○古賀(一)
委員 そこで、気持ちは大臣と私も全く一緒だと思うのですが、では具体的にその構造的な改革をどういうふうな理念というか戦略でやっていくかという問題だと思うのです。
私は実は、
地方行政委員にもう数年なっておりますので、
地方のことにはとりわけ関心が深いのですが、僕は余り本を読む暇がないのですけれども、たまたま手にしたのがこの二、三週間で、
地方財政をめぐるおもしろい本が幾つかありました。これは、今でも各書店とか空港でも売っているのですが、「
地方栄えて、日本は破産」、村野まさよしさんというジャーナリストの方の本でございまして、何とこれが
地方交付税について書きまくった本なのです。
これをつらつらと読んでみますと、いわゆる
地方への補助金あるいは
交付税を当てにしたデラックスな建物等々に対する東京の方の強烈な批判と疑問点を出してございます。しかし、これは意見としては非常に情緒的であるし、私も
地方の人間ですから、何だこれは東京人の論理ではないか、事実を全然見ていないというところもございます。でも、おもしろいと思ったのは、ジャーナリストがこういう
地方交付税という、今まで本当に難しくてでか過ぎてだれも関心を持たなかったようなところまで一生懸命調べ上げて本を書いたというところに、構造的な面に
国民も一般の人も何か関心を持ち始めたな、こういう感じでちょっと驚いたのです。
ところが、これと軌を一にしまして、何と週刊新潮に櫻井よしこさんが、もう御存じの有名なジャーナリストでありキャスターでございますが、大変知性のある方だと私は尊敬をしておりますけれども、この櫻井よしこさんが「日本の危機
国民の知らない
地方自治体「大借金」の惨状」と、かなり激しいタイトルの文を寄せております。
これも、櫻井よしこさんが
地方交付税について週刊新潮に書く、おもしろい
時代になったな、今までは考えられなかったのに、こう思ったのです。さほどに、実は
地方財政あるいは非常に難しい
地方交付税という
制度にこういう方々まで関心を持ってきたという
時代になってきたなと思うのですね。
そこで私は、この村野さんの本をぜひ読んでいただきたいと推薦はしませんが、もう一つの本でございますが、私はビッグバンの本だろうと思って、これも空港で先週買ってつらつら見てみたのですが、田中直毅さんの「ビッグバン後の日本
経済」という本が今でも売られております。
私はこれを見て、自分が今まで思ってきたこと、まさにそうだ、ずっと書いてあることを、
地方自治とか
地方財政とか、
経済というのを
行政と置きかえて読んでみると、今まさに日本が立ち至っていますいわゆる閉塞
状況、とりわけ財政の閉塞
状況あるいは
地方自治体の疲弊というものが読めてくるのですね。
だから、これはぜひ私は、ここはお役所の方がたくさんおられますけれども、いわゆる
行政の今までのパラダイムというものを根底からちょっと
見直してもいいような気にさせる本でございまして、私は御一読をお勧め申し上げるのですが、ここでこう書いてあるのですね。
この本に書いてあるとおり申し上げますと、日本の
経済秩序の
基本は業界秩序というものであった、業界秩序を守るということは持続的なものに高い評価を与えることである、しかし、一般に資本主義国では、
経済秩序とはすなわち競争秩序を意味すると。つまり、私がここで言いたかったのは、
地方自治は別に業界ではございませんが、やはり持続的なものにこだわり過ぎてきた、それはやはり日本の
経済体質でもあったと思うのですね。
ところが、今起こっておりますのは、インターネットを通ずるいわゆる
情報化の大
進展であり
経済の世界化であり、
金融なんというのはまさにそうですね、〇・三秒でニューヨーク、ロンドン市場と東京市場というのが比べられる
時代であります。そういう
時代の中に、実は日本は、この本が言わんとするところは、日本はマクロストラクチャー、マクロは例の、あのマクロですね、彼は「巨視構造」と書いておりまずけれども、マクロストラクチャーというものが余りにも支配し過ぎたのじゃないか。
つまり、どういう
システムかといえば、業界秩序もそうでありましょうし、私は
地方交付税もそうだと思うのです。あと、いわゆる年金
制度。つまり、一人一人の人間が金を出す、一人一人が拠出をする。しかし、それが余りにも大きい政策体系といいますか、あるいは基金とかそういうものでくくられてしまって、結局どんぶり化することによって、だれが責任を負っているのか、あるいは一人一人が頑張ってもその見合いがはね返ってこないという構造になっているのですよ。それが日本の今の一番の問題だろうと私は思うのです。
先ほど大臣が、
地方関係諸
経費の七割に及ぶものが国とリンクになっている、だから容易じゃないんだ、そういうお話でございました。その大きいマクロ構造の中で、だれが責任を負うか、自分が頑張れば自分にはね返ってくる、そういう
システムが欠けておるわけであります。
その点は、国の一般会計と例えば
地方交付税の問題あるいは
地方交付税そのもの、つまり、
地方交付税というものは総額の中から、幾つあるかわかりませんけれども、おびただしい方程式の中で分配される、結局、一つの
市町村が町おこしで頑張ってやったって、それが直接評価され、反映する
システムにはなっていないと思うのですね。いわば巨大なるどんぶり勘定の中で、
地方財政が、数の集約の中で一つ一つの
自治体というものが
努力しても余り反映しないような、そういう財政構造になっているのじゃないか、私はかように思います。
それが結局、先ほど申し上げました先延ばし、先送りにつながっているのではないか。一人一人は関係ないです。だれが責任を負っているのかわからない、大どんぶり勘定なものだから。そういうことで、
地方財政一つ見ても、国家財政も、すべて先送りという手法で利害調整をやってきた、こういうことだと私は思うのです。
つまり、ちょっと長くなりましたけれども、日本の最近顕著な先延ばしを前提とした利害調整の仕組み、これはこれからはもたない、その都度市場において「解」を生み出しながら
経済の内部にある力を引き出すようなメカニズムが必要だと。これを
地方行政に当てはめれば、先へ延ばすことによっていわゆる利害調整をする、それは右肩上がりであれば、先送りすれば必ず調整できるのです。これが右肩上がりじゃないものだから、もう調整ができなくなるのですね。
しかし、今までは右肩上がりの
経済を信じて、全部起債、借金、勘定がえという先送りで来た。それがもたないというときに、
地方財政も国家財政も今までどおりの右肩上がりが解決してくれるであろう先延ばし、先送りの手法をとり続けているというところに、日本の最大の問題があると私は思うのです。そういう面で、私は、
地方交付税制度について、今のようなどんぶり勘定でない、何か新しい
システムというものを真剣に考えるべき
時代に来ているのではないかと思うのですね。
その点、ちょっと長くなりましたけれども、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。