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参考人(中村仁君) ただいま御紹介いただきました山形県の
最上町長の中村でございます。日ごろ、先生方におかれましては、地方
行政に大変な御努力をなさっておりますことにつきまして、厚く御礼を申し上げたいと思います。
三十分間という限られた時間でございますので簡単に申し上げたいと思います。しかも、前もって各先生方には資料を差し上げておりますのでごらんになっているかと思いますけれ
ども、まず私
どもの地域の状況からお話し申し上げたいと思います。
私
どもの町は、御承知のとおり、ちょうど太平洋と日本海の中間に位置した町でございます。冬になりますというと太平洋からの寒い風あるいはシベリアからの寒い風というふうなことで、地理的にあるいは気象条件も余り恵まれない地域でもございます。しかも、周囲が高い山に囲まれていてその寒い風が町の上空に漂っておりますので、その関係から冬
期間は大変恵まれない。しかも、雪の多いところでございまして、多いときですと二メーターぐらいの雪が積もるわけでございます。そういう状況の中で、かつては無医地区状態の町でもございました。
昭和二十九年、ちょうど今から四十四年前でございますけれ
ども、町村合併をいたしたわけでございます。西小国村、東小国村という二つの村が合併いたしたわけでございますが、いずれも非常に財政的に恵まれない地域でございました。言うなれば、私
どもの町は国有林が大体七五%を占めている地域でもあるわけでございます。国有林が多いところは大体
経済的に恵まれない地域ではなかったかなというように考えております。
自分の山を持つということは税金を納めなくちゃならないというようなことですべて国有地にしてしまったという、そういう関係から国有林が多くなったんではないかという感じがするわけでございます。そんなことから、私
どもの町は、言うなれば山林盗伐濁酒密造の村なんという、そういう汚名を受けたような恵まれない地域でもございました。
昭和二十二年でございますが、私がちょうどインドネシアから復員してまいりますというと、その当時、御承知のとおり、ポツダム宣言によってすべての公職にあった方々が追放されたわけでございましたので、そんな関係から弱冠二十三歳にして収入役を仰せつかりました。それを通算しますというと十二期になるわけでございます。地方
行政に五十二年間務めたということになるわけでございまして、長い間町の状況についていろいろ苦労もしましたし、それから私
どもの先輩の苦労を私自身も感じてまいりました。そういう状況の中で四十五年に町長に就任をいたしたわけでございます。
町長に就任すると同時に何を考えたかというと、まずもって恵まれない地域医療、これを何とか確保しなくちゃいけない、住民の命を守ることが
行政の原点ではないかという観点から、医療の確保ということに力を入れてまいったところでございます。
たまたま四十五年、就任と同時に病院が完成しましたので、その後お
医者さんの確保に大変な苦労をいたしました。しかも、いずれは高齢化
社会が到来するであろうというふうな観点から、町づくりについても、非常に政争の激しい町でございましたので、何とか政争をなくそうというような観点から、広大な三百三十平方キロの、しかも四十の集落で構成されておりますので、それらを解消するためには公平な町づくりが必要であろうというふうなことから考えたのが保健、医療、
福祉の拠点整備でありました。
まず、それらについて整備をやったわけでございますが、私の出身地の方は赤倉温泉という、いわゆる東側にある地域でございます。
自分の方からやりますというと必ず問題が出てまいりますので、反対側の西側の方の瀬見温泉という地域があるんですが、そちらの方からまず保健のエリア整備をやろうということでエリア整備をやってまいりました。それが現在に至っているわけでございます。また、中心地、役場のあるどころでございますが、そこは医療のエリア整備をやろうというふうなことでエリア整備をやってまいったわけでございます。反対側の私の方の地域については
福祉のエリア整備をやろうというふうなことで、四十五年から着々その整備にかかってまいったわけでございます。
私も七期目でございますから、そうこうしているうちに四十五年に建設をしました病院も大変老朽化してまいりました。しかも、時代も変わってきておりますので、どうしてもやっぱり病院の近代化を図らなければならないというふうな観点から、いろいろ議会の方にも御相談を申し上げまして、そして病院の改築をすることになったわけでございます。その場所が非常に狭隘でありましたので、何とか場所を変えなくちゃいけないというふうなことで現在の新たな土地六へクタールを求めまして、そこに保健、医療、
福祉の総合的な
施設の整備を図ろうというふうなことから、ちょうど今から七年ほど前からその整備にかかったわけでございます。
