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1998-05-20 第142回国会 衆議院 文教委員会 第12号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十年五月二十日(水曜日)    午前九時一分開議 出席委員   委員長 高橋 一郎君    理事 稲葉 大和君 理事 遠藤 利明君    理事 小川  元君 理事 河村 建夫君    理事 肥田美代子君 理事 藤村  修君    理事 富田 茂之君 理事 西  博義君       今井  宏君    大野 松茂君       奥山 茂彦君    小杉  隆君       佐田玄一郎君    下村 博文君      田野瀬良太郎君    中山 成彬君       野田 聖子君    渡辺 博道君       安住  淳君    中野 寛成君       鳩山 邦夫君    池坊 保子君       旭道山和泰君    一川 保夫君       松浪健四郎君    石井 郁子君       山原健二郎君    保坂 展人君       粟屋 敏信君  出席国務大臣         文 部 大 臣 町村 信孝君  出席政府委員         文部大臣官房長 小野 元之君         文部大臣官房総         務審議官    高  為重君         文部省生涯学習         局長      富岡 賢治君         文部省初等中等         教育局長    辻村 哲夫君         文部省教育助成         局長      御手洗 康君  委員外出席者         参  考  人         (前東京工業大         学学長)         (学位授与機構         長)      木村  孟君         参  考  人         (東京学芸大学         教授)     黒沢 惟昭君         参  考  人         (前宮崎県立五         ヶ瀬中学校・高         等学校校長)         (宮崎教育委         員会次長)   岩切 正憲君         参  考  人         (東京都八王子         市立第五中学校         教諭)     糀谷 陽子君         文教委員会専門         員       岡村  豊君     ————————————— 委員の異動 五月二十日  辞任        補欠選任    松浪健四郎君     一川 保夫君 一回目  辞任        補欠選任    一川 保夫君     松浪健四郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  学校教育法等の一部を改正する法律案内閣提  出第七七号)      ————◇—————
  2. 高橋一郎

    高橋委員長 これより会議を開きます。  内閣提出学校教育法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。池坊保子さん。
  3. 池坊保子

    池坊委員 おはようございます。新党平和の池坊保子でございます。  学校教育法一部改正について文部大臣にお伺いいたします。  その前に、文部大臣の御意見をちょっとお伺いしたいと思いますことは、私も一年生議員でございますので、国会に参りまして一年半しかたっておりません。この一年半の経験の中で、今、日本は、教育教育教育が大切なのだと言われているにもかかわらず、今国会の本会議で一度も文部省から出ました法案審議されておりません。これはどういうことなのかと私大変残念に思っております。  言うまでもなく、百四十二通常国会は一月の十二日から始まりました。五月十四日現在まで本会議は三十八回開かれまして、六十三時間十分でございます。その間に八十四件の成立した法律がございます。その中には、文部省提案国立学校設置法改正スポーツ振興投票法もございましたけれども、一回も審議されないというのはお粗末なのではないか、これは日本政治の貧困なのではないかと思うのです。  政治家の方は、いつも教育は大切だ大切だと口でおっしゃる割には一つ審議をなさらなhこの学校教育法一部改正は、学校制度を五十年ぶりに変えるという大きなことなのではないかと私は思うのです。ですから、政治家の方が皆さんでこれを考えたっていいのではないかというふうに思っております。  地下資源のない日本にとって、公共事業の最たるものは教育じゃないか、それは私が言うまでもなく、皆様、そう口ではおっしゃる割には実行が伴わないのじゃないか、あるいは思考が伴わないのではないかと多少残念と義憤を感じておりますので、文部大臣はそれについてどうお思いになるかをお聞かせいただきたいと思います。
  4. 町村信孝

    町村国務大臣 池坊議員指摘教育重要性ということに関しましては、もちろん個々人によって考え方の違いがあると思いますが、私は、ほぼすべての議員がその重要性というものは強く認識をしておられる、こう思っているわけでございます。  ただ、そのことと、本会議での議論がという今のお話でございますが、これは基本的には国会がお決めになることでありますし、特に議院運営委員会がお決めになることでございますから、そのことの是非を私の立場から云々することはいささか不適切であろうとは考えております。  ただ、私は国会に出てこれで十五年近くたちますけれども日本国会中心は私は委員会だと思っております。もちろん本会議でのやりとりというのも大切でございますが、基本的には委員会で物事が決まり、そして本会議に上がっていくという意味では、委員会中心主義というのが私は日本国会一つ特色である、こう思っているわけでございまして、実際、本会議ではいろいろな状況により議論が十分行えない場合もございますが、そのかわりにと言ってはなんですが、委員会においては常に十分な審議がなされるべきであるし、またなされているのではないだろうか、私はこんなふうに考えているところであります。
  5. 池坊保子

    池坊委員 確かに、委員会皆様審議なさることは大切だと思います。でも、本会議審議されませんと、全政治家関心を持つということはないと思います。やはり全政治家関心を持つことも必要ではないかと思います。ですから、先ほどおっしゃいましたように、これはまず議運の啓蒙が必要なのかと思いますけれども、徐々に、政治家教育をもっともっと考えなければいけないというのを、文部省が率先してみんなを啓蒙していっていただきたいと思います。  では、中高一貫制内容に入りたいと思います。  中高一貫制教育では、何を目的としておつくりになりたいのか伺いたいと思います。
  6. 町村信孝

    町村国務大臣 教育改革につきましては、昨年の一月に教育改革プログラムというものを文部省が公表しまして、昨年の八月に改訂をし、またこの四月に改訂をしたわけでございます。非常に多岐にわたる内容でございますので、私どもとしては、それを四つの柱に並べかえてといいましょうか、重点的なポイントということで御説明をしてございます。  それは、心の教育でありますとか、あるいは選択肢拡大でありますとか、あるいは現場を重視した学校教育制度でありますとか、あるいは研究、大学活性化、こういう四本柱が中心でございますが、私どもは、この中高一貫に関しましては、特に中等教育選択肢拡大ということが一番大きな眼目であろう、こう考えているわけでございます。  すなわち、戦後の教育が六・三・三・四という中で非常に普及拡大をしてきたということは間違いなく大きな成果であるし、そこから生み出された人材が戦後の日本の発展を支えてきたことも事実でございます。  他方、教育システムが、ややもすると非常に画一的でありますし、あるいは硬直的な運用の傾向にございますものですから、生徒とか保護者選択肢というものがどうも尊重されてこなかった。その結果として、一人一人の生徒個性多様性というものが十分発揮されてこなかったという嫌いがあったかと思います。  特に中等教育の場合は、人間の成長の上にとっては、能力・適性でありますとか興味・関心でありますとか、あるいは将来の進路希望というのが非常に大きく変わる時期でございます。それだけに、それに対応できる学校制度というものが必要なのではなかろうかということで、そういう考え方に基づいて、私どもは、六・三・三・四というものを一応基本に置きながらも、中等教育の中での選択肢拡大を図るということから、中高一貫教育の選択的な導入、これによりまして生徒の一人一人の個性を尊重した教育というものが行えるのではないだろうか、同時に、特に前期中等教育段階ではやはり基礎基礎としてしっかり押さえていく、そういうことを効果としてねらいながらこの法案提出をさせていただいた次第でございます。
  7. 池坊保子

    池坊委員 選択肢拡大に本当になるのかどうかは後で質問の中で私は伺っていきたいと思っておりますけれども制度を変えるということは、制度だけ変えても当然しようがないわけでございまして、内容の充実こそが求められるのだと思います。  言うまでもなく、総理は五大改革に慌てて教育というのをつけ加えられた。それで六大改革になさった。ここにも何か政治家の、まず教育に対する認識が薄いのじゃないか。本当は教育が一番先の改革に出てこなければいけないのに、五大改革でおさまっていたのが、数カ月後に、提言なさる方があって慌てて教育をつけ加えられたという感じが私はいたしておりますけれども。  では、中高一貫制教育でどのような人間をつくりたいか、そのような理想というのはおありになるんでしょうか。ただ選択肢拡大でこれはっくろう、システムを変えようということなのでございましょうか。
  8. 町村信孝

    町村国務大臣 実は、中高一貫教育以前に、そもそも日本教育、特に戦後の教育の中で、一体どういう人間を育てることを目指しているのかということに関して、これはいささか個人的な見解になるかもしれませんが、正直言って、そこは戦後教育の中ではっきりしてこなかった部分だろうと私は思っております。  かつて昭和二十年代に、当時の天野文部大臣がそうした提案をなさったこともあります。あるいは昭和四十一年に中央教育審議会の方で「期待される人間像」というものを出したこともございます。しかし、いずれも上からの押しつけであるということで、事実上、社会的には葬り去られたと言っても仕方がないようなことで終わってしまいました。それ以降、日本社会日本教育というものがどういう人間像を目指しているのかということについて、率直に言って、私は、十分な議論国会でもまた民間サイドでも行われてこなかったのだろうと思います。  そういう状況なものですから、この中高一貫でどういう人間を生み出そうとしているのかという御質問、非常に大切な御質問ではございますが、率直に言って、実はお答えをしづらい部分があるのであります。  そういう前提を置きながら、なおかつ、私が先ほどちょっと申し上げましたように、中高一貫という一つの限られたものではありますが、この制度は、まず中等教育、要するに中学校に相当する三年間では、これは今教育課程審議会での議論が進行中でございまして近々結論が出るわけでありますが、一つは、より厳選された内容のものをしっかり基礎としてやはり押さえていくということがこの中高一貫の中でも求められます。その上に立って、より個性が豊かで創造性に満ちた人材が育成をされていくということがあわせて期待をされる、そこが中高一貫であることのメリットではないだろうかな。もちろん、これは、同じように今の中学校、今の高等学校でもそれぞれ期待される部分でありますが、それがより大きく期待をできるのがこの中高一貫ではないだろうか、このように私は考えております。
  9. 池坊保子

    池坊委員 選択肢拡大は、ただシステムだけでなくて、この学校はこういう特色を持っているという、そういう学校特色とか精神こそが私は大切なのではないかと思っております。今の学校制度というのは、いじめとか不登校などが起こって閉塞感がある、どこかここを打破しなければいけないということはわかりますけれども、そういう内容がなかったら今と同じことになってしまうのではないかと思うのです。  私も私立中高一貫制の中で学びました。十三から十八歳までの感受性豊かな時代に、よき友人に恵まれたり、あるいは本を読んだり音楽会に行ったりと、そういうゆとりある心の教育ができたということは、その後の自分の人生にとって、いろいろな挫折とか困難なことに出会ったときに、そういうことが大きな滋養になってきたと思いますので、私は、ただ知育だけでなくて、そういうゆとりある教育というのが必要だと思っておりますけれども、それはその学校建学精神があったからだと思うのですね。  ただ中高一貫制にしたからといって、その中で子供たちが豊かに教育ができるというふうには思っておりません。私が学んだ学校は、質実剛健ということでございましたし、ノーブレスオブリージュというのでしょうか、恵まれた者には果たさなければならない役割があるんだということを徹底して教えられたということは、いろいろなことごとの中にそれが、ああ、そうなんだなと思って、日常生活の中に出てくると思うのですね。  いつぞや私、私立の方が普通の公立よりもいじめとか不登校が少ないように思いますが、それはどうしてでございましょうと伺いましたときに、初等中等教育局長が、私立は表に出ないことが一つの原因だと思う、二つ目には、建学精神がある、それから宗教があったりするからではないかとおっしゃったのですね。全く私はおかしいなと。だったら、公立がそういうものをしっかりと持ったならば、そういうことがなくなるのではないかと私は思いましたので、どのような人間をつくるかがまず先なのではないかというふうに思った次第でございます。  この選択肢拡大というところで伺いたいのですけれども、どれぐらい設置をなさるおつもりかをちょっとお伺いしたいと思います。
  10. 町村信孝

    町村国務大臣 今の御質問については局長からお答えさせますが、その前提として、選択肢拡大というのは、委員指摘のとおり、私は公立学校も、もちろん私学とは違いますが、建学精神とも言えるものをこれから特色を持ってつくっていくということが必要だと思っております、公立だから金太郎あめのようにどこでも同じという ことであってはならない。もちろん、そういう部分も必要だろうと思います。  ただ私は、校長先生一定期間その地域の中でリーダーシップを発揮されるときに、小学校中学校もまた高等学校も、それぞれこれからは特色を競い合う時代、であればこそ、初めてその中高一貫でも、この六年間の間に特色をいかにつくっていくか。たまたまあの五ケ瀬中学校高等学校というのは、先般中山議員が言っておられた、まさに森の中の学校ということで、そこに自然との触れ合いとかいろいろな特色を持たす。同じように、町の中の学校であっても、よしんば小学校段階からであっても、その特色を持たせていくということがこれからの公立学校で必ず求められていくし、また、そうでなければ公立学校の衰退がより一層激しくなるのではないかとさえ私は思っております。  そういう意味で、校長先生ができるだけリーダーシップを発揮できるような仕組みを教育行政の中でもつくっていくということを前提に、中央教育審議会から地方教育行政あり方答申をいただきたい。今委員がまさにおっしゃった、公立学校のそれぞれが特色を持っていくということを前提に、これからいろいろな制度運用というものを考えていきたいと考えておるわけであります。
  11. 辻村哲夫

    辻村政府委員 中高一貫校をどのくらい整備するのかということでございますけれども、御案内のとおり、中高一貫校は、既存の中学校高等学校に加えまして、各地方公共団体等設置者判断によってこれは設けるものでございます。  今、すべての都道府県等におきまして、この中高一貫校をどのように整備すべきかという検討が始まっておるわけでございますけれども、私どもといたしましては、新たな選択肢として設けられますこの中高一貫校生徒やあるいは保護者が実質的に選択可能になるような整備が円滑に進められるべきであろうというふうに思っております。  ただ、具体的に、では、それぞれの都道府県ごとにあるいは国全体として何校、どのようにということにつきましては、これは各都道府県等設置者判断することでございますので、ここで数字をもって何校ということをお示しするのは難しいことであるということを御理解いただきたいと思います。実質的に選択可能な中高一貫校がそれぞれの地域整備されるべきことである、具体的なその整備あり方等は各設置者において判断されるべきものである、こんなふうに思っております。
  12. 池坊保子

    池坊委員 それぞれの地域において設置者に任せるとなると、私は、多数つくられることはなかなか難しいのではないかと思います。まず都道府県に一カ所ぐらいになってしまうのではないかと思います。そうだとすると、東大を頂点とする有名大学が、全国に五百七十四校あります私立中高一貫制教育出身者に多く占められている現状を踏まえると、今回の改正によって、公立私立化にただつながるだけなのではないか。せめて小選挙区に一つぐらいは必要なのではないかと思うのです。じゃないと、大学受験のためのエリート校になってしまうのではないかというふうに私は危惧しております。  そして今おっしゃいましたように、都道府県設置者に任せるということでございますが、助成的支援システムというのは確立しているのでございましょうか。つまり、助成がなされなければ、任せるよと言われてもなかなかそこまでお金が回らないと思いますので、その辺も伺いたいと思います。
  13. 御手洗康

    御手洗政府委員 お答え申し上げます。  現在、例えば十二学級中学校を新たにつくるとなりますと、国の基準単価あるいは基準面積というものを前提にいたしますと、校舎と屋内体育館合わせましておよそ十二億程度お金がかかるわけでございます。高等学校についてもほぼ同じような金額になろうかと思いますので、中等学校を新たに十二クラス程度でつくるとなると、一校当たりやはり同じような金額がかかろうかと思います。  これにつきましては、今回お願いしております改正法の中におきまして、中学校に相当します前期課程に係る建物につきましては、義務教育学校施設費国庫負担法改正させていただきまして、中学校と同じように、中等教育学校前期課程に係る建物につきまして、校舎屋内運動場と寄宿舎については、新築あるいは増築に要する経費の二分の一を国庫負担したい、また建物改築に要する経費につきましては三分の一を国庫負担をしたいということでお願いをしているわけでございます。  なお、高等学校につきましては一般的にこのような制度がございませんので、改正法施行後、来年度以降の予算措置の中で、後期課程におきます施設整備につきまして適切な対応を図りたいと考えているところでございます。  なお、今回の法律改正におきまして、公立高等学校危険建物改築促進臨時措置法改正をお願いいたしまして、現在、高等学校危険建物につきまして、国が三分の一を補助するという制度がございますけれども、これにつきましては、国と地方役割分担の観点から、定時制課程通信制課程に係る建物改増築事業のみに制限させていただきたいと考えておりますので、仮に後期課程におきまして定時制課程あるいは通信制課程を置かれるというようなことになりました場合には、この分の国庫補助につきましては、この改正法に基づきまして、法律によって負担してまいりたいと考えているところでございます。
  14. 池坊保子

    池坊委員 地方自治体では、今少子化を迎えて、空き教室をどのように使うかというのに苦慮しているようです。もちろんいい使い方がたくさんございます。老人福祉に使う、あるいはお年寄りとの交流に使うとかしておりますけれども空き教室が出ているのが現状でございますから、新たにつくるとなると、これは大変なのではないか。すべての都道府県がこぞってつくるというわけにはいかないのではないかと私は思っております。  それともう一点、もし都道府県にまず一つ設置するとすると、広域的な選抜を行うことが理想だと思うのです。そこの区域の人だけしか入れないというのは、これは余りにも不公平感が漂う。やはり広く一つの県から入ることができるということをしなければ選択肢拡大にはならないと思うのですね。そうすると、宮崎県の五ケ瀬中学校高等学校のように全寮制にする必要があるのではないかと思いますけれども、その辺はどのようにお考えでしょうか。
  15. 辻村哲夫

    辻村政府委員 この中高一貫校をどのように設置していくかということは、先ほどお答えいたしましたとおり、それぞれの都道府県等判断によるわけでございます。  そして、現在各県あるいは市におきましても、この中高一貫校整備設置ということが検討されておるわけでございまして、私ども、必ずしも少数にとどまるということではなく、複数設置するといった形でスタートするところもあるでしょうし、それから県と市の双方が設置をしていくというようなケースもあるのではないか、こんなふうに予測をいたしておるわけでございます。  仮に、もし一校でやるというような場合につきましては、その通学区域をどのように設定するかはまたこの設置者判断でございますけれども、今先生から御紹介がありましたように、宮崎県立五ケ瀬中・高等学校、県下に一校設置されました。これは全県を通学区域といたします形で設置されておりまして、全寮制という形になっております。この通学区域の設定の仕方、それから寮を設けて全寮制でこれを運営するという仕方、これももちろん設置者判断によってあり得ることであるというふうに思っております。
  16. 池坊保子

    池坊委員 中高一貫制教育は、先ほども申し上げましたように、学校制度を変えるということですから大きなことだと思うのですね。にもかかわらず、このことに関しては割と都道府県にげたを預けているのだというのがむしろ私はおかしく て、文部省は割と細かいことまでも一々いつも口出しをなさる。私は、ビッグバンは文部省も行わなければいけないのじゃないか。  例えば長野県の小海町では、四十人の学級編制では多過ぎるから二クラスつくった。そのことに関しても教育委員会は、それはいけないのだ、四十一人だったら二クラスにすることはできるけれども、三十九人を二クラスにすることはできないのだとクレームをおつけになった。それほど細かいことには一々口出しをなさる文部省が、事このことに関しては地方自治体に任せるというのも、何か整合性がないのではないか。こういう大きなことこそやはりしっかりとしたビジョンを都道府県にお出しにならなければ、私は、都道府県の方が困ってしまうのではないかと思うのですね。  例えば、全寮制にしなければ広域な人々を入れることはできない。だけれども全寮制にするというのは、この間の審議会答申にございました、五日制により地域社会子供を返そうという答申と矛盾するのではないかと私は思うのですね。その辺のこともちょっと伺いたいと思います。  これから、こちらでは五日制にして子供地域に返そうよ、地域社会との密接が子供人間形成にすばらしいことなのだと答申を出しておく、それ自体はすごくいいのですね。逆にこちらでは、選択肢が多い方がいいのだから、ひとつ中高一貫制教育をつくろうよ、あるいはそれは、広域一つとは限っていない、幾つつくってもいいんだよ、現実に幾つつくってもいいんだよといっても、助成がそれほどなされなかったらつくりようがないと思うのですね。その辺が私は、一つ一つをとればとても理想は高いのですけれども、それは理想で、整合性がないように思うのですけれども、それはいかがでございましょうか。
  17. 町村信孝

    町村国務大臣 今までの文部行政の中では、いささか細かいことまでと今委員が言われたような部分があったことは否定をいたしません。今、そうした地方教育行政あり方について全般的な見直しをやっておりまして、国の役割はこれとこれに限定をするという形で、できるだけ個々の事情はそれぞれの地域に任せていくという基本姿勢をこれからはより貫いていきたい、こう考えているところでございます。  それと、週五日制で土曜日、日曜日は地域に返すということと、例えば全寮制にした場合、中高一貫と矛盾するのではないかという御指摘がございましたが、例えば、私は五ケ瀬で見てきたのでありますけれども五ケ瀬町でしたか、町の皆さん方とそこの学生さんたちが実に見事なハーモニーを奏でておりまして、そういう形での地域との触れ合い、結びつき、結合というのも十二分にあるよ、必ずしも自分の、個人の家がある地域ということには限らないのではないかな、そういう意味で、私はそういう矛盾はないというふうに考えております。  ただ、そこはどういう学区を設定するのか、たまたま宮崎県は今は一校ですから全県という形になっておりますが、すべてがそうなるというわけでもなかろうと思いますので、そういう意味で、全寮制のケースももちろんいいでしょうし、あるいは特定の市あるいは特定の町に限った場合もあっていいのだろう、こう思っておりまして、そこはまさに設置者判断であろうと思います。  それ以上乗り越えて、各県それぞれこれこれの数つくりなさい、そのタイプはこうとこうとこうで、しかもそれは全県一円でということまでを、地域の実情を無視して、やはり東京都の状況宮崎県の状況は違うわけでありますので、その地域の実情を無視して文部省が一律にこうすべきであるということを示すことは、現在、教育の中においても地方分権を進めようという、先ほど私が申し上げましたようなその基本方針に立ったときに、そこまで各県の実情を無視して文部省があるべき姿を指し示すのはやはり行き過ぎなのだろう、私はこう思っております。
  18. 池坊保子

    池坊委員 私が危惧いたしますのは、数が少ないと、どうしてもゆとりある学校というよりは大学受験のための学校エリート校になってしまうのではないかと思うのです。そうすると、だれだってそこの学校に入れたいと思う。これは選抜の方法にも関係してまいりますけれども、どういう選抜を考えていらっしゃるのかを伺いたいと思います。
  19. 辻村哲夫

    辻村政府委員 中高一貫校は、小学校を卒業した時点で選抜し、入学者を決定するということになります。  そこで、この中高一貫校を提言いたしました中央教育審議会におきましても、受験競争の低年齢化ということは絶対に避けなければいけないということが大変大きな議論として御審議されたわけでございます。  そこで、この入学者の決定方法でございますけれども公立学校につきましては、学力試験は行わない、学校個性特色に応じて、面接ですとか実技ですとか、あるいは小学校からの推薦ですとか、あるいは抽せんといったような方法をさまざまに組み合わせて行うべきというような答申になっているわけでございまして、私どもも、そのような方法によって、受験年齢の低年齢化をもたらさないような入学者の決定方法が妥当なのではないか、こんなふうに思っております。
  20. 池坊保子

    池坊委員 私、この学校でテストを行わないというのも、またいろんな問題をはらんでいるのではないかと思うのですね。例えば抽せん、面接、小学校の推薦、調査書、実技など、さまざまな方法を組み合わせるということでございますが、現実には、小学生に受験戦争を持ち込むというのは避けられない事実なんだと思います。附属小学校も試験がございまして、半分はくじ引きですけれども、その試験のためにお母様方は一生懸命五歳の子供たちを塾に通わせているというのが現実なんですね。  一点は、この調査書、つまり内申書、これは今、小学校中学校子供たちにとって大変に嫌われているものです。もう内申書はやめてほしいというのが子供たちの現実の叫びでもあるんですね。内申書があるために、何か先生に対しても素直になれない、自分を出すことができない、いい子ぶらなければいけない、そのいい子ぶることの反動が諸問題を引き起こしていると思います。私は、内申書をもうやめるべきだとむしろ思っているんですね。文部大臣はこれからもこの内申書を継続していかれるおつもりかをちょっと伺いたいと思います。
  21. 町村信孝

    町村国務大臣 義務教育小学校から中学校に行くときの内申書は、これは必要ないといいましょうか、今度はまた別として、今までは必要なかった。中学から高校に進む段階での内申書については、今委員が御指摘のような現実の問題点がいろいろあることを私も承知はいたしております。私が中学から高校に進むころは、内申書というのは確かにあったけれども、入試の際はほとんどそれは関係なくて、要するに九科目の学力試験の点数だけで、何点で入ったとか落ちたとかいうことでございました。  ただ、当時からあったのは、たまたまその入試のときに体調が悪かった、そうすると試験に落ちた、あるいは平素は実力はあるんだけれども、非常に緊張するタイプでどうも試験になると点数が悪い、いろんな理由から、その一日一回の試験だけでその子の進学希望というのを決めてしまうのはおかしいんじゃないかという学力試験一本やりに対する大変強い批判があって、その後、全国で調査書、内申書というものが次第次第に採用されていったという経緯があるわけであります。  今度は、内申書が出てくると、今御指摘のような問題点がまた指摘をされる。では、またもとの制度へ戻せば、今度は学力試験一本やりかと。学力試験だけでははかれない子供たち特色、いい点があるわけでありまして、そういうこともやはりこれからは多面的に評価をしていく。そういう意味で内申書というのは、その子の数字化できないいい点を中学校から高校に知らせるといういい点があるわけですね。そうしたことが一切今度はなくなってしまうので、またごうごうたる、学力試験一本やりに仮にしたとすれば、また激しい批 判が出てくるだろう。  ですからこれは、選抜というものがある以上、常にいい面、悪い面があるというのは、私は、これは制度の本質からいってやむを得ないんだろうと思います。ただ、できるだけその中でも弊害を少なくするような努力をしていくということしかないんだろうな、こう思っておりまして、そういう意味では、私は、内申書を廃止するという考え方には賛成をいたしかねるわけでございます。
  22. 池坊保子

    池坊委員 学校成績表がございますから、それを見れば、大体日常生活の中でどれぐらいのその子の水準かというのはわかるんだと思いますね。それこそが基礎になるのではないかと思うのです。つまり、当たった先生によって公平さを内申書というのは欠くと思います。だったらば、学校の成績表というのは一体何なんだろう。学校の成績表が悪くても、この子は本当は一生懸命勉強しているんだというふうに内申書が書かれるのか。  内申書というのは、よく問題になっておりますのは、もちろん本人は見ることができませんね、だから、何を書かれているかわからないというのもある意味では不気味なんじゃないかと思います。内申書がどれだけ、もちろん、一つの事柄には、私いつも申し上げるように、いい面と悪い面があるので、絶対的にいい面だけがあるということはあり得ないわけですけれども、それを差し引いても、私は弊害があるのではないかということを申し上げたいと思います。  それと、抽せんでするということ、抽せんでその子供の何か入試が決まるというのも、私は、安易なんじゃないか。抽せんというのはくじですから、そんなことで決めるのも、私は大変に抵抗を持っている人間でございます。  どのような選抜方法がいいのかというのは、本当にこれから、それによってその子のある意味では人生が変わる、大げさに言えばそれぐらいの大きな重みがあるわけですから、これから考えなければならない大きな問題ではないかと思っております。
  23. 町村信孝

    町村国務大臣 念のために申し上げておきますが、内申書には、中学校時代の成績を書く欄と、それとは別にもう一つ、その子の特色、いい面、悪い面、それは両方あると思いますが、できるだけいい面を取り上げて書くという両方があるわけですね。  その点数の方は、確かにこれは、自分がこれこれの、例えば学内の期末試験でこのくらいだったからこれこれという点数がつくということがあるわけでありますから、決して教師の主観的な評価だけが書かれるわけじゃございません。  では、こちらの、むしろその子の特性、特色というのはどういうことかというと、それはいろいろなポイントがあるわけでありまして、それも特定の担任の先生だけの、個人の評価ではなくて、学年主任でありますとかあるいは指導何とか主任でありますとか、あるいは校長先生、教頭先生、そういった複数の目で、できるだけ多くの人たちが見て、なるほどそうだよねと言われるような客観的な評価ができるようにする。ですから、特定の先生だけの、ある意味では極めて主観的なそうした内申書にならないような工夫というのは、既にそういう意味ではなされている、こう思います。  それから、くじがおかしいとおっしゃった。確かに、くじだけではそれはおかしいかもしれない。ですから、先ほど局長が申し上げましたように、いろいろな方法の中の一つとしても、くじというのもあってもいいし、なくてもいいのですけれども、くじというものが、幾つかのチェックポイントの中の一つとして最終的にはくじという方法もあり得るということを述べただけで、全部が全部くじでやりますと言っているわけじゃございません。ただ、くじが一律におかしいかというと、それもやはり一つの方法なんじゃないのかなと私は思っておりまして、一概にくじはだめですという御意見には、ちょっと、必ずしもよく私には理解できない部分がございます。
  24. 池坊保子

    池坊委員 内申書は、本人が見ることができるわけですか、見ることができないわけですね。私は、それが問題なんじゃないかと思うのです。今おっしゃったように、他人が自分をどう評価しているかというのは、客観的に自分を考える上で必要だと思います。ですから、自分のいい点は、ああ、こういうこつこつ努力する点なんだなとか、あるいは、担任の先生あるいはほかの先生が自分を見たときに、あっ、ここがいけないのかなと、そういうのがわかると思うのですね。ところが、あれは本人が見られないから、自分が受験する学校に、先生は一体どういうふうに自分を評価しているのだろうかというのがすごく気になるんだと思います。それが何か暗い、負のイメージを私は与えてしまうんだと思います。  内申書をするならば、学校成績とともに、どう評価しているかをきちんとその本人に伝えることもまた必要だと思います。
  25. 町村信孝

    町村国務大臣 この内申書、調査書の開示の問題というのは、なかなか難しい問題でありまして、これもそれぞれの自治体によって若干考え方のばらつきがあるのも事実のようでございます。  ただ、事前に全部見せる、仮にそうしたときに、その子どもについて、例えば、いい点も書きます、しかしマイナスの点もやはり書くんだろうと思います。そうしたありのままのことが記載しにくくなるというような嫌いが今度はまた出てまいります、開示ということによって。したがって、入学者選抜の適正な資料としてそれが値のあるものかどうかということに疑問が出てきてしまう、機能が果たせなくなるという嫌いもありますので、私としては、今までどちらかというと、文部省としてはこの開示問題については否定的なスタンスで臨んできたのだろう、こう思っております。  あくまでもこれは、調査書の客観性、公平性というものをより担保するために、開示はしないという方向で考えてきたのだろうと思っております。ただ、そこは自治体によって若干の今ばらつきが出ていることも事実であろうかと思います。
  26. 池坊保子

    池坊委員 内申書の問題は、言っておりますと時間がかかるのですが、ただ私は、この内申書というのは本当に子供に与える影響が大だと思いますので、文部大臣もちょっとお考えいただきたいと思うのです。  と申しますのは、くどいようですけれども中学校というのは重要な成長過程の途上にあると思います。欠点も、例えば私の欠点を他人が私に注意をしてくださってこそ私は初めて自分の欠点がわかり、そしてそれを直すことができるのだと思います。にもかかわらず、ただ欠点だけ書かれてあっても、それは直すこともできませんから、むしろきちんと先生が、あなたはこういう点が足りないということを言った方がいいのであって、陰で言われましても、それはわからないし、直しようがないと私は思います。  次に進みますが、中教審の第二次答申は、中高一貫制教育特色を七つに分けて発表していらっしゃいます。一は「体験学習を重視する学校」、二「地域に関する学習を重視する学校」、三「国際化に対応する教育を重視する学校」、四「情報化に対応する教育を重視する学校」、五「環境に関する学習を重視する学校」、六「伝統文化等の継承のための教育を重視する学校」、七「じっくり学びたい子どもたちの希望にこたえる学校」というふうになっているのですが、これは、一つ学校の中にこれを入れるのですか。それとも、入れ過ぎて理想ばかりを並べられて、現実にはこんな学校ができるのかと私は心配しておりますけれども一つ一つがそういう特色を持った学校都道府県につくろうと思っていらっしゃるのか、その辺をお伺いしたいと思います。
  27. 辻村哲夫

    辻村政府委員 結論から申し上げますと、中央教育審議会のこの答申は、中高一貫校をつくる場合、地域によっていろいろな中高一貫校特色を持ってつくられる必要がある、そのときの内容の参考として示されたものでございます。ですから、この中の一つを特に取り上げて、そこに重点的な特色を持たせた学校というのもありましょう し、場合によっては、欲張りということかもわかりませんが、二つぐらいのそういうものを特色にするということもあろうかと思います。  これは、あくまで各学校をつくります際の参考として中教審が示したものでございまして、もちろんこの中の一つをということもあるわけでございます。そういう性格のものとしてこれは受けとめるべきものだろう、こんなふうに思っております。
  28. 池坊保子

