありがとうございました。  最後に、私、公共事業と副大臣制について二十秒だけいただきたいと思っております。  公共事業についてよくチェックしたいとか、いろいろ私自身あるんですけれども、しかし、なかなか、決まった公共事業、先輩がやってきたことだから口を挟みにくいとか、時間がかかり過ぎて今さらとめることができないとか、代替案を考える場合でも非常にタブー視されております。それが一点。  もう一つ。これから始まります副大臣制におきまして、検討するべき材料を提供するためにも、この政策評価システムを導入することが必要です。また、政策評価システムを導入することによって永田町と国民との間に共通言語をつくり上げていきませんと、副大臣制はつくったけれども、検討する材料がないとか、しゃべっても借り物の言葉で意味が通じないとか、逆に副大臣になった場合に大変恐ろしいというぐらいの恐怖感が私もございますので、今後ともお二方の御活躍を祈念いたしまして、私の質疑とさせていただきます。  本日は、ありがとうございました。
  16. 原田昇左右

    原田委員長 次に、前田武志君。
  17. 前田武志

    ○前田(武)委員 民主党を代表して、両先生に御質疑、御意見を聞かせていただきます。  両先生の御意見を拝聴しておりまして、私も意を強くしておるわけでございます。何と申しましても、政策評価というものを、政策目標を明示して、そのパフォーマンス評価することによってやるべきであるという金本先生の御指摘、そしてこのレジュメに沿ってのお話を聞いていて、ある程度整理ができたような感じがいたします。  それと同時に、上山先生の御指摘といいますか、経営診断、経営評価ですかの手法を取り入れての具体的な御説明というのは、私自身も、行財政改革そのものは、むしろ政策評価企業会計的な評価手段を入れて競争原理を導入してやるべきであるということをかねて主張してきたわけでございまして、実は先生のいろいろのお話も聞かせていただいております。政治改革の一番の目的というのは、まさしく制度疲労に陥ったこの国のシステムを変えていく、その一番の政治としてやらねばいかぬのはまさしく行財政改革国民のための最も効率的な政策をどういうふうに実現していくかということに尽きるわけですから。  七、八年前、当時ニュージーランドが行政改革をやり始めて、当時、その手法というものも随分と決算委員会等を通じて勉強したり、それを導入できないかというようなことを何度か申し上げたことがあるんですが、当時、政府においては、数百万のニュージーランドとこの大国の日本と、そんなものは比較にならないよというようなことであったり、市場でできないから政府がやるんだというようなことで、当時は、余りといいますよりも一顧にもされなかったような感じがするんです。その間にいかにアメリカ、イギリス等欧米先進国において真剣に取り組んできたかということを、つくづく、我々もあの当時からもっともっと政治が積極的に働いておればなという感を深くしたような次第でございます。  さて、このレジュメに沿って、まず金本先生に御質問をいたします。  経営弾力化、そしてそのパフォーマンス評価をやれ、こういうお話でございました。パフォーマンスということになってくると政策目標の実績ということになってまいりますが、それはどういうものではかるべきなのか。  会計の方からいうと、それは価値の発生といいますか、あるいは価値が十分発生しなくて、時にはマイナスになっているかもわからぬわけでございますが、そういう価値の発生ということでなければ業績評価というのはなかなかしにくいのではないか。ということになってくると、現在の日本政策を執行するための原資である予算といいますか、そういったものが発生主義になっていないと思うんです。端的に言えば現金主義に近いような会計になっていると思うんですが、その辺のところを、金本先生、御専門だと思いますので、ひとつ明確に整理をして御意見をお述べいただきたいと思います。
  18. 金本良嗣

    金本参考人 そのとおりだと思います。今のお話は、成果をはかるときに、成果というよりはその対応物としてどれだけの資源を使っているか、コストはどれだけか、コストに対応している成果はあるかというところで、コスト面をどう把握するかということであろうかと思います。  その際、現金主義会計で出ている帳簿を見ただけでは、どういう政策、どういうプロジェクトにどれだけお金を使ったかさえ把握できないということがあるのは、おっしゃるとおりであります。基本的には、もう少し違うタイプの会計をつくる必要があるということであろうかと思います。  ただ、これは公共部門の会計システム全体をがらっと変えるという必要があるかというと、必ずしもそうではない。よくいろいろなところで聞くのは、会計システム全体を変えないとできないから十年かかりますというふうな格好でとめに入る方が多いんですが、今コンピューターは非常に進んでおりますから、あるデータを組み直して発生主義に近い形で計算するとどうなるかという計算をするのは、そんなに難しくない。実際、公共事業プロジェクト評価で行われているのは、そういう組み直しをしてコストの予測を出しているというわけです。  したがいまして、会計システム全体を変えずとも発生主義的なコスト算定はできるということで、できるところから早目にやっていくということが非常に重要なのではないかというふうに考えております。  あと成果をどうやってはかるか、どれだけの社会的な便益が発生したかというのをどうやってはかるかということは、実際には非常に難しいことも多いわけです。  ただ、翻って考えますと、成果をはからない今はどうやって意思決定をしているのか。成果を全くはからずに意思決定をしているかというと、実はそうであってはまずいわけですね。そうであれば、役に立たないことをやっているということになってしまう。実際にやっていることは、それぞれの担当の方々がある程度直観的に判断をされている、余りひどいことをしていないということが多分あるんだろうと思います。その直観的に判断されていることをもう少しほかの人々に伝えられる言語にしていくというのが、このパフォーマンスをはかるということである。  したがって、厳密にパフォーマンスをはかるというのは当然難しいわけですが、実際に今行われていることよりももう少しいいことをする、改善するということはそんなに難しくないはずで、そう思って取り組みを進めていく必要があるのではないかというふうに考えております。
  19. 前田武志

    ○前田(武)委員 確かに、民間経営者の方々といろいろ話をして一様に驚くのは、公的会計というのはとにかく減価償却という考え方が入っていないよと言うと、わかっておられるように見えて、実は、民間の方は非常に厳しい経営をやっておられますから、当然政府の方においてもそういうことはきっちり考えてやっているんだろうと思っている人も多いのですね。実は、その辺に一番大きな問題があるわけでございまして、企業会計的な考え方を入れなきゃいかぬということになるわけです。  公共事業、特に箱物等については、これは多分、数値化するのもそれほど問題じゃないでしょう。しかし、今金本先生御指摘のようななかなか成果がはかれないような問題というものについても、今の上山先生の幾つかの例を見ておりますと、定性的な分析をやって、それを物差しを入れて定量化するということは可能だと思うわけであります。  そういった意味においては、前提として、行政情報というものが完全に公開されていなければやりようがないわけであります。実は、日本情報公開というものは、政府においてはもうまことにお粗末なものでございまして、やっとで行政情報公開法が出ますが、これなぞは、レベルからいうと、政策評価等のこの手法にたえ得るといいますか、まあまあ利用できるようなレベルになっているのかどうかという点において、まず上山先生にお聞きしたいのです。  特に、この行政情報というものが単に公表されるだけではだめでありまして、やはりアクセシビリティーというものがなければ評価もできないわけでありますから、そういう意味においては、アメリカのように、できるだけデジタル化する、インターネットの上に、ホームページに公表するというところまでいかなければいけないと思いますが、その辺も含めて、上山先生、情報公開は最低限どの程度必要なのかというようなことも含めて、お答え願います。
  20. 上山信一