いろいろ考えてみますというと、私
どもの町は非常に地下資源、いわゆる温泉資源に恵まれた地域でございますので、何か医療、保健、
福祉について温泉を活用することも
一つの方法であるということから、実は温泉を掘ることにいたしたわけでございました。ところが、ちょうどカルデラ地帯でございますので、普通ですと、私
どもの町は浅いところですと大体三十八メーター、深いところで四百メーター
程度のところから温泉が出るはずなんですが、私
どもの総合的な
施設を整備するところはカルデラに一番遠いところでございましたので、一千メーターの契約をいたしたわけでございました。
ところが、一千メーターの契約はしたものの、しかも掘削をしたんですが、なかなか一千メーターでは温泉が出てこなかったわけでございます。実を申し上げますと私も大変困りました。何とか
あと二メーターぐらいサービスをしてもらえないかというようなことで業者の方にお願いをいたしたところが、幸いに一千一メーターからお湯が出てきたわけでございます。これが三百六十リッター、五十二度の温泉でございました。そして、温泉を活用して現在の
施設整備がすべて完備をいたしたわけでございます。
私
どもの集落は四十集落でございますけれ
ども、余生を送っておる、あるいは
家庭で病床にあるすべての老人の方々が心配なくそれぞれの
施設の恩恵を受ける。特に、公的
介護保険制度がいよいよ平成十二
年度から実施されるわけでございますが、その前提としまして整備を目指したわけでございますが、一人の老人も心配なく私
どもの
施設の中で恩恵を受けることができるというような状態になってきております。
現在、私
どもの役場の
職員は、人口が一万二千五百人でございますが、定数が二百四十名でございます。
福祉関係の
職員は現在三百名の方が働いておるわけでございます。言うなれば、私
どものような恵まれない地域にとっては雇用の拡大にもつながっているという大きなメリットにもなっておるわけです。しかも、老人にとっては
家庭が
生活の基盤でございますから、
施設に入所できない方はできるならば
家庭の中で
生活をしたいという方も非常に多いわけでございますので、これからの公的
介護保険制度の実施に伴って受け入れ体制の準備を合いたしております。
いわゆるケアマネジャーの養成の問題、いろんな問題等がありますけれ
ども、町立病院の院長を中心にしまして、今
年度中に行われますケアマネジャーの試験の
取り組みについていろいろ勉強いたしているような状況にあるわけでございます。
それとあわせまして、ことしの四月一日におきまして実施したわけなんですが、
厚生省からの補助金をいただきまして、遠隔操作による医療の体制も整備されてまいりました。現在、十二名の老人の方がその恩恵を受けております。しかも、ちょうど十九年ほど前に建設をしました特別老人ホームがちょっと総合的な
施設から離れておりますので、そこにも一カ所その
施設を配置いたしておるわけです。
同時に、今度、町立病院ではどうしても対応のできない部分もございますので、郡内の中核の県立病院、新庄県立病院と申しますけれ
ども、そこと私
どもの町立病院とを結んでおきまして、そして私
どもの町立病院で対応できない部分については県立病院の中央からの指示を受けて対応するという状況にまでなっておるわけでございます。
現在、十二名の方の状況を見ますというと、やはりどうしても終末医療の対象になっている方が多いようでございます。これからどういうふうに変化するかわかりませんが、いずれにしましても受け入れ体制ができているということで、私
どもも非常に喜んでおるわけでございます。同時に、町民にとっても
一つの安心感を与えるということになってまいりましたので、ほとんどの対応ができるような状況になってきております。
ただ、問題は、同じ郡内の町村の中でもまだまだ整備のおくれている地域もあるわけです。しかも、町村の状況によりましても財政状況の大変厳しいところもございますし、私
どもの財政も厳しいわけなんですが、しかも小さな町村になってまいりますというとなおさらのこと、ゴールドプラン、いろんなこれからの体制の中で直ちにやるということも容易でない町村もあるわけでございますので、私は、できるならば共同化あるいは公営化ということを郡内の市町村長に呼びかけをいたしております。そして、できるならば私
どもの
施設整備を利用していただきたい。
特に、
行政は宮城県に近いわけですから、宮城県と
行政は違うからということではなくて、お隣の鳴子温泉の鳴子町、そういうところの方々も利用していただきたいということで、今御利用いただいております。仙台の方も老健には一人、それからお隣の
行政の違う宮城県の鳴子町からも四名の方が老健を利用しているという状況になっております。
特別老人ホームにおきましても、十八年前に建設するときに、私は、やがてそういう時代が来るだろうということから、ショートステイの問題、これは四床分だけは設置しておったんですが、なかなか四床分だけでは足りないような状況になってまいりましたので、ちょうど四年前に十二床分をふやしまして、現在十六床分のショートステイを含めておるわけです。