    池坊委員 実効性を伴わない理想のように感じますけれども、せっかくお書きになったのですから……。ただ、これが書かれましたからには、こういうのを理想として、それに近づく努力だけはしていただきたいというふうに思います。  次に、進路変更システムについて伺いたいのです。つまり、六年間同じ学校に通うことになりますと、その学校に適合できなかった生徒たちのためにどのような進路変更システムがなされるのか。それがなされませんと、現行以上の閉塞感に伴ういじめとか不登校などが考えられると思うのですね。今の三・三ですと、中学校だけは我慢しよう、高校になったらまた違う子供たちと交わることができるのだという、多少の何か希望というか、合わなくてもかすかな未来への展望があると思います。でも、六年間ですとそれがない。適合しなかった子供は、どんなふうに変更することができるのでしょうか。
  29. 辻村哲夫

    辻村政府委員 ただいま御指摘の御懸念は当然生じ得る問題であろうと思いますし、そのときにそのままその学校にとどまらざるを得ないということであれば、期間が長いだけに問題も大きくなってくるだろうと思います。そこで、中途での進路変更というものにつきましても、柔軟な対応が可能となるようなシステムが必要であるというふうに考えております。  具体的に申し上げますと、中等教育学校前期段階、つまり中学校段階で進路変更を希望するといった場合につきましては、当然、現在の中学校というものがそれぞれあるわけでございますので、そちらに転学をするということになります。  それから後期の段階、これは高等学校段階であるわけでございますけれども、その場合は、高等学校間の転校と同じような形になるわけでございます。したがいまして、そのシステムといいましょうか、制度としては、学校間の移動というのは現にあるわけでございますけれども、では具体的にどんな高等学校がそれを受け入れるかということになりますと、今現在の高等学校間の移動と同じように、義務教育段階中学校とは違った、編入学許可と申しましょうか、そういうものが必要になってくると思います。しかし、それも今の高等学校間で行われておると同じような形で可能になるようなシステム、こういうものを用意しなければいけない、そのように今の制度でもなっておるということでございます。
  30. 池坊保子

    池坊委員 カリキュラムについてお伺いしたいのですけれども、三年、三年で分かれておりましたのが六年間になることによって、重複してくるカリキュラムがあると思います。例えば算数とか物理なんかは、一緒になることによって省略をしていい科目がなされてくる。その授業内容の整理簡素化がされた分、どんなカリキュラムをお入れになるおつもりなんでしょうか。
  31. 辻村哲夫

    辻村政府委員 中等教育学校のカリキュラムでございますけれども前期課程、これは中学校段階でございますので、私ども中学校の学習指導要領を準用する、それから後期課程、これは高等学校段階でございますので、これは高等学校の学習指導要領を準用する、そういうふうな形で教育課程の基準を当てはめたいと考えております。  ただ、六年間継続的、計画的な教育指導というところにこの中高一貫校特色があるわけでございますので、原則、中、高の学習指導要領を基準にしつつ、特例的に選択的な運用も可能になるようなそういう措置を講じたいというふうに考えております。  したがいまして、そういうルールのもとでカリキュラムをどのように編成するかというのは、各設置者、各学校におきまして、先ほどのどういうふうに特色を持たせるかというようなこととも考え合わせながら、お決めいただければいいのではないかというふうに思っております。ですから、中、高がつながることによって出てきます余裕をどんな形に使うのか、これはそれぞれの各学校において御判断いただければいい、こんなふうに思っております。
  32. 池坊保子

    池坊委員 本来、中高一貫制の意義というのは、六年間で何を学ぶかということだと思うのですね。だから、中学は前期だ、高等学校は後期だ、それだったら今までのシステムと余り変わらないと思うのですよね。だから、六年間でダブつた分は省略する、だけれどもほかのもっと学びたいものを入れるというところに私は意義があると思いますので、その辺は考えていただきたいと思います。  五月十五日、そのような質問をなさった方に対して、中学校義務教育だからというふうにおっしゃいましたね。私は、義務教育で学ばなければならない教育内容が多過ぎるのではないかと思うのですね。それで、どれぐらいを義務教育と考えていらっしゃるのか。  知識というのは、私もいつも申し上げておりますけれども、ここでいいということがない。どんどんどんどん新しい知識が入ってまいりますから、もう膨張していくばかりなんですね。私が学校にしていただきたいことはむしろスリム化で、本来大切なことは、正しい判断力を身につけ、そして多様な価値に対応できる人間をつくることであり、みずからが問題提起し、それを解決できる能力こそが必要で、日本は知識人は多いけれどもノーベル賞の受賞者が少ないと言われるのも、このゆえんだと思うのです。  私は、ノーベル賞の受賞者をそんなに多くつくらなければいけないなんて全然考えてはおりませんけれども、良識ある民をつくっていくためには、義務教育でそうたくさん詰め込まなければいけないというふうに思わないのですが、その辺はどうお考えでいらっしゃいますか。
  33. 町村信孝

    町村国務大臣 大切な御指摘をいただきまして、ありがとうございます。  今、学校週五日制ということを念頭に置きながら、学習指導要領のあり方の検討、そしてどういうことを今後小中高それぞれ学んでいったらいいかという教育課程の検討を審議会でやっていただいておりまして、そう遠くないうちに最終的な答申をいただく予定にしてございます。  その基本的な考え方は、いろいろな要素があるのですが、一つのポイントは、何といっても厳選をする、スリム化するということでございます。そうでなければ、例えば六日間で教えるところを五日間でやれということになると、本当に単純にいけば五分の六倍だけ詰め込みが激しくなるということになります。それ以上に厳選をしていっていいのだろうと私は思います。そういう意味で、スリム化というのを一つの大きな今回の学習指導要領の改正のポイントにしながら進めていきたい。  それとあわせて、今、中高一貫の御指摘がございました。一応原則は、今言った中学、高校というもののカリキュラムをやはり全く無視するわけにはいかないとは思いますが、せっかく六年間同じところで学ぶというメリットを最大限生かせるような柔軟性、弾力性というものを私は認めていかなければ、何のための中高一貫かということになろうかと思います。そういう意味で、委員の御指摘の方向に沿って中高一貫のカリキュラムというのはっくられるべきであろう、私はこう考えております。
  34. 池坊保子

    池坊委員 冒頭に文部大臣がおっしゃった選択肢拡大というのは、私も必要だと思います。特に、日本人というのは選択の幅がない中で今まで生きてきたと思いますし、それは国際社会の中でこれから生きていく上で大きな弊害になっていくと思います。  その一つは、文部省がいろいろな締めつけをな さったことが選択肢の幅を狭めたのじゃないか。だから、いろいろなルール、いろいろなことの締めつけはもっと少なくしていただきたいと私は思っているのですが、この中高一貫制がたくさんできますと、六年制、つまり小学校六年、それと中高六年、こういう義務教育化になってしまうのではないかということを懸念しているのですね。  つまり、私は、中学校を出た人間が九七%高校に進学するということに、むしろそんなにしなければいけないのかなという疑問を持っております。中学を出れば高校に入ってほしいと親も望むからこそ、行きたくない、本当は別の進路を、活路を見出したい子供たちが無理やり高校に入って、でもなじめなかった、学業についていけないということによって不登校になったり、受け皿がないために悪の道に走るということが多々考えられると思うのですね。  私は、九七%高校に入っているということはちっとも誇れることではなくて、それはいかに日本が画一的な生き方しかできない典型なのではないかと思っているのです。だから、中高一貫制がそういう風潮をさらに強めてしまうのではないかというふうに思っておりますので、その点はどうお考えかを伺いたいと思います。
  35. 町村信孝

    町村国務大臣 私は、中高一貫即高校の義務教育化を意味するものではない、こう考えております。  なぜならば、中高一貫校であっても、中学三年の時点で、果たしてこの子は中学校内容を十分習得しているかどうかということを一応判断をいたしまして、もし不十分であるということになれば、自動的に、その中高一貫校の四年生といいましょうか、あるいは高校一年相当といいましょうかに上がらないこともあるという意味で、自動的に全部上に上がる、高校相当のところに進むというわけではないということは、今回の中高一貫の中でもそうあるべきだ、私はこう思っております。  それから、高校の進学率の高い、低いということについて言うならば、私は、それは低いよりは高い方がいいと思っております。一〇%、二〇%よりは、やはり八割、九割の方がいいと思います。ただ、いたずらに高きをもってとうとしとなすといえば、必ずしもそうでもないだろう。  現実に高校の中退者が今ふえてきている現状というのを一つとっても、義務教育を終えた後、自分は働くという選択肢は今現実は非常に少ないわけでございますが、そういう選択肢もある中で、やはり高校に進むということの意味合いを中学生のときに考えて、なぜ自分は高校に行くのだろうか、周りの子供たちがみんな行くから自分も行く、そういう式の発想でやはり高校に行ってほしくないな。自分なりの精いっぱい考えた高校に進む意義、位置づけ、自分の将来にとってどういう高校がいいのかということを考えながら高校に進むべきであって、そこはやはり義務ということではないのだろう、こう思います。  また逆に、一たん中学を出て社会に出て、やはりもう少し勉強したいということで、例えば二十になってもう一度高校へ戻るという道だって十分あるわけでありまして、そういう意味の柔軟性が、あるいは柔軟な発想というものがこれからはますます重要になるのではなかろうかと私は考えます。
  36. 池坊保子

    池坊委員 さまざまな選択肢の中に中高一貫制があるように、私は、それと並行して、高校に行かない子供たちの受け皿というのも何か考えていただきたいなと思うのですね。  今、教育の荒廃が叫ばれておりますけれども学校に行くということがもう受け皿になってしまっているから、それに外れた子供たちがどこに行っていいかわからないという、今子供たちが本当に迷っているというか、さまよっているのではないかと思いますので、中高一貫制だけでないその選択をさまざまつくっていただきたいと思います。  大学入試について伺いたいのですけれども、今の大学入試であるならば、中高一貫制教育は、下手をすれば、私立中高一貫制と同じように、五年間ですべて終えてしまう、一年間は大学入試のために使うということになってしまうのではないかと思います。そのことも考えていただきたいというふうに思っております。  最後に、この中高一貫制教育とは違うのですけれども文部大臣は、この間週刊誌で林真理子さんとの対談の中で、中教審が家庭のあり方というのを答申した、これを母子手帳に書きたい、母子手帳と一緒に載せたらどうかというのをお話ししていらっしゃいました。私は大変いいことではないかと思いまして、先回、実は私、母子手帳に文部省として出していただきたいと申し上げようと思ったのですが、時間がなくて申し上げられなかったのです。私が母子手帳に書いていただきたいというのは、幼児虐待なんです。  今、幼児虐待というのがすごく多くなっております。日本は、低学年の教育というのは、他国に比べて大変水準が高いと言われておりますけれども、大切なことは、小学校に入ってからの教育ではなくて、幼稚園のときから、あるいはそれ以前からが必要なのではないかと思います。  児童福祉法第二十五条には、通告の義務とございます。通告しなければいけない、それは一般人に与えられている義務なんですが、なかなかこれが果たされておりません。ぜひ私は、厚生省と連携をとって、この児童虐待というのに何か歯どめをかけていただきたいなと切に希望しております。なぜかと申しますと、小さいときにいじめに遭った子供たちは、大きくなってから必ず学校でもいじめを今度はする側に回っているという統計も出ております。  児童虐待は、比較的子供の多い人に多いわけです。貧困とか育児疲労、周囲との疎外感、そういうことによって生まれてきておりまして、平成二年度と比べますと今四倍に、平成二年度は千百一件だった虐待に対する相談処理件数が、八年度には四千百二件と四倍になっております。これは表にあらわれている数だけで、去年も全国で百人の子供が虐待によって殺されたというふうに調査が出ております。これは、子どもの虐待防止ネットワーク・あいちというところの調査でございます。  ことしに入りましても、残忍なやり方で実母により殺された子供たちが六人もおります。それだけではなくて、たくさんの虐待が行われておりますので、ぜひ母子手帳に虐待等々のことも触れていただきたい。  それから、このごろ「子供駆け込み一一〇番」というのがございます。子供が、何か危ない、見知らない人に声をかけられたらそこに飛び込んだらいいんだ、そういうのと同じように、お母様方のそういう閉塞感を受けとめる施設というか、それを厚生省とリンクしてぜひつくっていただきたい。これは教育の大きな問題だと私は思っておりますので、これは文部大臣に切に希望いたします。
  37. 町村信孝

    町村国務大臣 児童虐待のお話に触れながら家庭教育重要性にお触れをいただいたわけでございますが、私も大変憂慮しております。最も信頼をしているはずの親から受けた虐待の恐ろしさというものは、多分それを受けた人でなければわからないほど深刻かつ重大なものだろう、こう思います。  適切な答えになるかどうかはわかりませんが、先ほど委員お触れをいただきましたが、今御審議をいただこうとしております補正予算の中で、母子健康手帳交付のとき、それはすなわち妊娠をしたときということですね、それから一歳半の健康診断、三歳児の健康診断、それから入学前の健康診断、要するに四回のチャンスに着目をいたしまして、そこで母子手帳と一緒に家庭教育手帳というものを渡そうと、その印刷、配付の費用を今回補正予算の中に実は急速組み込ませていただきました。そういうことによって、願わくは、幼児虐待がなくなるようにということを考えております。  それと同時に、家庭教育相談体制の整備という ことで、家庭教育カウンセラー等を活用したそうした体制の整備ということも、あわせて今進めていこうとしているところでございます。
  38. 池坊保子

    池坊委員 幼児教育はこれからの人間形成には多大な影響を与えると思いますので、ぜひ文部大臣にそれの手だてをしていただきたいことを強く希望し、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
  39. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、西博義君。
  40. 西博義

    ○西委員 学校教育法等の一部改正案について、大臣に御質問申し上げたいと存じます。  この質問に先立って、まず教育改革、それから中高一貫教育制度に対する私の基本的な考え方を大臣に申し述べたいと思います。  先ほども池坊委員と、中学校から高校の進学に関する事柄で大変興味深い議論がございました。全員必ずしも行く必要はないのではないかという考え方と大臣のお答え、非常に興味深く聞いておりましたが、私どもが新進党時代から中高一貫教育の導入を主張してきたその大きな目的としましては、希望者の高校への全員入学を保障するという考え方にありました。  それは、思春期という、心身発達上、大切な時期にもかかわらず、高校受験という関門のために潤いのある豊かな教育を受ける機会を阻害されている現状、これがあるわけですが、その現状を憂うとともに、現代社会においては高校まで学習を保障するということが望ましいという立場に立っているからでございます。もちろん、保障という意味ですから、中学を卒業してすぐにということは必ずしも必要はない、こういう考えに立ってまいりました。そういう観点からいたしますと、中高一貫教育の導入、それから高校入試の廃止ということは、その目的を達成するためのあくまでも手段である、こう考えております。  私は、国公私立いずれかの高校へ、できれば希望する学校へということでございますが、全員が入学できるということ、それから、高校入試の方法の大幅な多様化が進められる、このことを前提の条件とすれば、必ずしもすべての学校中高一貫校になる必要はない、こう考えております。ゆとりのある教育を行いやすいシステム一つとして今回の中高一貫制度を推奨するということはもちろんのことでございますが、大事なのは、あくまでも高校教育の就学を保障するということであって、このことによって評価の多元化を図るということを主張しておきたいと思います。  現行制度では、障害を持った児童生徒たちが高校の進学においてどうしても不利な状況に置かれているということは、前回の委員会でも私が主張させていただいたことでございますが、地域それから健常者、教育機会、この三つから障害者は分断されている、こういう趣旨で前回申し上げました。障害を持った児童生徒たちこそが生きる力を養えるように、質量ともに充実した教育機会を保障されるべきである、こういう主張をさせていただきました。  現在、地域で健常者とともに通級による指導を受けている生徒が高校でも同様の教育が受けられる、こういうふうになることを切に願っております。このことに対して大臣の御答弁をちょうだいしたいと思います。
  41. 町村信孝

    町村国務大臣 現実の姿を見ますと、いろいろな学校の、例えば希望の高校の倍率というのを見ますと、一・〇三倍とか〇・九六倍とか、言うなら、事実上、高校全入に近い状態というのがもう既に生まれてきている、これは、残念なことに少子化の結果と言ってもいいのかもしれません。  そういう意味で、私は、どこの学校というのにあえてこだわらなければ、高校に行きたい人は全員行ける状態が客観的にはもう生まれてきているのだろう、こう思っております。でも、なおかつ、やはり特定の学校に集中したり、あるいは特定の学校は一倍に満たなかったりということが生まれるのは、やはりまだまだ残っております今の偏差値信仰といったようなものも大きく影響しているのだろう、こう思っております。  そういう意味で、職業高校も含めて、学校特色高等学校特色というものをもっともっと発揮をして、その特色に応じた選択ができるようにというふうに、高校の入学試験を、入試のあり方あり方として改善をもっとしていく必要がありますが、やはり高校自体のあり方ももっと特色を持たせていく。何かどこを見ても同じような普通高校で、ただ入学時の偏差値だけが違うという姿というのは私もいいとは思っておりません。そういう意味で、もっと特色のある高校をつくるということが望ましいな、こう思っております。  また、障害のある児童生徒の進学のお話、先般の委員会でも西委員から大変熱心な御議論をいただいたことを私もよく記憶をいたしております。  障害があるないにかかわらず、できるだけその子にとって最も望ましい形での勉強ができるように、生活ができるように、環境整備をさらに一層進めていく必要があると私も考えているところでございます。     〔委員長退席、河村(建)委員長代理着席〕
  42. 西博義

    ○西委員 大変前向きな熱心な御答弁、ありがとうございました。  さて、現在、重点的に改革を求められている教育の分野では、特に中等教育ということになるのではないか。その一環として、今回の中高一貫教育のことも提案されているのではないかというふうに理解をしております。  そういう意味で、今回のこの制度は、問題を抱える中学校、もちろん一部高等学校もあるわけでございますが、これに対する有効な対策としては、これから先の進捗状況にもよるわけでございますが、全体的には即効性のあるものではなかなかなりにくいのではないかというふうな危惧をいたしております。このこと自体はいいのだろうと思うのですが、影響力という観点から考えますと、一挙に影響力を発揮するというところにはなかなかいかないのではないか。五年、十年とかけて、ある程度じわじわとそういう拡大を図っていくというのが文部省の、また地方教育委員会のお考えではないか、こういうふうに思うのです。  そういう意味で、私は、現状を打破するもっと即効性のあるといいますか、この今の改革と同時にやるべきことについて幾つか提案を申し上げたいと思います。  一つは、先日も申し上げましたけれども中学校の三十人学級の実現のことでございます。二つ目が、高校への就学保障をするという前提で、学力試験によらない選抜制度の対象の定員を全体の三割以上に、大ざっぱに言って三割程度以上にしていただきたい。今でも推薦入学とか実際上幾分かはできているわけでございますが、このことが二点目。三つ目は、中学校、高校に、コーヒーブレークや憩いの場としてラウンジを設ける、ちょっととっぴな発想かもしれませんが、この三つを申し上げたいと存じます。  先日、IPUの国際会議で南アフリカの隣の国のナミビアという国に行ってまいりました。建国八年目のまだ若い国でございます。その際、地元の小学校とそれから唯一の総合大学ナミビア大学を訪問させていただきました。小学校では、授業と授業の間に先生方がコーヒーブレークということで談笑する場を設けておられまして、ゆっくりとお互いの情報交換をしている姿を見てまいりました。逆に職員室というあのかた苦しいオフィシャルの場はなかったのでございますが、そういうことが大変印象的でした。  そういうことを参考に、やはり日常的に先生方がリラックスをする、同時にその中に生徒も加われるような、コーヒーというのはちょっとお金がかかるかもしれませんが、お茶でも何でも、そういう自由な雰囲気で交われる、そんな場ができればいいな。しかも、空き教室一つぐらい使って、お互いが裸でといいますか本音でつき合えるような、そんな場があればもう少しゆったりとした情景が出てくるのではないか。こう思うのですが、お考えをお聞かせ願いたいと思います。
  43. 御手洗康

    御手洗政府委員 御指摘のように、学校におきまして児童生徒並びに教職員が豊かな空間を共有いたしましてさまざまな交流ができる、あるいは くつろいだ雰囲気で一日の生活をしながら勉学にいそしむという環境を整えることは大変私ども大切なことであろうかと思っております。  こういった観点から、国の国庫補助基準面積につきましても、逐次各小中学校等の実態やニーズに即しながら改善を図ってきたところでございますけれども、このたび平成九年度に小中学校校舎国庫補助基準面積の改定を行いました際に、例えば小中学校に多目的スペースを設ける場合の面積を、全体の必要な面積の、従来は七・六%でございましたけれども、これを一〇・八%まで拡充する。それから、中学校の場合には、従来は六・〇%でございましたけれども、これをまた八・五%まで拡充するというような基準面積の加算も行わせていただいております。  また、その際新たに、十八学級以上の学校につきましては、職員室とは別途に職員ラウンジ、十八平米ぐらいでございますけれども、そういったものが設けられるような基準の改善を図ったところでございまして、新たに建築をする場合のほかに、御指摘ございましたように、既存の学校施設におきます余裕教室等を改造いたしましてこういった多目的スペースあるいは職員のためのラウンジ整備に要します事業につきましても、大規模改造事業あるいは木の研修交流施設整備事業というような形で、他の改造事業とあわせまして補助対象としているところでございますので、今後とも十分意を用いてまいりたいと考えております。
  44. 西博義

    ○西委員 大臣、職員ラウンジと非常に近い計画があるように今お伺いしたのですけれども、あくまでも何か職員に固定されているような、職員室の延長線上のような感じがするのですけれども、もう少し自由度を持った発想というか、生徒も自由に出入りできるというような環境ができないものか、ちょっとお考えをお伺いしてみたいのですが。
  45. 町村信孝

    町村国務大臣 私も、先日ある高等学校を見に行ったときに、昔の学校と違ってすばらしく施設も立派だし、太陽の光もいっぱい入ってくるし、そのちょうど真ん中辺に、まさにあれが多目的スペースなのだろうなと思いましたが、非常に広々とした場所があって、コーヒーのマシンが置いてあったかどうかはちょっと記憶にございませんが、それは生徒ももちろん使えるし、もちろんそういう場ですから先生も使えるというふうに、室内ですが、いすが少し並んでおりまして、ああこれはとてもいいなと思いました。  でありますから、空き教室というのも随分できてきたりしておりますし、特段の工事をしなくてもちょっとした改修でできるのだろうと思いますので、生徒先生の、教室という場以外の場での、自分の担任でない先生あるいは自分の教科担当でない先生との触れ合いの場も生まれてくるならば大変いいのだろう、その辺は随分ゆとりのある学校の基準に今変わってきているのだなということを実感として先日見た記憶があることをお伝えさせていただきます。
  46. 西博義

    ○西委員 そういうところから少しずつ先生生徒の間のギャップが埋まってくるのだろうなと私も思います。前向きにまた施策の方お願いを申し上げたいと思います。  続いて、先ほど申し上げました三十人学級、前回もちょっと申し上げたのですが時間切れになりまして、改めてもう少し議論を展開させていただきたいと思います。  この議論はあくまでも中学校についての三十人ということに今回は限定して考えてまいりたいと思います。と申しますのは、後からも出てくるのですが、小学校は小規模の学校がたくさんあるものですから一学級当たりの平均の児童数が結構少ないのですね。高校は逆に、クラスとしては多いのですが、選択科目とかということでさまざまな履修の形態がございますので、必ずしも大規模なクラスに固定されているということではございませんので、中学校に比較して少人数教育をそれぞれ受ける機会がある、こういうことを前提にしておりますので、中学校について議論を進めさせていただきたい、このように思います。  まず、公立中学校の姿を見るために、今お配りいたしました、数字ばっかりでまことに申しわけないのですが、三枚つづりの参考の資料をお配りしております。  上が中学校、下が小学校で、これは平成九年度の実態でございます。学校基本調査報告書からとりました。学校の区分としては単式、複式、七十五条、これは特殊学級等ということですが、それぞれの区分がございまして、学級数がそれぞれ出ております。これからの議論は、複式学級でもなく特殊学級でもない、いわゆる単式の普通のクラスということを前提に話を進めたいと思います。  十二万三百十四の学級数がございまして、生徒数は、一学級当たりの生徒数が三十四・八、これは四十人学級ですね、今、全国そうなっているのですが、この三十四・八というのが今公式に皆さん言われている数字だ、こういうふうに認識をしております。  その次のところをめくっていただきたいと思いますが、ボードも持ってきたのですが、同じことですので表を見ていただいてもよろしいのですが、上のところの表、収容人員数、これは一クラス当たりの人数です。ですから、本来は四十人までですけれども、それぞれの小中学校の人数とクラスの数を挙げております。  小学校は全国で二十五万のクラスがある、中学校が十二万のクラスがある、それぞれ比率が出ておりますが、これで特徴的なことは、小学校は少人数ですから、途中で、二十六から三十人、三十一から三十五人、それから三十六から四十人までのクラスが多くなり、四十一人以上のクラスが逆に少なくなる、こういう状態になっております。一番多いのは三十一から三十五人の学級で、次いで二十六から三十人と三十六から四十人がほぼ同じぐらいの数になっている。  それに対して、大規模になってまいります中学校は、三十人ぐらいまでのところが非常に少なくて、三十一から三十五人で三二、三%でしょうか、それから三十六から四十人が五五%ぐらいになっている、こういう実態になっております。先ほど申しました平均のクラスの人数、三十四・八人という統計上の数字が出ておりましたけれども、ほぼ三十五人あたりのところがクラスの平均の人数である、こういう実態があらわれてまいります。  これを逆に三十人学級に縮小していこうということなんですが、先ほどのグラフの上位の部分からずっと三十人学級に押し縮めていく過程において、どういうクラスが出現するか、平均どれだけになるかということなんです。  統計上の資料しか出ておりませんので、例えば三十六から四十人のクラスが何ぼありますよ、こういうことで、この中の実数が何人のクラスということを統計上でしか特定できません。ですから、確かな計算は、それぞれの学校の規模に応じてクラス編制を三十人学級にした場合、幾つになるかということは、きっちりとした計算は出てきません。  しかし、そうはいっても、ある程度の推測は可能でございまして、これでいきますと、クラスの幅が三十一人から三十五人ということですので、中間値をとるとか、最大値、一番その中の大きい数字をとるとかいう計算をしてまいりますと、クラスがどう変動するかということは計算上ある程度可能でございます。  そういうふうにして計算をやってまいりますと、最終的には−今まではどちらかというと、この間も大臣から、三十人学級になるとかなりクラスの平均の人数が少なくなって、十人台後半から二十人前半ちょっとぐらいになるのではないかという御答弁を実はちょうだいしたのですが、こういう計算をしてまいりますと、上の部分が大変大きい、大規模なクラスが大きいものですから、三十人学級でやりますと、今の三十四・八の四十人学級が押し縮められて、平均で二十七から二十八という数字が出てまいります。つまり、ずっと大規模なクラスが急速に伸びていたのが、三十人学級にしますと、また同じように三十人近くのと ころに張りついていく、こんな結果が出てまいります。  同時に、この試算でいきますと、大体三万一千ぐらいクラスがどうやらふえそうだという計算が出てまいります。現在の単式の学級は十二万三百ぐらい、先ほどの統計の表のとおりでございますが、これに三万一千を加えますと、十五万一千五百学級ぐらいになる。生徒数が四百十八万四千ですから、二十七・六という平均のクラスの人数が出てくるわけでございます。  このことについて、これは今すぐにということは、大臣、あれですから、関係の文部省の方にお伺いします。
  47. 御手洗康

    御手洗政府委員 御指摘がございました学校基本調査等の推計に基づきまして、先生指摘のような、お伺いするところによります作業をいたしますと、御指摘ございましたような三万人とか三万八千人とかいうような数字が出てくることはそのとおりであろうかと思っております。現実の児童生徒数の分布、あるいはそれをもとにいたします想定されるでありましょう平均的なクラスの収容児童生徒数も、そういう試算でいたしますと、大体そういう形になろうかと思います。  しかしながら、現実には、四十人学級では、現在でも論理的必然でございますけれども、二十人から四十人まで分布する、それから三十人学級になりますと、論理的な必然でございますと、十五人から三十人まで分布するという中で、今言ったような数字が出てくるということだと思っております。  全体としての数字も、私どもも、一つの推計方法としてはかなり合理的な推計数字ではないか、こう考えているところでございます。
  48. 西博義

    ○西委員 ありがとうございます。  統計数字ですので多少の変動はあろうかと思いますが、大ざっぱにはそんな程度の数字になろうかと私どもも考えております。  そこで、今度は学級の規模と教育の効果についてということ、これは議論がさまざまあるのですが、私自身二十年教えておりまして、大体高専も四十人クラスなんですが、たまたま選択科目なんかで三十人とか二十五人とかいうクラスがある場合があるのですが、実感として申し上げますと、たった十人減っただけではないかと言いますが、後ろのクラスの部分が空白になって前に寄ってくる感じで、三十人クラスになりますと、後の採点の作業とかすべてを含めまして、教師にとっては、実感としては約半分ぐらいの楽さになる。僕は、四十人はずうっと負担に感じてきました。この十人の差というのは大変大きいように実感をしております。  そのことが成績に、学業にどれだけ響くかというのはこれはまた別の問題でございますが、特に生活指導上の、個人個人の、一人一人に目が届くという意味では大変大きな効果を発揮するというふうに私自身は経験上もそう思っております。ぜひ実現を目指して、大臣にも御協力を、また推進をいただければ、こう思うわけです。  これも、ないないということですが、二十余り、私がちょっと調べただけでも、規模と教育効果という研究がございました。三十人にすればどうかということが必ずしもすべてではございませんが、さまざまな研究の成果の中で、一般的には、規模を縮小すればプラスの効果があるということは、その効果の程度は別にして、大体そういう傾向にあるように思います。さらに、特に教科というよりも生活指導面で細かく目が届くという結論が多かったように思います。  そういう意味で、三十人学級に縮小したケースがまだまだ研究成果として上がっていないということを理由に後ろ向きになるのではなくて、わからなければ研究開発校等の研究の一環として努力をして、ぜひ前向きに考えていただきたい、これが一点でございます。  今度は、三十人学級の財政的な視点からもいろいろと問題があろうかと思います。規模を縮小するのがいいのか、今の路線のようにチームティーチングという形で四十人を固定するのか。これが二者択一の問題ということになるのだろうと思うのですが、私は、どちらにするかという一本の路線は必ずしも必要ではないのではないかというふうに考えております。  この規模の縮小、それからチームティーチングの効果、このチームティーチング、実は全部が全部プラスという評価でもないのです。教科指導ということだけで余り効果が見られないような科目もあるし、場合によってはそういうケースもあるというふうな記述がございます。そういうことなんですが、それぞれの利点を生かして両方推進していくべき問題ではないか、学習効果があらわれないということだけでもって否定すべきものでもないのではないか。  今まで、どちらかというと一斉指導、一斉教育ということが強調された中で、チームティーチングによる刺激を与えるということも大事でしょうし、また小規模の教育、特に大規模校のクラス、四十人ぎっちりというところでは小規模にして効果を上げる、こういうふうな機会を与えることも大変大事であり、両方の利点を推進すべきではないか、こういう考え方を私自身は持っておりますが、大臣の御所見をお願いいたします。
  49. 町村信孝

    町村国務大臣 西委員から大変級密な計算も示していただいたことに感謝を申し上げますし、また御体験に基づく貴重なお話も承らせていただきまして、ありがとうございました。  今チームティーチングを、例えば三十人学級あるいは四十人の学級のままでそれをミックスする、いろいろ多様な方法があるのではないかという御指摘をいただいたわけでございます。御承知のように、チームティーチングで少人数によるグループ指導でありますとか個別指導を展開する、あるいは児童生徒の学習の進度とか興味・関心に応じまして、例えば二つの学級を三つに分けてグループ編成をして指導するということで、できるだけ今の中でも児童生徒個性に応じたあるいは理解度に応じた教育が展開できるように教職員の配置の改善を図ってきたりしているわけでございます。  委員指摘のように、例えば四十人のままでも弾力的な学校内での運用、多様な柔軟な指導方法というものがあり得るし、そういう方向で積極的にそれぞれの学校で創意工夫を生かして努力をしていただきたいな、かように考えているところであります。
  50. 西博義

    ○西委員 次に、三十人学級の実現の最大の支障というのは先生方の配置の問題だろうと思うのです。定員が実にたくさんふえるということだろうと思うのですが、これについても、実はこの学校基本調査によりますと、公立中学校のクラスの数がございまして、先生方の数がございます。正の担任ということだけでいきますと、クラスの数が担任の数でございますので、もちろん校長先生、教頭先生を外して、担任についていらっしゃる人の割合というのは中学校で六〇%でございます。これは統計上出てまいります。残り四割の人が副とかいろいろな意味でまた学校運営に協力をされている、この数が八万七千ということでございます。  三十人学級を行った場合に、先ほどもちょっと試算をいたしました。低く見積もれば三万一千、統計上の最大値をとればもう少し高いのですが、中間値で三万一千ぐらいのクラスがふえるであろう。それに対して、直接正の担任についていらっしゃらないのが八万七千ということでございますので、もちろん、担任が配置できれば中学校は動くなんということはあり得ないことでございまして、三万一千のクラスがふえれば毎日三万一千の人たちがその現場で授業をするわけですから、単純にはいかないわけですが、三万一千人をふやさないと運営できないということでもまたないのではないか、こう思っております。  その分、三十人学級の実現のために、第七次になりますが、次の定数改善計画の中にぜひとも三十人学級考え方を取り入れていただきたいことを要望いたしたいと思います。だれか御答弁お願いいたします。
  51. 町村信孝