    上山参考人 私は企業経営はプロですが、情報公開あるいは行政制度そのものに関しては、ある意味では財界の端におる人間からの感覚ということでしかお答えできないのですけれども、海外の例に照らしますと、まさに先生御指摘のとおり、非常に日本はお粗末というふうに思います。  お粗末な理由というのは幾つかあると思うのですが、伝統的に知らしむべからずというカルチャー、これは大きいでしょう。  それから二番目に、何を公開するべきかということを役人が必死で考える、それなりにまじめな方も非常に多いわけですが、国民が欲しがっている情報が何なのかという感覚がない、ここの問題は非常に大きいと思います。税金がどう使われたのかとか、あるいは、来年は小学校のインターネット普及率をどういうふうにするつもりなのか、それに必要なものはどうかというふうな非常にシンプルな質問に対して、なぜか極めてわかりにくい形の資料が用意され、一体どうなのかよくわからない、こういうようなことになるわけです。それは恐らく、法律、法令の遵守ということが絶対目標であって、国民のために何か仕事をするということが、公務員の職務として遺伝子に組み込まれていないというところが私は非常に大きいと思います。  昔、私もそういう遺伝子を持って生きておったわけでありまして、法律がすべてであって、あと議会がやること、僕たちは法律に書いてあること以外やっちゃいけない、国民と直接対話をしてしまうと議会にしかられると、ある意味では自己規制が非常にきいておりますので。情報公開をすることによって国民側から意見が出てくると、その中から本当に必要な情報は何かということが行政側にもわかるというふうに思います。  あともう一点は、どこまでを開示する、しないかという議論を一般論でやると非常に難しい。企業の場合も、セグメント情報事業本部の経営目標というところまでは出しますが、そこから先は、競合企業に見られるとお話になりませんので出しません。ですから、投資家に出す情報と世間一般に出す情報というのは分けます。ですから、議会に出す情報と世間一般にインターネットで出す情報というのは、ある程度分けるべきですし、外交、軍事機密関係というのは恐らく事後報告しかできない。分野によって基準を分けて議論をしないと、情報公開法の審議のプロセスを見ていても、一般論で議論をすると、非常に特殊な事例がいっぱい出てきて、全体として公開しない方向に行ってしまうというふうに思います。
  21. 前田武志

    ○前田(武)委員 各政策というのは、日本の場合には、各省、各局、各課ごとに、大体法律の形をとってその分野の政策をつくるわけであります。したがって、そういう意味では、情報にしても各課単位の情報ということになってきて、それは国会においては委員会等において、委員会がその意識があれば、かなりのところとれるのではないかというふうに思うのですが、どうも実態はそういうふうになっていないように私は思うのであります。  さて、申し上げたいことは、予算においても、そういった各課ごとの新しい政策というものが毎年上がってくる。片仮名の文字が使われて、そして新規予算はごくわずか、しかし後年度においてそれがどんどん膨らんでいって、サンセットには絶対ならないということになっているわけであります。  予算委員会というのは、これは国会においては筆頭委員会とも言われて非常に重要視されて審議をするのですが、予算そのものの内容については、せいぜい分科会で、そのときにはむしろ族議員の活躍の場という程度の審議でしかあり得ない。  考えてみれば、予算というのは政策目標を定めるようなものでありますから、言ってみれば、それがどれだけ安いコストで効果的に執行されて、そして評価をしたところ、どれだけ効率的にやられたかというのは、むしろ決算の方ではないか、こういうふうに思うのですが、我が決算委員会においては、まだ平成八年度以降の決算がなされていないというていたらくであります。この辺にも、国会が本当に政策評価をやれておるのかということを、私自身がいつも自問自答しながら問題意識を持って恥じておるようなことでございます。  さて、そこで、上山先生に一言だけ、この政策評価において予算よりも決算を重視すべきだという考え方について、どうお考えですか。
  22. 上山信一

    上山参考人 予算と決算、厳密に言うと、やはり両方大事だとは思うのですけれども、今の日本状況においては、予算をどうするかということよりも、先ほど申し上げたように、右肩上がりが崩壊して、それにブレーキをかけていくということが重要な時期でありますので、支出をどうするかという議論よりは、使ってしまったお金に関して評価をして、支出をどう減らすかという議論をしないといけない。予算委員会というのはどこにどれだけ配分するかという非常に華やかな舞台だろうと思いますので、どこに今後配分しないべきであるかという議論をするのが決算委員会ではないかというふうに思います。
  23. 前田武志

    ○前田(武)委員 この上山先生の図表の中に、四つの段階における評価手法といいますか、そういったものが図示されておりまして、非常に興味深く見ていたわけなんです。今ちょっと申し上げたように、行政の場合にはそれがどういうレベルに当たるのかということなんですが、第四段階というのを課ということにすれば、多分、第三段階の戦略計画システムというようなところが日本の場合には局レベル、あるいは省レベルにも当たるかもわかりません。そして、その上に何か専門家的なものがあればいい、こういうことになってこようかと思います。  これは金本先生と上山先生に、多分最後の質問になると思うのでお二人にお聞きをしたいわけなんですが、日本の場合には、議院内閣制、したがって政党内閣制になっているはずなんですが、実態は官僚内閣制になっております。その改革をやるのがまた、政治改革国会改革ということにもなっていくわけなんです。  金本先生の御指摘の中に、あるいは上山先生の御指摘にもありましたが、行政の中で評価をやったって、これは余り本当の評価にならないじゃないかというお話なんですが、本来、政党内閣制になっておれば、政権政党が内閣の中に政治としてきっちりと責任を持つ体制になっている。先ほどの与党の発言の中にありました副大臣制等も含めて、本当に内閣が政治として、そして与党として責任体制がとれているなら、内閣の評価というものがあってしかるべきだと私は思うんですね。  そして、最終的に国会に出てきた場合には、これはもちろん与野党で政策議論をして、ここは決算行政監視委員会ということにもなったわけでありますから、一つはトータル的にこの決算委員会で、あるいは各専門の委員会評価をしていくということに相なるかと思うんです。だから、レベルとしては内閣における、本当の責任ある政党内閣が評価をするということがあってしかるべきでないかというふうにも思います。  その辺のところについて御両人から御意見をお聞かせください。
  24. 金本良嗣

    金本参考人 評価について、外部評価、行政外部の評価が重要であるというのは当然でありますし、内閣の評価が重要であるというのも当然でありますが、現状を見ますと、行政機関内部でも評価が行われていない。したがって、評価のための情報がどこにもない、行政機関自体持っていないということが甚だ多いわけです。  そこで、そういう状態で物事を動かしていくためには、行政機関、各省庁各課ですが、その外部の人がやるべきことは、まずそれぞれの部局で評価システムをつくれ、そのための情報収集、情報処理の流れをつくれ、これをまずルールづくりをする必要があるのだと思います。それができますと、その情報を出せと言えば外部評価もできますし、内閣レベルでの評価もできるということになろうかと思います。  徐々に、例えば公共事業評価等をごらんになればわかりますように、少しずつ行われるようになっておりますが、まだ、その情報が内閣レベルでもきちんと把握できて評価できるシステムにはつながっていないということがございます。おっしゃることは現状でも実は甚だ重要でありまして、内閣レベルでそういう評価情報をまとめて、内閣レベルでの評価をつくるということも一つのステップとして非常に重要なことだというふうに考えます。
  25. 前田武志

    ○前田(武)委員 最後に、上山先生にも同じ質問なんですが、その前にちょっと付言いたしますと、例えば課、局レベルで、先ほど上山先生のサンプルにありましたようなこういう評価をみずからやらせる。そして、省庁レベルにおいては、それを各省庁の持っている分野ごとの大きな政策目標に関してやはり同じような評価をさせる。  そして、内閣、申し上げているのは、私の言っているのは我が民主党が政権をとった場合ですよ、このときには、むしろまさしく政治が責任を持つ、官僚制内閣ではなしに政党内閣にしたいと思っています。したがって、与党の政調部会長というのはすべて何らかの格好で内閣の中に入る、副大臣か政策担当の政務次官か知りませんが。そういった格好で一体化した中においては、内閣そのものが今度はそのトータルの政策評価を、これは、行監局を指揮しながら、外部の監査も専門家も入れてそういう装置をつくってやるということも可能かもわかりませんですね。イメージとしてはそういうのがあります。  そして、結果は国会に出てくる。そこを、国会において活発な議論で国トータルとしての評価につなげていくというのが私のイメージなんですが、そんなことを前提にしながら先生の御意見を、御所見をお聞かせいただきたいと思います。
  26. 上山信一