したがって、特別老人ホームには十六名、八十名ですから、九十六名の老人の方が利用されている、そういう状況の中で、町外の方が約三割を占めておるような状況になっております。老健関係におきましても、五十名の
施設でございますが、先ほど申し上げましたように県外の方も利用しているという状況になっております。
それから、いち早く、ちょうど今から十三年ほど前なんですが、東京都からの委託事業でございます知的障害者の
施設、これは八十名の方が入寮されているわけでございます。このことについては、私の方は土地を提供するということで土地を提供しまして、現在八十名の方が入寮いたしておるわけです。
非常に環境に恵まれた地域でございますし、また、先ほど冒頭に御
説明申し上げました、私
どもの集落の中で地域住民と溶け込んだ、いわゆる全く住民とのかかわりのないというようなことではなくて、自由に出入りするような環境の中で
生活をしているということで、東京都の御父母の方とか、そういう方々から大変喜ばれているような状況でございます。そこには御承知のとおり大断面集成材というアメリカの木材を利用した、夏冬あるいは雪の日も雨の日も風の日も冬
期間も自由にその
施設の中で運動ができる、そういう
施設も完備をいたしております。そこには暖房もありますので、老人の方々が好きな運動もできる、あるいは場合によっては知的障害者の方もそこを利用するというふうなことで整備をされておるわけでございます。
私は、四十五年に町長に就任した当時から財政が非常に巌しかったわけではございますけれ
ども、やがて公共的な
施設を整備する場合には土地の取得が大変だろうということで、苦しみながらも土地の先行取得というようなことで整備を進めてまいりました。広大な面積でございますので、かつての国鉄の駅が七つもあります。その七つの駅前をちょうど十八年ほど前から全部買収いたしました。その当時は非常に安い価格でございましたので、どこの町村長も気がつかないうちに買収をしたわけなんですが、そういう土地が現在非常に大きく活用されておるわけでございます。言うなれば、代替地の土地にも変わってくるとか、あるいは公共
施設を建設する場合に容易にその場所を利用して建設できるとか、あるいは公営住宅を建設する場合の用地になるとか、そういうふうな形で進めてまいったわけでございます。
要は、やっぱり地方
行政も発想の転換というものが必要ではないかというふうにかねてから私は考えておるわけでございますが、二十八年間を振り返ってみますというと、そういうことが現在の町づくりに大きく貢献しているんではないかというふうに思っています。
ややもするというと、
福祉は金がかかるということで非常にちゅうちょをする傾向にある町村もあるわけでございますが、何が重大であるかということを考えた場合には、やっぱり
福祉の
充実ということが私
どもに課せられた最大の問題ではないかということで取り組んでまいったわけなんですが、それらが現在実を結んで、町民そのものが大変安心して暮らせる状況になったんではないかというふうに思っております。
いろいろ申し上げることがたくさんあるわけでございますが、いずれにしましても、これからの
行政というものは、特に財政が厳しくなってまいりますので、発想の転換を図りながら、それぞれの町の個性というものがあるわけですから、そういう個性を生かしながら地域づくりをするということが大事ではないかというふうに思っております。私自身も、二十八年間の中で考えてみますというと、発想の転換が功を奏したんではないかなというように思っております。
かつて七つの駅の駅舎を改修するときに、国鉄の方からは財政が厳しいから駅舎の改築どころではないというふうなことをよく言われました。そういう際に考えたのが、御承知のとおり陸羽東線なんかは、一九〇六年にできました大変古い鉄道が通っておったわけなんですが、そういう地域の中には必ず雪よけのための防雪林というのがあるわけでございます。ところが、余り適当な金がなかったというようなことから非常におかしい状況になっておったわけなんです。私はそういう状況を見ておりましたので、国鉄の方にはできるだけ金は出させたくない、できるならばその防雪林の間伐材を利用させていただければ金はもらわなくともいいだろうというようなことで、国鉄の方の防雪林の間伐材を利用して木材を利用した駅舎をつくったり、あるいは公民館駅というようなことで併設した駅舎の改築を行ったわけでございます。言うなれば発想の転換がそういうようなことで功を奏したんではないかなというように思っているわけでございます。
いずれにしましても、
行政も私は
一つの株式
会社ではないかというように思っております。住民に対していろんな創意工夫をしながら、その発想の転換の結果によってサービスの提供が新たにできるということ、そういう観点に立っていろいろ