    町村国務大臣 第七次というか、第六次の後どうするのかというお話、数多くの委員からこの委員会でも御指摘をいただいているところでございます。  何せ昨年の十二月に財政構造改革法を制定したばかりで、もっとも今その改正をお願いしているところでありますから、何であわせてやらなかったのかというおしかりは甘んじて受けなければなりませんが、平成十二年度の完成ということで、二年延長せざるを得なかったという状況でございますので、私どもとしては、とにかく十二年度、これがさらにおくれることが決してないようにしっかりと進めていきたいと思っております。  また、学級編制あり方、教職員配置のあり方、今委員からも貴重な御意見、御指摘もいただきましたので、今後、今の計画の評価というものもいろいろ考えながら、十分部内で勉強、検討してまいりたいと考えているところでございます。
  52. 西博義

    ○西委員 次に、第七次の定数改善計画、今若干大臣の方から御答弁いただきましたが、私の方で、ぜひともこういう考えも取り入れていただきたいという部分がございます。ちょっと申し上げてみたいと思います。  学校制度が戦後五十年、硬直化、また疲労してきたということが言われておりますが、疲労してきたのは、もちろん建物も疲労しているわけですが、人間が疲労しているということに尽きるのではないか、生徒も含めてでございますが。そういうことで、逆に今先生の方もやはり大変疲労しているというのが実態ではないかというふうに思います。  この間、私の出身の、地元の津木中学校のお話をさせていただきました。そのときには二人の障害児を話題にさせていただいたのですが、この二人の障害児を育てるために献身的な努力をしてくださった先生もまたいらっしゃるわけで、担任の先生、それから中校長先生、こういう人たちの努力のかいあってああいう見事な成果が出たのだと思います。そのドラマを忘れることはできないと思います。  教育というのは大変骨の折れる仕事でございます。どこまでやればいいのだという限界もありません。それだけ情熱をかけていることを評価すべきだ、こう思うのですが、同時にやはり、そんなところで常に新しい、フレッシュな新規採用に伴う刺激というものがこれまた必要なことではないかというふうに思うわけでございます。  そこで、第七次の定数改善計画についてですが、学校のリフレッシュのためにぜひとも教員の増加を図っていくべきだと考えております。  先ほども三十人学級のところでも一部申し上げましたが、現在行われているチームティーチングなどの指導の工夫、この措置が恒久化される必要があるのではないか。今はそうはなっておりませんので、いずれこういうことが問題になると思いますが、まず一つは、少人数指導についての定数を確保していただくこと。これは三十人学級という、私は一つの計算、計算という言い方はおかしいですけれども先生の配置のあり方の根拠として三十人学級ということを申し上げましたが、もちろんチームティーチングに使っていただいても結構ですし、指導の工夫をその中でやっていただくということが前提でございます。  もう一つお願い申し上げたいのが、これからの情報化に備えて、事務職員をぜひとも充実増加をさせていただきたいということでございます。  ナミビアの小学校に参りますと、二人の事務職員の女性の方が、専門官がおられまして、コンピューターが二台ありましてそれが全部のクラスにつながっている。建国八年目にしてうちの地元の、地元というか、日本小学校よりもある意味ではずっと進んでいるなというふうに感心いたしましたけれども日本学校教育ももう少しそういう意味では情報化についても対応できる部分があるのではないか、こう思います。  各種の行政的な書類をつくったり、報告書、統計、アンケート、種々の調査書、内申書、先生方は、ただ教えるという以外のところで大変忙しい思いをしておられます。その事務負担は、私も経験がございますが、かなりの事務量と、それから時間をとられるわけでございます。これを全部が全部事務職員が行うというわけにはいきませんけれども、かなりの部分、事務職員が行える内容のものもあるわけですが、子供たちとの時間をふやすためにも、やはりまた教科の研究等も必要ですから、その時間を確保するためにも教員の事務作業量を軽減する方策をぜひとも大臣にお考えをいただきたい、こう思うわけでございます。  そうなってまいりますと、事務職員の定数も含めて、今のままでいいのかということも当然考えられるわけでございます。大臣は、教員が行っている事務書類の種類、数量、これはもちろんたくさんだということは十分御認識だと思いますが、各校平均、学校数と事務職員の人数で割りますと、これも統計上ですが、各校一人ずつということになっております。大規模校も含めてでございますが、それで十分なのかということも含めて御答弁をお願いしたいと思います。
  53. 御手洗康

    御手洗政府委員 御指摘ございましたように、今後の情報化等の対応につきまして、教育面でもパソコンの整備あるいはインターネット接続への準備等々を進めているところでございますけれども学校事務の効率化を図っていくということは学校運営全体を生き生きとしたものにしていくということで、極めて大事なことと考えているところでございます。  事務機器の情報化につきましても、現在、実は平成五年度からでございますけれども、交付税措置によりましてファクシミリや事務用のコンピューター等の整備を図るための措置を、平成十七年度まで総額五百億円ということで自治省と相談しながら進めているところでございますので、今後ともこの計画の着実な実施に努めていきたいと思っているところでございます。  また現在、中央教育審議会におきまして、学校の自主性、主体性をどうやって確保するかという議論が行われておりますけれども、この中でも、小規模校等におきます事務の効率化あるいは共同処理といったようなことを含めまして、学校の事務処理体制の位置づけというものを校務運営全体の中でもう一度見直していくというような議論も行われておりますので、今後、それらを踏まえまして、私どもとしても適切な措置を行ってまいりたいと思っているところでございます。  現在、事務職員の定数につきましては、御指摘ございましたように三万二千三百八十校ほど配置しておりまして、配置率は全体で九五・八%というようになってございます。これは、三学級以下の小さな学校におきまして四校に三校という配置率しかございませんので、その分が欠けているという部分があろうかと思います。  また一方、今回の改善計画におきましては全体で千三百八十九人の改善を図るということにいたしまして、これは主として大規模校におきます複数配置、これを、小学校二十七学級以上、中学校は二十一学級以上に県費負担教職員としての事務職員を配置したいという計画で進めておりますので、これも平成十二年までに着実に進めてまいりたいと考えております。
  54. 西博義

    ○西委員 さて、また中高一貫教育制度について話題を戻したいと思いますが、特に私は、地方が抱える問題を中心に大臣に御質問を申し上げたいと思います。  大臣の地元の選挙区にも若干この地方的なところがあると思いますので感覚はおわかりいただけると思うのですが、まず地方は、今の状況でも高校に通うためには下宿しなければならない。私ども和歌山の田舎の方は、山間部ではもうそういうだけでも大変制約があるわけでございますが、通学距離の制約等不利な立場におるわけですが、さらにその格差を助長させることが心配だという観点から打開策を探ってまいりたい、このように思っております。  中高一貫教育制度の導入の目的を一言で言えば、選択肢の多様化である、制度的な問題としてはそういうことになろうかと思います。この観点 から、既存の中学校中等教育学校もしくは併設学校、こういう選択が確保できないときは自治体は中高一貫校設置できないということになります。一つの自治体そのものが全部中高一貫という形はとれない、こういうふうなことが言われております。  そういう意味で、市町村中学校設置しなければならないという、学校教育法二十九条の観点から、そういう縛りがあるわけでございますが、ある町の中学校をすべて中高一貫にするということは、単独ではできないということが正しいのかどうか御確認をしたい。これが一点でございます。  それができないのであれば、幾つかの町に、例えば三つの町がございまして、それぞれ中学校が田舎で一つずつある。事務組合をつくりまして、おたくの中学校中高一貫校にしてほしいよ、あと二つは中学校で、三つの町で二つの既存の中学校に行かせて、ある町はもう中高一貫校だけしかなくなってしまうけれども、そういう設置形態、その一つの自治体からいうと中高一貫校だけしかないという形ができ上がるわけですが、このタイプの設置はできるのか、この二点についてちょっと確認をしておきたいと思います。     〔河村(建)委員長代理退席、委員長着席〕
  55. 辻村哲夫

    辻村政府委員 まず第一番目の点でございますけれども、今回の中高一貫教育の導入、これは選択的な導入とあるわけでございますが、これは現行の中学校高等学校という制度に加えまして、生徒あるいは保護者判断中高一貫教育制度をも選択可能とする、そういう趣旨のものでございます。  学校教育法上は、市町村区域内の学齢生徒を就学させるために必要な中学校設置する義務が課せられるということでございますので、この中高一貫教育整備されるといたしましても、市町村としては、その当該市町村の学齢生徒が希望した場合には、中高一貫校ではない中学校にも就学し得るという形での対応措置を講じておく必要があるというふうに考えております。これは法制的なものでございますけれども。  ただ、もう一点、では事務組合をつくってやってはどうかということでございますけれども、その場合には、幾つかの市町村が事務組合をつくりまして、そしてその管内の中学校あるいは中高一貫校をどう整備するかということで御相談されて、中学校それから中高一貫校整備される、その場合には、結果としてある町、村をとった場合には、中高一貫校だけがある、そして中学校がないということはあり得るであろうというふうに思います。それは事務組合として設置義務を履行しているということでございまして、当該町村の中に結果として中学校がないという形のことはあり得るというふうに考えております。
  56. 西博義

    ○西委員 よくわかりました。  もう時間がなくなってしまいましたので、もう一つの資料をごらんいただきたいと思います。  大体田舎ではこういうことになっておると思うのですが、高校が二つないし三つ、その下に中学校、これは三つありますが、こういうタイプ。私は、これは和歌山最南端の新宮方面をちょっと想定して書いたのですが、こういう基本的な考え方。  これで、今A高校を中高一貫校にしよう、こうした場合には、Aが中高で一学年百五十人を七十五人ずつ、それで、C、D、Eの中学校からBの高等学校へ行く、こういうことで中高一貫校とこの高校と、既存のものが二つ併存していくことになります。  ただこのときに、中高一貫校をつくるのはいいのですが、逆に既存の中学校に進む人にとっては大変選択の幅が狭まるという、B高校しか行けなくなるということが現実の問題として起こってまいります。ここでもう一つ高校があっても、大体二つないし三つの高校で普通科と工業、商業、農業、そういったある程度バランスをとってどこかに行けるという自由度をどこの地方でも大体行っているわけですから、こちらの自由度があるかわりに、こちらにおいては逆に自由度が少なくなるということを一つ指摘したいわけでございます。  その下のところは、同じ七十五人で、もう一つの問題は、こういうタイプにしますと高校の定数があぶれてしまう。ここはまた改築して、この下のように、七十五人、三校を受け入れるだけの増築をしなければならないという問題が起こってまいります。  そうなりますと、一番現実的なのは一番下の、中学校と高校を併設型の学校にして、百人と百五十人という形にして、一部この百人、百人の五十人をこちらに高校段階から行っていただいて、百五十人の高校にするか、これだと、一応見かけ上、既存の中学校から高校に行く場合に、今までの高校に行く場合と併設高校に行く二つの選択肢が若干幅が出てくるということでございますが、この辺も非常に悩ましい問題だなと。これで自由がありますからいいよということには必ずしもいかないのかな。  こちらの中高一貫教育をする上においては、この高校自体の多様性が必要であると同時に、こちらの方にももちろん多様性を考えてあげないと、普通科しかないよということでは、大変厳しい事態になってくるのではないかというのを、私が田舎というか地方の側面で見た、中高一貫校の考慮すべき問題として指摘をしておきたいと思うのですが、関係者の御感想をお願いしたいと思います。
  57. 辻村哲夫

    辻村政府委員 先生が今示されましたケース、私どもも内部でいろいろ検討しておりましたときに出てくる典型的な場合のケースを先生示されたというふうに思います。  どんな形で中学校高等学校をつなぐのか、あるいは中学校卒業生をどのような形で高等学校に受け入れていくのか、そのありようにつきましては、今回選択肢が広がる、その中で、各設置者におきまして、生徒あるいは保護者のニーズ等を十分に踏まえながら御検討いただき、御判断いただきたいと思っておるわけでございます。  ただいま先生が示された中の一番下の案でございますけれども、いわゆる併設型で、その学校にも他校からの進学の余地を残しておくというのも一つの案なのではないかというようなことを、我々内部でも実は議論をしているところでございます。
  58. 西博義

    ○西委員 時間が来ましたので、最後に一つだけ大臣に御質問申し上げたいと思います。  今ごらんいただきましたように、中高一貫校、特に人口の少ない、また地理的な制約がある地方においては、設置をする場合に、種々やはり考えていかなければならないことがあるというふうに思います。こうしてみると、中高一貫校そのものの理想としては、やはり広域から多数の生徒が志願されて、そして、ここにぜひとも行きたいという人たちが何らかの形で選抜をされていくというタイプのものだ、こういう仕組みになっているというふうに考えられると思います。  そこで、地方中高一貫教育を導入するとすれば、これはやはり連携型、一部今の形、タイプとしては併設型が考えられるのですが、連携型ということになると思います。連携型にいたしましても、その中と高との間の連携を強めることによって、実質的には中高一貫に近いものができるわけでございますが、そういう意味で、この選抜方法、中と高の間の選抜方法についての改善をぜひともしていただきたいと思います。  以前に、内申書という調査書の問題を取り上げましたが、高校の選抜について、学校教育法施行規則の五十九条に規定されておりますが、学力検査か調査書、どちらかが最低限必要であるということになっております。せっかく連携ということを視野に入れておられるわけですので、どちらにもよらず、もう少し緩やかな方法で選抜ができる、文部省も簡便化という言葉を使っておられるわけですから、そういう方法をこれからとれるように仕組み上変えていっていただきたい、これを要望したいと思います。評価の多元化ということ にもつながることでもございますし、ぜひ大臣の前向きな答弁をお願い申し上げたいと思います。
  59. 町村信孝

    町村国務大臣 今委員指摘のように、連携型中高一貫教育、要するに、市町村立の中学校と県立の高校、これが連携をするわけでありますが、何といっても中高一貫であるという特色を生かすためには、今までと同じ入学者選抜という形では何のための一貫か、こういうことになると思います。したがいまして、今委員指摘ございましたような、より簡便な入学者選抜が行われる方がいいだろうと私どもも考えております。  どういう扱いにするか、いま少し検討を要するのかな、こう思っておりまして、その具体の扱いにつきましては、今委員から貴重な御指摘もいただきましたから、今後しっかりと検討していきたい。法令上の手当ても、場合によったら要るのではなかろうかとさえ考えているところでございます。
  60. 西博義

    ○西委員 ありがとうございました。  中等教育改革のために、大臣、思い切った決断をお願いして、質問を終わりたいと思います。
  61. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、石井郁子さん。
  62. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。  私は、まず、中等教育の将来像にかかわってお聞きをしたいと思います。  提出された学校教育法等一部改正案の主眼点は、中学校高等学校を一貫教育にするということですし、中でも、新しい種類の中等教育学校をつくるということかなと思うのですね。それに当たっては、各都道府県が選択的に導入できる、あるいは設置できるようにするというふうに言われているところでございますけれども、この新しい学校が将来的に一体どのくらいになっていくと文部省としては想定されているのかということについて。
  63. 辻村哲夫

    辻村政府委員 中高一貫校の趣旨につきましては、ただいま先生からお話があったとおりでございます。  私どもといたしましては、中学校高等学校という現行の制度で学ぶ生徒、それから新しい中高一貫校で学ぶ生徒、実質的に生徒保護者が選択可能となるような整備が必要であるという押さえはしているわけでございますけれども、さて、では具体的に、それぞれの設置者ごと中高一貫校がどれだけ整備されるべきかということにつきましては、これはそれぞれの設置者等におきまして、さまざまな検討を経、地域のニーズ、生徒保護者のニーズ等を踏まえまして御判断をいただくべきものだというふうに考えております。  したがいまして、量的に、国としてどこまでという定量的な数字を示すというのは困難でございますし、また望ましいことではないのではないかな、こんなふうに思っております。
  64. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 あくまでも各都道府県判断でつくられるようにということかなと思うのですが、この質問をしたのは、文部省といえば、先ほどから出ていますように、いわば政策的に誘導するのではないかとか、押しつけをするのではないかと言われているところですから、そこをちょっとだめ押しをしたがったわけでして、政策的にこの中等教育学校を誘導しない、あるいは文部省としてこれこれという押しつけなんかはしないというふうに確認してよろしゅうございますか。
  65. 辻村哲夫

    辻村政府委員 私どもといたしましては、このたび、各都道府県等におきまして、中と高の接続のあり方、あるいは中高一貫校整備あり方等について、幅広い検討の場を設けて検討していただくべく、予算的にも、一億円余でございますけれども計上いたしまして、各県にその予算を活用していただいて検討していただく、その結果を踏まえて各県でそれぞれの判断整備をしていくというような考えに立っております。  ただ、各都道府県におきまして整備をするということになりました場合には、給与費でございますとか施設整備費でございますとかという形につきまして所要の財源措置を講ずる、こういう仕組みでこれに対応してまいりたい、こんなふうに考えております。
  66. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 この点、大変重要ですので、文部大臣にも一言御答弁いただければと思います。確認の意味でお願いします。
  67. 町村信孝

    町村国務大臣 基本は、今局長が答弁をいたしましたように、各設置者判断ということであろうと思います。  ただ、私ども全くニュートラルかといえば、せっかく新しい制度をつくるというのは、それなりにやはりいい点があるだろうと思ってお勧めをしているわけでございますので、無理に、嫌がる県を押さえつけて、さあつくれつくれといったような押しつけはもちろんやるつもりはございませんが、やはり一つの試みとして、新しいタイプの学校選択肢拡大する、そしてそこの教育効果も一定程度想定できるということでありますので、できるだけそれは進めていただきたい。  ただ、実際動かしてみて、これが当初の期待と例えば違ったものになってきたというふうになれば、それはおのずとその地域の皆さん方の支持が集まらない。県議会あるいは市議会等々でも、これは余りうまくないぞということになってくれば、それはおのずと歯どめがかかってしまうでしょうし、もし、いいなということになれば、さらにどんどん拡大するかもしれない。そこは余り私ども予断を持っているわけではございませんが、現時点でいえば、もちろん設置者判断とはいうものの、お勧めばしていきたいな、こう考えております。
  68. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 学校教育法の第一条に「中等教育学校」というふうに加わるわけですね。これは中等教育の複線化ということになるわけで、私は、教育制度としては戦後初めてこういう改革に踏み切るという点で、大変重大な内容を持っているというふうに考えているわけであります。  そういう意味で、率直に言って私もまだわかりかねているところもありますし、徹底した審議を求めたいところでありますが、どういうことなんでしょうか、現行の中学校、高校はこのまま残す、そして六年制一貫の新しい中等教育学校、それから併設型がある、連携型があるというふうに説明されているのですが、これは、やはり将来展望とかかわって、文部省として、押しつけはしないけれども、一体将来どういうことになっていくのが望ましいと考えているのか。  つまり、小学生の卒業者のうち、いわば四つのタイプの中学校、高校があるということですね。例えば、何割ぐらいはこの学校に進む子供、何割ぐらいはここだというような形で、どうなんですか、量的には想定しておられないのですか。
  69. 辻村哲夫

    辻村政府委員 今先生が御指摘のとおり、中高接続した一貫校と中学校高等学校という型、その中高一貫校の中に、中等教育学校という新しい学校種としての学校と、それから併設型、それから、既存の中学校高等学校前提にしながらそこの連携ということに着目した中高一貫、こういう形の、大きくは二つ、細かく申しますと中高一貫の中に三種類という形で整備されるわけでございます。これはそれぞれに特色を備えております。それから、生徒の数の問題等もあるわけでございますので、一律に何割はこうあるべきというのはなかなか示しがたいところでありますし、また望ましくないことであろうというふうに思います。  各都道府県等におきまして、こういった制度が広がる、それを前提にして、さて自分の地域ではどういう形で中学校教育高等学校教育、この間をどうつないでいくかということを御検討いただいて、その判断にまっということが一番正しいのではないか、妥当なのではないかというように思っておりまして、何%をどうということは私どもとして今持ち合わせておりませんし、それはむしろ望ましくないことなのではないか、こんなふうに思っております。
  70. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 新しく中等教育学校設置するという点になりますと、やはり各都道府県の財政的負担というのは大きいと思うのですね。きょう後で議論になると思うのですが、宮崎県の五ケ瀬 中学・高校の場合は六十二億円かけているという超デラックスな校舎です。普通はそこまでいかないにしても、やはり新しい入れ物をつくるということについて、今地方財政状況が大変な折から、いろいろなことが余裕がないとか、またいろいろなことを考えなければいけないというふうに思うのです。  その財政的な裏づけのことについてですけれども、一定ここも措置されているのですけれども、ちょっと伺っておきたいと思います。
  71. 御手洗康

    御手洗政府委員 新しい中等教育学校につきましては、財政的な支援措置といたしまして、必要な措置として、本改正法案におきましても、教員の定数の配置の問題、それから施設整備に対します国庫補助の問題、さらには義務教育部分に対します市町村学校職員の県費負担、あるいはそれに対します義務教育国庫負担の問題ということで、義務教育国庫負担法の改正等をお願いをしているわけでございますけれども、原則といたしましては、中等教育学校前期課程につきましては、現在中学校にとられております措置、後期課程につきましては、現在高等学校にとられている措置というものを考えているわけでございます。  先ほども施設整備につきまして申し上げましたけれども前期課程につきましては、新増築の場合は二分の一、それから改築の場合は三分の一ということにしてございますけれども、御指摘ございますように、現在、児童生徒数が中学校高等学校ともに減るという状況でございますので、当然、既存の校舎等を転用し活用していくというケースも出てまいるわけでございます。これにつきましては、現在、中学校の大規模改造事業につきまして三分の一の予算補助の措置をしてございますけれども前期課程あるいは後期課程につきましても、こういったケースにつきまして、来年度以降の予算措置で適切な対処をしてまいりたいと考えております。
  72. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 このことをお聞きしたのは、昨年来、各新聞報道をいろいろ見ていますと、自治体ではなかなか、いろいろと踏み出すかどうかということでの慎重な検討をされているということがあると思うのですね。国立学校財務センターのある先生が、こういうふうに言っておられたのです。自治体にとって中高一貫校導入の提言は痛しかゆしだ、平凡な中高一貫校では生徒は集まらないし、財政負担がふえるだけだという御指摘があったものですから、それを伺ったのです。  もう一つの問題点は、中学校は現行ではやはり義務教育でしょう。その義務教育一つ特別な学校にしていく、六年制をつくるということになるわけです。それがどういうふうに推進されるかというのはこれから見なければいけないわけですけれども、公教育としての中学校が各都道府県に全部設置が任されるということになりますと、本当に都道府県によっていろいろな事情、財政事情があるでしょうから、非常にばらつきが起きるということになりますよね。義務教育にそうした条件上の格差なんかがこれから生じるというのは、やはり私はとんでもないことだというふうに思うのです。そういう問題を文部省としては一体どういうふうに考えているのか。  そうした公教育にいろいろな格差が生じてくる、地方自治体に任せていくわけでしょう、ということでいえば、そういうことが生じないというふうに言えるのかどうか、あるいは生じても仕方がないというふうに考えておられるのか、そこがお尋ねしたい点なわけです。
  73. 町村信孝

    町村国務大臣 私ども、この中高一貫学校のうち前半部分、前半の三年間、これは義務教育段階に相当いたしますし、義務教育そのものだ、こう思っているわけでございます。  したがいまして、中学校段階、もちろん高校段階も今局長が説明したような各種の助成を考えますが、中等段階における施設あるいは教員の国庫負担、人件費の国庫負担等々については、これは今までの中学校と全く同じようにやっていくわけでありますから、そういう意味での国が果たすべき基礎的なサポートというのは、これは何ら変わりがないと思っております。  ただ、その上に、あとはそれぞれの学校特色をどう持たせるかという部分は、言うならば、いかなる魅力をつけるかという意味で、これは、それぞれの学校で、中高一貫であれ、あるいは既存の中学校、高校であれ、それぞれ、差というとおかしいのですけれども、要するに、魅力の度合いの差といいましょうか、また魅力をつくっていく努力というのは、これは選択肢を提供するという意味で今まで以上に求められるのだろうと思います。  ただ、基礎的な部分について国がきちんとした保障、担保するということは、今回の一貫校であるとないとにかかわらず、それは従前どおりやっていくわけでございます。
  74. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 その辺は私はもう少し突っ込みたい気もするのですけれども、きょうは時間の関係でそこまでにいたします。  別の角度での問題点は、やはり選抜のことなんです。現行の中学校高等学校の間には入試というのがあるわけですけれども、今度できる六年制の中等教育学校あるいは中高一貫併設校では入試がないわけですね。そのかわり、小学校卒業時点での選抜があるという問題なんですね。ここも、やはり中等教育学校、今大臣御答弁のように、前期課程義務教育ですよね。だから、義務教育の中に選抜を導入するという問題というのは、教育の機会均等であるべき義務教育の理念に反することになるのではないか。これはいかがでしょうか。
  75. 町村信孝

    町村国務大臣 中高一貫校は一般の市町村立の中学校とは別に設置されるわけでございますから、その通学区域内の児童については平等に志願の機会が与えられるという意味では、義務教育としての機能といいましょうか、役割というのは別に変わらないな、こう思っております。  では、小学校を出て中学に進むときにそこに何らかの選抜があるので義務教育となじまない、こういう御指摘だろうと思いますが、この点は、これまでの多くの委員の御議論にもあったとおりでございますけれども、学力検査という形でそれをやらずに他の方法、小学校からの推薦でありますとか、あるいはいろいろな面接でありますとか、あるいは抽せんですか、こういったこともあろうかと思いますが、いずれにいたしましても、学力で検査をやって、小学生にまた受験勉強を強いるというような存在に中高一貫校がなってはならない、こう考えております。  なお、現在でも、義務教育段階におきましても、必ずしもすべての人が市町村立の小中学校に通っているわけではございませんで、私立学校あるいは国立の学校を希望する生徒については、選抜を行い、入学を許可しているという実態も現実にある。したがいまして、これが直ちに義務教育違反ということにはならないのではなかろうか、こう思っております。
  76. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 学力試験をしなければ選抜ではない、でも、先ほど辻村局長の方は、中等教育学校に入学するには選抜をするというふうに言っておられますよね。問題は、その選抜の仕方なんだということかなと思います。  では、そこに入らせていただきますけれども、先般来、内申書をどう見るかとかいろいろあるのですけれども五ケ瀬中学の例で申しますと、応募者は、言ってみれば五項目にわたっていわば点数化されて、そして六十名に絞られているのですよね。それは、推薦調査書、それから作文、あるいはグループで討議をする、模擬演習というのですか、そして面接、これらがやはり点数化されて絞られていくわけですよ。だからこの選抜というのは、ペーパーテストはないけれども、ある意味ではペーパーテスト以上に非常に多岐にわたる厳しい内容になっている。  宮崎県の小学校先生に伺いますと、子供自身も先生も、評価の段階で、何か三ランクで、オール三でなければまず希望ができない、それはもう自明の理になっているのですよね。ですから、そ ういう選抜、ある意味では、学力テスト以上に、子供にとっては非常に厳しい選抜システムになっていると言ってもいいような実態です。  それと、大臣は、私学は入試をしているではないかということを言われましたけれども、私は、ここで問題にしているのは、やはり公立学校にこういう選抜、しかも中学校選抜を入れるということは初めてのことですから、制度としてこれは大変重大な問題だというふうに考えているのです。実際にテストはないけれども、こういう第一次選考というのはやはり厳しい選抜そのものではないのかという点は、いかがですか。
  77. 辻村哲夫

    辻村政府委員 ただいま公立学校について、特にこの点は重要だというお尋ねがあったわけでございますけれども、やはり通常の中学校高等学校に就学指定を受けて通うのとは違った形で収容定員が設けられ、何らかの特色を持った形での中高一貫校に入るということであるわけでございますので、収容定員との関係、あるいはその学校特色生徒たちの適性というような観点からのそうした入学者の決定というのは当然あり得る、必要なことだと思うわけでございます。  このやり方が、いわゆる受験年齢の低年齢化ということを起こさないようにということで、先ほど大臣からもお話がございましたように、学力検査は行わない、しかし何らかの形で、収容定員、適性等の関係で行うわけでございますので、そこに受験年齢の低年齢化を引き起こさないような形の工夫をしてこれを行うということで、面接でありますとか、あるいは実技試験でありますとか、あるいは抽せん、五ケ瀬中学校の場合にも、一定の検査をした後、公開の抽せんを行って最終の決定を行っているというふうに聞いておるわけでございますけれども、そうした形でこれを行うことによって、このこと自体必要なことであるし、これが妥当性を欠くというようなことにはならないというふうに思っております。
  78. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今、五ケ瀬の抽せんという話がございましたけれども、お聞きをしましたら、応募者は三百数十名で推移しているようですけれども、第一次選考で六十人に絞る、その中で四十人という定員になるわけで、その抽せんというのはどれほどの意味があるのかなというのは言うまでもないと思うのですが、私が問題にしているのは、この五ケ瀬の場合もそうですが、やはり自分なりの課題意識、問題意識を持った子供が欲しいという、学校がやはり選びたいという部分があるわけですよ。そういう意味での、それなりの学校の理念があるということかもしれませんが、その理念にやはり到達してくれそうな子供という選抜になっているわけでしょう。  問題は、繰り返しますが、公立という義務教育にそういうことを持ち込むということ。ある子供は選抜が課される、ある子供は別にありませんよということが、どういうふうに理解をしていいのか。文部省として、この義務教育段階での選抜ということをどういうふうに意味づけておられるのか、そこをお聞きしているわけです。
  79. 町村信孝

    町村国務大臣 私は、まず基本的な考え方として、公立学校、それは小学校であろうと中学校であろうと高等学校であろうとを問わず、今までは、どちらかというと、どこでもできるだけ同じ方がいい、差がない方がいいという発想が強かったと思います。  もちろんそれは国も、基礎的な部分を支えていくという意味で、それはそれでよかったのでありますけれども、今日の社会の中でやはり求められているのは、一定の平等が達成した後は、むしろ学校自体も個性がある、特色がある、その個性に引かれて子供たちも入っていく。ただ単に、その地域に住んでいるからあなたはここの学校ですよという割り当て方式ではなくて、もちろん通学に何時間もかかるというのは、それは非現実的であるにしても、一定の通学範囲内であれば、私は、小学校段階から通学区域を少し広げて、三校なり四校なりから選べる、中学校なら五校、六校から選べる、高校ならもっと広い範囲で選べる。それはどういうことで選ぶかというと、まさに自分の考え、自分が将来どういうことをしたいか、自分はどういうことを学びたいかという自分の考えに合った、そういう特色を持った学校をつくっていくという、むしろ学校個性化が求められている時代、そのことによって個性ある教育が行われ、うまくいけば個性ある人間が育ってくるという時代にこれから入っていくのだ、また、私はそれが正しいと思っております。  その際に、例えばここの中高一貫学校が、先ほど中教審の例として挙げられました、例えば情報教育に力を入れていきたい、そのときに、情報教育に自分はいかに関心があるのか、小学校六年とはいえ、やはりそれなりの関心、興味というのはあるわけであります。そこに大変関心もあるしということをいろいろな方法で示していって、なるほど、この子は非常に関心も強いし、それなりの理解もあるから、ではうちの学校に入ってもらおうという選抜があるということは、たとえ義務教育段階であったとしても、個性ある学校個性ある教育を行うという際に必要な判断基準ではないのだろうかな。  義務教育であるから、公立学校であるから一切そういう選抜は好ましくないというのは、私の言葉はちょっと表現が不適切かもしれませんが、いささか戦後の教育の平等の行き過ぎた悪平等の方にだんだん入っていく話ではなかろうかな、こんなふうに私は考えているわけであります。
  80. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 ちょっと整理したいのですけれども、実は法案によれば、この中等教育学校前期課程においては、中等普通教育を実現するために、中学校と同一の目標の達成に努めということで、現行の中学校の目的、目標と同じものというふうに定めているでしょう。そうですよね。特別な目的、目標ではないわけでしょう、中等教育学校前期課程は。そういう意味で、現行の中学校と同一目標を定めているのだったら、なぜ一方には入学選抜があり、一方にはないのか、これはおかしいじゃないですか。そこを一つ尋ねているわけです。どうですか。
  81. 町村信孝