    上山参考人 今の先生のおっしゃった管理のイメージですね、これは英国がやっているシステムに近いんじゃないかというふうに私は思います。  英国の場合は、サッチャー首相が出たときに、効率室というものを首相直属でつくっております。内閣というふうに厳密に言えるのかどうか、私は制度の専門家ではないのであれですが、いずれにしても、首相がみずから行政のパフォーマンスに関してのチェックをするんだということで、マークス・アンド・スペンサーというスーパーマーケットの取締役をヘッドハンティングしてきて経営チェックするセクションをみずからつくった。その上で、各省庁にフィナンシャル・マネジメント・イニシアチブという名前のプロジェクトをやらせたわけでありますけれども、各省庁がまさにここにあります戦略計画システムレベルのことを正しくやっているかどうか指導する。ですから、内閣がリードして各省庁が戦略計画システムをやる。この二つでもってうまく動かしていったというふうに思います。  米国の場合は比較的おくれておりまして、やはり大統領と議会が常に政治的な意味で対立しますので、GAOは非常にいい仕事をしているというふうに思いますけれども、なかなか大統領と議会と行政が一体になってこういう運動に取り組むという体制がなかった。GPRA法で評価結果と引きかえに予算をつけるということを法制化してから一気に動き出した、こういう経緯があります。
  27. 前田武志

    ○前田(武)委員 終わります。
  28. 原田昇左右

    原田委員長 次に、福島豊君。
  29. 福島豊

    ○福島委員 両参考人には、本日は大変お忙しいところ、貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。  今お話を聞いておりまして、政策評価ということでございますけれども、大切なのは、その評価を受けて政治がどのように機能するのか、ですから、政の部分をきちっと考えていかなきゃいかぬというふうに私は思っております。  まず初めにお聞きしたいのは、本来であれば、国民の代表である議会が行政のあり方というものに対して監視をし、評価をするということが想定されていたわけですけれども、実際にはなかなかそれが機能しなかった。そういうこともあって、新たにその評価のシステムをどうするのかという議論になっているんだと思うんです。  なぜ議会が行政の監視または評価において機能しなかったのかということについては、いろいろな意見があると思います。先ほどもございましたように、情報が非常に足りない、議会の側には不足しているということもあろうかと思いますが、もう一つは、官の側による政の取り込み。例えば、さまざまな形での利益誘導、そしてまた間接的に集票行動にも関与するというような仕組みが今までの間に築き上げられてきた、それによって政の側は官に対しての距離というのを保てなくなったんだということが言えるのではないかと思いますが、この点についての両先生の御意見をまずお聞かせいただきたいと思います。
  30. 金本良嗣

    金本参考人 私自身は政治学者でございませんので、そういう政治的なメカニズムがどう動いているかについてきちんとした識見があるわけではございませんが、外からいろいろなことを拝見させていただいている限り、ある程度そういう観察が当たっている面があるのだと思います。  基本的に、日本はきちんとした民主主義国家でありますから、制度上はきちんと動いているわけですね。国会がきちんと全部決めている。その限りにおいて行政機関国会コントロールに服しているということは正しいわけで、実質的に官僚組織が政治的なアクターとして大きな機能を果たしているということはあるかもしれませんが、制度上はきちんとできている話ですから、その制度上できているものをいかにうまく動かしていくかということに尽きるのではないかと思います。  基本的にイニシアチブをとれるはずなのは議会側でありまして、官による政の取り込みが問題ならば、議会の方でお考えになる必要があって、官僚機構の側に考えろと言われても、制度上、実は官僚機構の側には権限がない問題だということになるのではないかと思います。  実態的になぜ官による政の取り込みのようなことが機能したかということは、私には、一番重要なのは、やはり先ほどから申し上げております情報の問題だと思われます。基本的に、情報があれば本来権限を持っている立場の人間がコントロールできるはずでありますが、情報が偏在しているためにきちんとコントロールできないということがあったと思います。  その際重要なのは、どういう情報がどこにあるかということを知ることもできなかった。各原課にこういう情報があるから出せと言えば、職務権限等があれば出させることができるわけですが、それがわかっていないときには、漠然とこういう情報が欲しいと言っても、ありません、どういうのが欲しいんでしょうかといってたらい回しにされて終わりということになるかと思います。基本的に重要なのは、どういう情報を各担当部局が収集してそれを公開すべきかということまで立ち入って議会ルールをつくるということをしなければ、こういう実質的に行政機関の側が力を持つということは避けられないというふうに思います。  アメリカの役所の方々議論をしていますと、やはり非常に認識が違う。裏はどうかわかりませんが、必ず表向き言われるのは、我々は意思決定者に対してサポートをしているだけだ、どういう代替案があって、それぞれの代替案が実際に行われるとどういう効果を持つか、こういう情報提供をしているだけだというふうに言われます。  基本的には行政機関立場というのはそれが原則なんだと思いますが、そういうものが機能するためには、行政機関を使う側が、どういう情報をどういう形で集めてどういう行動をしろということをかなり細かく規定する必要があるということで、立法の世界で対処をする必要があるのではないかというふうに思っております。
  31. 上山信一

    上山参考人 官による政の取り込みということですが、恐らく政と言ったときに、大臣、役所の中に入ってしまった方と、それから議会側にいる方と、二つ、両方あるんだろうと思います。現実的に今そのようなことが起きているのは私は肌で感じるわけですけれども、もちろん分野にはよると思いますけれども、やはり予算をつけるというプロセスにおいてはかなりそれが露骨に行われる。  ただ、考えてみますと、企業の場合でも、実はこれは日本ガバナンスの弱い組織では同じことが起きていまして、事業部というのは赤字であっても必死で組織の存続のためにもっと投資をしたいあるいはもっと人をふやしたいというふうに勝手に行動するわけです。ですから、それをコントロールするのが経営側の責任で、まずは大臣、それから総理、こういう順序で本来はそこが機能しなくてはいけないというわけですね。  先ほどから申し上げている行政評価情報、約束したとおりの予算をつけてそのとおり仕事をしたのかということを評価しない限り、大臣というものは役人に対して機能しないわけですから、任期が二年弱というようなことでありますと、なかなかその一サイクル回るだけのものがない。決算委員会も二年おくれ——一年おくれですか、ですから、現在のシステムでは、大臣がこれをやれと言ってそのとおりやったかどうかということを評価できないうちに任期が終わってしまう。これでは、経営による執行のコントロールというのがもともとできない会社である、それが日本政府現状だというふうに思います。  このことは制度的な手当てが必要だと思うんですが、もう一つ重要だと思うのは、やはり主計局というものが何をしているかということを、徹底的にプロセスを公開させるということだと思います。例えば、主計官と各省庁の接触には必ず議会事務局のだれかが立ち会うとか、第三者がそこに必ず立ち会う、あるいは議事録というものを書かせるというようなことをやるだけで、かなりオープンになってくるというふうに思います。  あと政策と執行を分けるということもこれは非常に重要で、政策のブレーンが執行部隊の中にまじっているので、なかなか政治側としては執行に対して一方的な命令ができない。知恵袋が執行側にいるわけですから、予算か何かと引きかえに知恵をもらう、こういう構造になってしまうので、やはり政策と執行を分断しない限り執行機関の独走というものはストップをかけられないというふうに思います。
  32. 福島豊