行政の推進を図ってまいったわけでございますので、比較的そういう状況の中で、苦しい財政の中にありながらも約六十億投資をしました環境、いわゆる
福祉、保健、医療というような形で整備ができてきたものだろうというふうに思っております。しかも六十億の中には、建設省には建設省のメニューがあります。それから、
厚生省には
厚生省のメニューがあります。農林水産省には農林水産省のメニューがあります。そういうメニューをいかにしてうまく活用するか、あるいは結びつけるかということが我々首長の問題にかかわってくるんではないかというように思っております。
したがって、六十億の投資の中で、借金も随分ありますけれ
ども、いろいろ地方交付税の対象になるものもあります。病院を建設すれば病院事業債に対する特典もございます。病床数に対する特典もあります。あるいは救急医療に対しては救急医療に対する特典もあるわけでございますから、そういうふうなものを総合的に勘案しますというと、大体半分
程度で借金返済も十分できるという状況になってきております。
財政が厳しくなってまいりましたけれ
ども、町村民の中には、建物はできたものの一体借金をどうするんだというようなことでいろいろ懸念をされる方もありました。しかし、現在こういう厳しい中にあっても投資したことに対して特に大きな問題がなく
運営されているわけでございますから、やっぱり早くやったことがよかったんではないかというふうに考えておるところでございます。
いずれにしましても、これからは何としても
福祉は
充実をしなくちゃなりません。国民
健康保険制度ができたのは昭和十三年でございます。一九三八年なんです。あの当時のことを考えてみますというと、戦争の甚だしきころでございましたので、いわゆる上意下達といいますか、たった
一つの指令に基づいて国民
健康保険というものが成立をいたしたわけです。私もあのときに、昭和十七年から役場に入っておりますから、いろいろ苦しい思いもしましたけれ
ども、現在の公的
介護保険制度には何年かかかっていろんな論議が闘わされました。しかし、直接住民と接するのは私
ども町村長でございますから、最も住民にいろいろなことでかかわっているというような観点からいっても、当然当事者になるのは市町村長ではないかなというようなことで、公聴会におきましてもそれらを強調してまいったわけでございます。
私
どもの町は一万二千五百人の人口でございますけれ
ども、私が目をつぶりますというと、どこの
家庭がどういう状況にあるか、どこにはどういう老人が寝たきり状況になっているか、大体目に映じてくるわけでございます。そのような観点から、私は公的
介護保険制度については事業主体はあくまでも市町村長であるべきだということで強調してまいったわけでございます。しかも、ドイツと違って今度は公的
介護保険制度ですから、半分は政府が責任を負うというような状況になっておりますので、なおさらのこと、いろいろ検討してみますというと、当然、我々が考えておったことが昨
年度国会を通過したというようなことで大変安心をいたしているわけでございますが、これからの問題としましては受け入れ体制の問題ではないかというように思っております。
何といっても、いろいろな
仕事をするためには、その前提としてケアマネジャーの養成が第一に考えられるわけでございますから、差し当たってケアマネジャーの養成についてどういう手だてをするかということでいろいろ腐心をいたしております。
この間ようやくテキストなんかも手に入るようになってまいりましたけれ
ども、あれも大変高いんですね、一冊五千円と言いますから。そんなことで、全部の
職員に配るということは大変でございますから、町の方でこれを購入して、ことし受験をする院長を初め保健婦、理学療法士あるいはホームヘルパー、そういう方々に勉強してもらおうということで配付をして、ぜひ最上町は受験した者は全部合格するというふうなことで今ハッパをかけております。そして、できるならばそういう資格の取れない町村に私
どもの町から応援しようということで今一生懸命取りかかっておるところでございます。
幸いに、現在、従来は大変苦労してまいりました医師の確保については、山大の医学部の先生方が大変一生懸命取り組んでくださっておりますので、そういうふうな問題は従来と違って心配しないで済むようになってまいりましたので、それだけでも私は非常に今安心感を持っております。今、私
どもの院長を初め内科の先生、外科の先生、婦人科の先生、整形外科の先生、みんな一生懸命やってくれておりますけれ
ども、特に私が感謝を申し上げるのは夜間診療をやってくださっているということでございます。
恐らく夜間診療をやっているところは病院にはないんではないかというふうに思っておりますが、それは何でかと申しますというと、私
どもの町は県境でございますし、どちらかというと仙台圏の