    町村国務大臣 それは、学習指導要領などの観点から見て、現在の中学校と新しくできる中高一貫校の、その中学校を卒業した段階というのは、そう違いがないものであった方がいいだろう。もちろん、せっかく六年でやるのですからかなり弾力的なカリキュラムを考えるべきだと私は思っておりますけれども、一応各学年ごとの課程というものの修了を認定し、さらに、例えばそこの前期三年が終わり後期三年に進む際には、一応中学校までの義務教育段階教育内容を十分習得しているかどうかということを判断して、自動的に、黙っていても四年目に上がっていくということではない、こう思います。そういう意味で、大枠はそう違わないと思います。  ただ、同じ枠の中であっても、学校にはそれぞれ個性があるし、例えば新しい教育課程の中では、中学校段階からかなり選択の時間というものをふやし、高校になったら思い切ってそれをふやしていく、こういうようなことを考えたときに、そういう意味での大きなフレームワークではそう変わらないけれども、個々を見ていくと、それは中に相当違いが出てくる。新しい指導要領は、そういうふうな選択肢拡大を中学の段階から広めていくということは、選択があるから相当ばらつくじゃないか、それはおかしいじゃないかという議論にはならないのではなかろうかな、こう私は理解をしているわけであります。
  82. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 選択肢の話もありましたが、この宮崎五ケ瀬を例にいたしますと、宮崎県の全小学校、その六年生ですけれども、児童数が一万五千人くらいとしますと、四十人ですから、そこに行く子供というのはどのくらいの割合かというのは想像できるわけです。応募者にしてもせいぜい二%ぐらいだ。だから、その選択肢、それを選択できる子供というのは本当に限られた子供になるわけですよね。その子供のために選抜制が要るということなんです。  この中高一貫校中学校と高校の間の入試がないということを言っているわけですけれども、逆 にこの入試を十二歳におろしてくる、ここで選抜をする。ですから、その考え方として、高校入試の場合には、その高校入試が必要だというのは、定員が超過していなくもやはり試験を行うという適格者主義というのがあったかと思うのですけれども、その高校入試の考え方中学校入試におろしてきたというふうにやはり理解せざるを得ないのですが、そういう理解でいいのでしょうか。
  83. 辻村哲夫

    辻村政府委員 今回の中高一貫教育での中学校段階での入学者の決定と申しますのは、先ほどから申し上げておりますように、既存の中学校高等学校制度制度としてあって、その学校を選択しないで中高一貫校を選択する、そういう子供たちに対して入学者の決定を行う。この中高一貫校につきましては、特色を持っておりますし、それから収容定員を持っているわけでございます。既存の小学校中学校につきましては、通学区域、学区の弾力性というのはいろいろな問題がございますけれども、通常はそこに学ぶわけでございまして、学校のサイドとしてはそこに学齢児童生徒がいればそれはすべて受け入れていくという形で、今小学校中学校公立の場合は成り立っているわけでございますけれども、この中高一貫校につきましては、収容定員を設けているということ、それから特色を持っているという観点から、そこに入学者の決定というものが当然必要になってくるわけでございます。  そのときに小学校段階に受験競争を低年齢化させないということで、先ほどから申し上げておりますような方法を講ずることによってこうした課題に対応しよう、こういう考え方であるわけでございます。収容定員あるいは特色を持った学校という形であるわけでございますので、そういう趣旨の入学者の決定が行われる、こういうふうに御理解をいただければというふうに思っております。
  84. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 どうもわかりかねるのですが、私は今ここで、個性の問題や特色の問題について議論をしたいとは思いますが、ちょっと時間もありませんから一言だけ申し上げたいのです。  どの子供もどの人間もみんな一人一人かけがえのない個性を持っています。私は、それぞれの学校でそういう個性を生かすような教育先生方はやはり努力されているというふうに思うのですね。ですから、いろいろ制度としての画一性の問題ということと、実際に教育の場で本当に一人一人が個性を伸ばすように努力しているという問題は、やはり分けて考えなければいけないというふうに思うのです。  そこで、やはり受験競争の低年齢化という問題が生じるということについてはっきりさせておかなければいけないというふうに思うのですね。だって、中高一貫のメリットというのは、中教審でも、そして今度の法案でも、メリットがあるからそういうものをつくると言っているわけでしょう。そうしたら、メリットがある方にやはりみんな行こうとするじゃないですか。大多数は現状のままに置いておいて、そして一部の、これは特色ある学校です、中高一貫のこういうメリットがございます、ゆとりがあります、カリキュラムの一貫性がありますというようなことを幾つか挙げられるわけですが、そういうことでしますと、そこに向かってやはり入りたい、行きたいということは当然でしょう。それも一つおかしいと思うのです。  実は、この一貫校を目指した受験競争、選抜競争の問題については、十四期中教審以来、あるいはもっとさかのぼってもいいのですが、議論をされてきたところですよね。十四期中教審といえば一九九一年ですよ。このときには、「全体に波及する競争の構造化」ということの中でこんなふうに言っていますね。  いわゆる六年制一貫校の多くが、受験競争から  はむしろ開放された、ゆとりある人間形成機関  として成果を上げてきたことは評価されるのだ  が、現在、ゆとりある六年間の教育を勝ち得る  ために小学生がゆとりを失いかけている事態が  存在している。このような事態について関係者  は深く考えて欲しい。  私は、実際この九〇年代というのは、受験競争が緩和するどころか激しさを増すばかりだというふうに思うのですね。それは先ごろ文部省もお示しになった心の教育委員会の資料の中にもございましたよね。例えば、幼児でいいますと、昭和六十二年に学習塾とか通信教育を受けている幼児は四・三%でしたが、平成九年で二七・二%ですよ。私、これは驚くべき数字だと思うのです。六倍強ですね。  だから、文部省がいろいろな教育改革を打ち出しても、受験競争を緩和したいといっても、言ってみれば、実際はこういう激しい競争に子供たちを巻き込ませてきたということがあるのですね。ですから、私立の一貫校を目指しての受験競争の低年齢化と言われてきたわけですが、今度公立の一貫校をつくるということになると、さらにこの受験競争、選抜競争にやはり拍車をかけるのではないかというふうに言わざるを得ません。  私は、まず、十四期中教審のそういう指摘、あるいはこれまでずうっと中高一貫校が見送られてきたという背景を今回どういうふうにクリアされたのか、なぜ今この時期にこれを出してきたのかということをぜひ伺いたいのです。
  85. 辻村哲夫

    辻村政府委員 確かに、臨時教育審議会あるいはその前の中央教育審議会等におきまして、六年制中等学校、当時はそういう形も含めましたいわゆる中高一貫校の提言がありました。それに対しましてはさまざまな議論があったわけでございますが、当時は、なお生徒の増ということの中で、絶対的な中学校高等学校整備ということが大変大きな課題になっていたということが一つございます。  それからもう一つ、全国一定のレベルに、みんなを共通にという考え方が当時まだ強く、全体を底上げするという形の考え方が強かったと思います。しかし、その教育あり方につきましても、今日、一人一人の個性をより重視した教育を展開していこうという考え方が大変強くなっているというふうに思います。まだそれ以外にもいろいろあろうかと思いますけれども、主にそうした大きな変化があったというふうに思います。  こうした変化を踏まえて、先般の中央教育審議会におきましては、この中高一貫教育を、受験競争の低年齢化でありますとか、あるいは受験エリート校化にならないようなというような、さまざまな工夫をする中で、都道府県等判断によって選択的に導入する道を講ずる、そのことによって、先ほど申し上げてまいりましたような特色ある教育を推進していく、そうした点も大変大きな課題であるわけでございますので、その課題に対応していこうということであるというふうに理解をしております。  それからもう一点、先生の御指摘でございますけれども、極めて限定された少数の学校しか中等教育学校はできないだろう、そこに魅力があるならば大勢の人が志望して、必然的に競争が激化するというお尋ねであるわけでございますけれども中高一貫校を、どんな形にしろ、そしてまたどのような形で整備していくか、どのくらいの数、整備していくかということは、それぞれの設置者等の判断におきまして、関係者の幅広い議論を経て整備していただくことが可能であるわけでございます。  私どもも、実質的に選択可能な整備が望まれるということを申し上げておるわけでございますけれども保護者生徒のニーズ等を踏まえながら、設置者等の判断において整備をずっと促進していくという形での対応ももちろん期待しているわけでございまして、そうしたさまざまな対応によって、先生の御懸念の点につきましてはクリアしていけるものではないか、こんなふうに思っております。
  86. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 私は、今回出されている法案の限りでは、中等教育学校を目指すというか、受験競争の低年齢化はやはり避けられないというふうに思いますが、そこはちょっとこれでおいておきたいというふうに思います。  もう一点の疑念は、通学区の問題についてなのでございます。  通学区については、学校教育法施行令の第五条二項にございますね。「当該就学予定者の就学すべき小学校又は中学校を指定しなればならない。」、あるいは「通学区域制度の弾力的運用について」という通知も出されているかと思いますけれども、要するに、原則、指定だということですね。どうしてこういう指定制がとられているのかということを、短くで結構です、ちょっと御説明ください。
  87. 辻村哲夫

    辻村政府委員 現在、中学校につきまして就学指定制度をとっておりますのは、やはり義務教育の履行ということが大変重要なことであるということで、当該学校設置しております市町村教育委員会が、保護者を通しまして、子供の就学すべき学校を指定している。基本的に、端的に言えば義務教育履行の重要性、そういうことで、遺漏のないようにという考え方のもとに就学指定という仕組みがとられているというふうに理解しております。
  88. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 今御説明のような、そういう義務教育履行のためにということでの指定制だということですけれども、今度できる中高一貫校については学区の指定がございませんよね。同じ義務教育で、一方ではそういう指定をする、一方で指定のない大学区制がとられるという考え方、これは考え方の問題として、どうとらえたらいいのか。ちょっといいかげんなことではないのかというふうに思いますので、そこはいかがですか。通学区制の意味がなくなるのじゃないか。これは、事実上、そこはもう取り払われていくことになるのかというあたりです。ちょっとお聞かせください。
  89. 辻村哲夫

    辻村政府委員 まず、現行の中学校につきましては、通常、距離というようなものを要素にして通学区域というものが決められておりまして、それに沿って就学指定が行われる。それに対して、もちろん、他の学校にかわりたいという子供たちについては区域外就学その他の弾力的な措置がありますけれども、そういう仕組みがとられている。今回の中等教育学校につきましても、通学区域をどのように定めるかは設置者判断でございます。  宮崎の例で言えば、県にまだ一校だということで、全県下を通学区域と申しましょうか学区として、そういう形で運用されているわけでございますけれども、複数できる、その他それぞれの実情に応じまして、どういう学区制を定めるか、これは中学校の今あります制度とは別に、それぞれの学校について設置者が学区を定める、こういうことになるわけでございます。
  90. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 もう終わりますが、私は最初に、中等教育の将来像についてお聞きをしました。それは本法案も、いわば二十一世紀の我が国の教育あり方として出されているわけでしょう。しかも橋本内閣の教育改革プログラムの目玉として出されているということでもありますよね。しかし、国民から見ると、あるいは教育の問題として考えますと、中学校と高校のあり方をめぐって、あるいは中学教育あり方をめぐって、今大変な問題が出ているわけですね。登校拒否、不登校もそうです、校内暴力もそうですし、高校中退も、いずれも過去最高というか最悪の数字が出ているという残念な事態でしょう。中学生のいろいろな事件が起きている。だから高校入試をやはり何とか取り払わなくちゃいけない、この弊害をなくさなきゃいけないというのは、私は国民の強い願いだというふうに思うんですね。  そういうことからすると、今回の法案でそういう問題は解決につながるのかといえば、そういうことが議論されないというのは大変残念に思っているのです。実際、この法案で、何か別のものが改革として出されてきているということになるわけで、最後に、もう時間がありませんので、私は文部大臣に、本当にこの国民的な課題にこの法案がつながっていくのか、あるいはそうではないのか、これはまた別の問題なのかということについてだけ御答弁をお願いして、質問を終わります。
  91. 町村信孝

    町村国務大臣 確かに、教育にかかわる国民的課題、また解決しなければならない問題、いろいろな面にわたってあると思いますので、この中高一貫をやったからありとあらゆる問題がさっと、全部一気に解決するとまでは私もさすがに申し上げるつもりはございません。  しかし、今求められている教育的な課題の一つには、やはり余りにも画一的に過ぎた教育をもうちょっと選択肢のあるものにしていこう、子供の能力も多様であるように、やはり子供の発達も多様であった方がいい、個性に応じた教育ができるようにした方がいいという観点から、今回の中高一貫提案をしているわけでございます。加えて、ややもすると、ゆとりがないと言われている中学、高校の生活を、中高一貫によって、じっくりと六年間学べるというメリットを生むものであろう、こう思っております。  じゃ、今までの、従前の中高は今までどおりでいいのかといえば、それは決してそうじゃございません。したがいまして私どもも、同時に、学校週五日制を一年早めて平成十四年からということも決めさせていただきましたし、その中でさらに、教育課程も厳選をして、できるだけゆとりを持って学べるようにしていくという措置もあわせ講ずることにいたしました。  さらに、今、高校入試のお話もございました。これも一つの課題だろうと思います。これはこれで、今それぞれの、各県で高校入試のあり方のいろいろな試み、多様な入試の方法の改革というものも着実に行われている。十分であるかどうかは別にして、着実に行われている。そうしたいろいろな手段を講ずることによって、私は、いろいろな教育に課せられた課題に取り組んでいくということであり、この中高一貫も、そのすべての解決策ではございませんが、ある分野の解決策には確実に役立つ、こう理解をしてお願いしているわけでございます。
  92. 石井郁子

    ○石井(郁)委員 終わります。ありがとうございました。
  93. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、保坂展人君
  94. 保坂展人

    ○保坂委員 社民党の保坂展人です。  実は、当委員会委員でもあります鳩山さんが文部大臣をされていた当時、偏差値がいかに若者をだめにしているか、あるいは心を縛っているかということで、文部省挙げて偏差値追放と業者テストの問題等、キャンペーンをされたことがございます。  その後どうなっているかというと、必ずしも偏差値が追放されたわけではなくて、塾の中に、あるいはそれぞれの教育業者の中に移転していったということも現実としてはあるのですけれども、しかし、国民の多くが関心を持つ本質的な問題について、ぜひ文部省の長であるところの文部大臣には取り組んでいただきたいという趣旨で、きょうは内申書の問題を中心に取り上げさせていただきたいと思うのです。  と申しますのは、二つありまして、一つは、私が多分日本で初めて、初めてでしょうね、内申書について実は裁判の当事者であったという経歴があります。したがって、この問題についてはかなりよく考えたし、資料も調べたことがございます。そして現在、内申書について素朴な声が結構上がるわけなんです。例えば市民参加の教育シンポジウム、神戸の事件がございました、あるいはこの間のナイフを使った殺傷事件がございましたというときに、内申書が子供たちをがんじがらめにしているのではないかと。  文部大臣が見た内申書の問題点、効用はあるでしょうけれども、同時に問題点が指摘されていることを恐らく承知されているはずなんです。文部大臣から見た内申書の問題について、一言お考えをお示しいただきたいと思います。
  95. 町村信孝

    町村国務大臣 私は昭和三十五年に中学から高校に進んだのでありますが、そのときの都立高校では、内申書というのは、送られてはいたのでしょうが、多分、選抜に番たってはそれはほとんど見られないで、一日行われた学力検査の結果だ けで決まっていた、こう理解をいたしております。それはそれで一つのすっきりした方法ではあったと思いますが、たまたまその日体調が悪かったとか、あるいは、試験になるとどうも緊張して実力が発揮できないというような人、あるいは、学力試験では把握できないその子のいい点というものが表に出ないよねというような、学力検査一本やりに対する批判というものが当時からもあったことはありました。多分、そうした反省といいましょうか問題点の把握に伴って、この内申書を例えば五割ぐらい見て、五割ぐらいは試験の点数を見てというような現在の姿にだんだん変わっていったのだろうと私は思います。  ただ逆に、調査書、内申書について、今委員が御指摘になられましたけれども中学校生徒が余りにもそれを意識し過ぎることによって心理的な圧迫を受けるという部分があるかないかと言われれば、そういうことを意識する生徒もいるのだろうなと私は思います。また、私に言わせれば、配慮のないといいましょうか指導力のないといいましょうか、一部の教師が、おまえ、そんなことをすると内申書が悪くなるぞというような、全く目的と手段を取り違えたような物言いをして生徒に過度な意識を与えているというような実態も、いろいろなケーススタディーを見ていくと現実にあるようでございます。  要するに、大切なことは、やはりこれは当たり前ですし、またそれがなかなか今生まれていないことも実際見られるわけですが、やはり生徒先生の間の信頼感というものがなければしょせんいい教育は行えないだろうと私は思います。そういう信頼関係の確立をしていくこと、このことが非常に重要なんだろうな、こう思っております。
  96. 保坂展人

    ○保坂委員 大変わかりやすい答弁、ありがとうございました。  私はジャーナリストとして長らく活動をしておりまして、文部政務次官でもあった森田健作さんが昼間の番組を持っておられたときに、内申書という特集で、私、出演したことがあるのです。そのときに、審議会の委員をされていた学校の経営者の方から、保坂さん、内申書、通知書を使わない入試というのが検討されていますよ、大体そういう方向が出てきますよという話を聞いて、なるほど、世の中、いろいろ声が上がって、なかなか足踏みした議論が続いたけれども、ようやく文部省の中でもそういう議論が真剣に検討され始めたのかと希望を持ちました。  そして、今回、この中高一貫法案説明で、初中局長からも、全政党を回られたと思うのですけれども、今後の中等教育あり方について、このチャートですね、このチャートの中に、「学力検査・調査書のいずれも用いず、志願書類や面接等による選抜も可とする。」と、「高校入学者選抜の一層の改善」という中にはっきりとそういう文言も入っております。  いや、それは、テレビに出演したときから随分時間がたったけれども、ようやく、自分が議員になって、しかもこの文教委員会でこういう法案を迎えられる、大変強い関心で、意欲を持って、文部省、これ、ぜひ進めていただきたいという趣旨でお話をしたわけなんです。  質問に当たって、調査室が作成したこの資料集ですね、これをめくっておりましたら、十三ページなんですけれども、同じチャートがあるのですね。しかし、なぜか白く全部張ってあるわけなんですよ、ここに。僕は、どうも何か墨が塗られたり張ってあるものは気になってしまうわけで、何かなと、こう裏で透かしてみると、何だ、いいところが消してあるじゃないか、どういうことなんだろうというので、調査室に聞いてみたら、いや、これはこの法案に直接盛られているわけではないので云々というような説明がありましたが、どうですか、これ、辻村さん、どういうことなのかちょっと説明していただきたいと思うのですが。
  97. 辻村哲夫

    辻村政府委員 資料の相違ということのようでございますけれども、我々、さまざまな、国会先生方はもちろんでございますけれども、御説明をしておりましたときに、実はいろいろな、そのときそのときに応じての資料をつくってございます。ですから、全く同じものであるというものではないわけでございまして、そういった形のもので、その中の一つがとられてあるのだろうと思います。  ただ、先ほどの西先生からの御質問に対して大臣の方からもお答えがあったかと思いますけれども、連携型の中高一貫校について選抜をどう考えるかというときの考え方として、そういった考え方というのは、そうした趣旨も踏まえて今後検討していくということでございますから、その考え方は残っているわけでございます。  ただ、その資料がどういう形でそういうふうに整理されるのかということにつきましては、ちょっと私も十分に説明をしかねるところがございます。
  98. 保坂展人

    ○保坂委員 もちろん、ですから、これは調査室によって出された資料ですけれども、これが、初中局長としてごらんになったときに、残念なのか、あるいは安心するのか、どっちなんでしょうか。我々はこのもとのを見て議論しているわけです。すると、こう、見てみたら張られているわけですね。張られていてもはがせるわけですね。余計何か怪しく見えちゃうわけです。お考えをはっきりと。
  99. 辻村哲夫

    辻村政府委員 資料は資料でございますので、私ども、連携型の中高の接続のあり方についてどうあるべきかというときに、そういった趣旨も含めて今後検討していくべきものだという、その点は全く変わっていないということであるわけでございます。
  100. 保坂展人

    ○保坂委員 つまり、この資料がそもそも、これで構わないと。ということは、資料に別にシールを張る必要はないのですね。
  101. 辻村哲夫

    辻村政府委員 先ほどから繰り返しお答え申し上げておりますように、その調査室の資料作成段階でどういうやりとりがあってそういう資料になったかということにつきましての経緯を私、実はつまびらかにいたしておりません。こういう形で資料ができるよということにつきまして私は承知をいたしておりませんのでお答えようがないわけでございますけれども、連携型の中高の接続のあり方として考える場合には、私どもはそういった考え方も含めて検討しておるということでございます。
  102. 保坂展人

    ○保坂委員 では、帰ってからゆっくりシールをはがしたいと思います。  それでは、内申書の問題に先ほど私触れましたけれども審議会で議論されてきた経過と内容をかいつまんで御紹介をしていただきたいのですが、いかがでしょうか。
  103. 高為重

    ○高政府委員 手短にお答えいたします。  平成三年四月の中央教育審議会答申で、画一的な入学者選抜のあり方を改め、各学校、学科等の特色に応じて選抜方法を多様化することや、生徒の多様な能力を評価するという基本的な考え方に立って、高等学校入学者選抜の選抜方法の多様化、評価尺度の多元化について提言をされておるわけですが、その取り組みの一つとして、学校、学科等の特色に応じ、調査書のみによる選抜あるいは学力試験のみによる選抜を行うことなどが挙げられておるわけです。  さらに、平成九年六月の中央教育審議会答申では、子供たちの多様な個性や能力、適性を一層多面的に評価する観点から、調査書と学力試験の活用について、学校や学科の特色に応じて両者の比重の置き方を変えることや、学力試験を課さない選抜を行ったり、一方、学力試験だけで調査書を用いない選抜を行うことなどを提言しておるわけです。  なお、調査書を用いずに学力試験の成績を主たる選抜の資料とすることについては、選抜方法の多様化等の一環として意義がありますが、学力試験を偏重する傾向を助長しないよう、定員の一部あるいは一定の地域の一部の学校に限って実施するなどの配慮をしていくべきことが必要であるといった提言がなされております。
  104. 保坂展人

    ○保坂委員 今お話しになった審議会の審議内容は本法律案のどこに盛り込まれたのでしょうか。どの部分か示していただきたいのと、もし盛り込まれなかったのであれば、その理由をお示しいただきたいと思います。
  105. 辻村哲夫

    辻村政府委員 この学校教育法改正の中身は、中等教育学校それから併設型の中高一貫校というものを学校制度に位置づける、そういう内容のものであるわけでございます。一方、先生指摘の入学者選抜のあり方、これは学校教育法施行規則に規定されているわけでございます。したがいまして、今回の法律の規定対象にはなっていないということで、今のような入学者の扱い等につきましては、この法律には盛り込まれていない、こういうことでございます。
  106. 保坂展人

    ○保坂委員 そうなっていくと、内申書そのものが、先ほど大臣もお触れになったように、中学生の心をかなり縛って、一部に、本当にこれは一部だと思いますけれども、よくない先生がいて、おまえは書くぞとか、書いたから落ちるぞなんというようなことをおどかしで使うというようなこともあったわけです。  多分我々の世代、僕は昭和三十年生まれですから今四十二歳ですが、そのぐらいになると、やはり内申書というのは気になる世代なんですね。一通多くもらってちょっとナイフで切って見てみようとか、そういうことは生徒たちはその当時からやっていたわけですけれども、しかし、それは法律違反ではないかという声もあったわけですね。  内申書を見ると封と押してあるわけですね。これは、厳封の上送達するという法的な根拠はどこかにあるのでしょうか。
  107. 辻村哲夫

    辻村政府委員 調査書は、高校入学者選抜におきまして大変重要な資料として使われるものでございます。したがいまして、その作成においてあるいはその取り扱いにおいて、これは遺漏のないような大変慎重な取り扱いが求められるという、大変重たい性格を持った資料だというふうに思われます。  そこで、調査書が中学校から高等学校に送付される場合に、そうした趣旨を踏まえまして、破損とか紛失とか、場合によっては不正な手直しとかというようなことがないように、そういう注意を払う取り扱いが行われているのが一般的でございまして、その一つとして、厳封と申しましょうか、そういう扱いがされているところでございます。  これは、その調査書、内申書の性格からそういう取り扱いがなされているというわけでございまして、何か特別に法律上の根拠をもってそういう扱いがなされているということではございまぜん。
  108. 保坂展人

    ○保坂委員 法律的な根拠はないのですね。学校間の慣習だ、簡潔に言えばこういうふうになっているわけですね。  さて、では封をするにしても、日本全国いろいろなタイプの先生がいて、そういうタイプの先生が大変少なくなってきたのですが、生徒とともに分かち合うタイプの先生、何でもおれのところに話してこい、そして、相談には乗るぞ、そして生徒としょっちゅう話をしている。そういう先生の中に、もう亡くなった方なんですが、これは大臣にちょっとお答えいただきたいのですが、三十年間、自分は内申書を作成し、入れる前に生徒に見せましたよと。そして、性格、行動についてはおまえたち自己申告しなさいと。もちろん、全部最高の性格という自己採点をしてくるやつには、おまえ、これはやり過ぎじゃないか、だめだよ、これじゃと。あるいは、低過ぎる評価に対してはそれぞれの助言を与えて、性格、行動の部分についてはやってきたと。  そういうふうにしていきますと、長い年月やってくると誤記があるらしいのですね。例えば、出席日数のけたを間違えていたり、男を女と間違えていたり、そういう部分の記載ミスというのもあるわけです。それをやり通してきて、生徒との間で、内申書に書かれたんじゃないかとか、いろいろな不安、不満もなかったし、コミュニケーションがとてもよくとれたと。こういう方法を、生徒との信頼関係という点で、文部大臣、どういうふうに思われるでしょうか。
  109. 町村信孝

    町村国務大臣 そこまでの絶大なる信頼関係があることが、ある意味では教育理想的な姿なんだろうなと思います。ただ、それがすべての教師と生徒の間で成り立っているということでも必ずしもないという、そういう現実もあろうかと思います。  したがいまして、その子のいい点をできるだけ書こうと思うが、中には、やはり問題点も書かなければならない。本人に見せることによって、それはどうだこうだという言い争いのもとになり、そこから信頼関係が崩れていくということも逆にまた考えられる。そのようなことがあるものですから、欠席日数とか、身長が何センチだ、体重が何キロだといったような部分はある意味では開示になじむという判決も、平成十年三月四日の神戸地裁判決でも出されておりますので、それはそうかなと思いますが、やはりどうしてもある種の、一人の先生の主観ではないにしても複数の先生たちの判断、それは人間判断するものですからどうしても主観にかかわる部分というのが出てくるわけでありますが、その部分までを事前に開示するということにつきましては、私どもとしてはどうしても慎重にならざるを得ない、かように考えます。
  110. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、大臣がお認めになっているように、中には教師としてどうかなという方がいらっしゃる。  実は、私は十六年間も内申書をテーマにした訴訟の当事者でございましたから、全国からいろいろな内申書が届くというのもおかしいですけれども、例えば、教育実習に入ってファイルを見せてもらったら自分の内申書だ、そうすると、とんでもないことが書いてありましたなんというような形で届くことがありました。  文部省として、過去、例えば三十年というふうに区切ってみますと、内申書が本来の目的としていたことを大きく逸脱して、恣意的に、受験する生徒の欠点及び不利な事項を集中的に、こいつは落ちよとばかりに記載したことによって、学校に従わなかったことの見せしめとした例というのは何件くらい把握されていますでしょうか。
  111. 辻村哲夫

    辻村政府委員 内申書につきましては、先ほど申し上げましたような形の性格として使われているわけでございまして、その内容については文部省は知る由もないわけでございます。  したがいまして、今お尋ねのような、そういう内容で何か問題になった事例ということにつきましても、承知いたしておりません。
  112. 保坂展人

    ○保坂委員 そうすると、これはとどのつまり、今情報公開の流れが、閣法として情報公開法が提案されております。そして各自治体では、内申書、これは本人情報であるということで、中には事前閲覧制度などという制度も含めて取り組み始めた自治体、あるいは指導要録に対する本人開示等々、各地で進んでいることは文部省は御存じなわけですよね。  さて、そこを踏まえると、実例として申し上げるのは、内申書そのものに、備考欄に「合格無用 問題あり」というふうに書かれたという、この内申書のコピーを私は持っているのですね。後でお示ししてもいいのですが。こういうものは、やはり許されないのではないか。内申書というものは、もちろん欠点は一切書くなということではなく、余りにもひどい記載というのはあってはならないと思うのですが、いかがでしょうか。ひどい記載、今の「合格無用 問題あり」なんという記載が特記事項にされていていいのか。これは憲法上、問題だと思うのですが、いかがでしょう。
  113. 辻村哲夫

    辻村政府委員 内申書は、高校入試の資料として使われるわけでございます。中学校先生が作成するわけでございます。中学校先生高等学校に内申書を送る際は、その子供にその高等学校に合格してほしいという気持ちで書くわけでございまして、ただいま御指摘されましたような事例というのは全く、今お聞きしたわけでございます けれども、なかなか考えにくい事例のように承った次第でございます。
  114. 保坂展人

    ○保坂委員 ですから、各審議会の答申を読んでも、日本教育を変えようという、これは臨教審以降、何度も何度も語られてきているテーマですよね。その中に、内申書がいわば心を縛っていないか、あるいは自由で伸び伸びとした−失敗も今の子供は恐れるわけですよ。冒険には失敗がつきものだし、思い切ったことをやってみれば人の前で恥もかくわけですよ。そういうことを全部、いわば自己制御型の人間、自己抑制型の人間というのをやはり日本学校はちょっとつくっていないだろうかなということが識者の間にも多々問題意識としてあるわけです。ですから、中教審でもこういう答申が出てくる。そして文部省も、先ほどのチャートには、調査書を使わないとはっきりと打ち出されているわけです。  では、その調査書を使わない入試というのをやってみたと想定して、どんな利点が生まれるというふうにお考えでしょうか、初中局長
  115. 辻村哲夫

    辻村政府委員 調査書の問題点につきましては、先ほど大臣からお話がございました。その生徒日常生活、一挙手一投足が評価の対象になっているというように子供が受けとめて、そのことが子供たちの心理的な抑圧になっているということがしばしば指摘されるわけでございますし、また教師が恣意的に記述しているのではないかというような点も指摘されるわけでございます。ですから、もし調査書がないということであれば、そういうことはなくなるわけであると思います。  ただ、一方では、一日だけでの学力検査では評価できないその子供のよさとか長所とか特性とかというものをどんなふうにして高等学校側が承知するのかというような問題。それから、学力調査だけということでありますと、極端に言えば、その受験教科だけの点数さえよければいいのか、そういうような傾向をも助長しかねないというようなことは懸念されるところでございます。
  116. 保坂展人

    ○保坂委員 それぞれの利点、欠点があるというお話です。  しかし、また戻りますけれども、別にこれは揚げ足取りしているわけではなくて、大変重要な記載があるわけですよ、これは日本教育のターニングポイントとして。そのときに、要するに多様化していかなければいけないのだ、もう一律の、画一的な、鋳型に押し込めるような教育から複線型、多様な選択ができる。その中にあるじゃないですか。こういう調査書を使わない入試も、この連携型のところで、大いに挑戦してみよう、これは確認できるのですか、もう一度お願いします。
  117. 辻村哲夫

    辻村政府委員 先ほども申し上げましたように、中高一貫校中等教育学校というのとそれから併設型の中高学校ということ、これは法律に規定されて新しい制度としてスタートするわけでございますけれども、既存の市町村中学校都道府県立の高等学校、その間も連携することによって中高一貫というものを実施していこうという考え方もあるわけでございます。それは、法律事項ではございませんのでその外にあるわけでございますけれども。  その際には、中高一貫校ということであるわけでございますから、しかし形式的には中学校高等学校という形で、選抜はある、しかし中高一貫だ、連携しているということで、そこでの入試のあり方というのは、他の一般的な中学校高等学校の接続としての入試とは異なった、我々、簡便なという言い方をしているわけでございますけれども、そういう入試のあり方というものが考えられていいのではないか。その際には、学力検査を用いないとかあるいは調査書を用いないとか、そういうさまざまな方法があり得るわけでございますけれども、そういうものもこれから検討をしていきたい。先ほどの御議論にも出ていたわけでございますから、そういった国会の御議論も踏まえて、その連携型の接続のあり方については検討をしていく。そのときに、今言いましたような、例えば調査書を用いないとかということもあり得るというふうに考えております。
  118. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、文部大臣に伺いますけれども、今回の中高一貫はいろいろな問題点も含んでいます。例えばエリート校に結局はなっていくのではないのかとか、あるいはこれだけ思い切った改革をやるのなら全市町村に、つまりすべての学校をそう変えるべきではないか、多くの議論があります。恐らく、もう大臣も十分お見通しのように、日本学校はなかなかこれは変わらないのですね。長いこと積み上げられてきた組織である、あるいは伝統もある、ある種の前例を繰り返していくというスタイルになっているわけです。  今回私が注目していたのは、この中高一貫の中で、例えば調査書を使わない入試というのも打ち出すのだ、いろいろな答申の声を受けて。これは一つの大きな実験である。そして、もしそこで子供たちが伸び伸びと、大臣が先ほど指摘されたような弊害の部分が除去されて、むしろ心配していたような欠点の部分は案外なかったという場合には、これはぜひ拡大していっていただきたいと思うわけです。  要するに、中高一貫の、とりあえずこの原案では数が限られていますから、いわゆる内申書を使わない、通知書というものを今のような形で位置づけない方法もごういつたことを通して大いに積極的に検討していただきたいし、そこをもっと宣伝していただいてもいいのじゃないかというふうに思うのですが、よろしくお願いします。
  119. 町村信孝