    ○福島委員 次に、先ほど上山先生は、日本は十年から十五年おくれている、しかし、先にそういうモデルがあるんだからそれを移植することは比較的日本にとっては容易ではないかという御指摘だったと思うんですが、私は、日本の有権者の意識というのは随分違うんじゃないか。アメリカであれば、独立戦争のきっかけというのは税金の問題だと思うんですね、税を納めるということに対しての意識がそもそも違うんじゃないかと。  コーポレートガバナンス、これが変わっている最大の原因は、やはり株主の力が強かったからだと思うんですね。それは日本も追いかけようとしていますけれども、日本においては株主の力というのはそれほど強くありませんね。株式の持ち合いというようなことで相対的に一般の株主の力というのは相殺されておる。  これは、政治の世界においても恐らく同じなんじゃないか。政権与党に対して、例えば農業団体ですとか経済団体ですとか、非常に強固な集票能力を持つ団体が支持しておる。これは株式の持ち合いみたいなものでして、一般の株主の意見というのはなかなか届かないというような仕組みになっておるんじゃないか。逆に、その中で有権者、一般の株主は白けておる。  私、先日の東京都知事選挙を見て非常におもしろいなと思ったのは、東京都政に何の関係もないことばかり言い続けた候補が当選をするというのが現状だと思うのですね。となると、幾ら政策評価をしようが、そういうことを唱えている人は当選しないんじゃないか。政策評価というのは、アウトプットとして何かを改革するということがそこになければ意味がないわけですね。では、改革をするのはだれかといえば、これは政の側の責任、自治体であれば首長なんだというふうに私は思うのです。  先ほども上山先生のお話に、自治体の側からだんだん国の側に行ったんですよと、企業、自治体、国と。そこには、自治体には非常に意識の高い、そしてまたリーダーシップのある指導者がいて、改革を進めた。日本の場合には、どうもそこのところのプロセスは、三重県のようにうまくいっているところもあるのでしょうか、よく詳細はわかりませんけれども、そこのところが歯車がうまく回らないんじゃないか。日本の有権者の意識というのはそれほど高くないのではないか。ですから、十年、十五年どころの話ではないのではないかというような思いがするのですが、上山先生の御意見をお聞きしたいと思います。
  33. 上山信一

    上山参考人 有権者というのは、私は日本の場合は二種類あると思いまして、行政に依存して、払った税金よりも多くのメリットを得ている人たち、それから、払った税金以下のメリットを受けている、経済自立人というふうに私の友人の政治学者が言っていますけれども、行政依存人と経済自立人の二種類が日本にはいて、経済自立人は日本をジャパンにしたいと思っているけれども、行政依存人は、いつまでも日本日本であってほしい、日本は特殊だという議論をずっと展開する。  それで、有権者の意識というのは、この二種類両方を見る必要があると思うのですが、私は、自治体というのは、やはり変化を見ていく上で非常におもしろいと思います。  というのは、首長は一人しか選べない。小選挙区制と同じでありまして、たった一人しか選べないので、行政依存人型の人たちが担ぐか、経済自立人型の人たちが担ぐかという、この二種類の構図が非常にはっきりしてくれば、いわゆるサイレントマジョリティーの人たち、つまりバリュー・フォー・マネーというものを意識する人たちの顔を向いた首長というのが出てくるだろうというふうに思います。任期がしかも四年ありますし、四年あればかなりのことができる。二期、三期というふうにやっていけば、私は、かなりおもしろいモデルが出てくるのではないかというふうに思います。  特に期待したいのは、やはり政令指定都市でありまして、都道府県というのは、霞が関から見ると出先部局みたいなものにしか見えなくて、予算を配分している機関でしかない。やはり末端で、市民と一緒に格闘している市町村で、しかも経営規模が大きくて人材も豊富な政令指定市、ここが変わるというのが日本国全体が変わる切り口ではないかというふうに私は思っています。
  34. 福島豊

    ○福島委員 さらに引き続いて上山先生にお聞きしたいのです。  先ほど先生は、アメリカの自治体の例をお出しいただきましたが、ただ、日本の場合には補助金制度がありますね。ですから、自治体独自の事業を行うということは、かなりの財政力のあるところでなければできない。それ以外はがんじがらめになっていて、がんじがらめになった中でやる以上は、評価も何もあったものじゃない、とにかくどういう補助金の申請書を書いて、もらうのかというところにとどまっておるというところが大多数ではないかと思うのですね。ですから、ここのところも変わらなければ、本当の意味で地域からの改革を進めていくことはできないと思うわけですが、この点についても先生の御見解をお聞きしたいと思います。
  35. 上山信一

    上山参考人 確かに、地方交付金がないとやっていけない自治体というのは非常に多いわけですし、税収そのものがそういう構造になっていますので、いわゆる財政の自主権というものがないというのは事実だと思います。  ですが、それでもやり始めることは可能であって、まず財政自主権がないから行政評価ができないという理由にはならないわけですね。このように財政自主権が実はないのだということを行政評価を通じて訴えることもできるわけであって、難しいから何も始めないというのは、私は理由にならないというふうに思います。  それから、郡部の首長さんと時々話をするのですが、彼らは非常にしたたかで、公共事業とか国からもらえるものはどんどんもらおう。今のうちにどんどんもらって、自分たちのコンペティターである霞が関から資源をどんどんこちらに移して、その上で、自分たちがやりたいことを将来やれるように、公共事業でもらうものはもらい、一方で自分たちはリストラをどんどんやる、こういうふうな次元に移っている首長さんもたくさんいます。国対地方というのは、まあ内乱だとは言いませんけれども、ある種構図としては非常におもしろい対立構図ができてくるのじゃないかというふうに思います。唯々諾々としている首長だけではないというふうに思います。
  36. 福島豊

    ○福島委員 それから次に、もっと細かな話でございますが、政策評価の対象領域の話なんです。公共事業ですと、例えば道路をつくってどうだとか、この空港をつくってどうだとかというふうな話は非常に私たちにもわかりやすいのですけれども、特に教育ですとか福祉とか医療というような分野に関しては、先ほど先生、オレゴン州の戦略目標を出していただいたのですけれども、そういうふうに話が非常にすっきりいくのかなというふうに思うのです。  例えば、この八ページの表ですけれども、十歳から十七歳女子の妊娠率というようなことが書いてありますけれども、目標が立っているわけですね、二〇一〇年には一・〇にしたいと。こういうことというのはどうなんだろうか、本当に数字だけ挙げただけで、具体的にどうするのかなというような思いもあります。  それから、先ほども矢上委員の方からありましたけれども、一定の施設規模をつくる、これは政策の具体的な数値ですね。それによってどういう満足度が得られたかというような評価についても、これもいろいろな価値判断の指標というのがあって、なかなか数字になりにくい部分もあるのじゃないか。分野分野によって政策評価というのは考え方が変わっていいのじゃないかなと私は思うのですが、その点についての御見解をお聞かせください。
  37. 上山信一

    上山参考人 まさに御指摘のとおりで、実際に行政評価をやろうと思うときに、まず最初に出てくる問題はそれであります。ですが、海外で実際に運用して、予算の削減にまで生かしているケースを見ますと、とにかく施策のレベルまでは全部分解して出してみる。数字で目標が立てられるものは立てるし、立たないものは立たないというふうに明快に書いて、そのことも住民に開示する。  アメリカのオレゴン州にムルトマカウンティーという自治体があるのですが、そこの評価報告書をこの前友人とともに翻訳して出版したのですが、それを翻訳するプロセスで非常におもしろいと思ったのは、この指標というのはとれない、とれないけれども、みんなで議論したいのでやり方について意見があったら言ってくれというようなことまで行政側が書いている。  それからもう一つの重要なポイントは、確かに女子の妊娠率とかあるいは成人の喫煙率、こんなものまで諮ってどうするのとか、あるいはこれでどういう政策をするのかという議論になるのですが、住民にとって重要なのは、こういう状態にオレゴン州がなるということでありまして、それをやるためにはまず自分たちが何をするか、そこからスタートするわけですね。その上で、企業がやること、教会がやること、学校がやること、NPOがやること、行政に頼むことがあったら頼もう、そういうことならば税金も払うかな、こういう順序で物は考えるわけであります。  日本の丸抱えの自治体の体質の中では、こういう表を見せると、確かに、ここまではできませんというふうな答弁が役所側からかかってくると思うのですが、だれがだれのために行政をチェックしているのかという主語と対象をはっきりさせれば、これはむしろ議論のスタート、切り口でありまして、その上で、だれがやるかということは後で考えればいいということだと思います。     〔委員長退席、佐藤(静)委員長代理着席〕
  38. 福島豊

    ○福島委員 最後に一点だけお聞きいたします。  最近、自治体破綻ということが言われているわけですね。公共団体の経営民間のものに近づけようということが基本的な発想の根本にあると思うのです。であるならば、民間企業でしたら、失敗すれば市場からの撤退を余儀なくされるわけです。ですから、公共団体も破綻をして失敗したら、もうその団体はつぶして、ほかのところに切り分けて、合併させて、全部リストラしてしまうというぐらいのことがあってもいいんじゃないか。自治体更生法というのですか、そういう発想もなければ、どうせこのまま何とかなるよという根本的なムードというのは変わらぬのじゃないかというような思いがありますが、その点について、上山先生の御意見最後にお聞きしたいと思います。
  39. 上山信一