経済圏に入っておるわけです。農業情勢が非常に厳しくなってきておりますので、しかもことしは減反が三分の一という状況になってきております。三分の一は米がつくれないという状況でございますから、どうしても出稼ぎに行かざるを得ないというような状況にあるわけです。それらの方々がもし体が悪いというようなことで日中休んでしまいますというと
お金をもらうことができませんので、できるならば夜間にそういう方々のために診療しましょうというようなことで、院長みずからの発案で夜間診療までやってくださっております。私は、そういう点では非常に安心をして大変感謝を申し上げておるわけでございます。
最後に申し上げたいことは、日本の
行政は
縦割り行政でございますので、末端の町村長としては最大の苦しみなんですね。せっかくいろいろやろうと思っても、その
縦割り行政のためになかなか効率的にできない場面が出てくるわけです。これは
福祉の状況の中にもありますけれ
ども、ようやくそれらに対してそれぞれの各省もわかってまいりましたので、いろいろ解決をされる場面が出てまいりました。しかし、まだまだそういう点が解決されない場面があります。
例えば学校関係で申しますというと、給食関係は、学校はもちろんでございますが、今は一カ所から
幼稚園の方にも同じ給食の供給ができるわけです。ところが、
保育所の場合ですと、各
保育所にそれぞれの
職員を配置し、それぞれの設備を行って、そして五十名なら五十名あるいは百名なら百名のところにそれぞれのそういう供給体制、しかも一食分しか供給することがないわけです。文部省と同じように一カ所で済むものを、なぜ五カ所も六カ所もそういうふうな設備をしなくちゃいけないか、これは非常に不合理な点ではないかと思います。
もし、それができるとするならば、そういう方々は配置転換で
福祉の方の
充実に回すことができるわけですから、よりよい
福祉の
充実ができるんではないかというふうに考えられるわけです。これは文部省と
厚生省ですからそれぞれ違うのは当然だろうと思いますけれ
ども、できるならばそういう状況にしていただきたい。
しかも、私
どもの病院を含めまして今考えられるのは、問題はどうしても
社会的な入院、そういうふうな方もたくさんおられるわけです。そんなことを考えた場合には、
家庭的な事情もあるわけですから、三カ月が過ぎたからもう出ていきなさいというわけにはまいらないことも出てくるわけです。そういう状況を考えますというと、どうしても療養型病床群に転換せざるを得ないということを現在考えております。できるならば、直ちに十五床ぐらいの療養型病床群に病院の一部を切りかえをしていきたい。そうすることによって私
どもの老人の方すべての人がそれぞれの恩恵を受けることができるというふうな状況になってきております。
今温泉を利用した入浴設備も行っておりますし、またデイサービスでは大体八十名の方が利用されております。それは一日に大体十五名ないし十六名
程度が精いっぱいでございます。そういうふうな手足の不自由な方あるいは歩行の困難な方が多いわけでございますので、二十名の予定でございましたけれ
ども、どうしても十六名
程度が限度であるということで、一週間に何とかもう少しふやしてもらえないかというのが老人の方々の切実な声でもあるわけでございます。
私は、九月には八選目に向けての選挙が始まります。どうしても
福祉の
充実というふうなことで、もう一期やれということで今ハッパをかけられております。これからどうなるかわかりませんけれ
ども、これからは私の責任だと思いますので八選目に挑戦するということになるだろうと思いますが、今の状況を見ますというと、
福祉を
充実したことによって、これもまた無競争になるのかなというような感じも持っているところでございます。
いずれにしましてもそういうふうな状況で、私
どもの老人の方は何ら心配なく
生活をするということができるような状況になってまいりましたので、これは私
どもの老人のみならず、隣の町あるいは隣の村にも波及をしてまいりたい。しかも、波及効果が非常に大きいわけです。三百名近くの人が働いておりますし、また
経済的な効果を見ますというと、大体十五億かあるいは二十億
程度の波及効果があるのではないかと思っております。
今、私
どもの町では政府の買い上げ米が昨
年度は十万俵でございました。これが一万五千円にしますというと十五億ですけれ
ども、十五億が丸々懐に入るわけではございません、その半分しか入らないわけですから。ところが、
福祉を
充実したことによって御承知のとおり十五億の金が、商工業者はもちろんのこと、すべての地域に大きな影響を及ぼしているわけでございます。
福祉はただ単に金がかかるという問題ではなくて、我々のような恵まれない地域にとっては大きな
経済効果をもたらしていくんだということを御理解賜りたいなというふうに思います。
少し時間がありますけれ
ども、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)