    町村国務大臣 委員指摘のように、日本学校制度というのは、制度なりまたそれを支える考え方というのがなかなか変わらないのだなということを、私は文部大臣になりまして初めて気がついたこともございます。もう明治の三十年代から個性ある教育の必要性というのがうたわれておりまして、ごく最近の答申もまた書いてある。その間、約数十年たっていながらなかなかこれが変わってこないというのは、一度確立してしまうと変えるのが難しいものなんだなということを痛感しているわけであります。  そういう中で、今委員が言われた、中高一貫の前半三年から後半三年に移るときの試験のあり方、これは前の委員の方の御議論にもございましたけれども、これをもし通常の中学から高校に行くときのような学力検査あるいは内申書ということであるならば何のための中高一貫かということになりますので、先ほど局長が御答弁申し上げましたように、何らかの簡便な方法というものをやはり考えていく必要があるのだろう、こう思います。  それから、一般的に、今までの中学から今度高校に上がるときの試験のあり方につきましては、現に調査書を使わない地域も、ごく少数ではありますが存在をいたしております。  そうしたことも含め、私はできるだけ、記憶力だけが評価の対象になるという今までの知識暗記型、知識詰め込み型の教育というのをやはり改めて、自分の頭で考え、行動できる人間、感性豊かな人間を育てていくという観点から、高校入試のあり方もいろいろバラエティーに富んでいた方がいいと思いますので、そういう意味で、直ちに私は内申書を全廃した方がいいとはあえて申し上げませんが、多様な選択肢がもっともっとそれぞれの都道府県で検討されてもいいのであろう、こうは考えております。
  120. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、大臣にぜひ要請というかお願いをしたいと思うのですが、多くの親たちがあきらめているに近い心境でいるのですね。だけれども、あきらめ切れないわけですね。子供が日々通う学校が何とかよく変わってほしいというときに、こういったことというのはやはり大きく伝えられていいはずなんです。  もちろん、これは中高一貫という特別の限られた形、しかも連携型というそう幾つもできるわけではないところの限られた話です。しかし、そこのところにやはり今のような調査書を使わない入試、あるいは文部大臣が言われるような一部の地域で調査書を使わない入試等が行われているのならば、そういうことをむしろ強くアピールしていただきたい。日本教育はこれから柔軟に、多様 化して、そして子供一人一人の個性を大切にするために変わりますよというメッセージになると思うのですが、そこがこの資料集では逆にシールが張られてしまったので若干不安に思います。ですから、本当に子供の側に立った、あるいは子供の心を萎縮させない教育というところでもっと強くアピールしていただきたいと思うのですが、いかがでしょう。
  121. 町村信孝

    町村国務大臣 ちょっと先ほど来からのシール云々というのは、私はどういう実態なのか全くよくわからないので、今議員局長との議論の中で初めて知ったようなことでございます。  それはさておきましても、内申書がない試験があるよということをPRしたらどうかというお話でございました。内申書は、確かに一部弊害があります。しかし、それにかわる方法に、仮にまたもとの状態といいましょうか、学力試験だけに戻すと、これもまた大変大きなまた弊害もそこから出てくるわけでありまして、なかなかこれは一概にどれがいい、悪いとは言えない。内申書だけが子供たちの心を萎縮させているものなのかどうなのか。一部それは当たっていると思いますが、すべてではないし、そんなこと全然気にしないで伸び伸びと学校生活をエンジョイしている生徒さんもたくさんいるわけですから、私は、内申書を廃止するということが福音になるのかどうかよくわかりません。  ですから私は、結論的に申し上げられることは、いろいろな、多様な、例えばもうちょっと手間暇かかりますが、さらに面接をもっと丁寧にやってもらうとか、実技をもっとやってもらうとか、あるいはもっといろいろな価値基準で入試というものが、大学であれ高校であれ行われていくこと。  しかし、そこのある部分に、必要な素養としての基礎的な知識がどこまで身についているかということのチェックというのはやはり必要なのだろうと思いますし、そういう意味で、とにかくバラエティーに富んだ入試、子供一つの側面から見ないで多面的に見る入学試験というものをもっと努力をしていただきたいということを、各都道府県なり、あるいは大学等々にお願いをしていくのが文部大臣としての務めではないだろうか、このように考えます。
  122. 保坂展人

    ○保坂委員 時間が来たので終わりますけれども審議会の答申があり、そして我々議員に対しての説明も、そういうことも試みるのだという、どこかどうもトーンダウンしているような気がしてなりません。  改革というのは一挙にできることではないと思います、特に教育改革というのは。できるとしたら、一部分において大胆にやってみるということからしか始まらないのだろうというふうに思っています。ですから、そこの点、十分要請をして、そして我々も、十分審議をしていきたいということを表明して、おしまいにします。
  123. 高橋一郎

    高橋委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十一分休憩      ————◇—————     午後一時三分開議
  124. 高橋一郎

    高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  内閣提出学校教育法等の一部を改正する法律案に対する審査を続行いたします。  本日は、本案審査のため、参考人として前東京工業大学学長学位授与機構長木村孟君、東京学芸大学教授黒沢惟昭君、前宮崎県立五ケ瀬中学校高等学校校長・宮崎教育委員会次長岩切正憲君、東京都八王子市立第五中学校教諭糀谷陽子君、以上の四名の方々に御出席をいただき、御意見を賜ることにいたしております。  この際、参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願いします。  次に、議事の順序について申し上げます。  木村参考人、黒沢参考人、岩切参考人、糀谷参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただきたいと存じます。その後、委員の質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  なお、念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。  それでは、木村参考人にお願いいたします。
  125. 木村孟

    ○木村参考人 私は、ただいま御紹介いただきました木村でございます。  本日は、学校教育法等の一部を改正する法律案につき、その内容となっております中高一貫教育制度の導入が中央教育審議会の昨年六月の答申を踏まえたものであるということで、私にこの機会が与えられたものと理解し、意見を述べさせていただきたいと存じます。  第十五期の中央教育審議会は、平成七年の四月に発足いたしました。当時の与謝野文部大臣から次の三点につき諮問をいただいております。  すなわち、その一が、今後における教育あり方及び学校、家庭、地域社会役割と連携のあり方、その二が、一人一人の能力・適性に応じた教育学校間の接続の改善、さらにその三が、国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育あり方でございます。このうち、その一とその三についてまず審議をさせていただき、平成八年の七月に第一次答申提出した次第でございます。この答申では、子供たちにできるだけゆとりを持たせ、その中で生きる力をはぐくむことを最大の眼目といたしました。  この生きる力をどう考えるかにつきましては、さまざまな議論がございましたが、中教審では、自分で課題を見つけ、みずから学び、みずから考え、主体的に行動し、よりょく問題を解決する能力、並びにみずからを律しつつ、他人と協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性とたくましく生きるための健康や体力と定義をいたしました。  このいわば非常に大きな目標を達成するための具体的方策として、私どもは、家庭の教育力の充実、地域社会における教育活性化並びに教育内容の厳選に基づきました完全週五日制の実施等を提言をいたしました。  これが第一次答申の提言でございますが、これをベースにいたしまして、第二の諮問事項、すなわち一人一人の能力・適性に応じた教育学校間の接続の議論を続けまして、昨平成九年の六月に第二次答申を当時の小杉文部大臣提出をさせていただいております。  この第二次答申では、基本的な考え方として、その一、今後の我が国は、個性が尊重され、自立した個人が自己責任のもとに多様な選択を行うことのできる、真に豊かな成熟社会の実現を目指していくべきであり、そのためには、教育改革、さらには同質志向あるいは横並び意識、さらには過度に年齢にとらわれた旧来の価値観からの転換が必要であること。  二番目として、国際化、情報化、科学技術の発展、高齢化や少子化など、社会の変化に柔軟に対応できる個性的な人材あるいは創造的な人材の育成が不可欠であること。  その三として、これからの教育は、ゆとりの中で生きる力をはぐくむことを目指し、個性尊重という基本的な考え方に立って、一人一人の能力・適性に応じた教育を展開していくことが必要であること、すなわち、形式的な平等の重視から個性の尊重への転換が重要であるということ。  その四といたしまして、このような教育を実現する上で、子供たちの選択の機会を拡大するとともに、学校地方公共団体等の裁量の範囲を拡大していくことが重要であること。  その五といたしまして、思いやりや社会性、倫理観、正義感等の豊かな人間性の育成や伝統と文化を尊重する心を培うなど、時代を超えて価値のあるもの、私どもはこれを不易の部分と呼んでお りますが、この部分を大切にしていくことが重要であることなどを基本的な考え方として打ち出しております。  こうした考え方のもとに、私どもは三つの課題、すなわち、その一が、大学高等学校の入学者選抜の改善、その二が、中高一貫教育、その三が、教育上の例外措置、この三点を最重要課題として取り上げ提言を行ったところでございます。  まず、中高一貫教育の導入につきましては、受験競争の低年齢化あるいはエリート校化のおそれ等に留意すべきであるとの意見が多数出されましたが、我が国の学校教育制度の多様化、弾力化を通じて一人一人の個性に応じた教育の実現を図るための具体的な方策として合意を得たものでございます。  また、審議の過程では、二度にわたり総会において教育関係あるいは経済関係団体等からヒアリングを実施しますとともに、答申に先立ち、昨年五月に「審議のまとめ(その二)」を公表し、国民各層からの幅広い意見の聴取を行いました。  その結果、大方の支持を得ることができたと考えておりますが、幾つかの団体からは、受験戦争の低年齢化やエリート校化を懸念する意見をちょうだいいたしましたので、これらの点につきましては、十分に配慮すべき事項として答申に盛り込んでおります。  次に、この答申に関し、各方面から御指摘をいただいている点について、私の考えを述べさせていただきたいと存じます。  第一には、受験戦争の低年齢化のおそれについてであります。  この点は、中高一貫教育の導入に当たって最も留意すべき点の一つであることはもちろんでございますから、中教審において十分に議論がなされ、このような懸念を払拭するために、答申においても具体的な提言を行っております。  特に、実際に現在中高一貫教育を行っております一部の国私立中学校の入学者選抜が受験競争に拍車をかけているとの指摘を踏まえまして、入学者の決定方法については、公立学校では学力試験を行わず、面接、推薦、実技検査、抽せん等の多様な方法を適切に組み合わせて実施すべきであるということを強く訴えかけております。  第二には、中高一貫校エリート校化するのではないかとの指摘であります。  これは、実際に中高一貫教育を行っておられる一部の国私立学校現状を念頭に置いての懸念であると理解しております。この点についても、審議会におきまして最も留意すべき点の一つとして慎重に議論をいたしました。  答申では、中高一貫教育は、ゆとりある安定的な学校生活を送る中で、個性創造性を伸ばすために特色ある教育を行うことを趣旨とするもので、中高一貫教育を導入するに当たり、受験準備に偏した教育が行われることのないよう関係者に強い要請をいたしております。  我々は、この六年間のゆとりのある学校生活の中で、それぞれの子供個性創造性を大いに伸ばすために、体験学習、地域に関する学習、国際化、情報化に関する学習、環境に関する学習等の多様な教育内容が提供されるとともに、伝統文化等の継承のための教育や、あるいはじっくりと学びたいという子供たちの希望にこたえる教育等、特色ある教育が展開されることを強く要望いたしました。  第三には、選択的導入の問題であります。  中高一貫教育の方が学校教育の区分として望ましいというのであれば、すべてを中高一貫教育にすべきではないかという御意見が多数ございます。中教審における議論においては、この点につきましては、中高一貫教育と現行制度の双方がそれぞれ利点と問題点を同時に有しているとの認識でございます。  例えば、中高一貫教育には、ゆとりある安定的な学校生活が送れるということや、あるいはまた六年間の計画的教育指導が可能であること、あるいはまた異集団のコンタクト、接触が可能であることなどさまざまな利点がある一方で、生徒集団が固定化されることによりまして学習環境になじめない生徒を生ずるおそれがあることなど、留意すべき点も多々ございます。  同時に、現行の中学校高等学校制度につきましても、中学校で学ぶ過程で生徒の希望や目標が徐々に具体化し、進路意識がより明確になる時点で、多様な高等学校の中から自分にふさわしい学校を選択できる等の利点もございます。  これらの利点と問題点の持つ意味は、一人一人の子供たち保護者にとって異なるものであり、一概にどちらがいいと決めることはできない問題だというのが我々委員の一致した見解でございました。  このような背景から、子供保護者が、従来の中学校高等学校に加えて中高一貫教育をも選択できるようにすることが望ましいということでこの提言を行った次第でございます。  また、中高一貫教育の導入は、子供たち保護者の選択の幅を広げることを趣旨とするものでありますので、子供たち保護者のニーズ、地域の実情を十分に踏まえて進められるべきものであります。したがいまして、答申では、中高一貫教育の導入は、このあたりの状況を把握している、あるいは把握できる地方公共団体等判断を尊重することが適当であると述べております。  そして、その実施形態についても、同一の設置者が独立の中学校高等学校を併設する形態、それから一つの六年制の学校として設置、運営する形態、それから市町村中学校都道府県高等学校とを連携させ、六年間の計画的、継続的な教育を行う形態の三形態を示し、地方公共団体等が、地域学校の実情等を踏まえて最も適した形態をとることができるようにすることが適当であって、国はそのための所要の制度改正を行うことが必要であると提言しております。  以上のように、すべてを中高一貫教育にするという画一的な改革を行うのではなく、現行制度に加えて中高一貫教育をも選択できるようにするというのが今回の答申における選択的導入の趣旨でございます。  最後に、なぜ今学校制度の変更を行うのかという点についてでございます。  中高一貫教育については、昭和四十六年の中央教育審議会答申において、学制改革を推進するための先導的試みの一つの形態として示され、さらに昭和六十年の臨時教育審議会第一次答申では、六年制中等学校の構想が示されております。これらにつきまして、文部省においても種々検討がなされたものの、受験戦争の低年齢化のおそれがあるなど関係者の合意が得られなかったことから、実施には至らなかったと伺っております。  しかしながら、近年、生徒の能力・適性、興味・関心等の多様化に対応した中等教育の多様化を図るため、高等学校における総合学科やあるいは単位制高等学校設置、選択幅の広い教育課程の編成等のさまざまな取り組みが進められてきております。  今回の中教審の提言は、単に過去の答申を実現するということではなく、現在進みつつある中等教育の多様化を一層推進するという視点に立って、これまでの各学校段階における多様化の取り組み、すなわち横の多様化の取り組みに加えまして、学校制度についても選択の幅を広げる、すなわち縦の多様化をも導入することが必要であるという観点から、中高一貫教育の選択的導入を目指そうとするものでございます。  以上、中高一貫教育について私の考えを述べさせていただきました。  繰り返しになりますが、今回の中教審の答申は、全体を通しまして三つの点、すなわち、形式的な平等の重視から個性の尊重への転換、二番目、画一的システムから柔軟なシステムへの転換、三番目、子供たち保護者の選択の幅の拡大、この三つの視点、観点を踏まえつつ、実現可能かつ具体的な改善策を提示することに意を用いたものであり、今回の改正法案は、それらを十分に踏まえつつ、我が国の学校教育の複線化を進め、柔軟な学校教育制度を実現することを可能な らしめるものであるとの認識を持っております。  以上で、参考人としての私の意見陳述を終わらせていただきます。どうも失礼いたしました。(拍手)
  126. 高橋一郎

    高橋委員長 ありがとうございました。  次に、黒沢参考人にお願いいたします。
  127. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 紹介いただきました東京学芸大学の黒沢と申します。  本日は、参考人として意見を述べる機会を与えていただきましたことを感謝いたします。  時間が大変限られておりますので、二つの資料を用意させていただきました。一つは、私が、「大学進学研究」という雑誌の去年の五月号でございますが、そこに書きました「中高一貫校教育の現実と未来」という論考でございます。もう一つは、きょうおいでいただいておりますが、岩切先生のあの五ケ瀬中学校高等学校を見学しました感想を神奈川県の教育文化研究所の「教文研だより」という小冊子に、昨年の十月でございますが、簡単な感想を記したこのB4の二枚、二つの参考資料を用意させていただきましたので、私がお話しできない点はそれらを御照覧いただければありがたいと思います。  なお、本日の話の内容につきましては、A4版でレジュメのようなものを用意しましたので、できるだけそれに従ってお話をさせていただきます。  まず「はじめに」というところで、私の考えの概要を述べたつもりでございます。二点ございます。  第一点は、現在我々が注目すべきことは、高校の進学率が既に九七%近くになっております。これは皆さんも御承知のことと思いますけれども中学校高等学校の間に大きな隔壁、壁を設けることが無意味になっているということを意味するのではないかと考えるものであります。つまり、私が高校のころに考えていたように、特別な試験を受けて、選ばれた者だけが高等学校に入るという考え方ではリアリティーがないということだろうと思うのです。したがいまして、そのような事実から、私は、中学校高等学校を一貫して教育を考えるということには全く賛成でございます。  そして、その一つの手だてとしまして、中高一貫校ということも十分現実性のあることであるというふうに認識しております。これが第一点でございます。  しかしながら、今木村先生も若干触れましたけれども、一貫校というものを選択的に、具体的に言えば各県一、二校ぐらいに導入するということには大きな問題が含まれているのではないだろうかと私は考えるわけでございます。したがいまして、できれば、全校とは言いませんけれども、できるだけ多くの人が一貫制学校のこの長所を享受できるような形で実現すべきではないかというふうに私は考えます。  次に、1のところに移りますけれども、七一年の中教審答申以来、この一貫校の問題については指摘されてまいりましたが、私どもの前に大きくクローズアップされたのは、臨教審の六年制中等学校提案されたときであったと思います。このときにも、利点としましては、六年間、つまり入試がなくて非常にゆとりがあるというこの点が、最もこの六年制中等学校のいい点と申しますか長所だろうと思います。私もそのとおりだろうと考えております。  そして、私は実際に、後で岩切先生が詳しく御報告なさるのかと思いますけれども宮崎県の五ケ瀬まで参りまして、そのことを見聞の結果、私のこの目で実見いたしました。ただ、残念ながら、私が参りましたのは、夏休みに入ってしまった二、三日たったころでございましたので、授業そのものは拝見できませんでしたが、教頭先生の非常に懇切丁寧な御説明、それからクラブ活動でしょうか、学校の中に、休みに入っておりましたが、結構多くの生徒さんが残っておりまして、そういう生徒さんとお話をしたりしましたら、五ケ瀬学校が目標としております一つであります、上級生が下級生に対していろいろな話をしたり、いい意味の指導と申しますか、そういうことをやっていることも実見いたしました。したがいまして、この伸び伸びとした教育内容をこの目で見まして、これは大変いい学校であるということを認識したわけです。  なお、先日の土曜日の夜に、NHKの「教育トゥデイ」という番組で授業内容等もビデオで放映されておりましたので、私の経験とあわせて、改めてこの六年制の学校のよさを認識したわけでございます。  しかし、私が先ほど「はじめに」の二番目で述べました懸念もやはりそこに残るわけでございまして、大変いい学校ですので、九倍近くの志望者が来るということでございます。しかし、大変な配慮をされるわけで、単にペーパーだけでテストは行っていなくて、いろいろな方面から、多様な観点から選抜を行っているということで、一・五倍まで面接その他いろいろな方法で絞って、最後の一・五倍の点でくじ引きにするということを言われておりました。こうした努力について、我々は十分学ぶべきですし、私は敬意を表したいと思います。しかし、考えてみれば、九人に一人しかその長所を享受できないというところに、やはり私の不安は消えないわけでございます。  そういう点が一つあるわけでございまして、2の「中高一貫の問題点」というところに行きますが、十四期中教審もその点についてはかなり詳しく問題点を挙げております。例えば、私が皆さんのお手元に配りました資料の「中高一貫校教育の現実と未来」の一枚目の右の方に「中高一貫校の問題点」、その下から右の段にかけまして、ページ数は五と振ってありますが、そこに、これは中教審の文章の中で、その倍率を先ほど九倍と申しましたが、非常にいい学校ですから、多くの人が集まるわけで、どうしてもその選抜をしなければならない。そのためにどうしても、低学年からそこに入りたいという希望があるわけで、その選抜に備えて結構努力しなければならないということがあるのではないでしょうか。  特に、その塾通いというものの低年齢化をこの十四期中教審も非常に懸念しておりまして、その懸念というものは余り解消できないのじゃないだろうか。私は、宮崎市の何人かの先生とか父母の方にも聞いたのですが、そういうようなことを、非常に不十分なヒアリングでございましたが、懸念を表明されておりました。その不安がまだ消えていない、臨教審以来の長所に対してその不安感が消えていないというところに、私は趣旨には賛成するのでございますが、その選択的導入というところにかなり問題点があるということを指摘しておきたいと思います。  なお、そういうようなやり方でなくても何か方法があるのではないか、つまり、あのような立派な学校をどうしてもっともっとつくれないのですかと私が質問したのですが、それに対して、宮崎県の教育委員会の方は、やはり財政的な問題でわずかな例しかできないのは残念である、こういうお答えがたしかあったと思うのですね。それは十分私も納得できるわけでございます。  そこで、余りその財政的なものを伴わなくても、いわば大衆的なそういう方法がないだろうかというふうに私も研究者の一人として考えてみましたら、十五期、十六期の中教審が出した、先ほど木村先生もちょっと触れられたと思いますけれども、二次答申の中に、一貫校の実施形態として「同一の設置者都道府県、市町村学校法人など)が中学校高等学校を併設し、入学者選抜を課すことなく接続するという形態」、「一校又は複数の市町村中学校都道府県高等学校とを連携させ、高等学校入学者選抜を行わず、六年間の計画的・継続的な教育を行うという場合」、こういう形態を示しております。  私の考えによれば、これを十分生かして、つまり、一定の中学校地域の中にある高等学校に入学試験はなく進学できるようにすれば、実質的な中高一貫教育が行えるのではないだろうか、そして実質的な中高一貫校というものができる可能性が十分あるのではないだろうかと考えます。  ただ、地域にその高等学校をつくる場合にも、やはりいろいろな問題が生じます。それは、かつての小学区制というリジッドな制限を設けますと、その生徒たちの選択する希望に十分こたえない学校がそばにあっても行きたくないのは当然であると思います。そこで、同時に地域子供たちにとって魅力的な高等学校をつくる必要があるだろうと思います。  それは、私の調査によれば、現在進行しつつあります、これは十四期中教審によってつくられた学科でありますけれども、総合学科高校、あるいは八〇年代に出現しました普通高校における総合選択制高校、こういう高等学校一つのモデルになるのではないでしょうか。しかし、これについても、お金がかかるという批判がございます。  そこで、従来の職業学校、専門学校でございますね、それと普通学校、こういうものを組み合わせて、一つの連携を密にしながら、地域社会に総合的な学校をつくる、そしてその周辺の中学校と連携して、横の連携だけではなくて、中高の連携を密にしていく、そういうことを行うことによって、私は、宮崎県の五ケ瀬で感動しました、そういうゆとりのある学校というものが実現できる可能性は十分あるだろうと考えます。  そういうことによって、本当にわずかな一校、二校、つまり九分の一ぐらいしか享受できない制限を除いて、かなり多くの人が魅力ある高等学校に中高の隔壁を越えて進むことができるのではないだろうかというのが、私が四番目に書きました(4)の十五期、これは十六期も含めての二次答申の第二形態の適用による実質的な中高一貫校と一貫教育ということではないだろうかと考えるわけでございます。  なお、時間がちょっとありますので、この学校内容につきましては、私は三年とかそういうことに限定しないで、職業教育と普通教育を統合し、地域のいろいろな文化・福祉施設も含めたような、行く行くは学習ネットワーキングみたいなものを構想していく。大学も連携してもよろしいかと思います。その若干の点については、朝日新聞で出しております論座という五月号にその一部を書きましたので、御参照していただければありがたいと思います。それが(5)の「中等学校の生涯教育化」ということでございます。  そういうことを基本にして、地域社会に魅力ある総合的な高等学校をつくる。そして、入試という隔壁を除いて実質的な中等学校をつくり、そこで中高一貫した教育を行えば、そこに実質的な中高一貫校というものが各地にできるのではないでしょうか。そして、子供たちは自分の選択によって、自己責任を養成しながら自分の進路を決めていく。そして、五ケ瀬などの実験にあるように、非常にゆとりのある学校ができるわけですから、このゆとりをもとにして、十五期中教審が提言しました生きる力を本当にはぐくむことができる。そして、これは二十一世紀に子供たちが生きていく大きな力になるのだろうと思います。こういう方向で、私は、ぜひ高等学校あるいは中等学校の接続というものを考えていただきたい。  以上が、私の考えでいるポイントでございます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  128. 高橋一郎

    高橋委員長 ありがとうございました。  次に、岩切参考人にお願いいたします。
  129. 岩切正憲

    ○岩切参考人 私は、今年の三月まで、今お話に出ましたように、宮崎県の五ケ瀬中学校高等学校に勤務しておりました者でございます。  今御案内にありましたように、五ケ瀬中学校高等学校は九州のちょうど真ん中にございまして、九州脊梁山脈のふもとといいますか、非常に環境のいいところに設置してございます。この学校での中高一貫での体験をもとに、きょうはお話をさせていただきたいと思っております。  まず初めに、五ケ瀬中・高校についてでございますが、お手元にパンフレットをお配りしてございますけれども、三つぐらいに特徴をまとめてみますと、第一番目に、先ほどから出ております、中学校高等学校を接続した学校であるということでございます。  ですから、当然教師は中高兼務発令になっております。中学校籍の先生には五ケ瀬高等学校勤務を、高等学校籍の先生には五ケ瀬中学校勤務をということで、中高の先生が相乱れて授業に行っておる。ですから、横に座っておられる先生が今まで顔も見なかった中学校からの人、高校からの人で、お互い教科書を見せ合いながらそういう継続的な話もできるというようなこともございます。  それから、生徒も一緒に、学校行事等すべて、生徒会活動から全校朝礼から、すべて中高一緒に生活をしております。そういうような県立の中学校高等学校を接続した学校であるということ。  それから二つ目に、全寮制学校ということでございます。  宮崎県の全県一円から募集してございますので、僻地というところでもございますので、全寮制になっております。生徒たちは、中学、高校、すべて同じかまの飯を食べ、ふろに入り、和気あいあいと、クラス全体が兄弟のような、すべていいことも悪いことも知り尽くしたような全寮制の生活を送っておるということであります。  寮生活というのはいろいろ大変な面もございますけれども、簡単に言えば人間学を学ぶといいますか、自分の主張もあるときには必要なこともありますし、そればかりでは協調性がないと皆からいろいろ言われたりということで、全寮制ならではのいろいろな生活を送っておる。そういうことで、全寮制のためにハウスマスターという、簡単にいいますと舎監でございますが、教諭が寮に家族で泊まり込んで、生活、学習面の全般の教育を面倒を見ておるというようなところでございます。  また、ホームステイということで、全寮制地域との連携がとれないといけませんので、地域の家庭に全生徒をホームステイに出しまして、いろいろなものを地域の方から指導してもらっております。  それから三つ目が、地域を生かした体験学習をやっておるということで、中高一貫から生まれたゆとりを体験学習の時間に回しております。中学校で年間七十時間、高等学校で二単位ということでやっておりますが、地域のいろいろな方々に来ていただきまして、また地域の役場関係、関係機関の方なんかの連携もいただきましてやっておるということで、簡単に申しますと、五ヶ瀬中・高等学校というのは、御案内のように中高一貫全寮制、体験学習をふんだんにというようなことが主な特徴ではないかと思います。  そこで、二番目に参りますけれども、この学校での中高一貫部分、今お話に出ておりますこのところだけを取り上げまして、私の考え、体験からくるものをお話しさせていただけたらと思っております。  三つほどまとめておきますと、まず一つは、異年齢、異なる年齢での集団生活、これは非常に大きいことではないかと思っております。中学校一年から高校三年までの幅広い年齢集団が一緒に生活するということは、物すごい、やはり経験からしますと、勉強してくれているのではないか。  先ほども申しましたように、行事、生徒会活動、部活動、クラブ活動、すべて、全部一緒でございます。私も、初め行くまではどんなものかと思ったのですが、全校朝礼にしましても、中一生から高校三年生まで同じように並んで同じように私の話も聞いてくれます。最初はどこを視点にと思っておりましたが、結構後はもう全体的に話しておるということをやりました。中に、高校三年生の体験談なんかを中学一年生が目を真ん丸にして聞いている面もありますし、中学一年の子供のかわいい状態を高校三年生が見まして、逆に教えられるとかいうことで、お互い教えたり教えられたりという、異なる年齢集団の中での生活ができるというようなことでございます。  中に、私どもは、今いろいろな学校で大変なところもありますが、発想としましては、先生が指導するだけではなくて、同じ仲間同士であります生徒同士の先輩が指導するチャンスもあっていいのじゃないか。旧制中学校ではありませんが、先 輩の言うことを後輩が聞くというような、いい意味での縦の指導といいますか、リトルティーチャーということで発想いたしましたが、そういうことをさらに進めていきたい。  今、さらに学校の現場の先生が言っておりますのは、ミドルティーチャー、卒業生が大学生になったらまた来てもらって指導してもらおう、さらにラージティーチャーということで、大人になったらまた母校に帰って指導してもらおうということで、どんどん指導する者をふやしていったらというようなことを今考えております。  それから、ファミリー制度ということで、中学一年から高等学校三年まで、私学の一貫校あたりではいろいろなされているところもあるやに聞いておりますが、各学年の一人、二人の生徒先生一人入りました八名、九名のグループ、ファミリー制度というので、清掃活動とかいろいろな日常活動をやっておるということでございます。修学旅行に行きましても、ファミリーの先輩に土産を買ってくるとか、いろいろな面でグループでまとまっているようでございます。  そういうことで、卒業生がいろいろな行事のたびに学校に帰ってきております。中には、学校に帰ってきて、夏休み家に帰らずに大学に帰ったりということで、おしかりを受けることもありますけれども、そういう面で先輩後輩というのは、ある面では母校愛につながるといいますか、そういうような面があるのではないかと思っております。  それから、二つ目でございますけれども、さまざまな体験活動を行っているということで、中高一貫で生じたゆとりを本校の場合は自然体験、社会体験、いろいろな体験学習にフルに使っておるということであります。環境のよい、四億三千万年前の化石も出てきます、天文台も近くにございます、いろいろな面で、生徒が入学するときには、そういうことができる、南国宮崎でもスキーができるということで入学する子がたくさんおりますので、そういう体験学習を入れながら、フォレストピア学、五ケ瀬学というようなことを、今文部省の研究開発学校で体験学習の教科書づくりに当たっているというところであります。  古老の方、名人の方、それから営林署にお頼みしていろいろな面で力をいただいたり、地域との連携もその中で行うことができます。  特に、この体験学習で私が今思っておりますのは、中学校時代にいろいろなこういう体験をさせますと、その中で自分の適性といいますか、自分に合ったものを見つける子供が多うございます。そうすると、この方向の職業につきたい、ああいうことに行きたいということで、高校になったらある程度そういう勉強をし始めます。ですから、現在、やはり体験の少なさが進路決定には問題があるのではないかと。特に中学校の場合、いろいろなことをやるチャンスがございますので、高校入試で途絶えることがございませんから、いろいろなことを経験することが進路決定に非常にプラスになっているというのは感じることができました。  それから、教師の方も、いろいろな体験学習の課題研究等がございます。グルーピング研究がございますので、教師自身も勉強になる。教科書だけの、自分の範囲内で教えるというのではなくて、生徒からいろいろなものを持ってきますので、教師も常に新鮮な気持ちで前向きに動かざるを得ないというような面もございます。  中高一貫の場合は、出てきたゆとりを何に使うかということで、その学校のスタンスが決まるのではないかと思っております。  それから三つ目でございますが、六年間というスパンで物事が見られるというのは大きいのではないかと思います。高校入試で途切れることがございません。ですから、いろいろな面で、生徒指導面でも進路指導面でも長いスパンで子供を見ることができます。  現在でも中学校高等学校それぞれ頑張ってもらっておりますが、どうしても高校入試という一つの途切れがございまして、一つの視点で中高つながった職業指導といいますか、六年間を見越して、中学一年ではいろいろな職業体験的なことを教えてみたりとか、それをどう高校につなぐかということができます。  生徒指導面でも、長いスパンで子供を見ますので、今まで三年勝負、三年勝負というのがどうしても現場にはありますので、子供たちをそういう逆の面で追い詰める面もあります。そういうことがございませんので、心のゆとりといいますか、職員側にも生徒側にもある面では出てくるのではないかなと思っております。  そういうことで、六年間のスパンの発想、高校入試で途切れないというのは、教師の視野も広がる。今の教師は、ほとんど高校の先生中学校を知りません。中学校先生は高校を知らないという面が多いのですけれども、現に高校の先生が本校に来まして、中学一年のあのまとわりつくようなかわいい時期から、どんどん反発的になり、高校三年になりますと大人になっていく状態を見ますので、そういう流れの中で子供が指導できるという面はあるかと思います。  最後になりますけれども、いろいろな面で六・三・三制のよいところもたくさんあると思いますが、ある面ではこういう中高一貫というのも一つの方法ではないかと。こんなに世の中が多様化しております。私としましては、やはりいろいろな場面で、みんな一緒という考えではなくて、違いを認める社会といいますか、それぞれの個性によって、六・三・三制に行く子もおれば、六・六で行く子もおれば、それを、違いを認めるような、個性を認めるような社会にもうそろそろなっていっていいのではないかなというような気がいたします。  そういうことで、中高一貫のいろいろな経験というのを生かしていただくと、やはりすばらしい複線化の一つの方法ではないかなということを感じておるところであります。  ただ、新しいことといいますのは、どうしても、スタートラインというのはいい面もありますし課題もあります。ですから、しばらくはやはりいろいろな面で行政のバックアップは必要ではないかなと。本県の場合は、県知事さんを初めいろいろな英断をいただいておりますので、ある面ではやりやすい環境であったと思っておるところでございます。  以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
  130. 高橋一郎