    上山参考人 まさに御指摘のとおりでありまして、自治体が破綻すると大変だというふうにマスコミ紙上で書かれていますが、私は、経営能力のない組織が破綻するのは当然であって、むしろもっと早く破綻するべきであるというふうに思います。  破綻したらどうするのかというのは、代替手段というのはいっぱいあるわけでありまして、民間企業がやる、あるいはもっと効率のよい隣の自治体がやる、このような受け皿は現実に描いてみれば可能です。それから、職員が公務員でなくなって別の形で、NPOの職員として、あるいは民間企業の専門業者として継続すれば、公務員の大失業問題というのも現実にはないわけですから、私は、実際に絵をかいてみれば非常に理にかなったアプローチではないかというふうに思います。
  40. 福島豊

    ○福島委員 どうもありがとうございました。
  41. 佐藤静雄

    ○佐藤(静)委員長代理 次に、佐々木洋平君。
  42. 佐々木洋平

    ○佐々木(洋)委員 金本上山参考人には本当に御苦労さまでございます。  先ほど貴重な意見陳述をいただきまして、大変参考になりました。また、質問の中にも貴重な御意見をいただいたと思っております。  そこで、大分重複する可能性があるんですが、ちょっとだけお伺いしておきたいと思うんです。先ほどの話の中で、決算というのは非常に大事だということで、我々、この委員会決算行政監視委員会ということで発足したわけでございまして、現在、そういう意味ではそれなりの活動をしておるというふうに思いますけれども、両先生に、今後の望ましい方向といいますか、何か感想があったら承りたいと思います。
  43. 金本良嗣

    金本参考人 きちんと考えていることではないのですが、基本的に評価監視の方に行くということは、具体的な例が出てこないといつまでたっても進まないということであろうかと思います。何をどうすべきかということをいつまでも議論していても仕方がないということでありまして、とりあえず、決算関係情報及びそのほか組み合わせて使える情報評価監視機能を果たしていくということであろうかと思います。  その際、私自身よくわからないのは、決算情報が出てくるには随分時間がかかるということであります。決算を重視するということは非常に重要ではあるのですが、国民の関心あるいは議会の関心はこれから何をするかということにあって、過去の責任追及は、非常に目立った例については注目を浴びるわけですが、そうでないものについてはそんなに時間を使うようなものではないということであります。したがって、一番の問題なのは、決算情報と今の政策課題との間をどうつないでいって、今の政策課題にとって有益な評価監視機能は何かということを具体的な例を使って考えるということであろうかと思います。  評価監視テーマ幾つかございますが、公共事業評価については一番先行して各省庁取り組みが進んでおりますので、この辺をベースに活動をするのも一つ考え方ではないかというふうに思っております。  以上でございます。
  44. 上山信一

    上山参考人 まさにこの委員会の名前のとおり、行政監視というのは、先ほど私がお話ししましたとおり、ますます重要になってくるというふうに思います。  具体的にどこから始めるかということですが、繰り返しになりますが、やはり予算策定、予算と引きかえに各分野ごとの業績というものを出させる。これは何年かプロセスを踏まないとできないわけで、アメリカの場合も、七年かかってそこまで持っていくということを法案を立てるときから埋め込んでいるわけですけれども、今から何年後にはそういうシステムに移行するということをアナウンスするだけでまず相当違うので、やはりぜひ立法化するということが重要だと思います。予算と引きかえですね。  それから二番目が、現在の制度の中でも恐らく、国政調査権というんでしょうか、いわゆる質問主意書などを役所に投げるときに、例えば私の資料にあります初等教育の例のような、フォーマットそのものまで指定して、あるいは場合によっては中の施策のリストまで指定して、この空欄を具体的に数字で埋めてこいというような形で出せば、何かは埋めてこないといけないので、そこから議論が始まるというふうに私は思います。文章で幾つか質問を出すだけじゃなくて、具体的なフォーマット、数字を出せというような形で、どこかの分野でサンプル的なものを委員会の場でつくり始めるということができるのじゃないかというふうに思います。
  45. 佐々木洋平

    ○佐々木(洋)委員 ありがとうございました。  評価基準の作成と立法府の関与の仕方についてちょっとお伺いしてみたい。両参考人にお願いしたいんですが、この施策や政策評価を行うに当たって、評価者の主観というものが非常に強く介入する場合があると思うんですね。その結果、評価者によっては異なった評価が出る可能性もあるわけでございますが、それを避けるために、客観的なものだとか統一的な評価基準というものをつくるべきだろうと私は思うんです。それに立法府が積極的に参加すべきだという意見、いろいろ分かれるんですが、両参考人、その辺はどのようにお考えになりますか。
  46. 金本良嗣

    金本参考人 非常に簡単な事業ですと客観的な評価は可能なんですが、日本の国として議論に値するような政策については、完全に客観的な評価はまずあり得ない。必ず灰色の部分が出てきて、主観的な要因が入らざるを得ないということだと思います。したがいまして、評価をする、あるいはさせる場合には、どこの部分がどういう根拠で出てきていて、その客観性はどうかという判断ができる、そういうことが必要だと思います。  もう一つ重要なのは、評価は、点数がついて、そのまま直接アクション、評価がほかよりも〇・一高ければ、そちらの方が優先して実施されるというふうな使い方を想定しては間違えるということであろうかと思います。  随分前ですが、PPBSというのがはやったことがあって、結局どこの国でもうまく使えなくて、その後PPBS自体を使うケースはないと言っていいんですが、PPBSがなぜ使えなかったかという一つ理由は、行政機構内部で機械的なルールとして使えるような評価システムを求めたからだということであります。  そういうふうに使えるような評価手法というのは存在していないということをまず認識しておく必要がある。どういうことをやっても精度は高くない。公共事業プロジェクト評価は精度は高い方ですけれども、それでも一割の精度があるかというと甚だ疑問です。ただ、二倍、三倍というふうな誤差は多分ないだろう、その程度の話であります。  したがいまして、こういうものを使うときには、意思決定のための参考資料として使うという立場を崩してはならない。国会での議論も、評価した結果はそういうものとしてお使いいただく。それをベースに、いろいろなほかの視点からの議論を加えていただいて、最終的な意思決定に持ち込む、こういったものであろうかと思います。
  47. 上山信一

    上山参考人 確かに先生がおっしゃるとおり、絶対的な評価というのは難しいし、分野によっては測定不能というものもあると思います。  ですが、だれのための評価かという原点に立ち返りますと、税金を払っている納税者、国民視点から見た評価ということであって、それは主観的なものを足し込んだものであっても、どこかにあるわけですね。技術的にそれをはかるのが難しい場合であっても、やはり仮の指標を置いてみて、それを議会の場でオープンに出してみる、あるいはそれを情報公開して国民に出すという、そのプロセスそのものが民主主義だというふうに私は思っておりまして、絶対的な評価がなくても、仮の指標を出して議論をしてみる、そういう情報開示そのものがまずはかぎだというふうに思っています。
  48. 佐々木洋平

    ○佐々木(洋)委員 時間がないので、二点続けて質問させていただきます。  一つは、先ほど上山先生が、行政府の業績評価を法律で定める、いわゆるアメリカ政府業績成果法ですか、そのようにすべきだという意見があったわけですけれども、金本先生はやはりそういう法律にすべきだと思いますか。それが第一点。  次に、アメリカでは、多くの連邦政府のプログラムに関して一年または数年の期間に限って歳出権限を与えるという歳出授権法案の時限化の仕組みがとられておるわけでございます。これによって、この法律の期限が到来したときにプログラムを継続するかどうかについて所管の委員会評価をする、こういう仕組みがあるわけですが、両参考人、この仕組みというのは日本ではどういうものですか、お伺いしたいと思います。
  49. 金本良嗣

