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中川(智)
委員 社会民主党・市民連合の
中川智子でございます。
きょうは、九分しかありませんので、毎回質問に立ちますので、まず
基本的なところからお伺いしたいと思います。
私は、一年半前に議員になったときに
一つ大きく決意したことがございまして、これからは立法府に行くのだから、
法律をつくるときには、その当事者である方
たちの思い、痛み、それをいかに自分のものにできるかということをまず最初に心がけていこうということを決意いたしました。その人の立場になって、経験することはできなかったけれ
ども、その経験、そしてその叫びをいかに自分自身の毛のにして
法律をつくっていくか、そのような議員でありたいと思い続けております。
そこで、今回のこの
法律に関しましては、HIV
感染者の方、その方
たちの長い間受けてきた苦しみそのものをいかに私自身が受けとめて、いい
法律をつくっていくかということを心にとめながら、その方
たちの言葉を私自身代弁してここに立ちたいと思っております。
私は、殺人というのは二つあると思っております。
一つには命そのものが絶たれること、もう
一つは社会的に殺されていくこと、この二つがあると思います。私は、HIV
感染者の方、
エイズの方
たちは社会的にあの
エイズ予防法で殺されていってしまった、このことをどう反省し、新しいこの
感染症予防法に二度とそのようなことが繰り返されないような中身としてつくり上げていくこと、それが今課せられているということを痛感しています。生きていて殺されることのつらさはその当事者でなければわからない、そのように思っております。
また、らい
予防法、あれができまして
隔離された方
たちにもお会いし、そして長島愛生園などに行きましたときに、私はあの
法律によってこの人
たちは社会的に殺され続けてきたということを思いました。あの長島愛生園には墓地があり、火葬場があります。死んでさえふるさとに戻れなかった。また、本名さえ名乗れなかった。本名を名乗ることができず、そしてまたふるさとで葬るお墓さえつくれなかった。このことは私は、らい
予防法そのものがそのような役目を果たしてきてしまったということを痛感いたしました。
たくさんの方のお話を伺いますと、あの
法律ができて、貨物列車で運ばれた、それも、夜中にだれもいないところで、まるでけもの以下の扱いで島に運ばれて、島に橋ができたのは本当に何年か前です。刑務所以上にひどい扱いを受けて抹殺されてきたということを、私
たちはしっかりと心に刻んでこの
法案の
審議をすべきだということをお伝えしたい、訴えたいと思います。
そして、まず大臣にお伺いいたしますけれ
ども、これは、与党で最初、この
法案が出てきたときに驚いたのは、まず最初は
感染症予防法でした。本当に今回これが、良質で適切な
医療を受けるという
医療の側に立ち、また、そのような当事者の方
たちがこれまで受けてきたことの反省に立ってするならば、当然最初から
患者に対する
医療という言葉があってしかるべきだったのに、この名称さえもまず
予防ということでした。
そして、今回
参議院で
修正されたところ、先ほど、八十年前に日本はこのような
人権に対して前向きの姿勢だったとおっしゃいますけれ
ども、それならなぜ
修正の中にこんなにたくさん
人権に
配慮とかということをわざわざ入れなければいけなかったのか。最初に入ってこそ初めて、反省の上につくった
法律だという認識が共通認識として得られると思いますが、私は、最初からこのように
修正をたくさんかけられて
参議院から送られてきたことに対して、大臣はどのように思っていらっしゃるか、そしてまた、この
法律の中に、
エイズ予防法、らい
予防法に対する、その人
たちに対しての謝罪の言葉や、また反省するという視点がどこに言葉として入っているかということをお伺いしたいと思います。