    高橋委員長 ありがとうございました。  次に、糀谷参考人にお願いいたします。
  131. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 八王子市立第五中学校の糀谷と申します。よろしくお願いします。  初めに、東京の中学三年生の言葉を聞いてください。   私には、どんなに勉強しても、これだけやっ  たから安心できるっていう日がありません。い  つも不安です。みんな、もっと勉強してるって  ことがいつも頭にあるからです。いい成績をと  らないと行きたい高校に行けないという不安。  大好きな友達と競っているという何か嫌な気持  ち。いつまでたっても不安は消えないし、日に  日に友達にだって負けていられないという気持  ちが大きくなるし。友達に、テスト前に「勉強  した?」って聞かれたときに、「した」って言っ  てテストできなかったら嫌だから、自信がない  から、きっと友達の方が私より勉強してるん  だって思ってしまうから、素直に「した」って  言えなくて……。でも、そういう会話って、  とってもつまらないです。お互いに探り合って  いるみたい。でも、本当は、すごい気になる  し、知りたいから、言われる答えがわかってい  ても聞いちゃうんだけど、素直な気持ちを言え  ない、聞けないたびに、何か友情っていうか信  頼みたいなものが薄れていくような気がしま  す。  中学生というのは、友達と語り合ったり、一緒に物事に取り組んだり、時にはけんかもしながら、自分らしさをつかみ、みずからの生き方を見つけていく時期です。ところが、今の中学生は、 友達との触れ合いやぶつかり合いを通して成長していくことがとても難しくされています。なぜなら、内申書重視などと言われて、中学校に入学したその日から高校入試を意識した生活を送らざるを得ない状況にあるからです。そのために、今紹介したように、友達と本音で話せないとか、自分が周りからどう見られているかすごく気になるなど、孤独感やストレスを抱えています。  友達との触れ合いやぶつかり合いがとても大事な思春期のこの時期にそれができないということは、子供の成長にとってとても不幸なことです。私は、ここしばらく続いた子供たちによるさまざまな事件の背景の一つには、こうした問題もあると思います。一刻も早く子供たちをこうした悩みや苦しみから救ってあげたい。そのためには、子供たちを高校入試の競争から解放することが必要です。まず、そのことを強調したいと思います。  さて、中高一貫教育について、第十六期中教審の答申などを見ますと、導入の積極的理由として主に二つのことが挙げられています。一つは、高校入試の影響を受けずにゆとりある安定的な生活が送れること。もう一つは、六年間の計画的、継続的な教育指導が展開できるとされています。私は、これらのことは、現行の六・三・三の学校制度とは別に新しく中高一貫教育を導入するための理由とはなっていないと思います。  まず、高校入試の影響を受けずにゆとりのある安定的な生活が送れるという点ですが、そもそも、憲法、教育基本法、学校教育法に基づいて新制高校が発足したときには、選抜を行わないことが原則でした。一九四九年の文部省学校教育局「新制中学校 新制高等学校 望ましい運営の指針」には、新制高校は、その収容力の限界まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。選抜をしなければならない場合も、これはそれ自体として望ましいことではなく、やむを得ない害悪であって、経済が復興して新制高校で学びたい者に適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきものであると書いてあります。ですから、当時は、言われる収容力の限界を超える場合だけ選抜が行われていました。  それが、一九六三年の学校教育法施行規則改定によって、どんな場合であっても必ず選抜が行われるようになってしまったのです。ですから、高校入試のために子供たちがゆとりある安定的な生活が送れないというのであれば、私は、まずこの規則を変えて、希望する子供は全員高校に入学できるようにするべきだと思います。今は生徒数が減少していますので、特別の予算をとらなくてもその条件をつくることはできるはずです。  もう一つ中高一貫教育導入により、六年間の継続した指導ができると言われている点です。  学校教育法第十七条に  小学校は、心身の発達に応じて、初等普通教育  を施すことを目的とする。とあります。第三十五条には  中学校は、小学校における教育基礎の上に、  心身の発達に応じて、中等普通教育を施すこと  を目的とする。第四十一条では  高等学校は、中学校における教育基礎の上  に、心身の発達に応じて、高等普通教育及び専  門教育を施すことを目的とする。と、それぞれ書いてあります。これらの条文は、現在の六・三・三の学校制度が、小中高を見通した教育の系統性を重視していることを示しています。  それでは、現実にこのように系統的な教育が保障されているかと問われれば、残念ながらそうはなっていないというのが現場教師としての実感です。それはなぜかと言えば、文部省の学習指導要領がそうなっていないからだと言わざるを得ません。  例えば、今の指導要領では、小学校一年生で、時計の針が同じように1を指していても、短い針だったら一時と読みますが、長い針だったら五分と読むということを勉強しなくてはなりません。これは掛け算九九の五の段を勉強していれば簡単に納得できることですが、九九の勉強は二年生になってからです。九九をやっていないうちに、針が1を指していても五と読むことを理解するのは大変なことです。このように、勉強の順番が子供が理解する筋道に沿っていないということがたくさんあります。  かわいそうなのは、子供たちが、できないのは自分のせいだと思い込まされ、自信を失ってしまう子たちもいることです。こうしたことが積み重なっていくことは、子供の成長にとって大変有害です。  そして、中学に入れば、高校入試の重圧のため、伸び伸びと生活したり友達と触れ合って心を育てることができにくくなっています。勉強も、どうしても受験を意識した内容、暗記中心の勉強になってしまいがちです。中学校の時期に本当に必要なことが学びにくくされていると思います。  小中は別々の学校で学びますが、そこが系統的でないという批判は上がっていません。中高が系統的でないと言われるのは、やはり入試で分断されているからではないでしょうか。  ですから私は、六年間の系統的な学習を子供たちに保障するために必要なことは、まず、学習指導要領を抜本的に見直すこと、そして高校入試の競争をなくすことだと思います。  以上、中教審答申などに示されていることは、今の学校制度を変えて中高一貫教育を導入する理由とはならないのではないかと述べてきました。それどころか、私は、中高一貫教育の選択的導入によって今の子供たちの深刻な状況がもっと悪化してしまうのではないかと心配しています。  一つは、受験競争の低年齢化です。東京では、昨年三月の公立小学校卒業生の一五%以上が私立中学に進学しました。その何倍かの子供が受験したはずです。そのための塾通いは過熱する一方です。塾で深夜まで勉強させられ、ストレスをためて学校に来る子もいます。今問題になっている小学校高学年の教室の荒れの大きな原因の一つがこの私学受験です。中高一貫教育が導入されれば、こうした受験競争が一層激しくなってしまうことは明白です。  学力検査を行わないから大丈夫と言われますが、それは二つの点で違うと思います。  一つは、学力テストをしなくても、選抜資料に小学校の内申書が入っていることです。小学校での成績が問題にされる以上、学力による競争はなくなりません。  もう一つは、高校への推薦入試などの例でも明らかですが、小学校での生活の様子や面接、作文などで選抜されることの残酷さです。無限の可能性を持つ子供の人格や行動の仕方まで評価の対象にして選抜に使うことは絶対にやめてほしいと思います。中学生だって大変な重圧を感じています。ましてや小学生に与える影響の大きさははかり知れません。  もっと言えば、文部省学校ごと特色ある教育課程を編成し、通学区域も弾力化する方針です。その流れでいけば、あの小学校は受験に強い、あの学校はそうでもないなどと、六歳の選択の時代になってしまうのではないかと私は心配しています。  二つ目の問題は、そうやって受験競争に巻き込まれ、落とされた子供たちの心の傷の大きさです。今は三年生より一年生の教室の方が大変だという中学校は少なくありません。特に、私立中学への受験に失敗し、大きな挫折感を抱いて公立中学へ入学してくる子供の心の荒れは深刻です。そういう子供たちが希望を持って前向きに生活できるよう励ますことが私たちの最初の仕事です。しかし、子供の心の傷は相当深いです。中高一貫教育の導入でこうした状況がさらに広がってしまうことが心配です。  三つ目の心配は、こうした競争に勝ち抜いて中高一貫教育を受けることになった子供たちの問題です。今度は勝ち抜いた者同士のこれまでよりもっと厳しい競争の中に置かれていきます。そのことが子供人間性をゆがめてしまわないかと心配です。また、自分たちだけが特別の教育を受け ているというようなエリート意識や特権意識を持つようなことはないでしょうか。それはその子たちの人格形成のために決してよい影響を与えないと思います。同じように義務教育段階の同じ年代でありながら、一方の子は中高一貫教育を保障されて特権意識を持ち、別の子たちは挫折感を抱えて公立中学校に通うといった状況が生み出されてしまうことに私は大きな疑問を感じます。  町村文部大臣法案提案理由として、中等教育の多様化、選択肢のある制度が必要だと言われました。しかし、それは本当に教育的に正しいことなのでしょうか。本当に子供たちや父母がそのことを望んでいるのでしょうか。中高一貫教育の導入は、十二歳での進路選択を子供に迫ることです。私は、子供の発達段階から考えて、それは非常に困難だと思います。学校教育法でも、自分の進路を決定するのは高等学校の目標です。中学校でも、進路を選択する能力を養うと書いてあります。そのとおりだと思います。  先ほどの中学三年生はこうも言っています。「進路なんて、なかなか決められません。夢があっても、いまの時点で決めてしまうのは不安なんです」。中学三年生でも大変なのに、小学校六年生に選択を迫るのはとても酷だと思います。  私は東京都教育委員会の都立高校長期構想懇談会の委員もしていましたが、こうした考えから、都立高校の一層の多様化を進めることに反対しました。今の子供教育の深刻な状況を克服するためにまずやらなければならないことは、新しい制度を云々することではなく、教育課程を子供の発達に見合った系統的なものにすることや高校入試の競争をなくすこと、そして三十人学級の実現など、憲法、教育基本法、学校教育法が、すべての子供にひとしく保障している普通教育がきちんと行われるようにすることだと思います。  二十一世紀をともに担う子供たち人間として豊かに育っていかれるよう、私も教職員として努力いたしますが、文教委員先生方もぜひそのために力を尽くしてくださることをお願いして、発言を終わります。(拍手)
  132. 高橋一郎

    高橋委員長 ありがとうございました。  以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  133. 高橋一郎

    高橋委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。奥山茂彦君。
  134. 奥山茂彦

    ○奥山委員 自由民主党の奥山でございます。参考人の先生方、きょうは本当にお忙しい中、大変御苦労さんでございます。  今度のこの中高一貫教育の導入につきましてお尋ねしますが、これまで我々も学校の現場で、子供たちの、授業がおもしろくない、こういうふうな声をよく聞いてきたわけであります。そしてこれまで、六・三・三制にあらわされているように、非常に単線化された教育制度、画一的な教育制度がずうっと行われてきて、今回ようやく中教審の答申に基づいて、中高一貫ということで、特に中学、高校のその節目に受験をなくそう、こういう試み、それが学校の現場でゆとりを生み、また、いろいろな多様なコースを選択できる、こういうことになっておるわけであります。  そこで、我々も、いろいろな形でもって教育の現場の先生方あるいはまた生徒子供たちともいろいろな話をしておるわけであります。私も、基本的にはこれは推進すべきだと思うわけなんですが、この間も、実はある父兄と話をし、また一部の先生方とも話をしておったわけでありますが、生徒も、いろいろな勉強の仕方をする子供がおるわけであります。  一つは、それぞれの学習の目標というものを、これは単一の教科に限らず、例えば期末テストあるいは中間テスト、このテストを一つの目標にしながら、勉強していく一つのプランをつくっていくとか、あるいは、これがもっと長いものになりますと、中学三年生が、高校の受験勉強を一つの目標としてそれに全力を挙げて取り組んでいく、こういうふうな子供も多いわけでありまして、ある意味でいうと、勉強する一つの目標をつくりながら一つ一つ節目を越えていく、そういう勉強の仕方をする子供というのもやはり現場には随分多いです、こういう話があったわけであります。  ところが、今回、高校受験がなくなるということになりますと、一番の大きな節目となる目標、ある意味でいうと目標になるわけなんですが、そういうものがなくなるということで、これからは授業の方針も随分変わるのではなかろうかということを言う父兄もありました。  そこで、木村参考人と黒沢参考人に、こういう勉強の方法、あるいはそういう勉強をするような子供たちがやはり学校には随分多いわけでありますから、そういう子供たちのとらえ方というのはどのようにされていくか、まずそれからお尋ねをしたいのです。
  135. 木村孟

    ○木村参考人 私、小中といいますか、初等中等教育の専門家ではございませんので、うまくお答えできるかどうかわかりませんが、今まさに奥山先生のおっしゃったことが大事でありまして、今、子供たちはいろいろな勉強の仕方をしたいのですね。したいのですが、現状ではできない。  先ほどから御指摘ございますように、やはり十五の春の試験があるということで、今、期末テスト、それから中間テストに目標を合わせるということをおっしゃいましたが、結局それは、とどのつまりは、やはり高校受験ということにどうしても焦点を合わせて勉強しているのではないかというふうに思います。  ですから、子供たちの中には、いろいろな勉強の仕方をしたい子がいるということで、やはりその子供たちの要求にこたえるといいますか、そういうシステムをつくる必要があろうということで、いろいろ御反対はありますけれども、先ほどおっしゃったそういう複線化、今までは一つの道しかなかった、それで複線化の趣向を凝らす必要があろうか、そういうふうに私は思っております。
  136. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 今先生がおっしゃるように、子供たち一つの目標を持って、それに向かって、自分でプランをつくりながら乗り越えていくということは、全く私も賛成でございますが、ただ、それが受験であっていいのかどうかということは、かなり問題があります。  受験というのは必ず何人か落とさなければならないので、先ほど申しましたように、選抜というようなことになってきますと、かなりそこに、自分の目標を超えていくということとは違った側面、あいつを落として自分が上がっていくというような面が加わりますので、むしろ私は、目標を掲げて自分で克服していこうということは全くおっしゃるとおりだと思いますが、それを受験ではなくて、本当に自分で目的を見出して上がっていくような、そういう指導といいますか、教師の指導というものがこれからは必要になってくるのではないだろうか、そのために従来の受験というものはやめて、もうちょっと自分の長い将来の中で考えていくような、そういう方策が必要であろうと思います。
  137. 奥山茂彦

    ○奥山委員 そこで、次に岩切参考人にお尋ねをしたいのですけれども、入学のとき、今回の新しいこの制度になりますと、学力考査はもうやらない、こういうことになるわけでありますから、それにかわる方法として、抽せんとか、あるいは面接、また小学校からの推薦、内申書ですか、それから実技検査とか、こういうものになるわけでありますけれども、岩切先生の場合はどういう入学方法をとっておられたのか、まずお尋ねしたいのです。
  138. 岩切正憲

    ○岩切参考人 お答えします。  五ケ瀬中学の場合は、小学校からの推薦調書、書類等がございます。それに、実際の試験としましては、個人活動、グループ活動、集団面接、集団討議、そういうようなものを入れまして総合的に選抜しておる。先ほど出ましたけれども、六十名ほど選抜した後、あとは公開抽せんをやっております。  以上でございます。
  139. 奥山茂彦

    ○奥山委員 ただ問題は、例えば、今までですと特定の学校がそういう形をされておる。例えば私学はそういう入学方法をとっておられるということであれば、それはもう特定の学校ということで父兄は納得されるんじゃなかろうかと思うのですが、これが一般的に公立校としてそういう制度がとられるということであるならば、当然父兄の方もその選抜の方法というもの、選考の方法というものにやはり客観的なものを求められるんじゃなかろうかと思うのです。  ところが、それが、先ほどの話にもありましたように、小学校の内申ということであれば、これは先生からその学校に渡るだけでありますから、なかなかわからない。しかも、その面接あるいは実技検査ということも、これは評価の方法によってはいろいろに分かれるのじゃなかろうかと思うのです。  そういった場合に、果たして、例えば一府県に二校か三校ぐらいそういう学校ができたとしたら、私は京都府でありますから、当然京都全域からそういう学校を目指して来ると思うのですね。ところが、それが府下の全中学校卒業生に同じようなそういう機会が与えられるかどうかということが一つと、それから、客観的に納得した選考方法であるのかどうかということになるんじゃなかろうかと思います。  そういう場合、何をそのまま基準にするか、あるいはどの程度まで公開されるか、そういうことも十分検討しなければならない課題じゃないかと思うのですが、そのあたりを、できましたら、簡単で結構ですから、四人の先生方にお尋ねをしたいのです。
  140. 木村孟

    ○木村参考人 これは非常に難しい問題でございまして、今先生がおっしゃった客観性という問題ですね。日本人は、入学者選抜、試験ということになりますと、客観的に何で一番よく判断できるか、そういう判断なんですが、結局それがいわゆる学力試験といいますか、ペーパーテストが一番客観的で正しいという信念みたいなものを持っておりますが、私は、これが今、日本社会に大問題を起こしているのじゃないかと思うのです。ですから世間で、例えば大学の入学者選抜の方法を変えろというふうなことが盛んに言われておりますけれども、どうしてもそれが変えられない。これは、まさしくその客観性を、ペーパーテストを重視し過ぎるためだと思うのです。  先ほど、ちょっと糀谷先生の方から、例えば作文等で判断されてはたまらぬということがあったのですが、私は、これは当然判断の材料としてしかるべきものだと考えております。それをやらないので日本社会がこれだけ固定化してしまった。つまり、ペーパーテストだけに重点を置いた結果こうなったんだというふうに思っております。  ですから、はっきり申し上げますと、大学等でも、いわゆる高等学校での、内申書という言葉は私は嫌いですが、スクールレコードみたいな詳しい調査書、それから面接試験、さらには学力試験、こういうものを組み合わせてやらないと、従来の客観性だけにとらわれたのでは、もう我が国は救いのないところへいってしまうのではないか、こういうふうに思っております。
  141. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 先生のおっしゃるとおりでございまして、客観的なテストといいますか、数値でやるのがかなり客観的だというふうに従来考えられてきたのですが、それは人間のほんの一面しかテストできないということで、偏差値教育というのを十四期中教審でもう廃止しようということは、私は全く正しかったと思います。  ただ、そのかわりに今度は、今先生がおっしゃったように、内申ということになりますと、日常的に生徒先生にいい点を繕わなければいけないということで、先生期待するように、日常的に態度、行動を自分で考えなければいけないということは大変プレッシャーになっているのですね。  ですから私は、それもやはりだめだろうということで、先ほど申しましたように、できれば入試そのものを廃止してしまう、そういう方向へ向かっていかないと、この難問というのは解けないのではないだろうかというふうに考えております。
  142. 岩切正憲

    ○岩切参考人 お答えします。  私どもは、小学校の通常の授業に影響を与えるような、つまり対応できるようなものはしたくないというところで、何も準備しなくてもできるような試験ということを考えてやっております。それから、本校の場合は全寮制でございますので、どうしても年端もいかない子供たちが親元を離れて参りますので、全寮制に対する適応性もやはり見たいということもございます。
  143. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 私が直接かかわっています中学から高校への選抜のことでお話ししたいと思いますけれども、例えば東京都では、中学校から普通高校への推薦選抜というのが導入されています。面接とか内申書その他で合否が決まるわけですけれども、基準がはっきりわかりませんので、合格した子も、自分がどうして合格できたかわからない。落ちた子は、やはりどうして落ちたかわからないし、自分の人格そのものが否定されたように思ってすごく傷ついてしまうというのがここのところずっと続いています。そういう意味では、私は、面接とか内申書などによる選抜というのは非常に問題が多いというふうに思うのです。  それと同時に、だから、学力選抜がよいということを言うつもりは全くありません。だからこそ、そういう選抜の必要というのはないのではないか、する必要がないのではないかというふうに考えています。
  144. 奥山茂彦

    ○奥山委員 そこで、例えば教育大の附属の場合、これは幼稚園あるいは小学校の入学の場合は、抽せん制という、純粋の抽せん制でやっておるケースもあるわけですよ。この場合に、抽せんも入れて、また面接とかあるいは内申とか、こういうことも複合してやられるのか。あるいは、抽せんだけは一定の枠をつくって、もうそこである程度のことは決められるということになるのか。そこらはどういうことになるのですか。木村参考人と黒沢参考人に。
  145. 木村孟

    ○木村参考人 私どもが中教審で提案いたしておりますのは、やはり抽せんをある程度、抽せんだけというのは、いろいろ親御さんの反応等難しいところがありましょうけれども答申に書いてございますように、抽せんでありますとかあるいは面接、それから推薦、そういうものを、逃げになるかもしれませんけれども、うまく組み合わせてやろうということで、そのパーセンテージについては、私は、やはりおやりになる方がお決めになればよろしいことではないかというふうに思っております。
  146. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私も、基本的には今の木村参考人がおっしゃったことと同じなのですが、できるだけ比重をふやした方がいいと思いまして、先ほどの五ケ瀬へ行って教頭先生にお聞きして、現実問題として、全部抽せんにするのもどうかと思うので、差し当たって、九倍のうちの半分ぐらいは抽せんにしたらどうかということを提案したのですが、それだとやはり何かいろいろ問題があって、つまり、自分で行きたいと思っているところに行くというところに意味があるのではないだろうかということで、差し当たって一・五倍ぐらいが適切であるというお答えをいただいていますので、理想と現実はやや離れているということでございます。
  147. 奥山茂彦

    ○奥山委員 岩切参考人にお尋ねしたいのですけれども宮崎県のこの学校は今宮崎ではエリート校になっていますか、あるいは一般校としてですか、どうですか。
  148. 岩切正憲

    ○岩切参考人 何をもってエリートというか、ちょっと……。いろいろなエリートというのが各人によってありますが、私たちは受験エリート校ではないと思っています。どの学校もやはり知、徳、体そろった人間を育てたいと思っていますので、来ている子供たちはやはり意欲を持っておりますし、いろいろな面で前向きの子供たちが来て いるのではないかなと思っております。
  149. 奥山茂彦

    ○奥山委員 私は、今回の中高一貫校が特別なエリート校になってしまうと、その意味がなくなるのではなかろうかというふうに思います。だから、そうなってくると、やはり入学方法が相当大きく影響してくると思いますので、その辺はできる限りそうならないような学校にしてもらいたいと思うのです。  それから、この中高一貫校ができましても大学入試はそのまま残るわけです。そうすると、やはり中高一貫校からも、大学入試に向けて勉強しなければならないという現実はそのまま残っておるわけでありますから、やはりこの中高一貫校ができましても、受験勉強に陥りがちにならないかどうか、こういう可能性は大いにあるわけでありますけれども、そうならないためにどうするかということも、これは、大学受験制度を変える、これから改革していくという意味も含めまして、木村参考人にお尋ねをしたいのです。
  150. 木村孟

    ○木村参考人 私は、その御質問を受けまして、問題が核心に来たかというふうに思います。  先ほどから、中高一貫だけがここで議論されていて、高校入試が云々という話がありますけれども、結局、どうしてこうなるかということを考えてみますと、今奥山先生がおっしゃったように、原因は大学入試なんですね。では、どうして大学入試かということになりますと、これはやはりその先の就職という、世の中へ出るための道具ということの問題がある。ちょっと長くなりますけれども、数字的なことでお話し申し上げたいと思うのです。  どうして日本でこれほど大学進学熱が盛んであるか。しかも、その大学進学熱の中でも、どうして若者がブランド大学に行きたいか、あるいは親がブランド大学へ入れたいかということでありますが、いろいろな理由がありましょうけれども、私は、個人的には、最も大きな理由は経済効率だというふうに思っております。  世の中に出る方法として、ほとんど最近九七%の方は高等学校に行かれますから、高卒と大卒というふうに分けてしまいます。そうしますと、高卒は大卒に比べて四年間早く給料がもらえます。それに対して、大卒というのは、その高卒の方が働いておられる四年間に給料はもらえないし、そのかわりに投資をしなければいけないということで、大方今の世の中だと千五百万から二千万の投資になります。それが生涯賃金に結びついてくるわけです。  一九九〇年ぐらいの時点でまいりますと、高卒と大卒の方の生涯賃金の差が八千万から九千万になります。そうすると、千五百万から二千万を投資して、九千万ぐらいの賃金差を得るということになりますので、これを収益率という形で、利子率という形で計算しますと、実に大卒は六%以上にも上がるわけです。しかも、もっとすごいのは、これは平均でありまして、大企業へ就職しますと、一一%近くにも上がるわけです。そうしますと、これはもう大企業へ行くなと言う方が無理なわけです。大企業の採用はどうかというと、大企業の方はやはりブランド大学中心に採用されますから、どうしてもブランド大学へ行く、こういう事態が出てくるわけです。  ですから、これはもう高校入試だけの問題ではなくて、企業の採用、それからさらに大学入試、そこまでいかないとこの事態は変わらないということでありまして、最近、徐々に企業の採用等が変わってきておりますので、私は、やや希望を持っておりますけれども大学も入試について格段の努力をする必要があろうというふうに思っております。
  151. 奥山茂彦

    ○奥山委員 いろいろ聞きたいことがたくさんあるのですけれども、時間が参りましたので終わります。ありがとうございました。
  152. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、藤村修君。
  153. 藤村修

    ○藤村委員 民主党の藤村修でございます。  本日は、四人の参考人の皆様方には、大変御多忙のところお時間をいただき、また貴重な御意見を賜りましたことを、改めて感謝申し上げます。  時間も限られておりますので、まず、四人の先生方にお一人ずつ、御発言の中の件で少しお聞きしたい点をお願い申し上げたいと思います。  まず、木村参考人の方につきましては、中教審のメンバーでも大変御苦労いただきましたので、非常にわかりやすいお話をいただきました。それで、中高一貫教育の問題点として四つほど挙げていただきました。受験年齢の低年齢化、あるいはエリート校化しないか、あるいは選択的導入がどうなのか、それから地方公共団体に判断をある程度任せていく、こういう中の四番目の件でありますが、特に、三つのパターンの中の連携について中教審は十分にお触れになって、かつ実態としては、この連携が最も数では多いわけですよね。ただ今回、閣法で出てきている法案につきましては、この連携は法律の対象ではありませんが、実際的に今重要なのは、この連携をもう少しちゃんと考えておく必要があるだろうと思うのです。  そこで、実態的にも多分一番多くなるこの連携校の考え方を、こうあるべきというところを少しお聞かせ願えればありがたいと思います。
  154. 木村孟

    ○木村参考人 ただいま藤村先生の御質問、私が述べました最後の形態で、中教審の答申では、一つまたは複数の市町村立の中学校都道府県立の高等学校を受験という過程を通らずに連携させるということでございましたが、残念ながら、法律ではそこまで踏み込んでいただけませんでした。  そういたしますと、私も、先ほどの黒沢先生のお話で、財政の問題から多分このケースが非常に多くなろうと思いますが、そうなりますと、やはりどうやって中学校から高校へ入れるかということが問題になろうかと思います。これはやはり当事者の方で、私ども中教審といたしましては、わざわざ答申には受験なしでということを書いてございますので、その辺をお酌み取りいただいて、ぜひそこで、十五歳の春の苦しみを経ずに子供たち高等学校に入れていただく工夫をしていただきたい。  現実には、これは地方状況を見ていただきますと、もう既にそういう事態が起こっているところがあるのですね。つまり、ある地域で高校が一つしかなくてその周りに中学校がばらまいてある。そうすると、そこへ全部入ってくるということになっておりますので、実態としては存在をしておりますが、それがふえてまいりますと、ただいまの先生の御心配どおり、受験という問題がどう解決されるのか、私ども非常に心配しております。この法案改正の上でそこのところがうまく入らなかったのが非常に残念だというふうに思っております。
  155. 藤村修

    ○藤村委員 黒沢先生にも、中高一貫教育の導入ということと、それから今の高校入試を廃止するという、この関連性をちょっと具体的に御説明いただければありがたいと思います。
  156. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 今の木村先生とかなり似ているところがあると思いますが、私は、先ほど申しましたように、今少子化でございますので、ほとんど平均すれば入試をする必要がなくなっている段階だと思うのですね。ただ、学校間に格差があって、つまり、世の中で言うところのいい学校と、ちょっと言葉はよくないのですが、余りよくない学校があるので、いい学校に集まってしまう。ですから、その格差を是正するということを同時に考えていかないと、入試を廃止するということもリアリティーがなくなってくると思うのです。  そこで私は、学校間格差をそのままにして一つ学校中学校を連携させるのじゃなくて、先ほど言いましたように、幾つかの学校を統合して地域社会に総合的な学科をつくっていくということを進めれば、今の問題は、すべてではありませんけれども、ある程度解決できるのではないだろうか。  これは理想ではなくて、例えば神奈川県の横須賀市で、神奈川新聞の一月十四日の一面に出たのですが、三つの学校を統合しまして総合学科にして横須賀地域一つの総合学科をつくると。そうすると、全部平均しますと、ほとんどもう志望を認めることができるような状況になっていくだろ うと思うのです。そういうことができて初めて私は入試の廃止ということも現実性を持つと考えております。
  157. 藤村修

    ○藤村委員 岩切先生には、私も三年前でしたか、文教のグループで見学をさせていただきまして、非常にうまくいっているということも風評に聞いております。  先ほどのお話の中で、実際にゆとりの時間を体験学習等に使うということでありましたが、ゆとりの時間が具体的にどのように生まれたのでしょうか。つまり、中と高を先生方が連絡しながらやっていくときに、ゆとりの時間というのはどういうふうに生まれてくるものなんでしょうか、そこを教えていただきたいと思います。
  158. 岩切正憲

    ○岩切参考人 本校の場合は、五ケ瀬中学校高等学校と二つの名前がついておりますけれども、現実的には同じ校舎に職員も生徒も入っております。ですから、教科書をお互いに横で中、高の先生が見られたり、一人の先生が中、高の授業に行ったりしますので、その中でダブりの面とか、説明をここで少し省いたりというような面を見ながら入れていったという面がございます。
  159. 藤村修

    ○藤村委員 もう少し具体的に、例えば科目でいうと、想像するに、社会科の歴史であれば、中学校でも古代からずっと歴史を習って、また高校でもう一回同じようなことをやるのではないか。それが、ダブりが相当なくなって、例えば歴史においてはこれだけ減りましたとかというのは、これは各教科全部について言えるものなんでしょうか。
  160. 岩切正憲

    ○岩切参考人 お答えします。  教科によって、また生徒によって本来的にはそれぞれ違うと思います。能力、学力差といいますか、受け入れ状態が違いますので、それで最初の研究段階の場合、お手元のパンフレットがございますが、一番後ろのページを開いたところに中学校の「教育課程」がございます。その中の「備考」のところに、例えば、社会に「年間十八時間を地域基礎I」とか、理科に「年間十七時間を地域基礎I」ということで、最初の段階でございましたので、科目指定でその時間を出してもらったということが現実でございます。
  161. 藤村修

    ○藤村委員 糀谷参考人の方には、お話しいただいた中で幾つかの問題点を指摘いただきました。  結論として、糀谷参考人については、今の中高である三・三、これがこうして区切れていて受験があることが、そのままでいいのか、それともここの部分はある意味では全部を六にすべきなのか、この辺のお考えをお伺いしたいことと、もう一つは、六歳の選択の時代とおっしゃいましたが、六歳には選択が可能なんでしょうか。これは私学の場合は別ですが、そこのところだけちょっと説明をください。
  162. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 先ほど申しましたように、中学校から高校に進学するに当たって大変な高校受験の競争があって、それが今の子供たちにとっても、中学校教育をもゆがめているというふうに思います。  私は、せめてどこかの高校には入れるというふうな保証を子供たちにしてあげたい。まずそのことで、かなり子供にとっても、僕は高校に行かれないかもしれないという不安を持つことなしに中学校の勉強に集中することができるりではないかというふうに思うのです。今は、そのことが物すごく不安になって、重圧になって、それこそ勉強も手につかないというふうな子供たちもたくさんいるわけで、そういう意味では、私はまずやることは、希望する者がみんな高校に行かれるような仕組みをつくることなんじゃないかというふうに思っています。  それから、六歳の選択ということですが、文部省の通知で、小学校通学区域を弾力化するというふうなことが行われていると聞いています。東京でも足立区などではかなりそういうことでのいろいろな状況が広がっているというふうに聞いています。そうなりますと、小学校の入学に当たって、今まででしたら自分が住んでいるこの地域小学校というふうになるわけですけれども、親御さんにとってはどちらの学校に行こうかなということになるわけですね。今でも幼稚園のときの友達が行くからそっちの学校に行くという話も聞いています。  そういう選択になったときに、それから今度の教課審の中間まとめなんかを見ましても、それぞれの小学校ごと特色ある教育課程をつくれということも要求されていますので、そうなると、それぞれの学校教育課程などを見ながら、親御さんたちがどこの学校に進学するかということを決めていくというふうなことが起こってくるのかなという意味で、六歳の選択という言葉を使わせていただきました。
  163. 藤村修