    金本参考人 アメリカの法案と同じものが日本でうまく機能するかどうかということは、必ずしも明らかではないと思います。議院内閣制と大統領制という相違もございますし、議会に、予算を決める権限幾つかの委員会に分散してあるというふうなアメリカ仕組みがございますので、日本でどういうものをつくるべきかというときには、もう少し考慮をする必要があるかと思います。  ただ、どういうタイプの法律にするかはともかく、何らかのルール国会でつくるということは、こういう評価監視のシステムを機能させる一つの大きな力になるのではないかというふうに思っております。  その際、日本現状ではまだ情報公開余り進んでいないということを考慮しておく必要があって、米国ですと、既に情報公開が非常に進んでおりますから、行政当局以外の立場の人間が有効な政策案を出すことができるという状況ですが、日本の場合は、必ずしもそういう状況ではない。したがいまして、例えばこういう評価の法律をつくって、それと予算をリンクしますとどういうことが起きるかというと、各省庁情報を隠すだろう。それが起きると、システム全体がストップしてしまうということが考えられます。  まず、今の段階は、評価のための情報がきちんと出てくるような仕組み、そのためには各省庁のインセンティブを余りゆがめないというふうな格好で制度設計をする必要があるのではないかというふうに考えております。
  50. 上山信一

    上山参考人 私は、本来あるべき姿というものを立法化するという作業と、それから、実際にそれを機能させるためにいろいろな仕掛け、作戦を埋め込んでいくという両面の作業が要ると思います。原理原則は米国のGPRA法と同じことが日本でもできるというふうに私は思います。  ですが、それには幾つかの条件がありまして、先ほどスーパーキャリアと私は言いましたけれども、ある意味では主計官よりも地位的にも権力的にも上位であるというような、査定の能力を持った役人のOBというものが、議会の側あるいは会計検査側というところにいて実際のアドバイスをしないと、にせものの情報が上がってきたときに鑑別する能力がない、こういう問題があるので、人の問題、これがやはり現実には非常に大きい。  それから、あともう一つは、インセンティブの問題も確かにあります。ですが、例えば予算を減らしたらその半分は各局で自由に使っていいとか、いろいろな形でインセンティブというのは具体的に与えることができる。民間企業の場合も、一九七〇年代のアメリカの大企業議論を見ていますと、全く同じ議論がされているんですね、できっこないとか、あるいは測定できないとか。ですが、実際にやり始めていく中から、情報がオープンになっていくと、それは違うとか正しいとか、いろいろな議論が起きて、結果としてみんなが納得できるものしかお金はつかないという方向に行く。  ですから、まずはやり始めてみるべきであって、若干荒っぽいけれどもとにかく入れちゃうということをしない限り始まらないというふうに思います。
  51. 佐々木洋平

    ○佐々木(洋)委員 以上で終わります。  ありがとうございました。
  52. 佐藤静雄

    ○佐藤(静)委員長代理 次に、辻第一君。
  53. 辻第一

    ○辻(第)委員 私は、日本共産党の辻第一です。  事務事業評価監視システム導入に関する参考人質疑ということで、金本参考人上山参考人、お二方にお越しをいただいて、貴重な御意見を拝聴いたしまして、大変勉強させていただきました。ありがとうございました。順次お二方にお伺いをいたします。どうぞよろしくお願いいたします。  事務事業評価システムを考えますときに、公共事業問題を抜きにしては考えられないわけでございます。近年大きな問題になっております浪費型の公共事業、巨大公共事業の問題、あるいは着手当初と比較していろいろな諸条件に変化があったにもかかわらず継続をされている公共事業の問題、公共事業をめぐる状況の中で、事業の再評価の持つ意味合いや役割は大きなものがあると思います。  既に、国における公共事業の再評価は、建設省所管公共事業の再評価実施要領、運輸関係公共事業の再評価実施要領などによって取り組まれております。この再評価実施の際に、再評価結果が国民に納得のいくものであるかどうかが最大の問題だと思います。例えば、再評価の結果が所管省庁事業強行のお墨つきになってはならない、このようにも思うわけでございます。  さて、事務事業評価に際して、公平性といいますか、国民全体を納得させる事務事業評価の実施にとって何が一番大切だとお考えでしょうか。お二方にお尋ねをいたします。     〔佐藤(静)委員長代理退席、委員長着席〕
  54. 金本良嗣

    金本参考人 基本的に、こういう再評価システムもそうですが、それぞれの事業をきちんと詳細に見て評価をしていくということでありまして、その際、例えば公共事業ですと、土木、建築関係の識見も必要でございますし、コスト状況の把握も必要でありますし、いわばある程度経済的な計算も必要だというふうなことになります。それで、基本的にこういう評価を行うにはさまざまな専門家能力を集めるという必要がある。  そこで、きちんとした能力が集められているかということが非常に重要になるわけですけれども、問題なのは、そこをどうすればいいかということについて機械的なルールはないということであろうかと思います。だれがいい評価ができるかについて自動的にわかるわけではない。  したがって、一番重要なのは、それぞれの人たちが責任を持って評価をするわけですが、それの中身をほかの人が見て、この評価は私の意見とは違うといった形の議論ができる、その議論の中で評価手法等について淘汰されていく、そういうプロセスが働くということが一番重要なんだろうと思います。したがいまして、こういう再評価システム等も透明性を保つということが一番重要なんだろうと思います。  最終的な意思決定については、それぞれの意思決定権者がそれぞれの責任で行わざるを得ないということでありますので、それ以外のルートを横から差し込むということはできないことではないかというふうに思っております。その意思決定権者がきちんとした意思決定をしたかどうかということについての判断材料が明らかになっている、それについて、その後さまざまな形で、選挙等で国民のリアクションが起きる、そういうシステムしかないのではないかというふうに考えております。
  55. 上山信一

    上山参考人 私は、日本の行政を考えた場合に、評価をするときの基本的な目的というものを、やはり分野別、それからあと、その時々の社会情勢によって時々確認しながらやる必要があるというふうに思います。  現時点であれば、私は四つの行政の仕事があると思います。一つサービス民間企業ができないサービスをやるということ。もう一つは、民間企業だとできないようなインフラづくりをやる、いわゆる公共事業ですね。それから三つ目が、雇用対策としての公共事業。四つ目が規制をするということだと思います。それで、その時々の政治目的あるいは経済状況によって評価の仕方というのはおのずと変わっていいと思いますし、分野ごとにやり方も違う。  サービスに関しては、英国がやりました手法ですが、マーケットテスティングというのがありまして、全く同じサービス民間企業がやったら幾らかかるのか、それより高いか安いか、民間の方が安ければ自動的に民営化してしまう。  規制に関しては、これはやはりプロの手をかりないと本当にいい規制かどうかというのはわからないので、これはプロの研究者などに任せるというのがいいと思います。  箱物に関しては、雇用対策でやっているむだな事業は別としまして、本当に必要なものは幾つかあるのだろうと思います。それに関しては、これも、民間企業がやるのと同じ収益還元法ですね、その収益還元法で見ていった場合に、恐らく現在の道路公団がやっている事業の半分は全くのむだ、経営が成り立たないというような結果が明快に出るだろうというふうに思います。  それから、雇用対策としての公共事業に関しては、雇用を創出しているけれども、それ以外の害悪をばらまいていないか、自然を破壊していないかといったようなネガティブなチェックをむしろかけるべきだと思います。
  56. 辻第一

    ○辻(第)委員 この間、公共事業の再評価が行われ、とりわけダム事業については新聞を大きくにぎわわせてきました。昨年八月には十九のダム事業の中止や休止が決まりました。先日も、建設、運輸両省の公共事業の再評価結果が発表され、十二のダムの中止や休止などが発表されました。しかし、評価対象となった事業が建設省で五千七百二十四事業のうち、再評価中の五百二十を除く五千二百四事業中、中止、休止はわずか三十四事業です。  これを見ますと、現在の事業評価制度の実が伴っているのだろうかと思わざるを得ません。再評価を実施する際、事業評価委員会を設置するなどしているようですが、これが本当に客観性を確保するシステムになっているのかどうか、金本先生のお考えをお伺いいたします。
  57. 金本良嗣

