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阿曽田清君 自由党の
阿曽田でございます。
このたびの
台風並びに
集中豪雨で
被害を受けられました皆様に心からお
見舞い申し上げます。
ことしは異常気象ということで、
台風の常襲地帯であります九州には
台風はまだ一本も来ないままで、東北あるいは西日本に
台風が上陸しているようでありますが、どうぞ異常気象という観点の中で、六月の梅雨の時点、九州は長南に遭いまして、かんきつ等については花の咲く時期に、発芽の時期に雨に打たれた。そして、今や干ばつ状態であるということで大変な
被害が出てきておるということも、どうぞ九州地区の方は
台風が来なかったからよかったねじゃなくて、
台風被害こそはなかったけれ
ども干ばつで相当やられておるということも御記憶いただいて、いわゆる共済等の問題についても後日出てくるかもしれませんので、その点よろしくお願いいたしたいと思います。
実は、国営問題について
質問させていただきたいと思いますが、昭和三十六年に開拓パイロット事業が行われ出しまして、その後に昭和四十一年に草地改良事業が
実施されました。昭和四十五年に
国営農地開発事業というものに一本化されまして、現在百五十一地区が完了し、十一万二千ヘクタールが造成されたところであります。それぞれこの国営
農地の問題については百五十一団地、それなりの問題点を抱えていると思いますが、我が
地元の問題について具体的に御
質問させていただきたいと思いますが、
地元の熊本の矢部という地区にこの
国営農地開発事業を
実施いたしております。
当時、昭和四十九年でありますから、米も順調であり、あるいは繭等も、あるいは山林もますますという
状況であったかと思います。しかも、その当時はまだ増産傾向の中でありましたから、資産形成という面もあったでしょう。ある
意味ではスムーズな取り組みがスタートできたわけでありますが、当初
計画した四十九年の受益
面積六百九十一ヘクタール、事業費四十九億四千万、これでスタートしたわけでありますが、途中、昭和五十八年に
計画変更いたしまして、受益
面積を五百四十一ヘクタールに減らし、そして事業費を九十九億七千万、こういうことになったわけであります。そして、完了時が六十三年、最終的受益
面積が五百三十三ヘクタール、総事業費百二十四億九千二百万円、こういう結果になって、
面積が二二%当初
計画より減り、そして事業費は二・五倍にふえたということで完了いたしておるわけであります。
これは十三年間かかったということもある、あるいはオイル
ショックの時期もあったでしょうけれ
ども、問題になりますのは、この開拓したところの
土地の一割がいわゆる不良債権でいうならばDランクなんです。そして、二〇%がCランクなんですよ。
私、
現地を見てまいりましたけれ
ども、そこには草木も植わらないという
状況で、まさに砂れきの状態であります。私は、そういうところの造成をしたことが本当によかったのかどうか、何のために造成したのかというような思いを大きくするわけでありますが、そういうところにどんな営農
計画を立てて始めたんだろうかなと、ここにまた疑問が生じております。
その場所に行ってみますと、六百メーターから九百メーターの高さであり、かつ土壌
条件も悪い、そして風雨も物すごく強いところでありまして、ここには作物は育たぬな、国は何を考えていたんだろうと。いわゆる適地適作というものを考えた
計画だったんだろうかなと疑わざるを得なかったわけであります。
地元の
生産者の
方々はこんなことを言っていました。高台四団地、それは不良息子だと、こういうことでありましたが、そこで
農家の
方々が私
どもに一番強く訴えられましたのは、いよいよ十年たって返済を合しているけれ
ども、何も植えられない、そういう場所の
農地の返済金もちゃんと払っていかなきゃならない。これじゃ収益は上がらないし、まさに収益どころか、植えることもできないところを払い下げした形で自分のところが引き受けて、栽培できないで、返済金だけ返せと、これはまさにおかしいのではないかというようなことでありまして、どうして今、払いができないでいるんですかと、こう聞きましたら、四億五千万の返済金のうちに七千万がもう既に支払えない、延滞の状態になっておるということであります。この七千万について恐らく十一
年度にはもう一億を超すだろうと、こういうことでありますが、国といたしまして、これは国営でございますので、この七千万が現在の延滞金
部分であります。今後どんどんふえていくでありましょう。この
作付もできないところ、そういうものについては、むしろ私は償還金はもう免除すべきじゃないか、そのようにも思うんですが、いかがなものでありましょうか。構造
改善局長に
お尋ねいたします。