    ○藤村委員 それでは、黒沢先生の方に二点ぐらいお尋ねを申し上げたいと存じます。  先ほどの、エリート校化しないという点では、神奈川の例をお挙げいただいて、高校がある程度合併するような格好で総合学科を設け、それを中学とうまくつないでいくということで、いわば格差の是正という具体案かと思いますが、それでもやはり六年生のときの選択というのは入るわけでありまして、そこに今言われている受験戦争、受験競争の低年齢化を持ち込まない具体案がございましたら教えていただきたいと思うのです。
  164. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私、先ほど言いましたように、高等学校にすごい量の選択を設ける必要があるだろうと思うのですね。そのために一つの例として、三校連携という例を出したわけです。  先ほど糀谷先生がちょっと言われましたけれども、どこでもいいから高校へ入れるというのじゃなくて、私はやはり、魅力ある学校地域にあるということが必要でございまして、余り魅力のないような学校だと、やはり今、学校離れがございますので、そのためには、できるだけ多くの選択を設けて、そして生徒が自分で将来の進路指導を実現できるような、そういうことをまず考えることが必要ではないだろうかと思うのですね。そして、六年間ありますから、その中でじっくりと自己の進路指導ができるようになるのではないか、そこに非常な期待をしております。  ですから、そこで受験競争ということは、試験がなくて行けるのなら、特にそのことは心配にならないと理解しておりますが。
  165. 藤村修

    ○藤村委員 受験戦争の低年齢化を招かない、つまり、今高校入試がいわば受験地獄と言われているのが、これが今度、中学入試におりないかという話でありますが、これは先ほど来言われているとおり、選考方法のいろいろな工夫がある、あるいは一・五倍程度の最後は抽せんである、この辺が妥当だとお考えでしょうか。
  166. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私は、ですから、選択的に導入するということには反対せざるを得ないのですね、今先生が言われたように受験勉強の低年齢化が起こるわけですから。私は、全部とは言いませんけれども、先ほど私が提言しましたように、十五期、十六期の第二次答申のあの連携を用いれば、相当多くの学校が実質的な一貫校になるわけですから、特に倍率が激しくなるというふうには考えないのですね。ですから、その低年齢化ということは、先ほどの提言を弾力的に実現できれば回避できるのではないかと考えます。
  167. 藤村修

    ○藤村委員 それから、先ほど木村参考人の方からも、大学入試あるいはその先の話ということで、これは当然そういうことから出てくるものですが、一番近い大学入試について今後改善の方向、提言がございましたら、黒沢先生、お願いしたいと思います。
  168. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 当然、大学の入試というものは今非常に大きな問題でございますが、ただ、私がレジュメにも書きましたように、高校の進学率は今九七%、それに対して大学は、短大を入れてもまだ五〇%にはなっていないのだろうと思います。これは急速にふえると思いますけれども、そこにはかなり質の差があるということも配慮すべきであると思います。  といっても、大学の入試が現実にかなり大きな比重を占めていることは否定しませんので、例えば大学のセンター試験の資格試験化でしょうか、 そういうことも中教審の方で提言されておりますので、私はそれをもう少し現実化していきたいと思います。  それから、個人的な問題でございますが、今我々もそういうことを高等学校に要求しているわけですので、自分の方でも少しは頑張ろう、努力しようじゃないかということで、論文を時間をかけて書いてもらうとか、そういうことによって、私、正確な統計はとっておりませんけれども、少し前のペーパーテストだけよりはかなりユニークな生徒が入っているということは実感的に考えております。
  169. 藤村修

    ○藤村委員 先ほど糀谷参考人の方は足立区の例をお挙げになって、小学校段階での学区の弾力化が進められると、その選択をしなければならないというふうに、ややマイナーなイメージでとらえられたと思いますが、特に今回、中高というものが今議論をされておりますが、中等教育学校という一貫校、あるいは併設、あるいは連携などありますが、この学区というのはどういうふうに考えるべきか。  これは、宮崎の場合は全県一区でありました。しかし、今後はそれなりに数ができ、特に連携を考えていく場合は相当身近にも出てくるわけですが、ただ、改めて、中高一貫教育へ向けての学区は、今までの中学区とやはり相当違ってくるとは思うのです。それをどう考えるべきかにつきまして、木村参考人、黒沢参考人にお尋ねしたいと思います。
  170. 木村孟

    ○木村参考人 今の御指摘の問題でありますが、ちょっと繰り返しになりますけれども、私、初中教育の専門家ではございませんので、もっとほかの立場からコメントしたいと思います。  結局、いろいろな分野にわたって我が国がこういう非常な窮状に至っている原因は、やはり国民一人一人がはっきりした価値観を持っていないことだと思うのですね。要するに、今まではお上の言うとおりに、大体エスカレーターに乗っていれば何とかなったという状況であったわけです。それが機能した時代もありましたけれども、それが機能しなくなった。  外国は、どこを見ても、個人がそれぞれ選択をする幅というのが多いわけですね。これをやはり日本社会でもつくっていく必要があろうということで、私は、小学校部分についてもある程度の選択の幅を持たせた方が、みんなが考えるということになって、我が国にとっては非常にいいことではないかというふうに思っております。
  171. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私は、先ほどから言いますように、地域に魅力のある学校をつくるということでございますので、余り広い範囲になりますと、先ほど申しました学校間の格差がなかなか是正できないことになりますので、学区をあえて言えば中学区ぐらいでしょうか、五、六校から十校ぐらいの中で、それがぎりぎりの学区ではないかなというふうに考えます。  そして、神奈川の場合で恐縮でございますが、学区によっては職業学校がない学区があるのですね。ですから、普通高校と職業高校を連携する場合には、職業高校を望む人が今そんなにいないわけなので、普通高校のためにも開放して、もともと職業教育をやる学生のほかに、普通高校から来る職業科目用の科目もそこで設定して、乗り入れといいますか、そういうことも考えれば、かなり選択科目の多い学校をそんなに財政的な措置はなくてもつくれるのではないだろうか。そして、中学区に一校ぐらいずつ、そういった総合的な学校ができる可能性は十分私はあると考えております。
  172. 藤村修

    ○藤村委員 本日は、本当に、貴重なお時間と貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。  時間が参りましたので、以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。
  173. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、富田茂之君。
  174. 富田茂之

    ○富田委員 平和・改革の富田茂之でございます。  参考人の先生方、本日は本当にありがとうございました。  まず、木村参考人にお尋ねしたいのですが、本日のこの法案審議に当たって、実は、平成八年の七月九日付の読売新聞に「対立討論」というのが載っておりまして、きょうお見えの岩切参考人が、「ゆとり教育が可能」だという主張で大きく取り上げられていた新聞ですが、この中で、東京大学の藤田先生が、「選抜早期化の恐れ」ということで、かなり反対論を詳細に展開されております。  ちょっと御紹介させていただきたいのですが、これまで先生方からも御意見が出ましたし、委員の方からの質問も出ました。   内申書や試験、面接などで成績のよい子供な  いし特定の理念に合う子供を選抜するとなる  と、十五歳での高校入試が十二歳での中学入試  に降りてきてしまう。私立中学受験が公立にま  で及ぶことになり、今以上に小学校教育に影  響を与えることになりかねない。   また、子供を早期に選抜するほど、家庭環  境、家庭の文化的資本の影響が大きくなり、教  育機会の階層差が拡大することになる。さら  に、そもそも十二歳で能力や適性を見極めるこ  と自体、難しいことだ。   イギリスではかつて十一歳時の試験で子供を  アカデミックな学校、大衆的な学校、職業的な  学校に割り振っていたが、早期選抜の弊害が指  摘され、一九六〇年代以降、その試験は廃止さ  れ、総合制中等学校に移行してきた。国際的に  は、選抜の時期は遅いほどよい、やりなおしの  チャンスは多いほうがよい、というのが定説に  なっている。中高一貫はそれに逆行する。という論調であります。  この藤田先生指摘の中で、教育機会の階層差が拡大するのではないか、また、十二歳での能力や適性を見極めること自体難しい、これは先ほど糀谷参考人もおっしゃっておりましたが、この二点と、もう一つ最後に、国際的に、選抜の時期は遅いほどよい、やり直しのチャンスは多い方がよいというのが定説になっている、この三点、この藤田先生の意見について、木村参考人はどのような御意見をお持ちでしょうか。
  175. 木村孟

    ○木村参考人 ただいまの御質問でございますが、受験戦争の低年齢化という問題、どうして受験戦争が低年齢化するかというと、これは繰り返し反復練習が可能だから低年齢化するわけですね。  我が国は、先ほども申し上げましたけれども、とにかく客観的なペーパーテストというものからどうしても抜けられない、客観的な判断が一番いいと思っておりますからそういう試験を課する、そうしますと、それに対して準備が可能なんですね。そういうことで、どんどん低年齢化してしまうということで、私は、今の藤田先生の説とは違いますけれども、十二歳でも、いわゆる余り準備のできないような選抜をやれば、それは可能である。  ですから、申し上げておりますように、大学の例を取り上げて、従来からペーパーテストだけに頼っていたものを、面接でありますとかそれから調査書、そういうものを活用したらということを提案したわけでございます。それが第一点。  それから、国際的には、どうなんでしょうか、英国の例を引かれましたが、私も合計四年ほど英国に住んでおりましたが、ちょっと英国と日本では事情が違っておりまして、英国の場合には、もうかなり早い段階から親が判断してしまうというところがありますので、一概に、藤田先生の、選抜は遅ければ遅いほどいいという説には、私は必ずしも賛成できかねます。  それから最後の点については、私、全く賛成であります。要するに、先ほど糀谷先生もおっしゃった、日本では、高校受験にうまくいかなかった、それで大変な心の傷を負う、どうして心の傷を負うか、これはやり直しができないからですね。やり直しができればさほど傷にならないわけで、やり直しができるということが見える社会にすることが必要であろうということで、また繰 り返しになりますけれども、やはり複線化、教育構造の複線化というのはどうしても私は必要だ、こういうふうに思っております。
  176. 富田茂之

    ○富田委員 木村参考人にもう二点だけ、中教審での議論も踏まえてちょっとお尋ねしたいのですが、この中高一貫教育に入って途中で、自分に合わない、もうだめだこれは、というような子をどういうふうに救済するか。第二次答申の中でも、途中で転学を希望する生徒に対して十分に配慮していくことが必要だという指摘も具体的にされていました。この点について、どんな配慮が可能なのか、中教審の方でどのような議論があったか、それを御紹介していただきたいのが一点。  また藤田先生の討論に戻ってしまうのですが、藤田先生はこういうことも言われております。  学校選択を認めて広域的な選抜を行うということになると、生徒が今以上に地域から切り離されることになる。今、私立や国立大付属学校生徒の多くは電車に乗って遠くから通っているが、それを公立にも拡大することは、学校五日制によって子供を家庭や地域に戻し、そこでの教育期待しようという中教審の論議とも矛盾する。 のではないかと。  ナイフ事件等が起きて、やはり学校だけではなく、地域、家庭、社会が一体となって子供を生育させていかなければいけないというような議論も出てきています。そういうことを考えると、この藤田先生指摘というのはかなり当たっている部分があるんじゃないかなと思うのですが、木村参考人は、今、首をひねられていますが、どういう御意見でしょうか。
  177. 木村孟

    ○木村参考人 最初の部分の、救済という言葉は適当でないと思いますが、救済の点でございますが、これは中教審でも確かに大きな議論になりました。  考えてみますと、例えば中高一貫校中学校で入った、ところが、先ほど申し上げたように、どうもその学習環境になじめないという場合には、中学から中学というのは義務教育ですから、これは無条件で、この中学は嫌だということでかわることはできます。それから、卒業した、つまり中学校を終わった、その時点で、もう中高一貫教育が嫌だ、どこかほかへ行きたいという場合には、これはもう中卒の資格が取れておりますから、他へ移ることが可能であります。  最も問題であろうと思われますのは、高校の例えば一年、二年、途中でやはりなじめないというときにどうするかという問題でありますが、現状法律では、公立高等学校が、従来の高等学校がいわゆる編入をやっておりますので、これは法律的には可能であります。ただ現状は、御承知のとおり、ある特定の高等学校へ編入するということは非常に難しくなっておりますから、この辺のところは抜本的に現状を改善する必要があろうかというふうに思います。  二番目の御質問でありますが、確かに御指摘のように、地域から子供が離れていくという危険性はある程度はあると思います。しかしながら、今の富田先生の御質問の論拠は、要するに、同じその地域学校へ行っている者を相手にした地域教育力という考え方なんですが、英国なんか見ておりますと、これは必ずしもそうではありませんで、非常にばらばらな学校へ行っておりますけれども地域がその子どもたちを面倒見るというシステムができております。コミュニティーというのは、何も同じ学校へ行く、もちろん同じ学校へ行く場合の方が結びつきは強くなろうと思いますけれども、必ずしもそうではないと私は解釈いたしております。
  178. 富田茂之

    ○富田委員 ありがとうございました。  黒沢参考人にお尋ねしますが、先ほどの、入試をなくしてしまうのが一番いいんだというのは、もう本当にそのとおりだと思うのですが、その前段階で、参考人の資料としていただきました「中高一貫校教育の現実と未来」の中に、  「選抜」方法をすべて抽選によるとか、地元の志望者を優先するとか、あるいはハンディのある者——障害者、外国籍の志望者または「学力」が遅れている者など——の優先枠を拡大するとかの方法を大胆に実施しない限り、結局は「多様化」のタテマエは「格差」の固定ないし拡大に行きつくのではないだろうか。 という御指摘がありまして、本当にこのとおりだなと思うのです。  この先生考え方を、今回中高一貫教育制が導入されてきて、その選抜方法の中にどういうふうにやればこういう考え方が入っていくか、具体論として。入試がない方がいいのですが、その前段階として、非常に大事な指摘だと思うのですが、具体的にこういうことを進めていくには、どういう基盤が整備されればいいというふうにお考えになっていますか。
  179. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 大変いいところを指摘していただいて、ありがとうございます。  私も先ほど言うのを忘れちゃったのですが、もともと、偏差値教育というものが害毒であるということから、推薦とかそういうことが導入されて、ほかの面を評価して考えていこうという趣旨は私は賛成でございまして、ですから、今先生がおっしゃったように、その地域において希望する人がもしいれば、それはもうほとんど無条件にとるぐらいの熱意、それから、障害者というのは、本来、学力では入りにくいわけでございますので、そういう枠を何%設けるとか、それから、外国籍の人などもなかなか言語の障害等がございまして難しいものですから、現実には、せめて半分ぐらいそういう人が入れるようになれば、そうすれば私はそういう学校をつくる意味が十分あるだろうと思います。  そして、こういうことをなかなか今できないのは、やはり格差があって、大変これはいい言い方じゃないのですが、もし自分の高等学校が学力の低い人をとっちゃってランクが低いところに位置づけられたら困る、そういう考え方が非常にあるわけなんで、私はやはり、そこの点を考慮して、せめて半分ぐらい、何%は必ずとるぐらいの、そういった法的措置みたいなものを講じていただければありがたいと思っております。
  180. 富田茂之

    ○富田委員 ありがとうございました。  もう一度、黒沢参考人と糀谷参考人にちょっとお尋ねしたいのですが、この中高一貫教育、この法案とは別に、実は平成十年度予算で、中高一貫教育の推進に係る実践研究事業というものに一億二百万円の予算がつきました。各都道府県等において、地域の実態に応じた中高一貫教育あり方について、学識経験者、教育委員会関係者、教職員、PTA関係者等から成る中高一貫教育研究会議を設けるとともに、中高一貫教育実践協力校を設けて実践的な研究等を行うことにより、中高一貫教育等に関する検討に資する、こういうふうに趣旨をうたっておりまして、四十七都道府県にこの一億二百万円をばらまくわけですね。そうすると、一都道府県当たり約二百万ぐらいでまずこういう研究をしてもらおうということで予算がついたのですが、実際に大学で研究されている黒沢先生と中学の現場にいる糀谷先生、こういうふうに中高一貫に向けて予算措置が講じられたことについて、ちょっと御存じなかったかもしれませんが、こういう制度が今回予算でついたということに対してどう思われますか。
  181. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 大変いいことを伺いまして、先ほど紹介しましたように、具体的には神奈川県でこういうことが行われているので、私は、カリキュラムからいろいろなことをここで調査しなければいけないというふうに教育委員会教育長に提言しているのですが、何分その予算がないということですので、そういうのをいただければ、ぜひこういうところで研究して成果を上げて、全国に普及していきたいと考えております。
  182. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 私は、そうやって新しいことを始めようとする前に、今の法体系のもとで保障されるべき教育がきちんと保障されるようにするためにどうしたらいいのかということこそ考えていただきたいというふうに思っています。午前中は三十人学級議論もあったと思いますが、そういう ことの方にこそ使っていただきたいなというのが実感です。
  183. 富田茂之

    ○富田委員 それでは、時間も余りありませんので、岩切参考人に、五ケ瀬中学・高校の現場にいらっしゃって感じたこと等から何点かお聞かせ願いたいと思うのです。  実は私も、昭和四十四年に千葉県の銚子という田舎町から東京の武蔵野にある中高一貫教育の高校に入学してきました。まだできて二年目の高校でしたので、高校三年生がいません。中学三年生もいませんでした。そういう中高一貫校に入ったので、中高一貫のいいところと、まだできたばかりでなかなか機能していないというようなところを経験しております。  五ケ瀬もことして全部いっぱいになったということだと思うのですが、岩切参考人の先ほどの読売新聞の記事を読んでおりまして、いろいろな財政措置を受けているので、ゆとりある教育ができるのだというような指摘があったのですね。もう忘れられたかもしれませんが、いろいろ教員の配置の面でも配慮していただいて、財政的な支援もあるのでこれだけの教育ができると。  資料を読ませていただきましたら、生徒数が合計で、中学、高校で二百四十二名に対して県費負担の職員が四十四名ということで、これはほかの学校から比べたらかなり密度の濃い教育あるいは面倒が見られるなというふうに思うのですが、そういう点、今回始まる中高一貫のパイロット的な役割を果たしてこられたと思うのですが、そういう財政面の支援措置とか教員の配置等について配慮を受けて、これが一般的に広まるものなのかどうか、そういう点について、現場を経験された先生としてどういうふうに考えられるか、ちょっと御意見を伺いたいと思います。
  184. 岩切正憲

    ○岩切参考人 今いろいろな補助的なということでございますが、教育は人ということがよく言われますけれども、人の加配といいますか、やはりこれが一番大きいのではないかな。クラス規模等も、本校は全寮制も兼ねておりますので、やはり少ないほどいいというりは前提でございます。やはり加配をいただいているということ、それと体験学習等に対するいろいろな財政的なものは助かると思います。  以上です。
  185. 富田茂之

    ○富田委員 全寮制のかなりいい面を先ほども御意見の中で岩切参考人はおっしゃっていたのですが、パンフレットも読ませていただきましたが、各学年の子が、こういういい点がある、みんなも来ないかというように訴えて、非常にすばらしいパンフレットなんですが、ちょっとひねくれた見方をしますと、こんないい子ばかり集めてどうするのだというような感じもしないでもないのですね。  私も中高一貫にいて、寮と下宿と通学とそれぞれいろいろなパターンがあったのですが、五十大規模の下宿に私は三年間暮らしていました。この中で、クラス全員と親友になれてよかったということを書かれている子がいるのですが、僕はそういうことはあり得ないと思うのですね。五十人、中学一年から最終的に高校三年まで一緒になりましたけれども、嫌なやつはいるし、いろいろな地域から来て、とてもじゃないけれども、同じ屋根の下にいられないなと思うような子とずうっと暮らしていく中で、やはり社会というのはそういうものなんだというのを勉強していったと思うのですが、理想的なこの五ケ瀬学校で、こういうふうに中高一貫公立てやっているということで出てきた何か問題点というのはないのでしょうか、ちょっとお聞かせ願えればと思うのです。
  186. 岩切正憲

    ○岩切参考人 今、いい子ばかりと出ましたけれども、いい子というのもいろいろ見方があると思いますが、いろいろな子がおります。それと、中学校一年から入っておりますので、全寮制ということで、生身の人間ですので、自分勝手な子もおりますし、非常によく育てられた子もおりますし、その中でぶつかっておりますので、いろいろけんかしたりとか慰め合ったりとか、そういう生身のやはり人間の生活ができているのではないかなと思っております。  本校、できて五年目になりますけれども、自分からやはり行きたい、特に、先ほど言いました、中学校に来るときには、星座観察とかスキーができるとか、本当にそういう仲間とのということで来ている子が多うございますので、人間的なぶつかりはたくさんございますが、それを通してさらにおもしろい教育もできるということでございます。
  187. 富田茂之

    ○富田委員 もう時間ですので、最後もう一点だけ岩切参考人にお伺いしたいのですが、資料を見ましたら、先生方がかなりお若い。平均年齢で三十代後半だ。そういう先生方なんで、一緒に泊まり込んで舎監的な役割でいろいろ子供たちとやれたのだと思うのですが、この先生方もだんだん年をとっていくわけですよね。そうなっていったときにどういうふうに、人の問題だというふうに今言われましたけれども、適当な人をきちんと順繰りに配置していくことが可能なのか、そのあたりについてはどんなふうなお考えを持っているのか、最後にお聞かせ願いたいと思います。
  188. 岩切正憲

    ○岩切参考人 ことし五年目になりましたけれども、職員も年次計画的にやはり動いております。ですから、おる間にやはり次の後輩を職員同士でも指導するということで、また、本校にいた職員が、高校籍は中学校を知りますし、中学校籍は高校を知りますから、その人たちがまた県内の学校に散って、また逆の中高連携のようなといいますか、幅の広い指導をしてもらったらということで、計画的にやはり異動させております。  以上でございます。
  189. 富田茂之

    ○富田委員 ありがとうございました。
  190. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、西博義君。
  191. 西博義

    ○西委員 自由党の西博義でございます。  本日は、四人の先生方、大変お忙しいところ、また遠くからおいでいただいた先生もいらっしゃいますが、ありがとうございました。順次、初めにお一人ずつお伺いをしてまいりたいと思います。  初めに、木村先生の方からお願いいたします。  中教審等で大変御活躍で、この中高一貫内容をよく中心者のお一人として練られたということを先ほどのお話の中でお伺いいたしましたが、今回のこの中高一貫、先ほど先生の方から、個性に応じた教育をということが非常に大きなウエートとして上がっている、こうおっしゃっておられました。じっくり学びたい子供にはじっくり学ばせてあげるのだ、これは非常に大事な観点ではないかと思います。  同時に、ダブった部分を少し効率化してという考えもあるようですが、私は、この中高一貫は、ある意味では自分で考えるゆとりを持たせる、ここにやはり最大の焦点を、もしつくるなら当てていただきたいなという思いでおります。すき間があいた分だけ、今まで本当に効率的に展開されてきた授業、本当にわからないままに中学校に行き、高校に行き、高校に行っても分数もわからないという人がたまにはいるということも伺うわけですが、そういう部分をやはりじっくり考えるという習慣をつけたいと思っておりますが、先生の御意見をちょうだいしたいと思います。
  192. 木村孟

    ○木村参考人 全く西先生おっしゃったとおりであります。  私も大賛成でございまして、またちょっと書生っぽい議論になるかもしれませんけれども日本がこうなった原因は、やはり日本人一人一人が考える力が足りないからではないかというふうに思っております。  たまたま外国人と接触する機会が非常に多くていろいろなことを勉強させてもらっていますけれども、やはり正直申し上げて、私は、研究者としても彼らに比べると考える力が足りない。どうしてだろうかと考えたときに、やはり子供のころから、家庭の教育、それから小学校中学校教育、自分の能力もあるかもしれませんが、その辺に大きな問題があるのではないか。やはり彼らは本当によく考えます。子供に至るまでよく考える。そして、親が考えさせる習慣をつけようと一 生懸命やっている。  その辺で、ただいまの先生の御指摘、ゆとりを持たせるということは、やはり子供たちに考える余裕を与えるということではないかと私は思っております。  従来のやり方でありますと、もうとにかく、先ほど申し上げましたように、エスカレーターに乗るといいますか、本の道しかございませんでした。今度これで、子供たちがゆとりの中で自分のことを、いろいろなことを考えてくれるチャンスがふえればというふうに思っております。
  193. 西博義

    ○西委員 ありがとうございます。  もう一つの観点は、選択の幅を広げるというふうにおっしゃいました。これは、小学校六年から中学校に進学するに当たっての二通りの考え方、従来の中学校に行くか中高一貫校に行くかという意味でのことだと思いますが、二つのことをこれに関して申し上げたいと思うのです。  一つは、中高一貫校になりますと、入った後の六年間一貫の間に制約が逆にできてまいります。中学を卒業した段階で高校を自由に選べるということではなくて、逆にそこの中で六年間を過ごすという制約ができるわけですから、仕組み上、私は、特に後期においては多様な選択肢をこの学校の中で与えるということが前提ではないかというふうに思っております。  そのことと、もう一つは、午前中にもちょっと議論させていただいたのですが、狭い地域でこの中高一貫校を、例えば既設の高校なんかに併設するとか、また本来の一貫校でもいいのですが、そういうふうにしてまいりますと、既存の中学校から高校への選択の幅が逆に狭まるのですね。一つの高校がとられてしまうわけですから、中学校から高校に上がる場合の選択が少なくなってくる。  当然、これの多様化ということも考えなければならないという意味で、中高一貫を考える場合において二通りの多様化をぜひとも考慮に入れていかなければならない、こういう議論をさせていただいたのですが、中教審における議論並びに先生のお考え、もしございましたらお願いしたいと思います。
  194. 木村孟

    ○木村参考人 今先生おっしゃったことについては、中教審でも随分議論が出てまいりました。殊に後期において多様な選択肢を準備するということについては、答申には余り書いてありませんけれども、それほど出ておりませんけれども委員の意見として出ております。私どももさように心得ております。  それから、地域の問題については、これは確かにおっしゃったような問題が生じて、地域の中での多様化というのをよく考えていかなければいけないということだと思いますけれども、これは、やはり我々が中教審の立場でとやかく言うことではなくて、それぞれの地域で多様化ということ、それから国の将来ということでやはりお考えいただきたいという立場をとっております。
  195. 西博義

    ○西委員 もう一つは、これも議論になったかと思いますが、五ケ瀬の場合は今県下で唯一の学校として発足しております。当然、遠距離のところから来ておりますので、全寮制という形をとっております。  私は、実は工業高専に二十年間勤めておりまして、いわゆる全寮制学校でございましたけれども中学校を卒業しても必ずしも全員寮生活というものに適応するというふうな感じでもなかったものですから、小学校を卒業して全部寮生活というのが必ずしも全部がうまくいく、将来にわたってうまくいくということに対しては危惧を抱いております。  そういう意味では、この中高一貫は、あえてやる場合は、それはそれなりのまたいろいろ仕組みとか選抜とかいうことをおやりになったらいいわけですけれども、これから広げていく場合には、原則として、やはり大部分、通える範囲というのがこの年齢層の子供たちには現実的な選択ではないかな、そういう考えを私自身は持っておるわけです。  決して今の現実の五ケ瀬を批判するというつもりはございませんが、そういう考えを持っているのですが、そのことについてちょっとお考えをお聞きしたいと思います。
  196. 木村孟

    ○木村参考人 中教審の議論の中では、今の西先生の御指摘のような議論は余り出てまいりませんでした。ただし、私は、先ほどから申し上げておりますけれども、多様化ということでいきますと、やはり五ケ瀬のようなところももちろんふえていってよろしいし、ただし、財政的なことを考えますと、先ほど藤村先生から御質問ございましたが、やはり既存の教育機関を利用するということが非常にふえると思うのですね。  そういたしますと、一つないしは複数の市町村立の中学校都道府県立の高等学校を組み合わせるということで、やはり一つのローカリティーは出てくるのではないか、これは財政的なことからいって当然の帰結ではないかというふうに考えております。
  197. 西博義

    ○西委員 続きまして、黒沢先生にお伺いを申し上げたいと思います。  先ほどの先生の御意見を種々お伺いいたしまして、私も賛成なところが大変多いのでございますけれども、今回の中高一貫制度を当てはめるに当たって、私の気持ちとしては、すべてを中高一貫にするということは必ずしも必要はないのですが、やはり過剰な競争率を惹起するような体制はできるだけ避けるべきだ、こういう気持ちでおります。  そういう意味で、五ケ瀬の場合は先行的に、実験的といいますか、やはりそういう形で出発されたように私は感じるのですけれども、これから先、あちこちに広げていく場合に、ある限定された範囲の中で入学者を募った方が健全な形での運営ができていくのではないかというふうに思っているのですが、先生のお考えをお聞かせ願えればと考えております。
  198. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 先生のおっしゃるのも一つ考え方かと思いますが、私は、先ほど糀谷参考人もおっしゃられましたように、受験の不安感、そういうものと比較考量すれば、やはり思い切って受験がないような方向に考えていくべきではないだろうかと思います。  そして、中高一貫校というものが多様化であることは私も認めますけれども、同時に、多様化ということが格差の拡大にならないためには、先ほど私が申しました、都道府県に応じて、三年間と三年間、中学校高等学校の連携を密にしていく方向が最もいいのではないかと考えております。
  199. 西博義

    ○西委員 その考えは私も決して否定するわけではないのですが、私は、もう一つ前提、申し忘れましたけれども、すべての方が高校に入学できるというその保障がもちろん一方では欲しい。連携の問題とか併設の問題とかそういうものを通じて、既存の中学校高等学校も、やはり最低限、高校に行きたい人は行ける、こういう前提の上で中高一貫校もあってもいいのではないか、今こういう考えに立っております。  その上で、やはり、過剰な競争率を惹起するようなことではなくて、一次選抜からして十倍、高専も昔は県下に一校ありまして大変な競争率で、二十倍とかいうような競争率があったように伺っているのですが、そうではなくて、むしろもう少し緩やかなというか、競争率の低い段階で選抜ができるというような制度になるべきではないかということを考えているのです。  私の説明が十分ではなかったかもしれませんが、そのような条件で、全部が中高一貫、また全部が今の既存の学校というわけではないのですが、その段階で御見解がもしございましたら。
  200. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 全部強制的にやるとかそういうことには私も反対でありまして、今選択の社会でございますので、その点は私も認めますけれども、そうすれば、受験といいますか、入学も多様化していただいて、さっきどなたかがおっしゃったように、何かいい子ばかりとってしまって、そういうことはむしろ不自然じゃないかと私も思いますので、むしろそこで、ちょっと言葉はよくないですけれども、ハンディのある人とか外国籍の人と か、従来の試験では入れないような人も、私は、全部とは言いませんけれども、半分ぐらい入って、それで何かいい子ばかりの高校にならなければ、私はそういうことで多様化も進めてもらいたいという立場でございます。
  201. 西博義

    ○西委員 全く同意見でございます。障害者の問題も、午前中、私からもこの委員会指摘させていただいたところでございますが。  続いて、五ケ瀬中学・高校からおいでいただきました岩切先生にお尋ねをしたいと思います。  先ほど申し上げましたように、私も、そういう寮を併設する学校で、五年間一貫の教育、これは当時でいいますと、高校から大学への垣根を取っ払うという意味と、もう一つは、三十年代後半からの急速な工業化に伴って中堅技術者を養成するという大きな目標のもとに全国につくられた、国立てすと大体各県に一校ずつある学校でございます。  私の勤めておりました和歌山高専も、前は太平洋、周りは田んぼという、周りに余り刺激のない、学校生活と寮生活、それからクラブとかそういうところでみんなが一生懸命に汗を流して、そして五年間、卒業していったその後にも、やはりこの五年間を和歌山高専で育ったということにいまだに誇りとまた自信を持っている子供たちが大変多い学校でございます。そういう意味で、また五ケ瀬中・高等学校もそういう伝統をつくっていっていただければというふうなつもりでおります。  一つは、建物の関係でこれは一学級ということで初めから設定されて、四十人の六クラス、こういう設定をされているのだろうと思うのですが、先生から見られて、六クラスというのはもう変わりませんから、六年一貫ですから、クラスの規模、今四年間積み上がっているのだと思うのですが、今六年生までいる中で、クラスの規模はどのあたりが適当だというふうにお考えでしょうか。
  202. 岩切正憲