    金本参考人 私、ダムについては全く調べておりませんので、判断ができかねます。  基本的には、再評価結果の報告書を見て、それがどういう状況なのかという個別具体の話をしないと決着がつかない問題であろうかと思います。したがいまして、今の段階で、これがうまくいっている、うまくいっていないという判断は、残念ですができかねますということでございます。
  58. 辻第一

    ○辻(第)委員 次に、上山参考人にお尋ねをいたします。  事業評価をする場合、当然、事業の中止もあり得るわけであります。むだや不要な事業をただ着手済みというだけでなお継続することは慎まなければならないと思います。とりわけ補助事業において、進行中の事業の中止など考えていないではないか。この間、事業中止に際して補助金の返還問題があります。これをどうするのかということをお尋ねしたいと思います。  こうした点がネックになって正当な事業評価が行われなくなるのではないか。もちろんこうした中止に至るような事業を計画し、あるいは相当年月を経て中止に至ったことに対する事業者の責任自体は厳しく問われるべきことは言うまでもありませんが、この補助金の返還問題、これをどうするのかということでお尋ねをいたします。
  59. 上山信一

    上山参考人 補助金の問題は、私はかなり門外漢に近い領域に入っておりますので、具体的に正面からのお答えはなかなか難しいのですけれども、企業経営に照らして、また同じような形で考えてみますと、よそから金がつくのでこの事業をやる、これは規制産業、航空会社であるとか金融機関、あるいは電力、通信、こういった企業でも非常によく見られることでありまして、補助金をもらうために必要のない事業をやる、こういうビヘービアはなかなか消えないわけであります。  しかしながら、現在の日本の構造の中では、地方で雇用を確保するためには若干の公共事業的なことをやらざるを得ない。経済効果があると私は余り思いませんが、雇用創出効果はあるわけで、やはり評価をするときに、雇用はどれだけ出たか、地域の経済発展にどれだけ貢献したか、環境、自然破壊をやったのかどうか、それから地域の、地方の政府の財政に貢献したのかどうかというような多面的な評価をして、その上で、いろいろな政治的な立場の異なる方々自分立場に合った形で議論を闘わせる。そういう議論のプラットホームがまずは重要で、今はどうしても、地域振興に役立ちましたというふうな一般論で終わってしまいがちなんですけれども、分けて評価するということが大事だと思います。
  60. 辻第一

    ○辻(第)委員 最後金本参考人にお尋ねをいたします。  事業評価に当たって客観的な基準をどうするのか、どのような基準を設定し、統一した基準で対応できるのかが問題になると思うんですが、このことをどうすればいいのか。  しかし、考えられる基準一つに、事業の収益性を見るということが考えられます。一方、国や地方自治体が実施する事業には収益性でははかれないものもございます。広く共通した客観的な評価基準をどうするのかという問題があります。さらにまた、その事業に対する国民の声といいますか、世論をどう受けとめるのか、こういうことも重要だと思います。  これらの点について、金本参考人にお伺いをいたします。
  61. 金本良嗣

    金本参考人 基本的に、収益性ではかれることは民間でやればいいというのが基本でございますので、公共部門がやっておるもののほとんどの部分については、収益性だけでは判断ができないものだということであろうかと思います。  ただ、だからといって評価基準がないというわけではなくて、この辺の評価の仕方については既に何百年の歴史がございます。フランスの土木工学者で、経済学の世界で非常に有名になったデュプイという方が、随分昔に橋の便益をどうやって計測するかというふうなことを考え出されて以来、どういう形で収益性以外の社会的な便益を計測するかということについては積み重ねが行われております。世界的にも、公共事業についてはほぼどこの国でも行われております。そういう意味では、国際的に通用する手法存在するということであります。  ただ、問題なのは、どういう事業にも当てはまる画一的な手法があるかというと、そうではなくて、それぞれの事業特性に合わせていろいろな調整をする必要がある。現在、公共事業について各省庁でやっておりますのは、それぞれの事業に適した手法を探してきてマニュアルづくりをしている。そろそろ出そろうというふうな状況であろうかと思います。  したがいまして、一番重要なのは、すべての事業に適用可能な画一的な手法をつくるということではなくて、そうやって事業ごとに出てきた手法を集めてみて、それが問題ないかということをチェックしていくというふうな仕組みであろうかと思います。  以上でございます。
  62. 辻第一

    ○辻(第)委員 終わります。ありがとうございました。
  63. 原田昇左右

  64. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 社会民主党の知久馬二三子でございます。きょうは、参考人の両先生には、大変貴重なお話と御意見をいただきまして、本当にありがとうございました。  まず最初に、金本先生の方にお伺いいたしたいと思います。  きょうのお話を聞いていまして、政策評価の目的は、施策などの有効性や効果性といった質の向上を図ること、行政の説明責任をより適切に果たすための前提を提供すること、それから、評価結果は意思決定に利用または反映させることが重要であり、評価を行うこと自体を自己目的化することは避けるべきであること、それとまた、評価結果は、評価に用いたさまざまな条件とあわせて国民に説明されるべきことがよくわかりました。  そうした中で、金本先生の御指摘されました官官規制が多くの点で破綻を来していることは、ここ最近では、大蔵省の金融検査と接待汚職問題、防衛庁の装備品をめぐる調本汚職や資料焼却問題、そして、コスト意識とかけ離れた公的宿泊施設の運営など、具体的にあらわれていると思うのでございます。  こうした問題が、評価監視システムを導入することでどのように改善されるのか、あるいは過ちを未来に生かすことができるのか、お考えをお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
  65. 金本良嗣

    金本参考人 行政にはいろいろな分野がございまして、十把一からげにはできないわけですが、一つだけ例をもってお話しさせていただきたいと思います。  例えば私自身も国立大学で、ある意味では公共部門行政機構の一部として働いておるわけです。そこで我々がきちんとした仕事をしているかどうか、あるいは、きちんとした仕事をすれば見返りがあって怠けていればペナルティーがある、こういう仕組みをどうつくるかということが非常に大きな問題になります。  その際、パフォーマンスベースのアプローチというのは、例えば研究機能ですと、研究業績を評価して、それをベースに予算をつけたり給与を決めたりということをする。教育機能については、アメリカ大学ではほとんどの大学で行われていますが、学生による教育の評価がある。その評価の点数等に従っていろいろなことが行われる。それが、パフォーマンス評価をベースにしたやり方です。  日本の場合はそうではなくて、基本的には、研究業績がよかろうが何かろうが、特にどうこう言われるものではない。学生の評判がよかろうが悪かろうが、特にどうこう言われるものではない。ただ、いろいろな格好で事細かな縛りがある。建物予算は建物にしか使ってはいけない、定員は厳しく規制されている、こういったことで、事細かな規制で、悪いことをしないようにという仕組みがきちんとあるというわけですが、ただ、それが全体として国民のためになっているかというと、若干疑問な点がある。  これをパフォーマンスベースに変えるとどうなるかということですが、これはアメリカ等の大学を見ていただければわかるのですが、研究費等をどういうふうに使わなければいけないというふうな細かい規制は、日本ほどはない。ただ、研究業績を上げろというプレッシャーは甚だしく強い。そういう状況で不祥事が起きるかというわけですが、自分の予算を悪いことに使って自己利益のためにするということよりは、その予算を最も有効に使って研究業績を上げて、そのことによって給料を上げた方がいいというのがアメリカのシステムであります。  こういう官官規制から成果評価仕組みに移るということは、各担当者がいかに成果を上げるか、あるいはいかにコストダウンするか、これに頑張れば見返りがあるというふうな仕組みにするということであります。これがうまく機能していれば、事細かな規制をしなくても不祥事件を起こすというふうなことは少なくなるはずだ、こういったお話になります。  ただ、不祥事件がなくなるかというと、必ずしもそうではないので、アメリカでの考え方は、個別不祥事については別途対応する。アメリカでは、そういう不祥事については捜査機能の強化で対応するというアプローチがとられております。アメリカでは、おとり捜査等々といったことが可能でありますので、そういうものを使って不祥事摘発を強化すべきだというふうな議論があります。  日本でおとり捜査を可能にすべきかどうかというのはまた難しい問題でありますが、基本的に、行政機関内部人々のインセンティブの構造を真っ当なものにしておけば、事細かな規制で行動を縛るという必要性はなくなる。それでも発生するような不祥事については、捜査機能、検察機能等々を使うというふうなやり方があるのではないかというふうに思っております。
  66. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 ありがとうございました。  もう一点だけ金本先生にお伺いしたいと思うのですけれども、私は、インターネットの通産省のホームページでその概要を読ませていただきました。先生は、昨年、通産省の政策評価研究会の座長さんをなさっておられまして、中間報告を出しておられます。  その中の第二章では政策評価の実情、第三章では政策評価手法分析されています。そして第四章では、政策評価を考える際の枠組みの中で、政策評価の進め方を見ますと、政策評価の限界をわきまえた上で、その活用について、評価は意思決定に利用されていてこそ意義がある、ただし、評価結果を資源配分にまで結びつけるかどうかは、当該評価の目的や限界をよく認識した上で判断すべきであり、場合によっては慎重を期すると述べられています。  私は、この辺のことが問題の難しいところではないかと思うのでございますが、具体的にはどのような事例があったのでしょうか。海外の例などでもいいですので御紹介いただき、また、こうしたことはたびたび今後さまざまなレベルで起き得るとお考えでしょうか、お伺いいたします。
  67. 金本良嗣