    ○岩切参考人 いろいろな基準によって変わるのだと思います。財政的な面を見たとき効率のいい、いわゆる時間割りから見たときに一番いいというような見方から、本当に子供一人一人を見ると少ない方がいいだろうし、非常に難しいことですけれども、今の状態は非常にやりやすいことは間違いございません。  ですから、学校でいいますと、選択制をとったときに、最低限の人数の場合に何人おればいいということになると数クラスが財政的にはいいのかもしれませんけれども、私どもは今の時点は非常にやりやすいというのは現実でございます。
  203. 西博義

    ○西委員 非常に難しいところだと思うのですが、これはちょっと原則を外して、木村先生にもちょっとこの関連で。  六年制なんですが、一つの学年の規模、この辺についての議論はございましたでしょうか。今、一学年でずっと六年まで上がっているのですが、私はもう少しあって、少しクラスが交換されるようなことがあってもいいのじゃないか。むしろ、その方が、これからのことで、五ケ瀬五ケ瀬一つのお考えがあっておやりになっているのだろうと思うのですが、全寮制でもありますし、その辺のことをちょっとお伺いしたい。
  204. 木村孟

    ○木村参考人 五ケ瀬の例でのクラスの規模ということについては特に議論はございませんでしたが、もっと別の観点から、中教審でも出ているように、日本でこれから独創性のある人材創造性の高い人材、そういうものをつくっていくために何が必要だろうということでいいますと、やはり、指導者あるいは教師、その教師と生徒の接触の度合いが非常に密でないといけないということが中教審の基本になっております。私も全く同感で、自分の通ってきた道を思いましても、いい先生との非常に密な接触ということでいろいろなものを学びましたので、やはりその辺がキーポイントになろうかということで、中教審では、やはりスモールクラス、少なくとも一クラス二十五人、三十人ということを前提といいますか、要望をいたしております。  ただ、今先生指摘五ケ瀬のように、四十人でずうっと六年間いってしまうということについては、私も個人的に若干の危惧を持っておりまして、多少どこかの時点で入れかわりのあった方がよろしいかな。そういうことでいうと、一クラスをずうっと固定するということについては少し心配をしております。  これもまだ結論を出すのには早いので、よく五ケ瀬の例をごらんになって御結論をお出しになればよろしいかと思います。
  205. 西博義

    ○西委員 再び岩切先生にお願いしたいと思います。  先ほどからちょっと議論があったところですが、選抜方法の、特に第一次の選抜、第二次はくじだというふうにお伺いしましたが、そこで一番重視されている面というのは何でございましょうか。
  206. 岩切正憲

    ○岩切参考人 本校の場合は全寮制でございますので、どうしても、寮生活になじめるということを第一に思っております。  それと、体験学習をたくさんいたしますので、そのあたりのことも選抜の基準といいますか、考えているところであります。
  207. 西博義

    ○西委員 時間ももうあとわずかになってまいりましたので、糀谷先生に最後にお尋ね申し上げます。  先ほどから高校の全入に対する保障、生徒たちが安心して、進学に対して自信を持てるというか、冷や冷やすることなく勉強ができるようにという前提のお話がございました。全く私も賛成でございます。  いつも思うのですが、どうしてこの高校入試制度は三%だけが残るのだろう、こんな上手な制度をだれがつくるのだろうというふうに考えるわけでございますが、三%が全員が入りたいのに行けないというわけじゃございませんから、それはちょっと正確ではないのですが、少しだけ不満の残る人たちをいつもつくっている制度というのは何だろうというふうに思うのです。文部省は、まだあいているところもあるよ、こういう返事が返ってきて、なかなか議論がかみ合わないのですが。  一方では、中高一貫が全部いいわけではありまぜん、既存の制度も非常に考えてみるといい面があるのですよ、この制度も十分活用していきましょう、こういう態度に立っているわけですね。決して今の制度が悪いというわけではない。  そういう前提からすると、やはり今の制度そのものも、これをもっともっと、先ほど先生いろいろ御指摘ありましたように、直していかなければならない、続くわけですから。まだ大部分がこの制度がそのまま残るのだろうと思います。その点について何か一言コメントがございましたら。
  208. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 子供というのは本当は勉強することが好きだし、学校を好きだと思うのです。それが、もう僕、勉強嫌いとなってしまったり、学校に行きたくないというふうになってしまうのは、やはり本当に子供のそれぞれの発達段階に合った教育制度になっていないからなんじゃないかなというふうに私は思っています。だから、本当に一人一人の子供がわかるようになるまで丁寧に教えてあげたいと思うし、そういうことがすべての子供に保障されるようになってもらいたいなというふうに思っています。  そういう意味では、一言で言えと言われたら、先ほども議論がありましたが、クラスの人数をもっと減らして、せめて三十人以下のクラスをつくって、一人一人がみんなわかるまで勉強できるようなそういうシステムにしていただきたいなと思っています。
  209. 西博義

    ○西委員 ありがとうございました。
  210. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、山原健二郎君。
  211. 山原健二郎

    ○山原委員 日本共産党の山原健二郎です。  最初に、岩切参考人にお伺いいたしますが、パンフレットを今ここへ来ましていただいたのですけれども、これは何ですか、志、忠、恕、妙、気という目標が出ていますね。これはどなたがつくられたのですか。生徒の皆さん、あるいは先生方がおつくりになったのでしょうか。これをちょっ と聞きたいのです。
  212. 岩切正憲

    ○岩切参考人 学校の準備室の段階のときに、準備委員でいろいろ話し合ってつくった五訓でございます。
  213. 山原健二郎

    ○山原委員 学校に目標があることは大事なことですけれども、これはなかなか難しい言葉ですね。私もよくわからないのですが。学問が足らないからかもしれませんが、私も漢学をやっていますから、多少はわかるのですけれども、これはちょっとわかりにくいですよ。こんなことで子供たちが納得するだろうかということがまず最初にぴんときましてお伺いしたわけですけれども、これはこれでいいですが。  次に、この五ケ瀬中学校高等学校について、四十人の定員に対して十倍近い応募があるというのですね。それをどういうふうにしてやられたかといいますと、小学校の調査書と面接、集団討議、実技によって選抜し、その上で抽せん、こういうふうに出ておりまして、小学校の調査書は、行動記録十一項目、特別活動の記録四項目、そして推薦書の十一項目にわたって点数化したものですね。それに作文や集団面接も点数化しまして、点数で上位六十人を選び、その六十人から四十名を抽せんで選ぶというお話があるわけでございますが、選抜方法は大体こういうような状態でございましょうか。
  214. 岩切正憲

    ○岩切参考人 今出ておりましたとおりでございます。そのとおりでございます。第一次選抜はそのとおり、今おっしゃったとおりでございます。
  215. 山原健二郎

    ○山原委員 約四百名の中から選抜をするということでございましょうから、お聞きしますと、三段階の評価でオール三の子しか入れない、それ以下の子にはあきらめさせるという話が先生の言葉から出ておられます、参考人の言葉ではありませんけれども。  そうしますと、応募者全員の中から抽せんで選ぶというのではいけないのかという疑問が出てまいります。いわゆる義務教育段階公立中学校で、なぜ選抜が必要なのかという点は御論議になりましたか。
  216. 岩切正憲

    ○岩切参考人 ただいまの、点数で何点とっているとだめというようなことは言っておりません。どこから出たかわかりませんが、総合的に、個人的な活動、グループ活動、調査書、そういうようなものを全体に総合して一次では選んでおります。  それから、先ほども出ておりますように、選抜につきましては、本校の場合は全寮制でございますので、小学校を卒業してすぐ山の中の相部屋で、自分で選択するところでありますので、すぐ泣き出したとか、いろいろなことになっても困りますので、ある程度自主性、協調性、そういうのを見るために、体験的なものを配慮しながら入れておりますので、総合的に選抜してございます。
  217. 山原健二郎

    ○山原委員 岩切さんは、今宮崎県の教育次長さんをされておりますね。そうしますと、この方式、中高一貫校が適切だというお考えのもとに宮崎教育委員会もあなたを次長として採用されたと思うわけですが、この方式を全県に広げていくような御計画ですか。その点、ちょっと伺っておきたいのですが、いかがでしょうか。
  218. 岩切正憲

    ○岩切参考人 現在の方法は、現在の五ケ瀬中学・高校でやっておることでございますので、後のことについてはまだ検討はしておりません。
  219. 山原健二郎

    ○山原委員 中高一貫教育がいいということであれば、高等学校全体を中高一貫にしてもいいはずですよね。したがって、なぜ一部での実施なのかという疑問が出てまいりますが、このことについて木村先生の方から、どういうお考えなのか、これを全国に広げるようなおつもりなのか、あるいはここでとどめるのか、その辺はどういう御見解ですか。
  220. 木村孟

    ○木村参考人 先ほど、その点については述べさせていただいたとおりでございます。  中教審でも、具体的に数をどうするかとか、その辺のことについては、正直申し上げて、それぞれの委員の方々、違った考えをお持ちでございました。  ただ、私が私の立場で申し上げられますのは、先ほどからも何度も申し上げておりますが、やはり教育日本教育システムに複線化の構造を持ち込むということで、やはりこういう制度一つのトライアルになろうかというふうに考えております。ですから、これを全国で一律に、一律といいますか、全国の都道府県が採用しろとか、それから、どのぐらいつくれということは中教審の立場では申し上げずに、中教審の答申をお読みいただいて、それでこの趣旨を御理解いただいたら、地方公共団体で前向きにお進めになったらいかがなものか、こういうことでございます。
  221. 山原健二郎

    ○山原委員 黒沢先生にお伺いをしますが、私は、昭和二十三年ですから、今から五十年も前ですけれども、公選時代の初代の県の教育委員をいたしておりまして、このときに随分論議をしまして、高等学校への入学をどうするかということで、無試験全員入学制度というものを確立しました。これは随分苦労しましたけれども、しかし、これは県民によって完全に支持されておったのです。  これは数年間続きましたけれども、県議会の中に、ばかな子供が一五%はおるんだという、こういうとんでもない理論を吐く連中が出てまいりまして、そして、ついに全員入学制度というのはここで廃止になるわけですね、多数決で。それで県民は随分怒りまして、それから数年間続けましたけれども、ついに廃止になった。この悔しさを今でも持っているのです。  子供が生き生きするのですよね。子供が、学校が生き生きする。教師も生徒も、本当に生き生きとして活動する姿を私も現実に見ておりますから、だから高等学校への全員入学制度というのは、私にとっては、これは生涯の私の希望でありますけれども、なかなかこの問題は通らないのですね。  そして、入試が大事だ、子供たちが勉強するためには入試が大事だということから入学試験。入学試験をやると、だんだんだんだん厳しくなっていく。もうにっちもさっちもいかないところまで今来ておるのではなかろうかと思いますが、そのことを考えますと、全員入学制度というのは、これは確かにすぐれた制度であったと私は今も思っておりまして、折あらばこれを復活させたいという気持ちを持っておるわけでございますが、黒沢先生のお話も、希望者全員入学を主張されておるわけでございますが、先生のお考えについて、この根拠についてお伺いをしたいのでございます。
  222. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私も、先ほど申しましたように、先生のお考えに全く賛成でございます。そして、昭和二十三年でございますか、そのころはまだ高校の進学率はかなり低かったのではないかと思いますけれども、現在は既に九七%近いわけですから、もうこれは、ほとんど三%を落とす意味はないだろうと思います。  ただ、子供さんによっては行きたくないという人もいますから、希望する人は全員入れてほしいという方向で考えていただきたいという点で、私は賛成でございます。
  223. 山原健二郎

    ○山原委員 現在、進学率は九七%といいますから、もう本当に全員入学制度を国家としてしいていいわけですよ。何も心配することはない。だのに何でこの学校の選抜制度が守られておるかということについて、私は今も疑問を持っております。  もう一つ文部省の言うように、一部の実施だと学区が大きく拡大されることになりますから、そういう意味で、中学校段階からの、このように学区を大きくする、拡大することについてはどうか、こういう疑問があるわけですが、この点については先生はどうお考えですか。
  224. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 そうでございますね、今までのように非常に少ない段階特色ある学校というものを導入すれば、今先生がおっしゃったようになると思います。ですので、私先ほど申しましたように、もしつくるならばなるべく多く、しかもできれば、具体的に言えば、中学区に一つぐらいは最低欲しいなというのが私の考えでありまして、財 政的にもし無理なら、先ほど言いましたように、入試というものを現実に廃止して、そして中学校高等学校を連携することによって、それはかなり可能になるんじゃないだろうかという見通しを持っております。
  225. 山原健二郎

    ○山原委員 最後になりましたが、糀谷先生にお伺いをいたします。  先ほど、私立の一貫校を目指す小学生の荒れと、一貫校を目指して挫折した中学生の心の荒れといいますか、それについてお話がございまして、私は非常に感銘を受けました。このことについてもう少しお話があれば伺いたいということと、もう一つは、現在、東京都ではいわゆる計画進学率を設定しまして、わざわざ統廃合をしてまでも選抜制度を維持しておるわけでございますが、本来なら、希望者全員入学の上に、さらに三十人学級の実現も、先生がおっしゃるとおり実現は可能だと私は思っていますが、この点についての現場の状況、またお考えをお伺いしたいと思います。
  226. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 同じ八王子市内の小学校の教員をしています私の友人のクラスの、去年の六年生のことをお話ししたいと思うのですけれども、授業中にひっきりなしに体を動かすようになったのです。注意しますと、何でおれだけ注意するんだよというふうにパニックを起こして、物すごい勢いで教師に対して反抗してくるようになったのです。ずうっとリーダー的な子供だったのですが、どうしてそうなったんだろうということがちょっと理解できなかったので、お母さんとお話をしましたら、私学の中学を目指して受験勉強を始めた。そのために、今毎日のように塾に通っている。帰ってくるのは夜の十時過ぎだ。それから塾の宿題をやって、それから寝るんだ。だから、毎日十二時過ぎにならないと寝られないんだということなんです。ですから、時には保健室で睡眠不足を補ってみたり、あるいは授業中に貧血で倒れて保健室に駆け込むというふうなこともありながらの学校生活でした。  彼は通っている塾の中では成績の一番いいクラスにいたわけなんですが、そこにいますので、いつ自分がそのクラスから落とされるかわからないという不安できゅうきゅうとしているわけです。もう本当に不安になると布団の中で夜泣くんですよ、先生という、そういうふうな状況でした。そこまでして頑張って頑張って、それでも落ちてしまったという子供が、今公立中学に入ってきているわけです。  私も何人かそういう子供を担任したことがありますけれども、おれはこの学校に来るはずじゃなかったんだということで、入学式のその日からもう挫折感と劣等感の塊で、新しい中学校生活に希望で胸を膨らませるとか、そういう状況にはなれないわけです。当然、自分に対して自信が持てないわけですから、周りの友達に語りかけたりとか、先生と仲よくなろうとか、そんなふうになれなくて、なかなかみんなの中に溶け込めない、なじんでいけない、そういう日がずっと続いていました。  周りの子たちはみんな、その子が私学受験をして落っこちたということを知っているわけですから、余計に友達に対して殻を張ってしまうというか、その中に閉じこもってしまう。本当にかわいそうなことだなというふうに私は思いました。中には、最後まで、中学三年生、卒業するまで立ち直れなくて、とうとう高校入試も失敗してしまったという子もいました。  そういう意味で、高校受験の失敗、大学受験の失敗、いろいろあるかと思いますが、中学の受験に失敗する、十二歳の段階での挫折感の大きさというのは、本当に子供の心の中に深く残ってしまうものだということを強く感じています。  それからもう一つ、東京の高校の実態なんですけれども、先ほどから高校進学率九七%という数字が出ていますが、それは全国の数字だと思います。東京では、全日制高校の計画進学率は九六%で、実際に入れる子供は九二%しかいません。私たちも毎年、都立の一時募集が終わった段階でまだ進路が決まっていない子供がどれぐらいいるかということを東京じゆうでみんなで数字を寄せ合って調べているのですけれども、ことしの三月も約二千五百人の子供が全日制高校への進学を希望しながら、まだ進路が決まっていませんでした。その後、都立の二次募集がありましたが、定員が七百人ちょっとですから、二千人近くの子供が全日制高校への進学の夢を断たれたことになります。  昨年の九月に、東京都教育委員会が都立高校改革推進計画というのを発表しました。それによりますと、生徒が減少しているということで、二〇一一年までの間に、現在都立高校が二百八校あるのですが、それを百七十八校程度まで、三十校程度削減するという計画を発表しました。これについては、都議会の審議の中で明らかにされた教育委員会の試算ですが、それは、四十人学級で計算するとそういうふうに都立高校が余ってくるんだけれども、仮に三十人学級で計算すると今ある学校では足りないくらいなんだということも明らかにされています。  そういう話を聞きますと、私たちは、都立高校をつぶすことを考えるよりも、まず最初に、入りたいと思っている子供をみんな入れることを考えてほしい。そして、四十人学級になっている今の都立高校を三十人学級にしてほしい。都立だけじゃなくて、私立も、みんな三十人学級になるようにしてほしいなというふうに思っています。  以上です。
  227. 山原健二郎

    ○山原委員 どうもありがとうございました。  本当に、制度改革するというときは、よほど慎重な態度をとらなければならぬと私は思っておりまして、やはりいつでも教育基本法、今あの立場を貫くことが制度改革に一番必要だと思います。次から次へと変わることに対して即応できるような格好には見えますけれども、いつの間にか教育そのものがゆがめられるという結果が出てまいりますので、ぜひ、そのことについては今後とも御検討いただきたいということをお願い申し上げまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。
  228. 高橋一郎

    高橋委員長 次に、保坂展人君
  229. 保坂展人

    ○保坂委員 社会民主党の保坂展人です。  参考人の先生方に大変貴重な御意見を聞かせていただいたのですが、少し他の委員会質疑等が重なっておりまして、ちょっと途中同僚議員質問を一部聞けなかったものですから、あるいは重なる点があったら御容赦願いたいと思います。  まず初めに、岩切参考人にお尋ねをしたいのですが、初めての試みということで大変注目をされた学校だというのは以前から私も聞いておりまして、九州各県に尋ねると、いろいろなうわさあるいは評判というものを当時から聞いておりました。ひょっとしたら記憶違いかもしれないのですけれども、当初、くじで選抜をされるようなことをちょっと聞いた記憶があるのですけれども、あるいは記憶違いかもしれません。現在の形に落ちついた過程というのですか、一・五倍に絞ってというときにいろいろな論議があった、あるいはいろいろ判断の難しいところがあったかと思いますが、そのあたりについてお尋ねをしたいと思います。
  230. 岩切正憲

    ○岩切参考人 五ケ瀬の場合は、先ほども申しましたように、山の中の大自然の中で人を育てようということでありまして、全寮制でございます。ですから、やはり一番話の中心になりましたのは、中学生の時期に親元離れてということですので、ある程度の自立心、協調性が欲しいということで、そのことを中心にしたやはり選抜方法でないといけないのではないか。  ですから、最初から全体のくじとなりますと、いろいろな面で後で支障を来すのではないかということが大きな柱でございました。あと、それに準じましていろいろな知恵をおかりしたりして、現在のようなものになったということでございます。
  231. 保坂展人

    ○保坂委員 そうすると、九人の希望に対して一人なわけですから、一・五倍に至るまでに、こう いう言い方がいいのかどうか、やはり事前選抜というようなものが行われて、その集団生活やこの学校、校風にたえ得る子供たちがいわば上がってくる、こういうふうに理解してよろしいのでしょうか。
  232. 岩切正憲

    ○岩切参考人 人を選ぶというのは非常に難しいことでございますので、今の段階ではそうなっておりますが、これが必ずしも絶対的に正しいとは言えないかもしれませんけれども、今の段階ではそうやっております。  それと、六十名前後から四十名に絞って公開抽せんいたしますが、その漏れた子なんかにつきましても、今度は地元で頑張るぞということも言っておりますし、いろいろな面でいろいろなプレッシャーを受ける子供もおるかもしれませんけれども、ある面では、それをばねにして地域で頑張るという生徒も現実にたくさんおります。
  233. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは次に、黒沢参考人にお尋ねをしたいのです。  私も、日本学校教育全体が一挙に、ダイナミックに変わるということを望みたいところですが、それがなかなか難しいということはわかっているつもりなんですけれども、政策的な優先度として、確かに、今回のような中高一貫学校を実験的につくるということも必要かと思います。しかし一方で、文部省の統計で約十万人近い不登校子供がいるわけです。そして、その子供たち教育的な機会には触れないままいわば放置されているというか、もがいている、苦しんでいる子も多いわけですね。  そういうところで、例えば例外的に実験をするのなら、むしろこういう子供たちも対象にして、芸術あるいは文化を中心とした柔軟な学校をつくるべきではないかというふうに思うのですが、その点について、黒沢さんの御意見をお願いします。
  234. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 私も、保坂先生の御論考などを読ませていただきまして、その点についてはかねてから考えておりまして、特に中退者が多いのは教育困難校と言われているところでございますね。ですから私は、今先生がおっしゃったように、そういうところに力点を置きながら改革をしていくということが非常に重要だと思っております。  特に、先ほど御質問が出たように、学力的にもまだ必ずしも十分でない人も積極的に受け入れて、そして、いろいろな、さまざまな人が入った中で教育が行われることが非常に重要ではないか、そういう点でも先生のお考えに全く賛成でございます。
  235. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは次に、木村参考人にお尋ねをいたします。  この間のいわば教育改革論議をずうっとごらんになってきて、私自身も、中教審答申であるとか大学審であるとか教育課程審、さまざま読ませていただくわけですけれども、読むたびに、前文のところが大変いいわけですね。何かこう非常に期待をさせるわけなんです。そして、各論に入ると、ややトーンダウンするかなという感を持つわけです。  先ほど午前中に、文部大臣ともちょっと議論をさせていただいたのですけれども、今回の法案の中では、いわば既存の中学校から高校への接続の部分で、通知書、つまり内申書を使わない入学試験ということが、当初、一応そういうことも実験をしてみよう、そこは文部省も変わっていないみたいですけれども、主張する声がだんだん小さくなってきたようなことを私は感じるわけなんですね。  ですから、本当に改革が迫られている中で、スピードはこのままでよいのかということを本当に私としても強く思うのですけれども、その点についていかがでしょうか。
  236. 木村孟

    ○木村参考人 中教審並びに大学審に関与しております身としては大変耳の痛い、厳しいお話でございますけれども、確かに、前文のところではだんびらを振りかざしておいて、各論になるとトーンダウンする、おっしゃるとおりだと思います。  ただこれは、やはり私は、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、日本の国民性ではないかというふうに思っております。つまり、中教審なり大学審の委員の中には激しい人がいまして、かなりドラスチックな改革提案する。それで議論を始めて、そういうのが漏れますと、もう途端に世の中からのプレッシャーでその委員の声まで小さくなってしまうという実態がございます。  例えば、ちょっと思いつくままで恐縮でございますけれども、平成三年の大学審議会の答申が自己点検、自己評価というものを出しております。今自分の大学がどういう状況にあるか、点検して評価しろ、こういうことでありますが、これは実は、私もちょっと変だと思ったのですが、聞くところによりますと、委員の中では、もう自己点検、自己評価ではだめだ、外部評価、第三者評価をやれということが提案されたようでありますけれども、それが外へ出て、その声がつぶされてしまったという状況があるようでございます。  そういうことで、これは、私もどちらかというとせっかちでありますので、改革は早い方がいいと思いがちなたちなんですが、やはりそれぞれの国のやり方といいますか、そういうものがあるのではないか。  英国の例を引いて恐縮でございますけれども、英国はかなり激しいことをやる国でございますけれども、やはり教育改革等に二十年かかっておりますので、我が国でも、ある意味ではやむを得ないのかな、そんな印象を持っております。
  237. 保坂展人

    ○保坂委員 では、今の点で、もう一度木村参考人にお尋ねしたいのです。  要するに、通知書、内申書を使わない入試の枠を、思い切ってその穴をあけてみょうではないかという議論が私どものところに届いてからもう随分たつのですね、五、六年前だったと思うのですけれども。いよいよ今日、一応そういうことがこの文教委員会でも議論できるようになってきたのです。  しかし、まだ文部省の決意というのはさほど強いものではないというふうに感じるわけですけれども、内申書を使わない入試によって、各審議会答申が前文で触れているように、いわば殊さらに萎縮したり、他人の目を気にしながら、常に自己を控え目に、抑えつけるような人格形成のくびきから子供たちを解き放すという意義が私はあろうかと思うのですが、その通知書、内申書の点について、意見をお願いします。
  238. 木村孟

    ○木村参考人 これはなかなか難しい問題だと私は心得ておりますが、確かに、入試の一つの形態としてあり得る形態ではないかと思います。  ただ私は、内申書、通知書の問題については、むしろ積極的に使えという派でございます。これは、ただそれだけを使うということではなくて、先ほどからくどく申し上げておりますけれども、いろいろな試験の組み合わせの中で通知書、内申書を使うべきだ。  といいますのは、これは恐らく通知書、内申書を書く先生方にとっては大変なことなんですが、やはりそこのところに主観を、客観だけではなくて主観を生かしていただいて、それこそ先生方の裁量権を生かすという意味で、やはりその子供たちを、これはもう神様でない限り絶対に公平には子供たちを見られないわけですから、やはり先生の主観がそこに入ってきても、私は構わない。  ただし、それが余りに過度になってしまうと問題でありますけれども、例えばそれを四分の一なり五分の一なり、そういうエフェクトであれば、私はむしろ、そういう先生方の裁量権を生かすという意味で大いにやっていいことだ。これはもうどこの国を見ても必ずそういうふうな状況になっておりまして、大学入試でいいますと、日本は通知書を生かしませんから、結局、高校と大学教育の接続が全然できていないということになります。  そういう意味でもある程度は、私は、通知書とか内申書という言葉は嫌いなのでスクールレコードという横文字を使いますけれども、そういうものをやはり積極的に生かす方法もあるのではないかと思っております。
  239. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、学校現場からおいでになった糀谷参考人にお尋ねいたします。  確かに、私も時々学校現場に行き、そして先生と率直に話をしてみると、今大変だ、授業が授業として、要するに座って黒板を見てもらうという状況が、前提としてなかなかその状態にないんだということも聞きます。そして、その厳しい状況であればあるほど、今話題にした内申書、通知書というものを、私はこれはもう廃止してみたらどうかという意見なんですが、しかし、仮に廃止してみたら、逆に生徒先生、教師の関係はどういうふうになるとお考えでしょうか。かえってよくなるのか、あるいは逆に、内申書というものがなくなったら、よりやりづらくなるというお考えか、お願いします。
  240. 糀谷陽子

    ○糀谷参考人 内申書の中にはいろいろな項目があるわけですが、私がすごく問題だと思うのは、一つは、教科の評価、学習活動の記録という項目があります。それが、中学校から高校に出す内申書の場合は、相対評価ですよね。一、二、三、四、五一それぞれ何%の子供につけるかということが全部決まっているわけですね。そうすると、子供たち同士、友達同士で競い合わなければならないわけですね。自分が内申が上がるということは、だれかが落ちるということですから。そういう仕組みの中で子供が勉強させられていて、そして、それをつけるのが教師というわけですから、その意味においては、生徒にとっての教師というのは、自分の勉強を教えてくれる、励ましてくれる存在というよりは、自分をむしろ、何というんですか、判定してしまう、そういうふうにもとらえられてしまうわけです。私は、そういう部分というのは絶対なくしていかなければならないんじゃないかというふうに思います。  ただ、そのことと、教育活動を進める上で、こういうことができるようになったね、よかったねとか、こういうことがわかるようになったね、こういうことは今度また努力してみようねというふうな、子供に対する、子供の成長を励ます上での教育的な評価というもののあり方については、つくっていかなければいけないんじゃないかというふうに思っています。
  241. 保坂展人

    ○保坂委員 それでは、黒沢参考人にもう一度お尋ねいたしますけれども、これは恐らく中高一貫でも実験をしてもらわなければいけないと同時に、先ほど言った、全体をダイナミックに変えたいんだけれどもなかなか変わらない、したがって、ある特定の部分を変えるという考え方ですよね、今回は。であれば、日本全体に存在する、一万を少し超える中学校あるいは小学校全部、その中の部分をぐっと変えてみるという発想も、同時にこれは検討されなければいけないと思うんですね。そういう意味では、いじめ等の問題がずっと論議になってもう十年になるわけですね。  各国へ行ってみますと、例えばイギリスであれ北欧であれ、この問題は、やはり子供同士の人間関係の調節能力、あるいはいわばトラブルやねじれやこじれを、ぶつかり合って再生、修復していくという種の問題であるというふうにとらえて、やはりその主な場を、ドラマの授業、つまりドラマティーチャーがその場を提供して、子供たち同士で寸劇をつくったり、あるいは自分たちでシナリオをつくったり、あるいはダンスにしたり、いろいろな形で実践を見せてくれるのですけれども、例えば日本全体の学校に、部分であれ、そういう自己表現の時間をつくり出していくということが、今の非常に心を抑えつけている教育状況に効果があるかどうか、私はあるんじゃないかなと思うのですけれども、いかがでしょうか。
  242. 黒沢惟昭

    ○黒沢参考人 十分私はあるだろうと思います、そのほか、いろいろな実践が行われているわけでございますので。  ただ、保坂先生のおっしゃる方途を本当に現場の先生がやるには、やはり入試というものが一つの険路になっている、全部ではないでしょうけれども、非常に大きな隘路になっているので、私は、そういうことがない学校が、一貫制の中で、岩切先生が初めおっしゃったような利点が非常にあるわけですね、モデルとして。ですから、これをできるだけ多くの学校に実現していただきたい。そこで、私が先ほど申しましたようなことによって、結構できるのではないだろうかということを申し上げている次第です。
  243. 保坂展人

    ○保坂委員 では、今の点についてもう一度木村参考人にお尋ねいたしますけれどもいじめ等の問題も本当に根底にあって、教育に対する極めて大きな不安と焦りというものが日本の親たちを支配しているわけですね。中で、中高一貫部分的にできるというのは、まさにその受益者は少数なわけで、全体の学校に実はこういう大胆な例外をつくってほしいという声がしきりだと思うんです。今黒沢参考人にお尋ねした同じ点についてお答えいただきたいと思います。
  244. 木村孟

    ○木村参考人 先ほどから申し上げておりますように、私は初中教育の専門家ではございませんで、ずうっと大学にいる人間でございますが、中教審に臨みました立場は、私も多少外国に住んでみて、子供を外国で育ててみて、やはり日本子供たちというのは異常なストレスのもとにあるということなんですね、これを何とかしなければいかぬ。どうしてだろうといろいろ考えて、先ほどちょっと奥山委員に申し上げましたけれども、やはり、いわば価値観が同じなんですね、これを変える必要がどうしてもある。  ですから、いじめでありますとかそういうことも、要するに価値観が日本人はみんな横並びになっていて、それで、そういう価値観を共有しない者をはじこうという、こういうところから来ているんだと思うんです。ですから、確かに中学校あるいは高等学校小学校のレベルでそういうものに対して取り組みができるとは思いますけれども、やはりもとのところを直さないといけないんじゃないか。  つまり、先ほど申しましたように、日本社会の成り立ち、先ほど申し上げました例えば企業の採用方法でありますとか大学の入試もそうであります。その辺のところを直さないと、やはり初中のところだけいじっているのではだめだろう。  ただ最近は、先ほど保坂先生指摘の、黒沢先生に対する御質問で、いろいろな試みのことでありますけれども、例の新宿の山吹高校を御存じだと思いますが、私もあそこへ何度か中教審の訪問で参りまして、あの子たちは、あそこへ行くとまず、私どもはどちらかというとまじめな学生を相手にしているのでびっくりしたんですね、茶髪でありますとか物すごい格好をした子供たちで。ところが、彼らは非常にいわゆるライブリーなんですね、物すごく元気に、少人数クラス、数人が一人の先生を囲んで、理科の実験があると、これはどうするのと非常に積極的にやっている。あれは単位制高校なんですね。ですから、好きなものを取って卒業していけるということですから。  私の主張は、ああいう高校をやはり、高校だけに限らないかもしれませんけれども日本じゅうでふやしていくということが、多分先生のおっしゃったことと同じであろうというふうに思っております。
  245. 保坂展人

    ○保坂委員 ありがとうございました。  私も山吹高校に行って本当にびっくりして、建物を見てびっくりして、子供たちと会って、やはりみんなが登校拒否や高校中退で傷ついてきた子たちであるからこそ、お互いをきっちり受けとめながら友達関係をつくっているという、ある意味で、日本教育の周辺のところでそういうすばらしい実践が、周辺という言い方はおかしいのですけれども、あえて言えば余り注目されなかった部分の中にいい実践がたくさん生まれているというあたりを踏まえて、委員長にもお願いしますが、こういう議論を、国会でやるのはもちろんですけれども、たまには外に出ていって、周りで子供たちがみんな聞いているというような状態の中で、ぜひ諸先生方もお迎えしてやりたいものだと思いました。どうもありがとうございました。
  246. 高橋一郎

    高橋委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人各位に一言御礼を申し上げま す。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただき、また貴重な御意見を賜りまして、心から厚く御礼を申し上げます。  次回は、来る二十二日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後三時五十八分散会