    金本参考人 多分、一つの典型例は公共事業評価であろうかと思います。  公共事業評価は、ほかの分野と違って、手法的にも、その手法を使った場合の予測の精度からも評価がしやすい分野であろうかと思いますが、公共事業の分野でも、こういう評価したものを数字で出したときに、その数字が分野によってかなり違う意味を持つ。誤差も随分違いますし、抜け落ちているものが当然たくさんあるわけですが、それが、プラスの方にいくものが落ちているのか、マイナスの方にいくものが落ちているのかといったようなことがあります。  例えば、道路事業について評価をしたものと鉄道事業について評価をしたもの、この二つの間でもかなりの相違があって、それぞれのもので、例えば二と一・五というふうに出てきたとしても、二の道路事業が一・五の鉄道事業よりも優先すべきかどうかということについては、もう少し慎重に中身を検討する必要があるということになります。  公共事業については、鉄道、道路というのは実は近い方でございまして、両方とも交通機関でありますから、利用者がいて、ほぼ同じような手法で推定できる。もっと難しいのは、こういう道路事業と下水事業を比較するとか、そういったことになります。そういう問題になりますと、直接的に評価の結果を予算配分に結びつけるということについてはなかなか難しい面があって、欧米諸国でも、そういう形で機械的に処理しているところは私の聞いた限りございません。もっと間接的に、そういう評価が出て、皆さんが議論をされて、その結果として少し調整が起きるということはあるかもしれませんが、機械的に予算ルールとしてつくっているということはないという状況です。  その通産省の報告書も、基本的な意図としてはそういうふうなことを踏まえているということであろうかと思います。
  68. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 ありがとうございました。  次に、上山先生にお尋ねしたいのですけれども、六〇年代半ばに、米国で、PPBSという複数プログラムの事前評価を中心とした合理的、効率的な資源配分を目指した予算編成制度が導入されていましたが、それがわずか数年で廃止となったと聞いています。  米国会計検査院、GAOは、失敗の原因について、多くは、意図的に議会監視や資源配分の過程から隔離し業績計画と測定を展開しようと試みたためであった、目的、目標が合同で議論されたり、同意されたりしなかったため、業績が何であるべきか、いかに測定するか、業績の情報と資源の決定をいかに統合するかについては何の同意もなかったと分析しているようです。また、当時、現場の職員から支持も得られなかったことも指摘されております。ただ、その後、プログラム評価という形での経験が生かされているようです。  そこで、上山先生から御紹介いただきました米国のGPRA導入までもう少しさかのぼって、そのあたりの経過をお聞きしたいと思いますが、よろしくお願いします。
  69. 上山信一

    上山参考人 PPBSというのは、私もGAOの人たちと話をしたときに、失敗したというのを聞きました。それで、経緯を聞きますと、やはり行政がやっていることをすべてきめ細かく全部データベースのように出して、それをある種機械的にやればベストな予算が組めるという幻想が当時はあったのだというふうに聞いております。  当時の評価と今の評価では実は意味が全く違っておりまして、現在では評価というのは、企業においても政府においてもメジャーメント、つまり、はかる、単に測定するというふうに言っているわけです。これは日本語で評価というふうに私も含めて言っているもので、何か、評価すれば先生がベストな答えを出して、かわりの答案まで書いてくれるというふうな印象を与えてしまう言葉なので、この評価というのはちょっとまずいのかもしれないのですが、PPBS当時は、数字を出して、それを組み立てればベストな予算が組めるというふうに思っていたわけですけれども、これは行政部内の仕事のやり方の改革でしかなかった。  現在の評価というのは、メジャーメント、つまり、何がどこに使われてどうなっているかというのをまず数字に出してみようよ、測定というのは何かと比べて初めて意味があるわけで、民間企業だとこの仕事は一体幾らかかっているのか、あるいは、去年は幾らだったのがことしはどうなんだ、あるいは海外ではどうなんだと、こういう、何かと比べてそこから議論を誘発しよう、こういうものなんですね。  なぜ比べるということに物すごくこだわるかといいますと、競争です。競争原理を引き起こすために比べているわけで、天才的な主計官が予算を決めるためのデータという発想は全くないということであります。ですから、比べて、みんなで議論して、多いだの少ないだのとやっているうちに切磋琢磨が起こって、結果としてそれぞれがベストなパフォーマンスになるだろう、こういう市場競争原理を行政の中に入れてしまえ、こういう発想なわけです。  インターネットなどでまさに、例えばニューヨークの地下鉄などは各路線の人気投票をやって、それを運賃に換算すると幾らだというようなランキング表まで出しておりますし、いろいろな意味で遊び的な感覚を入れたり表彰をしたりして、数字を出して競ってみるということが割と気軽に行われている。これが、市場競争原理だというふうに思います。
  70. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 ちょっと時間がないので、申しわけございませんが、もう一点だけお聞きしたいと思います。  元行政勤めだった経験をもとに、行政評価を導入することに行政内部からどのような抵抗が予想されるかをちょっとお伺いしておしまいにしたいと思いますけれども、よろしくお願いします。
  71. 上山信一

    上山参考人 それでは手短に申し上げます。  まず、日本アメリカと違うという議論が必ず出てきます。これに対しては、私は、日本企業でも同じ議論を経て、やはりいわゆるグローバルスタンダードじゃないとお金が回らないという状況になっているという例でもって反論をしたいというふうに思っています、時間の問題であると。  それから二点目、手続的に難しいとかあるいは技術的に不可能ですという議論が出ますが、これもやはり、行政がすべてをしょい込んで、最高の予算をつくろう、今の主計官の、非常に秀才の彼らよりもベストなものがどこかにあってそれをつくるのが評価だというふうに思い込んでしまうと難しいのですが、実は行政に評価をしろと頼んではいないわけでありまして、中身をまずとにかく開示しろということで、出てきたものをどうするかということを、別に行政に相談する必要すらないということだと思います。  それから三点目は、だれがこのイニシアチブというか、評価を入れるというのをリードするか。これはやはり、総理がやるか、議会がやるか、この二つしかなくて、各省庁公共事業評価やあるいは事務事業評価というような運動論を展開しておりますが、これは役人の意識改革運動としては非常に評価しますが、国民視点から見ると、冷たい見方をすると、また税金を使ってむだな意識改革運動をやっているというような見方もできると思います。
  72. 知久馬二三子

    ○知久馬委員 大変ありがとうございました。
  73. 原田昇左右

    原田委員長 参考人に対する質疑はこれをもって終了いたします。  両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、私から厚く御礼を申し上げます。  どうぞ御退席いただいて結構でございます。ありがとうございました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時十一分散会